仮に本多某の言う通りとしても1572年以降の二年間に小笠原が武田徳川にコロコロ転属したという史料や人質の移動
人質の処刑に関する史料が無いから奥平信昌親子みたいに武田に属していながら徳川とも交渉していたのと変わらない
大勢力に挟まれて両天秤にかけるのは戦国武将なら誰もがやっていることだから本を売るのにインパクトがない
だから本多某は論理の飛躍で降伏していたと言い出したんだろう
本多某の論を肯定したとしても小笠原と武田は密約(徳川勢力を遠江から駆逐したら降るetc)をしていたが信玄病死で御破算になったと考えるのが妥当な線