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関ヶ原合戦の真実 Part9

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0001人間七七四年2018/12/23(日) 14:17:08.63ID:uA0riSLH
慶長5年(1600年)9月15日関ヶ原で徳川家康らの東軍が石田三成らの西軍を破った戦い。
豊臣秀吉の死後、天下の実権を握った家康は三成と対立し、それぞれ諸大名を
糾合して戦ったが、小早川秀秋の寝返りにあった西軍は惨敗し、三成らは処刑され、
豊臣秀頼は摂津・河内・和泉60万石の一大名に転落した。この結果、徳川氏の覇権が確立。
俗に「天下分け目の戦い」という。
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前スレ
関ヶ原合戦の真実 Part8
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0715人間七七四年2019/03/17(日) 21:30:14.14ID:1o2D8Dmx
>>714
ソースは出せないが
福島が相手にするなって言ったとも

死兵だし、義弘に対するリスペクトがあったのかなと

徳川の対抗勢力を残すほうが豊臣には有利
0716人間七七四年2019/03/17(日) 22:01:50.96ID:BMiTdDCY
小返しの五本鑓

出典 本藩人物誌

これに徳川家康旗本の事書かれてるよ
0717人間七七四年2019/03/18(月) 01:10:27.16ID:2sjE56YJ
>>713
歴史上では、屡々そのパターンもありますね、最後の勝利者に勝った事が有るのか引き分けに
した事が有れば最強って言われる、パターン。

諸葛亮が名将って言われる理由の殆んどが、後年北伐で司馬懿と睨み合いしてたって事だし。
事実上の晋王朝の始祖と引き分け「兵力差3〜5倍くらい」してたって部分有る。

実際は、あの時点での司馬懿の立場だと下手に諸葛亮に勝つと統一してしまって、逆に危険
ってのが有ると思う。
漢王朝創業の功臣、韓信の運命は当時有名だったでしょうからね。

東魏、趙、燕、斉って黄河以北を韓信が平定したんで高祖が勝利したんだし。
魏が曹叡在世中に統一してれば、司馬懿は多分消されてた。
0718人間七七四年2019/03/18(月) 01:22:44.78ID:fn6QhgvJ
>>717
司馬懿ほどの人物なら勝利してものらりくらりで何とかしそうだけど
0719人間七七四年2019/03/18(月) 02:24:12.61ID:TQNR3nld
薩摩の兵士が国内でやたら強いバーバリアンみたいに表現されるようになったのはどこからなんだろ
木崎原・耳川・沖田畷と、確かに有名な島津の勝ち戦は多いけど上でも言われてる通り、名人久太郎には弱兵扱いされてるようだし
強さと野蛮さの表現として用いられる肝練りと称される火縄銃くるくる回してロシアンルーレットの初出は江戸も後期の甲子夜話らしいし
0720人間七七四年2019/03/18(月) 09:47:16.50ID:uLGDsDAP
鹿児島県史料衆は鹿児島県立図書館のホームページで見られるけど、誰の項目のどの部分に書いてあるのかわからない
0721人間七七四年2019/03/18(月) 09:56:28.50ID:xNto81Yc
関ヶ原に司馬懿がいたらどう動くかな
間違っても西には行かないだろうけど
0722人間七七四年2019/03/18(月) 10:16:15.43ID:XrUoGAqF
実際にどのような戦闘があったかよりも
西軍の一武将でしかなかった石田三成がどのようにして西軍のリーダーとして創作されたかの方が興味がある
0723人間七七四年2019/03/18(月) 11:03:59.14ID:2sjE56YJ
>>718
曹叡が生きてる状況では、司馬懿も迂闊な事は出来なかったんじゃないかな。

