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武田勝頼についてPart3

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0001武田勝頼2018/04/07(土) 11:01:18.08ID:PtHf3bUg
前スレ
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1521166264/


武田信玄の4男にして後継者の武田勝頼。
彼は有能か、無能か?
意見をお願いします。
0002人間七七四年2018/04/07(土) 16:44:24.65ID:IhRRrPWq
織田がこれだけ急速に巨大化するというのは
信玄も想定してなかったのは明白だよな
結果論だけど義信の主張通り今川を助けて三国同盟堅持したまま
織田・徳川と交戦した方が武田としては良かったんじゃね?
これなら信玄と義信の決裂も起きないし1560年に第4次川中島が史実通り起きたとすれば
織田が美濃攻略できない時期に今川に合力して三河に攻め込むので
徳川への援軍で美濃も伊勢も攻略する余裕もなくなる
結果として信長の史実のような勢力拡大は難しい
武田信玄が今川義元みたいに織田軍に撃破されるとも考えにくい

歴史は大きく変わるだろうけどさ
0003人間七七四年2018/04/07(土) 17:24:43.54ID:PtHf3bUg
>>2
信玄の痛恨のミスだろうね
もしこれが原因で息子が死ぬと分かってたら絶対に今川攻めはしなかっただろうし
0004人間七七四年2018/04/07(土) 18:14:44.01ID:QNKRoD/6
西に向われてはなりませぬ…
0005人間七七四年2018/04/07(土) 20:43:09.36ID:9L+Cx/RZ
>>2
三国同盟堅持したまま甲相越の三国同盟もやったら良かった
北条は関東で佐竹駆逐、基盤強化、武田は美濃から今川は尾張から上杉は越前から
それぞれ攻めたら良かった
0006人間七七四年2018/04/07(土) 20:59:13.42ID:PtHf3bUg
>>5
信玄が自分と謙信の寿命を知ってたら
間違いなくそうしただろうね。
戦国数本の指に入るタラレバだけど
0007人間七七四年2018/04/07(土) 21:07:33.40ID:PtHf3bUg
タイの国王がインドシナの永世中立国を宣言し
英国と仏国の緩衝地帯になる事によって生き残った事例があったけど
それができてたらな。
もちろん一定の軍事力が無いと緩衝地帯にすらなれないから
仮想敵国の織田・徳川との国境は完全鎖国にし、蟻一匹通れない関門を数カ所に築き
国民総兵性にして他国へは攻め込まないが他国の軍隊の侵入を完全に防ぐとか。
0008人間七七四年2018/04/07(土) 22:54:07.87ID:elbf5UqT
>>2
人のレス勝手にコピペするんじゃねぇ
0009朝田祐輔2018/04/07(土) 23:15:14.61ID:a9s4XWmK
織田信長は武田勝頼の事を武力に優れた武将と徳川家康に
手紙で送っているんだよね
武田勝頼は信玄がちんでからもはるかに自国より大きな美濃に攻め入り
明知城を攻略をしている。長篠の戦いでも織田の調略を受けていて
半分織田に内通をしていた穴山梅雪の意見を聞かなかったら武田軍が
勝ちはしなかったけども引き分けぐらいにはできたのですね
それに1975年の長篠の戦い以降も自軍より多い織田軍、徳川軍を
相手に武田軍は意外と強かったでした。
ようするに1対2の戦いなら負けるけども1対1の戦いなら騎馬隊の
武田軍は強かったと言えます。
0010人間七七四年2018/04/07(土) 23:17:27.96ID:HC8wZ8BO
今川は三国同盟纏めた太原雪斎が死んだのが致命的だったな
軍事は三河方面侵攻の総大将だったし
0011人間七七四年2018/04/07(土) 23:25:55.47ID:FA88F3bQ
>>9
信玄がちんで・・・
1975年の長篠
強かったでした

なんだこりゃ
0012人間七七四年2018/04/08(日) 00:40:02.42ID:qZSlxvxY
ねえの予感
0013人間七七四年2018/04/08(日) 01:06:32.34ID:RXtI6pWy
エメメうめうめ
0014人間七七四年2018/04/08(日) 01:54:51.04ID:ZXRwJCja
ねえは禁止、を付けておこう。
あいつ武田スレなら現れるかもしれんぞ伝染病みたいに。

このスレでのねえの活動は禁止。
0015人間七七四年2018/04/08(日) 03:56:01.12ID:8ubguaVn
突っ込んだ方がいいの?

