関ヶ原合戦の真実 Part9
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0557人間七七四年
2019/02/28(木) 21:27:39.42ID:i8/xWqaL一 大柿御打立之時より雨ふり、悉くぬれ申候而人々ふるひ申候、九月十五日之日出に、もはや東國衆のほりを指立候而、
岡山より關ヶ原江參申候、先一番に大谷刑部殿陳にかゑり申候、大谷殿衆もかかり合、追つまくつ六七度之合戰仕候處に、
上之山より筑前中納言逆心殿白はたを差せ横入仕、大谷殿人數壹人茂不殘討捕申候、備前中納言殿陳へは別大將相掛申候而
一戰被成候得共、前に岡御座候而此方之陳よりは見得不申候、中納言殿相山申候、其敵則此方之陣江相掛申候、
何茂亦したく爲仕敵に而候、東は石田治部殿陣猛勢相掛一戰有之候得共、石田殿陳茂相崩、其敵則此方之御陣江相掛申候、
此方之御陣は弐番そなへに而候、然處、惟新樣被成御意候は、敵は何方か猛勢か御尋に而候、東より之敵以之外猛勢之由被申上候へは、
其猛勢之中へ可相掛之由御意候而、脇々に少つつの敵はいかほとも有之候而も、其方は打置候而、猛勢之眞中江かけ入、
過分成る大敵を打捕中を切明、山通なされみかたを見申候へは、漸下々かけて御手廻の人數五拾人程にて罷なり候、
きりもの衆被申候者、このごとくの無人に而者軍仕事罷成間敷候、是よりは御思ひ被成候而は罷成間敷候よし被申候而、
刀之ひるまきをとらて、御馬の印も打捨、東のごとく御通被成候、然處先を見申候へは、馬乘の敵いつかた騎共不知罷居申候に付、
人々被申上候は、先に見得申候者皆敵に而御坐候、何と可仕候哉と被申上候得者、被聞召候而被成御意候は、
敵に而候はは切通る、切通事不罷成候はは、兵庫頭切腹可被成之由御意に而候、何茂承候而畏たる由申上候而、
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