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武田勝頼 Part16

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0001人間七七四年2019/03/22(金) 20:17:09.04ID:L5s5s1vq
新スレ 武田勝頼 Part16です。
勝頼関連について、どうぞ。

http://itest.5ch.net/matsuri/test/read.cgi/sengoku/1551006280

前スレ 武田勝頼 Part15
0002人間七七四年2019/03/22(金) 21:21:57.98ID:bhoGoMI1
鉄砲など恐れてはならぬ。われらには亡きお屋形様が、信玄公がついておる。
0003人間七七四年2019/03/22(金) 22:50:21.29ID:BiaCwYYU
>>2
漫画や小説、影武者とかではそう叫びながら武田兵が自殺するみたいに突撃しているが、あれマジなのかな?
0004人間七七四年2019/03/22(金) 22:50:30.74ID:2Nc5Yd1U
勝頼が小田氏治並みに家臣に愛されていれば
あれほど惨めな最後ではなかったろうに
0005人間七七四年2019/03/22(金) 22:57:31.69ID:BiaCwYYU
>>4
一応、勝頼に最後まで従った41名がいるから許してあげて。
0006人間七七四年2019/03/22(金) 23:38:37.76ID:MkuayTjN
>>3
武田は鉄砲に力入れてる方なんだから、んなこたぁないんだよなぁ。
0007人間七七四年2019/03/23(土) 00:06:05.53ID:tBmtl0l5
単純に鉄砲VS騎馬という解釈は時代遅れになってるからなぁ
0008人間七七四年2019/03/23(土) 00:07:27.06ID:J4Bku9He
むしろ勝頼は関東に逃げて小田氏治の家臣になるべきだった
単純な勝頼の事、天庵様にお目通りした途端に謎のカリスマにやられてしまい
名門甲斐源氏の誇りも投げ捨てて滅私奉公したであろう
そして得意分野である前線指揮官として活躍し、
佐竹義重を苦しめ名声を残したに違いない
0009人間七七四年2019/03/23(土) 07:54:24.52ID:OxZ5lGmc
新刊の徳川家康と武田氏は素晴らしい本だ
0010人間七七四年2019/03/23(土) 08:04:14.43ID:BNLoLcYK
>>2
大河の「信長」で馬場がそう言って突っ込んで行ったよな
最初は勝頼に退却を進言していたのに、山県が討ち死にしたと聞くや頭に血が上って
「おのれー信長め!」とか言ってその台詞言って突っ込んで討ち死にしちゃうんだよなw
0011人間七七四年2019/03/23(土) 08:44:49.98ID:7S88LiJq
>>6
弾薬累が手に入りにくい
貧乏国だから乱発できない
0012人間七七四年2019/03/23(土) 09:11:47.06ID:TcVaYyT6
火薬に関してだが
主原料は硝石(KNO3)と硫黄(S)
武田領内の草津周辺は日本屈指の硫黄の産地だった。
硝石はインドの乾燥地帯から大量出土してるけど
軒下や穴倉やトイレ周辺の土を集めて灰と煮詰めて冷やせば製造できる
というか当時でも世界の大半ではそうやって作った。実は武田領内でも製造可能。
火薬自体は輸入に頼らずともよかった。
0013人間七七四年2019/03/23(土) 09:24:36.28ID:J4Bku9He
だが質は大して良く無いだろう
でなければわざわざ海外から硝石を輸入する訳無いし
不発頻発で使い物にならなきゃ意味無いし
0014人間七七四年2019/03/23(土) 09:50:32.89ID:AxvDVZBO
硝石とやらは、人尿、ヨモギの粉末、蚕の糞、これらを混ぜて、風通しの良い床下に数年放置し、その後、それらに灰汁を混ぜて煮詰めて、液体を濾してゆく、という製造法のようだが…
