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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part21

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0001人間七七四年2018/11/28(水) 20:19:51.02ID:xFPcOePC
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part20
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
0054人間七七四年2018/12/05(水) 16:53:12.79ID:Z8BKmbTZ
外戚で筆頭大老の家康がすでに実力がなく権威のみの豊臣家支えてる状態やしなぁ、蔵入地の方も奉行派遣しての豊臣家としての行動やし
そもそも論功行賞を秀頼成人までストップさせなさいなんて無理難題遺す方が悪いレベルちゃうか

家康を秀吉が生前から警戒してたなんて史料からは全く読み取れないし、むしろ弟よりも席次を上にするレベルに贔屓してる
0055人間七七四年2018/12/05(水) 20:10:12.47ID:vT5hvAzK
唐入りにおける戦費の負担に喘ぐ大名が多く何の補償もない中で
唯一得をしている(ように見られてる)集団が論功行賞を停止なって言ったらどうなるか
それも自分達の政治的影響力を守るためときたら
0056人間七七四年2018/12/05(水) 22:06:21.92ID:HZ0FQMnD
だけど政治でも戦争でも原則論にあまりにも固執すると敗北するケースが多いな。
やはり利用できるものは何でも利用して自分に有利な状況へ持って行けた者が勝てる。
0057人間七七四年2018/12/05(水) 22:21:01.47ID:4mhcXAIB
百歩譲って秀頼を担ぎ出して西軍が勝ったとして毛利の傀儡になるのがオチなのでは
0058人間七七四年2018/12/05(水) 22:25:49.42ID:Oq6CBDh3
そも秀頼を担ぎ出しても何も変わらん。豊臣恩顧が秀頼救出に張り切るくらい
0059人間七七四年2018/12/06(木) 00:06:06.19ID:9WzQ1i/2
>>53
蔵入地は元から収支が不透明で奉行による不正の温床になっていたからね
増田や長束や玄以の城からは関ヶ原後に石高の規模を遥かに超える金銀が発見されており
相当な横領が横行していたのは間違いないことだ
朝鮮に行かされて疲弊した状態で自分たちのなけなしの米が奉行に横領されていたら
加藤たちが怒るのも無理はない
蔵入地の制度は問題がありすぎて解体するしかないのが実情だった
0060人間七七四年2018/12/06(木) 00:28:29.16ID:lUEYdPYv
>>59
>蔵入地は元から収支が不透明で奉行による不正の温床になっていたからね
増田や長束や玄以の城からは関ヶ原後に石高の規模を遥かに超える金銀が発見されており
相当な横領が横行していたのは間違いないことだ


ソースくれ
0061人間七七四年2018/12/06(木) 09:43:53.84ID:V+7uphr6
西軍が、ではなくて東軍先発隊が家康の命令聞かなくて
西軍を倒してしまったら面白いかも
秀頼様を救出じゃああって張り切って
0062人間七七四年2018/12/06(木) 10:46:20.15ID:9cIE12vv
一次資料だけで語る馬鹿も最近はいるが、
かといって講談だけで語ることもできない。

客観的な推測もおりまぜながら、真実の関ヶ原をまとめるべき。
0063人間七七四年2018/12/06(木) 11:13:38.57ID:Py7DOUkc
真実なんて限られてるし
今は真実扱いでも史料発見1つで変わる可能性もある
0064人間七七四年2018/12/06(木) 11:17:08.21ID:Cxk/T+oa
家康が早死にしていたら勝てた
0065人間七七四年2018/12/06(木) 11:20:57.60ID:m6C1uFpZ
史料一つで解釈が変わるのが史学だけど、研究方法は確立はされてるんだからそれに沿うべきよな
解釈は変わるもんだから、変わったら変わったで好意的に受け止めればいいし

たとえ後々新史料なりで解釈が変わって間違ったアプローチしてたやつと同じ解釈になっても、それはたまたま答えがあっただけで過程は間違ったままだし
0066人間七七四年2018/12/06(木) 21:04:33.43ID:VRPND+4n
東軍先発隊の暴発の可能性はかなり低いだろうなぁ、
井伊・本多の同意なくして軍令違反はしないと思う。
上流池田隊の早期渡河もタイミングが早かったというだけで、
渡河する予定であったのは間違いないし。

