関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part21
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0001人間七七四年
2018/11/28(水) 20:19:51.02ID:xFPcOePC前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part20
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
0054人間七七四年
2018/12/05(水) 16:53:12.79ID:Z8BKmbTZそもそも論功行賞を秀頼成人までストップさせなさいなんて無理難題遺す方が悪いレベルちゃうか
家康を秀吉が生前から警戒してたなんて史料からは全く読み取れないし、むしろ弟よりも席次を上にするレベルに贔屓してる
0055人間七七四年
2018/12/05(水) 20:10:12.47ID:vT5hvAzK唯一得をしている(ように見られてる)集団が論功行賞を停止なって言ったらどうなるか
それも自分達の政治的影響力を守るためときたら
0056人間七七四年
2018/12/05(水) 22:06:21.92ID:HZ0FQMnDやはり利用できるものは何でも利用して自分に有利な状況へ持って行けた者が勝てる。
0057人間七七四年
2018/12/05(水) 22:21:01.47ID:4mhcXAIB0058人間七七四年
2018/12/05(水) 22:25:49.42ID:Oq6CBDh30059人間七七四年
2018/12/06(木) 00:06:06.19ID:9WzQ1i/2蔵入地は元から収支が不透明で奉行による不正の温床になっていたからね
増田や長束や玄以の城からは関ヶ原後に石高の規模を遥かに超える金銀が発見されており
相当な横領が横行していたのは間違いないことだ
朝鮮に行かされて疲弊した状態で自分たちのなけなしの米が奉行に横領されていたら
加藤たちが怒るのも無理はない
蔵入地の制度は問題がありすぎて解体するしかないのが実情だった
0060人間七七四年
2018/12/06(木) 00:28:29.16ID:lUEYdPYv>蔵入地は元から収支が不透明で奉行による不正の温床になっていたからね
増田や長束や玄以の城からは関ヶ原後に石高の規模を遥かに超える金銀が発見されており
相当な横領が横行していたのは間違いないことだ
ソースくれ
0061人間七七四年
2018/12/06(木) 09:43:53.84ID:V+7uphr6西軍を倒してしまったら面白いかも
秀頼様を救出じゃああって張り切って
0062人間七七四年
2018/12/06(木) 10:46:20.15ID:9cIE12vvかといって講談だけで語ることもできない。
客観的な推測もおりまぜながら、真実の関ヶ原をまとめるべき。
0063人間七七四年
2018/12/06(木) 11:13:38.57ID:Py7DOUkc今は真実扱いでも史料発見1つで変わる可能性もある
0064人間七七四年
2018/12/06(木) 11:17:08.21ID:Cxk/T+oa0065人間七七四年
2018/12/06(木) 11:20:57.60ID:m6C1uFpZ解釈は変わるもんだから、変わったら変わったで好意的に受け止めればいいし
たとえ後々新史料なりで解釈が変わって間違ったアプローチしてたやつと同じ解釈になっても、それはたまたま答えがあっただけで過程は間違ったままだし
0066人間七七四年
2018/12/06(木) 21:04:33.43ID:VRPND+4n井伊・本多の同意なくして軍令違反はしないと思う。
上流池田隊の早期渡河もタイミングが早かったというだけで、
渡河する予定であったのは間違いないし。
ところで一次史料と二次史料の違いがいまいちわからんのだけど。
太田和泉守記や水野勝成覚書や吉川広家の覚書等、
当人は関ヶ原当時生きていて、ただ書いたのが後年というだけでしょ?
