関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part21
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0001人間七七四年
2018/11/28(水) 20:19:51.02ID:xFPcOePC前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part20
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
0924人間七七四年
2019/02/04(月) 05:55:58.37ID:hrJLfaCPなんで自勢力の倍位の勢力相手に正面決戦せにゃならんのか
しかもこっちの士気が明らかに低下してる不利な状況で
仮にそれをやったところで西軍側(奉行衆)がそれに伴う大損害をペイ出来るだけの
報償を用意してくれるとは思えん
それならこの騒動のスキを狙って、瀬戸内周辺をなし崩しに制圧して自領にする方が
ずっと楽だし得だ(失敗したけど)
そもそも輝元は家康と短期で正面決戦なんてやらんでいいと思っていたから、
つまりそんなリスクはないと思ったから関ヶ原で西軍についたんだろうし
0925人間七七四年
2019/02/04(月) 06:17:14.29ID:qSfc0Aktそれをするためには東軍の動向に対する性格な情報を持っていなければならない。そして西軍は東軍の動向を全く把握できていなかった。以上。
0926人間七七四年
2019/02/04(月) 07:15:55.66ID:Ze1EmnQR黒田如水の行動は明らかに長期戦狙いだよな?
0927人間七七四年
2019/02/04(月) 14:01:57.98ID:LNifRTPF0928人間七七四年
2019/02/04(月) 14:13:05.29ID:tiUZSrNa理由付けするならば、赤坂の東軍撃滅を優先するため大津城は包囲に留める、あたりかな。
しかしよく考えてみると、
9月15日西軍大津城攻略
9月17日秀忠隊妻籠到着
これなら大津城攻略後でも1〜2日秀忠隊より
早く関ヶ原に到着すると思う。
これなら到着後すぐ決戦ならなんとかなるかも。
0929人間七七四年
2019/02/04(月) 14:14:19.01ID:DumupcPx0931人間七七四年
2019/02/04(月) 17:24:12.22ID:JYjGQnqTあれって事実なの?
0932人間七七四年
2019/02/04(月) 20:18:28.30ID:Eq95U+ZZ0933人間七七四年
2019/02/04(月) 21:53:44.54ID:lIx+rjsEいやー、ちょっと無理があるだろ
南近江が東軍方ってのは西軍からしたらかなり怖いから陥落はさせたいよ
0934人間七七四年
2019/02/04(月) 21:54:54.73ID:nirwJkIW長島の押さえとして長島・桑名周辺にいた鍋島勝茂だが、
大垣からの救援要請が来たので、大坂(だったかな?)に自分の代わりの
長島の押さえの軍勢を送るよう依頼し、それが到着したら
大垣・関ヶ原方面に向かうつもりだった、と。
当時、南濃の太田山城には西軍方として原長頼がまだ健在で、
鍋島、原長頼が長島の押さえとして在陣していたと思われる。
たしかに、家康もしくは秀忠隊等東軍の後続隊が伊勢に来ないとも限らないので、
その阻止も兼ねて長島の押さえとして長島・桑名周辺に鍋島がいたというのは
納得ができるものだと思う。
0935人間七七四年
2019/02/04(月) 22:45:45.14ID:SXEF+TjV赤坂の家康着陣で三成らは驚愕し、その深夜に関ヶ原に移動したわけだしね
これで三成は逃亡したと見なされた説もどこかの新聞記事で見かけたが、迅速な情報収集とそれに基づく判断ができず追い詰められた感がすごい
0936人間七七四年
2019/02/05(火) 00:22:15.19ID:gl8Ezgss0938人間七七四年
2019/02/05(火) 07:42:10.24ID:kp+2zrl20939人間七七四年
2019/02/05(火) 12:52:44.01ID:iPXltAef0940人間七七四年
2019/02/05(火) 13:11:14.47ID:UounjAe7家康や三成だって前日まで知らなかった
0941人間七七四年
2019/02/05(火) 14:31:12.23ID:H9UJeBAP0942人間七七四年
2019/02/06(水) 01:41:59.38ID:kyMiXYuj大津城組は到着できる。鍋島は微妙だが、原長頼に長島の押さえを任し
自身は大垣へ急行、できるかな?
大津城組12000〜13000くらい、鍋島9800が到着したとしても、
やっぱり戦力比は9月14日以前のほうが有利に戦える。
ただ、毛利元康、小早川秀包が到着したことによって毛利秀元、吉川広家が
不戦を貫くのか、否かがなんとも言えない。
0943人間七七四年
2019/02/06(水) 13:38:10.61ID:Yrli94i+伊勢街道が鍋島勢九千で混雑したせいで長宗我部長束は撤退が遅れて壊滅、島津義弘は退却不能で討ち死にしそう
0944人間七七四年
2019/02/06(水) 15:40:12.25ID:sGN7IM2J0945人間七七四年
2019/02/07(木) 12:31:33.58ID:WKsWHLJLhttp://or2.mobi/data/img/222843.jpg
鍋島直正
http://or2.mobi/data/img/222844.jpg
http://or2.mobi/data/img/222845.jpg
0946人間七七四年
2019/02/07(木) 14:37:52.55ID:fTQyob1hおお輝けハルトマン おお輝けハルトマン 過去に未来に現在に おお讃えよハルトマン おお讃えよハルトマン 讃え願えば叶う 宇宙を舞う青き翼も夢歌う桃色の花も 心その身さえ捧げよ我らが父へ
おお崇めよハルトマン おお崇めよハルトマン 主への絶対の忠誠 おお願えよハルトマン おお願えよハルトマン 黄金の化身を信じて 手に入れし野望儚く彼方へと消えゆくは記憶 時を巡る歯車疑視めて願うは父よ
0947人間七七四年
2019/02/07(木) 17:20:52.32ID:8xQdYGBD西軍は兵集めてさっさと決戦すりゃよかったんだよ
小早川に松尾山占拠されて家康赤坂着陣の報受けて即決戦はやはりおかしい
追い込まれての決戦のほうがすっきりする
0949人間七七四年
2019/02/07(木) 17:27:32.52ID:8xQdYGBD安濃津だ大津だ拠点落としに行くそののんきさは一体どこから来てるんだか
東軍は指をくわえて待っていてくれると思ってたの
0950人間七七四年
2019/02/07(木) 20:06:23.16ID:7/uXVKavその辺は独断で戦略を変更できる権限の持ち主がいない寄り合い所帯の辛さだろうね
あと東軍は大坂奪還を目指す一点に集中できるけど西軍は目標がはっきりしてないのも問題だと思う
それに伊勢のことはともかく大津城の京極高次は捨て置けないと思うよ
京都の入り口という戦略的な価値の高さに加えて
秀頼の叔父という政治的にも意味のある人物の離反なんだから
あれは関ヶ原全体を通してもトップクラスの戦功じゃないかなあ
0951人間七七四年
2019/02/07(木) 21:24:41.55ID:sE9chBjq三成も宇喜多もいたのに
0952人間七七四年
2019/02/07(木) 22:08:08.83ID:iVbyYg7y家康が接近してきてる事すら気づいてなかったみたいよ
西軍的には岐阜が陥落したんなら一旦戦線を整理して仕切り直すか、程度の感覚だったぽい
それに三成は後方の大津が敵にまわった事の方が気になってただろう
まずあり得ん事は承知で言うが、位置的に佐和山が攻撃されかねん場所だし
佐和山には三成の家族がいるからね、不安を感じない方がおかしいと思うよ
0954人間七七四年
2019/02/08(金) 10:01:44.21ID:AVsdby0D東軍が踵を返して畿内に近づけば西軍に組することを余儀なくされたところの離反が相次ぐ
東軍方として抵抗しているところを落とさないといけない
東海道など重要ルートが東軍で固められてるので情報が取れない
その割には上方の情報は東軍に簡単に伝達される
0955人間七七四年
2019/02/08(金) 15:04:31.06ID:Q3tIrzNH彼らの楽観視というか希望的観測に基づいての作戦だから
その点を客観視して洗い出しするとこれ挙兵しないのが正解やん、ってなってしまうのよね
やはり岐阜城の戦いにてこ入れして軍事的勝利の積み重ねでなんとか着地点を模索するのがいいんじゃないかなぁ
東西軍両首脳ともに岐阜城は簡単に落ちないだろうという考えの下動いてたし
0956人間七七四年
2019/02/08(金) 15:23:27.85ID:vuqZQsqn結果から導き出せば挙兵しないのが正解になるのはしょうがない
0957人間七七四年
2019/02/08(金) 16:46:04.84ID:EjXtO/px細川ガラシャの自害って関ヶ原に至る一連の中でターニングポイントの1つだと思うんだ
0958人間七七四年
2019/02/08(金) 19:53:59.29ID:Q3tIrzNHというのが作戦の骨子のようなんだけど
めちゃくちゃ希望的観測すぎて、およそ軍人が立てていい作戦ではないと思うの
後世の目だけじゃなく当時の目からしても、捕らぬ狸の皮算用すぎる
0959人間七七四年
2019/02/08(金) 20:11:49.28ID:OW8fu0+sその主家簒奪を正当化したのが関白の官位と聚楽第行幸だが、聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧豊臣長者の一家を皆殺し。
そして豊臣公儀を支えているのは豊臣に領地を奪われたり左遷されたりした戦国大名で
隋の煬帝のごとく外征に2度も失敗し、元寇の鎌倉幕府のように褒美なし。
また秀頼は秀吉が九州にいたとき乱交で妊娠した馬の骨という噂がある。
これでどうして豊臣に忠義を尽くすのが当然って考えるのだろうな。脳みそが腐ってる。
徳川は帝が下賜をおこない、豊臣も物資援助し、遺言で政務をまかすと言われており、人望もあった。石田はアホだな
0960人間七七四年
2019/02/08(金) 21:06:54.05ID:6o8GI5sr0962人間七七四年
2019/02/08(金) 21:38:47.86ID:b4pJYBr+明応の政変って前例があったからな、
あの時はクーデターを起こした側が完全に勝利している
海外だと司馬氏が曹爽に対して仕掛けたクーデターなんて成功例もある
まあこれ、どっちも政治クーデターって感じだけど(軍事力を行使しないって意味ではない)
奉行も軍人というより政治家として動いた気がするなあ
つまり関ヶ原までの流れも政治クーデターを成功させる為に、軍事行動をしたんじゃないかな
0963人間七七四年
2019/02/08(金) 22:08:03.38ID:u8vQyWD/関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part22
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1549630474/
0964人間七七四年
2019/02/08(金) 22:18:51.30ID:u8vQyWD/多数派工作に活路を見い出すなら前田征伐時に前田の味方をすることだが、
前田征伐の詳細がいまいち判明していないので、あまり触れられない。
あとはやはり軍事的戦術で劣勢の挽回かなと。
鍋島の兵力に関しては、小早川秀秋が8000〜15000諸説なら
石高的には竜造寺(鍋島)9800でもおかしくないように思うが。
あと安濃津攻略が毛利・吉川・長束らなら、松阪攻略が鍋島らで10000くらいでも
不自然ではないと思う。
逆に松阪攻略隊が5000とかでは少ないんじゃないかと思う。
0965人間七七四年
2019/02/08(金) 23:39:54.81ID:Bjf3iSOO司馬懿が曹爽に仕掛けたクーデターって、皇帝担いで先祖の墓参りしてる隙に洛陽を抑えるってのが
基本だもんな。
敵は皇帝って旗印持ち、司馬懿は皇太后の命令って微妙な大義名分で洛陽を抑えただけでしか無い。
曹爽は、洛陽の人質は見捨て、許昌「曹操以来の曹氏の根拠地、曹氏恩顧の豪族多し」に逃げて再起を
図りましょうって献策を無視して洛陽に帰り殺される。
実際さあ、西軍は秀頼って名目上の主君を抑え、人質も抑えなんで敵が家康じゃ無いなら
へ垂れた可能性も有るよ。
0966人間七七四年
2019/02/09(土) 00:53:54.43ID:uW95jLmp政治クーデターの成功例がいくつもあるのはその通りなんすけど
政治クーデターでもあそこまで希望的観測を前提にした立案はしてないと思うんすわ
ていうか政治でも基本相手が予期せぬ行動をするかもしれないっていう悲観的観測で動くと思うけど
0967人間七七四年
2019/02/09(土) 04:06:13.87ID:XeIRLp83希望的観測ってのはあってもしゃーない
問題は予期せぬことが起こったときにどう対応するか
やっぱそこは経験がものをいうんじゃないかな
でもまあ、西軍首脳にクーデター直後の計画が杜撰だったのは否めない
伏見城攻めるまで、そして攻め落とすまでどんだけ時間かけてんだよと
0968人間七七四年
2019/02/09(土) 08:18:52.54ID:MAAiTzHS1枚岩じゃなかったからね
当時の実力者の家康に刃向かえば、領地没収の危機はあるし
西軍だって、勝てるのか分からない
誰だって懐疑的になって当たり前
輝元だって、安易な大坂城入りを誰かに戒められていたし
島津は京都の警備のためたまたま1500の兵で上方にいたら、西軍にさせられた
0970人間七七四年
2019/02/09(土) 15:26:11.37ID:vEgQ/0ht秀包や宗茂の兵は遅参してたみたいだし勝茂の元に大軍がそろってたかはちと疑問
0971人間七七四年
2019/02/09(土) 20:24:17.12ID:Mo+2bSrH8月上旬あたりだと怪しいかもだけど。
0972人間七七四年
2019/02/09(土) 21:07:00.65ID:UkWvqRlm0973人間七七四年
2019/02/09(土) 22:19:05.90ID:vEgQ/0ht0974人間七七四年
2019/02/09(土) 23:49:56.76ID:5eyFIvWq0975人間七七四年
2019/02/10(日) 12:12:37.48ID:HFGeO4Nz7月16日に勝茂が国元に要請した援軍2000人は先発隊として来てるかも
0976人間七七四年
2019/02/10(日) 12:25:55.29ID:J5MKqYat1000〜3000くらい?
