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武田勝頼について Part8

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0001人間七七四年2018/08/27(月) 12:18:26.77ID:4R6A/kxR
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コピペ厳禁。
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「ねえ」を禁止用語とすること。
0011人間七七四年2018/08/28(火) 14:08:27.94ID:l/G3OHSQ
>>10
そうやって極端に物事を捉えるのはやめろと言ってるんだよ
0012人間七七四年2018/08/28(火) 14:12:24.65ID:O9wFPtA7
>>11
でも挽回って何したかな武田勝頼?
極端にとらえず、冷静に見てもそうならない?
まさか上州方面で北条氏政を押していたのが挽回とは言わないよね?
0013人間七七四年2018/08/28(火) 14:51:11.74ID:R5C1KItM
勝頼の評価

戦争は?   下手
外交は?   ド下手
内政は?   畜生レベル
人心掌握は? 語るに及ばず
0014人間七七四年2018/08/28(火) 15:13:27.77ID:O9wFPtA7
勝頼を弁護するなら、いきなり自分に後釜回されて帝王学もろくに受けず、一武将みたいに経験積まされただけで跡継ぎになったことかな?

でも織田信長、徳川家康、上杉謙信、毛利元就と勝頼以上に悲惨な状況で跡継ぎになった人たちもいるし、どうなんだろうか?
0015人間七七四年2018/08/28(火) 17:00:43.13ID:JT0vhi8l
なんでも親のせいにするのはいい加減にしろと言いたい
そんな言い訳通用する社会は存在しない
0016人間七七四年2018/08/28(火) 17:23:08.49ID:/E9oxViF
秀吉や前田利家や子飼いらも下っ端の教育しか受けてないけど大名やれてたからな
秀吉なんて何の教育も受けてないだろう

今川氏真、豊臣秀頼、徳川秀忠、織田秀信らとまともな帝王学を学んでた奴らのが戦場でダメなことが多い気が
0017人間七七四年2018/08/28(火) 17:31:31.12ID:Za9HAyCp
>>16
下っ端で上に上がれるのはまともな教育受けなくても何とかなるような化け物ばかりだからだろ
そうでない連中は出世が止まるから死ぬか名を残せず埋もれるか
それに対し上は凡庸でも名前は残るからw
0018人間七七四年2018/08/28(火) 17:39:55.72ID:w7cAt1dE
「挽回した、低評価するのは間違っている」と強硬に主張する一方
具体例は一切挙がってこない不思議
司令官としての能力や外交の拙さはちょっとフォローできないが
官僚機構整備して国人連合を脱しようとした点は為政者として悪くない判断だし
(やり方が悪くないとは言ってない)戦でも士官レベルとしては優秀といっていい
事実だけ見ればこれが精一杯の評だろう
0019人間七七四年2018/08/28(火) 17:44:31.53ID:w7cAt1dE
>>15
まあ親の生まれが悪いから俺はこれが限界なんてのはただの言い訳だが
相続放棄できない社会で親の残した多額の負債抱えたのは同情に値する
問題は事業立ち上げその利益で返済しようと考え、
更に借金増やした挙句経営に失敗したこと
0020人間七七四年2018/08/28(火) 18:00:00.56ID:JT0vhi8l
>>18
>官僚機構整備して国人連合を脱しようとした点は為政者として悪くない判断だし

信玄時代からの延長でしかないよ
それに上杉景勝や毛利輝元もどこも側近政治を始めていて時代の流れというほかない
国人連合という単語も意味不明
0021人間七七四年2018/08/28(火) 18:12:58.00ID:/E9oxViF
>>17
1562年 17歳で元服し高遠城城主に
1563年 勝頼初陣?
1565年 義信幽閉&廃嫡で勝頼が後継者に
1573年 信玄死去、28歳で武田当主へ