やはり化学知識が不十分の時代では、純度に問題がありましょうな?
0015人間七七四年2019/03/23(土) 10:27:22.64ID:UANrZfqm
>>10
馬場さんは撤退時に殿で死んだはずじゃ・・・・
と当時思っていました
0016人間七七四年2019/03/23(土) 10:28:46.63ID:UANrZfqm
>>14
その製造法を開発した奴凄いね
何らかの偶然だったんだろうけど
0017人間七七四年2019/03/23(土) 15:19:16.90ID:7S88LiJq
>>12
国産のは品質が悪かったから影響が出ない程度で輸入品のに混ぜて使ってた
0018人間七七四年2019/03/23(土) 16:31:54.75ID:oIS4mqKu
日本でも石炭や石油の油田があり生産に努力した時期があった
しかし、埋蔵量が少なく、品質も良くなかったから現在も輸入に頼らざるをえない
0019人間七七四年2019/03/23(土) 17:35:56.51ID:vqujsp/T
戦前の秋田油田は国内消費の1割程度は賄ってたはず
未だと0.03%くらいらしい
0020人間七七四年2019/03/23(土) 17:50:04.35ID:kxLFLkED
火山国だから、利益は出ないけど一通りそろうんだよな...日本。
0021人間七七四年2019/03/23(土) 18:01:13.63ID:vqujsp/T
信長からすれば美濃の隣接地に100万石レベルの武田がいるのはやっぱ都合悪いから
最終的には信忠と松姫の子供が武田継ぐ流れだったんだろうな
0022人間七七四年2019/03/23(土) 18:05:44.07ID:AxvDVZBO
信玄の場合だと、倒した敵の当主に武田一門を養子にするというパターンはあるが、信長の場合だとひたすら殲滅でないのか
0023人間七七四年2019/03/23(土) 18:22:44.41ID:GEaWcvy0
伊勢は結構一門を押し込んでるだろ
北畠も後にアレな事にはなったが、全滅したわけではないし
0024人間七七四年2019/03/23(土) 18:56:26.24ID:J4Bku9He
越前もノブに寝返った朝倉一門に任せてるし
一揆に惨殺されなければ養子送り込んで乗っ取っただろうな
あと岩村遠藤も秋山が来なけりゃ乗っ取れてた
0025人間七七四年2019/03/23(土) 20:00:01.12ID:rrSOsgDr
硝石作りには人糞より家畜のふんの方が向いているので、食用に家畜を作る事が少ない日本には不利だった。
0026人間七七四年2019/03/23(土) 20:14:18.55ID:Som3Cbp3
武田信玄って養子に送り込んだ、と言うけど、勝頼に継がせてるのは高遠だからなあ。諏訪惣領継がせずに、なぜ高遠なんか継がせたのか?
0027人間七七四年2019/03/23(土) 22:56:39.73ID:tBmtl0l5
本家を継がせようとしたのかも知れないけど、生き残り諏訪関係者の反発が強かったんだろう
勝頼が生まれた年に一族の誰か反乱起こしてたような
0028人間七七四年2019/03/23(土) 23:13:38.08ID:TcVaYyT6
本家の方は大名家としての地位は失い大祝家として頼忠が継いだとされてるな
その後、うまく立ち回り関ヶ原の戦いで功をあげ高島藩主として大名に復帰と記されてるな
0029人間七七四年2019/03/23(土) 23:30:09.09ID:TcVaYyT6
信玄はなぜ諏訪を城下町というか神前町として大きく育てようとしなかったんだろ
ポテンシャルとしては諏訪湖周辺は凄まじいものがあったのに。
江戸時代では下諏訪は交通の要衝として栄えたよね
0030人間七七四年2019/03/24(日) 00:01:02.65ID:k6Cz3nB9
経済という概念が無かったからだろうね
甲斐は内陸で水運に使える河川も無かったから
0031人間七七四年2019/03/24(日) 00:28:34.62ID:DTppBaiM
甲府盆地 標高300m
諏訪地域 標高760m

武田家臣「なぜもっと山に行かねばならぬのか?」

諏訪は治安の良くなった江戸時代でも
難所がある中山道の宿場町として賑わっただけで
自力で経済力で栄えては無かったですぜ
0032人間七七四年2019/03/24(日) 00:40:37.05ID:k6Cz3nB9
つうても諏訪から飯田までの天竜川の水運を整備できれば
三河、遠江との物流はかなり収益を生んだ筈
飯田街道や青崩峠は塩の道として古来から難所ながらも人、物の往来は盛んだった
0033人間七七四年2019/03/24(日) 00:44:10.79ID:M/DW+yAs
天竜川の水運は江戸時代でも碌に出来なかったから無理だろ。
0034人間七七四年2019/03/24(日) 00:46:11.65ID:VyainpRR
つっても戦で金を使うのに整備費用を誰が出すのか
今川が生きていたら塩止めみたく下流でストップできる権限もあるし
0035人間七七四年2019/03/24(日) 00:51:18.27ID:K9rE6wVy
成田氏の領地は利根川でも中流域の極狭い範囲だが金持ちだったと推定されてるんだよね。
もちろん水運益。
0036人間七七四年2019/03/24(日) 00:52:57.27ID:K9rE6wVy
あと関西淀川流域には本願寺の門前町がいたるところにできたけど
いずれも経済力が凄かった。
だから信長との戦争で10年間も苦しめる事ができたわけだけど
0037人間七七四年2019/03/24(日) 00:58:35.07ID:K9rE6wVy
甲府盆地の笛吹川とか釜無川の水運が盛んじゃなかったのは水深が浅すぎて筏くらいしか
浮かべられなかったのと、なにより日本住血吸虫で死ぬから船で物資を気軽に運ぼうとか
思えなかったんじゃね?
だから現在も甲府盆地の川では魚釣りする人が居ないし、水が綺麗なのに泳ぐ人も居ない
つーか河川敷に誰一人近づかない。
0038人間七七四年2019/03/24(日) 01:01:39.64ID:DTppBaiM
成田氏の領地 土地の高低差がほとんどない平らな地形で標高は20m
甲府盆地 標高300m
諏訪地域 標高760m
0039人間七七四年2019/03/24(日) 01:03:57.57ID:K9rE6wVy
でも諏訪盆地って信州みそ、酒造メーカーのメッカで
その後は生糸生産のメッカとなり
さらにオルゴールとか時計とか精密機械工業のメッカになったろ
普通に水が豊富で交通が便利で水運も使えるからだと思ってるんだが
0040人間七七四年2019/03/24(日) 01:09:06.46ID:k6Cz3nB9
水質の良さと日本では湿気の少ない気候だから
生糸と精密機械の製造には向いていたんだろうが
交通に関しては鉄道が通るまではド田舎じゃね?
0041人間七七四年2019/03/24(日) 01:10:23.69ID:DTppBaiM
上町台地の標高は最も高い大阪城天守閣跡で38mであり、
北部は淀川水系の大川に落ち込み、南部へはなだらかに下り北の大阪城大手町付近で24m、
中央部の天王寺交差点付近で16m、帝塚山付近で14mの標高を保つが、南部の万代池南方から急速に標高を失い住吉大社付近で6m
0042人間七七四年2019/03/24(日) 01:14:46.70ID:K9rE6wVy
琵琶湖は鯖街道などを使いそこそこ栄えてたけど
京極とか六角とか浅井、朝倉などが湖畔に居た時はさほどはポテンシャルが生かされず
織田家が占有して一気に経済力が高騰したんだよな
元から大津、草津などは栄えてたけど湖畔全体を底上げしたでしょ
0043人間七七四年2019/03/24(日) 01:29:37.91ID:DTppBaiM
成田氏の領地 標高20m
上町台地(大阪) 標高2〜38m
琵琶湖 湖面標高84m
甲府盆地 標高300m
諏訪地域 標高760m
0044人間七七四年2019/03/24(日) 01:38:46.93ID:M/DW+yAs
>>42
六角は全盛期の三好とやりあうぐらいの勢力だったんだが。
あと近江京極氏の全盛期は応仁の乱ぐらいまで。
0045人間七七四年2019/03/24(日) 01:43:45.27ID:DTppBaiM
小学生でも分かることだが水は(標高が)高いほど流れが
急になって遡れない
川を遡る時はなるべく小舟にして曳き子と呼ばれる者を
舟の両側に付けて数日かけて人力で引き上げていかなければならない
海運水運の利点は陸上から攻撃されずに荷を運べること
毛利水軍が本願寺に兵糧を運んだようにね
戦国時代の治安の悪い時に荷運ルートが川沿いと限られて
曳き子を斬られたら荷を奪われる水運を誰がやろうか
0046人間七七四年2019/03/24(日) 01:51:17.02ID:DTppBaiM
そして曳き子が川沿いを歩くために田畑を曳き子が
踏み荒らすということで江戸時代でも藩を跨いで了承を
えなければならなかった
後、曳き子が歩けるように川沿いの道を整備
川底を深くする土木工事もね
曳き子は重労働だったために早死にしてたという話もある
0047人間七七四年2019/03/24(日) 02:16:06.08ID:VyainpRR
そもそもの話、今川から塩止めみたいに下流でストップされたら終わり
今川が重税の津料を課したら誰も利用しなくなって終わり
戦に金がかかる戦国時代に武田がそんなもんに大金掛けて整備するってのが有り得ない
今川が邪魔になるから攻めて奪ったら塩も手に入るし海運もできるようになるからやっぱ河川水運要らないわってなるw
0048人間七七四年2019/03/24(日) 05:17:22.19ID:Uy8ExLXk
駿河整備する間もなく始まった西上
駿河整備する間もなく大敗した長篠

糸冬
0049人間七七四年2019/03/24(日) 07:58:46.15ID:gxPMBUA3
諏訪本拠地論を連呼してる奴は夢物語しか頭にないんだろう
単に自分が「こうだったらいいのになぁ」と言う願望をしつこく言ってるだけで
それが出来てたら、江戸時代でやってるっての
0050人間七七四年2019/03/24(日) 08:24:28.74ID:K9rE6wVy
仮に道州制発布で長野県と山梨県が合併されたら州議会や州政府は甲府に置かれるのだろうか?
なんとなくそうは思いにくい。商業の中心地も甲府になるだろうか、相当微妙だと思う
0051人間七七四年2019/03/24(日) 09:01:20.87ID:VyainpRR
資金も人手もたくさん使えた信長でさえ甲州征伐では兵糧を途切れないようにしろ
兵糧不足にならないために征伐兵は精鋭に絞れと陣触れして山への物資輸送は困難と判断している
それを山への輸送もしたことがない現代っ子が ぼくがかんがえたさいきょうのすいうん と言ってるだけだしな
0052人間七七四年2019/03/24(日) 09:21:12.79ID:oXl/GzC1
つまり、武田はどう足掻いても経済的に困窮し滅ぶ運命だった。よって勝頼は無能では無いと結論が出る訳だ
0053人間七七四年2019/03/24(日) 10:14:29.62ID:1f5lcefj
道州制なら関東甲信越で一つだから長野や山梨はただの支所になるだけだぞ
0054人間七七四年2019/03/24(日) 10:31:57.30ID:CreOYu8l
>>52
長篠の決断は経済は無関係。
あれは明らかに勝頼に責任がある。
開戦前に出した手紙からして思い上がりも激しいし。
0055人間七七四年2019/03/24(日) 10:56:51.77ID:1f5lcefj
>>54
あそこまで自信満々な手紙書いてる以上は
軍議で四天王が猛反対したとかそういうイメージがわかないんだよねぇ
四天王は「敵の罠だと言い張ってて」勝頼は「敵は手立てを失ってる」って判断したわけでしょ?
さすがにあの時期なら四天王や親類衆が反対すれば勝頼に突撃命じる権限はない
0056人間七七四年2019/03/24(日) 11:05:25.30ID:1f5lcefj
オートバイがガードパイプに衝突 山口県の大学生死亡 鹿児島
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190321-00000003-kts-l46

