関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part16
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0001人間七七四年
2018/06/30(土) 16:39:30.55ID:Z1/h0jsR前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part15
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1528335113/
0002人間七七四年
2018/06/30(土) 16:43:52.08ID:Z1/h0jsR6月2日 会津征伐を関東諸侯に通達
6月6日 会津征伐に関する軍議
同日 芳春院(まつ)、人質として江戸に到着
6月16日 家康、大坂出陣
6月18日 家康、伏見出発
7月1日 家康、江戸到着
7月2日 秀家、出陣式
7月12日 前田、増田、長束(以下三奉行)輝元に大坂出陣を要請
7月15日 輝元、広島出発
7月17日 三奉行「内府ちがひの条々」、細川ガラシャ自害
7月19日 輝元、大坂城入城、伏見城攻防戦開始、秀忠が会津へ出陣
7月21日 家康、江戸から会津に向け出陣
7月22日 秀家、伏見到着
7月25日 伝「小山評定」
7月26日 東軍諸将、西進 利長、金沢を出陣
7月29日 三成伏見到着
0003人間七七四年
2018/06/30(土) 16:46:02.17ID:Z1/h0jsR8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日 島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日 東軍先発諸将赤坂に布陣
同日 秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日 西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
兵3000で籠城する
付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月9〜10日 尾張の野間・内海にて毛利水軍が合戦
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
同日 家康清洲入城
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着
同日 小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日 西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着
作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。
0004人間七七四年
2018/06/30(土) 16:48:12.18ID:Z1/h0jsR上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
一柳直盛ら計21300〜22000
下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000
下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。
犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000
清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら5000〜8000くらい?
これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。
あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。
東軍先発隊が35000だとすると実際はこんなもんでしょうか。
上流渡河池田隊:15000 下流渡河福島隊:14000
犬山城抑え:3000 清洲城守備:3000
0005人間七七四年
2018/06/30(土) 16:50:20.36ID:Z1/h0jsR8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着(35000)
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月11日 家康清洲入城(33000?)
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)
ちなみに「9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)」
これは8月下旬以降、垂井〜赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
東軍が垂井を押さえていないのなら2〜3日は到着が早くなる。
8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700
岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000
犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
計7000
伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000〜8000(推定)
近江草津:宇喜多秀家10000〜15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)
伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、
秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。
0006人間七七四年
2018/06/30(土) 16:53:13.48ID:Z1/h0jsRこれを修正、補強していけばいいかんじのものができそうに思います。
以下コピペ。
403 返信:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:01:03.29 ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。
これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。
そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。
0007人間七七四年
2018/06/30(土) 16:55:24.97ID:Z1/h0jsR東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、守備兵戦力分散、
ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。
これを島津義弘1000を加え、8000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対8000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。
0008人間七七四年
2018/06/30(土) 16:57:32.42ID:Z1/h0jsRそれから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。
438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが
徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている
もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。
※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法
とある
岐阜城後詰め決戦は発生するよ
岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた
0009人間七七四年
2018/06/30(土) 17:00:19.26ID:Z1/h0jsR岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流
膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…
0010人間七七四年
2018/06/30(土) 17:02:23.94ID:Z1/h0jsRそれと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。
個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。
812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。
大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。
輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。
0011人間七七四年
2018/06/30(土) 17:04:28.19ID:Z1/h0jsR原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700
8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川15000、安国寺1500、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊19600南宮山到着。
東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>10
なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か
東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後
家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる
8月下旬〜9月上旬までが勝負
0012人間七七四年
2018/06/30(土) 17:09:11.60ID:Z1/h0jsR岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf
山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。
国史跡岐阜城跡で石垣が新たに見つかりました!
http://www.city.gifu.lg.jp/32568.htm
一部抜粋
<山城としての岐阜城の評価について>
・ これまでの岐阜城の概念(山上の詰城+山麓居館という二元的構造)を
考え直させる大きな発見。
歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf
近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf
0013人間七七四年
2018/06/30(土) 17:11:16.31ID:Z1/h0jsR毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)
毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)
こんなかんじになる。
あとは別枠だと、小早川秀包1000(大津)くらいかな。
なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。
まず伊勢方面隊戦力
毛利秀元&吉川広家15000、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、長曾我部盛親2100、
鍋島勝茂9800、堀内氏善300等約29700
その他伊勢の在番、守備隊等
滝川雄利400、山崎定勝400、中江直澄390、蒔田広定370あたり。
瀬田守備隊
相良、秋月ら約6900、
美濃、近江周辺立花宗茂3900、
推定佐和山在番筑紫広門500、
推定大坂の小早川秀包1000、
あとはよくわからんが伊賀在番7000、新庄直頼とかのことかな?
こんなかんじかな。
なので草津の宇喜多が美濃に援軍に行ってもまだ瀬田守備隊6900と立花宗茂3900の10800がいる。
大坂は輝元5000、小早川秀包1000、増田3000、前田1000、その他大坂城在番衆詳細不明ってとこかな。
0014人間七七四年
2018/06/30(土) 17:13:19.99ID:Z1/h0jsR大雑把に
7月19日朝 城方鳥居勢が城外に出て近隣を放火
19日夕方 西軍が伏見近郊に到着し始め散発的に銃撃戦がある
20〜21日 西軍が外堀に取りつく。銃撃戦が激しくなる
22日 宇喜多、小早川、鍋島到着
23〜24日 西軍の銃撃が昼夜に及ぶ
25日 宇喜多秀家が陣立てをあらため諸将の攻め口を決める
26〜28日 西軍昼夜銃撃
29日 石田三成督戦に訪れる
30日 西軍力攻め、総攻撃4回敢行。城方死傷50余、西軍死傷500余
8月1日午前0時 松ノ丸で甲賀者の内応により火災発生、名護屋丸にも延焼
これを機に西軍突入、松の丸、名護屋丸陥落
午前10時頃より総攻撃再開、島津、治部少丸突入、治部少丸陥落
午後3時 伏見城落城
こんなかんじ。たしかに石田が来るまでは銃撃戦ばっかり。
だが西軍もまともに兵力が到着したのは22日で、仕寄って堀埋めて
30日に力攻めしてみたが大損害。
8月1日に城方の内応が出たのでそれを機に陥落。
これ城方の内応がなかったらもっと長引いてた可能性あると思う。
力攻めの寄せ手の損害数が大きすぎる。
伏見城は相当な堅城だったということだと思う。
瀬田で東軍を迎え撃つ、という方針になるのも無理はないと思う。
この彼我損害比ではもっと早い日時に力攻めしてても落ちないと思う。
0015人間七七四年
2018/06/30(土) 17:16:44.47ID:Z1/h0jsR宇都宮城:本丸結城秀康、蒲生秀行、二の丸小笠原秀政、三の丸里見義康、
宇都宮城総計約18000?
大田原城:大田原晴清、那須資景、福原資保、千本資勝、大田原増晴、岡本義保、
伊王野資友、服部正成及び伊賀衆。
黒羽城:本丸岡部長盛及び甲賀衆100、二の丸服部保英及び伊賀衆100、三の丸大関資増、千本義定
鍋掛:皆川広照、水谷勝俊
蘆野口:蘆野政泰、 伊王野口:伊王野資信、
烏山城:成田泰親
厩橋城:平岩親吉
高崎城:諏訪頼水
江戸城:本丸松平康元、石川家成、松平清宗?、菅沼定盈、諏訪頼忠
西の丸武田信吉、松平康忠、天野康景、
特記点としては、6月下旬頃より家康の指示で、大田原城、黒羽城は1000人規模の人足を
動員しての防備強化普請を行っている。
同じく宇都宮周辺も、秀忠、秀康らによって約一ヶ月間強化普請を行っている。
兵数については不明部分も大きく、わかる方いれば補足、訂正等よろ。
0016人間七七四年
2018/06/30(土) 17:19:56.18ID:Z1/h0jsR順番にいこうか。まず西軍の基本戦略は、内府違いの条々の効果により大多数は帰国し
雲散霧消するはず。
もちろん徳川に味方する者もいるだろうがそれほど多くはない。
それら東軍の想定行動は上杉への抑えを残し2〜4万程度が西上してくるか、
関東に引き籠って西軍の迎撃態勢を整える。
西上してきた場合は浜松か尾三国境付近で東軍を迎え撃つ(清洲の福島が味方する前提)。
関東に引き籠った場合は年末か春ごろに西軍の大軍で関東に進攻する。
これが8月初頭時の西軍の基本戦略。7月下旬の伏見攻城時には瀬田で迎え撃つつもりだったが
予想以上に味方が増え、越前、美濃の勧誘もほぼ成功し、前田も引き返したので
こうなったと思われる。
で、その西軍の想定通りに情勢が推移する可能性はもちろんあるので、基本戦略通りに軍事展開すればいい。
(個人的には既に戦力配分で疑問部分が多いがとりあえずそれは置いとく)
しかし少なくとも8月14〜18日頃には想定外の事態が起こる。
清洲の福島は味方せず、東軍と思われる軍勢数万が清洲周辺に集結しつつある。
この時点で西軍の方針は木曽川で東軍を迎え撃つ、に変わる。
ここまではいい。しかし数万(約3万)を木曽川で迎撃するには美濃の西軍戦力では足らない。
なのでこの時点で木曽川迎撃の為にすぐさま美濃への援軍要請をする。
この時点で援軍要請しても木曽川迎撃に間に合うかは微妙だが、
大垣、岐阜、犬山が籠城し数日持ちこたえれば後詰決戦は可能になる。
岐阜が落ちてから援軍要請しても遅い。
なので、具体的には一番近いのが桑名付近の明石掃部と草津の宇喜多計18000なので、
8月18日時点で宇喜多に援軍要請すれば8月21〜22日には大垣に到着できる。
・8月18日に宇喜多に援軍要請し、21日に大垣到着できれば木曽川で渡河迎撃、
間に合わないなら大垣、岐阜、犬山は籠城、この作戦方針の徹底。
西軍の基本戦略を尊重しつつ軍事的対応で合理的に勝ちを模索するなら
このあたりで岐阜城後詰決戦に至る。
0017人間七七四年
2018/06/30(土) 17:22:56.68ID:Z1/h0jsR訂正等は遠慮なくよろです。
また、その他の案としては、美濃主攻案、北陸主攻案、早期尾張進攻案、
鳴海上陸作戦案等あり。
0018人間七七四年
2018/06/30(土) 17:41:43.38ID:Z1/h0jsR白峰氏は考察論文、「伊勢国津城合戦頸注文」及び「尾張国野間内海合戦頸注文」に関する考察(その1)―津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討
の中で以下のように述べられている。
本稿で扱う野間内海合戦については、前掲『三重県史』通史編、近世1に、
「九鬼義隆西軍に加勢」として立項され解説されている中で、「九月九日・十日両日
尾張知多半島(愛知県)先端部付近での戦闘」であり、
「当時の知多半島は、長島城主福島正頼が預かっていたとみられる(『新訂寛政重修諸家譜』
第二一)ので、北伊勢において東軍に付いた長島城の背後、
ひいては岐阜方面に集結しつつある東軍の背後を脅かす作戦を実行したのであろう。
この作戦には瀬戸内水軍が主となったものと思われ、
これに九鬼水軍が参加したかもしれない。」としている。
0019人間七七四年
2018/06/30(土) 20:13:18.63ID:fObUb5fEスレ立てありがとうございます。
あなたの前スレ>>998のような見解が主流のはずですが、
小早川秀秋東軍ダーと次々別IDで連呼するだけの迷惑な1人に荒らされ大迷惑しております。
ご丁寧に複数回書き込んでおいて単発が〜と一般参加者に難癖をつけたりを彼はいつまで続けるのやら。
0020人間七七四年
2018/06/30(土) 20:34:08.86ID:k2/ZXH/5問い鉄砲で関ヶ原本戦の途中から寝返ったのでは無く
開戦から東軍だったってことじゃないの?
0021人間七七四年
2018/06/30(土) 20:37:40.78ID:k2/ZXH/5小早川は西軍とは言えないのでは?
0022人間七七四年
2018/06/30(土) 20:44:17.89ID:QOhUTZax0024人間七七四年
2018/06/30(土) 20:48:33.31ID:La6pW4pV0025人間七七四年
2018/06/30(土) 21:10:00.57ID:k2/ZXH/5西軍連中も東軍に与するだろうと予測していて
開戦から東軍として戦っているならもうそれは東軍だろと
0026人間七七四年
2018/06/30(土) 21:10:39.41ID:g+sTHc0b逆に石田はドラマや映画で豊臣一門に列せられるかのような特別な存在みたいに誇張されているが
実際は単に秀吉が雇っていた従業員というだけだ
部外者の三成が豊臣ファミリーに向かって自分こそが豊臣代表だ、反発する奴は豊臣の敵だという態度を取れば
秀秋が不快に感じて離脱するのは仕方がないことと言える
0027人間七七四年
2018/06/30(土) 21:10:42.55ID:jq4n4rGG証拠ガーさんも自分は明確な証拠は出さないのに他人の説が納得出来ないからって
証拠!証拠!とねだるのもどうかと思う
0028人間七七四年
2018/06/30(土) 21:33:07.13ID:XtaJCEUdそうして騒ぎを起こしてるのお前だけだから。いい加減にしてよ。
新説を持ち込んだ史実論争は関ヶ原の真実スレへ行け。
0029人間七七四年
2018/06/30(土) 21:42:14.03ID:qxA/Uzrvもうあなたの話は分かったから2度と言わなくていい。
あなたの中では小早川が最初から東軍なのは聞いたから後は他でやれ、ここと切り分けて。
その話に終始するスレはここではない。
0030人間七七四年
2018/06/30(土) 21:46:22.14ID:cFUMK/y5「近年、小早川秀秋は合戦以前または開始直後に東軍に寝返っており
あっという間に決着がついたことは、ほぼ確定した」と書いている
そこには西軍の善戦も鶴翼の陣も問鉄砲も無い
0031人間七七四年
2018/06/30(土) 21:50:12.15ID:k2/ZXH/50032人間七七四年
2018/06/30(土) 22:05:07.69ID:qxA/Uzrvあなたみたいに最後まで居残って勝利宣言するタイプってまだいたんだね。三戦時代の流れかしら。大概にしておいてね、みんなの迷惑ですから。
そういえばセンゴクって徳川勢を素通しするために秀吉にあそこに配置された訳でもあるまいにどう描くんだろ。
0033人間七七四年
2018/06/30(土) 22:11:26.37ID:cFUMK/y5どう見ても根拠や資料を出して反論すら出来ないで
自己中的に「みんな」と書くお前が一番迷惑な奴なんだよ
0034人間七七四年
2018/06/30(土) 22:24:00.38ID:La6pW4pV0036人間七七四年
2018/06/30(土) 22:42:27.54ID:jq4n4rGG>>29
誰を想定して言ってるのか知らないけど自己紹介にしかなってないから
って今度は秀秋から秀久に標的移す気かw
0037人間七七四年
2018/06/30(土) 23:01:34.05ID:FZJdB/Ylそうすると主君の意向を把握しているはずの松野重元の行動がよく分からなくなるよね
戦闘中の寝返りをよしとしなかったという解釈が一般的だけど
0038人間七七四年
2018/06/30(土) 23:03:49.61ID:fObUb5fEどう見ても君想定でしょ(笑)
普通の人ならイカれた話だなとスルーする物を「物凄い新説を発見した」と大興奮して、
小早川最初から東軍ダーと言い募るのそろそろ見苦しい。
どう見ても西軍側軍事行動してるでしょ。
心ならずもなんて嘘だ。
東軍ならば有無を言わさず兄のいる伏見城に駆け込めば良かっただろう。
徳川に小早川木下の伏見ならば島津も加わり石田勢を撃退も可能だ。
0039人間七七四年
2018/06/30(土) 23:04:26.97ID:iYvMVDRY独立軍として動いていた
0040人間七七四年
2018/06/30(土) 23:07:23.21ID:iYvMVDRY島津に井伊と忠吉をヤラれたことを考えると
島津はどっかを守らせれば良かった
0041人間七七四年
2018/06/30(土) 23:08:01.80ID:iYvMVDRY伏見は入城を拒否られた
0042人間七七四年
2018/06/30(土) 23:08:24.01ID:1Vko7lIbpart1
https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1477558509/
part2
https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1484991108/
Part3
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1487680538/
Part4
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1492312819/
Part5
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1496748424/
Part6
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1499775019/
Part7
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1502195081/
Part8
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1505981945/
Part9
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1509028014/
Part10
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1512519887/
Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
Part12
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1517843376/
Part13
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1522672144/
Part14
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525775487/
Part15
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1528335113/
0043人間七七四年
2018/06/30(土) 23:12:29.68ID:1Vko7lIb関ヶ原合戦の真実 Part8
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1518176864/
大坂の陣はどうすれば豊臣方が勝てたか?Part7 [無断転載禁止]©2ch.net
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1501990638/
上記以外はあまり伸びていないので省略。
誘導は上記適当スレへ。
0044人間七七四年
2018/06/30(土) 23:18:01.76ID:0K8FjVeB伏見に関してなら鳥居に断られたってどっかで聞いたな。
後、島津は西軍の初期メンバーだった可能性があるんで入れないのは正しいかも。
まあ、真面目な話、秀秋入れると指揮権の問題とかで逆に城内の統制がとれなくもなりそう。
0045人間七七四年
2018/06/30(土) 23:18:30.05ID:fObUb5fE伏見城に木下が居るうちに無理やり入っちまえば良かったんだよ。
鳥居に小早川を追い出せるほどの戦力は無い。
0046人間七七四年
2018/06/30(土) 23:22:23.43ID:/ZnTaXimヤラれたのは島津なんだが
家臣を見殺しにし僅か数十に減らされ甥まで犠牲にして何とか生還しただけだし
0047人間七七四年
2018/06/30(土) 23:28:03.68ID:fObUb5fE鳥居はただのいいカッコしいだったのかもな。
小早川がいたら世間的には金吾中納言が伏見に籠城し大坂とにらみ合いとなるし、
木下がいても知名度で鳥居は勝てない。
二人共いたら籠城戦は数ヶ月は保ちそうな気がするけどね。
0050人間七七四年
2018/06/30(土) 23:34:57.86ID:cFUMK/y50051人間七七四年
2018/06/30(土) 23:37:39.69ID:0K8FjVeBうーん、毛利が西軍だからなあ。
秀秋が小早川である以上、信用はしてもらえんかと。
まあほぼ毛利とは無関係扱いでもいいとは思うが、万が一って事もあるし。
0052人間七七四年
2018/06/30(土) 23:41:24.21ID:jq4n4rGG0054人間七七四年
2018/06/30(土) 23:45:45.18ID:/ZnTaXim0056人間七七四年
2018/07/01(日) 00:06:40.19ID:oZ6fbpCP西軍が勝つ方法などない、という結論を持つ者はこのスレに来なくていい。
批判しかしないわけだから。
ない知恵絞って考えるのがこのスレの趣旨。
じゃあお前が考えろと言うだろうが、わたしは既に散々立案してる。
0059人間七七四年
2018/07/01(日) 00:16:15.16ID:oZ6fbpCP魅力的とは思わないが、スレタイの趣旨に沿わない主張を連呼する者と比べたら
雲泥の差である。
関連スレを>>43に貼っておいたので、真実スレのurlがわからんということもない。
まぁネタがないときに多少脱線するくらいはかまわないが、スレタイの趣旨に沿わない
主張の連呼は真実スレへどうぞ。
0060人間七七四年
2018/07/01(日) 00:19:32.82ID:fb15+fOS岐阜後詰め決戦がマシ
0061人間七七四年
2018/07/01(日) 00:25:27.72ID:mQwkmH5i島津は甥っ子を自分の身代わりに殺されており大多数の家臣も討ち取られた
打撃は島津にも十分ある
島津をみすみす無傷で帰すわけには行かないしな
それに井伊は関ヶ原前から生死を彷徨う病を負っていて馬に乗るのもやっとの状態
ケガをした後もろくに養生せずに約1年半働き詰め
島津云々より過労死の方が近いだろうな
0062人間七七四年
2018/07/01(日) 00:29:22.61ID:fb15+fOS同点にしようとして攻めたところ
カウンターを食らって失点して敗退したようなもの
0063人間七七四年
2018/07/01(日) 00:34:55.23ID:zFvQKc7c0065人間七七四年
2018/07/01(日) 01:44:55.58ID:6EVFirN9旗倒してこそこそ逃げてる無傷の島津でちょいと不覚とったが
ボコって追い払ったからまぁいいやってのが井伊vs島津の戦いやでな
最終的に80名まで目減りしてて命からがらだからな島津
0068人間七七四年
2018/07/01(日) 06:05:15.68ID:o/4zcV+VIDころころするなら文末に句点付ける癖は直した方が良いと思うんだ(親切)
53:人間七七四年 2018/06/30(土) 23:43:07.04 ID:cFUMK/y5
>>52
シッ
54:人間七七四年 2018/06/30(土) 23:45:45.97 ID:/ZnTaXim
言葉遣いを変えていてもID変えながら一人で自演してるのバレバレだよな
各々方、荒らしは句読点が使えない事を誤魔化す為に、こんな自演を行っておりますぞ(爆笑)
頭隠して尻隠さずな荒らし「句読点使えない君」はいつものスレタイ無視東軍厨です。
0069人間七七四年
2018/07/01(日) 06:38:27.41ID:lvCsVhUG東グンダー君は仕方ないよ。
何かの奇をてらったトンデモ本を一冊読んで、この真実をみんな知らないのだと興奮して高みに立っているから。
放置して語っていこう。
さて、北陸主攻案はどこで前田と決戦するのでしたかな。
0071人間七七四年
2018/07/01(日) 07:24:43.17ID:O8Ecg5py0072人間七七四年
2018/07/01(日) 07:26:26.77ID:O8Ecg5py0073人間七七四年
2018/07/01(日) 07:52:56.91ID:eU0VxRZ1個人的にはさすがに>>900とかでやるスレじゃないですけど、>>980くらいだとテンプレが多いし荒れるときもあるので>>950くらいかなあって思うのですけど。
あと42と43をテンプレか>>1に加えたい。
0074↑↑↑
2018/07/01(日) 07:55:48.54ID:o/4zcV+V前田ってやる気ないでしょ。
丹羽と一進一退の攻防のフリをしてるだけなんだから北陸は放置で大丈夫。
謀略で無傷で落とした後は難攻不落の清洲を堅守して東軍を阻む。
その間に毛利が西国の東軍領地を攻め取ってから全軍で駆けつければいい。
0075人間七七四年
2018/07/01(日) 08:17:55.56ID:2Hf+BhE/埋まってアナウンスできないとしたら痛いけど
常連は自力で探してくると思う
アナウンスがあったほうがベターだけど
0076人間七七四年
2018/07/01(日) 08:23:23.12ID:o/4zcV+V前スレも東グンダーが埋め立てなければ980でも良かったんだけど。
彼が埋め立てながら居座り宣言してたから950がいいかもね。
0077人間七七四年
2018/07/01(日) 08:35:33.66ID:N6hFgW23早かったんで…。
個人的には進行速度見ながらの臨機応変で
いいと思う。
0078人間七七四年
2018/07/01(日) 08:53:12.33ID:p/B/DHThどうすれば勝てるかなんて討論は成り立たない
0079人間七七四年
2018/07/01(日) 08:59:48.14ID:csPJaEau三成って馬鹿じゃね?
0080人間七七四年
2018/07/01(日) 09:07:12.19ID:zFvQKc7c0081人間七七四年
2018/07/01(日) 09:13:17.30ID:N6hFgW23いいと思うけど、よくわからんからなぁ。
0082人間七七四年
2018/07/01(日) 09:52:34.85ID:fh0/6z1Tもはやクレイジーサイコスレ
終わったわ…いや、終わってたんだ…
0083人間七七四年
2018/07/01(日) 10:05:43.25ID:eU0VxRZ1前スレの940くらいで建てるか悩んだけど悩んでいる間に時間になって、結局立てられなかったので伺いました。
岐阜城後詰案について話しませんか?
それがいやなら小早川を九州送りにできないかどうか検討しませんか?
いずれにせよ松尾山占拠とか致命的すぎますし小早川を九州に送れば問題の先送りはできるかなと思いまして。
大垣でどうするのという話ですが、田辺組や大津城組も美濃に来れますし。
もちろん徳川家主力の秀忠隊3万もやってくるわけですが。
0084人間七七四年
2018/07/01(日) 10:09:46.74ID:csPJaEau岐阜城後詰が遅れたのは三成のミス
大垣城に対しては城主の伊藤盛政を舐めきってるから放逐して城を奪い取ったけど
織田秀信に対しては目上なので城に自分たちの兵を入れるのを遠慮してしまった。
この遠慮が致命的ミスになった。
0085人間七七四年
2018/07/01(日) 10:14:19.55ID:UZS6bhsT位無理筋な話なら程なく沈んだのだけどね
0086人間七七四年
2018/07/01(日) 10:20:07.30ID:csPJaEau夏の陣は勝つ術は無い。
でも秀頼が城から討って出て大活躍すれば
家康か秀忠のどちらかが討死くらいはあっただろうな。
それでも徳川幕府は微塵も揺るがないし秀頼の勝利はありえないけど。
0087人間七七四年
2018/07/01(日) 10:37:47.66ID:VcaxE5gC時を超えて受け継がれれる、
日本人の心意気。
辞世の唄。
0088人間七七四年
2018/07/01(日) 10:56:16.22ID:eU0VxRZ1まあ、規模が小さくて結局落城だったのだろうけど。
あと秀信を怒らせると美濃の半分が敵に回るかもしれないので配慮は仕方ない。秀信東岸では安濃津攻めなんて出来なかったと思う。
0091人間七七四年
2018/07/01(日) 13:53:33.57ID:o/4zcV+V小早川九州送りは夢が広がるねえ。
九州を手早くまとめられたら、面白い展開ありそうだよね。
加藤清正とは犬猿でもないんだっけ?
0092人間七七四年
2018/07/01(日) 14:01:03.70ID:p2GDuu9V0093人間七七四年
2018/07/01(日) 14:02:24.96ID:/9fnTHSp押し込められた場合は水の手ないわでかなり脆いって聞くけど本当?
それならば秀信も出て戦わないといけないのも当たり前だし、そも兵の規模が拮抗すらしてない時点で岐阜城早期陥落は当然なんちゃうん?
0095人間七七四年
2018/07/01(日) 15:30:30.94ID:yRWVaOo3東西関係一時解消して家康の寿命尽きるまで待てばいいし。
0096人間七七四年
2018/07/01(日) 16:01:30.58ID:Ikx7onci小早川リスク対策は、以前わたしも考えた。そのときのわたしの考えは、
無難で周辺への影響も小さい、志摩の九鬼救援に向かわせること。
だが、よく考えると、結局どこに行くよう指示しても、どうせ途中でフラッと
どこかへ行ってしまうだろうなと。
かといって小早川監視部隊を割くような兵力の余裕は西軍にはない。
なら、史実同様、放置がベターかなと。
九州に行けと指示しても、岡山か広島辺りでうろつきだすか、九州の自城で引き籠るか、
黒田と迎合するか、下手すりゃ尼崎辺りで腹が痛いとか言い出して停止するかもしれない。
九州の自城で引き籠る以外はどれもあまりよろしくない。
0097人間七七四年
2018/07/01(日) 16:15:12.43ID:7/8Oc/280098人間七七四年
2018/07/01(日) 17:20:48.14ID:o/4zcV+Vグンダー君は、またその妄想か。
自分がやってるからって他人もやってると思うのは間違いだから。
それはさておき、小早川の九州行きは毛利が難色を示さないのかなあ。
独自の伸長は西国を固めたい毛利と利害がぶつかる。
毛利にも伸び過ぎて欲しくはないからいい手ではあるよね。
0099人間七七四年
2018/07/01(日) 18:03:17.74ID:k+vxmNuWこの場合は最悪でも残党が統制を失い盗賊匪賊となり西軍兵站線を脅かすことだけど、多分そんなことにはならないでしょう。
なので悪くても不安定要素が帰国、そのために要因が威圧の意味を含めて数千人ほど必要になるくらい?
最善は小早川の名を毛利家のだれかが継承して明確に西軍として活動してもらう。
>>96
海路なら病気になっても、兵力と本人を分離できるかも。
でもまあ、そんなところですよね。
何考えてるのかよくわからない小早川が畿内にいて大坂城や京都の天皇は手薄とか恐ろしいわ。
0101人間七七四年
2018/07/01(日) 18:26:47.31ID:fh0/6z1T0102人間七七四年
2018/07/01(日) 18:32:55.25ID:e6o8WNck0104人間七七四年
2018/07/01(日) 20:46:38.72ID:AGvOYTEvなるほど確かに水の手の問題が有るなら単純な籠城では岐阜城は立ち行かないよね。
織田秀信は正しかったのか。
0105人間七七四年
2018/07/01(日) 21:02:31.08ID:o/4zcV+Vアハハハハ、
こりゃ不味い人に触っちゃったみたいだねえ。
おかしいことを言ってるから指摘しただけだけど、真性な答えが帰ってくるとはコワ((((;゜Д゜)))
後は関ヶ原でどうすれば西軍が勝てたかを一切語らない人は無視するわ。
0107人間七七四年
2018/07/01(日) 21:30:36.74ID:DPzYBqML0108人間七七四年
2018/07/01(日) 21:32:11.35ID:DPzYBqML書き癖も同じだし
0109人間七七四年
2018/07/01(日) 21:32:45.97ID:7LHh9CnV無理筋を通して勝ち目がないか考えるスレだぞ
0110人間七七四年
2018/07/01(日) 21:34:28.54ID:zFvQKc7c0111人間七七四年
2018/07/01(日) 21:55:01.20ID:BWVru4iQ家康にしても佐和山辺りをウロウロしているだけの小早川秀秋って味方とも思えないよね。
言われなくても自発的に大津城を攻める西軍の背後を襲うぐらいしないと伏見を攻めて徳川の軍勢を殺したことは挽回出来ん。
0112人間七七四年
2018/07/01(日) 21:59:26.04ID:URRSUqDT小早川秀秋のことは毛利秀元に見張ってもらって
その間に宇喜多秀家に真田攻めに夢中な秀忠の背後を襲って首を取ってもらおうか
真田昌幸ならばうまく手はずを整えてくれるだろう
0113人間七七四年
2018/07/01(日) 22:01:04.26ID:s+pvj9O8養父も押し付けか
0116人間七七四年
2018/07/01(日) 22:19:09.42ID:o/4zcV+V信長公もいかなる場面でも岐阜城に籠城する作戦を構想していないし、
岐阜城を策源地として迎え撃つ場所なんだろうね。
島津義弘にもう少し多く手足の如く動く兵がいればなあ。
0118人間七七四年
2018/07/01(日) 22:25:29.37ID:eU0VxRZ1当初はそのままだったみたいだけど、隆景の死や秀秋が転封されるとかどうとかいうときに毛利系の家臣が全部じゃないけど離反したっぽいね。
毛利系家臣団は安芸小早川領にも領地を持ったままだったそうだし。
そのあとは豊家系の家臣団が強くなったみたいだけど。
0119人間七七四年
2018/07/01(日) 22:38:22.89ID:/9fnTHSp>>116
どうもやっぱり上から見て敵の動きを完全把握した優位をもって戦う城だとすると
岐阜城側の兵数が全く足りてないのに西軍首脳の岐阜城が早期に陥落しないという希望的観測はあまりに頓珍漢だったんですかね
秀信の認識がアレだったのか、西軍首脳の認識がアレだったのかの可能性を認識していかないとこの後のifのテコ入れにも支障が出るんじゃないかと思うんですけど
やっぱり、この段階においてまだ西軍首脳は上杉討伐軍がほぼその兵数を減らさずクーデター鎮圧軍と再編成されて西上していることに気づいてなかった?
0120人間七七四年
2018/07/01(日) 22:40:48.02ID:BWVru4iQ同じ立場だったらと考えたら小早川秀包の方に行きたいよね。
小早川秀包って偏屈そうな立花宗茂とも意気投合して義兄弟になってるし、
この人に毛利家の舵取りの権限あればなあ。
0121人間七七四年
2018/07/01(日) 22:50:31.51ID:o/4zcV+V義久公はあれ以上兵を送ったら弟が東軍を撃破してしまう事をむしろ恐れたのかな?