兎も角、蜀漢を滅ぼせば上流の優位を生かして呉に侵攻出来るんで、孫権在世でも
防げたとは思えないからね。

まあ、他の将軍に対しては諸葛亮は押し気味で終始してるし、わざと引き分けを装おえる程度
の強さは有るからね。

只、兵力差が3〜5倍程度って状況で何も出来ない程の実力差は無いと思う。
0724人間七七四年2019/03/18(月) 11:23:21.23ID:TQNR3nld
>>722
西軍首脳の中で毛利とは手打ちにした以上、毛利にこの騒乱の責任を問うことはできない
あくまでも安国寺にそそのかされたという形
もう一人責任者っぽい宇喜多は逃走中、大谷は自決と責任を問えそうなのが石田しかいないってのが大きいんじゃないですかね

石田の不運は一緒に捕まったのが坊主の安国寺とキリシタンの小西だったせいで、切腹じゃなく打ち首に変わったっぽいところ
0725人間七七四年2019/03/18(月) 14:41:41.90ID:nc61M5qj
>>724
だいたいそんな感じだろうね
誰に詰め腹切らせるかとなったら石田みたいな旧体制の腰ぎんちゃくが最適
0726人間七七四年2019/03/18(月) 15:49:34.16ID:O/cJBub4
まあスケープゴートにされた感はある
0727人間七七四年2019/03/18(月) 15:58:37.75ID:T3aIJ3FL
9月25日 輝元大坂城退去、福島黒田らが大坂入城、増田長盛、高野山へ退去
9月27日 家康大坂入城
10月1日 恵瓊、行長、三成が斬首される
時系列的にもこれだしな
0728人間七七四年2019/03/18(月) 17:15:44.31ID:TQNR3nld
逃げ切ってほとぼりが冷めたころに出てくれば、宇喜多と同様遠島くらいだったんじゃないかな

こんだけ将が捕まりまくる合戦というのも稀有なような
0729人間七七四年2019/03/18(月) 20:10:47.45ID:jWoJsFVU
その点でも大戦果だよな。
戦死と捕縛の違いはあるけど長篠の戦い位の比率か?

松尾山が東軍だから逃げにくかったとか。
0730人間七七四年2019/03/18(月) 20:16:16.26ID:hnlS8kPs
それでいて主な武将で戦場で死んだのが大谷吉継だけというのもなあ
0731人間七七四年2019/03/18(月) 21:00:39.08ID:HUclBCjz
平塚為広とか戸田勝成、河尻秀長なども戦死しているんだけど
如何せんマイナーだからなぁ
そう言えば島津豊久も戰死組か
0732人間七七四年2019/03/18(月) 21:06:20.28ID:7qavw6Ux
主な大将分で
戸田平塚は大谷寄騎だから混乱のうちに戦死
島左近と島津豊久は潰走した時に殿軍として残って戦死
まあこんな感じか

負けた中では宇喜多はうまくやったのか
0733人間七七四年2019/03/18(月) 21:18:33.33ID:uLGDsDAP
三成家臣だと島左近ばかり持ち上げられているけど、関ヶ原だと蒲生頼郷の方が頑張っているイメージがあるな
0734人間七七四年2019/03/18(月) 21:30:27.66ID:iKn3oHlx
>>732
宇喜多の場合、目ぼしい連中がほとんど東軍に走ったから
秀家の小姓だか近臣が旗奉行で討ち取られたという話はある
0735人間七七四年2019/03/18(月) 22:06:12.21ID:Ik1CHUvR
重臣として指揮をとっていた長船定行なんかはそのまま行方不明で
最初からいなかったような扱いになってるな
0736人間七七四年2019/03/18(月) 22:09:51.66ID:p8EWaDUk
本多政重よく戦線離脱できたもんよ
0737人間七七四年2019/03/19(火) 00:46:21.11ID:MARtQaSd
>>717
四次北伐では諫める張郃無視して諸葛亮の誘いに引っかかってボコボコにされてるし
破る気満々だったけど普通に負けただけじゃね
0738人間七七四年2019/03/19(火) 00:47:01.26ID:imwS1XQN
宇喜多直家は家臣を関ヶ原前に家康に根こそぎ引っこ抜かれたけど西軍では凄く頑張ったよな。明石全頭や本多政重といった武断派が頑張ってたみたいだね。

