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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part21

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0001人間七七四年2018/11/28(水) 20:19:51.02ID:xFPcOePC
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part20
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
0002人間七七四年2018/11/28(水) 20:20:43.33ID:xFPcOePC
史実時系列表(仮・本戦後を加筆)

6月6日 会津征伐に関する軍議、芳春院(まつ)、人質として江戸に到着
6月16日 家康、大坂出陣
7月1日 家康、江戸到着
7月2日 秀家、出陣式
7月12日 前田、増田、長束が輝元に大坂出陣を要請
7月15日 輝元、広島出発
7月17日 前田、増田、長束「内府ちがひの条々」、細川ガラシャ自害
7月19日 輝元、大坂城入城、伏見城攻防戦開始、秀忠が会津へ出陣
7月21日 家康、江戸から会津に向け出陣
7月22日 宇喜多、小早川、鍋島伏見到着、毛利軍が瀬田の砦構築を担当することとなる
7月25日 伝「小山評定」
7月26日 東軍諸将、西進開始、利長金沢を出陣
7月29日 三成伏見到着
8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月4日 瀬田の砦構築完了
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信が迎撃に失敗し岐阜城へ敗走、島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略、東軍先発諸将赤坂に布陣、秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日  京極高次が北陸から大津城に帰城、東軍方として兵3000で籠城する。付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約15000がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月9〜10日 尾張の野間・内海にて毛利水軍が合戦
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 家康清洲入城(33000?)、前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着、小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠、西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月15日 毛利元康ら大津入場
同日   関ヶ原の合戦(本戦)で東軍勝利、宇喜多石田大谷が壊滅、島津長束長宗我部他は撤退又は敗走
9月16日 伊勢亀山、桑名城など東軍に降伏し開城
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)、佐和山城落城、大津城開城、大垣城から相良秋月高橋などが降伏
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 大垣城の福原長堯が降伏
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着
9月24日 権中納言九条忠栄が家康へ戦勝祝い
9月25日 輝元大坂城退去、福島黒田らが大坂入城、増田長盛、高野山へ退去
9月27日 家康大坂入城
10月1日 恵瓊、行長、三成が斬首される
0003人間七七四年2018/11/28(水) 20:21:07.25ID:xFPcOePC
8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700

岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000

犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
     加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
     計7000

伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000〜8000(推定)、
おそらく南濃周辺:長島城への備えとして原勝胤(長頼)800

近江草津:宇喜多秀家10000〜15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)

伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、吉川広家ら5000、
  後続として毛利秀元ら1万、長曾我部盛親2100、鍋島勝茂9800、堀内氏善300等約29700

その他伊勢の在番、守備隊等
滝川雄利400、山崎定勝400、中江直澄390、蒔田広定370あたり。

瀬田守備隊等
相良、秋月ら約6900、
美濃、近江周辺立花宗茂3900、
推定佐和山在番筑紫広門500、

あとはよくわからんが伊賀在番7000、新庄直頼とかのことかな?
大坂は輝元・元康15000、小早川秀包1000、増田3000、前田1000、
その他大坂城在番衆詳細不明ってとこかな。

秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。

それと「9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)」
これは8月下旬以降、垂井〜赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
東軍が垂井を押さえていないのなら2〜3日は到着が早くなる。

毛利は、毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)と仮定
毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。

■安濃津城攻城戦での吉川隊(秀元等他の毛利含めず)の死傷者数。

・戦死75名、負傷226名。死傷者計301名。
負傷内訳:銃創126名、槍創60名、矢創24名、刀創1名、銃槍創5名、銃矢槍創2名、
       矢槍創8名、計226名。

吉川広家が推測で兵3000引き連れていたとしたら、安濃津城力攻めでの死傷率は10%と言える。
けっこう高いね。
毛利の他隊も同様の損害が出てるなら、南宮山の秀元&吉川は13500くらいかもしれない。


それと東軍先発隊の兵数については、一般的には渡河部隊約35000と言われているけど、
>>4にあるように福島覚書準拠でいくと49300〜58000くらい?となる。
かなり差があるのでこれをどう見るか、だけど。
0004人間七七四年2018/11/28(水) 20:21:28.01ID:xFPcOePC
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)

上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000

下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000

下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。

犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000

清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら1050〜4000くらい?
長島城:福島正頼、援将山岡景友、計780余

これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。


あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。

伊勢の東軍方は、安濃津城の富田信高、伊勢上野城の分部光嘉(史実では
寡兵での上野城防衛は困難とし安濃津城の富田に合流)、
松阪城の古田重勝、岩手(岩出)城(三重県度会郡玉城町岩出)の稲葉道通、
あとは去就不明の桑名城の氏家行広。


池田家履歴略記 巻之三には
上流渡河組18250余、下流渡河組16730余、とある。



上流渡河池田隊:18250 下流渡河福島隊:16730
犬山城抑え:3000〜4000 清洲城守備:1050〜4000?  
東軍先発隊総計約39030〜42980。 なお松平忠吉は駿府在番説と清洲滞在説あり。
0005人間七七四年2018/11/28(水) 20:21:51.69ID:xFPcOePC
伏見城攻防戦について
大雑把に
7月19日朝 城方鳥居勢が城外に出て近隣を放火
19日夕方 西軍が伏見近郊に到着し始め散発的に銃撃戦がある
20〜21日 西軍が外堀に取りつく。銃撃戦が激しくなる
22日 宇喜多、小早川、鍋島到着
23〜24日 西軍の銃撃が昼夜に及ぶ
25日 宇喜多秀家が陣立てをあらため諸将の攻め口を決める
26〜28日 西軍昼夜銃撃
29日 石田三成督戦に訪れる
30日 西軍力攻め、総攻撃4回敢行。城方死傷50余、西軍死傷500余
8月1日午前0時 松ノ丸で甲賀者の内応により火災発生、名護屋丸にも延焼
これを機に西軍突入、松の丸、名護屋丸陥落
午前10時頃より総攻撃再開、島津、治部少丸突入、治部少丸陥落
午後3時 伏見城落城


こんなかんじ。たしかに石田が来るまでは銃撃戦ばっかり。
だが西軍もまともに兵力が到着したのは22日で、仕寄って堀埋めて
30日に力攻めしてみたが大損害。
8月1日に城方の内応が出たのでそれを機に陥落。

これ城方の内応がなかったらもっと長引いてた可能性あると思う。
力攻めの寄せ手の損害数が大きすぎる。
伏見城は相当な堅城だったということだと思う。
瀬田で東軍を迎え撃つ、という方針になるのも無理はないと思う。
この彼我損害比ではもっと早い日時に力攻めしてても落ちないと思う。



関東方面在番状況

宇都宮城:本丸結城秀康、蒲生秀行、二の丸小笠原秀政、三の丸里見義康、
       宇都宮城総計約18000?

大田原城:大田原晴清、那須資景、福原資保、千本資勝、大田原増晴、岡本義保、
       伊王野資友、服部正成及び伊賀衆。

黒羽城:本丸岡部長盛及び甲賀衆100、二の丸服部保英及び伊賀衆100、三の丸大関資増、千本義定

鍋掛:皆川広照、水谷勝俊

蘆野口:蘆野政泰、  伊王野口:伊王野資信、

烏山城:成田泰親
厩橋城:平岩親吉
高崎城:諏訪頼水

江戸城:本丸松平康元、石川家成、松平清宗?、菅沼定盈、諏訪頼忠
     西の丸武田信吉、松平康忠、天野康景、
    

特記点としては、6月下旬頃より家康の指示で、大田原城、黒羽城は1000人規模の人足を
動員しての防備強化普請を行っている。
同じく宇都宮周辺も、秀忠、秀康らによって約一ヶ月間強化普請を行っている。
兵数については不明部分も大きく、わかる方いれば補足、訂正等よろ。
0006人間七七四年2018/11/28(水) 20:22:12.08ID:xFPcOePC
岐阜城後詰決戦の叩き台のプラン。
これを修正、補強していけばいいかんじのものができそうに思います。
以下コピペ。

403 返信:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:01:03.29 ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。

これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。

そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。
0007人間七七四年2018/11/28(水) 20:22:40.60ID:xFPcOePC
史実での岐阜城は黒田、藤堂、田中の大垣からの後詰阻止隊を抜いたとして、
東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、守備兵戦力分散、
ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。

これを島津義弘1000を加え、8000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対8000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。
0008人間七七四年2018/11/28(水) 20:23:01.93ID:xFPcOePC
■■1■■
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 15:21:52.18 ID:aAd9kU2e [2/6]
それから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが

徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている

もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。

※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法
とある
岐阜城後詰め決戦は発生するよ  岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた

■■2■■
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/22(金) 13:14:03.72 ID:jiua8RjV [14/17]
岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流

膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…

■■3■■
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。
個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。

大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。
輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。
0009人間七七四年2018/11/28(水) 20:23:28.96ID:xFPcOePC
以前のスレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川15000、安国寺1500、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊19600南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8の1
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>8の2のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>8の3

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か

東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負
0010人間七七四年2018/11/28(水) 20:31:05.15ID:xFPcOePC
岐阜城関連

岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


国史跡岐阜城跡で石垣が新たに見つかりました!
http://www.city.gifu.lg.jp/32568.htm

一部抜粋
<山城としての岐阜城の評価について>
・ これまでの岐阜城の概念(山上の詰城+山麓居館という二元的構造)を
考え直させる大きな発見。


歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf

近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf


農林水産省東海農政局 木曽川水系土地改良調査管理事務所の案内
http://www.maff.go.jp/tokai/seibi/kensetu/kisocyou/html/pdf/014-99.pdf

上記より抜粋
忠節用水は古来、金華山麓に取入口を設けて、岐阜の旧称井ノ口村
の名を生んだといわれる農業用水である。天文3年(1543)の長良川の大
洪水により岐阜市忠節の地に取入口を移し、以来400余年幾多の変遷を
経て引水が続けられた。



関ヶ原当時の引水部や用水経路がいまいちよくわからないが、
惣構の水堀が用水兼用だったとするならば、非常用水源となりうるのではないだろうか。

また、水の手口という名称から、その麓、丸山の辺りが取水口じゃなかったのではないかと
思うがどうだろう?
0011人間七七四年2018/11/28(水) 20:31:39.35ID:xFPcOePC
野間・内海合戦については詳細は不明で、

白峰氏は考察論文、「伊勢国津城合戦頸注文」及び「尾張国野間内海合戦頸注文」に関する考察(その1)―津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討

の中で以下のように述べられている。

本稿で扱う野間内海合戦については、前掲『三重県史』通史編、近世1に、
「九鬼義隆西軍に加勢」として立項され解説されている中で、「九月九日・十日両日
尾張知多半島(愛知県)先端部付近での戦闘」であり、
「当時の知多半島は、長島城主福島正頼が預かっていたとみられる(『新訂寛政重修諸家譜』
第二一)ので、北伊勢において東軍に付いた長島城の背後、
ひいては岐阜方面に集結しつつある東軍の背後を脅かす作戦を実行したのであろう。
この作戦には瀬戸内水軍が主となったものと思われ、
これに九鬼水軍が参加したかもしれない。」としている。


野間・内海合戦関連

愛知県史資料編13織豊3より引用

東軍の攻勢によって主戦場が尾張国内から木曾川を越えて美濃国西部へと
移っていく中、尾張・三河両国の海岸部では、西軍方に与した
志摩国鳥羽(三重県)の九鬼嘉隆の軍船が焼き打ちを行っており、
九月には毛利輝元の臣乃美景継・村上景弘らの軍船も伊勢湾に現れた。
毛利氏の水軍は九月九日未明に伊勢湾を渡って知多半島に押し寄せ、
各地で放火や合戦をおこなった。「慶長年中記」九月十日条にも
九鬼水軍による焼き打ちに関する記述がみえるが、
毛利氏の水軍もこれに加わっていた可能性がある。


慶長年中記 巻一
十日 熱田西の海辺四五ヶ所、是ハ敵方九鬼大隅(嘉隆)焼候よし、
岡崎?地鯉鮒(池鯉鮒)へ行に焼見ゆる、熱田海辺より五六町ほと大船一艘、
地ハ紫に白き桐のとうのまく張たる九鬼大隅守のミよし先へ被遣候、
御馬印持候ものさんたか橋にて 御目見いたし候、とかくの御意なし、

次は 慶長見聞書 二

同日(慶長5年7月21日)岩手(伊勢国)城稲葉蔵人(道通)手勢九百六拾人籠候処、
九鬼大隅守(嘉隆)町口迄取懸候へ共、堅固被相抱候間、
敵の人数引退申候、其後九鬼大隅守・堀内安房守(氏善)以下船手の衆卒し、
尾州・参州之灘浦を焼払、漁人村老男女僧侶に不限切捨狼藉前代未聞也、
尾州毛呂崎(師崎)江寄ンとす、
浦のもの内々近日従関東御上を聞て、其間敵をたるめ魚を取て日々に送り、
様々の音信におよひけり、
然るニ案のことく千賀孫兵衛(重親)一夜の内ニ而のりつけ、
大勢籠たるやうニ見せ、浦々に旗を立置候間、
敵驚寄せ不申、其間に松平紀伊守(家信)・小笠原新九郎(広勝)・
同安芸守(小笠原信元)次第ニ乗付申候間、
弥敵船驚きこきのき申候、右ノ海上浦々の悪行の天罰にや、
此口の寄手の大将達のすへ?迄後ニ皆たへはて申候、
武家の習殺業なくて不叶されとも、
分の敵を討て非分の者を不討とはかやうの事にや、

此時戸田三郎右衛門(忠次)・清水権之助(政吉)ハ
大野・とこなへ(常滑)に罷在候間、
舟を出し防候間、敵不叶舟をこきのき引取申候、
0012人間七七四年2018/11/28(水) 20:37:22.36ID:xFPcOePC
野間・内海合戦関連

浦備前覚書 巻一 無尽集第七七冊

先年関か原御弓矢之時、伊勢地数船之御船指廻し、御国?ハ村上八郎左衛門殿
(景広)・乃美備後殿(景継)御船手不残被差出、
大坂よりハ菅野平右衛門殿(管達長)・村上彦右衛門殿なだ声古ヲ被差添御廻シ被成候、
伊勢之鳥羽ニ者九鬼大隅殿(嘉隆)大坂へ之御馳走ニ、
右之御方々大隅殿江御座候而方角万事御談合被成、
尾張灘手を御働被成御儀定ニ相澄、
おふミなと(伊勢国大湊)まて御座候而、彼表ニ而長々船中各御苦労被成候条、
一夜彼在所にて御休め被成之由、悉宿を取り御休息候処ニ、
乃美備後殿野せつちん(雪隠)へ参と被申、
五六丁家はつれへ被参候而都合被見合候処ニ、
彼在所より弐里間にて岩手と申城を敵方?持堅、
おふミなとの在所からも殊外手広不審ニ相見候条、
各うかと罷居儀ニ而無之候条、夕飯を仕廻、
夜入候者船へ各被召可然之通被申付而、悉船ニのり申候へハ、
夜半迄(過)ニ岩手?夜打ニ心懸人数差出、殊外物あぶなき躰にて、
下々共ニ備後殿御見合之段感入候、一日間ニて血地江御働ニ、
不残御渡り被成候、尾州之内大野と申浦江九月九日未明ニ被打入、
一段仕合能発向被成候、其次ニ二浦同前ニ候而、各御談合ニ、
今日之働ハ不残出来申候へ共、放火不仕候条、
明日之働ニハほうくわ(放火)を専ニ仕候様ニと仰事ニ候、
かたかミと申在所を未明ニ御働、一軒も不残放火仕り、
頓而其次野間の内海と申浦江御仕掛候処、
是ハ先代(源)義朝之御腹被召たる浦ニて候得者、
船本江人数差出相さゝへ候へとも、船よりの御仕掛丈夫候故、
終ニハにけくつし多分追討ニ仕り、
船本より一里半奥ニ義朝之御影御座候故、坊中江おひ入候故、
跡?足長仕ル儀ニてハ無之候条、各引取り候へと被仰付、
不残引取申候、礒兼加賀殿上下八人ニ而、
彼御影之寺放火不仕候へハ、此在所相働専ハ無之候条、
是非共ニ放火仕り引可申と被申候而ふかいりの故、
人数三十計討出取まき候条、別条子細も無之候間、
足床を見合高ミを取可相果覚悟ニ候、
壱人にても足を乱シ候而ハ不叶儀候之条、八人之者ハひつかけ相果覚悟ニ候、
其人数ハ加賀殿上下三人・乃美平左衛門殿上下弐人・
末永惣右衛門・世良源右衛門・末島(島末)与左衛門、
此八人ハ鉄炮弐丁御座候而、引懸五間ほとにて討候やうニと覚悟仕り候処、
敵も其覚悟ミきりはた?と不仕懸候処ニ、舟本江此聞候而、
乃美備後殿・村上八郎左衛門殿自身かけつけ候へハ、
のほりさきを見及引取申候故、無事ニ御しのき、
御両人衆殊外御しかり被成、(乃美)宗勝巳来上りはたらきの仕やうハ御存知ニ而、
深入沙汰之限りと被仰、無事ニ船本御引候事、
二日之間ニ六浦御働殊外出来候事、


誤字脱字はご勘弁。
0013人間七七四年2018/11/28(水) 20:50:36.84ID:xFPcOePC
関連スレ

関ヶ原合戦の真実 Part8
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1518176864/
大坂の陣はどうすれば豊臣方が勝てたか?Part8
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1536754046/
【豊臣】 大坂の陣総合スレッド 5 【徳川】 [無断転載禁止]©2ch.net
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1498216606/
二重公儀論について考察する [無断転載禁止]©2ch.net
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1472608426/
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その26
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1515338118/
【秀吉・秀長】豊臣氏・羽柴家総合スレ5【秀頼・秀次】
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1542893023/
誘導は上記適当スレへ。


過去スレ

part1
https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1477558509/
part2
https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1484991108/
Part3
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1487680538/
Part4
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1492312819/
Part5
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1496748424/
Part6
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1499775019/
Part7
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1502195081/
Part8
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1505981945/
Part9
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1509028014/
Part10
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1512519887/
Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
Part12
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1517843376/
Part13
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1522672144/
Part14
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525775487/
Part15
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1528335113/
Part16
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1530344370/
Part17
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1532773324/
Part18
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1535414790/
Part19
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1537715258/
Part20
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
0014人間七七四年2018/11/28(水) 20:51:55.42ID:xFPcOePC
以上、時系列表等参考になるものと有力案のコピペ終了。

訂正等は遠慮なくよろです。

また、その他の案としては、美濃主攻案(P17>303)、北陸主攻案、早期尾張進攻案、
鳴海上陸作戦案(P15>702)、9月7〜10日赤坂挟撃案(P19>841)等あり。

また、上記諸表の兵力数は戦闘の損害による兵力減少を考慮しておりません。
0015人間七七四年2018/11/29(木) 00:08:54.68ID:NgvzKf6B
テンプレがくどい
0016人間七七四年2018/11/29(木) 11:46:15.75ID:JeTpzxhZ
タイミングでバレバレ
0017人間七七四年2018/12/01(土) 17:48:54.22ID:jG4hoRvi
上杉領の諸城って防御力的にはどんなかんじなの?
館城みたいなのが多いのか、堅固なのが多いのか。
0018人間七七四年2018/12/01(土) 18:23:30.34ID:QSXsYSjT
普通の規模の平山城が連なってる感じ。当時の大名としては城数は多め
0019人間七七四年2018/12/01(土) 18:48:33.86ID:7JoTeUE/
長岡攻防戦と長岡空襲がなければ…
長岡が県庁だったのに
長岡藩が列藩同盟の精鋭だったばかりに
0020人間七七四年2018/12/01(土) 22:52:54.99ID:YJt7g17v
上杉とか言っても石高も知れているし
そこを拠点とか無理があるんじゃないのかな

西から来た人達にとっては消耗が激しいし行動が制限される
0021人間七七四年2018/12/03(月) 00:05:03.50ID:Dd195Ykh
石田重家がそのまま会津征伐に行けばよかったんじゃね?

西軍:徳川家康・大谷吉継・石田重家・伊達政宗・堀秀治・鍋島直茂・福島正則・小早川秀秋....etc

東軍:上杉景勝

これなら西軍楽勝だろう
0022人間七七四年2018/12/03(月) 00:40:40.66ID:49K8Dq+6
勝てません、以上
0023人間七七四年2018/12/03(月) 03:47:37.52ID:+0Pzkskh
幕末の幕府軍みたいに西軍がフランスと組めば勝てた
0024人間七七四年2018/12/03(月) 17:08:44.87ID:PYCxwKP8
島津の奇襲を後から採用・本当はいい作戦と思うとりましたが
            敵に悟られんため味方も欺こう思いまして。

大津城なんか竹の柵で囲う程度でええんじゃ → 立花勢を関ケ原に呼び込む
大垣城なんか程々にしといたらええんじゃ → 三成の息のかかった九州勢を関ケ原に
宮津城なんかびびらす程度でええんじゃ → 小野木勢の大半を関ケ原へ
金吾、新庄侍従を決戦当日前に鉄砲玉を差し向けてはじいちゃる
0025人間七七四年2018/12/03(月) 21:08:00.48ID:Uei/xEZ1
赤坂に東軍集結してたのに何のんきに他に兵向けてたんだか
そら家康が急に現れたらびびるわ
0026人間七七四年2018/12/03(月) 22:57:24.36ID:Qm09ia8Q
島左近の策を三成が採用してたら家康仕留められたかな?
0027人間七七四年2018/12/03(月) 23:36:29.16ID:a6DQ53a9
三成が島左近の策を採用するのは三成個人の自由だが
三成が採用した策に西軍諸大名が服従する義務はない
別に三成は西軍大将でも軍事指揮権を委任されているわけでもないからね
三成が勝手に採用して勝手に戦えばいいだけだ
0028人間七七四年2018/12/04(火) 06:56:51.13ID:nkIOxqIv
左近なんて一瞬で戦死した雑魚じゃん
0029人間七七四年2018/12/04(火) 08:01:40.08ID:9LD2qjvB
徳川家康にとって一番の懸念材料は毛利軍に護衛されて豊臣秀頼が関が原へ来ることだな。
もしこうなってしまったら家康は戦う前に敗北決定。
福島正則を筆頭に小山会談で家康に加担した武将たちも戦意喪失。
0030人間七七四年2018/12/04(火) 08:10:21.12ID:9LD2qjvB
なぜ毛利輝元は大阪城から動かなかったのか。
家康から所領安堵を約束されたとはいうけど、そもそも中国地方の所領は
毛利家が自分たちの努力で勝ち取ったものだから、いかに家康が豊臣政権の重臣とはいえ
彼にどうこう言われる筋合いはないだろうな。
0031人間七七四年2018/12/04(火) 12:11:22.15ID:NlUOZxRL
>>28
大谷刑部の悪口はそれまでだ
0032人間七七四年2018/12/04(火) 13:02:01.29ID:9LD2qjvB
大谷吉継は小早川への牽制のためにあの場所に陣を布いたんだよな
0033人間七七四年2018/12/04(火) 13:35:45.33ID:6d493WpL
>>30
まあ、誰でも疑問に思うのは、秀頼を前線「大垣か佐和山あたり」に出せば済む事って
話ですよね。
東海道の豊臣恩顧はあの時点は完全に豊臣家の家臣だから、家康が命令しても無視を
するでしょうね。
0034人間七七四年2018/12/04(火) 13:44:23.13ID:OOcak8o1
また最初に戻るか
秀頼は西軍じゃねーよ
0035人間七七四年2018/12/04(火) 14:28:33.99ID:c5El1wbz
せめて豊臣秀頼引っ張り出せたら勝てたって言うんなら、引っ張り出すまでの経過書かないと意味ないよ
ミサイルあったら勝ったと言ってることほぼ同じだわ
0036人間七七四年2018/12/04(火) 15:26:00.11ID:BJif2DD7
お家存亡の危機でも幼児の当主を前線に出すことは当時としても有り得ない判断
仮に発案者が輝元だとしてそれをやろうとしたら他の西軍の大部分が敵に回る
少なくとも五奉行、宇喜多、大谷、小西は敵に回ると見ていいし小早川を始め意図せず西軍に組み入れられた連中も同調する
むしろ大坂城内の連中が西軍首謀者だった場合ですら秀頼を大垣に出すことは有り得ないレベル
あと豊臣恩顧の東軍諸将は奸臣の手から秀頼を救出するためって名目で士気が上がる(拐われて担ぎ出されてるのが明白だから)

もちろん万一にも殺せないから戦いにくくはなるが、それ以前に西軍がいなくなって戦争にならない
0037人間七七四年2018/12/04(火) 16:07:34.23ID:x3LfrD2e
秀頼は7歳児ってことを知らん脳足りんが定期的にわくな
0038人間七七四年2018/12/04(火) 16:32:52.24ID:9LD2qjvB
仮に三成が秀頼を関が原に連れて来ることに成功して家康の出鼻を挫いても
家康のことだからその後にいろいろな策を講じて挽回するのは間違いないだろう。

それを阻止するためには三成は合戦前に送った家康への弾劾状を基に
秀頼の名の下に家康を処分しなければならない。
まず家康を大老の地位を剥奪する。そして家康の領地は上総・下総を残して全ての領地を没収。
0039人間七七四年2018/12/04(火) 17:28:16.01ID:tbh3xfl+
>>33
毛利も上杉も、豊臣政権なんぞに自分の領地の事をどうこう言われたくなかったから、
瀬戸内周辺を自領下にしようとしたり、最上領を攻めて越後にちょっかい出したんじゃないの?
別にその辺に文句付けるのは勝手だけど、それ言い出すと
戦国時代よもう一度が絶対の正義になっちまうぞ、豊臣政権が勝手に決めた領地配分に
諸大名が従う理由が何一つなくなってしまうからな
>>38
内府違いの条々なら出したじゃん、どうなったかはあえて言わんけど
というか、それを出したから西軍諸侯は家康に従う大名などいるまいと高をくくってたんだが
0040人間七七四年2018/12/04(火) 18:45:09.40ID:JFEffv0n
秀次事件さえ無ければ豊臣恩顧の諸大名も残留しただろうから家康も手を出せ無かったはず
0041人間七七四年2018/12/04(火) 20:01:57.50ID:4CDWC90U
大坂の陣ですらついに大阪城から出なかった秀頼が7歳で関が原なんか行くわけないだろ
0042人間七七四年2018/12/04(火) 20:16:52.85ID:CcPWVTcB
>>33
秀頼は西軍では無いのはもちろん、
家康の後見なくして7歳の秀頼が命令なんてくだせるの?
0043人間七七四年2018/12/04(火) 20:52:20.52ID:ETsqEBta
秀頼を大坂城から出すな、
は秀吉の遺言だったろ
0044人間七七四年2018/12/04(火) 21:37:42.96ID:tbh3xfl+
そもそも秀頼をどうこうしようって時点で最低だと思う
秀頼を戦場に連れ出して〜とか、秀頼に西軍を官軍と言わせて〜とかいう人が時々いるけどさ、
それって西軍による豊臣政権のまぎれもない私物化だし、
秀頼(豊臣家)の意思を無視した行動そのものだって事に気が付いてないんだろうか?
西軍は家康が政権を専横して天下を好き勝手してるとか言ってるけど、
天下を好き勝手してるのは一体どっちなんだと言いたくなるぞ、こんなやり方
家康の専横は許さんが、西軍連中ならOK!って酷いダブスタだと思う

一応釘をさすけど、勝てば官軍とか絶対言うなよ
それ言った瞬間、秀吉死後の家康の行動を全肯定する事になるからな
家康に抵抗した人物が全て愚かな悪人という事になってしまう
勝てば官軍とはそういう事だ、それに納得できない人がいるからこういうスレが立つんだろ?
0045人間七七四年2018/12/04(火) 22:05:46.59ID:BJif2DD7
勝てば官軍で(最後に勝った)家康が正しかったと思ってるけど、それはそれとして思考実験として歴史のifを考えるのが好きで参加してます
0046人間七七四年2018/12/04(火) 22:25:52.68ID:nkIOxqIv
まずは秀吉死後に三成が切腹します
これで七将の溜飲を下げます
0047人間七七四年2018/12/04(火) 23:05:45.15ID:sjs+EX0k
勝てば官軍=勝った方が正当化されてのちの歴史を作る

勝った方が道義的に正しかったというのとは全く逆の意味だし
家康が正しくないから西軍を勝たせるべきとかそんなスレでは全くない
0048人間七七四年2018/12/05(水) 04:12:46.05ID:lCKC9Q3l
豊臣家として馬廻衆や秀頼傅役勢ぞろいして西軍に加担してるならともかく、
秀頼だけ拉致して連れまわしても効果は疑問。
あくまで豊臣は家臣同士の争いとして中立というより傍観してる状況では
幼君を拉致した、としかとられないと思うが。
秀頼の拉致はマイナスの効果のほうが大きいと思う。
0049人間七七四年2018/12/05(水) 05:26:57.80ID:9KgPWKk/
秀頼が10年早く生まれてれば勝てた
0050人間七七四年2018/12/05(水) 06:04:03.29ID:b8Put3gC
>>49
それだと関ヶ原戦は発生しない
0051人間七七四年2018/12/05(水) 12:57:50.78ID:+NgR+3FT
官軍とは天皇の軍
0052人間七七四年2018/12/05(水) 12:59:43.46ID:ltnD9s5d
>>43
そう言えばあったなw
0053人間七七四年2018/12/05(水) 16:34:43.80ID:MzZrDmz4
>>52
でもさ、本来秀頼成人するまで論功行賞ってのも「家康に蔵入地横領させない為」有ったはず
ですよ。
既に、豊臣家の蔵入り地を自分だけの判断で横領してるじゃん。
0054人間七七四年2018/12/05(水) 16:53:12.79ID:Z8BKmbTZ
外戚で筆頭大老の家康がすでに実力がなく権威のみの豊臣家支えてる状態やしなぁ、蔵入地の方も奉行派遣しての豊臣家としての行動やし
そもそも論功行賞を秀頼成人までストップさせなさいなんて無理難題遺す方が悪いレベルちゃうか

家康を秀吉が生前から警戒してたなんて史料からは全く読み取れないし、むしろ弟よりも席次を上にするレベルに贔屓してる
0055人間七七四年2018/12/05(水) 20:10:12.47ID:vT5hvAzK
唐入りにおける戦費の負担に喘ぐ大名が多く何の補償もない中で
唯一得をしている(ように見られてる)集団が論功行賞を停止なって言ったらどうなるか
それも自分達の政治的影響力を守るためときたら
0056人間七七四年2018/12/05(水) 22:06:21.92ID:HZ0FQMnD
だけど政治でも戦争でも原則論にあまりにも固執すると敗北するケースが多いな。
やはり利用できるものは何でも利用して自分に有利な状況へ持って行けた者が勝てる。
0057人間七七四年2018/12/05(水) 22:21:01.47ID:4mhcXAIB
百歩譲って秀頼を担ぎ出して西軍が勝ったとして毛利の傀儡になるのがオチなのでは
0058人間七七四年2018/12/05(水) 22:25:49.42ID:Oq6CBDh3
そも秀頼を担ぎ出しても何も変わらん。豊臣恩顧が秀頼救出に張り切るくらい
0059人間七七四年2018/12/06(木) 00:06:06.19ID:9WzQ1i/2
>>53
蔵入地は元から収支が不透明で奉行による不正の温床になっていたからね
増田や長束や玄以の城からは関ヶ原後に石高の規模を遥かに超える金銀が発見されており
相当な横領が横行していたのは間違いないことだ
朝鮮に行かされて疲弊した状態で自分たちのなけなしの米が奉行に横領されていたら
加藤たちが怒るのも無理はない
蔵入地の制度は問題がありすぎて解体するしかないのが実情だった
0060人間七七四年2018/12/06(木) 00:28:29.16ID:lUEYdPYv
>>59
>蔵入地は元から収支が不透明で奉行による不正の温床になっていたからね
増田や長束や玄以の城からは関ヶ原後に石高の規模を遥かに超える金銀が発見されており
相当な横領が横行していたのは間違いないことだ


ソースくれ
0061人間七七四年2018/12/06(木) 09:43:53.84ID:V+7uphr6
西軍が、ではなくて東軍先発隊が家康の命令聞かなくて
西軍を倒してしまったら面白いかも
秀頼様を救出じゃああって張り切って
0062人間七七四年2018/12/06(木) 10:46:20.15ID:9cIE12vv
一次資料だけで語る馬鹿も最近はいるが、
かといって講談だけで語ることもできない。

客観的な推測もおりまぜながら、真実の関ヶ原をまとめるべき。
0063人間七七四年2018/12/06(木) 11:13:38.57ID:Py7DOUkc
真実なんて限られてるし
今は真実扱いでも史料発見1つで変わる可能性もある
0064人間七七四年2018/12/06(木) 11:17:08.21ID:Cxk/T+oa
家康が早死にしていたら勝てた
0065人間七七四年2018/12/06(木) 11:20:57.60ID:m6C1uFpZ
史料一つで解釈が変わるのが史学だけど、研究方法は確立はされてるんだからそれに沿うべきよな
解釈は変わるもんだから、変わったら変わったで好意的に受け止めればいいし

たとえ後々新史料なりで解釈が変わって間違ったアプローチしてたやつと同じ解釈になっても、それはたまたま答えがあっただけで過程は間違ったままだし
0066人間七七四年2018/12/06(木) 21:04:33.43ID:VRPND+4n
東軍先発隊の暴発の可能性はかなり低いだろうなぁ、
井伊・本多の同意なくして軍令違反はしないと思う。
上流池田隊の早期渡河もタイミングが早かったというだけで、
渡河する予定であったのは間違いないし。

ところで一次史料と二次史料の違いがいまいちわからんのだけど。
太田和泉守記や水野勝成覚書や吉川広家の覚書等、
当人は関ヶ原当時生きていて、ただ書いたのが後年というだけでしょ?
公家の日記や当時の書状にしたって風聞、誤記、勘違いはあるわけで、
関原軍記大成とかの軍記物みたいに既に当時の人間が生きていない時期に
成立したものなら信憑性に疑問もわかるけど、
当時生きていた人の書いたものの信憑性はそれなりにあると思うんだがなぁ。
0067人間七七四年2018/12/06(木) 22:22:17.39ID:Py7DOUkc
後年の史料になるほど誤記に「意図」が感じられるもの、覚書などは自分に都合の悪い事はまず書かない
もちろん一次にもそれが含まれてる場合もあるけどね
どっちにしろ1つの史料では確定とは言えない、複数の史料をつき合わせて、真実に近づけるだけだ
0068人間七七四年2018/12/06(木) 23:07:23.55ID:aJ6ArGkB
リアルタイムの手紙とか公文書、日記が一次資料
後になってから書き残すために編纂されたのが二次資料

どちらも誤記や事実の隠蔽がある可能性があるけどその性質が全然違う
一次資料が二次資料より絶対正しいとは限らない
けどどういう意図のもとにそれぞれの資料が作られたのか踏まえて検証する必要がある
0069人間七七四年2018/12/07(金) 00:18:10.28ID:qojIeiRv
宇喜多秀家って八丈島か薩摩時代になにか覚書の類でも残してないのかねぇ?
加賀藩と手紙のやり取りとかしてそうに思うけど。
0070人間七七四年2018/12/07(金) 00:30:29.00ID:eoWkuNGa
秀家に関しては最近新書も出てるが、薩摩逃亡以後の話はほとんどない。
手紙だと生活支援してくれる旧臣らに宛てた手紙があるが、復帰を望んでいたらしい
真田昌幸と同じ境遇だな
0071人間七七四年2018/12/07(金) 03:07:15.60ID:2J7wAG1o
あれ?前田から所領貰って復帰させるって話とか断ってなかった?
まぁ前田のリップサービスかもしれんけど
0072人間七七四年2018/12/07(金) 08:04:39.41ID:qLNostTc
だけど毛利輝元も自業自得とはいえ見事に嵌められたからな。
合戦後は大阪城を退去したあと大幅な領地削減。
0073人間七七四年2018/12/07(金) 08:09:17.06ID:9w69zDL8
>>72
退去すれば領地維持してもらえると本気で思ってた知障だから領地削減ですんだ可能性が
0074人間七七四年2018/12/07(金) 09:03:17.18ID:ELTuk1Ni
敵の大将になって家康を非難する書状にも署名したのだから
本来なら輝元は敗戦の責任を取って死罪か最低でも切腹が妥当なところだろ
それを領地削減で済ませるのは素晴らしい温情としかいえない
むしろ家康が処分を下す前に輝元が自発的に切腹して武士の意地を見せればよかっただけ
0075人間七七四年2018/12/07(金) 10:27:11.34ID:0eCBLJuw
確か広家が「恵瓊が悪い、輝元様は恵瓊と三成に担がれただけ」って報告してたんじゃ無かったっけ
んで調べたら自発的な行動の証拠がゾロゾロ出てきて見過ごせなくなったから相談して落とし所を探ったって認識してる
0076人間七七四年2018/12/07(金) 12:23:23.51ID:LcDUn/Qa
石田や安国寺が処刑されて河原にさらされたのに
のうのうと生き永らえるテル
0077人間七七四年2018/12/07(金) 16:30:55.07ID:eoWkuNGa
>>75-76
三成や恵瓊の処刑は、輝元のスケープゴートとしてだったと思うんだよね
0078人間七七四年2018/12/07(金) 16:42:17.62ID:2J7wAG1o
吉川広家も毛利からみたら売国奴やろ
0079人間七七四年2018/12/07(金) 16:49:01.09ID:sqrjX/Fo
毛利の二股外交の一方の責任者であって、売国奴とかではない
0080人間七七四年2018/12/07(金) 17:21:18.10ID:iGUxARkD
吉川いなくなったら毛利ちゃん困るもの
0081人間七七四年2018/12/07(金) 17:44:14.24ID:YeWrWGiv
金吾ちゃんも困る
0082人間七七四年2018/12/07(金) 18:00:13.20ID:qLNostTc
毛利元就は「天下を望まず」という遺言をしてそれが毛利家の家訓みたいになってるらしいな。
元就自身は安芸の国人から苦労して成り上がったから晩年まで獲得した領地で
もうお腹いっぱいだろうけど、子孫は天下取りの野望は捨ててほしくはなかったな。
0083人間七七四年2018/12/07(金) 18:08:20.29ID:9w69zDL8
両川って二人いても秀吉に押し込まれたけど実際はそんなに有能じゃないの?
大友戦でもあれだし
元就がいないと戦争で機能しないの?
ナポレオン軍のような戦場では有能な将軍は沢山いても自分で戦略を立てて軍隊を動かせる将軍は片手の指にも満たない、みたいな
だとすると元就の遺言は自分以外は肥大化した毛利を動かせない、という意味もあるのかな
0084人間七七四年2018/12/07(金) 18:20:07.51ID:2J7wAG1o
>>82
それすら吉川広家が1人で騒いでる家訓やろ?
戦犯になって苦しいから言い始めた話やで
0085人間七七四年2018/12/07(金) 18:28:30.23ID:qLNostTc
吉川広家と聞くとなべおさみの顔を連想してしまう。肖像画は面長なんだよな。
http://or2.mobi/data/img/217432.jpg
0086人間七七四年2018/12/07(金) 18:32:21.86ID:qLNostTc
話は逸れるけど先代の三遊亭円楽の祖先が鳥取城籠城戦で切腹した吉川経家なんだよな。
0087人間七七四年2018/12/07(金) 21:06:49.05ID:6bDDFQn8
>>73
そこな、確かに家康に騙された訳だけど、あの場合信じる方も問題有るよね。
市況板に定期的に湧く、露骨な詐欺や乞食を信じる奴と同じだし。

