>>984
それはその通りなんだが、問題は内府違いの条々という存在
あれは要するに豊臣政権を専横している家康を政権から排除しよう!という主張を掲げた
政権運営者の奉行と大老の連名の書状なんで、少なくとも公儀性が全くないとはいいきれない
(ただし、これによって家康の公儀性が消滅した、という西軍公儀説は首を傾げるが)
で、この内容を認めるのなら家康に諸大名が従う理由が消滅してしまう
つまり、征伐軍の連中にはこの時点で家康を見捨てる選択肢もあった筈なのだ
ところが離脱者は一部にとどまり、(つまり、諸侯が徳川を見捨てる事は可能)
ほとんどが家康に協力する事になる
という事は、上杉征伐軍の大半は彼ら反家康派の言い分を認めなかった、
つまり奉行らは彼らに支持されなかったと考えていいんじゃないかと