トップページsengoku
1002コメント599KB

武田勝頼、義信、盛信についてPart5

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001武田信玄2018/05/31(木) 11:36:12.93ID:safIxNNt
ワシの愚息どもについて語れ

前スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525568114/
0176人間七七四年2018/06/06(水) 08:23:13.71ID:cdmKHnPM
>>175
信玄の晩年には度重なる外征と金山の枯渇で財政は悪化してたらしいね
ある意味そういう状況を打開する大博打が最後の西進だったんだろうな
遠江、三河、尾張まで支配すれば海運で安定した相当な利益を得ることができる
やっぱ武田は根拠地の甲斐の立地が最悪だな
0177人間七七四年2018/06/06(水) 08:36:19.65ID:MpwiiGKl
富士川、信濃川、相模川、天竜川の物流を一生懸命繋げようとした形跡が無い。
もちろん陸運で細くは繋がってたはずなんだけど武田家の主要事業としてやった感じではないんだよね。
0178人間七七四年2018/06/06(水) 08:47:14.46ID:ee36lC3c
川の物流を考えた結果が新府城だったはず
0179人間七七四年2018/06/06(水) 08:48:21.29ID:MpwiiGKl
>>178
勝頼がそれをしようとし始めた瞬間に織田家に滅ぼされた印象だよね。
着手したのが30年遅い。
0180人間七七四年2018/06/06(水) 08:50:57.46ID:ee36lC3c
>>179
勝頼は商人を側近に取り立てたり経済的な改革はそれなりにやってる印象
0181人間七七四年2018/06/06(水) 09:14:28.26ID:rZbSNFMy
>>179
勝頼ではなくて、信玄がやることなんだよね。
どうも信玄は、金山に依存しすぎていて、それを生かす手立てを知らなかった印象がある。
0182人間七七四年2018/06/06(水) 09:27:58.57ID:MpwiiGKl
>>181
軍事産業最優先なんだよね。
戦に必要な糧食(米、麦、味噌)と軍用馬と金塊が特産品で
民生用品や娯楽品などに関心を示した形跡が無い。
本当は青苧・綿花や胡麻油や宝飾品・調度品などバランスよく産業を育成させないと
富国強兵にならないのに。
0183人間七七四年2018/06/06(水) 10:58:41.10ID:2drb07XC
山奥の育ちだから商業や流通の重要さを実感できなかったし、
他国への侵略優先で無理をしてたんだろう
0184人間七七四年2018/06/06(水) 11:58:39.03ID:8pIo3C0u
貴方たちが武田好きなのはよくわかった
0185人間七七四年2018/06/06(水) 12:19:39.98ID:vq4UmJS0
>>182
甲斐や信濃でそんな外に売れる物作れるのか?
0186人間七七四年2018/06/06(水) 12:23:52.77ID:zeW0hJXg
>>184
そんだべがぁ〜
おらぁ、上杉の方が好ぎだべなぁ〜
あと、織田も好ぎだぁ〜
武田だど義信ちゃんが好ぎだどぉ〜
0187人間七七四年2018/06/06(水) 12:29:19.25ID:MpwiiGKl
>>185
石器時代から甲斐の黒曜石は最高の輸出品だったんだよな
石斧や矢にするためオホーツクや玄界灘を超えて広く海外へ輸出されてた。
勾玉の原料となる翡翠も甲斐の特産品。
なんで信玄は海外の宣教師や南蛮商人に宝玉を売るため市場調査や宣伝を積極的にしなかったのか謎
金と宝石の宝庫だと南蛮人が知れば大挙して鉄砲と火薬を手にして甲斐へ売りに来てたはず。
0188人間七七四年2018/06/06(水) 12:44:37.73ID:GrRKoQrJ
>>177
それらの川で舟運するのは当時じゃ無理だろ
材木流すぐらいは可能だろうけど。
0189人間七七四年2018/06/06(水) 12:55:42.47ID:fyPK7Nzt
>>187
確かに、甲州版ゴールドラッシュが起こっていたかもね。だけど武田信玄は金を碁石にして、それで敵を買収するやり方にしか使い方を知らなかった。