あそこ迄露骨な詐欺だと、逆に家康を余り責められん気もするんだよね。
シャープを騙した鴻海の会長みたい。
0088人間七七四年2018/12/07(金) 21:38:12.50ID:u9F8/z97
毎回この話になっとるけど
先に恵瓊たちに巻き込まれただけつってペテンにかけようとしてるの、毛利側やろ
んで大坂捜索したらその話とは違ってごろごろ主犯の証拠が出てきたから更にペナルティってなったんやろ

正直これで家康が詐欺した云々は言いがかりレベルやろ
0089人間七七四年2018/12/07(金) 22:19:09.87ID:eoWkuNGa
家康なら謀略かましてるに違いない、という印象論だよね

最近は三成らの挙兵もそこに輝元が主導的に関わってるのも家康は予想してなかった説も強くなってきた
家康はずいぶんと油断してたと思うんだ
0090人間七七四年2018/12/07(金) 22:44:18.17ID:u9F8/z97
謀略したことはないとは言わないし、割と戦国大名として生きてるところはあるけど
家康むしろかなりの瞬間湯沸かし器だし、異様にリカバリーが上手いだけで最初から思い通りに行ったことなどないレベルの行き当たりばったりだと思う

リカバリーがうますぎてあれは家康が最初から謀略してたんだって認識した人間から印象ついていったんだろうけどさ
0091人間七七四年2018/12/08(土) 07:10:31.95ID:iSvgImMT
毛利を許すってのは大阪城を出る交換条件だろ
じゃなけりゃ輝元だって篭城すんだろ。
0092人間七七四年2018/12/08(土) 07:12:14.02ID:iSvgImMT
まあでも、この件についてはこのスレで話し合う事じゃないだろ
徳川に引導渡したのは毛利だし、雪辱は果たしてるしな。
0093人間七七四年2018/12/08(土) 08:18:43.38ID:KkojeROR
輝元は全てが終わった後の話だからな
大坂夏の陣なみに語る意味がない
0094人間七七四年2018/12/08(土) 13:14:21.15ID:E5xJP+NP
>>91
城主でもないのに籠城か
お笑いだな
0095人間七七四年2018/12/08(土) 14:13:11.60ID:3srGw1mx
別に城主でなくても籠城はできるだろ
0096人間七七四年2018/12/08(土) 17:11:03.62ID:zFWtN0Ra
>>95
豊臣「謀反人じゃー」
0097人間七七四年2018/12/08(土) 17:32:33.98ID:KkojeROR
大坂城本丸を制圧する気かよ
ついてくる奴いるのか?
0098人間七七四年2018/12/08(土) 17:43:01.08ID:WyejwVKm
秀頼の居る大阪城を攻めるとか誰がやるんだよw
0099人間七七四年2018/12/08(土) 19:35:07.54ID:BPBJK6ik
籠城されたらめんどくさかっただろうけど毛利は本国の守りがヤバいんじゃないか?
0100人間七七四年2018/12/08(土) 19:37:39.13ID:XejPob1I
大坂城はむしろ攻める対象だろ
0101人間七七四年2018/12/08(土) 19:48:33.86ID:+XIFsphD
>>99
もし大阪城を攻めないで毛利本国を狙ったら
上杉と佐竹に関東が落とされるな。
0102人間七七四年2018/12/08(土) 19:53:16.59ID:KkojeROR
男毛利輝元、西軍の大義名分を忘れて堂々と大坂城本丸を攻城
なお家臣に背かれて切り捨てられる模様
0103人間七七四年2018/12/08(土) 22:22:44.04ID:Oc/Pw4Hw
関が原の合戦の後は大阪城には毛利輝元だけでなくあの立花宗茂もいたんだよな。
0104人間七七四年2018/12/08(土) 22:31:33.07ID:/O/4I+io
>>101
どこの上杉にそんな余裕があるんだよ?
0105人間七七四年2018/12/08(土) 22:35:08.26ID:Oc/Pw4Hw
桶狭間の合戦:永禄3年・1560年

長篠の合戦:天正3年・1575年

本能寺の変(織田信長没):天正10年・1582年

山崎の合戦:天正10年・1582年

賤ヶ岳の合戦:天正11年・1583年

小牧・長久手の合戦:天正12年・1584年

小田原征伐:天正18年・1590年

豊臣秀吉没:慶長3年・1598年

関が原の合戦:慶長5年・1600年

大阪冬の陣:慶長20年:1614年

大阪夏の陣:慶長21年・1615年

徳川家康没:元和2年・1616年

本能寺の変で織田信長が没した天正10から天正12年までの2年で
秀吉は織田政権の重要人物である柴田勝家・明智光秀を打ち破り
信長の同盟者の徳川家康とも対戦している。
0106人間七七四年2018/12/08(土) 22:59:21.04ID:2cfNqNXp
>>103
実戦になれば強力ではあるが、東軍が秀頼のいる城を力攻めするとは思えないから、立花はいても東軍の調略の足掛かりにしかならん
0107人間七七四年2018/12/09(日) 03:13:26.09ID:RLmHAq6i
やっぱり一次史料絶対視は危険が高いとおもうんだ。
二次資料も参考にしつつ、あとはフィールドワーク、遺跡などの調査も
含め客観的考察推測が必要だよ。
0108人間七七四年2018/12/09(日) 10:23:42.05ID:s5Oveyd+
>>104
資料至上主義の人って、結果から推測する間違いをしてる気がする。
歴史の中に居る人って、結果を知って無い事を理解しないと駄目だと思うんだ。

カエサルだって、ファルサロス以前は只の反乱軍扱いだったとしか思えないし。
元老院議員の殆んどは、ポンペイウス支持でギリシャに逃げてたんだよ、実際。

家康が大阪城の攻城戦してたら、上杉や佐竹が狸のしっぽに食らいつかない訳が?
少なくとも秀頼が城内に居る以上、東軍の士気は最悪だし。
0109人間七七四年2018/12/09(日) 10:49:17.30ID:lNR4Pq/+
>.108
秀頼が城内にいるから東軍の士気が最高潮になるんじゃないの?
秀頼の身柄を確実に奪還できるのだから
君も家康は豊臣の敵で他の東軍大名は嫌々家康に従っているだけなはずだと推測する間違いをしているよ
0110人間七七四年2018/12/09(日) 10:51:45.11ID:XlW8mh1K
狸の尻尾を噛むだけの力が上杉には無いんじゃないかと指摘されてるんだから、返事をするならカエサルがどうのじゃなくて
「これこれこういう方法で上杉が関東に突入します」
と具体案を出さないといけないよ
0111人間七七四年2018/12/09(日) 11:12:57.03ID:VxF8+H2G
>>108
伊達と最上と結城を関ヶ原の勝敗報告が届いてる状況で
上杉がまとめて倒す方法をぜひとも教えてくれ
当然みんな関ヶ原の報告が届いてる状況でな
豊臣正規軍が謀反軍を蹴散らした状況でなお反乱側に味方する理由もふくめてだよ
それと佐竹は親父をどうやって説得したかも説明してね
話せばわかるんなら史実で絶対実行してるし、暗殺や押込なら内乱だからね
律儀者として有名な佐竹義宣にどんだけ親不孝な事させるつもりか知らんが
0112人間七七四年2018/12/09(日) 11:21:37.54ID:d4E3J9zU
>>111
>律儀者として有名な佐竹義宣

そんなの初めて聞いたが。
敵対しそうな豪族を酒宴に呼び出してまとめて毒殺するような奴だぞ。
0113人間七七四年2018/12/09(日) 11:27:15.05ID:axhByck6
>>112
佐竹義宣は律儀というより風見鶏というべきか
0114人間七七四年2018/12/09(日) 11:28:41.66ID:rqi3N13O
徳川実記だかに義宣を律儀者と評したという話があって、割とこの評価は知名度ある方だと思うけど
実情に沿ってるかどうかはともかく、そういう評価が世間で有名
0115人間七七四年2018/12/09(日) 11:45:59.75ID:rqi3N13O
二次史料も参考にしての史料批判なんて常に行われてるし、絶対主義に見えてるのは研究の手法を知らずに批判してる的外れな視点だよ

んで、同調しようとして更に頓珍漢なこと言ってるアホもおるんか
自身のがよほど結果から裏付けもなしに推測してるってのが分かってないあたり、勉強ができてないというか客観と主観の見分けすらついてないな

散々言われてるんだから、他人にどうこう言う程度の理解もできてないんだから勉強しろよ
0116人間七七四年2018/12/09(日) 15:33:14.89ID:w7Lc68xS
信長公記だってちゃんと他と比較されてるな
軍艦のある程度の復権もそのおかげ
0117人間七七四年2018/12/09(日) 21:39:53.81ID:RLmHAq6i
じゃあみんなは最近(実は昔からあったが)の山中説とか
別府の学者やTV出まくりの眼鏡男の主張をどう思ってるの?
0118人間七七四年2018/12/10(月) 00:55:40.08ID:lzgqasbE
>>115
ウイリアム.L.シャイラーの、「ベルリン日記   1934〜1940」とか読んだ事有りますか?
何て言うか結果を知らない現場の人達が、ヒトラー政権やナチスを如何思ってたのか解って
面白いですよ。

でね、仮に400年後の人達がナチス時代の歴史を書くとしたら、どんな感じに成るでしょうか?
シャイラーの著書は全て失われてると仮定して?

抑々さあ、残したら危険な記録って残らない気がすんだよね。
0119人間七七四年2018/12/10(月) 01:03:48.42ID:HqN/YgiC
妄想したいだけなら勝手にやってりゃいいんだけど専門板に書き込むな

最低限今の史学がどういった史料批判と実証を行いながら現在信頼される学問になってるのかくらい調べて批判しろ

それすらできないで妄想で学問が信用できないと言い続けるなら、デマを垂れ流す悪人と一緒だから、黙ってろ
0120人間七七四年2018/12/10(月) 01:09:19.84ID:HqN/YgiC
嘘も百回言えばをやりたいのか知らんが、ド迷惑
お前がやらなきゃいけないのはまず知ることであって、妄言垂れ流すことじゃない
黙って史学の手法を調べて来い、それでもう一度同じ寝言が出るかどうか確認してからでも遅くねーだろ
0121人間七七四年2018/12/10(月) 06:31:52.22ID:EqZ/QdI2
上杉・佐竹が関東進攻できるのは早くても
10月中旬以降。上杉・佐竹に期待するなら
大坂なんぞで籠城ではなく、10月中旬まで
美濃を支える方策を考えたほうが現実的。
0122人間七七四年2018/12/10(月) 08:03:22.48ID:oWgs+J2e
一次資料にも残ってまずいから残されてない事実はある
それが後年重要性が薄れて二次資料には残ることも

ある特定の事実関係について調べるために資料を比べるのはともかく
資料そのものの信用性について盲信する材料にしちゃダメだわ
0123人間七七四年2018/12/10(月) 09:28:07.04ID:CnpFymR8
だからと言って一切資料に無いことをあったとするのはただの創作
資料に矛盾が生じる時に整合性を取る解釈のために仮定するに留めないと
0124人間七七四年2018/12/10(月) 09:34:09.73ID:10axpfXi
一次資料なるものに対する疑問あり

1、捏造である可能性
2、捏造ではないが誤った情報、勘違いされた情報の可能性
3、1、2に関連して、伝聞故に既に一次資料としてふさわしくない可能性
0125人間七七四年2018/12/10(月) 10:49:18.74ID:HqN/YgiC
だからさ、その辺りの誤った史料である可能性も踏まえて、常に一次史料でも他の史料との整合性や誰がどういった状況で書いたのかも踏まえて史料批判が行われてる訳や

一次史料妄信してるなんて話は的外れだと否定してるのに、人の話聞いてないのか?
0126人間七七四年2018/12/10(月) 13:33:01.27ID:10axpfXi
>>125
だったらさ、別府の学者とかが唱える、山中説についてはどう考えてるのあんた?
0127人間七七四年2018/12/10(月) 13:51:41.43ID:CnpFymR8
関ヶ原の山中主戦場説のことなら小早川の布陣で起きた西軍の後退に対する東軍の追撃戦って説でもう出てるな
つまり開戦時に勝敗が決まってる状態だし小早川は最初から敵軍扱い、調略どうこうで覆せる形勢じゃない
むしろこのスレで決戦開始時は西軍有利だったとか考えてる奴はおらんでしょ

だから解決策として関ヶ原の手前の岐阜城での後詰め戦が提唱されてる
0128人間七七四年2018/12/10(月) 13:54:05.20ID:R6KV6iTu
白峰説は破綻している

指摘そのものは面白い
0129人間七七四年2018/12/10(月) 14:38:03.12ID:10axpfXi
確かに、山中説はその場が戦闘の一場面であった、もっといえば最終局面の舞台が山中地区であっただけの話で、
そういう意味では関ヶ原の戦いと呼称せず、山中の戦いであったという伝承はごく自然。
単純にこう考えちゃうんだけど、あのおっさんは、終始山中で戦闘してたって言ってるんだっけ。
0130人間七七四年2018/12/10(月) 14:44:31.03ID:10axpfXi
大坂方は大垣から上方方向に退却を決め、結果的にその途上で崩壊したとという
捉え方さえ確認できれば、その後の戦闘が関ヶ原であれ山中であれどっちでもいい気がするし、
その戦術的検証は今となってはほぼ無理かもね。
ただし、退却は毛利は家康に投降、小早川は家康方に旗幟を明らかにしたという前提で行われた
ことが前提だろう。
0131人間七七四年2018/12/10(月) 14:46:27.21ID:10axpfXi
家康が赤坂に入って、毛利の一団が勝ち目がないと投降した時点で
勝負が決まった(終了)だけの話。
0132人間七七四年2018/12/10(月) 14:47:08.43ID:10axpfXi
どうすっか?俺の説w
0133人間七七四年2018/12/10(月) 15:34:09.79ID:Nh5/Nu3N
https://blogs.yahoo.co.jp/okinawainforoom/16440480.html
0134人間七七四年2018/12/10(月) 19:03:35.48ID:oWgs+J2e
>>124
それらは一次二次問わずありとあらゆる資料にありえる
0135人間七七四年2018/12/10(月) 19:48:26.21ID:2Dn1RhQ4
>>134
だろ。
俺は一次史料はそれが意図的であろうがなかろうが
真偽については、決して二次資料に勝るものとは思っていないよ。
学会での捉え方は知らん。俺は科学に深く携わるものだが、そうだな、科学の目線での
意見とでも思っていただきたい。
0136人間七七四年2018/12/10(月) 19:57:03.88ID:2Dn1RhQ4
俺はアマチュア関ヶ原研究家としてひとつのポリシーを持っている。
それは、現地に実際に行ってみて地理的な特徴を体で実感してみること。
その理由はいちいち述べないが、今年は赤坂にいってきた。
0137人間七七四年2018/12/10(月) 20:34:12.02ID:pnro/0Y8
何ここ数日のこの流れ
0138人間七七四年2018/12/10(月) 22:11:01.84ID:4JBmyu5g
三河武士団は結束が固いと言われてるらしいけど、徳川家康の祖父の松平清康や
父の松平広忠は家臣に殺されてるんだよな。清康は家臣の息子だけど。
0139人間七七四年2018/12/10(月) 22:12:54.35ID:ldA590QC
>>138
×三河武士団は結束が固い
○家康家臣団は結束が固い
0140人間七七四年2018/12/10(月) 22:16:42.58ID:4JBmyu5g
>>139
三方ケ原の合戦では家康軍の武士たちは全て武田信玄の本陣に向かって前向きに倒れていたとか
0141人間七七四年2018/12/10(月) 22:37:36.25ID:G0eSVqUs
偉大な君主の下では羊も狼になる、それだけさ
0142人間七七四年2018/12/10(月) 23:34:06.62ID:ll0BgWFF
一斉に家康本陣攻めれば何とかなったんじゃね?
でも、やる気無いのだもん。
0143人間七七四年2018/12/11(火) 00:04:44.19ID:gPuk7AMX
>>142
西軍は最低10年間は戦の論功行賞しないことが政策の看板だからね
論功行賞しないと掲げているのだから命がけで戦っても意味がない
意味があるのは返り咲きをしたい石田派閥だけ
だから石田派閥だけで戦えとなるのは必然の結末だよ
0144人間七七四年2018/12/11(火) 03:57:15.95ID:Z/P6vlsj
論功行賞しない、なんて掲げてたの?はじめて知ったな。
それだと実際問題西軍についていくメリットなんてないじゃん
あ、でも小早川を関白にするだの言ってるよね
0145人間七七四年2018/12/11(火) 08:08:30.63ID:f5dwHKQv
明快に掲げちゃいないが土地を動かすなって秀吉の遺命にあって、それに背いた点でも家康を糾弾してる
なので恩賞で知行を得られるか疑問に感じた大名もいた可能性はある
もちろん関白に限らず官位で報いる点を否定する要素はないがどこまでありがたいかは疑問

対して家康は実際に朝鮮の論功行賞に手をつけようとしてたので(西軍よりは)信用があったと思われる
0146人間七七四年2018/12/11(火) 08:33:15.77ID:YLXkwjce
>>135
別に一次だからと絶対二次より正しいみたいなことは誰も言ってない
二次にも誤謬はあり得ると散々説明されてるでしょ
0147人間七七四年2018/12/11(火) 08:37:51.58ID:v315AN6O
あの時点で太閤遺命を厳密に守ろうとも誰かがそうしようとしてるとも思われてないでしょ
そもそも太閤遺命にのっとれば奉行と大老の戦争なんてとんでもない
0148人間七七四年2018/12/11(火) 09:56:16.82ID:/lifWBQS
>>136
虚空蔵山行ってみたの?赤坂勝山だけ?
なにか収穫はあった?
0149人間七七四年2018/12/11(火) 10:17:30.94ID:FZMlO/Sw
恩賞の面では単に西軍の保証能力が家康より低いと見られていたんじゃないか。信用の問題だよ
奉行に返り咲きたいからお前ら無償で働け、なんてこれから戦争するのにどんなキチでも言わんと思うよ
0150人間七七四年2018/12/11(火) 11:27:52.75ID:Z/P6vlsj
>>145
ああなるほど、秀吉の遺命違反について家康を糾弾してるのに恩賞だの論功行賞だのやったらおかしいわな
秀吉への忠誠心のみでことを起こすしか大義名分がたたないわけか
でもそれ誰が言うこと聞くか、って話だよな
命がけだのお家の存亡かけてそんな奇麗事言われても。
0151人間七七四年2018/12/11(火) 13:19:29.22ID:n92j2ySX
逆に言うと、恩賞出す時点で非難してる家康と同じことをするわけで
大義の面ではどっちにしても詰んでるな
0152人間七七四年2018/12/11(火) 13:28:49.78ID:GV0/ii3F
関ヶ原合戦の時点で石田は豊臣政権では無役なんだよ
どんな権限であれこれ仕切れるんだよ
0153人間七七四年2018/12/11(火) 14:41:13.33ID:o27c3a0a
>>148
勝山だけ。
岡を登り切って眼下を見渡した。
ここで決戦にもちこもうとしていたのがすぐ分かった。
0154人間七七四年2018/12/11(火) 14:43:18.44ID:o27c3a0a
そして大坂方が上方に退散したんだってことがわかった。
0155人間七七四年2018/12/11(火) 15:21:12.80ID:f5dwHKQv
>>151
実際に勝ったら恩賞は出しただろうし約束もしてたんだとは思う
ただ従う側に不安は残るし、大将が不安に感じてたら兵の士気も上がらない

>>152
そもそも三成名義でやってないでしょ
名義人は他の五奉行と輝&秀家
0156人間七七四年2018/12/11(火) 17:46:33.68ID:xpB+DVI/
だけど徳川家康は関が原の合戦のあとは14年も辛抱したよな。
仮に家康の年齢が三成くらいの40歳くらいならともかく、当時の59歳以降は
いつ死んでも不思議ではない年齢層だからな。
0157人間七七四年2018/12/11(火) 17:50:10.08ID:2JkBDsnD
そんな状態でよく戦争まで持ち込めたな。
西軍やる気無いじゃん。
0158人間七七四年2018/12/11(火) 18:00:35.90ID:2JkBDsnD
三国志みたいに伏兵沢山潜ませて山中逃げれば
勝っていたと思うのだけどな。
0159人間七七四年2018/12/11(火) 18:03:42.40ID:xpB+DVI/
島津義弘が夜襲を提案したけど三成はそれを退けたという話があるらしいけど
もしそれが本当ならば奇襲・奇策は用いることができなかっただろうな。
0160人間七七四年2018/12/11(火) 18:56:01.28ID:I6G0foAX
>>153>>154
それは主観であり科学とは言わん
0161人間七七四年2018/12/11(火) 18:59:57.18ID:3EpLTe8H
へたな古文書より地勢から感じた直感的発想の方が事実であることの方が
多いよ。
0162人間七七四年2018/12/11(火) 19:00:25.45ID:JQHQ/yB4
やはり水軍で勝つべきだな
毛利は村上水軍があるんだし
0163人間七七四年2018/12/11(火) 19:01:57.51ID:/2LlKJwd
>>150
そう考えると関ヶ原ってのは過去スレでもしばしば言われてるように、
家康を政治的に屈服させる為のクーデターだったんじゃないかな
少なくとも奉行に天下分け目の大決戦を家康に仕掛ける!って気があったとは思えん
政治クーデターならトップの顔触れが変更されるだけだから恩賞とか派手にやらんでいいし、
近畿制圧を優先したのも政治的勝利を優先した結果と考えれば理解はできる
ただ、奉行の予想よりも西軍の支持が広がらなかったね
関ヶ原の結果も家康が支持されたというよりは反家康派が支持されなかった印象が強いし
0164人間七七四年2018/12/11(火) 19:03:51.49ID:3EpLTe8H
>>158
これもまた地勢を理解していない愚かな話。
傾斜地に草木の生い茂る山中を逃げることはほぼ不可能。
0165人間七七四年2018/12/11(火) 19:06:25.33ID:3EpLTe8H
俺は、石田か大谷の政権奪取計画だったと考えているが。
0166人間七七四年2018/12/11(火) 19:10:45.21ID:FIuNH+dP
石田や毛利が首謀者にしろ、西軍すらまとめきれない大義名分と恩賞だったんだろうな

人間あまく見すぎ
0167人間七七四年2018/12/11(火) 19:23:12.59ID:3EpLTe8H
秀吉死んだ時点で、家康が継げばいいだけの話だし、みんなそう思っていたんだろうが
あれだけのプロレスというか儀式がどうしても必要だったってだけの話。
そうしないと、家康も顔が立たないわけで。
歴史は数学や物理学と同じ。
こたえはひとつだけであり、どういう行程を経ても答えは同じ。
水が引力にしたがって流れ落ちることと同じ。
0168人間七七四年2018/12/11(火) 19:26:20.25ID:3EpLTe8H
ないものをあるとか、あるもにをないとかにはできないんだよ。歴史という方程式では。
大坂方は、解が家康であることにもかかわらず、別の解をだそうと方程式をこねくり回していただけ。
0169人間七七四年2018/12/11(火) 19:27:58.47ID:3EpLTe8H
つまり

関ヶ原方程式
解)
西軍は勝てない。
0170人間七七四年2018/12/11(火) 19:31:27.06ID:3EpLTe8H
解説)
もし西軍が勝てる解があるとしたら、家康が負けている歴史が存在しなくてはいけない。
ここに、西軍の勝利のシナリオが絶対存在しない説明が成立できる。
0171人間七七四年2018/12/11(火) 19:32:06.56ID:3EpLTe8H
これが有名な
歴史のifはナンセンス
0172人間七七四年2018/12/11(火) 20:23:59.85ID:FZMlO/Sw
長々と書いたらポエムも科学になるのか
0173人間七七四年2018/12/11(火) 21:54:29.04ID:CpSwIbBc
黒田長政は自分が西軍だったら西軍が勝ったと言ってるし
真田昌幸も徳川を破る策なんて幾らでもあるって言ってるけどな。
0174人間七七四年2018/12/11(火) 22:17:58.03ID:FwuP+P6G
>>164
そこで伏兵なんですよ。南宮山山頂とかで旗振ったり狼煙上げたり
かまどの数を減らしたりすれば家康は追いかけてきて罠にはまる。
0175人間七七四年2018/12/11(火) 22:26:55.32ID:FwuP+P6G
ウンコって挑発する奴いなかったのかな。
あまり話題にならないよな。
0176人間七七四年2018/12/11(火) 22:30:44.65ID:kTqRBD2N
最低限の当時の軍事の知識と後世の逸話かどうか見分けられるオツム備えてくれや
あとなんでこう極端から極端な意見しか出せないようなやつばっか来るんだよ

sage方すらわかってなーのばっかだしよー
0177人間七七四年2018/12/11(火) 22:35:17.91ID:3EpLTe8H
>>176
偉そうにするな
0178人間七七四年2018/12/11(火) 22:37:12.90ID:kTqRBD2N
sageくらい覚えろポエマー
0179人間七七四年2018/12/11(火) 22:40:07.28ID:/u8qM2YI
本能寺の変後の混乱と秀吉の台頭とそう変わらん
一世代前の出来事を間近で目撃した連中が
実力者に擦り寄らないわけがない
大義名分まで家康に与えたの明らかに秀吉の失敗だわ
0180人間七七四年2018/12/11(火) 22:43:27.00ID:3EpLTe8H
>>178
うるせーhage(ハゲ)w
0181人間七七四年2018/12/12(水) 00:46:26.39ID:aCyylg+X
>>179
秀吉としたら最晩年の時点では豊徳合体を願うしかなかったのでは?
ただその場合は豊臣奉行衆はいらない子になっちゃうだろうけど
0182人間七七四年2018/12/12(水) 01:13:05.41ID:5slYvaI9
>>179
普通にさ、秀次に秀頼の事を頼む方が現実的だったと思うんだよね。
家康は、平気で孫娘を送り付けた相手を焼殺する冷酷さが有った訳だけど?

秀次に、自分の娘婿を殺す冷酷さが有ったとはねえ?
最晩年の秀吉は、何処かおかしいよね。
0183人間七七四年2018/12/12(水) 02:01:15.63ID:wnO5FBVh
平気でもなんでもなく、かなり最終局面まで助命しようと奔走してた

ちゃんと調べてないだろ
0184人間七七四年2018/12/12(水) 03:20:12.26ID:QaDpOdc8
何度も助け舟は出してる
それを全部反故にしたのは秀頼ちゃんだ
0185人間七七四年2018/12/12(水) 07:47:31.09ID:KwJ4v8XU
なかなか動かない小早川秀秋軍にじれた家康が大筒を打ち込んだという話があるけど
一説にはウィリアム・アダムスが大砲を使ったらしいな。
0186人間七七四年2018/12/12(水) 09:00:39.90ID:il6uxECD
わざわざ孫娘を約束通り秀頼の嫁に出すとか律儀きもほどがあるよな
0187人間七七四年2018/12/12(水) 10:07:46.14ID:JwdpHG0w
まだあの時点じゃ豊臣譜代も強力だから多少は豊臣寄りの姿勢とらざるおえんだろ
0188人間七七四年2018/12/12(水) 10:15:23.89ID:csPu2dHw
>>185
家康が松尾山に鉄砲なり大砲なり打ち込んだ、なんてのは同時代史料からはない
最近発見された書状には脇坂が開戦後まもなく大谷軍に攻め込んだとある
確定とは言えないが、信頼性という意味では後者に分がある
0189人間七七四年2018/12/12(水) 10:20:14.14ID:tQO/2eK/
関ヶ原後の伊達政宗の手紙からもわかるように家康が事実上の天下人になったことは
諸大名でも認識してる者はいたが、秀吉が織田家にしたように旧来の君臣関係を精算する
移行期間のようなものは必要だったんだと思う
実力の差でもはや豊臣家は天下人たりえないが、千姫を嫁がせることで旧主として
格別の扱いは約束しますよという意思表示だな
0190人間七七四年2018/12/12(水) 10:47:43.93ID:JZo2zhsH
そのまま豊臣政権での織田家みたいな位置付けにしたかったんだろうね
秀頼の撃発で終わったけど

関ヶ原前の家康の狙いはよく分からないな
徳川を中央に持っていこうとしてたのは確かだとして豊臣との合体か、豊臣を公家にして武家から離す気だったのか
単純に武家内で権力構造の二重化を狙っていたのか
0191人間七七四年2018/12/12(水) 10:53:54.11ID:dlRsJItE
岐阜城後詰決戦策からのその後の流れを
いろいろ考えてみたけど、やっぱ秀忠隊家康隊の
合流を阻止するのは難しいように思う。
その流れからだと第二次小牧・長久手みたいに
なるだろうけど、
その際やっぱ輝元が美濃に来てないと
毛利の統率から軍議の決定から
西軍の作戦行動に際していろいろ支障があるように思う。
増田と小早川秀包を留守居に残して
輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思う。
0192人間七七四年2018/12/12(水) 11:00:27.77ID:dlRsJItE
ただそれでも兵力差が厳しい。
西軍が立ち回りで家康に勝てるとも思えないし、
濃尾戦線を膠着させて上杉・佐竹の動きに期待して少しでも有利な条件で和睦、
ってあたりがベターなような気がする。
0193人間七七四年2018/12/12(水) 11:13:31.29ID:0iqI4JV+
話の腰を折るようで申し訳ないが、妄想関ヶ原、おもろないで。

妄想してもきりがないってことわからんのかな?
永遠に妄想し続けるもの、どうぞご自由にだが。
空しくないか?

それより、司馬関ヶ原でもない、昨今のなんちゃって学者連中の関ヶ原でもない
真実の関ヶ原をとことん探求してみないか?
どうせ妄想するとしても、真実を求めて妄想したほうがおもしろい。
0194人間七七四年2018/12/12(水) 11:17:14.14ID:Ch5QZ6iG
>>193
はよ精神病院へ行けよキチガイ
0195人間七七四年2018/12/12(水) 11:24:44.17ID:dlRsJItE
>>193
真実スレへどうぞ。スレタイくらい読んでください。
0196人間七七四年2018/12/12(水) 11:25:05.59ID:0iqI4JV+
↑こういう返しをする人間の屁理屈関ヶ原なんて、、ね(笑)
0197人間七七四年2018/12/12(水) 11:32:57.53ID:a14JzyVx
↑このスレを監視するように命令されてるのかな?
0198人間七七四年2018/12/12(水) 12:42:30.18ID:78c81B90
最初から西軍が勝つために方程式のどの引数を弄ればいいかの話だろw
まさかここで頑張れば歴史改変が起こるとでも思って議論してたとでも?

ここが変われば結果が変わるのでは?
そこは実際はこうだから実際こうだからその値は取らない/そこを変えても意味ない

とああだこうだ言って楽しんでるのがこのスレ
だから元々真実の関ヶ原の話もしてるにも関わらずそれがわからないのってちょっとな
0199人間七七四年2018/12/12(水) 13:23:46.96ID:0iqI4JV+
まあ、ただ、妄想ばかりが先走っているようだぞ?
0200人間七七四年2018/12/12(水) 13:42:59.28ID:/QqhWt/g
岐阜中納言に物申すことができる人物いるのか西軍に
0201人間七七四年2018/12/12(水) 14:29:39.61ID:IE8aUSc0
三成「ガキが…舐めてると潰すぞ」
0202人間七七四年2018/12/12(水) 14:34:00.75ID:78c81B90
妄想がダメだ真実の関ヶ原が云々言うなら
妄想の部分に論理的裏付けのある反論をすればいいだけ

みんなそうやって話してるのに1人だけ「科学的じゃない!」って具体的な指摘のないレッテル貼してる人が何を言ってんだって言われてんだよ
0203人間七七四年2018/12/12(水) 14:46:42.40ID:KwJ4v8XU
小早川秀秋は「金吾」もしくは「金吾中納言」と呼ばれるが、元は昔の中国の
皇帝が住んでいる居城の門を警備する役職名なんだよな。
後漢王朝の創始者である光武帝劉秀が若い頃に読んだ詩の一説の「役職に就くなら金吾」にも出ている
0204人間七七四年2018/12/12(水) 14:47:36.81ID:0VP5ZQ03
時間かけたら秀忠どころか利長まで合流して完全に詰む
0205人間七七四年2018/12/12(水) 15:02:58.74ID:0iqI4JV+
>>202
わかったよッ、わかったからさ。
でも一つだけ言っておく。
どうみてもバカっぽい堂々巡りしているぞ。
無限ループ。
トンデモ関ヶ原ないか、これじゃ。

いや、余計なことを言ってしまったようだな。
聞かなかったことにしてくれ。
0206人間七七四年2018/12/12(水) 15:05:00.41ID:Kg0Wr85N
>>203
名前負けしたのね
0207人間七七四年2018/12/12(水) 15:09:35.07ID:0iqI4JV+
還暦過ぎのハゲ爺がこのスレに
必死に書き込んでいるとしたら
腹抱えて笑えるな
0208人間七七四年2018/12/12(水) 15:31:50.88ID:e05g9xL5
>>203
近年だと単に秀秋の幼名が「金吾」だったという結論になってるよ
0209人間七七四年2018/12/12(水) 15:46:12.51ID:K1RmuX+S
幼名じゃないだろ
0210人間七七四年2018/12/12(水) 16:09:59.19ID:WZRfae1L
何で幼名が金吾なんだよw
0211人間七七四年2018/12/12(水) 16:23:05.42ID:csPu2dHw
いろいろかわいい子がいるなw
0212人間七七四年2018/12/12(水) 18:21:40.91ID:5KcFaAHF
>>203
日本では、中納言の唐風名称とされてる。

光武帝の話は、執金吾って近衛兵と言うより儀仗兵なんで、背も高く立派な御顔の良家の
子弟で編成されてたって事。


南陽郡に土着した末の劉氏の部屋済みの身「多分江戸時代なら500石の旗本とかその辺の家柄」では
近衛兵の将校は憧れの的だったって事らしいね。

南陽軍随一の有力豪族の娘で美人と評判の陰麗華と執金吾が若い時の憧れだったと後年に
語ったお話。

後の陰皇后。
0213人間七七四年2018/12/12(水) 18:32:44.41ID:K1RmuX+S
中納言は黄門やね
0214人間七七四年2018/12/12(水) 19:14:41.62ID:5KcFaAHF
>>213
間違えた、この場合は中納言が兼任する事の多い左衛門督だろうね。

まあなんにしろ武家が結講好んだ官位。
0215人間七七四年2018/12/12(水) 19:51:08.57ID:AnfGkHel
>>188
>最近発見された書状

できれば詳しく。
0216人間七七四年2018/12/13(木) 01:28:41.55ID:2e67IGU6
秀秋が5歳ぐらいの時の秀吉の書状に秀秋を指して「金五」と見えてるから
執金吾由来のワケがないんだぞ
0217人間七七四年2018/12/13(木) 01:40:25.99ID:2e67IGU6
というかそもそも秀秋が左衛門督に任官していた確認がとれない
……と「実像に迫る 小早川秀秋」に書いてあった
0218人間七七四年2018/12/13(木) 01:46:34.54ID:2e67IGU6
あ、違うわ。同じ著者の書いた「羽柴を名乗った人々」の方だったわ
0219人間七七四年2018/12/13(木) 02:12:49.71ID:z7yautwp
https://blog.goo.ne.jp/nichikon1/e/da81f66fa7c437e7ca19667c2bf35065
↑これ笑えるw、コメント読んだ男女後に何か書きこんでやって。

出来たらみんなに広げていってほしいな。
0220人間七七四年2018/12/13(木) 02:23:20.73ID:scq7Ew9v
>>216
なんで?
0221人間七七四年2018/12/13(木) 07:40:39.26ID:M/kTDKpn
小早川秀秋の肖像画
http://or2.mobi/data/img/211727.jpg

なんだか困ったような表情だな
0222人間七七四年2018/12/13(木) 07:44:47.60ID:M/kTDKpn
小早川秀秋が着てた陣羽織の鎌が交叉するデザインは格好いいな
http://or2.mobi/data/img/214758.jpg
0223人間七七四年2018/12/13(木) 08:52:59.84ID:vxpO3FbV
>>221
悪意ある絵だよな
0224人間七七四年2018/12/13(木) 09:49:12.26ID:zrEPseTi
>>223
基本的に、絵師はスポンサーを悪く書く事は不可能だよ。
つまり、これでも美化されてる可能性大ですね。

まあ、家康が鉄砲で脅したって俗説の根拠もこの画像かもね。
ヤクザの親分に脅されたら、自分が軽機関銃持ってる事忘れて土下座しそう。
0225人間七七四年2018/12/13(木) 12:27:07.59ID:bZwdVO2z
>>215
17日付の彦坂&石川康正連署書状
0226人間七七四年2018/12/13(木) 12:57:47.80ID:J19XTpFE
>>222
カコイイ
0227人間七七四年2018/12/13(木) 13:25:09.73ID:/q20eXz6
>>225
真実スレの>14の書状のこと?
0228人間七七四年2018/12/13(木) 15:02:50.36ID:sI7oUFXh
ポエマーだの散々バカにしてくれたが、
なんだよこのざま
くだらねーネタばっかりじゃねーか

何が関ヶ原だ糞スレwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwww
0229人間七七四年2018/12/13(木) 16:57:36.37ID:C3+FhjXY
また一切具体的に話ができない子が来ちゃった
0230人間七七四年2018/12/13(木) 17:08:03.85ID:q6r9OrG6
>>221
小早川秀秋 木像

https://i.imgur.com/MuoMsEs.jpg

よく似てる。
0231人間七七四年2018/12/13(木) 17:12:58.81ID:sI7oUFXh
>>229
だまれハゲww
鏡見てみろ
0232人間七七四年2018/12/13(木) 17:13:56.76ID:sI7oUFXh
>>230
秀秋にはにてねーぞ
お前のツラに似てるだけだろ
0233人間七七四年2018/12/13(木) 17:56:54.90ID:Nlb9Wqge
https://i.imgur.com/mdFT2D1.jpg

大河のこの再現度よ
大麻くんも特徴捉えてたな
0234人間七七四年2018/12/13(木) 19:18:30.75ID:iFEGxIws
秀秋の画でオナニーしろw
0235人間七七四年2018/12/13(木) 20:28:38.90ID:eec7mZVA
かわいそうな科学ポエムくん
0236人間七七四年2018/12/13(木) 20:57:42.70ID:iFEGxIws
しばらく居候させてもらうぜ
0237人間七七四年2018/12/13(木) 20:58:54.89ID:iFEGxIws
かわいそうなものどうし仲よくやろうぜ!
0238人間七七四年2018/12/14(金) 20:56:20.83ID:FaV2AE/m
キンタマがデカい方が勝つんだよ!
0239人間七七四年2018/12/14(金) 22:13:27.50ID:FaV2AE/m
金吾のキンタマしゃぶれ
0240人間七七四年2018/12/15(土) 18:52:54.66ID:FeokHGvk
ところで当時の佐渡の戦力ってどんなもんなんだろ?
当時たしか上杉領だよね?自信ないけど。
このスレどころか学者や軍記物なんかでも
触れてるのがないような気がするけど。
0241人間七七四年2018/12/15(土) 19:40:47.61ID:bV57mikA
島原の時も鍋島多くの兵連れてきたな
浪人いるとはいえ
当時のゾンビランドってそんなに人口多かったのかね
0242人間七七四年2018/12/15(土) 22:39:21.56ID:+0+dkhkQ
佐渡と佐賀で話すれ違ってるよ
佐渡の当主というと本間氏がぱっと思いつくけど、あの一族は上杉の会津移封に合わせて会津に移動してたっけ?
0243人間七七四年2018/12/16(日) 00:10:54.56ID:5CSQN0wV
元から別件ですぞ
0244人間七七四年2018/12/16(日) 00:36:40.80ID:hqetIlkb
秀家と金吾はホモだち
0245人間七七四年2018/12/16(日) 01:00:07.42ID:e7azP3RU
東軍に付いた奴で調略したら西軍に味方しそうな奴って誰か候補ある?
別に関ヶ原で戦った武将じゃなくていいんだが。
0246人間七七四年2018/12/16(日) 01:15:44.27ID:mnTInUNq
むしろ上杉と真田を東に忍ばせる方が得策
そうすると伊達とかも寝返る可能性がある
0247人間七七四年2018/12/16(日) 01:42:05.91ID:T/ZRPvJK
>>246
何がどうなれば自分らを討伐する為に集結した軍勢に味方として合流するんだ、上杉は?
それと真田はそもそも信之が東軍じゃないか
>>245
加藤清正かな
ただし、絶対条件として清正の要求を全て飲み増田を黙らせる事、
また小西に加藤の下風に立つのを承知させる事が必要になる
まあ書いといてなんだが、小西が東軍に走るだけな気がする
0248人間七七四年2018/12/16(日) 12:10:47.75ID:7dQZPBxe
清正「上方二カ国で味方したるで!しかも仲間にも自軍につくように説得したる!」

輝元「おっ、そうだな(何いっとんねん)」
家康「うーん、肥後一国で!あとお前は信用出来んから上洛はしてくんな!」
0249人間七七四年2018/12/16(日) 13:10:30.82ID:+7FRm5w9
無理でしょ
清正は東軍の中でも家康派に近い位置どりだし機内2国も受け入れられないことを前提にしてる
もし受け入れられたら断るまで要求を乗せるだけだよ「空手形は不安だから毛利領から4国先渡しでよこせ」とか
0250人間七七四年2018/12/16(日) 14:24:55.31ID:fqAnuZ0s
伊賀と志摩の二国でいいんじゃない?
0251人間七七四年2018/12/16(日) 14:40:03.10ID:5AbpPzih
>>245
結構前にもこの話あったけどその時に挙がってたのは
三成と親交があり政治的に対立してなかった田中吉政
ただこの人元秀次家臣だからそっちの関係性の方が強いだろう(そもそも東軍なわけだし)ねって話だった
あとは終身名誉西軍候補佐竹義宣くらいか
0252人間七七四年2018/12/16(日) 15:09:17.43ID:HhZH+/tL
そもそも清正は関ヶ原前に大失政やらかして家康から大顰蹙買って上洛すら許されてない
0253人間七七四年2018/12/16(日) 17:32:56.77ID:ytS9jscC
佐竹は義宣よりは父親の義重のほうが良かったな
0254人間七七四年2018/12/16(日) 17:45:48.37ID:7+fKtLin
佐竹は真田みたいに東西に分かれて保険掛けるって発想はなかったんかな。
堀みたいにとりあえず東西にいい顔しとくとか。
小兵力東軍に送ったり人質も出したんだっけ?
それで信用されないなら西軍についてしまうことで
西軍勝利の可能性あげたほうが合理的に思えるけどなぁ。
勝ちさえすれば石田とのパイプでおいしい思いもできるだろうし。
0255人間七七四年2018/12/16(日) 17:51:42.91ID:ytS9jscC
>>254
そういう手もあったんだよな
0256人間七七四年2018/12/16(日) 18:24:19.18ID:SgcUIP0g
??「九州に七カ国くれるなら味方する」
0257人間七七四年2018/12/16(日) 18:59:57.05ID:pSOOPg8C
>>251
田中は所領が三河の岡崎なんで一歩間違えたら堀家のようになるし、
徳川と前田が対立した時に徳川屋敷に詰めた親徳川派だしなぁ
0258人間七七四年2018/12/16(日) 19:27:48.72ID:53A8GaXV
佐竹の場合位置が悪い
西軍で挙兵した方は江戸と本国の間で孤立するでしょ
0259人間七七四年2018/12/16(日) 19:34:30.13ID:EBA7R01u
それに佐竹はかなり強引な国衆粛清したから残党が徳川に蜂起をけしかけられる可能性もある
0260人間七七四年2018/12/16(日) 22:40:05.17ID:tott9kAq
そういや九鬼も真田と同じパターンだね。

>>258
真田昌幸・信繁なんかも完全に孤立してると思うが。
やっぱ東西にわかれるとある程度は片方が孤立気味になるのは
仕方がないと思う。立地にもよるが。
0261人間七七四年2018/12/17(月) 00:24:31.94ID:X9RJiA6W
>>260
昌幸の場合、単純に家康が嫌いだから自領を徳川から守りたいってだけな気もする
昌幸って基本思考が「いかにして真田の領地を守るか」てのが最優先で
関ヶ原が天下分け目の大決戦って意識があまりなさそうに感じるよ
0262人間七七四年2018/12/17(月) 00:49:30.83ID:H7GHB+2W
清正は無いと思うな〜 伊達は恩賞次第ってとこか。
それなら福島の方が恩賞次第で動きそうだな。
あと秀頼に拙い字で良いから文を書かせろ。
0263人間七七四年2018/12/17(月) 01:10:17.15ID:7qPIfuUT
天下分け目になるなんてこと、東西両首脳ですら思ってなかったでしょ
基本的に秀吉台頭以前の群雄割拠に戻るって認識で、まさか片側の本戦力が短時間で殆ど壊滅して趨勢が決まるなんて予想もつかんでしょ
0264人間七七四年2018/12/17(月) 03:11:49.50ID:Cg7KVLSc
小西が東軍なら怒りの逆張りで加藤東軍ワンチャンあるで
0265人間七七四年2018/12/17(月) 03:12:30.64ID:Cg7KVLSc
加藤東軍×
加藤西軍〇
0266人間七七四年2018/12/17(月) 05:18:22.46ID:RBGmbIU9
>>252
すまんが良く覚えて無いんだけど、何やったっけ?

普通に清正は福島程馬鹿じゃ無いので、西軍に付くのを恐れたのかと?
0267人間七七四年2018/12/17(月) 07:53:53.36ID:jqnlYmNu
>>260
その通りで立地が悪すぎる
江戸から近く西上の裏を突かれる位置だから
0268人間七七四年2018/12/17(月) 09:51:56.07ID:n6a6NLJN
清正と正則はホモセクシャルだったらしいね
0269人間七七四年2018/12/17(月) 10:31:44.32ID:m/SnICIF
家康が大垣城をスルーした時になんで関ヶ原に先回りして布陣したんだろ
後ろから襲えばよかったのに
0270人間七七四年2018/12/17(月) 10:50:37.64ID:Cg7KVLSc
>>266
庄内の乱にこっそり介入していたのがばれた
清正殿は九州の抑えを…なんてのは結果論で実際は肥後で謹慎させられていた

そもそも小西行長の西軍参加は家康も驚愕していたようだし、小西許さんマンの清正が西軍参加は成り行き次第では有り得たかもしれん

ガチで頭のおかしい福島正則と違って清正は御し難い、上方に居たらどんな注文つけてくるかわからん
生涯家康は清正の上洛を嫌って監視している(敬意も払ってはいるが)
0271人間七七四年2018/12/17(月) 10:51:21.54ID:NZzoMyHd
恐らく家康が赤坂に向かった時点では西軍は大津組との合流を企図していたんじゃ無いかな
当然家康側も大垣を警戒しつつの進軍なわけで仮にそこで仕掛けても東軍先方と合流しての正面決戦になるだけ
ちょっとでも優位が欲しかったなら待ちを選ぶのは別に変でもない

それが秀秋が松尾山に布陣して退路を絶とうとした事で破綻
そのまま決戦か撤退かで撤退を選んだ結果が史実の関ヶ原なんだと思う
0272人間七七四年2018/12/17(月) 11:37:00.85ID:frllQnij
石田三成と諸葛孔明は行政官としては有能だけど戦場における臨機応変の用兵が苦手という共通点があるな。
0273人間七七四年2018/12/17(月) 12:03:57.93ID:FiRDbPAW
>>272
まだおまえみたいな時代錯誤の知恵遅れがいたんだな(笑)
0274人間七七四年2018/12/17(月) 13:59:46.01ID:n6a6NLJN
三成と大谷はホモだったんだろ。
0275人間七七四年2018/12/17(月) 14:06:34.73ID:hjtDKndm
【沖縄犯す自由レイプ党】 ムッソリーニは逆さ吊りで金玉エグられて口の中に突っ込まれて処刑されたが
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1545013272/l50
0276人間七七四年2018/12/17(月) 15:02:09.31ID:n6a6NLJN
秀秋は秀家にキンタマしゃぶらせていたっていうからな。
0277人間七七四年2018/12/17(月) 15:02:29.00ID:n6a6NLJN
秀秋は秀家にキンタマしゃぶらせていたっていうからな。
0278人間七七四年2018/12/17(月) 15:16:40.53ID:m/SnICIF
大事なことなので?
0279人間七七四年2018/12/17(月) 16:05:03.62ID:n6a6NLJN
知ってる?広家ってゲイだったらしいよ
0280人間七七四年2018/12/17(月) 17:30:09.25ID:n6a6NLJN
淀は治長とずっと不倫してたしな
0281人間七七四年2018/12/17(月) 19:49:03.66ID:StQto3Ta
ホモの嫌いな戦国武将なんていません!
0282人間七七四年2018/12/17(月) 19:54:36.62ID:n6a6NLJN
景勝は兼続は相当出来上がってたらしいよ。
0283人間七七四年2018/12/17(月) 19:56:32.02ID:n6a6NLJN
家康はゲイ友には恵まれなかったってね
ブ男だもんね
0284人間七七四年2018/12/17(月) 21:50:48.17ID:n6a6NLJN
秀吉は、自分のキンタマをしゃぶらなかったやつは
全員打ち首にしたらしいね
秀次がそうだったらしい
0285人間七七四年2018/12/17(月) 21:54:19.51ID:n6a6NLJN
ちなみに、秀吉が、淀と不倫していた治長をなぜ許したか?
それはね、治長が秀吉のキンタマをしゃぶったからだってね
0286人間七七四年2018/12/17(月) 23:53:50.60ID:HTDPWXcW
大内と陶の謀反とかホモの嫉妬とか
この時代、ホモが原因で大事件になるとか普通でしょう
0287人間七七四年2018/12/18(火) 05:51:43.23ID:fH+r+f8V
ところで光成氏の新作、九州方面みたいだけど
なにか新説でもあるのかね?
少し値段か高めなんで悩み中だが。
0288人間七七四年2018/12/18(火) 08:01:44.20ID:VOd6+xwW
結城秀康
http://or2.mobi/data/img/203635.jpg
0289人間七七四年2018/12/18(火) 12:00:27.56ID:+hMhNhhx
>>287
長政のキンタマは尺あったって話が載ってるよ
0290人間七七四年2018/12/18(火) 12:41:41.15ID:/I3D2pC2
>289は風説の流布か名誉毀損じゃない?
ほんとに書かれてるなら話は別だが。
0291人間七七四年2018/12/18(火) 13:09:01.84ID:nfHua7nb
荒らしの発言まともに受け取るなや
反応すっから喜んで何度も書き込みやがるんだから
0292人間七七四年2018/12/18(火) 14:38:20.90ID:+hMhNhhx
男色関ヶ原

お楽しみに
0293人間七七四年2018/12/18(火) 23:38:37.78ID:HHpMUT69
瀬田の唐橋の西岸で構えればよかった
立花も合流できる
石田が保身で佐和山を守ろうとしたのが悪い
0294人間七七四年2018/12/19(水) 08:54:40.68ID:6lWwI5dF
西軍に諸葛孔明の様な知恵袋がいれば勝てた、、、だろうか?
0295人間七七四年2018/12/19(水) 09:15:55.18ID:pBfF6b5+
>>293
どの時点で?いずれにしても9月14日以降は厳しいと思うが。
0296人間七七四年2018/12/19(水) 09:26:33.52ID:lxVtYkSl
>>237
無理
0297人間七七四年2018/12/19(水) 12:17:03.25ID:JJm1nHOo
>>294
体制が・・・
0298人間七七四年2018/12/19(水) 12:57:07.13ID:Q3zTQ/nY
伏見城攻めをもっと遅らせて東軍が会津に突入してからにすれば
0299人間七七四年2018/12/19(水) 13:07:05.70ID:j855eTwg
そのタイミングでは、上杉が壊滅しっちゃうだろ
見殺しか?
0300人間七七四年2018/12/19(水) 13:13:42.97ID:j4WB13Gm
あの時代の連絡速度でちょうど東軍が上杉家に攻撃開始して上杉が降伏する前にタイミング合わせて大坂で挙兵するの、無理ちゃうか

西軍と上杉が事前に連絡取り合ってたって書状も見つかってないし、あくまで西軍は会津征伐でたまたま家康が畿内離れたからそれに乗っかったれって形のようだから、そこのすり合わせはかなり難易度高いと思う

それとも仮定で西軍と上杉は挙兵前から連絡取り合ってたことにする?
0301人間七七四年2018/12/19(水) 13:35:10.97ID:mjVUoK5B
>>298
まったく逆だよ
家康が江戸に到着してシンパの大軍が集まってから蜂起したのが遅すぎる
家康が畿内から出て江戸に到着する前に蜂起する必要がある
西軍は蜂起が遅すぎたのが敗因といっていい
0302人間七七四年2018/12/19(水) 14:46:07.35ID:Hu5fGW6O
>>294
諸葛さんは内政偏重型なのであまり役にたちません
0303人間七七四年2018/12/19(水) 16:39:05.97ID:buve1Crd
>>270
マジかよ。
庄内を巡る上杉と最上の争いにまさか加藤清正が介入していたとは大才だな。
そういえば加藤家は後に庄内丸岡に流されているのもここに関連しているのかもな。
0304人間七七四年2018/12/19(水) 16:46:32.65ID:kBAJ39dA
スマホ太郎とか伊丹一派がいれば勝てるよ
0305人間七七四年2018/12/19(水) 17:10:35.16ID:WFUKKxox
タイミングを計るのが難しい上に東軍中に動向を知らせてくれる内通者もいなかったっぽいからな
その後の経緯を見ても挙兵以前に示し合わせて行動してたにしては行き当たりばったりで誰が味方か見極めながら動いてる

であれば確かに東海道を下る途中で挙兵した方がワンチャンあるって発想は分からなくもない
各軍の細かい動きがわからないのでなんとも言えないけど
主だった諸将が家康に先行してるのかでも違ってくるし
0306人間七七四年2018/12/19(水) 17:16:57.17ID:QYLyBI17
どう考えても悪手の会津戦開始後に比べればそりゃマシだろうが
家康シンパが史実より多く近畿に残ってる状態ってのは西軍的には寒いな
0307人間七七四年2018/12/19(水) 17:37:34.00ID:0lNTZ2fC
>>303
分かって言ってるんだろうけど九州の庄内な
0308人間七七四年2018/12/19(水) 18:39:15.75ID:JJm1nHOo
会津で戦端が開かれて、さらに上杉優勢の情報が入ってから挙兵するのはどうだろう?
上杉不利ならもちろん挙兵はしない前提
0309人間七七四年2018/12/19(水) 18:51:18.29ID:eHp1ZfR7
>>308
まあ挙兵しないんならその方がいいとは思うよ
しかし、挙兵しないのはスレ違いになるんじゃないかなあ
一応どうすれば西軍が勝てたか?ってスレなんだし、その前提は挙兵しないって事だからな
ただ、繰り返すけど西軍挙兵をしない方が良かったなとは思うね
0310人間七七四年2018/12/19(水) 19:37:44.67ID:dWFQvlhl
挙兵してないんだから負けてない、負けてないんだから勝ってる

ってぶつぶついいながら佐和山に閉じこもってる三成を想像して寒気がしたw
0311人間七七四年2018/12/19(水) 19:43:47.22ID:Ppjl5lue
>>301
それだと具体的には6月下旬に挙兵ということになる。
小山あるいは江戸に集結される前に挙兵して東軍を混乱状態に陥らせるという点では
効果が大きいと思うが、西軍の兵力集結もまた遅れると思われる。
そして吉川広家の出雲富田からの出陣は7月4日(7月13日大坂着)。
高確率で広島に駆けつけて輝元の説得に当たると思う。
めんどくさくなって輝元が挙兵やめるかもしれないよ。

>>308
兵力差的に上杉優勢というのは考えにくいと思うが。劣勢の割には健闘してる、
あたりならあるかもしれないが。
0312人間七七四年2018/12/19(水) 21:35:27.99ID:DLuc7xsJ
>>303
庄内の乱でぐぐれ
っというか庄内の乱が原因で家康の勘気に触れて謹慎、上洛出来ずに関ヶ原に参加出来なかった

家康すら清正は西軍に組するのではないかと警戒していたし、清正の動向は非常に注視された

もし清正が西軍となれば、一時的に見れば九州は黒田を除けば西軍一色という危機的な状態になり得た
0313人間七七四年2018/12/19(水) 21:38:07.52ID:lxVtYkSl
そうなったら清正改易できてラッキーだな
0314人間七七四年2018/12/19(水) 22:11:50.39ID:69W0N7lC
やっと気づいたかおまえら。
おまえらの議論は宇宙人がいるかどうかの議論以下だってことに。
0315人間七七四年2018/12/19(水) 22:34:27.93ID:WFUKKxox
それに水差す幼稚さには未だに気がついてないってのにな
0316人間七七四年2018/12/19(水) 23:26:50.75ID:j4WB13Gm
清正自身はかなり徳川に親身というかゴマすってたレベルの家康派っぽいけどなぁ
確か私婚事件の時も家康のとこにいるし、関ケ原の時も割と逐一徳川と連絡とり合ってたと記憶してるし
家康からは警戒されてたっての正しいと思うけど
0317人間七七四年2018/12/20(木) 00:46:50.48ID:IdTRDlu5
例の秀頼の二条城会見では、帰りに秀頼が清正の屋敷で休息を取ろうとしたら
断固拒否して一歩も屋敷の中に入れなかった。そんな豊臣の忠臣
0318人間七七四年2018/12/20(木) 01:19:16.10ID:o0qBByR6
何の話?
0319人間七七四年2018/12/20(木) 01:29:17.70ID:IdTRDlu5
>>318
細川家の記録
0320人間七七四年2018/12/20(木) 01:45:17.19ID:TXzImYPe
まぁわざわざ二条城の会見セッティングしただけ十分忠臣でええと思いますけどね
秀頼が二条城会見の意味わかってたかは別として
0321人間七七四年2018/12/20(木) 01:58:36.86ID:IdTRDlu5
二条城会見は「豊臣恩顧」とされる浅野幸長が徳川義直の、加藤清正が徳川頼宣の、それぞれ「舅」としての立場で参列しており、
アレは豊臣恩顧なるものが既に徳川親族として完全に徳川体制に組み込まれたことを見せつけたイベントだな。
秀頼がそれを理解したかどうかは知らんが
0322人間七七四年2018/12/20(木) 06:05:35.22ID:aQ71XmxU
>>312
九州には細川もいるだろ
細川が西軍になることは絶対にないし
0323人間七七四年2018/12/20(木) 06:46:39.12ID:tLD86sn9
>>316
清正は婚姻問題の時は利家のところにいってる、つまり三成側についてる
逆に大谷が家康の屋敷にいたりする
>>322
細川が九州に行ったのは関ヶ原後で、この時は丹波にいるよ
0324人間七七四年2018/12/20(木) 10:36:34.33ID:hT3bIFXj
>>323
飛び地の細川領について調べたほうがいいよ。
0325人間七七四年2018/12/20(木) 10:51:53.89ID:TXzImYPe
>>323
私婚問題の時によく清正が前田側にいたという間違いがあるけど
史料でもその後の編纂物でも家康邸にいることが書かれてるよ
0326人間七七四年2018/12/20(木) 11:23:25.89ID:o0qBByR6
前田徳川両邸に分かれて集結した時と三成による家康襲撃の噂が立って武断派全部が徳川邸に集結した時とを混同してると思われ
0327人間七七四年2018/12/20(木) 11:37:38.99ID:TXzImYPe
いや、清正は一貫して徳川派になってるようで
私婚事件の時もしっかり徳川邸にいるし、その後も必ず家康のとこついてますね

多分お話としてその方が面白いから三成側についたなんて情報が出てるんだろうけど、史料からだとずっと家康についてますね
0328人間七七四年2018/12/20(木) 14:27:58.37ID:aQ71XmxU
>>323
関ヶ原の前年に家康の推挙で豊後に6万石もらってる
内府違いの条々で挙げられてる家康への弾劾の「自分に都合の良い者にだけは、知行を与えている。」がまさにこれを批判してる部分
0329人間七七四年2018/12/20(木) 14:34:26.53ID:TUgqPJew
あの時代、関東から九州まで
どの程度の速さでどの程度正確な情報が伝わったか
平和な江戸時代じゃないんだから
0330人間七七四年2018/12/20(木) 15:20:50.75ID:cjA8GeWf
>>328
飛び地の豊後領って言われても…
結局最後まで如水の言いなりやろ
0331人間七七四年2018/12/20(木) 18:06:21.27ID:qRMpEAoy
>>330
そりゃ細川忠興がわざわざ豊後領を預かってる松井康之に手紙で「有事の際は黒田とともに動くように」って命令してるからな
黒田と組まなかったら命令違反だよ
0332人間七七四年2018/12/20(木) 20:19:21.77ID:XMVw5gS6
おまえら勝手に妄想してwwww
聞いてきたのかよ、本人によwwwwwww
0333人間七七四年2018/12/20(木) 20:20:12.52ID:XMVw5gS6
おまえらいくらあがいても司馬にはなれんからwwwww
0334人間七七四年2018/12/20(木) 20:38:56.46ID:8MzuHBCH
>>333
あガガイのガイwww
0335人間七七四年2018/12/21(金) 09:46:28.17ID:8tQtD+aQ
おまえら、タイムマシンにでも乗って時空トラベルでもしてきたかのうような言い草だな
妄想オナニーがすごいわ
0336人間七七四年2018/12/21(金) 09:49:50.10ID:sIGJki3C
>>335
You idiot
0337人間七七四年2018/12/21(金) 10:35:18.65ID:9oGBEhXf
おまえはー、おろかものー
0338人間七七四年2018/12/21(金) 20:55:11.00ID:bmu7uQT7
>>317
加藤さんは大将だから
0339人間七七四年2018/12/22(土) 20:52:37.35ID:TqSDAKta
挙兵を繰り上げるとしたら一週間くらいじゃないかな。それ以上繰り上げると逆に在国が増えると思う。
0340人間七七四年2018/12/23(日) 02:51:42.78ID:mqgbnXrv
>>327
でも清正は伊集院の乱における不手際で家康からハブられつつあったよね。
むしろ小西行長の方が家康に重用されてた。
上杉討伐でも清正は在国、行長は大坂で留守だから扱いに差がある。
0341人間七七四年2018/12/23(日) 03:05:07.95ID:P7dEMLdB
>>340
加藤が西軍につくかどうかの話でしょ?
なら肝となるのは徳川が加藤を警戒してるかどうかじゃなく
加藤が徳川に対してどういう態度をとってるかでしょ

もちろん警戒されてて針のむしろだから敵方につくっていう行動をする人はいるけど、加藤は史料上一貫して徳川方として動いてるって話ですよ
0342人間七七四年2018/12/23(日) 03:37:54.52ID:mqgbnXrv
加藤が西軍につくかどうかの話、だからその過程を考えてるわけで、史料で一貫して〜で済むならそもそもこのスレタイが意味なさないわな。
俺は清正の行動や家康の清正に対する扱いは、小西行長の向背が大きく関わってると思ってるので。
スレタイに準じるなら、もし小西が家康の期待を裏切らなかったら清正はどうしたろうって妄想してもええんやないかな。
0343人間七七四年2018/12/23(日) 04:32:26.69ID:86eXiNDz
恐山のイタコに頼んで加藤にあってこいやwwwww
バカかお前らwwwwww
0344人間七七四年2018/12/23(日) 04:33:05.39ID:86eXiNDz
妄想オナニースレ大全開やなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0345人間七七四年2018/12/23(日) 04:35:04.26ID:86eXiNDz
妄想オナニースレ大全開やなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0346人間七七四年2018/12/23(日) 04:39:33.29ID:P7dEMLdB
>>342
いやまあそのあたりは正直個々人の裁量次第なところあるからこれ以上言わんけどさ

警戒されてなお西軍につかない人物である以上、そこから膨らませるよかもっと別の西軍につきそうな人物探した方がリアリティ出ると思うけどなぁ

普通に徳川との縁談も進めてて、それが私婚事件へと発展する訳だけどまぁそれはそれとして
縁戚にすらなろうとしてる人物なんやし小西云々とは関係薄いと感じる
0347人間七七四年2018/12/23(日) 07:17:01.12ID:28A3jH9m
>>345
はい次の韓国人
0348人間七七四年2018/12/23(日) 10:06:25.23ID:1NUEeT7K
>>288
双子だったってマジ?
0349人間七七四年2018/12/23(日) 11:41:49.12ID:+xiDlmzv
そもそも西軍は三成を前面に押し出すのを止めるべきだろう
加藤でなくとも不信感を抱いて当たり前
味方を増やして戦う士気を上げたいなら
まず三成が目立ちまくる怪しい環境をどうにかしないと駄目だろ
0350人間七七四年2018/12/23(日) 13:05:01.92ID:86eXiNDz
>>349
偉そうにw
0351人間七七四年2018/12/23(日) 13:23:03.27ID:28A3jH9m
>>350
君、いいケツしてるね
0352人間七七四年2018/12/23(日) 14:38:09.71ID:86eXiNDz
もういいじゃねーかww
歴史はそのままが一番やでww

それよりおまえら、自分の人生をどうしたら勝てるか?考えた方が
いんじゃねえのwwwww
どうせ負け組なんだからwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0353人間七七四年2018/12/23(日) 14:41:48.06ID:MDl1CbFN
>>352
君かわいいおちんちんしてるね
0354人間七七四年2018/12/23(日) 16:05:33.73ID:86eXiNDz
関ヶ原の妄想はしなくていいのか?あん?ww
0355人間七七四年2018/12/24(月) 00:33:25.96ID:8cu35Lyf
恐ろしいことに気付いてしまった

前回、武田総合スレの菅沼ねぇが現れた11/18レスした日も
12/22も菅沼ねぇが現れてる時間はこのスレのいつもの彼はレスしていない上に過疎っている
0356人間七七四年2018/12/24(月) 10:30:55.75ID:OJ88uN1B
たぶん各スレで暴れている奴のほとんどは菅沼の別人格だろ
0357人間七七四年2018/12/24(月) 12:38:53.78ID:w50YBgmw
秀頼と輝元が出陣して、毛利氏と島津氏が動けば勝てた

迷っていた小早川は毛利が止まっていたのを確認した上で東軍側にまわった

最終的には石田三成の人望の無さかなあ
0358人間七七四年2018/12/24(月) 12:45:18.49ID:2Bk2osnf
真実スレのテンプレ、凄いことになっているな
0359人間七七四年2018/12/24(月) 12:55:00.70ID:xaGshfhk
何度も何度も言われているが関ヶ原で豊臣は中立、西軍側に立つ事はない
また仮に西軍支持でも幼児の秀頼が前線に行く事はあり得ない

あと小早川が迷っていたは江戸期の創作の可能性が高い
単に霧が濃すぎて山を降りれなかっただけ
0360人間七七四年2018/12/24(月) 14:17:25.40ID:RzeQXg1C
>>359
当時の天気予報見てきたのか?wwwwあ??www
妄想関ヶ原、本日も絶好調

近刊決定かwwwwwwwwwwwwwwwwww
0361人間七七四年2018/12/24(月) 14:26:45.66ID:5kswMVyj
>>355
今年もクリスマス独りぼっちが決定して荒ぶってるんだよ。みんな気付いてるからそっとしてやれよ
0362人間七七四年2018/12/24(月) 14:27:48.13ID:TiCdsYqT
幼君出陣させるやばさは散々語られてる通りだから、秀頼出陣は正直論外
あと上の人も言ってる通り、脚色されまくりの関ヶ原の記述じゃなく史料精査してわかってる方の関ヶ原で語る方がええと思うよ
0363人間七七四年2018/12/24(月) 21:34:21.91ID:RzeQXg1C
兄は夜更け過ぎに由紀江と変わるだろ
0364人間七七四年2018/12/24(月) 22:03:01.91ID:zR07V92w
>>143>>144>>145>>150
真実スレの新スレに有った三成の書状のこの部分を見ると
西軍が恩賞無しを主張していた事は無いのでは無いかと思う

此書立之人數五三日已前に悉從國々馳上相知候、於仕置者可御心易候、其上金銀、玉薬料入候者可承候、從 秀ョ樣可被遣候、

太閤樣御貯之金銀幷闕地何も御忠節次第其々に可被下候、今度伏見表手柄仕置九州衆、内府江州之地行十万石令割符、

當座之引出物金銀に添感狀被下候、
0365人間七七四年2018/12/24(月) 22:06:40.04ID:N9AuNsK3
そもそもこの板は実質10人程度が自演で回してるだけだろ
信忠逃亡スレでも自演がおったし
0366人間七七四年2018/12/24(月) 23:02:50.27ID:RHNyixu9
>>363
性転換?
0367人間七七四年2018/12/25(火) 03:00:12.27ID:XCN1qZog
>>364
悪いけど、誰か意訳してくれませんか
0368人間七七四年2018/12/25(火) 03:56:34.18ID:MpzgfAfg
>>359
形式上は豊臣政権内の権力争いだからな。
関ヶ原では豊臣家に弓引いた者は存在しない。
0369人間七七四年2018/12/25(火) 11:32:05.23ID:E4LvaQ9/
河豚須磨正則を味方に引き込む。
0370人間七七四年2018/12/25(火) 16:22:14.88ID:TmZUZdA4
人生負け組のおまえらが、西軍が勝つにはどうかを考えるなんてwwwwwwwwwwwwwwww
分かるよwwwwwwwww

自分のどうにもならない、絶対勝てない人生を西軍になぞらえているわけだよなあwwwwww
わかるわかるwwww
0371人間七七四年2018/12/25(火) 17:08:58.84ID:FYGm/VF6
【メリー、マ@トレーヤ、マス】 善悪を裂開させる世界教師の刺激を受け、芸能人も分裂し始めている
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1545706395/l50
0372人間七七四年2018/12/25(火) 19:20:41.95ID:jQPV8tVu
オナニースレだからここ
0373人間七七四年2018/12/25(火) 21:29:28.96ID:dZNE+Lyl
5ch自体が酒場の雑談場所だから
0374人間七七四年2018/12/25(火) 21:32:42.65ID:EkYAoV+Y
どんな内容だろうが書き込んだ時点でオナニーしてんだよ
0375人間七七四年2018/12/25(火) 21:39:27.49ID:dV179xk/
>>372
よう 人生の負け組wwww
0376人間七七四年2018/12/25(火) 22:43:52.36ID:jQPV8tVu
>>375
よう 働きアリンコ君よwwwww
あしたも涙拭いて頑張れやwwwww
0377人間七七四年2018/12/26(水) 09:24:05.63ID:K356Q+ZX
関ヶ原キンタマ勃起物語
0378人間七七四年2018/12/26(水) 09:45:45.08ID:Fgo8hMUU
毛利一門が動けば包囲殲滅で圧勝だったな
0379人間七七四年2018/12/26(水) 18:25:56.45ID:K356Q+ZX
おまえら負け組はポコチンしごいてればいいんだよ。
0380人間七七四年2018/12/27(木) 09:21:31.20ID:EHPLhKS6
まずはお前らは
己の人生にいかに勝つか?
これが先決だな

もっとも、無理だろうけどwwwwwwwwwww
0381人間七七四年2018/12/29(土) 04:28:13.65ID:0eak9xZc
人質作戦で失敗し、伏見城攻略に半月もかけた時点で西軍の未来は暗かった
0382人間七七四年2018/12/29(土) 10:01:48.81ID:TNfozl3h
前田利長ってけっこう晩年まで羽柴肥前守名乗ってるよね?
これは豊臣に対してそれなりに恩義に感じていたからなのかそれとも他の理由があるのか。

もし前者なら、前田征伐まで遡る必要があるが
奉行衆、毛利、宇喜多あたりが前田の味方する可能性の検討とかどうだろう。
宇喜多、細川あたりは前田の味方してもおかしくないと思うんだけどね。
0383人間七七四年2018/12/29(土) 11:37:28.03ID:0eak9xZc
西軍の味方になるってことは、芳春院が江戸で殺されるということ。
利長に母を見捨てる覚悟があるとは思えない。西軍と違って家康は人質を効果的に使ってた。

細川親子は西軍に真っ先に目を付けられてる。藤孝は篭城し、忠興は反石田の急先鋒。
ガラシャが死んだとき、同じ大坂にいた長男忠隆の嫁(前田家)は逃げ延びた。
忠興はそれを咎めて追放させようとし、反対した忠隆を廃嫡した男。利長が西軍にいても関係ないと思われる。
0384人間七七四年2018/12/29(土) 14:29:04.88ID:Z73GGroM
>>383
いやそうじゃなくて、前田征伐の時点まで
遡るということ。
前田征伐時、細川は徳川と前田の仲介に尽力してたとおもったけど。
0385人間七七四年2018/12/29(土) 14:57:31.02ID:NHa82hYI
豊臣に対してそれなりに恩義に感じていたは正しいだろうが東軍も豊臣派だからね
豊臣に恩義を感じてる面子が二派に分かれて内戦始めただけで恩義を感じてるから西軍が有利になるわけでも西軍に付くわけでもない
羽柴姓は大坂の陣までは細川をはじめ森京極などガチ東軍もふくめ結構のこってるし前田に特別何かあるわけじゃない
0386人間七七四年2018/12/29(土) 22:49:12.29ID:ew6aZKq9
上野クリニック
0387人間七七四年2018/12/29(土) 23:48:10.61ID:+U9X5/S5
織田家時代13万石

豊臣に入って80万石


これで恩に感じてなかったら人間不信になるわ
0388人間七七四年2018/12/30(日) 00:00:48.01ID:6dUQpPJf
豊臣家からみて前田は徳川と敵対してまでも助けたい相手かというとそうでもないような
特に淀は思うところあるんじゃないの
妹の嫁ぎ先の方が心理的に近い可能性すらある
0389人間七七四年2018/12/30(日) 00:40:33.12ID:4IOSUm/5
>>387
豊臣に恩義を感じても三成に恩義を感じる必要はないから
三成の味方になる理由がない
現代では混同する人も多いけど豊臣と石田はまったく別物でしょ
0390人間七七四年2018/12/30(日) 00:57:23.40ID:ns3Tt1+y
その豊臣への恩も秀吉個人への恩だったりするんじゃ
豊臣は利長を庇ってくれなかったし
0391人間七七四年2018/12/30(日) 02:06:49.94ID:1DYSPbc5
>>387
まあ、賤ケ岳の戦いの時に、柴田派と見なして取り潰しでもおかしく無いしね。
加賀、能登、越中の一部で80万石は個人的な友誼での贔屓だろう。

まあ、秀吉の構想では徳川牽制の切り札だったんだろう。
秀頼の太傅役で、80万石の大名で、57万石で五大老の一人の宇喜多秀家が娘婿。
更に、浅野とも当初は縁戚。

前田利家にあと五年寿命有れば、家康は普通に討伐受けて滅んでたと思う。
負ける要素無いもん、加藤も福島も、前田の陣触れなら普通に傘下だろう。
0392人間七七四年2018/12/30(日) 02:08:50.92ID:AQ3I2fYk
>>384
細川では仲介には力不足。いわゆる大老や奉行ら、豊臣中枢がいないと。
しかし宇喜多はこの間に宇喜多騒動発生でそれどころじゃなくなる。
騒動は前田家から来た家臣が関わっているから、前田・徳川の問題も絡んでいるのかもね。

史料から前田と徳川の仲裁に積極的だったのは大谷吉継だな。
吉継はいわゆる奉行ではないけど、三成や長吉の失脚後を補う形で政務に復帰してる。
0393人間七七四年2018/12/30(日) 02:52:54.00ID:fzOl2fiL
家康の婚姻問題を政争の道具にした挙げ句結局家康のところに土下座しに行った前田利家に、負ける要素がない!

笑わせるな
0394人間七七四年2018/12/30(日) 03:18:10.62ID:ucObKZNo
秀吉が家康をけん制してた、警戒してたっていう人は
自分が警戒せなアカン相手に唯一の大臣職と政庁の伏見城、そして自分の子供の義理の父親という圧倒的な正当性を与えるトンマだとでも思ってるんやろか
0395人間七七四年2018/12/30(日) 07:08:59.43ID:yf2XBoRD
>>394
まったく警戒してないってのはさすがにないとは思うよ
ただし、警戒<信用、信頼だとは思うが(すがるしかなかったとも言える)
ただ、いずれにせよ豊臣に対する信頼云々で徳川との対立を期待すべきではないが
家康だってこの時点では豊臣の為に動いているんだから
確かに自分にとって都合よくあるように政権を改造しようとはしていたとは思うけど、
それが即、豊臣に対する謀反とはいえないしね
だってやってる事は藤原氏や執権北条とほとんど変わらないもの
0396人間七七四年2018/12/30(日) 08:56:07.83ID:Wpql1GXN
うーん、なんていうのかな、徳川派、奉行派、
前田派、秀次派、これらの派閥のようなもののうち、前田派を前田征伐時なら奉行派(西軍)に
取り込めることができたんじゃないかなという提案なんだけど。
豊臣政権内での政争としてみてね。
そうすれば武力闘争(挙兵)に発展しても有利になるでしょ。
まぁ徳川に勝つというより徳川を失脚させる手段への道かもしれないが。
0397人間七七四年2018/12/30(日) 10:02:39.97ID:fbz6g+dP
利家が長生きしてたら家康が滅ぶって、この2人が互いに生きてる間は政治的主導権争いに終始してただけだと思うよ
秀頼元服まで生きてたら豊臣は安泰だったと思うが、勝ち負け以前にどちらかの挙兵すら起きないと思うよ
0398人間七七四年2018/12/30(日) 12:57:05.49ID:npMz7xIP
やはり石田三成の西軍が勝つには毛利軍の護衛で秀頼を関が原へ出馬させることだな。
もしそうなれば家康は手出しできなくなる。
もちろん小山会議で家康に付いた武将たちも戦意喪失して家康から離れて行く。
0399人間七七四年2018/12/30(日) 13:18:53.13ID:7aI4IIqt
毛利が東軍と単独講和したときのダメージが史実の空弁当よりも深刻化するだけでは
0400人間七七四年2018/12/30(日) 13:44:40.99ID:3q+P2e9T
家康と比較すれば利家なんて圧倒的に小者じゃん
家臣団もよわよわ
0401人間七七四年2018/12/30(日) 13:50:21.09ID:ucObKZNo
幼君を戦場に連れ出したらそれこそ論外で詰むという話を散々してるんだけどなぁ、なんで読まないかなぁ
0402人間七七四年2018/12/30(日) 14:08:10.12ID:DD1C6+/G
釣れるから
0403人間七七四年2018/12/30(日) 14:20:31.53ID:FePfD6i0
>>400
利家没後だから家康VS利長らだろ
そりゃ無理だ
0404人間七七四年2018/12/30(日) 18:37:51.95ID:npMz7xIP
>>401
うるせーよ、ハゲ
  〃⌒ヽ
  / ゚◇゚ )y─┛~~
 ∈_ノ_/
   ┛┗
0405人間七七四年2018/12/30(日) 18:45:02.91ID:fQVWe4X9
>>404
ガイジ
0406人間七七四年2018/12/30(日) 23:59:53.54ID:yvn41v59
|
| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)また髪の話してる
 (|   |)::::
  (γ /:::::::
   し \:::
      \
0407人間七七四年2018/12/31(月) 01:15:56.42ID:hfL3+zBj
>>398
あの時点では、東軍大名は飽く迄も建前としては秀頼の家臣だもんな。

豊臣家大老を自称する家康に、一時的に応援してるに過ぎない。

秀頼が前線に出てくれば、家康に味方する事は明確に謀反って事に。

実際、韓信が劉邦に自軍を没収されたみたいな感じに成る可能性もね。
0408人間七七四年2018/12/31(月) 02:26:28.54ID:+ywxsulk
意思疎通すら怪しい幼君が前線に連れ出されてるの見て「おっそうか、秀頼様は西軍を支持されてるのか」
って思う大名おったらドアホやろ
幼君連れ出すって僕らは主君を政治利用する気しかありませんレベルの宣言でしかないぞ
0409人間七七四年2018/12/31(月) 10:19:26.83ID:SE0G+WXb
それでも秀頼が西軍となったら大義がなくなるから戦えないだろう
0410人間七七四年2018/12/31(月) 10:26:53.06ID:EyAVxBxF
「幼君をかどわかした君側の奸」と東軍の敵愾心を燃え上がらせるだけだろう
結局主家である豊臣家の人間が意思表示のできない秀頼一人しかいないんだからどうにもならない
0411人間七七四年2018/12/31(月) 11:00:36.74ID:2HBzVlYz
そもそも豊臣家は会津征伐を認めているわけだしね
それを三成個人の意思でひっくり返して三成の手元に秀頼を支配させたら
三成が豊臣の主君であると天下に宣言したも同じ

東軍大名だって飽く迄も建前としては秀頼の家臣、なんて言い分自体が崩壊するレベルであり
石田政権の樹立を認めるか、三成を謀反人として処刑するかの選択になる
0412人間七七四年2018/12/31(月) 11:12:31.11ID:ugrUPMxq
石田三成や大谷吉継は小早川秀秋が裏切ることは想定してたらしいな。
だから大谷軍をあの位置に配備したんだと。
0413人間七七四年2018/12/31(月) 11:39:11.64ID:l00yrYLM
秀頼を大坂城から出すな 秀吉遺言 
だと何度書いたらわかるんだ?
0414人間七七四年2018/12/31(月) 11:42:57.54ID:7l+7mGom
秀頼にとっては西も東もどっちも部下でしかない
0415人間七七四年2018/12/31(月) 11:51:02.56ID:TAjKOIHf
そして西軍は反乱軍
0416人間七七四年2018/12/31(月) 12:11:27.07ID:v9uxdkrH
西軍内部ですら秀頼の出馬は認めない
毛利はともかく、五奉行と宇喜多、小西、大谷が反対する
もちろん三成も間違いなく反対する
あり得ない仮定だが淀殿や片桐ら側近衆が出馬を打診しても止めに入るレベル

強行したら西軍が分裂して関ヶ原どころじゃない
0417人間七七四年2018/12/31(月) 18:16:30.20ID:SAPYcBv/
大坂の陣ですら出馬してこないのに関ヶ原で出陣とか夢のまた夢だろ
0418人間七七四年2018/12/31(月) 19:09:00.05ID:Pp2J8GCN
秀頼が出馬すれば〜ってのは大坂の陣の小説やらドラマで散々擦られて来たからそのイメージ抜けない人がいるんだろね
実際には甘すぎる見通しだと思うけど
0419人間七七四年2019/01/01(火) 07:48:20.58ID:885x3V/f
>>413
だからその遺言は秀頼を守る為なんだから、それを覆す正当性が有れば
良いんだよね。
傅役の前田利家が生きてれば、普通に秀頼前線に出しても誰も文句は
言わないと思うね。

中国何かだと、託孤の鞭なんてのが「つまり主君に不行跡有ったら叱って良いって意味」有った
りするし。
傅役ってのは、まあ乗っ取る気なら乗っても良いよ、但し秀頼の身が建つようにしてねって
意味だろうし。

まあ、利家の早死にが致命傷だったんだろな。
0420人間七七四年2019/01/01(火) 08:19:59.16ID:as1JtdeN
>>419
頭の悪い理屈並べてるが、幼児を戦場に拉致する理由は用意してあるんだろうなぁ?
それとも理由は人任せでとにかく秀頼を拉致して前線に連行しろってか?
0421人間七七四年2019/01/01(火) 09:08:18.79ID:vKHcalpu
ぶっちゃけ秀頼出陣よりは
伏見陥落のあと天皇に家康を朝敵指名して追討令を出してもらう方が効果的じゃね?
実際幕末に薩長はそれで旧幕府軍に勝ってる訳だし
0422人間七七四年2019/01/01(火) 11:01:48.27ID:CaEQqa+8
>>421
当時家康は内大臣で武家では最高の官位であり、その家康を内大臣に推挙したのは他ならぬ秀吉自身だよ
秀頼は関白ではないし毛利や宇喜多の官位ではとてもじゃないけど太刀打ち出来ない
秀吉の強引な関白就任とその後の事や、菊亭晴季の件などで今まで辛酸なめさせられた五摂家が秀頼関白就任阻止のために激しく動いてる
それに家康ももちろん一枚噛んでるから、徳川と豊臣のどちらかが朝敵にされると仮定したら豊臣の方だろうね
秀頼は公家からも目障りな存在だったし、朝廷関連で西軍は付け入る隙はないと思う
秀頼が西軍の背後にいるとしたら、なおさら徳川方に味方するかと思われる
0423人間七七四年2019/01/01(火) 11:42:42.09ID:C5YtK0LL
利家だって十分ジジイだったんだから早死でもないだろう
家康が元気なジジイだっただけ
五大老に均等に秀頼をお頼み申すではなくまだ若い宇喜多にでも頼めばよかったんでない?
そうすりゃ家康には大義名分なくなるし、野心はなさそうだし
0424人間七七四年2019/01/01(火) 11:55:20.58ID:SkSpPapQ
豊臣秀頼が毛利軍の護衛で関が原へ出陣していたら、家康に加担したほとんどの武将は
逆臣となることを恐れて西軍へ寝返ることは確実だから三成は万難を排してもそれをやるべきだったな。
豊臣家の馬印である千成り瓢箪が掲げられた時点で家康は終わり。
0425人間七七四年2019/01/01(火) 11:57:21.39ID:as1JtdeN
左大臣宇喜田秀家か
能力不足も甚だしいな
宇喜田家すらまともに統治できないしな
0426人間七七四年2019/01/01(火) 12:25:13.43ID:ygcT5kFw
同じこと
秀頼自身が幼児である以上、豊臣家の担ぎ出しに成功してもそれは秀頼の側近を騙る姦臣の所業に過ぎない
姦臣に捕らわれている秀頼様をお助けするって言う大義が生まれるので家康的には困らない

豊臣の名を使ってどうこうするなら最低限、秀頼の元服まで挙兵を待つことが最低限のライン
0427人間七七四年2019/01/01(火) 13:25:42.75ID:CezndhYx
石田を正当化したいだけの盲目オタがうるさいだけ
0428人間七七四年2019/01/01(火) 14:57:46.06ID:1nnSuz6O
>>426
それ言うなら、
意思疎通すら怪しい幼君の命令を理由にした会津征伐がおかしいだろ
秀吉が命じた五大老五奉行制を難癖付けて解体する行為なんだからさ
0429人間七七四年2019/01/01(火) 15:01:14.59ID:SkSpPapQ
いつの時代にも戦争には大義名分というのが大事であるからな。
関が原の合戦においては秀頼公を自軍の旗印に出来るかどうかが勝敗のかなりの部分を占める。
だから石田三成は秀頼を担ぎ出してくれば西軍は戦わずして勝てたのは確実だと断言できる。
0430人間七七四年2019/01/01(火) 15:34:57.79ID:FcvCAx9Q
そもそも秀吉から政務任されてるの家康である以上、そりゃ家康の方が多少無茶は効くよ
あと難癖じゃなく堀からの訴えを聞いて、申し開きのための上洛命令再三無視ってのがあるからそこを難癖だと思う認識は改めた方がいいよ

あと書状として秀頼の名の下に討伐の令が下るのと幼君連れて行くことの差は認識した方がいい
0431人間七七四年2019/01/01(火) 16:03:21.51ID:wlNAztZ1
そもそも朝日軍道の開削って割とグレーっぽくない?
確かに領内整備の一環と言うことはできるけど
惣無事令の建前上通行に隣国をまたぐ事に何の不都合があるのかと問われると答えに困るような
0432人間七七四年2019/01/01(火) 16:16:30.06ID:2PlqBT4y
家康=司馬昭
0433人間七七四年2019/01/01(火) 16:27:50.70ID:SI6QztUj
>>429
断言するのは結構ですがあなたの断言がイコール真実ではありません
片方の人が「西軍が秀頼を戦場に引っ張ってきても実際の効果は期待できない」と言っているのだから、あなたは効果が期待できる理由をあげるべきです
0434人間七七四年2019/01/01(火) 16:34:21.71ID:SkSpPapQ
むしろ効果は期待できないと頑なに決め付けてるほうがおかしいんだけどな。
なにもわかってはいないとでも言おうか。
0435人間七七四年2019/01/01(火) 16:46:23.93ID:SI6QztUj
>>434
そういうのはいいですから客観的な理由をあげて説明し、議論をしてあげて下さい。あなたの言い分では議論になっていません
読む側としても価値の無い主観だけのレスなら飛ばしてしまいたいのです
0436人間七七四年2019/01/01(火) 17:09:10.26ID:SkSpPapQ
お前ら正月の元旦から何やってるんだよ・・・
0437人間七七四年2019/01/01(火) 17:17:10.99ID:as1JtdeN
>>436
精神分裂症かな?
0438人間七七四年2019/01/01(火) 17:47:02.64ID:SkSpPapQ
すぐにレッテルを貼りがたるネラーってw
0439人間七七四年2019/01/01(火) 17:49:38.79ID:SkSpPapQ
反論されて悔しいんだろうけど、レッテル貼りしかできないようではダメだね。
0440人間七七四年2019/01/01(火) 17:55:03.55ID:as1JtdeN
>>434
>>436
ガイジかな?
0441人間七七四年2019/01/01(火) 18:09:41.20ID:SI6QztUj
IDチェンジするの忘れてるんじゃないかな?
0442人間七七四年2019/01/01(火) 22:18:33.82ID:U8px39uc
秀頼を担ぎ出すのは徳川を倒すより難易度高いわ
0443人間七七四年2019/01/01(火) 22:56:04.18ID:as1JtdeN
8歳未満の幼児君主を戦場に拉致連行して勝った例があるなら教えて欲しい
秀頼はエルサレム王国のボードゥアン4世じゃねぇんだぞ
0444人間七七四年2019/01/02(水) 02:51:22.02ID:YViVz5iF
三成たちの書状には「秀頼さまを出陣させれば」とか書いてあるの?
0445人間七七四年2019/01/02(水) 03:42:11.45ID:AE+Ufqxk
四奉行が毛利家ではなく、織田家を前面に押し出してたら面白かった・・・かなと
0446人間七七四年2019/01/02(水) 04:39:33.63ID:8zAR/Mgd
>>445
家康の石高に次ぐ大大名の毛利が西軍総大将だから、その名の元にそこそこ対抗出来たけど、当時の織田の石高と官位では味方が集まらず、兵も足りずに戦にすら持ち込めず、戦わずして負けが確定かと
織田とやり合った毛利、上杉、長宗我部他勢力が西軍に付かない可能性も出てくる
0447人間七七四年2019/01/02(水) 04:41:52.46ID:/8mDpQkp
gyaoで、のぼうの城がやってる。
関ヶ原とは関係ないが。
0448人間七七四年2019/01/02(水) 06:23:06.77ID:+qemMBIe
>>443
新田義貞が、足利義詮を奉じて鎌倉に攻め込んだ先例が有るはず。
足利と新田は本来兄弟から別れた家「新田の方が兄の家系」だけど、鎌倉時代を通じて足利の方が
勢力が強かった。

当時の武士の認識では、本家の嫡子「少年と言うより幼児、赤ん坊」」を分家の当主が担いで挙兵した
って感じだったらしいね、当時の記録だと。

つまり、幼児でも足利って全国的に知名度有るブランドは強力だったって事だね。
大義名分って、今の人が考えるより強力だったと思うよ。

織田信長だって、足利家の内紛で足利義昭支持って大義名分「三好氏は義昭の従兄弟を
奉じてた」で上洛したんだよ。
徳川も、浅井も、筒井や松永みたいな畿内の大名も、足利義昭に味方するって大義名分で
織田傘下に成ったんだし。
0449人間七七四年2019/01/02(水) 06:33:49.48ID:+qemMBIe
>>430
その理屈だと、秀吉の遺言で傅役を任されてる前田利家の方が未だ無理が
通せるよ。
傅役ってのは、しばしば親代わりなんで義理の親子関係って言っても良いくらいなんだよね。
イスラム世界では「アター.ベク」なんて役職が「しばしば主君の生母と再婚した」有ったり
するし。

前田利長が傅役を受け継ぐはずだったんだし、帰国せずに大阪城に籠ってれば家康も
何も出来んかったかも。
0450人間七七四年2019/01/02(水) 07:24:20.97ID:41MMdvsf
>>448
君主じゃないだろそれ
君主が名目上の総大将として幼児を使う例じゃなくて、
側近が自分の都合で身勝手に当主を最前線に放り出す事例なんてあるの?
それも豊臣家レベルの大勢力で
先に言っとくけど弱小過ぎて他に手が無いとか、御家がすでに壊滅しているとか
そういう特殊すぎる例を出すなよ
0451人間七七四年2019/01/02(水) 09:55:52.61ID:uNb1hpJ0
>>449
前田利長が根性出してりゃ西軍が勝ったということだな
0452人間七七四年2019/01/02(水) 10:06:42.23ID:41MMdvsf
>>451
利長追い落としに一番積極的だったのは
家康に暗殺計画をチクった奉行の増田と長束なんですが
家康は元々政治的に対立してた以上、そりゃそんな機会があれば全力で乗っかるに決まってるし
ぶっちゃけ利長が東軍として動いたのって、奉行に対する当て付けとしか思えん
裏切った元味方(少なくとも婚姻問題の時には前田と奉行は同調している)に頭下げる位なら
敵対者に頭下げる方がマシって人、世の中にはいるし
0453人間七七四年2019/01/02(水) 10:22:41.36ID:8WBBya/3
元々前田と徳川はあくまで政治的対立に留めてる
加賀征伐も会津と違って家康が正式に発した命令じゃないらしい
あくまで政治的に敗れたので徳川に降ったってだけ

中央政治で徳川を追いやる協力ならともかく、西軍の武装蜂起に手を貸す理由が全く無い
0454人間七七四年2019/01/02(水) 10:29:57.05ID:a0HRqZWh
まぁ後見も家康じゃねって話があるしなぁ
秀頼の義理の父で官位も唯一の大臣職、さらになんかお流れになったとはいえ淀と家康の婚姻すら秀吉の遺言だった可能性も高いしと
正統性も正当性もともに家康が上というか、正式な豊臣家の代理人だし

正直横車押しまくった連中がかなり無理筋
0455人間七七四年2019/01/02(水) 11:02:28.50ID:5ulWM5Wq
関ヶ原直前の島津の石高が資料によって、77万石や73万石や56万石とか色々変わるんだが、どれが正しいんだ?
0456人間七七四年2019/01/03(木) 09:57:31.63ID:6j3/vHeG
清州強襲でなんとかなりそうだな。
0457人間七七四年2019/01/03(木) 10:02:27.20ID:I3Sq93VX
伏見城を早期に落とすことは可能?
0458人間七七四年2019/01/03(木) 11:04:37.47ID:VeJOx0yD
毛利輝元すら戦場に出てこないのに秀頼を戦場に出せ!って無茶苦茶すぎやろw
0459人間七七四年2019/01/03(木) 14:06:34.34ID:z+n2xUg+
ifで語るなら輝元出馬だよね。三成らが催促してるように可能性はあったんだから。
秀頼なんて誰も唱えてない。史実の中に可能性を見出せないことをifにするのはラノベの中でやればいい。
0460人間七七四年2019/01/03(木) 14:31:21.64ID:AFHn7nW0
>>459
問題は輝元が西軍に参加した理由が対家康ではなく、
自領拡大したいという意識のほうが大きいという事だな
どう考えても大損しかないし、家康との正面決戦なんて
この辺の問題をどうにかしようとすると、輝元に天下への野心を持たせるしかないんだが、
それが西軍首脳部である奉行にとって嬉しい事態とは思えない
つまり『輝元に天下への野心を持たせず』かつ、『リスク覚悟で家康と雌雄を決する』
というかなり無茶なIFが必要になる
このままだと家康に難癖を…とかいう吹き込みをしたところで、
それなら家康に対抗できるだけの領地を手に入れる(つまり史実通り)方向のほうが
はるかにリスクは少ないし
0461人間七七四年2019/01/03(木) 14:36:24.14ID:tAQ1Uq9d
小説の反関ヶ原とかでそういうのやってなかったかな
0462人間七七四年2019/01/03(木) 14:59:07.38ID:z+n2xUg+
>>460
確かに、輝元と奉行たちの意思疎通のなさをひっくり返すのも大変だね

それにしても輝元の、四国北九州に対する侵攻過程はえげつないよな
家康が輝元と講和したのに後になって改易指示、結局削減になったのは謀略もあるのかもしれんが、この実態見たらそう思われても仕方ない
0463人間七七四年2019/01/03(木) 15:31:37.37ID:kJmXQO5Z
たしかに輝元が美濃に出陣すれば小早川秀秋は
松尾山を降りるかもしれない(輝元本陣が松尾山予定だった場合)。
0464人間七七四年2019/01/03(木) 15:39:14.48ID:I3Sq93VX
小早川秀秋が松尾山占拠したら変わらんだろ
輝元が居たら毛利勢が殿じゃなくなるかもしれないが
他に誰がやるかね、真面目に遅滞戦闘するやつ
0465人間七七四年2019/01/03(木) 17:12:59.69ID:iX1vED35
まぁ漠然と輝元出陣としかないから話がまとまらないわな。いつ出陣するのか、元康・秀包隊はどうするのかとか。

>>464
輝元出陣してきてるのに近江に後退するの?
輝元出陣なら関ヶ原でにらみ合いなり決戦だと思うが。
0466人間七七四年2019/01/03(木) 17:22:07.89ID:I3Sq93VX
>>465
輝元が大垣にいても秀秋が松尾山占拠したら変わらんくない?
0467人間七七四年2019/01/03(木) 18:08:26.50ID:kJmXQO5Z
>>466
松尾山輝元用本陣説なら輝元は大垣には行かないと思う。

そもそも大垣組の後退の意図がわからないので
難しい部分が大きいが。
0468人間七七四年2019/01/03(木) 21:08:10.11ID:9JcnlVP9
輝元がちゃんと総大将してたら最低でも膠着してたよ
輝元が家康みたいに3万の兵率いていたら東軍先発隊も手出しできない
まあそうなったら三成や宇喜多は面白くないけどな
0469人間七七四年2019/01/03(木) 21:11:14.00ID:I3Sq93VX
>>468
それは岐阜城後詰め決戦ということか?
0470人間七七四年2019/01/03(木) 22:16:29.19ID:mPqaBDxf
総大将が留守居って意味わかんないからな
0471人間七七四年2019/01/04(金) 07:28:25.74ID:tyBSRQeg
>>570
しかし、奉行視点で考えると輝元にあまりやる気を出されても困る
戦後の毛利の功績が大きくなりすぎて徳川のポジションに毛利が入るだけでは
彼らとしては関ヶ原を起こした意味がないだろう
勝ち方にこだわってる場合か!と言われればその通りではあるが、
奉行は関ヶ原前の動きをみる限り、明らかに奉行を中心とした合議制で
豊臣政権を運営したい思惑が透けているので、戦後その理想通りに政権運営したいなら
毛利を見せ金ならぬ見せ兵のまま終わらせて、戦後の主導権を握りたいところだろう
というか、これしか方法が無い
もっとも、輝元は奉行に担がれる神輿で済むような奴ではなかったが
仮に西軍勝利、輝元の思惑が全てうまくいった場合、奉行は輝元をどうする気だったんだろうね
輝元が素直に領地返上するとはとても思えんし(景勝の方でも同じ問題が起きる)
0472人間七七四年2019/01/04(金) 09:09:32.92ID:VSx50DxS
>>471
成人後の秀頼の判断に任す、でいいじゃん。
0473人間七七四年2019/01/04(金) 09:25:43.13ID:tyBSRQeg
>>472
その理屈で奉行が自重出来るなら、そもそも関ヶ原起こさないよ
家康の奉行視点から見た専横だって、成長した秀頼の判断に任せりゃいいんだから
関ヶ原起こしたって事は、自分たち以外の奴が天下の実権握る事自体、誰だろうと
奉行らは気に入らないと自白したようなものだ
0474人間七七四年2019/01/04(金) 09:36:58.29ID:QFvVlGqY
>>473
日本語おかしいぞ?
0475人間七七四年2019/01/04(金) 09:49:42.95ID:VSx50DxS
>>473
ここで徳川を食い止めないと豊臣体制が崩壊して徳川体制に移行する、という奉行衆の判断じゃないの?
前田だけならまだしも上杉まで征伐とか言い出してるんだから。
奉行衆も浅野、石田が失脚状態でしょ。
0476人間七七四年2019/01/04(金) 09:52:23.19ID:zRKb3P81
まだおまえら関ヶ原オナニーしてるのかwwww
ポコチン勃起しっぱなしか?
輝元のキン球しゃぶれ
0477人間七七四年2019/01/04(金) 11:42:05.92ID:CZ3p9eVN
豊臣体制はそもそも秀吉の死によって急速に統率力を失ってまた群雄割拠に戻りそうになってる状況だからなぁ
上杉と毛利の大老衆ですらむしろ群雄割拠を望んでるようだし

それを恐らく分かったがゆえに各国の仕置きに対して公儀として介入して豊臣体制の求心力を維持しようとしたのが家康なのに対して、この状況を中央政権を奪う好機と見て挙兵したのが奉行って形

豊臣政権が諸侯にとって目の上のたんこぶ扱いな政権であるという前提知識は持った方がいいと思う
0478人間七七四年2019/01/04(金) 12:16:22.07ID:7qMe22+Z
>>477
家康自身は豊臣内の徳川家の権力基盤を絶対化するって言う私欲も込みだとは思うけどね

家康は豊臣-徳川-有力大名&奉行-諸侯の権力構造、つまり五大老五奉行の上に徳川を置く形を作りたがっていたのに対して
奉行衆は豊臣-奉行-諸侯の構造、つまり五大老を諸侯と同格にしたがっていたイメージ
一方上杉、毛利は豊臣の権力が薄れて地方で独立してやって行くことを想定していたと思われる

あくまで豊臣一門衆として位置付け出来る宇喜多はともかく、毛利や上杉が権力を保持するのは奉行衆的にはNG
0479人間七七四年2019/01/04(金) 12:32:49.44ID:CZ3p9eVN
>>478
いや、私はそもそも秀吉の意向で最初から他大老や奉行より徳川は1個上に置かれているものと考えますね
まぁもちろんその上で対抗勢力に悪さされないよう権力基盤を固める気はあったでしょうが、それすら私欲というのはちょっとね
正直めんどくさすぎて自分とこの領地に帰って自前で政権やり始めるという手もあり、最終的にそうするレベルの政権崩壊具合だったわけで

対して奉行衆は奉行主導の中央政治を行いたいという形
0480人間七七四年2019/01/04(金) 13:06:26.35ID:7qMe22+Z
>>479
秀吉の想定って秀頼幼少期の秀頼-家康の位置付けであって秀頼元服後は自分がやったように秀頼の直裁を考えていたんじゃ無いかと
この場合、秀頼やその先の意向次第で徳川家の位置は不安定化するリスクから逃れられない
一方の家康の目指す形は豊臣家が続く限りの豊臣-徳川を確定させて豊臣を象徴に徳川が天下を担うことを目指していたんじゃないかと思う
0481人間七七四年2019/01/04(金) 13:12:38.52ID:6+mazreG
>>479
五大老って言うても、徳川内大臣、前田大納言、で残りは中納言そんで、前田の婿が
宇喜多秀家って事を考えると、徳川前田は保々対等だよ。

そんで傅役で大阪城在住だと、寧ろ前田の方を信用してる気がする。
0482人間七七四年2019/01/04(金) 13:21:39.04ID:dJwfGQvP
家康は亡妻は秀吉の実妹
秀頼の許嫁は家康の孫

どこまで贔屓目なんだよ
0483人間七七四年2019/01/04(金) 13:42:12.52ID:CZ3p9eVN
大臣職と大納言職でほぼほぼ同等は、さすがにないっすね
0484人間七七四年2019/01/04(金) 13:51:20.80ID:CZ3p9eVN
>>480
まぁこの辺りはもはや推測の領域に入っていくのであまり気乗りはしないですが
秀吉の構想は徳川家と豊臣家の合体にあると考えます、そのためにいくらかの書物で言及されてる淀と家康の婚姻もあったのでしょうし
成人後に秀頼が政権を直裁をするにはあまりにも秀吉から与えられた徳川の権力も実力も大きすぎて正直無理がある状況かと
たとえ家康がそれを守っても、秀吉への個人的忠誠心のない次代次々代も与えられた実力は継いで行きますし

公家として、家として残してほしい、ということじゃないかなーと
0485人間七七四年2019/01/04(金) 20:06:05.35ID:vpLrorIy
ティターンズだって階級が上の連邦軍人なぐってたろ
0486人間七七四年2019/01/05(土) 08:19:10.71ID:dZV9q80T
>>483
基本的に、太政大臣は名誉職で実権は無い。
実質最高位は左大臣で、内大臣は令外官で三人目の定員外の大臣って意味。

そんで、筆頭の大納言が改めて内大臣に任じられる事も良く有ったと。
つまり、専務と常務みたいなもんで、其処まで差は無いよ。

確かに前田は約80万石で徳川の三分の一ですが、領地が加賀で畿内に容易に出兵
出来る事を考えるとそんなに差は無い。
0487人間七七四年2019/01/05(土) 08:55:23.54ID:IonXBqFB
前田の秀頼傅役は、教育係以上でも以下でもないと思うが
0488人間七七四年2019/01/05(土) 09:10:56.63ID:14dVq6ji
所詮利家だぞ
裏切り者とか関係なく単純に家康に対抗する能力がない
0489人間七七四年2019/01/05(土) 11:06:09.94ID:Uf2nxIQB
>>488
利家を慕う秀吉子飼いが力の源泉だからね
利家が亡くなって子飼いも割れて家康を止める者がなくなった
家康はお膳立てされた中央政権で権勢拡大したほうが良いと判断しただけで
政権から離脱して戦国時代再びでもよかった
0490人間七七四年2019/01/05(土) 11:10:03.45ID:b1yyDqtG
>所詮利家だぞ

俺も前田利家の実力は買ってないが
家康だって自力で他国を切り取った経験すら無いんだぞ。
信長と秀吉に与えられただけだ。
0491人間七七四年2019/01/05(土) 11:13:53.78ID:IonXBqFB
>>490
三河・遠江はほぼ自力だし、甲斐・信濃は言うに及ばず
0492人間七七四年2019/01/05(土) 12:06:47.77ID:OL2VzeWr
血縁の優遇の差もあるし、自身で言ってる通り「筆頭」大納言から選ばれるって点でも差をつけてるしで十分差をつけてるでしょ
他の方も言ってるけれど、少しひいき目に過ぎるんじゃなかろうか
0493人間七七四年2019/01/05(土) 19:40:38.81ID:awsUlHb5
徳川に対する牽制役ぐらいがいいとこで、対立する派閥の長は荷が思いな
そこからうまく逃げた利長は賢明だったよ
0494人間七七四年2019/01/05(土) 20:08:09.09ID:KwgzaiSu
秀吉との友誼だけが強調されてる気はあるが旧織田家臣団の長老というか
信長時代から生き残ってる中では一番大物ってなると他にいないってのはあると思う

豊臣政権下の大名で結構多くいて互いに交遊関係が深い政権の支持基盤でもあったはずで
本当なら堀とか蒲生も前田に次ぐ存在になるはずだったと思うけど
その辺も秀次殺しちゃったのと同様地味にうまくいってない部分だと思う
0495人間七七四年2019/01/05(土) 21:10:41.33ID:OL2VzeWr
織田派閥の長老ってのは疑問だなぁ
私婚事件の時でもむしろ旧織田系が家康のとこ集まってるし
下手すりゃ前田は旧織田派閥からあまり快く思われてないんじゃない?
0496人間七七四年2019/01/05(土) 21:18:09.82ID:14dVq6ji
所詮は寄騎だからな
0497人間七七四年2019/01/06(日) 06:25:59.14ID:BrGjQUM6
それは期待されてたけどうまくいってない部分なんじゃないかと

旧織田家臣団の中で格上だった池田丹羽が代替わりで地位下げて俊英扱いだった堀蒲生も早逝して
破格の一人勝ち状態になってしまっていたから
0498人間七七四年2019/01/06(日) 08:20:34.47ID:nT0GAgTf
>>494
そりゃあ、領地は徳川の三分の一でも、豊臣系から見れば親分の兄弟分で叔父さんの
立場だからね。
利家存命の状況で徳川、前田の戦いなら豊臣系は保々前田に付くんでは?
家康に付きそうな大名って伊達くらいしか居ない気が。
0499人間七七四年2019/01/06(日) 08:48:51.21ID:7IB2zmwW
利家に何ができるの?
後ろで
まあ待て待て
と言うだけの良識派の爺さんというイメージしかない
アホ三奉行を止めることもできなかったし
0500人間七七四年2019/01/06(日) 09:39:29.75ID:vRMn4Jeq
秀吉が死んだ直後に奉行が遺言破りして密約を結んだのも毛利だけだからな
前田には大して期待してなかったんじゃないの?
というか奉行はもともと利家ともそんなに親しくなかったんじゃないか
0501人間七七四年2019/01/06(日) 10:10:55.86ID:hFZfERhP
>>497
その破格の一人勝ちの状態すら多少アクシデントはあろうけど結局秀吉が作った訳で
旧織田派閥の長老として旧織田系をまとめを期待されてたなりなんなりの記述なりなんなりがないと思いついた絵空事じゃないか?

よく言われる東海道を豊臣恩顧で固めて家康封じしてたなんてのも結局
証拠なしのなんとなく思い付きで言われてただけのものだし、それと同じレベルじゃない?
0502人間七七四年2019/01/06(日) 10:13:46.44ID:064ZAR+Z
>>500
そりゃ利家の存在も、自分達だけですべて差配したい奉行サイドからしたら家康同様目の上のタンコブ。
ただ政治の実権を大老格で付与され、実務能力も軍事力も高い家康の方が喫緊の脅威だったから石田とかは対立した訳で。
利家が家康に似た存在だったら、利家存命中でも利家と対立したかと。
0503人間七七四年2019/01/06(日) 14:43:15.07ID:d0GU1hVj
あれこれ言ってるけど、利家は死ぬ寸前だったんだぞ?
何かを望むのは間違いだろ。
0504人間七七四年2019/01/07(月) 08:35:25.98ID:7d/7bSAi
でえじょうぶだドラゴンボールでいきけえる
0505人間七七四年2019/01/07(月) 09:26:41.33ID:jKA7gMWO
清洲会議に参加した丹羽池田が代替わりしたからと
領地没収等して格を下げたのが結果的に失敗だったな
家格でなく秀吉個人の関係重視なら秀吉が亡くなったら崩壊するの自明
0506人間七七四年2019/01/07(月) 10:10:47.39ID:qpqtoTgY
いや待て待て
秀吉の失敗ではないでしょそれは
むしろ秀吉は家康による後継政権を希望して、家康側もそれに応える形で動いてるんだから秀吉の計画通りでしょ
結果的な失敗というのなら奉行及び毛利らの暗躍が問題だし
奉行にとって好ましくない事態が起きた理由がそれなだけでしょ

何度も言うけど西軍と秀吉の意向はかけ離れたものなんだから同一視はタブーでしょ
0507人間七七四年2019/01/07(月) 10:46:58.37ID:P01Qtuvq
池田恒興なんて小牧長久手の敗戦の原因作った張本人じゃねーかよw
そんな家は取り潰しに合ってないだけで温情ある処置だっつーの
0508人間七七四年2019/01/07(月) 11:42:44.16ID:jKA7gMWO
代替わりした若輩者では大領を任せられないから没収が
秀頼にもお鉢が回ってきた皮肉
0509人間七七四年2019/01/07(月) 12:25:12.37ID:MGDsQbNz
家康による後継政権でもう豊臣は天下を望まない?
それはどうかな?
0510人間七七四年2019/01/07(月) 12:27:08.08ID:NeuPVFB3
豊臣が天下を望む望まないは別にしても家康による後継政権は確実に秀吉の希望だよ
0511人間七七四年2019/01/07(月) 12:37:18.49ID:P01Qtuvq
言い切る奴は大抵ハズレ
0512人間七七四年2019/01/07(月) 12:49:07.96ID:5sF/abIa
それじゃあうちの秀頼ただの馬鹿じゃん
0513人間七七四年2019/01/07(月) 12:52:19.07ID:NeuPVFB3
ハズレと言いたいなら根拠くらい出そうね
出さずに批判するだけなら小学生でも出来るんだから
学問に携わるなら最低限の原則だよ
0514人間七七四年2019/01/07(月) 13:06:50.44ID:3mKc6fyQ
天下の主はあくまでも秀頼、ただ実際の政治を担うのが徳川
秀頼元服前まではこの形で行くことを決めていたのは間違いないと思うが、元服後までこれを続けるにしては奉行の権力が大きすぎると思うんだよな
0515人間七七四年2019/01/07(月) 13:11:40.95ID:0r3dpJs+
関ヶ原はいいから、

おまえら自分の人生の勝ち方考えろ

負け犬どもがwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0516人間七七四年2019/01/07(月) 13:52:53.86ID:5sF/abIa
ところでこのゴミ、
どこに捨てたらいい?
   ∧_∧
  (´∀`)
  /⌒  ヽ
 / /  |\_M
( ∧   |、__E)
 \/  ノ  /  \
  (  | / ウワァァン ヽ
  | || (ヽ( `Д)ノ|
  | / /  \(>>515) ノ
  | ) )    ̄ ̄ ̄
  |||
  |||
  / |、\
 (_/  ̄
0517人間七七四年2019/01/07(月) 16:16:53.06ID:7vUNlsC6
>>505
まあ、当主が幼少って理由でのお取り潰しは意外と武家の世界では有る話。
例えば宇喜多秀家なんかは、織田と毛利の境目なんだから当主が幼少で織田にお取り潰しを
食らっても不思議じゃ無いんだよね。
秀吉が後見人で話が付いたんは実は温情に近い。

家康だって、当主が幼少って理由で今川の代官が岡崎に入ってるんで良く有る話。

まあ、普通に考えて一族の三好秀次を後見人にすれば良いのに、秀吉が自分で
誅殺したんが致命傷だよね。
0518人間七七四年2019/01/07(月) 22:01:39.84ID:Rp+wkRaz
結局、西軍が勝てる要素はないのね
0519人間七七四年2019/01/08(火) 00:46:50.04ID:C/eMj4zW
自分たちの既得権益を守りたい、邪魔者を排除する事によってその利益を独占したい者に肩入れする勢力なんていない
秀吉という後ろ楯がいなくなった時点で奉行は終わってた
後ろ楯になる可能性が少しでもあった前田を排除して、さらに自ら首を締める結果にした

関ヶ原単体で見たら、長宗我部の進軍先が毛利と同じ南宮山ではなく、別の場所だったらもう少し粘れた可能性はあると思うけど、これはたらればで結果論になってしまうかなって
0520人間七七四年2019/01/08(火) 06:55:45.92ID:j0f/38SX
>>519
あえて言うなら、奉行らの行動は彼らが譜代ならもう少し支持された気がする
しかし秀吉の場合、子飼いは作れても譜代は存在しないからね
結局は豊臣の構造的問題になってしまうな
0521人間七七四年2019/01/08(火) 07:52:16.85ID:+UHwT7Ke
奉行に清正入れれば良かったな。
0522人間七七四年2019/01/08(火) 09:03:39.38ID:ZqUDbTfs
譜代じゃなくても一門衆の結束があればよかったんだけど秀次を粛清、大和豊臣家を取り潰し、秀秋は小早川にぶん投げ
跡取りは幼児で周囲にいる身内は姉婿の秀家くらいのこの状況で、家臣が権力争いを始めないわけがない
0523人間七七四年2019/01/08(火) 09:25:26.61ID:C/eMj4zW
秀家もお家騒動で急速に弱体化してるしね
秀頼誕生が秀吉の天下の寿命を早める事になったのはなんとも皮肉な話だ
自分の父と母を殺した秀吉に対して、憎き豊臣を滅亡させるための淀殿の執念にも思えてきたw
0524人間七七四年2019/01/08(火) 09:26:31.14ID:yqBqAXUz
>>522
秀家を身内と言っておきながら、叔父であり父である家康を外すその意図はなに?
0525人間七七四年2019/01/08(火) 13:08:26.89ID:ZqUDbTfs
>>524
一門衆として引き上げられることで有力者になるのと、有力者を取り込む意図で一門に組み込んだことの差
秀家にとって豊臣の一門である事は手放せない価値があるけど家康にとっては必ずしも必要な物じゃない
0526人間七七四年2019/01/08(火) 13:49:19.67ID:dYOIK3gT
大和豊臣家を存続させる方法があったのか?
秀保の後継候補ってだれよ?
0527人間七七四年2019/01/08(火) 14:33:11.98ID:drwsdEfM
>>526
秀次の息子の中から適当にあてがえばいいんじゃね?
あいつは子沢山であることが一番有能なとこだから
まあ秀次一族は誰かさんが壊滅に追い込むけど
>>521
奉行たちの浅野に対する対応を見る限り、加藤や福島を奉行に入れようが
あまり関係ないと思う
0528人間七七四年2019/01/08(火) 14:46:50.36ID:ZqUDbTfs
>>526
秀次の息子か藤堂高吉を秀保の正室の再婚相手にして継がせるのが無難だと思う

前者はどこからも文句のつけようがない
後者は元々高吉は秀長が跡取りとして丹羽長秀から貰った養子で、預かってた高虎も大和大納言家の家老なんで家中の混乱が最小限で済む
0529人間七七四年2019/01/08(火) 14:59:53.62ID:GjcI4A2F
秀次なんて小牧長久手で池田恒興と一緒に戦死するべきだったような戦犯だぞ。
そんな馬鹿に天下を任せられるかよ。大体、秀吉とは血の繋がりは全く無い。
0530人間七七四年2019/01/08(火) 15:10:21.29ID:7m3PeIHo
>>528
自然な流れとしては秀次の実子か高吉だけど
毛利秀元も秀長の娘が嫁いでるから候補にできるかも
毛利の世子から外されて以降になるだろうけど
これなら相続問題で毛利家中で揉めることはなくなる可能性が
0531人間七七四年2019/01/08(火) 15:23:13.62ID:drwsdEfM
>>529
豊臣家に『秀吉と血のつながりがある』、『実力者』なんていませんけど…
あなたどういう想定をしてるんですか?そもそも血筋と実力のどっちが大事かもよくわからんし
まじめな話、秀次関係者位しか一門化できそうなのいないぞ
馬鹿に天下を任せられん!とおっしゃるのは結構ですが、
それなら秀吉死後の豊臣家は天下人失格ですよ
0532人間七七四年2019/01/08(火) 15:25:07.85ID:yqBqAXUz
>>525
???
ごめん言いたい意味がわからない、だからどうなんだって言いたいの?

