武田勝頼、義信、盛信についてPart5
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0462人間七七四年
2018/06/12(火) 00:35:06.19ID:C5GL8a8w他の人も言ってますように、当時は既に織田側に北陸方面を侵攻されたりしてますし、
上野方面も北条側の動きを警戒する必要性もありますので、
上野・北陸方面の軍勢を招集する事は不可能なように思われますので、
越後39万石余のうち、景勝側が23〜5万石くらいだとして、
おおよそ兵力は6千くらいでしょうかね。で、各所に防御用の兵力も残すとして、
仮に可能な限りの兵力を集結させて、4千余程の兵力を野戦軍としたとして、
これで武田勢2万近くに勝利するのは非常に困難なように思うのですけれどねえ。
武田側が立て直したばかり云々とはおっしゃいますが、
実際には、武田側には長篠の時に対上杉対策として北信濃に配置されていた
一万余の軍勢が信玄時代当時の戦力を残したまま温存されているわけですし、
これは香坂が統括しておりましたが、この御館の時の越後侵攻には、
香坂も普通に参戦しておりますし、そもそも、戦国時代の通例として、
攻め込む先の隣接地の軍勢が先陣として主力となる、というのは極めて自然な事ですので、
この時の越後侵攻軍も信玄時代からの戦力を保持したままの、北信濃軍一万が主力となっていた可能性は高いと思われますので、
それに他の一万近くの軍勢が加わるのならば、景勝が翻弄して勝利する、というのは非常に困難なように思われるのですが、
いかがなものなのでしょうかね。
この兵力差であるならば、勝頼主力は景勝主力を拘束しつつ、別動隊に他の景勝側の城を攻略させる、
というのも可能なように思われますし、普通に野戦決戦になりましても、この戦力差でありますならば、
十分すぎる程に武田側にも勝利の可能性があるように思われますし、
最悪の場合でも、勝頼は景勝主力と対峙しつつ、北条が9月から北上するのを待つ、という方策もありますしね。
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