信長、秀吉みたいに流通の重要さ、産業の大切さへの理解に欠けていたのかな?
0190人間七七四年2018/06/06(水) 12:58:48.60ID:MpwiiGKl
>>188
当時の水運は筏に荷を載せ両岸の牛馬が上流へ引いていくものだったから問題ないかと。
川の流れが急だと難しいので水路を作ってほぼ流れが無い状態にして運んだ。それだと筏の上で人夫が
長い櫂で川底を押すだけで容易に荷を運べた。
0191人間七七四年2018/06/06(水) 13:00:48.87ID:MpwiiGKl
川底が浅いなら水牛が水中を歩んで筏を運ぶよね。
インド、東南アジアとかそうだし。
0192人間七七四年2018/06/06(水) 13:01:05.45ID:vq4UmJS0
>>177
それ江戸時代はやってたの?
0193人間七七四年2018/06/06(水) 13:03:31.83ID:MpwiiGKl
たとえば大友宗麟みたいに甲斐国内の川岸数カ所を南蛮坊主に寄進して教会でも建てさせ
彼等が容易に甲斐国内に足を運べるようにするのも肝心かと。
0194人間七七四年2018/06/06(水) 13:05:26.74ID:fyPK7Nzt
>>178
物流はともかく、韮崎のあの地点に築城するのはいいが、あんな狭い土地に城下町なんか建設できるの? 城下町がすっごく小さくて城だけが目立つ町ができそう。
0195人間七七四年2018/06/06(水) 13:05:31.52ID:MpwiiGKl
>>192
やってないね。江戸幕府は河川を防御拠点として考えてた。
橋があったらぶち壊してあえて渡し船にさせる事により
西から江戸へ向かう敵軍がストップするようにさせてたほどだし。
0196人間七七四年2018/06/06(水) 13:07:57.31ID:fyPK7Nzt
>>193
武田信玄は自分から大僧正求めてるくらいの根っからの仏教徒だし、信濃善光寺を甲斐に移して(大半は越後に逃げられたけど)、似非善光寺作ってるくらいだからなあ。