戦場ならば常勝の義弘公も凄いけれど、
日ノ本全てを見据えた戦略を取れる義久公こそが徳川内府の唯一の好敵手な気がする。
0122人間七七四年
2018/07/01(日) 22:59:42.34ID:jB3UwEix前も書いたのだが、西軍首脳部(主に奉行)は伏見を陥落させて内府違いの条々を
ばらまいた時点でこのクーデターを「我々の勝利で終結した」と考えたのかもしれんよ
西軍は豊臣御為を掲げた以上はバックには豊臣政権がついているという設定の筈だし、
(ほとんど詭弁に近いが)上杉征伐軍もあっけなく瓦解すると思ってたんじゃないかな
予測が甘すぎると思うかもしれんが、秀吉生前なら間違いなくそうなるしな
そしてこの時は秀吉が死んでまだ2年程度だからね、まだ威光に効果があると考えてもおかしくない
むしろ書状で軍勢が崩壊しなかった事が衝撃だろう、西軍にとって(家康も多分驚いてる)
0123人間七七四年
2018/07/01(日) 23:00:15.07ID:I4OeeamZ義久はやり手だと思うが
義弘は関ヶ原では二千近くの兵を
追い縋って来た寡兵に数十人迄減らされたのだから、ちと買いかぶりだと思うけど?
0124人間七七四年
2018/07/01(日) 23:00:21.12ID:Ikx7oncihttp://www.maff.go.jp/tokai/seibi/kensetu/kisocyou/html/pdf/014-99.pdf
上記より抜粋
忠節用水は古来、金華山麓に取入口を設けて、岐阜の旧称井ノ口村
の名を生んだといわれる農業用水である。天文3年(1543)の長良川の大
洪水により岐阜市忠節の地に取入口を移し、以来400余年幾多の変遷を
経て引水が続けられた。
関ヶ原当時の引水部や用水経路がいまいちよくわからないが、
惣構の水堀が用水兼用だったとするならば、非常用水源となりうるのではないだろうか。
また、水の手口という名称から、その麓、丸山の辺りが取水口じゃなかったのではないかと
思うがどうだろう?
0125人間七七四年
2018/07/01(日) 23:01:49.09ID:URRSUqDT兵力温存の島津は関ヶ原戦役が長引けばどんな作戦に出るつもりだったのだろうね
関ヶ原からの帰還の際に助けてくれた立花宗茂の柳川城救援に
1万の兵を向かわせたという話はとても好き
0126人間七七四年
2018/07/01(日) 23:04:46.61ID:eU0VxRZ1誰だっけなあ。
義弘の西軍参加は義久ほかの島津家の主流派・保守派に対するクーデターという主張。
西軍参加で功績を立てて、島津家中の権限を掌握しようとする計画だったんじゃないかという。
だから庄内の乱(これも義弘派の弱体化と三成失脚に関連しているそうだが)での疲弊もあって島津家の本格参加は拒否された。
0128人間七七四年
2018/07/01(日) 23:10:47.93ID:Ikx7onci西軍、というか石田の美濃・尾張方面の展望としては、
7月30日付真田昌幸宛石田三成書状からは、
美濃、尾張(福島が味方する前提かな?)で人留めを実施して
上杉征伐から帰ってくる者一人一人をねちねちと問い詰めるつもりでいた。
しかし戦況は刻一刻と変化していき、
8月5日付真田昌幸・信之・信繁宛石田三成書状では、
福島説得中、だめなら伊勢方面隊といっしょに清洲を攻撃するつもり、となる。
上杉征伐から帰ってきた連中(東軍先発隊)が尾張、三河辺りまで来ていると認識はしている。
8月6日付真田昌幸宛石田三成書状では
上杉征伐から帰って連中はほぼ東軍という認識になっていると読み取れる。
同時に加賀野井重望という者が三河池鯉鮒で口論になって水野忠重を刺殺したらしい、
同場に居た堀尾吉晴も負傷
と報じ(発生日時は7月19日か?)し、
中村一氏も病死した(7月17日死去か?)と報じている。
池鯉鮒事件と中村一氏病死については、8月10日付佐竹義宣宛石田三成書状でも報じられている。
これらのことから、西軍は諜報活動を怠っていたと思っていたが、
人数は少なかったかもしれないが、浜松、三河、尾張辺りに物見は出していたと思われる。
で、8月6日に浜松、三河方面からの物見が帰ってきて、早速書状に認めたのではないかなと。
ちなみに家康も池鯉鮒事件については
7月25日付上田清兵衛・鈴木次兵衛・鈴木久兵衛(水野忠重家臣)宛徳川家康書状で
水野勝成を後継とするよう伝えている。
次に東軍先発隊については、一団丸ごと清洲に向かったのではなく、
先発隊と後続隊があった模様で、少なくとも池田輝政、藤堂高虎、井伊、本多は後続。
8月5日付福島正則宛徳川家康書状では、
池田輝政、藤堂高虎、井伊直政を送ったのでよく相談し云々。
あとは参考として8月11日付田中吉次(非吉政)宛加藤嘉明書状に
今日池鯉鮒まで来た、城下を通してほしい、とある。
0129人間七七四年
2018/07/01(日) 23:11:04.70ID:o/4zcV+V次々追いすがってくる敵を撃退しながら血路を開くのだから、
寡兵というのはちょっと違うと思うけど。
伊吹山方面ではなく逆に向かうことで西軍撤退の助けにもなるし。
0130人間七七四年
2018/07/01(日) 23:15:33.73ID:Ikx7onci8月20日付京極高知宛徳川家康書状には
三河から美濃・尾張方面へ行くようにとの指示がある。
なので、少なくとも池田輝政、藤堂高虎、京極高知、井伊、本多は後続。
>>128もテンプレに入れたほうがいいかねぇ?
0131人間七七四年
2018/07/01(日) 23:22:16.41ID:WGM4w9VWそれは島津を買い被り過ぎというより、東軍の中でも徳川勢の井伊と松平隊がやはり屈強だったからね。
島津もわざわざ屈強なところを選んで撤退しているし。
そこを行くしか無かったとも言われているけどね。
0134人間七七四年
2018/07/01(日) 23:38:55.91ID:csPJaEau北は長良川が天然の要害だけど
東、南、西はどうなってたんだろうか。
地形図で見る限りは岐阜市役所から東海学園大学にいたる
広い範囲で低い山々を利用して防塁を築いて守るべきだと思うが
そういう範囲で守ってたという遺構がまだ出てきてないんだろ?
万余の軍勢がそもそも籠れるだけの広さがあるように見えない。
0135人間七七四年
2018/07/01(日) 23:42:32.58ID:o/4zcV+V秀信に信長が乗り移ったとしても、やっぱり出撃だったんじゃないかなあ。
押し寄せる織田信秀に対して斎藤妙椿が取った作戦からセオリーは変わってないと思う。
籠城せずに出撃した若気の至りみたいな理屈は作り話に過ぎないんじゃないかなあ。
0136人間七七四年
2018/07/01(日) 23:44:04.80ID:csPJaEau0137人間七七四年
2018/07/01(日) 23:45:22.01ID:csPJaEau岐阜城は東・南・西から大軍で攻められたらお手上げなわけで
なぜこれが天下の堅城と言われたのか謎
0138人間七七四年
2018/07/01(日) 23:45:30.33ID:/9fnTHSp>>128
この辺の西軍首脳のドチャクソ甘い見立てからテコ入れした方がリアリティ出そうですなぁ
それこそ物見の数が少ないってことろから
>>124
非常用水源の場合、引水できる水の量とか引水してる水源が守りやすいかどうかってのも気になりますが、とても面白い資料ですね
0139人間七七四年
2018/07/01(日) 23:47:56.00ID:/9fnTHSp0140人間七七四年
2018/07/01(日) 23:52:20.68ID:gSu/RhPbテンプレにはちょっと長すぎるかも。
水の手の話のほうをテンプレ入り出来れば初見の人もにもわかりやすそう。
0141人間七七四年
2018/07/01(日) 23:52:50.93ID:Ikx7onci>>12にだいたい書いてあるが、上段リンクの中にはおおよその簡略図が載ってる。
金華山西側の城下町の西、南の線が惣構。
惣構西、南は土塁+水堀、北側は堤防兼用土塁+長良川、
大手口南側は稲荷山砦、稲葉山砦、権現山砦、
さらに南方の外山と呼ばれる瑞龍寺山砦。
東側は不明部分が多く、発掘調査待ちってかんじ。
0142人間七七四年
2018/07/02(月) 00:03:43.95ID:t0vrN3+Eそのときはたしか瑞龍寺山を織田方に取られて、瑞龍寺山、大手門方面尾根伝いから織田主力、
城下町方面と東側尾根伝いからも来られて陥落、でしたっけ?
>>134
惣構線防御前提なら1万でも守備兵足りないと思う。
金華山だけ見ればそりゃ収容能力低いだろうけど。
0143人間七七四年
2018/07/02(月) 00:07:10.11ID:8FyWvRJj「これは堅城だなぁ」と正直思ったけど岐阜城と犬山城に関してはどちらもピンとこなかった。
どちらも北面は川で守るのは見てとれるけど、それ以外の方向からの攻めをいくらイメージしても
防げるように感じれなかった。
0144人間七七四年
2018/07/02(月) 00:39:42.80ID:8FyWvRJj相当な大河だから船じゃないと渡れないし。
0147人間七七四年
2018/07/02(月) 05:26:40.14ID:EnzJIeRZ命が助かったのは奇跡だぞ。
0149人間七七四年
2018/07/02(月) 07:31:57.50ID:3djvfyqW道三時代と違い戦国末期では鉄砲がメイン、大鉄砲、抱え大筒などがあるから同じ戦術したらそりゃボロ負けするわな
0150人間七七四年
2018/07/02(月) 07:42:54.06ID:5F9tN3+Q要は外郭陣地なしで考えると
0151人間七七四年
2018/07/02(月) 08:53:06.14ID:DeWrKInm根本的な欠陥がある
これを何とかしろというなら、周辺の山々から稲葉山を切り離し、山を切り崩して
広い曲輪を造成という須磨ニュータウン・六甲アイランドレベルのことしないと
0152人間七七四年
2018/07/02(月) 09:02:22.37ID:z4NW1dJX岐阜城をすてるべきだった
ポーランドにまけても本選に行く
0153人間七七四年
2018/07/02(月) 09:15:19.09ID:3djvfyqW根本的な間違いだな
城は城郭で守るものだから信長公居館跡がある山麓を城郭として改修し守らないといけない城だった
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f3/Gifujyou11.jpg
0154人間七七四年
2018/07/02(月) 10:33:11.30ID:fxxnI8bV0155人間七七四年
2018/07/02(月) 10:33:18.93ID:DLYqkovE0156人間七七四年
2018/07/02(月) 10:42:29.04ID:5F9tN3+Q0157人間七七四年
2018/07/02(月) 11:11:44.15ID:8FyWvRJj三成は5000の手勢を全て岐阜城下に集め
金銀をばらまいて農民たちを雇い大急ぎで土塁、逆茂木、曲がり路
トーチカ、落とし穴、敵を誘い出すための小細工や罠を作るべきだった。
真田昌行が岐阜城に来てたら間違いなくそうした。
0158人間七七四年
2018/07/02(月) 11:15:50.99ID:UWo0lw3x0159人間七七四年
2018/07/02(月) 11:31:42.21ID:DeWrKInmつまり金華山を守らないと回り込まれて仕舞いだし
石田家臣が守った瑞龍寺曲輪は稜線に連なるけど、
位置的には孤立している
0160人間七七四年
2018/07/02(月) 11:56:41.60ID:3djvfyqW大垣城も犬山城も籠城してたのに岐阜城の秀信はなぜか出陣してしまった
野戦するなら連携ぐらい取れよって話だな
それすらもしてない単独野戦
0161人間七七四年
2018/07/02(月) 12:17:55.16ID:t0vrN3+E参謀本部編 関ヶ原の役を参照すると、瑞龍寺山砦を攻めるには
「道路は狭く、水田や沼地を通るのだが、馬一頭が通るほどの道幅しかない。」
しかし浅野幸長配下の者に地理に明るい者がいたので、田の畔沿いに瑞龍寺山砦の
搦手を攻撃し搦手の郭が陥落、これをきっかけに瑞龍寺山砦本丸も衆寡敵せずも落ちた、
と描写してる。
なので瑞龍寺山砦(岐阜城南方)は、守備兵さえまともな数を配置しておけばそう簡単には
落ちないと思われる。
また秀信は早々に城下町(惣構)を放棄し、信長居館跡、大手口を抵抗線に設定してる。
おそらく兵力不足原因の戦線縮小(城下町を守り切れない)と思われるが、
十分な兵力さえあれば、まず城下町(惣構線)で戦える。
惣構線で戦う=まずは銃撃戦になるであろうから、東軍が仕寄りを始めてくれれば時間が稼げる。
現状の情報では>>159のひとも言われてるが、金華山東側の尾根伝いが弱点のように思える。
まぁ今後の発掘調査でなにが発見されるかわからないのでなんとも言えないけど。
0162人間七七四年
2018/07/02(月) 12:40:27.90ID:t0vrN3+E加味すると、瑞龍寺山砦500、権現山砦300程度で守備していたのではないかと推測する。
0163人間七七四年
2018/07/02(月) 13:24:16.72ID:3djvfyqW結局は山への入口や下りの部分を瓦礫なりで埋めたり
大鉄砲でも吹き飛ばないように石を混ぜて強固にした土塁&砦
を籠城準備で作ってないと防ぎようがないわな
城から出て攻めてしまったために籠城準備してないからそのまま突破された
障害物を破壊する大鉄砲や抱え大筒が登場して信長が多数保有してた後の時代だからな
織田信秀が斎藤氏を攻めていた頃の兵器の質が違う
戦国後期から山城が廃城になり大鉄砲でもビクともしない巨大な城郭外郭の平城、平山城に
資材リサイクル転用されて集約されていったのはその理由だし
0164人間七七四年
2018/07/02(月) 13:35:19.51ID:MPoSxwAGこの場合秀忠の進撃が速くなる
0165人間七七四年
2018/07/02(月) 14:03:13.41ID:Aq0P97mU岐阜城にしろ攻めに出ないとじり貧だわな
西軍なんて連携もなにもないから後詰めのあてなんて出来ないし
0166人間七七四年
2018/07/02(月) 14:33:09.08ID:8FyWvRJj秀信もよく知る伊藤に防御網構築をする事に対して一任を取り付け
突貫工事で色々と罠を仕掛ければ良かったのではなかろうか。
0167人間七七四年
2018/07/02(月) 14:47:22.91ID:t0vrN3+E伊藤盛正松尾山砦(城?)普請説?
秀信には百々綱家もいるよ。二人が強力すれば例え野戦築城(土木工事)でも
それなりにいいもの作りそう。
0168人間七七四年
2018/07/02(月) 14:59:25.19ID:MPoSxwAG「工事など無用。我らは決戦し勝利する」
0169人間七七四年
2018/07/02(月) 15:04:42.91ID:t0vrN3+E>当時綱家は築城の、特に石垣普請の名手として知られており、
ということは当時百々はどこかでなにかしらの築城、ないし普請をしたということだよね。
秀吉の天下普請(大坂、伏見等)の可能性はあるけど、
岐阜城のものを転用された可能性のある加納城の石垣の石材、
岐阜城の発掘調査結果(石垣の破壊ないし撤去跡)から
関ヶ原当時の岐阜城は、百々主導による構築の(すばらしいと思われるような)石垣が
あったんじゃないだろうか?
兵数さえ揃ってればその石垣なんかも有効に機能したんじゃないだろうか?
0171人間七七四年
2018/07/02(月) 15:31:00.24ID:wiAq6/Is>>169>>170はわたし。
光回線で常時在宅でも想定してるのかねぇ?
0173人間七七四年
2018/07/02(月) 15:49:00.64ID:MPoSxwAG今まで何をやっていたのかと
0174人間七七四年
2018/07/02(月) 15:55:10.29ID:u02ZI2b20175人間七七四年
2018/07/02(月) 15:55:52.31ID:u02ZI2b20176人間七七四年
2018/07/02(月) 15:57:27.27ID:3djvfyqW秀忠は家康に信州平定を命じられていただけだからな
岐阜城が落ちたことにより急遽、家康から任務変更の使者が秀忠の下に送られたが
豪雨による川の氾濫のため使者の到着が大幅に遅れ、その後に美濃に向かうが
雨天と悪路のために進軍がそこでも遅れただけなんだよな
真田昌幸と織田秀信が後退で入っても秀忠の遅参は天候のせいだから関係ないという…
誰が城主でも変わらない
むしろ岐阜城が早期に落ちたことにより秀忠に任務変更で西進命令が渡ったから
岐阜城が落ちなければ秀忠は信州平定を続行してるだけという
0178人間七七四年
2018/07/02(月) 16:19:15.22ID:8FyWvRJj木曽川沿いの米野の戦いでほぼ壊滅し
僅かな敗残兵を率いて岐阜城に籠城したとあるから。
最初から米野に行かずに籠城しておけば半月くらいもったかもね。
それなら犬山城や大垣城からの援軍が余裕で間に合ってた。
0180人間七七四年
2018/07/02(月) 17:42:19.37ID:xXxDtCln新ネタねえ。あえて超守勢の提案をしようか。
岐阜城陥落後になるけど、美濃を放棄する。
そして伊勢、近江、越前を防衛線として徹底防衛する。
その間に四国と九州を完全制圧しつつ前田家と越後堀家に伊達最上を除く東北勢を調略する。
その後に関東と東海道に美濃信濃だけとなった東軍を包囲して攻撃する。
最後は国力差で押し切る。
途中で講和してもいい。畿内(天皇と秀頼)と西国と戦闘力を維持できていれば西軍不利な講和にはならない。
なお、毛利宇喜多奉行衆が徹底的に団結しており、利害衝突などによる分裂は起きないものとする。
0181人間七七四年
2018/07/02(月) 18:11:28.37ID:Tydhg3Ufそれから九州制圧は誰が担当するの?
大友が黒田を破るのか、それとも島津義久が北上を開始するのか
0182人間七七四年
2018/07/02(月) 18:16:45.26ID:gttBanIe落ちる前になんとかしないと駄目だわ
0183人間七七四年
2018/07/02(月) 19:53:44.67ID:8FyWvRJjそれまでは単なる烏合の衆なわけで
岐阜での所詮で負けたりするとたちまち不協和音が起きて軍が四分五裂する可能性が高かった。
0184人間七七四年
2018/07/02(月) 20:37:40.58ID:8FyWvRJjもし信長が秀信の立場でも間違いなく出撃しただろうし。
籠城向きな性格をそもそもしてない。
0185人間七七四年
2018/07/02(月) 20:38:46.26ID:DLYqkovE0186人間七七四年
2018/07/02(月) 21:01:08.49ID:mt5UT25O関ヶ原に限らず平治の乱などでもそうだけど
実力者の留守を付いて蜂起しても帰ってきた相手に鎮圧されるのが当たり前だ
むしろ本能寺や殺害には至らなかったけど排除に成功した七将襲撃のように
蜂起と同時に相手を直接襲撃する即時決着こそが唯一の道だ
弾劾状をばら撒いたり広く味方を募るのは排除した後にやるべきことに過ぎない
西軍は手順が逆だから勝ち目などなかった
とにかく家康が畿内にいるときに蜂起するのが成功する最低条件なわけ
0187人間七七四年
2018/07/02(月) 21:24:58.65ID:8FyWvRJjタイの軍政も首相が外遊してる時にクーデター成功させたろ
ペルーもそうだった気がするぞ。
0188人間七七四年
2018/07/02(月) 22:29:57.00ID:wdxQTxMG大成功したのが軍事的空白の中、唯一畿内にあった軍の明智光秀。
信長と信忠の両方を殺せたのが本当に大成功。その後はダメだったけど。
関ヶ原前後の場合、家康が畿内にいて徳川軍数万と分裂しているときに家康本人を人質に取るのがgood。
ただし成功させるには秀忠や秀康を含めて全員殺すか人質にしないと。
ただ、秀忠が関東にいるし、秀康や忠吉もいるのでそこまで有効かどうか。
畿内で狙うと家康を守るために七手組も動きかねないし、畿内駐留中の徳川軍を撃破するための軍事力を隠蔽なしに動員して、大阪に上陸させるとかは不可能に等しい。
確実に逃げられるだろうね。場合によっては淀と秀頼を連れて関東行き。
あるいは大坂城に籠城している間に秀忠や秀康が軍勢を連れてくるよ。
なので、クーデターとしては史実でいいんじゃないのかな。
そもそもこれのあたりをいじくると関ヶ原の戦いと呼べるのか疑問になってくるし。
0189人間七七四年
2018/07/02(月) 22:31:20.00ID:wiAq6/Is言わんとすることはわからんでもないが、家康がいるの大坂城西の丸でしょ?
どうやるの?
それ以前の七将襲撃時に毛利が挙兵開戦すべきだったってこと?
0190人間七七四年
2018/07/02(月) 22:49:15.53ID:ATpnn9/pそんな事はないさ、明応の政変なんかはそれでうまくいってるよ
後、武田家における信虎追放劇なんかも成功した例だね
特に明応の政変なんかは将軍が軍勢をひきつれていたにも関わらず
事件が発覚した途端に軍勢が一斉に崩壊してしまった
結局、将軍はクビになり殺されかかったりもした
0191人間七七四年
2018/07/02(月) 23:16:24.03ID:8FyWvRJj東西両軍ともある意味クーデターだと言える。
軍閥同士の戦いなわけで。
0192人間七七四年
2018/07/03(火) 00:05:44.00ID:GF0L5bnM家康のクーデターってどこの部分です?
0193人間七七四年
2018/07/03(火) 00:18:51.14ID:tRNLdKXHしかし秀吉もクーデターによって秀信や信雄から政権を取ったわけで。
というか天皇陛下に政権をお返ししない武士共はみな軍閥で逆賊である!(皇国史観)
たぶん、今進んでいるクーデターがどうのという話は「一番悪いのは秀吉」に帰結すると思う。
そしておそらく西軍の勝利に関連する話に発展しないと思う。
0194人間七七四年
2018/07/03(火) 00:40:59.53ID:tRNLdKXH伊勢主攻・そうこうしているうちに美濃が落とされて史実通り
信濃主攻・美濃が落とされて挟み撃ちor東軍畿内入り
越前主攻・美濃と近江が陥落する。前田を本気で敵にする。
西国主攻・(笑)
尾張速攻・失敗するというか間に合わない可能性の方が高い。西軍首脳の状況認識をいじくる必要がある。
知多上陸・史料がすくねえ。郷土史レベルも少ねえよ。先例もあんまりなくて考察しにくい。そしてハイリスク。
岐阜城後詰・割と話は進んでいるけど、みんなから嫌われてるか飽きられてる?
こんな感じですか?新参者かつ偏見込み込みなんで異論や欠落はたくさんあるでしょうけど。
他に検討されてないのは飛騨主攻くらいかな?飛騨案は考えるだけ無駄だろうけど。
山の中で前田家と東軍先鋒組に挟み撃ちにされるだけに見える。
今のところ岐阜城がらみが現実的に思えますけど。他にありましたっけ?
0196人間七七四年
2018/07/03(火) 06:24:44.25ID:PIpdIy/j愛知県史資料編13織豊3より引用
東軍の攻勢によって主戦場が尾張国内から木曾川を越えて美濃国西部へと
移っていく中、尾張・三河両国の海岸部では、西軍方に与した
志摩国鳥羽(三重県)の九鬼嘉隆の軍船が焼き打ちを行っており、
九月には毛利輝元の臣乃美景継・村上景弘らの軍船も伊勢湾に現れた。
毛利氏の水軍は九月九日未明に伊勢湾を渡って知多半島に押し寄せ、
各地で放火や合戦をおこなった。「慶長年中記」九月十日条にも
九鬼水軍による焼き打ちに関する記述がみえるが、
毛利氏の水軍もこれに加わっていた可能性がある。
慶長年中記 巻一
十日 熱田西の海辺四五ヶ所、是ハ敵方九鬼大隅(嘉隆)焼候よし、
岡崎?地鯉鮒(池鯉鮒)へ行に焼見ゆる、熱田海辺より五六町ほと大船一艘、
地ハ紫に白き桐のとうのまく張たる九鬼大隅守のミよし先へ被遣候、
御馬印持候ものさんたか橋にて 御目見いたし候、とかくの御意なし、
0198人間七七四年
2018/07/03(火) 06:44:57.62ID:8phx2hot相手の反撃を想定してないのは愚作
畿内にいる家康が武装してないうちに討ち果たすのがいいのにやらないなら蜂起なんてあきらめるべきだった
0199人間七七四年
2018/07/03(火) 07:31:21.02ID:1dhw1tCg賛成は出来ないが反対も出来ないな〜 確かに家康を倒すのに
家康を国に帰してから・・・ってのは厳しかったのは事実だ。
極論すれば、謹慎中の石田5千で大阪向かっても家康倒せた可能性はあるからな。
ただ、家康討った後にどうするかの展望がないと・・・
宇喜田は嬉々として支持してくれるとして、上杉と毛利にも話し通しておかないとキツイが
そうしたら情報漏えいするだろうしな。
0200人間七七四年
2018/07/03(火) 08:16:02.04ID:PIpdIy/j先年関か原御弓矢之時、伊勢地数船之御船指廻し、御国?ハ村上八郎左衛門殿
(景広)・乃美備後殿(景継)御船手不残被差出、
大坂よりハ菅野平右衛門殿(管達長)・村上彦右衛門殿なだ声古ヲ被差添御廻シ被成候、
伊勢之鳥羽ニ者九鬼大隅殿(嘉隆)大坂へ之御馳走ニ、
右之御方々大隅殿江御座候而方角万事御談合被成、
尾張灘手を御働被成御儀定ニ相澄、
おふミなと(伊勢国大湊)まて御座候而、彼表ニ而長々船中各御苦労被成候条、
一夜彼在所にて御休め被成之由、悉宿を取り御休息候処ニ、
乃美備後殿野せつちん(雪隠)へ参と被申、
五六丁家はつれへ被参候而都合被見合候処ニ、
彼在所より弐里間にて岩手と申城を敵方?持堅、
おふミなとの在所からも殊外手広不審ニ相見候条、
各うかと罷居儀ニ而無之候条、夕飯を仕廻、
夜入候者船へ各被召可然之通被申付而、悉船ニのり申候へハ、
夜半迄(過)ニ岩手?夜打ニ心懸人数差出、殊外物あぶなき躰にて、
下々共ニ備後殿御見合之段感入候、一日間ニて血地江御働ニ、
不残御渡り被成候、尾州之内大野と申浦江九月九日未明ニ被打入、
一段仕合能発向被成候、其次ニ二浦同前ニ候而、各御談合ニ、
今日之働ハ不残出来申候へ共、放火不仕候条、
明日之働ニハほうくわ(放火)を専ニ仕候様ニと仰事ニ候、
かたかミと申在所を未明ニ御働、一軒も不残放火仕り、
頓而其次野間の内海と申浦江御仕掛候処、
是ハ先代(源)義朝之御腹被召たる浦ニて候得者、
船本江人数差出相さゝへ候へとも、船よりの御仕掛丈夫候故、
終ニハにけくつし多分追討ニ仕り、
船本より一里半奥ニ義朝之御影御座候故、坊中江おひ入候故、
跡?足長仕ル儀ニてハ無之候条、各引取り候へと被仰付、
不残引取申候、礒兼加賀殿上下八人ニ而、
彼御影之寺放火不仕候へハ、此在所相働専ハ無之候条、
是非共ニ放火仕り引可申と被申候而ふかいりの故、
人数三十計討出取まき候条、別条子細も無之候間、
足床を見合高ミを取可相果覚悟ニ候、
壱人にても足を乱シ候而ハ不叶儀候之条、八人之者ハひつかけ相果覚悟ニ候、
其人数ハ加賀殿上下三人・乃美平左衛門殿上下弐人・
末永惣右衛門・世良源右衛門・末島(島末)与左衛門、
此八人ハ鉄炮弐丁御座候而、引懸五間ほとにて討候やうニと覚悟仕り候処、
敵も其覚悟ミきりはた?と不仕懸候処ニ、舟本江此聞候而、
乃美備後殿・村上八郎左衛門殿自身かけつけ候へハ、
のほりさきを見及引取申候故、無事ニ御しのき、
御両人衆殊外御しかり被成、(乃美)宗勝巳来上りはたらきの仕やうハ御存知ニ而、
深入沙汰之限りと被仰、無事ニ船本御引候事、
二日之間ニ六浦御働殊外出来候事、
誤字脱字はご勘弁。さぁ読んでくだされw
0201人間七七四年
2018/07/03(火) 08:50:41.05ID:PIpdIy/j0202人間七七四年
2018/07/03(火) 09:34:13.05ID:bud9WTUO0203人間七七四年
2018/07/03(火) 09:35:53.39ID:PIpdIy/j同日(慶長5年7月21日)岩手(伊勢国)城稲葉蔵人(道通)手勢九百六拾人籠候処、
九鬼大隅守(嘉隆)町口迄取懸候へ共、堅固被相抱候間、
敵の人数引退申候、其後九鬼大隅守・堀内安房守(氏善)以下船手の衆卒し、
尾州・参州之灘浦を焼払、漁人村老男女僧侶に不限切捨狼藉前代未聞也、
尾州毛呂崎(師崎)江寄ンとす、
浦のもの内々近日従関東御上を聞て、其間敵をたるめ魚を取て日々に送り、
様々の音信におよひけり、
然るニ案のことく千賀孫兵衛(重親)一夜の内ニ而のりつけ、
大勢籠たるやうニ見せ、浦々に旗を立置候間、
敵驚寄せ不申、其間に松平紀伊守(家信)・小笠原新九郎(広勝)・
同安芸守(小笠原信元)次第ニ乗付申候間、
弥敵船驚きこきのき申候、右ノ海上浦々の悪行の天罰にや、
此口の寄手の大将達のすへ?迄後ニ皆たへはて申候、
武家の習殺業なくて不叶されとも、
分の敵を討て非分の者を不討とはかやうの事にや、
此時戸田三郎右衛門(忠次)・清水権之助(政吉)ハ
大野・とこなへ(常滑)に罷在候間、
舟を出し防候間、敵不叶舟をこきのき引取申候、
0204人間七七四年
2018/07/03(火) 09:51:38.02ID:PIpdIy/j東軍は、敵の水軍が漁村を放火し漁民を殺すなど乱暴狼藉し放題、
しかし千賀重親の策略で敵は師崎から撤退、
大野、常滑でも水軍で迎撃し敵を撤退させた、と。
どちらも誇張があるだろうけど、さて、どうだろうね。
0206人間七七四年
2018/07/03(火) 11:26:51.84ID:YgBdAEXS前田攻めと上杉攻めは豊臣家から許可得て動いてるのにクーデターなの?
0207人間七七四年
2018/07/03(火) 12:21:45.39ID:CXpkx43T0209人間七七四年
2018/07/03(火) 17:37:34.54ID:AAXE7eyx関ヶ原の戦いなど、慶長年間の出来事についての記録。
慶長見聞書って写本ではあるが、明治12年か…、信憑性どうなんだろ?
0210人間七七四年
2018/07/03(火) 20:39:31.63ID:AAXE7eyx乃美景継が伊勢で野糞をしたということが理解していただけたと思うが、
岐阜城後詰決戦案における、岐阜城籠城部分についてはもういいの?
なければ岐阜城後詰決戦案の弱点部分に触れようかなと。
0211人間七七四年
2018/07/04(水) 00:02:08.65ID:/nFVXCik0212人間七七四年
2018/07/04(水) 00:31:39.43ID:NsBfRsXn0214人間七七四年
2018/07/04(水) 00:43:52.32ID:Y1/e9kNd勝って自分たちを認めさせるしかない、殺らなければ殺られるという危機感を持たなければ何も始まらないよ
三成たちは自己正当化に腐心しすぎて、自分が謀反を起こした挑戦者側だという根本的な認識が不足していた
もはや戦術や戦略がどうこう以前の問題だよ
0215人間七七四年
2018/07/04(水) 01:01:20.17ID:K60sKy8e西軍のブレーンとそれぞれブレーンたちの意思疎通方法、あと誰の意見が優先されるのかってのはどうなってるんですか?
