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関ヶ原合戦の真実 Part9

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0001人間七七四年2018/12/23(日) 14:17:08.63ID:uA0riSLH
慶長5年(1600年)9月15日関ヶ原で徳川家康らの東軍が石田三成らの西軍を破った戦い。
豊臣秀吉の死後、天下の実権を握った家康は三成と対立し、それぞれ諸大名を
糾合して戦ったが、小早川秀秋の寝返りにあった西軍は惨敗し、三成らは処刑され、
豊臣秀頼は摂津・河内・和泉60万石の一大名に転落した。この結果、徳川氏の覇権が確立。
俗に「天下分け目の戦い」という。
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関ヶ原合戦の真実 Part8
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0233人間七七四年2019/01/26(土) 07:58:21.77ID:0EZ7Bpi4
正直、あれは誰かがやらないと適齢期を超過する
男女が続出する
0234人間七七四年2019/01/26(土) 08:04:17.58ID:BFRsbNS4
御掟で婚姻は上様の許可制
遺言で上様の死後は「どんな事でも、家康殿と利家殿の御意見を聞き、その御意見次第できめるように」

三成は恩掟を軽視し、遺言を無視し、没後半年で私闘事件をおこし、
帝が下賜をして豊臣が物資援助をおこなって出陣した内大臣率いる軍に反乱をおこした謀反人
0235人間七七四年2019/01/26(土) 08:08:27.35ID:l7iv0pSZ
家康は秀吉が死んだ時点で五大老制度はそもそも無理と分かってた。
いくら秀頼を盛り立て豊臣の血筋で政権を確立しようとしても天皇家や足利家でさえも血統の維持に限界があったのに秀頼たった一人でできるはずは無い。
終わりが見えてる豊臣政権から次の時代に戦国時代を挟まないように、上手く収束させるには秀吉が目指した武家関白による政治でなく室町幕府に代わる権威が必要と考えた。それで徳川は鎌倉に倣って東国に江戸幕府を開く事を考えた。
恐らく京都の公家側の要望も聞き入れてのことだろう。家系のあやふやな秀吉より無理にでも源氏に繋げられる徳川の方が幾らかマシだから。

家康には野心も何もないよ。五大老筆頭としての仕事を誰よりも完璧にこなしただけ。
関ヶ原の真相は三成が勝手に反目してきて反徳川の面々を集めて自爆してくれただけだよ。
0236人間七七四年2019/01/26(土) 08:18:54.23ID:CThd9Qn5
記録に残ってるかは知らないけど
五摂家をはじめとする公家衆から何とかしてくれと家康に相当な陳情があったのは推測できる
秀吉の関白就任が五摂家から騙し取ったものだったから奪還の気持ちは強かったろうし
秀頼成人まで朝廷の人事を凍結したもんだから公家衆が昇任できず大迷惑被ってた
旧来の小説講談では朝廷も公家衆も豊臣政権を喜んでいたかのように描かれてるけど
これらのことはもっと知られるべきだと思う
0237人間七七四年2019/01/26(土) 08:32:44.71ID:UryAHVjA
>>236
つまりそういった状況を打開し豊臣を倒すために家康が三成を決起に誘引したってことか
0238人間七七四年2019/01/26(土) 08:57:05.76ID:BFRsbNS4
>>235
豊臣じたいもう無理だろう。

豊臣家はそもそもが主家簒奪の謀反人の家柄だ。
それを関白任官と聚楽第行幸で公認してもらうことで正当化して成立しながら、
聚楽第行幸で公認してもらった関白左大臣内覧の豊臣長者を一家皆殺しにしたわけだからな。
これで正当性があるとか思っているやつは頭が変だ。さらに隋の煬帝のごとく2度も外征に失敗している。

さらに豊臣公儀の下にいた大名はもと織田家家臣と豊臣に征服された戦国大名や、惣無事を受けて外交的に天皇に服属した徳川伊達のような戦国大名。
それらが領地を減らされたり左遷されて故郷を奪われたりしている。豊臣に恩義なんてないんだから。

