たわしとしては北条氏政自らが春日山城下まで迫ってみせて初めて、武田勝頼に頼んだ側としての同盟国としての信義だと思いました。
それができなければやる気があるとはいえず、少なくとも甲斐に依頼する類の話ではないと存じます。