自国より大きな美濃
信濃と美濃だったら信濃の方が大きいくらい
明知城攻略はいわゆる奇襲戦

長篠の戦いで主戦論展開したのは勝頼側近の跡部で穴山は敵前逃亡しただけ
そもそも倍以上の相手に引き分けなど無料で最善は馬場山県が言うように撤退することだった

それ以後は東美濃は織田に取られるし徳川単独にも負けるようになって木曽の裏切りで一気に崩壊
意外と強かった戦はほぼ皆無
0016人間七七四年2018/04/08(日) 07:15:16.54ID:7WNE0fug
武田家の財政基盤がやはりおかしかったかと思う。
甲斐二大金山と言われた黒川金山は小山田家領、湯之奥金山は穴山領にあり
後者は直轄地でなく穴山の持ち物だったっぽい。何がなんでもこの二家は本領から切り離すべきだったと思う。
0017人間七七四年2018/04/08(日) 08:05:00.34ID:3KXq7SkO
武田・北条・今川の三国同盟だが、信玄の駿河攻略は桶狭間の8年後だろう。
桶狭間後も武田・北条は歩調を合わせて上杉に対抗している。
駿河侵攻の2年前に義信謀叛と北条・上杉和解、前年に今川の武田への敵対行動・塩止め。
この時点で三国同盟は武田、北条にとって無意味となっていた。
少し長いけど年表。未来からのお告げでも無い限り、信玄の判断は妥当だと思うね。

1560年 桶狭間の戦い(武田、今川に見切り?)
1561年 徳川 西三河平定、
3月 上杉 関東出陣・小田原城包囲、北条は武田に援軍要請
9月 武田,第四次川中島
1562年 織田・徳川同盟、
武田・北条呼応して上野国を攻める、北条、古河城攻略
1563年 織田・小牧山城築城、徳川 三河一向一揆

1564年 織田・信長が犬山城奪取し尾張完全統一、徳川 一向一揆鎮圧、今川の吉田城攻略、
武田・第五次川中島、北条・第二次国府台合戦
1565年 徳川・今川の田原城攻略
武田家中で義信謀叛、義信を東光寺に幽閉、勝頼(20)と信長養女婚礼
1566年 徳川・この年から松平から改姓・新田系清和源氏を名乗る
織田・木下藤吉が墨俣一夜城を築く
北条・上杉の和解!!
1567年 8月 今川・甲斐への塩禁輸、北条・上総で里見に敗退
9月 織田・稲葉山城攻略、美濃統一
10月 武田・義信自害
12月 上杉領から甲斐に塩の商い有り、織田信忠と武田の松姫婚約、
徳川信康と織田の徳姫婚礼
1568年 織田信長・足利義昭を奉じて上洛、義昭15代将軍に宣下
12月 武田・徳川の遠江・駿河分割の盟約、年内に信玄・家康がそれぞれ今川領へ侵攻、三国同盟完全破綻
0018人間七七四年2018/04/08(日) 10:38:16.34ID:qZSlxvxY
だからなに?
0019人間七七四年2018/04/08(日) 11:08:14.62ID:ZXRwJCja
>>17
今川が潮止めしたから武田への敵対行動とか(笑)。

前年に勝頼の嫁に信長の養女を迎えたからだろそれは。既にこの時点で武田から今川に対する敵対とみなされても仕方ないわ。
0020人間七七四年2018/04/08(日) 11:30:40.18ID:kTJSjRRG
今川家の仇である織田信長と、今川に無承諾で縁を結ぶのは、今川家に鏑矢を放つも同然のこと
0021人間七七四年2018/04/08(日) 11:42:33.02ID:7WNE0fug
いや、そんな事より今川家の嫁をまず追放した後に
婿殿を幽閉して殺してんじゃん
普通にこれが宣戦布告だろ
四郎勝頼関係ないって。
0022人間七七四年2018/04/08(日) 11:43:45.39ID:cMbxtS+i
越相一和は1569年1月13日 ここまでは敵対
小牧山とか墨俣とかは武田にとってどうでもいい年表
武田今川両家の要請で北条を中人に立てて行われた嶺松院返還がないのは問題だろう