義信廃嫡から正式に後継者として教育されて信玄死ぬまでに8年は帝王学とやらは学んでるよね
城主経験も信玄死ぬまでに11年あるし、初陣出てから10年戦場経験もあるし
信長や家康は10代で当主でしょ?
これで勝頼の帝王学受けてないはちょっと、な
0022人間七七四年2018/08/28(火) 18:14:37.32ID:B0dnQkRK
勝頼は大名の器ではないけど
一軍の将としては有能だったと自分は思う
あそこまですごくはないけど呂布みたいなタイプだったんじゃない?
0023人間七七四年2018/08/28(火) 18:18:34.91ID:dfbkZ3Xv
領土面の「挽回」は上野と、御舘の火事場泥棒があるけど
北条を怒らせた割りには得たものが乏しかったな。
0024人間七七四年2018/08/28(火) 18:37:23.90ID:R5C1KItM
無理に勝頼を擁護するとしたら
勝頼は大塚家具屋姫みたいなもので
どんなに優秀であってもあれだけ巨大化した大塚家具は
誰が引き継いでも破綻確実だったのでどうしようもなかったよね
という同情の仕方はできる。
0025人間七七四年2018/08/28(火) 18:44:28.53ID:v6ljsUe5
>>21
帝王学を学んだ時期と城主経験って重複するのか? 少なくとも城主は11年もやってないだろ
0026人間七七四年2018/08/28(火) 19:20:06.92ID:Wc9uIc2k
>>20
少なくとも本国内に領内での独自運営が認められてた国衆が二人いたじゃなイカ
連合というには数は少ないかも知れないが
0027人間七七四年2018/08/28(火) 19:21:05.84ID:/E9oxViF
>>25
家臣団を引き連れる城主経験と城主から禄を貰う下っ端の武将とは立場が全然違うんだけどね
小者から這い上がってきた秀吉とか城主になったのは本能寺の変の9年前なんだよな
勝頼はそこらの一武将じゃなくて最初から領地を治める城主スタートなんだから
帝王学を何も受けてないってのは無理があるんだよね
0028人間七七四年2018/08/28(火) 19:25:03.45ID:AhtKOtHn
>>22
多少美化して言うなら島津家久みたいなポジだったら輝ける人材だったんだろうと思う
0029人間七七四年2018/08/28(火) 19:25:35.09ID:v6ljsUe5
>>27
そりゃ下っ端よりはマシだろうけど織田で言うなら信雄や信孝は帝王学を学んでいたと言えるか?
0030人間七七四年2018/08/28(火) 19:31:02.71ID:B0dnQkRK
>>28
ホントだね
義信の下だったなら
いい仕事したろうね
当主になってしまったのが勝頼の一番の不幸だわ
0031人間七七四年2018/08/28(火) 19:33:39.94ID:aVmjTs6X
>>28
家久はおもっくそ兄貴に後継者として期待されてたよな
まさか悪久の方じゃあるまいが
0032人間七七四年2018/08/28(火) 19:33:47.07ID:v6ljsUe5
>>30
義信に島津義久並の器量があるのだろうか
弟のほうが優秀だと毛利みたいに気苦労が多そう
0033人間七七四年2018/08/28(火) 19:35:06.02ID:/E9oxViF
>>29
>>16の下に挙げた人物たちは帝王学を思いっきり受けた奴等だろう
帝王学受ければ急に名将になるわけでもない
受けなくても天下統一した秀吉みたいに
結局は本人の能力次第ってこと
帝王学受けてもダメな奴はダメ
帝王学全く受けて無くてもできるやつはできる

帝王学なんてただの言い訳だ
0034人間七七四年2018/08/28(火) 19:53:40.75ID:aVmjTs6X
能力とか帝王学(かなり怪しい言葉)というか、実務経験を積む機会の有無の問題かな
秀頼や秀信はボンクラでいてもらいたい簒奪者の都合もあっただろうが
秀忠は関東統治のおかげで政治家としては大成したし
氏真は実務経験の乏しさゆえに体制の動揺、崩壊を止められなかった
勝頼も侍大将クラスとしての戦功そのものはあるけど、
総大将としての貫禄や判断材料の元となる経験が不足していた
0035人間七七四年2018/08/28(火) 20:06:55.79ID:g0ejv9fk
信長の信忠への権力移譲の形はまさに理想的だった
信忠も着実に経験と実績を積み上げ二代目に相応しい神輿になれた
0036人間七七四年2018/08/28(火) 20:07:43.17ID:v6ljsUe5
>>33
氏真や秀忠はともかく秀頼や秀信は笑うところ?
0037人間七七四年2018/08/28(火) 20:12:13.00ID:/E9oxViF
信長や家康は10代でいきなり家督継いだのに対して
戦場経験積んで28歳で家督継いでるんだから
むしろ勝頼の当主としての才能が無かっただけだろう
信玄も20歳前後で信虎追い出して家督継いでるし