0216人間七七四年
2018/07/04(水) 01:18:36.68ID:rbz12dHr東軍の物見報告の結果、岐阜城の守りは思っていたよりも堅い、兵も多い。
その報告を受けて東軍先発隊はどのような行動を採るか。
1、岐阜、大垣の守りは固く、木曾川も渡河しなければならない。
それよりはリスクの低い犬山の攻略を目指す。
2、多少岐阜の守りが固くても予定に変更はない。木曽川を渡河し岐阜攻略を目指す。
最低でも大垣と、岐阜&犬山の連絡線を遮断する。
3、目標はあくまで佐和山なので、攻略に時間の掛かりそうな岐阜、犬山には押さえの兵
のみ置いて、最短コースの竹ヶ鼻、大垣の攻略を目指す。
最低でも岐阜、犬山は孤立させる。
4、その他。
さて、どれ選ぶと思う? わたしは1かなと思ってる。そして1の場合が西軍が対応が難しい。
2なら>>11の構想通り、3の場合は岐阜城衆の作戦的選択肢は増える。
0217人間七七四年
2018/07/04(水) 01:20:44.90ID:rbz12dHr美濃方面司令官は石田三成とみていいんじゃない?島津も石田の指示で墨俣の守備に
ついたわけでしょ?
0218人間七七四年
2018/07/04(水) 01:38:37.80ID:K60sKy8eなるほど美濃方面で優先される最上位の命令が下せるのは石田三成という認識でいいんですね
その場合宇喜多の意見は参考にされる程度なんですかね?
0219人間七七四年
2018/07/04(水) 02:14:54.52ID:rbz12dHr同じ場所にいるなら合議というか軍議をするんじゃない?
で、距離離れてて石田から宇喜多とかなら指示というより依頼みたいな形じゃない?
西軍自体が連合体みたいなかんじだから。
東軍なら家康の指示がすべて、ってかんじだろうけど。
0221人間七七四年
2018/07/04(水) 04:24:08.55ID:P8/6RZxL近江がほぼがら空きになるけど、8月17日辺りから動きのおかしい小早川の対処はどうすんの?
伊勢・近江方面が手薄になるのが避けられないんで奴がイラン動きする可能性が高くなりそうだけど
西軍視点だと美濃より後方の伊勢や近江を荒らされる方がよほど迷惑なんだが
0222人間七七四年
2018/07/04(水) 05:34:37.42ID:tjBdLmZrそれが福島正則が美濃を攻撃するんだと扇動しコントロールが効かなくなって
岐阜城制圧、赤坂侵攻と家康抜きで大坂城にまで達しそうな勢いだったとか。
0223人間七七四年
2018/07/04(水) 06:08:23.96ID:8J8UqkAT0224人間七七四年
2018/07/04(水) 06:32:38.60ID:tjBdLmZr家康が尾張に来るまで東軍は動かないので伊勢や近江をガッチリ固めてから美濃に集合で
十分だと思い込んでたが、まさかの電光石火で岐阜城に攻めてこられて計算違いだったので
慌てて何もできなかった。
ここら辺がパニくると地蔵となって思考停止する川島GKとそっくりなところだ。
0225人間七七四年
2018/07/04(水) 06:47:00.33ID:tjBdLmZrこの不詳の遠い親類に大領を与えたかったというなら
蒲生の後釜として会津あたりを与えればよかったのに。
扇動能力がとても長けてる正則だが東北だとその能力は生かされないから
毒にも薬にもならない。また性格が蒲生氏郷と酷似してたので
意外とうまく統治したのではなかろうか。
後の福島県という命名は「福島正則から来たんじゃ」と子孫も威張れるだろうし。
0226人間七七四年
2018/07/04(水) 06:58:44.97ID:AL1RU1FM>蒲生の後釜として会津あたりを与えればよかったのに。
>また性格が蒲生氏郷と酷似してたので
!?!?!?wwwww
なんだこいつ!?!?w
0228人間七七四年
2018/07/04(水) 07:59:57.07ID:Z+n4+RDT岐阜城は兵力差的にすぐには落ちず
後詰めが来た場合包囲を解いて対応するしかない
であれば先ず犬山を落として出方を見る
0229人間七七四年
2018/07/04(水) 08:18:10.54ID:axG9lvzUまあ、後の大阪の陣の時に、息子が大阪に付きたがったら自分を見捨てても
良いとか言ったって噂有るしね。
正直、家康も福島正則が「今日から俺は」とか有り得るとか思ってたのでは?
兎も角、異常に感情多可の人だし万が一千成瓢箪の馬印でも出れば?
0230人間七七四年
2018/07/04(水) 08:41:30.90ID:7I5ogxQ+>>216
悩むけど3はいくらなんでもとらないだろうね。
毛利や宇喜多も参加している以上は佐和山の価値はとても低くなる。背後からの攻撃だってあり得る。
4の家康隊との合流、秀忠隊との挟撃を目指すというのが東軍的には一番安全策になるのでは?消極的にすぎるけど。
でも1番が一番ありえそうにも思える。
>>217
多分そうなんだけど、近代軍制じゃないんで、長束が失脚した隠居の指示なんて聞けるか!俺は四位の公家成りで三成は五位諸大夫だ!とか、吉川が公卿があいつのいうことを聞く必要はねえ!ってやられたら三成には大坂城からの命令いう形式を取らないとどうしようもない。
0231人間七七四年
2018/07/04(水) 09:25:54.32ID:t42iu4rd>>13参照。
>>230
4,には「家康の到着を待つ」としようかとも思ったんだけど、村越茂助の件で、
半ば逆ギレ気味に「だったら攻撃してやるわ!」となってる状況で、
「でもやっぱり敵が強力なんで家康を待つ」と冷静に判断して消極策を採る可能性は
低く思えたので4.はその他とした。
佐和山は岐阜城落としたあとでも東軍先発隊の攻略目標となっている。
>>8の上段書状あたりが参考ね。
で、指揮系統については7月30日もしくは伏見攻略後の大坂での軍議で、
ある程度の方面担当等は決めたんじゃないかと思う。
立花なんて美濃、近江うろうろして使いっぱしりみたいなことやってる(やらされてる?)よ。
予定変更につぐ予定変更なんだろうけど。
0232人間七七四年
2018/07/04(水) 10:11:42.95ID:tjBdLmZr「あいつならやってくれる。周りはあいつを駄目キーパー扱いしてるが
あいつがやってくれないと絶対に西軍は勝てない。秀秋と心中するなら一片の悔い無し!」
秀秋「あざーす。ベルギーさん、パンチングしてボールをパスするので決めちゃってください」
0233人間七七四年
2018/07/04(水) 10:33:00.61ID:t42iu4rd石田の尾張・美濃国境付近への出陣にあわせ、石田の指示により犬山城は
籠城態勢に入った可能性が高い、としている。
根拠は8月3日付加藤貞泰宛、及び8月8日付石川貞清宛徳川家康書状では
籠城に関して触れられていないが、8月12日付井伊直政・本多忠勝宛書状では
犬山城の籠城について触れられている、としている。
0234人間七七四年
2018/07/04(水) 10:43:37.88ID:K60sKy8e近ければ軍議、遠ければ依頼ですか
よく宇喜多が言うこと聞いてくれましたね 腐っても石高や官位だと宇喜多が上なはずなのに
やはりその辺りの弱さと状況認識の甘さも西軍がなんかグダッてた一因なんですかね
0235人間七七四年
2018/07/04(水) 10:54:04.14ID:Z+n4+RDT本田のCKもあれで良かったのかどうか
ギリギリに落とさないとダメにしても
ベルギーのカウンターも早すぎる
岐阜でボールをインターセプトできたと判断して
エースストライカーの家康が自陣奥深くから一気に
ゴール前に到達
0236人間七七四年
2018/07/04(水) 11:16:38.64ID:t42iu4rd8月10日付佐竹義宣宛石田三成書状に、8月8日に秀信と共に?
尾張・美濃国境付近に出陣した(表現は仕置)と言ってるんだよね。
(真田宛では8日に出陣予定と書かれてる)
我等事、尾・濃境目之仕置、尾州表一昨日八日罷出候、
岐阜衆与申談事候、
上記10日付佐竹義宣宛石田三成書状
石田が尾張の曼陀羅寺に禁制出した日付は8月13日だが。
石田の大垣入城は8月10日だけど、8月6〜7日の時点で既に石田の手勢は美濃におり、
8月8日に清洲の占拠ないし尾張での人留めをしようと尾張に行ったが、
無理そうなので美濃に引き返し大垣を拠点とすることにした、ってとこだろうか。
たしか8月5日は石田は佐和山にいるよね。
0237人間七七四年
2018/07/04(水) 11:30:46.58ID:BpUHPRxu凄い有能やん、こりゃ家康いなくても福島だけで西軍負けてたな…w
0238人間七七四年
2018/07/04(水) 12:48:20.72ID:t42iu4rd岐阜と犬山の中間ぐらいで木曾川から1〜2km辺りのところ。
もっと大垣寄りかと思ったけどそうでもないね。
0239人間七七四年
2018/07/04(水) 13:03:29.57ID:t42iu4rd小折城まで行ったが(曼陀羅寺の約2km南方)、断られたか、
既に清洲に行ったと知り、美濃に引き上げた。
こっちのほうが可能性高そうだな。
0240人間七七四年
2018/07/04(水) 13:48:29.04ID:P0H1Czq+家康も姻戚関係になったり諸問題解決で貸しを作ったり
加増して味方作りに励んでたわけでしょ
0242人間七七四年
2018/07/04(水) 14:19:41.94ID:LYwuZOyi0243人間七七四年
2018/07/04(水) 14:20:10.87ID:uvMWELw0そもそも転地は本音じゃどの武将もイヤなことだったわけで。
加増なんてのもよっぽどの規模でないと。
0244人間七七四年
2018/07/04(水) 15:26:20.31ID:VS7YZKqZいやどちらかと言うと福島正則って、
夏の高校野球県大会で優勝候補に対して後先考えずに全力でぶつかって、
県代表になってはみたものの力を使い果たし甲子園では0-15ぐらいで惨敗するタイプじゃね?
0245人間七七四年
2018/07/04(水) 15:57:25.27ID:BpUHPRxu信長秀吉が現れる以前から先祖代々親戚だったりするわけで
犬山城のメンツが消極的だったのはその面から調略などあったのでは
三成は信秀が加わったことで油断してしまったのかもしれない
実際は他国を攻略するくらいの慎重さが必要だった
0246人間七七四年
2018/07/04(水) 16:00:19.82ID:AtGMFsYp上の人が仰るとおり岐阜城攻めが福島たちの独断専行でしかももし負けた場合、これはかなり東軍が危険に晒されるリスクが高かったんじゃないですかね 英断も結果が伴わなければ蛮勇というか
0248人間七七四年
2018/07/04(水) 16:11:19.19ID:3wegN2C00249人間七七四年
2018/07/04(水) 16:47:09.91ID:OEGNyc5w秀信が圧倒的戦力に野戦するとは想定していなかったはず
0251人間七七四年
2018/07/04(水) 17:41:26.04ID:9vZXNK7g当初は自身の上洛まで待機と言った家康がいきなり発言を180度変えたのは、
田中吉政の子が江戸で人質になったのに自分も戦功立てたくて江戸を抜け出して、
送り返されたり、それで池田輝政により上洛への行軍を停止したら、吉政が矢作橋の
通行を停止したりと色々、吉政の周りで不穏な動きがあり、家康がそれを警戒したから
で、その家康の東軍先鋒への不信感の発端が、叔父の水野忠重暗殺なので、
あれが無いと家康の上洛まで東軍先鋒が動かない可能性がある
0252人間七七四年
2018/07/04(水) 19:07:47.35ID:OEGNyc5wインターセプトして敵陣に食い込んだから
これはゴール狙えるってことで
自陣奥深くにいたエースストライカーが
前線にデテキタ
0253人間七七四年
2018/07/04(水) 20:33:47.54ID:K60sKy8eなるほど、割と田中吉政って不審な行動取ってたんですね
そいで水野忠重が加賀井重望に暗殺されたのってなんかかなり謎ですよね、おっしゃる通りだとまさしくこの事件で歴史が動いた状態ですし
0254人間七七四年
2018/07/04(水) 22:16:20.01ID:8VxmxAdP七本槍はかなり盛って秀吉の自己満足やってただけらしいしね
福島から加藤から、地元の星みたいに祭り上げられてはいるけど全国レベルには遠くおよばない地方のミニスターみたいなものだったろうな
0255人間七七四年
2018/07/05(木) 01:21:43.73ID:IPdEnaWC田中吉政って三成と親しかったんでしたっけ?
三河岡崎領主だったからなのか徳川を裏切るのははばかられたようですけど。
0256人間七七四年
2018/07/05(木) 01:51:40.73ID:9d1CjeXLここらへんは連携してそう
誰か1人でも調略できたら一緒に動きそうだけど、池鯉鮒の件で堀尾は完全に西軍憎しだろうし
0257人間七七四年
2018/07/05(木) 07:59:46.65ID:8w9FueoK0258人間七七四年
2018/07/05(木) 09:24:17.76ID:AzPG4L+v普通は豊臣を見限って強いほうにつくけど
0259人間七七四年
2018/07/05(木) 09:42:02.95ID:8w9FueoK最後は「大坂の陣には連れてってもらえないのですか?」と家康の前でさめざめと泣いたんじゃなかったっけ?
川中島に押し込められて。
10万人もの武士たちが大坂城に集結して幕府軍をケチョンケチョンにしたのに
キングオブ情けない奴というのが俺の中の評価なんだが。
0261人間七七四年
2018/07/05(木) 09:54:04.01ID:xu1vxnov善戦ならまあ、言えないこともまったくないわけではないのかもしれないけど。
ケチョンケチョンって、「徹底的にやりこめるさま」、「完全にやっつけるさま。徹底的にいためつけるさま」ですから大坂の陣における豊臣方の評価としては使いにくいと思います。
0262人間七七四年
2018/07/05(木) 09:56:26.25ID:GvWtV6jlこれらのことから8月8日に石田・秀信連合軍推定8000〜10000、
少ない場合は3000〜5000くらいだろうか、で、尾張小折城付近まで進出した、
目的は清洲の占拠、もしくは熱田あたりでの人留め、もしくはまずは小折城への進出で、
しかし進出はしたが、なにかしらの理由、もしくは情勢判断で美濃に引き返した。
小西については禁制出してないところから帯同していなかったと見る。
場合によっては、8日は小戦力だったので引き返し13日に改めて兵8000〜1万くらいで
進出したかもしれない。
とりあえず禁制も出しているところと、生駒利豊書状から石田と秀信が西軍への勧誘を
していたのは間違いなく(利豊父は長年織田に仕えた恩義から秀信につくのを主張、
利豊本人は日ごろ親身に世話になっている福島につくのを主張、
結局福島につくことにする)8月8日か13日、もしくは両日に尾張小折城付近(推定)に
石田、秀信が進出した可能性がかなり高いと見る。
なので早期尾張進攻案推しのひとはこれを踏まえておくといいと思う。
まぁ推論だけどね。
話逸れて申し訳ない、また>>216に戻ります。
0263人間七七四年
2018/07/05(木) 10:11:25.80ID:AE5JU+6pてか邪魔
0265人間七七四年
2018/07/05(木) 11:03:50.09ID:R55uSc1C>これらのことから8月8日に石田・秀信連合軍推定8000〜10000、
>少ない場合は3000〜5000くらいだろうか、で、尾張小折城付近まで進出した、
>>3だと
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
10日に大垣城にやっと着いたことになってるけど?
しかも東軍先発が4日後に来るけど?
0267人間七七四年
2018/07/05(木) 11:25:44.94ID:DztRZtiS6、7日に美濃、岐阜城かな?に行き秀信と
8日尾張に進出する作戦を立て実行、
そして大垣の拠点化が必要とかんじ
伊藤盛正に大垣拠点化の説得をした、
という流れになるかな。
禁制の日付が13日ってのは気になるけどね。
0268人間七七四年
2018/07/05(木) 11:40:35.50ID:R55uSc1C8月5日三成書状
一 拙者儀先尾州表ヘ岐阜中納言殿申談人數出候、福島左太只今御理申半ニ候、於相濟者三州表ヘ可打出候、もし於不相濟は清須へ勢州口一所に成候而可及行候、猶吉事可申承候、恐々謹言
八月五日
一 石田三成は、岐阜中納言殿(織田秀信)と相談し、まず尾張へ軍兵を出した。
福島正則はただ今理す(質す)ところ半ばである。
うまく済んだならば三河へ打ち出ようと思っている。
もしうまく済まなかった場合は清洲城へ伊勢方面軍と合流して攻めるつもりである。
八月五日
そもそも8月5日には軍兵は尾張に出してるが清洲城を攻めるには
伊勢方面軍と合流してから攻めると言っている
逆に言うと伊勢方面軍と合流しないと兵力が足らなくて清洲城を攻められない現状だとも言える
0269人間七七四年
2018/07/05(木) 12:33:06.41ID:ayL4wZb3結構離れた場所でも保険として貰っている例がある
0270人間七七四年
2018/07/05(木) 13:37:48.82ID:JB7Aztymちょっと家に帰宅しないと書状の詳細が
わからないけど、概ねそんなとこだと思うよ。
なので、石田の手勢自体は8月8日には
美濃で活動していたということです。
0271人間七七四年
2018/07/05(木) 23:45:34.98ID:GvWtV6jl去三日之御状今六日子刻佐和山参着、令拝見候、(中略)
兎角愚意違背之輩可被討取覚悟専要候、
此方為仕置明後八日尾州表へ被(罷)出候、岐阜申談候、不可有御気遣候、
一手之筑紫衆者残置佐和山、用次第可被打出候、(以下略
この書状から石田は少なくとも8月6日子の刻までは佐和山にいたことがわかる。
それと、8日に秀信と相談して尾張に進出する予定だとしている。
そして必要ならば佐和山で待機してる筑紫らを出撃させることもできると。
なので石田は8月6日に佐和山を出発し、7日に美濃に入ったと思われる。
8月10日付佐竹義宣宛石田三成書状については>>236に記載。
>>268
まぁ福島が敵対して清洲に篭るようだとそう簡単には清洲は落とせないと
石田はわかっている、ということでしょうね。
0272人間七七四年
2018/07/06(金) 10:55:30.52ID:BMpaDp2p※大垣城で脱穀するぐらい兵糧が足りなかったと言われてる説は無視する
兵糧準備も無しに8月10日前後から清洲城攻囲しても14日には東軍先発隊が清洲に到着するから
清洲城を攻城できる期間は実質4日あるか無いかだろうな
4万の大軍で約二週間掛かった伏見城より少ない1万あるか無いかの兵力
そして清洲城は2〜3重の堀があり4日くらいで東軍後詰めが到着予定
まあ無理だわな
0273人間七七四年
2018/07/06(金) 13:43:18.35ID:HAmayFJZ福島正則→稀代のあほ
木下一族→あほだらけ
やっぱ士族以外は使い物にならんな
0274人間七七四年
2018/07/06(金) 13:50:03.35ID:EwoLHjcO0275人間七七四年
2018/07/06(金) 14:01:55.93ID:nf8nrATy0276人間七七四年
2018/07/06(金) 14:59:37.94ID:BMpaDp2p0278人間七七四年
2018/07/06(金) 20:29:42.27ID:BMpaDp2p豊臣秀吉の国替え命令に織田信雄が逆らって改易され、
豊臣秀次の所領に組み込まれた後、1595年に福島正則の居城となる
0279人間七七四年
2018/07/06(金) 20:35:30.30ID:QsEbYCFS石田・大谷・小西も士族ではないから、馬鹿な暴走を始めたと言えるね
豊臣子飼いは使い物にならない阿呆ばかりだ
むしろこんな連中に絡まれた家康の方が被害者だよ
0280人間七七四年
2018/07/06(金) 20:39:47.41ID:RhajDl970281人間七七四年
2018/07/06(金) 20:54:24.11ID:GKaHi1Ri毛利・上杉に加増したらでかくなりすぎるし、関東や尾張を任せられる人材もいない
0282人間七七四年
2018/07/06(金) 21:19:01.45ID:GpARlNXFまず東軍先発隊約3万が推定8月21日に犬山に押し寄せるが、
犬山も兵7000いるのでそう簡単には落ちない。
犬山からの援軍要請が岐阜、大垣に8月21〜22日には来るだろうが、>>11のとおりで
この時点では岐阜も大垣も犬山に後詰するだけの余裕はあまりない。
両城から計5000〜8000ほどを抽出して犬山に後詰を送るかどうかは議論が分かれると思う。
>>16の宇喜多への早期の援軍要請もコンボすれば余裕はあるが。
いずれにしても宇喜多が美濃に到着すれば犬山の後詰にまとまった兵力で行けるわけだが
西軍が犬山後詰として着陣するなら伊木山と鵜沼になると思われる。
(東軍に占拠されてなければ、だが)
西軍が東軍犬山城攻城軍を攻撃するには木曾川を渡らなければならない。
同じように東軍も西軍後詰軍を攻撃するには木曾川を渡らなければならない。
つまりどちらかが渡河しないと犬山城後詰決戦は発生しない。
しばらくは膠着し、あとはどちらかが上流ないし下流から迂回して挟撃、
もしくは背後からの攻撃を行うかどうか。
渡河する側はリスクが高いので、読み合い、駆け引きの勝負になり、
油断や奇襲の成功が勝負を決すると思われる。
>>272
まぁ8月8日に小牧山の占拠ならできるんじゃない?
その後どうすると言われても困るが。補給線は大垣→岐阜→犬山経由で引けると思うよ。
0283人間七七四年
2018/07/07(土) 03:50:52.13ID:bT1RVaZS単なる岐阜城の城主なら最初から籠城して岐阜城を守ったよ。
でも秀信は美濃国の国主として犬山城を始めとして木曽川から長良川までの
数多くの小国の領主たちも守らなきゃいけないという気概を持ってたんだろうな。
信長だったらそいつらを全部切り捨てて「俺の命が最重要」と割り切るけど
まだ青年大名で気持ちも優しい秀信にそれはできなかったんだろうな。
0284人間七七四年
2018/07/07(土) 04:25:20.49ID:bT1RVaZS気象条件にもよるが東軍が木曽川を渡り岐阜城に向かう途中
深夜などに500人ずつの奇襲部隊を複数編成して敵軍を蹂躙し
岐阜城へ帰城するとかがセオリーかね。
そこで得た小さな勝利を日本全国へ速攻で手紙を書きまくって宣伝する。
織田秀信、東軍をボロクソにぶち破った!と
それで東軍と西軍のどちらに付こうか迷ってた数多くの大名が西軍へ付く。
岐阜城への援軍も大いに期待できる。
0285人間七七四年
2018/07/07(土) 06:41:54.52ID:jIW9zqAbひっそりと奇襲かけたのは福島正則なんだけどな
夜に筏で木曽川渡って奇襲した
池田輝政も福島正則も周りの地形を知ってるから野戦なぞ勝ち目がない
0286人間七七四年
2018/07/07(土) 08:31:54.87ID:i+1stU4Y秀次清洲時代から犬山なので、犬山周辺ならば
西軍もそれほど劣っているわけでもないよ。
0287人間七七四年
2018/07/07(土) 18:11:16.89ID:qZjiHWQd尾張は秀次領だったんだけど領内統治に失敗してて秀吉に内政介入されたんだよな。
最近の秀次と秀次家臣の有能論に都合が悪いからかあまりいわれないけど。
0288人間七七四年
2018/07/07(土) 19:16:05.48ID:qkJivULt上杉が佐竹と4万で関東に突入してたら
歴史変わってただろう
0289人間七七四年
2018/07/07(土) 19:42:36.33ID:DWZBtags出陣する前の家康と関東で決戦は浪漫があるよな
0290人間七七四年
2018/07/07(土) 19:46:34.64ID:9Qmq/53U家康の敗勢が決定的にならないうちは、関東へは決して手を出さなかっただろう
0291人間七七四年
2018/07/07(土) 19:52:29.65ID:IP3/JQxM0293人間七七四年
2018/07/07(土) 21:15:09.20ID:wlXLqzW/0294人間七七四年
2018/07/07(土) 21:15:10.40ID:3saUco/I0295人間七七四年
2018/07/07(土) 21:21:10.91ID:SH0Q1628西軍上方組(つまり毛利宇喜多奉行他)の動向が史実通りとした場合で想定すると、
簡単に考えれば上杉は庄内狙いのお鮭様と伊達郡や米沢狙いの政宗によって領地を荒らされるのに耐えつつ南下する?
さすがにそれはない。北の防衛をやりながら(場合によっては越後での一揆を支援しつつ)となると
防衛だけなら多分秀康隊だけでどうにかなる。
問題は佐竹も同時に動いた時だけど、小田氏治とかが秀康傘下にいるんだよな。
政宗や越後みたいに常陸国内での一揆を扇動しそうなのがちょっと気になる。
いや、史実佐竹が動かなかった理由がわかるというか、きついね。
佐竹領内での一揆抜きなら徳川が弱くなるけど岐阜城陥落は先鋒組だけで陥落させちゃったし。
思ったよりも不利だった?
0296人間七七四年
2018/07/07(土) 21:21:36.94ID:DONs2CF8家臣団を見ても他は絶対に敵わないだろうなと思う
豊臣子飼いが徳川に来たら誰一人活躍出来なさそうなのが辛い
0297人間七七四年
2018/07/07(土) 21:29:40.37ID:KaQX9dIW0300人間七七四年
2018/07/07(土) 23:33:29.52ID:9Qmq/53U0301人間七七四年
2018/07/07(土) 23:48:11.68ID:SH0Q1628正確には三河松平系を中核に、今川家臣団と武田家臣団と北条家臣団を吸収したのが徳川家臣団
誰も活躍できないというのは言い過ぎだと思うけど、三成みたいに敵を作りやすいタイプは無理じゃないかな。
豊臣恩顧って基本成り上がりだから無能なわけないし。
0302人間七七四年
2018/07/07(土) 23:52:33.91ID:9Qmq/53U0303人間七七四年
2018/07/08(日) 00:38:41.54ID:INuTjqi7徳川に優秀な配下が揃っていたのは事実なんだけどね
それに家康を三河の一城主なんて言い方になぞるなら
秀吉はただの農民出の織田の子飼いだろ
0304人間七七四年
2018/07/08(日) 01:34:03.09ID:TNzS1DJ/0305人間七七四年
2018/07/08(日) 02:17:18.48ID:1Nv4wvDd徳川政権の場合、すでに自分とこで官僚団こさえてるんよね 豊臣政権の官僚団とは全く別口に
だから笠谷氏も二重公儀だ!って思ったんだろうけど、まぁ笠谷氏の二重公儀の是非はともかくとして完全に別々の政権作り上げてたよね
0306人間七七四年
2018/07/08(日) 06:22:39.34ID:pj/c+CHH0307人間七七四年
2018/07/08(日) 06:54:23.99ID:HQFrIRUy0308人間七七四年
2018/07/08(日) 06:58:50.63ID:IFij0d9H0309人間七七四年
2018/07/08(日) 07:54:49.93ID:k/yoj46o0310人間七七四年
2018/07/08(日) 08:07:38.54ID:/GjUavnV威圧偵察で数百人が放火して逃げ帰ってくるとか挑発の限りを尽くさなかったのは兼続の手落ちだよね。
真田昌幸ならぬかりなくそこまでやっただろう。
0311人間七七四年
2018/07/08(日) 09:08:08.11ID:xfUcis66それが違いの条々前なら一撃講和がかなり困難になるし、蜂起後ならせっかく回避できた当面の二正面作戦をやることになりません?
革籠原で家康戦死、討伐軍の死者数万っていうくらいの大勝利でもしないと外交解決しか生き残る道がない。
下手な挑発は上杉にとって不利益に思えまして。史実通りの行動のほうが上杉の主観では合理的に思えます。
0312人間七七四年
2018/07/08(日) 09:19:44.43ID:/GjUavnV東軍が西進するのが一か月遅れたら
福島や山内やその他の大名の家臣が居城から追い出され三島あたりまで
西軍が進撃してる可能性がある。
0313人間七七四年
2018/07/08(日) 09:36:21.41ID:pkPjHyz5http://www.ikoma-yashiki.com/?p=405
小折城についてです。参考までに。
0314人間七七四年
2018/07/08(日) 09:47:12.36ID:vNhfrdc8実際には5万石しか与えなかったから
大封与えたらこやつマジで家康に勝負挑みかねないとか
懸念あったのかもしれんが
0315人間七七四年
2018/07/08(日) 09:58:08.12ID:QriX/Oin0316人間七七四年
2018/07/08(日) 09:58:14.90ID:k/yoj46o最近の大型化は、センサーてんこ盛りを支える船体に余裕があるので、兵装詰め込んだ感がある
0317人間七七四年
2018/07/08(日) 10:18:16.92ID:UQtBSVKiすごい軍才だったと思うわ
前田が関ヶ原に駆けつけてたら挟み打ちで勝負ありだっただろ
0319人間七七四年
2018/07/08(日) 10:41:49.01ID:g5rB/IF2濃尾戦線があっさり片付きすぎたから、ぱっと見前田が釘付けにされたように見えるだけだな
東山道の秀忠しかり
0321人間七七四年
2018/07/08(日) 10:56:48.82ID:cZ1Gcz4l怒涛の勢いで越前まで攻め込んだところで家康動かずをきいて孤立しちゃいけんと戻って
帰りがけの駄賃で丹羽攻めたらやられてとぼとぼと帰って
東海道と足並みそろえて再出陣しようと思ったら弟が出陣拒否して
説得してるうちに時機を逸したちゅうだけかな
大谷の謀略の書状は人名間違ってる程度の偽書やでな
0322人間七七四年
2018/07/08(日) 11:06:45.17ID:V0K1iQ8h0323人間七七四年
2018/07/08(日) 11:08:09.63ID:pj/c+CHH直江状は家康が激怒するだけの挑発文であって、まわりの武家に対する檄文ではないので何回出しても無意味だろ
内府違いの条々と勘違いしてるのかな
0324人間七七四年
2018/07/08(日) 11:19:07.45ID:V0K1iQ8h伏見が落ちたのと、越後で一揆が起きたので
引き返したと、家臣宛ての書状で利長が
述べてる。
0325人間七七四年
2018/07/08(日) 11:32:30.66ID:V0K1iQ8h自分で確認しないのはどうかと思うが。
大谷の北陸在陣については他にも
輝元の大谷宛て書状とかの内容からも
北陸に向かったとするのが自然でしょ。
0326人間七七四年
2018/07/08(日) 12:34:56.62ID:g5rB/IF2大谷が前田を釘付けにしたと力強く断定してるのがいたから、違うだろと書いたんだが
0327人間七七四年
2018/07/08(日) 12:43:12.88ID:ZOdl39Reあぁそういうこと?居たかどうかじゃなくて。
諸説あるけど無難なところは北之庄に
援軍に行って前田の南下に備えた、
あとは木の芽峠あたりに陣地構築をしてたとか?
0329人間七七四年
2018/07/08(日) 14:47:03.15ID:1Nv4wvDd西軍勝つなんて西軍最大戦力の毛利がやる気なくした時点でほぼ可能性ゼロだと思うんですけど
やっぱり岐阜城陥落?
0330人間七七四年
2018/07/08(日) 14:53:16.24ID:T+uTOjlh0331人間七七四年
2018/07/08(日) 14:59:59.14ID:1Nv4wvDd自分が首謀者なのに徳川との決戦避けたかったってことですか?
それは上杉がやろうとしてたらしい、家康来た瞬間土下座的なアレですか?
三成の思惑は内府違いの条々出した時点で上杉征伐軍崩壊するから帰ってきた奴ら組み込んで家康コテンパンって思考だったぽいことをこのスレでは記述されてましたけど、毛利もその思惑なんですかね?
