>>89
どんな感じなのでしょうかねえ。
>>118にも書きましたように、長篠直前までは、東方戦線におきましては、武田側が圧倒的に優勢だったわけなのでございますし、
学者さんとかも、もしも長篠で武田が敗北せずに、戦力を残したまま、東側から織田徳川を圧迫していけば、
長篠後の史実のように織田も順調に勢力を拡大する事は困難であったろう、的に述べられておられたりもされておられますので、
長篠で決戦を行わずに、東から徳川を圧迫していけば、
当時の徳川は長篠の時には「今度ダメだったら織田やめて武田に寝返ろう!」とか言い出しているような状況ですし、
武田重臣達も、「こんな不利な状況で決戦をする必要性はない。いったん退いて、徳川領土を蹂躙していけば、一両年以内に
徳川を屈服させる事ができる。」的に述べたりしておりますので、
東部戦線の優位を武田が確保し続け、さらに拡大していく事は可能であったように思われる次第なのではございますが、
いかがなものなのでございましょうかねえ。

>>90
擁護できないもなにも、そもそもなにを叩こうというのでしょうか、という感じなのですが、
これに関しましては、いかがなものなのでございましょうかねえ。
何度も指摘をされてはいる事ではございますが、勝頼陣代説とかは、軍鑑とかにしかない話でして、
一次資料的には、普通に勝頼は自身の家督継承を宣言したり、周辺や同盟相手の大名などから家督継承を祝われたりしてるわけですしねえ。
家督継承後にも、すぐさま内藤とかが、機敏に動いて勝頼に対して「これまで以上に特別にご奉公いたしますので、
自身達の立場とかを保証して欲しい」的に勝頼に要請し、勝頼の方もそれを受けて、
「それならこちらも粗略にはしない。」という感じで勝頼上位、という感じで応対して書状を出しているわけでございまして、
勝頼の権力とか権威とかも、特にそう悪いものではないように思われる次第なのではございますが、
いかがなものなのでございましょうかねえ。