帝王学()
0038人間七七四年2018/08/28(火) 20:23:30.82ID:g0ejv9fk
信長の信忠への権力移譲の形はまさに理想的だった
信忠も着実に経験と実績を積み上げ二代目に相応しい神輿になれた
0039人間七七四年2018/08/28(火) 20:26:55.88ID:aVmjTs6X
また才能とか怪しい言葉が出てきたw
信長は親父の生前から津島や熱田に睨みを効かせる
那古屋の主として今川と睨み合ってきた
家康は今川家中でも一軍の将として扱われてきたし
関東移封まで政治家としちゃ大したことない
勝頼の経験はあくまで一城の主、侍大将の一人としてであり
大国の主、総大将としての経験ではない
侍大将の視点で総大将として判断下すことに疑問が無かった点では
修正力不足という誹りは免れないけどね
0040人間七七四年2018/08/28(火) 20:29:11.46ID:lddj/NWp
何でも親や環境のせいに出来たら楽だよなあ
0041人間七七四年2018/08/28(火) 20:31:38.69ID:R5C1KItM
秀吉は信長の下で帝王学を学べた。
家康は信長や秀吉の下で帝王学を学べた。
森監督も広岡監督の下で帝王学を学べた。
0042人間七七四年2018/08/28(火) 20:32:32.71ID:aVmjTs6X
帝王学なんてものがあったのかどうかもね
せいぜい武芸と古典漢籍や詩歌なんかの一般教養くらいでしょ
政権や軍団の運用に活かす気なんて最初からない
組織運用力や外交力を身に付けるのはOJTに頼らざるを得ない
人間を相手にすることをマニュアル化できるわけないんだから
0043人間七七四年2018/08/28(火) 20:36:45.27ID:/E9oxViF
>>39
>大国の主、総大将としての経験ではない

当主になる前の信長も家康も信玄も経験してないじゃないw
0044人間七七四年2018/08/28(火) 20:37:58.56ID:v6ljsUe5
>>42
織田家の帝王学として嫡男に城を与えて自立させるってのはあると思う
親元で育った他家の嫡男とはそこが違う
0045人間七七四年2018/08/28(火) 20:38:10.74ID:R5C1KItM
賢人は愚者からも学ぶ
その逆は無いだから。

家康は義元からも信長からも信玄からも秀吉からも学んだが
勝頼が信玄から学べなかっただけだ。別に信玄が悪いわけでもない。
0046人間七七四年2018/08/28(火) 20:43:41.81ID:/E9oxViF
>>45
>家康は義元からも信長からも信玄からも秀吉からも学んだが
>勝頼が信玄から学べなかっただけだ。別に信玄が悪いわけでもない。


