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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part21

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0001人間七七四年2018/11/28(水) 20:19:51.02ID:xFPcOePC
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part20
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
0851人間七七四年2019/01/22(火) 11:27:38.00ID:6qe57JQg
輝元のほうがよっぽど豊臣政権の現実見てるのが皮肉だわな
0852人間七七四年2019/01/22(火) 12:28:26.95ID:/iKC/l/b
奉行衆にとっては言語不明瞭になった秀吉でも政権回ったから、
死んでも問題なしという判断だったのだろう

瀕死でも権力者が生きているというのは、それだけで重しになるのに
そういう無形が理解できないのが、如何にも実務官僚らしい
0853人間七七四年2019/01/22(火) 12:45:38.97ID:abyKt53T
>>851
現実は見えてたのに、自分のその後の処遇は見えなかったのが残念
0854人間七七四年2019/01/22(火) 12:54:43.04ID:Hwapaamz
賭けたら命を張るしかないのになあ
堂々と西軍率いてなぜ日よったのか
0855人間七七四年2019/01/22(火) 13:07:03.75ID:tawsXfne
>>854
多分、考え方が逆なんだよ
賭けたら命を張らないと…って発想じゃなくて、命を張る必要が無いと思ったから賭けたんだよ
要するに関ヶ原は輝元にとっては天下の雌雄を決するようなものではなくて、
いい機会だから自分の領地拡大して西国の覇者になろう!程度の認識だったんじゃないの
0856人間七七四年2019/01/22(火) 13:31:40.75ID:ClGK4r4x
当初の見込みでは楽に勝てるはずだったのに
決起一ヶ月で思惑とは逆に追い詰められてるんだから
早めの損切りは大事
0857人間七七四年2019/01/22(火) 13:39:09.18ID:8iLat4oa
秀忠隊が遅れてなかったら
西軍は木端微塵じゃん
0858人間七七四年2019/01/22(火) 13:42:05.54ID:Hwapaamz
>>857
あれは遅れたんじゃない
家康の想定ミス
というか西軍に付いた連中が弱すぎた
0859人間七七四年2019/01/22(火) 14:42:36.66ID:GLwA76bM
早めの損切りのおかげか
36万石とまぁまぁ大大名として残って、輝元の息子は結城秀康の娘だったかを嫁にもらって越前松平氏の縁戚になってと
東西両側の家の中でも結構屈指の勝ち組大名よね
0860人間七七四年2019/01/22(火) 14:48:59.20ID:KtM+quE7
テルは戦後処理に関しては実に見事に奔走したからな
いわゆる内政官としては本当に優秀だった
元々徳川とも仲は良かったし
0861人間七七四年2019/01/22(火) 14:52:32.73ID:wguO5PhU
>>854
帝の下賜を受けて出陣した最高位の内大臣率いる東軍 vs 大義なく反乱をおこした西軍

