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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part21

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0001人間七七四年2018/11/28(水) 20:19:51.02ID:xFPcOePC
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part20
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
0924人間七七四年2019/02/04(月) 05:55:58.37ID:hrJLfaCP
毛利がリスクを背負うメリットも大してないしな、
なんで自勢力の倍位の勢力相手に正面決戦せにゃならんのか
しかもこっちの士気が明らかに低下してる不利な状況で
仮にそれをやったところで西軍側(奉行衆)がそれに伴う大損害をペイ出来るだけの
報償を用意してくれるとは思えん
それならこの騒動のスキを狙って、瀬戸内周辺をなし崩しに制圧して自領にする方が
ずっと楽だし得だ(失敗したけど)
そもそも輝元は家康と短期で正面決戦なんてやらんでいいと思っていたから、
つまりそんなリスクはないと思ったから関ヶ原で西軍についたんだろうし
0925人間七七四年2019/02/04(月) 06:17:14.29ID:qSfc0Akt
>>923
それをするためには東軍の動向に対する性格な情報を持っていなければならない。そして西軍は東軍の動向を全く把握できていなかった。以上。
0926人間七七四年2019/02/04(月) 07:15:55.66ID:Ze1EmnQR
西軍だけでなく東軍家康もこんなに早く決着がつくって予想出来てたんだろうか?
黒田如水の行動は明らかに長期戦狙いだよな?
0927人間七七四年2019/02/04(月) 14:01:57.98ID:LNifRTPF
桑名にいた鍋島勝茂を急行させていれば決戦に間に合ったのに
0928人間七七四年2019/02/04(月) 14:13:05.29ID:tiUZSrNa
>>925
理由付けするならば、赤坂の東軍撃滅を優先するため大津城は包囲に留める、あたりかな。


しかしよく考えてみると、
9月15日西軍大津城攻略
9月17日秀忠隊妻籠到着
これなら大津城攻略後でも1〜2日秀忠隊より
早く関ヶ原に到着すると思う。
これなら到着後すぐ決戦ならなんとかなるかも。
0929人間七七四年2019/02/04(月) 14:14:19.01ID:DumupcPx
どんだけ遠隔地の情報が豊富な設定なんだ?
0930人間七七四年2019/02/04(月) 16:54:32.51ID:Eq95U+ZZ
>>927
家康は犬山城の内応勢を長島へ向かわせていいるから、
そうなるとそれに対する備えは必要になる
0931人間七七四年2019/02/04(月) 17:24:12.22ID:JYjGQnqT
鍋島直茂が勝茂に書状送って、もう程ほどにしろって話しが有名だけど
あれって事実なの?
0932人間七七四年2019/02/04(月) 20:18:28.30ID:Eq95U+ZZ
家譜でしか確認できない類
0933人間七七四年2019/02/04(月) 21:53:44.54ID:lIx+rjsE
>>928
いやー、ちょっと無理があるだろ
南近江が東軍方ってのは西軍からしたらかなり怖いから陥落はさせたいよ
0934人間七七四年2019/02/04(月) 21:54:54.73ID:nirwJkIW
はっきり覚えがないんだが、鍋島の家譜だかなにかに、
長島の押さえとして長島・桑名周辺にいた鍋島勝茂だが、
大垣からの救援要請が来たので、大坂(だったかな?)に自分の代わりの
長島の押さえの軍勢を送るよう依頼し、それが到着したら
大垣・関ヶ原方面に向かうつもりだった、と。

