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武田勝頼 パート13

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0001人間七七四年2018/12/22(土) 15:23:06.42ID:bgvHBf8g
http://itest.5ch.net/matsuri/test/read.cgi/sengoku/1544005614

前スレ 武田勝頼 パート12

規則
「ねえ」の相手をしない。
「ねえ」は無視しよう。
「ねえ」に返信しないこと。
0201人間七七四年2018/12/25(火) 18:16:06.71ID:yzG4PxcD
謀略のタネって具体的に何を指してるの
0202人間七七四年2018/12/25(火) 18:19:24.45ID:UOyT0Iv3
>>200
長篠はそもそも無策の突撃だし
勝頼の脳筋は信玄の頃の書状からも言われてることだぞ
0203人間七七四年2018/12/25(火) 18:20:51.81ID:yzG4PxcD
信玄の真骨頂は調略なんだよなあ
0204人間七七四年2018/12/25(火) 18:56:37.90ID:fg/zFCtS
>>201
信玄に使い捨てにされた人達とそれによって失われた武田家の信用
どちらも有限のものだと思うよ
0205人間七七四年2018/12/25(火) 19:06:53.80ID:z7iJLerK
中継ぎ陣を酷使して一年だけ優勝争いする弱小野球チームみたいな使い方だな信玄
もちろん翌年中継ぎ陣は崩壊してその傷は数年痛みを与える
0206人間七七四年2018/12/25(火) 19:14:07.22ID:UOyT0Iv3
長篠で脳筋発揮して無策の突撃で重臣多く死なせたのも
信玄期で北条と再同盟したのを破綻させたのも勝頼なんだけどな
0207人間七七四年2018/12/25(火) 19:25:48.88ID:L/hiw1w7
>>205
甲信は貧乏なんだからそれ褒め言葉になるぞ
0208人間七七四年2018/12/25(火) 19:36:04.55ID:jef1icC6
>>200
まぁ築山事件や水野の粛清も勝頼の調略が原因だったなんてハナシも時々見かけるし
それなりに仕掛けてはいたんじゃないかね
信玄が武田の信用をゼロにまで使い潰したから成果が出なくて記録に残ってないだけでさ
0209人間七七四年2018/12/25(火) 19:43:13.12ID:Bm18WCYz
大賀とかもか?
0210人間七七四年2018/12/25(火) 20:18:18.61ID:exlbcrwt
>>204
震源の調略によって信用が失われたなんて誰も指摘なんかしてないな
0211人間七七四年2018/12/25(火) 20:28:10.46ID:fg/zFCtS
>>210
あ、そうですか
0212人間七七四年2018/12/25(火) 20:37:45.02ID:z7iJLerK
>>210
誰も地震の話なんてしてないぞ
0213人間七七四年2018/12/25(火) 20:37:56.13ID:UOyT0Iv3
信長や謙信みたいに商業港などで経済力があるならともかく
武田みたいな山奥の田舎大名が卑怯な手であそこまで広げられたのは
まあ誉めるべきところだな
勝頼じゃああそこまでは無理だろう
0214人間七七四年2018/12/25(火) 21:00:11.18ID:9mKodzbx
>>206
長篠に関しては織田が上手くやったと思う
信玄が指揮官だったとして織田の戦術を看破できたかと言うと無理だったんじゃ無いかと思うし
あそこで引いてもジリ貧だろう
御館の乱はまあ勝頼が悪いんだが北条に不信を抱かざるを得ない状況だったのは同情できる

その後の織田と和睦もできない内の上野侵攻と金がない状態からの新府城建設は頑張っても擁護でき無い
0215人間七七四年2018/12/25(火) 21:11:50.79ID:UOyT0Iv3
>>214
信玄は朝倉の再出陣を何回も要請してたように
信長は強大で武田単独じゃ勝てないのを理解してたと思うよ
ジリ貧と言う前に織田どころか徳川も連合してるのに
武田単独で戦ってはいけないのに戦ってしまったのも擁護不可能だと思う
0216人間七七四年2018/12/25(火) 21:24:24.49ID:t9EQ4o3o
>>208
勝頼側から遠江、三河、尾張、美濃への調略は当然行われてただろうし、実際に内応した奴もいた
(遠山氏の飯羽間の分家とか、家康家臣の大賀弥四郎とか。どっちも冤罪かも知れんが)。

