>>390 >>391 宛続き
で、前スレでも普通に提示がされていたようには思われる次第ではございますが、
試みに、北条家の税額のトータルを、平均的な農家さんを基にして導出してみますと、
江戸時代では、基本的に自作農は10反=1町、の田を保有しているのが平均的であった、とかされておりますが、
とりあえず、江戸時代初期のデーターで、「小農」の事例として
田5反、畠5反、という事例がございますので、これらを基にさせていただきますと、
北条家では田1反を500文相当、畠1反を165文相当とし、それに各種の税金の税率をかけていく方式をとっておりましたので、
これに基づきますと、上記の小農さんの資産は田2500文相当、畠825文相当、という事になりますねえ。

で、まず棟別銭は35文で固定。正木棟別銭が20文。
本反銭は田の収入の8%、とされておりますので、2500×8%、で200文、
懸銭は畠収入の6%、とされておりますので、825×6%、で49.5文、
合計で300文以上、という事になるわけで、武田の税金は基本的に棟別200文でまとめてとり、
基本的に年貢と一緒におさめる形式だったとされる田役とかとあわせましても、
明らかにトータルでは北条の方が多いようにも思われる次第なのではございますが、
いかがなものなのではございましょうかねえ。

北条領国で百姓とかの地元脱出がおこっているのも、むべなるかな、という気がしなくもないような気がするように思われたりも
するのではございますが、いかがなものなのではございましょうかねえ。