当時、南濃の太田山城には西軍方として原長頼がまだ健在で、
鍋島、原長頼が長島の押さえとして在陣していたと思われる。
たしかに、家康もしくは秀忠隊等東軍の後続隊が伊勢に来ないとも限らないので、
その阻止も兼ねて長島の押さえとして長島・桑名周辺に鍋島がいたというのは
納得ができるものだと思う。
0935人間七七四年2019/02/04(月) 22:45:45.14ID:SXEF+TjV
>>928
赤坂の家康着陣で三成らは驚愕し、その深夜に関ヶ原に移動したわけだしね
これで三成は逃亡したと見なされた説もどこかの新聞記事で見かけたが、迅速な情報収集とそれに基づく判断ができず追い詰められた感がすごい
0936人間七七四年2019/02/05(火) 00:22:15.19ID:gl8Ezgss
鍋島勢が関ヶ原に到達できたとしても地理的に南宮山傍観組が増えるだけのような気が
0937人間七七四年2019/02/05(火) 04:15:41.25ID:UldP05o8
>>936
鍋島は9千だぞ?南宮山に2万5千以上とか登れないがな
0938人間七七四年2019/02/05(火) 07:42:10.24ID:kp+2zrl2
長宗我部とか長束は山麓
0939人間七七四年2019/02/05(火) 12:52:44.01ID:iPXltAef
長曽我部のさらに後ろでポカーンとしてる間に戦が終わってるよ
0940人間七七四年2019/02/05(火) 13:11:14.47ID:UounjAe7
各地の諸将は、決戦日を事前に知らされてたわけじゃあるまい
家康や三成だって前日まで知らなかった
0941人間七七四年2019/02/05(火) 14:31:12.23ID:H9UJeBAP
主任クラスの石田で、毛利支店長やら前田顧問とかを納得させることは出来ないよな。一番頼りにしてる水魚の交わりである大谷さんですら係長レベル。
0942人間七七四年2019/02/06(水) 01:41:59.38ID:kyMiXYuj
家康赤坂着陣の報により、9月18日に赤坂の東軍に対し決戦を挑む、という日程ならば、
大津城組は到着できる。鍋島は微妙だが、原長頼に長島の押さえを任し
自身は大垣へ急行、できるかな?
大津城組12000〜13000くらい、鍋島9800が到着したとしても、
やっぱり戦力比は9月14日以前のほうが有利に戦える。
ただ、毛利元康、小早川秀包が到着したことによって毛利秀元、吉川広家が
不戦を貫くのか、否かがなんとも言えない。
0943人間七七四年2019/02/06(水) 13:38:10.61ID:Yrli94i+
>>939
伊勢街道が鍋島勢九千で混雑したせいで長宗我部長束は撤退が遅れて壊滅、島津義弘は退却不能で討ち死にしそう
0944人間七七四年2019/02/06(水) 15:40:12.25ID:sGN7IM2J
鍋島九千というのが、そもそもナイ
0945人間七七四年2019/02/07(木) 12:31:33.58ID:WKsWHLJL
鍋島直茂
http://or2.mobi/data/img/222843.jpg