キリスト教に理解示してくれるかな?
0197人間七七四年2018/06/06(水) 13:08:03.75ID:vq4UmJS0
>>187
黒曜石や翡翠がそんなにとれるなら江戸時代にやってるよね?
0198人間七七四年2018/06/06(水) 13:09:34.39ID:Dbx1LiFH
翡翠ってこの時代も価値があったの?
0199人間七七四年2018/06/06(水) 13:10:01.48ID:MpwiiGKl
紀元前が最も甲斐が栄えてたのかもしれない
甲斐の笛吹川で獲れた翡翠が陸路で千曲川上流へ運ばれ
糸魚川流域まで水運で運ばれ、そこが翡翠を勾玉にする一大加工地となってたくらいだし。
なので今も甲府の御坂地区などに縄文時代に作られた古墳がたくさんあったりする。
0200人間七七四年2018/06/06(水) 13:16:38.91ID:MpwiiGKl
>>196
信玄は宗教にはとても肝要だと思う。
武田家の宗教は浅間信仰で富士山を御神体としていた。
いまも甲斐一宮は浅間神社の分社だしね。
その後、仏教の曹洞宗や臨済宗(信玄の菩提寺は臨済宗)を保護し
日蓮宗の総本山である身延久遠寺を保護、インディペンンデント系の善光寺を保護
さらにインディペンデント系神道の諏訪大社保護など仏教・神道系は
もうなんでもかんでも全部保護した。
0201人間七七四年2018/06/06(水) 13:25:14.75ID:MpwiiGKl
この時代は「寺内町」という寺を中心としたポリスが日本国内のいたるところに誕生し
それらのポリスを多く抱えた国家が経済大国となりえた。
その事は信玄も感覚的に理解しておりどんな宗派であれ仏教や神道を保護して
その信者たちが国内に流れて来るのを強く期待していた。
実際、日蓮宗総本山の身延なんて凄い山の中だけど今とは比較にならないほど賑わってたらしいし。
0202人間七七四年2018/06/06(水) 13:29:08.78ID:MpwiiGKl
あと現在は埼玉県になってる三峯神社も信玄時代から昭和中期まで栄えたらしいね
近くに黒川金山があった事から信玄が開発し秩父路として交通の往来もあり今や廃村となった宿場町っぽいのもあった
今や往年をしのぶものはなくただただ鬱蒼とした秘境の地だけど。
0203人間七七四年2018/06/06(水) 13:32:36.04ID:pcEOHvPa
なんかさらりと嘘を平気で書きこんでるキチガイがいるなw
0204人間七七四年2018/06/06(水) 13:35:20.50ID:MpwiiGKl
なんかさらりと無知であるのを恥じて荒らしにきてるキチガイがいるなw
0205人間七七四年2018/06/06(水) 15:46:27.88ID:8pIo3C0u
>>203
>>204
なんだてめえ
無職の癖に生意気言ってんじゃねえぞ
0206人間七七四年2018/06/06(水) 15:58:27.56ID:kf/zvqPW
>>200
この時代は仏教と神道は神仏混交でセットの存在だろ
それらを保護したからってキリスト教を受け入れるとは限らないし、寺社を保護しているだけにキリスト教を敵視してもおかしくない
0207人間七七四年2018/06/06(水) 16:05:49.54ID:MpwiiGKl
俺は信玄の事を疑ってる。
熱心な仏教徒である事を内外ともに強くアピールしたが
あれはなんちゃって仏教徒ではないのかと。
神聖ローマ帝国皇帝が名目上熱心なクリスチャンを演じてたように。
実際仏教の護持者をうたう事によって信玄が得た政治的利益は小さくなかった。
若い頃は仏教に関心など無かったが善光寺勢力の根強い抵抗に手を焼き
仏教徒は敵にするものではなく手の内で飼いならすものなんだと
今までの行動を180度変えた。
0208人間七七四年2018/06/06(水) 16:21:06.29ID:GrRKoQrJ
>>190
それ出来るの平野部ぐらいだぞ
0209人間七七四年2018/06/06(水) 17:30:37.85ID:x6wHX6jE
>>207
それに関してはむしろその位の方がいいよ。
変に特定宗教や宗派にガチな奴の方がよっぽど迷惑だと思う。
0210人間七七四年2018/06/06(水) 17:42:18.44ID:vHuJtzQx
武田勝頼って、老臣に頭を下げたり下手に出たり、言うこと聞いたりはしなかったのかな?

勝頼が人の意見をよく聞く素直な人間だったなら、少しは違ったのかな?
0211人間七七四年2018/06/06(水) 19:11:43.42ID:NrClnr2e
>>210
老臣の言うこと聞いた結果が長篠かもしれないし
0212人間七七四年2018/06/06(水) 19:27:09.24ID:FDEQQltw
>>211
だとしても勝頼の責任
トップに立つということはそういうことです
0213人間七七四年2018/06/06(水) 19:45:51.57ID:g+kBk9+U
安倍晋三見てるとトップが責任取るなんて死語じゃないの?w
0214人間七七四年2018/06/06(水) 20:22:54.62ID:UzG60gPK
勝頼は時代に取り残された武田の宿業を一身に引き受け、
滅び行く当主の務めを果たした
0215人間七七四年2018/06/06(水) 20:36:40.01ID:vy/9Jit/
>>192
富士川は江戸時代初め川の整備して河口から身延辺りまでは船でいけるようになったため
水運が盛んに