史実上、秀家よりも家康のが親族としてよほど信任されてるし除外する意味がわからんのだけど
あと明との小西行長独断講和の際、秀家を秀次よりも上の大都督にして秀吉激怒してるしで、一門として手放せない価値があろうがなんかやらかす気はあるようにしか見えないけど
0533人間七七四年2019/01/08(火) 15:50:18.32ID:IdhnItFO
秀家なんて役に立たんガキでゴミだぞ
秀頼と同じで親が偉大でもまともに教育されないとこうなる、いい反例だ
0534人間七七四年2019/01/08(火) 16:16:35.32ID:CX8C6eSG
秀家は政治的には秀吉のバックアップ、軍事的には先代からの家臣団のおかげだもんな

秀吉が死ぬと家臣団をコントロール出来なくて騒動沙汰、家康に調停してもらう始末
その家臣団が離散した後の関ヶ原では見所なし!w
0535人間七七四年2019/01/08(火) 17:17:31.49ID:4SO7GMLl
押してたじゃん東軍を
0536人間七七四年2019/01/08(火) 19:54:47.17ID:xLwqecIj
オナニーしたかあおまえら
0537人間七七四年2019/01/08(火) 20:56:23.39ID:xLwqecIj
オナニーしたかあおまえら
0538人間七七四年2019/01/08(火) 21:10:02.77ID:yPeaNxow
>>530
たしかに毛利秀元はありなような気がする。秀長の娘が嫁だし、
輝元からしても秀就誕生後は秀元は目障りな存在でしょ。
0539人間七七四年2019/01/09(水) 10:37:36.86ID:idmxBKkm
うんそうだね
秀元はチンポがでかかったしね
0540人間七七四年2019/01/09(水) 15:14:08.73ID:ZeQFvlti
>>525
価値とかじゃ無くて、普通に秀吉が後見人に成って無ければ織田にお取り潰し食らってた
と思う。
まあ、秀家は豊臣の子飼い同様の私的な恩義が秀吉に有る立場。

家康は正直、恩より恨みが有りそうな立場なんで秀吉が信頼してたとは?

>>734
可成り仕方無い部分は有るよ、直家は大規模な野戦は明善寺合戦のみって戦歴でのし上がった
人ですからね。
当然、元同僚や上司にあたる大領地持ってる家老が山ほど居たんだし。

なのに、当主自身が実質的な人質で大阪城の殿中育ちって事だもん。
0541人間七七四年2019/01/09(水) 15:51:53.02ID:eXuhIZnL
>>540
家康をどの家臣よりも最高位に引き立てて、一門として囲い込むだけなら妹嫁がせるだけでいいのに秀頼の祖父という扱いまで与え、政権を任してまでしているのに何故信用してるかどうか疑問に思えるのかが疑問なんだけど
実務面でも秀吉生存時から東北の諸大名への仕置一任されてるし、なにより何度も一緒に能見る等など遊びにも誘ってるけど

君、この辺りのことちゃんと調べて客観視できてる?かなりバイアスの入ったものの見方してるようにしか見えないよ
0542人間七七四年2019/01/09(水) 16:13:32.05ID:p3d31LzE
秀吉と家康の互いへの温度差が凄いな
0543人間七七四年2019/01/09(水) 18:18:31.41ID:zO5FygsY
日本人に限らず家族を拡張した一族って一番シンプルな互助関係なんでこれを起点に関係性作るのが世界史で見ても一般的なんよね
で、この関係は一族に拠って立つ人間と、一族を強くするために外から招き入れた人間で意味合いが異なる
前者は一族から外れるとただの個人に成り下がるから相当なメリットがないと一族を裏切れないし、互助関係が続くと恩と情で縛ることもできる
逆に後者は元々が自力で立ってたわけで、いつでも外れて1人になれるので常に一族側がメリットを示さないとダメで中々お客様でなくなることがない

秀吉の関係者でいうと家康が後者の典型例で、結婚関係があってもあくまで一族って視点では全く信頼できる相手じゃない
ところが秀吉はそもそも一族ってのを大して信用してない、むしろ近しい血縁者を秀頼の潜在的ライバルだと勘違いしていた節すらある
対して家康のことは個人として信頼してアレコレ特権を与えてる、この場合の信頼の担保は家康の性格しかない
実際、家康は今からすると信じられないほど律儀だったんで人を見る目は確かだったんだけど、立ち位置だけで見ると関ヶ原直後に秀頼が暗殺されても不思議じゃなかった
0544人間七七四年2019/01/09(水) 18:54:46.64ID:HOddWoX7
だけど関が原の合戦後に家康は毛利輝元へ「大阪城を明け渡したら所領を安堵する」と
書面でも約束したのに後になってそれを反故にするやり方は現在に例えると・・・
0545人間七七四年2019/01/09(水) 19:01:47.48ID:UZRRBQ4U
>>544
お前毛利輝元が何したか知らないだろ
知ってたら輝元が減封で済んだのが奇跡的だと分かるはずだが
0546人間七七四年2019/01/09(水) 19:06:18.15ID:eXuhIZnL
>>544
またその話かよ
そもそも、輝元は西軍挙兵の件に巻き込まれただけですという言い訳で所領半減が条件
ところが大坂城で西軍挙兵計画に輝元ががっつり主犯の一人として噛んでたから更に半減

上の人もそうだけど、まず調べなって
0547人間七七四年2019/01/09(水) 19:53:33.98ID:oThO/bs1
いや結局、大阪城に篭城されたら東軍はどうにも手が出せないからだぞ。
のらりくらりと嘘付いて掘り全部埋める狸だぞ。
0548人間七七四年2019/01/09(水) 19:54:35.69ID:cFcEwTZz
一応言っておくと大坂冬の陣の講和を打診してきたのは大阪方の方な
0549人間七七四年2019/01/09(水) 20:20:55.21ID:eXuhIZnL
すべての堀の埋め立ても秀頼側からの提案
世間の風説と史学上での説との乖離の甚だしいことの多い戦国時代について語るんだから、何度も言うけど調べろって
0550人間七七四年2019/01/09(水) 20:28:24.20ID:idmxBKkm
さあ、もういいからさ。
キン球しごいて
スペルマだして寝ようぜ
0551人間七七四年2019/01/09(水) 20:33:43.09ID:SQ5vzqwC
>>547
大坂城の主は豊臣氏で西軍は関ヶ原で大敗する前から本丸に入れてもらえなかったんだぞ
勝手に大坂に篭城するということは毛利は豊臣と戦をするということだぞ
0552人間七七四年2019/01/09(水) 20:35:19.01ID:UZRRBQ4U
ところでこのゴミ、
どこに捨てたらいい?
   ∧_∧
  (´∀`)
  /⌒  ヽ
 / /  |\_M
( ∧   |、__E)
 \/  ノ  /  \
  (  | / ウワァァン ヽ
  | || (ヽ( `Д)ノ|
  | / /  \(>>550) ノ
  | ) )    ̄ ̄ ̄
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  |||
  / |、\
 (_/  ̄
0553人間七七四年2019/01/09(水) 20:49:55.28ID:HOddWoX7
毛利家は元就の「毛利は天下を狙わず」という言葉が遺訓のように扱われているけど
関が原の合戦においての毛利関係の面々の行動を見てると天下を取れるような力量は無いよな。
0554人間七七四年2019/01/09(水) 21:11:50.22ID:UZRRBQ4U
元春隆景ですら秀吉を止められなかったからな
元就以外は過大評価じゃないか
0555人間七七四年2019/01/09(水) 21:22:28.09ID:2Fsl0Rrx
>>547
他人の城で籠城する毛利って、どんだけ阿呆設定なんだよ?
0556人間七七四年2019/01/09(水) 22:49:15.16ID:NbzaOoX5
東軍は様々な思惑はあれど家康が総大将でトップとして明確なのは誰も異論は無いし揺らぎようがない
西軍は?と聞かれたら、総大将は毛利輝元でも奉行がいるよね?
西軍にはトップとして明確な軸が無い
この差を埋められるのは総大将が秀頼になる事だけど、史実の大坂の陣を見ても無理ゲーだし、そもそもこの戦は秀頼とは無関係だし
総大将が打倒家康ではなく自領付近の領土拡大が目的の戦って時点で既に駄目でしょw
0557人間七七四年2019/01/10(木) 05:53:55.18ID:lAqnTZ0f
>>548
当たり前だろ。最初から豊臣は戦うつもりなんてねーよ。
家康が豊臣討伐しようとするから備えただけじゃねーか。
0558人間七七四年2019/01/10(木) 09:31:58.57ID:KgTKhzoq
>>557
いきさつをちゃんと調べてから書き込んだ方がええぞ
0559人間七七四年2019/01/10(木) 10:42:46.86ID:hUXYtNFK
戦の原因が会津征伐で不在になった隙をついての挙兵だからね
勝利条件は戦の長期化による既成事実化
もしくは内府違いにあるとおり家康の排除

ただ征伐軍が乱さず西進して挙兵軍と衝突した時点で負け
さらに終始圧倒的に蹴散らされて論外
0560人間七七四年2019/01/10(木) 13:59:10.45ID:/5HzzGwb
私闘事件をおこして更迭され隠居していた人間が、
帝から下賜されて出陣し、物資は前太政大臣家が支援している内大臣に謀反の兵を挙げたのが関ヶ原の戦いの構図

石田三成が大義を主張したいなら、まず大臣になること。つぎに帝から下賜を受けて出陣すること、
最後に豊臣家から物資支援を受けることが必要だった。

石田三成らは国会を襲撃して占拠した暴徒と変わらんよ
0561人間七七四年2019/01/10(木) 14:14:40.96ID:t3kGHe2e
追放された前政権の亡霊か
蓮舫か枝野か長妻か
0562人間七七四年2019/01/10(木) 14:31:56.22ID:ldnOoZya
>>544
その書状ってのが、東軍の謀略担当の井伊や榊原の文書だった気が。
福島正則にも直接大阪に行かさせて口説いてるけどね。

家康の花押「今で言うサイン」付きの文書は出して無いんよね。
幾ら当時でも、花押付きの文書を無視するのは非常にリスクが大きかったんよ。

だから、伊達政宗が花押のセキレイの眼の針で孔開けた物が本物って抗弁した
逸話「多分味方も騙してる」が有る訳で。

のらりくらり言い訳して、大阪城退去するまでに家康の花押付き文書与えて無い事を
如何解釈するのか?

家康公認の騙しでしょうね、嵌まった輝元が馬鹿なだけ。
0563人間七七四年2019/01/10(木) 14:54:21.85ID:7/g3TDym
>>562
いいから近衛の書状位調べてみたら?
0564人間七七四年2019/01/10(木) 15:58:28.51ID:J6/WR2t9
散々書く前に調べろって言われ続けてるのに
調べないでテキトー吹かすのまじでその度に話止まるからやめろ
言われたら、調べろ
0565人間七七四年2019/01/10(木) 17:11:28.83ID:nb5rfgeC
調べたら主張ひっこめないといけなくなるですかー絶対調べません

お前らも懲りないな
0566人間七七四年2019/01/10(木) 21:08:25.44ID:CY4cqvTP
開き直ってて草
0567人間七七四年2019/01/11(金) 11:56:19.95ID:jYZ/U+X7
西軍が勝てはしないが
開戦前におね様に仲裁を頼んだら、どうなったろ?
0568人間七七四年2019/01/11(金) 12:34:42.32ID:qnXKl6TM
北政所「早く謀反人どもを潰せ」
0569人間七七四年2019/01/11(金) 12:44:41.71ID:bHfU6yfM
北政所って最近だと西軍寄りって話じゃなかったか
0570人間七七四年2019/01/11(金) 13:33:09.21ID:/J3ZeSxv
それも古い説
0571人間七七四年2019/01/11(金) 15:41:25.94ID:yKWk/bqF
>>570
じゃ最近はどうなん?
0572人間七七四年2019/01/11(金) 15:55:51.20ID:/J3ZeSxv
中立
表立ってはまったく何もしてないから中立というしかない
0573人間七七四年2019/01/11(金) 20:14:29.61ID:HOAOsOLu
>>569
人質の世話とかしてるから、前線に出て来たら秀頼同様やばいだろうね。
福島正則あたり固まるだろうし。

つうか、家康の立場でも相当怖い状況だな、これ。
0574人間七七四年2019/01/11(金) 21:37:18.91ID:GZquHLrl
女子供に頼らなきゃいけないって西軍どんだけ情けないんだよ
0575人間七七四年2019/01/11(金) 21:58:21.87ID:qnXKl6TM
伏見城に二週間かけていることから察してくれ
0576人間七七四年2019/01/11(金) 22:01:48.86ID:cKk5hN3A
伏見城は秀吉が築城した巨大な城だったからな
0577人間七七四年2019/01/12(土) 00:05:49.37ID:KChho8O5
北政所が西軍を積極的にプッシュしたらそりゃ西軍にとっちゃよほど心強いだろうね
北政所が西軍につく理由もなにもないからかなり無理ある想定だけど

どうしたら北政所が西軍につくのか考えないと意味ないんじゃない?
0578人間七七四年2019/01/12(土) 00:10:04.39ID:dsO+H+gG
大阪城が西軍に着くかの話と同じで第三者的な立場でいるからどちらが勝っても立ち回れる
大阪城は出たとはいえどっちかに肩入れしすぎて負けたら豊臣家自体終わる可能性あるから軽率には動かない
0579人間七七四年2019/01/12(土) 08:00:17.91ID:yZ7J9gzR
関ヶ原で西軍が負けて京都新城から裸足で逃げ出したというのは後世の創作か?
0580人間七七四年2019/01/12(土) 09:28:12.66ID:bFoCnRY6
ねねが家康派って意見があるが、友人(おまつ)人質に取るような奴と
仲良くするかね?
0581人間七七四年2019/01/12(土) 09:58:09.32ID:51sqmfoq
>>580
芳春院と北政所が友人とか言っている時点で小説脳そのものだな
0582人間七七四年2019/01/12(土) 10:32:38.44ID:LxFVdb/T
>>580
この時代は人質の往来なんて珍しくもなんともないだろ
そんなことで仲良くできないなんて言っていたら
そもそも武家での人付き合いはできないよ
0583人間七七四年2019/01/12(土) 10:52:55.45ID:q8NZRZux
まつは晩年(死ぬ数ヵ月前)にわざわざ加賀から京都に行って北政所と会ってるが。
まつの消息も残ってるし小説なんかじゃなくて史実だが。
友人でなければわざわざ京都まで会いに行かんだろ。
0584人間七七四年2019/01/12(土) 11:19:30.89ID:dsO+H+gG
友人を人質にした!許すまじ!!

ってのが小説脳
0585人間七七四年2019/01/12(土) 12:18:11.95ID:xo7isFM8
西軍こそ人質を取りまくりな件
0586人間七七四年2019/01/12(土) 12:19:35.51ID:c9MQzAWO
人質は人質だから価値があるのに殺したしな
0587人間七七四年2019/01/12(土) 12:50:49.35ID:KcTETgpu
信長「え?」
0588人間七七四年2019/01/12(土) 14:08:24.92ID:3JRFBt/t
むしろ人質うけいれて和睦が成るならありがたい話となるわな
0589人間七七四年2019/01/12(土) 16:50:31.24ID:bFoCnRY6
>>583
え?息子の利長ですら死ぬ前に母上に会いたいって
幕府に願い出て許可が出たが、結局死んでしまって会えなかったんだぞ?
0590人間七七四年2019/01/12(土) 18:05:39.16ID:g6a5iBi0
>>589
まつはすれ違いで利長の死に目には会えていない。まつ自身も江戸人質中に一度危篤になってるし。
ただ、利長が江戸に来たときには会えてる。
で、利長死後、人質交替で金沢帰って余生を過ごしてる。
んで死ぬ少し前に京都行って北政所に会ってる。
まぁメインは利長の弟(名前失念)と会うためだろうけど。
0591人間七七四年2019/01/12(土) 18:31:33.40ID:3JRFBt/t
>>589
簡単に会えてたら人質にならんわな
ただそれでお互いの家に一定の安定がもたらされる
悪い話ではない
0592人間七七四年2019/01/12(土) 18:52:03.73ID:XN13PRfL
当時の家康は負け戦はしない 関が原が起こった時点で西軍の負け それ以前から考えないとだめ
0593人間七七四年2019/01/12(土) 18:54:15.71ID:dsO+H+gG
江戸在府中は加賀藩屋敷にいて出府中は会えてるだろ
参勤交代というのはそういうもの
0594人間七七四年2019/01/12(土) 20:39:16.53ID:MZtgItHN
ただ、まつは江戸人質時代に京都と、伊豆だか関西だかの温泉だったかな?に行ったみたいなので、徳川の許可が出れば多少は出掛けるのも可能だったっぽい。

ぽいとかみたいばかりだけど、まつの消息って年次が書かれてないのが多いので。
0595人間七七四年2019/01/12(土) 21:15:00.61ID:9RtWWqqc
まつ腹でない利常が家を継いだ
0596人間七七四年2019/01/13(日) 01:11:33.09ID:Gv+NLJig
>>581
何故か、清須でも小牧でも岐阜でも屋敷が隣だったそうでね。
前田は信長側近のエリート将校だったのに、何故か秀吉を馬鹿にしなかったんで
仲良く成ったらしい。

豪姫が養女に成ってる事からして、親しい友人は根拠有るよ。

>>592
秀頼が前線出て来たら豊臣系が離反しそうなのに、余裕は無いと思う。
0597人間七七四年2019/01/13(日) 01:46:08.15ID:5lb30yUe
>>596
豪姫は政略養女じゃなくて、単に子供ができなくてかわいそうだからあげるねって約束だからな
そんなかわいい実娘と養女の豪姫の旦那は八丈島に島流しになって、本人は加賀に出戻りになりどう思っただろうな
0598人間七七四年2019/01/13(日) 01:58:01.61ID:z/7YEewd
前線に秀頼出せないって話腐る程されてるのにまだ言う辺り、こいつもう荒らしやろ
0599人間七七四年2019/01/13(日) 10:14:15.59ID:zwd9Kw3m
そこにしがみつくしかないんだよ
0600人間七七四年2019/01/13(日) 10:18:22.89ID:ITesLvmb
悲しいなぁ
0601人間七七四年2019/01/13(日) 11:21:49.33ID:StbcbNTv
>>596
三成が勝手に起こした戦に秀頼が駆り出されたら
三成が秀頼よりも偉いと天下に宣伝することになるから
豊臣家としてありえない選択肢だよ
0602人間七七四年2019/01/13(日) 11:38:08.32ID:jy2dQumQ
秀頼は1トップ出来るだろ
0603人間七七四年2019/01/13(日) 12:12:51.79ID:KW86oBmU
勘違いしてる奴が居るが、別に西軍が勝ったとしても
たったの19万石で6千」の兵しかない三成のおかげで勝てたなんて
三成だってその位は充分心得てるだろ。

だから戦勝後には輝元に秀頼の後見人になって貰うって事になってるし
そもそも秀頼が成人したら秀頼の独裁政権になるのが秀吉在世からの
豊臣の一貫した戦略だ。
0604人間七七四年2019/01/13(日) 12:15:38.21ID:ne1Y+/uK
>>602
トップも何も東西両軍ともトップが秀頼なのは当たり前だろ
秀頼、というより豊臣家が西軍に全振りするのがありえない、って話なの
別に豊臣家が西軍に家康を倒してくれなんて頼んだ訳じゃないんだから
で、政権事業として上杉征伐に向かっている政権軍からしてみれば、
中央で政権軍が企図していないクーデターが発生したら、普通止めようとするでしょう
関ヶ原って事実上そういう構図だよ
0605人間七七四年2019/01/13(日) 12:22:44.59ID:jy2dQumQ
>>604
高さがあるしフィジカルもあるんだから前線で張れるだろ
鈍足じゃなきゃ使い物になる
運動量の多いサイドより向いてるだろ
0606人間七七四年2019/01/13(日) 12:26:00.32ID:qKhukNkc
西軍が勝ってもテルの能力・立地から天下を治めることは難しいと思うし群雄割拠に戻るだけだと思うけど
三成は人望面で不安が残る
家の存続という面で見れば素直に家康に臣従してるのが一番だったと思うね
0607人間七七四年2019/01/13(日) 12:35:15.78ID:z/7YEewd
そもそも遺言で家康に政権託しますって言われてるもんを秀吉没後11日目から破るわ
明国相手に勝手に自分たちを秀次より上の位に任じさせようとしてる連中が
秀頼が成人したら国政返しますなんて律儀なことするわけもないしな
0608人間七七四年2019/01/13(日) 12:38:13.05ID:KW86oBmU
>>606
群雄って誰の事言ってるんだ?群雄って呼べる程の実力者で
野心が高い奴なんてそんな居ないと思うが。伊達か?北国じゃ無理だぞ?
0609人間七七四年2019/01/13(日) 12:41:23.00ID:ne1Y+/uK
>>606
というより、誰よりも輝元が群雄割拠の時代を望みそうだよ
なんで自分らに上から目線で命令下す中央政権なんぞを毛利が必死で支えにゃならんのか
それよりは自分らの判断で好き勝手に領地広げられる戦国時代の方がよほどマシだ
勿論、秀吉という強力なカリスマと実力を併せ持つ奴がいるなら話は別だよ
けど、秀吉はもういない上に西軍勝利ルートならその路線を邪魔する家康は排除されている
この状況で毛利を始めとする地方大名が豊臣政権の命令なんか聞く訳がない
かつての室町幕府と同じ流れになるだけだと思う
要するに、諸大名に都合のいい時だけ利用される古ぼけた神輿だな
0610人間七七四年2019/01/13(日) 12:43:24.17ID:z/7YEewd
すこぶる評判の悪い奉行と輝元が横紙破りで政権奪った場合、中央政権に従う理由すらなくなるんだからそりゃ群雄割拠になるでしょ
野心の問題じゃなく信用の問題
0611人間七七四年2019/01/13(日) 12:50:33.19ID:Wfs/jDNd
>>608
別に天下をどうこうするような野心なんかいらんぞ
それぞれの地方で好き勝手に領地経営や領地拡大を適当にやりたい、
って程度の意識で充分だよ
そもそも天下統一って割と不自然な概念だぞ
室町どころか鎌倉の頃から地方なんて割と好き勝手やってたんだし
秀吉の天下統一なんて達成してから十年程度の月日しか流れてないんだから
むしろバラバラな方が自然だろ
史実だと中央政権の価値を理解している家康が天下取ったけど
むしろ中央を抑えた織田に圧迫されまくるわ、唐入りで膨大な負担を強いられるわの
酷い目にあいつづけた毛利や上杉等が中央政権なんざありがたがる訳もないし
0612人間七七四年2019/01/13(日) 12:52:31.05ID:zwd9Kw3m
朝鮮でひどい目にあって豊臣政権なんて糞くらえ潰れろ!と思ってる西国大名と
秀吉に頼まれ豊臣政体を維持したい家康以下豊臣の恨みの無い関東東海北陸の東国大名との戦い
これが関ケ原の構図
0613人間七七四年2019/01/13(日) 12:56:08.28ID:YROf8N80
群雄割拠の前に中央政治で奉行がもめて応仁の乱みたいな状態になりそう
0614人間七七四年2019/01/13(日) 12:59:35.88ID:ITesLvmb
>>605
秀頼160キロあるんですけど動けますかね…?
0615人間七七四年2019/01/13(日) 13:37:56.56ID:xsr+gfPR
中央政権を維持したいのは秀吉子飼いだけ
その子飼いが諍い起こして二分されてる
かつては秀吉に臣従して勢力拡大したのが今回は家康に擦り寄りだした
0616人間七七四年2019/01/13(日) 14:33:58.18ID:8EzJO8Pi
家康はかなり意識して求心力失ってる中央政権の維持に尽力してるよ
そしてそもそも政権任されてるのが家康なんだから擦り寄りもへったくれもないよ
0617人間七七四年2019/01/13(日) 14:40:38.32ID:jy2dQumQ
>>614
大丈夫ピッチをかけあがれば痩せるし
いざとなりゃ電柱役でいける
0618人間七七四年2019/01/13(日) 14:58:42.59ID:bw3d8b3H
強い中央政権を願ってるのは豊臣家の官僚と家康くらいだよね
そして西軍が勝てばそれに逆行する

が、だからどうということもないと思うがなぁ
スレのお題は西軍勝利であって三成くんの思い通りにしようって話じゃないし
0619人間七七四年2019/01/13(日) 15:16:51.80ID:0tyg1utV
三成が佐和山で静かに隠居してれば
豊臣家に歯向かう言い訳もつくれずに
家康は困ったろうになあ
0620人間七七四年2019/01/13(日) 15:41:27.78ID:nhsRMw9B
>>619
家康は別に困らないだろ
関ヶ原前の動きをみる限り、家康は政権内で権勢を揮えればそれでいいっぽいし
むしろ、そのままだと自分たちを中心とした政権運営が出来ない
奉行の方が事を起こさないと困る状況だろう
0621人間七七四年2019/01/13(日) 15:52:43.98ID:bw3d8b3H
関ヶ原によって徳川の政権ができた訳ではないからね
もともと政権は握ってて蔵入地からの加増とかもできる立場だったし
官位上げて将軍宣下で豊臣政権の枠外に出ることも関ヶ原で実現したわけではない
0622人間七七四年2019/01/13(日) 16:47:49.23ID:QG8JJa3+
西軍が勝った場合、家康を排除して今まで通りにしたいってだけだからな
でも秀吉なき状態で今まで通りなんてできないわけで、勝ったところで第二の関ヶ原が起きるだけだね
0623人間七七四年2019/01/13(日) 17:09:43.47ID:tfhxs2hU
豊臣公儀は、聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧豊臣長者の一家を皆殺しにした時点で終わったんだよ。

公的に認められているのは内大臣の家康であり、1601年以降のつぎつぎ任命される関白であり、
1603年に任命された征夷大将軍と幕府だった。

1600年の時点だと、内大臣が帝の下賜を受けて出陣した軍に、私闘事件をおこして更迭され佐和山に隠居していた元奉行が反乱をおこしたわけで
そりゃ征伐される。三成を家康と対等に語るのが間違いなわけ。

犯罪者が警察に逮捕されたのと同等に考えるべきだろうな。
0624人間七七四年2019/01/13(日) 17:14:29.34ID:tfhxs2hU
三成が大義を主張して家康に勝とうと思うなら、

@帝から大臣に任命してもらう
A出陣にあたっては帝に下賜を受けて見送ってもらう
B太政大臣家の豊臣家から物資援助を受け公認してもらう
C帝か前太政大臣家に討伐令をもらう

最低でもこれらは必要だろう。史実の現状だと石田三成は犯罪者にすぎない。
0625人間七七四年2019/01/13(日) 17:27:20.55ID:Gv+NLJig
>>921
時系列が逆ですよ?、家康が豊臣家の蔵入り地を自分一人の署名の文書で処分した事が
明確に太閤の遺命違反「内府違いの条々」ってされたんだし。

関ケ原前は、大株主の専務が勝手に会社の資産を自派の社員にばら撒いてる状況。
勿論、会社の資産を処分する時は取締役会の承認必要って有るけど無視。

乱後は、勝手に幼少の社長の株券を殆んど没収しちゃった。
社長以上の大株主に成ったんで乗っ取り完了ってね。
0626人間七七四年2019/01/13(日) 17:34:30.35ID:tfhxs2hU
豊臣政権の構造を理解してないのかねぇ…

豊臣は「関白任命」と「豊臣長者任命」と「聚楽第行幸」で正当性を得ていたが
「聚楽第行幸」で公認されていた、「関白左大臣内覧豊臣長者」を一家皆殺しにしているので豊臣じたいに正当性はないんだよ。

秀吉の死後は内大臣が政務をおこなうのは当然で、会津征伐は主君の天皇が下賜をおこなって見送っている。
「内府違いの条々」なんてただのらくがきだわ
0627人間七七四年2019/01/13(日) 17:58:14.11ID:KW86oBmU
という夢だったのさ
0628人間七七四年2019/01/13(日) 18:13:36.71ID:seYN2jxm
そもそも蔵入り地をばら撒いたっての、誰がやったかわからんはずやで
勝手に家康言うてるけど
0629人間七七四年2019/01/13(日) 18:18:30.26ID:tfhxs2hU
石田三成の論理で御掟や遺言を重視してもさ、

御掟で「諸大名は上様の許可無く結婚してはならない。」
遺言で「どんな事でも、家康殿と利家殿の御意見を聞き、その御意見次第できめるように」

とあるので、上様の代行である内大臣の命令に従うのが筋なんだよ。
内大臣徳川と大納言前田が協力しあって公儀を運営し、その意見に従うということなんだから。
0630人間七七四年2019/01/13(日) 19:04:08.31ID:2tdpOtPo
三成が失脚してから全部やりたい放題にされてた 実質徳川政権
三成が簡単に失脚しすぎ なに油断してんだよ・・・
0631人間七七四年2019/01/13(日) 19:06:56.15ID:Zdhm48/O
そもそも三成の失脚と家康はほとんど関係ない
0632人間七七四年2019/01/13(日) 20:34:57.75ID:MoR9IW+5
むしろ奉行がやりたい放題しようとした結果、諸侯にブチギレられて丁度三成にヘイト集中してたから尻尾切りされたやろあれ
0633人間七七四年2019/01/13(日) 20:51:12.80ID:xsr+gfPR
伏見城が堅固で落とせないわ無理したら犠牲が大きいわでその後に影響与えちゃったね
本来なら力攻めで各地の拠点をすばやく落として勢力圏と既成事実を積み上げる必要があった
チンタラしてるうちに東軍先発隊が戻ってきて岐阜城とその縄張りを全力で一瞬で落とした
これで西軍勝てって金を思う存分ばらまいて兵の士気上げなきゃ無理でしょ
0634人間七七四年2019/01/13(日) 21:54:21.94ID:z/7YEewd
遺言や御掟を奉行自身守ってないわだしなぁ
あと上の人も言い方は過激だけど、内府ちがひの条々はあくまでも犯行声明文
如何に自分たちは悪くないのか、つまり真偽を問わず自己弁護をしている文なわけ

それを鵜呑みにしちゃうのは学問の輩として恥じるべきことだよ
0635人間七七四年2019/01/13(日) 22:29:25.92ID:xsr+gfPR
100年以上も戦乱続きで内府違いの条々の大義名分掲げて戦を始めても
ただ戦したいだけだろとしか受け取らないし会津征伐軍は家康に反旗を翻さなかった
それどころか各地で戦じゃあ切り取り次第じゃあと大張り切り
豊臣の権威はどこいった
0636人間七七四年2019/01/13(日) 23:04:59.15ID:y2z+i/os
どこも行ってない
関ヶ原時点で豊臣の権威は家康と共にあった
毛利、上杉は中央政権の存在自体邪魔なので家康ごと中央の権威を否定したかった
対して奉行は中央集権国家の枠組みの中で家康を否定したかった

宇喜多はともかく、毛利は本来奉行の味方じゃないんだがそれを総大将に置いたのが無理があった
0637人間七七四年2019/01/13(日) 23:28:18.28ID:tfhxs2hU
>>635
大義を語るならば、豊臣とはなんなのかってところから話を始めないと。

豊臣とは
 主君の没後1年たたずに主家の人間を殺しまくり、主家を横領した逆臣の家柄で
 関白の官位で簒奪を正当化し、惣無事で諸大名を天皇に臣従させることで諸大名を従え外交的に天下を統一した政権。
 聚楽第行幸で簒奪の正当化を2度確認し、帝の代理として指揮権を確立した。
 しかし、大義をゆだねられていた関白左大臣内覧の豊臣長者を一家皆殺しした家

という、まずこの前提がある。
だから、隠居が聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧一家を虐殺して謀反をおこしたのが秀頼秀吉の立場だな。
公儀の運営者たる関白を殺し、氏の長者たる豊臣長者を殺している以上、こいつらに正当性はない。
遺言だろうが掟だろうがらくがき同然なんだよ。

そして1600年は、征夷大将軍関白太政大臣左大臣は欠員で、右大臣は豊臣に娘を殺されて流罪にされていた菊亭で、内大臣が徳川
つまり1600年の時点だと家康の命令は公儀の決定なんだよ。1601年に関白が任命され、1603年に征夷大将軍が任命された。

1614年の関白左大臣が鷹司、右大臣征夷大将軍が徳川、内大臣が西園寺で、幕府が開かれ公認のもと公儀をおこなっているので、
大阪の陣の秀頼はただの逆賊にすぎない。とまぁ、これが大義になる。

で、恩掟で重要なのは上様の許可制ってことで、遺言で徳川前田の主張に奉行は従えってのが基本なので、
前田なきあとは内大臣徳川に従うのが筋になる。

まぁ石田に大義はないよ
0638人間七七四年2019/01/14(月) 01:26:21.48ID:G8MWdOPw
>>633
堅固って言うても秀吉の隠居城だしね。
あそこでどんな大損害でも当日で落とすとかしてれば違ったかもね。

多分、大軍で囲めば脅しで開城すると思って時間無駄にした感じ。
徳川軍しか討ち死にする理由無いし、堅固って言うより囲んだだけなんでしょう。
0639人間七七四年2019/01/14(月) 02:10:00.91ID:RbYXamHO
どっちが勝っても豊臣の天下はないんだよね
悲しいけどこれが現実
朝鮮でドタバタやってないで、国内での支配システム作りに力を注ぐべきでした
0640人間七七四年2019/01/14(月) 06:17:46.33ID:4ey5iXAs
主家簒奪のお家柄で、聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧の豊臣長者を殺したあげく、
隋の煬帝のごとく二度の外征に失敗し、任官妨害で公家に恨まれ、太閤検地の大増税で農民に恨まれ、
讒言をおこなう奉行がのさばって秀吉が死んで数年で子飼い同士が武力闘争をおこすようじゃ、どう考えても続かない。
豊臣石高ベスト10を見ても10人のうち8人は豊臣に恩も忠誠もない元戦国大名で、ランク外でも最上らが恨んでいる。
乱世まったなし。
0641人間七七四年2019/01/14(月) 07:35:59.47ID:UP0sMgGJ
>>639
ほんそれ

恩賞あてがうために外征する、それが豊臣の方針だったが、徳川がそれを否定する施政をひけたのがその証明だよな
徳川も最終的には維持しきれなかったが少なくとも無謀な外征で国を疲弊させるよりはマシ
0642人間七七四年2019/01/14(月) 08:38:34.95ID:3gOW/r+n
>>641
国を疲労させるのも目的だったんだろう
その間内乱はおきないけれど、代償が大きすぎたな
0643人間七七四年2019/01/14(月) 09:12:35.48ID:UP0sMgGJ
>>642
国内で戦争してても疲弊するけどね
0644人間七七四年2019/01/14(月) 09:50:29.88ID:Px7oL0DF
奥州征伐の後に難癖つけて徳川をつぶしていれば狡猾かつ野心ある大身はいないし安定
0645人間七七四年2019/01/14(月) 10:07:25.74ID:X0jJ00F0
その後の関東以北は誰が面倒を見るんじゃい
0646人間七七四年2019/01/14(月) 10:32:33.07ID:ulbQH/+0
家康が早死にすれば秀忠も幼少で領地没収できた
むしろそれ以外に潰す方法がない
ただそれ実行できるのは秀次粛清前
粛清後は後見人として頼れるのが徳川しかいない状態
0647人間七七四年2019/01/14(月) 10:32:55.72ID:IEDTryi4
そもそも奥州征伐の後も奥州は全く安定していないしそうこうしている間に九州まで不安定になった
0648人間七七四年2019/01/14(月) 10:51:54.81ID:Px7oL0DF
直轄地にするなりすればいい
不穏分子なんてあっさり倒したろ
0649人間七七四年2019/01/14(月) 11:13:00.90ID:X0jJ00F0
直轄地にして管理する人材がいない
太閤蔵入地の多くは地方の領主に管理丸投げで
上がりだけ頂くヤクザな制度
0650人間七七四年2019/01/14(月) 11:20:32.64ID:MhbCNmMG
>>646
秀忠は1579年生まれ、秀次事件の1595年には数えで17歳
幼少もクソも普通に後継をやれる年齢よ

幼少云々で取り潰せるのは精々が小田原征伐の1590年まで(この歳で元服してる)
ただ5歳上に結城秀康がいるんで元服前で無理というならこっちが後継者になるのが筋
秀康も元服前となると家康の臣従前後まで遡るけど島津も北条も残ってる段階で徳川取り潰しとか出来るわけがない
0651人間七七四年2019/01/14(月) 12:16:26.08ID:GwwxmGcA
豊臣家は秀吉一代で天下人まで持ち上げたせいで本当に人材がまるでいない
全部秀吉が一人で回してるような状態
そんな状態だからこそ家康は必須だし、家康もそれにこたえて行動してる

ぶっちゃけ秀吉死後の家康はほぼ唯一かなり忠実に豊臣政権のために動いてるぞ
0652人間七七四年2019/01/14(月) 12:18:32.75ID:Px7oL0DF
なーに明治政府も全直轄できたんだから問題ない
0653人間七七四年2019/01/14(月) 12:24:41.37ID:X0jJ00F0
>>652
250年の「徳川の平和」が生み出した成果の一つ
0654人間七七四年2019/01/14(月) 12:27:57.90ID:GwwxmGcA
明治政府がどうやって直轄できたのかわかってないでしょ
あれの場合幕府の官僚団をまるまる新政府側で使えたから回せただけで
そもそもそういった官僚が軒並みいない豊臣家でできる芸当じゃないぞ
0655人間七七四年2019/01/14(月) 13:19:53.71ID:Px7oL0DF
役人送って治めればいいだけ
人材が足りなきゃ旧領の家臣団をそのまま組み込めばいい
試験で登用してもいいしな
0656人間七七四年2019/01/14(月) 13:21:35.20ID:Px7oL0DF
第一豊臣自体所領を拡大して出来てるし
0657人間七七四年2019/01/14(月) 13:23:18.24ID:X0jJ00F0
>>655
おめーは巨人が他球団から有力選手を金で多数引っこ抜いても
連敗続きという例を知らん人か
0658人間七七四年2019/01/14(月) 13:26:08.66ID:Px7oL0DF
使い方が下手なだけだろ
0659人間七七四年2019/01/14(月) 13:33:31.00ID:GwwxmGcA
その送り込む役人すらおらんのや、豊臣家は
5奉行なんて言ってるけどそもそも官僚があの5人程度しかいないという異常事態を表してる
しかもその5奉行ですら自前の奉行といえるの浅野・石田・増田程度

ましてや地方行政をそいつらで賄えても今度は国家運営用の官僚がいない
0660人間七七四年2019/01/14(月) 13:38:01.77ID:Px7oL0DF
代官送ってるだろ
今まで拡大路線で出来てるんだから
引っこ抜くなり新たに登用するなりできるだろ
出来ないのに遙かに広い外征なんかしないわ
0661人間七七四年2019/01/14(月) 13:42:52.01ID:7mLAnNYQ
秀吉が徳川譜代の家臣を引き抜こうとして
石川ひとりしか成功しなかった史実を
知らないのだろうか?
0662人間七七四年2019/01/14(月) 13:43:53.41ID:Px7oL0DF
家が存在する時だろそれ
0663人間七七四年2019/01/14(月) 13:47:00.31ID:GwwxmGcA
秀吉を中心としたトップダウンでの行政はできるよ、それが出来たからこそ豊臣家は天下取ったんだし
でも今話をしてるのは秀吉死後でも運営出来るシステムの話、それでは派遣先で自分の考えである程度動ける代官が必要なのであって、秀吉の命令を忠実に履行するだけの代官では力不足
そういった官僚が豊臣家にはいないの、何故なら全部秀吉が賄ってたから
0664人間七七四年2019/01/14(月) 13:57:02.40ID:Px7oL0DF
旧領納めるのに遺臣使うのほ道の大名家でもやってるだろ
しかも話し換えてるし
0665人間七七四年2019/01/14(月) 14:09:05.34ID:GwwxmGcA
あー?死んだ後の話じゃなくて東北討伐後に難癖つけて徳川潰すって話か、それはすまんかったな
どちらにせよ関東なんてでかい領土直轄地にする余裕なんて秀吉にはないよ
そこの直轄は関東東北への仕置きも兼ねてるんだから、それができる人物を入れるしかない
ぶっちゃけ家康レベルに官僚と能力そろってる人間入れてにらみ利かせてないとおちおち国家運営もできないぞ
んで、唐入り自体は失敗だけど異常に増えた武士という階級に仕事を与え続けることも考えないといけないけど、こいつらに仕事与えるには出征しかないと思うよ
ある意味みんな唐入りで懲りたから自国の新田開発に力入れようという発想になったし
0666人間七七四年2019/01/14(月) 14:23:42.47ID:Px7oL0DF
そいつらあふれてるのにも関東東北の開発させればいいんだよ
遠征なんて力つける前にやることじゃない
ましてや国内に対抗できる勢力残ってるのに
0667人間七七四年2019/01/14(月) 14:31:51.49ID:GwwxmGcA
なんというかなー、ゲームじゃないんだから
豊臣による天下統一は強力な独裁どころかかなりゆるい連邦制に近いってのわかってる?
0668人間七七四年2019/01/14(月) 14:37:45.49ID:Px7oL0DF
否定したくてしょうがないんだなw
0669人間七七四年2019/01/14(月) 14:40:44.60ID:GwwxmGcA
否定したくてしょうがないとかじゃなくて
前提知識がなさすぎる

もう少しちゃんと戦国時代について調べてからもう一度そんなゲームみたいに人を取っ替え引っ替えできるかどうか考えてごらん?
0670人間七七四年2019/01/14(月) 14:43:45.43ID:Px7oL0DF
そして上から目線
老婆心で言うけど、こういうことだから反感持つのがちょろちょろ見かけると思うよ
秀吉が絶対権力握ってたってのは変わらんのに
0671人間七七四年2019/01/14(月) 14:52:18.91ID:GwwxmGcA
そんな絶対権力なんてものじゃないから
近代国家以前の国への知識がなさすぎる

挙げ句この程度で上から目線だと思うのなら君が卑屈すぎる
変に意固地になる前にもう一度ちゃんと調べてみ
0672人間七七四年2019/01/14(月) 14:53:37.05ID:3gOW/r+n
秀吉死語に徳川を潰す方法ではなく関ヶ原で西軍が勝つ方法のスレだったな
勝ったあと政権がどうなるかは別問題だったな
実際問題、西軍が勝って徳川が潰れたところで、幼児と輝元、宇喜多、景勝と奉行どもで何ができたのかと言う話だが
0673人間七七四年2019/01/14(月) 15:01:00.80ID:Px7oL0DF
まだわかってないわ
そういう態度が他の人間の反感を生んでるのを散見出来てるってことなのに
ただ否定したいだけ
0674人間七七四年2019/01/14(月) 15:09:38.03ID:GwwxmGcA
人からの忠告をまともに聞けない人間だって言うなら、そもそも議論しようという場所に来るべきじゃないね
ずっと僕のかんがえたサイキョーのトヨトミヒデヨシでお人形遊びしたいならそれで良いけれど、そうじゃなくちゃんと知りたいならまず第一に豊臣政権の脆弱さは知っておくべき、それは豊臣政権を調べる上でまず前提になる箇所だから
0675人間七七四年2019/01/14(月) 15:24:43.94ID:Px7oL0DF
自分は他人の意見は聞かないのに人には聞けだとさ
面白いね
0676人間七七四年2019/01/14(月) 15:26:23.50ID:GwwxmGcA
そっくりそのままお返しできちゃう話だね
0677人間七七四年2019/01/14(月) 15:30:56.38ID:Px7oL0DF
ただ返したいだけかなw
0678人間七七四年2019/01/14(月) 15:35:36.12ID:GwwxmGcA
で、結局ろくに調べる気もないのね
だったらずっとお人形遊びに勤しんでたらいいよ
ただ、他人様に迷惑をかけるな、一人遊びに他人を巻き込むな これだけわかってくれたらいいよ
ばいばい
0679人間七七四年2019/01/14(月) 15:37:45.55ID:Px7oL0DF
いいんじゃないのその上から目線の態度を貫くのなら
また反感持ってるのが出てくるだけだと思うし
巻き込むつもりはないしな
最初からNGにすればいいんじゃねw
0680人間七七四年2019/01/14(月) 15:57:11.10ID:MeFUNODM
豊臣政権が脆弱だから遠征するより体制強化すべき
→豊臣政権が脆弱なの知らないの?

