関ヶ原合戦の真実 Part9
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0001人間七七四年
2018/12/23(日) 14:17:08.63ID:uA0riSLH豊臣秀吉の死後、天下の実権を握った家康は三成と対立し、それぞれ諸大名を
糾合して戦ったが、小早川秀秋の寝返りにあった西軍は惨敗し、三成らは処刑され、
豊臣秀頼は摂津・河内・和泉60万石の一大名に転落した。この結果、徳川氏の覇権が確立。
俗に「天下分け目の戦い」という。
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関ヶ原合戦の真実 Part8
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0745人間七七四年
2019/03/19(火) 12:52:19.47ID:XkSxDUZW0746人間七七四年
2019/03/19(火) 12:55:13.21ID:/zOly15wそら半独立だった旧国人系家臣大量に抱えてる旧戦国大名やもん揉め事に事欠きませんよ
どっちかというと徳川やありとあらゆる手を使ってそれらを排除して挙国一致体制築いた上杉が特別なんやね
0747人間七七四年
2019/03/19(火) 13:06:32.18ID:xerCSH8x実に健全
0748人間七七四年
2019/03/19(火) 13:47:40.95ID:FpP3QpAs他の有力大名が豪族連合の構造を残したままである状況で、家康は、いち早く自らの利点を生かした感じかな、関ヶ原は
0749人間七七四年
2019/03/19(火) 22:30:26.51ID:1KxCVEPk毛利というと広家と恵瓊の不仲がよく言われるけど、そもそも輝元と広家自体が
あまり仲が良く無さそうなんだよなぁ
その後の毛利家中での吉川家の扱いを見ると、東軍との交渉において
広家、輝元に隠してたり騙したりした事があったんじゃないかって印象を受けるね
0750人間七七四年
2019/03/19(火) 23:23:28.14ID:LfJw8eTQ関東移封前から大名集権に対する挑戦(ともとれる事件)に勝利してきてるからね
家康のお家騒動に対するノウハウは当時随一でしょ
三成VS七将や島津にせよ宇喜多にせよ
やったかどうかは定かじゃないけど、他家のお家騒動を煽ったりなんかは簡単だったんじゃないか
0751人間七七四年
2019/03/20(水) 00:05:38.03ID:5RIIXutsそれが秀吉の死後にきちんと目的を果たしたといった感じ
0752人間七七四年
2019/03/20(水) 00:07:43.03ID:UvV4a/rcうーん、その書き方はいやらしいというかやるべきじゃないというか
やった証拠も一切存在しない、むしろ鎮静化に骨折ってるレベルのもんに
やったかもしれない、可能性はゼロじゃないみたいなこと言って煽るの
歴史を解釈するって面でもやっちゃいけないことだし、やるべきじゃない
0753人間七七四年
2019/03/20(水) 00:20:55.41ID:EAXfNwEi徳川前田毛利上杉宇喜多も互いに争わせて手球にとろうとしていたが大戦になってしまって、その手に余って自滅
0754人間七七四年
2019/03/20(水) 00:24:08.88ID:VzaXRAWL0759人間七七四年
2019/03/20(水) 10:18:03.12ID:JnGkn8r+家柄じゃなくて縁故じゃないかな
宇喜田の家柄なんて大したことないだろう
0760人間七七四年
2019/03/20(水) 10:35:46.12ID:VzaXRAWL関ヶ原直後に捕縛されていたら、前田がいくら頼んでも処刑だったろう
また、大坂の陣が終わって、赦免するから八丈島から出ても良い、といった話も幕府からあったようで、前田利常も、10万石を分封するから加賀に来ないかと誘ったが、
秀家は、島から出るのを断ったとか
0761人間七七四年
2019/03/20(水) 11:48:52.31ID:4cid88SZ0762人間七七四年
2019/03/20(水) 16:26:29.51ID:St7aVNwW減封で済んでた可能性も微レ存?