鍋島直正
http://or2.mobi/data/img/222844.jpg
http://or2.mobi/data/img/222845.jpg
0946人間七七四年2019/02/07(木) 14:37:52.55ID:fTQyob1h
おお偉大なハルトマン おお偉大なハルトマン 永遠に果て無く栄えよ おお我らがハルトマン おお我らがハルトマン 銀河に名立たる王者よ 星々を手折り束ねて全て捧げてしまえば皆を約束の地へと導く銀河の父よ 
おお輝けハルトマン おお輝けハルトマン 過去に未来に現在に おお讃えよハルトマン おお讃えよハルトマン 讃え願えば叶う 宇宙を舞う青き翼も夢歌う桃色の花も 心その身さえ捧げよ我らが父へ 
おお崇めよハルトマン おお崇めよハルトマン 主への絶対の忠誠 おお願えよハルトマン おお願えよハルトマン 黄金の化身を信じて 手に入れし野望儚く彼方へと消えゆくは記憶 時を巡る歯車疑視めて願うは父よ
0947人間七七四年2019/02/07(木) 17:20:52.32ID:8xQdYGBD
岐阜城落として東軍先発隊は赤坂着陣してそのままなんだから
西軍は兵集めてさっさと決戦すりゃよかったんだよ
小早川に松尾山占拠されて家康赤坂着陣の報受けて即決戦はやはりおかしい
追い込まれての決戦のほうがすっきりする
0948人間七七四年2019/02/07(木) 17:24:29.76ID:ejMUTboc
>>947
兵というのはそう右から左へホイホイ移動できるものではなくてね
0949人間七七四年2019/02/07(木) 17:27:32.52ID:8xQdYGBD
岐阜城落ちて家康が慌て輝元が損切りし始めたように事態は動いているのに
安濃津だ大津だ拠点落としに行くそののんきさは一体どこから来てるんだか
東軍は指をくわえて待っていてくれると思ってたの
0950人間七七四年2019/02/07(木) 20:06:23.16ID:7/uXVKav
>>949
その辺は独断で戦略を変更できる権限の持ち主がいない寄り合い所帯の辛さだろうね
あと東軍は大坂奪還を目指す一点に集中できるけど西軍は目標がはっきりしてないのも問題だと思う
それに伊勢のことはともかく大津城の京極高次は捨て置けないと思うよ
京都の入り口という戦略的な価値の高さに加えて
秀頼の叔父という政治的にも意味のある人物の離反なんだから
あれは関ヶ原全体を通してもトップクラスの戦功じゃないかなあ
0951人間七七四年2019/02/07(木) 21:24:41.55ID:sE9chBjq
目と鼻の先の赤坂に敵軍がいるのに、大垣城の部隊は家康来る前になんで攻めなかったんだろうね
三成も宇喜多もいたのに
0952人間七七四年2019/02/07(木) 22:08:08.83ID:iVbyYg7y
>>951
家康が接近してきてる事すら気づいてなかったみたいよ
西軍的には岐阜が陥落したんなら一旦戦線を整理して仕切り直すか、程度の感覚だったぽい
それに三成は後方の大津が敵にまわった事の方が気になってただろう
まずあり得ん事は承知で言うが、位置的に佐和山が攻撃されかねん場所だし
佐和山には三成の家族がいるからね、不安を感じない方がおかしいと思うよ
0953人間七七四年2019/02/07(木) 22:17:39.10ID:ejMUTboc
>>951
南宮山に毛利勢が到着するまで大垣の西軍は、東軍に包囲された状況にあった
0954人間七七四年2019/02/08(金) 10:01:44.21ID:AVsdby0D
西軍の勝利条件厳しすぎでは
東軍が踵を返して畿内に近づけば西軍に組することを余儀なくされたところの離反が相次ぐ
東軍方として抵抗しているところを落とさないといけない
東海道など重要ルートが東軍で固められてるので情報が取れない
その割には上方の情報は東軍に簡単に伝達される
0955人間七七四年2019/02/08(金) 15:04:31.06ID:Q3tIrzNH
元からかなり分の悪い賭けみたいな挙兵だからなぁ
彼らの楽観視というか希望的観測に基づいての作戦だから
その点を客観視して洗い出しするとこれ挙兵しないのが正解やん、ってなってしまうのよね

やはり岐阜城の戦いにてこ入れして軍事的勝利の積み重ねでなんとか着地点を模索するのがいいんじゃないかなぁ
東西軍両首脳ともに岐阜城は簡単に落ちないだろうという考えの下動いてたし
0956人間七七四年2019/02/08(金) 15:23:27.85ID:vuqZQsqn
西軍も家康も疑ってた東軍先鋒隊がめっちゃ戦意アリアリなのを後世の自分たちは知ってるからな
結果から導き出せば挙兵しないのが正解になるのはしょうがない
0957人間七七四年2019/02/08(金) 16:46:04.84ID:EjXtO/px
西軍は人質作戦の大失敗が尾を引いてる
細川ガラシャの自害って関ヶ原に至る一連の中でターニングポイントの1つだと思うんだ
0958人間七七四年2019/02/08(金) 19:53:59.29ID:Q3tIrzNH
自分たちが挙兵したら東軍からみんな離反して徳川は領地から動けなくなるだろう
というのが作戦の骨子のようなんだけど
めちゃくちゃ希望的観測すぎて、およそ軍人が立てていい作戦ではないと思うの