公家の日記や当時の書状にしたって風聞、誤記、勘違いはあるわけで、
関原軍記大成とかの軍記物みたいに既に当時の人間が生きていない時期に
成立したものなら信憑性に疑問もわかるけど、
当時生きていた人の書いたものの信憑性はそれなりにあると思うんだがなぁ。
0067人間七七四年
2018/12/06(木) 22:22:17.39ID:Py7DOUkcもちろん一次にもそれが含まれてる場合もあるけどね
どっちにしろ1つの史料では確定とは言えない、複数の史料をつき合わせて、真実に近づけるだけだ
0068人間七七四年
2018/12/06(木) 23:07:23.55ID:aJ6ArGkB後になってから書き残すために編纂されたのが二次資料
どちらも誤記や事実の隠蔽がある可能性があるけどその性質が全然違う
一次資料が二次資料より絶対正しいとは限らない
けどどういう意図のもとにそれぞれの資料が作られたのか踏まえて検証する必要がある
0069人間七七四年
2018/12/07(金) 00:18:10.28ID:qojIeiRv加賀藩と手紙のやり取りとかしてそうに思うけど。
0070人間七七四年
2018/12/07(金) 00:30:29.00ID:eoWkuNGa手紙だと生活支援してくれる旧臣らに宛てた手紙があるが、復帰を望んでいたらしい
真田昌幸と同じ境遇だな
0071人間七七四年
2018/12/07(金) 03:07:15.60ID:2J7wAG1oまぁ前田のリップサービスかもしれんけど
0072人間七七四年
2018/12/07(金) 08:04:39.41ID:qLNostTc合戦後は大阪城を退去したあと大幅な領地削減。
0074人間七七四年
2018/12/07(金) 09:03:17.18ID:ELTuk1Ni本来なら輝元は敗戦の責任を取って死罪か最低でも切腹が妥当なところだろ
それを領地削減で済ませるのは素晴らしい温情としかいえない
むしろ家康が処分を下す前に輝元が自発的に切腹して武士の意地を見せればよかっただけ
0075人間七七四年
2018/12/07(金) 10:27:11.34ID:0eCBLJuwんで調べたら自発的な行動の証拠がゾロゾロ出てきて見過ごせなくなったから相談して落とし所を探ったって認識してる
0076人間七七四年
2018/12/07(金) 12:23:23.51ID:LcDUn/Qaのうのうと生き永らえるテル
0078人間七七四年
2018/12/07(金) 16:42:17.62ID:2J7wAG1o0079人間七七四年
2018/12/07(金) 16:49:01.09ID:sqrjX/Fo0080人間七七四年
2018/12/07(金) 17:21:18.10ID:iGUxARkD0081人間七七四年
2018/12/07(金) 17:44:14.24ID:YeWrWGiv0082人間七七四年
2018/12/07(金) 18:00:13.20ID:qLNostTc元就自身は安芸の国人から苦労して成り上がったから晩年まで獲得した領地で
もうお腹いっぱいだろうけど、子孫は天下取りの野望は捨ててほしくはなかったな。
0083人間七七四年
2018/12/07(金) 18:08:20.29ID:9w69zDL8大友戦でもあれだし
元就がいないと戦争で機能しないの?
ナポレオン軍のような戦場では有能な将軍は沢山いても自分で戦略を立てて軍隊を動かせる将軍は片手の指にも満たない、みたいな
だとすると元就の遺言は自分以外は肥大化した毛利を動かせない、という意味もあるのかな
0085人間七七四年
2018/12/07(金) 18:28:30.23ID:qLNostTchttp://or2.mobi/data/img/217432.jpg
0086人間七七四年
2018/12/07(金) 18:32:21.86ID:qLNostTc0087人間七七四年
2018/12/07(金) 21:06:49.05ID:6bDDFQn8そこな、確かに家康に騙された訳だけど、あの場合信じる方も問題有るよね。
市況板に定期的に湧く、露骨な詐欺や乞食を信じる奴と同じだし。
あそこ迄露骨な詐欺だと、逆に家康を余り責められん気もするんだよね。
シャープを騙した鴻海の会長みたい。
0088人間七七四年
2018/12/07(金) 21:38:12.50ID:u9F8/z97先に恵瓊たちに巻き込まれただけつってペテンにかけようとしてるの、毛利側やろ
んで大坂捜索したらその話とは違ってごろごろ主犯の証拠が出てきたから更にペナルティってなったんやろ
正直これで家康が詐欺した云々は言いがかりレベルやろ
0089人間七七四年
2018/12/07(金) 22:19:09.87ID:eoWkuNGa最近は三成らの挙兵もそこに輝元が主導的に関わってるのも家康は予想してなかった説も強くなってきた
家康はずいぶんと油断してたと思うんだ
0090人間七七四年
2018/12/07(金) 22:44:18.17ID:u9F8/z97家康むしろかなりの瞬間湯沸かし器だし、異様にリカバリーが上手いだけで最初から思い通りに行ったことなどないレベルの行き当たりばったりだと思う
リカバリーがうますぎてあれは家康が最初から謀略してたんだって認識した人間から印象ついていったんだろうけどさ
0091人間七七四年
2018/12/08(土) 07:10:31.95ID:iSvgImMTじゃなけりゃ輝元だって篭城すんだろ。
0092人間七七四年
2018/12/08(土) 07:12:14.02ID:iSvgImMT徳川に引導渡したのは毛利だし、雪辱は果たしてるしな。
0093人間七七四年
2018/12/08(土) 08:18:43.38ID:KkojeROR大坂夏の陣なみに語る意味がない
0095人間七七四年
2018/12/08(土) 14:13:11.60ID:3srGw1mx0097人間七七四年
2018/12/08(土) 17:32:33.98ID:KkojeRORついてくる奴いるのか?
