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武田勝頼 part15

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0001人間七七四年2019/02/24(日) 20:04:40.93ID:ZwznSIV6
前スレ

http://itest.5ch.net/matsuri/test/read.cgi/sengoku/1549141210

武田勝頼 part14
0127人間七七四年2019/02/28(木) 14:08:49.34ID:oG0N1ZRz
>>126
秀次がまずいとするなら、秀頼が生まれた段階で豊臣の家督を返す、と秀吉に申し出たら良かった。毛利秀元が秀就が生まれたから返上したように。

また、公金を貸し出したのがまずかった。豊臣にとれば微々たるものでも、秀吉にすれば反主流化されたら面白いはずはないから。

秀次には配慮が欠けていたと思います。
0128人間七七四年2019/02/28(木) 16:43:22.88ID:XsKKIHkw
>>127
一説には秀次が関白から降りたいと申し出たけど
秀吉が「そんな事言うな、秀頼が元服するまで保護してやってくれ」と命じたともされてるよ
0129人間七七四年2019/02/28(木) 18:36:32.50ID:PVBAbM8C
武田滅亡も悲劇だったが、境界に位置する小豪族たちも、ギリギリの決断を迫られたのだ。
木曽を見よ、苗木を見よ。奥三河の、山家三方衆を見よ。
その中において、目立たないが美濃郡上の遠藤一族も織田武田の狭間で
きわどいところを生き残った。
0130人間七七四年2019/02/28(木) 20:05:07.58ID:4zUjV9fw
木曽はワンチャン狙ったが上杉が北信濃に出てきたらあっさり深志城失って終了
0131人間七七四年2019/03/01(金) 19:10:53.90ID:L7dL0ygv
>>126
わずか18歳にして近江43万石の領主となったにも関わらず
自由商業都市としての発展を目指して、楽市楽座の施行、
八幡堀の活用、各地から有力な商人や職人を呼び寄せて、
近江商人を生み出して、商いの町としての基盤を築いてるんだから
泰平の世で天下を治める人物としては普通に合格だと思うよ
0132人間七七四年2019/03/01(金) 21:12:38.42ID:YY2AVUCK
秀吉がボケずに秀次に権力移譲がされていれば
その後の日本はどうなったんだろうなぁ
近世の東アジアの強国になり得たんだろうか
0133人間七七四年2019/03/01(金) 22:05:56.04ID:+YFx28jQ
>>132
大藩が多数ある国なので室町政権のような弱い政権にはなっただろうね
秀次の子孫に期待、もしくは秀次が秀頼に政権を移譲した場合秀頼の手腕に期待となるが
0134人間七七四年2019/03/01(金) 22:58:29.35ID:/JB/+6va
徳川は秀忠まではおとなしくしそうだが関東が繁栄すると中央から横槍が入るか家光の代で没落か
前田も利長利政利常ならとは思うが利政が不安材料?
毛利は輝元が調子のって明後日の方向に
宇喜多はお家騒動の影響次第
上杉は伊達最上堀など周りともめそうだ

武田の再興はわかりません
0135人間七七四年2019/03/01(金) 23:05:59.58ID:iD28pL5H
秀長が生きていたらとよく言われているけど、彼とも晩年ギクシャクしていたそうだし
秀次のように粛清されていた可能性もある
秀吉が早めに死んでいたほうが豊臣政権自体は長生きできたろうな
0136人間七七四年2019/03/01(金) 23:44:43.30ID:+YFx28jQ
>>135
利休と秀吉も蜜月だったしね
娘を伽として譲れと命じ断られたあたりから
利休の死はあっという間
0137人間七七四年2019/03/02(土) 08:01:50.10ID:Eo8htKqB
結局秀吉は天下を取るまでの能力はあったけど、その天下を維持させるためのビジョンが無かったよね
0138人間七七四年2019/03/02(土) 10:50:37.19ID:/LJnt5Nz
>>131
実際は側近が優秀だっただけだろうけどね

