朝倉の5月作戦への対応については
朝倉主力が5月10日頃まで敦賀に滞在したというのなら、朝倉にその5月作戦に呼応する
つもりがあったのなら、朝倉主力のその攻勢発起点は敦賀と見るのが妥当と考えられる。
ただ、朝倉景鏡あたりが越前大野に在国してるようならば別動隊として
油坂峠を越えて郡上遠藤と合流し武田の東濃侵攻の支援をする可能性はあると思われる。
朝倉景鏡も敦賀にいるようなら、朝倉の5月作戦に呼応する動きの対象は
武田の5月作戦に呼応して槙島挙兵するつもりだった?義昭への後詰か、
浅井の救出、いずれにしても近江方面となる。

朝倉としても、武田よりも先に動いては織田主力を誘引してしまうことになるので、
織田主力が武田のほうに行ったのを見てから、その隙に動くつもりではなかったのかなと。
朝倉としては、武田の支援よりも義昭への支援のほうに重きを置いたから
敦賀在陣だったのだろうと。

>>36
その朝倉、長島衆は「織田主力との野戦に勝てれば」という条件をクリアできれば
その通りなんだが、野戦で負けた場合はただの敗走程度では済まない
非常にリスクの高い作戦。
結局単独で敵地で織田主力と野戦しなければならないのだから。
逆に織田側は合流される前に内線の利を生かし各個撃破を狙うか、
朝倉が帰るであろう年末まで持久しその後決戦とかかなと。

朝倉、長島衆、武田と美濃に攻め込んでも合流しなければ、単独侵攻と
大きくは変わらない。郡上(中濃)、東濃、西濃と方角全然違うから連携するのもたいへんだと思うよ。
使者が朝倉行って長島衆行って帰ってで。1〜3日は情報及び作戦要請、救援依頼等の
伝達誤差が発生すると思われる。