秀家は、全軍1万7千を5段に分けて果敢に戦う。明石全登を筆頭に長船吉兵衛、宇喜多源三兵衛、浮田太郎右衛門、延原土佐らが、指揮に当たる。

家臣がスカスカ。
0739人間七七四年2019/03/19(火) 00:47:40.61ID:imwS1XQN
>>738
直家じゃなくて秀家
0740人間七七四年2019/03/19(火) 08:28:34.18ID:xerCSH8x
島左近は開戦直後に戦死したと聞いた
まあ二時間で終わったなら開戦即敗走だから同じか
0741人間七七四年2019/03/19(火) 08:35:26.85ID:tBqCjTs3
家中不和を治められなかった秀家の自業自得
0742人間七七四年2019/03/19(火) 10:40:52.38ID:CpSnCvje
秀家、家臣から刀抜かれて追い回されるレベルの不和になってたから
根こそぎ引っこ抜かれたんじゃなくああでもしないと大名としての形すら保てない状況だったよ

お家騒動自分で片付けられない大失態をそれこそ博打みたいな挙兵で盛り返したかったんでしょ あれを頑張ったというのはかなり違和感がある
0743人間七七四年2019/03/19(火) 11:29:18.04ID:k/u8X2k7
西軍についた大名は宇喜多といい毛利といい島津といい
家中が揉めて何らかの騒動抱えてるのが多いね
0744人間七七四年2019/03/19(火) 12:24:17.97ID:hxwvfAGe
徳川だって本多佐渡が戻ってきてるから、もう派閥争いの芽はあったんじゃないか
0745人間七七四年2019/03/19(火) 12:52:19.47ID:XkSxDUZW
徳川は基本的に奉行の汚職とか、老中の依怙贔屓程度の話だし
0746人間七七四年2019/03/19(火) 12:55:13.21ID:/zOly15w
>>743
そら半独立だった旧国人系家臣大量に抱えてる旧戦国大名やもん揉め事に事欠きませんよ
どっちかというと徳川やありとあらゆる手を使ってそれらを排除して挙国一致体制築いた上杉が特別なんやね
0747人間七七四年2019/03/19(火) 13:06:32.18ID:xerCSH8x
徳川官僚団で一番の悪人が大久保長安だしな
実に健全
0748人間七七四年2019/03/19(火) 13:47:40.95ID:FpP3QpAs
徳川の場合、東海から関東への移封を契機に、井伊、榊原、本多中務は大身に取り立て、たとえば酒井家次とかは小禄に据え置き、家中への支配強化貫徹に踏み切ったが、
他の有力大名が豪族連合の構造を残したままである状況で、家康は、いち早く自らの利点を生かした感じかな、関ヶ原は
0749人間七七四年2019/03/19(火) 22:30:26.51ID:1KxCVEPk
>>743
毛利というと広家と恵瓊の不仲がよく言われるけど、そもそも輝元と広家自体が
あまり仲が良く無さそうなんだよなぁ
その後の毛利家中での吉川家の扱いを見ると、東軍との交渉において
広家、輝元に隠してたり騙したりした事があったんじゃないかって印象を受けるね
0750人間七七四年2019/03/19(火) 23:23:28.14ID:LfJw8eTQ
酒井将監や三河一向一揆と信康事件、豊臣に臣従する前後での数正ら出奔
関東移封前から大名集権に対する挑戦(ともとれる事件)に勝利してきてるからね
家康のお家騒動に対するノウハウは当時随一でしょ
三成VS七将や島津にせよ宇喜多にせよ
やったかどうかは定かじゃないけど、他家のお家騒動を煽ったりなんかは簡単だったんじゃないか
0751人間七七四年2019/03/20(水) 00:05:38.03ID:5RIIXuts
つーか傘下に下った大名の家中に火種を仕込んだのは秀吉で
それが秀吉の死後にきちんと目的を果たしたといった感じ
0752人間七七四年2019/03/20(水) 00:07:43.03ID:UvV4a/rc
>>750
うーん、その書き方はいやらしいというかやるべきじゃないというか
やった証拠も一切存在しない、むしろ鎮静化に骨折ってるレベルのもんに
やったかもしれない、可能性はゼロじゃないみたいなこと言って煽るの
歴史を解釈するって面でもやっちゃいけないことだし、やるべきじゃない
0753人間七七四年2019/03/20(水) 00:20:55.41ID:EAXfNwEi
お家騒動の工作は豊臣奉行衆がやってる
徳川前田毛利上杉宇喜多も互いに争わせて手球にとろうとしていたが大戦になってしまって、その手に余って自滅
0754人間七七四年2019/03/20(水) 00:24:08.88ID:VzaXRAWL
水口5万石の長束の工作ではどうにもなりますまい