>>137
太閤検地に刀狩りで国内を安定させた
淀の密通で秀頼が生まれて無ければねぇ
まぁ木下家に乗っ取られるようなもんだし秀頼に継がせたくなる気持ちはわかる
0139人間七七四年2019/03/02(土) 10:57:15.97ID:8wB+QaQI
「軍鑑」は信用性は疑問ながら、武田家家臣団の心理を代言はしている。それによると武田家滅亡の原因は、甲越同盟締結による甲相同盟破棄と考えていたようだ
一方、長篠合戦敗北はたいしたものではなく、あるいは高天神城落城に求める指摘がある
0140人間七七四年2019/03/02(土) 11:05:58.98ID:/LJnt5Nz
甲越同盟って交渉途中で高坂が死んだけど
それまでは普通に取次役やってたよね?
なんか勝頼が金に目がくらんだだの叩かれてるけど
実際武田家内で同盟に反対してる奴なんかいたのか?
あの時点では上杉とも北条とも上手くやっていけるという判断が大勢じゃないの?
その判断ミスが結果的に甲相同盟破綻に至ったけど
甲越同盟=即甲相同盟破綻じゃないのは時系列的にも明白だろ?
0141人間七七四年2019/03/02(土) 11:14:34.95ID:Z8dOI64l
どの時代も政治は結果責任だからね
甲越同盟自体は間違っていなかったとしても
それ以降、北条が敵に回り高天神が落ち浅間山が噴火したと碌な事が無かったから
その理由を勝頼と甲越同盟に求める声が出ても不思議は無い
特に浅間山の噴火は天災は天罰だと考えられた時代だから
勝頼の選択が否定される根拠にもなりえたんだじゃないか
0142人間七七四年2019/03/02(土) 11:46:12.76ID:uVReiW8y
>>139
長篠が大したものではない。

死んでるメンバーとその数を考えよう。
当時の大幹部と幹部、将来の幹部候補生がほとんど死んだ。武田軍であちこちを歴戦してきた前線の精鋭たちが死んだ。

これで大したことないとか認識してたらヤバイから。

数はいくらでも補填できる。
実際、勝頼は百姓や浪人、部屋住みを数合わせにしたから長篠からすぐに武田は2万をそろえて家康も一時は驚いた。

しかし質の低下は避けられない。
長篠まで武田が押していた徳川家康に、逆に押されだした。織田なんか武田を無視して西に傾注できるようになった。

長篠は太平洋戦争の日本軍のミッドウェーだよ。
0143人間七七四年2019/03/02(土) 12:11:39.41ID:8wB+QaQI
まったくもって、おっしゃる通りかと存じます。
ただ、長篠敗北後は小規模の離反はあったけれど、辛うじて一体性は維持できていた。
高天神落城こそが武田家家臣団の雪崩のような離反現象の直接的トリガーと、存じます。
0144人間七七四年2019/03/02(土) 12:54:46.92ID:+HMbPLRF
>>139
軍鑑読んで長篠が大したことなかったって感想にはならないな
勝頼が家臣の意見に耳を貸さない強すぎる大将で、跡部長坂中心で決戦強行したせいってガチで批判してるし
0145人間七七四年2019/03/02(土) 12:55:55.19ID:+HMbPLRF
>>143
なんで高天神城見殺しになったかというと、原因は長篠の惨敗に結局は行き着く
0146人間七七四年2019/03/02(土) 13:07:23.45ID:pPAmUEZi
北条「東上野確保したから越後に攻め込む気はない。そもそも関東で佐竹らと戦ってる真っ最中」
上杉「越後内でも反乱が起き上野に再進出などありえない」
武田「北信濃確保できたし越後に進出する気もない」

勝頼が東上野に手を出さなければ安定したと思うんだよね東上野の情勢って
氏政的には景虎殺されてるから上杉と和睦はできないだろうけど
0147人間七七四年2019/03/02(土) 13:12:39.28ID:oYBmyapC
>>145
原因突き詰めたら西上作戦だよ
0148人間七七四年2019/03/02(土) 13:15:24.28ID:RoSu+FCX
弱小国武田は常に外へ侵略して攻撃こそ最大の防御でやらないと体制を保てなかった
政権は脆弱だったわけね。
国内の問題を外に向けさせるのが目的
そら何度か戦争に負けて失敗したことがあったが、これは外での戦いでダメージは少なかった