0763人間七七四年
2019/03/20(水) 16:27:36.17ID:xeengENj0764人間七七四年
2019/03/20(水) 17:09:45.75ID:xZ33K2hJただしそれ以上は無理
そもそも秀家は元から大名の器ではなく家中を纏める才すら無い
0765人間七七四年
2019/03/20(水) 18:21:32.62ID:4cid88SZ面倒だから
0766人間七七四年
2019/03/20(水) 20:21:32.53ID:UvV4a/rc0767人間七七四年
2019/03/20(水) 20:34:52.91ID:VzaXRAWL0768人間七七四年
2019/03/20(水) 20:42:36.76ID:4cid88SZ0769人間七七四年
2019/03/20(水) 21:00:29.89ID:UvV4a/rc0770人間七七四年
2019/03/20(水) 21:23:33.84ID:LuRbllq5交渉開城で助命は基本
0771人間七七四年
2019/03/20(水) 21:28:16.81ID:LuRbllq50772人間七七四年
2019/03/20(水) 21:39:35.72ID:VzaXRAWLしかし、鳥取焼き討ちが過酷すぎるから、人身御供として斎村という寄せ手の武将が殺害された
0773人間七七四年
2019/03/20(水) 21:42:04.83ID:LuRbllq50774人間七七四年
2019/03/20(水) 21:45:24.32ID:9kyrKRLC籠城戦というと城兵を助ける為に城主は切腹というイメージがあったけど
結構助かっているんだね
0775人間七七四年
2019/03/20(水) 21:49:27.43ID:lsosFtP10776人間七七四年
2019/03/20(水) 22:14:39.69ID:fLXnSBZL0777人間七七四年
2019/03/20(水) 22:26:48.58ID:UvV4a/rcありがとうございます
古今伝授の断絶の可能性のある細川幽斎や、腐っても四職の京極氏といった
あくまでも巻き込まれただけ&家柄や特殊な技能を持った人間の助命が多いんですかね
さすがに首謀者格で助命された人はいないですよね
0778人間七七四年
2019/03/20(水) 22:50:11.72ID:4cid88SZ0779人間七七四年
2019/03/20(水) 23:34:44.81ID:UvV4a/rcあれは籠城はしてないすよね?戦役終わって謝罪で終了ですよね?
0780人間七七四年
2019/03/21(木) 06:50:51.78ID:3mwmsr40そもそも上杉征伐から
始まったのが関ヶ原
0781人間七七四年
2019/03/21(木) 11:41:29.23ID:4VmqFBmWそれに、治部めをうまうまと、関ヶ原の野に、おびき出したは、今日ぞ。今日が、決戦ぞ。
0782人間七七四年
2019/03/21(木) 12:07:16.21ID:Ly6VpBbG0783人間七七四年
2019/03/21(木) 12:18:44.61ID:xFxtdEjf長束正家と佐和山城の三成親族ぐらいじゃないか
立場的には石田らと似たような立ち居地の増田長盛ですら助命されている
ちなみに長束正家も本領安堵という話で城を出たところ捕まって処刑だから
後世の人間にはそんなうまい話があるかと思われても
本領安堵という言葉には相当な魅力があるんだろうね
0784人間七七四年
2019/03/21(木) 12:43:00.93ID:5uP9ag3D関ヶ原は上杉攻めが開始点
家康がわざと西軍を蜂起させた
0786人間七七四年
2019/03/21(木) 13:04:28.02ID:3j1YEewt元々上杉単独で戦うつもりだったことになるわけで
それならたとえ西軍が負けようが上杉の行動は変わらないはずなんだよな、戦い続けるはずなんだよな
なのに現実は西軍惨敗の報告を聞いただけで震え上がって逃げ出して戦うの止めて土下座して命乞いを始めたわけで
0787人間七七四年
2019/03/21(木) 13:09:50.21ID:k5IvEHvcそもそも上杉は戦意がなく、征伐軍が国境まで来たら土下座する予定だったという説がある。(考古学的に征伐軍を防ぐための防御工事跡が
確認されてない)。
たまたま「西軍」が挙兵したので、ワンチャン有ると思って軍事行動を起こしたわけで、チャンスの根拠であった西軍が壊滅したら当然
当初の予定通りの土下座路線に戻る
0788人間七七四年
2019/03/21(木) 13:11:31.83ID:5uP9ag3D関係ないなら、家康が大阪を離れたあたりで蜂起すればいい
0789人間七七四年
2019/03/21(木) 13:14:58.02ID:4VmqFBmWすなわち、奥州の南にあり、絶えず、家康の背後を窺う猛将・上杉景勝の動きを巧みに牽制し、一歩足りとも、関東に近付けなかった政宗の備えがあったればこそ、家康は、後顧の憂いなく、関ヶ原で戦うことができた。
戦後、ただちに家康は、その功を賞で、政宗に対し、上杉から奪った領地のうち、会津60万石を与えるとの、お墨付きまで出しながら、その会津領は、同じ外様の、蒲生忠郷に与え、そ知らぬ顔を決め込んだ。
政宗にとり、家康のこの食言は、腹に据えかねるものであった
0791人間七七四年
2019/03/21(木) 13:15:37.02ID:rt/R8WqD0793人間七七四年
2019/03/21(木) 14:44:48.01ID:Ly6VpBbGましてや上杉征伐に際して増田らは家康が畿内を離れる危険を理解して上杉征伐中止を求めてる
とてつもなく突発的なクーデターであって遠国の上杉と連絡を取り合う余地もないよ
そして上杉の目的は戦うこと、ではなく家中を納得させた上での和睦による軟着陸が目的
ところが西軍挙兵によってその計画が頓挫し、畿内騒乱のおかげで訪れた戦乱による領地拡大のチャンスも西軍が短期に瓦解してなくなってしまった以上
これ以上の戦闘は和睦するフェイズすら逸した絶滅戦争になる訳で、降伏しかない
正直西軍挙兵のせいで一番割を食ったところだよ、上杉
0798人間七七四年
2019/03/21(木) 15:17:35.65ID:Ly6VpBbG0800人間七七四年
2019/03/21(木) 15:55:20.76ID:47HbZgqi三成挙兵前に、景勝は一度本気で上洛に応じた書状が残っている。上洛していれば、三成は当然挙兵出来ない。
また景勝の土下座は、大坂開城から一年も経過している。
0802人間七七四年
2019/03/21(木) 16:07:42.36ID:5uP9ag3D何で降伏したんだ
0805人間七七四年
2019/03/21(木) 16:28:20.16ID:47HbZgqi勝てないから。
三成が挙兵しようとしまいと、結局降伏の選択肢は不動でしょ。
それとも、一族郎党全滅するまで戦い抜くと思う?
上杉は、三成挙兵のおかげで、降伏の時期が伸びただけ。ただし、西軍本隊が優勢なら別。
0808人間七七四年
2019/03/21(木) 16:40:19.98ID:47HbZgqiそう。
要は、降伏した際の落とし所をどうするかという話。
上杉家だけで天下の兵を引き受けて勝てると夢想する様な愚かな人物ではないでしょ、景勝は。
0810人間七七四年
2019/03/21(木) 16:43:20.67ID:k5IvEHvcアホか。景勝が家中の主戦派を抑えられないから現実見せてそいつらに諦めさせようとしていたのに、その現実の来襲が無くなった以上
主戦派の行動を抑えることは不可能だっつーの。
要は上杉景勝の家中統制が不十分という前提が有るんだよ。
0811人間七七四年
2019/03/21(木) 16:47:23.53ID:47HbZgqiさっきのは、>>806へのレスでした。
で。
西軍挙兵で、戦乱長期化を見込んだわけね。
豊臣政権=東軍と和解するなんてもったいないよ。
昔の様に好き勝手出来るチャンス到来なのに。
0814人間七七四年
2019/03/21(木) 16:56:18.99ID:Ly6VpBbG一戦交えちゃうのは手遅れなんだよ
一度戦端を開いてしまったら許されなくなる
外交って片方の気分だけで決められるものじゃなく両者の同意で初めて成り立つ
西軍挙兵のせいで許される方向へのプロレスが崩壊してしまい、その状況で一戦交えるのは和睦できるタイミングを棒に振って攻め滅ぼされるフェイズになる
0817人間七七四年
2019/03/21(木) 17:03:23.58ID:Ly6VpBbG当初の降伏プランのこと?
それは上杉征伐軍がこっちに来るまで
天下の軍勢がこっちに迫ってます交戦すると必ず負けますという現実を主戦派に見せることで
主戦派の意思をくじいて和睦
0822人間七七四年
2019/03/21(木) 17:11:36.53ID:Ly6VpBbG目前まで実際に大軍勢が迫らないとわからないでしょ?
領内の主戦派は景勝たちがハッタリで軍勢が来るなんて言ってるかもしれない、なんて考えてる可能性すらあるわけで
実際に大軍勢を目にしないと意思はくじけない
0825人間七七四年
2019/03/21(木) 17:26:16.80ID:xFxtdEjf関ヶ原の後に伊達に領内侵攻されてる
上杉が戦い続けるなら最上や堀の逆襲も覚悟しないといけないし
そんな状況で徳川軍と戦って好転する見通しがない
0827人間七七四年
2019/03/21(木) 17:34:52.42ID:Ly6VpBbG状況がめちゃくちゃ悪いことが理解できたから
伊達や最上と実際に戦って敵対してしまったうえに、西軍瓦解で味方もなし
このまま態度を変えないと今度はプロレスじゃないガチの征伐が始まる
0828人間七七四年
2019/03/21(木) 17:43:17.10ID:xFxtdEjf伊達だけなら上杉の国力的に十分相手できるが
周辺の勢力と戦いながら徳川と戦って勝てる見込みがない
戦わずして降伏するのは面子が許さないがかといって滅亡するまで戦うつもりもない
対外的にも対内的にも適切な落し所があのタイミング
0829人間七七四年
2019/03/21(木) 17:46:46.20ID:5uP9ag3Dがちの征伐されたんだが?
プロレスだったのか?
>>828
伊達と一戦交えるぐらいやっても良かった
0830人間七七四年
2019/03/21(木) 18:42:12.64ID:Ly6VpBbG一戦交えてないでしょ?だから軍事的圧迫ではあるけれど和睦できる状況ではあるんだよ
プロレスって言うのはそういう意味
そして惣無事で私闘禁止とされてるのに、中央政変が収まったあとも伊達に攻撃をするのは和睦できなくなるよ
んー、なんというかもう少しだけ基礎知識をつけてくれないとあの当時の常識部分を理解してくれてないから説明がしづらい
0831人間七七四年
2019/03/21(木) 18:55:04.09ID:5uP9ag3D>>830
一戦交えないと戦争する意味がないんじゃないのか
相手が許してくれる前提ならば
城を囲まれた時点で降伏するとかね
最上を攻めちゃってるけど
0832人間七七四年
2019/03/21(木) 19:04:48.19ID:Ly6VpBbG戦争する前に軍勢を見て屈服する、というのが大事になる
相手が許してくれる前提だけど、その相手をキレさせたらアウトなんだから
最上を攻めたタイミングを考えてほしい
あの時はちょうどクーデターによって一時的に戦乱状態に戻っていた
ところが短期間でクーデターが鎮圧されたことでまた秩序だった状態に戻ったわけよ
だから上杉も関ケ原の結果を聞いた瞬間に兵を引いたわけ
で、関ケ原までの一連の戦役のタイミングで惣無事違反を問うと違反する大名が大量に出てきて罰するどころの話でなくなる、ゆえにこのタイミングでの戦闘は不問になる
でも、中央の事変が収まったにも関わらずまだ攻める、となると話は別 これは完全に罪に問われる状況となる
0833人間七七四年
2019/03/21(木) 19:06:20.98ID:5uP9ag3D西軍蜂起の時点で東軍と和睦して
西軍を攻めれば良かった
そうすれば本領安堵だったかもしれない
伊達と最上も南下できるし
家康も悩む必要がなくなる
0837人間七七四年
2019/03/21(木) 19:21:04.86ID:Ly6VpBbGあのね?罪にも軽重があることはわかるよね?
こいつ軽い罪あるわ、絶対潰す とはならないでしょ?
上洛に応じないっていう罪だけならまだ全力で謝って済むけど、惣無事無視で他国攻め立てるってのは言い逃れできないよ
0838人間七七四年
2019/03/21(木) 19:27:04.92ID:xFxtdEjfそれはできない
というのは対徳川融和派の藤田信吉を内通疑惑をかけて追放してるから
戦わずして許しを請う選択肢が取れるならそもそも信吉を追放する意味がなく
兼続景勝の主従は何がしたかったのかという問題になる(特に兼続は責任を問われる)
上杉家の面目が立つ程度には威勢がよくないといけないし
かといって相手を本気で怒らすと滅亡する
例えは悪いが今の北朝鮮みたいな状態
0840人間七七四年
2019/03/21(木) 19:32:06.49ID:5uP9ag3D実際は戦っていないで降伏
西軍蜂起を口実に
和睦または西軍を攻める
西軍攻撃で戦果を上げれば
罪も軽減される
0841人間七七四年
2019/03/21(木) 19:37:27.34ID:Ly6VpBbGいやだから話聞いてたよね?
最上を攻めた時はタイミング的にまだ不問に処されるタイミングだってば
それ以降に攻めた場合はアウトって話さっきしたよね
0842人間七七四年
2019/03/21(木) 19:43:08.95ID:xFxtdEjf家康と仲良くしたらって進言した藤田信吉を家康と内通しただろって追放して
追手も出して信吉の親族も殺害してるのよ景勝主従は
そこまでしといてすいませんでしたと頭下げるのは支離滅裂
兼続が腹切るくらいの事しないと収まらない
0843人間七七四年
2019/03/21(木) 19:47:56.88ID:tRxEhkyD■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています