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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part14

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0001人間七七四年2018/05/08(火) 19:31:27.66ID:ZTwkAoxx
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part13
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1522672144/
0011人間七七四年2018/05/08(火) 19:50:35.67ID:ZTwkAoxx
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。

個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。

大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。

輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。
0012人間七七四年2018/05/08(火) 19:53:00.16ID:ZTwkAoxx
以前のスレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川15000、安国寺1500、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊19600南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>10のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>11

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か

東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負
0013人間七七四年2018/05/08(火) 19:55:06.08ID:ZTwkAoxx
岐阜城関連

岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf

近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf
0014人間七七四年2018/05/08(火) 19:57:10.22ID:ZTwkAoxx
毛利の兵力及び西軍の戦力布陣状況

毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)

毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

こんなかんじになる。
あとは別枠だと、小早川秀包1000(大津)くらいかな。

なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。

まず伊勢方面隊戦力
毛利秀元&吉川広家15000、安国寺恵瓊1500、長束正家1000、長曾我部盛親2100、
鍋島勝茂9800、堀内氏善300等約29700

その他伊勢の在番、守備隊等
滝川雄利400、山崎定勝400、中島氏種?390、蒔田広定370あたり。

瀬田守備隊
相良、秋月ら約6900、

美濃、近江周辺立花宗茂3900、
推定佐和山在番筑紫広門500、
推定大坂の小早川秀包1000、

あとはよくわからんが伊賀在番7000、新庄直頼とかのことかな?

こんなかんじかな。

なので草津の宇喜多が美濃に援軍に行ってもまだ瀬田守備隊6900と立花宗茂3900の10800がいる。

大坂は輝元5000、小早川秀包1000、増田3000、前田1000、その他大坂城在番衆詳細不明ってとこかな。
0015人間七七四年2018/05/08(火) 19:59:17.84ID:ZTwkAoxx
伏見城攻防戦について
大雑把に
7月19日朝 城方鳥居勢が城外に出て近隣を放火
19日夕方 西軍が伏見近郊に到着し始め散発的に銃撃戦がある
20〜21日 西軍が外堀に取りつく。銃撃戦が激しくなる
22日 宇喜多、小早川、鍋島到着
23〜24日 西軍の銃撃が昼夜に及ぶ
25日 宇喜多秀家が陣立てをあらため諸将の攻め口を決める
26〜28日 西軍昼夜銃撃
29日 石田三成督戦に訪れる
30日 西軍力攻め、総攻撃4回敢行。城方死傷50余、西軍死傷500余
8月1日午前0時 松ノ丸で甲賀者の内応により火災発生、名護屋丸にも延焼
これを機に西軍突入、松の丸、名護屋丸陥落
午前10時頃より総攻撃再開、島津、治部少丸突入、治部少丸陥落
午後3時 伏見城落城


こんなかんじ。たしかに石田が来るまでは銃撃戦ばっかり。
だが西軍もまともに兵力が到着したのは22日で、仕寄って堀埋めて
30日に力攻めしてみたが大損害。
8月1日に城方の内応が出たのでそれを機に陥落。

これ城方の内応がなかったらもっと長引いてた可能性あると思う。
力攻めの寄せ手の損害数が大きすぎる。
伏見城は相当な堅城だったということだと思う。
瀬田で東軍を迎え撃つ、という方針になるのも無理はないと思う。
この彼我損害比ではもっと早い日時に力攻めしてても落ちないと思う。
0016人間七七四年2018/05/08(火) 20:02:51.99ID:ZTwkAoxx
宇喜多秀家に早期に援軍要請案

順番にいこうか。まず西軍の基本戦略は、内府違いの条々の効果により大多数は帰国し
雲散霧消するはず。
もちろん徳川に味方する者もいるだろうがそれほど多くはない。
それら東軍の想定行動は上杉への抑えを残し2〜4万程度が西上してくるか、
関東に引き籠って西軍の迎撃態勢を整える。
西上してきた場合は浜松か尾三国境付近で東軍を迎え撃つ(清洲の福島が味方する前提)。
関東に引き籠った場合は年末か春ごろに西軍の大軍で関東に進攻する。

これが8月初頭時の西軍の基本戦略。7月下旬の伏見攻城時には瀬田で迎え撃つつもりだったが
予想以上に味方が増え、越前、美濃の勧誘もほぼ成功し、前田も引き返したので
こうなったと思われる。

で、その西軍の想定通りに情勢が推移する可能性はもちろんあるので、基本戦略通りに軍事展開すればいい。
(個人的には既に戦力配分で疑問部分が多いがとりあえずそれは置いとく)

しかし少なくとも8月14〜18日頃には想定外の事態が起こる。
清洲の福島は味方せず、東軍と思われる軍勢数万が清洲周辺に集結しつつある。

この時点で西軍の方針は木曽川で東軍を迎え撃つ、に変わる。

ここまではいい。しかし数万(約3万)を木曽川で迎撃するには美濃の西軍戦力では足らない。
なのでこの時点で木曽川迎撃の為にすぐさま美濃への援軍要請をする。
この時点で援軍要請しても木曽川迎撃に間に合うかは微妙だが、
大垣、岐阜、犬山が籠城し数日持ちこたえれば後詰決戦は可能になる。
岐阜が落ちてから援軍要請しても遅い。

なので、具体的には一番近いのが桑名付近の明石掃部と草津の宇喜多計18000なので、
8月18日時点で宇喜多に援軍要請すれば8月21〜22日には大垣に到着できる。

・8月18日に宇喜多に援軍要請し、21日に大垣到着できれば木曽川で渡河迎撃、
間に合わないなら大垣、岐阜、犬山は籠城、この作戦方針の徹底。


西軍の基本戦略を尊重しつつ軍事的対応で合理的に勝ちを模索するなら
このあたりで岐阜城後詰決戦に至る。
0017人間七七四年2018/05/08(火) 20:09:28.96ID:ZTwkAoxx
以上、時系列表等参考になるものと有力案のコピペ終了。

訂正等は遠慮なくよろです。


>>9
既にだれも話題にしてない案でもとりあえず可能性のありそうな有力案は列挙しようと思います。
それと連投規制で2分に1回しか書けないので、
ひととおり貼り終わるまでは少し待ってください。
0018人間七七四年2018/05/08(火) 22:42:47.40ID:lggiEIRW
岐阜城がらみはさすがに多すぎ長過ぎ
これじゃ誰も読まないだろ
まとめでも作ってリンクだけ貼るなり削るなりした方がいい
0019人間七七四年2018/05/09(水) 08:09:10.31ID:qcluAC9o
ほぼアラシだわ、
3行以内にまとめるのは規則だとおもえ
0020人間七七四年2018/05/09(水) 08:53:42.83ID:ZIYNM5mj
>>19
じゃあ例えば>>2を不足なく3行でまとめてみ。>>3でも>>4でもかまわんが。
0021人間七七四年2018/05/09(水) 09:27:55.53ID:qcluAC9o
>>20
うるせーよアラシ
死ね
少しは空気読めよ
0022人間七七四年2018/05/09(水) 15:51:54.41ID:ri2f7cNN
家康についても不要になれば改易されるぞと七将を説けばいい。
これだけで関ヶ原は勝てる。
0023人間七七四年2018/05/09(水) 15:57:55.36ID:eg20wSyT
思ったことを考え無しに口にするのそろそろやめたら?
と思ったが相手にする奴がいるってことはネタ提供員でもあんだよな
0024人間七七四年2018/05/09(水) 16:13:42.57ID:Zez14z26
>>22
最大の問題はその言葉を西軍の誰が言うにしても説得力が全くないということ
0025人間七七四年2018/05/09(水) 16:28:04.10ID:ri2f7cNN
>>24
毛利秀元なら七将とも話が合いそうじゃない?
日本海を渡り出兵した際には、轡を並べて共に奮戦したんだし、
海を渡らずに済んだ家康よりも近い間柄でしょ。
0026人間七七四年2018/05/09(水) 20:17:14.17ID:fcSNxpZH
後陽成天皇が家康を朝敵認定すれば楽勝
0027人間七七四年2018/05/09(水) 20:24:12.65ID:3ad3WrG2
>>23
西軍は七将が何をしても改易しない組織と確信してるんだろ
0028人間七七四年2018/05/09(水) 20:26:34.72ID:x8Ja7y3M
>>25
こればっかりは個人的関係よりは地位が物をいうから秀元じゃ心もとないでしょ
0029人間七七四年2018/05/09(水) 21:42:07.43ID:qpR/jOoL
>>22
秀次を糾弾して妻子もろとも殺戮した連中がいる西軍が言ってもな
不要になれば改易どころか一族もろとも虐殺する西軍よりかはマシという結論にしかならないだろ
0030人間七七四年2018/05/09(水) 23:28:06.64ID:dNfGNO93
>>22
そもそも誰も改易されてないじゃん。
福島は正確には減封だし(改易はギリギリ死亡後)両加藤は自分が死んだ後の話だろ。
第一、それなら西軍についた連中に「このまま西軍につくと破滅するぞ」
って説くのがアリになるぞ。
0031人間七七四年2018/05/10(木) 06:45:32.26ID:El0VtNVw
>>29
何を訳の分からないことを言ってるの?
秀次を滅ぼすのに積極的だったのが福島正則を初めとする七将でしょ。
だからこそ西軍になるはずと見込まれていたのだし。
0032人間七七四年2018/05/10(木) 06:53:33.51ID:+ECM7izF
三成も福島が東軍に参加したのはショックだったろうな
東軍にとっても、まさかあの福島が東軍に!みたいな感じで驚いたろ
福島を東軍に参加させた徳川家康の手腕がすごいのか、三成の嫌われっぷりがすごいのか…
0033人間七七四年2018/05/10(木) 08:05:26.61ID:V8U87pFE
なんでやねん
0034人間七七四年2018/05/10(木) 20:58:23.83ID:Kj3UPcTQ
小早川毅彦が健在なら勝てた
0035人間七七四年2018/05/10(木) 21:42:23.50ID:Cp0cEQhb
>>32
むしろ三成が西軍に参加したのが福島にとってショックなことだよ
三成はクビになってもまだ権勢欲を諦めていないのか?地位にしがみつくためなら本当に何でもする腐れ外道なのか?みたいな感じで驚いただろう
奉行の腐敗が予想以上に深刻だったことが明らかになってしまったわけだし
0036人間七七四年2018/05/10(木) 22:11:07.03ID:/ICHbAjb
>>32
福島家の家来もビックリする位だから焦っただろうな
0037人間七七四年2018/05/11(金) 06:58:51.89ID:5eEeJ6rY
>>34
あと400年早く生まれていれば天下をとれたな
0038人間七七四年2018/05/12(土) 20:10:58.93ID:JMiC7Ume
最上義光と書いて「しゃけだいすき」と読む
0039人間七七四年2018/05/12(土) 21:07:11.81ID:Bz5+iaA2
おしゃけだいしゅき
0040人間七七四年2018/05/12(土) 21:45:58.54ID:MGJX2DMX
コピペ乙
キチガイは捨て置け
0041人間七七四年2018/05/13(日) 03:49:06.36ID:s37sf6/9
結果論としては、会津征伐軍が編成された時点で徳川有利が固まっていたと思うので、
西軍の勝機は、家康が会津征伐を考える前にしかなかったと思う。