高天神城を落とされたのは、このルールの崩壊を意味する。
大名とは家臣の生活を保証する代わりに主従の関係を築いている。これを見殺しにすることは家臣の信頼を失うことになる。
高天神を見殺しにたことで家臣の大半は武田を見限ったでしょう
0149人間七七四年2019/03/02(土) 14:13:53.41ID:5jSPHUiC
高天神城が包囲されたとき勝頼は軍勢を率いて駿河にいたが
高天神城を放置して伊豆に攻めこんだと聞いたが
0150人間七七四年2019/03/02(土) 15:02:50.26ID:Eyr6X1zB
>>147
突き詰めるなら三国同盟破綻だね
0151人間七七四年2019/03/02(土) 16:16:19.38ID:Z8dOI64l
>>149
それ出典は何よ?
本当だとしたら穴山が寝返るのも無理は無いが
0152人間七七四年2019/03/02(土) 18:15:51.10ID:ZgCfqcFk
>>147
長篠で大敗して精鋭が壊滅するという大損害が一番の原因だよ
大損害が無ければ徳川も攻勢に出れないし
長篠前までは三方ヶ原の敗戦に懲りたのか武田の先鋒隊にガクブルして
織田に援軍要請するしかない状態だったし
0153人間七七四年2019/03/02(土) 19:42:37.28ID:oYBmyapC
高天神見殺しになったのは戦力の問題ではなく継戦できなくなった財政難の問題だよ

なぜ勝頼の代で財政難になったかというと信玄末期の大規模作戦のせい

長篠で戦闘になったのもそもそもは山家三方衆を味方に引き込んだのが発端

なので西上作戦がすべての負の連鎖と始まりと言える
0154人間七七四年2019/03/02(土) 19:46:13.85ID:iFiA7bfE
元を正せば義信殺したのが全ての発端やろ
やはり信玄は川中島4の後、隠居して義信に家督を譲るべきだった
0155人間七七四年2019/03/02(土) 19:51:47.72ID:+HMbPLRF
>>153
それは違うな
例えば甲冑は家より高い人生最大の買い物だったわけだし、鉄砲も高価
これらが長篠の惨敗で大量に喪失したことを考えればいい
遠征費用なんかより比較にならないほど痛い
0156人間七七四年2019/03/02(土) 19:53:05.87ID:Eo8htKqB
武田の強さの源はやっぱり有能な家臣団と、その結束力だったんだろうな・・・長篠前までは
長篠で四天王のうち3人までもが討ち死にしてしまい、真田兄弟、三枝、土屋・・・と悉く討ち死にだからな
そりゃそれ以降はまともに兵を率いて戦える人材が枯渇するのも分かるわ
分かりやすくアニメで例えるとどういう感じだろうかw
0157人間七七四年2019/03/02(土) 21:40:59.11ID:nv/Z2Eyr
>>155
甲冑って家より高かったの?
0158人間七七四年2019/03/02(土) 21:46:20.12ID:ZgCfqcFk
>>153
長篠の大敗での武田軍の弱体化により徳川と北条に攻勢かけられたこと
その度に軍を起こし、しかも得られるものが何もない防衛戦を繰り返せば財政が破綻する

高天神城も徳川の攻勢によって日干しにされた
長篠の大敗せずに主戦力が生きていたら徳川は攻勢に出られなかったんだよな
0159人間七七四年2019/03/02(土) 21:48:27.90ID:nv/Z2Eyr
センゴクという漫画では小田原攻めの際に仙石秀久が部下たちに
「甲冑など買わんでええ。おまえらに払う給与も無いしな」と
特に買わせなかったように描かれてるけど。
また甲冑を補修する材料をコマメに集めてる場面もあった。
0160人間七七四年2019/03/02(土) 21:59:21.96ID:nJjZGA2o
長篠の15000の内訳を仮に三人役とすると甲冑武装の侍は5000人しかいなくて後は雑兵
雑兵は替えがきくが甲冑武装の侍は替えがきかないからな
0161人間七七四年2019/03/02(土) 22:58:13.79ID:RoSu+FCX
四天王っていうけど
もうみんな50前後かそれ以上なんだよ
人生50年の時代で、この世代がいまだに主力とか、こっちの方が問題よ
0162人間七七四年2019/03/02(土) 23:03:19.40ID:oYBmyapC
>>157
近くで戦があれば落ち武者から追い剥ぎでGETできるで
0163人間七七四年2019/03/02(土) 23:05:49.52ID:oYBmyapC
長篠の敗戦は滅亡に向かう象徴的な事件ではあったけど、直接の原因ではないと著者の中で言ってたで平山優