信濃川は政治もあるけど結局信越国境辺りが難所なためその辺は通行不可
千曲川の飯山川中島間や、信濃川の河口から十日町や南魚沼は昔から水運が盛ん

相模川が甲斐相模国境辺りの上野原までは船でいけるため水運が盛ん

天竜川は江戸時代川の整備して江戸時代中期には一応伊那までいけるようになったが
難所が多すぎるためまともに運航されるようになったのは江戸時代終わり

とこんな感じだったと思う
昔から水運が盛んだったところはそのまま利用しているだろうし、
江戸時代に可能になったところは武田家に整備しろといっても難しいと思う
0216人間七七四年2018/06/06(水) 20:37:05.54ID:MpwiiGKl
安倍晋三「長篠の戦いは私も妻も知らないところで勝手に武将どもが戦って負けたわけで
私の責任ではないわけですよ。その事はカトさんが仰ってた通りです」
0217人間七七四年2018/06/06(水) 21:27:43.26ID:msUs3VmN
>>200
甲斐一宮浅間は浅間神社グループ(便宜上そう呼ぶ)に属する神社ではあるけど
全国の浅間神社総本宮の浅間大社(駿河大宮)から勧請された神社ではなくて
浅間大社と甲斐一宮浅間は建立経緯も建立した人も別々だから厳密にいえば
お仲間ではあるけど分社じゃないんだよ
0218人間七七四年2018/06/07(木) 01:38:36.96ID:548WpVUn
でも、勝頼はあの武田の内情や周辺の強敵に囲まれている地理的条件を考えると大健闘したと思う
0219人間七七四年2018/06/07(木) 02:26:12.98ID:A/LOX3zP
当時から武田は強いという認識が広まってたからな
ああいう終わり方したら「勝頼ってどんだけ無能なの?」と思われちゃうのも仕方ない
0220人間七七四年2018/06/07(木) 05:29:04.30ID:RPn0Zwum
確かに強かったんだろうが長篠で壊滅したからな
まともな集団戦法出来る指揮官も兵隊も失った結果が火力重視の兵制改革
北条と小競り合いしてる時は効果を発揮したが甲州征伐始まったら全く機能しなかった
0221人間七七四年2018/06/07(木) 08:28:50.35ID:tNmw8TiC
そんなに長篠で精鋭失ったの?
0222人間七七四年2018/06/07(木) 08:43:27.76ID:sT6+oaKF
>>221
主な幹部、幹部候補生だけで100人以上らしいよ戦死者は。
0223人間七七四年2018/06/07(木) 09:56:47.91ID:lPWJu0kf
軍鑑だと優秀な武士は98パーセント死亡だしな
0224人間七七四年2018/06/07(木) 10:33:38.00ID:JspRx2e0
まぁ城攻めを大した準備もなく実行したようなもんだからな
例えるなら旅順要塞に何の準備もなく攻撃仕掛けて壊滅した日本軍みたいなもん
0225人間七七四年2018/06/07(木) 11:02:24.38ID:tNmw8TiC
>>222
練兵期間わからないけど
5年もあれば補充効くよね?
0226人間七七四年2018/06/07(木) 11:03:46.22ID:tNmw8TiC
>>223
殲滅さらた先陣以外の
無傷だった後詰め部隊にも精鋭いるんだろうから
武田全体から見たら回復可能な気がする
0227人間七七四年2018/06/07(木) 11:24:00.69ID:qaMuLf4c
>>226
無理だよ。
長篠後に東美濃岩村で秋山とその部下たちが全滅している。