秀吉が、または秀吉没後に三成たちが、後継に秀忠を指名する。
秀忠が豊臣家へ養子に入って後を継ぐ。後見人として家康が実権を握る。
秀頼は幼いので後継の資格なし。
秀頼が成人したら秀頼に後を継がせると言うと、家康・秀忠が怒るので、それは言わない約束。
こうするより他なかったと思う。
0042412018/05/13(日) 04:04:28.76ID:s37sf6/9
こう言うと、秀次を自害させた時点で徳川有利が固まったと言えそうなので、
いかにして秀次を自害させずに済ませることができたかを語ることが必要になってしまう。
なんで秀次に関白まで譲っていたのに、自害させちゃったのかなぁ・・・
秀頼=幼少=家康の思うがまま
これが分からなかったはずがないんだけどなぁ・・・

あと、徳川が関東250万石、毛利が中国120万石、上杉が会津他120万石、
前田が北陸90万石と、徳川が大きすぎたのが問題。
豊臣家の臣下というより同盟者扱いだったので仕方がないけれど・・・
減封や改易の口実を与えないように家康も苦労していたらしいけど・・・
毛利と上杉に何らかの理由を付けて200万石に加増していれば良かったかも。
そうすれば家康だけが力を持つことはなかったはず。
大きすぎる大名が複数いたら豊臣家もやりにくいだろうけど・・・
0043人間七七四年2018/05/13(日) 05:16:10.10ID:Z8EkL0ZG
>>42
そんな領土はないでしょ
毛利も上杉もそこまで信用は出来ないし
官兵衛の提案通り北条を関東に残して徳川を東海のまま120万ぐらいで抑えときゃ良かったんだよ
無理矢理家康を関東に遠ざけようとしたのがそもそも間違い
そうすれば北条、上杉、毛利、徳川
それぞれ100万ちょいぐらいで牽制しあえてバランス取りやすかった
250万とかもうここからボケはじめたとしか
0044人間七七四年2018/05/13(日) 05:20:47.12ID:gPTyF7E8
>>42
毛利は、吉川と小早川(秀包)と安国寺を入れると200万石近いんじゃなかったっけ?
0045人間七七四年2018/05/13(日) 06:17:07.37ID:P0u1Trg+
広家と秀元の分は輝元の領地に含まれる
秀包と恵瓊を足しても140万石程度
0046人間七七四年2018/05/13(日) 06:33:37.95ID:76wBG6Cz
結果論だが小牧長久手の戦いで決着が付くまで戦ってればな、秀吉が大損害を受けていたと思うけど負ける事は無かったろうに…
それか家康が上洛命令を無視していた時に、北条のように滅ぼしておけば良かったんだよ。
秀吉からしたら、徳川家存続はデメリットしか無いだだろ
0047人間七七四年2018/05/13(日) 07:07:30.26ID:/FS8ImPM
>>36
まあ、普通に考えると万が一徳川が謀反起こしたら清須で籠城抗戦してくれって意味の
清須城主ですからね。
まあ、万里の長城の東の端で、一番重要な拠点の山海関の守将の呉三桂の裏切り並みに
なぜ?なぜなんだあ???の裏切り。
兄弟喧嘩したら、こいつ家に夜盗を引き込みやがった並みの裏切り。
0048人間七七四年2018/05/13(日) 07:16:02.04ID:/RE9B87L
>>47
そんな事言われても、別に家康は謀反起こした訳じゃないし。
上杉征伐自体は豊臣政権の正式事業だから反乱とは言わないだろう。