0333人間七七四年
2018/07/08(日) 15:36:29.87ID:T+uTOjlhうーんそのコテンパンになるかもしれん家康に助け舟だして奉行衆との和睦を仲介して、
毛利の権益拡大を家康も認めざるを得なくさせるつもりだったとか?
0335人間七七四年
2018/07/08(日) 15:51:51.82ID:Vvj5EF8Uトンデモ本を読んで自分だけが真実を知ったとばかりに大興奮で東軍を持ち上げてる輩には苦笑しかない。
0336人間七七四年
2018/07/08(日) 17:09:44.65ID:xBdQF3Oh0337人間七七四年
2018/07/08(日) 17:10:45.91ID:OmV1429c0338人間七七四年
2018/07/08(日) 17:45:24.06ID:wjAGhSyy経緯がたとえ祭り上げられたにしても、ノリノリすぎる。
四国では土佐以外の全てに派兵しているし、九州も大友家再興軍を出してる。
さらには伊勢や美濃への派兵に加えて紀伊半島を超えて水軍を送ってる。
さすが大毛利と言うしかないレベルの派兵で、徳川家に次ぐ規模になる。
豊臣政権継続で領地が安堵なら、宇喜多を売ればいい。
宇喜多改易なら西日本唯一の大老としてデカイ顔をできるようになる。軍事力の大きさを見せつけることができれば徳川も無下にはできない。
奉行制度も崩壊するだろうから、徳川も将来成人する秀頼も西国政策で毛利の意向を無視することはできなくなる。
関ヶ原で東軍が、というか徳川が想定外の政治的大勝利をしなければ多分そうなったと思う。
岐阜城陥落以後に吉川が和平交渉をしていたのはこんな思惑じゃないかと思ってる。
0339人間七七四年
2018/07/08(日) 18:24:11.84ID:UQtBSVKi西軍が勝てた
0340人間七七四年
2018/07/08(日) 19:31:08.74ID:OmV1429c0341人間七七四年
2018/07/08(日) 19:36:36.83ID:btQnY79oそれに利家は家康が見舞いに来たら
家康の人柄を称え涙を流して前田家の後を託したというのに
0342人間七七四年
2018/07/08(日) 19:38:35.43ID:1Nv4wvDd美濃近くで東軍がゴタゴタしてる間に徳川と比肩、あるいは凌駕する国力を手にして、みたいな発想やったんですかね?
いまいち西軍の勝った後何したいかみたいなのがわっかんないんですよね、負けて計画なんて立ち消えだから当然なんですけど
0343人間七七四年
2018/07/08(日) 19:54:38.66ID:NzTO7OjB家康だって警戒してるよね
利家やら如水やらはやたらと不意打ちやらかすことをにおわせてるけど相手もバカじゃないんだから
0344人間七七四年
2018/07/08(日) 20:00:46.85ID:1Nv4wvDdなぜ家康が悪人に仕立てられて、家康以外の人間がみな豊臣家に忠義に殉じる人間ばかりみたいな扱いになってしまったのか この手のストーリーの初出ってどこなのか、スレチですけどちょっと気になりますよね
0347人間七七四年
2018/07/08(日) 21:20:30.98ID:xfUcis66江戸時代の講談、徳富蘇峰、司馬遼太郎
江戸時代は「お上」への当てつけや不満のはけ口を西軍に仮託していたと思われる。
明治時代の大陸進出運動とか、反徳川幕府志向による秀吉age
作家二人はその方が創作として面白いから。それまでにできていた徳川豊臣間の戦争扱いする風潮に乗っ方というのもあるけど。
大坂の陣や徳川幕府の成立を家康は全部計算して動いていたんだ!家康は稀代の謀略家なんだ!というある意味家康神格化ににもなってるのもあるかもしれない。
参謀本部とか歴史学者や教科書作成者たちも結構なやらかしになっているんですけどね。
歴史を善と悪の二項対立で解釈しがちなマルクス史観とか。
先入観を排して史料を重んじる文化は、ようやく1970年代に台頭し始めたくらいですから……
0348人間七七四年
2018/07/08(日) 21:23:03.00ID:OmV1429c0349人間七七四年
2018/07/08(日) 21:25:38.40ID:xfUcis66さすがに東海道組は帰国するんじゃ?
佐竹は警戒しなくちゃだけど、家康隊3万でどうにかなると思う。
秀康隊と秀忠隊に伊達や最上と合わせれば上杉はかなり厳しい戦いになると思うけど。
いや、あり得ないとは言わないけども。
>>339
家康が護衛無し?
家康本人も武士としてはそれなり以上に武芸者だけど。
というか関ヶ原じゃないような。
0350人間七七四年
2018/07/08(日) 21:28:32.44ID:1Nv4wvDd史料重視の基礎が生まれる前の史学において江戸の講談や軍記物語系のものが史実として受け入れられた結果がそういったストーリーで
史料重視しようって動きが生まれたのが1970年代から、そういった研究成果が一般でも触れられるようになってきたのがほんとここ最近って感じなんですかね
0351人間七七四年
2018/07/08(日) 22:36:28.86ID:WlKA1t79外岡慎一郎著 「関ヶ原を読む」から要約し引用
まず大谷が8月2日付で越前今泉村(現福井県南条郡南越前町今泉)に禁制を出した、
そして『慶長見聞書』(浅羽成儀 1651年)には、
大谷は8月3日未明に敦賀を立って鯖波(現福井県南条郡南越前町鯖波
(JR南条駅やや南))に着き越前府中城(現越前市市役所)を攻める手筈を整えた、と記される。
としている。
解釈が微妙だけど8月2日深夜に敦賀を出発し8月3日未明に鯖波に着いたということかな。
つまり8月2日深夜敦賀を出発し、陸路か海路で今泉村に行き、現R305のルートで
8月3日未明に鯖波に到着し、堀尾の越前府中城攻撃準備に掛かったが、
北ノ庄(現福井市、県庁)の青木一矩から援軍要請があり、
越前府中城攻略は諦め、横を素通りして北上、北ノ庄に入った、
こんなかんじじゃない?
0352人間七七四年
2018/07/08(日) 22:50:47.25ID:xT7ZoP/v0353人間七七四年
2018/07/08(日) 23:10:22.91ID:WlKA1t79>小折城は名古屋ドームのグラウンド面積約15個分の大きな敷地で、
周囲は曲輪(くるわ)(土塀など、防御を意図して作られた建築物)により囲まれ、
別掲の図にあるように出丸もあり、戦闘形態の城だったと推測される。
また、城内に町屋(職人の住居)があった記録がある。
この広大な城は、当時の清州城よりも大きく(愛知県中世城館跡調査報告T)、
(中略)
曲輪(くるわ)は外させたが、そのまま生駒家が住んでよいとしたのは、(以下略
この部分で、つまり信長時代?の清洲城よりも広く、関ヶ原時には曲輪(出丸?)は破却され
館城のようなかんじだったかもしれないが、
野戦築城の土木工事すればそこそこの拠点になったのではないだろうか?
つまり8月8日の石田・秀信の尾張出兵は、小折城に進出し、小折・犬山のラインで
清洲に対峙する、
もしくは小牧山も占拠し、小折・小牧山が前線基地、犬山を拠点として清洲と対峙する、
そんな構想での尾張進出だったんじゃないかなと。
しかしなにかしらの理由もしくは判断で美濃に撤退したと。
0354人間七七四年
2018/07/09(月) 03:57:40.21ID:VDvw5spV別に返り討ちでも良いような?
この流れだと、利長に取って家康は親の仇に成るから必然的に、前田vs徳川で東西に分かれて
戦いが始まるでしょ。
史実の関ケ原より相当家康が不利。
0355人間七七四年
2018/07/09(月) 06:00:30.48ID:Gw+Wt2oh前田は壊滅だわ
0356人間七七四年
2018/07/09(月) 06:03:43.57ID:JblTiVOEそして利長と家康どっちにつくかって家康しかあるまい
0357人間七七四年
2018/07/09(月) 06:59:27.84ID:gGoqq+cF0358人間七七四年
2018/07/09(月) 07:49:51.21ID:t9sk8qZ50359人間七七四年
2018/07/09(月) 08:38:23.62ID:Gw+Wt2oh0360人間七七四年
2018/07/09(月) 08:47:52.74ID:WGNeqAqC最上征伐の返す刀で関東進出
関東管領の御出座しと喧伝すれば有象無象が馳せ参じるわい
0361人間七七四年
2018/07/09(月) 08:50:56.98ID:ouPM/yM30362人間七七四年
2018/07/09(月) 09:04:22.35ID:4dn8DFJ70363人間七七四年
2018/07/09(月) 09:30:43.43ID:gGoqq+cF0364人間七七四年
2018/07/09(月) 10:17:32.11ID:QLLutC200366人間七七四年
2018/07/09(月) 11:22:09.55ID:4dn8DFJ70367人間七七四年
2018/07/09(月) 12:27:30.47ID:QLLutC200368人間七七四年
2018/07/09(月) 12:56:53.50ID:rJjvakPp日時的には景勝の書状読んだ輝元が瀬田の
家臣に宛てた書状っぽいが。
景勝の書状に書いてあったか輝元が越後の
地名を勘違いしたかじゃない?
0369人間七七四年
2018/07/09(月) 13:02:28.48ID:8Wbq5LZxただの誤情報か益田を西軍に引き込むための宣伝ではありませんか?
例えば真田父が西軍側で蜂起したことを誇張しているとかだと思います。少なくとも宇都宮や日光山は表立った行動をしていないはず。
0370人間七七四年
2018/07/09(月) 13:05:55.56ID:8Wbq5LZx誤報か何かだと思います。あるいはなんらかの暗号か。
0371人間七七四年
2018/07/10(火) 18:47:34.06ID:PYP9se+D東軍に行くだろうか?
0372人間七七四年
2018/07/10(火) 18:49:15.36ID:0Fm+OPo70373人間七七四年
2018/07/10(火) 20:39:45.89ID:EHue2acYその場合どうするか、
岐阜、大垣からの後詰を美濃で迎撃すると東軍先発隊が想定した場合、
速やかに鵜沼、伊木山を占拠し野戦築城すると思われる。
この場合、犬山城は伊木山(標高173m)、鵜沼、尾張側犬山攻城軍と完全包囲されることになる。
これに対し西軍はどう対応するか。
伊木山、鵜沼に対峙する適所としては、各務山170m,、愛宕山269m(JR各務ヶ原駅北及び北東)、
伊木山の西約3kmの不動山、長平山、荒井山(愛岐大橋北。不動山88m,長平山85m,荒井山71mの低山)、
あるいは不動山の西約2kmの三井山城跡109mあたり。
個人的にはどこも微妙なかんじはする。
東軍先発隊が西軍後詰迎撃を主眼に置いた場合、その配置は、
伊木山2万、 鵜沼5000、 尾張側犬山包囲軍7000、 こんなかんじだろうか?
これなら西軍は不動山辺りに押さえ1万残して、残りの主力は三井山南方辺りで
木曾川渡河して尾張側犬山包囲軍撃滅して伊木山、鵜沼の東軍の退路絶ってやると面白いかな。
いずれにして木曾川を先に渡ってしまって布陣した方が不利なような気がする。
後の先が有利というか。
これなら東軍先発隊は羽黒、五郎丸あたりの尾張で犬山と対峙してたほうが無難に思う。
0374人間七七四年
2018/07/10(火) 20:45:55.22ID:l17PVHzN堀が関東を与えられたら?
そうなると徳川が甲信駿遠三におそらくは伊豆も有していることになる。
そして何より織田信雄が尾張と伊勢を有したままになる可能性まで出てくる。そして大老入りもあり得るぞ。
浅野長政の失脚だって、「捨扶持」が甲斐以外になると思われる。
ちょっと遡りすぎに思えるし、変化する事象が多すぎる。興味深いことは否定しないというか面白そうだけどさ。
別のスレでやった方がいいレベルだと思う。
0375人間七七四年
2018/07/10(火) 23:46:56.36ID:qgFT3eRw高野山の奥深くから前関白豊臣秀次登場なら面白くなるんじゃね?
家康が江戸から下野を目指す頃、潜行して田中吉政の城に入る秀次ぐらいのタイミングで始動。
0376人間七七四年
2018/07/11(水) 00:06:12.03ID:WS2WmCCZhttp://www.city.komaki.aichi.jp/material/files/group/55/10haihushiryo.pdf
参考までに。
小牧山は信長期か小牧・長久手時の家康造成部分か判別難しいよね。
0377人間七七四年
2018/07/11(水) 12:35:03.13ID:ZCOpe7Ix0378人間七七四年
2018/07/11(水) 13:34:48.17ID:0BtoYdly長文や引用に句点を打つのは有りだが
短文に句点を打つ5ちゃんスレってのも珍しいね
句点打つ人は1人か2人だろうけどさ
0379人間七七四年
2018/07/11(水) 16:12:05.75ID:hROT0bju0380人間七七四年
2018/07/11(水) 17:30:03.41ID:dExhUqpZ句読点の使い方がわからないのはお前ぐらいじゃないか。
全員が使わなければバレないとばかりに粘り強く主張してないで夜間中学にでも通えよ。
0381人間七七四年
2018/07/11(水) 17:59:39.23ID:X/6GGpHJそう考えると5ちゃんねる専用マシンなID:0BtoYdlyクンは贅沢な人生を送ってるね。
でもどーでもいいや、彼の人生だし。
そんなことより九鬼水軍が信長に運用を任されていた鉄甲船ってどこ行っちゃったの?
東海道を進む東軍に大砲をバンバンぶっぱなせばいいんじゃないの?
0382人間七七四年
2018/07/11(水) 18:02:47.28ID:bx+b+YEH0383人間七七四年
2018/07/11(水) 18:16:15.35ID:5o1eOZleふーむ確かに、
駿河で武田勝頼が北条氏政と対陣した際も、海からの攻撃に勝頼は窮地に陥った。
技術が進んだ関ヶ原時に鉄鋼船から砲撃を喰らったら東軍は木っ端微塵。
0384人間七七四年
2018/07/11(水) 18:36:40.46ID:0nUDixqC0386人間七七四年
2018/07/11(水) 19:02:47.61ID:qZzDKkON0388人間七七四年
2018/07/11(水) 19:50:17.65ID:0GMYUAZ0最初から失脚していないという設定?
>>381
本能人の変の後に朽ち果てたとか、解体されて安宅船や小早船にされたとか諸説ある。(そもそも多分にプロパガンダ性が高くて実践向けじゃないとかなんとか)
その後の戦、特に大規模渡海戦である文禄慶長につかわれた証拠がない以上、パンジャドラムの如き欠陥兵器の類と考えた方が……
>>383
大砲の射程ってWW1でもせいぜい10キロくらい。
ましてや水平線や地平線の向こう側への砲撃にまともな標準をつけられるのは産業革命以降なので少し内陸へ移動されたら無意味。
あと息子の方は東軍になのでそいつが妨害してくる可能性が高い。
海賊として東海道の沿岸部を略奪しまくって兵力を吸引する以上は現実味が薄いんじゃない?
あとはせめて上陸作戦とか。
0389人間七七四年
2018/07/11(水) 20:19:11.66ID:uNvn3TLv紀伊半島を回れないとしても
瀬戸内海の覇者にはなれたはずだが
0390人間七七四年
2018/07/11(水) 20:37:13.12ID:8yIYH+NW0391人間七七四年
2018/07/11(水) 21:07:03.36ID:I+uzf1uP0392人間七七四年
2018/07/11(水) 21:15:41.99ID:uNvn3TLvあとは海戦時に別行動でゆっくり進ませるとか
0393人間七七四年
2018/07/11(水) 21:34:50.31ID:0GMYUAZ0海水と接するわけだし、鉄よりは銅板のほうが長期間の耐久性は高いんだよね。
普通に錆びて朽ち果てていそうでもある。
下手しなくても鉄や木材目当てに略奪された可能性もあるのか?
0394人間七七四年
2018/07/11(水) 21:46:28.82ID:I+uzf1uP0395人間七七四年
2018/07/11(水) 21:46:55.45ID:B/EXKvSE織田以外も大鉄砲や抱え大筒で攻撃してくるようになったから
鉄甲船でも簡単に穴があいて沈められるから通用しなくなった
0397人間七七四年
2018/07/11(水) 22:05:17.11ID:I+uzf1uP0398人間七七四年
2018/07/11(水) 22:14:18.16ID:ZCOpe7Ixだれか詳しいひとある?
状態次第だけど、木なんて早けりゃ7〜8年で
腐ってくるよ。
0399人間七七四年
2018/07/11(水) 22:18:26.77ID:JkmxrBto0400人間七七四年
2018/07/11(水) 22:28:42.93ID:X/6GGpHJそりゃあ状態次第と言えばそうだろうけど、
木造の漁船でも7、8年で全てパーになったりなんてしてないよ。
塗装に進化も有るだろうけど漁師が使う船と比べたならば、
軍船には最上級の木材を選んで使えるだろうし折々に補修交換は当然行うのだから。
経年劣化云々で片付ける話でもないと思う。
0401人間七七四年
2018/07/11(水) 22:49:17.25ID:48BjpYZB割と頻繁にドッグに船を預けて陸揚げして牡蠣や貝殻を削り木を燻して作った樹脂を塗ってたよね。
日本はそこまでしないで耐用年数が来たら使い捨てだったろ。
日本は木が豊富で容易に造船可能だったことと外洋航海がそこまで多くなかった事と
小舟が多かった事がヨーロッパと違った。
0402人間七七四年
2018/07/11(水) 22:53:45.92ID:I+uzf1uP0403人間七七四年
2018/07/11(水) 22:56:22.14ID:48BjpYZB0404人間七七四年
2018/07/11(水) 23:30:12.04ID:DjUzH6VUそれこそドックでもないと
0405人間七七四年
2018/07/11(水) 23:34:41.70ID:48BjpYZBそもそも日本にそういう適地があったかも疑問だしね。
0406人間七七四年
2018/07/11(水) 23:43:29.48ID:vAV7h3/C0407人間七七四年
2018/07/11(水) 23:48:34.51ID:48BjpYZB造船に適した木材と補修に適した樹脂が豊富で
干満の差が激しい入り江もありドッグの適地でもあった。
バイキングが発生したのもおそらく偶然ではない。
元々、クジラなども獲る海の民だったのだろう。
0408人間七七四年
2018/07/11(水) 23:55:56.13ID:2WyLcSe20409人間七七四年
2018/07/12(木) 00:25:47.89ID:EyFKgH5wかなり遅かったよね
信長の鉄甲船も大砲三門積んで
矢倉(船体上の水夫や戦闘員を囲む防弾構造物)があったから
下の部分を先に作って矢倉の部分は海に浮かべた後に作ったせいで
無茶苦茶重くなり陸に揚げられなくなり朽ちたって話はあったね
0410人間七七四年
2018/07/12(木) 02:00:12.97ID:yHuTP1ov一応最古の戦列艦は1758年から現在まであるみたいですけど、これもかなり何度も改修されたようですね
0411人間七七四年
2018/07/12(木) 05:50:50.90ID:po7C9JDg韓国では亀甲船を復元したらまともに浮くことも出来なかったという話があったけどw
0412人間七七四年
2018/07/12(木) 09:14:06.15ID:Blg7pjrH0413人間七七四年
2018/07/12(木) 09:54:01.83ID:WWsoShUwそれがほとんどなく遺構や逸話も無いも同然ということならそんなに役に立たない船と考えた方がいいのでは?
超すげー新兵器ではなく普通に東海道での海賊や陽動上陸奇襲上陸でも考えた方が有益に思える。
0414人間七七四年
2018/07/12(木) 10:44:29.80ID:FGILM9LA当時はステンレス鋼とかも無いしね?正直直ぐに錆びて使い物に成らない気がする?
多分、コスト的に意味が有る兵器だと思われて無いと?
大体、中世のイングランド王が、弓矢よりアイルランド兵が安いって言ったくらいで
意外と金属高価だし?
0415人間七七四年
2018/07/12(木) 11:23:01.09ID:qvjgulHM信長にとっては本願寺の息の根止めるために必要だった
0416人間七七四年
2018/07/12(木) 11:23:50.35ID:fXFAUAHT0418人間七七四年
2018/07/12(木) 12:52:56.45ID:dWRGVtRJ後世の人間が「信長の新兵器だから活躍したに違いない」と信じてるだけ。
当の信長は第二次木津川口の戦いのあと、即座に鉄甲船を廃船にしてる
0419人間七七四年
2018/07/12(木) 13:00:36.69ID:0eaQSK970420人間七七四年
2018/07/12(木) 14:45:22.87ID:yHuTP1ov赤坂の東軍は西軍に押し込まれてうろたえてるとか、上杉が攻め込んでて家康は西上できないとか
やっぱり認識的には赤坂から東軍は動けない状態であるってのが毛利の一部以外の西軍の共通認識だったんすね
完全に情報戦で負けてて、偵察の増やすところからテコ入れするのがいいんですかね?
0421人間七七四年
2018/07/12(木) 14:59:15.32ID:Q+DqL8Y10422人間七七四年
2018/07/12(木) 16:50:47.37ID:Blg7pjrH0424人間七七四年
2018/07/12(木) 18:01:50.66ID:ABVSzbHa0425人間七七四年
2018/07/12(木) 18:07:33.47ID:0DkLtMUy真田も何で相談しないのかと怪しんでいる
0426人間七七四年
2018/07/12(木) 18:30:29.03ID:VtAIwds9真田みたいな木っ端から情報漏れても困るし…真田ってそこまで信用できるか?
0427人間七七四年
2018/07/12(木) 18:55:54.13ID:yHuTP1ov0429人間七七四年
2018/07/12(木) 19:24:21.33ID:6HZ3kMZUあと書状の宛名が途中から昌幸、信繁宛てに
変わってたような、うろ覚えだが。
0430人間七七四年
2018/07/12(木) 19:26:18.12ID:sadaEaTB0431人間七七四年
2018/07/12(木) 19:52:04.29ID:MVcoNnXJ近年は小早川が動いたら瞬時に壊滅させられた説まで出てきて可哀相
0432人間七七四年
2018/07/12(木) 20:21:05.57ID:7tQJCGtDhttp://lavender.5ch.net/test/read.cgi/gengo/1531310595/l50
【シュメール】 神武帝はサマリア王? 【スメラ】
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1531311828/l50
古代日本史、崩壊。
0434人間七七四年
2018/07/12(木) 20:59:03.68ID:29UaUk3W平家物語巻1 祇園精舎に曲を付けてみた!
祇園精舎の鐘の声〜所業無常の響きあり〜!
0435人間七七四年
2018/07/12(木) 21:51:50.54ID:0DkLtMUyまあ西軍はクーデター側だからまとまれん
0436人間七七四年
2018/07/12(木) 23:11:43.73ID:Exml/4PC0437人間七七四年
2018/07/12(木) 23:13:56.44ID:fECnSMnH0438人間七七四年
2018/07/12(木) 23:30:42.66ID:v+/QN85M三成は現場で戦う武将との信頼関係が薄くなって解任された人間だろ
そんな三成がいきなり復帰して最も重要な美濃方面司令官になって仕切りだしたら
多くの西軍が動揺して冷静でいられなくなり、まとまらなくなるのも当然だよ
例えるならワールドカップ開幕直前になって「やっぱりハリルホジッチを復帰させる」と言い出すようなものだ
西軍が勝つ確立を1%でも2%でも上げるためには、もはや細かい戦術の次元ではなく
まず三成の解任を確定させて、西軍の雰囲気を良くしないと何も始まらない
0439人間七七四年
2018/07/12(木) 23:45:20.28ID:fYRG53az0440人間七七四年
2018/07/12(木) 23:46:34.01ID:fECnSMnH0441人間七七四年
2018/07/12(木) 23:53:49.61ID:+i6NroAT0442人間七七四年
2018/07/13(金) 01:04:01.39ID:f78jq6Hy0443人間七七四年
2018/07/13(金) 01:41:30.87ID:0EukQCoI西軍にそれほどの大義ってあるの?
いやまぁ結局秀吉没後にどっちが豊臣家蔑ろにしてたのかって話になっちゃうかもしれないんだけどさ
0444人間七七四年
2018/07/13(金) 02:51:32.83ID:JCpxiVmbそもそも秀次事件がなかった場合だと関ヶ原的な争いが起こるまでの成り行きを想像するのが難しいし
史実通り秀次事件があったけど一命だけは助かって秀吉死後〜関ヶ原の間で復帰という場合だと
下手したら秀次が一番の豊臣アンチの可能性すらありうる
0445人間七七四年
2018/07/13(金) 06:44:13.39ID:LA3mVB+1小早川隆景が生きていたらとか蒲生氏郷が生きていたらとか言いたい放題
上杉が越後に居たらとかの方がましでは?
0446人間七七四年
2018/07/13(金) 07:06:24.03ID:BB6busWS0447人間七七四年
2018/07/13(金) 07:23:05.01ID:KUutYuoO東軍でも西軍でもない豊臣秀次軍が東海道に興る。
東軍を遮るかのように活動を始めれば面白くなるぞ。
0448人間七七四年
2018/07/13(金) 07:32:25.39ID:Rl6xPLWh病死系しか挙げられない時点で彼らと秀次は別だと悟れ
お前の東軍の東軍の勝利が固まっただのその辺の本を書き写してダラダラ関ヶ原はこうデシタとやるのはもう飽き飽きしてんだわ
0449人間七七四年
2018/07/13(金) 08:39:59.97ID:KUutYuoO寿命系の生存ならば豊臣秀長生きてましたまで入ってきて終了になるから。
0450人間七七四年
2018/07/13(金) 09:55:39.24ID:fbwWWsIoになるでしょ。
とても秀次に勝算があるとは思えないが。
秀次が本能寺の明智並みの奇襲でもしないと。
0451人間七七四年
2018/07/13(金) 10:48:05.60ID:kr2CEEQyって言い出して追い落としにかかるよ。賭けてもいい。
0452人間七七四年
2018/07/13(金) 10:54:06.84ID:cg1eSOKv寿命まで猫のようにおとなしくしてた。
賭けてもいい。
0453人間七七四年
2018/07/13(金) 10:58:28.60ID:XAGIVj1nその場合なら秀吉没までは史実通りと考えることができる。捨扶持で多少蔵入地が減るかもしれないけど大勢に影響はなさそうだし。
あり得るとしたら最上の動向かな?でも最上と伊達は秀次関係なしに徳川と関係が深いからなあ。
あとは秀吉没後ですかね。一連の政争の過程でどっかが秀次を担ぎ出してきそうでならない。
公式には死んでいるけど実はどっかで隠棲していましたなんてことが5大老5奉行の全員から隠せるとは思えないし。
秀頼を担いだ徳川派と秀次を担いだ反徳川派とか?
淀と家康の結婚を成立させれば秀頼の地位強化にもなりそうで権威を落としそうにも思える。
西軍のバラバラ感は解消されるだろうけど、逆に上杉征伐の大将が秀次にもなりそうにも思える。
0454人間七七四年
2018/07/13(金) 11:38:40.57ID:BB6busWS0455人間七七四年
2018/07/13(金) 11:44:55.96ID:cg1eSOKv秀次が高野山の僧として生存→秀次を家康が抱えて徳川政権の正統性を示すためだけに利用。幕府成立後は殺す、最高に運が良くて信雄化
0456人間七七四年
2018/07/13(金) 11:57:49.74ID:EFzP//uUこの場合は、秀頼と千姫結婚後
秀次に謀反の疑いありとして
徳川と親徳川派対秀次の抗争に持ち込む
秀次は当然謀反の意志なしと抗弁するだろうが
人質や国替え要求で実質戦争か屈服を強いる
0457人間七七四年
2018/07/13(金) 12:12:09.33ID:cg1eSOKvそれだな。
外戚として権力を奪い取っていくとしたらそれしかない。
司馬懿も曹真を支えて他の曹一族を一つずつ滅ぼしてったものな
0459人間七七四年
2018/07/13(金) 13:06:58.94ID:Y9MAJEJh秀長か秀保が存命なら、という前提にしないとな
0460人間七七四年
2018/07/13(金) 13:43:05.44ID:fbwWWsIoなにも変わらんと思うが。
秀頼がいるのに西軍が秀次を担ぐとでも?
家康にしても秀次を担ぐデメリットは大きいが
メリットは小さい、というかあまりない。
0461人間七七四年
2018/07/13(金) 13:53:44.85ID:fbwWWsIo秀次が高野山で生きていても東西どちらにも
大きく影響しないでしょ。
影響するとすれば秀頼が死んだ場合。
0462人間七七四年
2018/07/13(金) 14:44:05.23ID:BB6busWS0463人間七七四年
2018/07/13(金) 15:27:10.43ID:3rDueIgA0464人間七七四年
2018/07/13(金) 16:35:50.54ID:2C2agxRx間違いなくなれたと思うよ、秀次事件さえなければね
そもそも最初は秀頼は秀次の娘と婚姻する予定だったはずだからな
つまり秀次が秀頼の義父になる訳だからほぼ間違いなく後見人は秀次になっただろう
少なくとも家康の権限は大幅に縮小されたものになっただろうね
というより、家康の権限が一気に増大したのって、秀次事件以降の話だし
家康が秀頼の外祖父になったのも、大老制度が出来てその筆頭格になったのも、
内大臣にまで昇進したのも全部秀次事件の後の話だしな……ほんと秀次処分なんかしなきゃよかったのに
0465人間七七四年
2018/07/13(金) 16:38:03.13ID:4HQH8on+前田征伐とか私婚とか三成失脚とかでお神輿として。本人の意思とは無関係に連れてこられそうだとは思わない?
ちょっと難しそうではあるけど。
0466人間七七四年
2018/07/13(金) 17:05:26.78ID:LoOMOUBs七将襲撃は大坂を徳川派に押さえられたのが
武力衝突を回避した主因だと思う。
前田征伐と私婚は前田次第だし、
秀次引っ張り出したところでなんの効果が
あるのかよくわからんが。
0467人間七七四年
2018/07/13(金) 18:31:51.84ID:BBT1hpwE0468人間七七四年
2018/07/13(金) 18:33:13.07ID:BB6busWSつまりは秀次は処刑をまぬがれる、とかの話ではなく秀吉にうとまれないようにしないといけないわけだ
0469人間七七四年
2018/07/13(金) 18:56:26.85ID:xjVJnI0T関白として健在ならそもそも徳川が政治を摂る事態になっておらず、家康は忍従を続けたというのもまあそうだと思う
ただ秀次にも男児がいるので豊臣家が一枚岩にまとまるとも思えない
跡目争いから距離を取りつつ、表面化して豊臣家の株が下がるのを待つんじゃないかな?
0470人間七七四年
2018/07/13(金) 21:12:22.83ID:4ZGggFu3関ヶ原に参加した主な武将だけが日ノ本を構成している訳ではなく右往左往する小領主は数多い。
西にも東にもつかなくても済む旗頭が存在すれば無視出来ない勢力へと束ねられる道筋は描ける。
0471人間七七四年
2018/07/13(金) 21:34:50.40ID:KUutYuoO漸く落ち着いたはずだったのに伸るか反るかの天下分け目で負けたら全部パーとかやりたくないって。
そこに仲裁役にうってつけの豊臣秀次が現れたら、
助かったという気持ちで自分なら駆けつけるなあ。
0472人間七七四年
2018/07/13(金) 21:55:44.73ID:upR5CZS5元々幼君への不安から起きた戦乱なのだから
俺が直江兼続なら秀次と繋ぎをつける
0473人間七七四年
2018/07/13(金) 22:14:26.49ID:XYguWrYhそれをまず防がないとはじまらないかもな
0474人間七七四年
2018/07/13(金) 22:32:51.32ID:ktjQeBd0この点で秀次は漢だわ
0475人間七七四年
2018/07/13(金) 22:57:16.95ID:i7ofikzG桑名の氏家みたいに両方から攻撃されるようになるだけ。
兵力の後ろ盾がなければなんの意味もない。
越後の堀みたいに両方に話を合わせて日和見してるのが一番無難。
かといって佐竹みたいに不信感持たれてもだめなんでさじ加減は難しいが。
0476人間七七四年
2018/07/14(土) 00:19:48.41ID:G2B3Wvj/東軍西軍両方に解散を呼びかけ仲裁すると。
0477人間七七四年
2018/07/14(土) 00:35:14.99ID:/xFUesc6「安国寺が徳川に近づいたなら俺は反徳川」という感じで吉川以下毛利軍が西軍として真面目に働き始める、とかないかな
「政権内で主導権を握るため、間違った判断と分かってても政敵と逆張り」っていうのは昨今の政治見ててもよくあることだし
0478人間七七四年
2018/07/14(土) 00:58:52.24ID:N7TBzRFP岐阜城が落ちなければ全然普通に西軍として戦った可能性が高い。
赤坂まで東軍が進軍し家康自身まで到着した時点で
「西軍詰んだ。完全に詰んだ。もう毛利家を残す事だけ考えればいい」と
割り切れたわけだし。
0479人間七七四年
2018/07/14(土) 08:41:55.39ID:PcK5WCs/輝元は三成たちと一緒になって徳川と戦おうとしたのが戦略ミスだろう
輝元がすべきことは、まず三成たちに中央で蜂起させた上で
三成たちの謀反を鎮圧するという大義名分で中国大返しを決行して
謀反人討伐の功績を毛利が独占することで徳川を政治的に封じ込めればいい
中国大返しからの謀反人討伐がどれだけ強力な武器になるかを輝元は知っているはずなのに
なぜ三成たちと一緒になるというミスを犯したのか?