そして秀吉が死ぬと、半年で秀吉の子飼いたる武断派と文治派で武力闘争をはじめる始末だ。
家康は現状維持のためによくやったよ。

関ヶ原の戦いは、帝の下賜を受けた最高位の内大臣が、豊臣に物資援助されて軍を動かしたわけで、
三成が正義を主張したいなら、豊臣の公認と帝の公認、大臣への任官くらいは最低でもしないとだめだ。三成は国会を襲撃して占拠したテロリストと変わらない
0239人間七七四年2019/01/26(土) 09:06:19.15ID:BFRsbNS4
>>236
豊臣 主家簒奪の家。関白任官と聚楽第行幸で簒奪を正当化しながら、聚楽第行幸で公認された関白左大臣内覧豊臣長者一家を皆殺し。聚楽第を破壊。外征2度失敗
天皇 任命した関白左大臣内覧豊臣長者を一家皆殺しにされた。右大臣を流罪にされた。大臣を任命できなくなった。
公家 大臣になれなくなった
農民 太閤検地で税金をしぼりとられた。
大名 徳川は故郷を奪われ敵地に左遷沼地に住めと強要。伊達と上杉も故郷を奪われた。長宗我部島津は降伏。石高ランキングの上位過半数が豊臣に恩はない。
一門 豊臣長者一家皆殺しで脆弱
子飼 秀吉が死んで半年で武力闘争開始
0240人間七七四年2019/01/26(土) 10:07:06.45ID:4VQ9cKhg
鎌倉政権のようなやり方なら豊臣政権存続はあり得たと思うけど
ただ、その場合は後世、豊臣ではなく大坂政権とか伏見政権と呼ばれたかもね
0241人間七七四年2019/01/26(土) 10:17:06.76ID:hz8N2t5S
今だって「桃山(伏見)時代」だしな
0242人間七七四年2019/01/26(土) 12:28:29.64ID:gxTvAFG+
>>232
私婚の禁止は武家諸法度にもあるし何らおかしなことではない
問題は秀吉死後誰がその許可を出すのかはっきりしてなかったことと
それを生きるか死ぬかの政争レベルに引き上げられてしまったこと
あんなん利家を擁して家康に大老職を退けとかいって大事にせずとも
不備を指摘して今後どうするか決めましょうか位の扱いにしてれば揉める事もなかった
0243人間七七四年2019/01/26(土) 12:36:16.69ID:vg1NQSry
>>237
家康が誘引したわけじゃなく、三成が勝手に暴発しただけだろう
0244人間七七四年2019/01/26(土) 14:03:02.19ID:bLx740yY
自分たちはいの一番に遺言破りして、相手の違反は大老職退けとまで問題大きくしてる訳だから
家康が許せないとかじゃなく、豊臣政権を自分たちに都合のいい政権にしようと画策してるだけよね
0245人間七七四年2019/01/26(土) 15:28:53.92ID:aaKwsHoH
>>237
なんやねんその陰謀論
0246人間七七四年2019/01/26(土) 16:24:21.03ID:UryAHVjA
>>245
>>236は公家から状況打開の働きかけが家康にあったと見てるわけでしょう?
手っ取り早いのが豊臣を政権から遠ざけることじゃないかな?

まあ、>>236が秀吉は汚い家康は綺麗の人ぽいから俺も穿って書いたのは事実だけど
0247人間七七四年2019/01/26(土) 16:40:58.17ID:bLx740yY
いやその人別人ちゃうか、君の言うてる人毎回同じこと言うてる人のこと指してるんやろし

公家からの状況打開要請はあくまでも朝廷の仕事してってことなんだから
豊臣政権の家宰になってる家康が別に豊臣家の権威低下させるような真似せんでも政権内で仕事すりゃいいだけだし
0248人間七七四年2019/01/26(土) 17:19:29.03ID:BFRsbNS4
秀吉がクズなのは確定だろう。

草履取りから引き上げてくれた主君の喪中に主君の妻や孫娘や息子を殺すクズが秀吉だからね。
しかも関白任官と聚楽第行幸で正当化しといて、その聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧豊臣長者の一家を皆殺しにするクズだから。

主家簒奪→関白任官→惣無事→聚楽第行幸(1回目)→聚楽第行幸(2回目)→関白左大臣内覧豊臣長者一家虐殺→秀吉死亡→関白任命→征夷大将軍任命→豊臣滅亡

この流れを理解することが重要だな
0249人間七七四年2019/01/26(土) 17:28:06.41ID:aaKwsHoH
ネタで言ってるかと思ったらガチで陰謀論信じてそうで草も生えん
0250人間七七四年2019/01/26(土) 17:35:58.79ID:Kh0JJaC5
まさか今度は輝元も嵌めたとか言い出さないだろうなぁ
0251人間七七四年2019/01/26(土) 20:23:41.05ID:IgkxKzMH
  /_________ヽ
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0252海老酢2019/01/26(土) 20:34:37.32ID:bMwUcduM
重臣や側近、ことによったら親子兄弟の粛清なんて世界史では珍しくもない。
鎌倉殿だってやったことだし。

なんで秀吉ばっかり責められるかね。

そして主君の妻や孫娘やらをいつ秀吉が殺したんかね?
むちゃくちゃな書き込みって自己満足だけで傍目には面白くないもんだよ。
0253人間七七四年2019/01/26(土) 20:50:17.44ID:Nu+XL8cx
>>252
その鎌倉殿という先例があったにも関わらず、全く同じ失敗を繰り返したからだよ
一門を信用出来ない、謀反の兆しがあると殺しまくった結果、
息子の代で御家を絶やしてしまった、御家大事が絶対の武士にとってこれは最悪だ
確かに一門同士での殺し合いはある、それでも武家が一門を重視するのはなぜか?
それは一門を完全に粛清すると結局は御家を潰してしまう可能性が高いからなんだよ
だからこそ一門は大事にされる、整理や監視は無論必要だけどね
0254人間七七四年2019/01/26(土) 21:08:06.39ID:ll5R9l80
>>252
そりゃ、秀次の粛清が豊臣家の滅亡に直結したからに決まってる。
お前が言う源頼朝も、義経を攻め殺した事は非難されてるだろ。正当性は段違いなのに。

主君の妻と言うのは、信孝の母の坂氏の事だと思う。一緒に信孝の娘も磔にされたという説もある。
0255人間七七四年2019/01/26(土) 22:52:14.08ID:bLx740yY
秀吉はもともとが五十歳近くに織田当主が亡くなって、そっからの行動だし
んで子供も六十歳近くからの子だしで、もろもろを整理整頓するにはあまりにも時間がなかったって感じ