逆に西軍は行動がどう見てもクーデターだし。政権軍の仕事って色々あると思うが、
中央で軍が肯定してないクーデターが発生したら止めるのが仕事じゃないの、普通。
0049人間七七四年2018/05/13(日) 07:52:48.84ID:x+mKm3aB
>>48
今までの経緯を全て無視して短絡的に見たらその通りだね。
でも時系列からみたら家康が正則に政略結婚を申し込んだ時点で
謀反が決定した。正則以外の全ての大名が「謀反だなコリャ」と思ったし
もちろん家康は謀反だという前提でそうしてる。
0050人間七七四年2018/05/13(日) 08:04:20.43ID:/RE9B87L
>>49
あれその時点だととっくに解決してるし。今さら蒸し返されてもなあ。
遺言違反を突っ込むなら別に反家康派がそれに忠実だった訳でもないし。
家康を清廉潔白とまでは言わんが、西軍側も偉そうに説教出来る立場でもないぞ。
0051人間七七四年2018/05/13(日) 09:55:27.95ID:AIK9/4rD
>>46
時間も損害も尋常じゃないレベルに達していたかと
1年長引くだけで島津は九州を完全制圧してしまったろうし
北条は関東を制圧し、伊達と挟まれて佐竹、上杉も潰されてたろう
そして史実の北条陥落から1年で現場を任せられる秀長が病死する
秀吉の代で天下統一が厳しくなるかも
0052人間七七四年2018/05/13(日) 10:04:50.28ID:x+mKm3aB
少なくとも大友家は一旦見捨てないと家康征伐はできなかったろうな
実際その手もありえたとは思うよ。
でも九州での秀吉への信用が完全になくなり、その後の朝鮮征伐などは不可能になってただろう。
また大物商人たちにも博多などの商圏を与える約束は絶対にしてたはずで
それら商人たちの信用を無くすのも恐ろしかっただろうね。
0053人間七七四年2018/05/13(日) 10:46:36.69ID:LQWZUS+5
>>47
普通に考えれば
三成が奉行に返り咲くために勝手に武装蜂起したら
協力して三成に権勢を握らせろって意味の清須城主ではないだろ
そもそも徳川が謀反を起こしたのではなく、三成が謀反を起こしたということを忘れていないか?
0054人間七七四年2018/05/13(日) 11:17:01.35ID:x+mKm3aB
というか正則は正真正銘の裏切りものだけどな
家康と政略結婚した時点で額に「犬」の烙印を押されたようなものだし。
冥途では秀吉が一番怒りを持って迎えるのは正則だろ。
0055人間七七四年2018/05/13(日) 11:35:52.91ID:MeN4aQxr
>>54
秀吉自身が家康周りと政略結婚推進しまくってるのに
0056人間七七四年2018/05/13(日) 12:24:28.84ID:fN9elvrg
さては三成厨だなおめー
0057人間七七四年2018/05/13(日) 12:43:11.45ID:s2Q5H9ix
>>42
徳川を同盟者扱いすると毛利や上杉も同盟者枠にならないか?
それを言ったら有力諸侯の連立政権になるけど。

>>49
一番最初は毛利輝元と浅野を除く四奉行が誓詞を交換したとこだぞ。
これが秀吉の死後10日目のこと、婚姻の開始はそのあとだ。
それに、秀吉の義弟で秀頼の義祖父(仮)で、現職の公卿の中では秀頼や公家よりも上位にあって筆頭にあたり、豊家第一の臣だった家康の承認がなされた婚姻がどうして私婚になるんだ?