例えるなら秀吉が光秀と一緒になって天下を狙うくらいに愚かな行為だよ
0480人間七七四年
2018/07/14(土) 08:44:29.11ID:IZ0hWVtCとことんみんなで内府さま内府さまとやっておいて、
あくまで内大臣で豊臣の大老の筆頭という立ち位置に縛り付ける。
0481人間七七四年
2018/07/14(土) 08:52:53.91ID:v/iAwMETゴリ押しまくり
0482人間七七四年
2018/07/14(土) 09:02:40.21ID:1Zidu1KV諸説あるが、輝元も首謀者であるならば、
石田挙兵からの輝元大坂入城はおそらく
予定通りの行動であり不思議なところはない。
輝元が首謀者ではない場合は、石田は
なんの後ろ楯もない状態で挙兵するという
無謀なことはしないと思われる。
敢えて石田が無謀な挙兵をしたとするならば
あんたの主張通りだが。
ただ輝元の想定は武力で脅して適当なところで
家康と和睦する、あたりだったと思われるが
石田の想定が、武力で家康を粉砕する、
だったので齟齬が生じたと思う。
0483人間七七四年
2018/07/14(土) 09:55:13.36ID:v/iAwMET玉を抑えないと反乱軍にされてしまう
本領安堵なら戦う必要がないと考えた
0486人間七七四年
2018/07/14(土) 15:52:11.34ID:kDNEIy9a徳川家の拡大こそ図れども豊臣を上に掲げていただろうよ
0487人間七七四年
2018/07/14(土) 15:57:24.25ID:N7TBzRFPおまえら何いってんだwww
0488人間七七四年
2018/07/14(土) 16:05:32.80ID:OLJBsell秀吉は織田に従ってない
0489人間七七四年
2018/07/14(土) 16:25:38.01ID:l7aDDZyX0490人間七七四年
2018/07/14(土) 16:38:34.43ID:o4voSAVo関ヶ原の石田三成の陣跡で、甲冑姿の人を見かけましたね。
暑い中、甲冑を着ていましたね。
0491人間七七四年
2018/07/14(土) 17:31:11.58ID:C92uQMj3それをまぁ簒奪というかどうかはともかく、諸将的にはそれでOKやったんやろ 豊臣主家もそれに異を唱えてないし
家康政務になじめなかった三成と宇喜多、ほいで謀略の毛利がノーって言ってただけで
0492人間七七四年
2018/07/14(土) 17:47:38.18ID:kDNEIy9a三成のあさはかさが豊臣家に致命傷を与えちゃったわな
0493人間七七四年
2018/07/14(土) 18:16:30.57ID:v/iAwMET幕府が開かれる
0494人間七七四年
2018/07/14(土) 18:30:29.85ID:kDNEIy9a家康も太政大臣で満足するんじゃないの
0495人間七七四年
2018/07/14(土) 22:08:39.08ID:HonD+/CF妻子を人質に取った連中が秀頼公を立ててもいきり立った東軍が易々と従うとは思えない
逆に石田らが謀反人で討滅せよも大坂を押さえられては言えない
結局静観して戦後処理の主導権を奪われて成人するまでの時間すら奪われましたとさ
0496人間七七四年
2018/07/14(土) 22:12:41.50ID:Wf9HGNlm0497人間七七四年
2018/07/15(日) 01:07:21.78ID:QBtDBCbb次の代で秀頼を旗頭に反旗を翻す
0498人間七七四年
2018/07/15(日) 01:55:14.59ID:dKQEefTz0499人間七七四年
2018/07/15(日) 02:08:58.72ID:pCLOmJF2豊臣政権を介しての統制だと毛利とか奉行衆とか言うこと聞かん連中がおる、または自分の死後言うこと聞かないやつが出る可能性がある
だから武家の棟梁となって直接首根っこ掴んで統制したって感じ?
0500人間七七四年
2018/07/15(日) 06:48:14.60ID:EDONghZkだからそんな戦も状態で事実上安泰な徳川がもめごとを起こす必要もないわけでね
豊臣が傀儡政権として徳川の支配下に置かれているなら無理におかしなことをする必要すらない
0501人間七七四年
2018/07/15(日) 06:55:25.09ID:TZunt1Og0502人間七七四年
2018/07/15(日) 07:54:18.63ID:dKQEefTz0503人間七七四年
2018/07/15(日) 09:01:08.96ID:GfgKD312隆景が生きてたら西軍についただろうか
0504人間七七四年
2018/07/15(日) 10:42:13.58ID:PCMNG3TDなんか主家に無断で挙兵した石田とかの奉行衆擁護するあまりなのか、
家康をスーパーマンにしてるんじゃないかな。
0505人間七七四年
2018/07/15(日) 10:52:37.94ID:f5pwOldA0506人間七七四年
2018/07/15(日) 10:53:32.81ID:f5pwOldA藤原摂関家みたいに。
0508人間七七四年
2018/07/15(日) 11:34:50.00ID:f5pwOldAついでに酒井大老家もできそうだったしな
成功すれば幕末は酒井大老が新政府軍に倒されていたことだろう。
0509人間七七四年
2018/07/15(日) 11:52:10.43ID:zd0VBpcQ家康ってさ、あの時代では異常な程歴史の教養有るんだろうなあ...ってのが良く
解るからね。
漢の高祖の粛清や、鎌倉幕府の内紛の過程での源氏の滅亡とか北条氏の他氏排斥
とかね。
そして、ま近では大大名が多過ぎて無茶苦茶に成った足利幕府とか。
関ケ原の時に、桃配り山に布陣したのだって、天武がここで天下取ったって故事を知って
の事だろうし。
家康主観では、大量の大大名を余り弱体化させずに抱え込んでる豊臣政権の方が異常に
見えてるんだよ。
秀吉の晩年で豊臣家蔵入地222万石とかで、家康の250万石の方が上って異常事態
だからね。
他に港や鉱山とかの利権が有ったにしても、全国に分散した蔵入地は守り難い形だし。
普通に、死後に徳川家は取り潰しに合うって予想有っての事だと思うんよね。
前漢が、高祖の庶長子の子孫の斉王家を、後嗣が無いのを理由に一度お取り潰し、その上で
傍系の子孫に斉六郡を七分割してたりしてる。
家康は次男の秀康を無視して秀忠後継とかしてるし、細かく分割相続とかされそう。
0510人間七七四年
2018/07/15(日) 11:53:50.42ID:yTeqL6NC別に数百年の伝統や格式を積み重ねた政権でもないし
単なる成り上がりが作った新興政権というだけ
成り上がった秀吉本人は凄いかもしれないが
後に残った淀や秀頼は成り上がりでもなければ伝統の積み重ねもない中途半端な存在に過ぎない
三成たちが権勢を握りたくて大暴れしたから色々言われているだけで
本来なら豊臣を存続させる方法なんて考えること自体が馬鹿らしいことでしかない
0511人間七七四年
2018/07/15(日) 11:56:43.90ID:guCSs0yiアンチが一番評価してるという話になりがちだよね家康は
あの時代の揉め事は大体家康が裏で糸を引いていたってことになる
0512人間七七四年
2018/07/15(日) 12:10:15.44ID:f5pwOldA日本文化だからな。
一部上場企業のトップなんて能力と関係なく年功序列である程度流れでなるものだし。
社長の名前を社員が覚えてるかも微妙。
0513人間七七四年
2018/07/15(日) 12:34:28.47ID:pCLOmJF2秀吉なくなった後は諸将から死ぬほど嫌われてる奉行と、政務とかどうでもいい大老か逆に政争に没頭しすぎて自国の家臣にブチギレられた大老くらいしかおらん
まともにかじ取りできるの家康くらいしか残ってない
0514人間七七四年
2018/07/15(日) 12:38:02.65ID:EDONghZk地方はいつでも火種が大きくなる要素満載
亡くなったら腰ぎんちゃくが好き勝手やるようになってあっという間の瓦解だったな
0515人間七七四年
2018/07/15(日) 12:45:17.84ID:f5pwOldA逆に追い出されたってだけだしな。
どこの中小企業でもよく見られるお話。
大戸屋思い出しちゃったよ。
0516人間七七四年
2018/07/15(日) 14:15:41.88ID:8cIXk5UA国に帰ったら戦国時代に逆戻り
政権を支える人材がいないし力も結束もない
もし政権内の対立を放置したら何年で分裂するのだろうか
0517人間七七四年
2018/07/15(日) 14:49:03.79ID:pCLOmJF2んなわけはない
0518人間七七四年
2018/07/15(日) 15:07:09.13ID:GfgKD3120519人間七七四年
2018/07/15(日) 15:20:21.42ID:Y6i++O1Z0520人間七七四年
2018/07/15(日) 17:01:54.28ID:cf4wKkmZ伊吹山近くの関ヶ原に出向くので、ヤマトタケルの
二の舞したくない縁担ぎだよね
0521人間七七四年
2018/07/15(日) 18:08:51.85ID:/H00r7PW>本来なら豊臣を存続させる方法なんて考えること自体が馬鹿らしいことでしかない
このスレ的にはこんなものは関係ないし述べてる者もいない。
何度も言うが豊臣がどうとかは関係ない。
0522人間七七四年
2018/07/15(日) 18:11:56.26ID:/H00r7PWそれなら話は通じるけど。
ただわたしは西軍=豊臣公儀軍とは必ずしも言えないだろと思ってるから。
0523人間七七四年
2018/07/15(日) 19:29:57.08ID:cIYKTvZY家康はそういうところ有るから、逆にヤマトタケルの二の舞になるのではないかという危惧を抱かせる舞台装置を作り上げる。
そのぐらい出来ない吉川広家が毛利輝元の軍師をやろうと思う自体どうかしてると思う。
0524人間七七四年
2018/07/15(日) 19:51:13.70ID:TjQo/T1+北条執権家も幕府内の役職とし位置付けたからだし、端から不安定な室町幕府の中でも私的な執事職の高師直の一族は滅び細川管領家は世襲に成功した
んで、淀君や他の大老奉行とやり合いつつその辺の役職を整備するより、上杉とか適当な仮想敵討伐して調停工作して将軍宣下もらう方がむしろ楽じゃないかね
なんせ豊臣政権は秀頼が育ったら関白就任して天下を動かすのが建前の時点でやりにくいことこの上なかったろう
0525人間七七四年
2018/07/15(日) 22:03:29.56ID:gnwmrWFU高師直は力の信奉者だからいずれ敗れ去るのは必然というだけのこと。
私的な役職だったからではないでしょ。
得宗家内管領の長崎円喜がやれたんだからさ。
0526人間七七四年
2018/07/15(日) 22:26:51.97ID:6xrIpgzc0527人間七七四年
2018/07/15(日) 22:42:07.81ID:p0z8v/pj鎌倉幕府の「執権」って、征夷大将軍の私的な家政機関である政所と侍所の長を兼ね合わせたものでしかない。
0528人間七七四年
2018/07/15(日) 22:43:32.36ID:PCMNG3TDだからなんで幕府開いたら次世代の継承が上手くいくのよ?
ゆうて関東250万石だよ、あれこれいわれる豊臣政権だって蔵入地だけで200万石あるのに。
0529人間七七四年
2018/07/15(日) 23:31:43.93ID:ebcAak9R鎌倉時代の政所長官って執権とは別だったよ
例えば毛利家初代の父親(大江広元)が政所の長官をしてた
0530人間七七四年
2018/07/16(月) 01:32:03.03ID:YWkqcuFCむしろ封建時代に公私の区別があるのか?
関白や太政大臣もある意味天皇の「私的な家臣」だぞ。
ただの家政機関が次第に公的意味合いを持つように変質したこともあるが。
鎌倉幕府の場合は頼朝の私的な家臣団が朝廷の公的な支配を乗っ取るような形だったと思うが。
>>528
とりあえず蔵入地と給人地を分けて考えてるか確認したい。
0531人間七七四年
2018/07/16(月) 01:36:43.22ID:YWkqcuFC「関ヶ原で西軍を勝たせるか?」というのは「豊臣政権をどうすれば長生きさせられたか?」という文脈で語られることが多いから混同しやすいのかもしれないけど。
0532人間七七四年
2018/07/16(月) 01:37:12.63ID:67L9jNAn完全なる私的政権を樹立しつつあったよね。
0534人間七七四年
2018/07/16(月) 02:17:59.65ID:67L9jNAn強制的に安土か岐阜にお迎えして贅沢な生活でもさせて篭絡したかもね、
0535人間七七四年
2018/07/16(月) 03:26:02.82ID:LDUjmAuN0538人間七七四年
2018/07/16(月) 09:49:36.47ID:67L9jNAn絶対に関ヶ原に乗りつけて家康成敗のための金生り瓢箪をあげまくっただろうな。
0539人間七七四年
2018/07/16(月) 09:58:59.57ID:EOOPtdtX0540人間七七四年
2018/07/16(月) 10:16:07.31ID:67L9jNAn「おまえらの主人は秀頼か!家康か!はっきり申せ」mfdghfbfんvふじこ!」とでも言えば
歴史が変わったはず。
北条政子は「おまえらが頼朝様から受けた恩は山よりも高く海よりも深い!
ここでその恩を忘れて朝廷につくならkmlkfbdjふじこ!」と発狂して
どちらにつくか決めかねてた武士たちがみな政子に平伏して歴史を変えた事もあったし。
0541人間七七四年
2018/07/16(月) 11:58:18.51ID:YhOrbcJp頼朝は武家政権の成立という金には返られない恩義を鎌倉武士に与えたけど
秀吉は金や土地をばら撒いただけだからな
この程度の恩は権力さえ握れば誰でもできる程度の低いものでしかない
秀吉もそれを自覚しているからこそ、更なるばら撒きを続けるために海外遠征に踏み切ったのだが
骨折り損のくたびれ儲けで逆にそれまでのばらまき恩義を帳消しにしてしまった
0542人間七七四年
2018/07/16(月) 13:25:18.49ID:LDUjmAuNいかに秀頼と徳川が結束をかたくするか、に心くだくと思う
0543人間七七四年
2018/07/16(月) 14:42:03.38ID:PSiJA1sy北政所が現地入りするほうがはるかに強力
するわけないけど
0544人間七七四年
2018/07/16(月) 15:11:40.87ID:LDUjmAuNあれが切り札になるのは福島か加藤だけ
0545人間七七四年
2018/07/16(月) 15:42:04.50ID:vPeDaXI4室町でもないんじゃないか
現代でも女の陸軍大将はいるのか
女の首相は出てきてるね
女の米大統領はいない
0546人間七七四年
2018/07/16(月) 19:33:51.71ID:m+pUf5p0大阪の陣のくらいの年まで長生きしてればの話だが
秀長が二代目関白になってな
0547人間七七四年
2018/07/16(月) 19:45:12.61ID:67L9jNAn良いタイミングで病死して良かったよ。
0548人間七七四年
2018/07/16(月) 20:38:34.67ID:8krbLnfsというか戦国期の女性の政治的権力、まあまあ高いような
0549人間七七四年
2018/07/17(火) 00:32:22.44ID:5vLNGaG7北政所は面倒見の良い人で、豊臣家に人質に出された人は皆私的恩義を被ってるしね。
この時期には完全に豊臣家を見限ってた黒田長政すら、もし前線に出て来たら固まるのでは?
本来、信長の命令で処刑されるはずだったこの人が生き延びた事情は謎だし?
竹中半兵衛が庇った事に成ってたけど、それだけだろうか?
秀吉が秀頼を北政所に渡してた方が良かったのかも?
0550人間七七四年
2018/07/17(火) 01:04:51.98ID:D9qXiGE80551人間七七四年
2018/07/17(火) 05:25:30.76ID:pEsjVl5sその問題は誰がどんな政治形態をとっても必ず付いて回る問題になるぞ
例えば西軍が勝利した場合でも、未来永劫毛利家の領地が
絶対に減らされたりいじられたりしないって保証はないだろう
0553人間七七四年
2018/07/17(火) 14:29:19.15ID:oSMngKm5幼子に引き継げばどうなるか分かってただろうに
長子相続の安定した社会とは違うんだから
0554人間七七四年
2018/07/17(火) 14:48:43.02ID:jD1+dj550556人間七七四年
2018/07/17(火) 19:54:42.76ID:0McfezIB島津と小西の言う通り夜襲してれば勝てた
0557人間七七四年
2018/07/17(火) 21:27:04.30ID:oiBw3a/o夜襲案とも関係してくるんだけど、赤坂の
陣城がどの程度のものだったのかが
いまいちわからんのだよね。
現地調査の結果たいしたものではなかった説と
屏風絵図にある堅固説。
たいしたものではなかったのなら
毛利到着で後詰め決戦も悪くはないと思うが。
0558人間七七四年
2018/07/18(水) 01:01:12.17ID:4PkYgpRnその場合、家康は関ヶ原に現れないなきっと。
0559人間七七四年
2018/07/18(水) 02:43:13.75ID:NCVDcgM70560人間七七四年
2018/07/18(水) 04:06:57.29ID:M4o1lZc00562人間七七四年
2018/07/18(水) 08:54:27.55ID:edMX5QEV六大老位の扱いになってたんじゃ?
家康の国替えも関ヶ原も何も起きなかったのでは?
0563人間七七四年
2018/07/18(水) 09:08:17.92ID:52lwSJ19関東には徳川
秀吉の狙いは徳川を秀頼から遠ざけて
攻めにくくする
0564人間七七四年
2018/07/18(水) 09:46:50.07ID:ae0huep+0565人間七七四年
2018/07/18(水) 10:20:10.97ID:i2k0TZi5関東を分割して徳川を入れて残りを旧織田系をいくつかいれて
北条は会津あたりに飛ばすのか
0566人間七七四年
2018/07/18(水) 11:00:00.93ID:hcINyRKp名胡桃城事件を起こさなければ北条の関東支配は許されてたよ。
あの時点で氏政が大坂城へ出向き平伏して全面服従をすればよかっただけ。
0567人間七七四年
2018/07/18(水) 11:31:19.04ID:hcINyRKp即座に明征に取り掛かりたかったというのが本心だったと思うよ。
もちろん新しく部下になった北条や伊達などは朝鮮で死ぬまでゴリゴリ使う。
0568人間七七四年
2018/07/18(水) 12:18:05.86ID:NCVDcgM7あと周りを豊臣恩顧で固めたのも監視のためとか
実際は普通に政務にもがっつり関わってるし周りの豊臣恩顧の監視してた対象ってむしろ上杉だよね
秀吉の書状で家康警戒しとけとかそういったものあったの?
0569人間七七四年
2018/07/18(水) 12:38:16.23ID:i2k0TZi50570人間七七四年
2018/07/18(水) 13:14:55.55ID:LOtJOmKV0571人間七七四年
2018/07/18(水) 15:44:38.47ID:E4orZkns関ヶ原も東軍の楽勝だろうな
関ヶ原後も300万石くらい得て
北条氏が執権として幕府の地位を得てたかもしれない
0572人間七七四年
2018/07/18(水) 17:31:30.19ID:0XC64p3z尊大な氏政に遜る家康という関係だったじゃん。
天下人にさえ譲らない氏政が下に見ている隣国の領主如きの天下取りを支援しないから。
0573人間七七四年
2018/07/18(水) 17:41:51.40ID:1Hk/AWyp0574人間七七四年
2018/07/18(水) 17:46:14.19ID:NVF1PyZgあんな猿にしたがうなんて中々割り切れない
0575人間七七四年
2018/07/18(水) 18:11:43.23ID:sP6bFO46遡りまくるのも面白いけど関ヶ原戦役自体が発生しない可能性も考えないと。
>>568
基本的に大坂の陣関連からの逆算じゃない?
あえて言うと三成と家康の公的接点がない。
三成は上杉と佐竹、宇都宮を担当していた。これが徳川への警戒になるんじゃないかな?
反証は、徳川と蒲生の縁組、甲斐への浅野家転封、宇都宮家の改易と蒲生減封。
初期には警戒というか念の為的な対策はあるようだけど、後期には徳川優遇策しかないような。
織田信雄改易は徳川へのダメージになるかもしれないけど。
徳川よりも伊達や最上とかの東北組は割と警戒されてるように思える。
0576人間七七四年
2018/07/18(水) 19:44:22.00ID:NCVDcgM7やっぱ逆算ですかね?
後付けでストーリー考えた方が通りがよかったんでしょうけど、史学的にはたまったもんじゃないですなぁ
0577人間七七四年
2018/07/18(水) 21:21:12.01ID:M4o1lZc00578人間七七四年
2018/07/18(水) 23:29:12.72ID:SoSYrBii会津に置いたのが、最初蒲生氏郷、其の後上杉景勝でどちらも有名な家康嫌いだよ。
上杉は旧武田領を廻って家康と因縁有るし、蒲生は気前の良いエピソードと大将自ら前線に
出る事を望んだ話とか。
まあ、性格的に家康は反吐が出る程嫌いでしょ。
蒲生の縁組も、氏郷生存状態なら家康の娘を人質とも見れる。
普通に家康が死ねばいつでも改易出来る布陣に見えるよ。
0579人間七七四年
2018/07/18(水) 23:55:50.56ID:iXYbShM3会津征伐が起きるのも仕方がない話で西軍が騒ぐ方がおかしいと言える
家康からすれば当然の対応をしているだけだろう
0581人間七七四年
2018/07/19(木) 00:06:25.47ID:Ej7EdaGn史料とかそういったものじゃなく性格的に嫌いだろうとかいうふわっふわな偏見挟まないで
史料的に秀吉が家康を警戒してたとする記述があるか、あるいは氏郷の配置の際にそういったことを記述したのかを出しなよ
0583人間七七四年
2018/07/19(木) 08:34:40.66ID:82eiGygJ警戒しないなら何故関東へ行かせた?
0584人間七七四年
2018/07/19(木) 10:29:13.44ID:4tAMnwQH0585人間七七四年
2018/07/19(木) 10:52:04.32ID:j6ayXp2O毛利や上杉の清華成やそもそも五大老の制度自体が250万石と言う実力や豊臣公儀に服従した際の名声で
抜き出ていた家康を少しでも抑えるための秀吉の努力の結果でもあると思う。
だが歴史は史料で語るべきだと思うから>>581さんに強く同意する。
0586人間七七四年
2018/07/19(木) 11:40:17.69ID:SMQ1Mpkt文書がないからと否定するのはどうかしてる
0587人間七七四年
2018/07/19(木) 11:56:07.78ID:Ej7EdaGn急にノストラダムスとこじつけするやつと本質変わりませんやん
ましてや上の人は反証として蒲生徳川の縁組、甲斐への浅野転封、宇都宮改易、真田との縁組を解消せず
とまで挙げてるのに
反論として挙がったのが蒲生は性格的に徳川のこと嫌いだろうとか、関東転封は遠ざけとかこれまた裏付けのないものを挙げてるわけで
0588人間七七四年
2018/07/19(木) 12:09:40.80ID:SMQ1Mpkt0589人間七七四年
2018/07/19(木) 12:22:21.62ID:7Xu2sUn3家康への警戒心よりも東北の安定に腐心してたんじゃないか、晩年の秀吉は
0590人間七七四年
2018/07/19(木) 12:29:52.90ID:Ej7EdaGn逆に家康への警戒なんてそういうふわっとした言説でしかない訳じゃん
ついでに言えば史学なんだから裏付ける史料がなきゃ事実と確定しちゃいかんでしょ
0591人間七七四年
2018/07/19(木) 12:37:35.73ID:sKcgt2nw言ってるようなもんだしその前に淀の妹を秀忠に嫁がせてるしありゃ淀の徳川への親近感を高めようとしてるようにも思える
前田ですらここまでの濃厚な関係は結べていない、同じ大老の宇喜多と姻戚にさせたくらい
ただここまでやったら秀吉より他の大老や奉行衆のほうが家康への警戒心を強めてしまったかも知れない
0592人間七七四年
2018/07/19(木) 12:40:22.04ID:SMQ1Mpktなーんだ板を間違えてるのか。
ここは趣味カテゴリーの戦国板だから。
史学は学問板の日本史板にドゾー。
0593人間七七四年
2018/07/19(木) 12:49:37.54ID:oJnWRDoS民間伝承が考古学的発掘の結果事実だったとかもないわけでない。
当たり前のことや危なさそうなことを書けないのはそうなんだけど、朝鮮人の捕虜や外国人宣教師、国内でも公家や僧侶は比較的自由なのがいる。
そういった連中の記録に残るだろうと思う。
あと優先順位はいつか問題を起こすかもしれない徳川(家康とは限らない)よりも、すでに問題を起こしている東北勢(伊達とか政宗とか最上や小野寺とか)を第一に対策するのはおかしなことではない。
そしてこの辺の話が関ヶ原戦役で西軍がどうすれば勝利するのかということと距離がありすぎやしませんかね。
0594人間七七四年
2018/07/19(木) 12:50:45.19ID:zX51WbcD部活についていけない高校卓球部員が児童館で小学生相手に連続サーブを決めるみたいなやつか?
みんな困惑しているがお前だけ得意顔
0595人間七七四年
2018/07/19(木) 13:00:12.71ID:zX51WbcDその東北勢の心を攻めたのが九戸攻めじゃないの?
以降は政宗でさえ大した動きを出来ていない。
この時豊臣秀次と井伊直政の関係はかなり良好だったから、
秀次の天下になれば徳川家中から有能武将の一本釣りで弱体化なんて手も有ったなあ
0597人間七七四年
2018/07/19(木) 18:01:00.75ID:SMQ1Mpkt秀吉の妹である朝日姫の息子が天下を継承しましたという理を背骨にする考えが有ったのかな?
もともとの秀吉にそんな気はなかっただろうけど、
流れを作っちゃってるよね。
0599人間七七四年
2018/07/19(木) 18:49:10.85ID:5qYgl+Qf0600人間七七四年
2018/07/19(木) 18:52:44.89ID:BevxvQ4Zというかなんで秀吉は毛利を警戒してたという話はされないんだろ?
養子送り込み未遂とかけっこう徳川と比べると扱いが冷たいとおもうんだけど
0601人間七七四年
2018/07/19(木) 19:59:53.93ID:xXYC2ywh0602人間七七四年
2018/07/19(木) 20:00:44.25ID:esW3Xpok>>593
>伊達とか政宗とか
超要注意だから二回言ったんですね、分かります
0603人間七七四年
2018/07/19(木) 20:16:37.41ID:5qYgl+Qf語られないどころかそれは関ヶ原時点の話をする場合基礎情報のレベルだと思うけど
同じように色々講じられて
0604人間七七四年
2018/07/19(木) 20:48:17.66ID:/2IsyKR3お前は三方一両損も知らないのか?
南町奉行が一両出しただろ?
あの一両がこのスレの秀次なんだって。
みんな分かった上で遊んでいるんだよ、お前以外は。
0605人間七七四年
2018/07/19(木) 21:04:33.20ID:BevxvQ4Z>>604
ゴメンよくわからんw
誰かわかる人いたら解説して下さいm(_ _)m
0606人間七七四年
2018/07/19(木) 21:27:24.93ID:/2IsyKR3ググれって、すぐ見つかるから。
自分の手足を動かし頭を使う習慣をつけないとダメだぜ?
義務教育を受けた日本人ならみんなスーッと分かる話だからいちいちお前一人の為に手取り足取りしないぞ。
0607人間七七四年
2018/07/19(木) 21:40:31.14ID:AvFMAt8T2万石の九戸政実相手に10万人を送ってようやく鎮圧したぐらいだもんな。
数万人の上杉軍を最上が500で撃退したり東北の兵は物凄く強い。
0608人間七七四年
2018/07/19(木) 21:49:30.83ID:SMQ1Mpkt上杉に攻められた山形城の最上救援で全軍出払っていた南部領に伊達が襲いかかった際には
花巻城で北信愛が2500人相手に15人で守り切ってますからなあ
0609人間七七四年
2018/07/19(木) 21:52:25.03ID:gpK4zRtY偏諱でもらった字を捨てるのは意外と珍しくて、謀反を起こしてもそのまま使い続けるのが多かったような。
毛利秀就や伊達秀宗みたいに「秀」の字を使う大名が多いからそっちに合わせたのかもと思ったけど裏付けになる史料はない。
0610人間七七四年
2018/07/19(木) 21:53:36.18ID:Ej7EdaGn対立したら警戒されるなら
よほど長い期間対陣してて一度も秀吉相手に本拠の領土踏ませなかった毛利のがよほど警戒されるよね
つーか徳川が最終的に豊臣とバトることになるのは、成人した秀頼の豊臣家が徳川を舐め腐った挙句な訳で、秀吉没後の動きと全く関係ないよね
ストーリー的に通りがいいせいで秀吉没後から家康が暗躍してたみたいに言われるけど
0611人間七七四年
2018/07/19(木) 21:58:01.77ID:5qYgl+Qf関東入りや相続を巡る失策があれば話も変わったろうがその辺はまあうまいことやられたしな
0612人間七七四年
2018/07/19(木) 22:02:49.64ID:SMQ1Mpktなるほどねえ
仙台藩主に秀忠から一字拝領の伊達忠宗がいるから
伊達秀宗の秀は秀忠からのものではないよね
毛利秀就は…どうなんだろ
0613人間七七四年
2018/07/19(木) 22:09:46.25ID:OBUf30Oqんな訳有るかよ
家康を上洛させる為に妹を差し出したり母の大政所を
人質に出した恥を糊塗しようと建前に待遇を合わせただけだろ
0614人間七七四年
2018/07/19(木) 22:10:22.48ID:6Rm1PIvO気心が知れる相手で毛利よりは信頼できたんじゃないの
秀吉が権力得たとしても20年来の関係がチャラになるとは思えない
0615人間七七四年
2018/07/19(木) 22:15:39.03ID:BevxvQ4Zもうあれ警戒するの諦めたような厚遇ですからねぇ
よほど秀吉にとって小牧長久手の印象強かったんかな
0616人間七七四年
2018/07/19(木) 22:35:48.49ID:OBUf30Oq小牧で膠着状態でも信州から甲州へと搦め手からどんどん詰めていく
0617人間七七四年
2018/07/19(木) 22:44:05.44ID:OBUf30Oq師匠共々方角を間違えちゃったんじゃないかなと
石田三成も信濃に向かえば良かった
相手の意表を衝く
おや何だろう?と福島や池田の足が止まるのが大事
0618人間七七四年
2018/07/19(木) 23:00:19.30ID:wt7vSGhy実力がわかっている
0619人間七七四年
2018/07/19(木) 23:01:32.50ID:wt7vSGhy0620人間七七四年
2018/07/19(木) 23:08:42.97ID:SMQ1Mpkt三成は先手を取って突出しておけば良かった
信濃まで行けば真田と連携して徳川秀忠捕殺で一気に流れを掴む
0622人間七七四年
2018/07/19(木) 23:34:04.59ID:hWduHgRv三成のような嫌われている問題児が前に出しゃばって悪目立ちをすれば
三成を返り咲きさせるための戦いのように見えて西軍に白けムードが生まれる
そもそも東軍の大義名分は三成の謀反を鎮圧するというものなのに
三成が史実のように目立ちまくれば、東軍の大義名分を認めたと同じ状態になる
これではもはや戦術がどうこう以前に勝ち目がなくなるのも当たり前だ
とにかく三成が西軍にいることさえも気づかせないようにするのが、西軍勝利の最低条件だよ
0623人間七七四年
2018/07/19(木) 23:46:36.91ID:WP+bhtv/三成もこのスレのあれこれ否定厨も考え過ぎなんだよ
実際は何も考えずにただただ突出する福島池田みたいな脳筋族が勝つんだ
0624人間七七四年
2018/07/19(木) 23:48:50.57ID:SMQ1Mpkt背後を襲われて秀忠死亡秀忠軍壊滅で東軍崩壊あると思います
0625人間七七四年
2018/07/20(金) 00:06:04.34ID:7jT0LBEt猛将タイプならまだしも官僚タイプであり、現場の武将とトラブルを繰り返してクビになった身なのに
いきなり前線に出しゃばって西軍を仕切り始めたらどう見ても怪しいだろ
吉川や小早川でなくても三成の異常な振る舞いを見たら、嫌になって士気が下がるよ
西軍が勝利したいなら、三成は高野山にでも入って無関係を装うべきだった
0626人間七七四年
2018/07/20(金) 02:31:45.22ID:IFv5eteu秀元の前に連れ出して詰問して毛利軍から追い出してれば
勝ち目はあったかもしれん
0628人間七七四年
2018/07/20(金) 06:31:46.50ID:2YqX4omQ天下人の系譜という名分の話に義理かどうかを問う意味有るのか?