信玄の負債が膨らんだ結果の破滅だったと
0164人間七七四年2019/03/02(土) 23:07:57.40ID:8wB+QaQI
四天王ら老臣らと勝頼側近たちを較べると、年齢的にバランスが悪いので、跡部勝資と、義信謀反以来遷塞していた長坂ちょうかんさいを起用したんではないかって書いてあった。
0165人間七七四年2019/03/02(土) 23:21:15.61ID:RoSu+FCX
天地人みても長篠の時点で高坂は確実に体を壊してただろうね
武田は世代交代に失敗したのもあるんじゃないかな
0166人間七七四年2019/03/02(土) 23:32:59.55ID:Z8dOI64l
世代交代の時期に長篠が重なったというのもある
優秀な若手が軒並み戦死してしまった
0167人間七七四年2019/03/03(日) 00:14:11.39ID:ZdX/A99G
>>161
織田四天王「」
0168人間七七四年2019/03/03(日) 00:15:51.26ID:ZdX/A99G
>>164
跡部は勝頼と同年代だからどうだろう
0169人間七七四年2019/03/03(日) 00:23:18.96ID:Oi9CFrac
諏訪からの家臣てあまり出てこないんだよな。跡部にしろ長坂にしろ信玄から付与された家臣だし。

勝頼独自の家臣団は長篠の戦いの「おかげで」ようやく手を付けられた感じ。
昌幸や信豊、弟の盛信も使えるようになってくる。昌幸は上野方面、盛信は飛騨方面、信豊は外交にも広く携わる。

最後まで世代交代が進まなかったのが駿河方面だろう。
そしてそこが穴となる。
0170人間七七四年2019/03/03(日) 00:31:00.20ID:niaeqyzC
穴山なだけに穴ってか
0171人間七七四年2019/03/03(日) 00:32:31.50ID:ZdX/A99G
>>157
高い
だから武士は借金だらけだし、村で共有したり、所々欠けてる箇所があってみすぼらしかったり、馬鎧は本当は必要なのにほとんど用意出来なかった
現存している勝頼自身の甲冑ですら経済的な理由によりコストカットされているという話もある
0172人間七七四年2019/03/03(日) 00:41:02.83ID:E9RhHarW
戦場に散らばる死体から甲冑や貴重品を剥ぎ取り、加工して新品に見せ掛けて転売する業者、全国ネットで展開しておった
0173人間七七四年2019/03/03(日) 01:18:41.41ID:H4qFsFfz
そう、だから赤備えは具足を赤に統一していたから
超エリートでメチャクチャ金が掛かっていた
さらに騎馬武者の比率も高かった

そんな部隊を戦場のど真ん中に投入すると思う?もったいないだろ。
実際の赤備えの仕事は、勝敗が決した後、敗走する敵兵に追い討ちを掛けるのが仕事
戦場の花形といってよい
赤備えに追いかけ回された敵兵は恐怖し、自国に帰った後、武田の強さと恐ろしさを伝える
これが武田強しという噂になって全国に広まって、武田軍の宣伝になると。
つまり赤備えとは武田の宣伝部隊で広告塔だった

信玄は戦国時代では数少ない、情報戦を得意する情報を重視する武将だった。
情報を得て伝える手段は商人と宗教、信玄はここを特に重要視した。信長や政宗も情報を重視していた武将だった
優れた武将には、この共通点がある
0174人間七七四年2019/03/03(日) 02:06:40.28ID:3ioy7C3S
でも「家より高い」はちょっと盛りすぎじゃね?
それが事実なら大名と側近以外は誰一人甲冑を持ってなかったはず
0175人間七七四年2019/03/03(日) 02:08:10.38ID:DaMH+Jso
まあ勝頼は長篠の織田の陣容を把握できなくて惨敗したんですけどね
情報戦のノウハウを引き継げなかったのか元から無かったか
0176人間七七四年2019/03/03(日) 02:14:34.22ID:E9RhHarW
日本列島統一政権でないと、鉱山収入なんかおちおち期待できないような気がしてきた。
0177人間七七四年2019/03/03(日) 02:41:48.52ID:PhKUu7Y/
>>175
把握できなかったとはいえ、見立てや予測とかあるはずなんだが。織田の兵力をどういう見立てしてたんだろうか?
0178人間七七四年2019/03/03(日) 06:48:36.70ID:QcGIKWxp
292 人間七七四年 sage ▼ 2019/01/15(火) 20:39:44.88 ID:tEMVUZbH [2回目]
>>261
勝頼 『くっ、織田の援軍が来てしまったか・・・ん?思ったより兵が少ないな・・・』
馬場 『信長殿は自ら先陣を切る事を好むとの事。黒衣衆のみ引き連れて来たのでは』
内藤 『なれば主力は何らかの手違いで遅れておるのやも知れませぬな』
山県 『勝頼殿!これは信長殿を討ち取る好機ですぞ!!』

