財政難の根拠としては度々指摘されている増税施策について

棟別銭の課税について家臣や国人が強く反発したと「妙法寺記」に記載

その内容として当初は本家のみに対して百文、春と秋の二回徴収

その後税収不足を補うため新家にも五十文の課税
(信玄死後に百文に加増)
片家や空家にまでもその対象を広げている

それでいてしばしば前倒しでの徴収まであったとのこと
永禄五年には甲斐国鮎沢郷において翌年の秋分の税の一部を年内に納めるように支持した記録が残っている

他国でも棟別銭はあったが年間五十文から百文が相場で、武田領が飛び抜けて重税だったのは間違いないですね

最も民衆から多額の税を集めていたという根拠なので武田家の銭が欠乏していたという話ではないけれど