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武田勝頼 part15

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0001人間七七四年2019/02/24(日) 20:04:40.93ID:ZwznSIV6
前スレ

http://itest.5ch.net/matsuri/test/read.cgi/sengoku/1549141210

武田勝頼 part14
0079人間七七四年2019/02/26(火) 16:39:18.25ID:nUG/XUXC
長篠の前から高坂弾正以外は人材は大した事ないよ
武田四名臣とか名前先行の田舎の大将揃い
0080人間七七四年2019/02/26(火) 16:51:09.44ID:DslkMrnF
内藤昌豊の内藤家は保科から養子に入った昌月が家督を承継したが、血を分けた兄弟の保科正直は城を放棄して逃げちまった
0081人間七七四年2019/02/26(火) 17:46:16.51ID:gHBt/zHJ
>>78
長篠で死にました
0082人間七七四年2019/02/26(火) 19:16:01.22ID:Dkn8y3bJ
保科は親子そろって高遠城から逃げ出したからな
武田で唯一まともに籠城して戦った高遠城から
そして箕輪城の養子に出した内藤昌月の元に逃げ込んで
滝川の部下となるも滝川が北条に負けたら北条軍の先兵になって高遠城を攻撃
北条が徳川に負けそうになると徳川に寝返る
真田も顔負けだよw
内藤昌月は親子だけどこの変節の酷さに呆れかえってる
0083人間七七四年2019/02/26(火) 20:19:20.75ID:VFekPdXc
保科といえば徳川秀忠の息子の保科正之がいたな
0084人間七七四年2019/02/26(火) 20:21:10.22ID:Dkn8y3bJ
あれを引き受けて無ければ高遠の城主で永遠に終わってたよ保科なんて
0085人間七七四年2019/02/26(火) 20:33:48.55ID:DslkMrnF
気になって昌月の子孫をあたると、会津若松藩や彦根藩の家来として続いたとあった
0086人間七七四年2019/02/26(火) 22:16:40.07ID:jI1Hvs3K
BSで真田ヒモ行が勝頼やってるんで気晴らしにどうぞ
0087人間七七四年2019/02/26(火) 23:23:16.09ID:BhZ7s72a
>>82
真田保科に限らず信州の豪族は万事が万事そんな感じのイメージ
0088人間七七四年2019/02/27(水) 14:06:22.41ID:ObksinkB
勝頼って、そもそも信玄死後からずっと徳川家康、織田信長を主敵としているけど、上杉謙信はどうしてるの?

謙信が1574年に関東に南下した際にも、北条氏政に援軍送ってるの? 何もしてないのに、御館で北条氏政との同盟破るとかヤバすぎるんですが。
0089人間七七四年2019/02/27(水) 14:35:25.01ID:S/zsdYDJ
ちょっと質問の意味がわからないです
0090人間七七四年2019/02/27(水) 15:05:25.31ID:dUmUMhoC
信玄存命中に甲越同盟結んでたと思うけど
それが自然消滅したくらいで表立っては揉めてない
0091人間七七四年2019/02/27(水) 16:02:18.52ID:NVxrMu1E
上杉は織田と武田が争うのが都合が良い
かといって織田との仲もあるので武田とは敵対関係って姿勢だけはとっている

勝頼からみれば上杉と織田は盟友なので北信濃に戦力を割くしかない(上杉はもう北信濃に興味は殆どないが)