桶狭間後に親今川であり担当でもある穴山信友が同盟堅持の使者として今川に赴いている
この時点は見切る気はない
0023人間七七四年2018/04/08(日) 11:47:46.68ID:7WNE0fug
武田義信が父親に幽閉された理由は今川家から来た愛妻との離縁を信玄に付きつけられ
それを撥ねつけた事がそもそもの発端だろ
0024人間七七四年2018/04/08(日) 11:56:39.32ID:7WNE0fug
信玄としては義信に離縁させて信長か氏政の娘と再婚させればベストと考えてたんだろうな。
ほぼ同じことをアウグストゥスが後の皇帝になるティベリウスに強要し
ウィプサニアと離縁させてユリアと再婚させた。これが原因で初代皇帝と二代目皇帝の仲が完全に決裂した。
0025人間七七四年2018/04/08(日) 17:13:36.75ID:dY2g3iW0
たとえる君は毎日元気だな
0026人間七七四年2018/04/08(日) 22:29:10.02ID:Fp1+HLXb
甲相越でイタチごっこしてお互いに疲弊しあってたから
信長もこっちは後回しでいいなと思ってたんだろうな
0027人間七七四年2018/04/09(月) 03:26:45.24ID:qfa1pdsD
後回しも何も東に積極的に出ていく意味がないでしょ
徳川がピンチなら話は別だけど徳川だけで何とかなるなら徳川に任せるでしょ
徳川が圧勝して快進撃始めたりしたらまた話は別だけど
0028人間七七四年2018/04/11(水) 01:26:45.88ID:bB+eo8c1
ねぇ
0029人間七七四年2018/04/11(水) 01:33:33.98ID:/rnGIh8g
謙信が足利義昭の甲相越同盟構想を受け入れてれば良かった話だけどな
0030人間七七四年2018/04/11(水) 01:44:46.74ID:qajHMmoG
謙信は一度は甲相越同盟構想を受け入れてるけどね。
氏政とすぐに決裂した。
佐竹、里見だけでなく関東の上杉派豪族たちから北条家とは同盟を組まないでと
常に懇願され続けてて、それで北条とは同盟を組めなかった。
でも我慢して同盟を組む事にしたが感情的な理由ですぐに決裂した。
そもそも謙信は性格的に氏政の事を嫌いだったでしょ。
0031人間七七四年2018/04/11(水) 01:55:48.32ID:OU3yyi77
佐竹、里見を見捨てて自分の利益のために北条と組んだのにそれを擁護はないわ
0032人間七七四年2018/04/11(水) 04:15:58.59ID:IkmaNctl
世に、まことほど、矛盾を放置した男はいない
0033人間七七四年2018/04/11(水) 17:18:29.31ID:UQxFa4K/
クソスレ
0034人間七七四年2018/04/11(水) 17:23:13.87ID:s8uj5lG1
武田敗頼
0035人間七七四年2018/04/12(木) 09:23:13.67ID:5eVmFb2b
武田ガッツより
0036人間七七四年2018/04/12(木) 10:54:58.29ID:YX1xNPYS
ガッツ石松
0037人間七七四年2018/04/12(木) 11:00:59.18ID:Tu6TeDHu
勝頼は自信過剰すぎる。
もし勝頼が人と優しく接することができる柔らかな人物だったなら、武田はまとまったのかな。
0038人間七七四年2018/04/12(木) 11:19:45.99ID:ELRo8k+I
武田勝頼
・兄弟で1人だけ諏訪育ち
・一門衆で唯一気遣ってくれたのが武田義信(手紙の宛名が唯一「武田四郎殿」 他は全員「諏訪四郎殿」)
・甲斐守護職、大膳大夫を持たずに家督相続(いわゆる無官だった)
・風林火山、勝軍地蔵の旗、諏訪大社の旗、八幡大菩薩の旗、御旗、武田菱の使用を禁止される(高白斎記で「梶の葉にてお見送り」の記述)
・三方ヶ原の戦い直後まで信濃先方衆
・一門衆と御親族衆は率先して言うことを聞かない
・一門衆と御親族衆は勝頼の政策を無視する
・信の文字が無い
・諏訪氏から「武田の子」呼ばわり 武田氏から「諏訪の子」呼ばわり


>一門衆で唯一気遣ってくれたのが武田義信(手紙の宛名が唯一「武田四郎殿」 他は全員「諏訪四郎殿」)


義信は気遣い出来る優しい人だったと泣けてくるね
0039人間七七四年2018/04/12(木) 11:47:50.07ID:U9vYnE/A
ドラマや小説なんかだと、義信って勝頼に対抗意識をもってたり、信玄に愛好される
勝頼に嫉妬や意地悪く接したりと嫌な役回りにされる事あるよね
武田家中でだって勝頼の近臣を除けば勝頼に傾く臣なんてほぼいなかったろうし

義信が生きてた頃って、勝頼とは正嫡と妾腹の子という立場も身分にも明確に
差があるんで、まず考えられないんよな
0040人間七七四年2018/04/12(木) 11:55:15.05ID:Tu6TeDHu
>>39
大河ドラマの義信がまさにそれだった。
好演なんだけど、あれはない。
おまけに諏訪夫人は愛されて、三条夫人は嫌われ悪女にされてるし。
0041人間七七四年2018/04/12(木) 12:15:41.42ID:fucnJYoA
>>40
どの大河ドラマかな?
10年くらい前、Gacktが上杉謙信を演じた風林火山は原作レイプ作品なんでほとんど見てない(泣)
0042人間七七四年2018/04/12(木) 13:04:28.54ID:Tu6TeDHu
>>41
NHKの中井貴一が武田信玄役していた大河ドラマ。義信が川中島で大失態して、それを信玄に口答えしていたり、三条夫人が(侍女の小川真由美もあるが)悪女していたりかなり悪く演出させられていた。
0043人間七七四年2018/04/12(木) 13:25:39.39ID:zRKwJWjw
小山田ぁぁ!お前だけは絶対に許さんぞ!!
0044人間七七四年2018/04/12(木) 13:43:59.65ID:c3R+3qlm
>>43
ちなみにNHK大河ドラマ 武田信玄には穴山、小山田、跡部、長坂などの評判の悪い家臣は誰も登場していない。
0045人間七七四年2018/04/12(木) 14:08:10.86ID:ELRo8k+I
>>44
http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2016/01/11/03.jpg
0046人間七七四年2018/04/12(木) 14:38:19.64ID:YX1xNPYS
やはり信濃産まれの四男に嗣がせる時点で求心力低下は避けられないだろうな
0047人間七七四年2018/04/12(木) 17:10:18.24ID:fucnJYoA
>>42
遅ればせながら感謝
JCOMで再放送があったの思い出したわ
TSUTAYAでタイトル確認しよう
それにしても義信の扱いが悪いのは、信玄が主人公だからだろうな
0048人間七七四年2018/04/12(木) 18:31:52.77ID:yZzTruaH
>>38
これ良い逸話だね、自分も知らなかった。
義信にこんな優しい一面があったなんて
自分も勝頼をいじめる兄みたいなイメージもってた
0049人間七七四年2018/04/12(木) 20:02:45.79ID:A/dHWPmm
>>46
まあ、次男は失明、三男は夭逝だからねぇ 長男に家督継がせればなんとかなったのかも
0050人間七七四年2018/04/12(木) 20:22:19.27ID:5eVmFb2b
でも失明した二男の家系が武田家として残ってるよね。
武田信玄の子孫とかいう人が居るけどそうだったと思う。
0051人間七七四年2018/04/12(木) 20:31:09.28ID:MBGv0VsC
どうもよくわからんのだが、失明に限らず病弱だったり障害もちだと家督は継げないのかね?
家にもよるんだろうがこのへんの基準がいまいち判然としない。
0052人間七七四年2018/04/12(木) 20:34:30.49ID:YX1xNPYS
高家武田家も米沢武田家も惜しむらくは他家から養子が入り、信玄の血筋が絶えたことだ
どうやって織田の残党狩りをかいくぐったか、八男信清は春日山まで逃げ延びたから、やっぱ勝頼も北へ逃げたほうが良かったのかな
0053人間七七四年2018/04/12(木) 20:47:01.66ID:5eVmFb2b
信長も知障だと思われて危うく家督を弟に奪われそうになってたしね
謙信や利家は正当な後継者である兄貴から家督奪ったよね
0054人間七七四年2018/04/12(木) 20:52:45.04ID:+jRlViEs
>>51
小早川繁平は眼病だが継いでいる。
病弱でいうなら武田信玄も頑健ではないし、足利義量、徳川家重、家光と継いだ例はたくさんある。

まあ、頑健な弟がいるからあえて次男は選ばなかったのかな?
0055人間七七四年2018/04/12(木) 21:05:09.81ID:MBGv0VsC
>>54
信虎が信玄より弟を可愛がったってのはよく聞くけど、
信玄が体強くなかったからかもしれんな。
0056人間七七四年2018/04/12(木) 21:25:17.94ID:+jRlViEs
>>55
信玄は少なくとも死病は駿河侵攻の前後から発症している。つまり5年前からだから、頑健とは考えにくい。
0057人間七七四年2018/04/12(木) 23:48:54.70ID:5eVmFb2b
戦国時代の家督などは正妻と妾腹には差があるけど
基本的には親と家臣の人気投票でしょ。
0058人間七七四年2018/04/13(金) 01:17:32.10ID:GSmXiWeF
当主が次を継ぐ人を指名しないと揉めるからな
家臣の人気投票だと上杉の二の舞
0059人間七七四年2018/04/13(金) 01:51:08.33ID:CdasKYlN
普通正妻の長男、であと順番だろ?
それができないなら妾腹で
家臣がどうとかじゃねーよ
養子なら難しいが家督なんて順番があるだろ
0060人間七七四年2018/04/13(金) 02:22:43.71ID:DFMD9dxr
>>38
これ本当なら勝頼は義信の武田軍団の中で勇猛果敢な武将として大活躍できたんだろうな
義信が勝頼を疎んじてたってのは新田次郎の書いた武田信玄のイメージそのものなんだよな
信玄が川中島で謙信を追い払ったある意味全盛期でも義信の謀反にそれなりの武将が多数連座してるところを見ても
義信は武田家中で信望があったっぽいし
武田家の末路を知ってる我々からするとこの時点で駿河侵攻して三国同盟崩壊して
織田の大躍進のタイミングで無駄な北条との抗争抱え込んで出遅れるよりは
今川に合力して遠江・三河・美濃で織田・徳川を牽制すべきだったのは明白だしな
あくまで武田家の延命と言う意味ではね
0061人間七七四年2018/04/13(金) 02:24:06.16ID:0h+uhZ3z
>>59
江戸時代ならな
太平の世の後継者と乱世の後継者は分けといた方がいいだろ
0062人間七七四年2018/04/13(金) 02:39:45.38ID:DFMD9dxr
仁科盛信も勇猛果敢な武将のイメージあるから
義信は自分の弟だけで2人も一軍任せられる武将がいる上に
信玄時代からの猛将もいるので案外信玄死んでも困らないかもな
織田が足利義昭奉じて京に上ることも出来なくなるし
三好家は史実通り弱体化するだろうしで歴史がどうなるかわからんな
0063人間七七四年2018/04/13(金) 02:48:28.07ID:DFMD9dxr
本当かどうか知らんが20年くらい前の歴史群像に第四次川中島の新説が載ってて
義信が謙信の罠にかかって突出したせいで武田の陣形が崩れて信繁や諸角が討たれたのではなく
義信がむしろ戦線崩壊を防いだみたいな話だった

これが事実なら信玄の求心力低下と義信への求心力向上で信玄が焦った結果
駿河侵攻で衝突して信玄が義信を粛正したという可能性もあるよな
0064人間七七四年2018/04/13(金) 03:16:28.84ID:0h+uhZ3z
次スレは武田義信についてでいいな
0065人間七七四年2018/04/13(金) 10:30:07.51ID:0h+uhZ3z
一応、聞いておくが
次スレは 「武田勝頼、武田義信、仁科盛信etcについてパート4」でいいよな?
0066人間七七四年2018/04/13(金) 10:38:38.19ID:QCrkmWz+
僧侶になった龍宝や上杉氏食客になった信清も
0067人間七七四年2018/04/13(金) 11:11:29.31ID:7vQF7cMc
>>39
信玄を絶対とする甲陽軍鑑の影響はあるだろうね