自分だけでやろうと思えばなんでもできてしまった間違いなく傑物であるが故に、健在な間は組織形成やらなにやらの粗もすべて自分で覆えてたんだけど、その自分が抜けた後は粗だらけのものを歳ゆえに丸投げするしかなかったなぁって感じ
0256人間七七四年2019/01/26(土) 22:58:13.08ID:BBiB6lIm
>>236

朝廷からしたら関白は由緒正しい五摂家の持ち回りの役職であり、

征夷大将軍や源氏長者は由緒もクソもない盛時の強者に打算的に与えるものだったから、それを徳川に与えようが痛くも痒くもなかった。
由緒も何もない豊臣が関白に入ったのはあくまで事故であり源氏長者や征夷大将軍を喜んで受けてくれる徳川の台頭は公家側からしても願ったり叶ったりだったわけだな
0257人間七七四年2019/01/26(土) 23:09:34.36ID:BFRsbNS4
公家からすれば、
豊臣は伝統ある近衛家の猶子にもぐりこみ、近衛信尹に譲る約束で関白になりながら、約束を反故にしたあげく近衛信尹を流罪にした不義の家だからな。

さらに、織田内大臣を流罪、近衛左大臣を流罪、菊亭右大臣を流罪、関白左大臣内覧豊臣長者を一家皆殺しとやりたい放題したあげく、
大臣職から公家をしめだした。

武家からすれば、下賎な野人で草履取り出身の男が、主家簒奪の不忠行為をおこなって成立したのが豊臣なわけで、
忠義を重んじる武士からすればゴミのような存在だ。
さらに武家関白制の関白左大臣内覧の豊臣長者を殺した不義の存在が秀吉秀頼なわけだから。支える価値もないクソといえる
0258人間七七四年2019/01/27(日) 06:51:33.74ID:y7xMsbfB
>>250
そう言えばネットで見たんだけど、関ヶ原後広家が自分が貰える筈だった領地輝元に譲った話、後年吉川家が創作したものらしいね
0259人間七七四年2019/01/27(日) 11:12:15.87ID:CawfYAdG
むしろ広家はもっと野心を持つべきだった
無能輝元を排除して自分が毛利を乗っ取り支配者になるくらいの強い気概があれば
斎藤道三や松永久秀みたいな評価を勝ち取れた
0260人間七七四年2019/01/27(日) 11:14:21.26ID:m/OfHI52
>>259
結局負けるんかいw
0261人間七七四年2019/01/27(日) 11:33:19.69ID:m/OfHI52
家康には野望も悪意もないよ。公家による日本の歴史を正しい形に修正しただけ。家康個人の戦略もあるだろうが基本は公家が立てた方針に従っただけ。

禁中並公家諸法度も公家の体面を保つように作られてるし、関白の摂関家以外からの任官はあり得ないとわざわざ書かれてる。
天皇家は江戸幕府が支援するから生活も安土桃山時代よりは安定できるようになったし公家にとってはいい事ずくめで徳川様々と言った所だったんだろう。
0262人間七七四年2019/01/27(日) 13:24:11.57ID:FxoW187j
>>258
そりゃそうだろう。
広家の頭の中
「ボンクラ輝元は、当然処刑で毛利本家は取り潰し」
「東軍のために働いた漏れは、2か国の太守になって毛利本家の名跡を継げるに違いない」
そう思ってたのに、家康の大甘裁定でぶち壊しになったばかりか、
毛利家中で裏切り者扱いされて、5万石なのに家臣のまま。
なんとかして自分を正当化しないと暗殺されかねない。
この際、つける嘘はつきまくっただろうからね。
0263人間七七四年2019/01/27(日) 14:39:11.61ID:ZLhnc33K
島津義弘が伏見城守備を鳥居元忠も断られたいうのと同じぐらいの眉唾話
0264人間七七四年2019/01/28(月) 14:22:34.45ID:OG/bwy2f
天下を望むな→広家しか言ってない嘘
防長は輝元へ→かなり怪しい
0265人間七七四年2019/01/28(月) 16:07:35.19ID:kaHIvQE+
まあそれについては広家がついた嘘というか
岩国藩が長州藩と一緒に本家から独立を画策して失敗した後の家格低下を恐れて子孫が捏造したっぽいから
さすがに広家自体が嘘ついたってのは濡れ衣かなぁ
0266人間七七四年2019/01/28(月) 21:45:39.43ID:abxcOp1N
>>265
だから>>258で後年吉川家が創作した物って書いたんだけどね
だけど広家自体も自己弁護の為色々と自作している感じだしね
例えばテンプレの>>64>>65の覚書は吉川家文書には
慶長五年と六年の物として収録されているけど、家康の事
大御所様と書いてしまっている箇所がある以上、
家康が将軍職を辞した慶長十年以降に以降に書かれた物だと
思うんだよな
0267人間七七四年2019/01/28(月) 23:16:12.29ID:a23ZDp/Z
>>266
ああいや失礼
あなたのコメントに対しての他の方のコメントがまるで広家がついた嘘のように語られていたので、誤解させて申し訳ない

そして確かに大御所様という書き方には違和感がありますね
0268人間七七四年2019/01/29(火) 16:46:54.06ID:rA1F+zeP
秀吉に送られた2人
小早川秀包
人質として秀吉の元に送られたが、その才能を秀吉に愛された。
豊臣系大名として各地にてその才能を遺憾無く発揮し、立花宗茂と義兄弟となり朝鮮出兵でも大活躍した。