???
0681人間七七四年2019/01/14(月) 15:59:44.10ID:4ey5iXAs
豊臣には大義がない。
豊臣政権は惣無事と聚楽第行幸で天皇を主君として推戴し、代行権を持つ関白が命令を出す体制として発足したが、
豊臣は聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧の豊臣長者を一家皆殺しにしている。
そもそもが織田家を乗っ取り君位を簒奪した逆臣のお家柄だ。豊臣政権にいる大名は徳川も毛利も島津も伊達も最上も戦国大名で豊臣に恩なんかない。

なぜ主家乗っ取りの関白豊臣長者殺しの簒奪者の家である豊臣秀頼を支えるのが当然と思っているのだろうな。

豊臣は暴君秀吉一代でなんとか維持できたもので、その暴君が外征を失敗し、太閤検地で農民をいじめ、公家を大臣にせずいじめ、
豊臣長者を殺しとやっているのだから崩壊するのは当然なんだよ。
0682人間七七四年2019/01/14(月) 16:04:32.01ID:4ey5iXAs
とりあえず、関ヶ原でいかに勝つかのスレなので、

関ヶ原で勝とうと思うなら、大義を得ることが大切で、地の利を得て、人の和を考えればいい。

具体的にいうと、帝から大臣に任命してもらい、下賜をされて軍をおこし、豊臣から公認してもらって物資援助を受け、
関ヶ原や美濃周辺の大名を味方にして地の利を得て、人の和をつくり、命令をしたことがおこなわれる軍を作ること。

家康は帝の下賜を受け、太政大臣豊臣家の公認と物資援助をされ、最高位の内大臣として軍を動かしている。
逆賊の西軍にはそのすべてがない。
0683人間七七四年2019/01/14(月) 16:09:38.50ID:nVxM+Xf1
秀頼をかついで、毛利輝元が出てくればいいだけのこと
0684人間七七四年2019/01/14(月) 16:13:01.07ID:4ey5iXAs
讒言しまくって恨みをかって襲撃され、内大臣になきついて助けてもらいながら、
帝が下賜をおこなって出陣した内大臣の軍に謀反をおこし、
大阪を占拠し、意思を持たない幼児を戦場に連行か。まんま奸臣
0685人間七七四年2019/01/14(月) 16:36:17.18ID:nVxM+Xf1
内府様の戦いだって、私戦といわれても仕方ないわな
0686人間七七四年2019/01/14(月) 16:53:18.83ID:4ey5iXAs
帝がわざわざ下賜をおこなった以上、私戦ではないな。最高位の内大臣が帝の下賜をうけ応援されながら送り出されたので官軍といっていい。

石田は私闘事件をおこして更迭され佐和山に護送された元奉行で
帝の下賜がない、豊臣の公認もない、物資援助もないなので、あきらかに謀反だが。そりゃ吉川もひよる
現代なら天皇の爺ちゃんが頑張ってくださいと声をかけて日本政府公認で送り出された自衛隊を銃撃するような感じだな。吉川もやべぇってなる
0687人間七七四年2019/01/14(月) 17:07:35.18ID:MeFUNODM
三成に公的に付与された正当性がないのは間違いない事実だろう
それで曲がりなりにも決戦に持ち込めたのはよく考えたらすごいよな
0688人間七七四年2019/01/14(月) 17:25:14.98ID:V8K/GsjB
>>686
この時代の帝には何の力も無い。
秀吉が天下取るまで食い扶持にも困る公家と一緒。
帝らしい振る舞いが出来るようになったのは豊臣家のおかげ。
0689人間七七四年2019/01/14(月) 17:29:25.05ID:nVxM+Xf1
天皇にはたしかに力がなかった
比叡山にたてこもった朝倉軍と和睦したくて天皇利用したのも信長
石山の和睦も信長
0690人間七七四年2019/01/14(月) 17:34:06.86ID:G8MWdOPw
>>680
まあ、歴史上良く有る現象では有るよね。
取り敢えず大勢力の封土を安堵して統一したけど、内部では論功行賞の不満で内戦
寸前って状態。

大抵この状態は、外征して更に拡大するか大諸侯の粛清を強引にして中央集権に
するのか?に成る。
まあ、最大外様の徳川さえ潰せば、諸勢力のバランスに乗って豊臣家が続くのは可能には
見えるよね。

まあ強引に秀次粛清するより、家康消した方がましだったよね。
家康は、太閤晩年には諸侯に私的な恩の売り付けしてるし別に冤罪でも無いでしょ。
0691人間七七四年2019/01/14(月) 20:23:09.24ID:+9V0B3tz
>>690
三成を粛清する方が遥かに簡単な上に効果は高いよ
そもそも論功行賞の不満を作ったのは朝鮮での三成の報告が滅茶苦茶で諸侯に不評だったからで
さっさと三成を粛清して諸侯の不満を解消しておけば豊臣は余裕で存続できたが
三成にやりたい放題を許した体制を放置したことが豊臣を崩壊させた
0692人間七七四年2019/01/14(月) 21:11:12.91ID:IEDTryi4
三成は秀吉晩年は干されていたフシがあり、秀吉がもう少し長生きしていたら粛清された可能性は有る。
彼を復活させたのは朝鮮からの撤収の実務を優先させた徳川家康。
0693人間七七四年2019/01/15(火) 02:00:10.62ID:swiRJEH2
>>692
つまり、讒言しまくって見放されていた人間の能力を家康がもったいないと思って復権させてやったのにも関わらず
感謝すらせず暗殺しようとしたり、誹謗中傷したりしたわけか。それで七将に襲撃されると家康に泣きついて命を救われたにもかかわらず
反乱の兵をあげたと
0694人間七七四年2019/01/15(火) 12:17:57.77ID:JgYmY9IM
七将襲撃時の石田は反撃する気満々だったでしょ。
輝元にも尼崎を押さえるべし、って言ってるんだし。
結局情勢判断で軍事行動には出ず家康の仲裁案を奉行衆、小西、毛利が受け入れたと。

石田が泣きついたというならその先は徳川ではなく毛利。
0695人間七七四年2019/01/15(火) 12:22:06.83ID:JgYmY9IM
この時徳川派が大坂押さえてたので、
これを教訓にしての関ヶ原時の迅速な大坂占拠だと思う。
0696人間七七四年2019/01/15(火) 14:13:06.27ID:RHhgNrJA
七将ども俺を叩くのに失敗しやがった、これは好機だから毛利殿尼崎まで是非兵率いて来てくださいっていう三成の書状があるんだっけか
この毛利&四奉行&宇喜多&小西ラインはいつできた同盟なんだ
秀吉死後すぐ誓紙まで出してるから、恐らく秀吉存命時からすでにつるんでるっぽいけど
小西の明との独断講話条件のときはすでに宇喜多と奉行に小西はつるんでるようだけど、毛利は亜都督扱いだし
0697人間七七四年2019/01/16(水) 17:50:22.98ID:zQGMn1wj
西軍が勝つにはどうすればか
裏切りが出ない様にもう単純に人心掌握しかないような
まぁ秀次殺さずで秀長も長生きしてればなぁ
0698人間七七四年2019/01/16(水) 18:25:28.22ID:XDbzgne9
相変わらず思うのが
いの一番に企み事して豊臣政権崩壊させようとしてる毛利たちに、どうして秀長や秀次が味方すると思ってるのか

まあ生きてりゃ毛利たちもいらん事しないで大人しくしてるから合戦がそもそも起きないんで負けはないって意味なら納得するけど
0699人間七七四年2019/01/16(水) 18:42:48.48ID:ST0kNz89
そうじゃなく秀長、秀次が生きてたらそもそも徳川1強になってなかったって話でしょ?
0700人間七七四年2019/01/16(水) 18:48:40.02ID:XDbzgne9
そんな書き方ではないでしょ、人心掌握がうんたらとまで書いてるのに
0701人間七七四年2019/01/16(水) 19:05:08.31ID:hNL8ounx
まあ殺さなかったら天下の仕置は秀次で徳川だ大老だ奉行だとはならんかったな
秀長がそれを補佐したろうし
0702人間七七四年2019/01/16(水) 20:19:48.37ID:CsaBWiV+
仮に豊臣が秀次政権になっていたとしても徳川は暗躍するとは思う
関ヶ原合戦になるならないは別としてもな
0703人間七七四年2019/01/16(水) 20:23:17.27ID:qc1m1MId
徳川は暗躍してねーっつのに
まぁそれはそれとして毛利と、秀次への後継政権になる際に秀次側近が重用されるからやはり奉行が秀頼抱えて問題起こす可能性はあるけれども
ただまぁ秀長秀次がしっかりしてりゃあ空白は小さいからそうそう問題は大きくならないだろうね
0704人間七七四年2019/01/16(水) 22:21:40.81ID:tRGeQbr0
織田家の草履取り出身で子飼いの家臣でありながら主家の人間を殺しまくって関白になった秀吉と、

聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧豊臣長者の一家を皆殺しにすることで豊臣長者になった秀頼

この2人に正当性があるとでも思ってんのか

家康のやったことは制裁だよ。
大阪冬の陣がおこったのは、秀吉に呼ばれて京都で殺された信長の33回忌で
豊臣が滅んだ大阪夏の陣は、信孝の33回忌だ。織田親子の弔い上げだ
0705人間七七四年2019/01/16(水) 22:59:38.21ID:ZYtvtQgg
徳川の犬
0706人間七七四年2019/01/16(水) 23:16:37.32ID:0a7KXVR4
秀長も秀次も死んだのだから家康に自由にやらせてあげればよかった
三成たちが権力欲しさに勝手な暴走をしたことが豊臣の敗因だろう
0707人間七七四年2019/01/17(木) 01:34:47.12ID:agdGlLCI
クーデターを起こさないと奉行の地位を失い隠居させられた三成が中央政治に復帰できないのだから仕方がない
0708人間七七四年2019/01/17(木) 07:54:52.45ID:Kr0C0FE5
徳川と現在の中国のやり方は非常に似てる。
とにかく難癖付けて自分の言う事を聞けと脅す。
0709人間七七四年2019/01/17(木) 08:05:20.54ID:vklybKMz
呪術というものがおそれられている時代で
当時の最高学府と言ってもいい五山が
「何よりも悪いこと。見逃してそのままにはできない。前代未聞である。無礼で不法きわまりない。
将軍暗殺の意図がある。沙汰の限りである」と言っているテロ事件をおこした容疑者が秀頼だ。

難癖とかとんでもない。呪殺テロだ。
0710人間七七四年2019/01/17(木) 08:14:31.17ID:vklybKMz
関ヶ原は、

上杉と隣接する大名である堀や最上が上杉に不穏な動きがあると報告したので
政府に出頭して内大臣である私に弁明するようにと言ったら、交渉役を排除し、直江状とかいう迷文を送り付けて居直ったので
帝から政治を託されている内大臣としては対処せざるえない。
出陣にあたっては帝から下賜されて応援され、豊臣家からは物資援助を受けて征伐をはじめている。
そこに私闘事件をおこして家康に命を救われ奉行を更迭されて佐和山に護送された元奉行が反乱をおこした。

難癖とかとんでもない
0711人間七七四年2019/01/17(木) 09:49:49.24ID:6+UlIe8c
>>710
>そこに私闘事件をおこして家康に命を救われ奉行を更迭されて佐和山に護送された元奉行が反乱をおこした。

なんだこれは?七将襲撃のことなら七将が石田を襲撃した事件だろ。
事件を起こしたのは七将。

堀の言い分は聞くが上杉の言い分は聞かない。難癖と言われても仕方のない面はある。
0712人間七七四年2019/01/17(木) 10:34:08.86ID:WnXQR1hT
七将の事件は豊臣家と協議の上決めたことだから徳川の一存でもなんでもないぞ
ついでに言えば上に書かれている通り、毛利に兵まで起こさせようとしているわけで、三成が何もしていないは通らない

上杉にしたって、特例で地元変えることが許されてるだけで本来は速やかに上洛しておかないといけないのに、弁明するための上洛すら拒否するわ取次をいきなり追放するわだからそりゃ公儀としてキレられるよ 地方諸侯が中央からの上洛命令無視するって普通に反乱案件だよ

昨今の関ケ原前後の研究は革新レベルで変わってるから、それをまず知らないと前提知識がないって言われるぞ
0713人間七七四年2019/01/17(木) 10:43:00.77ID:556O12Rm
>>712
石田のそれは襲撃に対する反撃策でしょ。
石田が先に仕掛けようとしてたなら話はわかるが。
0714人間七七四年2019/01/17(木) 10:50:24.18ID:WnXQR1hT
当たり前だけど、それを反撃だからOKなんてのは通らないよ
中央による統制どころか地方諸侯呼び込んで戦争にしようとしてるんだから
ましてや元は奉行への不満がぶちまけられた形の物だし

三成自身が毛利や他奉行たちのとかげのしっぽ切りにされたことは確かだけど、ここまで問題が大きくなったのは三成の行動も十分に問題あるし、毛利呼ぶとかいうじゃあ今からこれ戦争に発展させますなんて行為、公儀が許せるわけもない
0715人間七七四年2019/01/17(木) 11:04:47.17ID:WnXQR1hT
あと、この裁定めちゃくちゃド甘い裁定だったがゆえに七将たちが反家康同盟を作る状況にまで発展し、それゆえに家康はかなり清正を警戒する羽目になってるんで
家康がなんか企んでたという可能性はかなり低い

事件の追及すると奉行全員の進退やらそれに付随した毛利らの戦闘にまで事が発展しかねないレベルの大事件だから三成隠居というかなり軽い処分でなぁなぁに済ませたって感じ
0716人間七七四年2019/01/17(木) 11:18:16.58ID:xdKj4CRQ
あの時点で家康=ほぼ豊臣の役割だったのに
家康の専横だ、我こそが豊臣だと豊臣に逆らったのがまずい
本能寺の変後に秀吉に逆らうくらいまずい
0717人間七七四年2019/01/17(木) 11:26:54.18ID:vklybKMz
讒言をおこない国書を偽造し私利私欲で国家を動かそうとする奉行と現場で頑張っていた指揮官。

国家を動かす大臣としてどちらに味方すべきかはあきらかだろうな。
現場指揮官は奉行を殺せといっていた。けど家康は大臣だ。
殺さないかわりに七将も罪も問わない。体制を守ろうとする政治家としてきわめて公正な判断だよ。

罪だけを問題にするなら、三成は斬首。豊臣恩顧は法を犯した罪で改易が妥当だろう
0718人間七七四年2019/01/17(木) 12:49:25.85ID:fy83372h
秀次って血統以外にほめるところあるの?
子沢山とかいいから、政治的軍事的な意味で
0719人間七七四年2019/01/17(木) 12:54:49.51ID:VlUMOuba
問題の根本が朝鮮の役における秀吉のクソ裁定なんだけど、豊臣政権の性質上秀吉の判断は正しいとするしか無いので
・現場の逆恨みであるとして全員改易処分
・取次役の私欲による謀りがあったとして切腹
の二択になる
前者を選ぶと内乱待った無しなので後者しか選べないけど、まさか切腹させるわけにもいかないので隠居で留めた
0720人間七七四年2019/01/17(木) 14:14:13.19ID:v4fTiBc7
>>717
たしかにその見解には納得できるものがある。
だが石田、小西、毛利あたりは敵は徳川派と
認識してるでしょ、実際に家康が関与してたかどうかはわからんが。
0721人間七七四年2019/01/17(木) 14:44:52.64ID:BtPQhvDm
七将襲撃を好機として毛利が畿内に軍事介入画策してるのってかなり異常事態つっーか普通に政権転覆すら目論んでの行動でしょ
そらぁ敵は政権側の徳川になりますわな

このまま応仁の乱パート2になりかねないレベルの危険な状態やった訳で
0722人間七七四年2019/01/17(木) 15:45:01.69ID:BKbQ+Kgh
おまえらおのれの人生の事もっと考えなよ
石田の人生なんかとうの昔に終了してるんだから

その暇あったら、自分の負け犬人生を反省したらどうだ?ん?
0723人間七七四年2019/01/17(木) 16:24:25.80ID:llSM1VVk
七将ってなんか格好いいな、北斗七将軍
0724人間七七四年2019/01/17(木) 22:00:20.05ID:rQyLB+zP
>>715
政権の役職持ちの奉行を、何の根拠も無い武功派大名が私的に襲ったって
事件ですからね。
秀吉が生きてる状況なら普通に謀反扱いで七将は切腹で改易なんでは?

奉行を襲ってお咎め無しなら、最早豊臣の奉行なんて空名の役職って事だし。
奉行を改易するなら、喧嘩両成敗で最低でも七将も改易せんと豊臣家の権威なんて
無く成り、再び乱世でしょうに。
0725人間七七四年2019/01/17(木) 22:48:11.65ID:jtGXrWSJ
>>724
秀吉生前なら〜ってのを見て思うんだけど、そういう意識が一番の問題なんだと思うよ
要するに奉行の行動や言動は秀吉がいたからこそ許されたって事だ
その秀吉がいない以上、それを前提にして諸侯への対応を変えていかねばならないのに、
そういう事に無頓着だったからこんな問題が起きたんだろうと思う
0726人間七七四年2019/01/17(木) 23:04:10.19ID:WnXQR1hT
明との戦闘においての補償と名誉回復が全く足りてないつって責められてるわけで
中央政権自体の信頼が疑われてるんでしょこれ
ゆえに政権としては当時の取次が悪かったんで、それを処罰しこれから君たちの名誉を回復しますと言わざるを得ないレベルに追い詰められた状況なわけでしょ

秀吉が存命だろうが、中央政権の存在自体が否定されかかってる以上こうなるでしょ
これで彼らを処罰したらそれこそ中央政権信用に値せず、勝手にさせてもらうわになるよ
0727人間七七四年2019/01/17(木) 23:12:02.52ID:WnXQR1hT
あとこれの場合お咎めなしというのとはちょっと違って
どっちも掘り下げると政権崩壊レベルの爆弾抱えた事案だから軽い処分で双方顔を立てたというのに近い
上記の通りやばすぎて深い追及ができないレベルだったという認識のがいいと思う
0728人間七七四年2019/01/18(金) 01:03:05.79ID:VJYiZBAr
妄想オナニーすごいなおまえら。
ただどれもこれも糞嘘くさい妄想話ばっかりだがなwww

下田歌劇まっさおwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0729人間七七四年2019/01/18(金) 09:19:16.28ID:lv3394bE
家康は役目果たしてるのにね
家中の揉め事を仲裁して実力者の内府殿がそう仰るのならと
それが面白くない、または危機感を持ってたから挙兵したと
0730人間七七四年2019/01/18(金) 09:40:24.24ID:xPiiAhLc
東軍人気無さすぎなのは徳川のせいだな。
0731人間七七四年2019/01/18(金) 09:47:08.15ID:ePlVzHXh
いや歴史を勉強する気もないアホどものせいだろ
0732人間七七四年2019/01/18(金) 10:37:22.65ID:3Zsd2/Ro
明治初期の薩長政治のせいでしょ
家康が悪者で対立した西軍が正義だと薩長のご先祖様も力及ばず悪の徳川に屈した正義ってことになって大変都合がいい
0733人間七七四年2019/01/18(金) 10:56:54.05ID:XcmdI0FR
歴史しか勉強しないでネタも通用しないアホもいるからな
0734人間七七四年2019/01/18(金) 13:12:23.53ID:0JBe0tEK
秀吉が喪中に信長の妻と孫娘をはりつけにして殺し、息子を自害させ、妹を殺しとやり
聚楽第行幸で正当化しながら、関白左大臣内乱の豊臣長者の一家を虐殺したのをもっと知るべきなのだろうな
大阪城は天下人の城ではなく、恩人の家族を殺した記念碑であり
大阪は信長と宗教戦争をしていた狂信者と知るべき。
秀頼は疱瘡でアバタ顔になり160キロのデブと事実を知るべきだ
0735人間七七四年2019/01/18(金) 20:57:05.05ID:xN8FFy6M
てか西軍て人気あるの?
関ヶ原には来てない直江や真田、間に合わなかった立花くらいか
0736人間七七四年2019/01/18(金) 21:00:32.09ID:R3o/16UT
大谷吉継とか人気あるんちゃうか
島津もそれなりに

き、金吾ちゃんも、、、
0737人間七七四年2019/01/18(金) 21:39:24.81ID:/2K8Voru
LINEが行った歴女の好きな戦国武将トップテンでは
東軍:伊達政宗徳川家康黒田官兵衛
西軍:真田幸村前田慶次郎石田三成
と双方三名ランク入りしてまったくの互角
0738人間七七四年2019/01/18(金) 22:10:08.71ID:LRsfwXJ6
>>737
歴女w
伊達政宗、真田幸村はゲームのおかげ
前田慶次郎は漫画のおかげ
黒田官兵衛はおかげ
徳川家康は浜松市民の組織票

よって石田三成最強

というか東軍西軍としてまともに戦ってるの家康と三成だけだな
0739人間七七四年2019/01/18(金) 22:47:48.54ID:oYdaoERR
>>738
まあさ、確かに三成は現実的に居たら嫌な奴で好きには成れないだろうね。

でもさ、あの時代の豊臣家取り立て大名で秀頼を見捨てられないなら、三成に味方するしか
無いって考えた大名も多いって事だよ。
個人的な好悪と、秀頼公の安全は別の話だし、徳川家康は怖い人だしね。

宇喜多秀家なんて、反徳川と言う意味での西軍だと思うし。
0740人間七七四年2019/01/18(金) 23:50:16.01ID:iKi9mVdI
>>739
あの時点で、秀頼を見捨てないならまず家康につくんだよ
君はまず最近の関ケ原前後の研究について読め、あまりにも論が稚拙だし前提知識が足りてない

何かを語ろうとする前に、読め
0741人間七七四年2019/01/19(土) 05:44:07.50ID:z2OdTaEh
>>718
ダメな点がそこまであがらないのがいいところなのかな、秀次。
天下人秀吉の後継として否定する点が秀吉に見限られたくらいというか。
特にどこが秀でてたわけでもないが。
0742人間七七四年2019/01/19(土) 05:51:08.52ID:z2OdTaEh
関ヶ原で徳川か秀頼かなんて言ってるバカはなんなんだ
0743人間七七四年2019/01/19(土) 06:14:55.86ID:w2/9LgY8
秀次が謀反をおこしたとか言っているが、正確には隠居の秀吉が謀反をおこしたのにな。
秀次は関白・左大臣・内乱・豊臣長者で、隠居が豊臣長者に謀反をおこしたんだよ。

秀吉は織田家に謀反をおこし、豊臣長者に謀反をおこした。秀頼は謀反人の子だ
まぁ、秀頼は秀吉が九州にいたときに乱交パーティーで種付けされたので誰の子かわからんのが実態だが
0744人間七七四年2019/01/19(土) 06:20:10.56ID:QPurZZfW
秀吉がとっとと早死にして秀次政権が持続していたらどうなったやら
秀次派閥と秀頼派閥に割れて天下分け目の戦いが勃発したのかな
0745人間七七四年2019/01/19(土) 06:59:20.86ID:kJE9FWbw
>>744
まあ、秀頼が二十歳位になっても秀次が秀頼に政権返さなかったら、
関ヶ原的な戦争は起きたかもしれんね
仮に秀次に野心があったとして、秀頼側を誤魔化せるのはその位が限界だろう
その場合は秀次が時間稼ぎの間にどれだけ諸侯の支持を得られるかが勝負になるな

ただまあ史実での豊臣家の運命を考えると、後継争いの方がマシだったかもね
少なくとも御家滅亡よりは
このルートだと、どっちが勝っても豊臣家が残った可能性は史実よりずっと高いし
(天下人でいられるかは考慮していない)
0746人間七七四年2019/01/19(土) 07:47:21.27ID:OpoYn1Cq
半分ネタとして聞いてほしいんだが、1600年当時、今川氏真は62歳で京都にいた可能性が高い。
関ヶ原当時氏真がなにをしてたかはさっぱりわからないが、
今川家再興、駿河国主としての復帰の条件で西軍に今川氏真を勧誘するのは
西軍にメリットがあるだろうか?
0747人間七七四年2019/01/19(土) 08:20:14.65ID:MmO8FLcX
>>746
そこはほれ、ショッカーの首領みたいな感じで
0748人間七七四年2019/01/19(土) 10:08:36.41ID:qeuuYfIV
>>746
無い。両軍共に即戦力が欲しいのに
一兵も持ってない元大名じゃ話しにならない。
0749人間七七四年2019/01/19(土) 10:53:00.08ID:OpoYn1Cq
>>748
今川旧臣、北条旧臣(早川殿繋がりで)あたりが今川再興で馳せ参じないかなぁ?
一時期北条氏直も養子にしてたみたいだし。

個人的に一番大きいメリットは、西軍が勝った暁には東海道に今川を押さえとして
置けることかなと思う。
それと氏真自身、公家衆と家康とのパイプがあるので、東軍との和睦交渉の仲介あたりも
期待できるかなとも思う。
0750人間七七四年2019/01/19(土) 11:38:17.29ID:oMX17wHl
>>739
三成たち奉行連中は家康が招聘されるよりも10年以上も前から他の恩顧の誰よりも政権中枢で働いていた
そして奉行の働きが悪くて豊臣を守らないから家康が筆頭大老として招聘されたわけで
三成たちが豊臣を守る気がまったくないことは既に証明されているんだよ
だから秀頼を見捨てられないなら家康について三成を排除するしかないわけ

混同しているようだけど、三成たちの権勢と秀頼公の安全は別の話だよ
だから豊臣家に取り立てられた古参の大名ほど東軍の傾向が強く
西軍には石田一派と毛利や島津みたいな地方大名ばかりという構成だった
0751人間七七四年2019/01/19(土) 13:46:41.96ID:Ue/H4vHR
>>750
>三成たちが豊臣を守る気がまったくないことは既に証明されているんだよ

どのような事例もしくは証拠があって?
0752人間七七四年2019/01/19(土) 13:53:20.29ID:6Jqi8YXw
豊臣を守る気なら
家康がなんのアクションすら起こしていない秀吉没後11日で毛利らと誓紙を交わす遺命違反はしない
同じくアクションすら起こしてない状況で勝手に合議制にもしない
また秀吉存命時から明実録の記述でわかる通り、明との講和の際独断で自分たちを秀次より上の位に任じさせようとしない

このレベルの行動しててなんの証拠があってというのはちょっと調べが足りてないと思うよ
0753人間七七四年2019/01/19(土) 14:18:37.21ID:DumEFAy+
足りてないのは頭定期
0754人間七七四年2019/01/19(土) 14:34:54.84ID:Ue/H4vHR
>>752
それいずれも「豊臣を守る気がまったくない」には直結しないが。
あんたの勝手な解釈でしかない。

その秀吉没後の誓紙にしても、そうしなければ豊臣を守れないという判断だったかもしれないし
(徳川への牽制)
明との講和も勝ち目のない戦をうまいこと終わらせるためかもしれない
(豊臣の疲弊の防止)
0755人間七七四年2019/01/19(土) 14:36:53.14ID:DumEFAy+
>>754
いけませんな、ご自分で信じてもいらっしゃらないことを他人に信じさせようとなさっては
0756人間七七四年2019/01/19(土) 14:44:21.03ID:6Jqi8YXw
>>754
正直君のそれ、ただの屁理屈としか言いようがないで
家康が何か豊臣に仇なす行動があってから何かするならまだしも、前主が信頼して託した相手を何もしてないのに排斥しようとするのは普通に自分の野心でしかないでしょ
また勝ち目のない戦を終わらせるために秀次よりも自分たちを上の位に任じさせる必要は一切ない

あなたの認識はあまりにも客観視から外れてる、僕の考えた忠臣石田三成っていう理想像に引きずられすぎ
0757人間七七四年2019/01/19(土) 15:33:14.09ID:Ue/H4vHR
中野等著「石田三成伝」によると、慶長3年7月初句頃までは筑前・筑後(旧小早川秀秋領)
の検地もしくは視察のため浅野長政と石田三成は北九州にいた。
慶長3年5月26日付島津義弘・忠恒宛福原長堯・垣見一直・熊谷直盛連署状には

これまで要衝佐和山を託せる人物がいなかったがちょうど筑前・筑後が空いたので、
秀吉が石田に筑前・筑後を拝領するか?と尋ねたがこれまで通り近江で奉公したいと
申すので、ならばこれまで同様佐和山にあり、筑前・筑後を代官支配するがよい、
ということになりました。
また慶長4年には第3次朝鮮出兵の計画があり、大将は福島正則、石田三成、
増田長盛です。
とある。
(かなりてきとーに引用)

少なくとも石田に豊臣を守る気がないなら筑前・筑後の転封を受けてると思うが。
所領倍増52万石でしょ?
秀吉は徳川家康、前田利家を信頼していただろうけど、
直臣家来としては石田三成もまた信頼していたと見えるが。
でなければ筑前・筑後転封の話なんて出さないでしょ。
0758人間七七四年2019/01/19(土) 15:39:58.94ID:6Jqi8YXw
>>757
それこそ三成がずっと求め続けてたことは中央政権での政治に携わること、だから断ってるでしょ
もちろん秀吉自身は彼の能力自体を結構重用してるよ?じゃなきゃ奉行なんかにしないし

領土的野心と中央政権参政への野心は別、石田三成の場合は後者の野心
0759人間七七四年2019/01/19(土) 15:57:02.02ID:Ue/H4vHR
>>758
それはつまり豊臣を守る気がおおいにあるってことじゃないの?
豊臣奉行である石田三成が、その地位を追い落とす、もしくは政権を崩壊させようと
企む者を排除する、というのは。
0760人間七七四年2019/01/19(土) 16:05:26.50ID:DumEFAy+
>>759
頭大丈夫?
0761人間七七四年2019/01/19(土) 16:09:35.86ID:6Jqi8YXw
>>759
全然違うでしょ
あくまでも政治的に主導するのは大老であって奉行はその手足というのが秀吉遺言
彼はその構造自体の破壊を目論んでる
また、彼の場合自分の位を上にあげるために豊臣の血族である秀次よりも自分を上に任じさせようとしている

あくまでも彼は奉行主導の政治がしたいだけでそれは豊臣の意向と外れてるし、その目的を達成するためであれば豊臣の血族すら蔑ろにしてる
正直これで忠臣とはまるで言えないよ
0762人間七七四年2019/01/19(土) 16:12:07.04ID:Ue/H4vHR
>>760
たしかに今インフルエンザで自宅休養中だが。なにかおかしいかね?
暇ができたんでたまった未読本読むいい機会になってる。
0763人間七七四年2019/01/19(土) 16:30:21.42ID:Ue/H4vHR
>>761
>あくまでも政治的に主導するのは大老であって奉行はその手足というのが秀吉遺言
これ奉行と大老で「奉行」「大老」の見解が違ってるでしょ、どっちが正しいかわからん。

その目的とは明との講和でしょ。現場実務者が上位者だということにしとけば
交渉がまとまりやすいでしょ。下っ端が出てきてももっと偉いやつ出せってなるんだから。
これは明側もやってるでしょ。

石田含めた奉行衆が豊臣に対して「守る気がまったくない」と言い切れるほどの
事例、証拠とは言えない。
0764人間七七四年2019/01/19(土) 16:44:43.58ID:6Jqi8YXw
>>763
どっちが正しいも何も、政庁の伏見を預け秀頼の義理の父であり官位も最も引き上げられた人間、徳川家康が政治主導することが諸説ありこそすれ有力だよ
まぁその有力説に違和感があるとか言うのはいいよ、ただ自分の違和感を前提に話展開させたいなら、納得できる史料なりなんなり出そうね

明との講和で、上位者であれば話がまとまりやすいってのはその通りだよ?
ただ当時関白職でともすれば豊臣家を今後政治主導するかもしれなかった秀次を自分たちよりも下に置く必要は一切ない
ましてやその後、秀吉による修正講和案では家康を上位の存在に置こうとしてるしで、独断講和案を書いた小西は死を命じられるほど激怒されてる

秀吉の目の届かないところで自分たちの対外的官位を勝手に上げようとしてた、としか見れないよ
0765人間七七四年2019/01/19(土) 19:10:07.62ID:Ue/H4vHR
>>764
明との講和でさ、明側が、日本側序列第2位、3位、4位あたりのやつ
(豊臣秀次、徳川家康、前田利家)を出してこい、
お前ら(小西、石田、大谷、増田)下っ端じゃ話にならん、ってなったらどうすんの?
秀次、徳川、前田が渡海して交渉するの?
そしてこの3人が交渉現場に立って講和がまとまる?
秀吉の意向そのままで交渉すればまとまるはずがない。
それが簡単にできるなら石田らも馬鹿正直に本来の序列通りに書いたんじゃない?