義信のことは
小賢しく驕り高ぶりやすい人物。国を亡ぼす4大将の1つに分類できる
(義信事件は)彼自身の傲慢によるもので自己認識とは裏腹にがさつな計画によって身を滅ぼした

因みに勝頼は軍鑑では
国を亡ぼす4大将の1つに分類できる
心は猛々しく、気がはやって、大略弁舌も明らかに物を言う
知恵は人より優れ、何事についても弱気になることを嫌う
しかも常に短期になることもなく、少しも心が狭いこともない
一見するといかにも物静かで奥深く見える
けれども、自負心が強く家老が諫めても弱気なことを言上していると考えるので
家老は10のうち5つを言上するのがやっとであり、その3つも理屈に合わないとと考え取り上げない
談合することは名対象である父親への礼儀として不本意ながら行っているに過ぎない

軍鑑とは別に信長の勝頼評も書いておく
四郎は若輩ではあるが信玄の掟をよく守りかつ表裏も心得た油断のならない敵である。
(謙信が)五畿内への防備を疎かにしてでも彼に対処しなければ精鋭を防ぐことができない
という言い分はもっとものことである(天正2年6月29日謙信宛て信長書状)
(勝頼の首を前にした信長)日本に隠れ無き弓取りであるが不運により、こうなってしまった(三河物語)
0068人間七七四年2018/04/13(金) 11:17:00.35ID:GSmXiWeF
義信が継いでいたら勝頼は武田信繁ポジションで
義信の忠実な一門衆として活躍し
ここまで酷評されなかっただろうな
当主としての才がなかっただけで将としての武勇は優れてるし
0069人間七七四年2018/04/13(金) 11:26:11.74ID:nkkc62xs
>>68
武田が滅亡してもそれこそ史実の仁科盛信ポジションで
意地を見せた武田武士みたいな評価だろうな
0070人間七七四年2018/04/13(金) 11:33:09.72ID:nkkc62xs
結果論としては上杉との大規模な軍事衝突は第4次川中島で事実上終わるわけで
その後は今川を助けて西に向かい織田・徳川と戦うのが正解だわな
史実を知っていればね・・・・
0071人間七七四年2018/04/13(金) 11:36:00.58ID:I+NNTJFk
>>70
少なくとも知らなくても同盟破棄はないよ。
0072人間七七四年2018/04/13(金) 11:39:59.19ID:nkkc62xs
まぁ織田と同盟組んだ時点で明らかに三国同盟への裏切りだからなぁ
そこから足踏みした数年で織田は巨大化するし
0073人間七七四年2018/04/13(金) 13:08:41.65ID:kuUxMhze
義信相続の場合は信虎が帰国できるかな
信友信顕ら信玄の弟達の動きも変わりそう
0074人間七七四年2018/04/13(金) 15:00:41.08ID:Trm7LyuX
>>63
孫引きだし史料の信憑性の問題は大いにあるにしても、「川中島五戦記」と「上杉軍記」
「武田三代軍記」に義信の奮戦した模様が記されているみたいだね