ところで一次史料と二次史料の違いがいまいちわからんのだけど。
太田和泉守記や水野勝成覚書や吉川広家の覚書等、
当人は関ヶ原当時生きていて、ただ書いたのが後年というだけでしょ?
公家の日記や当時の書状にしたって風聞、誤記、勘違いはあるわけで、
関原軍記大成とかの軍記物みたいに既に当時の人間が生きていない時期に
成立したものなら信憑性に疑問もわかるけど、
当時生きていた人の書いたものの信憑性はそれなりにあると思うんだがなぁ。
0067人間七七四年2018/12/06(木) 22:22:17.39ID:Py7DOUkc
後年の史料になるほど誤記に「意図」が感じられるもの、覚書などは自分に都合の悪い事はまず書かない
もちろん一次にもそれが含まれてる場合もあるけどね
どっちにしろ1つの史料では確定とは言えない、複数の史料をつき合わせて、真実に近づけるだけだ
0068人間七七四年2018/12/06(木) 23:07:23.55ID:aJ6ArGkB
リアルタイムの手紙とか公文書、日記が一次資料
後になってから書き残すために編纂されたのが二次資料

どちらも誤記や事実の隠蔽がある可能性があるけどその性質が全然違う
一次資料が二次資料より絶対正しいとは限らない
けどどういう意図のもとにそれぞれの資料が作られたのか踏まえて検証する必要がある
0069人間七七四年2018/12/07(金) 00:18:10.28ID:qojIeiRv
宇喜多秀家って八丈島か薩摩時代になにか覚書の類でも残してないのかねぇ?
加賀藩と手紙のやり取りとかしてそうに思うけど。
0070人間七七四年2018/12/07(金) 00:30:29.00ID:eoWkuNGa
秀家に関しては最近新書も出てるが、薩摩逃亡以後の話はほとんどない。
手紙だと生活支援してくれる旧臣らに宛てた手紙があるが、復帰を望んでいたらしい
真田昌幸と同じ境遇だな
0071人間七七四年2018/12/07(金) 03:07:15.60ID:2J7wAG1o
あれ?前田から所領貰って復帰させるって話とか断ってなかった?
まぁ前田のリップサービスかもしれんけど
0072人間七七四年2018/12/07(金) 08:04:39.41ID:qLNostTc
だけど毛利輝元も自業自得とはいえ見事に嵌められたからな。
合戦後は大阪城を退去したあと大幅な領地削減。
0073人間七七四年2018/12/07(金) 08:09:17.06ID:9w69zDL8
>>72
退去すれば領地維持してもらえると本気で思ってた知障だから領地削減ですんだ可能性が
0074人間七七四年2018/12/07(金) 09:03:17.18ID:ELTuk1Ni
敵の大将になって家康を非難する書状にも署名したのだから
本来なら輝元は敗戦の責任を取って死罪か最低でも切腹が妥当なところだろ
それを領地削減で済ませるのは素晴らしい温情としかいえない
むしろ家康が処分を下す前に輝元が自発的に切腹して武士の意地を見せればよかっただけ
0075人間七七四年2018/12/07(金) 10:27:11.34ID:0eCBLJuw
確か広家が「恵瓊が悪い、輝元様は恵瓊と三成に担がれただけ」って報告してたんじゃ無かったっけ
んで調べたら自発的な行動の証拠がゾロゾロ出てきて見過ごせなくなったから相談して落とし所を探ったって認識してる
0076人間七七四年2018/12/07(金) 12:23:23.51ID:LcDUn/Qa
石田や安国寺が処刑されて河原にさらされたのに
のうのうと生き永らえるテル
0077人間七七四年2018/12/07(金) 16:30:55.07ID:eoWkuNGa
>>75-76
三成や恵瓊の処刑は、輝元のスケープゴートとしてだったと思うんだよね
0078人間七七四年2018/12/07(金) 16:42:17.62ID:2J7wAG1o
吉川広家も毛利からみたら売国奴やろ
0079人間七七四年2018/12/07(金) 16:49:01.09ID:sqrjX/Fo
毛利の二股外交の一方の責任者であって、売国奴とかではない
0080人間七七四年2018/12/07(金) 17:21:18.10ID:iGUxARkD
吉川いなくなったら毛利ちゃん困るもの
0081人間七七四年2018/12/07(金) 17:44:14.24ID:YeWrWGiv
金吾ちゃんも困る
0082人間七七四年2018/12/07(金) 18:00:13.20ID:qLNostTc
毛利元就は「天下を望まず」という遺言をしてそれが毛利家の家訓みたいになってるらしいな。
元就自身は安芸の国人から苦労して成り上がったから晩年まで獲得した領地で
もうお腹いっぱいだろうけど、子孫は天下取りの野望は捨ててほしくはなかったな。
0083人間七七四年2018/12/07(金) 18:08:20.29ID:9w69zDL8
両川って二人いても秀吉に押し込まれたけど実際はそんなに有能じゃないの?
大友戦でもあれだし
元就がいないと戦争で機能しないの?
ナポレオン軍のような戦場では有能な将軍は沢山いても自分で戦略を立てて軍隊を動かせる将軍は片手の指にも満たない、みたいな
だとすると元就の遺言は自分以外は肥大化した毛利を動かせない、という意味もあるのかな
0084人間七七四年2018/12/07(金) 18:20:07.51ID:2J7wAG1o
>>82
それすら吉川広家が1人で騒いでる家訓やろ?
戦犯になって苦しいから言い始めた話やで
0085人間七七四年2018/12/07(金) 18:28:30.23ID:qLNostTc
吉川広家と聞くとなべおさみの顔を連想してしまう。肖像画は面長なんだよな。
http://or2.mobi/data/img/217432.jpg
0086人間七七四年2018/12/07(金) 18:32:21.86ID:qLNostTc
話は逸れるけど先代の三遊亭円楽の祖先が鳥取城籠城戦で切腹した吉川経家なんだよな。
0087人間七七四年2018/12/07(金) 21:06:49.05ID:6bDDFQn8
>>73
そこな、確かに家康に騙された訳だけど、あの場合信じる方も問題有るよね。
市況板に定期的に湧く、露骨な詐欺や乞食を信じる奴と同じだし。

