>>100 >>101 >>102
西上の時の、信玄が率いた武田勢は軍鑑では三万余、とされておりますかねえ。
で、そもそも、前スレの序盤にも指摘がされていたようには思われる次第ではございますが、
武田家やら北条家やら、は軍役をしっかりと定める事によって、
通常軍役計算1万石=250人、よりも多くの軍役人数を招集する事に成功していたように思われる資料やら形跡が残っており、
例えば、武田家の一族である、武田信実は加増分として与えられたおよそ800石程の領地からの収入で、
28人もの軍役を務めるように指示がされている書状が残っておりまして、
800石で28人、という事になりますと、28÷8=3.5人、という事になり、
100石で3.5人、という計算になるわけで、単純に計算をしますと、一万石で350人を動員していた、という計算になるわけでして、
西上開始の時の武田の石高がおよそ110万石近く、という事を考慮しますと、武田勢の兵力は
軍役規定がされておらず、軍役人数をどれだけ連れてくるかが配下武将に任されていた、織田家とは異なり
一万石350人×110、で3万8千500人、という事になり、西上の時に信玄が率いていたとされる、
三万余(北条勢2千も含めて、とすれば2万8千程か。)岩村に派遣された2千程の兵力、
岩村遠山の兵力千程、の合計である3万3千程を、普通に余裕をもって動員する事ができた、
という事になりますように思われる次第ではございますが、これらに関しましては、いかがなものなのかとは思う次第ではございますが
いかがなものなのではございましょうかねえ。