武田勝頼について Part8
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0001人間七七四年
2018/08/27(月) 12:18:26.77ID:4R6A/kxRhttp://itest.5ch.net/matsuri/test/read.cgi/sengoku/1529375628(Part6)
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0374人間七七四年
2018/09/05(水) 14:27:49.74ID:kQbhREgB0375人間七七四年
2018/09/05(水) 14:32:46.29ID:hmoedsLl武田の戦国大名化は遅すぎたってことなんだよ
関東は応仁の乱より30年以上前に戦国時代に突入したわけ
上杉や鎌倉公方とその周辺の大名は武田が戦国大名化する100年近くも前から戦っていた
この辺で武田は上杉に荷担して一度甲斐から追放されている
このおかげで武田の戦国大名化が遅れた
ライバルである上杉今川北条長野は武田が戦国大名化する前から戦っていたわけ
信虎の時代、甲斐は今川北条に狙われて穴山が今川、小山田が北条と
甲斐は今川北条の代理戦争の戦場になっていた。つまり武田は滅亡の危機だったんだよ
信虎は早急に戦国大名化を迫られていた。結果、強引に統一したせいで国人衆に恨まれクーデーターを起こされる
これも武田の戦国大名化が遅れたせい
織田や美濃の大名は近畿の大名。関東は全国より先に戦国時代に突入していたことをまず理解しないと
この遅れが信玄勝頼を苦しめた
0376人間七七四年
2018/09/05(水) 15:49:55.61ID:4W3gzwX7>上杉や鎌倉公方とその周辺の大名は武田が戦国大名化する100年近くも前から戦っていた
その連中は応仁の乱以降に関東にやってきた後北条に簡単にシメられちゃったねえ
0377人間七七四年
2018/09/05(水) 18:01:55.27ID:uCHF1bD6後は精一杯頑張って史実の結果じゃないかな?親族や近隣国人だけでも
服属させたり、討伐したりは大変。今川だって内乱やっている間に
隣国で自立した元客将=北条と戦う羽目になったし。
0378人間七七四年
2018/09/05(水) 18:09:02.81ID:xNQBJLQO特に外交能力は勝頼は元より信玄より優れてたと思うわ
やたら貶められてるけど信玄が飛躍できたのは
信虎が土壌を築いてくれたおかげだよ
特に早くから義元の力を見抜いての今川との同盟の功績は非常に大きいと思う
まあその後信玄がメチャクチャにしちゃったけどさ
0379人間七七四年
2018/09/05(水) 18:39:46.89ID:uCHF1bD6信濃征服までは既定路線だろうけど。
0380人間七七四年
2018/09/05(水) 18:40:17.29ID:PXeJVdrZ1507年 父(信縄の死去に伴い)9歳〜13歳の頃に家督相続
1508年 信恵たちを倒し武田宗家統一を果たす
1510年 小山田氏を倒し、実妹を嫁がせ服属させる
同年 諏訪頼満の侵攻を受け北杜市周辺が攻略される
1515年 今川家の侵攻を受け、穴山氏は今川家の傘下に入り
さらに大井氏にも叛乱され信虎は大惨敗をする。
1517年 今川家と和睦
1518年 守護所を甲府へ移転するとともに躑躅ヶ崎館の建設に着手し、
城下町(武田城下町)を整備し、有力国衆ら家臣を集住させる
1520年 叛乱した大井氏とも和睦し娘を正室に向かえる(屈辱的な和睦)
同年 栗原信重・今井信是・大井信達等が躑躅ヶ崎館を無断退去したため成敗する
1521年 河内へ侵攻し今川方の武将であった富士氏、穴山氏、福嶋氏を撃破し甲府から今川勢を駆逐する
同年 従五位下に叙せられる
その後も相模、信濃などの数々の戦いに常に参入し休む間もなく戦い続ける。
1541年 娘婿の今川義元と対面するため駿河へ旅行、帰国時国境で晴信に足止めされ追放される
凄い一生ですな。 どう見ても有能
0381人間七七四年
2018/09/05(水) 18:42:25.53ID:kQbhREgB0383人間七七四年
2018/09/05(水) 19:20:48.58ID:PXeJVdrZ相模の地に相当執着があったのだろうか。