後世の目だけじゃなく当時の目からしても、捕らぬ狸の皮算用すぎる
0959人間七七四年2019/02/08(金) 20:11:49.28ID:OW8fu0+s
そもそも豊臣は主家簒奪の逆賊の家柄。忠義を重んじる武士なら許しがたい家。
その主家簒奪を正当化したのが関白の官位と聚楽第行幸だが、聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧豊臣長者の一家を皆殺し。
そして豊臣公儀を支えているのは豊臣に領地を奪われたり左遷されたりした戦国大名で
隋の煬帝のごとく外征に2度も失敗し、元寇の鎌倉幕府のように褒美なし。
また秀頼は秀吉が九州にいたとき乱交で妊娠した馬の骨という噂がある。

これでどうして豊臣に忠義を尽くすのが当然って考えるのだろうな。脳みそが腐ってる。

徳川は帝が下賜をおこない、豊臣も物資援助し、遺言で政務をまかすと言われており、人望もあった。石田はアホだな
0960人間七七四年2019/02/08(金) 21:06:54.05ID:6o8GI5sr
三成いなければ西軍とは行かないまでも中立の大名増えたかも
0961人間七七四年2019/02/08(金) 21:24:10.66ID:BTkM6dk9
>>959
死ね
0962人間七七四年2019/02/08(金) 21:38:47.86ID:b4pJYBr+
>>958
明応の政変って前例があったからな、
あの時はクーデターを起こした側が完全に勝利している
海外だと司馬氏が曹爽に対して仕掛けたクーデターなんて成功例もある

まあこれ、どっちも政治クーデターって感じだけど(軍事力を行使しないって意味ではない)
奉行も軍人というより政治家として動いた気がするなあ
つまり関ヶ原までの流れも政治クーデターを成功させる為に、軍事行動をしたんじゃないかな
0963人間七七四年2019/02/08(金) 22:08:03.38ID:u8vQyWD/
次スレたてました。

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part22
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1549630474/
0964人間七七四年2019/02/08(金) 22:18:51.30ID:u8vQyWD/
とりあえずわたしは現状では>>822の見解です。
多数派工作に活路を見い出すなら前田征伐時に前田の味方をすることだが、
前田征伐の詳細がいまいち判明していないので、あまり触れられない。

あとはやはり軍事的戦術で劣勢の挽回かなと。

鍋島の兵力に関しては、小早川秀秋が8000〜15000諸説なら
石高的には竜造寺(鍋島)9800でもおかしくないように思うが。
あと安濃津攻略が毛利・吉川・長束らなら、松阪攻略が鍋島らで10000くらいでも
不自然ではないと思う。
逆に松阪攻略隊が5000とかでは少ないんじゃないかと思う。
0965人間七七四年2019/02/08(金) 23:39:54.81ID:Bjf3iSOO
>>962
司馬懿が曹爽に仕掛けたクーデターって、皇帝担いで先祖の墓参りしてる隙に洛陽を抑えるってのが
基本だもんな。
敵は皇帝って旗印持ち、司馬懿は皇太后の命令って微妙な大義名分で洛陽を抑えただけでしか無い。

曹爽は、洛陽の人質は見捨て、許昌「曹操以来の曹氏の根拠地、曹氏恩顧の豪族多し」に逃げて再起を
図りましょうって献策を無視して洛陽に帰り殺される。

実際さあ、西軍は秀頼って名目上の主君を抑え、人質も抑えなんで敵が家康じゃ無いなら
へ垂れた可能性も有るよ。
0966人間七七四年2019/02/09(土) 00:53:54.43ID:uW95jLmp
>>962
政治クーデターの成功例がいくつもあるのはその通りなんすけど
政治クーデターでもあそこまで希望的観測を前提にした立案はしてないと思うんすわ