豊臣の公認すらない輝元が幼児を人質にしながら公認ほしさに大阪に入り浸るのも当然だろう。
明智光秀もさっさと安土や畿内をおさえりゃいいのに京都に入り浸っていたのと同じだ。大義が欲しい
0862人間七七四年2019/01/22(火) 15:00:07.74ID:YLgoQE/J
西軍総大将のくせに戦闘もせず、減封で済まされる
宇喜多や小西に申し訳ないとか思わないところが、テル
0863人間七七四年2019/01/22(火) 15:35:50.13ID:7R0kA8Lc
ま、おまえら自分の人生をまっすぐに見つめるのがいやなようだな。
400年前のヒト事に必死だな。
ん?どうだ?人生うまくいってないのか?あ?
0864人間七七四年2019/01/22(火) 18:11:10.32ID:tawsXfne
>>862
人の兵力アテにして(しかも体よく利用する気満々)挙兵するような奴に
かけてやる情けなんかないだろ
つーかなんだよその被害者根性丸出しの発想は
毛利からすればお前らがふがいなさすぎるって言いたいだろうよ
まあこの考え方もいい根性してるとは思うが
0865人間七七四年2019/01/22(火) 18:27:51.40ID:Eks1QXVO
>>859
つか毛利が実際に防長に入って検地してみたら50万石越えて、そのまま報告したら幕府から「福島正則の安芸備後が49万石なのに
そこを追い出されたお前らがそれより大きいのはアカンやろ!」って36万石にされたそうな。
0866人間七七四年2019/01/22(火) 18:47:19.23ID:Hwapaamz
適当な太閤検地のせいか
0867人間七七四年2019/01/22(火) 20:18:26.26ID:LDgihXWv
まあ無理すれば結構嵩上げ出来るからなあ…
無理しすぎて島原の乱おこしちゃったお馬鹿もいたけどw
0868人間七七四年2019/01/22(火) 20:56:06.37ID:B4/UxINa
>>864
自軍は殆ど戦ってない徳川に対する嫌味ですね。解ります。
0869人間七七四年2019/01/22(火) 22:05:08.10ID:mOMrxrnN
>>862
毛利は大垣に篭城して大津からの援軍を待てと命令したのに
石田たちが無視して大垣城を放棄したからね
公然と命令無視をされたら総大将としての毛利の立場がなくなるから仕方がない
0870人間七七四年2019/01/22(火) 22:08:20.26ID:LDgihXWv
>>868
徳川への嫌みになってるかなぁ…解りません。
0871人間七七四年2019/01/22(火) 22:27:46.39ID:jeVszY6U
>>862
自分とこの安国寺だって斬首されてんじゃん
トカゲの尻尾切りのつもりかどう思ってたのかは知らないが
0872人間七七四年2019/01/23(水) 04:04:56.91ID:de34H1jQ
徳川軍が活躍しなかったというよりは福島以下の東軍先鋒軍の士気が高すぎた
仲のいい武闘派ライバル同士が張り合って不倶戴天の敵を追い回してる状況
「お前らそんなに三成が嫌いか」と呆れ返るレベル
0873人間七七四年2019/01/23(水) 04:09:32.47ID:KuVuV3gc
>>866
まあ、豊臣家には毛利に借りの意識有っただろうね。
中国大返しの時に追撃しなかったんで、検地が甘々だったとしか。
つうか、太閤検地での旧毛利領の石高と、寛永期あたりの石高だと全然違う。

120万石って、実収200万くらい石有ったんでは?って感じ。
0874人間七七四年2019/01/23(水) 04:18:28.56ID:KuVuV3gc
>>854
多分、叔父に後見されてああいうぎりぎりの決断した事が無いんだろう。
例えば備中の三村なんて、毛利が安芸備後の覇者に成った頃からの同盟者なんだよね。

尼子攻めにも普通に三村は参陣してたのに、三村の頭越しに宇喜多と同盟「三村の宿敵」してる。

切れた三村が離反したら、普通に滅ぼして族滅してる。
多年の同盟者でも、離反すれば消すのが普通の世界なのに、何故自分は絶対安全マンって
思ってたんかね。
0875人間七七四年2019/01/23(水) 07:30:12.40ID:+7feER42
>>871
つもりも何も間違いなくトカゲの尻尾切りというか毛利からの人身御供でしょう
あいつの政治的存在価値は奉行や豊臣家とのパイプであって、
奉行が失脚し、豊臣の先が見えている状況だともはや価値はほぼない
その上一門でもない外交担当の大物だから切り捨てるにもちょうどいい
責任の押し付け先としてはほぼ完ぺきだろう
0876人間七七四年2019/01/23(水) 09:03:29.29ID:cSWljKys
前田利家が生きてたらなあ〜〜〜
0877人間七七四年2019/01/23(水) 09:22:03.68ID:ZngUR1Kl
利家が生きてても三成は毛利と結んだじゃん
0878人間七七四年2019/01/23(水) 10:43:43.64ID:unmPCsqy
どの時代でも全く役に立たなかった前田に頼ること自体終わってる
世渡りについて学べばよかったんじゃないか前田に
0879人間七七四年2019/01/23(水) 11:00:20.60ID:VapvKJcD
輝元はお坊ちゃま扱いされてるけど結構な数の家臣を粛清してる苛烈な性格だぞ
0880人間七七四年2019/01/23(水) 11:00:25.93ID:jMCqbEAG
>>873
太閤検地は通説で言われてるようなかっちりとした検地でもなんでもなく
軍役賦課のために実行された甘々勘定ばっかりだぞ
大体のところは過去の指出の数値で適当に検地したことにしてある