0385人間七七四年
2018/09/05(水) 20:35:49.45ID:LVPo+R6Y嫌気さした重役が共謀して解任したものの、よくよく業界を見渡したら
過労死するくらい働かないと会社が潰れて死ぬしかない状況だと気付く。
今さら先代を呼び戻したら気まずいので、やらせてみたら経営方針が
先代に生き写しな2代目にそのまま仕えました――みたいな感じかね。
0386人間七七四年
2018/09/05(水) 20:43:39.98ID:Es4oPk3v信玄が構想していた新しい幕府体制は「新鎌倉」
相模国のほしのや(星の谷)に幕府を築こうと考えていたと甲陽軍鑑に記載されている。
0387人間七七四年
2018/09/05(水) 20:49:10.59ID:Es4oPk3v信虎を追放したのは晴信を担いだ連中
そいつらは義信を担ぎ上げて同じことをしようと画策したが今度は失敗した
0388人間七七四年
2018/09/05(水) 20:55:43.79ID:PXeJVdrZ家臣たちも嫌気がさしてたんだろうね。
0390人間七七四年
2018/09/05(水) 21:36:20.59ID:6eyV5etz20年間?
信虎は10年しかない。
それと佐久郡に領土は拡大している。
いうならば外征やった数に得た領土が見合ってない。
0391人間七七四年
2018/09/05(水) 21:38:22.54ID:6eyV5etz信繁が跡を継ぐしかないな。
同母だし能力的には問題ない。
ただ、信繁が長生きしないとその次で武田は終わる。
0392人間七七四年
2018/09/05(水) 22:19:34.59ID:CrcX8zaz貧乏大名だから1回大敗したら終わり。
後は押され続けて滅亡。
太平洋戦争の帝国海軍みたいな。
全部貧乏が悪いんや。
0393人間七七四年
2018/09/05(水) 22:31:00.84ID:6eyV5etzビンボーが悪いって。
あの頃の日本軍も内部対立とか深刻だったし。
武田が諏訪の勝頼に一物を持って完全にまとまることが出来なかったのと同じだよ。
0394人間七七四年
2018/09/05(水) 23:09:02.23ID:kQbhREgB0395人間七七四年
2018/09/06(木) 00:22:26.48ID:GbggdiPL物事が全く分からない人?
0396人間七七四年
2018/09/06(木) 00:46:43.07ID:BFdkAABX甲斐兵は尾張兵の三倍強いという話を勝頼は鵜呑みにしてしまったのか?
0397人間七七四年
2018/09/06(木) 01:58:50.72ID:goQLLwJFという信玄は狡い
0398人間七七四年
2018/09/06(木) 03:16:11.71ID:h+JFUstF信虎
対今川戦 穴山信綱・大井信達・信業が今川方に帰属。小山田大和守・飯富道悦・飯富源四郎らが戦死
信玄
対村上戦 宿老の板垣信方・甘利虎泰らをはじめ多くの将兵を失い、晴信自身も傷を負い甲府の湯村温泉で30日間の湯治
勝頼
対織田・徳川戦 土屋昌次、馬場信春、山県昌景、内藤昌豊、原昌胤、真田信綱・昌輝兄弟、河窪信実・三枝昌貞、高坂昌澄らが戦死
0399人間七七四年
2018/09/06(木) 06:26:07.29ID:BFdkAABX0400人間七七四年
2018/09/06(木) 07:25:30.28ID:bjhyqpj5室町・戦国期では、南奥羽や甲信越、駿河、伊豆まで含めて「グレーター関東」で
政局が連動するから仕方ない面もある。史実は小領主を各個撃破できる信州へ
武田は向かったけど、南関東で北条が成長しなかったら相模や武蔵へ押し出した
歴史もありえただろうし。
0401人間七七四年
2018/09/06(木) 08:17:02.70ID:h+JFUstFやはり武田信虎も信玄も信州なんて田舎に行きたいわけではなく
関東に押し出して源氏の棟梁となり将軍になるのが夢だったんだろうね。
その野望が三国同盟で断たれたわけだけど。
0402人間七七四年
2018/09/06(木) 14:03:19.29ID:iRXHsFCI甲斐も関東とは無縁ではいられないよな。
0404人間七七四年
2018/09/06(木) 15:14:00.22ID:z71PhQAD信玄は大井夫人の息子だよね?