5年あれば補充きくかもしれないが、織田や徳川が5年も猶予をくれないよ。
勝頼自身も連年のように出兵して、国政に集中して取り組まないしその時間もない。
0228人間七七四年2018/06/07(木) 11:24:14.90ID:buS7BJGQ
被害軽かったのは穴山隊くらいであとは大損害
真田、三枝、土屋、山縣馬場春日の子、甘利ら期待されてた若手も軒並み討ち死
補充とか無理
0229人間七七四年2018/06/07(木) 11:26:00.99ID:aRPEIAE8
軍費という観点でも難しい
武田が勝ってる間は商人もガンガン武田家へ金を貸してくれるよ
商圏を広げるチャンスだから。
でも長篠以降は武田家に金を貸す奇特な商人はおそらくほぼ居なかっただろうね。
0230人間七七四年2018/06/07(木) 11:34:45.83ID:aRPEIAE8
一度大敗してから態勢を整えて再拡大するのは相当難しい
ほとんどの大名家がその後退勢局面に入りガリガリ削られて滅んでいく
その中で稀有な例外が砥石崩れから武田家を建て直して信濃の覇者にした信玄と
ボロボロになりながら優秀な外交力で大大名となった上杉景勝。
0231人間七七四年2018/06/07(木) 12:22:28.84ID:tNmw8TiC
はぁ、、、なんか無理とか言い訳多いよね
武田家には、さ
足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。って名言を送るよ。
0232人間七七四年2018/06/07(木) 13:36:37.23ID:GgHJJ5Xt
おまえが勝頼なら天下とれたかもな
0233人間七七四年2018/06/07(木) 13:57:56.65ID:sSlyRYLH
>>225
会社でいえば専務〜若手社員がごっそりいなくなって、その分を新入社員で埋めるようなもの
頭数は揃えられても経験が足りなさすぎる
また、外から経験者を雇うのは領地が増えていないから数に限りがある
0234人間七七四年2018/06/07(木) 15:46:40.48ID:1u+Ssyq3
>>225
鉄砲が優秀なのは、数ヶ月程度の訓練で一応戦力に成るかららしい。
弓や槍は子供の時からの修行が必要な気が?
0235人間七七四年2018/06/07(木) 16:27:22.67ID:BOruMexG
足りぬ足りぬは工夫が足りぬ
が口癖の旧日本軍は壊滅しましたよw
結局戦争なんてのは国力が物を言う訳で
織田が浅井、朝倉、長島一向宗叩き潰した時点でもう勝ち目はないんだよ
そういう意味では信玄が兵を起こしたのは最後のチャンスだったのは事実
ただ途中で死んじゃな
0236人間七七四年2018/06/07(木) 16:34:05.23ID:82NhMCZn
砥石崩れから立て直せたのも国力差あるからだろうしな
あの段階じゃ武田は村上の2倍以上にはなっているし
0237人間七七四年2018/06/07(木) 16:35:17.79ID:BOruMexG
それにあの時代はまだ1973年の信長レベルの巨大勢力が横にいなかったからね
もしそんなのがいればここぞとばかりに侵攻されて叩き潰されてたはず
0238人間七七四年2018/06/07(木) 16:35:38.29ID:BOruMexG
1573年の間違いだった
恥ずかしい
0239人間七七四年2018/06/07(木) 16:46:43.47ID:Knsequww
僕の押しは呂布だよ
https://goo.gl/4bVuJH
0240人間七七四年2018/06/07(木) 17:01:35.65ID:GgHJJ5Xt
専務とか高級取り死んでいなくなったんなら
俸禄余って大名ウハウハかな
0241人間七七四年2018/06/07(木) 17:17:52.94ID:zBz9G2qs
>>240
多くの場合は息子が継いだだろうからコスパ悪い高給取りが増えただけ
浮いたのは真田昌幸の武藤家みたいなケースだけじゃないか
0242人間七七四年2018/06/07(木) 17:34:32.07ID:tNmw8TiC
>>240
そう、工夫が足りぬはそれが言いたかったの。

戦死者多数で後継微妙の家中の土地を
とりあえず勝頼が預かってまとめて(後で返すよw)
幹部候補生にあげて家中改革出来たよ

漫画の横山の勝頼には真田から意見具申されてたよね。
0243人間七七四年2018/06/07(木) 17:45:14.39ID:R0QWFKmU
それ甲陽軍鑑の高坂の献策じゃなかったか?
で跡部や長坂が「彼らは死ねば息子が継げると思ったからこそ戦死したのです
もしそれをやらないなら家臣が離反しますぞ」みたいな感じで反論して勝頼も諦めた
0244人間七七四年2018/06/07(木) 18:00:54.90ID:tNmw8TiC
>>243
あ、それだ、間違ってたね。

結果的に裏切りの嵐だったし
どっちが最適かはイフの話題だけど。
0245人間七七四年2018/06/07(木) 18:38:42.09ID:zBz9G2qs
横山の漫画の原作は新田の小説であり、それは甲陽軍鑑を参考にしてる
結局は裏切りの嵐と言っても長篠で戦死した武将の後継はそれほど裏切ってないような そいつらには恩を売れたのだろう
0246人間七七四年2018/06/07(木) 18:39:43.54ID:5bSjeZYw
金丸氏(土屋氏)とか兄弟総動員状態の抜擢されたりしてるし
人材難で生き残りで手分けして精一杯の再建をしてる状況だぞ
0247人間七七四年2018/06/07(木) 18:44:37.85ID:tNmw8TiC
国境付近の武将優遇して
子飼い武将の跡部とか長坂は冷遇してさ
それで国境線は安心して任せてたらさ、
気づいたら国境線の誰かは内通しだすから
そこからまた潰して領土分け与えて、
裏切る奴がで始めたあたりから対処すれば
少ない領土を褒美としてあげることができるね。