毛利だから甘いわけでもなんでもない、元から太閤検地はどんぶり勘定も甚だしいもんだ
0881人間七七四年2019/01/23(水) 11:06:57.38ID:YYoNQTzO
>>878
世渡り的な事を学ぶんなら、前田より藤堂だと思う
いや前田も悪くないけど
0882人間七七四年2019/01/23(水) 11:36:50.85ID:KuVuV3gc
>>881
藤堂の生き方って、武士と言うより傭兵隊長だよな、15世紀末あたりのイタリアの傭兵隊長みたいな
香りがする。
現在契約中の雇い主に尽くしてるんだから、文句言われる筋合い無しって感じだ。
0883人間七七四年2019/01/23(水) 13:07:28.27ID:zEjWFBhd
>>873
>太閤検地での旧毛利領の石高と、寛永期あたりの石高だと全然違う

太閤検地が通説とは違い査定に厳しくないのもあるが、
単純に40年も差があれば石高が変わる(増える)ってだけだよ

毛利領に限らず、どこもその40年で石高は随分増えてる
そら戦争のない世の中になったんだから内政が充実するわな
0884人間七七四年2019/01/23(水) 13:15:34.55ID:k6OtCtLA
毛利はもっと水軍を活用しろよと言いたいわ
0885人間七七四年2019/01/23(水) 14:15:19.50ID:ZVt3FtwW
水軍に夢見すぎな人かな
0886人間七七四年2019/01/23(水) 14:41:43.48ID:lW5dQZfC
>>884
毛利水軍は伊予への侵攻、阿波接収、紀州沿岸伊勢湾沿岸での放火略奪と大活躍していただろ
0887人間七七四年2019/01/24(木) 13:28:56.88ID:7CGC3Lac
長州はマジで50万石あったのか、家格あげるために無理してそう申請したのかはっきりわかってない
0888人間七七四年2019/01/24(木) 13:33:28.91ID:+0/2vUma
周防「・・・・・」
0889人間七七四年2019/01/24(木) 13:44:26.34ID:N0+AtxTf
幕末になると寝返る藤堂のお家芸
0890人間七七四年2019/01/24(木) 13:48:49.81ID:+0/2vUma
>幕末になると寝返る藤堂のお家芸
0891人間七七四年2019/01/24(木) 18:53:38.19ID:Ldp8RMnE
>>886
伊予侵攻で能島村上当主が戦死していたような
0892人間七七四年2019/01/25(金) 02:33:35.41ID:8CsJRSDb
>>883
でも、太閤検地の数字って「特に山陽山陰あたり」異常に少ない気がするよなあ。
信じると、戦国時代って相当無茶な動員してた事に成る気がする。
0893人間七七四年2019/01/25(金) 10:26:29.86ID:iiy+J3IK
そんな毛利って石高に比して多い動員数やったっけ?
あるいは、太閤検地の時だけ山陰山陽地方の石高が低く見積もられてる根拠になる史料あったか?
0894人間七七四年2019/01/25(金) 13:08:37.21ID:jutLQVsL
太閤検地の石高が異様に低いというと、まず真っ先に出羽が思い浮かぶな
0895人間七七四年2019/01/25(金) 14:10:42.35ID:HjZLkCSv
中国地方・山陰の石高は確かに、え?って位に低い。
ホントに毛利って120万石なの?って。
実際はもっとあったんだろうな。
0896人間七七四年2019/01/25(金) 14:44:34.89ID:jutLQVsL
>>895
確かに、徳川幕府以後と比べて石高が低く見積もられていた国が山陰山陽には少なくないが、
それは他の地域も同じようなものだったよ。
0897人間七七四年2019/01/25(金) 15:02:02.70ID:UsO2vzJ7
太閤検地つっても大部分は指出だから大名権力の弱い毛利なんかはゆるゆる検地しかできなかったので石高が低い
同じく大名権力の弱い島津氏は恥も外聞もなく検地を豊臣奉行に丸投げして豊臣権力を背景に大名権力を強化したり
毛利氏も遅まきながら関ヶ原後にキッツイ検地や国人系家臣の粛清を行って近世大名に脱皮した
太閤検地はイメージと違って全国一律ではなく地域差大名差が大きかったことに留意しないとね
0898人間七七四年2019/01/25(金) 15:39:45.44ID:l/6TWm2P
大名権力への集中に成功してるあたり、輝元もなんやかんやと割と有能なのよね
ミスして改易された大名腐るほどいるし

輝元バカ殿扱いされてっけど、中央政権に興味なかっただけで普通に傑物だとは思う
ド畜生ではあるけれど
0899人間七七四年2019/01/25(金) 16:45:51.93ID:0qwBlMxM
>>897
まーそれはそうなんだが、そういうゆるい検地をやっていたのは、別に毛利氏だけではないということ。
0900人間七七四年2019/01/25(金) 16:50:03.79ID:bBZkmLR/
当時、自前でちゃんと検地できたのは徳川家だけじゃない?
なお4公6民は維持したが、検地竿は短くした
0901人間七七四年2019/01/25(金) 17:25:21.92ID:iiy+J3IK
太閤検地以前の山陽山陰の石高がわかれば一番手っ取り早いが
毛利がひときわ検地の時に贔屓されてたかどうかはわからん
0902人間七七四年2019/01/25(金) 19:00:26.12ID:Pxc5bHc2
検知の結果で軍役負担が決まるとしたら差し出しで過少申告すんのはまあ当然よね
それで通ってるならむしろやり手なんじゃね?
0903人間七七四年2019/01/25(金) 19:15:45.21ID:0qwBlMxM
>>902
過少申告すると国替のときに本当にその石高の土地に飛ばされるという
0904人間七七四年2019/01/25(金) 19:46:09.82ID:Pxc5bHc2
それはあり得るね
でも毛利は何だかんだ飛ばされもせず済んでるな
0905人間七七四年2019/01/25(金) 20:10:55.01ID:UsO2vzJ7
弊害が大きいから過少申告は意味無いよ。蒲生のように過少申告こじ付けられて改易なんてのはそうはないだろうけど
あそこ石高低いイコール軍事力低いあそこ大したことないと思われたら死活問題だからほとんどの大名が石高の上昇にしのぎを削った時代
その毛利も関ヶ原後は表高上げるために血眼になったわけで
0906人間七七四年2019/01/25(金) 20:16:56.34ID:XgEJQ/yK
石高が高く格式が高すぎると日常の出費もかさむ
財政悪化の要因にもなるから、どちらがいいかは藩による
0907人間七七四年2019/01/25(金) 20:44:24.52ID:jutLQVsL
確かに毛利氏は関ヶ原後に過少申告どころか過大申告してるからな。
0908人間七七四年2019/01/25(金) 20:49:15.09ID:iiy+J3IK
メンツのために財政破綻しまくる武家は腐るほどいるしなぁ
島津なんかもそうだし

果たして出費がかさむから過少申告しとこうなんてそろばん弾ける武家がどんだけいるんだろ
0909人間七七四年2019/01/25(金) 23:04:05.29ID:UsO2vzJ7
だから幕府は家格上昇のための表高の上積みを抑制したり参勤交代の人数削減を勧告したり健全財政を保つようにいろいろしてたが
見栄と威信が直結してた時代だからなかなか言う事聞いてもらえず苦労してた
0910人間七七四年2019/01/26(土) 02:35:11.64ID:iT/9EfV3
その幕府が早々に経済破綻してたんだから仕方が無い
0911人間七七四年2019/01/26(土) 07:04:33.35ID:kJEfBZuA
でもそれってしゃーないんだよね、そこらの連中に『あいつすげえ!』って思わせる
一番簡単な方法って(見栄を張ってでも)財力があるかのように見せつける事だもの
武士なら武力は持ってて当たり前だし、江戸時代はほぼマトモな戦争ないし
大体江戸時代ってのは、何かというとすぐ斬った張ったして暴れる武士どもを
お上の命令を忠実に実行するお役人様にするのが仕事だったと言ってもいい位だしな
まあ薬が効きすぎて、幕末に大半の武士が武力の面で役立たずになったのは否定せんが
0912人間七七四年2019/01/27(日) 13:57:26.09ID:W2ckUOtY
>>903
多分、検地で国人一揆が起こったのってそれだよね。
それまで、1000石って約束で安堵されてた領地が、実は検地したら1800石でしたなら
差額の800石は没収されるって事だし。

て、この理解で合ってますよね?
0913人間七七四年2019/01/27(日) 14:40:46.93ID:KnhjVh9B
作戦で勝つのか
道具で勝つのかが全くないw
0914人間七七四年2019/01/28(月) 02:29:48.57ID:hN2orYox
検地の結果石高が多くなった場合その分土地を奪われる訳ではなく、単純にその歳から年貢が上がるのでは?
0915人間七七四年2019/01/28(月) 12:18:33.68ID:2cpnvLKA
>>914
だからさ、朱印状で安堵されるのがドコソコの領地ってだけで無くて、石高も有るのかと?
○○郡○○村と○○村と○○村、都合三つの村で1500石みたいな感じで。

そんで、実際検地して実高2500石とかだったら?
0916人間七七四年2019/01/28(月) 13:01:17.23ID:/4m81zQ5
>>915
ケースバイケースだけど領地召し上げになるのは稀で税と役務が上がる方向で調整するのが普通
領主が意図して隠していたと見なされたら別だけどそうでなければ再検地で増えた石高はそのまま収入になる
0917人間七七四年2019/01/28(月) 14:17:53.09ID:n+qCuGxl
普通は増加分はよく開墾したね偉いねそのまま認めるよ軍役はその分増えるけどそれは当たり前だよねで済む
問題は検地と領地替えがセットの場合。新領主が来たり領内再編があったり転封だったりすると
新領地は宛行状の額面取りになってしまい増加分は公収されるので実質減封になる
だから増税面ばかりに目がいてる者が多い検地だがちゃんとやれば実収入を主君にきっちり保証してもらえるという
家臣レベルでも歓迎できる面もあるという事
0918人間七七四年2019/02/03(日) 17:37:15.32ID:umXObtER
最近このスレ発見したんだけど、三成が大垣城を出ず、秀包、立花軍を待つというシナリオは検討された?
当然しているとは思うんだけど、その結論が出ているなら教えていただけるとありがたく。
0919人間七七四年2019/02/03(日) 17:55:46.40ID:MmC6eVhS
佐和山城を落とされちゃうじゃん
0920人間七七四年2019/02/03(日) 21:54:46.27ID:U2eJwmYo
>>918
大津城組の到着を待つと、東軍も秀忠隊が到着する。
戦力比はますます西軍に不利になる。不戦密約の南宮山吉川・毛利や
松尾山を占拠した小早川秀秋の存在、
西軍がなんとかしようとするならば9月14日以前でなければ厳しいと思われる。
0921人間七七四年2019/02/04(月) 01:22:25.90ID:SXEF+TjV
>>920
なるほど。
テルが大阪から出てくればいい勝負になりそうだけど、まあ出てこないだろうしねえ。
サンクスです。
0922人間七七四年2019/02/04(月) 01:40:30.38ID:YD23ACd3
大坂の東西に睨みを効かせ情報収集と指揮をとる為には留まるのが正解だし
史実から観て勝つためには輝元がリスクを承知で大坂から出ざるをえない
0923人間七七四年2019/02/04(月) 05:53:40.42ID:DAqLtt5l
>>921
まぁ大津城を抑えのみ残して主力は関ヶ原に急行するという手もあるけど、それが選択できるかだね。
0924人間七七四年2019/02/04(月) 05:55:58.37ID:hrJLfaCP
毛利がリスクを背負うメリットも大してないしな、
なんで自勢力の倍位の勢力相手に正面決戦せにゃならんのか
しかもこっちの士気が明らかに低下してる不利な状況で
仮にそれをやったところで西軍側(奉行衆)がそれに伴う大損害をペイ出来るだけの
報償を用意してくれるとは思えん
それならこの騒動のスキを狙って、瀬戸内周辺をなし崩しに制圧して自領にする方が
ずっと楽だし得だ(失敗したけど)
そもそも輝元は家康と短期で正面決戦なんてやらんでいいと思っていたから、
つまりそんなリスクはないと思ったから関ヶ原で西軍についたんだろうし
0925人間七七四年2019/02/04(月) 06:17:14.29ID:qSfc0Akt
>>923
それをするためには東軍の動向に対する性格な情報を持っていなければならない。そして西軍は東軍の動向を全く把握できていなかった。以上。
0926人間七七四年2019/02/04(月) 07:15:55.66ID:Ze1EmnQR
西軍だけでなく東軍家康もこんなに早く決着がつくって予想出来てたんだろうか?
黒田如水の行動は明らかに長期戦狙いだよな?
0927人間七七四年2019/02/04(月) 14:01:57.98ID:LNifRTPF
桑名にいた鍋島勝茂を急行させていれば決戦に間に合ったのに
0928人間七七四年2019/02/04(月) 14:13:05.29ID:tiUZSrNa
>>925
理由付けするならば、赤坂の東軍撃滅を優先するため大津城は包囲に留める、あたりかな。