ただ水野信元の粛清は、尾張と三河の中間でそこそこの勢力を持っていて、織田・徳川両方にとって
目障りだから、勝頼への内通を口実にされた感じがするな。刈谷から岩村への兵糧の密売疑惑なんて、
矢作川沿いを谷や山を抜けて行くことになるから、不自然過ぎる。
0217人間七七四年2018/12/25(火) 21:34:16.21ID:fg/zFCtS
よく理解してたんなら戦争しなけりゃいいのにね
0218人間七七四年2018/12/25(火) 21:41:06.51ID:9mKodzbx
>>215
単独で戦ったのは単純に信玄存命時と違って組める相手がいなかったというのがあると思う
じゃあ戦うなよって思うけど織田に降る選択肢は家臣が納得しないだろうし、ジリ貧覚悟で待ちを選べるほど家臣を統制出来てもいない
待てばどうにかなる展望でもあれば別だけどね
0219人間七七四年2018/12/25(火) 21:56:01.97ID:UOyT0Iv3
>>218
長篠の勝頼の書状だと信長と家康が来ているのも分かった上で首を取ってくれると甘く見てたし
しかもわざわざ設楽原まで進軍して陣城に突撃するという脳筋っぷりだから
組める相手がいなかったから仕方なく戦うという風ではないぞ?
0220人間七七四年2018/12/25(火) 21:58:21.36ID:Bm18WCYz
書状は大抵威勢のいいこと書くから
0221人間七七四年2018/12/25(火) 22:14:26.21ID:CB6ko0yn
織田徳川は手立てを失って引きこもってるからこちらから攻めると書いてる書状は威勢がいいとは言わない
ただの甘い状況判断しか見えません
0222人間七七四年2018/12/25(火) 22:14:35.69ID:UOyT0Iv3
威勢がいいと言うより書状通り勝頼から織田徳川の陣に突撃かましてるんで
書状そのままの無警戒な突撃という…
0223人間七七四年2018/12/25(火) 23:24:27.53ID:9mKodzbx
>>218
この時代は無茶でも虚勢を張るのが普通なので問題ない

そろそろ擁護がキツくなってきた
と言うかここまで擁護しても大名として平均以下なんだよなぁ
0224人間七七四年2018/12/25(火) 23:27:38.60ID:lwQ7QSQl
諏訪勝頼なだけに武田勝頼としての面目にこだわってた感はあるよな
甲州征伐でも普通に考えれば籠城しても100%死ぬ岩殿城より妹婿の上杉頼って逃げるのが正解だろうけど
それを選ばずに甲斐領内で死んでしまった
0225人間七七四年2018/12/26(水) 00:25:20.61ID:OvtfV2gx
元就や氏康は後継当主が凡人でも周りがサポート、アシストするシステム構築に勤しんだけど
信玄、謙信は一切しなかったな。 その差はある。
景勝は天才すぎた(ある意味、謙信より凄いかも)のでそれと平均以下の勝頼君を比較したら可哀想。
0226人間七七四年2018/12/26(水) 00:39:24.58ID:OvtfV2gx
>>184
本願寺は中部日本〜西日本を中心に布教しており
実は甲斐より東にはぼ布教してない。
だから甲斐国内で一向一揆は全く起こらなかったと言える。
また信濃北部は善光寺、諏訪大社があり一向宗が入り込む余地は無かった。
http://www.hongwanji.or.jp/project/zenkoku.html
0227人間七七四年2018/12/26(水) 00:41:36.61ID:Ep9Q7G5y
朝敵にされて重臣小山田ですら土壇場で返り忠する状態なのに、景勝が助けてくれるわけもないと思うけど
勝頼と信勝の身柄交渉材料に織田との和睦図る状況だって十分あるし
0228人間七七四年2018/12/26(水) 00:49:50.77ID:OvtfV2gx
ちなみに簡単な本願寺の歴史