あそこ迄露骨な詐欺だと、逆に家康を余り責められん気もするんだよね。
シャープを騙した鴻海の会長みたい。
0088人間七七四年2018/12/07(金) 21:38:12.50ID:u9F8/z97
毎回この話になっとるけど
先に恵瓊たちに巻き込まれただけつってペテンにかけようとしてるの、毛利側やろ
んで大坂捜索したらその話とは違ってごろごろ主犯の証拠が出てきたから更にペナルティってなったんやろ

正直これで家康が詐欺した云々は言いがかりレベルやろ
0089人間七七四年2018/12/07(金) 22:19:09.87ID:eoWkuNGa
家康なら謀略かましてるに違いない、という印象論だよね

最近は三成らの挙兵もそこに輝元が主導的に関わってるのも家康は予想してなかった説も強くなってきた
家康はずいぶんと油断してたと思うんだ
0090人間七七四年2018/12/07(金) 22:44:18.17ID:u9F8/z97
謀略したことはないとは言わないし、割と戦国大名として生きてるところはあるけど
家康むしろかなりの瞬間湯沸かし器だし、異様にリカバリーが上手いだけで最初から思い通りに行ったことなどないレベルの行き当たりばったりだと思う

リカバリーがうますぎてあれは家康が最初から謀略してたんだって認識した人間から印象ついていったんだろうけどさ
0091人間七七四年2018/12/08(土) 07:10:31.95ID:iSvgImMT
毛利を許すってのは大阪城を出る交換条件だろ
じゃなけりゃ輝元だって篭城すんだろ。
0092人間七七四年2018/12/08(土) 07:12:14.02ID:iSvgImMT
まあでも、この件についてはこのスレで話し合う事じゃないだろ
徳川に引導渡したのは毛利だし、雪辱は果たしてるしな。
0093人間七七四年2018/12/08(土) 08:18:43.38ID:KkojeROR
輝元は全てが終わった後の話だからな
大坂夏の陣なみに語る意味がない
0094人間七七四年2018/12/08(土) 13:14:21.15ID:E5xJP+NP
>>91
城主でもないのに籠城か
お笑いだな
0095人間七七四年2018/12/08(土) 14:13:11.60ID:3srGw1mx
別に城主でなくても籠城はできるだろ
0096人間七七四年2018/12/08(土) 17:11:03.62ID:zFWtN0Ra
>>95
豊臣「謀反人じゃー」
0097人間七七四年2018/12/08(土) 17:32:33.98ID:KkojeROR
大坂城本丸を制圧する気かよ
ついてくる奴いるのか?
0098人間七七四年2018/12/08(土) 17:43:01.08ID:WyejwVKm
秀頼の居る大阪城を攻めるとか誰がやるんだよw
0099人間七七四年2018/12/08(土) 19:35:07.54ID:BPBJK6ik
籠城されたらめんどくさかっただろうけど毛利は本国の守りがヤバいんじゃないか?
0100人間七七四年2018/12/08(土) 19:37:39.13ID:XejPob1I
大坂城はむしろ攻める対象だろ
0101人間七七四年2018/12/08(土) 19:48:33.86ID:+XIFsphD
>>99
もし大阪城を攻めないで毛利本国を狙ったら
上杉と佐竹に関東が落とされるな。
0102人間七七四年2018/12/08(土) 19:53:16.59ID:KkojeROR
男毛利輝元、西軍の大義名分を忘れて堂々と大坂城本丸を攻城
なお家臣に背かれて切り捨てられる模様
0103人間七七四年2018/12/08(土) 22:22:44.04ID:Oc/Pw4Hw