全部ひっくるめて言えば、死後の移行期間的体制をしっかり定めなかった秀吉が悪いって話になるんだけどさあ。
0058人間七七四年2018/05/13(日) 13:06:02.26ID:x+mKm3aB
>>57
一応、三中老に家康は問い詰められて
「私婚の件はうっかりしてた。歳をとったので物忘れが激しくなってな」と言い訳したとなってるけど。
0059人間七七四年2018/05/13(日) 13:14:11.36ID:s37sf6/9
つまり、政権が徳川に渡るのは避けようがなかった。
三成は勝ち目が無いのによくやった。
挙兵したタイミングも最高。
あのチャンスを逃したら、他にもうチャンスはなかった。
形だけで内応者がウヨウヨいたとはいえ、西軍を集めて「勝てるかもしれない」という
ところまで持っていった三成は立派。
・・・ということでファイナルアンサー?
・・・と、過去にどんだけ語られ続けてきたのやら・・・
0060人間七七四年2018/05/13(日) 13:16:22.20ID:x+mKm3aB
>>59
いや、三成は勝ち目もあったのに残念だった
輝元が裏切らず本気で家康に対峙しさえすれば毛利家の天下になってた
ということでファイナルアンサー
0061人間七七四年2018/05/13(日) 16:05:00.01ID:Msm1xCUP
>>57
問題ないことをさも問題あるように言うのやめろよ
現に私婚と思われたから私婚なんだし家康は第一の臣じゃなかったんだよ
0062人間七七四年2018/05/13(日) 16:18:05.40ID:/FS8ImPM
>>57
そもそも五大老制度ってのが、豊臣に謀反起こすと五大老が同盟して攻めて来るぞ?って
意味だと思うし。
他の大名でも、有力家臣に公文書に署名「呼び名は色々ですが」させる制度って良く有ります。
関ケ原の構図も、徳川が自分だけの花押付きの文書だしたんで、怒った三大老と奉行衆が
同盟して討つ形ですよ?
0063人間七七四年2018/05/13(日) 17:08:43.23ID:y6XwCA8S
>>61
伊達との縁組は奉行に断りを入れていたらしいぞ
異心有りとした奉行衆が逆に家康に咎められ全員頭を丸めて私婚問題は終わっているのだが
0064人間七七四年2018/05/13(日) 17:23:01.53ID:x+mKm3aB
奉行が全員頭を丸めたって初めて聞いたけど本当?
三成ってハゲだったの?
0065人間七七四年2018/05/13(日) 17:24:35.31ID:L3tY6NPu
もともと大名間の婚姻は秀吉の許可を得る建前だったのが、秀吉死後は誰の許可を得るのかということが
はっきり定められてなかったらしいけどね
だから単純な遺言違反てことでは攻めきれず和解で手打ちになり婚姻も解消されなかった

つうか、諸侯第一の石高と官位を授け遺言で政務執行者に任じ、秀頼の叔母を後継者に嫁せしめ孫娘を秀頼の許嫁にするなど
諸侯第一どころか懸命に一門化しようとしてたのは他ならぬ秀吉なんだけどな
秀吉の妹を正室に迎えた経緯から言っても家康は豊臣一門の筆頭と言ってもよかった
三成や他の大老がそんな家康を煙たく思っていたと考えても無理はないんじゃないかな
0066人間七七四年2018/05/13(日) 17:30:44.35ID:x+mKm3aB
手打ちになり婚姻も解消されなかったのは利家が病死したからじゃね?
0067人間七七四年2018/05/13(日) 17:42:09.02ID:P0u1Trg+
私婚問題で問題視されたのは秀吉死後の大老奉行による合議制を定めた十人衆誓紙の違反でしょ
十人衆誓紙で秀吉の遺言を覆そうとしたから逆に家康に居直られた
0068人間七七四年2018/05/13(日) 17:50:38.58ID:y6XwCA8S
>>64
本当
ていうか三成は蟄居謹慎の時にも頭を丸めてるだろ
0069人間七七四年2018/05/13(日) 17:58:37.46ID:x+mKm3aB
>>68
じゃあこの髪型は嘘だったのかよ
https://pbs.twimg.com/profile_images/812974130337222660/DVFBqw9d_400x400.jpg
0070人間七七四年2018/05/13(日) 18:10:12.88ID:y6XwCA8S
>>69
何この爬虫類は?
ツチノコ?
0071人間七七四年2018/05/13(日) 20:32:50.55ID:fN9elvrg
奉行衆が剃髪したのは事実だけど、私婚事件の謝罪のためではなく
秀吉の薨去によるものだったと言経卿記だか義演日記に書いてあったぞ
0072人間七七四年2018/05/13(日) 20:38:32.83ID:x+mKm3aB
鶴松が死んだ時も秀吉や家康を始めとして家臣全員が髷の髻を切ったんだっけ
0073人間七七四年2018/05/13(日) 20:54:45.87ID:s2Q5H9ix
>>64
自発的に剃った人とハゲは別だぞ!
戦国時代はしらんが、江戸時代の庶民の中には月代をやってもハゲを隠せず笑われた人がいるんですよ(;_:)
剃ってもそのうちうっすらと髪が生えてくるからばれるんだそうだ。
現代ならスキンヘッドにすれば逆に潔いといわれるかもしれないけど、当時は剃るのが当たり前だったから逃げ道がない。