1262年 開祖親鸞上人が入滅する
1321年 本願寺と名乗り始める
1415年 第八世蓮如が京都から加賀国へ逃亡し教団の飛躍的拡大をして大教団となる。
     布教地域が北陸、畿内、中部へと広がっていく。
1603年 本願寺は分裂する 
0229人間七七四年2018/12/26(水) 00:56:28.36ID:yN9NoRI9
>>200
信玄の時は大抵相手が自国より弱い相手だったからなー
生き残ることが大事な連中は武田に味方するわな
0230人間七七四年2018/12/26(水) 00:56:43.01ID:OvtfV2gx
大雑把に言えば

臨済宗は朝廷・公家・武家の上流階級の宗教であり
日蓮宗や浄土宗(一向宗も含む)は百姓・町人の下流階級の宗教と言える。
戦乱で民衆が救いを求めるさなか、浄土宗は加賀から越前そして鯖街道を通じて
南下して布教した。千曲川から昇っていくルートは入口に善光寺など土着の宗教があるので
全くと言っていいほど拡がらなかった。
0231人間七七四年2018/12/26(水) 05:18:51.84ID:xA84APHR
>>216
水野一族の領地は、当時者の主張だと20万石も有ったらしいしね。
しかも、織田と徳川の両属みたいな微妙な立場なんだよな。

織田傘下に、水野と徳川って従属大名が有ったって解釈が近いのかも。
まあ、目障りでは有るよなあ。
佐久間一族みたいに完全に家臣化されてる訳でも無いし。
0232人間七七四年2018/12/26(水) 07:19:46.69ID:SKr9ptHX
>>218
勝頼からは戦いを仕掛けずに、徳川の反撃を撃退するに留めて数年過ごしたら、その間に信長が
本願寺問題で毛利と、加賀・能登問題で上杉と衝突するかな?それとも武田主力軍が無傷なら、
信長は多少譲歩しても毛利や上杉との対立は避けるかな?
0233人間七七四年2018/12/26(水) 07:49:21.55ID:Etbm5OfP
ちなみに、もし信玄があのとき織田との同盟を一方的に破棄して、西上なんかしなかったら織田との関係は
まだまだ良好だったのかな
何もせずに信玄が亡くなった場合は武田はどうなってたんだろうか
0234人間七七四年2018/12/26(水) 08:34:30.84ID:/Hh/3aKK
信玄から一方的に破棄したというより縁組みの輿入れが履行されていなかったり国境いの遠山氏の扱い、徳川と武田の仲裁のまずさ、将軍、本願寺との関係など火種は多々燻っていたからね