年回りから実子でない事は誰にも分かるだろ。
0629人間七七四年
2018/07/20(金) 06:44:31.57ID:hHtvZnlt自分だけの納得のために満場の話の腰を折るのが平気なタイプにウンザリ
秀忠が強気な男なら例え家康が江戸で病に倒れようとも
「朝日の息子が理非を糺しに参る」で小山会議は再現されるぐらいの勢いつくわい
0630人間七七四年
2018/07/20(金) 08:26:23.68ID:lnnypyP6考え方は飛躍があると思うよ。
徳川秀忠が同じように賜った豊臣姓は関ヶ原の戦い後に源姓に改めているから政治的に改める
必要があるかどうかで判断しているのかもしれない。
0631人間七七四年
2018/07/20(金) 09:46:53.47ID:+4JTuKG60632人間七七四年
2018/07/20(金) 20:01:50.54ID:zl7V+iOU秀忠は人質時代に高台院に良くして貰ったんだろう
0633人間七七四年
2018/07/20(金) 20:02:59.80ID:jS77I5LL秀の偏諱を秀忠自身は豊臣家の天下を奪う意図が薄かった的な意味づけされることあるような
それもまぁ小説的な飛躍ありきのかいしゃくだけども
こないだの豊臣政権が家康を厚遇したのか警戒したのかって話もそうだけどその辺はかなり小説的センスによる
0635人間七七四年
2018/07/21(土) 00:41:00.88ID:PMhMhKewいくらなんでも乱暴すぎやしませんかね。挟み撃ちにするにしても真田方が少なすぎる。
奇襲にしないと秀忠討ち取りは退路がいくつもあって困難。
仮にできたとしても徳川にとっては大打撃でも秀康や忠直みたいな代わりがいるから東軍崩壊は無理じゃないですか。
むしろ美濃がその間に東軍色に染まっていて消耗し孤立した信濃隊が包囲されて負けそうなんですけども。
>>627
当時の家制度だと側室の子供は正室の子供とみなされるので「朝日姫の息子」とみなすことはできる。
当時の日本では極端に言えば実際の血のつながりは無意味だし。
0636人間七七四年
2018/07/21(土) 02:35:50.19ID:9oDLKNoUが、実際そこまでの圧勝に持ち込めるかはだいぶ賭けだろうね
美濃をガラ空きにして関ヶ原に集まった軍勢をそのまま信濃に入れられるものでもないだろしそこまでの兵力差にはならない
逆にそこまでの兵力が信濃に雪崩れ込むなら家康本軍がその分フリーになるわけで秀忠も上田が落ちないままあえて一大決戦に及ぶ必然性は下がる
大勝できて当然というのは秀忠弱しと見た予断を基にした見方じゃないかなぁ
0637人間七七四年
2018/07/21(土) 05:07:32.36ID:xUTEcDIT西軍はさらに阿呆揃いだから東軍壊滅とか想像しにくいんだよな
0638人間七七四年
2018/07/21(土) 06:38:59.35ID:bSiTshz3悪手中の悪手
0639人間七七四年
2018/07/21(土) 10:13:19.33ID:f8cGPJwyふんむふんむ
先発隊が後ろから襲えば秀忠隊は壊滅する
東軍には悪手中の悪手だよな
このスレの西軍が一気に勢いづいて来たナリね
0640人間七七四年
2018/07/21(土) 10:20:37.94ID:gIVabwTQ信濃が西軍に掌握されたことで東海道をどこで寸断されるか分かったもんじゃない。
美濃をがら空きにする訳もなく、伊勢も長島城が立ち塞がるから東軍先発隊は雪隠詰めだな、こりゃ。
0641人間七七四年
2018/07/21(土) 10:24:17.79ID:f8cGPJwy逃亡する秀忠軍は落ち武者狩りに首を取られて東軍壊滅ナリナリ〜♪
0642人間七七四年
2018/07/21(土) 10:44:10.89ID:YNVp5dk6士気を悪化させている三成の処刑が不可欠だろう
事前に三成を処刑しておけば西軍勝利もありえた
0643人間七七四年
2018/07/21(土) 10:47:28.31ID:2Cwwu7+O膠着状態になる石田他が8月24日に宇都宮にいる秀忠を信濃でどうやって攻撃するんですかね。
9月2日には秀忠が小諸に来ると予知して先回りして布陣するんですかね。
そもそも大垣から小競り合いが続く東濃や難所の木曽を通って小諸まで何日かかるんでしょうね。
0644人間七七四年
2018/07/21(土) 10:59:16.90ID:llETpklJ日本代表並のクソ思考だな
そういう考えだから大一番を取りこぼすんだって
治部少輔が信濃に向かっているのにのんびり東海道を尾張に向かう訳ないだろ
福島なんて目の色を変えて足助街道を北上するだろ
0645人間七七四年
2018/07/21(土) 11:48:32.13ID:YNVp5dk6そんなことをしたら三成打倒に燃える東軍の気迫に押されて
史実と同じように西軍から寝返りや日和見が続出して負けるだけ
だからこそ西軍勝利のためには、何よりもまず三成を事前に処刑しておかないと
いないものに闘志を燃やすことはできないのだから
三成処刑で西軍は優位に立つことができる
0646人間七七四年
2018/07/21(土) 12:22:40.59ID:llETpklJ三成を信濃に向かわせる陽動は成功間違い無しだ。
福島池田は信濃で真田昌幸の策に討ち取られてハイ終了一丁上がり。
0647人間七七四年
2018/07/21(土) 12:32:49.07ID:YNVp5dk6信濃に三成が来たら真田が生き残るには三成の首を差し出すしかなくなる
0648人間七七四年
2018/07/21(土) 12:38:34.98ID:OTrDid98あえておまえらの妄想にノッてやるとすれば
三成の旗を掲げた部隊が信濃、美濃の各地に出没させて陽動作戦に使えばいんじゃね(テキトー)
0649人間七七四年
2018/07/21(土) 12:43:13.14ID:YNVp5dk6とにかく東軍が来る前に三成を影も形もないようにしておかないと西軍に勝機はない
0650人間七七四年
2018/07/21(土) 14:09:16.23ID:OJJr0AwH親徳川ではあるだろうけど
反石田ではないような…。
0651人間七七四年
2018/07/21(土) 14:18:00.68ID:xUTEcDIT0652人間七七四年
2018/07/21(土) 14:48:30.52ID:Vd5MKr2K結果的に巧妙だ
ハン三成はそのまま抱き込む
無関係なのは姻戚にする
どうでもいいのはそれなりに
0653人間七七四年
2018/07/21(土) 15:29:00.76ID:gup3j0Aa0654人間七七四年
2018/07/21(土) 15:32:37.44ID:Vd5MKr2K0655人間七七四年
2018/07/21(土) 15:40:30.99ID:gup3j0Aaむしろ三成は正則に敬意を払っていた節があるし
0656人間七七四年
2018/07/21(土) 15:52:24.40ID:xUTEcDIT黒田、細川、秀秋あたりも七本槍ではないが三成憎し
結局唐入りが行わなければここまでこじれなかっただうな
0657人間七七四年
2018/07/21(土) 15:53:39.47ID:xUTEcDIT0658人間七七四年
2018/07/21(土) 16:44:04.25ID:gup3j0Aa対して、自分は九州で24万石かよ?って文句言ってる清正と福島は仲悪いか?
0659人間七七四年
2018/07/21(土) 16:45:40.45ID:gup3j0Aa奉行主催の飲み会に参加してるぞ?
0660人間七七四年
2018/07/21(土) 16:50:01.80ID:gup3j0Aa本多忠勝もわざわざ福島の肩持って、お前は徳川の娘婿なんだから控えろって
忠告されたのに抜け駆けまでした。
細川忠興が自国で切支丹を優遇してるのに対して清正が馬鹿にしたら
刃傷沙汰になりそうになっている。
関ヶ原本戦では黒田と細川が仲違いして不倶戴天の敵にまでなっている。
0661人間七七四年
2018/07/21(土) 17:34:43.73ID:XQGlDsUQその家康が失脚させられそうになったからってんで奉行派には反感持ってるでしょ
んで七将襲撃事件で三成を追い出したと思ったらまた戻ってきたわけで
逆に三成は正則になんていって味方につけようとしたのか気になるわ
0662人間七七四年
2018/07/21(土) 17:52:24.28ID:f8cGPJwy本多忠勝が苦労している様子にワラタ
東軍もいつ瓦解してもおかしくない芽がいくつも有ったナリね〜
関ヶ原で家康が敗れていたなら岡崎三郎信康を死なせた事こそが敗因と語られたナリかね〜
0663人間七七四年
2018/07/21(土) 18:14:32.34ID:oa1wFLFi0664人間七七四年
2018/07/21(土) 18:17:12.39ID:xUTEcDIT単に太閤さまへのご恩を忘れたか、ぐらいの浅い勧誘しかできないと思うなあ
そもそも徳川を悪とするのも根拠弱いし、さらにはオマエが言う台詞かってのもあるし
0665人間七七四年
2018/07/21(土) 18:53:53.11ID:XQGlDsUQその辺はいかにも三成が言いそうなことだけれども
地位の向上とか莫大な恩賞ではなく地位の保証や所領の安堵位の事しか提示してないとしたら
要するに今までの政権の非主流派としての待遇に甘んじろって言ってるようなもんだよね
正則からしたら話にならないレベル
0666人間七七四年
2018/07/21(土) 19:18:30.71ID:Vd5MKr2K秀頼への忠義を説いた
効きそうなのは正則ぐらいか
しかし秀頼には忠義だが
オマエの言うことはきかんという心情だった
0668人間七七四年
2018/07/21(土) 19:54:28.33ID:WRUqBCFB0669人間七七四年
2018/07/21(土) 20:59:15.82ID:xUTEcDIT0671人間七七四年
2018/07/21(土) 21:39:00.64ID:XQGlDsUQ恩賞の話を誰にもしてないって事はないのでは
0675人間七七四年
2018/07/21(土) 23:20:49.36ID:XQGlDsUQ咎められたと言われているのは信孝配下時代の立花山の戦いだから家康との関連は薄いんじゃない
小牧長久手時の働きが悪かったとか言うならともかく領地を没収されたのも大分後だし
0677人間七七四年
2018/07/22(日) 00:47:45.63ID:JVY8960g領主の戦いは関ヶ原の戦いの中でも特異な印象を与える。
大名の移封が当たり前になりつつある時代に先祖伝来の土地を取り返そうとする武将に取り囲まれる
岩村城の攻防戦からは中世的な香りがする。
0678人間七七四年
2018/07/22(日) 08:36:53.20ID:tDFFaZTO家康の場合、勝利したら完全に一人勝ちなんで空手形を出しやすいというのはあるな
西軍の場合は下手に空手形を出すと、それが原因で別の争いが発生しかねん
西軍が毛利に全権を渡して毛利の一人勝ちを認めるならこの問題は解決するが、
今度は奉行や宇喜多がそんなもん認めないだろう
0679人間七七四年
2018/07/22(日) 10:25:55.44ID:pAax3Btkオマエになんの権限があるんだと。
だからあの局面味方を増やすのに必死なのはお互いさまかと。
0681人間七七四年
2018/07/22(日) 12:28:15.21ID:5lWwwHsT0682人間七七四年
2018/07/22(日) 12:54:16.91ID:R0o2CMp5西軍についてたと思うわ
その場合、松尾山に陣取ったかは不明だが
0683人間七七四年
2018/07/22(日) 13:08:15.89ID:UEDd3uVF尾張を取り戻すために功を焦ったのかもしれないな
清洲城主の福島正則を討ち取れれば論功行賞での尾張加増に誰も文句言えないと思うし
0684人間七七四年
2018/07/22(日) 13:08:32.62ID:QWi+5+BE隆景は豊臣家への忠義より毛利家への忠義だから三成のクーデターに賛同するとは思えずむしろ輝元に挙兵などさせないだろう
結果的に家康がたやすく天下取る展開にはならず徳川の時代にすらならなかった可能性は高くなるが
0685人間七七四年
2018/07/22(日) 13:35:18.72ID:/LfBAu/e毛利の領土は根こそぎ取られるって事くらい分かってるから。
0686人間七七四年
2018/07/22(日) 13:35:56.65ID:eoPvpsNf容易く徳川に天下を取らせないのは隆景の才と人望あってこその道。
かといって単純な親徳川という寄らば大樹の道を取るには毛利は大きすぎる。
安国寺惠瓊がそう考えただろうことは凡人でも想像付く。
吉川広家は「内府が勝つから内府につく」の先を読んでの事とは思えないんだよね。
0687人間七七四年
2018/07/22(日) 13:55:47.40ID:Yv6aCN9z0688人間七七四年
2018/07/22(日) 14:13:58.89ID:KTk7bSea石田憎しで団結したのはすごいな
治部、嫌われ過ぎ
0689人間七七四年
2018/07/22(日) 14:30:37.40ID:pAax3Btk切り取り次第は別に上杉領に限ってない
伊達旧領を取り戻し、現在の領をあわせると百万領になるので後世にそう呼ばれただけだよな
0690人間七七四年
2018/07/22(日) 15:46:36.13ID:5sSWs940輝元が家康に勝てるわけないんだから当然の判断だろ
関ヶ原戦役は最初から東軍の勝利は決まってるてて西岸に勝ち目が一切ない戦いなんだから輝元の挙兵を止められなかった時点で広家の選択肢は史実通りに領地を減らされてでも毛利が存続するようにするしかない
0691人間七七四年
2018/07/22(日) 16:16:10.32ID:Yv6aCN9z広家はどうしようもなく知的障碍者だな
輝元を高く売りつけたかったらもっとやりようがあったぞ
家康が困難に陥れば陥るほど輝元の価値はぐんぐん高まるわけだし
広家はガキのお使い程度もできない知恵遅れだったことが分かる。
0692人間七七四年
2018/07/22(日) 16:36:58.39ID:kfReL1Ye乱の首謀者なのに減封で済むとか割と奇跡やと思うけど
0693人間七七四年
2018/07/22(日) 16:48:11.36ID:Yv6aCN9z家康本人のお墨付きを貰えない限り桃配山では家康を殺すし(実際に殺せた)
大阪城も絶対に譲り渡さない。
この程度の事はできた。
0694人間七七四年
2018/07/22(日) 16:50:01.36ID:Yv6aCN9z担保も取らないでヤクザに50億円融資して銀行潰しそう
0695人間七七四年
2018/07/22(日) 16:56:03.17ID:Yv6aCN9z毛利家自体潰れるべきだというなら、そうかもしれない。
0696人間七七四年
2018/07/22(日) 17:06:03.48ID:tFVuOeWbせめて穂井田元清さえ生きていればな
0697人間七七四年
2018/07/22(日) 17:10:01.93ID:kfReL1Yeあの布陣図信用ならないんじゃなかったっけ?
0698人間七七四年
2018/07/22(日) 17:16:23.65ID:L3EdZLTj桃配山に家康なんていないし仮にいたとしても広家の位置関係じゃ攻撃できねえよ
0699人間七七四年
2018/07/22(日) 17:16:52.48ID:8vMk+O7Jカンネの戦いの時、参加したのはローマ軍8万、カルタゴ軍が35000だっけ?
二倍以上の敵軍を戦闘中に陣形を変化させて完全包囲で壊滅させた訳だけど?
これ程の勝利を持ってしても、ハンニバルはローマ包囲を避けたよ。
攻城戦用の装備無いし、ローマ包囲中に同盟都市の援軍が来たら危険だからって理由で。
だから予めローマに援軍送りそうな南イタリアの都市を攻略する方針にした。
大阪で籠城すればまだ巻き返しは充分可能だったはずだよ。あの時点では徳川方の水軍は
無いに等しいんだから、大阪を落とせるはずが無い。
0700人間七七四年
2018/07/22(日) 17:24:24.04ID:L3EdZLTj毛利が大阪城なんて籠城しても一月ももたんわ
関ヶ原で主力が負けて大阪まで敵が来てる時点で勝ちの目は一切なし
そのうち城の中の徳川派のやつに輝元が寝首をかかれて終わり
0701人間七七四年
2018/07/22(日) 17:25:12.95ID:kfReL1Yeそうなると幼君を人質に取った歴史的クソ野郎扱いで全国敵に回すやろ、もちろん本領からの連絡も途絶させられるけど
0702人間七七四年
2018/07/22(日) 17:34:53.37ID:nAoazIj/クーデター自体が起こらないか史実よりも小規模なものになってる
0703人間七七四年
2018/07/22(日) 17:51:53.59ID:Yv6aCN9z契約する時は担保くらいとろうよ。
いまどき小学生でもこんなミスしないよ。
幼稚園児かよッ広家
0704人間七七四年
2018/07/22(日) 17:53:25.58ID:mxBeaNMn0705人間七七四年
2018/07/22(日) 17:55:52.10ID:Yv6aCN9z0706人間七七四年
2018/07/22(日) 18:02:06.44ID:L3EdZLTj0707人間七七四年
2018/07/22(日) 18:44:26.79ID:Yv6aCN9z最初から西軍の大将なの折込済みで家康の部下が「全て許す」と証文を書いてくれたんだろ。
家康は「俺の部下が勝手に証文を書いただけで俺はそんなものの存在すら知らん」と
約束を全て反故にしたわけだがw
でも家康が悪いとは言えない。現在だって「契約」とはそういうものだ。
本人の承諾を得ないで第三者が結んだ契約など無効www
0708人間七七四年
2018/07/22(日) 19:09:51.14ID:QqIMzXTq広家かてこんな条件飲みたくて飲まないよ
徳川本隊が着いて美濃戦線は絶望的な状況だったんだろう 兵力的にも精神的にも
0709人間七七四年
2018/07/22(日) 19:59:34.37ID:8vMk+O7J家康は、確か寝返り工作は井伊と榊原に任せてたんだっけ?
そんで、あとで俺の花押無い文書は無効宣言したwwwwww
まあ謀略のお手本だね。
0710人間七七四年
2018/07/22(日) 20:34:51.81ID:Yv6aCN9zおそらく家康は死に西軍の大勝利で終わってたんだよな。
0711人間七七四年
2018/07/22(日) 21:00:22.69ID:Cum39vFn0712人間七七四年
2018/07/22(日) 21:03:33.91ID:4+nD6+dW無傷で降伏は無理くらいには思ってただろうけれども
0713人間七七四年
2018/07/22(日) 21:17:29.48ID:PJsAg5Mhただしこのスレで意図的に無視される政治的な影響という観点からすると東軍を破って徳川を滅ぼした後
輝元の毛利家が政治的な主導権を持てるか、あるいはその後の政治情勢で生き残っていけるのか
という点で広家は「無理」と判断したということだろう
つまり徳川亡き後の豊臣家に天下を安定させる実力はなく、また輝元の毛利家にもなく、その結果
戦乱の世に逆戻りした場合輝元の毛利家では生き残っていけないとの判断
しかし北陸の前田ならともかく、山陰山陽という西国の枢要な地を占める毛利領をそのまま安堵してもらえると
思ったのは広家の甘い観測だったね
0714人間七七四年
2018/07/22(日) 21:21:01.12ID:eoPvpsNfここはどういうスレなのかというのをそろそろ定めるべきかなと思う。
従来の関ヶ原観をベースにした三国志演義的な誰でも楽しめるスレで続けていけるならと思うけど。
0715人間七七四年
2018/07/22(日) 21:22:32.97ID:5sSWs940まーだそんなこと言ってんのかw
だから広家の位置からじゃ徳川本隊への攻撃なんか無理だってのw
キングダムの李牧みたいにワープでもできるんなら話は別だがなw
0716人間七七四年
2018/07/22(日) 21:46:57.21ID:D+WUh42g天下人ならともかく、家康を打ち破った後の大内家のような存在なら十分やって行けるんじゃね?
そもそも250年かけて後に防長2国でやったことなんだから基本的に同じメンバーな毛利家に打倒徳川は可能だって。
吉川広家が考え過ぎずに家康に襲いかかれば西軍は勝てたよ。
0717人間七七四年
2018/07/22(日) 21:48:54.72ID:4+nD6+dW現在有力と思われる説を基に話していくべきじゃないですかね
言ってしまえばこのスレ、ファンタジーでいくなら西軍がテポドン100万発持ってたら勝てるで終わっちゃうんで
できうるかぎり史実と思われるものに沿って話を進めるべきじゃないっすかね
0718人間七七四年
2018/07/22(日) 21:50:30.99ID:Yv6aCN9zなんで担保を取らなかったの?
いまどきの幼稚園児だって担保くらいとるぞ。
幼児か広家は!
0719人間七七四年
2018/07/22(日) 21:50:38.86ID:NUAwT2bk大内家だったらだめじゃねーか途中で中央政権投げ出して帰国してるじゃん
基本的に同じメンバーとかもツッコミどころ満載なんだけどもしかして反応が欲しくてわざと適当なこと言ってる?
0720人間七七四年
2018/07/22(日) 21:55:34.25ID:NUAwT2bk覚えたばっかりのむつかちい言葉を使いたくてしょうがない坊やなんでちゅねー
そもそも毛利は関ヶ原本戦の前に徳川に頭を下げて降伏したんだから毛利家に処罰が与えられるのは約束通りの既定路線なんでちゅよ?
漫画や小説ばっか読んでないできちんとした歴史の本を読みまちょうねー
0721人間七七四年
2018/07/22(日) 21:56:33.45ID:Yv6aCN9zしかもそいつ大谷との戦闘で戦死してやんのw
0722人間七七四年
2018/07/22(日) 21:59:59.16ID:eoPvpsNfそういうの要らないから。学問板から出て来なくていいよ。
ここは三戦以来の楽しく語るスレで有って、
これぞ真説と勝ち誇るスレじゃないから。
0724人間七七四年
2018/07/22(日) 22:15:39.24ID:4+nD6+dWお前このスレ定めようぜとか言っておいてこっちが意見言うたら出てくるなってええ根性しとんな
0726人間七七四年
2018/07/22(日) 22:41:10.63ID:/eiwaG0x毛利家臣との文書は徳川家臣との間でやり取りするのが礼儀というだけだよ
家康の署名や花押が欲しいなら毛利側も輝元の署名や花押を出すのが礼儀となる
毛利家臣と家康がやり取りをしたら、家康が毛利家臣と対等、即ち輝元より下の立場ということになるから
家康からすれば、そんな無礼な要求には応じられなくて当然だろう
輝元の署名や花押を出さなかった毛利の方が悪いとしか言いようがない
0727人間七七四年
2018/07/22(日) 22:49:07.61ID:TAeNAu29「毛利宗家から受けた恩寵が薄く味方する義理が少ない」と、
家康にしてみれば信用しやすいし味方にするメリットも多い小早川に比べると、
おもっくそ敵対行為とったうえで岐阜城落ちて先行き暗いから頭下げてきた毛利、吉川じゃ
「どの面下げて証人寄こせなんて言えるんじゃ」とあしらわれてもしゃーない
0729人間七七四年
2018/07/22(日) 23:00:08.61ID:FvYIxHCx0730人間七七四年
2018/07/22(日) 23:12:09.55ID:Yv6aCN9zそう言われても仕方ない事しかしてないよな。
0731人間七七四年
2018/07/22(日) 23:15:19.85ID:/kxeyCjQ0732人間七七四年
2018/07/22(日) 23:20:39.76ID:5sSWs940毛利家を裏切ったのは輝元だろ
0733人間七七四年
2018/07/22(日) 23:40:02.30ID:10PPqEj50735人間七七四年
2018/07/23(月) 02:17:56.42ID:KyyEqgr4家康「オメー輝元は仕方なく乗せられて西軍の総大将になったんですって言ってたから降伏認めたけどよく調べたらあいつの命令書がザクザク出てきてめっちゃノリノリじゃねーか!どうなってんだ!?」
広家「ウチの殿様はみんなよく知ってる通りアホだから仕方ないんです」
0736人間七七四年
2018/07/23(月) 02:21:08.38ID:AaQo3yMkそれ、役目的には軍監や目付けだと思うんだけど?
つまり、秀秋が裏切りを実行する様に見張る立場だね。
当然、裏切りを中止するなら最初に消される立場なんで、戦死したのか疑問だね?
西軍に付くか迷ってたから消した「んかも?
0737人間七七四年
2018/07/23(月) 02:27:38.64ID:l/xiPOx0これでよく2国も残してもらえたな感あるよね
あのまま粘って家康を打ち取るみたいなラッキーヒット飛ばせる可能性も低いし
普通に広家の判断間違ってない気がする
なんちゅーか、監督の判断ミスで大炎上したのを投手が敗戦処理したのに投手叩かれてる的なサムシングを感じる
0738人間七七四年
2018/07/23(月) 02:34:10.08ID:AaQo3yMkその手口って、鴻海がシャープを買収する時に現在進行形で見られましたよwwwwww
現経営陣には甘い待遇を約束して事実上の裏切りさせて、ライバルの機構が徹退するまでは
甘い囁きでだましてました。
完全に梯子を外した後で態度が豹変、突然偶発責務なんて言い掛かりでドタキャンを二度wwwww
明らかに騙してるのに、魔法の言葉偶発責務でシャープが嘘吐いたんが悪いとwwwww
完全に倒産擦れ擦れまで追い詰める。
嘘吐いたんに、シャープが悪いって宣伝する所が正に乱世の...なんだね。
この手口って、調べたら鴻海の会長の得意技だって。何度も同じ事してるって。
最初のシャープとの合意会見の時のシャープの重役が馬鹿の標本wwwwww
買収される側なのに、鴻海より目上のはずって態度。
ライバルの機構が徹退した後の豹変って、毛利輝元が大阪城退去した時の家康
其の物でしたね。
リアルで、乱世の姦雄を見られたよ。
シャープには、多数の吉川広家が居たんだろうね。
0739人間七七四年
2018/07/23(月) 02:39:00.67ID:AaQo3yMk普通に野戦で主力が壊滅した訳でも無いのに、120万石から36万石に減封って普通は
籠城抗戦案件だと思うんですが?
しかも、この120万石ってのはかなり怪しく実収はかなり上なのに。
籠城抗戦出来なかったのは、大阪城放棄したんで徳川の方が官軍に成ったからでしょ?
0740人間七七四年
2018/07/23(月) 02:53:16.33ID:AaQo3yMk領土を減らされるって毛利家の家臣が減俸されるか解雇されるって事なんですが?
野戦で敗北した訳でも無いのに、御前明日から領地無しな、レイオフするって言って
あの時代の武士が納得するんかね?
最初からあの条件なら、普通に吉川広家は殺されるんでは?
江戸後期の藩政改革で、人員整理しようとしたら責任者暗殺されるって事件多いんですが?
武士をそんなに簡単に解雇できないと思うな?
0741人間七七四年
2018/07/23(月) 03:46:34.78ID:xs91V7g+「輝元が毛利家を裏切った」とか「毛利最大のアンチはテル」とか
キチガイになってしまったでごたる
0742人間七七四年
2018/07/23(月) 04:12:40.87ID:Ub2kEtYw>野戦で敗北した訳でも無いのに、
西軍が野戦で敗北してないって主張するやつ初めて見た
0745人間七七四年
2018/07/23(月) 05:47:50.37ID:AaQo3yMk毛利家の私兵が保々無傷って言ってるんです。
領地を大幅に削られるって事は、真朋な戦闘もしてないのに相当数の兵士が減俸か
牢人かって事です。
江戸時代に幕府に籠城抗戦した例は豊臣家しか有りませんが、この時代までは理不尽な
改易に籠城抗戦する話は普通に有りました。
0746人間七七四年
2018/07/23(月) 06:55:38.37ID:77PaQ/Hz0747人間七七四年
2018/07/23(月) 08:09:37.67ID:bfjxtwXW島津がその構えで本領安堵を勝ち取ったけど関与具合も立地もだいぶ違うから同じと考えるのは無理あると思うぞ
0748人間七七四年
2018/07/23(月) 08:22:42.59ID:dIdEjhk2ひょっとして、長曽我部や佐竹の事言ってるんですか?
前者は関ヶ原に関しては無理やり巻き込まれただけだからな、理不尽だとは思うだろそりゃ
まあ盛親が兄貴殺すから悪いんだが
佐竹は一応中立だけど、あの立地で東軍に追従が遅れた時点でまあしゃあないかと
つーかその辺を言い出すと秀吉の東北仕置とか理不尽極まりないと思うけど
0749人間七七四年
2018/07/23(月) 09:23:25.02ID:9Sl94MrA当時の毛利をたとえるなら1945年のドイツ降伏後の日本ですかね。
「毛利征伐」になったら下手したら島津や上杉、佐竹あたりも徳川方で参戦しかねない。しかも九州四国岡山の三方向から同時に攻め込まれる。
正直、何年滅亡を先延ばしにできるかって話でしかない。毛利征伐の分の恩賞も考えると毛利家が完全に滅ぼされていた可能性すらある。
関ヶ原の戦い本戦後における毛利家の行動はあれがベストじゃないかもしれないけど、ベターの類だと思うぞ。
問題があるとしたらその前だよ。
0750人間七七四年
2018/07/23(月) 11:38:19.52ID:l/xiPOx0謝ったら全部チャラになんてなるわけないじゃん、あそこまででかい乱を起こしておきながら
ほんと家名保ったのがマシなレベルでしょ
0751人間七七四年
2018/07/23(月) 11:54:31.36ID:gOTspvFO問題視するのべきなのは秀吉の死以降の輝元の政治的姿勢及び判断についてであって
広家の行動は結局輝元の尻拭いでしかないってのが話がかみ合わない原因かね
0752人間七七四年
2018/07/23(月) 14:34:05.83ID:v/6X/ouk東西から攻められて毛利の立場はどんどん悪くなる
0753人間七七四年
2018/07/23(月) 14:46:30.08ID:v/6X/ouk本戦がどの程度消化試合だったかはまだ議論の予知があるかもしれんが
本戦後はホントにただの消化試合だわ
0754人間七七四年
2018/07/23(月) 15:30:41.57ID:C4WgwFtE大阪城には毛利の他に奉行の増田や七手組がいた。
長居するとこいつらが輝元の首を取りに来る恐れがある。
家康が大津にいるときに朝廷の公家たちが関ヶ原の戦勝祝いの挨拶をしに来ているので大阪に居座っても官軍になれるか怪しい。
西軍じゃなくて毛利家を考えたら、関ヶ原の本戦で長宗我部や長束を攻撃するとか、本戦後に近江の石田、長束領平定で血を流すしかない。それでも領地削減は必至になると思うけど。
何にしても吉川が総和睦を考える岐阜城あたりからやるのが簡単なんじゃないですか。
0755人間七七四年
2018/07/23(月) 15:43:46.02ID:OAtpC336ただ>>420や>>421の書状を見る限り(信憑性はとりあえずおいとく)
美濃方面の西軍は、岐阜陥落してもなんか呑気なんだよね
家康は関東から動けんと思ってるみたいだし
思うんだが西軍で一番現実が見えてたのって実は毛利だったんじゃないかな
豊臣政権がすでに形骸化、無力化しているのを見切って西国の領地拡大を狙ったり、
(この点では家康よりも見切りが早いとすら思う)
西軍敗北を見越したら、さっさと西軍見捨てて生き残り策にシフトチェンジしたりするし
0756人間七七四年
2018/07/23(月) 16:07:32.67ID:dBZkEmsb吉川は家康の出陣認識してたはずなんで、西軍とは別口の偵察ルートを持って危機を判断してた様子
0757人間七七四年
2018/07/23(月) 19:40:32.37ID:AaQo3yMk三方向から?東の備前は有力な西軍の宇喜多秀家の領地なんですが?
つまり、東から攻めるなら先に宇喜多を滅ぼす必要が?
九州は毛利一門の小早川が筑前と筑後に領地有るんですが?
四国方面から攻めるなら、瀬戸内の制海権必要ですね?
毛利の水軍に対抗出来る東軍大名いたっけ?
大阪城で毛利の本隊が籠城してる想定で毛利の本領を攻めるのは厳しい気が?
水軍の掩護無しで毛利領に攻め込むの?後方の大阪に毛利の本隊が居る想定で?
0758人間七七四年
2018/07/23(月) 20:00:25.45ID:bfjxtwXW負けた場合は確実に改易で毛利一門消えるっていう賭けに出るかどうかだよ
0759人間七七四年
2018/07/23(月) 20:45:18.69ID:Ykcx/zEO宇喜多は関ヶ原で壊滅しとるし毛利の留守部隊はせいぜい1~2万程度じゃないかな
というか秀吉の北条征伐時の北条と比べでもかなり条件わるいだろ
なんたって籠城する大坂城は自分の城じゃないし領地からもかけ離れてるし
あと村上水軍の能島当主の元吉は加藤嘉明の留守部隊に大敗して戦死してますよw
0760人間七七四年
2018/07/23(月) 20:45:37.86ID:l/xiPOx0沈む船に付き合える家臣がどれだけいることか
九州四国に撒いてある戦力はいるけれど、関ケ原の隊や大津の隊も無事に撤退させないと順次帰国して兵を集める東軍相手に殴り合いする戦力も足りなくなる
そこまでしても今回は朝敵認定受けることになるだろうし、元西軍やら日和見の連中は毛利征伐でポイント稼ごうと躍起になるよね
0761人間七七四年
2018/07/23(月) 21:26:23.98ID:lHl/P8n3秀秋の名島は戦後はおもっくそ東軍だし
大阪の本隊が毛利領の後詰とは自説に都合のいい捉え方じゃないか?
誰が見ても本国と分断され、百歩譲って大阪城で耐えても帰る場所がない死地だな
もちろんそんな状況じゃ士気もガタガタで大阪籠城もうまくいかんだろう
0762人間七七四年
2018/07/23(月) 21:27:04.15ID:xs91V7g+家康の犬となって毛利に噛みつくと思う?
0763人間七七四年
2018/07/23(月) 21:28:36.31ID:lHl/P8n3鍋島勝茂が西軍として奮闘した竜造寺も東軍に寝返るおまけ付きで
0764人間七七四年
2018/07/23(月) 21:43:26.72ID:xs91V7g+0765人間七七四年
2018/07/23(月) 21:46:31.38ID:lCiNpm2o大坂を取ったこと自体が間違ってるような
秀頼参戦にしても武力で脅されてと言い分が立つし
大坂で篭城しようものなら完全に豊臣に弓を向ける行為
0766人間七七四年
2018/07/23(月) 21:48:50.29ID:zB2b6BSh>現在だって「契約」とはそういうものだ。
>本人の承諾を得ないで第三者が結んだ契約など無効www
どうでも良いけど、そう言うのを頭から信じてたらいつか痛い目見るよ
表権代理とか善意の第三者とか、
本人の承諾を得ないで結ばれた契約が有効になるシステムは幾らでもある
0767人間七七四年
2018/07/23(月) 21:51:05.68ID:AaQo3yMk有る時代まで、陸路と海路じゃ輸送能力が全然違うんですよ。
帝政時代、ローマから陸路で100数十キロの都市と、ローマの外港のオスチアからエジプトの
アレキサンドリアまでのコストが保々同じだったそうで。
それだけ海路の連結の方が重要だと思うんですが?
小田原征伐だって、九州征伐だって遠征軍の輜重は海路で支えてます。
瀬戸内の毛利水軍を潰さないで陸路で攻め込むと、遠征軍が干上がる確率もそれなりに
有りそうに思えます。
0768人間七七四年
2018/07/23(月) 21:51:48.16ID:QkcNqt7o0770人間七七四年
2018/07/23(月) 22:10:39.69ID:l/xiPOx00771人間七七四年
2018/07/23(月) 22:25:51.92ID:gOTspvFO手紙を広家に送ってるから毛利と同盟するより主不在の毛利領を狙う方が可能性としては高い
0772人間七七四年
2018/07/23(月) 22:32:47.55ID:lDBGrq6m0773人間七七四年
2018/07/23(月) 22:43:12.03ID:gOTspvFO当時謹慎中の身だったんで家康から占領地支配の許可をもらってから軍事行動始めてるし
開始の前には家康に報告を入れている
0774人間七七四年
2018/07/23(月) 23:29:40.68ID:lHl/P8n3当時の来島水軍は福島正則と関係が深く、
因島水軍の一部は黒田家に属していたため制海権を完全に掌握していたとは言い難い
能島水軍は大友に属して毛利と争った経歴持ちだし当主と主力を失った直後
時代の敗北者になりかけの毛利にどこまで付き合ってくれるか
時間稼ぎできたとしても藤堂、加藤、脇坂が自領に戻ってくる
0775人間七七四年
2018/07/23(月) 23:36:06.43ID:lHl/P8n3一門衆筆頭の広家と福原、宍戸、益田といった家老衆が領地に帰って工作行えば済む話
0776人間七七四年
2018/07/23(月) 23:45:41.75ID:Ykcx/zEOそんなにすごかったら京坂が本拠地の秀吉が瀬戸内支配の為に豊臣水軍設立してるんじゃないか
ただまあ水軍()て過大評価というか忍者とか剣豪と一緒のファンタジーというか
0778人間七七四年
2018/07/24(火) 00:07:26.45ID:ZaLIoSrE毛利と手組んでどんなに順調にいったとしても九州と四国だけで
畿内東海関東北陸を掌握し、気に入らない奴に「朝敵」「豊家の逆臣」の烙印押せる
家康とやりあえるか(同盟相手の毛利は勤皇の旗印のせいで朝廷に弱い)?
九州制圧の前に四国諸侯が帰国して防戦体制整えるの目に見えてるし
さすがにそのプランは如水と清正を馬鹿にしすぎ
0779人間七七四年
2018/07/24(火) 00:22:28.89ID:ZaLIoSrE0780人間七七四年
2018/07/24(火) 00:39:32.63ID:CJiCTRtSどうも怪しい気がする。
0782人間七七四年
2018/07/24(火) 13:10:32.09ID:MEr7TDrL上杉は越後でも徳川に付かないだろうし、誰か別の人選を・・・
適当な人物が居ないんだよなぁ。
0783人間七七四年
2018/07/24(火) 13:16:15.10ID:6I2hNwIK家康に国替え命じればよかっただけ。
「会津の120万石を加増するから伊豆、相模、上野を召し上げる」
0784人間七七四年
2018/07/24(火) 14:08:24.64ID:hXb6NQV8家康が拒否して戦争になりそうだが
0785人間七七四年
2018/07/24(火) 14:20:32.82ID:MEr7TDrLましてやあの時代の人間から考えたら島流し位のインパクトありそうじゃね?
0786人間七七四年
2018/07/24(火) 14:46:26.32ID:O3xKCBQF0787人間七七四年
2018/07/24(火) 15:20:17.67ID:ZaLIoSrE揚げ足取りすまんですが、会津単体は90万石、
残り30万石はもともと上杉領の庄内と佐渡ですぜ
一門衆筆頭にして奥羽情勢に通じている浅野をいれ、
空いた甲州に堀か青木が入ってたらどうなってただろうか
...元の身代小さいし伊達とも仲悪いし普通に村上コースか
0788人間七七四年
2018/07/24(火) 15:21:01.29ID:ZaLIoSrE0789人間七七四年
2018/07/24(火) 16:51:58.22ID:6I2hNwIK伊達を嫌ってて強い大名じゃないと東北は伊達のものになってしまうから。
0790人間七七四年
2018/07/24(火) 18:45:47.99ID:Ss94+xZI家中のものだけではとても日本をまとめきれないし
0791人間七七四年
2018/07/24(火) 18:52:14.13ID:imolhdpuhttp://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1515338118/l50
0792人間七七四年
2018/07/24(火) 19:08:13.46ID:NI1DyNUgそもそも秀元含めて吉川の指揮下にあったとかなんとかいうのをなんかで読んだ気がする。
>>782
佐竹を会津に加増移封、常陸は結城秀康にでもやる。
宇喜多と思ったが西国が毛利一強というのもそれはそれで危ないね。
>>783
武蔵と下総上総は残すのかい。(いちゃもん)
みんな(武家に限る)が納得するような口実もなく減収しそうな国替えをすると謀反の口実になりかねない。
次は俺の領地が奪われるのかって思われて連鎖反応になるとまずい。
単純に加増するだけなら謀反の心配は大丈夫だろうけど、佐竹が完全に徳川の与力になる。
0793人間七七四年
2018/07/24(火) 22:26:15.39ID:5vr6kuKs家中に手を突っ込んで分離しようと画策してたが大盤振る舞いしすぎだわ
0794人間七七四年
2018/07/24(火) 22:34:55.43ID:F+ccfyPb輝元は金箔髑髏にされて浅井・朝倉の隣に並んでいたんだよ
それを思えば、輝元は命があるだけでもありがたいと思わなければいけないのに
調子に乗って分不相応な戦を仕掛ければ失敗して当たり前だろう
0795人間七七四年
2018/07/24(火) 22:57:42.73ID:QYW35lHm輝元に教育施したおじいちゃんが誰なのか考えたらあの動きも納得できる
0796人間七七四年
2018/07/24(火) 23:13:04.95ID:F+ccfyPb金箔髑髏が100万石も貰っているうえに態度もでかいのだから
家康でなくても何とかしようとするのは当然だよ
むしろ金箔髑髏に100万石も与えた秀吉がどうかしている
輝元や景勝が無能であることは、信長や家康がきちんと証明しているのだから
まず秀吉は輝元や景勝を滅ぼして豊臣の基盤固めの第一歩とするべきだった
0797人間七七四年
2018/07/24(火) 23:55:56.72ID:dxG+6925そんなに西軍=豊臣公儀と見てるひとが多いの?
0798人間七七四年
2018/07/25(水) 00:19:27.74ID:8CVPZ/yf関ヶ原の失策があったが関ヶ原内乱の発端の首謀者クラスなのに
関ヶ原敗戦で即土下座降伏しに行って改易されなかっただけマシ
即土下座降伏もできなかった武田勝頼や北条氏政に比べたらね
0799人間七七四年
2018/07/25(水) 00:23:21.98ID:/xKkHsyb上杉が西軍に参加したの関ヶ原戦役の終盤も終盤なのに首謀者クラスとか何言ってんだw
秀吉死んだら中央がゴタゴタしてきたので一旦領地に帰っていざ中央で戦乱が起こった時のために地方割拠の準備してたら家康に目をつけられちゃったんだよ
関ヶ原戦役の発端ではあるが首謀者なんていう位置では絶対にない
0800人間七七四年
2018/07/25(水) 00:39:15.53ID:8tZ7b9cUそもそも景勝や輝元のような大大名を残さず家康に権力をもっと集中させておけば関ケ原みたいな闘争も起きずに済んだって話が混ざってるっぽい
0802人間七七四年
2018/07/25(水) 00:58:41.68ID:8djbffP40803人間七七四年
2018/07/25(水) 01:01:42.74ID:/xKkHsybだからそう言うとるやんけ
>関ヶ原戦役の発端ではあるが首謀者なんていう位置では絶対にない
0804人間七七四年
2018/07/25(水) 01:12:34.25ID:8CVPZ/yf増田や長宗我部とかは関ヶ原本戦に来てない&まともに戦ってないのに改易なんだけどね
首謀者でもない奴等も改易くらってるし
上杉征伐の発端となり上杉は思いっきり東軍の最上攻めてるんだけど
かなり重いよね
毛利などの内通していた奴等や不信な行動してたが不戦した佐竹と同じ扱い
0805人間七七四年
2018/07/25(水) 01:14:59.10ID:/xKkHsyb増田は内府違いの条々で堂々と署名してる明確な西軍首脳メンバーの1人じゃねえか
0806人間七七四年
2018/07/25(水) 01:19:37.38ID:8CVPZ/yf増田は家康に三成挙兵を内通して保身行動取ってたんだけどね
西軍に資金援助渋ったり、関ヶ原には不参加
0807人間七七四年
2018/07/25(水) 01:23:13.60ID:/xKkHsyb関ヶ原に不参加連呼してるけどそれぶっちゃけほとんど関係ねえよ
増田の仕事は大阪城にいて豊臣家の政務を行うことと西軍総大将の毛利輝元の補佐すること
つまり大坂にいて西軍に加担しているのがすでに謀反なんだから保身にもなってない
0808人間七七四年
2018/07/25(水) 01:32:36.88ID:8CVPZ/yf上杉はガチで上杉征伐からの関ヶ原の発端になり東軍をガチで攻めた
内通してた毛利、不戦した佐竹と同じ減封
首謀者じゃなくガチで戦った西軍の奴等は軒並み改易なんだけどね
上杉は首謀者クラスの罪を問われるのが普通
0809人間七七四年
2018/07/25(水) 01:38:04.32ID:/xKkHsyb島津は本気で東軍と戦って全く領地削られてませんがどこが軒並み改易?
まさか最初は東軍に味方する気だったけど鳥居に追い出されて仕方なく西軍になったとか関ヶ原本戦ではサボタージュしてたなんでことは言わないよね?
0810人間七七四年
2018/07/25(水) 01:40:40.17ID:8CVPZ/yf吉川広家の嘆願で広家に与えられるはずだった領地を貰っただけで
0813人間七七四年
2018/07/25(水) 01:48:20.43ID:8CVPZ/yf島津義弘は西軍に加担したが国元に島津の義久も忠恒も動かなかったんだけどね
戦後に西軍への荷担は義弘個人が行ったもので、島津義久は知らぬ事であったとして講和交渉を開始した
言い訳の使者も送らず和睦交渉せずに戦ったら改易だったろうけどね
0814人間七七四年
2018/07/25(水) 01:57:12.88ID:/xKkHsyb義弘は関ヶ原当時はまだ豊臣政権から認められた正式な当主なんだがそれが堂々と西軍に参加して関ヶ原本戦に西軍で参加して奮戦してるんだからいちゃもんつけようと思えばいつでもつけられるわ
どっちにしろ義弘が西軍に参加して関ヶ原本戦で本気で戦ったと言う事実は確定してる
>>808のガチで戦った西軍は軒並み改易云々は単に物を知らないってだけ
0815人間七七四年
2018/07/25(水) 02:26:34.28ID:8CVPZ/yf島津本国は関ヶ原本戦に兵をほとんど送ってないから余力があったんだけどね
家康に島津の討伐令も出されたのも知らないんだろうけど
義弘が勝手にやったと和睦交渉して、結局は二年間交渉して島津の粘り勝ちだったのも知らないんだろうな
0816人間七七四年
2018/07/25(水) 05:30:05.79ID:6VAdI4FPなんつうか、博奕下手の典型ですね。
当人は上手く立ち回り、何方が勝利でも生き残る気だったみたいですが?
中国の歴史書とか読むと権力闘争は飽きる程読めるけど、一度賭けたら限度まで賭ける
奴が強い。
後漢の来歴とか、安帝が皇太子の順帝を廃嫡する時に、宮城の門で座り込みの抗議とか
してる。
普通に、安帝の息子は一人しか居ないのに廃嫡とか正気じゃ無いって合理的理由も
有るのですが、命賭けです。
勿論、其の後の流れで最終的に順帝が即位したんで、絶大な信認を受け大当たりに成りました。
0817人間七七四年
2018/07/25(水) 06:15:46.95ID:IbwPKrPm秀吉が義弘を贔屓したために義久と不仲になったわけだが、そこをしっかり義弘を当主にすげかえておかなかったのは手落ちだよな
まあ攻めるのは鶏肋でしかない薩摩という地の利でお家も残ったし義久としてもほっとしただろうよ
できるなら義弘をちゃんと粛清しておくと徳川のおぼえも良かっただろうが。
0818人間七七四年
2018/07/25(水) 06:43:31.41ID:kAJsWsVU0819人間七七四年
2018/07/25(水) 06:58:54.42ID:IbwPKrPm0821人間七七四年
2018/07/25(水) 08:47:36.04ID:/lMc8s4i金吾は秀吉の縁戚だぞ
0822人間七七四年
2018/07/25(水) 09:08:24.49ID:22G+hzhY0823人間七七四年
2018/07/25(水) 10:30:25.36ID:Xn2BjGmRそれでも足らんな。
0824人間七七四年
2018/07/25(水) 11:07:27.21ID:63hCUcUv隆景と親子の杯交わした立花も(苦笑)
大内が潰れた以上竜造寺も毛利に従属すんのが筋ってもんだ(失笑)
真面目に数えていいのは秀包10万石と安国寺6万石だけだと思うが
0825人間七七四年
2018/07/25(水) 13:11:40.79ID:jBJ6Cvcoあとは秀包と安国寺の合わせて16万石
最大限にしても200万石にギリギリ届かないくらいじゃない?
0826人間七七四年
2018/07/25(水) 13:16:24.76ID:zi2BXdsO0827人間七七四年
2018/07/25(水) 14:58:49.31ID:6VAdI4FP吉川で思いだしたけど、第一次大戦後のドイツでユダヤ人の背後の一突き論が有ったんだよ。
実はドイツ人から見れば、戦線は常にフランスやベルギー、ロシア、東欧なんかに有り、寧ろ
優勢だと信じてたのに突然敗戦したから。
しかも、講和じゃ無くて無条件降伏にされたからね。
売国奴が負けて無いのにドイツを売り渡したって主張する人達が居た。
一般人から見れば、負けた実感無いのに無茶苦茶な条件だからこうなる。
吉川も、良く殺されなかったもんですね。
0828人間七七四年
2018/07/25(水) 16:08:09.31ID:s1zxghAx0830人間七七四年
2018/07/25(水) 17:27:12.58ID:uiVHlHnC大坂の陣に至る豊臣家がまさにそれだな
なんとか豊臣と徳川の関係を穏便にすませようとした片桐を
追放した結果があのザマだ
0831人間七七四年
2018/07/25(水) 18:37:59.85ID:6VAdI4FP何か、中国大返しの時の因縁で反豊臣の気もするなあ?
あの時、小早川隆景は追撃せず秀吉に恩を売るべき派、吉川元春が追撃して近畿を制圧すべき派
だったんよね。
この時の仮の意識が豊臣家の小早川家優遇だと思う。毛利と独立して筑前と筑後に領地を
貰った訳だから。
逆に、吉川は冷遇されて領地も毛利領内で貰ってるし。
まあ上のドイツの例でも、連合国が常識的な穏便な講和条件を出してれば違ったんでしょうが。
実際には、絶対無理な額の賠償金でハイパーインフレ起こしてたりします。
フランスはドイツが100%悪い、損害は全て賠償金で補うだからさ。
そりゃあ、復讐がスローガンのナチスが勝つ訳です。
まあ、吉川は馬鹿だと思うけどね?あそこで大阪城から出て本領安堵が可能って判断は
謀略のセンス無いし。
0834人間七七四年
2018/07/25(水) 19:39:26.63ID:8tZ7b9cU大坂城と本領離れすぎてて本領なくなって、それでおしまい
0835人間七七四年
2018/07/25(水) 20:13:02.23ID:hy6kH+LA淀や秀頼に直結している七手組とかがいるし、増田長盛の手勢も西の丸に3000はいる。
浪人をかき集めて抵抗した大坂の陣みたいな防御力を考えているのかもしれないけど、毛利が大坂に籠城するためには最大で1万人の潜在的敵に対応することが必要になる。
つまり東軍が大坂に来るまでに内ゲバして大坂城を完全に掌握しないといけない。
0836人間七七四年
2018/07/25(水) 20:48:49.76ID:EXxKPb48豊臣家からしたらとっとと出ていけって話だろ
西軍って豊臣御為掲げてるのに妙に豊臣家踏みにじるよな
それと毛利は本領安堵で手打ちなんかしてないらしいぞ
実際は領地半減で手打ちしたという話もある
ただし、その際に「毛利は巻き込まれただけ」と言い訳したようで、
その後ノリノリだった事が発覚してペナ追加となったようだが
0837人間七七四年
2018/07/25(水) 21:21:32.64ID:/e6B/Nprあるとすれば本領安堵か減少で開城
ただし本領安堵が守られるかわからない
わからない以上これ以上の結果を求めるなら死守
本土はなくなるので何の意味があるのか
0838人間七七四年
2018/07/25(水) 21:31:04.32ID:fT7aPc4gあと本領安堵は表向きで実際は領地半減で最初から話がついてたんじゃなかったのか
0839人間七七四年
2018/07/25(水) 21:40:58.48ID:8CVPZ/yf大坂城内から徳川を手引きするために内応するだろう
0842人間七七四年
2018/07/25(水) 22:04:56.94ID:DTWQ7ETaそうなれば豊臣の直轄兵やほかの大名を統率できるかわからないというか、同じ城の中で敵に回る可能性も高まる
となると史実のまずは退去して国許に戻るって判断になるだろう
0843人間七七四年
2018/07/25(水) 22:14:49.71ID:63hCUcUv輝元や秀元が大阪に留まるなら、
東軍に付いた家老衆が本国をまとめて帰順するので戦闘にもならない
0844人間七七四年
2018/07/25(水) 22:36:52.03ID:63hCUcUv毛利は豊臣体制下で大規模な国替え経験してないので近世大名として脱皮しきれておらず、
あからさまにおかしい内容でも主君の命令に従うべきという発想がなかったんだろうな
有力一門や家老衆が合議で徳川との和睦を決した以上、家中ではそれが毛利の総意と見なされ、
全体としては吉川が勝手をしたという風にはとられなかった(政敵の攻撃材料になることはあったようだが)
0845人間七七四年
2018/07/25(水) 23:06:34.57ID:Y97SHakN0846人間七七四年
2018/07/25(水) 23:14:31.56ID:g8Jq2Zzg議論にならないんだよね
目的もはっきりしないまま手段だけあれこれ言っても意味がない
0847人間七七四年
2018/07/25(水) 23:30:50.10ID:zOtOPz1W勝つのが目的。史実では負けたのだからうまくやってれば勝てたのか?という考察。
スレタイの通り。
というか西軍の目的は打倒家康だろう?
0848人間七七四年
2018/07/25(水) 23:41:18.23ID:g8Jq2Zzg何で家康を打倒しなければいけないのか?
三成が返り咲きたいから?それなら史実通りに三成派閥だけで戦えばいい
豊臣の存続?いつから西軍が豊臣代表になったのか?そもそも淀も秀頼も西軍に打倒家康なんて依頼していない
打倒家康の目的もはっきりしないまま戦っても意味がないし
どうすれば勝てたかなんて手段だけ語っても馬鹿馬鹿しいだけだよ
0849人間七七四年
2018/07/25(水) 23:59:47.02ID:63hCUcUv上方と毛利本領でそれぞれどれだけの戦力が残っているのか、
本拠地で総指揮に当たるのは誰なのか、といった具体的なプランを提示してほしい
大阪城(裏切りの芽満載)は堅城ダー、だけじゃ話にならない
0850人間七七四年
2018/07/26(木) 00:25:28.05ID:Ehj3HFw30851人間七七四年
2018/07/26(木) 02:10:22.10ID:GTzVCDfIあとの戦力はなんかしら不安要素がある
0852人間七七四年
2018/07/26(木) 02:33:05.80ID:MtyUgz2tもちろん前者の兵も関ヶ原後の追撃を上手いこと切り抜けて+アルファは帰ってくるだろうけど
0853人間七七四年
2018/07/26(木) 03:00:32.62ID:gO9WJ68aん?豊臣政権の維持なのか三成が実権を握りたかったのか毛利政権の樹立なのか、目的をはっきりしろと?
0854人間七七四年
2018/07/26(木) 03:04:41.32ID:/PITajohあげく秀頼を持ち出されると徳川もやりにくい
毛利は籠城すべきだった
0856人間七七四年
2018/07/26(木) 03:07:59.70ID:GTzVCDfI史実の関ヶ原の後に立花宗茂が大坂城で籠城するよう輝元に進言したところを基準に考えてたから
毛利の手勢はそのまま帰ってくる想定
0857人間七七四年
2018/07/26(木) 03:09:05.53ID:/PITajoh三成が返り咲きたい、が主目的
だが石田家だけではなにもできない
豊臣御為は建前
でもこれ言わないと大義名分がない
家康は別に反豊臣でもない
ただそう言うことにしておかないと西軍が豊臣どうていいのがバレる
0858人間七七四年
2018/07/26(木) 03:56:00.39ID:kg3oOfv2俺は良く中国の歴史書とか読んで思うんだけど、権力闘争って双方が致命的にも見えるミスを
良くするんだよね。
そして、結局ミスの無い方では無くて相対的にましな方が勝つんだよ。
後漢や唐なんかでは、強大な軍隊を持つ将軍が宦官に逢えなく打ち取られたりしてる。
相手を人間じゃ無い奴隷って馬鹿にしてるけど、実は宦官は武装してる事も多くて
皇帝の私兵の側面も有るんだよね。宮廷内で孤立したらやばい。
後漢の順帝なんて、クーデター勝利後に幹部宦官19名を全部封侯にしたくらいだし。
あそこで大阪籠城を選んでジタバタした方が良かったと思う。石山本願寺が難攻不落だった
のは毛利の水軍の掩護有りでは厳しかったから。
実質的に、織田の九鬼水軍が封鎖してからが実質的な籠城。
東軍に水軍が無い以上、落すには調略で内応させるしか無い訳だけど、可能かな?
0859人間七七四年
2018/07/26(木) 06:20:14.42ID:Wvf9ob+B勝てないにしても困らせるのは交渉の材料を得るのにアリだよな
0860人間七七四年
2018/07/26(木) 06:49:34.89ID:F4xRVYEL徳川は別に困らんぞ、むしろ困るのは輝元だよ
何故なら、この時点ですでに吉川広家は東軍に合流してるんで、輝元が悪あがきするのなら
毛利領はとりあえず『毛利広家』が取りまとめに向かえばいいからな
宇喜多領なら宇喜多騒動で秀家を見限った家臣とかに抑えさせればいいから通行に支障もなかろう
毛利の家臣らも結構な数が徳川との手打ちに協力していたから多分毛利領制圧は苦になるまい
それに輝元視点では今降伏しないと息子の秀就がまともに毛利領を継げなくなるという問題もある
広家や秀元らも今降伏すれば秀就に従ってくれるだろうが、下手に抵抗するとどうなるかわからんよ
だから輝元は彼らが自分を完全に見限らないうちに徳川と手打ちしなきゃならない
自分の息子に御家を継がせたいって欲望は、あの秀吉でさえ抗えないものなんだよ
0861人間七七四年
2018/07/26(木) 07:07:45.84ID:Wvf9ob+B0862人間七七四年
2018/07/26(木) 07:11:52.65ID:+Dssa7bk毛利は滅びないよ、その為の吉川なんだから
毛利が輝元の無様な抵抗で滅びるのなら、吉川が毛利を救えばいいだけだろう
毛利家の新当主、毛利広家としてな
0863人間七七四年
2018/07/26(木) 08:26:26.77ID:Xqz+yUClここまで愚鈍だと施設に入れた方が良いレベル
0864人間七七四年
2018/07/26(木) 08:39:12.82ID:Tpeb9vAJそこまで遡りたい人はここに来なくていいんだよ。
日本サポーターの席でわざわざお隣の国旗を振り回して軋轢を楽しもうとするなって。
0865人間七七四年
2018/07/26(木) 08:54:13.51ID:Ehj3HFw30866人間七七四年
2018/07/26(木) 09:14:22.83ID:Xqz+yUClテル自身が秀吉の大返しを彷彿とさせる関ヶ原到着をやってのければ秀秋もおそれおののきそのまま西軍に組み込まれ
関ヶ原の戦いは普通に西軍が勝ってた。
テルの中の人が秀吉の霊だったら当然そうなってた。
0867人間七七四年
2018/07/26(木) 09:27:27.51ID:XJCBQBHYそんなシナリオだったら利家がサクッっと殺ってるほうが確率高いだろ
家中がバラバラじゃねーか!の毛利には無理難題
0868人間七七四年
2018/07/26(木) 09:29:12.86ID:czXib+Ny身内のゴタゴタにかまけてて秀吉がそれにちょっかい出したりしてとても次代の実力者といえる柄じゃなかった
そんなレベルでいざ西軍総大将なんつっても求心力持てるとはとても思えないけどね
0869人間七七四年
2018/07/26(木) 09:35:55.20ID:CEhn8gdrあるのに関ヶ原で致命的な敗戦を喫した後に毛利輝元が平穏無事に大坂城に籠城できるとは思えない。
徳川家康にとっても東軍諸将にとっても輝元に籠城されると戦後処理が面倒な事になるが、
それ以上に秀頼の支持のない大坂城の占拠は明確な反逆行為になる。
籠城するならその状況から逆転しない限り家名存続はありえなくなる。
本国に逃げ帰って広島城に籠城して交渉すると言うのなら分かるが、佐和山城落城の時点で
東軍に合流している吉川広家の立場が悪くなる上に代わりに誰が交渉できるのかと言う話になる。
0870人間七七四年
2018/07/26(木) 10:10:32.85ID:XJCBQBHY首謀者として三条河原でさらし首になってたんじゃ
0871人間七七四年
2018/07/26(木) 11:12:15.92ID:a1AtMKf5現実的なものとしては、敵主力を撃滅し
有利な条件で和睦する、このあたり。
もちろん家康を討ち取るとかでもいいけど
難度を考えるとそれは難しいように思う。
いちばん家康を討ち取る可能性がありそうなのは
鳴海上陸作戦案だけど、わからない部分が
多くて詳細詰められないからねぇ。
0872人間七七四年
2018/07/26(木) 12:28:08.74ID:CEhn8gdrあるのに関ヶ原で致命的な敗戦を喫した後に毛利輝元が平穏無事に大坂城に籠城できるとは思えない。
徳川家康にとっても東軍諸将にとっても輝元に籠城されると戦後処理が面倒な事になるが、
それ以上に秀頼の支持のない大坂城の占拠は明確な反逆行為になる。
籠城するならその状況から逆転しない限り家名存続はありえなくなる。
本国に逃げ帰って広島城に籠城して交渉すると言うのなら分かるが、佐和山城落城の時点で
東軍に合流している吉川広家の立場が悪くなる上に代わりに誰が交渉できるのかと言う話になる。
0873人間七七四年
2018/07/26(木) 13:43:51.04ID:ahnS7xcg>>849 は、大阪籠城が「相対的にマシなミス」である根拠を示せということでしょ
輝元の大阪退去以前に朝廷は徳川の西軍討伐の正当性を認めており、下手にゴネれば朝敵認定の危険もあった
「勤皇」を旗印に家中をまとめてきた毛利にすれば家の存在意義が揺らぎかねない大問題
瀬戸内の制海権の問題は藤堂、加藤、脇坂が帰国すれば逆転するし、戦力すっからかんの本国が落ちたら元も子もない
佐和山や大垣の例を見れば内応者が出ないと考える方がおかしい
4から8行目の逸話をここで挙げた意図はさっぱりわからんが、
むしろ秀頼側近が輝元を刺して開城というシナリオを想像してしまうな
0874人間七七四年
2018/07/26(木) 16:48:00.50ID:Wvf9ob+B豊臣家まわりはビビリばっかりだった
0875人間七七四年
2018/07/26(木) 16:56:35.39ID:Q9ErU95c大垣の西軍首脳陣は家康が西に来れる訳ないと思ってたみたいだが毛利一門は違ったみたいだし
0876人間七七四年
2018/07/26(木) 17:39:19.61ID:6ahNeXcm南宮山に出向いたら大垣の西軍は家康は来ないと思い込んでいて、
西軍に絶望した
0877人間七七四年
2018/07/26(木) 17:55:37.57ID:5QDLo/j7大津城組主力の約2万で大坂籠城したところで
最早西軍の敗北は覆らない。
関ヶ原敗走組もほとんど捕縛されてしまっているし
挽回も難しいと思うが。
宇喜多、島津くらいかね、大坂で合流できる
可能性があるのは。
秀元、吉川は関ヶ原後、近江からどこ行ったのか
よくわからんが。
0878人間七七四年
2018/07/26(木) 18:14:01.40ID:xUvHQTZk0879人間七七四年
2018/07/26(木) 18:18:47.22ID:prkv6agzもしかして豊臣の旗本と一戦に及んで本丸を落とし無理矢理にでも豊臣家のトップとして認めさせて号令するみたいなプランを言ってる?
そのやり方だと逆に東軍に支持が集まっちゃいそうだけどね
0880人間七七四年
2018/07/26(木) 18:52:16.95ID:nZrW6sDU宇喜多家は関ヶ原のあと当主秀家は逃亡潜伏中、明石全登は黒田長政に投降、長船定行は消息不明と
主だった人物がいない状況だから戦力の体をなしていない可能性が結構あるんじゃないか
もちろん毛利がやる気とわかれば秀家は姿を現すだろうけど
0881人間七七四年
2018/07/26(木) 18:54:09.52ID:RicJEv75なんでこんなに大坂籠城引っ張ってるの。
大坂籠城したところで既に西軍は勝てる見込みない。
0882人間七七四年
2018/07/26(木) 18:55:59.19ID:e1CbUZ+4大坂城内の人間も毛利排斥に動くし
ザ奸臣として毛利滅ぶまでバトルになりまっせ
0883人間七七四年
2018/07/26(木) 18:56:24.44ID:w6N20Mxe勝てばいいってのは何やっても許されるってのと同義じゃないんだけどね
たとえ建前でも豊臣御為掲げたんなら、少しは豊臣家や豊臣政権に配慮すべきだよ
家康でさえ、関ヶ原が起きるまではその程度の気遣いはやってるんだから
0884人間七七四年
2018/07/26(木) 19:09:09.66ID:O/ZLTrI2でも、家康が大坂城に入って輝元が西軍総大将としてノリノリだった証拠となる書状を確認したという逸話がある。
この逸話が事実なら、輝元は身辺整理や証拠隠滅すらろくにやらずに大坂城を退去したということになる。
ということは、領地安堵を条件に自主的に大坂城を出た。だまされたんだという宣伝をしていたけども実際には逃げ出したも同然の退去だったのでは?
仮説に仮説を重ねると、逃げ出した理由は、豊家と秀頼直属(ということになっている)連中から我が身を守るため。
なんにしてもIFをするなら関ヶ原の「本戦」前、できれば岐阜城陥落前じゃないとかなり厳しいと思う。
ところで当時6歳の秀頼の意思って何だろう。
>>868
一時は「東国のことは徳川に、西国のことは毛利に」ってことでそれなりの地位はあったよ。
秀吉晩年には徳川とかなりの差をつけられ、さらに前田に抜かされたけど。
一門から何人も公卿を出すというのは羽柴家のほかには毛利一門と織田家だけのはず。
他の大老は当主と世継だけで、例外になる秀康は秀吉の養子枠兼結城家当主だし。
とはいえ、高い席次と家格と権威はあっても権力は小さくなってしまったけども。
0885人間七七四年
2018/07/26(木) 19:13:03.78ID:prkv6agz決戦後籠城じゃなんぼなんでも希望がなさすぎだけど輝元が毛利家まとめて決戦を決意できてたらというのはあるな
0886人間七七四年
2018/07/26(木) 20:09:26.91ID:/PITajohあっけなく明け渡すのが一番下策
0887人間七七四年
2018/07/26(木) 20:20:23.19ID:3xr95swbあのね、そういう話じゃないの
徳川がどうこうじゃなくて、毛利が籠城なんか出来る状態じゃないって言ってんの
それとなんか勘違いしてるみたいだけど、毛利にとって優先すべきなのは
徳川を困らせる事じゃなくて、毛利が生き残るには…って話なの
はっきり言えば毛利が生き残るなら徳川が高笑いしようが一人勝ちになろうがどうでもいいの
それこそ他の西軍参加者がどうなろうが知ったこっちゃないの
0888人間七七四年
2018/07/26(木) 20:55:36.49ID:DqM5ObEe0889人間七七四年
2018/07/26(木) 21:08:21.29ID:ahnS7xcg家康としては戦略的にどっちが得とかじゃなく、武門の面子として
毛利を力で叩き潰すか、「前より不利な条件呑むんで降伏させてください」と
土下座してくるまで対峙するかしかないんじゃないの
0891人間七七四年
2018/07/26(木) 21:15:55.95ID:/PITajohメンツがどうこう言うなら島津なんて滅ぼされていなければおかしいわけでね
結局はパワーバランスなんだよ
徳川も勢いあっても限度がある
いかに手にあまるかを示すことが毛利や島津が生き残るための見せ金になるわけでね
トップになれずとも生き残るためにハッタリもかまさないといけないわけよ
0892人間七七四年
2018/07/26(木) 21:16:42.05ID:/PITajoh0893人間七七四年
2018/07/26(木) 21:19:19.84ID:69Li82vu西軍の間違いは豊臣御為を掲げたことだよ
どうせ豊臣政権なんて朝鮮出兵やら秀次事件やらで支持率ガタ落ちなんだから
いっそのこと革命による新政権樹立を掲げるべきだった
支持率ガタ落ちの政権を守るなんて掲げたところで士気が上がるわけもないし
豊臣なんて歴史も伝統もないんだから、破壊による新時代の創生を主張したほうが良かった
0895人間七七四年
2018/07/26(木) 21:30:33.68ID:MtyUgz2tそれすらなしで西軍立ったところで、支持なんて史実よりもなくなるでしょ
まぁぶっちゃけ武家からしたらちゃんと公儀をしてくれる人がええ訳で、いたずらにかき乱すだけの存在とかキングオブ邪魔でしょ
0897人間七七四年
2018/07/26(木) 21:31:16.83ID:bUhW70Br大垣城:石田5700、小西5000、島津1200、宇喜多18000、相良、秋月、熊谷ら約4000、
計33900、
南宮山付近:毛利秀元&吉川15000、安国寺1500、長束1000、長曾我部2100、
計19600、
山中村:大谷ら9600、
大垣+南宮山で53500、山中村も足すと63100.
東軍赤坂:32000〜35000(松平忠吉がよくわからんのと、降伏犬山城組入れると少し増える)
この当時西軍としては輝元の出陣や大津城組の合流を
待っていたのではないかと思うが、
東軍赤坂35000なら9月8日あたりに後詰決戦挑んでもよかったような気がするがどうだろう?
懸念事項としては、
・赤坂陣城堅固説(たいしたことない説もある)
・南宮山毛利が既にやる気がない?
有利な面は兵数で上回ってるので、包囲でも挟撃でもいける。
どうだろう?
0898人間七七四年
2018/07/26(木) 21:44:46.09ID:ahnS7xcg毛利と島津じゃ全然話が違うわ
島津はある程度天下が鎮まるまで徳川との交渉を行ってなかったんだから
むしろ兵事に頼らず屈服させた方が家康の面子も立つ
毛利が目前に徳川軍が迫った状態で直前の和睦を破棄してきたら
「徳川の言葉は交渉相手としても信用できない、政権担当者としても従わない」
という意思表示になる
ゴネてる間に本国落ちたら「お前は何を守ろうとしていたんだ」状態になる
ゴネ得狙って引き際誤り元も子もなくす、なんてのは古今東西よく見られる話だが
0899人間七七四年
2018/07/26(木) 21:55:55.13ID:EsQLq0Ud0900人間七七四年
2018/07/26(木) 21:59:56.23ID:xUvHQTZk関ヶ原で天下人としての豊臣家は終わったけど大名としても終わりそうだな
徳川は困るどころか喜びそうw
0903人間七七四年
2018/07/27(金) 02:20:12.69ID:76fXUAU6ゴネないと気持ちよく改易
0904人間七七四年
2018/07/27(金) 03:50:06.80ID:lLf8pbES謀略の才能って、相手がされたら嫌な事を的確に見抜く事だと思うんだけど?
結局ね、島津領を安堵せざるを得なかったのは、あの時点で薩摩征伐なんかやったら
家康のしっぽに噛みつく奴出るかも?だし。
何で、大阪籠城中に家康の本拠に攻め込む奴居ないの前提なの?
上杉とかジタバタしないの?大阪落ちたら高確率で取り潰しならジタバタしないのかな?
0905人間七七四年
2018/07/27(金) 04:49:26.63ID:y0ujVmt0義弘のアホが中途半端やりやがってと。
本国から兵をまともに出してもらえない、ならせめて徳川にちゃんと媚び売っとけと。
なりゆきで西軍いりなんてのも言い訳のしようのない日和見してたら説得力ないわ
義久は義弘の首をさしだすべきだった
0906人間七七四年
2018/07/27(金) 06:04:41.38ID:3SsKfrioあんたアホ?
島津義弘は明国にも名が轟く島津家の剣だろ。
家康とこれから交渉するのに剣を折って丸腰にとかお花畑なこと言うな。
0907人間七七四年
2018/07/27(金) 06:35:17.18ID:xyJeLR7Y上杉にしても関ヶ原で西軍主力壊滅の敗報聞いて
最上から即撤収でしょ、
その状況下で敢えて佐竹が西軍につくとかも
考えられない。
0908人間七七四年
2018/07/27(金) 06:50:10.37ID:9j0f8D4wゴネて余計印象の悪くなった長曽我部って例もあるのに
その辺を無視するのはズルイな
毛利もさっさと頭下げたからこそ減封で済んだって考えるべきだしな
0909人間七七四年
2018/07/27(金) 07:07:18.30ID:I/AcDZfk剣をおるもなにも義弘がバカなだけだし、義久は義弘なんて大事にしてないから寡兵だっだわけなんだがな
0910人間七七四年
2018/07/27(金) 07:08:38.24ID:I/AcDZfk鬼なんとかいう武将はアホばっかだと
0911人間七七四年
2018/07/27(金) 07:12:59.30ID:I/AcDZfkそのなかでも時勢がよめなかった義弘は間抜けとしか言いようがない
攻めるなら攻める、逃げるなら逃げる、それがやれなかったから全滅同然の撤退をするはめになった
ジジイのこして甥が死ぬとか甥が気の毒すぎるわ
馬鹿伯父のせいで大事な家臣亡くすアホ義弘は腹を切るべきだったな
0912人間七七四年
2018/07/27(金) 07:56:41.73ID:SuiaYa51石田らは岐阜城の戦いで、毛利勢も安濃津城の戦いで結構な損害を被った
この辺の再編成と指揮系統の再構成が必要
後、毛利勢は黒田からの「家康がすぐ来るよ」の報を見極めていた感が
そして本当に来たので実質的降伏を選択
0914人間七七四年
2018/07/27(金) 08:47:52.22ID:DCF9ykbB伏見城で討ち死にしてた可能性もあったわけで
0915人間七七四年
2018/07/27(金) 09:05:52.75ID:SuiaYa51島津が戦後に言い出したので本当か非常に怪しい
伏見入城も本丸と二ノ丸の間というら裏切る気満々の位置を要求
0916人間七七四年
2018/07/27(金) 09:13:55.43ID:NqJacgoMそれは自分たちの実力や今までの行動、相手の状況を鑑みて引き際を誤らなかった例でしょ
これをもって「ごねれば毎回無条件でおいしい思いできる」と考えるのは馬鹿の一つ覚えという
>>903
上杉や佐竹がごねてるって具体的にどの辺が?
0917人間七七四年
2018/07/27(金) 09:18:48.67ID:tIXdUp4r0918人間七七四年
2018/07/27(金) 09:23:30.00ID:NqJacgoM・諸侯にばらまく恩賞の土地が減る
・毛利に日和ったことでなめられる
・大阪攻略で西軍加担の罪を償おうとしてる奴らの恨みを買う
・結局西日本に敵対する大勢力残ったまま
と、まるでいいことない毛利の一方的な得なんだが、
これを交渉と謀略の結果と言い張る人って家康どんだけ馬鹿にしてんの
島津に関しては
・戦わずに降すことで単なる「関ケ原の勝者」ではなく「新政権の担い手」と
印象付けることができる
・島津から取り上げても他の奴に治めさせるのが難しい
と、ちゃんと双方に利があるのだが
0919人間七七四年
2018/07/27(金) 09:45:16.11ID:YbmEVPJWあぁ、あったね、吉川の安濃津の死傷だか
戦傷だかの記録。家帰ったら調べてみるけど
1000はいってなかったような気がするが。
黒田の8月下旬頃のそれははったりみたいなもの
だからなぁ、
ただそれでも9月8日段階で秀元吉川が
戦うかどうかはかなりなんとも言えない
というかわからん。
0920人間七七四年
2018/07/27(金) 09:49:26.02ID:YbmEVPJW黒田、藤堂、田中もそれほど追撃してないみたいだし
大きい損害はないんじゃないかなぁ?
0921人間七七四年
2018/07/27(金) 10:32:11.85ID:kcQurp8k実際には東軍は赤坂に集結している訳ではなく、赤坂・垂井を中心に付城を築城して包囲している
とされているので、西軍が赤坂を攻撃すれば垂井から側面攻撃をされるリスクがある。
それであるならば赤坂から垂井にかけて分散している東軍に対して分散して攻撃すれば良かったのだが、
それができない理由があったのだろう。
実際には兵力に言われているほどの差がなかったのかもしれないし、西軍にまとまりがなく戦機を
逸したのかもしれない。
0922人間七七四年
2018/07/27(金) 10:36:24.14ID:76fXUAU6三成が必死で止めたという話はシバリョーの創作なの?
0925人間七七四年
2018/07/27(金) 12:04:23.45ID:1FbhemoBそれは既に引いてありますよ。
>>921
垂井の東軍には山中村の大谷らがいます。
なので二重包囲の形になるかなと。
二重包囲ってなかなかならないんで、
その部分だけでもけっこうワクワクする。
でもまぁなぜ後詰決戦やらなかったか
わからないからねぇ。
石田が書状で、毛利が南宮山のあのような
高い場所に陣取るのは信用できない、
みたいなことは漏らしてましたね。
0927人間七七四年
2018/07/27(金) 15:23:53.67ID:N5N4Jgg10928人間七七四年
2018/07/27(金) 15:28:33.46ID:7zy64HFG宛先と日付がちょっと自信がないけど、吉川広家の9月14日付書状で、西軍を敵、東軍を味方と表現している。それまでは西軍を味方、東軍を敵と表現していたのに。
なので、この9月7日時点で毛利がやる気をなくしていてもおかしくはない。
ただそれでも、毛利以外の西軍だけで西軍の数的優位だよね。
松平忠吉を見て徳川本体の居場所を探っていた?三万程度の援軍がきたら毛利込みの西軍とほぼ等しくなるし。
しかし、索敵をしているにしても家康を見つけるのが遅いからこの仮説も疑問だ。
もしかして指揮権とかを巡って内ゲバしていたとか?奉行と秀家で争う可能性は否定できないけども。
0930人間七七四年
2018/07/27(金) 16:09:13.73ID:SuiaYa51そして毛利勢が到着したのだから、だれがトップかで揉めるのは当然
0931人間七七四年
2018/07/27(金) 17:17:11.06ID:DCF9ykbB関ヶ原で積極的に戦った宇喜多石田大谷とか抗戦で家潰した秀信とかのごく一部以外は優勢でない限り日和見と考えると
事ここに至っても相互不信で一丸になれない西軍の状況自体が主たる敗因としか思えなくなってくる
こないだまで真面目に考察されてた岐阜城で防衛戦を引く話は面白かったけど
0932人間七七四年
2018/07/27(金) 18:12:03.97ID:eoAIeOmC0933人間七七四年
2018/07/27(金) 18:42:05.51ID:SuiaYa51あれは三成の主観ですし
久世町史の秀家書状は、同じ情報でここまで心象に差が出るかと、
言う点で非常に興味深い
0934人間七七四年
2018/07/27(金) 19:54:22.85ID:y/WU07Qp久世町史の宇喜多の書状だと大谷やる気満々的に書かれてるんですか、確かにその差は面白いですね
0935人間七七四年
2018/07/27(金) 20:26:19.41ID:SuiaYa51大谷は触れていないけど、援軍が来たので東軍先鋒は直ぐに打ち破れるとか、
家康の領国に景勝が侵攻したのでこちらには来ない、来るなら討ち果たせるので来て欲しい
そんな感じ
三成は東軍先鋒は動かない何故だろう、西軍はみなやる気がない
家康が来ないのなら輝元出馬は今の所は不要である
こんな感じ
0936人間七七四年
2018/07/27(金) 20:29:54.27ID:CFlJDBmv・戦死75名、負傷226名。死傷者計301名。
負傷内訳:銃創126名、槍創60名、矢創24名、刀創1名、銃槍創5名、銃矢槍創2名、
矢槍創8名、計226名。
吉川広家が推測で兵3000引き連れていたとしたら、安濃津城力攻めでの死傷率は10%と言える。
けっこう高いね。
毛利の他隊も同様の損害が出てるなら、南宮山の秀元&吉川は13500くらいかもしれない。
それと東軍先発隊の兵数については、一般的には約35000と言われているけど、
>>4にあるように福島覚書準拠でいくと49300〜58000くらい?となる。
かなり差があるのでこれをどう見るか、だけど。
0937人間七七四年
2018/07/27(金) 21:02:40.98ID:CFlJDBmv南宮山の秀元&吉川は(暫定的に)13500でいいかもしれない。
0938人間七七四年
2018/07/27(金) 21:12:06.61ID:y/WU07Qpそういった記述でしたか、ありがとうございます
確か久世町史の秀家書状は家臣に宛てたものでしたよね
まだ宇喜多騒動の余波残ってたでしょうし、家臣相手に虚勢を張ってた可能性も視野にいれとくべきですかね
0939人間七七四年
2018/07/27(金) 22:00:20.31ID:xLdRjMPpむしろ三成が過剰にやる気がありすぎなんだよ
別に大軍を持っているわけでもなく、百戦錬磨の経験があるわけでもなく
現場の武将とトラブルを起こして解任された文官が異常なやる気で軍を仕切り始めたら
三成の復権ための戦いのように思えて西軍大名の大半は白けてやる気をなくすよ
三成がやる気をなくして引っ込んでいる方が逆に西軍全体の士気は高くなっていた
0940人間七七四年
2018/07/28(土) 01:26:07.89ID:vXaHtDw/あるんじゃないかと思う。
寡兵の敵に対して自軍の不利を悟って吉川・福原の様に戦意をなくしたり鍋島の様に離脱したり
するのは理解に苦しむ。
大垣と赤坂で膠着状態になった原因が石田がうるさくてやる気を削がれたからとか西軍にまとまりが
なくて呆れたからとかそう言った理由では押しが弱いと思う。
0941人間七七四年
2018/07/28(土) 05:08:31.63ID:iNmL2Uhe9月7日〜9月13日の7日間だけなので、
単に勝機を逃しただけとも取れるけどね。
0942人間七七四年
2018/07/28(土) 06:43:04.98ID:tFxLfEl+西軍の実質的チャンスは、 9月8日〜9月12日の 5日間かな。
0945人間七七四年
2018/07/28(土) 09:56:07.05ID:/j5gLVHT其外長大・大刑、并御弓鉄砲衆も、長大・安国寺一手ニ被引向様ニ相見ヘ候間
これをなんか誤訳してるんだな
被引向を引き籠るなんて珍訳普通はしないw
0946人間七七四年
2018/07/28(土) 09:59:57.03ID:5iD2xaNjむしろ三成は何でそんなにやる気があるの?という話だな
復権して権勢を握りたい気持ちでいっぱいだからハッスルしているんだろうけど
後方支援担当の官僚が前線に出しゃばってハイテンションで仕切っているのは異様な光景というしかない
三成がここまで露骨に野心を滲み出していたら、大半の西軍大名が白けてやる気を失うのも当然だよ
0948人間七七四年
2018/07/28(土) 11:51:35.63ID:USiiksfsオ おれじゃない
ア あいつがやった
シ しらない
ス すんだこと
0951人間七七四年
2018/07/28(土) 13:20:09.83ID:1KxicRKkやる気があるのは宇喜多と島津と小西だけらしい
0952人間七七四年
2018/07/28(土) 15:05:19.52ID:JhiyDPpF0953人間七七四年
2018/07/28(土) 15:13:40.15ID:48s+KHX4大谷、かわいそう
0954人間七七四年
2018/07/28(土) 15:49:21.43ID:HS2wlMaH確か「宇喜田と島津の戦意は旺盛で、小西摂津も同様である」とかって内容だったろ
小西を書き足した部分で大谷を忘れてたような気がする。
0955人間七七四年
2018/07/28(土) 16:07:50.03ID:JhiyDPpF0957人間七七四年
2018/07/28(土) 16:49:50.09ID:PB4gTCaf0958人間七七四年
2018/07/28(土) 16:54:15.38ID:/j5gLVHTそれってどの条に記してるん?
其外長大・大刑、并御弓鉄砲衆も、長大・安国寺一手ニ被引向様ニ相見ヘ候間
これがそうだとしたらほんと誤訳としか言えん
0961人間七七四年
2018/07/28(土) 16:58:55.58ID:PB4gTCafどの書状でどういった内容ですか?
0962人間七七四年
2018/07/28(土) 17:26:16.96ID:1KxicRKk安国寺一手被引向様に相見え候間大人数回り兼候、人数も少々そつに罷成体に候事」
うん、毛利の働きが悪いのは言うに及ばず、
大谷も長束も安国寺も使い者にならないと言ってるね、三成。
0963人間七七四年
2018/07/28(土) 17:27:10.30ID:r4KEABSu減封されたとはいえ二ヶ国残って、明治維新で名声を得て公爵になって(部下達や一族も多数襲爵)、平成の世になった今でも長州閥に支配されているだなんだのと言われ続けている。
関ヶ原で戦って勝ったとしても毛利幕府にはならなかったと思う。
一番悲惨なのは、豊臣家に多大な恩義があるのに徳川に味方して豊臣家を潰して、さらに自家も改易になった連中。
0964人間七七四年
2018/07/28(土) 17:34:32.52ID:/j5gLVHTつか原文は被働条じゃなくて被働衆でしょ
0966人間七七四年
2018/07/28(土) 17:51:11.36ID:PB4gTCaf0967人間七七四年
2018/07/28(土) 18:03:14.38ID:1KxicRKk大谷だけに限定していないけど。
三成はその前に宇喜多達を褒めている
その後の毛利達に関しては三成はそういう事を言いたいんでしょ。
0968人間七七四年
2018/07/28(土) 18:05:18.89ID:1KxicRKk0969人間七七四年
2018/07/28(土) 18:10:36.46ID:Q4LBUa7s0970人間七七四年
2018/07/28(土) 18:13:47.83ID:+RowY8gZ0971人間七七四年
2018/07/28(土) 18:13:50.29ID:48s+KHX4ただし見えないので、心眼で関ヶ原を死守
三成から見ると言うこと聞かない、やる気ないと見た
0972人間七七四年
2018/07/28(土) 18:49:51.16ID:niXB/qDM秀次が小早川の養子に行ってたらどうなってただろうな
関ヶ原になって秀次も秀秋と同じ行動をしたかもしれない
0973人間七七四年
2018/07/28(土) 18:55:13.80ID:ur+ZEm5hいわゆる婚姻問題の時には家康の屋敷にいっててむしろ奉行らとは対立関係だし、
三成が奉行クビになった後に奉行代理に就任してるから家康とは敵対どころか
見方によっては共犯にも見える人物だし
なんで関ヶ原になった途端に全力で反家康なんかやってるんだか
まあ一面的な見方でしかないけど、「家康か、反家康か?」で見ると割と支離滅裂だよ、この人
0974人間七七四年
2018/07/28(土) 19:19:32.15ID:+RowY8gZ総じて「戦意がない様に見える」=「やる気がない様に見える」→「使いものにならない」
で別に間違いじゃないよね。
0975人間七七四年
2018/07/28(土) 19:38:11.81ID:48s+KHX4消極的に見える、でどう?
アクティブに動いているようには見えない、で
確かに、関ヶ原に陣を貼って動いてないはずだが
0976人間七七四年
2018/07/28(土) 19:39:45.12ID:48s+KHX4三成も家康に嫡子を預けたりで行動が謎
0977人間七七四年
2018/07/28(土) 19:42:54.33ID:/j5gLVHT0978人間七七四年
2018/07/28(土) 19:43:47.10ID:L/zv/A/C唐入りの際、明との独断交渉で小西が出したリストだと
小西・石田・宇喜多・大谷・増田を、秀次や秀頼ら都督よりも上の大都督に任じてほしい旨が書かれているようで
メンツとしてはこれに毛利を足したのが西軍首脳として一致するんすよね
関ケ原前後の一連の動きってこの秀吉にブチギレられてできなかった理想の政治体制を実現させるために毛利抱き込んで起きたんちゃいますかね
0979人間七七四年
2018/07/28(土) 19:46:13.59ID:+RowY8gZ親家康派だった大谷が西軍にまわったのは
母親から頼まれたとする説が有力のようだけど、
宇喜多騒動の裁定失敗で家康から見限られたと思ったからというのもありそう
0980人間七七四年
2018/07/28(土) 20:00:35.06ID:HS2wlMaH発病したらすぐに草津に連れてけば治ったかもしれん。
0981人間七七四年
2018/07/28(土) 20:07:29.99ID:ZtLSXJ0s0982人間七七四年
2018/07/28(土) 20:12:20.58ID:CSkZmB3j一度秀吉に拒否された体制を、秀吉が死んだ途端に無理やり採用しようとするとか
家康よりひどくないですかねそれ、しかも秀頼より立場上になってるのかよ
たとえ自分が権勢拡大の為に利用しているだけとはいえ、一応は秀頼を神輿として掲げてる
家康の方が、豊臣家的にはまだマシに思えるんですけど
0983人間七七四年
2018/07/28(土) 20:31:57.16ID:3aunVu+l関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part17
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1532773324/
0985人間七七四年
2018/07/28(土) 21:03:00.84ID:L/zv/A/Cまぁ、あくまでも現状わかってることは明の独断講和時に優遇したメンバーと西軍首脳がわりかし一致してるってだけなんで、もうちょっと証拠欲しいところですけどね
諸説あるとはいえ本来は秀吉が家康に政務委譲してたのを秀吉の死後奉行がごり押しで合議制ってことにしたってのもあるんで、私的には奉行の正当性とか忠義的な扱いにずっと疑問ありますね
0986人間七七四年
2018/07/28(土) 21:06:06.29ID:k60uwC5e安国寺が一人で、動かない奴らを担当したとも読めるような
確かに、列記したのは動きが良くなくて
安国寺が窓口やっていたとしてもおかしくない
大谷と三成はツーカーだった気がするけど
0987人間七七四年
2018/07/28(土) 21:38:09.59ID:x/TQcbzf0988人間七七四年
2018/07/28(土) 21:49:39.62ID:HS2wlMaH毛利が動けば小早川隊は毛利に戦いは挑めないはず。と思いたい・・・いやわからんなw
まあ毛利を動かすのは最低条件だよ。で、どうやったら毛利を動かせるかっつーと
吉川の処置をどうするかだよなぁ。超おだてて恩賞約束したりするか、いっそふん縛って
大阪の輝元にでも送り付けとくか・・・ってとこか?
0989人間七七四年
2018/07/28(土) 22:21:42.83ID:3aunVu+l輝元が吉川に「決戦を挑むべし、毛利先鋒として活躍に期待する」とでも指示すれば
不承不承ながら従うと思うんだけど、肝心の輝元もこの時期どうなのか
よくわからんしねぇ…。
0990人間七七四年
2018/07/28(土) 22:22:27.22ID:CSkZmB3j恩賞とか下手に莫大な物与えると今度は毛利が豊臣政権の(奉行の)
討伐対象になりゃしませんかね
それにリスクとか考えたら下手に家康と正面衝突するより、
自領拡大を見込んで周辺の制圧に走った方が楽だし得だし
毛利も上杉もそういう行動してただろ
0991人間七七四年
2018/07/28(土) 22:32:05.03ID:HS2wlMaH使者の到着が遅れたとか言い訳言って終わりそうだから
輝元が指示しても聞かないなきっと。
>>990
実際負けてんだから、後の事を考えても仕方ないだろう。。。
0992人間七七四年
2018/07/28(土) 22:43:39.50ID:rOgX8oN2んな事言っても、西軍は勝利しても一人勝ちってわけじゃないから
後々の事を考えざるをえませんよ
奉行なんかも三成が「豊臣の蔵を開いて戦費をよこしてくれ!」っての拒否してるらしいし
「そんな事をしたら勝っても我らは罪人ではないか」ってね
つまり、西軍首脳部は後で自分たちに傷がつかないように動くしかない
唯一の方法は、毛利に全権を与えて戦後の一人勝ちを認める事だけど、
そもそも家康の権益拡大を嫌って挙兵した節のある奉行(多分宇喜多も)が
そんな話を飲める訳がない
彼らからしたら徳川のポジに毛利が入るだけでは、関ヶ原を起こした意味がないよ
0993人間七七四年
2018/07/28(土) 22:50:37.46ID:3aunVu+lそんな言い訳は、指示を秀元・吉川・安国寺宛にすれば大丈夫。
あと小早川秀秋は9月8日なら佐和山付近だから合戦が1日で終わるのなら
放置でも大丈夫に思う。
>>990
9月8日時点では家康はまだ遠州白須賀(三河遠江国境付近)なんで、
家康との直接対決にはならない。
0994人間七七四年
2018/07/28(土) 22:53:33.59ID:HS2wlMaH>奉行なんかも三成が「豊臣の蔵を開いて戦費をよこしてくれ!」っての拒否してるらしいし
それはしてないぞ?増田が確かに一度断った手紙があった気がするが
増田は軍資金として織田信雄に白金2000枚渡して借りパクされたりしてる。
全部断ってる訳じゃない。
0995人間七七四年
2018/07/28(土) 22:53:56.70ID:dvqoO3ub広家だけ処理すれば解決するという訳ではない
0996人間七七四年
2018/07/28(土) 23:09:30.00ID:hwhg3uqEまぁすべてを失うかもしれない賭けに出れる家じゃないわ
0997人間七七四年
2018/07/28(土) 23:09:53.01ID:3aunVu+l現場の秀元、吉川、安国寺が、「決戦すれば勝てる」と判断するかどうかが
一番の重要な要素だとは思う。
ここで毛利が活躍して、西軍勝利の立役者、みたいになるのなら、
戦後毛利に有利に進めることができるだろうし、
「勝てそうもない」という判断なら不戦に徹して最小限の損失で降伏もありだろうし。
0998人間七七四年
2018/07/28(土) 23:15:29.33ID:HS2wlMaH>大阪でふんぞり返ってないで現地に輝元がこいって話だわなぁ
全てはそれなんだよな。しかも、輝元を大阪に置いたりしたら
いざって時に動かないかも?ってのは明白なんだから
岐阜に向けて他の大名と一緒に出陣させとくべきなんだ。
0999人間七七四年
2018/07/28(土) 23:47:56.62ID:Q4LBUa7s1000人間七七四年
2018/07/28(土) 23:48:52.22ID:asQzKCDe10011001
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