武田勝頼について Part8
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0001人間七七四年
2018/08/27(月) 12:18:26.77ID:4R6A/kxRhttp://itest.5ch.net/matsuri/test/read.cgi/sengoku/1529375628(Part6)
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1527734172/(Part5)
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525568114/(Part4)
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1523066478/l50(Part3)
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1521166264/(Part2)
当スレの規則
文字数規制を防ぐため、必ず5行から10行以内に抑えること。
コピペ厳禁。
文字数を150字以内とすること。
荒らしは即退場、通報すること。
「ねえ」を禁止用語とすること。
0511人間七七四年
2018/09/08(土) 06:27:05.19ID:zz/RT9bIてか、強右衛門の話って実話なの?
0512人間七七四年
2018/09/08(土) 06:28:21.19ID:zz/RT9bI甲陽軍艦はあまり真に受けない方が良いかと
0513人間七七四年
2018/09/08(土) 06:35:09.54ID:zz/RT9bIだから、敗因は兵力差にあるのが多くの学者が言ってることじゃん
戦術は関係ないって
あれだけ不利な状況で野戦で4時間も
0514人間七七四年
2018/09/08(土) 06:36:40.68ID:zz/RT9bI0515人間七七四年
2018/09/08(土) 06:39:03.57ID:zz/RT9bI戦術による失敗にこだわる人は二次史料とか講談、漫画や小説の影響受けすぎだろ
0516人間七七四年
2018/09/08(土) 07:26:53.22ID:9vx8DuV8酒井の別動隊に鳶ヶ巣山砦を急襲されて
退路を絶たれたという大失態をしたのに
勝頼の戦略戦術は間違っていなかったと申すか?
0517人間七七四年
2018/09/08(土) 07:32:51.06ID:6pjcEz0e倍の敵に挑んだ時点でアホだろうよ。
実数が掴めなくても、信長本人が出張ってきた以上、援軍の規模は三方ヶ原の比ではないのは明らか。
0518人間七七四年
2018/09/08(土) 08:01:24.48ID:0drlwAVO鳶ヶ巣山砦を守備してたのが謙信だったら、妻女山の時みたいに夜陰に紛れて
既にもぬけの殻って状態だったろうな
で勝頼本体と合流してて、織田軍に夜襲をかけてると思う
0519人間七七四年
2018/09/08(土) 08:04:00.14ID:0drlwAVO0520人間七七四年
2018/09/08(土) 08:14:06.01ID:zz/RT9bI若干不利でも押しきれると思った可能性はあるでしょ
てか実際に善戦してるわけだし
正確に把握できなかったのがまずかったわけで
思ってたより大軍だったってのが学者さん達も言ってることだよね
0521人間七七四年
2018/09/08(土) 08:25:11.75ID:9vx8DuV8長篠城救出された挙げ句に退路を絶たれて武田軍は大損害になり
逆に織田軍は陣城のおかげで被害がほとんどなかった状況なのに善戦に見える人がいるらしいね
善戦というのは両者ともに損害を被り、痛み分けする、若しくは
小牧長久手のように家康が前半は戦術的に勝ったが、後半は秀吉に戦略的に惜しくも負けたような状況を指す物だとおもうんだけど
0522人間七七四年
2018/09/08(土) 09:08:06.81ID:KXSTP3FQ伊忠ひとりじゃ、山県や馬場のひとりでさえ釣り合わんよな。
0523人間七七四年
2018/09/08(土) 10:34:56.00ID:5K5c6eMcでも北側は地続きで堀しかないよね
1万以上の兵をもってきて500しかない城兵に半月経っても落とせないの?異常だね
関ヶ原合戦の緒戦である伏見城攻略みたいに攻め手にやる気なかったと思われても仕方ない
武田征伐では3000いる高遠城を信忠が1日で落としたけど、高遠城もなかなかの城だよね
0524人間七七四年
2018/09/08(土) 10:38:42.71ID:LcJFJ4nC突破口から流し込む予備兵力なく達成しても、軍事的には無意味。
0525人間七七四年
2018/09/08(土) 10:53:10.74ID:jHK2t6Zx押し切れる可能性?