0755人間七七四年2019/03/20(水) 00:24:12.93ID:i4Ye0ceS
>>744
徳川武断派と正信の確執なんて正純改易後に作られたおとぎ話ですし
0756人間七七四年2019/03/20(水) 01:43:03.72ID:HvBqFOWG
>>755
知らなかった。そうなのか
0757人間七七四年2019/03/20(水) 06:25:46.00ID:Fm7DTiPa
>>752
???「疑惑は深まった」
0758人間七七四年2019/03/20(水) 06:34:30.30ID:Fia3wPg0
>>732
家柄で助命されたんじゃないかな
0759人間七七四年2019/03/20(水) 10:18:03.12ID:JnGkn8r+
>>758
家柄じゃなくて縁故じゃないかな
宇喜田の家柄なんて大したことないだろう
0760人間七七四年2019/03/20(水) 10:35:46.12ID:VzaXRAWL
シーマンヅと奥さんの実家前田家の口利きによる罪一等減か。あと、関ケ原の合戦から数年経過し、世が静謐を迎え、秀家の首を斬る必要性が減った。
関ヶ原直後に捕縛されていたら、前田がいくら頼んでも処刑だったろう
また、大坂の陣が終わって、赦免するから八丈島から出ても良い、といった話も幕府からあったようで、前田利常も、10万石を分封するから加賀に来ないかと誘ったが、
秀家は、島から出るのを断ったとか
0761人間七七四年2019/03/20(水) 11:48:52.31ID:4cid88SZ
中納言というのもあったかもしれん
0762人間七七四年2019/03/20(水) 16:26:29.51ID:St7aVNwW
むしろ行方くらまさずに大坂が岡山辺りで降伏交渉してれば毛利、上杉の他の五大老連中みたいに
減封で済んでた可能性も微レ存?
0763人間七七四年2019/03/20(水) 16:27:36.17ID:xeengENj
当時の人の官位に対する感覚は大分ちがうんだろうな。
0764人間七七四年2019/03/20(水) 17:09:45.75ID:xZ33K2hJ
1、2万石のギリギリ大名のレベルでなら残れたかもな
ただしそれ以上は無理
そもそも秀家は元から大名の器ではなく家中を纏める才すら無い
0765人間七七四年2019/03/20(水) 18:21:32.62ID:4cid88SZ
籠城してれば可能性はあったかもな
面倒だから
0766人間七七四年2019/03/20(水) 20:21:32.53ID:UvV4a/rc
あの当時的に籠城が決め手になって助命とかあるの?
0767人間七七四年2019/03/20(水) 20:34:52.91ID:VzaXRAWL
籠城した場所によるだろうな。柳川や薩摩なら僻地だから見逃されたか
0768人間七七四年2019/03/20(水) 20:42:36.76ID:4cid88SZ
城攻めは面倒だから
0769人間七七四年2019/03/20(水) 21:00:29.89ID:UvV4a/rc
籠城してたことが決め手になって助命された事例はないの?
0770人間七七四年2019/03/20(水) 21:23:33.84ID:LuRbllq5
丹後田辺城、大津城、安濃津城
交渉開城で助命は基本
0771人間七七四年2019/03/20(水) 21:28:16.81ID:LuRbllq5
もっとも宇喜多秀家は首謀者格だから無理だろうけどな
0772人間七七四年2019/03/20(水) 21:39:35.72ID:VzaXRAWL
東から西に寝返った宮部継潤、立てこもった鳥取城も命は助かり、盛岡に流された。
しかし、鳥取焼き討ちが過酷すぎるから、人身御供として斎村という寄せ手の武将が殺害された
0773人間七七四年2019/03/20(水) 21:42:04.83ID:LuRbllq5
前の年に死んでますね
0774人間七七四年2019/03/20(水) 21:45:24.32ID:9kyrKRLC
>>770
籠城戦というと城兵を助ける為に城主は切腹というイメージがあったけど
結構助かっているんだね
0775人間七七四年2019/03/20(水) 21:49:27.43ID:lsosFtP1
宮部長房君はネタキャラ
0776人間七七四年2019/03/20(水) 22:14:39.69ID:fLXnSBZL
焼き討ちって亀井の策略なんかね
0777人間七七四年2019/03/20(水) 22:26:48.58ID:UvV4a/rc
>>770
ありがとうございます
古今伝授の断絶の可能性のある細川幽斎や、腐っても四職の京極氏といった
あくまでも巻き込まれただけ&家柄や特殊な技能を持った人間の助命が多いんですかね