織田は上杉にもっと動いて欲しいが武田の敵って姿勢はとってるから文句は言えない
上杉が一応風上の友好関係なので、下手に出るしかない

長篠後
織田側
上杉との協力が必ずしも必要という訳でも無くなった

上杉側
武田の敗退で事実上包囲網崩壊、織田の更なる伸長は確実
武田の北信濃の戦力を織田に充てさせる為に武田寄りにの姿勢に方向転換
0092人間七七四年2019/02/27(水) 16:38:37.16ID:z0Yeetus
>>90
信玄が生きてる頃、というか謙信が生きてる頃は同盟は結んでない
何度か和睦はしてるけど、西上作戦の頃は和睦状態でもないから
本願寺を通して越中で一向一揆をおこさせ、かつ雪で北信濃に
来れない冬になる時期に西上作戦を実行してる
0093人間七七四年2019/02/27(水) 16:41:10.35ID:dUmUMhoC
>>92
駿河に南下する頃信長に仲裁してもらって同盟してたやつのこと
自然消滅したみたいだけど
0094人間七七四年2019/02/27(水) 16:48:48.95ID:S/zsdYDJ
永禄10年末から年明けにかけての駿河攻略後、信玄が義昭、信長に斡旋を頼み、永禄11年7月末には甲越和与が成立したが、
信玄の遠江進攻を怒った家康の働きかけにより、翌元亀元年10月には謙信は甲越和与を破棄している。
0095人間七七四年2019/02/27(水) 16:59:09.00ID:iCcAPt58
謙信にしてみれば当時は越中と関東に主軸移しつつあったから
信玄が死んだって言っても徳川をフルボッコにした兵力は全て残ってる武田を
あえて攻撃する意味がないわな
勝頼が飯山城に攻めかかってきたとか東上野にちょっかい出してきたなら別だけど
0096人間七七四年2019/02/27(水) 17:06:58.44ID:JtqWevpC
信玄と信長の断交って家康のせいでもあるよな
0097人間七七四年2019/02/27(水) 17:16:30.43ID:NVxrMu1E
そうであっても上杉との和睦斡旋依頼しておいてまとめかかった所を
踏みにじって突然侵攻してくるのは、人間として終わってる
0098人間七七四年2019/02/27(水) 17:30:03.75ID:ObksinkB
そんなこと武田信玄は、それまでに諏訪、長尾、今川、徳川、北条と腐る程やった前科があります。信玄にとっては当たり前でしかないでしょう。
0099人間七七四年2019/02/27(水) 19:43:12.18ID:Cb3HlXI0
それで信長の面子完全にぶっ潰して武田家滅亡
0100人間七七四年2019/02/27(水) 19:44:07.71ID:b45u+Qu9
>>88
高天神落とした後や長篠後に関東行ってなかった?
0101人間七七四年2019/02/27(水) 20:17:32.15ID:dUmUMhoC
>>100
そのあたりからはずっと関東だね
上野方面に気を取られて遠江わざわざ行くのが面倒な状態だったと思う
0102人間七七四年2019/02/27(水) 20:17:35.10ID:Ll0lsdLr
西上作戦で北条の援軍数千を入れた3万が武田の限界でしょ
越中一向一揆を扇動して本土防衛に兵を残さなかった
長篠合戦では謙信などに本土防衛に残して行ったからは1万5千だった
0103人間七七四年2019/02/27(水) 20:32:38.53ID:S/zsdYDJ
勝頼が三河出陣を決めたのは徳川の岡崎町奉行大賀弥四郎の通謀が契機で、しかしながら行軍途中で謀反は事前に潰され、
手ぶらでは帰れないから長篠付近に進出したという解釈で良いの?
0104人間七七四年2019/02/27(水) 20:35:28.57ID:Ib7bkshQ
長篠城囲む前に吉田城まで進出して城下に放火し
家康が出陣するように挑発したが出てこなかったので長篠を包囲
だったはず
0105人間七七四年2019/02/27(水) 20:58:46.11ID:s2hscagK
織田主力が本願寺と合戦中と聞いて
その隙に一気に吉田まで落として三遠分断を狙ったんじゃ無かったっけ?
けど補給が追っつかなくて長篠まで後退、長篠城に手こずってるうちに信長が引き返して来た