では敵中で2倍以上の援軍と城兵とに挟まれて攻城側が勝利した例をいくつか挙げよ
0526人間七七四年
2018/09/08(土) 10:59:38.95ID:9vx8DuV8経済力で火薬があり大量の火縄で連発でき、
柵や城の防御等の障害物を破壊できる大鉄砲も大量に揃えていた織田
それに対して経済力ジリ貧で火薬も少なく連発できない上に大鉄砲があったかどうかも分からない武田を甲州征伐時の織田と一緒にされてもなぁ
0527人間七七四年
2018/09/08(土) 11:00:21.62ID:KXSTP3FQ1550年の戸石崩れ。
あれ武田軍のほうが兵力では優勢だったけど、村上義清の後詰と城兵に挟み撃ちにされて(村上後詰と城兵を足しても武田軍の半分以下)、大敗して何人かの武将を失ってるんだよね。
馬場や内藤は年齢的にこの戦いに参加したはずだから、命をかけても止めるべきだったな。
0528人間七七四年
2018/09/08(土) 11:03:38.03ID:KXSTP3FQ野戦で少数が大敵に勝った例。
厳島、沖田畷、桶狭間とあるけど、どれも事前工作をかなりしているからな。
勝頼の場合は事前工作がほとんど見受けられない。そりゃ負けるよ。
0529人間七七四年
2018/09/08(土) 11:06:57.84ID:j6e28Zbt0530人間七七四年
2018/09/08(土) 11:23:33.20ID:9vx8DuV8いや待て
砥石崩れは退却後の追撃でかなり損害が出た
勝頼「つまり退却しなければ追撃で損害は出ない。前進あるのみである」
という結論に至った可能性が…
0531人間七七四年
2018/09/08(土) 11:28:52.52ID:mQ14ayqiいかにも後知恵だよね?
敵の意図と兵力を正確に把握してないと出てこない話ばかり
実際は後詰に来たのに数キロ離れた設楽が原に布陣して動かないので
武田軍は相当悩んだはず
兵力が少ないか戦意がないと判断してもおかしくない
0532人間七七四年
2018/09/08(土) 11:35:08.49ID:HALbqjuRあくまでも「そういう可能性もある」くらいに捉えるべきであって
希望的観測で突っ込んでもいいことにはならん
それを軸に戦術を練ろうと思ったらまず裏を取るのが当然
0533人間七七四年
2018/09/08(土) 11:36:56.52ID:jHK2t6Zx別に野戦で少数が勝つとかどうでもいいよ
俺は2倍の援軍、健在する城兵に挟まれて勝った例を知りたいわけよ
0534人間七七四年
2018/09/08(土) 11:45:08.88ID:j6e28Zbt雨がずっと降り続けてたそうだから織田鉄砲隊は鉄砲がただの鉄の棒となり
武田騎馬隊の餌食となりただただ殺戮されていたのは想像に難くない。
0536人間七七四年
2018/09/08(土) 11:51:45.48ID:9vx8DuV8設楽原は当時は田んぼで雨が降り土がぬかるみ状態だったのが
武田にとっても最悪だったんじゃないかと言われてたけどね
夜襲?夜だと見えないからぬかるみに嵌まり機動力活かせなくて看破されてしまうよ
0537人間七七四年
2018/09/08(土) 11:51:48.08ID:j6e28Zbt雨の中の戦いと言えば桶狭間が有名すぎるけど
武田全軍が雨の中、雑魚を全てスルーして信長の首だけ狙って突進したら
割と面白い事になったんじゃなかろうか。
0538人間七七四年
2018/09/08(土) 12:24:26.46ID:HALbqjuR一応マジレスするが、
桶狭間の織田と違って侵略側なので土地勘がない
ろくに敵戦力探るための偵察もできてなかった連中が視界ほぼゼロの中で
信長発見して突っ込むのはまず不可能
雷雨を避けるため長物を置いてた今川と違い
敵の間近に押し出してきた織田勢が装備外して寛いでるとは思えない
足場の悪さは防御側にはさほどでもないが寄せ手には致命的
夜襲部隊は全滅の可能性濃厚だな
0539人間七七四年
2018/09/08(土) 12:58:08.80ID:9vx8DuV8武田に献策するはずもないからな
酒井の急襲ルートの把握すらできてなかったのに、逆に武田が奇襲できるルートを知ってるはずがないわな
0540人間七七四年
2018/09/08(土) 14:09:18.43ID:DWqNhJFa長篠の戦の指揮官が上杉謙信だったらどうだったかな?