関が原の合戦の後は大阪城には毛利輝元だけでなくあの立花宗茂もいたんだよな。
0104人間七七四年2018/12/08(土) 22:31:33.07ID:/O/4I+io
>>101
どこの上杉にそんな余裕があるんだよ?
0105人間七七四年2018/12/08(土) 22:35:08.26ID:Oc/Pw4Hw
桶狭間の合戦:永禄3年・1560年

長篠の合戦:天正3年・1575年

本能寺の変(織田信長没):天正10年・1582年

山崎の合戦:天正10年・1582年

賤ヶ岳の合戦:天正11年・1583年

小牧・長久手の合戦:天正12年・1584年

小田原征伐:天正18年・1590年

豊臣秀吉没:慶長3年・1598年

関が原の合戦:慶長5年・1600年

大阪冬の陣:慶長20年:1614年

大阪夏の陣:慶長21年・1615年

徳川家康没:元和2年・1616年

本能寺の変で織田信長が没した天正10から天正12年までの2年で
秀吉は織田政権の重要人物である柴田勝家・明智光秀を打ち破り
信長の同盟者の徳川家康とも対戦している。
0106人間七七四年2018/12/08(土) 22:59:21.04ID:2cfNqNXp
>>103
実戦になれば強力ではあるが、東軍が秀頼のいる城を力攻めするとは思えないから、立花はいても東軍の調略の足掛かりにしかならん
0107人間七七四年2018/12/09(日) 03:13:26.09ID:RLmHAq6i
やっぱり一次史料絶対視は危険が高いとおもうんだ。
二次資料も参考にしつつ、あとはフィールドワーク、遺跡などの調査も
含め客観的考察推測が必要だよ。
0108人間七七四年2018/12/09(日) 10:23:42.05ID:s5Oveyd+
>>104
資料至上主義の人って、結果から推測する間違いをしてる気がする。
歴史の中に居る人って、結果を知って無い事を理解しないと駄目だと思うんだ。

カエサルだって、ファルサロス以前は只の反乱軍扱いだったとしか思えないし。
元老院議員の殆んどは、ポンペイウス支持でギリシャに逃げてたんだよ、実際。

家康が大阪城の攻城戦してたら、上杉や佐竹が狸のしっぽに食らいつかない訳が?
少なくとも秀頼が城内に居る以上、東軍の士気は最悪だし。
0109人間七七四年2018/12/09(日) 10:49:17.30ID:lNR4Pq/+
>.108
秀頼が城内にいるから東軍の士気が最高潮になるんじゃないの?
秀頼の身柄を確実に奪還できるのだから
君も家康は豊臣の敵で他の東軍大名は嫌々家康に従っているだけなはずだと推測する間違いをしているよ
0110人間七七四年2018/12/09(日) 10:51:45.11ID:XlW8mh1K
狸の尻尾を噛むだけの力が上杉には無いんじゃないかと指摘されてるんだから、返事をするならカエサルがどうのじゃなくて
「これこれこういう方法で上杉が関東に突入します」
と具体案を出さないといけないよ
0111人間七七四年2018/12/09(日) 11:12:57.03ID:VxF8+H2G
>>108
伊達と最上と結城を関ヶ原の勝敗報告が届いてる状況で
上杉がまとめて倒す方法をぜひとも教えてくれ
当然みんな関ヶ原の報告が届いてる状況でな
豊臣正規軍が謀反軍を蹴散らした状況でなお反乱側に味方する理由もふくめてだよ
それと佐竹は親父をどうやって説得したかも説明してね
話せばわかるんなら史実で絶対実行してるし、暗殺や押込なら内乱だからね
律儀者として有名な佐竹義宣にどんだけ親不孝な事させるつもりか知らんが
0112人間七七四年2018/12/09(日) 11:21:37.54ID:d4E3J9zU
>>111
>律儀者として有名な佐竹義宣

そんなの初めて聞いたが。
敵対しそうな豪族を酒宴に呼び出してまとめて毒殺するような奴だぞ。
0113人間七七四年2018/12/09(日) 11:27:15.05ID:axhByck6
>>112
佐竹義宣は律儀というより風見鶏というべきか
0114人間七七四年2018/12/09(日) 11:28:41.66ID:rqi3N13O
徳川実記だかに義宣を律儀者と評したという話があって、割とこの評価は知名度ある方だと思うけど
実情に沿ってるかどうかはともかく、そういう評価が世間で有名
0115人間七七四年2018/12/09(日) 11:45:59.75ID:rqi3N13O
二次史料も参考にしての史料批判なんて常に行われてるし、絶対主義に見えてるのは研究の手法を知らずに批判してる的外れな視点だよ

んで、同調しようとして更に頓珍漢なこと言ってるアホもおるんか
自身のがよほど結果から裏付けもなしに推測してるってのが分かってないあたり、勉強ができてないというか客観と主観の見分けすらついてないな

散々言われてるんだから、他人にどうこう言う程度の理解もできてないんだから勉強しろよ
0116人間七七四年2018/12/09(日) 15:33:14.89ID:w7Lc68xS
信長公記だってちゃんと他と比較されてるな
軍艦のある程度の復権もそのおかげ
0117人間七七四年2018/12/09(日) 21:39:53.81ID:RLmHAq6i
じゃあみんなは最近(実は昔からあったが)の山中説とか
別府の学者やTV出まくりの眼鏡男の主張をどう思ってるの?
0118人間七七四年2018/12/10(月) 00:55:40.08ID:lzgqasbE
>>115
ウイリアム.L.シャイラーの、「ベルリン日記   1934〜1940」とか読んだ事有りますか?
何て言うか結果を知らない現場の人達が、ヒトラー政権やナチスを如何思ってたのか解って
面白いですよ。

でね、仮に400年後の人達がナチス時代の歴史を書くとしたら、どんな感じに成るでしょうか?
シャイラーの著書は全て失われてると仮定して?

抑々さあ、残したら危険な記録って残らない気がすんだよね。
0119人間七七四年2018/12/10(月) 01:03:48.42ID:HqN/YgiC
妄想したいだけなら勝手にやってりゃいいんだけど専門板に書き込むな

最低限今の史学がどういった史料批判と実証を行いながら現在信頼される学問になってるのかくらい調べて批判しろ

それすらできないで妄想で学問が信用できないと言い続けるなら、デマを垂れ流す悪人と一緒だから、黙ってろ
0120人間七七四年2018/12/10(月) 01:09:19.84ID:HqN/YgiC
嘘も百回言えばをやりたいのか知らんが、ド迷惑
お前がやらなきゃいけないのはまず知ることであって、妄言垂れ流すことじゃない
黙って史学の手法を調べて来い、それでもう一度同じ寝言が出るかどうか確認してからでも遅くねーだろ
0121人間七七四年2018/12/10(月) 06:31:52.22ID:EqZ/QdI2
上杉・佐竹が関東進攻できるのは早くても
10月中旬以降。上杉・佐竹に期待するなら
大坂なんぞで籠城ではなく、10月中旬まで
美濃を支える方策を考えたほうが現実的。
0122人間七七四年2018/12/10(月) 08:03:22.48ID:oWgs+J2e
一次資料にも残ってまずいから残されてない事実はある
それが後年重要性が薄れて二次資料には残ることも