ていうか政治でも基本相手が予期せぬ行動をするかもしれないっていう悲観的観測で動くと思うけど
0967人間七七四年2019/02/09(土) 04:06:13.87ID:XeIRLp83
家康も輝元があそこまで積極的に動いてたのは予期してなかったっぽい
希望的観測ってのはあってもしゃーない
問題は予期せぬことが起こったときにどう対応するか
やっぱそこは経験がものをいうんじゃないかな

でもまあ、西軍首脳にクーデター直後の計画が杜撰だったのは否めない
伏見城攻めるまで、そして攻め落とすまでどんだけ時間かけてんだよと
0968人間七七四年2019/02/09(土) 08:18:52.54ID:MAAiTzHS
>>967
1枚岩じゃなかったからね
当時の実力者の家康に刃向かえば、領地没収の危機はあるし
西軍だって、勝てるのか分からない
誰だって懐疑的になって当たり前

輝元だって、安易な大坂城入りを誰かに戒められていたし
島津は京都の警備のためたまたま1500の兵で上方にいたら、西軍にさせられた
0969人間七七四年2019/02/09(土) 09:56:51.45ID:UkWvqRlm
>>964
小早川・鍋島共に兵数はあくまで三成書状にある期待値ですから
0970人間七七四年2019/02/09(土) 15:26:11.37ID:vEgQ/0ht
そやね備口人数はあくまでもちゃんと軍役果たせばこれだけ集まる予定ですよってだけ
秀包や宗茂の兵は遅参してたみたいだし勝茂の元に大軍がそろってたかはちと疑問
0971人間七七四年2019/02/09(土) 20:24:17.12ID:Mo+2bSrH
さすがに1ヶ月経過の8月下旬なら肥前からでも来てるでしょ。
8月上旬あたりだと怪しいかもだけど。
0972人間七七四年2019/02/09(土) 21:07:00.65ID:UkWvqRlm
遠方から来るというのは、それだけ手間も時間も金もかかる訳で
0973人間七七四年2019/02/09(土) 22:19:05.90ID:vEgQ/0ht
領地に散ってるのを徴集して船兵糧の手配してさあ出発までにも時間かかるでな
0974人間七七四年2019/02/09(土) 23:49:56.76ID:5eyFIvWq
龍造寺長信が上方へ送ろうとしていた支援物資船を寺沢広高の手勢に殲滅されたのが9月末
0975人間七七四年2019/02/10(日) 12:12:37.48ID:HFGeO4Nz
8月10日に援軍を率いてく直茂が上阪延期して引き返したから援軍本隊は来てない
7月16日に勝茂が国元に要請した援軍2000人は先発隊として来てるかも
0976人間七七四年2019/02/10(日) 12:25:55.29ID:J5MKqYat
そうなると7月16日時点で鍋島勝茂がどれくらい兵率いていたかかね、
1000〜3000くらい?
それプラス援軍要請した2000で合計3000〜5000くらい?
0977人間七七四年2019/02/10(日) 13:29:55.38ID:NRFc4fgA
勝茂公譜だと伏見城攻撃に参加した勝茂の手勢は4500
0978人間七七四年2019/02/10(日) 19:55:09.43ID:IiooMPxO
>>966
正直、自分が家康の立場だったとして、すぐさま反転西上作戦って取れますか?
上杉景勝は反徳川で有名だし、常陸の佐竹の動きも怪しい。

豊臣系の大名は、自領に帰せば其の儘西軍に寝返る可能性も充分って状況ですよ?
0979人間七七四年2019/02/10(日) 19:56:37.62ID:cdfGY+Cp
伊達も怪しい
0980人間七七四年2019/02/10(日) 20:10:14.67ID:riso/I8B
>>978
不安だったから家康はしばらく関東から動かなかったんでしょう
家康が関東から動いたのって東軍先発隊が岐阜を陥落させてからだし
(岐阜でなくとも西軍側の城をいくらか陥落させれば多分西上したでしょうけど)
佐竹や上杉(あるいは伊達)らの動向を気にしていたのもあるでしょうし、
征伐軍の連中が心変わりしてしまったらどうしようって懸念もあったと思います

真面目な話、上杉征伐軍に参加した諸大名で一番内府違いの条々に
ダメージ受けたのって家康じゃないですかね、多分
征伐軍の連中がロクに離脱しなかったのって、家康にとっても驚きだったんじゃ
0981人間七七四年2019/02/10(日) 20:37:07.00ID:qnBeMVfa
全大名の思惑がバラバラなのを家康は承知してるはずだし上杉伊達黒田真田みたいに家康も長期戦は覚悟してたはず
それと東軍先鋒隊の戦意があれほど高いとも思ってなかったはず
0982人間七七四年2019/02/10(日) 20:49:50.70ID:riso/I8B
やっぱ家康が支持されたというより、反家康派がロクに支持されなかったとみるべきか
もしくは反家康派が同床異夢すぎてロクに足並みを揃えられなかったか
まあ西軍は結成の経緯自体、関所で征伐軍に合流予定の連中を足止めするという
かなり強引極まりないやり方したんで、どうしても不安定なまとまりにならざるを得ないしな
もちろん東軍も決して安定してはいないが、西軍よりはマシだと思う
0983人間七七四年2019/02/10(日) 21:01:53.81ID:qnBeMVfa
家康の下に会津遠征軍が組まれてて指揮系統は確立してたし、
上方の蜂起を受けて一度は参加大名に身の振り方を任せた上で再参加させている
最終的な思惑はバラバラでも組織が定まって方針も決まってるから烏合の衆というわけではない
勝ち目は十分あるけど、どういう勝ち方になるかは不安だったと思う
0984人間七七四年2019/02/10(日) 21:50:11.29ID:UqOH9Vb9
>> 982
>反家康派がロクに支持されなかったとみるべきか
というより
豊臣軍の諸将が豊臣軍総大将の家康に従っただけだと思うけど
0985人間七七四年2019/02/10(日) 22:16:55.08ID:riso/I8B
>>984
それはその通りなんだが、問題は内府違いの条々という存在
あれは要するに豊臣政権を専横している家康を政権から排除しよう!という主張を掲げた
政権運営者の奉行と大老の連名の書状なんで、少なくとも公儀性が全くないとはいいきれない
(ただし、これによって家康の公儀性が消滅した、という西軍公儀説は首を傾げるが)
で、この内容を認めるのなら家康に諸大名が従う理由が消滅してしまう
つまり、征伐軍の連中にはこの時点で家康を見捨てる選択肢もあった筈なのだ
ところが離脱者は一部にとどまり、(つまり、諸侯が徳川を見捨てる事は可能)
ほとんどが家康に協力する事になる
という事は、上杉征伐軍の大半は彼ら反家康派の言い分を認めなかった、
つまり奉行らは彼らに支持されなかったと考えていいんじゃないかと
0986人間七七四年2019/02/10(日) 22:22:28.46ID:oscCaXml
結局秀頼を直接擁した自分達の影響力を過信していたってことじゃないかな
0987人間七七四年2019/02/10(日) 22:53:34.12ID:Lw5C/IcK
>>977
そうなると鍋島勝茂兵力は4500〜6500と見るのが妥当ですかね。

>>985
概ね同意。わたしもそんなところだと思う。
0988人間七七四年2019/02/10(日) 23:09:08.39ID:Zmn11tYr
>>985
別にその理由消滅なら
反家康派が支持されなかったという言い分にイコールで結びつかないと思うんだけど
公儀性が消滅したわけじゃない家康が支持されたとも普通に言えそうだけど
0989人間七七四年2019/02/11(月) 01:51:40.64ID:ccY5oFgm
自衛隊を召喚
0990人間七七四年2019/02/11(月) 02:11:25.55ID:r2Lxldl0
>>985
理屈で言うと、東軍大名は形式上は秀頼の家臣なので有り、一時的に豊臣家筆頭大老を
自称する家康の指揮下にあるって建前。