吉川広家
自己の地位権力名誉に執着する傾向が若い頃から度々見られる
21歳で秀吉の人質として大阪に入るが直ぐに帰されている。
父と兄が亡くなり吉川家を相続すると能力を開花させると、毛利の重臣として認められる。
この時期権力要求は鳴りをひそめる

人質として送っていた娘は秀吉のお目通りが叶わない等、天下の人物としては軽視されていた。
ところが小早川隆景の死、毛利秀就の家督相続、毛利秀元の独立など家中の足並みが乱れると、その権力と地位要求は肥大していく。
0269人間七七四年2019/01/29(火) 19:24:56.94ID:YVFIQ2eJ
>>254
秀吉は、なんだかんだ言うても信長の嫡孫の秀信を大名として残してるしね。
しかも、信忠の旧領の美濃に領地だから、この手の話としては甘々。

まあ、譜代の居ない豊臣家としては旧織田系諸侯の機嫌を取る必要有ったんだろ。
0270人間七七四年2019/01/29(火) 19:45:03.64ID:2ju/f90q
>>269
秀頼だって成長してから大人しく転封受け入れてたら大名として残ってたよ
大坂城だけは絶対に出ていかなきゃならんのよ
0271人間七七四年2019/01/30(水) 10:49:30.13ID:0qlNiASc
秀忠や家光が今後豊臣家をどうするかは分からないが
家康が秀頼に出した条件は秀吉なんかより、はるかに甘い
秀頼が大名としてまともな判断能を持っていたら将軍の娘婿として、かなり良い地位を築けた
0272人間七七四年2019/01/30(水) 11:37:06.50ID:UmIxjBjG
関ヶ原って結局秀吉の粗放な統一の必然的な後始末だったよな
豊臣政権の統一は秀吉にしか維持できないものだったし秀次や成人した秀頼では恐らく無理だったろう
持続可能な統一にはどちらが勝とうがどちらに大義があろうが関ヶ原が必要だった
0273人間七七四年2019/01/30(水) 13:38:28.48ID:CmbQ1JBI
>>271
伊達あたりよりよほどよい立場に君臨できただろうにね。
みのほどをわきまえる、時流を知る、どちらかでも秀頼がもっていたならねえ
0274人間七七四年2019/01/30(水) 14:49:13.22ID:M9sM2lm+
>>272
確かにね、仮に普通に秀次後継で、秀頼が秀次の婿みたいな妥協案でも、一度大戦争は
有ったはず。徳川、毛利、上杉って大きな大名が存在し過ぎてるもん。

前漢だと、高祖の庶子長子の斉王家が嫡流が断絶したって理由で一度おとり潰しをして
其の後、傍流の王族7人に御家再興「つまり7つに分割」してる。

徳川みたいな大きな大名は最低でも分割相続で小さくする事はやるはずだよね。
0275人間七七四年2019/01/30(水) 15:31:00.21ID:D8EWeGK6
秀頼の不幸は母親が淀殿だった事。
0276人間七七四年2019/01/30(水) 16:19:41.14ID:8/T9ORVM
淀は少なくとも大坂の陣の時にはまだしもまともな判断してたから
結局は秀頼本人があまりにもって感じ
まぁ教育責任が淀にはあるだろって意味だとその通りだけど
0277人間七七四年2019/01/30(水) 17:24:05.96ID:47qgxhS7
16歳「この春(慶長13年2月1608年2月)、大坂の秀頼公は疱瘡をお患いになり、はなはだ危急」当代記
20歳「彼は30歳を超えざるに、甚だ肥満し、自由に身体を動かすこと能わず」セバスチャン・ヴィスカイノ(1612年面会)
22歳「世になきお太り」長澤聞書 長澤九郎兵衛

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    ヽ  ̄    / |__        \_____/
     `i、-- '´   |ソ:
      ↑               ↑
   想像上の秀頼         現実の秀頼

豊臣秀頼
身長196cm
体重161キロ (明良洪範)
BMI41.91
適正体重84.52kg
適正体重より+76.48kgオーバー

BMI 体型イメージ
http://pbs.twimg.com/media/CBy3u20UsAEefCo.jpg

疱瘡(天然痘)の顔 塩田三郎
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/Saburo_Shioda.jpg
0278人間七七四年2019/01/30(水) 18:46:38.47ID:V86iPWgF
本当は当主の教育は母親はやらん
0279人間七七四年2019/01/30(水) 19:04:52.46ID:0qlNiASc
淀のせいってより浪人連中に乗せられた秀頼とその周辺が暴走したようにしか見えない
悲劇のプリンスとして安徳天皇の役割を演じさせたいんだろうけど、
それを20過ぎて子供までいる武家男子にやらせるのは無理がある
母親の実家がもっと力を持っていたらって意味なら、まあ分かる
0280人間七七四年2019/01/30(水) 19:26:08.17ID:GCEHzHxp
何故か淀のせいにしたがるけど秀頼は一貫して主戦派だな
0281人間七七四年2019/01/30(水) 20:59:45.20ID:cGoe1rel
淀と言えば正室の北政所、司馬遼が好きな所為か評価良いけど
秀吉の子飼い連中の為体を考えると多少過大評価気味な感じがする
西郷局亡き後、秀忠達を養育したと言われる阿茶局の方が賢そうな気がするなぁ
0282人間七七四年2019/01/30(水) 21:01:33.69ID:47qgxhS7
脳筋が多いことで有名なねね幼稚園
0283人間七七四年2019/01/30(水) 22:22:13.10ID:ZI+O18Qq
>>269
信長の家族 織田一家
信長 秀吉に呼び出されて移動中に京都で殺される
長男 秀吉に呼び出されて移動中に京都で殺される
次男 秀吉に改易にされ流罪。家康の口利きで大名復帰。幕末まで残る
三男 秀吉に短刀を贈られ自殺させられる
四男 秀吉が関白になった年に「病死」する
五男 秀吉に呼び出されて移動中に京都で殺される
側室 信長の没後10ヶ月で秀吉に串刺しにされて殺され数日間晒される。坂氏。お方様
孫娘 信長の没後10ヶ月で秀吉に串刺しにされて殺され数日間晒される。幼女。
妹  秀吉に筆頭家老柴田勝家と共に攻められ、自殺する。
弟  長利。秀吉に呼び出されて移動中に京都で殺される