信玄が信長に従属するなら丸く収まるけど100%なさそう
0235人間七七四年2018/12/26(水) 08:38:26.12ID:OvtfV2gx
水野家って知多半島から出てきた勢力で依然そこらへんを抑えてたから
津島を始めとする商港を抑える信長としては最初から常に目障りだったんだろうと思うよ。
水野家が無かったら知多湾から三河湾にかけての儲けも織田家が独り占めできるし。
0236人間七七四年2018/12/26(水) 08:52:07.35ID:OvtfV2gx
当初、西三河を東の防波堤にし松平元康を手懐けるために水野家の協力は必要不可欠で絶対だったが
段々と徳川家の家臣化が進んできて既に水野家が無くとも徳川との関係は揺るがない事が確定した事で
水野には存在価値が無くなったからこの世から消えてもらうという事だったんだろうね。
もちろん水野は武田家などとは組んでない。言いがかりにしてもヒドスギル。
0237人間七七四年2018/12/26(水) 09:13:10.15ID:lp2I+/xx
>>227
それならそれでいいじゃん
景勝が信長に騙されて勝頼の首差し出した挙句滅亡させられるだけの話
欧州藤原氏みたいになるだけ
0238人間七七四年2018/12/26(水) 09:14:32.00ID:lp2I+/xx
武田としてはもう領土拡張が美濃か遠江方面のみに限定されてたから
少なくとも織田が徳川見捨てない限り衝突は不可避
0239人間七七四年2018/12/26(水) 09:19:10.94ID:OvtfV2gx
完全に家臣化されてる佐久間一族も本願寺を降伏させたら追放したよね。
もう本願寺は石山から去ったので佐久間一族の存在価値は無いということで。
武田勝頼が信長に降伏したら助かったとか言ってる奴は知障なのではなかろうか。
0240人間七七四年2018/12/26(水) 09:47:20.51ID:lp2I+/xx
勝頼が上杉に逃げ込んでたら村上義清の息子とどんな会話したんだろ
まぁ村上戦の頃は勝頼関係ないけど
0241人間七七四年2018/12/26(水) 09:48:47.61ID:OvtfV2gx
>>240
勇者ロトの子孫と竜王の息子みたいなたわいない会話じゃね?
0242人間七七四年2018/12/26(水) 09:52:19.72ID:lp2I+/xx
勝頼は一度上杉に逃げ込んで武田勝頼の呪縛から解き放たれた方が良かったな
部下も最後まで信用できる武将だけが付いてきてるし裏切られる心配がない
本能寺が起きれば海津城くらい奪回できるだろ
0243人間七七四年2018/12/26(水) 10:13:28.58ID:OvtfV2gx
信玄さんは村上を攻める前に高梨さんとハナシつけとけば済む話だったし
駿河攻めも事前に氏政と話をつけとくべきだ。
なんで最低限の根回しすら横着しちゃうんだろ。
ダメでしょ。
0244人間七七四年2018/12/26(水) 10:19:10.54ID:lp2I+/xx
北条には色々説明したけど氏真の嫁が氏康の娘だし
そもそも同盟破ったの武田だしここで折れたら面目丸つぶれだから
0245人間七七四年2018/12/26(水) 10:21:12.03ID:OvtfV2gx
>>244
ちゃんと事前に説明した?
息子一派を粛清する前に
0246人間七七四年2018/12/26(水) 10:44:51.09ID:Ep9Q7G5y
>>237
良い訳ないじゃん
武田としちゃ信用置けない上杉の下に逃げるなんて選択肢はないよ
0247人間七七四年2018/12/26(水) 11:06:24.95ID:OvtfV2gx
長尾景虎さんの関東攻めだって信玄がイケてる人だったら
最初から景虎さんと話をつけといて伊豆、相模、西武蔵を貰う算段は
できてたはず。
まあ景虎さんはキチガイだからそんなハナシを持っていっても無視される可能性が高いが。
0248人間七七四年2018/12/26(水) 11:09:10.40ID:dzt6LDEY
>>238
1571年末に甲相同盟を結び直してるから、他に攻めるところがないというより
遠江方面を攻めると決めていたと思われる

まあ氏康の死と甲相同盟のタイミングは武田にとっては結果的に見事な毒まんじゅうに
なったと思う。もっと早ければ西上作戦も余裕が持てただろうし、遅ければそもそも
西上作戦が行われなかった可能性が高い
0249人間七七四年2018/12/26(水) 11:17:10.59ID:ctROW/ai
いやいやはたから見たら北条と再同盟後の武田は上杉に専念すると思われてたはず
少なくとも信長はそう見てた
0250人間七七四年2018/12/26(水) 11:24:10.92ID:dzt6LDEY
織田や徳川から見たら確かにそうかもしれないけど、信玄自身は
遠江を攻めると決めていた(上杉とやりあう気はない)という話
0251人間七七四年2018/12/26(水) 11:42:33.36ID:6NSNH29s
氏康死んだタイミングで武田が関東に攻め込んだとして
上杉はどうするんだろうな
今更援軍送るとも思えないし
北条武田で疲弊したところで漁夫の利狙いだろう
0252人間七七四年2018/12/26(水) 11:43:33.29ID:yN9NoRI9
>>216
>矢作川沿いを谷や山を抜けて行くことになるから、不自然過ぎる。
矢作川沿いは三河沿岸から伊那恵那への主要な流通ルートの一つ。