0106人間七七四年2019/02/27(水) 21:57:54.49ID:oMUXHjxg
徳川信康とか水野信元が武田勝頼と内通してたというのは事実なの?
それとも信長の妄想なの?
0107人間七七四年2019/02/27(水) 22:03:15.25ID:s2hscagK
家康の後継者の立場が安泰の信康が落ち目の勝頼に内通する理由が無い
水野は売却した米が武田に渡った事を咎められたというのが真実っぽい
前者に関しては完全にでっち上げかと
0108人間七七四年2019/02/27(水) 22:04:46.07ID:oMUXHjxg
信長ってでっち上げで同盟者の息子や叔父を殺害させるとか割とファンキーな人物だったんだね
0109人間七七四年2019/02/27(水) 22:07:35.68ID:oMUXHjxg
次は家康の番だったかもしれないね
堺で「おまえかつて勝頼と組んで俺を裏切ろうとしたろ」とか因縁ふっかけて殺したかもしれん
0110人間七七四年2019/02/27(水) 22:16:30.51ID:S/zsdYDJ
信康が武田と通じていたのは虚構だが、家臣団を束ねて徳川を永続させるには不安材料があった。
信康の平素の性格に加え、家康と信康の年齢差が近すぎることがある。
0111人間七七四年2019/02/27(水) 22:59:54.97ID:5uEqGV/E
>>108
徳川信康は、織田信忠より優れていたから、始末するために理由は何でも良かった。
0112人間七七四年2019/02/27(水) 23:00:30.21ID:/GT552ue
また古臭い説を
ここは爺さんしか居ないのか
信長が信康をなんてのは創作に決まってるじゃん
0113人間七七四年2019/02/27(水) 23:11:08.78ID:dl84MwtT
歴史好きの爺さんのほうが新情報を取り入れやすいよ
古い情報に固執するのは統合失調症の一症状
0114人間七七四年2019/02/27(水) 23:17:18.82ID:IEUHdu79
歴史好きの老人は昔から歴史読本とか読むからな
祖父が残した本に昭和50年代の歴史読本とかあった記憶がある
0115人間七七四年2019/02/27(水) 23:19:09.40ID:Ll0lsdLr
義信も敵に内通してないけど不穏分子だったから排除された
信康に加え岡崎城派が多数排除された経緯から義信と同じような理由だろうね
0116人間七七四年2019/02/28(木) 00:48:29.76ID:iYNG1a0i
何年か前の学研の歴史群像だったかな。
信康粛清の新設計読んだのは。
それからは信長の命令って説は保留つけて見てる。
0117人間七七四年2019/02/28(木) 00:57:34.86ID:XsKKIHkw
信長の命令かどうかは分からない。
でも信康の頭部は一度信長の居城へ運ばれ
その後、岡崎に戻され首塚に葬り、胴体は浜松の墓に埋めてあるんだよね
わざわざ信長のもとへ運んで間違いなく信康の首である事を確かめさせる必要があったの?
単なる親子喧嘩で殺しただけなら事後報告で「息子と嫁殺しました」でいいじゃん
0118人間七七四年2019/02/28(木) 01:01:53.83ID:WafbkGHz
織田とは従属同盟だし上洛してからは織田政権なわけだし信長の娘婿なんだから
処分する許可を得なきゃいけないし首も見せなきゃいけないのは当然のことじゃん
0119人間七七四年2019/02/28(木) 01:08:47.45ID:tSlZOTPb
酒井忠次が安土御天主に何も弁明しなかったというのは違うとしても、東三河衆旗頭の酒井と、子息信康に対立があれば、家康にとってすでに重大で、子より家来を選ばねばならない究極の選択を迫られた。
0120人間七七四年2019/02/28(木) 06:35:53.18ID:VH/aiiEA
>>117
信康は信長の息子(娘婿)でもあるからね。
武田信玄と今川義元の同盟(北条が加わる前)は信玄姉と義元の婚姻で結ばれたが、信玄姉の病死で慌てた両家は義信と義元娘で婚姻関係を再築した。
さほどに同盟において婚姻は重要な要素。それは義信事件後の今川の態度を見てもわかる。

いくら徳川家内部の事情とはいえ、信康殺害は同盟の証である婚姻関係を自ら破壊したようなもの。
信長が氏真のように思ってもなんら不思議じゃない。
俺はこの時点で、完全に信長に従属したと思ってる。てか従属するしか信長との信頼は繋げないだろう。
0121人間七七四年2019/02/28(木) 08:09:19.79ID:PMEM2h2Z
家康は秀康も嫌ってたり自分の子供でも好き嫌いは結構激しいタイプだな
0122人間七七四年2019/02/28(木) 09:40:14.65ID:XsKKIHkw
徳川家康の子供たち

好き
秀忠、振姫、忠吉、義直、頼宣、頼房

愛憎半ばもしくは無関心
松平信康、結城秀康、督姫、武田信吉、松千代、仙千代

嫌い
永見貞愛、亀姫、松平忠輝
0123人間七七四年2019/02/28(木) 09:50:33.64ID:XsKKIHkw
才気溢れる剛毅な武人より
温厚で平凡な(顔が醜くない←これが家康の異常さだけど)子を好む傾向があるな

チンギスハーンも似た傾向があったけど。才気あふれ部下や民衆から絶大な支持を集める長男や次男ではなく
温厚である事だけが取り柄の三男のオゴディに国をゆだねた。最も愛してやまない四男のトゥールイは
最後まで手元において後継者には指名しなかった。
0124人間七七四年2019/02/28(木) 10:42:08.07ID:kUKf71LC
オゴデイはチャガタイとトゥルイどちらに継がせても内戦になりそうだったからどちらとも敵対してない温厚なオゴデイに継がせたら
実は冷酷で有能だったから予想以上に成功したなんて説があったな
0125人間七七四年2019/02/28(木) 12:29:43.95ID:nWRE/hY2
後継選びってほんと難しいよな
上辺だけ有能そうに見えて、実はいざという時はヘタレで決断力に欠ける人物だったり・・・
逆に普段は大人しくて温厚そうに見えて、いざという時は驚くような獅子奮迅の働きをする人とか
そういう隠れた才能を見抜けるかどうかもトップの眼力なんだよなぁ
信玄や信長はそういう才能を見抜く人材抜擢能力は凄かったよな
0126人間七七四年2019/02/28(木) 12:47:25.36ID:XsKKIHkw
秀吉の後継者の秀次は後継者としては満点だったと思うんだけどな
まだ頭脳が鮮明だった頃の秀吉が「こいつが後継者で問題ない」と関白にしたのだから
ダメなわけがない。
頭がボケてしまってからの秀吉は「こいつが後継者では豊臣家が危うい」とか思ったのだろうが
判断力がゼロになってたんだろうな
0127人間七七四年2019/02/28(木) 14:08:49.34ID:oG0N1ZRz
>>126
秀次がまずいとするなら、秀頼が生まれた段階で豊臣の家督を返す、と秀吉に申し出たら良かった。毛利秀元が秀就が生まれたから返上したように。

また、公金を貸し出したのがまずかった。豊臣にとれば微々たるものでも、秀吉にすれば反主流化されたら面白いはずはないから。

秀次には配慮が欠けていたと思います。
0128人間七七四年2019/02/28(木) 16:43:22.88ID:XsKKIHkw
>>127
一説には秀次が関白から降りたいと申し出たけど
秀吉が「そんな事言うな、秀頼が元服するまで保護してやってくれ」と命じたともされてるよ
0129人間七七四年2019/02/28(木) 18:36:32.50ID:PVBAbM8C
武田滅亡も悲劇だったが、境界に位置する小豪族たちも、ギリギリの決断を迫られたのだ。
木曽を見よ、苗木を見よ。奥三河の、山家三方衆を見よ。
その中において、目立たないが美濃郡上の遠藤一族も織田武田の狭間で
きわどいところを生き残った。
0130人間七七四年2019/02/28(木) 20:05:07.58ID:4zUjV9fw
木曽はワンチャン狙ったが上杉が北信濃に出てきたらあっさり深志城失って終了
0131人間七七四年2019/03/01(金) 19:10:53.90ID:L7dL0ygv
>>126
わずか18歳にして近江43万石の領主となったにも関わらず
自由商業都市としての発展を目指して、楽市楽座の施行、
八幡堀の活用、各地から有力な商人や職人を呼び寄せて、
近江商人を生み出して、商いの町としての基盤を築いてるんだから
泰平の世で天下を治める人物としては普通に合格だと思うよ
0132人間七七四年2019/03/01(金) 21:12:38.42ID:YY2AVUCK
秀吉がボケずに秀次に権力移譲がされていれば
その後の日本はどうなったんだろうなぁ
近世の東アジアの強国になり得たんだろうか
0133人間七七四年2019/03/01(金) 22:05:56.04ID:+YFx28jQ
>>132
大藩が多数ある国なので室町政権のような弱い政権にはなっただろうね
秀次の子孫に期待、もしくは秀次が秀頼に政権を移譲した場合秀頼の手腕に期待となるが
0134人間七七四年2019/03/01(金) 22:58:29.35ID:/JB/+6va
徳川は秀忠まではおとなしくしそうだが関東が繁栄すると中央から横槍が入るか家光の代で没落か
前田も利長利政利常ならとは思うが利政が不安材料?
毛利は輝元が調子のって明後日の方向に
宇喜多はお家騒動の影響次第
上杉は伊達最上堀など周りともめそうだ

武田の再興はわかりません
0135人間七七四年2019/03/01(金) 23:05:59.58ID:iD28pL5H
秀長が生きていたらとよく言われているけど、彼とも晩年ギクシャクしていたそうだし
秀次のように粛清されていた可能性もある
秀吉が早めに死んでいたほうが豊臣政権自体は長生きできたろうな
0136人間七七四年2019/03/01(金) 23:44:43.30ID:+YFx28jQ
>>135
利休と秀吉も蜜月だったしね
娘を伽として譲れと命じ断られたあたりから
利休の死はあっという間
0137人間七七四年2019/03/02(土) 08:01:50.10ID:Eo8htKqB
結局秀吉は天下を取るまでの能力はあったけど、その天下を維持させるためのビジョンが無かったよね
0138人間七七四年2019/03/02(土) 10:50:37.19ID:/LJnt5Nz
>>131
実際は側近が優秀だっただけだろうけどね

>>137
太閤検地に刀狩りで国内を安定させた
淀の密通で秀頼が生まれて無ければねぇ
まぁ木下家に乗っ取られるようなもんだし秀頼に継がせたくなる気持ちはわかる
0139人間七七四年2019/03/02(土) 10:57:15.97ID:8wB+QaQI
「軍鑑」は信用性は疑問ながら、武田家家臣団の心理を代言はしている。それによると武田家滅亡の原因は、甲越同盟締結による甲相同盟破棄と考えていたようだ
一方、長篠合戦敗北はたいしたものではなく、あるいは高天神城落城に求める指摘がある
0140人間七七四年2019/03/02(土) 11:05:58.98ID:/LJnt5Nz
甲越同盟って交渉途中で高坂が死んだけど
それまでは普通に取次役やってたよね?
なんか勝頼が金に目がくらんだだの叩かれてるけど
実際武田家内で同盟に反対してる奴なんかいたのか?
あの時点では上杉とも北条とも上手くやっていけるという判断が大勢じゃないの?
その判断ミスが結果的に甲相同盟破綻に至ったけど
甲越同盟=即甲相同盟破綻じゃないのは時系列的にも明白だろ?
0141人間七七四年2019/03/02(土) 11:14:34.95ID:Z8dOI64l
どの時代も政治は結果責任だからね
甲越同盟自体は間違っていなかったとしても
それ以降、北条が敵に回り高天神が落ち浅間山が噴火したと碌な事が無かったから
その理由を勝頼と甲越同盟に求める声が出ても不思議は無い
特に浅間山の噴火は天災は天罰だと考えられた時代だから
勝頼の選択が否定される根拠にもなりえたんだじゃないか
0142人間七七四年2019/03/02(土) 11:46:12.76ID:uVReiW8y
>>139
長篠が大したものではない。