前線で一息いれていた謙信の本陣に義信と手勢が突撃して、謙信自身も得物をとって
戦うほどに陣が狼狽させられたとか
後々まで謙信がこれを無念に思い続けてたとも

まあ川中島の合戦って実相が定かじゃない部分もあって判断に難しいとこでもあるけど
0075人間七七四年2018/04/13(金) 18:23:24.33ID:pHcm3Fh3
>>65
いいな、それ
毛利三兄弟ならぬ武田三兄弟
義信早逝の後、今川の血を継ぐ武田の幼君を盛り立てるヒストリー
0076人間七七四年2018/04/13(金) 20:00:07.02ID:LVEhbgBq
そもそも信玄が三方ヶ原で家康を生かしておいたのは、信長との直接対決を
避けるためだ。
単に武田と徳川だけの対決なら勝頼が家康を滅ぼしてもおかしくないが、
信玄亡き後の武田は、徳川がいたからこそ持ったといえる。
徳川がいなければ武田は織田との直接対決となり、すぐに滅ぼされた可能性が高い。
0077人間七七四年2018/04/13(金) 22:12:45.24ID:5j+lrXns
新田次郎氏も罪深いな
冷静に考えれば義信は家中からも人望があって愛妻家で義を重んじる優れた武将
であったことは間違いないのに
信玄を主人公で描く場合はどうしても義信を悪者にしないと小説が面白くなくなるってだけで
義信像を描いたんだろう
0078人間七七四年2018/04/13(金) 22:23:43.69ID:5j+lrXns
だいたい信玄が勝頼を寵愛したってことも、よくわからんわ
ホントに勝頼担ぎたかったら、自分引退してさっさと家督を勝頼に継がせりゃ良かったんだよ

結局信玄は唯一絶対の御山の大将でないと気にくわないという
超傲慢な欲の塊みたいな気持ち悪い武将だったんだろうな
0079人間七七四年2018/04/13(金) 22:34:10.55ID:CrH6LEK2
義信を自刃させた信玄を正当化するためには
義信を貶めるしかないもんなぁ
0080人間七七四年2018/04/13(金) 23:06:40.60ID:GSmXiWeF
信玄は実の親の信虎を追い出してるから
自分もいつか追い出されると猜疑心に囚われたんだろうね
自分が死ぬまで家督も官位も勝頼にやらなかったわけだし
0081人間七七四年2018/04/14(土) 02:54:08.22ID:PkdfCaWr
信玄がもっと早く病床についてたら義信、勝頼、盛信三兄弟を病床に呼び出して
「この3本の矢を見よ」と訓示を出してたのかもな。
そうなると武田家は簡単には滅びなかったろう。
0082人間七七四年2018/04/14(土) 03:25:23.27ID:HKEQbVzO
>>81
信玄にそんな度量あるわけないよ。
信玄は勝頼に内政面での文書をほとんど発給させず、権力を移譲しなかったし。
0083人間七七四年2018/04/14(土) 03:34:10.82ID:yHXUXAlj
勝頼を寵愛してたら強引にでも諏訪宗家を継がせてるわ
高遠諏訪なんて継がせて何する気だよ
0084人間七七四年2018/04/14(土) 03:38:44.30ID:PkdfCaWr
でも信玄も自分の死後、まさか穴山や小山田が武田家を裏切るとは夢にも思わなかったろうな
色々と見通しが甘いよな
0085人間七七四年2018/04/14(土) 08:46:03.20ID:ZFvnpDPn
武田軍団って砂上の楼閣だったんだろうな
義信が自分の立場を脅かすほどの影響力持ち始めてることに気づいて
自分が信虎にやったことを義信がするんじゃないかと怯えだしたんだろう
義信が最終的に謀反をたくらんだのは事実かもしれんが
せざるを得ない状況に追い込んだのが信玄ってことだろうな
0086人間七七四年2018/04/14(土) 10:02:25.07ID:PkdfCaWr
信長も砂上の楼閣、三好も砂上の楼閣だったし
戦国時代はそういう家が多かったんだろうね
無理しないと決して領土は伸びて行かないし足元固める暇がない。
0087人間七七四年2018/04/14(土) 10:12:13.03ID:m8OaDN4w
その点、棟梁が誰であっても御家の地位が変わらない仕組みを作った徳川家康は、やはり偉大だよ
0088人間七七四年2018/04/14(土) 10:13:20.39ID:PkdfCaWr
北条もな
0089人間七七四年2018/04/14(土) 11:38:41.37ID:HKl3ooaX
家康も地震がなければ秀吉に踏みつぶされてただろうけどね
0090人間七七四年2018/04/14(土) 13:01:10.70ID:Qu64xGxu
そもそも徳川が作ったシステムは北条氏のシステムをかなり参照しているので…
0091人間七七四年2018/04/14(土) 14:53:20.47ID:eoCpjmm4
勝頼が官位貰ってないのは上杉&織田と対立してたのが響いた?
0092人間七七四年2018/04/14(土) 16:12:16.13ID:5pHF1NXd
最後は朝敵になってるからなw
0093人間七七四年2018/04/15(日) 01:18:08.68ID:q2x9Fl6D
信玄には義信にさっさと家督を投げて院政するって発想無かったんか
追放された後の信虎の方が潔いという皮肉
0094人間七七四年2018/04/15(日) 02:34:47.33ID:QZdlCxL9
>>93
武家が院政?
0095人間七七四年2018/04/15(日) 03:34:22.38ID:q2x9Fl6D
言葉通りの”治天の君”と受け取られても…
隠居が一部もしくは大半の実権を握ったままでいることは武家でもあるだろう
0096人間七七四年2018/04/15(日) 03:50:08.24ID:QZdlCxL9
>>95
>言葉通りの“治天の君”
ますます武家に使うのはおかしいね^ ^
0097人間七七四年2018/04/15(日) 07:08:25.87ID:VFWxDU2k
うっかり息子に権限与えて、そのせいで親父のように追放されるのが怖かったんだろ
0098人間七七四年2018/04/15(日) 08:35:24.45ID:uwn1CV4+
え、現代語としてもトップを退いた人がそれでも実権握り続けることを院政っていうだろ
とおもったけど今じゃ死語なんかねもう