勝頼 『うむ!御旗盾無し御照覧あれ!!』
0179人間七七四年2019/03/03(日) 08:06:49.83ID:14ougriR
まあ勝頼の人望ってどんな感じだったんだろうか
信玄の言葉から見ても、やはり勢いに任せて突っ込んでいくタイプだったんだと思うけど・・・
こういうタイプの武将って自分自身はすっげえ自信過剰で買ってる時はいいけど
下で働く部下たちがホントしんどいんだよな・・・しかも負けたら言い訳して部下に責任押し付けるタイプだと思うし
0180人間七七四年2019/03/03(日) 09:35:37.31ID:otK2Hq8h
>>161
むしろそいつらの戦場経験と貫禄があったから長篠でも途中で裏切りや逃亡せずに
勝頼を逃がすために殿軍を引き受けてみんな討ち死にしたと言える
0181人間七七四年2019/03/03(日) 12:24:08.17ID:niaeqyzC
だろうな
長篠までに世代交代完了してたら主君ほっぽって一目散に逃亡ケースまであるぞ
0182人間七七四年2019/03/03(日) 12:39:32.31ID:E9RhHarW
すでに浅井、朝倉が滅亡し、将軍も紀伊に亡命した。このままだと差が開く一方だから早くしないとという焦りが判断を誤らせたのかねえ
0183人間七七四年2019/03/03(日) 13:00:55.32ID:otK2Hq8h
勝頼にそんな頭はないよ
勝頼「織田徳川が手立てを失って陣城に縮こまってるからこちらから乗り込んで首を取ってやるわ」
という敵の策も見抜けない猪だっただけ
0184人間七七四年2019/03/03(日) 13:04:12.54ID:489NfXBS
>>182
いや差が開くから無謀な決戦っておかしくない? むしろ現状維持に励むか、ならば別の同盟相手と連携して事にあたるか、とか手はあるはずなんだが。
0185人間七七四年2019/03/03(日) 13:55:23.22ID:QcGIKWxp
>>179
人望なかったら勝頼は長篠で死んでるよ
0186人間七七四年2019/03/03(日) 15:33:27.93ID:yhvi9Eb2
>>179
諏訪から殆ど義信の失脚と入れ替わりで甲府に来てて、家臣との距離でいえば
隔たり大きかったんじゃないのかね
信玄存命中に家督譲渡されてるわけでもないし、家臣連中からみても能力や人物を
軽量する期間なんてあまりないうちに信玄亡くなったよって感覚なのかもしれんし
なら戦争で勝って実績あげる以外に求心力を得る方途がわからんかったのかもというか
0187人間七七四年2019/03/03(日) 16:18:17.33ID:MpJuQuQR
>>184
現状維持では相手を止められないだけで結局ジリ貧(拡大を待っていてくれる訳がない)
同盟相手はいないよ、上杉とは関係改善したのは長篠後だし、
近畿方面の連中からの信用は大幅に失ってる可能性がある
信玄が結局西上しなかったからな、しかも武田が撤退直後に浅井・朝倉滅亡で
義昭が追放されるという最悪な結果だから(信玄病死が理由とはいえ)
つまり武田は最低の嘘つき野郎だと思われてる可能性がある
まあ北条はいるけど東国じゃ織田の抑えにはならんしなあ