死んでるメンバーとその数を考えよう。
当時の大幹部と幹部、将来の幹部候補生がほとんど死んだ。武田軍であちこちを歴戦してきた前線の精鋭たちが死んだ。

これで大したことないとか認識してたらヤバイから。

数はいくらでも補填できる。
実際、勝頼は百姓や浪人、部屋住みを数合わせにしたから長篠からすぐに武田は2万をそろえて家康も一時は驚いた。

しかし質の低下は避けられない。
長篠まで武田が押していた徳川家康に、逆に押されだした。織田なんか武田を無視して西に傾注できるようになった。

長篠は太平洋戦争の日本軍のミッドウェーだよ。
0143人間七七四年2019/03/02(土) 12:11:39.41ID:8wB+QaQI
まったくもって、おっしゃる通りかと存じます。
ただ、長篠敗北後は小規模の離反はあったけれど、辛うじて一体性は維持できていた。
高天神落城こそが武田家家臣団の雪崩のような離反現象の直接的トリガーと、存じます。
0144人間七七四年2019/03/02(土) 12:54:46.92ID:+HMbPLRF
>>139
軍鑑読んで長篠が大したことなかったって感想にはならないな
勝頼が家臣の意見に耳を貸さない強すぎる大将で、跡部長坂中心で決戦強行したせいってガチで批判してるし
0145人間七七四年2019/03/02(土) 12:55:55.19ID:+HMbPLRF
>>143
なんで高天神城見殺しになったかというと、原因は長篠の惨敗に結局は行き着く
0146人間七七四年2019/03/02(土) 13:07:23.45ID:pPAmUEZi
北条「東上野確保したから越後に攻め込む気はない。そもそも関東で佐竹らと戦ってる真っ最中」
上杉「越後内でも反乱が起き上野に再進出などありえない」
武田「北信濃確保できたし越後に進出する気もない」

勝頼が東上野に手を出さなければ安定したと思うんだよね東上野の情勢って
氏政的には景虎殺されてるから上杉と和睦はできないだろうけど
0147人間七七四年2019/03/02(土) 13:12:39.28ID:oYBmyapC
>>145
原因突き詰めたら西上作戦だよ
0148人間七七四年2019/03/02(土) 13:15:24.28ID:RoSu+FCX
弱小国武田は常に外へ侵略して攻撃こそ最大の防御でやらないと体制を保てなかった
政権は脆弱だったわけね。
国内の問題を外に向けさせるのが目的
そら何度か戦争に負けて失敗したことがあったが、これは外での戦いでダメージは少なかった

高天神城を落とされたのは、このルールの崩壊を意味する。
大名とは家臣の生活を保証する代わりに主従の関係を築いている。これを見殺しにすることは家臣の信頼を失うことになる。
高天神を見殺しにたことで家臣の大半は武田を見限ったでしょう
0149人間七七四年2019/03/02(土) 14:13:53.41ID:5jSPHUiC
高天神城が包囲されたとき勝頼は軍勢を率いて駿河にいたが
高天神城を放置して伊豆に攻めこんだと聞いたが
0150人間七七四年2019/03/02(土) 15:02:50.26ID:Eyr6X1zB
>>147
突き詰めるなら三国同盟破綻だね
0151人間七七四年2019/03/02(土) 16:16:19.38ID:Z8dOI64l
>>149
それ出典は何よ?
本当だとしたら穴山が寝返るのも無理は無いが
0152人間七七四年2019/03/02(土) 18:15:51.10ID:ZgCfqcFk
>>147
長篠で大敗して精鋭が壊滅するという大損害が一番の原因だよ
大損害が無ければ徳川も攻勢に出れないし
長篠前までは三方ヶ原の敗戦に懲りたのか武田の先鋒隊にガクブルして
織田に援軍要請するしかない状態だったし
0153人間七七四年2019/03/02(土) 19:42:37.28ID:oYBmyapC
高天神見殺しになったのは戦力の問題ではなく継戦できなくなった財政難の問題だよ

なぜ勝頼の代で財政難になったかというと信玄末期の大規模作戦のせい

長篠で戦闘になったのもそもそもは山家三方衆を味方に引き込んだのが発端

なので西上作戦がすべての負の連鎖と始まりと言える
0154人間七七四年2019/03/02(土) 19:46:13.85ID:iFiA7bfE
元を正せば義信殺したのが全ての発端やろ
やはり信玄は川中島4の後、隠居して義信に家督を譲るべきだった
0155人間七七四年2019/03/02(土) 19:51:47.72ID:+HMbPLRF
>>153
それは違うな
例えば甲冑は家より高い人生最大の買い物だったわけだし、鉄砲も高価
これらが長篠の惨敗で大量に喪失したことを考えればいい
遠征費用なんかより比較にならないほど痛い
0156人間七七四年2019/03/02(土) 19:53:05.87ID:Eo8htKqB
武田の強さの源はやっぱり有能な家臣団と、その結束力だったんだろうな・・・長篠前までは
長篠で四天王のうち3人までもが討ち死にしてしまい、真田兄弟、三枝、土屋・・・と悉く討ち死にだからな
そりゃそれ以降はまともに兵を率いて戦える人材が枯渇するのも分かるわ
分かりやすくアニメで例えるとどういう感じだろうかw
0157人間七七四年2019/03/02(土) 21:40:59.11ID:nv/Z2Eyr
>>155
甲冑って家より高かったの?
0158人間七七四年2019/03/02(土) 21:46:20.12ID:ZgCfqcFk
>>153
長篠の大敗での武田軍の弱体化により徳川と北条に攻勢かけられたこと
その度に軍を起こし、しかも得られるものが何もない防衛戦を繰り返せば財政が破綻する

高天神城も徳川の攻勢によって日干しにされた
長篠の大敗せずに主戦力が生きていたら徳川は攻勢に出られなかったんだよな
0159人間七七四年2019/03/02(土) 21:48:27.90ID:nv/Z2Eyr
センゴクという漫画では小田原攻めの際に仙石秀久が部下たちに
「甲冑など買わんでええ。おまえらに払う給与も無いしな」と
特に買わせなかったように描かれてるけど。
また甲冑を補修する材料をコマメに集めてる場面もあった。
0160人間七七四年2019/03/02(土) 21:59:21.96ID:nJjZGA2o
長篠の15000の内訳を仮に三人役とすると甲冑武装の侍は5000人しかいなくて後は雑兵
雑兵は替えがきくが甲冑武装の侍は替えがきかないからな
0161人間七七四年2019/03/02(土) 22:58:13.79ID:RoSu+FCX
四天王っていうけど
もうみんな50前後かそれ以上なんだよ
人生50年の時代で、この世代がいまだに主力とか、こっちの方が問題よ
0162人間七七四年2019/03/02(土) 23:03:19.40ID:oYBmyapC
>>157
近くで戦があれば落ち武者から追い剥ぎでGETできるで
0163人間七七四年2019/03/02(土) 23:05:49.52ID:oYBmyapC
長篠の敗戦は滅亡に向かう象徴的な事件ではあったけど、直接の原因ではないと著者の中で言ってたで平山優

信玄の負債が膨らんだ結果の破滅だったと
0164人間七七四年2019/03/02(土) 23:07:57.40ID:8wB+QaQI
四天王ら老臣らと勝頼側近たちを較べると、年齢的にバランスが悪いので、跡部勝資と、義信謀反以来遷塞していた長坂ちょうかんさいを起用したんではないかって書いてあった。
0165人間七七四年2019/03/02(土) 23:21:15.61ID:RoSu+FCX
天地人みても長篠の時点で高坂は確実に体を壊してただろうね
武田は世代交代に失敗したのもあるんじゃないかな
0166人間七七四年2019/03/02(土) 23:32:59.55ID:Z8dOI64l
世代交代の時期に長篠が重なったというのもある
優秀な若手が軒並み戦死してしまった
0167人間七七四年2019/03/03(日) 00:14:11.39ID:ZdX/A99G
>>161
織田四天王「」
0168人間七七四年2019/03/03(日) 00:15:51.26ID:ZdX/A99G
>>164
跡部は勝頼と同年代だからどうだろう
0169人間七七四年2019/03/03(日) 00:23:18.96ID:Oi9CFrac
諏訪からの家臣てあまり出てこないんだよな。跡部にしろ長坂にしろ信玄から付与された家臣だし。