「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいを待てや 羽柴ちくぜん」 織田信孝

『それ羽柴秀吉は野人の子、もともと馬前の走卒に過ぎず。
 しかるに、いったん信長公の寵遇を受けて将帥にあげられ、大禄を食みだすと、
 天よりも高く、海よりも深きその大恩を忘却して、公の没後ついに君位の略奪を企つのみか、
 亡君の子の信孝公を、その生母や娘とともに虐殺し、今また信雄公に兵を向ける。』
0284人間七七四年2019/01/30(水) 22:26:52.02ID:BCT9p+5g
>>281
司馬遼太郎といえば、桂人で知られる阿茶局を何故か醜女に設定していたな
0285人間七七四年2019/01/30(水) 23:26:22.53ID:XeqIpnsC
>>277
昔の人はただでさえ小さかったのに
そのサイズだと化け物に見えたんじゃないの?
0286人間七七四年2019/01/30(水) 23:38:31.31ID:WBncMpMo
相撲レベル
0287人間七七四年2019/01/31(木) 02:44:08.98ID:jlsrvXNy
誇張も入ってるんじゃないの?

三成に荷担していたと見られる宗湛とかの商人はまったくのお咎めなしだったのかな?
0288人間七七四年2019/01/31(木) 09:28:48.14ID:55IpUgPn
>>284
写真も何も無い時代だし、正直女性の顔なんて想像でしか無いからね。
言える事は、美人って伝聞が伝わる人は、周囲の人に優しかった事が多いという事くらい。

ゴダイヴァ夫人なんか絶世の美人って事に成ってるけど、真実の婦人像は大分違うらしい。
修道院とかに寄付する慈善が大好きな婆さんだったみたいだね。
つまり、優しい性格に感謝した人達が聖女伝説を作ったと。

つまり、醜女伝説はその逆では?
0289人間七七四年2019/01/31(木) 09:34:55.33ID:55IpUgPn
>>288
少しこのスレの本題とは、ずれるけど追加。

征服王ウイリアムがノルマン朝を作った後の検地でも、数少ないアングロサクソン系領主と
して残ってる。
優しい性格で敬愛されてたので、取り潰せなかったんでは。
0290人間七七四年2019/01/31(木) 10:09:04.66ID:ky7NBt7C
司馬先生の作った設定に伝説もへったくれもないだろ
小説と史実の区別くらいつけろ
0291人間七七四年2019/01/31(木) 10:51:30.10ID:Xt1Vxga2
阿茶局の醜女化は司馬遼の家康嫌いのとばっちりくらっただけだと思うが
それでも淀の描き方よりマシ
家康(周辺も)は嫌いなりにも偉大さを認めているところがあるが淀にはフォローがない
すべての責任を押し付けられたような感じ、まあ今と使える史料なんかも違うだろうからしょうがないだろうが
0292人間七七四年2019/01/31(木) 12:33:01.16ID:CwOzniZp
wikiに書いてあるけど、司馬遼太郎は大阪生まれの大阪育ちで大阪で死んだ人間だからな。
大阪ってのは金と宗教に酔い南無阿弥陀仏を連呼しながら織田徳川と宗教戦争をしていたキチガイどもで家康嫌いは筋金入りだ。
まぁ歴史が歴史だからな。

■大阪の歴史チャート■
金と宗教に酔い南無阿弥陀仏を連呼しながら織田徳川と宗教戦争 → 織田に降伏する → 豊臣の主家簒奪で金と権力に酔い太閤殿下万歳 → 徳川に滅ぼされる →首都大阪の夢を絶たれる

とまぁしょうもない歴史だ。副首都だの大阪都だのといまだにあきらめてない
0293人間七七四年2019/01/31(木) 12:43:48.87ID:mJ+hkcLC
大阪府民だけど家康好きだよ
大坂が大発展したのも江戸時代だし
0294人間七七四年2019/01/31(木) 14:55:21.17ID:ekELMVVh
徳富蘇峰が悪い
0295人間七七四年2019/01/31(木) 23:12:38.44ID:ky7NBt7C
とはいえまぁ、太閤下水みたいに江戸時代より前に存在を遡れないような下水道でも太閤なんて名前使ってるわけで
ことに地元史観というのは問題のあるものだなーと、観光資源である場合もあるから無理クリにでも話作るし