>>231
似たような立場と勢力の佐治は一門化してるから、
いつまでも半独立気分でいたのがまずかったのでは。
0253人間七七四年2018/12/26(水) 12:06:12.79ID:oh9ky6dz
>>251
謙信は自分の行動をサイコロを振るかアンカで決めてんじゃないかとさえ思えるから、その時のキマリ具合で何をしでかすかわからない
0254人間七七四年2018/12/26(水) 12:14:46.36ID:eyTB9dVV
勝頼はどうやったら少しはマシになってたんだろうか?
仮に勝頼が謙虚で温厚篤実な人物なら、老臣や穴山らも頑張って武田は一枚岩でまとまれただろうか?
0255人間七七四年2018/12/26(水) 12:15:31.50ID:8WHt4+O6
TRPGかよ

義信を説得して駿河攻めをしろ!
目標値:90
使用技能:甲信のみで謙信に対抗することの脅威を説く+20
説得 1D100:19+20 失敗!
0256人間七七四年2018/12/26(水) 12:18:33.12ID:kCj0g9v/
>>247
1561年時点で三国同盟破棄して甲越同盟結び
北信返還と信盛を人質に送りつけて
駿河伊豆遠江辺りが限度でしょ
相模は許されないと思う
>>254
人質は勝頼でもいいな
経済を謙信の下で学ばせるために
信玄死後に当主として戻って来れるかは不明だが
義信を人質にしても向こうで村上とかと結託して
癌化するだろうからさっさと処分だな
0257人間七七四年2018/12/26(水) 13:01:02.48ID:oh9ky6dz
>>254
織田と事を構えず勝頼の成長までの時間を稼ぐ
ぐらいかなぁ。史実のままだとどこかで長篠か、あるいは決戦的なことは何もしないまま織田の質量に押し潰されるかになる
0258人間七七四年2018/12/26(水) 13:01:52.25ID:etKC+AYA
>>254
大局的な視野を持ち、経済、政治に深い視野をもって上杉との関係改善を行い日本海経由で毛利と結んで本願寺の延命を計り
中国を経由して四国の三好と長曽我部の仲を取り持ち同時に上杉の目を加賀に向けさせることで北条に余力を作って
武田、本願寺、上杉、北条、毛利、三好、長曽我部の一大織田包囲網を形成できる超時空大帝KATSUYORIなら織田に勝てたかも知れない
0259人間七七四年2018/12/26(水) 13:07:39.52ID:6NSNH29s
包囲網って言っても結局それぞれに独立領主で思惑もあるから一枚岩じゃない
だから二回とも失敗したわけで
0260人間七七四年2018/12/26(水) 13:07:53.96ID:qUDwsmrS
上杉と同盟したところで全く軍事同盟としてはあてにならん
激怒した北条と今川連合に甲府蹂躙されるだろう
0261人間七七四年2018/12/26(水) 13:09:11.75ID:6NSNH29s
氏真が愚劣なくせに妙に意地っ張りだったのが痛かったな
0262人間七七四年2018/12/26(水) 13:11:09.28ID:kCj0g9v/
>>257
勝頼の成長と言っても信長、家康は10代で家督継いでるし
信玄も20歳くらいでしょ
勝頼なんて27歳で成長云々はもう厳しいだろう
やっぱ略奪しかない山を離れて
上杉の人質になって経済を学ばないと
0263人間七七四年2018/12/26(水) 13:16:24.38ID:oh9ky6dz
>>262
人間死ぬまで成長だよ
0264人間七七四年2018/12/26(水) 13:25:40.10ID:kCj0g9v/
>>260
>>1561年なら謙信に小田原城攻められてるし北条は動けない
今川は義元死んで三州錯乱に陥ってるから武田が攻めれば
離反したい者が続くよ