ある特定の事実関係について調べるために資料を比べるのはともかく
資料そのものの信用性について盲信する材料にしちゃダメだわ
0123人間七七四年2018/12/10(月) 09:28:07.04ID:CnpFymR8
だからと言って一切資料に無いことをあったとするのはただの創作
資料に矛盾が生じる時に整合性を取る解釈のために仮定するに留めないと
0124人間七七四年2018/12/10(月) 09:34:09.73ID:10axpfXi
一次資料なるものに対する疑問あり

1、捏造である可能性
2、捏造ではないが誤った情報、勘違いされた情報の可能性
3、1、2に関連して、伝聞故に既に一次資料としてふさわしくない可能性
0125人間七七四年2018/12/10(月) 10:49:18.74ID:HqN/YgiC
だからさ、その辺りの誤った史料である可能性も踏まえて、常に一次史料でも他の史料との整合性や誰がどういった状況で書いたのかも踏まえて史料批判が行われてる訳や

一次史料妄信してるなんて話は的外れだと否定してるのに、人の話聞いてないのか?
0126人間七七四年2018/12/10(月) 13:33:01.27ID:10axpfXi
>>125
だったらさ、別府の学者とかが唱える、山中説についてはどう考えてるのあんた?
0127人間七七四年2018/12/10(月) 13:51:41.43ID:CnpFymR8
関ヶ原の山中主戦場説のことなら小早川の布陣で起きた西軍の後退に対する東軍の追撃戦って説でもう出てるな
つまり開戦時に勝敗が決まってる状態だし小早川は最初から敵軍扱い、調略どうこうで覆せる形勢じゃない
むしろこのスレで決戦開始時は西軍有利だったとか考えてる奴はおらんでしょ

だから解決策として関ヶ原の手前の岐阜城での後詰め戦が提唱されてる
0128人間七七四年2018/12/10(月) 13:54:05.20ID:R6KV6iTu
白峰説は破綻している

指摘そのものは面白い
0129人間七七四年2018/12/10(月) 14:38:03.12ID:10axpfXi
確かに、山中説はその場が戦闘の一場面であった、もっといえば最終局面の舞台が山中地区であっただけの話で、
そういう意味では関ヶ原の戦いと呼称せず、山中の戦いであったという伝承はごく自然。
単純にこう考えちゃうんだけど、あのおっさんは、終始山中で戦闘してたって言ってるんだっけ。
0130人間七七四年2018/12/10(月) 14:44:31.03ID:10axpfXi
大坂方は大垣から上方方向に退却を決め、結果的にその途上で崩壊したとという
捉え方さえ確認できれば、その後の戦闘が関ヶ原であれ山中であれどっちでもいい気がするし、
その戦術的検証は今となってはほぼ無理かもね。
ただし、退却は毛利は家康に投降、小早川は家康方に旗幟を明らかにしたという前提で行われた
ことが前提だろう。
0131人間七七四年2018/12/10(月) 14:46:27.21ID:10axpfXi
家康が赤坂に入って、毛利の一団が勝ち目がないと投降した時点で
勝負が決まった(終了)だけの話。
0132人間七七四年2018/12/10(月) 14:47:08.43ID:10axpfXi
どうすっか?俺の説w
0133人間七七四年2018/12/10(月) 15:34:09.79ID:Nh5/Nu3N
https://blogs.yahoo.co.jp/okinawainforoom/16440480.html
0134人間七七四年2018/12/10(月) 19:03:35.48ID:oWgs+J2e
>>124
それらは一次二次問わずありとあらゆる資料にありえる
0135人間七七四年2018/12/10(月) 19:48:26.21ID:2Dn1RhQ4
>>134
だろ。
俺は一次史料はそれが意図的であろうがなかろうが
真偽については、決して二次資料に勝るものとは思っていないよ。
学会での捉え方は知らん。俺は科学に深く携わるものだが、そうだな、科学の目線での
意見とでも思っていただきたい。
0136人間七七四年2018/12/10(月) 19:57:03.88ID:2Dn1RhQ4
俺はアマチュア関ヶ原研究家としてひとつのポリシーを持っている。
それは、現地に実際に行ってみて地理的な特徴を体で実感してみること。
その理由はいちいち述べないが、今年は赤坂にいってきた。
0137人間七七四年2018/12/10(月) 20:34:12.02ID:pnro/0Y8
何ここ数日のこの流れ
0138人間七七四年2018/12/10(月) 22:11:01.84ID:4JBmyu5g
三河武士団は結束が固いと言われてるらしいけど、徳川家康の祖父の松平清康や
父の松平広忠は家臣に殺されてるんだよな。清康は家臣の息子だけど。
0139人間七七四年2018/12/10(月) 22:12:54.35ID:ldA590QC
>>138
×三河武士団は結束が固い
○家康家臣団は結束が固い
0140人間七七四年2018/12/10(月) 22:16:42.58ID:4JBmyu5g
>>139
三方ケ原の合戦では家康軍の武士たちは全て武田信玄の本陣に向かって前向きに倒れていたとか
0141人間七七四年2018/12/10(月) 22:37:36.25ID:G0eSVqUs
偉大な君主の下では羊も狼になる、それだけさ
0142人間七七四年2018/12/10(月) 23:34:06.62ID:ll0BgWFF
一斉に家康本陣攻めれば何とかなったんじゃね?
でも、やる気無いのだもん。
0143人間七七四年2018/12/11(火) 00:04:44.19ID:gPuk7AMX
>>142
西軍は最低10年間は戦の論功行賞しないことが政策の看板だからね
論功行賞しないと掲げているのだから命がけで戦っても意味がない
意味があるのは返り咲きをしたい石田派閥だけ
だから石田派閥だけで戦えとなるのは必然の結末だよ
0144人間七七四年2018/12/11(火) 03:57:15.95ID:Z/P6vlsj
論功行賞しない、なんて掲げてたの?はじめて知ったな。
それだと実際問題西軍についていくメリットなんてないじゃん
あ、でも小早川を関白にするだの言ってるよね
0145人間七七四年2018/12/11(火) 08:08:30.63ID:f5dwHKQv
明快に掲げちゃいないが土地を動かすなって秀吉の遺命にあって、それに背いた点でも家康を糾弾してる
なので恩賞で知行を得られるか疑問に感じた大名もいた可能性はある
もちろん関白に限らず官位で報いる点を否定する要素はないがどこまでありがたいかは疑問