最近だと滋賀が石田三成を義の将だなんだと押し出してて、これまた軋轢生みそうだ
0296人間七七四年2019/02/01(金) 00:41:47.33ID:ZnwbbEet
仙台とか熊本とかどこにでもある話やでね
0297人間七七四年2019/02/01(金) 03:15:48.13ID:ix4xeeDF
名古屋にゃ太閤とおりなんて名前をつけた大通りもあるが、特にそれほど秀吉がそこでなんかしたわけでもないんだよな
0298人間七七四年2019/02/01(金) 11:31:06.23ID:ZETvEe50
>>295
そりゃあさあ、三成の旧領は徳川譜代の井伊家の所領に成り、佐和山は廃城って運命でも
それなりに地元では人気有ったんだし。
大阪の陣で豊臣家が滅亡って結末だと、幼主を守る為の挙兵って言い分に一定の支持者が
産まれるのは仕方ない。
0299人間七七四年2019/02/01(金) 11:47:38.38ID:F/p5ScKu
秀吉が備中に呼び寄せたせいで草履取りから引き上げてくれた主君が死んだというのに、
主君が死ぬと、たったの1年で、主君の妻と孫娘を串刺しにして殺し、
妹を筆頭家老と一緒に攻め滅ぼし、父母や義父殺しに関与しながら、その長女の淀を犯して側室にし、三女を政略の道具に使い
自分を織田家へ仕官する口利きをしてくれた生駒吉乃の息子さんを改易にして流罪にし、
聚楽第行幸で公認されていた武家関白制の関白左大臣内覧ご一家を女子供も皆殺しにしたのが豊臣って事実をバカな愚民には理解できないからね
出世したってだけで評価されてしまう。外征に2度も失敗して朝鮮人ごときを征服できない。

人妻寝取りが大好きで人のものを奪うことが趣味の秀吉は不義不忠不貞不徳のいくつもそろった日本人の恥だ。
0300人間七七四年2019/02/01(金) 11:51:43.25ID:R3Ek22Za
物欲はないが権力欲は異常にある
三成は面白い人間だよな
0301人間七七四年2019/02/01(金) 11:59:08.42ID:G8q3H2T9
生涯官僚で良かったんだよ
嫌われ者の癖に変に野心を持ってしまった事が火に油を注ぐ羽目になった
0302人間七七四年2019/02/01(金) 12:05:52.72ID:F/p5ScKu
石田三成ねぇ

秀吉の遺言で「どんな事でも、家康殿と利家殿の御意見を聞き、その御意見次第できめるように」と言われていたのに、遺言に逆らい、
利家が死んだあと内大臣家康の意見を聞かずに行動し、上杉と一緒の反乱をおこしたクズだな。

上杉には隣国の堀や最上が警鐘を鳴らしたため、内大臣は弁明を求めていた。
居直った上杉と、権力ほしさに反乱をおこした御仁の共作が関ヶ原の戦い。

帝が下賜をおこなって出陣した最高位の内大臣率いる軍には豊臣家も物資援助をおこなっていたが、
三成らは豊臣にすら公認してもらえなかった。

毛利や三成は賊徒にすぎないね
0303人間七七四年2019/02/02(土) 02:34:48.21ID:IlnFQLSU
>>300
何か面白いよね、別に譜代家臣って訳でも無いんだから秀頼を見捨てる選択肢は
有ったはずなんだよな。
佐和山19万石を守るのが目的なら、上手く家康に媚びれば良いだけだったんだよね。
0304人間七七四年2019/02/02(土) 03:13:40.75ID:RTPhjp/N
金より権力が欲しかったんだろ。
家康は豊臣直臣を使わなくても、自分の家臣だけで政権を回せるんだから、
家康政権になれば豊臣の官僚が干されるのは見えてた。
0305人間七七四年2019/02/02(土) 04:36:08.05ID:MKqpWoxb
別に秀頼のために挙兵したわけでもないしな三成
むしろ秀頼のため思うなら挙兵しないで家康立てていくのがベストな選択だし、秀吉もそれ望んでた

ほんと世間に流布してる説とは真逆で
家康が豊臣家にかなり忠を尽くしてて、三成はそれの邪魔してる状態やね

だから世間の流布説の義の将扱いがおかしいから軋轢生むと危惧してる訳
0306人間七七四年2019/02/02(土) 15:35:05.17ID:sVFuBWJk
義将を名乗りたいなら、
@帝に大臣に任命してもらう
A秀吉の遺言で、政治は徳川前田ではなく、石田にまかせるのでその御意見次第できめるように」と書いてもらう
B出陣にあたっては帝に下賜をしてもらって応援され、豊臣家からの物資援助をしてもらう
C豊臣への忠義をうたうなら豊臣家に公認してもらう

最低でもこれらは必要だわな。三成のどこに義があるのか歴史の謎だわ。

主君が死ぬと1年で主君の家族を殺して主家を簒奪し、関白の地位と聚楽第行幸で主家簒奪を正当化しながら
その聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧豊臣長者を一家皆殺しにした秀吉秀頼親子に正義があると主張するのと同じくらい歴史の謎
0307人間七七四年2019/02/02(土) 15:39:31.90ID:x68FbYdE
金だろうが領地だろうがそんなものは権力者の地位にいればいくらでも手に入るからな
三成ら奉行の権力の源泉は後の側用人と同じで君主の側近くで仕えている事だから
秀吉存命時の佐和山19万石には色々な余禄があるけど
秀吉没後(特に失脚した後)の佐和山19万石は額面どおりの19万石に過ぎず価値が全然違ってくるし
あのままだと加増もなく僻地へ転封もありうる
佐和山19万石を三成にとって価値のあるものに戻すには
秀頼との間に存在する邪魔者を排除しないといけないわけだ
0308人間七七四年2019/02/02(土) 19:09:42.43ID:IlnFQLSU
>>305
丁度、同じ奉行の浅野長政が家康に媚びて世渡りしたから、三成が徳川に寝返った場合の
未来も予想は可能では有りますね。
浅野は、徳川領に隣接してた甲斐から紀伊に転封、其の後加増転封の建前で安芸備後に
移された。

三成も、南近江の所領が安堵された訳が無く、九州か山陰、或いは奥州辺りに飛ばされる
でしょうね。
その上で、当然大阪攻めの時は出陣を求められるって事だね。
まあ、やっぱ三成の性格では主君を攻めるのが嫌だったんでは?
0309人間七七四年2019/02/02(土) 19:21:23.52ID:lDVbUB8Z
むしろ三成が挙兵しなきゃ大坂の陣も起きてないけどね
三成が徳川の天下を作ったようなもんだし
0310人間七七四年2019/02/02(土) 19:42:34.08ID:MKqpWoxb
>>308
なんかとんでもない勘違いしてるな君
大坂の陣と関ケ原にはなんの関係もないぞ
大坂の陣が起きた理由は秀頼が大無礼働いたからなわけで、並の城主程度の能力さえあったならなら大坂の陣なんて起きすらせず、つつがなく豊臣家は続いたぞ

とりあえずちゃんと一回大坂の陣あたりの勉強しなおした方がええで、あまりにも古くて信ぴょう性のない説で語る前に
0311人間七七四年2019/02/02(土) 23:15:02.96ID:sVFuBWJk
大阪の陣は呪殺テロリストの豊臣秀頼が五山認定の呪術テロをおこして、浪人をあつめて日本政府に謀反をおこした戦いだね
右大臣征夷大将軍に征伐されるのも当然だった。

関ヶ原の戦いは帝が下賜をして送り出した内大臣率いる官軍に、帝の公認も豊臣の公認もない人間が反乱をおこした戦い。
官軍には豊臣も物資援助をおこなっていた。まぁ、内大臣に討伐されるのも当然だろう。
三成が大義を主張したいなら、帝の公認か豊臣の公認を最低でも得る必要があった。
0312人間七七四年2019/02/02(土) 23:18:24.14ID:sVFuBWJk
そもそも、主家を簒奪し織田家を乗っ取って成立した大義なき存在が豊臣で、
関白と聚楽第行幸で主家簒奪を正当化しながら、
その聚楽第行幸で公認されていた武家関白制の関白左大臣内覧豊臣長者一家を虐殺した秀吉秀頼親子に大義はないと思うよ。
0313人間七七四年2019/02/03(日) 10:15:22.42ID:S3e+ozf0
>>311
方広寺の鐘銘、呪詛ならなんでそのままにしておくんだとか言う人いるけど
あれ、問題とされているのは、あくまで諱を用いた事、しかもそれを二つに分けたという
非礼が問題だから。五山からの回答でも問題としているのはその点で、
実際呪詛、調伏について触れている物は一つも無いからね

関ヶ原の話に戻るけど、西軍の連中はどこか気が抜けていると言うか、何というか
三成以上に義将とか持ち上げられている大谷吉継すらこの有様だし
0314人間七七四年2019/02/03(日) 10:15:53.47ID:S3e+ozf0
島津義弘宛大谷吉継書状

態令啓達候、昨晩者被召寄、種々御懇之儀共誠此中候、散窮屈忝奉存候、以外大御酒を被下、于今ふせり在之事候、

今朝者早々預御使者、過分至極に存候、自是も早速可申上處、沈醉故御報迄に罷成恐入候、先爲御禮企一札候、

尚追々可得御意候、恐惶謹言

  七月廿九日                白頭(黒印)

             大刑少   
  羽兵入樣         白頭
     人々御中
0315人間七七四年2019/02/03(日) 10:22:27.58ID:S3e+ozf0
七月二十九日と言えば伏見攻めが大詰めの頃だろうに
深酒して、返事も出来ず御礼の使者送るのが将として精々どうなんだろうか
ついでに言っておけば死病に冒されているとは思えないな
0316人間七七四年2019/02/03(日) 10:56:38.06ID:Gd1ymwtL
使者を送ったのは島津側でしょ
単に書状の如く飲み過ぎたことへの労りか何かの返答を島津が催促して使者を送ったのかは分からんけど
0317人間七七四年2019/02/03(日) 12:04:29.44ID:2TXtfP+d
なんか大谷吉継って有名な将の割りには何をやったのかとかが虚構にまみれてて実像がよくわからない人物ですよね
0318人間七七四年2019/02/03(日) 12:08:08.58ID:McRwVQiJ
もし小早川秀秋が裏切らなかったらどうなってた?
0319人間七七四年2019/02/03(日) 13:01:35.78ID:TQDZy5RF
あの人最初から東軍側なのでは
0320人間七七四年2019/02/03(日) 13:12:34.59ID:gvWxwx8J
だって三成側に立って伏見城攻めてるんだよ。あの勢いで西軍のままだったら歴史は変わってただろう
0321人間七七四年2019/02/03(日) 13:49:37.06ID:yBKy/Xz6
ではどうやって秀秋を西軍に引きずり込むのかな
まず三成には秀吉が死んだ後に殉死して貰おうかな
0322人間七七四年2019/02/03(日) 14:13:14.49ID:R1SKCuzG
石田がなぜ挙兵したかという点については確たる証拠はないと思うが。
石田自身に権力欲もあっただろうが、
一般的には家康の専横を阻止する為に挙兵した
と言われてるでしょ。
客観的に見れば豊臣政権内の政争で劣勢側が
挙兵したが敗北したと。
0323人間七七四年2019/02/03(日) 14:20:13.03ID:yBKy/Xz6
秀秋も武断派も三成嫌ってるんだから死んでもらった方がいいだろ
隠居させても挙兵する権力の亡者だぞ
0324人間七七四年2019/02/03(日) 14:23:17.36ID:g+wOerp3
義演とかの僧侶や公家連中は西軍のこと秀頼衆と書いているし、山科も家康と秀頼の対面を和睦と書いているから
世間的にはやはりそう言う見方をしていたんだろうなぁ
0325人間七七四年2019/02/03(日) 14:29:40.14ID:2TXtfP+d
世間一般で言われてる説で話したいのか
学説で有力な説で話したいのか

関ヶ原研究は世間一般で言われてる説と有力な説とが乖離しまくってるから、どれに絞って話するのか決めないと平行線よ

私的には世間でよく言われてる説をもとに語るのなんて、三国時代の話するときに演義の話で語るようなものだから、やる意味ないと考えるけど
0326人間七七四年2019/02/03(日) 14:35:15.79ID:2TXtfP+d
その手の僧も公家もいた場所が京都や大坂な訳で、もろに西軍が占拠した場所の根拠地だから
果たして客観視できてるかと言うとかなり疑わしいんじゃねーかな

まさか自分たちの周りにいたのがクーデター軍だったって認識できる人中々いないだろうし
0327人間七七四年2019/02/03(日) 14:53:21.56ID:g+wOerp3
>>325
当時の都周辺の知識層の人々の認識が、その当時の世間だろうと思って、世間的って書いたんだけど、分かりにくかったかな
0328人間七七四年2019/02/03(日) 15:00:02.80ID:Dv/eCwKU
>>313
確かにさ、東洋では忌み名を使うのが無礼って慣習が有る国「中国とか」は有る。
皇帝の名前とかは使えないので、後漢時代は秀の字が使えなかった「初代が劉秀」とかは
有る。
でも、日本じゃ一族の通字とか、主君からの「一字拝領」とか有る国だしなあ。

大体さ、幕府が「家」とか「康」みたいな良く使う字を使用禁止にしたって事実無いじゃん。
清朝なんかでは、予想外の皇子が即位したんで改名「使用頻度が高い字が忌み名だと庶民が
迷惑」した話とか有るよ。

「家」も「康」も使用禁止にしてないのに、使うのが無礼ってヤクザの言い掛かり。
0329人間七七四年2019/02/03(日) 15:01:55.89ID:2TXtfP+d
>>327
もちろん平常時の認識ならそれで間違いはないんだろうけど
西軍挙兵時は一時的に西軍の根拠地となってたから、都周辺の人間と他地方の認識が非常にずれてる可能性は認識してないとダメだと思う

それこそ黒田如水なんかは広家宛に輝元がやらかしたんやろうからはよ家康に謝罪しないとやべぇって書状だしてたりするし
0330人間七七四年2019/02/03(日) 15:10:02.46ID:2TXtfP+d
>>328
日本でも勝手に他人の諱を使うことは無礼っていう慣習は存在してるよ
ましてや書いた僧本人が家康の名前を本人はお祝いのつもりで書いたって認めてるわけで、確実に家康の名前を意識して鐘銘に刻んでる

あと大坂の陣の発端に関しては鐘の銘が問題じゃなく、その件について話詰めてる最中に取次の片桐を連絡なしに追放したのが出兵理由
まぁその前から浪人集めたり鐘銘を含めた方広寺開眼供養でのもろもろの不審な行動も相まってるから
決して鐘銘だけが問題だったわけじゃない
0331人間七七四年2019/02/03(日) 15:11:29.05ID:TBYJE8Pf
>>328
諱を使うのが無礼だったのは日本も同じだよ
なんで中国だけだと思ったの
0332人間七七四年2019/02/03(日) 15:24:39.72ID:eK5BF2aE
大阪城や豊臣家は、経済規模を愛知県に抜かれた大阪にとって観光産業の客寄せパンダなんだよ。
だから豊臣は正義、石田は義将、家康は逆賊なんてトンチンカンなことを言っている。

事実だけを並べれば、豊臣は忘恩の家で主家簒奪で成立し、関白と聚楽第行幸で簒奪を正当化して惣無事で諸大名を帝に臣従させながら、
帝が聚楽第行幸で公認していた関白左大臣内覧豊臣長者の一家を虐殺した大義のない存在だ。秀吉秀頼に大義はない。

三成は帝の公認を得ておらず、豊臣の公認すらなく、関白殺しの前太政大臣が政治をゆだねるといっていのに、
帝が下賜ををおこない出陣した最高位の内大臣に謀反をおこした逆賊なわけで、義将どころの話じゃない
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