0098人間七七四年
2018/12/08(土) 17:43:01.08ID:WyejwVKm0099人間七七四年
2018/12/08(土) 19:35:07.54ID:BPBJK6ik0100人間七七四年
2018/12/08(土) 19:37:39.13ID:XejPob1I0102人間七七四年
2018/12/08(土) 19:53:16.59ID:KkojeRORなお家臣に背かれて切り捨てられる模様
0103人間七七四年
2018/12/08(土) 22:22:44.04ID:Oc/Pw4Hw0105人間七七四年
2018/12/08(土) 22:35:08.26ID:Oc/Pw4Hw長篠の合戦:天正3年・1575年
本能寺の変(織田信長没):天正10年・1582年
山崎の合戦:天正10年・1582年
賤ヶ岳の合戦:天正11年・1583年
小牧・長久手の合戦:天正12年・1584年
小田原征伐:天正18年・1590年
豊臣秀吉没:慶長3年・1598年
関が原の合戦:慶長5年・1600年
大阪冬の陣:慶長20年:1614年
大阪夏の陣:慶長21年・1615年
徳川家康没:元和2年・1616年
本能寺の変で織田信長が没した天正10から天正12年までの2年で
秀吉は織田政権の重要人物である柴田勝家・明智光秀を打ち破り
信長の同盟者の徳川家康とも対戦している。
0106人間七七四年
2018/12/08(土) 22:59:21.04ID:2cfNqNXp実戦になれば強力ではあるが、東軍が秀頼のいる城を力攻めするとは思えないから、立花はいても東軍の調略の足掛かりにしかならん
0107人間七七四年
2018/12/09(日) 03:13:26.09ID:RLmHAq6i二次資料も参考にしつつ、あとはフィールドワーク、遺跡などの調査も
含め客観的考察推測が必要だよ。
0108人間七七四年
2018/12/09(日) 10:23:42.05ID:s5Oveyd+資料至上主義の人って、結果から推測する間違いをしてる気がする。
歴史の中に居る人って、結果を知って無い事を理解しないと駄目だと思うんだ。
カエサルだって、ファルサロス以前は只の反乱軍扱いだったとしか思えないし。
元老院議員の殆んどは、ポンペイウス支持でギリシャに逃げてたんだよ、実際。
家康が大阪城の攻城戦してたら、上杉や佐竹が狸のしっぽに食らいつかない訳が?
少なくとも秀頼が城内に居る以上、東軍の士気は最悪だし。
0109人間七七四年
2018/12/09(日) 10:49:17.30ID:lNR4Pq/+秀頼が城内にいるから東軍の士気が最高潮になるんじゃないの?
秀頼の身柄を確実に奪還できるのだから
君も家康は豊臣の敵で他の東軍大名は嫌々家康に従っているだけなはずだと推測する間違いをしているよ
0110人間七七四年
2018/12/09(日) 10:51:45.11ID:XlW8mh1K「これこれこういう方法で上杉が関東に突入します」
と具体案を出さないといけないよ
0111人間七七四年
2018/12/09(日) 11:12:57.03ID:VxF8+H2G伊達と最上と結城を関ヶ原の勝敗報告が届いてる状況で
上杉がまとめて倒す方法をぜひとも教えてくれ
当然みんな関ヶ原の報告が届いてる状況でな
豊臣正規軍が謀反軍を蹴散らした状況でなお反乱側に味方する理由もふくめてだよ
それと佐竹は親父をどうやって説得したかも説明してね
話せばわかるんなら史実で絶対実行してるし、暗殺や押込なら内乱だからね
律儀者として有名な佐竹義宣にどんだけ親不孝な事させるつもりか知らんが
0112人間七七四年
2018/12/09(日) 11:21:37.54ID:d4E3J9zU>律儀者として有名な佐竹義宣
そんなの初めて聞いたが。
敵対しそうな豪族を酒宴に呼び出してまとめて毒殺するような奴だぞ。
0114人間七七四年
2018/12/09(日) 11:28:41.66ID:rqi3N13O実情に沿ってるかどうかはともかく、そういう評価が世間で有名
0115人間七七四年
2018/12/09(日) 11:45:59.75ID:rqi3N13Oんで、同調しようとして更に頓珍漢なこと言ってるアホもおるんか
自身のがよほど結果から裏付けもなしに推測してるってのが分かってないあたり、勉強ができてないというか客観と主観の見分けすらついてないな
散々言われてるんだから、他人にどうこう言う程度の理解もできてないんだから勉強しろよ
0116人間七七四年
2018/12/09(日) 15:33:14.89ID:w7Lc68xS軍艦のある程度の復権もそのおかげ
0117人間七七四年
2018/12/09(日) 21:39:53.81ID:RLmHAq6i別府の学者やTV出まくりの眼鏡男の主張をどう思ってるの?