>信玄からも秀吉からも学んだが

これさあ
当主になる前じゃなく敵対して学んだってことでしょ?
勝頼も信長、家康、謙信等から学んだってならないとおかしくね?
もうめちゃくちゃだなw
0047人間七七四年2018/08/28(火) 20:45:06.20ID:R5C1KItM
>>46
勝頼は信長から学ばなければならなかった。
学ぶことはそれこそ山のようにあった。
経済政策から権力の行使の仕方まで。
0048人間七七四年2018/08/28(火) 20:47:18.05ID:/E9oxViF
>>47
学ばなくちゃならなかったけど本人は学ぶ気が無かった
勝頼本人の責任だよね?
0049人間七七四年2018/08/28(火) 20:47:34.45ID:R5C1KItM
信長は関所撤廃や楽市楽座は六角氏や斎藤氏から学び
築城術は松永久秀から学び、鉄砲術は明智から学んだ。
傲岸不遜で唯我独尊の信長ですら多くの人から学んでるんだよね。
0050人間七七四年2018/08/28(火) 20:57:34.92ID:aVmjTs6X
>>43
上半分読もうか
信玄の場合も担ぎ上げてくれた経験豊富な老臣の仕事ぶりから
自分の中で体系的に人使いの術を組み立てていっただけ
確かに勝頼は素直かつ柔軟に先人のやり方を取り入れる姿勢に
欠けているので複雑な構造の組織のトップには向いてない
ただ誰がトップでも武田家が一回こけたら経験生かして巻き返しというのが
困難な体質だったのも間違いない
ゲームじゃあるまいし優秀な奴は最初から高パラメータなんて期待するのはおかしい
0051人間七七四年2018/08/28(火) 21:04:48.89ID:/E9oxViF
>>50
結局は勝頼は戦略や大局を観る力、相手の策を看破するのを学ぼうとせずに
蒲原城攻めの頃から突撃を繰り返すDQNヤンキーみたいなまま当主になり
他者から学ぼうとしないまま長篠まで来てしまっただけでは?
それは親や境遇のせいではないよね?
本人のやる気の問題だから
0052人間七七四年2018/08/28(火) 21:23:06.16ID:aVmjTs6X
>>51
もしかして信長や家康が一度の失敗や挫折もなく
最大勢力、天下人に成り上がったと思ってるのだろうか?
信長が京に上った後多方面に敵を抱えたことは知ってる?
三方ヶ原って聞いたことあるかな?
一回こけたら再起不能な態勢だったら
信長は「ろくに外交できないのに調子こいたアホ」
家康は勝頼と同じ「猪武者」という扱いになってたでしょうが
武田家がそういう態勢になったことに信玄は完全ノータッチだったの?
0053人間七七四年2018/08/28(火) 21:32:17.27ID:/E9oxViF
>>52
長篠の大敗は歴史上稀な大敗だし
長篠の大敗後も北条との手切れ、高天神城見捨てるとか失策しまくってるんだけどね
0054人間七七四年2018/08/28(火) 21:32:34.08ID:R5C1KItM
長篠の戦いでの大敗北の後は遅かれ早かれ武田家は滅亡確定してただろうけど
それでも御館の乱での外交音痴ぶりは酷すぎるだろう。
その後の過酷な徴税や新府城建設もキチすぎる。
そういうのが無ければ「悲運の武将」の地位は揺るがなかったのにね。
0055人間七七四年2018/08/28(火) 21:47:13.72ID:I31PUogO
勝頼は生き残ることができなかったが、それでも俺の独断では北条氏政と同程度の評価
0056人間七七四年2018/08/28(火) 21:54:57.05ID:kZxs4TxV
勝頼の隣国の敵対国が信長と家康という史上最強の大名だったのが勝頼の悲運
信長や家康と較べたらお話にならないけど
隣国が氏真とか義景レベルだったら無双してただろう
0057人間七七四年2018/08/28(火) 21:56:28.38ID:R5C1KItM
氏政は政治家としては偉大だと思うけどなぁ
あれだけの大所帯なのに叛乱・内乱を起こさず
しかも民草から慕われてるなんて戦国時代の奇跡だと思う。
実際、家康も氏政の官僚機構・統治機構はそのまま受け継いだわけだし。
0058人間七七四年2018/08/28(火) 21:58:49.29ID:l/G3OHSQ
また個人の能力主義ですか
ゲームでもやってろよ
0059人間七七四年2018/08/28(火) 22:26:49.69ID:l/G3OHSQ
>>53
高天神はそもそも助けられるような状況じゃなかったから失策とかいう話ではない