何か、信玄見ると昔を思い出すとか?
和陸時では、信虎は形だけ主君に見える。
0406人間七七四年
2018/09/06(木) 16:14:31.95ID:goQLLwJF信玄晩年の西上なんて、古参からしたら「はい?」って感じだったかもね
0407人間七七四年
2018/09/06(木) 19:31:28.25ID:giAn42UP0408人間七七四年
2018/09/06(木) 19:57:02.29ID:kFZKiL3n結局一番よかったのは信玄が今川攻めて北条と断絶した時に
織田・徳川との同盟を堅持して北条を攻めればよかったのか
0409人間七七四年
2018/09/06(木) 19:58:00.91ID:kFZKiL3n0410人間七七四年
2018/09/06(木) 20:30:11.53ID:bkgE2whbもはやそんな呼び方しないだろ
0411人間七七四年
2018/09/06(木) 21:08:55.77ID:bkgE2whbそんな根拠のない話してどうする
本気でそう思ってたらそもそも北条とは組まないよ
0412人間七七四年
2018/09/06(木) 21:12:01.12ID:6GasHmDr0413人間七七四年
2018/09/06(木) 22:00:44.66ID:h+JFUstF組織として明確な目標が無いと行き当たりばったりに無駄な戦ばかりする一生になる。
そういう意味では関八州の覇者という明確な目的を持ってた北条家の方が
しっかりしてたと思う。
0414人間七七四年
2018/09/06(木) 22:15:19.38ID:bkgE2whb関八州の覇者なんてソースあるの?
0415人間七七四年
2018/09/07(金) 00:15:33.90ID:QgxDVYwN武田よりも上洛の可能性があった毛利元就だって九州侵攻
0416人間七七四年
2018/09/07(金) 00:23:50.67ID:JTQO7SDY「お前らの主君じゃないし内では好きにしてもらっていいけど、
実力は俺が一番だから仕切らせてもらうわ」ってイメージなんだよな
北条は制圧した領土を自家流の統治システムで
治めてるんで大分印象異なる
0417人間七七四年
2018/09/07(金) 03:12:54.97ID:DJt8UuTD元就が上洛の可能性あったとか噴飯ものだわ
厳島合戦でようやっと安芸一国の覇権を確定させてそっから大内滅ぼす→大内の遺領を巡って大友と対立&中国の覇権を巡って尼子と対立の時点で60近い高齢
尼子を倒してようやく中国地方第一の勢力にのし上がった時にはすでに70歳すぎのジジイ
隆元が死んだせいで後継者は幼年の輝元だしでこれで上洛なんかできるわけがない
元就の経歴と年齢くらい把握しとけば誰でもわかることだ
0418人間七七四年
2018/09/07(金) 06:01:07.13ID:n+mCtQRX中国地方だけ20-30年ズレてたとしても
元就なら上洛野心は抱かなかっただろう。
0419人間七七四年
2018/09/07(金) 06:07:56.95ID:HUPdzFti上洛と天下取りは別物だから。
長尾・上杉は2回上洛したしな。
武田信玄や毛利元就が上洛した場合でも、織田や豊臣のような天下様にはならないかな。
0420人間七七四年
2018/09/07(金) 06:27:23.18ID:S1FuevX2何年前から止まってんだろう
0421人間七七四年
2018/09/07(金) 07:53:25.07ID:uK8TRhyT0422人間七七四年
2018/09/07(金) 08:02:05.01ID:m1bKG7in長篠は大惨敗ってっレベルじゃねえからな・・・
討ち死にしたメンツだけ見ても、武田家臣団の瓦解だから
立て直しはほぼ無理な状況
0423人間七七四年
2018/09/07(金) 08:17:19.35ID:uK8TRhyT例外はアレクサンダー大王とか光武帝くらいで
普通は何度も負けてる。でも「決定的な負け」にせず
天下を獲る人はしぶとく復活するという習性がある。
0424人間七七四年
2018/09/07(金) 08:21:36.41ID:M4v+QQ4M0425人間七七四年
2018/09/07(金) 08:27:53.55ID:uK8TRhyTなんの未練もなく岐阜にとっとと帰国した点だな。
まだ畿内を押さえるほどの力は自身にないと冷静に判断してる。
0426人間七七四年
2018/09/07(金) 08:47:37.21ID:ReTmaQsq全ての戦国大名が天下統一目指してたとか上洛目指してたとかさ
そういうの幻想だから
信長もたまたま足利義昭というカードが舞い込んできて成り行きで上洛しただけで
あくまで領土拡張が目的で戦ってただけだし
伊達政宗が天下統一云々なんて話聞くと吹くわw
0427人間七七四年
2018/09/07(金) 08:52:53.81ID:uK8TRhyT将軍職か執権職(実質将軍)を欲してたよな。そこには一定の目標・方向性・彼等なりの大義があったと思う。
0428人間七七四年
2018/09/07(金) 09:17:56.67ID:ReTmaQsq関東管領なんかになったところで可能性ゼロでしょ
それこそ最後は上洛して畿内も制圧しないと
0429人間七七四年
2018/09/07(金) 09:33:06.69ID:j1rcRB+Gそして誰もいなくなった。。。
0430人間七七四年
2018/09/07(金) 09:45:05.65ID:uK8TRhyT関東を完全掌握する者が現れてたら、
0431人間七七四年
2018/09/07(金) 10:06:28.48ID:uK8TRhyT哀れとか思ってたんだろうか。もしかしたら「なんで僻地の諏訪なんかに行かなきゃならんねん」
くらいに思ってたかもしれないな。
0432人間七七四年
2018/09/07(金) 10:27:17.30ID:zSwgMFgv三方ヶ原で徳川が叩き潰されてもまだ降伏せずに籠城続ける奴らもいたし
0433人間七七四年
2018/09/07(金) 10:30:48.77ID:C1567JH2徳川叩き潰されたって。
家康も主力重臣も討たれてないのに降伏するわけないよ。もし家康か、主力重臣が5人くらい討たれていたなら、戦意を失い降伏か逃亡したと思うよ。
0434人間七七四年
2018/09/07(金) 10:34:47.19ID:zSwgMFgv長篠みたいなのが異常な例外なだけ
0435人間七七四年
2018/09/07(金) 10:52:18.14ID:C1567JH2耳川、沖田畷、戸次川、根白坂、桶狭間、上田原、川中島、戸石と武将がそれなりに戦死した戦いはあるよ。
というか、武田は武将が戦死しすぎ。
上田原、戸石、川中島と。あれだけ経験して、長篠で生かせられないんだよな教訓を。
0436人間七七四年
2018/09/07(金) 10:58:36.28ID:uK8TRhyT家康を殺しとけば三河は容易に手に入っただろう。
信長も既成事実を作られたら家康や三河の事は諦めて信玄と仲良くなってたかもしれない。
(それが尾張、美濃を安泰にするのに役立つから)
0437人間七七四年
2018/09/07(金) 11:14:45.18ID:v9Y7RiqT0438人間七七四年
2018/09/07(金) 11:22:59.95ID:uK8TRhyTむしろ意固地になる性格だろ。
0439人間七七四年
2018/09/07(金) 11:29:11.63ID:rnvKqtJA武田が奥三河から三河に侵攻したらむしろ抗議してくるくらいの勢いじゃね?