要は反織田陣営からの信頼を回復する為にも、武田は織田主力と一度は当たらないとマズイ
出来ないとは言わせない、近畿の反織田陣営は「信玄が来る事を信じて」
必死に織田軍と戦ってたんだから、信玄はそいつらの思いを事実上踏みにじったんだよ
まあ嫌なら織田に降伏すればいいんじゃないの、信長が許してくれるならだけど
0188人間七七四年2019/03/03(日) 16:26:56.96ID:QcGIKWxp
本願寺 『仏敵信長に降伏するだと!?許さぬ!!甲斐の門徒たちよ立ち上がれ!!!』
0189人間七七四年2019/03/03(日) 16:29:57.97ID:I56YFKcl
そんな…信玄と顕如は義兄弟なのに残酷なことだ…
0190人間七七四年2019/03/03(日) 16:34:40.50ID:bMygzMUW
武田は信玄が最後に暴走しなければ信忠の正室に松姫を送り込めたので
上手く立ち回れば信忠政権の外戚として重きをなした可能性が高い
織田の方面軍司令官もその内用無しになるのでそういう時に反抗できないように
武田の軍事力は信忠にとっても重要な駒になる
松姫が嫡男を産んだら完全に安泰だしな
0191人間七七四年2019/03/03(日) 16:35:50.32ID:E9RhHarW
倒しても倒しても襲い掛かってくるのを止めない本願寺と武田は織田にとってマインドそのものが違う脅威と存じます。
0192人間七七四年2019/03/03(日) 17:28:01.41ID:otK2Hq8h
>>187
このままだとジリ貧だからと織田徳川連合3〜4万相手に1万5千で勝てると思ってるアホはいないよ
長篠時点で織田と武田の国力差なんて開き切ってるし
そんなことも分からない勝頼じゃあるまいし、外交力が無に等しいという暗愚評価は無いからな

決戦するにしても地の利がある防衛戦で逆撃して相手に大損害を与えるのが普通
長篠は地の利は織田徳川にあるからな
長篠合戦においては書状と信長公記にも書かれているように
兵を少なく見せた信長が一枚も二枚も戦上手で信長の策に嵌まった勝頼というだけだろう
0193人間七七四年2019/03/03(日) 17:34:04.11ID:QcGIKWxp
長篠は受けた損害以上に勝頼のメンタルを完全にへし折ったのが深刻だったかも知れん
勝頼は戦争が得意だったからそれを売りに武田を纏めようとしてた
だが信長の方が一枚も二枚も上手だった
国力、地勢、人脈どれを取っても信長には勝てないのに完全に希望が無くなった
0194人間七七四年2019/03/03(日) 18:04:43.05ID:DaMH+Jso
この前のトランプに対する金正恩か
あの交渉はすごい既視感があったが戦国時代じゃ日常茶飯事だったかも
0195人間七七四年2019/03/03(日) 18:05:44.85ID:MpJuQuQR
>>192
だから勝頼の最大の問題、というか欠点は
外交のミスを戦争で取り返せると思ってたって事に尽きるんだと思いますよ
私は勝頼に割と同情的な感情があるんですが、外交だけは正直擁護出来ないし
結果論的な部分も多いけど、その結果が御家滅亡ではさすがにね

まあ、>>187はちょっと感情的な書き込みになってしまいました、不快になったならすいません
ただ、勝頼は末期まで割と外交を甘く見てる感があるし、対織田に関しても長篠までは甘く見ていて、
「先代のやり残した織田討伐を武田軍と私の采配で成し遂げるチャンスだ!」
位の認識だったんじゃないですかね
0196人間七七四年2019/03/03(日) 18:17:29.06ID:FTKXnKam
そもそも武田信玄が生きていても、織田徳川を倒せたのかなあ、と思いたくなりますが。
0197人間七七四年2019/03/03(日) 18:18:25.28ID:E9RhHarW
都近くで織田と戦っている勢力へ実を示し、連中を鼓舞するためにも一度は主力同士でぶつかる必要があったのね
0198人間七七四年2019/03/03(日) 18:19:38.37ID:79kdgO7U
>>194
金正恩はなにひとつ非核化を進める気がないのに制裁解除を求めて交渉のテーブルに来たのはすごかったな
行きだけで3日かけて列車でベトナムに来たんだぞ、そして意味なく3日かけて帰ってる途中だよ、まだ国に帰れてない
頭がおかしすぎて逆に天才だろ
0199人間七七四年2019/03/03(日) 18:20:23.92ID:QcGIKWxp
>>196
織田は無理でも徳川は倒せただろう
勝頼もそう踏んで信長が本願寺とやり合ってる間に徳川攻めてた訳だし
0200人間七七四年2019/03/03(日) 18:35:21.06ID:otK2Hq8h
>>195
勝頼の外交の失敗は長篠の後でしょ
明知城にと高天神城を連続で落として調子に乗ってただけ
0201人間七七四年2019/03/03(日) 18:47:41.92ID:+QcCq1pY
>>200
そもそもその二つ落として天狗になったのかもしれないね。軍鑑では高天神城後に勝頼が傲慢になったとしているが。