両軍の兵数や状況も同じ条件で
謙信ならどうしてたか...すごい興味ある
謙信って人物はなんか夢見させてくれるんだよな
0541人間七七四年
2018/09/08(土) 14:20:35.31ID:zz/RT9bI色々と間違ってるね
まず朝から昼過ぎまで戦い続けた時点で一方的に打ち崩されたわけではなかったのは確かだし、
被害の多くが両翼に集中していることや退却時の被害であることを考慮すれば
単純に数的不利であったことでじりじりと後退させられ、さらに中央の親類衆が退却してしまったことで陣形が崩壊したのがまず大きな原因だろうね
0542人間七七四年
2018/09/08(土) 14:28:13.79ID:3mbEyR15謙信ていうか信玄も織田の布陣を見たら
大笑いしたと思うよ。
ナゼかと言うとこちらが仕掛けないと、
話にならない布陣を敷いていたから。
それは兵士でなく人形だろう。
俺が指揮官ならやっぱり笑ってしまうな。
これで長篠城攻めに集中し、敵の迂回に
備えて山に伏兵を置くのを忘れず、
もしも寒狭川を超えて来るなら、長篠城を
本陣にして、迎撃したらよい。
0543人間七七四年
2018/09/08(土) 14:31:43.23ID:9vx8DuV8両軍の損害には全く触れずに善戦と言われてもw
織田はほとんど損害なくて、武田は設楽原まで進軍したせいで退路を絶たれたために重臣がほとんど戦死
時間だけじゃなく、勝敗を決する決め手の損害をちゃんと結果を見ようよ
0545人間七七四年
2018/09/08(土) 14:45:58.38ID:zz/RT9bI被害の数なんて正確なところはわからないから
勝者は当然誇張するだろうし
0546人間七七四年
2018/09/08(土) 14:51:27.08ID:SwUPFwAX武田が滅ばないと本能寺も小牧長久手もないと思うぞ
信長にも北条にも徹底的に下手に出続けることができなかった勝頼じゃ
秀吉の下でやってくのはもっと無理だろうし
>>542
背後に大軍のプレッシャー受けながら落とせるならとっくに落としてただろう
鎮静しようとしても雑兵は逃散するし穴山とかも独断で退却するだろうな
0548人間七七四年
2018/09/08(土) 15:38:28.06ID:HkRmTpG+そんな例があるわけないでしょ。
むしろ戸石みたいに少数が多数を破る例ならある。
吉田郡山城の戦いもそういえば尼子3万、大内2万の後詰と吉田郡山城の毛利5000(ただし、領内の民衆も足した数)で負けて、尼子久幸失っているよな。
0550人間七七四年
2018/09/08(土) 15:42:44.73ID:TDdGvtaAたぶん今伝えられてる長篠合戦の定説とはだいぶ違うと思う
0551人間七七四年
2018/09/08(土) 15:43:54.02ID:SwUPFwAXそれただ前線の将兵が頑張っただけで勝頼の判断関係ないじゃん
無謀な攻撃だったら数時間持ちこたえることもできず
一方的に突き崩されるはずだっていうのもちょっとよくわからん
0552人間七七四年
2018/09/08(土) 15:44:36.36ID:DDKBmppk0554人間七七四年
2018/09/08(土) 15:53:55.89ID:5K5c6eMcえー・・そんな理由かよ
織田軍クラスまで装備整えないと、万で囲んで500の城取れないんだ?
いやー参ったなあ
0556人間七七四年
2018/09/08(土) 16:01:28.83ID:hTs1FrhO前にも言われていたが城攻めと言うのはカネがかかる
力攻めすれば損害が甚大になりその後の穴埋めに苦労するし
貧乏な武田は城攻めが苦手なんだよ
信玄とて堅固でも何でもない野田城なんて小城に一か月もかけてるんだぞ
0557人間七七四年
2018/09/08(土) 16:01:56.24ID:P+fmZFSJ相手が仕掛け無いと意味の無い布陣って、100年戦争のクレシーとか、アジャンクールとかの
イングランド王軍だよね。
でも、この事例はフランス王軍が兵数にして推定3〜5倍って圧倒的な有利さが有っての事だし。
自軍の方が兵数少ない状況って、勝頼には甲斐兵はサイヤ人に見えてたのかな?