>>263
史実の勝頼見る限り、まるで成長していない
0265人間七七四年2018/12/26(水) 13:53:20.37ID:eyTB9dVV
やはり勝頼が生き延びるには、武田攻めより以前に本能寺の変が起きるか、信長が急病で死去する位しか手はないか?
0266人間七七四年2018/12/26(水) 14:14:59.11ID:6NSNH29s
何度も言ってるが上杉領に逃げ込めばワンチャンある
本能寺的なやつが起きて信忠が死ななかったとしても
松姫が信忠に会いに行く流れは甲州征伐後に起きてるだろうから
松姫の活躍次第で高遠城くらい貰えるかもしれん
0267人間七七四年2018/12/26(水) 16:55:49.10ID:Ocqwju73
>>252
すまん、>>216を書いたニュアンスとしては「運べない」でなく、「密売にしては遠すぎ」という感じ。
水野信元の知らんうちに、領内の商人が矢作川沿いや中馬街道を経由して恵那郡の武田占領地に
兵糧を売ろうとして徳川・織田方に見つかり、粛清の口実に使われた可能性もある。
0268人間七七四年2018/12/26(水) 17:07:16.55ID:RBKR5kzy
延命して信忠と松姫との間に生まれた子供を養子としてもらって武田家当主にする
これで安泰、史実通り本能寺で信長とダブルキルが決まったら知らんよ
0269人間七七四年2018/12/26(水) 17:07:23.02ID:etKC+AYA
木曾義昌に敗北して新府城に戻ったのが2/28
織田による高遠城落城が3/2で、勝頼の新府城放棄が3/3
この時点で諏方を通るルートは織田に塞がれて使えない
史実で向かったのが甲斐を突っ切りって岩殿城に向かうルート(裏切られて終了)
上杉に向かうなら佐久を通って上田経由で千曲川沿いを下って向かうか、
真田の進言に沿って岩櫃城に行き、そこから沼田城を経由して三国峠を越えるルート
後者は季節的に難しいので前者がいいけど、読まれていた場合松本経由で先回りされる恐れもある

ただたどり着けても甲州征伐からそのまま越後征伐に進展する事で本能寺が起きず、上杉とセットで滅亡するだけな気がする
0270人間七七四年2018/12/26(水) 17:34:23.13ID:AqY3OP2G
ただたどり着けても甲州征伐からそのまま越後征伐に進展する事で本能寺が起きず、上杉とセットで滅亡するだけな気がする

甲斐の仕置きも信濃の豪族の安堵も上野の仕置きもやらずに北上?
アふぉですか?
0271人間七七四年2018/12/26(水) 17:39:40.04ID:q3jRrugQ
今川氏真・織田信雄・小田氏治なんかは生き残って天寿をまっとうしたけど
仮に家臣が次々と離反して追い詰められた勝頼が白旗を揚げて降参したとしても
信長は許さなかっただろうか。
0272人間七七四年2018/12/26(水) 17:40:42.41ID:kCj0g9v/
>>269
佐久に向かうルートって千曲川源流の川上村を通るの?

川上村
標高が高いために極めて寒冷で、ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候に属する。
冬季から春季にかけてしばしば氷点下15度を下回る。
夏季も冷涼であり、8月の日平均気温は19.5℃と、札幌市の20.5℃よりも低い


ここも季節的にヤバい
0273人間七七四年2018/12/26(水) 18:06:07.28ID:oDLU39ND
>>272
現在の国道13号と国道140号を経由して上野に逃げるのは、無理かな?
0274人間七七四年2018/12/26(水) 18:09:13.66ID:Ocqwju73
>>270
かつて川中島で戦った両雄の後継者が、春日山城で揃って討ち死にした方が、
史劇としては華々しい。少なくとも、田野なんて山奥で死ぬよりは。

あと織田軍は信忠と信長の二段構えだし、戦闘指揮官も吏僚も人材豊富だから
甲信と西上野の占領統治をやりながら、北陸と二方面から越後を圧迫できる。
兵糧の問題があるから本格侵攻は後回しかも知れんが。
0275人間七七四年2018/12/26(水) 18:26:24.72ID:oh9ky6dz
>>271
さすがにそれでは手遅れかと
信長にしてみれば武田の頭領の首を京で晒すという政治効果は大きいし
0276人間七七四年2018/12/26(水) 18:51:25.07ID:q3jRrugQ
>>275
やっぱり勝頼の最期は「死」しかないようだな
0277人間七七四年2018/12/26(水) 19:01:23.67ID:iEZgxO2+
>>276
もしくは信長の急死、本能寺の変が起きるのを待つしか。
0278人間七七四年2018/12/26(水) 19:02:29.01ID:yBEQUS03
レジェンド級を除いて、大大名か大大名だった連中の中で
運が良く実力があるのは上杉景勝
運が良く実力は疑問なのが今川氏真、織田信雄
運が悪く実力があるのは北条氏政、(多分)織田信忠
運が悪く実力も疑問なのが大友義統、武田勝頼、一応カウントするけど豊臣秀頼