見捨てたとかって、信長が他国に喧伝するときの言い方だろ
それ真に受けてどうすんの
0060人間七七四年2018/08/28(火) 22:28:12.89ID:aVmjTs6X
>>53
信長がどんな苦境でも対応策を打ち出せたのは祖父と父が
尾張国内の経済の要所を抑えといてくれたからだし、
清康の武名に着目した今川が家康を一軍の将として扱ったから
実績と経験を積み人望を集め「海道一の弓取り」と呼ばれるに至った
信玄は苦境に耐えうるバックグラウンドを残したかって話
特に外交は帝王学wとか才能wとか怪しげなものではなく経験次第
まあ修正の効く余地がないのにわざわざ手付けただけ無能とはいえる
0061人間七七四年2018/08/28(火) 22:37:11.07ID:/E9oxViF
>>59
家臣が籠城してるんだから後詰めを送るのが普通なんですよ
後詰めさえ送らず家臣と領地を守るのを放棄したから裏切りの連鎖したんだよ?
分かった?
0062人間七七四年2018/08/28(火) 22:40:06.97ID:/E9oxViF
>>60
>清康の武名に着目した今川が家康を一軍の将として扱ったから
>実績と経験を積み人望を集め「海道一の弓取り」と呼ばれるに至った


まるで今川時代に家康が完成されたようないいっぷりで笑えるw
勝頼と同じ一軍の将の立場を大袈裟に言っても中身がないのがバレバレですよ?
0063人間七七四年2018/08/28(火) 22:45:09.33ID:l/G3OHSQ
>>61
だから送れない状況だったと言ってんだろアホか
0064人間七七四年2018/08/28(火) 22:45:14.61ID:/E9oxViF
しかも今川時代の家康に比べたら高遠城主で諏訪を治める立場の勝頼のが明らかに上なのにw
0065人間七七四年2018/08/28(火) 22:46:24.41ID:l/G3OHSQ
>>60
清康の武名に着目したとか
勝手に話作るなよ
0066人間七七四年2018/08/28(火) 22:47:30.44ID:/E9oxViF
>>63
勝頼自らが招いた北条との手切れと
相手にもされないのに織田との和睦したいがために送らなかっただけなんだけどねw
0067人間七七四年2018/08/28(火) 22:52:55.80ID:aVmjTs6X
>>62
清康の実績が無ければ今川が家康をそれなりに遇する義理はないし、
松平なんていくらでもいるのに今川の下での戦歴が無ければ
岡崎での自立はともかくある程度三河の国人をまとめることができたかは怪しい
そういう積み重ねが無きゃその先だって無かったでしょう
0068人間七七四年2018/08/28(火) 22:55:08.53ID:r9PElZgY
>>60
経験次第
信雄「おっ、そうだな」
0069人間七七四年2018/08/28(火) 22:55:34.93ID:aVmjTs6X
>>65
×「清康の武名に着目」
→「清康がそれなりだったから広忠にも今川の傀儡となるだけの価値があり
  三河に利用価値があったから家康も厚遇された」
これでいいでしょうか
0070人間七七四年2018/08/28(火) 22:56:11.36ID:O9wFPtA7
>>63
送れない状況。

軍鑑では跡部勝資と信豊が、織田信長との和睦に支障を来たすかもしれないから送るな、とか言ったらしい。これが事実なら酷すぎる。
0071人間七七四年2018/08/28(火) 22:58:06.90ID:O9wFPtA7
>>60
信秀の晩年は結構失敗続きで、信長はかなり苦労したんだがな反対勢力に。祖父や父のおかげというのはどうだろうか?
0072人間七七四年2018/08/28(火) 22:58:25.55ID:/E9oxViF
>>67
今川時代に家康に高遠城クラスの城主に命じた記録もないし
勝頼みたいに家臣団引き連れて一軍を任された記録もないぞ?
ゲームのやりすぎじゃね?
0073人間七七四年2018/08/28(火) 23:03:10.14ID:l/G3OHSQ
>>67
清康の今川の下での実績ってなによ
0074人間七七四年2018/08/28(火) 23:07:22.96ID:l/G3OHSQ
>>69
また勝手に話作ってやがるな
清康がそれなりって判断された根拠はあるのか?
清康が優秀だとなぜ広忠が傀儡になる価値があるんだ?
そもそも実際のところ傀儡にもなってないだろ
0075人間七七四年2018/08/28(火) 23:08:51.82ID:l/G3OHSQ
>>69
三河に利用価値があったからとか意味不明すぎるな
根本的な部分からわかってないね
0076人間七七四年2018/08/28(火) 23:15:00.55ID:aVmjTs6X
>>72
既に地縁のある連中が最低限担いで大丈夫だと思う程度の経験があれば十分
>>73
「今川が広忠に利用価値を感じる程度の勢力を清康が築いていた」という意味
「今川の下の実績」は家康の話
0077人間七七四年2018/08/28(火) 23:17:24.19ID:/E9oxViF
>>76
>既に地縁のある連中が最低限担いで大丈夫だと思う程度の経験があれば十分