百年戦争でも、天才肌のベルトラン.デュ.ゲフランが出ると仕掛け無いければ良いって単純な
答えで無効化されてる。
でも、死後にアジャンクールが有るあたり、猪武者は学習しないというか。
0558人間七七四年
2018/09/08(土) 16:07:15.05ID:zz/RT9bIわからんよ
0559人間七七四年
2018/09/08(土) 16:10:15.41ID:zz/RT9bI意味不明
無謀な攻撃だったら(以下略)とか誰も言ってないから
0560人間七七四年
2018/09/08(土) 16:13:37.29ID:j6e28Zbtあれは引き分け、もしくは織田方の負けだったと分析してたな。
実際、戦が終わった直後に織田・徳川は領国へ帰国し防衛側の浅井はその地に留まれたから
というお話だった。
0561人間七七四年
2018/09/08(土) 16:15:09.52ID:SwUPFwAX逆にそんなホイホイ落ちるなら手間かけて城なんて
築かねーよという話になってくるわな
あと強いて言うなら武田軍は事前工作で落とせる見込みのある
城を取るのに慣れてたんで実直に守り固める相手は相性悪かったとか
勝っても得るものがない戦だから士気が振るわなかったとか
可能性はいくらでもある
少なくともだらだら城囲み続けて疲労し士気下がりまくった軍で
最初から織田徳川と決戦するつもりだったとするよりは
まだ幾分理屈で説明できるアホさ
0562人間七七四年
2018/09/08(土) 16:27:21.78ID:SwUPFwAX武田軍が善戦したことを以って無謀な攻撃でなかったと主張する
流れだと思っていたが「無謀な攻撃(以下略)」が適切でないなら
なぜ戦闘時間の話になる?
0563人間七七四年
2018/09/08(土) 16:32:58.23ID:VMP6UszB誰がやっても信長が布陣完了した時点で顔面蒼白の最悪な事態でしょ?
そもそも城攻め中に援軍が来ると前面背面に敵を抱える事になり殆ど勝ち目がない
援軍が少数でも大混乱に陥り指揮がまともにとれず大敗北に直結するのは歴史が証明してるだろ
0564人間七七四年
2018/09/08(土) 16:36:27.10ID:5K5c6eMcでも長篠城取れば信長来る理由はなくなるし、奥平を見捨てた徳川は求心力低下は避けられない
まさに1581年の高天神陥落後の武田状態になるわけなんだがな
それを500だけ守る城落とすだけで達成できるんだから、カネかけて損害出してまで攻める価値あるよね
>>561
長篠城囲むまでに武田軍は三河の足助城や二連木城などをさっさと落としてるし、
さっさと落としたから周辺の城主もいくつか自落してるよ
0565人間七七四年
2018/09/08(土) 16:59:55.14ID:9vx8DuV8織田でいうと柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、佐久間信盛の四人の重臣のうち三人が死んだ状態で
他の有望な中堅武将も討ち取られて大敗したのに善戦したと言い張るのが面白いですね
善戦したというなら上記の織田の重臣三人は戦死してないと釣り合わない
0566人間七七四年
2018/09/08(土) 17:07:07.33ID:fGmn13Er逃げ延びることが出来たから「善戦」なんだろ
0567人間七七四年
2018/09/08(土) 17:22:51.00ID:9vx8DuV8勝頼が命辛々逃げられた状況を「善戦」と言うんか
知らなかったわ
俺は「惨敗」という言葉しか思い浮かばなかったが
0568人間七七四年
2018/09/08(土) 17:30:39.07ID:qZO2qOjh>そもそも城攻め中に援軍が来ると前面背面に敵を抱える事になり殆ど勝ち目がない
後巻き決戦も知らんのか
0570人間七七四年
2018/09/08(土) 17:39:50.90ID:qZO2qOjh頼むから会話をしてくれ
0571人間七七四年
2018/09/08(土) 17:46:43.74ID:HALbqjuR>>568 がこれから後巻決戦で倍以上の援軍撃破した
具体的な事例紹介してくれるんだろ、黙って聞けよ
0572人間七七四年
2018/09/08(土) 17:54:01.74ID:HkRmTpG+0573人間七七四年
2018/09/08(土) 17:54:38.12ID:j6e28Zbt0574人間七七四年
2018/09/08(土) 17:58:10.23ID:HkRmTpG+勝頼は正面作戦しかできない脳筋でしょうね。だから多分知らないかと。甲陽軍鑑にある勝頼像って創作ではないと思います。
0575人間七七四年
2018/09/08(土) 18:15:09.15ID:U9etoAHlめんどくさいから探さないけど
0577人間七七四年
2018/09/08(土) 19:02:46.47ID:9vx8DuV80578人間七七四年
2018/09/08(土) 19:45:34.03ID:/OIx2TAn武田7000
砥石城500援軍2000
吉田郡山城の戦い
尼子約30000
毛利2400 大内10000
厳島の戦い(宮尾城)
陶20000
毛利5000〜8000
末森城の戦い 末森城
佐々10000
末森城1500前田2500
川越夜戦 川越城
連合→兵力優勢
北条→兵力劣勢
逆パターンならまだまだあるからねぇ…
0579人間七七四年
2018/09/08(土) 19:47:07.04ID:xEInYs2A秀吉の鎌刃城救援とか?