念の為、伊達や島津はレジェンド枠
長曽我盛親は家督継いだ時点で大大名ではない扱い
0279人間七七四年2018/12/26(水) 19:05:38.16ID:Ep9Q7G5y
妙に景勝評価高い人いるけど
景勝ってそんな実力確認できるような事績あったっけ
0280人間七七四年2018/12/26(水) 19:08:58.14ID:qUDwsmrS
信玄の死後に親父のやり方は全部間違いだったと宣言して織田に土下座するしかないな
0281人間七七四年2018/12/26(水) 19:18:49.75ID:q3jRrugQ
>>277
勝頼と信長は同じ天正10年に死んでるんだよな。勝頼があと数ヶ月持ちこたえていたら・・・
0282人間七七四年2018/12/26(水) 19:20:35.55ID:q3jRrugQ
天正10年はあの時代としては激動の一年間だったな
0283人間七七四年2018/12/26(水) 19:25:01.26ID:qUDwsmrS
>>279
秀吉の要請を受けて北陸で柴田勝家、佐々成政と対峙
いち早く秀吉の上洛命令に応じて謙信を超える官位をゲット
越中、信濃、上野を諦める代わりに庄内切り取り次第、新発田討伐の確約を得る
惣無事令が出ているにも関わらず、佐渡出羽の切り取りを許可される

秀吉に全賭けしてそれが見事大当たりした印象やね
運も実力の内と言われればそうだが…
0284人間七七四年2018/12/26(水) 19:28:53.52ID:kCj0g9v/
>>273
妻子や親族の女子供をぞろぞろと引き連れて逃げてるんで
まあ逃げるのは無理だろう
勝頼が全員見捨てて自分一人だけ馬で逃げ出せば逃げられるが
武名が地に落ちて誰も受け入れてくれないだろう
0285人間七七四年2018/12/26(水) 19:32:47.99ID:syk9AS1b
>>281
結局評価はそこに行き着くんだよな
同じような苦境に立ってた景勝はその数か月を粘り切って生き延びた
勝頼は粘り切れなかった
信玄の負の遺産とか浅間山の噴火とか同情すべき点も多々あるが
勢力整理が進む戦国末期を生き残れる力量が無かったと評価せざるを得ない
0286人間七七四年2018/12/26(水) 19:34:33.82ID:8WHt4+O6
阿呆だが本能寺のお陰で助かった
西は柴田が魚住を落として南は入越した森が現在の妙高市を越え春日山まで数キロに迫っていたからな
ただその後は見事な立ち回りを見せた
景勝の成長か直江らインテリの力かは分からんが
関ヶ原も運良く30万石で済んだしな
0287人間七七四年2018/12/26(水) 19:35:38.42ID:8WHt4+O6
>>286
間違った魚津
0288人間七七四年2018/12/26(水) 19:35:45.90ID:syk9AS1b
>>284
出典は知らんが信勝に御旗と盾無持たせてそのルートで逃がそうとしてたんじゃ無かったっけ?
信勝にこの寒い時期にそんなルートで逃げられる訳無いでしょうと言われて諦めたみたいだけど
0289人間七七四年2018/12/26(水) 19:37:27.99ID:Ep9Q7G5y
>>283
秀吉に全賭けで大当たりってのが的を射た評価ですよね

事績を見ると御館の乱の発生理由から新発田離反、ついでに会津討伐まで全部マッチポンプしてるから
実際の実力面でいうと勝頼とそこまで差があるとも思えないんですよね
0290人間七七四年2018/12/26(水) 19:43:35.57ID:kCj0g9v/
>>288
信勝も元服してるし親族見捨てて逃げる汚名は被りたくないわな
0291人間七七四年2018/12/26(水) 19:58:47.15ID:kCj0g9v/
>>289
御館の乱の時に領土をホイホイ勝頼に割譲できたのは
経済の要所さえあれば大したダメージじゃないの分かってたからな
勝頼は北条相手にするより御館の乱時の
景勝相手にした方がマシだったろう
旨く行けば経済の要所も手に入れられるし
0292人間七七四年2018/12/26(水) 20:02:53.63ID:etKC+AYA
景勝は大当たりと言えるのは秀吉全賭けくらいかな