バイクは燃料タンクくらいしか傷ついてないように見える
0057人間七七四年2019/03/24(日) 11:22:26.23ID:VyainpRR
勝頼はむしろ長篠後の北条への対応や高天神城のが酷い
0058人間七七四年2019/03/24(日) 12:20:53.94ID:ZZV0o/mq
勝頼の手紙は本音とは限らないだろ。願文みたいなもん。
本国を留守にしてる状態で、負けるかも逃げるかもなんて手紙書けるか?
0059人間七七四年2019/03/24(日) 12:38:20.12ID:at4lJaI1
あれでも思慮をめぐらして書いてるなら、やっぱ脳筋だわ
0060人間七七四年2019/03/24(日) 12:50:05.12ID:41OIvOzW
>>58
こういう反論ってブーメランだよな
勝頼はむしろ反対だったが軍議の雰囲気がイケイケで
「今更俺が止めようなんて言えない」って事実があったとも考えられるんだよなぁ
でも手紙にはそんなこと書けない
0061人間七七四年2019/03/24(日) 13:20:34.80ID:ekn7UAHh
長篠の後に勝頼降ろしが起きなかったという事は、武田の重臣の中に決戦派が多かったとも考えられるでしょ。
0062人間七七四年2019/03/24(日) 13:25:31.76ID:QwIWFTUX
穿った見方かもしれんけど、勝頼が当主としての正統性が弱いとか
家臣との軋轢があったとかって勝頼や武田家に対するフォローな気がする

特に問題ないけど長篠の戦いでは大敗しました、というよりは勝頼が家中を
まとめるためにあせっていたとか、古くからの家臣団はわかっていたと書けば
まだ頑張り次第で何とかなった感がだせる
0063人間七七四年2019/03/24(日) 13:35:42.44ID:rThLYE3I
軍鑑は信玄を神聖視し、かつ一部の重臣を除き、武田家臣団にはさほどの 落ち度はなかった、という基本線のもと、徳川将軍家を刺激しない内容にする、という制約がござってな
0064人間七七四年2019/03/24(日) 13:54:04.68ID:VyainpRR
>>58
敵は手立てを失ってるからこちらから乗り込んでやるという書状通りの行動をしたからな
むしろ勝頼の意思だろうな
0065人間七七四年2019/03/24(日) 14:10:38.72ID:CreOYu8l
仮に馬防柵なし、まともな野戦でも、とても兵力的に武田が勝てるとは思えない。よくて痛み分けとしか。

勝頼らは何を思って勝てると考えたんだろうか?
0066人間七七四年2019/03/24(日) 14:22:17.85ID:VyainpRR
信長公記と勝頼の書状の通りでしょ
信長公記=長篠城にはすぐに行かずに設楽原の窪地に兵を潜ませて少数に見せた
勝頼の書状=敵は手立てを失い行き詰まって縮こまってる有り様だからこちらから乗り込んでやる

策にかけた者と策にかかった者でお互い合致している
0067人間七七四年2019/03/24(日) 16:41:47.88ID:LqbVV2lf
中入した挙句に敵の後詰到着とかほぼ負け
これから逆転しようと思ったら並大抵の戦術じゃ無理

資料は見つかってないがなんらかの勝てる奇策が勝頼にはあったんじゃないだろうな
0068人間七七四年2019/03/24(日) 16:46:25.08ID:oPeD6QuI
設楽が原に武田軍をおびき寄せるのが信長の作戦だけど
あのまま進出しなければどうしたんだろうな
最終的に長篠城が落城寸前になれば動くしかないよね?
0069人間七七四年2019/03/24(日) 17:21:15.03ID:k6Cz3nB9
>>68
ノブはリアリスト
武田が策に乗って来なければ長篠を見捨てるだけ
家康は泣いて縋りつくかもしれんが
0070人間七七四年2019/03/24(日) 18:01:53.81ID:DTppBaiM
長篠城包囲軍が酒井の別動隊に急襲かけられても
陣城に突撃し続けたのは川中島で啄木鳥戦法破られたのを
織田にやろうとしたんじゃないかって話は過去スレにあったね
0071人間七七四年2019/03/24(日) 18:50:23.26ID:k6Cz3nB9
武田の諜報は貧弱だからな
織田の正確な兵数も把握できていなかった
謙信は武田の兵力と動きを正確に把握できていたからあんな離れ業ができた
要するに信玄期から武田の防諜はユルユルで情報駄々洩れだった
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