さすがに首謀者格で助命された人はいないですよね
0778人間七七四年2019/03/20(水) 22:50:11.72ID:4cid88SZ
景勝が首謀者格
0779人間七七四年2019/03/20(水) 23:34:44.81ID:UvV4a/rc
景勝は景勝で勝手に西軍の挙兵に巻き込まれただけといえばだけではありますし
あれは籠城はしてないすよね?戦役終わって謝罪で終了ですよね?
0780人間七七四年2019/03/21(木) 06:50:51.78ID:3mwmsr40
籠城してないが籠城も構えつつ

そもそも上杉征伐から
始まったのが関ヶ原
0781人間七七四年2019/03/21(木) 11:41:29.23ID:4VmqFBmW
急ぎ駆けつけた三万八千の兵は、疲れていて、戦の役には立たぬ。時を過ごさば西軍にも余裕を与えてしまう。
それに、治部めをうまうまと、関ヶ原の野に、おびき出したは、今日ぞ。今日が、決戦ぞ。
0782人間七七四年2019/03/21(木) 12:07:16.21ID:Ly6VpBbG
だから、上杉征伐でたまたま徳川が畿内を離れた隙を利用して上杉のあずかり知らないところで挙兵したのが西軍なんだから、首謀者でもなんでもないよ
0783人間七七四年2019/03/21(木) 12:18:44.61ID:xFxtdEjf
西軍の主要人物で命を落としたのは斬首された石田小西安国寺を除けば
長束正家と佐和山城の三成親族ぐらいじゃないか
立場的には石田らと似たような立ち居地の増田長盛ですら助命されている
ちなみに長束正家も本領安堵という話で城を出たところ捕まって処刑だから
後世の人間にはそんなうまい話があるかと思われても
本領安堵という言葉には相当な魅力があるんだろうね
0784人間七七四年2019/03/21(木) 12:43:00.93ID:5uP9ag3D
じゃあナツカだまされたんやん