そのうちに再建するしかない
0248人間七七四年2018/06/07(木) 18:54:45.36ID:82NhMCZn
>>243
跡部長坂の意見の方が正論に聞こえるな
0249人間七七四年2018/06/07(木) 19:13:46.12ID:5bSjeZYw
大身譜代の代表格である跡部を子飼いって冗談だろ
0250人間七七四年2018/06/07(木) 19:50:31.80ID:rbBA7gAX
最後まで勝頼に付き従って天目山で共に散ったのに
後世奸臣だなんだぼろくそに罵られてる跡部とか長坂とかをみると、
忠義ってなんなんだろうなって考えさせられるわ。
0251人間七七四年2018/06/07(木) 19:57:59.76ID:imUwbRQ1
そう思ってくれる人が後世にいるのだから跡部も長坂もいくらかは報われている
0252人間七七四年2018/06/07(木) 20:15:16.15ID:XubZlGkA
>>250
跡部は最後まで従ってるけど、長坂は逃げたんだよ。長坂は非難されても仕方ない。

あと、秋山昌成みたいな奸臣が側近にいるから、勝頼の周りには人材はいなかったものと思われる。
0253人間七七四年2018/06/07(木) 20:19:28.58ID:5j0Vs6/K
>>252
長坂も最後まで従って戦死でしょ
信長公記にそう書いてる
0254人間七七四年2018/06/07(木) 20:19:28.86ID:g/MHtD17
跡部は諏訪で戦死して長坂が最後まで付き従ったんじゃなかったか?
跡部が諏訪で死んだのが事実なら諏訪頼豊と一緒に戦って死んだのかもしれんな
0255人間七七四年2018/06/07(木) 20:24:53.53ID:g/MHtD17
甲陽軍鑑って基本的に信玄は絶対の神であり神聖にして犯すべからずな存在だから
武田の滅亡も実際は土壇場で織田を裏切った信玄の戦略ミスなのに勝頼のミスに転嫁してるだけだわな
実際は勝頼が悪いわけじゃないとわかってるので強すぎる大将的な扱いにして信玄の顔も立てつつ
全ての悪は側近の長坂と跡部だということにして全て押し付けてる
これがもし跡部や長坂が保科みたいに上手く立ち回って徳川の世で城持ちで生き残ってれば
他の家臣を奸臣に仕立て上げただろうことは想像に難くない
0256人間七七四年2018/06/07(木) 20:32:20.12ID:g/MHtD17
歴史って本当に怖いよな
死んだ奴は汚名着せられてスケープゴートにされる
それが事実として何百年、何千年と語り継がれる
0257人間七七四年2018/06/07(木) 20:39:32.59ID:548WpVUn
穴山はどうだろう?
穴山は子孫が残っていないから悪者になっちゃってると割り引いて考えている
人もいるだろう?
大名として残ってたら、穴山のいうことを勝頼がきかなかったのが原因で
武田は滅んだことになっていたかもしれない。
0258人間七七四年2018/06/07(木) 20:40:51.72ID:A/LOX3zP
最上とか小早川とか江戸初期に改易になった大名も扱い酷いわね
最上は伊達・上杉の、小早川は毛利と生き残ってる大名家にいいように使われてる
0259人間七七四年2018/06/07(木) 20:43:35.14ID:g/MHtD17
>>257
もし穴山が武田家引き継ぐ形で生き残ってたら長篠で勝頼を諫めたのは穴山で
予備隊で織田軍の追撃を防いで勝頼を甲府に逃がしたことになってるよw
穴山の裏切りも蘆田の奮戦を横取りする形で勝頼が死んだのを知って降伏したことになってるw
0260人間七七四年2018/06/07(木) 20:45:49.50ID:g/MHtD17
>>258
小早川なんて最近の関ヶ原研究だと石田と大谷を引き付けて大勝利に導いた立役者なんだけどな
やっぱ死んだらこうなっちゃうんだよな
豊臣を裏切った豊臣恩顧大名からすれば小早川なんてどうでもいいしね
0261人間七七四年2018/06/07(木) 20:47:25.87ID:5j0Vs6/K
>>257
穴山に同情の余地なんかないだろ
跡部・長坂とは立場が違いすぎる