三成がハゲかどうかなんていたいして関係ないだろ!大切なのは脳みそだ!いいな!わかったか!
0074人間七七四年2018/05/13(日) 20:57:19.47ID:se0nfljx
>>71
奉行衆は剃髪してばかりだな
0075人間七七四年2018/05/13(日) 21:01:26.90ID:N5fQIm5C
>>74
散髪するついでに頭丸めましたと報告してるだけ
0076人間七七四年2018/05/13(日) 21:05:17.75ID:y6XwCA8S
>>71
秀吉没後半年以上経ってからの話だぞ
家康が奉行衆に怒ってから翌月の話だ
0077人間七七四年2018/05/13(日) 21:58:06.72ID:s37sf6/9
家康が上杉征伐の総大将になった理由は何?
五大老の筆頭で、領地が上杉領に近く、最大の大名で動員兵力も最大だから、自然にそうなった。
まぁそうなんだろうけど、豊臣家の名においての征伐軍なんだから、
そこは、あえて五奉行の1人か、片桐且元、あるいはもっと知名度が低い豊臣側近あた
りが秀頼名代として、総大将になっていたら良かったのでは・・・
総大将は名目上の肩書で、征伐軍の本陣で事務的な事をすれば良いので、
最も強い大名がする必要はない。豊臣の軍であるということが大事。
そうすれば小山評定で家康が出しゃばることはできなくなり、
従軍していた諸大名は、秀頼名代の総大将をないがしろにはできず、
意見が分かれたはず。
家康が総大将ではないので、その時点で西軍が挙兵したかどうかはわからないが・・・

家康が「わしが総大将を引き受ける」と言い出した時点で、誰も異論を出せなかった
のなら、その時点で徳川の天下が決まったことになる。
そうなら、西軍の勝機は最初から無かったと言える。
0078人間七七四年2018/05/13(日) 22:07:15.81ID:tTerzp82
大老を成敗するのだから、筆頭大老が出ばったのだろ
上杉に大坂へ来いと言ったのも大老家康、断られたのも大老家康
0079人間七七四年2018/05/13(日) 22:26:04.01ID:0lUhrgqk
>>77
五奉行の雑魚に数十万の征伐軍指揮なんて出来る訳無い
事務的・・なんてそもそも甘過ぎる
0080人間七七四年2018/05/13(日) 23:12:41.70ID:LQWZUS+5
奉行が名目上の総大将とか馬鹿にも程があるだろ
出しゃばりな三成でさえ名目上の総大将は自分たち奉行でなく毛利や宇喜多にしているのに