あんな城を失ったところで、織田も徳川も痛くも痒くもないんだが、それがわからないものかな?
0202人間七七四年2019/03/03(日) 19:39:56.48ID:E9RhHarW
高天神城の手前の駿河田中城は物流の要であるから意味あると思うけど
0203人間七七四年2019/03/03(日) 19:48:13.80ID:+QcCq1pY
>>202
物流の要なら掛川のほうが重要じゃね?
0204人間七七四年2019/03/03(日) 20:29:55.23ID:ZdX/A99G
一応高天神城は水運の要でしょ
0205人間七七四年2019/03/03(日) 20:45:53.86ID:pdS4w8ba
>>193
調子乗ってた奴が一度鼻へし折られた途端にビビりになるのはよくあるパターンだな
元々小心者なんだけどね
0206人間七七四年2019/03/03(日) 20:49:46.29ID:pdS4w8ba
>>196
あの後岡崎城抜いて尾張まで進めたのかどうか
織田は朝倉の撤退で余裕が出来たから武田との最終決戦に勝負賭けるだろうし
信玄が今川義元みたいな失態を起こすことはありえないが
今度は織田も3万程度動員して来るから兵力的には互角
0207人間七七四年2019/03/03(日) 20:59:19.13ID:sWiOJV5I
>>196
石高と当時の他の包囲網勢力の実態考えるとまず無理だったろうな。
0208人間七七四年2019/03/03(日) 21:01:51.01ID:sWiOJV5I
>>201
恵那郡が岩村以外織田だと三河の武田領が北からも圧迫されるような形になるから、
東濃攻めも一応意味あったと思う、織田からすれば失っても痛くない地域だが。
0209人間七七四年2019/03/04(月) 00:22:13.87ID:HwyqntlV
まー慎重な信玄なら、なんとか徳川を潰して織田の様子を見ながら圧力掛けて講和を模索しただろうね
死を3年隠せってことはこういうことなの
徳川を潰せなかったことが誤算だった
信玄ほどの武将なら、武田の限界を理解していただろう。SBの孫が自分の会社を理解していないとかありえないだろw
0210人間七七四年2019/03/04(月) 02:02:44.02ID:/4nGBH/t
>>196
無理だと思う。
天正壬午の時に北条は上野→海津→信濃南下、途中の蘆田小屋攻略できず放置して進軍→甲斐北西に進軍するも
このほったらしかにした蘆田小屋から撃って出た依田・徳川軍に北条軍の輸送体叩かれ真田まで調略されて輸送が滞り進撃がピタリと止まって
1/4以下の徳川軍と膠着状態になり織田仲介の元、信濃甲斐は徳川のもとして和睦で終わった。

信玄の死んだときって北遠江と北三河の一部取っただけでほったらかしなんよ。
あのまま進撃してみん。
天正壬午の時に北条みたいになってほったらかしにした徳川軍が城から撃って出て補給隊叩かれて身動き取れなくなって積む。
しかもこっちは徳川の居城の浜松城がほったらかし。
背中にナイフ突き付けられてるのに進んでる状態だよ。
0211人間七七四年2019/03/04(月) 02:06:46.97ID:PaRiwLUt
お前らの武田好きにも困ったもんだな
0212人間七七四年2019/03/04(月) 07:41:59.70ID:Xr2CxlUy
全ては信玄の人気のおかげやで
0213人間七七四年2019/03/04(月) 08:29:39.96ID:sT+RXXbW
196、210みたいに勝手に信玄の話始める輩がいる始末
0214人間七七四年2019/03/04(月) 09:43:45.56ID:yF9GX8TS
太平洋戦争に日本軍にかぶるんだよな
信玄のやり方って
戦線を四方八方広げて点と線を繋いだ領域だけ広くなっていき
周辺国を全て敵にしていくやり方が
0215人間七七四年2019/03/04(月) 09:54:19.71ID:Xr2CxlUy
>>214
何回コピペすれば気が済むんだよ
0216人間七七四年2019/03/04(月) 11:17:27.38ID:6sztoc6h
甲府だけど、将棋名人戦来るよ

第1局=4月10、11日、ホテル椿山荘東京(東京都文京区)▽第2局=4月22、23日、松陰神社 立志殿(山口県萩市)▽
第3局=5月7、8日、倉敷市芸文館(岡山県倉敷市)▽第4局=5月16、17日、麻生大浦荘(福岡県飯塚市)▽
第5局=5月29、30日、浄土宗大本山 増上寺(東京都港区)▽第6局=6月10、11日、常磐ホテル(甲府市★)▽
第7局=6月25、26日、天童ホテル(山形県天童市)  