秀吉以外だれも望んでいない大明攻略を
現場の実務者としてうまく話がまとまるように最善を尽くしただけだと思うが。
当時の秀吉にはだれも意見具申などできる状況ではなかったようだから
なんとかしようとするならごまかすしかない。

前掲の中野等著「石田三成伝」には最初は督戦する気満々だった奉行衆だが
現地の実情を知り、秀吉の指示は無謀なのを理解し、
「戦では勝っているが補給が欠乏してるので撤退せざるをえない」
と必死に秀吉に補給不足のせいにして戦線縮小せざるをえないと訴えてる。
0766人間七七四年2019/01/19(土) 19:23:45.08ID:DumEFAy+
>>765
死ねガイジ
0767人間七七四年2019/01/19(土) 19:54:36.41ID:6Jqi8YXw
>>765
講話については秀吉はその後修正講話案までだしてるんだから講話することは許されてる、君のそもそもの前提がおかしい
そして、当面のとりあえず交渉役を高位のものにして交渉を進めるというのも、秀吉の修正講話案に対して明側がOKを出しているので当てはまらない
0768人間七七四年2019/01/19(土) 20:04:55.09ID:kJE9FWbw
正直な話、どんなに三成ら奉行衆を好意的にみても
『自分達にとって都合のいい形に豊臣政権を改造して運営しようとしてる』って点では、
家康とやってる事そう変わらんとしか思わんがな
その意味では両者共にやってる事に差はないと思う
0769人間七七四年2019/01/19(土) 20:24:46.01ID:6Jqi8YXw
あとまぁこれ、最初の方の講和を模索してるような案文じゃなく最終決定まで進んだ条件なのよね
この時点でなお相手になめられないために高位を求めてたんですーは通らない、
これもう明側が採用するかどうかのところまで進んでるからね

これを明が飲んだ場合、今後ずっと三成たちは秀次よりも上位の存在としてみなされ続ける
ましてや明側の講和交渉役が皇帝の血族よりも上位の人間をよこしたわけでもなく、やはり講和のために致し方なく自分たちを高位の人間にしたんですでは通らない

あとこいつら何気に空名の劄付まで明側に要求してるから日本国内で使う気満々やぞ
0770人間七七四年2019/01/19(土) 20:40:19.74ID:w2/9LgY8
武家関白制において聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧の豊臣長者を殺した豊臣家に正当性なんかないよ。
民主主義において選挙で公認されていた内閣総理大臣を殺して前首相が選挙をせずに息子を首相にしたところで正当性がないのと同じようなものだ

そもそも豊臣家は惣無事と聚楽第行幸で諸大名を帝に臣従させる形で体制を成立させている。
関白の豊臣長者を殺しているのに、なんで豊臣に従うのが当然みたいな幻想をいだいているのだろうな
0771人間七七四年2019/01/19(土) 21:59:38.23ID:oMX17wHl
>>757
朝鮮で戦っている武将の領地を三成の報告で取り上げて
慶長の役に出陣もしていない三成本人に対して譲渡する話が出るとか
豊臣の軍事制度が崩壊するレベルの不正疑惑だよな

もう三成のいる陣営で戦うのが馬鹿馬鹿しくなるくらい酷い話だ
石田一派以外の西軍大名の多くがやる気ゼロだったのも当然だろう

こういう不正疑惑にまみれた三成を更迭して家康主導で建て直すことだけが
豊臣を守る唯一の方法だった
確かなのはこんな不正疑惑が持ち上がった時点で三成は終わりということだよ
0772人間七七四年2019/01/19(土) 22:18:09.71ID:fTQV2CYc
>>770
その理屈だと関白軍と戦った徳川家に正当性は皆無だな
0773人間七七四年2019/01/19(土) 23:26:57.92ID:r3vm1I6O
>>772
家康は関白と戦ったことなんて一度もないぞ?
0774人間七七四年2019/01/20(日) 00:36:47.90ID:AcaFr9un
>>750
徳川家康が大老にされたのは、招聘って言うより封じ込めなんじゃって気が
するんだけど?
会議の席では幾ら家康が大大名でも一人だからね。

只さあ、議決の規則が決まって無い所を老獪な家康にしてやられたって気が
しますよ。
五大老、五奉行で話合えって言うても、大老の一人が他の大老に謀反の言い掛かりを
付けて勝手に陣振れとかしたら「加賀征伐、会津征伐」如何するのか?って決まり無いし。

そして、奉行に旗本を動かす権限が無いのが特に問題。
奉行は別に大きな大名じゃ無いから、旗本動かせないなら馬鹿にもされる。
0775人間七七四年2019/01/20(日) 00:51:30.25ID:iZgLed7R
>>774
その合議で話し合えなんてもの自体が秀吉遺命にはない、没後の連判状で初めて出てくるものだって理解した上で言ってるのか?
ついでに、大老にしたのは封じ込めとか言ってるけど、他の官位や血縁でもブッチギリに優遇されててこれを封じ込めというのはかなり無理がある

散々言われてるやろ、君はあまりに近年の関ヶ原前後の研究を読んでなさすぎる、読め
自分の思い付きを他人に投げつけるな、そして忠告されたら素直に聞け、何度言われてるんだ君
0776人間七七四年2019/01/20(日) 00:54:12.98ID:iZgLed7R
学習しようとしない、他人の指摘も聞かない
でも自分の論拠のない意見だけはぶつけ続けるよ

こんなものがまかり通ると思うな、君がいまやってることは荒らしだぞ
0777人間七七四年2019/01/20(日) 06:10:16.10ID:mHGvja/+
>>772
聚楽第行幸で公認されていた
武家関白制の関白左大臣の豊臣長者を殺しておいて正当性なんかあるわけないし

正当性があるなら、武家関白制において最高位の内大臣の命令に従うのは当然のこと。

秀吉が関白殺しをして作った御掟や遺言に正当性があるというなら
婚姻等はすべて秀吉の許可を取ることとあり、
遺言で秀吉亡きあとは徳川前田に政治をゆだねるとあるので、
前田なきあとは家康が婚姻の許可をだすのは当然のこと。

石田三成ら奉行は
武家関白制に逆らい、御掟に逆らい、遺言にすら従わないやつらだよ

ちなみに家康は関白秀吉と戦ったことはないよ。惣無事に従い、帝に臣従したし、聚楽第行幸で帝に忠誠を誓っている
0778人間七七四年2019/01/20(日) 06:11:09.99ID:mHGvja/+
>>772
聚楽第行幸で公認されていた
武家関白制の関白左大臣の豊臣長者を殺しておいて豊臣に正当性なんかあるわけないし

正当性があるなら、武家関白制において最高位の内大臣の命令に従うのは当然のこと。

秀吉が関白殺しをして作った御掟や遺言に正当性があるというなら
婚姻等はすべて秀吉の許可を取ることとあり、
遺言で秀吉亡きあとは徳川前田に政治をゆだねるとあるので、
前田なきあとは家康が婚姻の許可をだすのは当然のこと。

石田三成ら奉行は
武家関白制に逆らい、御掟に逆らい、遺言にすら従わないやつらだよ

ちなみに家康は関白秀吉と戦ったことはないよ。惣無事に従い、帝に臣従したし、聚楽第行幸で帝に忠誠を誓っている
0779人間七七四年2019/01/20(日) 07:46:15.03ID:AcaFr9un
>>775
同じ役職の人が複数って言うなら、江戸時代には良く有りませんでしたか?

実際に五大老五奉行制は機能して無いから想像に成るけど、良く有る加判衆って奴を
想像するんですけどね?

公的文書に判子「花押」を押す人って位置付けなら、無視すれば大老が同盟して攻めて来る
事に成るでしょうし。

家康が自分一人の花押で文書出してる事が想定通りだとは思えませんが?
0780人間七七四年2019/01/20(日) 09:48:03.55ID:nSwlmezH
秀吉が託したのは孔明じゃなく徳川仲達だっとというオチ
だから滅ぼされた
0781人間七七四年2019/01/20(日) 10:19:01.72ID:iZgLed7R
>>779
だからさ、君は大老と加判衆の区別もつけられてないわけやろ?
何度も言わせるなよ、読めよ
0782人間七七四年2019/01/20(日) 10:22:50.95ID:iZgLed7R
わざわざピンポイントでそれに対する研究書が腐るほど出ててそれをずっと勧められてるのに
読まずに別の事例から引っ張って来ようとしてるわけ?読みたくないならはなからこのあたりの政争について語るなよ

君すげぇ悪質だぞ
0783人間七七四年2019/01/20(日) 10:29:25.94ID:Z0Tsfoqg
ガイジに触るな
0784人間七七四年2019/01/20(日) 10:50:36.87ID:/cCab48Q
mHGvja/+はとにかく家康は悪って古くさい決めつけから入ってるから何言ってもムダだよ
話を深めるための異論にすらなってない
0785人間七七四年2019/01/20(日) 10:51:22.20ID:/cCab48Q
失礼、ID:AcaFr9unだった
0786人間七七四年2019/01/20(日) 10:53:37.60ID:+HLiY2Sb
関ヶ原まで追い込まれてる時点で西軍に勝機はないが
そこに至るまでの圧倒的有利な状況をことごとく覆された西軍首脳の
諸侯から見た正当性のなさ、担保する能力のなさが問題

東軍を調略で切り崩せないのはそれだけ信用を失う行為をしてきたことに起因する
石田小西毛利宇喜多らを信じろと言われても福島らは正直厳しいだろ
0787人間七七四年2019/01/20(日) 11:07:28.69ID:iZgLed7R
>>784
そうなんですけど、マジでそれを日付変わってIDが変わるたんびにおんなじような主張繰り返してくるからすっげぇ悪質なんですよね
毎回彼が共有してるはずの前提知識に茶々を入れて話が戻るからほんと話が進まない

せめて主張変えないし読むべきものも読みませんをするなら、議論の邪魔だからどっか行っててほしいんですけどね
0788人間七七四年2019/01/20(日) 12:01:19.86ID:ULjTqnpP
>>779
家康が一人で文書を出したり政権を運営できるなら
少なくとも奉行はまったく必要ない無用の長物だということだよ
奉行はあくまで政権運営に必要だから使う道具でしかなかったのだから
使う必要のなくなった道具は廃棄処分されて当然でしょ

別に秀吉は三成たちがどんなに役立たずになっても使い続けろなんて言っていないし
家康が奉行を必要とせずに政権を運営できるなら奉行は全員辞任しても問題ない
家康に必要とされる能力を持たなかった三成たちが悪い
0789人間七七四年2019/01/20(日) 12:17:58.28ID:N8t4AIza
能力で言うなら奉行衆は家康にとっても有用だったよ
実務能力で言えば家康配下に同水準の人材が揃うのはずっと後の話
特に長束、前田玄似なんかは代替できる人材が江戸期にもいたかどうかってレベル

がいくら有用でも分を弁えない人材じゃ邪魔なだけ
豊臣政権のトップが家康で、その下で実務を担うのが奉行衆ってことを認め無いなら上司として除くしかない
0790人間七七四年2019/01/20(日) 13:37:19.60ID:gz0DTQuh
前田征伐に関する書状
慶長4年9月21日付島津家久宛島津義弘書状

一、今度於大坂内府様天下之御仕置被仰定候ニ付、いかやうの子細候之哉、
 羽柴肥前守殿當時賀州へ在國候ヲ、無上洛様にと被仰下候、
 自然強而於上洛者、越前表にて可被相留之由候て、
 刑少殿の養子大学殿・石治少之内衆一千餘、越前へ被下置候事、
一、加藤主事も無上洛様にと被仰付候、其上ニ罷上ニおひてハ、
 淡路表にて可被相支之由候て、管平右衛門尉殿・有馬中書両人ニ被仰付彼表へ
 被指越候、如斯必定承付候間、爲心持申入候、
 乍不申諸人不承様に、校量肝心候、
 其故ハ京都之出合、國元へ申通候と露顕候へは、爰元の仕合も難計候之事、
(前田征伐関連部分のみ抜粋)


家康は前田利長に上洛するなと命じ、強行上洛に備え大谷・石田に越前に
兵を配置させた。
同じく加藤清正にも上洛するなと命じ、それに備え管達長・有馬則頼に淡路に
兵を配置させた(おそらく水軍かな)。

なんか前田征伐についてはよくわからんね。前田と清正が結託して挙兵上洛
しようとしていたということなんだろうか?
0791人間七七四年2019/01/20(日) 13:48:11.72ID:gz0DTQuh
もしくは七将襲撃の裁定に不満を持った七将が前田と共闘して挙兵もしくは
家康暗殺計画を実行しようとした?
0792人間七七四年2019/01/20(日) 15:43:03.94ID:OwbSxVUf
家康に密告したとされてるのが増田長盛なんで、七将襲撃に対する
奉行側の、浅野長政に対する報復(前田はとばっちり)かと思ってたけど、
清正も絡んでるならばそうではなくて、
七将襲撃裁定に不満を持った七将側の家康暗殺計画もしくは挙兵計画だったのかも
しれないような気がしてきた。
この場合でもやっぱり前田はとばっちりかな。それとも本当に加担してたのか。
0793人間七七四年2019/01/20(日) 16:00:54.97ID:nSwlmezH
>>768
問題は奉行が天下とっても家康みたいに主家をぶっ潰すとこまでやるかどうかだな
0794人間七七四年2019/01/20(日) 16:51:51.23ID:S7Rtqp+e
なんべんかんがえてもやっぱり毛利いい加減にしろって思うなあ
西軍総大将ですけど私は動かないので負けても所領安堵してくださいって
気が狂ってるとしか思えんぞ
0795人間七七四年2019/01/20(日) 17:14:59.04ID:r4Pek1Q+
>>793
なんか矛先を変えてきたみたいだけど、家康は豊臣滅ぼす気はなく、滅亡したのは豊臣の自業自得だけどね
0796人間七七四年2019/01/20(日) 17:16:13.46ID:vUlJIJsr
輝元が馬鹿で安国寺にそそのかされたんだから仕方ないw
論理破綻で滅茶苦茶な主張や行動でも、だってテルなんだもんで全て通っちゃうからね
0797人間七七四年2019/01/20(日) 17:49:05.57ID:nSwlmezH
>>795
命乞い迄してきたのに追い込んでつぶしたからな
滅ぼす気がないわけないわ
結果的にぶっつびしたのは変わらん
0798人間七七四年2019/01/20(日) 18:06:23.78ID:Z0Tsfoqg
>>797
死ねガイジ
0799人間七七四年2019/01/20(日) 18:07:11.29ID:nSwlmezH
>>798
自分が気に食わないこと言われるとこれかw
0800人間七七四年2019/01/20(日) 18:22:50.22ID:iZgLed7R
君もろくに調べてないようだからちゃんと調べた方がええで
上の人が言うてる通り完全に豊臣は自業自得での滅亡だよ
冬の陣の発端自体も完全に豊臣のやらかしだし
命乞いというのならそれは本来冬の陣での和睦のことを指すのであって、その和睦案件すら守らず暴発で夏の陣起こした時点でもう許されるフェイズは過ぎてるよ
そこで本来城主として取るべき行動は、俺が腹切るから城内の者は許してであって大野が腹切るから俺たちを許してというのはあまりにも相手をバカにしてる
0801人間七七四年2019/01/20(日) 18:24:14.07ID:Z0Tsfoqg
よせガイジに構うな
0802人間七七四年2019/01/20(日) 18:28:59.52ID:nSwlmezH
いくら弁護しようがぶっ潰したのは変わらんからな
結果を起こしてやる気がなかったんですうで済むなら世の中そんなに甘くない
>>801
かまうなといってる本人がかまってる件についてwwww
0803人間七七四年2019/01/20(日) 18:37:32.24ID:iZgLed7R
>>802
うんまぁ、元主家だからって何したっていいってもんじゃないってのがわかってないんだね君は
とりあえず当時の常識について一から勉強してきなさい、上の人に輪をかけて勉強不足すぎる
0804人間七七四年2019/01/20(日) 18:55:04.63ID:nSwlmezH
>>803
やったことの事実を言ってるんだがw
その勉強とやらでやってないことになるのかなw
結果が変わるのかなw
0805人間七七四年2019/01/20(日) 18:57:06.27ID:Z0Tsfoqg
>>804
死ねガイジ
0806人間七七四年2019/01/20(日) 19:07:50.60ID:iZgLed7R
>>804
勉強で知識をつけることが目的じゃなくとりあえず荒らしたいんやね君は
まず第一に、豊臣側から非常識な行動を取ったことが原因
第二に、冬の陣で和睦している通り徳川家には豊臣を滅ぼす気はない
第三に、それでもやらかしたうえでの滅亡である、この点だけ理解してくれたらいいよ

あれだけやらかされたら徳川であろうと石田であろうとどんな人間であろうと、豊臣家を滅ぼさざるを得ない状況にまで豊臣家がやらかしてるよ
冬の陣でかなり厚遇してるあたり、よほど温和な対処してるよ
その温和な対処すら蹴っ飛ばしたから滅んだだけ

結果滅んだのと、その滅びるまでの経緯にどういった正当性があったのかはまるで別の話、その程度は理解できるよね?
0807人間七七四年2019/01/20(日) 19:09:10.60ID:iZgLed7R
あとここ腐っても関ケ原についてのスレだからさ
これ以上なんか書き込みっていうなら大坂の陣スレの方でやるよ
0808人間七七四年2019/01/20(日) 19:14:23.42ID:OwbSxVUf
いまさらながらだけど速報!

国史跡岐阜城跡 山上部の発掘調査で信長期に築かれた石垣を確認しました!
http://www.city.gifu.lg.jp/26193.htm

◎岐阜城跡で初めて鉄の矢じりを発見(2区)
 鉄鏃(てつぞく)の長さ14.6cm、幅2.0cm  
→慶長5年(1600)8月23日の関ヶ原の戦いの前哨戦で使用された可能性がある。

遺物は軒平瓦、飾り瓦、鉄鏃など コンテナ4箱、破片数約500点が出土


以上。

個人的にはもうちょっと曲輪配置とかの解明が進んでほしいなぁと思う。
0809人間七七四年2019/01/20(日) 19:32:23.09ID:tYwzXhR3
>>796
むしろ毛利を西軍に入れなければ少しはマシになったかも
0810人間七七四年2019/01/20(日) 19:45:18.86ID:N8t4AIza
毛利がいないとそもそも戦力不足
今のところ一番有望とされる後詰め決戦も毛利抜きだと先遣隊を倒しても続く徳川本体に歯が立たない

むしろ毛利を本気にさせれなかったのが敗因
0811人間七七四年2019/01/20(日) 20:05:46.36ID:vUlJIJsr
>>809
他に西軍で総大将やれそうな大名がいないね
石高と官位は立派だからね
兵も多く出せるし

輝元は父や祖父、両川や家臣などが優秀すぎただけで戦国大名としては不向きだったね
大幅減封になったけど財政難を立て直し、改易ラッシュにも改易されず大名として生き残り、幕末に一矢報いる事が出来たんだし
0812人間七七四年2019/01/20(日) 20:23:32.35ID:mo4GH9EU
テルは総大将の割に中途半端だったな
対徳川方面にもっと戦力を割いたり介入しなかった事で、結果的に自分の首を絞めた
0813人間七七四年2019/01/20(日) 20:53:11.78ID:mHGvja/+
まず豊臣には公儀性がない。
聚楽第行幸で公認された武家関白制の関白左大臣内覧一家を虐殺していいるのだからな。

かりに公儀性があったとしても、御掟では上様の許可を得ることとあり、遺言では徳川前田の命令に従うこととあるので、
前田が死んだあとは徳川の命令に従うのが道理だ。

家康は最高位の大臣であり、帝に下賜されて出陣し、豊臣家からも物資援助を受けている。

石田には大義がないんだよ。さらに主力が毛利で、戦場が美濃だ。地の利もない。
さらに命令しても行われないので、人の和もなければ軍規もない。負けて当然。

孫子だと道天地将法というけど、西軍はすべてが欠けている。
西軍が勝つにはまず三成は大臣に任命してもらって、遺言が新発見されて毛利の意見に従えと書いてあり
帝に下賜をされて応援され、豊臣家からは公認してもらい物資援助され、美濃周辺の地の利のある武将を味方につけ
命令無視されたりせず、命令したことがおこなわれるようにならないと。
0814人間七七四年2019/01/20(日) 22:10:49.69ID:5dsrVSzr
輝元の能力どうこうより西軍の初期の戦略というか
諸大名の向背を完全に見誤っていことの比重が大きくないか
誰が見通し立てたのかは知らないけど想定通りに会津征伐軍崩壊して家康江戸を動けずなら
足元とか背後を固めるのは別に問題のある行動とは言えないと思う
0815人間七七四年2019/01/20(日) 22:19:26.39ID:jUqLcYOX
西軍は誰の主導か知らんが初動から細川をやり玉に挙げてるよね
ガラシャ自害はよほど堪えたようだ
0816人間七七四年2019/01/20(日) 22:57:35.18ID:vUlJIJsr
>>814
少なくとも毛利と黒田官兵衛は長期戦を見据えて動いてたかと
想定以上に早く決着が付いて一番ガッカリしたのは真田昌幸かなと個人的には思う
老いて戦局を見る力を見誤ったのか、わかりながらも野心が抑えられなかったのかはもちろんわからない
鍋島はその点、情報収集や状況判断はさすがだった
0817人間七七四年2019/01/20(日) 23:00:50.47ID:mHGvja/+
>>812
帝が下賜をした内大臣軍率いる官軍には豊臣家を物資援助しているが、反乱軍には帝の下賜も豊臣の公認もなかった。
大義のないから輝元はいつまでも大阪を動けなかったんだよ。反乱をおこし幼児を人質にした凶悪犯が毛利であり石田。
豊臣がお墨付きを与えて、帝が綸旨でも出していれば輝元も戦場に出ただろう
0818人間七七四年2019/01/20(日) 23:06:55.17ID:mHGvja/+
>>812
帝が下賜をした内大臣軍率いる官軍には豊臣家も物資援助しているが、反乱軍には帝の下賜も豊臣の公認もなかった。
大義のない輝元はいつまでも大阪を動けなかったんだよ。反乱をおこし幼児を人質にした凶悪犯が毛利であり石田。
豊臣がお墨付きを与えて、帝が綸旨でも出していれば輝元も戦場に出ただろう。
0819人間七七四年2019/01/20(日) 23:11:28.99ID:0QurHbea
真田なんか長期戦になったら秀忠に潰されるわ
0820人間七七四年2019/01/20(日) 23:21:19.54ID:nSwlmezH
>>805
自分で書いたことを忘れるほどの健忘症かなwwwww
801 人間七七四年 sage ▼ 2019/01/20(日) 18:24:14.07 ID:Z0Tsfoqg [3回目]
よせガイジに構うな

>>806
まず荒らしってのは
801 人間七七四年 sage ▼ 2019/01/20(日) 18:24:14.07 ID:Z0Tsfoqg [3回目]
よせガイジに構うな


805 人間七七四年 sage ▼ New! 2019/01/20(日) 18:57:06.27 ID:Z0Tsfoqg [4回目]
>>804
死ねガイジ

このコピペ荒らしのことだけどw

つーか事実から背けて言い訳することかなw
試合に負けてもがんばったとか言っちゃうタイプかなw
負けは負けなのにw
>>807
つーか絡んできたのはそっちなんですけどねw
0821人間七七四年2019/01/20(日) 23:22:04.35ID:0QurHbea
>>820
死ねガイジ
0822人間七七四年2019/01/20(日) 23:22:08.38ID:OwbSxVUf
とりあえず、現状のわたしなりの見解は、作戦的には岐阜城後詰決戦案及び
>>14の各種案、これ以外では新ネタは思いつかない。
なんか思いついたら書くけど。
岐阜城の発掘調査も大きな進展は見られないようだし。

作戦面ではなく多数派工作面においては、やっぱ鍵を握るのは前田利長だと思う。
前田征伐まで遡る必要はあるけど、前田が西軍に付くなら越後の堀も味方する
可能性は高いと思う。金森・森はよくわからんが。

豊臣を絡めた面でなら、かなり上のほうでもだれかが言ってたけど、
鍵を握るのは毛利秀元だと思う。秀長の娘婿でしょ?
秀保の跡継ぐ方法ないのかね?
輝元的にも秀元・吉川領問題解決して輝元領増えるし扱いにくい秀元いなくなって
win-winだと思うが。
毛利秀元、秀長の娘と結婚、文禄4年2月
秀保死去文禄4年4月16日?
秀次死去文禄4年7月15日?
一応、秀就誕生文禄4年10月18日?
0823人間七七四年2019/01/20(日) 23:24:40.23ID:nSwlmezH
>>821
コピペ荒らし乙w
801 人間七七四年 sage ▼ 2019/01/20(日) 18:24:14.07 ID:Z0Tsfoqg [3回目]
よせガイジに構うな

自分で言ったことすら守れないのかwwwww
0824人間七七四年2019/01/20(日) 23:28:39.28ID:0QurHbea
>>823
死ねガイジ
0825人間七七四年2019/01/20(日) 23:29:22.30ID:nSwlmezH
>>824


さすが約定破りで世間での定評のある家康大好きくんだ
801 人間七七四年 sage ▼ 2019/01/20(日) 18:24:14.07 ID:Z0Tsfoqg [3回目]
よせガイジに構うな

自分で書いたことすら平然と破るw
0826人間七七四年2019/01/20(日) 23:32:09.00ID:0QurHbea
>>825
死ねガイジ
0827人間七七四年2019/01/20(日) 23:35:09.05ID:nSwlmezH
これが勉強した結果かwww
嘘つきだなw

>>405
>>440
>>766
>>783
>>798
>>801
805
821
824
826

どうせまた同じコピペするんだろw頭悪いからw
0828人間七七四年2019/01/20(日) 23:45:06.82ID:mHGvja/+
>>814
反乱軍の首魁である毛利輝元がお墨付きほしさに大阪を動けなかったのは、
本能寺の変のときにお墨付きほしさに京都を動けなかった明智光秀と同じ精神状態

家康は最高位の内大臣であり、帝の下賜を受け、豊臣家からも物資援助されている官軍なので
情勢判断だけすればよかった。
0829人間七七四年2019/01/20(日) 23:48:22.67ID:iZgLed7R
>>820
君が荒らさなきゃそれも荒らさないんだわ
で、上記の認識も理解できないしここじゃなく大坂の陣でやろかというのも理解できてないんやね

被害者根性こじらせる前にやることやれや
0830人間七七四年2019/01/20(日) 23:51:03.25ID:nSwlmezH
>>829
はぁ?
絡んできたのはそちらなんだけどね
奉行が同じ事やるかどうかといっただけなのに向きになって家康無罪いいだして絡んできたわけだがw
そいつお前の別端末じゃねえのw
0831人間七七四年2019/01/20(日) 23:55:16.47ID:iZgLed7R
>>830
無罪とも言ってないわな、あの状況なら誰であろうと豊臣を滅ぼすレベルに豊臣がやらかした結果だって書いてあるんだ、文字読めてるか?
読む気もないなら書き込むな、そしてもう一度だけ書くぞ、ここは関ヶ原スレだ その話するなら大坂の陣のほう
0832人間七七四年2019/01/20(日) 23:57:34.31ID:nSwlmezH
>>831
お前に何で命令される筋合いないし
それこそお前が絡んでこなきゃいいんじゃねw
別端末でコピペってないでw
こっちはうざいの振り払ってるだけなんだけどねw
大阪のこと書きたいのお前じゃんw
0833人間七七四年2019/01/21(月) 00:06:00.29ID:eWTuOS9L
>>830
奉行は家康以上にやるだろ
秀次が奉行を無視して自分の側近を使って政務を取ろうとしたら
秀次の妻子と側近を殺しまくるような連中だからな
豊臣だろうが何だろうが邪魔な人間は皆殺し主義なのが奉行だからね
0834人間七七四年2019/01/21(月) 00:07:40.08ID:BYIjXnO0
>>832
別人なことくらい少し調べりゃわかるだろ

勉強も反省もできない本気でろくでもない人間のようだからもう話しかけないようにするよ、勝手に勝ち宣言していいから大人しくしとけ
0835人間七七四年2019/01/21(月) 00:12:00.68ID:c+/GtlRd
>>834
怪しいなぁw
二度と絡むなよ
勉強した結果がコピペ荒らしだしなw
別端末でも絡んでくるんじゃねえぞ
0836人間七七四年2019/01/21(月) 00:25:51.24ID:BYIjXnO0
>>822
前田征伐については
そもそも発端となった前田に異心ありの報を伝えたのが増田長盛らなので
そもそも西軍中枢と思しき奉行自体が前田に恨まれてる可能性すらあるかと
0837人間七七四年2019/01/21(月) 00:58:26.35ID:ZkMOV26Q
>>788
つまりね、家康が自分一人の花押付き文書で裁決するなら他の大老や奉行はまったく
無意味って事に成るじゃん。
つまり、五大老五奉行制が意味不明って事に成りますよ。

合議制の前提が無かったって考えは信じられませんけど?
実際、脱落した大老や奉行の補充してないじゃん、家康はさ。
0838人間七七四年2019/01/21(月) 01:29:56.92ID:BYIjXnO0
五大老五奉行制度について疑問がある
なら何度も言われてる通り近年その辺りについて言及されてる研究書があるんだからそれこそ読めよ
なんで読まずに自分の憶測で埋めようとすんだよ

それとも何か?読まずにここで質問して自分の手間浮かせようとでもしてるのか?
0839人間七七四年2019/01/21(月) 09:46:14.22ID:/T4vbOnN
主君の没後1年で主君の家族を殺し君位を簒奪して成立した豊臣に正当性はあるのか?
 →帝から関白に任命されて私賜されることで正当化に成功。
  惣無事を発令し、私戦をやめて帝に臣従させることで諸大名の上に立ち体制を成立させた。
  しかしその関白左大臣内覧の豊臣長者を一家皆殺しにしたのでこの時点で正当性は失われた。

武家関白制において、聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧の豊臣長者を殺してその座を強奪した秀吉秀頼に正当性はあるのか?
 →民主主義社会で、首相を殺して選挙を通さずに首相になったやつに正当性はあるのか。
  豊臣長者を殺して豊臣当主になったやつに正当性はあるのか。
  聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧を殺した人間に公儀性はあるのか。

内府ちかひの条々や直江状に正当性はあるのか?
 →豊臣に公儀性があるのかにまず疑問符がつくが、公儀性があると仮定した場合に重要になるのが
  御掟と秀吉の遺言。御掟では上様(秀吉)の許可を得ることがうたわれており、
  遺言では徳川と前田が政治を運営し、石田らは
  「どんな事でも、家康殿と利家殿の御意見を聞き、その御意見次第できめるように」
  「何たる儀も、内府、大納言殿へ得御意、 其次第相究候へと、 被成 御意候事」と言われていた。
  前田なきあとは家康の意見を聞きその意見で決めなければならなかった。
  帝に任命された大臣ではなく、御掟にも遺言にも逆らった石田に正当性はない。そんな人間の落書きにも正当性はない
0840人間七七四年2019/01/21(月) 11:54:06.71ID:euELn6Gf
やたらと新書読めって奴はセールス?
0841人間七七四年2019/01/21(月) 13:24:15.25ID:gPUW5rgk
別に買わんでも図書館で読めばええやん
0842人間七七四年2019/01/21(月) 15:32:14.21ID:5qgG5G5M
ネットで見られる史料や論文もあるしね
0843人間七七四年2019/01/21(月) 22:15:08.06ID:xwXs8HQ6
史料なら真実スレのテンプレに腐る程あるしな
おまけに更に追可されていっているし
0844人間七七四年2019/01/21(月) 23:56:20.42ID:BtKPFz7t
どんな新しい資料でも実は西軍が勝ってたなんてことないんだからifでいいじゃん
0845人間七七四年2019/01/22(火) 00:35:07.38ID:mOMrxrnN
まず三成をそそのかして謀反を起こさせた上で
毛利が西軍を結成し、中国大返しを実行して畿内になだれ込み三成を討伐する
これなら確実に西軍が勝てるだろう

東軍の大義名分は三成の謀反を鎮圧することなのだから
西軍が三成の謀反を鎮圧すれば何もできない
そして謀反鎮圧の功績を使って西軍が政治的にも軍事的にも圧倒的優位に立てる
中国大返しからの謀反鎮圧がどれだけ強力な武器になるか毛利はよく知っているはず

三成に合流するという愚策を選択したことが西軍の敗因だよ
秀吉が光秀と合流するくらいありえない愚策が千載一遇の好機を無駄にした
0846人間七七四年2019/01/22(火) 07:59:43.52ID:wguO5PhU
三成は関ヶ原の戦いで反乱をおこす前にまず
讒言をせず、国書を偽造せず、文治と武断の豊臣子飼いの対立を作らない
反乱をおこす前に帝から内大臣に任命してもらう
秀吉の遺言で、大老であろうと三成に助言をもとめ、判断に従うことという遺言をしてもらう
出陣にあたっては帝から下賜をしてもらう
豊臣家から公認してもらい、物資援助をしてもらう
美濃や尾張や東海地方に地の利のある大名を味方につける
最低でもこれらをしないと話にならない。

結局三成は幼児を人質にした暴漢にすぎなかった。
0847人間七七四年2019/01/22(火) 08:31:23.95ID:tawsXfne
>>812
なんでそんな博打みたいなことしなきゃならないのさ
そんな自分の倍以上の石高を持つ相手に正面決戦を挑む位なら
他の連中がそいつを足止めしてる間に周辺のもっと弱いところを制圧して
なし崩しに自分の領土にしちゃった方がリスクも低いしお得じゃん
輝元にむやみに負担を押し付けようとするなよ
0848人間七七四年2019/01/22(火) 09:23:27.76ID:6qe57JQg
>>847
輝元は凡人まで読んだ
戦国時代は数倍相手に勝って大躍進を遂げる事例だらけなのに
こんな人物を総大将に祭り上げてる時点で西軍の勝利はゼロですわ
0849人間七七四年2019/01/22(火) 09:45:40.86ID:wguO5PhU
輝元の行動は明智光秀と一緒なんだわ
光秀は秀吉に招き寄せられた裸の信長を殺したはいいけど、帝に認めて欲しくてグズグズしていた。
輝元も豊臣に認めて欲しくて大阪城に入り浸りグズグズしていた。大義のない存在はやることが一緒。

家康は最高位の内大臣であり、出陣にあたっては帝の下賜を受け、豊臣からは物資援助され、
関白殺しの秀吉の作った御掟は上様の許可制、遺言が上様の死後は徳川前田が許可を出すとあり、大義があった。

まぁ西軍は暴漢と一緒。大臣に任命してもらい、帝に下賜され、豊臣家に公認されていたら違っただろう。
0850人間七七四年2019/01/22(火) 10:21:56.30ID:tawsXfne
>>848
その行為が100%自家の為になるのなら、博打をした可能性はあるかもね
しかし、豊臣政権を守る為に戦えと言われてもね
要は自分たちを上から押さえつけて無理やり言う事をきかせる
強力な中央政権の為に全てを捧げろって言われても…
まあ強力な統率力とカリスマを持つ秀吉や強大な組織力を持つ江戸幕府ならともかく
出がらしに過ぎん豊臣政権をわざわざ盛りたてる必要なんかなかろう
それよりは豊臣政権をかつての室町のように無力化して、好き勝手に領地拡大も経営も出来る
戦国時代に時計の針を戻した方が輝元視点ずっと利益が大きいだろう
0851人間七七四年2019/01/22(火) 11:27:38.00ID:6qe57JQg
輝元のほうがよっぽど豊臣政権の現実見てるのが皮肉だわな
0852人間七七四年2019/01/22(火) 12:28:26.95ID:/iKC/l/b
奉行衆にとっては言語不明瞭になった秀吉でも政権回ったから、
死んでも問題なしという判断だったのだろう

瀕死でも権力者が生きているというのは、それだけで重しになるのに
そういう無形が理解できないのが、如何にも実務官僚らしい
0853人間七七四年2019/01/22(火) 12:45:38.97ID:abyKt53T
>>851
現実は見えてたのに、自分のその後の処遇は見えなかったのが残念
0854人間七七四年2019/01/22(火) 12:54:43.04ID:Hwapaamz
賭けたら命を張るしかないのになあ
堂々と西軍率いてなぜ日よったのか
0855人間七七四年2019/01/22(火) 13:07:03.75ID:tawsXfne
>>854
多分、考え方が逆なんだよ
賭けたら命を張らないと…って発想じゃなくて、命を張る必要が無いと思ったから賭けたんだよ
要するに関ヶ原は輝元にとっては天下の雌雄を決するようなものではなくて、
いい機会だから自分の領地拡大して西国の覇者になろう!程度の認識だったんじゃないの
0856人間七七四年2019/01/22(火) 13:31:40.75ID:ClGK4r4x
当初の見込みでは楽に勝てるはずだったのに
決起一ヶ月で思惑とは逆に追い詰められてるんだから
早めの損切りは大事
0857人間七七四年2019/01/22(火) 13:39:09.18ID:8iLat4oa
秀忠隊が遅れてなかったら
西軍は木端微塵じゃん
0858人間七七四年2019/01/22(火) 13:42:05.54ID:Hwapaamz
>>857
あれは遅れたんじゃない
家康の想定ミス
というか西軍に付いた連中が弱すぎた
0859人間七七四年2019/01/22(火) 14:42:36.66ID:GLwA76bM
早めの損切りのおかげか
36万石とまぁまぁ大大名として残って、輝元の息子は結城秀康の娘だったかを嫁にもらって越前松平氏の縁戚になってと
東西両側の家の中でも結構屈指の勝ち組大名よね
0860人間七七四年2019/01/22(火) 14:48:59.20ID:KtM+quE7
テルは戦後処理に関しては実に見事に奔走したからな
いわゆる内政官としては本当に優秀だった
元々徳川とも仲は良かったし
0861人間七七四年2019/01/22(火) 14:52:32.73ID:wguO5PhU
>>854
帝の下賜を受けて出陣した最高位の内大臣率いる東軍 vs 大義なく反乱をおこした西軍

豊臣の公認すらない輝元が幼児を人質にしながら公認ほしさに大阪に入り浸るのも当然だろう。
明智光秀もさっさと安土や畿内をおさえりゃいいのに京都に入り浸っていたのと同じだ。大義が欲しい
0862人間七七四年2019/01/22(火) 15:00:07.74ID:YLgoQE/J
西軍総大将のくせに戦闘もせず、減封で済まされる
宇喜多や小西に申し訳ないとか思わないところが、テル
0863人間七七四年2019/01/22(火) 15:35:50.13ID:7R0kA8Lc
ま、おまえら自分の人生をまっすぐに見つめるのがいやなようだな。
400年前のヒト事に必死だな。
ん?どうだ?人生うまくいってないのか?あ?
0864人間七七四年2019/01/22(火) 18:11:10.32ID:tawsXfne
>>862
人の兵力アテにして(しかも体よく利用する気満々)挙兵するような奴に
かけてやる情けなんかないだろ
つーかなんだよその被害者根性丸出しの発想は
毛利からすればお前らがふがいなさすぎるって言いたいだろうよ
まあこの考え方もいい根性してるとは思うが
0865人間七七四年2019/01/22(火) 18:27:51.40ID:Eks1QXVO
>>859
つか毛利が実際に防長に入って検地してみたら50万石越えて、そのまま報告したら幕府から「福島正則の安芸備後が49万石なのに
そこを追い出されたお前らがそれより大きいのはアカンやろ!」って36万石にされたそうな。
0866人間七七四年2019/01/22(火) 18:47:19.23ID:Hwapaamz
適当な太閤検地のせいか
0867人間七七四年2019/01/22(火) 20:18:26.26ID:LDgihXWv
まあ無理すれば結構嵩上げ出来るからなあ…
無理しすぎて島原の乱おこしちゃったお馬鹿もいたけどw
0868人間七七四年2019/01/22(火) 20:56:06.37ID:B4/UxINa
>>864
自軍は殆ど戦ってない徳川に対する嫌味ですね。解ります。
0869人間七七四年2019/01/22(火) 22:05:08.10ID:mOMrxrnN
>>862
毛利は大垣に篭城して大津からの援軍を待てと命令したのに
石田たちが無視して大垣城を放棄したからね
公然と命令無視をされたら総大将としての毛利の立場がなくなるから仕方がない
0870人間七七四年2019/01/22(火) 22:08:20.26ID:LDgihXWv
>>868
徳川への嫌みになってるかなぁ…解りません。
0871人間七七四年2019/01/22(火) 22:27:46.39ID:jeVszY6U
>>862
自分とこの安国寺だって斬首されてんじゃん
トカゲの尻尾切りのつもりかどう思ってたのかは知らないが
0872人間七七四年2019/01/23(水) 04:04:56.91ID:de34H1jQ
徳川軍が活躍しなかったというよりは福島以下の東軍先鋒軍の士気が高すぎた
仲のいい武闘派ライバル同士が張り合って不倶戴天の敵を追い回してる状況
「お前らそんなに三成が嫌いか」と呆れ返るレベル
0873人間七七四年2019/01/23(水) 04:09:32.47ID:KuVuV3gc
>>866
まあ、豊臣家には毛利に借りの意識有っただろうね。
中国大返しの時に追撃しなかったんで、検地が甘々だったとしか。
つうか、太閤検地での旧毛利領の石高と、寛永期あたりの石高だと全然違う。

120万石って、実収200万くらい石有ったんでは?って感じ。
0874人間七七四年2019/01/23(水) 04:18:28.56ID:KuVuV3gc
>>854
多分、叔父に後見されてああいうぎりぎりの決断した事が無いんだろう。
例えば備中の三村なんて、毛利が安芸備後の覇者に成った頃からの同盟者なんだよね。