それだと勝頼の高遠城主でも十分な経験じゃないか
0078人間七七四年2018/08/28(火) 23:30:19.55ID:R5C1KItM
もし信玄が義元の立場だったら家康を殺し、三河の国人たちが一斉蜂起して
織田の傘下になりつつ今川家に徹底抗戦してただろうな。
0079人間七七四年2018/08/28(火) 23:34:33.01ID:l/G3OHSQ
>>78
三河の国衆はそんなに単純でもないし一枚岩でも無かったと思うけどな
0080人間七七四年2018/08/28(火) 23:35:49.63ID:R5C1KItM
>>79
でも義元が家康を人質にして今川家の代官が直接三河を統治したというのは
ベストな政治判断ではなかったか?
信玄だったら家康を殺してたろ。
0081人間七七四年2018/08/29(水) 00:24:22.35ID:UrwhShYc
上杉景勝
武田勝頼と違い御館の乱の内乱からスタートという苦境



1578年8月19日、勝頼と景勝は起請文を交わす
・北条勢の信濃通過をさせない
・景勝と縁組を行う
・景勝・景虎の和平が理由なく破綻したら和睦破棄する
※景虎自害後もなぜか勝頼は景勝支援



1578年9月下旬、景勝は上杉領の妻有城を武田氏に譲渡
妻有城は坂戸城と信濃を結ぶ位置にあり、
妻有城を廻り武田勢と北条勢を交戦させることを画策
8月19日の起請文に北条勢を通過させないことを約束させたために
北条勢は坂戸城を落としてから入越せざるを得なくなり、
上杉側も坂戸城に兵を集結するだけで良くなった



上杉憲政が景虎の嫡男・道満丸を連れて和議を申し出て御館から出てきた所を切られ死亡
景勝「急に出てきたから敵かと思って切っちゃったわ、ごめんごめん」



1579年3月24日 景虎が自害し御館の乱が景勝の勝利で集結
景勝は勝頼に上野(沼田・厩橋等)と北信濃の旧上杉領を譲る
※沼田城は後北条氏に制圧されてます
後北条氏に取られてるのに武田に譲るというミラクルな話術で
武田と北条を交戦させることに成功し、甲相同盟を決裂させる


景勝、なんて恐ろしい奴
勝頼なんてまんまと都合良く利用されただけという
0082人間七七四年2018/08/29(水) 00:49:18.37ID:gzreCE3Q
>>77
今川の下で、今川と織田の間右往左往してた連中とやり合った経験あれば
岡崎一帯シメるくらいはできる
高遠城代くらいじゃ甲信に駿河合わせた版図保てるか判断できん
0083人間七七四年2018/08/29(水) 07:00:27.48ID:ajnsxtl7
>>80
今川の代官が直接三河を統治?
そこに元々いた領主はどうなるんだ?
0084人間七七四年2018/08/29(水) 07:05:18.96ID:ajnsxtl7
>>81
信玄の駿河攻めでも今川氏真は駿河を北条氏直に譲ったことになってるからな
0085人間七七四年2018/08/29(水) 07:19:17.78ID:NM1116SL
>>83
今川家の被官の奴隷になってた。
0086人間七七四年2018/08/29(水) 08:08:52.58ID:ajnsxtl7
では、その在地領主を奴隷化(?)して三河を統治していた今川氏の被官とは誰よ?
0087人間七七四年2018/08/29(水) 08:19:49.06ID:NM1116SL
>>86
山田景隆、三浦義保、糟谷備前ら
0088人間七七四年2018/08/29(水) 08:23:53.06ID:NM1116SL
天野景貫、朝比奈元智、岡部輝忠とかもそうだよね。
0089人間七七四年2018/08/29(水) 08:28:37.88ID:UrwhShYc
家康なんて岡崎にすら今川の許可なく立ち寄れなかった
0090人間七七四年2018/08/29(水) 08:29:36.07ID:NM1116SL
ちなみに俺のおじさん、愛知の鳴海あたりの結構大きな地元豪族(今でも館が残ってる)だったけど
織田家の被官じゃなくて今川家の被官だったよ。
だから織田信長が伸長して落ちぶれた。
0091人間七七四年2018/08/29(水) 08:30:37.68ID:NM1116SL
ごめん。おじさんじゃなくておじさんの先祖ねw
0092人間七七四年2018/08/29(水) 08:52:57.34ID:JADinXFn
武田勝頼の不幸は、家督相続前に挫折を一度も経験して無かったことかな?

織田信長は家督相続前に家督争いに犬山錯乱。
徳川家康は今川の人質。
上杉謙信は兄、晴景や家臣との争い。
毛利元就は弟との争いに尼子、大内との綱渡り。

勝頼の場合、合戦経験したと言っても全部勝ち戦。家督争いも経験してないし、家臣との諍いも無い。余りにスムーズすぎて最初の挫折が長篠の合戦なのは不幸すぎたかな?
0093人間七七四年2018/08/29(水) 08:58:37.19ID:NM1116SL
後の帝国主義時代のイギリスなどが多用した99年租借地みたいなものだよね。
「我が家で大事にお育てしてる家康殿が成人するまで、
この土地は今川家が責任を持って守らせてもらう。
おまえらは(主家の)家康殿が立派に成人してこの地に戻るまで心を尽くして
今川家とともにこの土地を守るのじゃ」と方便を使ってた。
実際、成人になって家康に三河を返還してあげるかどうかは今川氏の心次第で
そんなのは口約束に過ぎないが、義元は結構寛大で本気で家康を岡崎に戻してあげようかと考えてた。
0094人間七七四年2018/08/29(水) 09:09:08.06ID:JADinXFn
>>93
そもそも家康は今川一門に迎えられてるし、伝えられるほど待遇が悪かったのかと考えると疑問だよな。
0095人間七七四年2018/08/29(水) 09:10:55.71ID:NM1116SL
今川義元が天下を獲って将軍になったら
松平元康を改め今川元康になってかもしれないしな。
婿として嫁の姓を名乗るのは後北条家でも行われてるし不自然なことではない。
0096人間七七四年2018/08/29(水) 09:22:13.97ID:NM1116SL
秀吉も備前の国人たちを「宇喜多秀家殿が成人するまで、保護者である俺に心を尽くして仕えるのだ!」と
実際、自分の配下として手足として散々酷使したけど
ちゃんと約束を守って成人後は秀家に備前を返還し備前の国人たちも旧主の秀家に託されたよね。
信玄も諏訪家に対しては同じアプローチができたはずなのに。
0097人間七七四年2018/08/29(水) 09:31:42.56ID:vDpNMkve
>>29
方面軍団長を下に付けて軍団編成してたくらいなんだから
これはもう帝王学と言っていいんじゃないだろうか

その方法の是非はさておき
0098人間七七四年2018/08/29(水) 09:42:14.57ID:NM1116SL
信長の弟とか甥っ子とか結構、数多く戦死してるよね。
信長は一族こそ過保護にしないで常に最前線に出した。
信孝や信雄ですら例外ではなく戦死しててもおかしくなかった。
まあ、それに関しては信玄も氏康も同じ事をしてるわけで信長との類似点だけど。
0099人間七七四年2018/08/29(水) 09:58:52.54ID:vDpNMkve
>>84
実際一旦駿府奪還したからなあ
0100人間七七四年2018/08/29(水) 10:05:52.87ID:JADinXFn
>>96
その場合、諏訪を遅かれ早かれで返さないといけない。諏訪は甲斐からみたら信濃の入口だから無理だと思うよ返すのは。
0101人間七七四年2018/08/29(水) 10:11:58.23ID:UrwhShYc
>>92
家康や景勝等、苦境から始まったからズル賢さを学んだけど
勝頼は最初からイージーモードだったのは確かかね
0102人間七七四年2018/08/29(水) 10:13:45.44ID:NM1116SL
>>100
返した二例を出したけど圧倒的多数は返還してない。
管領から代官や国人が国を横領したのが戦国大名たちなわけだし。
むしろちゃんと国替えしをした秀吉が稀有な例かもしれない。
でも騙す方にも騙される方にも「いいわけ」が必要なんだよ。
元松平家の被官のものたちの内心は松平家を見限ってたとしても
建前としては「旧主のために歯を食いしばる」と言った方がかっこいいし
今川家としても土地を返還する気など毛頭なくとも返すと一応言っといた方が
とりあえず建前としては格好いい。
あとは数十年土地を借りてる間に既成事実化するのを待つのみ。
0103人間七七四年2018/08/29(水) 10:20:59.30ID:NM1116SL
要するにヤンキーがカツアゲする際に
「金貸してくれよニイちゃん」と言うようなものだよね。
奇跡的に善良なヤンキーなら後で利子までつけて金を返してくれるかもしれない。
0104人間七七四年2018/08/29(水) 15:22:19.54ID:9nPvRvDo
>>92>>101
諏訪の小倅と思われてたなら家中での立場はイージーモードとも思えんが
もちろん重臣連中が信玄死後に豹変した可能性はある
0105人間七七四年2018/08/29(水) 17:26:09.87ID:d+MBrhVC
>>94
家康の親父や祖父の死亡した時や、死亡後の松平家家臣の行動考えると、
返す方が問題な気がする、まして年少だし。
0106人間七七四年2018/08/29(水) 19:13:52.63ID:/mnku/nb
>>101
景勝は御館の乱のスタート時点でバリバリ謀略使いまくって
しかも新発田重家みたいにハメたのが裏目に出たような奴もいるから
「苦境で学んだずる賢さ」というよりかは「根っからの策謀好き」って感じだな
むしろその二人にとっちゃ苦境が家臣団の取りまとめに役立ったという見方もできるかな
0107人間七七四年2018/08/29(水) 19:14:18.31ID:UrwhShYc
>>104
内乱や後継者争いが起きたわけじゃない
長篠では勝頼を逃がすためにみんな殿軍で死んで行ったわけだけどな
なぜか諏訪の話だけで悲運にしようとしているみたいだけど
0108人間七七四年2018/08/29(水) 19:31:59.77ID:QRZJO/y8
逆に余力のあるうちに内乱が起こって反対勢力を駆逐できた方が幸せかもしれない
義元相続時の今川や景勝を考えると
有力一門や大豪族が残ってたのが最後に致命的だったわけだし
0109人間七七四年2018/08/29(水) 20:40:16.58ID:NM1116SL
失敗は成功の母だと言われるが
勝頼の不幸は代を継いだ直後から東美濃や高天神城などで勝ってしまった事だ。
これで何を反省しなければいけないか今すべきことは何なのか分からなくなってしまった。
0110人間七七四年2018/08/29(水) 22:53:13.53ID:AHGcVTbf
そもそも宇喜多は毛利から織田に鞍替えしただけで敵対してないし、
織田信長が宇喜多を勝手に寝返らせたのに激怒したって話も秀吉に切れただけで実際織田家も宇喜多家を厚遇しとるやろ
0111人間七七四年2018/08/29(水) 23:58:03.08ID:UrwhShYc
>>109
連戦連勝の負け知らずで信玄が落とせなかった高天神城を落としたから
信玄を超えたと自分の力を過信していたという甲陽軍艦の話はあながち間違ってないかもね
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