しかしよく考えてみると、
9月15日西軍大津城攻略
9月17日秀忠隊妻籠到着
これなら大津城攻略後でも1〜2日秀忠隊より
早く関ヶ原に到着すると思う。
これなら到着後すぐ決戦ならなんとかなるかも。
0929人間七七四年2019/02/04(月) 14:14:19.01ID:DumupcPx
どんだけ遠隔地の情報が豊富な設定なんだ?
0930人間七七四年2019/02/04(月) 16:54:32.51ID:Eq95U+ZZ
>>927
家康は犬山城の内応勢を長島へ向かわせていいるから、
そうなるとそれに対する備えは必要になる
0931人間七七四年2019/02/04(月) 17:24:12.22ID:JYjGQnqT
鍋島直茂が勝茂に書状送って、もう程ほどにしろって話しが有名だけど
あれって事実なの?
0932人間七七四年2019/02/04(月) 20:18:28.30ID:Eq95U+ZZ
家譜でしか確認できない類
0933人間七七四年2019/02/04(月) 21:53:44.54ID:lIx+rjsE
>>928
いやー、ちょっと無理があるだろ
南近江が東軍方ってのは西軍からしたらかなり怖いから陥落はさせたいよ
0934人間七七四年2019/02/04(月) 21:54:54.73ID:nirwJkIW
はっきり覚えがないんだが、鍋島の家譜だかなにかに、
長島の押さえとして長島・桑名周辺にいた鍋島勝茂だが、
大垣からの救援要請が来たので、大坂(だったかな?)に自分の代わりの
長島の押さえの軍勢を送るよう依頼し、それが到着したら
大垣・関ヶ原方面に向かうつもりだった、と。

当時、南濃の太田山城には西軍方として原長頼がまだ健在で、
鍋島、原長頼が長島の押さえとして在陣していたと思われる。
たしかに、家康もしくは秀忠隊等東軍の後続隊が伊勢に来ないとも限らないので、
その阻止も兼ねて長島の押さえとして長島・桑名周辺に鍋島がいたというのは
納得ができるものだと思う。
0935人間七七四年2019/02/04(月) 22:45:45.14ID:SXEF+TjV
>>928
赤坂の家康着陣で三成らは驚愕し、その深夜に関ヶ原に移動したわけだしね
これで三成は逃亡したと見なされた説もどこかの新聞記事で見かけたが、迅速な情報収集とそれに基づく判断ができず追い詰められた感がすごい
0936人間七七四年2019/02/05(火) 00:22:15.19ID:gl8Ezgss
鍋島勢が関ヶ原に到達できたとしても地理的に南宮山傍観組が増えるだけのような気が
0937人間七七四年2019/02/05(火) 04:15:41.25ID:UldP05o8
>>936
鍋島は9千だぞ?南宮山に2万5千以上とか登れないがな
0938人間七七四年2019/02/05(火) 07:42:10.24ID:kp+2zrl2
長宗我部とか長束は山麓
0939人間七七四年2019/02/05(火) 12:52:44.01ID:iPXltAef
長曽我部のさらに後ろでポカーンとしてる間に戦が終わってるよ
0940人間七七四年2019/02/05(火) 13:11:14.47ID:UounjAe7
各地の諸将は、決戦日を事前に知らされてたわけじゃあるまい
家康や三成だって前日まで知らなかった
0941人間七七四年2019/02/05(火) 14:31:12.23ID:H9UJeBAP
主任クラスの石田で、毛利支店長やら前田顧問とかを納得させることは出来ないよな。一番頼りにしてる水魚の交わりである大谷さんですら係長レベル。
0942人間七七四年2019/02/06(水) 01:41:59.38ID:kyMiXYuj
家康赤坂着陣の報により、9月18日に赤坂の東軍に対し決戦を挑む、という日程ならば、
大津城組は到着できる。鍋島は微妙だが、原長頼に長島の押さえを任し
自身は大垣へ急行、できるかな?
大津城組12000〜13000くらい、鍋島9800が到着したとしても、
やっぱり戦力比は9月14日以前のほうが有利に戦える。
ただ、毛利元康、小早川秀包が到着したことによって毛利秀元、吉川広家が
不戦を貫くのか、否かがなんとも言えない。
0943人間七七四年2019/02/06(水) 13:38:10.61ID:Yrli94i+
>>939
伊勢街道が鍋島勢九千で混雑したせいで長宗我部長束は撤退が遅れて壊滅、島津義弘は退却不能で討ち死にしそう
0944人間七七四年2019/02/06(水) 15:40:12.25ID:sGN7IM2J
鍋島九千というのが、そもそもナイ
0945人間七七四年2019/02/07(木) 12:31:33.58ID:WKsWHLJL
鍋島直茂
http://or2.mobi/data/img/222843.jpg