尼子攻めにも普通に三村は参陣してたのに、三村の頭越しに宇喜多と同盟「三村の宿敵」してる。

切れた三村が離反したら、普通に滅ぼして族滅してる。
多年の同盟者でも、離反すれば消すのが普通の世界なのに、何故自分は絶対安全マンって
思ってたんかね。
0875人間七七四年2019/01/23(水) 07:30:12.40ID:+7feER42
>>871
つもりも何も間違いなくトカゲの尻尾切りというか毛利からの人身御供でしょう
あいつの政治的存在価値は奉行や豊臣家とのパイプであって、
奉行が失脚し、豊臣の先が見えている状況だともはや価値はほぼない
その上一門でもない外交担当の大物だから切り捨てるにもちょうどいい
責任の押し付け先としてはほぼ完ぺきだろう
0876人間七七四年2019/01/23(水) 09:03:29.29ID:cSWljKys
前田利家が生きてたらなあ〜〜〜
0877人間七七四年2019/01/23(水) 09:22:03.68ID:ZngUR1Kl
利家が生きてても三成は毛利と結んだじゃん
0878人間七七四年2019/01/23(水) 10:43:43.64ID:unmPCsqy
どの時代でも全く役に立たなかった前田に頼ること自体終わってる
世渡りについて学べばよかったんじゃないか前田に
0879人間七七四年2019/01/23(水) 11:00:20.60ID:VapvKJcD
輝元はお坊ちゃま扱いされてるけど結構な数の家臣を粛清してる苛烈な性格だぞ
0880人間七七四年2019/01/23(水) 11:00:25.93ID:jMCqbEAG
>>873
太閤検地は通説で言われてるようなかっちりとした検地でもなんでもなく
軍役賦課のために実行された甘々勘定ばっかりだぞ
大体のところは過去の指出の数値で適当に検地したことにしてある

毛利だから甘いわけでもなんでもない、元から太閤検地はどんぶり勘定も甚だしいもんだ
0881人間七七四年2019/01/23(水) 11:06:57.38ID:YYoNQTzO
>>878
世渡り的な事を学ぶんなら、前田より藤堂だと思う
いや前田も悪くないけど
0882人間七七四年2019/01/23(水) 11:36:50.85ID:KuVuV3gc
>>881
藤堂の生き方って、武士と言うより傭兵隊長だよな、15世紀末あたりのイタリアの傭兵隊長みたいな
香りがする。
現在契約中の雇い主に尽くしてるんだから、文句言われる筋合い無しって感じだ。
0883人間七七四年2019/01/23(水) 13:07:28.27ID:zEjWFBhd
>>873
>太閤検地での旧毛利領の石高と、寛永期あたりの石高だと全然違う

太閤検地が通説とは違い査定に厳しくないのもあるが、
単純に40年も差があれば石高が変わる(増える)ってだけだよ

毛利領に限らず、どこもその40年で石高は随分増えてる
そら戦争のない世の中になったんだから内政が充実するわな
0884人間七七四年2019/01/23(水) 13:15:34.55ID:k6OtCtLA
毛利はもっと水軍を活用しろよと言いたいわ
0885人間七七四年2019/01/23(水) 14:15:19.50ID:ZVt3FtwW
水軍に夢見すぎな人かな
0886人間七七四年2019/01/23(水) 14:41:43.48ID:lW5dQZfC
>>884
毛利水軍は伊予への侵攻、阿波接収、紀州沿岸伊勢湾沿岸での放火略奪と大活躍していただろ
0887人間七七四年2019/01/24(木) 13:28:56.88ID:7CGC3Lac
長州はマジで50万石あったのか、家格あげるために無理してそう申請したのかはっきりわかってない
0888人間七七四年2019/01/24(木) 13:33:28.91ID:+0/2vUma
周防「・・・・・」
0889人間七七四年2019/01/24(木) 13:44:26.34ID:N0+AtxTf
幕末になると寝返る藤堂のお家芸
0890人間七七四年2019/01/24(木) 13:48:49.81ID:+0/2vUma
>幕末になると寝返る藤堂のお家芸
0891人間七七四年2019/01/24(木) 18:53:38.19ID:Ldp8RMnE
>>886
伊予侵攻で能島村上当主が戦死していたような
0892人間七七四年2019/01/25(金) 02:33:35.41ID:8CsJRSDb
>>883
でも、太閤検地の数字って「特に山陽山陰あたり」異常に少ない気がするよなあ。
信じると、戦国時代って相当無茶な動員してた事に成る気がする。
0893人間七七四年2019/01/25(金) 10:26:29.86ID:iiy+J3IK
そんな毛利って石高に比して多い動員数やったっけ?
あるいは、太閤検地の時だけ山陰山陽地方の石高が低く見積もられてる根拠になる史料あったか?
0894人間七七四年2019/01/25(金) 13:08:37.21ID:jutLQVsL
太閤検地の石高が異様に低いというと、まず真っ先に出羽が思い浮かぶな
0895人間七七四年2019/01/25(金) 14:10:42.35ID:HjZLkCSv
中国地方・山陰の石高は確かに、え?って位に低い。
ホントに毛利って120万石なの?って。
実際はもっとあったんだろうな。
0896人間七七四年2019/01/25(金) 14:44:34.89ID:jutLQVsL
>>895
確かに、徳川幕府以後と比べて石高が低く見積もられていた国が山陰山陽には少なくないが、
それは他の地域も同じようなものだったよ。
0897人間七七四年2019/01/25(金) 15:02:02.70ID:UsO2vzJ7
太閤検地つっても大部分は指出だから大名権力の弱い毛利なんかはゆるゆる検地しかできなかったので石高が低い
同じく大名権力の弱い島津氏は恥も外聞もなく検地を豊臣奉行に丸投げして豊臣権力を背景に大名権力を強化したり
毛利氏も遅まきながら関ヶ原後にキッツイ検地や国人系家臣の粛清を行って近世大名に脱皮した
太閤検地はイメージと違って全国一律ではなく地域差大名差が大きかったことに留意しないとね
0898人間七七四年2019/01/25(金) 15:39:45.44ID:l/6TWm2P
大名権力への集中に成功してるあたり、輝元もなんやかんやと割と有能なのよね
ミスして改易された大名腐るほどいるし

輝元バカ殿扱いされてっけど、中央政権に興味なかっただけで普通に傑物だとは思う
ド畜生ではあるけれど
0899人間七七四年2019/01/25(金) 16:45:51.93ID:0qwBlMxM
>>897
まーそれはそうなんだが、そういうゆるい検地をやっていたのは、別に毛利氏だけではないということ。
0900人間七七四年2019/01/25(金) 16:50:03.79ID:bBZkmLR/
当時、自前でちゃんと検地できたのは徳川家だけじゃない?
なお4公6民は維持したが、検地竿は短くした
0901人間七七四年2019/01/25(金) 17:25:21.92ID:iiy+J3IK
太閤検地以前の山陽山陰の石高がわかれば一番手っ取り早いが
毛利がひときわ検地の時に贔屓されてたかどうかはわからん
0902人間七七四年2019/01/25(金) 19:00:26.12ID:Pxc5bHc2
検知の結果で軍役負担が決まるとしたら差し出しで過少申告すんのはまあ当然よね
それで通ってるならむしろやり手なんじゃね?
0903人間七七四年2019/01/25(金) 19:15:45.21ID:0qwBlMxM
>>902
過少申告すると国替のときに本当にその石高の土地に飛ばされるという
0904人間七七四年2019/01/25(金) 19:46:09.82ID:Pxc5bHc2
それはあり得るね
でも毛利は何だかんだ飛ばされもせず済んでるな
0905人間七七四年2019/01/25(金) 20:10:55.01ID:UsO2vzJ7
弊害が大きいから過少申告は意味無いよ。蒲生のように過少申告こじ付けられて改易なんてのはそうはないだろうけど
あそこ石高低いイコール軍事力低いあそこ大したことないと思われたら死活問題だからほとんどの大名が石高の上昇にしのぎを削った時代
その毛利も関ヶ原後は表高上げるために血眼になったわけで
0906人間七七四年2019/01/25(金) 20:16:56.34ID:XgEJQ/yK
石高が高く格式が高すぎると日常の出費もかさむ
財政悪化の要因にもなるから、どちらがいいかは藩による
0907人間七七四年2019/01/25(金) 20:44:24.52ID:jutLQVsL
確かに毛利氏は関ヶ原後に過少申告どころか過大申告してるからな。
0908人間七七四年2019/01/25(金) 20:49:15.09ID:iiy+J3IK
メンツのために財政破綻しまくる武家は腐るほどいるしなぁ
島津なんかもそうだし

果たして出費がかさむから過少申告しとこうなんてそろばん弾ける武家がどんだけいるんだろ
0909人間七七四年2019/01/25(金) 23:04:05.29ID:UsO2vzJ7
だから幕府は家格上昇のための表高の上積みを抑制したり参勤交代の人数削減を勧告したり健全財政を保つようにいろいろしてたが
見栄と威信が直結してた時代だからなかなか言う事聞いてもらえず苦労してた
0910人間七七四年2019/01/26(土) 02:35:11.64ID:iT/9EfV3
その幕府が早々に経済破綻してたんだから仕方が無い
0911人間七七四年2019/01/26(土) 07:04:33.35ID:kJEfBZuA
でもそれってしゃーないんだよね、そこらの連中に『あいつすげえ!』って思わせる
一番簡単な方法って(見栄を張ってでも)財力があるかのように見せつける事だもの
武士なら武力は持ってて当たり前だし、江戸時代はほぼマトモな戦争ないし
大体江戸時代ってのは、何かというとすぐ斬った張ったして暴れる武士どもを
お上の命令を忠実に実行するお役人様にするのが仕事だったと言ってもいい位だしな
まあ薬が効きすぎて、幕末に大半の武士が武力の面で役立たずになったのは否定せんが
0912人間七七四年2019/01/27(日) 13:57:26.09ID:W2ckUOtY
>>903
多分、検地で国人一揆が起こったのってそれだよね。
それまで、1000石って約束で安堵されてた領地が、実は検地したら1800石でしたなら
差額の800石は没収されるって事だし。

て、この理解で合ってますよね?
0913人間七七四年2019/01/27(日) 14:40:46.93ID:KnhjVh9B
作戦で勝つのか
道具で勝つのかが全くないw
0914人間七七四年2019/01/28(月) 02:29:48.57ID:hN2orYox
検地の結果石高が多くなった場合その分土地を奪われる訳ではなく、単純にその歳から年貢が上がるのでは?
0915人間七七四年2019/01/28(月) 12:18:33.68ID:2cpnvLKA
>>914
だからさ、朱印状で安堵されるのがドコソコの領地ってだけで無くて、石高も有るのかと?
○○郡○○村と○○村と○○村、都合三つの村で1500石みたいな感じで。

そんで、実際検地して実高2500石とかだったら?
0916人間七七四年2019/01/28(月) 13:01:17.23ID:/4m81zQ5
>>915
ケースバイケースだけど領地召し上げになるのは稀で税と役務が上がる方向で調整するのが普通
領主が意図して隠していたと見なされたら別だけどそうでなければ再検地で増えた石高はそのまま収入になる
0917人間七七四年2019/01/28(月) 14:17:53.09ID:n+qCuGxl
普通は増加分はよく開墾したね偉いねそのまま認めるよ軍役はその分増えるけどそれは当たり前だよねで済む
問題は検地と領地替えがセットの場合。新領主が来たり領内再編があったり転封だったりすると
新領地は宛行状の額面取りになってしまい増加分は公収されるので実質減封になる
だから増税面ばかりに目がいてる者が多い検地だがちゃんとやれば実収入を主君にきっちり保証してもらえるという
家臣レベルでも歓迎できる面もあるという事
0918人間七七四年2019/02/03(日) 17:37:15.32ID:umXObtER
最近このスレ発見したんだけど、三成が大垣城を出ず、秀包、立花軍を待つというシナリオは検討された?
当然しているとは思うんだけど、その結論が出ているなら教えていただけるとありがたく。
0919人間七七四年2019/02/03(日) 17:55:46.40ID:MmC6eVhS
佐和山城を落とされちゃうじゃん
0920人間七七四年2019/02/03(日) 21:54:46.27ID:U2eJwmYo
>>918
大津城組の到着を待つと、東軍も秀忠隊が到着する。
戦力比はますます西軍に不利になる。不戦密約の南宮山吉川・毛利や
松尾山を占拠した小早川秀秋の存在、
西軍がなんとかしようとするならば9月14日以前でなければ厳しいと思われる。
0921人間七七四年2019/02/04(月) 01:22:25.90ID:SXEF+TjV
>>920
なるほど。
テルが大阪から出てくればいい勝負になりそうだけど、まあ出てこないだろうしねえ。
サンクスです。
0922人間七七四年2019/02/04(月) 01:40:30.38ID:YD23ACd3
大坂の東西に睨みを効かせ情報収集と指揮をとる為には留まるのが正解だし
史実から観て勝つためには輝元がリスクを承知で大坂から出ざるをえない
0923人間七七四年2019/02/04(月) 05:53:40.42ID:DAqLtt5l
>>921
まぁ大津城を抑えのみ残して主力は関ヶ原に急行するという手もあるけど、それが選択できるかだね。
0924人間七七四年2019/02/04(月) 05:55:58.37ID:hrJLfaCP
毛利がリスクを背負うメリットも大してないしな、
なんで自勢力の倍位の勢力相手に正面決戦せにゃならんのか
しかもこっちの士気が明らかに低下してる不利な状況で
仮にそれをやったところで西軍側(奉行衆)がそれに伴う大損害をペイ出来るだけの
報償を用意してくれるとは思えん
それならこの騒動のスキを狙って、瀬戸内周辺をなし崩しに制圧して自領にする方が
ずっと楽だし得だ(失敗したけど)
そもそも輝元は家康と短期で正面決戦なんてやらんでいいと思っていたから、
つまりそんなリスクはないと思ったから関ヶ原で西軍についたんだろうし
0925人間七七四年2019/02/04(月) 06:17:14.29ID:qSfc0Akt
>>923
それをするためには東軍の動向に対する性格な情報を持っていなければならない。そして西軍は東軍の動向を全く把握できていなかった。以上。
0926人間七七四年2019/02/04(月) 07:15:55.66ID:Ze1EmnQR
西軍だけでなく東軍家康もこんなに早く決着がつくって予想出来てたんだろうか?
黒田如水の行動は明らかに長期戦狙いだよな?
0927人間七七四年2019/02/04(月) 14:01:57.98ID:LNifRTPF
桑名にいた鍋島勝茂を急行させていれば決戦に間に合ったのに
0928人間七七四年2019/02/04(月) 14:13:05.29ID:tiUZSrNa
>>925
理由付けするならば、赤坂の東軍撃滅を優先するため大津城は包囲に留める、あたりかな。


しかしよく考えてみると、
9月15日西軍大津城攻略
9月17日秀忠隊妻籠到着
これなら大津城攻略後でも1〜2日秀忠隊より
早く関ヶ原に到着すると思う。
これなら到着後すぐ決戦ならなんとかなるかも。
0929人間七七四年2019/02/04(月) 14:14:19.01ID:DumupcPx
どんだけ遠隔地の情報が豊富な設定なんだ?
0930人間七七四年2019/02/04(月) 16:54:32.51ID:Eq95U+ZZ
>>927
家康は犬山城の内応勢を長島へ向かわせていいるから、
そうなるとそれに対する備えは必要になる
0931人間七七四年2019/02/04(月) 17:24:12.22ID:JYjGQnqT
鍋島直茂が勝茂に書状送って、もう程ほどにしろって話しが有名だけど
あれって事実なの?
0932人間七七四年2019/02/04(月) 20:18:28.30ID:Eq95U+ZZ
家譜でしか確認できない類
0933人間七七四年2019/02/04(月) 21:53:44.54ID:lIx+rjsE
>>928
いやー、ちょっと無理があるだろ
南近江が東軍方ってのは西軍からしたらかなり怖いから陥落はさせたいよ
0934人間七七四年2019/02/04(月) 21:54:54.73ID:nirwJkIW
はっきり覚えがないんだが、鍋島の家譜だかなにかに、
長島の押さえとして長島・桑名周辺にいた鍋島勝茂だが、
大垣からの救援要請が来たので、大坂(だったかな?)に自分の代わりの
長島の押さえの軍勢を送るよう依頼し、それが到着したら
大垣・関ヶ原方面に向かうつもりだった、と。

当時、南濃の太田山城には西軍方として原長頼がまだ健在で、
鍋島、原長頼が長島の押さえとして在陣していたと思われる。
たしかに、家康もしくは秀忠隊等東軍の後続隊が伊勢に来ないとも限らないので、
その阻止も兼ねて長島の押さえとして長島・桑名周辺に鍋島がいたというのは
納得ができるものだと思う。
0935人間七七四年2019/02/04(月) 22:45:45.14ID:SXEF+TjV
>>928
赤坂の家康着陣で三成らは驚愕し、その深夜に関ヶ原に移動したわけだしね
これで三成は逃亡したと見なされた説もどこかの新聞記事で見かけたが、迅速な情報収集とそれに基づく判断ができず追い詰められた感がすごい
0936人間七七四年2019/02/05(火) 00:22:15.19ID:gl8Ezgss
鍋島勢が関ヶ原に到達できたとしても地理的に南宮山傍観組が増えるだけのような気が
0937人間七七四年2019/02/05(火) 04:15:41.25ID:UldP05o8
>>936
鍋島は9千だぞ?南宮山に2万5千以上とか登れないがな
0938人間七七四年2019/02/05(火) 07:42:10.24ID:kp+2zrl2
長宗我部とか長束は山麓
0939人間七七四年2019/02/05(火) 12:52:44.01ID:iPXltAef
長曽我部のさらに後ろでポカーンとしてる間に戦が終わってるよ
0940人間七七四年2019/02/05(火) 13:11:14.47ID:UounjAe7
各地の諸将は、決戦日を事前に知らされてたわけじゃあるまい
家康や三成だって前日まで知らなかった
0941人間七七四年2019/02/05(火) 14:31:12.23ID:H9UJeBAP
主任クラスの石田で、毛利支店長やら前田顧問とかを納得させることは出来ないよな。一番頼りにしてる水魚の交わりである大谷さんですら係長レベル。
0942人間七七四年2019/02/06(水) 01:41:59.38ID:kyMiXYuj
家康赤坂着陣の報により、9月18日に赤坂の東軍に対し決戦を挑む、という日程ならば、
大津城組は到着できる。鍋島は微妙だが、原長頼に長島の押さえを任し
自身は大垣へ急行、できるかな?
大津城組12000〜13000くらい、鍋島9800が到着したとしても、
やっぱり戦力比は9月14日以前のほうが有利に戦える。
ただ、毛利元康、小早川秀包が到着したことによって毛利秀元、吉川広家が
不戦を貫くのか、否かがなんとも言えない。
0943人間七七四年2019/02/06(水) 13:38:10.61ID:Yrli94i+
>>939
伊勢街道が鍋島勢九千で混雑したせいで長宗我部長束は撤退が遅れて壊滅、島津義弘は退却不能で討ち死にしそう
0944人間七七四年2019/02/06(水) 15:40:12.25ID:sGN7IM2J
鍋島九千というのが、そもそもナイ
0945人間七七四年2019/02/07(木) 12:31:33.58ID:WKsWHLJL
鍋島直茂
http://or2.mobi/data/img/222843.jpg

鍋島直正
http://or2.mobi/data/img/222844.jpg
http://or2.mobi/data/img/222845.jpg
0946人間七七四年2019/02/07(木) 14:37:52.55ID:fTQyob1h
おお偉大なハルトマン おお偉大なハルトマン 永遠に果て無く栄えよ おお我らがハルトマン おお我らがハルトマン 銀河に名立たる王者よ 星々を手折り束ねて全て捧げてしまえば皆を約束の地へと導く銀河の父よ 
おお輝けハルトマン おお輝けハルトマン 過去に未来に現在に おお讃えよハルトマン おお讃えよハルトマン 讃え願えば叶う 宇宙を舞う青き翼も夢歌う桃色の花も 心その身さえ捧げよ我らが父へ 
おお崇めよハルトマン おお崇めよハルトマン 主への絶対の忠誠 おお願えよハルトマン おお願えよハルトマン 黄金の化身を信じて 手に入れし野望儚く彼方へと消えゆくは記憶 時を巡る歯車疑視めて願うは父よ
0947人間七七四年2019/02/07(木) 17:20:52.32ID:8xQdYGBD
岐阜城落として東軍先発隊は赤坂着陣してそのままなんだから
西軍は兵集めてさっさと決戦すりゃよかったんだよ
小早川に松尾山占拠されて家康赤坂着陣の報受けて即決戦はやはりおかしい
追い込まれての決戦のほうがすっきりする
0948人間七七四年2019/02/07(木) 17:24:29.76ID:ejMUTboc
>>947
兵というのはそう右から左へホイホイ移動できるものではなくてね
0949人間七七四年2019/02/07(木) 17:27:32.52ID:8xQdYGBD
岐阜城落ちて家康が慌て輝元が損切りし始めたように事態は動いているのに
安濃津だ大津だ拠点落としに行くそののんきさは一体どこから来てるんだか
東軍は指をくわえて待っていてくれると思ってたの
0950人間七七四年2019/02/07(木) 20:06:23.16ID:7/uXVKav
>>949
その辺は独断で戦略を変更できる権限の持ち主がいない寄り合い所帯の辛さだろうね
あと東軍は大坂奪還を目指す一点に集中できるけど西軍は目標がはっきりしてないのも問題だと思う
それに伊勢のことはともかく大津城の京極高次は捨て置けないと思うよ
京都の入り口という戦略的な価値の高さに加えて
秀頼の叔父という政治的にも意味のある人物の離反なんだから
あれは関ヶ原全体を通してもトップクラスの戦功じゃないかなあ
0951人間七七四年2019/02/07(木) 21:24:41.55ID:sE9chBjq
目と鼻の先の赤坂に敵軍がいるのに、大垣城の部隊は家康来る前になんで攻めなかったんだろうね
三成も宇喜多もいたのに
0952人間七七四年2019/02/07(木) 22:08:08.83ID:iVbyYg7y
>>951
家康が接近してきてる事すら気づいてなかったみたいよ
西軍的には岐阜が陥落したんなら一旦戦線を整理して仕切り直すか、程度の感覚だったぽい
それに三成は後方の大津が敵にまわった事の方が気になってただろう
まずあり得ん事は承知で言うが、位置的に佐和山が攻撃されかねん場所だし
佐和山には三成の家族がいるからね、不安を感じない方がおかしいと思うよ
0953人間七七四年2019/02/07(木) 22:17:39.10ID:ejMUTboc
>>951
南宮山に毛利勢が到着するまで大垣の西軍は、東軍に包囲された状況にあった
0954人間七七四年2019/02/08(金) 10:01:44.21ID:AVsdby0D
西軍の勝利条件厳しすぎでは
東軍が踵を返して畿内に近づけば西軍に組することを余儀なくされたところの離反が相次ぐ
東軍方として抵抗しているところを落とさないといけない
東海道など重要ルートが東軍で固められてるので情報が取れない
その割には上方の情報は東軍に簡単に伝達される
0955人間七七四年2019/02/08(金) 15:04:31.06ID:Q3tIrzNH
元からかなり分の悪い賭けみたいな挙兵だからなぁ
彼らの楽観視というか希望的観測に基づいての作戦だから
その点を客観視して洗い出しするとこれ挙兵しないのが正解やん、ってなってしまうのよね

やはり岐阜城の戦いにてこ入れして軍事的勝利の積み重ねでなんとか着地点を模索するのがいいんじゃないかなぁ
東西軍両首脳ともに岐阜城は簡単に落ちないだろうという考えの下動いてたし
0956人間七七四年2019/02/08(金) 15:23:27.85ID:vuqZQsqn
西軍も家康も疑ってた東軍先鋒隊がめっちゃ戦意アリアリなのを後世の自分たちは知ってるからな
結果から導き出せば挙兵しないのが正解になるのはしょうがない
0957人間七七四年2019/02/08(金) 16:46:04.84ID:EjXtO/px
西軍は人質作戦の大失敗が尾を引いてる
細川ガラシャの自害って関ヶ原に至る一連の中でターニングポイントの1つだと思うんだ
0958人間七七四年2019/02/08(金) 19:53:59.29ID:Q3tIrzNH
自分たちが挙兵したら東軍からみんな離反して徳川は領地から動けなくなるだろう
というのが作戦の骨子のようなんだけど
めちゃくちゃ希望的観測すぎて、およそ軍人が立てていい作戦ではないと思うの

後世の目だけじゃなく当時の目からしても、捕らぬ狸の皮算用すぎる
0959人間七七四年2019/02/08(金) 20:11:49.28ID:OW8fu0+s
そもそも豊臣は主家簒奪の逆賊の家柄。忠義を重んじる武士なら許しがたい家。
その主家簒奪を正当化したのが関白の官位と聚楽第行幸だが、聚楽第行幸で公認されていた関白左大臣内覧豊臣長者の一家を皆殺し。
そして豊臣公儀を支えているのは豊臣に領地を奪われたり左遷されたりした戦国大名で
隋の煬帝のごとく外征に2度も失敗し、元寇の鎌倉幕府のように褒美なし。
また秀頼は秀吉が九州にいたとき乱交で妊娠した馬の骨という噂がある。

これでどうして豊臣に忠義を尽くすのが当然って考えるのだろうな。脳みそが腐ってる。

徳川は帝が下賜をおこない、豊臣も物資援助し、遺言で政務をまかすと言われており、人望もあった。石田はアホだな
0960人間七七四年2019/02/08(金) 21:06:54.05ID:6o8GI5sr
三成いなければ西軍とは行かないまでも中立の大名増えたかも
0961人間七七四年2019/02/08(金) 21:24:10.66ID:BTkM6dk9
>>959
死ね
0962人間七七四年2019/02/08(金) 21:38:47.86ID:b4pJYBr+
>>958
明応の政変って前例があったからな、
あの時はクーデターを起こした側が完全に勝利している
海外だと司馬氏が曹爽に対して仕掛けたクーデターなんて成功例もある

まあこれ、どっちも政治クーデターって感じだけど(軍事力を行使しないって意味ではない)
奉行も軍人というより政治家として動いた気がするなあ
つまり関ヶ原までの流れも政治クーデターを成功させる為に、軍事行動をしたんじゃないかな
0963人間七七四年2019/02/08(金) 22:08:03.38ID:u8vQyWD/
次スレたてました。

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part22
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1549630474/
0964人間七七四年2019/02/08(金) 22:18:51.30ID:u8vQyWD/
とりあえずわたしは現状では>>822の見解です。
多数派工作に活路を見い出すなら前田征伐時に前田の味方をすることだが、
前田征伐の詳細がいまいち判明していないので、あまり触れられない。

あとはやはり軍事的戦術で劣勢の挽回かなと。

鍋島の兵力に関しては、小早川秀秋が8000〜15000諸説なら
石高的には竜造寺(鍋島)9800でもおかしくないように思うが。
あと安濃津攻略が毛利・吉川・長束らなら、松阪攻略が鍋島らで10000くらいでも
不自然ではないと思う。
逆に松阪攻略隊が5000とかでは少ないんじゃないかと思う。
0965人間七七四年2019/02/08(金) 23:39:54.81ID:Bjf3iSOO
>>962
司馬懿が曹爽に仕掛けたクーデターって、皇帝担いで先祖の墓参りしてる隙に洛陽を抑えるってのが
基本だもんな。
敵は皇帝って旗印持ち、司馬懿は皇太后の命令って微妙な大義名分で洛陽を抑えただけでしか無い。

曹爽は、洛陽の人質は見捨て、許昌「曹操以来の曹氏の根拠地、曹氏恩顧の豪族多し」に逃げて再起を
図りましょうって献策を無視して洛陽に帰り殺される。

実際さあ、西軍は秀頼って名目上の主君を抑え、人質も抑えなんで敵が家康じゃ無いなら
へ垂れた可能性も有るよ。
0966人間七七四年2019/02/09(土) 00:53:54.43ID:uW95jLmp
>>962
政治クーデターの成功例がいくつもあるのはその通りなんすけど
政治クーデターでもあそこまで希望的観測を前提にした立案はしてないと思うんすわ

ていうか政治でも基本相手が予期せぬ行動をするかもしれないっていう悲観的観測で動くと思うけど
0967人間七七四年2019/02/09(土) 04:06:13.87ID:XeIRLp83
家康も輝元があそこまで積極的に動いてたのは予期してなかったっぽい
希望的観測ってのはあってもしゃーない
問題は予期せぬことが起こったときにどう対応するか
やっぱそこは経験がものをいうんじゃないかな

でもまあ、西軍首脳にクーデター直後の計画が杜撰だったのは否めない
伏見城攻めるまで、そして攻め落とすまでどんだけ時間かけてんだよと
0968人間七七四年2019/02/09(土) 08:18:52.54ID:MAAiTzHS
>>967
1枚岩じゃなかったからね
当時の実力者の家康に刃向かえば、領地没収の危機はあるし
西軍だって、勝てるのか分からない
誰だって懐疑的になって当たり前

輝元だって、安易な大坂城入りを誰かに戒められていたし
島津は京都の警備のためたまたま1500の兵で上方にいたら、西軍にさせられた
0969人間七七四年2019/02/09(土) 09:56:51.45ID:UkWvqRlm
>>964
小早川・鍋島共に兵数はあくまで三成書状にある期待値ですから
0970人間七七四年2019/02/09(土) 15:26:11.37ID:vEgQ/0ht
そやね備口人数はあくまでもちゃんと軍役果たせばこれだけ集まる予定ですよってだけ
秀包や宗茂の兵は遅参してたみたいだし勝茂の元に大軍がそろってたかはちと疑問
0971人間七七四年2019/02/09(土) 20:24:17.12ID:Mo+2bSrH
さすがに1ヶ月経過の8月下旬なら肥前からでも来てるでしょ。
8月上旬あたりだと怪しいかもだけど。
0972人間七七四年2019/02/09(土) 21:07:00.65ID:UkWvqRlm
遠方から来るというのは、それだけ手間も時間も金もかかる訳で
0973人間七七四年2019/02/09(土) 22:19:05.90ID:vEgQ/0ht
領地に散ってるのを徴集して船兵糧の手配してさあ出発までにも時間かかるでな
0974人間七七四年2019/02/09(土) 23:49:56.76ID:5eyFIvWq
龍造寺長信が上方へ送ろうとしていた支援物資船を寺沢広高の手勢に殲滅されたのが9月末
0975人間七七四年2019/02/10(日) 12:12:37.48ID:HFGeO4Nz
8月10日に援軍を率いてく直茂が上阪延期して引き返したから援軍本隊は来てない
7月16日に勝茂が国元に要請した援軍2000人は先発隊として来てるかも
0976人間七七四年2019/02/10(日) 12:25:55.29ID:J5MKqYat
そうなると7月16日時点で鍋島勝茂がどれくらい兵率いていたかかね、
1000〜3000くらい?
それプラス援軍要請した2000で合計3000〜5000くらい?
0977人間七七四年2019/02/10(日) 13:29:55.38ID:NRFc4fgA
勝茂公譜だと伏見城攻撃に参加した勝茂の手勢は4500
0978人間七七四年2019/02/10(日) 19:55:09.43ID:IiooMPxO
>>966
正直、自分が家康の立場だったとして、すぐさま反転西上作戦って取れますか?
上杉景勝は反徳川で有名だし、常陸の佐竹の動きも怪しい。

豊臣系の大名は、自領に帰せば其の儘西軍に寝返る可能性も充分って状況ですよ?
0979人間七七四年2019/02/10(日) 19:56:37.62ID:cdfGY+Cp
伊達も怪しい
0980人間七七四年2019/02/10(日) 20:10:14.67ID:riso/I8B
>>978
不安だったから家康はしばらく関東から動かなかったんでしょう
家康が関東から動いたのって東軍先発隊が岐阜を陥落させてからだし
(岐阜でなくとも西軍側の城をいくらか陥落させれば多分西上したでしょうけど)
佐竹や上杉(あるいは伊達)らの動向を気にしていたのもあるでしょうし、
征伐軍の連中が心変わりしてしまったらどうしようって懸念もあったと思います

真面目な話、上杉征伐軍に参加した諸大名で一番内府違いの条々に
ダメージ受けたのって家康じゃないですかね、多分
征伐軍の連中がロクに離脱しなかったのって、家康にとっても驚きだったんじゃ
0981人間七七四年2019/02/10(日) 20:37:07.00ID:qnBeMVfa
全大名の思惑がバラバラなのを家康は承知してるはずだし上杉伊達黒田真田みたいに家康も長期戦は覚悟してたはず
それと東軍先鋒隊の戦意があれほど高いとも思ってなかったはず
0982人間七七四年2019/02/10(日) 20:49:50.70ID:riso/I8B
やっぱ家康が支持されたというより、反家康派がロクに支持されなかったとみるべきか
もしくは反家康派が同床異夢すぎてロクに足並みを揃えられなかったか
まあ西軍は結成の経緯自体、関所で征伐軍に合流予定の連中を足止めするという
かなり強引極まりないやり方したんで、どうしても不安定なまとまりにならざるを得ないしな
もちろん東軍も決して安定してはいないが、西軍よりはマシだと思う
0983人間七七四年2019/02/10(日) 21:01:53.81ID:qnBeMVfa
家康の下に会津遠征軍が組まれてて指揮系統は確立してたし、
上方の蜂起を受けて一度は参加大名に身の振り方を任せた上で再参加させている
最終的な思惑はバラバラでも組織が定まって方針も決まってるから烏合の衆というわけではない
勝ち目は十分あるけど、どういう勝ち方になるかは不安だったと思う
0984人間七七四年2019/02/10(日) 21:50:11.29ID:UqOH9Vb9
>> 982
>反家康派がロクに支持されなかったとみるべきか
というより
豊臣軍の諸将が豊臣軍総大将の家康に従っただけだと思うけど
0985人間七七四年2019/02/10(日) 22:16:55.08ID:riso/I8B
>>984
それはその通りなんだが、問題は内府違いの条々という存在
あれは要するに豊臣政権を専横している家康を政権から排除しよう!という主張を掲げた
政権運営者の奉行と大老の連名の書状なんで、少なくとも公儀性が全くないとはいいきれない
(ただし、これによって家康の公儀性が消滅した、という西軍公儀説は首を傾げるが)
で、この内容を認めるのなら家康に諸大名が従う理由が消滅してしまう
つまり、征伐軍の連中にはこの時点で家康を見捨てる選択肢もあった筈なのだ
ところが離脱者は一部にとどまり、(つまり、諸侯が徳川を見捨てる事は可能)
ほとんどが家康に協力する事になる
という事は、上杉征伐軍の大半は彼ら反家康派の言い分を認めなかった、
つまり奉行らは彼らに支持されなかったと考えていいんじゃないかと
0986人間七七四年2019/02/10(日) 22:22:28.46ID:oscCaXml
結局秀頼を直接擁した自分達の影響力を過信していたってことじゃないかな
0987人間七七四年2019/02/10(日) 22:53:34.12ID:Lw5C/IcK
>>977
そうなると鍋島勝茂兵力は4500〜6500と見るのが妥当ですかね。

>>985
概ね同意。わたしもそんなところだと思う。
0988人間七七四年2019/02/10(日) 23:09:08.39ID:Zmn11tYr
>>985
別にその理由消滅なら
反家康派が支持されなかったという言い分にイコールで結びつかないと思うんだけど
公儀性が消滅したわけじゃない家康が支持されたとも普通に言えそうだけど
0989人間七七四年2019/02/11(月) 01:51:40.64ID:ccY5oFgm
自衛隊を召喚
0990人間七七四年2019/02/11(月) 02:11:25.55ID:r2Lxldl0
>>985
理屈で言うと、東軍大名は形式上は秀頼の家臣なので有り、一時的に豊臣家筆頭大老を
自称する家康の指揮下にあるって建前。

それを、奉行大老の連署の文書で様々な専横「内府違ひの条々」が有るので解任したと。

つまりこの言い分を認めるなら、西軍に寝返る事は謀反でも裏切りでも無くて真の主君の
為に働く事でしかない。
0991人間七七四年2019/02/11(月) 02:50:47.64ID:v6ejA4kB
解任権限あるの?
0992人間七七四年2019/02/11(月) 05:18:47.46ID:s8Y7RHfK
教科書にすら書いてある惣無事と聚楽第行幸を無視しちゃいけない。
この2つは秀吉の主家簒奪を正当化して主君を帝に置き換えることで指揮権を獲得したセレモニーだ。
豊臣にとって力の根源とも言っていい。
諸大名の主君は天皇であり、豊臣は主君である天皇への窓口にすぎないんだよ。
0993人間七七四年2019/02/11(月) 05:19:17.32ID:dNfdVZ5b
本来はそんな権限はない。これはクーデターだからなんでもあり。
長々と条々を書き連ねてるけど、要するに
「秀頼さまはいただいた、家康は逆賊に決定したのでおまえらこっち来い」
「大坂に入る妻子のことも心配だよねチラチラ」
ってこと。まあどっちも失敗するんだけどw
0994人間七七四年2019/02/11(月) 05:21:14.04ID:s8Y7RHfK
そして豊臣の公儀性を保証していた武家関白制の関白左大臣内覧豊臣長者は、秀吉秀頼親子が殺した。
理屈でいうと、1600年時点の豊臣にはなんの大義も正当性もない。
0995人間七七四年2019/02/11(月) 05:36:07.61ID:s8Y7RHfK
石田三成たち西軍になるともっと正当性がない。
遺言に逆らって内大臣に従わず、帝が下賜をして送り出した最高位の内大臣率いる軍に大義なく反乱をおこし
主君である帝どころか豊臣にすら公認してもらえなかった。

とりあえず、三成が大義を主張したいなら、
秀吉の墓から遺言が新発見されて三成の言う事に従うことと書かれていて
帝から右大臣に任命してもらって出陣にあたっては帝に下賜をされて、豊臣に公認してもらわないと話にならない。
0996人間七七四年2019/02/11(月) 08:47:26.82ID:exAmqhgK
>>987
松坂城攻めの時点で鍋島(竜造寺)単体で7000弱かなと
三成書状の兵数は鍋島勝茂と同伴していた毛利吉政・松浦久信・大村喜前の軍勢を足した数では
0997人間七七四年2019/02/11(月) 09:39:05.60ID:spWN24R8
>>991
総大将の地位は解任できていないと思う
個人的には大老は政務上の裁量を委託されたに過ぎず
軍事上の裁量(=諸大名に対する指揮権)は武家政権の権力の淵源なので
これは豊臣家だけが保持し続けるのが秀吉の遺志でないかと考えている

上杉征伐のような事態はかつて秀吉、秀長、秀次がそうであってように
本来ならば秀頼が総大将として当たるべき事柄(でも幼少なんで遂行できない)
秀吉としては秀頼が成人するまで大騒動は起こしてくれるな
(秀信の二の舞になるので)と願っていたのでは?
0998人間七七四年2019/02/11(月) 09:40:35.20ID:l9PuwNte
998
0999人間七七四年2019/02/11(月) 10:18:03.24ID:jpyyrAe6
その辺の公儀性云々の議論ていつも違和感を感じる
そりゃどっちも自分らが正しい自分らが正当と主張するだろう
でもそんなん関係なく事態は推移するというだけのことだ
1000人間七七四年2019/02/11(月) 10:30:07.77ID:ccdRG+wA
(*゚▽゚*)
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