御館の乱は勝頼との交渉に成功したように見えて払い過ぎが内乱の原因の一角を占めてる
関ヶ原までの流れはアホとしか言いようがない
関ヶ原中に最上に攻め上がる判断は勝頼の沼田攻めレベルに酷い、それ徳川が何か困った?
減封後の家臣全連れは美談に見えて経済立て直しを子孫にぶん投げ

あと流石に大友義統と比べると勝頼の方がマシ
そもそも義統、言うほど不運でもない
0293人間七七四年2018/12/26(水) 20:03:23.57ID:fbYRBSoZ
>>279 >>289
御館の乱の勃発経緯や、本来はどちらが謙信後継だったかには謎もあるけど、
果断に先手を打って、景虎方を追い込んで潰してる。

会津征伐は、家康が天下取りのため前田含め「俺以外の五大老絶対潰すマン」
モードになって、イチャモンつけまくってたから、誰がやっても土下座か対決の二択。
0294人間七七四年2018/12/26(水) 20:07:03.40ID:OvtfV2gx
>>292
それは結果論かと。
全国のほぼ全ての大名が東軍と西軍は美濃表で最低半年は睨みあいを続け
応仁の乱secondが始まると予想してたわけだし。
1日で終わる事を予想できた大名は居なかった。
あの天才黒田官兵衛ですらそうだ。
0295人間七七四年2018/12/26(水) 20:10:19.20ID:8WHt4+O6
>>293
景勝が勝手に帰国するからだろ
前田は奉行衆の策謀だし
0296人間七七四年2018/12/26(水) 20:26:08.50ID:OvtfV2gx
そもそも美濃表での決戦は良い選択だったのだろうか?
どうしても北国街道、中山本道、伊勢街道を塞がなきゃいけない以上は兵が分散するし。
意思の疎通が万全に取れてる軍ならそれでいいんだが現実は違うわけで
もっと京や大坂に近い場所で迎え撃つ方が絶対有利だろ。
0297人間七七四年2018/12/26(水) 20:29:40.74ID:Yz2CXptT
あまり言われないが景勝はやらかしながらギリギリで生き残る点では政宗と似た者同士でより上の存在
0298人間七七四年2018/12/26(水) 20:33:20.64ID:OvtfV2gx
でも景勝と勝頼の中の人が入れ替わってたら
景勝(勝頼)は領土割譲が惜しいし賄賂も贈りたくないと言って景虎に殺されてたろう。
勝頼(景勝)は東美濃と飛騨と莫大な甲州金を信長に献上して何とか生き延びただろう。
0299人間七七四年2018/12/26(水) 20:33:47.56ID:Ep9Q7G5y
>>293
神余氏責めすぎて仲介してた上杉憲政やらその他家臣団キレさせて、その火消ししてただけってのが最新説ですけどね
んで、会津征伐もあなたの言ってるのとはてんで違って
会津で悪さして秀吉から政権運営任されてた家康に怒られただけですけどね景勝は

徹頭徹尾自分が起こした火を自分で消してるだけですよ
0300人間七七四年2018/12/26(水) 20:34:05.60ID:etKC+AYA
>>293
土下座外交の前田は無傷で残ったけどそれは別にしても中央の権力争いから身を引いて自国で力を蓄えるって判断が10年くらい発想が古い
まだ中央を取りに行った宇喜多や三成の方が理解できる

>>294
それでも最上攻めはないよ
当時の最上は全力で篭りの判断だしそもそも最低限の抑えで守りきれる相手
最上を滅ぼしても中央で徳川が勝てば終わりなのは明白なんだから選択肢は南下しかない
それすら不可能って言うならそもそも最初から勝ち目が無いんだから土下座外交しかあり得ない

ここまで言って何だけど、勝頼よりは上って意味での実力がある、なら同意する
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