関ヶ原は上杉攻めが開始点

家康がわざと西軍を蜂起させた
0785人間七七四年2019/03/21(木) 12:47:03.08ID:XvBiHmd1
>>784
死ね
0786人間七七四年2019/03/21(木) 13:04:28.02ID:3j1YEewt
上杉のあずかり知らないところで挙兵したのが西軍で、両者は関係なくて別個に動いてたというなら
元々上杉単独で戦うつもりだったことになるわけで
それならたとえ西軍が負けようが上杉の行動は変わらないはずなんだよな、戦い続けるはずなんだよな
なのに現実は西軍惨敗の報告を聞いただけで震え上がって逃げ出して戦うの止めて土下座して命乞いを始めたわけで
0787人間七七四年2019/03/21(木) 13:09:50.21ID:k5IvEHvc
>>786
そもそも上杉は戦意がなく、征伐軍が国境まで来たら土下座する予定だったという説がある。(考古学的に征伐軍を防ぐための防御工事跡が
確認されてない)。

たまたま「西軍」が挙兵したので、ワンチャン有ると思って軍事行動を起こしたわけで、チャンスの根拠であった西軍が壊滅したら当然
当初の予定通りの土下座路線に戻る
0788人間七七四年2019/03/21(木) 13:11:31.83ID:5uP9ag3D
西軍は上杉攻めで豊臣軍が東上したのを見て蜂起

関係ないなら、家康が大阪を離れたあたりで蜂起すればいい
0789人間七七四年2019/03/21(木) 13:14:58.02ID:4VmqFBmW
今を去る418年前、天下分け目の関ヶ原合戦で、家康が、石田三成の率いる西軍を破り、大勝利を収めた裏には、伊達政宗の、大きな力があった。
すなわち、奥州の南にあり、絶えず、家康の背後を窺う猛将・上杉景勝の動きを巧みに牽制し、一歩足りとも、関東に近付けなかった政宗の備えがあったればこそ、家康は、後顧の憂いなく、関ヶ原で戦うことができた。
戦後、ただちに家康は、その功を賞で、政宗に対し、上杉から奪った領地のうち、会津60万石を与えるとの、お墨付きまで出しながら、その会津領は、同じ外様の、蒲生忠郷に与え、そ知らぬ顔を決め込んだ。
政宗にとり、家康のこの食言は、腹に据えかねるものであった
0790人間七七四年2019/03/21(木) 13:15:34.96ID:k5IvEHvc
>>788
即座に反転されて滅ぼされるやん。アホなの?
0791人間七七四年2019/03/21(木) 13:15:37.02ID:rt/R8WqD
畿内を固める必要があるので家康が遠国に離れてからのほうが良い
0792人間七七四年2019/03/21(木) 13:42:49.62ID:XvBiHmd1
>>788
死ね
0793人間七七四年2019/03/21(木) 14:44:48.01ID:Ly6VpBbG
そもそも西軍挙兵前に西軍首脳と上杉家が計画についてやり取りした書状すらない
ましてや上杉征伐に際して増田らは家康が畿内を離れる危険を理解して上杉征伐中止を求めてる
とてつもなく突発的なクーデターであって遠国の上杉と連絡を取り合う余地もないよ

そして上杉の目的は戦うこと、ではなく家中を納得させた上での和睦による軟着陸が目的
ところが西軍挙兵によってその計画が頓挫し、畿内騒乱のおかげで訪れた戦乱による領地拡大のチャンスも西軍が短期に瓦解してなくなってしまった以上
これ以上の戦闘は和睦するフェイズすら逸した絶滅戦争になる訳で、降伏しかない

正直西軍挙兵のせいで一番割を食ったところだよ、上杉
0794人間七七四年2019/03/21(木) 15:01:14.91ID:5uP9ag3D
>>790
だから上杉攻めが起点