勝頼独自の家臣団は長篠の戦いの「おかげで」ようやく手を付けられた感じ。
昌幸や信豊、弟の盛信も使えるようになってくる。昌幸は上野方面、盛信は飛騨方面、信豊は外交にも広く携わる。

最後まで世代交代が進まなかったのが駿河方面だろう。
そしてそこが穴となる。
0170人間七七四年2019/03/03(日) 00:31:00.20ID:niaeqyzC
穴山なだけに穴ってか
0171人間七七四年2019/03/03(日) 00:32:31.50ID:ZdX/A99G
>>157
高い
だから武士は借金だらけだし、村で共有したり、所々欠けてる箇所があってみすぼらしかったり、馬鎧は本当は必要なのにほとんど用意出来なかった
現存している勝頼自身の甲冑ですら経済的な理由によりコストカットされているという話もある
0172人間七七四年2019/03/03(日) 00:41:02.83ID:E9RhHarW
戦場に散らばる死体から甲冑や貴重品を剥ぎ取り、加工して新品に見せ掛けて転売する業者、全国ネットで展開しておった
0173人間七七四年2019/03/03(日) 01:18:41.41ID:H4qFsFfz
そう、だから赤備えは具足を赤に統一していたから
超エリートでメチャクチャ金が掛かっていた
さらに騎馬武者の比率も高かった

そんな部隊を戦場のど真ん中に投入すると思う?もったいないだろ。
実際の赤備えの仕事は、勝敗が決した後、敗走する敵兵に追い討ちを掛けるのが仕事
戦場の花形といってよい
赤備えに追いかけ回された敵兵は恐怖し、自国に帰った後、武田の強さと恐ろしさを伝える
これが武田強しという噂になって全国に広まって、武田軍の宣伝になると。
つまり赤備えとは武田の宣伝部隊で広告塔だった

信玄は戦国時代では数少ない、情報戦を得意する情報を重視する武将だった。
情報を得て伝える手段は商人と宗教、信玄はここを特に重要視した。信長や政宗も情報を重視していた武将だった
優れた武将には、この共通点がある
0174人間七七四年2019/03/03(日) 02:06:40.28ID:3ioy7C3S
でも「家より高い」はちょっと盛りすぎじゃね?
それが事実なら大名と側近以外は誰一人甲冑を持ってなかったはず
0175人間七七四年2019/03/03(日) 02:08:10.38ID:DaMH+Jso
まあ勝頼は長篠の織田の陣容を把握できなくて惨敗したんですけどね
情報戦のノウハウを引き継げなかったのか元から無かったか
0176人間七七四年2019/03/03(日) 02:14:34.22ID:E9RhHarW
日本列島統一政権でないと、鉱山収入なんかおちおち期待できないような気がしてきた。
0177人間七七四年2019/03/03(日) 02:41:48.52ID:PhKUu7Y/
>>175
把握できなかったとはいえ、見立てや予測とかあるはずなんだが。織田の兵力をどういう見立てしてたんだろうか?
0178人間七七四年2019/03/03(日) 06:48:36.70ID:QcGIKWxp
292 人間七七四年 sage ▼ 2019/01/15(火) 20:39:44.88 ID:tEMVUZbH [2回目]
>>261
勝頼 『くっ、織田の援軍が来てしまったか・・・ん?思ったより兵が少ないな・・・』
馬場 『信長殿は自ら先陣を切る事を好むとの事。黒衣衆のみ引き連れて来たのでは』
内藤 『なれば主力は何らかの手違いで遅れておるのやも知れませぬな』
山県 『勝頼殿!これは信長殿を討ち取る好機ですぞ!!』

勝頼 『うむ!御旗盾無し御照覧あれ!!』
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