たまに奉行が豊臣そのものであるかのように勘違いしている奴がいるけど
奉行は豊臣が雇っているただの官僚でしかない
0081人間七七四年2018/05/14(月) 00:31:27.80ID:GaVzhXc5
横ではあるが
議論が白熱するのは良いんだけどさ
マウント獲ろうとする奴等がウザすぎるは
「〜過ぎる」 「馬鹿にも程がある」
↑こういう事を書く奴等って頭が悪う上に純粋に害でしかない。
死ねよバーカ
0082人間七七四年2018/05/14(月) 00:34:17.84ID:kujkLq7H
>>81
5chでそのぐらいでイライラしてどうすんだ
あと横とかそういうの要らないぞ
0083人間七七四年2018/05/14(月) 00:39:02.33ID:GaVzhXc5
しかし秀頼の名代とか戦目付は居てもよかったし居るべきだったな
家康の私軍にしてくださいと言わんばかりじゃない。
というか多分だけど名代も戦目付も居て、それが後世に伝わってないだけかも
本当に家康にのもい全軍を預けたならアホすぎる
0084人間七七四年2018/05/14(月) 00:43:49.54ID:ZaUH6Nja
三成も秀吉からの加増を断っていなければ、石高も倍になり関ヶ原での動員兵力ま倍だったのにな
0085人間七七四年2018/05/14(月) 00:54:30.31ID:GaVzhXc5
丹羽から近江の100万石を奪って秀次に与えたり
秀次から奪って三成やら田中やらいろんな武将に分け与えたりが実に愚策だった
最初から丹波長重に受け継がせたり秀次を殺さなかったりしただけで
関ヶ原は起きてないし起こっても西軍が勝ってた
最低でも要地だから直轄地であるべきだったし。
0086人間七七四年2018/05/14(月) 01:27:41.00ID:GaVzhXc5
伏見城も本当は木下勝俊が主将じゃなかったっけ?
副将の鳥居元忠のクーデターにより追い出されたけど
0087人間七七四年2018/05/14(月) 01:56:20.68ID:FD8SW5SR
>>83
だって豊臣はずっと断り続けたんだぞ?家康も豊臣の旗くれとか色々言ってたし。
朝廷にも上杉を賊軍として自分達を官軍にしてくれって何度も頼んだが黙殺された。
0088人間七七四年2018/05/14(月) 02:01:12.61ID:GaVzhXc5
仮に名代が居るとしたら一番適してるのは豊臣秀秋(小早川秀秋)か豊臣秀家(宇喜多秀家)あたりなんだよな
0089人間七七四年2018/05/14(月) 02:14:20.63ID:jdrCgBPf
6月6日。大坂城西の丸にて、会津征伐における評定が開かれる。
6月8日。後陽成天皇より、晒布100反が家康に下賜される。
6月15日。天野康景と佐野綱正が家康出陣中の大坂城西の丸留守居に任じられる。同日、秀頼より黄金2万両と米2万石が、家康に下賜される。

とwikipediaに載ってるけど間違いなの?
正式決定からたった二日後に天皇にGoサインもらってるように見受けられるけど
0090人間七七四年2018/05/14(月) 02:40:28.57ID:kujkLq7H
そもそもこの時期の豊臣に誰が決定権があったのかも謎だし
目付けが居たところでって感じではある
0091人間七七四年2018/05/14(月) 06:32:48.69ID:DPQgueSw
上杉は三成方と繋がってたから徳川に歯向かったんだと思う 決定的な証拠はないけど無言の連携プレーか
0092人間七七四年2018/05/14(月) 07:14:31.40ID:GaVzhXc5
>>91
阿吽の呼吸像だったかもな
0093人間七七四年2018/05/14(月) 07:27:15.99ID:g+ZRxO3t
>>89
正式決定の前に直江状とか上杉家臣の出奔とかイベントがいくつも起きてるから正式決定までに根回しをしていてなんら不思議ではない。
というか朝廷からのGOサインをとれることが確定してから「正式決定」したのかもしれない。
0094人間七七四年2018/05/14(月) 07:52:06.08ID:1YXct4n5
>>91
小牧長久手の戦いより更に巨大になった徳川に勝てる訳などないのに
0095人間七七四年2018/05/14(月) 09:45:27.03ID:DPQgueSw
>>92今なら電話一本で終る話なんだけど切れ者の大名たちが考え抜いて策謀したりするのはやはりロマンを感じざるを得ない
0096人間七七四年2018/05/14(月) 09:52:34.37ID:ZaUH6Nja
伝令とか相手に確実に届く保障なんて無いから、気が気でなかったろうね。
伝令役が裏切って敵側に届ける場合もあるし
0097人間七七四年2018/05/14(月) 10:02:59.08ID:BpL2R05c
上杉お得意の開き直りで連携なんて考えてなかったと思うけどなあ
0098人間七七四年2018/05/14(月) 10:29:02.93ID:iDk4OmKc
まあ名代は秀家
0099人間七七四年2018/05/14(月) 13:15:09.10ID:BASPUpja
>>89
違うんだ。錦旗をくれって頼んでたんだよ。
それが官軍の証明なのよ。、晒布100反が家康に下賜されるってのは
単なる引き出物で、朝廷がGOサインって意味じゃない。
0100人間七七四年2018/05/14(月) 22:16:31.24ID:TE1Ku4zy
>>76
複数の一次史料に書いてあるのに「そんなの嘘だ!剃髪は私婚事件の結果だ!」とか言っちゃう人って……
0101人間七七四年2018/05/14(月) 22:30:21.68ID:jdrCgBPf
>>99
家康が頼み、朝廷が断ったってのはどの史料から確認できるの?
0102人間七七四年2018/05/14(月) 23:05:16.00ID:g+ZRxO3t
>>90
会津征伐直前の豊臣政権の意思決定権者は徳川家康だけだった。
他の大老が帰国して権力基盤の脆弱な奉行と家康しかいない体制になったから当然ではあるが。
律令制以前の古代国家でももう少ししっかりしていたものがあったんだけど。