それプラス援軍要請した2000で合計3000〜5000くらい?
0977人間七七四年
2019/02/10(日) 13:29:55.38ID:NRFc4fgA0978人間七七四年
2019/02/10(日) 19:55:09.43ID:IiooMPxO正直、自分が家康の立場だったとして、すぐさま反転西上作戦って取れますか?
上杉景勝は反徳川で有名だし、常陸の佐竹の動きも怪しい。
豊臣系の大名は、自領に帰せば其の儘西軍に寝返る可能性も充分って状況ですよ?
0979人間七七四年
2019/02/10(日) 19:56:37.62ID:cdfGY+Cp0980人間七七四年
2019/02/10(日) 20:10:14.67ID:riso/I8B不安だったから家康はしばらく関東から動かなかったんでしょう
家康が関東から動いたのって東軍先発隊が岐阜を陥落させてからだし
(岐阜でなくとも西軍側の城をいくらか陥落させれば多分西上したでしょうけど)
佐竹や上杉(あるいは伊達)らの動向を気にしていたのもあるでしょうし、
征伐軍の連中が心変わりしてしまったらどうしようって懸念もあったと思います
真面目な話、上杉征伐軍に参加した諸大名で一番内府違いの条々に
ダメージ受けたのって家康じゃないですかね、多分
征伐軍の連中がロクに離脱しなかったのって、家康にとっても驚きだったんじゃ
0981人間七七四年
2019/02/10(日) 20:37:07.00ID:qnBeMVfaそれと東軍先鋒隊の戦意があれほど高いとも思ってなかったはず
0982人間七七四年
2019/02/10(日) 20:49:50.70ID:riso/I8Bもしくは反家康派が同床異夢すぎてロクに足並みを揃えられなかったか
まあ西軍は結成の経緯自体、関所で征伐軍に合流予定の連中を足止めするという
かなり強引極まりないやり方したんで、どうしても不安定なまとまりにならざるを得ないしな
もちろん東軍も決して安定してはいないが、西軍よりはマシだと思う
0983人間七七四年
2019/02/10(日) 21:01:53.81ID:qnBeMVfa上方の蜂起を受けて一度は参加大名に身の振り方を任せた上で再参加させている
最終的な思惑はバラバラでも組織が定まって方針も決まってるから烏合の衆というわけではない
勝ち目は十分あるけど、どういう勝ち方になるかは不安だったと思う
0984人間七七四年
2019/02/10(日) 21:50:11.29ID:UqOH9Vb9>反家康派がロクに支持されなかったとみるべきか
というより
豊臣軍の諸将が豊臣軍総大将の家康に従っただけだと思うけど
0985人間七七四年
2019/02/10(日) 22:16:55.08ID:riso/I8Bそれはその通りなんだが、問題は内府違いの条々という存在
あれは要するに豊臣政権を専横している家康を政権から排除しよう!という主張を掲げた
政権運営者の奉行と大老の連名の書状なんで、少なくとも公儀性が全くないとはいいきれない
(ただし、これによって家康の公儀性が消滅した、という西軍公儀説は首を傾げるが)
で、この内容を認めるのなら家康に諸大名が従う理由が消滅してしまう
つまり、征伐軍の連中にはこの時点で家康を見捨てる選択肢もあった筈なのだ
ところが離脱者は一部にとどまり、(つまり、諸侯が徳川を見捨てる事は可能)
ほとんどが家康に協力する事になる
という事は、上杉征伐軍の大半は彼ら反家康派の言い分を認めなかった、
つまり奉行らは彼らに支持されなかったと考えていいんじゃないかと
0986人間七七四年
2019/02/10(日) 22:22:28.46ID:oscCaXml0987人間七七四年
2019/02/10(日) 22:53:34.12ID:Lw5C/IcKそうなると鍋島勝茂兵力は4500〜6500と見るのが妥当ですかね。
>>985
概ね同意。わたしもそんなところだと思う。
0988人間七七四年
2019/02/10(日) 23:09:08.39ID:Zmn11tYr別にその理由消滅なら
反家康派が支持されなかったという言い分にイコールで結びつかないと思うんだけど
公儀性が消滅したわけじゃない家康が支持されたとも普通に言えそうだけど
0989人間七七四年
2019/02/11(月) 01:51:40.64ID:ccY5oFgm0990人間七七四年
2019/02/11(月) 02:11:25.55ID:r2Lxldl0理屈で言うと、東軍大名は形式上は秀頼の家臣なので有り、一時的に豊臣家筆頭大老を
自称する家康の指揮下にあるって建前。
それを、奉行大老の連署の文書で様々な専横「内府違ひの条々」が有るので解任したと。
つまりこの言い分を認めるなら、西軍に寝返る事は謀反でも裏切りでも無くて真の主君の
為に働く事でしかない。
0991人間七七四年
2019/02/11(月) 02:50:47.64ID:v6ejA4kB0992人間七七四年
2019/02/11(月) 05:18:47.46ID:s8Y7RHfKこの2つは秀吉の主家簒奪を正当化して主君を帝に置き換えることで指揮権を獲得したセレモニーだ。
豊臣にとって力の根源とも言っていい。
諸大名の主君は天皇であり、豊臣は主君である天皇への窓口にすぎないんだよ。
0993人間七七四年
2019/02/11(月) 05:19:17.32ID:dNfdVZ5b長々と条々を書き連ねてるけど、要するに
「秀頼さまはいただいた、家康は逆賊に決定したのでおまえらこっち来い」
「大坂に入る妻子のことも心配だよねチラチラ」
ってこと。まあどっちも失敗するんだけどw
0994人間七七四年
2019/02/11(月) 05:21:14.04ID:s8Y7RHfK理屈でいうと、1600年時点の豊臣にはなんの大義も正当性もない。
0995人間七七四年
2019/02/11(月) 05:36:07.61ID:s8Y7RHfK遺言に逆らって内大臣に従わず、帝が下賜をして送り出した最高位の内大臣率いる軍に大義なく反乱をおこし
主君である帝どころか豊臣にすら公認してもらえなかった。
とりあえず、三成が大義を主張したいなら、
秀吉の墓から遺言が新発見されて三成の言う事に従うことと書かれていて
帝から右大臣に任命してもらって出陣にあたっては帝に下賜をされて、豊臣に公認してもらわないと話にならない。
0996人間七七四年
2019/02/11(月) 08:47:26.82ID:exAmqhgK松坂城攻めの時点で鍋島(竜造寺)単体で7000弱かなと
三成書状の兵数は鍋島勝茂と同伴していた毛利吉政・松浦久信・大村喜前の軍勢を足した数では
0997人間七七四年
2019/02/11(月) 09:39:05.60ID:spWN24R8総大将の地位は解任できていないと思う
個人的には大老は政務上の裁量を委託されたに過ぎず
軍事上の裁量(=諸大名に対する指揮権)は武家政権の権力の淵源なので
これは豊臣家だけが保持し続けるのが秀吉の遺志でないかと考えている
上杉征伐のような事態はかつて秀吉、秀長、秀次がそうであってように
本来ならば秀頼が総大将として当たるべき事柄(でも幼少なんで遂行できない)
秀吉としては秀頼が成人するまで大騒動は起こしてくれるな
(秀信の二の舞になるので)と願っていたのでは?
0998人間七七四年
2019/02/11(月) 09:40:35.20ID:l9PuwNte0999人間七七四年
2019/02/11(月) 10:18:03.24ID:jpyyrAe6そりゃどっちも自分らが正しい自分らが正当と主張するだろう
でもそんなん関係なく事態は推移するというだけのことだ
1000人間七七四年
2019/02/11(月) 10:30:07.77ID:ccdRG+wA10011001
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