0580人間七七四年
2018/09/08(土) 19:48:21.34ID:xEInYs2A0581人間七七四年
2018/09/08(土) 19:48:47.83ID:/OIx2TAn詳しい人教えてくれや(・3・)
0582人間七七四年
2018/09/08(土) 20:11:57.79ID:zz/RT9bI0583人間七七四年
2018/09/08(土) 21:20:58.61ID:9vx8DuV8遠征側の兵力が劣勢で野戦を挑むとか普通はやらないからな
勝頼はそれをやってしまったから歴史上でも稀な大惨敗をしてしまったわけだけど
0584人間七七四年
2018/09/08(土) 21:59:39.93ID:zz/RT9bI兵力差がそこまでとは思ってなかったのと、信長に戦意が無いのではと勘違いしてしまったことや
勝頼としては逃げずに戦って勝つことで自身の権力基盤を確立したい思いがあったり
勝頼と不和だった重臣層らも、勝頼の意を組んで戦うことで自身の立場を安定させたい思いがあったのではないかと、研究者さん達が言ってるのだよ
0585人間七七四年
2018/09/08(土) 22:04:02.23ID:9vx8DuV8>信長に戦意が無いのではと勘違いしてしまったこと
一次史料の書状では完全に信長と家康を舐め腐ってて
敵の策を看破する知能を感じなかったんだよな
0587人間七七四年
2018/09/08(土) 22:11:43.84ID:G1FTq9K/戦う相手は家康だと思ってたということか
信長は兵の消耗を恐れて本気で動かないと思ってたら
予想外に鉄砲を持ってて武田側が削られた
0588人間七七四年
2018/09/08(土) 22:27:57.65ID:zz/RT9bI勝てると思ったから決戦を挑んだ
ただそれだけのことだよ
なにも間違ってない
0589人間七七四年
2018/09/08(土) 22:33:28.77ID:zz/RT9bI決戦への決断を後押しした背景に、武田家のそういった独特な事情があったんじゃないかなってとこでしょ
そこはあくまで想像の範囲だから、それ自体を批判されるようなものではないと思うのだが
0590人間七七四年
2018/09/08(土) 22:45:49.18ID:pt79V5Dl基準がすごく気になる
0591人間七七四年
2018/09/08(土) 22:48:57.18ID:j6e28Zbt勝頼は司令官としては有能だけど総司令官の器ではなかったよね。
0592人間七七四年
2018/09/08(土) 22:52:07.97ID:j6e28Zbt0593人間七七四年
2018/09/08(土) 22:58:18.71ID:DDKBmppk0594人間七七四年
2018/09/08(土) 22:59:50.58ID:9vx8DuV8>そこはあくまで想像の範囲だから、それ自体を批判されるようなものではないと思うのだが
515:人間七七四年 2018/09/08(土) 06:39:03.56 ID:zz/RT9bI
別に無謀な戦いを挑んだわけじゃないじゃん
戦術による失敗にこだわる人は二次史料とか講談、漫画や小説の影響受けすぎだろ
人の意見にケチつけておきながら
自分は史料にもない想像の範囲という願望を語るってかw
0595人間七七四年
2018/09/08(土) 23:01:40.47ID:j6e28Zbt0596人間七七四年
2018/09/08(土) 23:15:36.58ID:N8NJgG0w実話だろ
その姿に感動したやつが旗指物に張り付けのスネエモンの絵使ってたって案件もあったはず
なんかの資料で画像見たわ
0597人間七七四年
2018/09/08(土) 23:31:51.54ID:SwUPFwAXこの時代普通なの?
0598人間七七四年
2018/09/08(土) 23:35:37.83ID:zz/RT9bI待て待て馬鹿
想像って言っても個人的な想像ではなく
丸島氏や平山氏が史料を元にして自身の著書で書いた話なんだけど
0599人間七七四年
2018/09/08(土) 23:37:27.70ID:zz/RT9bI0600人間七七四年
2018/09/08(土) 23:42:54.99ID:9vx8DuV8俺は一次史料の書状で勝頼は信長と家康を舐め腐ってて
勝頼自身に敵の策を看破する知性がない無能と言っている
学者も二次史料を参考にしていてお前のは伝聞の伝聞で二次史料以下の願望
二次史料を否定する物ではない
0601人間七七四年
2018/09/08(土) 23:53:50.26ID:zz/RT9bI支離滅裂
0602人間七七四年
2018/09/08(土) 23:59:19.56ID:QN6QVF0U諜報失敗、敵の考えを勝手に断定、戦場以外の思惑で突撃開始、
部下は部下で保身のため大将に従うだけな組織
ダメだろ…
0603人間七七四年
2018/09/09(日) 00:22:59.62ID:1IRPPtF2しいて言えば、カエサルのガリア戦記に有るアレシアの戦いなんでは?
アレシア包囲中のカエサル軍の背後から、ガリア連合軍が攻めかかったのに撃退した戦い。
でも、これはアレシア包囲網の外側に防護柵を巡らして撃退だから丁度逆ですね。
長篠とは逆に攻城側が作った堅固な防御陣地に、後詰め軍が突撃して大損害。
0604人間七七四年
2018/09/09(日) 00:28:57.41ID:XMjtDLUA「予算使って研究する価値のある興味深い人物、組織」なんだと
アピールしなきゃならんし、子孫の方に協力いただいてる場合もあるし
何より好きだから研究してるんだろうし
同じ行動でも見方言い方によって印象は変わるけど、
評価として好意的な方に偏りがちだから鵜呑みにするのはちょっと
仮に小説に史実と同じ行動とってるキャラクターがいたとして
そいつの行動に違和感覚えないのかといわれると
0605人間七七四年
2018/09/09(日) 00:36:55.42ID:rk7i0rxB信長公記にも勝頼が川を越えて設楽原に来なければこんな惨劇にはならなかったと書かれているから
設楽原に行かずに長篠の断崖絶壁の川を利用して堅固な防御陣地を構築してれば良かっただけなんだよな
信長が長篠にすぐに向かわなかったのは長篠周辺は断崖絶壁もあり、狭く
大軍の兵力の利を生かせなかったから拓けた設楽原で陣を張った
そして、信長の思惑通り勝頼がノコノコ設楽原まで来てしまったから惨劇が起こってしまった
0606人間七七四年
2018/09/09(日) 01:01:31.86ID:VX6mILmDわざわざかたじけねえ
でもテクノロジーも軍制も経済システムも違う長篠には
適用できそうもないな…
>>605
本当に鉄砲三千丁もあったかは微妙だが、
柵に囲まれた狭い範囲に一万以上密集してたら鴨撃ちでは
物資の補給集積も困難だし、背後にプレッシャー抱えながら城攻めも難しい
援軍の着陣前に撤退しなかった時点で負け確だと思う
0607人間七七四年
2018/09/09(日) 01:13:49.23ID:Xe5ndIDQというか、素質のなさだな。
2つの河川の合流点に建っていて片側は
絶壁なので、落としにくい城だった。
特に水源のある要衝なので、真っ先に守りを
固めないといけないにも関わらず、とにかく
後手に回りそれが、敗戦に繋がったと
見ている。
同じような例で桶狭間における鳴海の城。
これは今では住宅地にポツンとある小さな
城だが、当時は海に近い要衝の地であった。
この城を拠点として織田領を侵略していたが、
信長の計略にはまって鳴海の城の城主を
今川義元は殺してしまった。
これが後手に回るきっかけであり、その
結果桶狭間の敗死につながった。
同じことが、関ヶ原の岐阜城でもあったが、
割愛する。
0608人間七七四年
2018/09/09(日) 01:46:53.21ID:rk7i0rxB火縄銃の命中率の悪さから柵に誘き寄せての近距離で撃ってたんだけど?
鴨撃ちって。。。
ライフリングされて飛距離と命中率が向上した近代の銃と勘違いしてるよね
0609人間七七四年
2018/09/09(日) 01:56:47.08ID:7DLxaPoq両軍が無数に砦を築いて敵に一切の隙を見せないという戦だったけど
なんで勝頼はそうしなかったんだろ?
0610人間七七四年
2018/09/09(日) 02:21:59.31ID:9OYtTOiP勝頼は勝つための戦だから最初から全然違う
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