0118人間七七四年
2018/12/10(月) 00:55:40.08ID:lzgqasbEウイリアム.L.シャイラーの、「ベルリン日記 1934〜1940」とか読んだ事有りますか?
何て言うか結果を知らない現場の人達が、ヒトラー政権やナチスを如何思ってたのか解って
面白いですよ。
でね、仮に400年後の人達がナチス時代の歴史を書くとしたら、どんな感じに成るでしょうか?
シャイラーの著書は全て失われてると仮定して?
抑々さあ、残したら危険な記録って残らない気がすんだよね。
0119人間七七四年
2018/12/10(月) 01:03:48.42ID:HqN/YgiC最低限今の史学がどういった史料批判と実証を行いながら現在信頼される学問になってるのかくらい調べて批判しろ
それすらできないで妄想で学問が信用できないと言い続けるなら、デマを垂れ流す悪人と一緒だから、黙ってろ
0120人間七七四年
2018/12/10(月) 01:09:19.84ID:HqN/YgiCお前がやらなきゃいけないのはまず知ることであって、妄言垂れ流すことじゃない
黙って史学の手法を調べて来い、それでもう一度同じ寝言が出るかどうか確認してからでも遅くねーだろ
0121人間七七四年
2018/12/10(月) 06:31:52.22ID:EqZ/QdI210月中旬以降。上杉・佐竹に期待するなら
大坂なんぞで籠城ではなく、10月中旬まで
美濃を支える方策を考えたほうが現実的。
0122人間七七四年
2018/12/10(月) 08:03:22.48ID:oWgs+J2eそれが後年重要性が薄れて二次資料には残ることも
ある特定の事実関係について調べるために資料を比べるのはともかく
資料そのものの信用性について盲信する材料にしちゃダメだわ
0123人間七七四年
2018/12/10(月) 09:28:07.04ID:CnpFymR8資料に矛盾が生じる時に整合性を取る解釈のために仮定するに留めないと
0124人間七七四年
2018/12/10(月) 09:34:09.73ID:10axpfXi1、捏造である可能性
2、捏造ではないが誤った情報、勘違いされた情報の可能性
3、1、2に関連して、伝聞故に既に一次資料としてふさわしくない可能性
0125人間七七四年
2018/12/10(月) 10:49:18.74ID:HqN/YgiC一次史料妄信してるなんて話は的外れだと否定してるのに、人の話聞いてないのか?
0126人間七七四年
2018/12/10(月) 13:33:01.27ID:10axpfXiだったらさ、別府の学者とかが唱える、山中説についてはどう考えてるのあんた?
0127人間七七四年
2018/12/10(月) 13:51:41.43ID:CnpFymR8つまり開戦時に勝敗が決まってる状態だし小早川は最初から敵軍扱い、調略どうこうで覆せる形勢じゃない
むしろこのスレで決戦開始時は西軍有利だったとか考えてる奴はおらんでしょ
だから解決策として関ヶ原の手前の岐阜城での後詰め戦が提唱されてる
0128人間七七四年
2018/12/10(月) 13:54:05.20ID:R6KV6iTu指摘そのものは面白い
0129人間七七四年
2018/12/10(月) 14:38:03.12ID:10axpfXiそういう意味では関ヶ原の戦いと呼称せず、山中の戦いであったという伝承はごく自然。
単純にこう考えちゃうんだけど、あのおっさんは、終始山中で戦闘してたって言ってるんだっけ。
0130人間七七四年
2018/12/10(月) 14:44:31.03ID:10axpfXi捉え方さえ確認できれば、その後の戦闘が関ヶ原であれ山中であれどっちでもいい気がするし、
その戦術的検証は今となってはほぼ無理かもね。
ただし、退却は毛利は家康に投降、小早川は家康方に旗幟を明らかにしたという前提で行われた
ことが前提だろう。
0131人間七七四年
2018/12/10(月) 14:46:27.21ID:10axpfXi勝負が決まった(終了)だけの話。
0132人間七七四年
2018/12/10(月) 14:47:08.43ID:10axpfXi0133人間七七四年
2018/12/10(月) 15:34:09.79ID:Nh5/Nu3N0135人間七七四年
2018/12/10(月) 19:48:26.21ID:2Dn1RhQ4だろ。
俺は一次史料はそれが意図的であろうがなかろうが
真偽については、決して二次資料に勝るものとは思っていないよ。
学会での捉え方は知らん。俺は科学に深く携わるものだが、そうだな、科学の目線での
意見とでも思っていただきたい。
0136人間七七四年
2018/12/10(月) 19:57:03.88ID:2Dn1RhQ4それは、現地に実際に行ってみて地理的な特徴を体で実感してみること。
その理由はいちいち述べないが、今年は赤坂にいってきた。
0137人間七七四年
2018/12/10(月) 20:34:12.02ID:pnro/0Y80138人間七七四年
2018/12/10(月) 22:11:01.84ID:4JBmyu5g父の松平広忠は家臣に殺されてるんだよな。清康は家臣の息子だけど。
0141人間七七四年
2018/12/10(月) 22:37:36.25ID:G0eSVqUs0142人間七七四年
2018/12/10(月) 23:34:06.62ID:ll0BgWFFでも、やる気無いのだもん。
0143人間七七四年
2018/12/11(火) 00:04:44.19ID:gPuk7AMX西軍は最低10年間は戦の論功行賞しないことが政策の看板だからね
論功行賞しないと掲げているのだから命がけで戦っても意味がない
意味があるのは返り咲きをしたい石田派閥だけ
だから石田派閥だけで戦えとなるのは必然の結末だよ
0144人間七七四年
2018/12/11(火) 03:57:15.95ID:Z/P6vlsjそれだと実際問題西軍についていくメリットなんてないじゃん
あ、でも小早川を関白にするだの言ってるよね
0145人間七七四年
2018/12/11(火) 08:08:30.63ID:f5dwHKQvなので恩賞で知行を得られるか疑問に感じた大名もいた可能性はある
もちろん関白に限らず官位で報いる点を否定する要素はないがどこまでありがたいかは疑問
対して家康は実際に朝鮮の論功行賞に手をつけようとしてたので(西軍よりは)信用があったと思われる
0146人間七七四年
2018/12/11(火) 08:33:15.77ID:YLXkwjce別に一次だからと絶対二次より正しいみたいなことは誰も言ってない
二次にも誤謬はあり得ると散々説明されてるでしょ
0147人間七七四年
2018/12/11(火) 08:37:51.58ID:v315AN6Oそもそも太閤遺命にのっとれば奉行と大老の戦争なんてとんでもない
0149人間七七四年
2018/12/11(火) 10:17:30.94ID:FZMlO/Sw奉行に返り咲きたいからお前ら無償で働け、なんてこれから戦争するのにどんなキチでも言わんと思うよ
0150人間七七四年
2018/12/11(火) 11:27:52.75ID:Z/P6vlsjああなるほど、秀吉の遺命違反について家康を糾弾してるのに恩賞だの論功行賞だのやったらおかしいわな
秀吉への忠誠心のみでことを起こすしか大義名分がたたないわけか
でもそれ誰が言うこと聞くか、って話だよな
命がけだのお家の存亡かけてそんな奇麗事言われても。
0151人間七七四年
2018/12/11(火) 13:19:29.22ID:n92j2ySX大義の面ではどっちにしても詰んでるな
0152人間七七四年
2018/12/11(火) 13:28:49.78ID:GV0/ii3Fどんな権限であれこれ仕切れるんだよ
0153人間七七四年
2018/12/11(火) 14:41:13.33ID:o27c3a0a勝山だけ。
岡を登り切って眼下を見渡した。
ここで決戦にもちこもうとしていたのがすぐ分かった。
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