うちの勢力範囲に手を出すなと言って
0440人間七七四年
2018/09/07(金) 11:32:23.55ID:uK8TRhyT当時の氏真の勢力範囲を考えたらそれは妄想すぎるだろ
0441人間七七四年
2018/09/07(金) 11:37:20.95ID:uK8TRhyT諏訪湖から流出する天竜川を沿いに下りならが支配領域を伸ばしていったら
自動的に浜松市から海に出てしまうわけだから。
信玄と徳川はお互い対決するべくして対決したとしかいえない。
もし川中島をあっさり信玄が手にするなり逆に諦めてたら
史実とは比較にならないほど早く徳川家康と対決する羽目になってた、
0442人間七七四年
2018/09/07(金) 12:11:51.18ID:tq+v/9dM遠州の家臣の反乱すら押さえられない氏真が信玄にそんな抗議できるわけないよ。
長篠で不思議なのは、何で勝頼も重臣も、せめて織田・徳川を陣城から誘き出す挑発くらいしなかったのかな、と思う。
兵力2分の1以下、陣城に何の裏工作もせずに正面から突撃、背後の砦を落とされる。
何考えてるの武田は? せめて陣城から誘き出すくらいのことはすべきではないの?
0443人間七七四年
2018/09/07(金) 13:46:11.79ID:S1FuevX2そもそもそのレス全体が意味不明
0444人間七七四年
2018/09/07(金) 14:01:33.73ID:S1FuevX2大義名分が必要なんだよ
ただ自分の野望のためだけに上洛して畿内制圧は無理だし
周りを敵にしてそんな強大な勢力は持ち得ないから
信長は義昭から声がかかったから将軍を補佐する大義名分を得て強大化できたわけだ
0445人間七七四年
2018/09/07(金) 14:05:51.12ID:2UzGMNhQ単純に退路を作るための突撃
織田徳川軍の目の前を通って北上する場合、勝頼本軍を通過させるために織田軍を押さえ込む必要がある
東へ退却する場合、長篠城と酒井の別動隊から攻撃と織田徳川本体で挟み撃ちにされる恐れがあるから
織田徳川本体を押さえ込むための突撃
要は織田徳川3万が到着した時点で時間切れで武田の敗北
勝利の条件は長篠城を落とすこと。徳川の別動隊に砦を落とされた時点で武田軍は長篠城と織田徳川の3万に挟み撃ちされる危機的状況
ここから安全に勝頼を退却させるためにはどうしても織田徳川3万を抑える必要がある
0446人間七七四年
2018/09/07(金) 14:23:03.16ID:tq+v/9dM勿論、大敗には変わりないし有力武将も何人かは失うけど、史実よりは何人かの重臣が生き残れる可能性はある。それに長篠あたりは山岳地帯だから大軍もあまり効果的には運用できないだろうし。
0447人間七七四年
2018/09/07(金) 14:27:20.99ID:2UzGMNhQ夜がどうとかの問題じゃないよw
0448人間七七四年
2018/09/07(金) 14:29:33.70ID:tq+v/9dMつまり陣城に突撃などせず、ひたすら逃げ出す。
勿論、追撃を受けるのはわかりきってる。
だからしんがりで何人かの有力武将と兵力数千は失う覚悟で逃げ出したら、まだ史実よりはマシな被害で済んでなかったのかな?
