>>612 >>573 >>574
なーんか、史実的に色々と不可思議な事をおっしゃられておられますようには思われるのではございますが、
>72年の段階じゃ上杉徳川と武田が争っていて
これもこれまでにも何度も指摘がされているようには思われるのですが、
72年の段階では、武田は徳川とは直接は戦ってはおらず、
徳川が流言などを流して、織田と武田を戦わせようとしている、という情報を武田が得て、
武田が織田の取次に「こちらは信長を粗略にするつもりはない。
佞者(家康)の讒言を取り上げないように、取成して欲しい。」的に書状で書いて伝えましたが、
織田はそれをスルーした事で、元々「徳川は織田の先手」「家康は織田の言う事を聞く人。」
という認識の武田は織田に対して不信感を持つようにはなり、
そこからさらに、武田と織田の両属だった岩村遠山を織田が軍勢を派遣して領土に組み込んだ事から、
武田は織田に対する敵対に決定的に動いていく、という感じですし、
そもそも、これまでにも何度も指摘がされてきたように、武田が西上した時には、
信長は謙信に「北陸一向宗との戦いはひとまず辛抱して、武田領土に侵攻して欲しい。
武田さえ打ち倒してしまえば、北陸一向宗とかはどうとでもなる。」的に書状で書いて要請してたりしますから、
普通に織田が武田との戦いに上杉を参戦させようとしていて、
上杉はその織田の要請をスルーして、北陸一向宗との戦いを継続したり、
それがひと段落したら、今度は関東に遠征したり、というのを繰り返しておりますので、
上杉にしてみれば、普通に、これまでは武田・北陸一向宗・北条、という三方面に敵を抱えている状況だったのが、
武田が織田徳川と敵対する事になったので、この機会に織田徳川の方に武田の相手を押し付けようとしている、
的な感じのようには思われます次第なのではございますが、これらの事柄などなどに関しましては、
いかがなものなのではございましょうかねえ。