1582年。秀吉に呼び出された信長信忠親子が京都で殺される

逆臣秀吉の主家簒奪。会議に幼児をひっぱりだして三法師に臣従したり
信孝が後見になると信雄に臣従したりと主家をかき回し、
主君の1周忌までに主家の人間を殺しまくる。
主君の側室と孫娘が串刺しにして殺したのは主君の死んだ10ヵ月後。息子を殺したのは1周忌。
「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいを待てや 羽柴ちくぜん」 織田信孝
臣従した信雄にも謀反をおこす

『それ羽柴秀吉は野人の子、もともと馬前の走卒に過ぎず。
 しかるに、いったん信長公の寵遇を受けて将帥にあげられ、大禄を食みだすと、
 天よりも高く、海よりも深きその大恩を忘却して、公の没後ついに君位の略奪を企つのみか、
 亡君の子の信孝公を、その生母や娘とともに虐殺し、今また信雄公に兵を向ける。』
檄文をかかげた徳川家康に秀吉が破れる。秀吉は信雄に臣従して家康の大義を引っこ抜き和議を結ぶ。

関白任命と賜姓と惣無事政策で主家簒奪を正当化。織田家同僚や諸大名を天皇に臣従させる

聚楽第行幸で諸大名を天皇に臣従させ主家簒奪を正当化。

秀吉が主家の織田家を改易にして主君信雄を流罪にする。
家康を本拠地から引き剥がして敵地に左遷。
水もなく何もない寒村の湿地帯を本拠地にしろと命令し、帝の臣下家康は関白の命令に粛々と従う。
以降家康は湿地帯を埋め立て、東京湾にそそいでいた利根川を千葉県沖まで移動するなどの大工事
無理難題でも帝の命令に従う家康をみて、秀吉は律儀者として評価する

聚楽第行幸で諸大名を天皇に臣従させ主家簒奪を正当化。関白と豊臣長者を譲る

豊臣長者の関白左大臣内覧を一家皆殺し

誓詞を乱発。秀頼を太閤と同じように思って奉公する。(秀頼を天皇の代理として思い、帝に奉公する)

秀吉死亡。征夷大将軍関白太政大臣左大臣右大臣が欠員。

内大臣が政務を行う

主君の帝の下賜を受けて出陣した内大臣の征伐軍に、蟄居中の受刑者石田が謀反

関白任命

征夷大将軍任命。幕府が開かれる

征夷大将軍任命。関白任命

関白任命

関白任命

関白任命

自称関白の豊臣が五山と林羅山公認の呪殺テロをおこない謀反をおこす

テロリスト豊臣秀頼が右大臣征夷大将軍に征伐される

関白任命

こういう流れだ