対して家康は実際に朝鮮の論功行賞に手をつけようとしてたので(西軍よりは)信用があったと思われる
0146人間七七四年2018/12/11(火) 08:33:15.77ID:YLXkwjce
>>135
別に一次だからと絶対二次より正しいみたいなことは誰も言ってない
二次にも誤謬はあり得ると散々説明されてるでしょ
0147人間七七四年2018/12/11(火) 08:37:51.58ID:v315AN6O
あの時点で太閤遺命を厳密に守ろうとも誰かがそうしようとしてるとも思われてないでしょ
そもそも太閤遺命にのっとれば奉行と大老の戦争なんてとんでもない
0148人間七七四年2018/12/11(火) 09:56:16.82ID:/lifWBQS
>>136
虚空蔵山行ってみたの?赤坂勝山だけ?
なにか収穫はあった?
0149人間七七四年2018/12/11(火) 10:17:30.94ID:FZMlO/Sw
恩賞の面では単に西軍の保証能力が家康より低いと見られていたんじゃないか。信用の問題だよ
奉行に返り咲きたいからお前ら無償で働け、なんてこれから戦争するのにどんなキチでも言わんと思うよ
0150人間七七四年2018/12/11(火) 11:27:52.75ID:Z/P6vlsj
>>145
ああなるほど、秀吉の遺命違反について家康を糾弾してるのに恩賞だの論功行賞だのやったらおかしいわな
秀吉への忠誠心のみでことを起こすしか大義名分がたたないわけか
でもそれ誰が言うこと聞くか、って話だよな
命がけだのお家の存亡かけてそんな奇麗事言われても。
0151人間七七四年2018/12/11(火) 13:19:29.22ID:n92j2ySX
逆に言うと、恩賞出す時点で非難してる家康と同じことをするわけで
大義の面ではどっちにしても詰んでるな
0152人間七七四年2018/12/11(火) 13:28:49.78ID:GV0/ii3F
関ヶ原合戦の時点で石田は豊臣政権では無役なんだよ
どんな権限であれこれ仕切れるんだよ
0153人間七七四年2018/12/11(火) 14:41:13.33ID:o27c3a0a
>>148
勝山だけ。
岡を登り切って眼下を見渡した。
ここで決戦にもちこもうとしていたのがすぐ分かった。
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