池沼?
0795人間七七四年2019/03/21(木) 15:03:33.07ID:5uP9ag3D
>>793
もう一回挙兵すればええやん
0796人間七七四年2019/03/21(木) 15:05:50.89ID:pbdCfhyc
>>795
頭悪すぎて草
0797人間七七四年2019/03/21(木) 15:07:31.07ID:5uP9ag3D
>>796
キチガイ?
0798人間七七四年2019/03/21(木) 15:17:35.65ID:Ly6VpBbG
なんか自分の言ってることの意味が理解できてない荒らしが居ついてしまったなぁ
0799人間七七四年2019/03/21(木) 15:34:34.59ID:PdibzNxe
>>793
上杉に戦意がなかったのなら越後に一揆を起こす必要はまったくない。
0800人間七七四年2019/03/21(木) 15:55:20.76ID:47HbZgqi
戦意はあるけど、西軍と連動したものとは言えない。

三成挙兵前に、景勝は一度本気で上洛に応じた書状が残っている。上洛していれば、三成は当然挙兵出来ない。
また景勝の土下座は、大坂開城から一年も経過している。
0801人間七七四年2019/03/21(木) 16:00:48.06ID:k5IvEHvc
>>799
それはあくまで上杉を「讒言」した越後堀氏への牽制
0802人間七七四年2019/03/21(木) 16:07:42.36ID:5uP9ag3D
上杉が連動していないなら
何で降伏したんだ
0803人間七七四年2019/03/21(木) 16:14:40.03ID:pbdCfhyc
>>802
消えろ豚
0804人間七七四年2019/03/21(木) 16:21:08.68ID:5uP9ag3D
>>803
カス
0805人間七七四年2019/03/21(木) 16:28:20.16ID:47HbZgqi
>>802
勝てないから。
三成が挙兵しようとしまいと、結局降伏の選択肢は不動でしょ。
それとも、一族郎党全滅するまで戦い抜くと思う?
上杉は、三成挙兵のおかげで、降伏の時期が伸びただけ。ただし、西軍本隊が優勢なら別。
0806人間七七四年2019/03/21(木) 16:35:54.71ID:5uP9ag3D
>>805
最初から降伏前提ってことか?
0807人間七七四年2019/03/21(木) 16:38:01.28ID:5uP9ag3D
>>805
じゃあ西軍蜂起のタイミングで
講和して有利な条件を引き出せばいいんじゃあ?
0808人間七七四年2019/03/21(木) 16:40:19.98ID:47HbZgqi
>>807
そう。
要は、降伏した際の落とし所をどうするかという話。
上杉家だけで天下の兵を引き受けて勝てると夢想する様な愚かな人物ではないでしょ、景勝は。
0809人間七七四年2019/03/21(木) 16:41:49.23ID:WsIatUtC
>>807
はよ死ね
0810人間七七四年2019/03/21(木) 16:43:20.67ID:k5IvEHvc
>>807
アホか。景勝が家中の主戦派を抑えられないから現実見せてそいつらに諦めさせようとしていたのに、その現実の来襲が無くなった以上
主戦派の行動を抑えることは不可能だっつーの。

要は上杉景勝の家中統制が不十分という前提が有るんだよ。
0811人間七七四年2019/03/21(木) 16:47:23.53ID:47HbZgqi
>>807
さっきのは、>>806へのレスでした。

で。
西軍挙兵で、戦乱長期化を見込んだわけね。
豊臣政権=東軍と和解するなんてもったいないよ。
昔の様に好き勝手出来るチャンス到来なのに。
0812人間七七四年2019/03/21(木) 16:50:00.64ID:5uP9ag3D
>>809
クソ豚
0813人間七七四年2019/03/21(木) 16:51:11.88ID:5uP9ag3D
>>808
じゃあ何で一戦交えなかった?

戦ったけど不可能だったならば
格好がつく
0814人間七七四年2019/03/21(木) 16:56:18.99ID:Ly6VpBbG
>>813
一戦交えちゃうのは手遅れなんだよ
一度戦端を開いてしまったら許されなくなる
外交って片方の気分だけで決められるものじゃなく両者の同意で初めて成り立つ

西軍挙兵のせいで許される方向へのプロレスが崩壊してしまい、その状況で一戦交えるのは和睦できるタイミングを棒に振って攻め滅ぼされるフェイズになる
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