0449人間七七四年
2018/09/07(金) 14:38:04.05ID:2UzGMNhQ最大動員2万程度の軍事力だと再起不能レベルなんよね
そう簡単に見捨てていい数字じゃないんだよ
だから軍事の常識として武田は第四次川中島の損害で再起不能になっててもおかしくない
ならなかったのは戦国時代というのは、どこも総力戦をやってめちゃくっちゃな戦い方をしていた
よく考えたらわかるけど、他国を攻めて略奪しないと国が成り立たない時点で、先がなくて
経済とか政治とか成り立っていないんだよ。
つまりね、戦国時代が終わるのは時間の問題だった。スタミナがある大名が生き残る。
豊臣が滅んだのも、経済を回らんから朝鮮を攻めて自滅したと。
武田も厳しかっただろうね。自分は退却戦と書いたが、玉砕覚悟で決戦を挑んだのもあるかもしれん。
0450人間七七四年
2018/09/07(金) 14:44:28.51ID:2UzGMNhQこの危機的状況で判断できないでしょう
そら歴史の結果を知っているのなら、山県や馬場や真田兄弟を生かすぐらいはできたかもしれんが
0451人間七七四年
2018/09/07(金) 15:09:34.62ID:8aKG3ZbT援軍が敵軍(攻城側)より少なくても勝った例なら結構あるんだけと
0452人間七七四年
2018/09/07(金) 15:27:50.88ID:Ozac+a3S後詰部隊が到着した時点で基本的に負けなんだから
0453人間七七四年
2018/09/07(金) 15:42:23.49ID:PjaIXLt2横からだけど、光武帝は行き成り挙兵の初戦で大惨敗してるじゃん?
姉と、弟まで戦死する可成り悲惨な負け方。
挙兵の為の密使が宿場で急死するって究極なイレギュラーな不幸が有ったにしろ、源頼朝みたいに
初戦は惨敗してる。
実質的な大将が兄の劉縯にしてもね。
初陣の小長安の戦いで劉秀戦死でもおかしく無い負け方なんだし。
其の後巻き返して、南陽郡の宛を包囲中に新王朝の本気の討伐軍42万「百万で書いて有るのも」が
来たんで、潁川郡で敵軍の邪魔をして時間稼ぎする役の別動隊をやる。
所が昆陽で包囲されて、人生オワタ状態に成るも、場外に脱出して一万集めて昆陽包囲中の新軍に
奇襲「昆陽の戦い」して逆転勝利、新軍主力の足止めのはずが、壊滅させる。
その後華北を転戦した時も、王郎軍に追い詰められて敗走行して、凍結した川を渡り逃げたとかね。
軽く常人なら戦死する状況が三回も有った。
それが逆に、劉秀は天が味方してるってカリスマに成るんだから何と言うか?
何か、敗北が逆に天に愛されてる評価に成るのが天下取りの特徴。
0454人間七七四年
2018/09/07(金) 16:00:34.51ID:MU4fqe6A勝頼が長篠に来た道は長篠城の東だ
北は勝頼本隊が来た道ではない
長篠城と設楽原の間の北の道は山の起伏が険しく大軍で帰れる道ではない
本来の退路は長篠城の東な
0456人間七七四年
2018/09/07(金) 16:57:53.49ID:E9S/pO9Y0457人間七七四年
2018/09/07(金) 18:48:21.52ID:xLF2NqSq川中島で戦わない≒善光寺平が反武田信濃国人の策源地のままってことだぞ。
石高的に信濃侵攻の意味が半減するし、信濃各地に逆侵攻されて、伊那谷の
兵站線も危機で三河攻めどころじゃない。
0458人間七七四年
2018/09/07(金) 18:48:47.44ID:MU4fqe6A仮に待ってたなら大うつけなのは間違いないw
0459人間七七四年
2018/09/07(金) 19:48:42.67ID:YqPqKbWyそこまでマヌケなのか四郎さんという疑問はある
0460人間七七四年
2018/09/07(金) 19:54:43.02ID:VITp9Fse実際に間抜けじゃないか?
長篠後、今更みたいに新しい築城をしてるし。
しかも突貫工事で1年で。
これじゃ、外敵が攻めなくても武田は自滅するよ。
0461人間七七四年
2018/09/07(金) 19:57:23.44ID:m1bKG7inつうか謙信だったら長篠みたいな状況になったらすぐに退却してただろうか
0462人間七七四年
2018/09/07(金) 20:00:29.19ID:m1bKG7in最小限に抑えられただろうな
夜は鉄砲の命中率めっちゃ低かったらしいから、同士打ちもあったぐらいだし
0463人間七七四年
2018/09/07(金) 20:00:55.82ID:evhlwh7J信玄死後に織田包囲網が崩壊したから今戦わないと
どんどん織田との差が広がってしまうって焦りもあったと思う
それに信玄が西上作戦を中止した事で、反織田勢力の中で
武田の信用が低下した可能性もある
そのへんの信用回復の為に、織田と正面決戦する必要もあったかもしれない
0465人間七七四年
2018/09/07(金) 20:01:35.40ID:8aKG3ZbT0466人間七七四年
2018/09/07(金) 20:08:52.04ID:m1bKG7in変化させちまうところが凄いんだよな
勝頼もそういう戦い方が出来んかったのかなぁ
なんか無謀な突撃で玉砕しちゃった感じが否めない
戦は頭を使ってするもんだよ、謙信も戦国最強とか言われて、単身突撃みたいなイメージあるけど
軍の采配が卓越してるんだよな、「鞭声粛々夜河を渡る」って言われるぐらい夜の行軍が見事だし
自軍より多勢の敵を倒すにはどうすればいいかを知り尽くしてる感じだわ
0467人間七七四年
2018/09/07(金) 20:17:05.06ID:8aKG3ZbTわざわざ地元に詳しい連中監禁しとるんやからなw
0468人間七七四年
2018/09/07(金) 20:19:30.66ID:m1bKG7in当然相手の信玄は「一体何を考えてるのか・・・何か裏があるのではないか」と考える
しかし一向に動こうとせず、しびれを切らせた信玄が先に動きだした時、それを見抜いて先手を取って
夜の行軍で武田軍の目前で布陣とか・・・
「上策は敵も察知す。われ下策をとり、死地に入って敵の後巻(後援)を断たん」
まさに上の名言を地で行く巧みな戦術だな
勝頼もこういう戦い方をすれば長篠での惨敗は無かったんだけどな
0469人間七七四年
2018/09/07(金) 20:25:49.42ID:m1bKG7inまあ織田軍を陣城から誘い出すには、やっぱ川中島の謙信の様に自軍をわざと不利な状況に置いて
織田軍を油断させることだよな
まあノブなら警戒するだろうけど、警戒した時点で少なくとも持久戦には持ち込めてヘタに動けなくさせることが出来る
そして痺れを切らせて、陣城から織田軍が出撃してきたら一斉に攻撃をかける
それまでは絶対に勝頼からは攻撃は仕掛けないのが条件だな
そうすれば長篠みたいに一方的に壊滅するようなことは無いと思う
0470人間七七四年
2018/09/07(金) 20:27:35.44ID:LD3hrflXこれが最低限の条件だろうな
まぁそれができるのなら夜のうちにしれっと撤退した方がいいw
0471人間七七四年
2018/09/07(金) 20:29:56.52ID:MU4fqe6A長篠の時点で織田との国力の差は歴然なのに
それさえも分からなかった勝頼は大うつけって結論にしかならないなw
0472人間七七四年
2018/09/07(金) 20:31:34.06ID:KbQYpH1pさすがに謙信は参考にならないなぁ
真似してはいけない類の逸材だろう
川中島だけじゃなく、不満分子の多い越後で二回も上洛したのもキがおかしい
尾張以上に越後は遠く、政情不安な都になぁ…
越中も越前も味方とは限らない
0473人間七七四年
2018/09/07(金) 20:32:09.88ID:m1bKG7in戦術のアドバイスぐらいはしてもらえたんじゃなかろうか
0474人間七七四年
2018/09/07(金) 20:38:40.51ID:m1bKG7inもしくは「諏訪明神の化身」とか言われてただろうになぁ
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