鍋島直正
http://or2.mobi/data/img/222844.jpg
http://or2.mobi/data/img/222845.jpg
0946人間七七四年2019/02/07(木) 14:37:52.55ID:fTQyob1h
おお偉大なハルトマン おお偉大なハルトマン 永遠に果て無く栄えよ おお我らがハルトマン おお我らがハルトマン 銀河に名立たる王者よ 星々を手折り束ねて全て捧げてしまえば皆を約束の地へと導く銀河の父よ 
おお輝けハルトマン おお輝けハルトマン 過去に未来に現在に おお讃えよハルトマン おお讃えよハルトマン 讃え願えば叶う 宇宙を舞う青き翼も夢歌う桃色の花も 心その身さえ捧げよ我らが父へ 
おお崇めよハルトマン おお崇めよハルトマン 主への絶対の忠誠 おお願えよハルトマン おお願えよハルトマン 黄金の化身を信じて 手に入れし野望儚く彼方へと消えゆくは記憶 時を巡る歯車疑視めて願うは父よ
0947人間七七四年2019/02/07(木) 17:20:52.32ID:8xQdYGBD
岐阜城落として東軍先発隊は赤坂着陣してそのままなんだから
西軍は兵集めてさっさと決戦すりゃよかったんだよ
小早川に松尾山占拠されて家康赤坂着陣の報受けて即決戦はやはりおかしい
追い込まれての決戦のほうがすっきりする
0948人間七七四年2019/02/07(木) 17:24:29.76ID:ejMUTboc
>>947
兵というのはそう右から左へホイホイ移動できるものではなくてね
0949人間七七四年2019/02/07(木) 17:27:32.52ID:8xQdYGBD
岐阜城落ちて家康が慌て輝元が損切りし始めたように事態は動いているのに
安濃津だ大津だ拠点落としに行くそののんきさは一体どこから来てるんだか
東軍は指をくわえて待っていてくれると思ってたの
0950人間七七四年2019/02/07(木) 20:06:23.16ID:7/uXVKav
>>949
その辺は独断で戦略を変更できる権限の持ち主がいない寄り合い所帯の辛さだろうね
あと東軍は大坂奪還を目指す一点に集中できるけど西軍は目標がはっきりしてないのも問題だと思う
それに伊勢のことはともかく大津城の京極高次は捨て置けないと思うよ
京都の入り口という戦略的な価値の高さに加えて
秀頼の叔父という政治的にも意味のある人物の離反なんだから
あれは関ヶ原全体を通してもトップクラスの戦功じゃないかなあ
0951人間七七四年2019/02/07(木) 21:24:41.55ID:sE9chBjq
目と鼻の先の赤坂に敵軍がいるのに、大垣城の部隊は家康来る前になんで攻めなかったんだろうね
三成も宇喜多もいたのに
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。