信玄の経済政策は「弱いものからなりふり構わず徴収する」です

農民からは重い税を取り、領内の関所では重い関税をかけて商人の利益をむしとるのです

いっぽう過料銭を支配階級には課していない例も出されてますが、検地についても遠隔の国衆の土地はノータッチ
隠田の類も認めており支配階級の優遇が顕著です


信長の政策は逆で一般庶民は税を免除して有力商人、寺社に重い税を課します
(そのため反発も多い)

堺の商人と揉めたり、本願寺が銭について不満を持ってる例をあげて信長も庶民を苦しめたと反論したいようですが、とんだ検討違いです


国内の寺社、国衆をはじめとする有力者を優遇して農民をよく支配した(苦しめた)のが信玄の政策

国内の流通が活発化するように関所を廃止したり税を免除して、既得権益を保持していた寺社、国人から利益を奪いにいくというのが基本方針の信長の政策


どちらが優れていたのかは判断する人の感性に委ねられると思いますが、結果として経済大国となったのは信長の方でしたね