それを、奉行大老の連署の文書で様々な専横「内府違ひの条々」が有るので解任したと。

つまりこの言い分を認めるなら、西軍に寝返る事は謀反でも裏切りでも無くて真の主君の
為に働く事でしかない。
0991人間七七四年2019/02/11(月) 02:50:47.64ID:v6ejA4kB
解任権限あるの?
0992人間七七四年2019/02/11(月) 05:18:47.46ID:s8Y7RHfK
教科書にすら書いてある惣無事と聚楽第行幸を無視しちゃいけない。
この2つは秀吉の主家簒奪を正当化して主君を帝に置き換えることで指揮権を獲得したセレモニーだ。
豊臣にとって力の根源とも言っていい。
諸大名の主君は天皇であり、豊臣は主君である天皇への窓口にすぎないんだよ。
0993人間七七四年2019/02/11(月) 05:19:17.32ID:dNfdVZ5b
本来はそんな権限はない。これはクーデターだからなんでもあり。
長々と条々を書き連ねてるけど、要するに
「秀頼さまはいただいた、家康は逆賊に決定したのでおまえらこっち来い」
「大坂に入る妻子のことも心配だよねチラチラ」
ってこと。まあどっちも失敗するんだけどw
0994人間七七四年2019/02/11(月) 05:21:14.04ID:s8Y7RHfK
そして豊臣の公儀性を保証していた武家関白制の関白左大臣内覧豊臣長者は、秀吉秀頼親子が殺した。
理屈でいうと、1600年時点の豊臣にはなんの大義も正当性もない。
0995人間七七四年2019/02/11(月) 05:36:07.61ID:s8Y7RHfK
石田三成たち西軍になるともっと正当性がない。
遺言に逆らって内大臣に従わず、帝が下賜をして送り出した最高位の内大臣率いる軍に大義なく反乱をおこし
主君である帝どころか豊臣にすら公認してもらえなかった。

とりあえず、三成が大義を主張したいなら、
秀吉の墓から遺言が新発見されて三成の言う事に従うことと書かれていて
帝から右大臣に任命してもらって出陣にあたっては帝に下賜をされて、豊臣に公認してもらわないと話にならない。
0996人間七七四年2019/02/11(月) 08:47:26.82ID:exAmqhgK
>>987
松坂城攻めの時点で鍋島(竜造寺)単体で7000弱かなと
三成書状の兵数は鍋島勝茂と同伴していた毛利吉政・松浦久信・大村喜前の軍勢を足した数では
0997人間七七四年2019/02/11(月) 09:39:05.60ID:spWN24R8
>>991
総大将の地位は解任できていないと思う
個人的には大老は政務上の裁量を委託されたに過ぎず
軍事上の裁量(=諸大名に対する指揮権)は武家政権の権力の淵源なので
これは豊臣家だけが保持し続けるのが秀吉の遺志でないかと考えている

上杉征伐のような事態はかつて秀吉、秀長、秀次がそうであってように
本来ならば秀頼が総大将として当たるべき事柄(でも幼少なんで遂行できない)
秀吉としては秀頼が成人するまで大騒動は起こしてくれるな
(秀信の二の舞になるので)と願っていたのでは?
0998人間七七四年2019/02/11(月) 09:40:35.20ID:l9PuwNte
998
0999人間七七四年2019/02/11(月) 10:18:03.24ID:jpyyrAe6
その辺の公儀性云々の議論ていつも違和感を感じる
そりゃどっちも自分らが正しい自分らが正当と主張するだろう
でもそんなん関係なく事態は推移するというだけのことだ
1000人間七七四年2019/02/11(月) 10:30:07.77ID:ccdRG+wA
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