大名として残ってても批判は免れないと思う
0262人間七七四年2018/06/07(木) 21:01:28.45ID:tNmw8TiC
豊臣恩顧の大名でも堂々と徳川譜代扱いされてる家がチラホラあるんだから、穴山ケも子孫が途絶えなかったら徳川譜代として武田家の正統として生き残ってたよ。
0263人間七七四年2018/06/07(木) 21:02:53.19ID:g/MHtD17
>>261
甲州征伐から天正壬午の乱で大概なクソ野郎だった保科が
秀忠の隠し子頼まれて家督継がすことで忠臣の鏡みたいになってるし
穴山も生きてれば最終的には甲斐一国くらい貰っててもおかしくないから
批判なんてされなかったと思うよ
批判される理由は事実が残るからであって事実を封じてしまえばいい
0264人間七七四年2018/06/07(木) 21:18:38.98ID:rpGdmnC+
武田滅亡が勝頼だけのせいなんて言ってる人はいないし、信玄だけのせいなんて言ってる人も見たことないな
0265人間七七四年2018/06/07(木) 21:22:24.58ID:g/MHtD17
詭弁の特徴 極端な例を出す
0266人間七七四年2018/06/07(木) 21:36:41.38ID:rpGdmnC+
武田の滅亡は信玄の戦略ミスだ、みたいなね
0267人間七七四年2018/06/07(木) 21:40:11.60ID:GgHJJ5Xt
信玄のせいはある程度しょうがない
0268人間七七四年2018/06/07(木) 21:42:06.46ID:rpGdmnC+
どっちかが全部悪いなんてことはないわな
0269人間七七四年2018/06/07(木) 22:46:59.26ID:wIIj/BSL
>>263
保科がクソ野郎って。
高遠城の件は保科が悪いのか?
穴山に関してはクソ野郎の記録が軍鑑だから何とも言えないが、今ある軍鑑が出来た当時はまだ穴山の嫁が生きていたから、嘘書いているとは考えにくいんだよな。
0270人間七七四年2018/06/07(木) 23:29:28.91ID:1PGMm/AF
保科親子

高遠城に逃げ込む

仁科と一緒に戦うと誓う

舌の根も乾かぬうちに高遠城から逃亡

息子の内藤昌月がいる箕輪城に逃げ込む

上手く滝川配下に潜り込む

滝川が北条に敗北

北条に鞍替えして高遠城を奪取

北条から徳川に寝返る


もし勝頼が上杉に逃げ込んで本能寺起きて信濃に再進出したら真っ先に粛清しそうだよなw
0271人間七七四年2018/06/07(木) 23:36:09.77ID:EwSJ1oIv
>>270
重鎮の信廉が逃走してる時点で高遠城の件は責められない
その後は至って普通の国衆の動き
0272人間七七四年2018/06/07(木) 23:41:17.74ID:1PGMm/AF
真田の場合は自分の領地を守るために鞍替えしてるのであって
保科のやってることとは全く違うよw
0273人間七七四年2018/06/07(木) 23:42:31.25ID:Qx2j8BJQ
保科が責められるなら、真田も責められるよこれでは。
0274人間七七四年2018/06/07(木) 23:50:57.14ID:548WpVUn
穴山って結構、面白いこと言ってる。
武田家を信玄を基準に考えると、
信玄の息子の勝頼よりも、穴山信君の息子の方が、信玄との血が濃いんだって。
穴山信君の母が信玄の姉で、妻が信玄の次女だからという理由らしい。
だから勝頼よりも信君の息子の方が武田家の跡取りとしてふさわしいという、
穴山なりの大義名分があったのかも
0275人間七七四年2018/06/07(木) 23:51:17.10ID:qDD4rKjs
>>269
見性院が保科に正之を預けた背景には長年盆暮れ正月など欠かさず
挨拶なり届けなりをしていて云々だそうだからかなり古くから見性院と
付き合いがあったと思われるんで穿った見方をすれば高遠に入ったのも
裏では穴山の手引きでとも考えられるんだよなぁ…

なんつうか穴山は嫁も息子死んだら疎遠だった松姫に速攻近づくとか
夫婦そろってクセあり過ぎるのがなんともで…
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています