>>442 宛続き
で、佐久間折檻状の別の項では、「力押しで無理そうならば、謀略で手柄をあげればよかったのに、
それもしなかった。」的にも書いてあり、仮に佐久間がろくに軍勢を養おうとはしなくても、
調略やら謀略などで手柄を立てているのであれば、
特に信長領国においては、非難される筋合いはなかった、 的に考慮されるようにも思われる次第なのではございますが、
これらの件に関しましては、いかがなものなのではございましょうかねえ。

ですから、いつも通りに貴方はお歳暮がお好きなようではございますが、
上記のように、佐久間はもらった水野の領地で一人の人数も養おうとはせずに、そのまま自身の収入としてためこんで、
山崎の領地をもらった時も同じような事をしていて、
他にも信長の書き方だと、可能な限り軍役人数を多くしないようにしていて、それで特に非難やらをされる事もなしに、
何年も普通にすごしていたようですし、そもそも「力押しで無理そうならば謀略で手柄をあげればよかったのに、それもしなかった。」
とか書かれていて、この佐久間折檻状でも、あくまでも佐久間が非難されているのは根本的には軍功関連である事が伺われるわけでして、
軍役人数に関しましては、佐久間が仮に謀略などで手柄をあげていれば、特に非難をされる事は、
少なくとも織田家の制度的にはなかった、と思われる次第でして、普通にこれは軍役人数に関する規定などが、
織田家にはなかった、という事のように思われる次第なのではございますが、いかがなものなのではございましょうかねえ。