慶長5年9月15日早暁、関ヶ原は、濃い霧に包まれていた。家康は、既に安全な桃配山を降り、関ヶ原の東の端に陣を敷いている。
それは、霧が晴れたとき、敵方の度肝を抜く狙いであり、今日の戦に賭ける、家康の、決意の現れでもあった。
西軍の陣型は、相手を包囲するのに相応しい、鶴翼の陣備えであり、対する家康は、中央突破型の、縦隊魚鱗の陣型である。