主催 毎日新聞社、朝日新聞社、日本将棋連盟/協賛 大和証券グループ
0217人間七七四年2019/03/04(月) 11:23:48.98ID:+/L0ubrD
むしろ武田はナチやろ
0218人間七七四年2019/03/04(月) 12:27:22.95ID:Tr2BHUTT
仮に長篠の大量死が無くても、武田って次代はかなり人材劣化したんじゃないの? 四天王の息子からして、あれだし。

若手のホープの土屋昌次、真田信綱昌輝の戦死は痛いだろうけど、あとはみんな老人じゃない? 戦死しなくても何年かで死んだよね?
0219人間七七四年2019/03/04(月) 12:31:29.07ID:mvTWtZN9
>>218
四天王の息子がアレって言われてもな、春日、山縣、馬場は息子も長篠で戦死している
甲州崩れの際残ってたのはその弟
0220人間七七四年2019/03/04(月) 13:09:55.13ID:Im2p0SFG
問題は四天王のうち三人と各部隊を率いる大将クラスが討ち死にするってことは
それを支える精鋭部隊もかなり討ち死にして壊滅して大将首を取られてるってことだろう
三人が老齢だから問題ないって意味ではない
0221人間七七四年2019/03/04(月) 13:26:35.89ID:tp1Mj6tq
まあ確かに家の嫡男と次男じゃ教育が全然違うからな
0222人間七七四年2019/03/04(月) 13:32:54.78ID:tp1Mj6tq
会社で例えると重役の代表取締役クラスや部長、課長等の中間管理職クラスの殆どが
一瞬にしていなくなったようなもんでしょ?
それで仕方なく経験の浅い下っ端の平社員を穴埋め的に昇進させて、パートやアルバイトを大量に
正規雇用して社員にして数だけ揃えたと・・・
そりゃこんな会社遅かれ早かれ潰れるでしょ、まともの運営出来ないわ
0223人間七七四年2019/03/04(月) 13:49:40.78ID:ZTOZXSBF
なにが春日なんとかの昌信だ。いまにみろ、大将首持ちかえれば、侍大将になれるだ。
0224人間七七四年2019/03/04(月) 15:32:04.74ID:NDL6u+PM
勝頼は諏訪勝頼で信濃先方衆筆頭をさせるための
最低限の教育しか受けてない
だから一武将としては有能
義信事件で粛清された義信子飼いの若手が大量に失われたことで
武田は世代交代のためのピラミッド型が真ん中部分がごっそり抜けてしまった
その上長篠で上の部分と残ってた真ん中部分まですべて失った
その結果が武将の個別的な能力だけに依存しない火力重視の集団戦法
これが対北条戦ではそこそこ機能した

勝頼は残された遺産で出来るだけのことはしたと思うよ
信玄が末期に信長との対決路線選んだせいで元々正当性に疑問の残る勝頼としては
信玄の路線を踏襲するしかなかった
信玄が3年云々言ったのが事実かどうかは定かではないが
少なくとも朝倉の撤退をした後で自分の病状も考えれば織田と和睦すべきだった
そうすれば勝頼が必ずしも織田との対決路線を選ぶ必然性もなかったし
信長養女と勝頼の息子が信勝で、松姫の信忠への輿入れで織田との対立路線は避けられた
領土拡張は止まるが勝頼政権の基盤を整え、破たん寸前の財政を立て直すにはこれが最善の策
織田徳川との対立が無くなれば尾張から北条の相模まで航路が安定し駿河のの港湾を
もっと有効に発展させられたはず
0225人間七七四年2019/03/04(月) 16:03:02.80ID:zbbgHsNh
教育なんて関係ないだろう
嫡男として教育を受けた今川氏真や北条氏政は戦が苦手だから家臣や弟に任せたり
逆にまともな教育を受けてない秀吉や人質としてたらい回しにされて家臣のように扱われた家康
毛利元就も兄が死んで乗っ取られて嫡男としての教育なんて受けていない
0226人間七七四年2019/03/04(月) 16:29:55.64ID:Tr2BHUTT
>>225
家康は今川という当時の大国で教育を受けてるんだがな。雪斎じきじきに師事された説もあるし、当時としてはかなり高度な教育受けてるんだが。

元就も兄が死んで乗っ取られ

乗っ取られたっていつのこと?
意味不明。
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