目付になりえる秀家は宇喜田騒動で権威が落ちていたし、家康にメンツをつぶされたばっかだから無駄に騒動を起こすこと間違いなし。
秀秋にいたっては会津征伐軍の武将の一人として参戦するつもりだったらしいから、本人の意識が低すぎる。
あと、1年か2年で死んだことを考えれば、マジで病気に苦しんでいた可能性もあるから健康的な不安もある。というかすでに毛利一族になってるから格の問題があって、家康を掣肘できるか非常に疑問
目付や名代が誰に報告するかというと輝元、秀家、利長しかおらず、政争でぐっだぐだになりそうでしかない。

西軍の蜂起がない前提で考えれば家康総大将で変な目付無しの方がまだましに思える。
0103人間七七四年2018/05/14(月) 23:56:40.20ID:JZOVSnfU
ブチクシ軍団のアジトの作り方は参考にすべき
0104人間七七四年2018/05/15(火) 00:55:03.95ID:xfJ9p6Vv
>>100
「天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった」読んでないの?
恥ずかしいよ
0105人間七七四年2018/05/15(火) 01:00:03.04ID:+pG+E7Xq
>>91
普通に考えれば、此れ程の挙兵の機会無いもんな。
上杉も、徳川も、奉行衆の挙兵は計算済みでしょ、問題はどの程度の挙兵を想定
してたのか?なので。
そんで、家康は大阪城に陣取り秀頼担ぐ想定してないと思うなあ?
曹魏の末期の司馬氏に対する挙兵みたいなの想定してたんでは?
皇帝の為の挙兵のはずなのに、肝心の皇帝は事実上の司馬氏の捕虜みたいな。

此れで例えれば、反司馬氏諸侯軍が洛陽落として魏皇帝を担いでるみたいなもんだから
家康の読み筋じゃ無いと思う。
0106人間七七四年2018/05/15(火) 01:13:27.73ID:EW5ynkEk
>>104
あの本何かしらの史料引いて奉行の剃髪は私婚事件の謝罪って言ってたっけ?
0107人間七七四年2018/05/15(火) 01:27:43.52ID:psw7EmvK
>>106
その本いま読んでるけど57頁に書いてあるね
0108人間七七四年2018/05/15(火) 01:29:48.58ID:psw7EmvK
どっちにしろそれから収まってる
0109人間七七四年2018/05/15(火) 08:29:18.67ID:ZP6F7o7k
>>104
その本さ、いたるところで「従来説は後世の創作」とかいって断言してるけど、
従来説が参考にしたであろう史料が戦災、その他理由等により消失、紛失し
現存していない可能性をまったく考慮もせず
断言してるのでそこが気に入らない。
現存してる一次史料がすべて、ってスタンスで書かれてる。
インパクトのある文言を用いて本が売れればそれでいいのか、ってかんじ。
せめて「○○の根拠により従来説ではなくこの説が真実の可能性が高い」くらいの書き方なら
まだわかるが。

そして本のタイトルも、「従来説の」関ヶ原合戦はなかった、と補足が必要。
インパクトで釣ってる。わたしも釣られたが。白峰氏のほうがまだ精査による説得力はある。
あとがきだかに書いてあったが、3ヶ月程度で書き終えたものでしょ?
もっと史料を精査しろってかんじ。

よく言われる、「お前の余計な解釈はいらない、史料の発掘と現代語訳だけしてればいい」に
わたしも同意する。

ただ、面白い説(白峰氏の主張に近い)もあったので、ひまなひとは面白半分で読んでみるのもいいかも。
0110人間七七四年2018/05/15(火) 08:37:30.45ID:ZP6F7o7k
あえて追記だが、目次に「岐阜城はなぜ陥落したのか」という項があったので、
wktkして真っ先にその項を読んだのだが、そこに書かれていたのは非常にがっかりする
一文のみだった。
「防御のための十分な人数が集まっていなかった」

一項使うほどの内容か?
曲輪配置がどうとか兵力配置がどうとかすごい精査、検討してるものを期待したのだが、
このスレ以下の一文のみだった。
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