かつては総理を退いた政治家がそれでも派閥や党内に強い影響力を保持し続けたりとか、
企業の創業者が引退はしたけど実権握って経営に口出しし続けることを院政とかいったものだけど
0099人間七七四年2018/04/15(日) 08:40:54.09ID:9kYmdQmC
いや、院政で正しいよ
イチャモンつけた人が国語力ないだけだよ
0100人間七七四年2018/04/15(日) 08:50:41.23ID:9kYmdQmC
1559年 (39歳)
出家し、信玄を名乗る。

↑この時に義信に家督を譲るべきだったんだよな。
第三次川中島の戦いが終わった後だし
出家したのをきっかけに謙信と和睦する手はあったと思うよ。
0101人間七七四年2018/04/15(日) 09:06:20.79ID:VwQOVVD+
そもそも信玄は義信すら嫡子として本気で扱っていたの? 義信の官位官途が何故か確認できない。勝頼の場合はまだわからないでもないが、なぜ義信に官位を求めてないの?
0102人間七七四年2018/04/15(日) 09:09:04.62ID:9kYmdQmC
武田義信の烏帽子親って将軍の足利義輝じゃなかった?
官位なかったっけ?
0103人間七七四年2018/04/15(日) 09:12:06.51ID:9kYmdQmC
ググったら武田義信は準三管領の待遇を受けたとされてるけど
正式な官位というわけではないみたいね。
この時期は幕府も混乱してて義信によくしてくれた将軍も部下に殺されるんだっけ
悪意があって義信に官位をやらなかったわけではないと思う
0104人間七七四年2018/04/15(日) 10:08:04.50ID:9kYmdQmC
血筋から言えば甲斐源氏と駿河源氏の血を受け継いでる義信は将軍や公方になっても
おかしくない血筋だし将軍としても力を持った有力な足利家の外戚として大いに期待はしてたと思うよ。
将軍が「義」の一字を与えてくれたのも将軍家と縁の深い今川家の嫁をもらったからであって
まさか将軍が仲立ちしてる今川家に牙をむいて突然襲おうなんて無礼な真似をするとは思ってなかっただろうね。
今川に対する裏切りというより将軍家に対する裏切り行為だし。
0105人間七七四年2018/04/15(日) 10:55:20.19ID:8PWPrBmF
>>55
信玄は病弱だから信繁をと信虎は思ってたけど重臣たちが信玄を担ぎ上げて信虎を追放したんだろうね。
甲斐は戦ばかりで国人衆も嫌だったのかも
0106人間七七四年2018/04/15(日) 10:57:45.46ID:8PWPrBmF
義信の内政はどうなんやろ?
内乱であれた甲斐を纏めていけたんやろか?武田の集権化は義信だとできたんだろうか?そのへんも踏まえないと
0107人間七七四年2018/04/15(日) 11:27:57.72ID:oUMPQ8Bh
まぁ子供に付けた家臣が代替わりで権勢ふるって老臣と揉めるのは
どこの国でも日常茶飯事
勝頼の側近も元信玄の側近との確執が伝えられてるし
結局義信事件も信玄側近による讒言だったかもしれんな
0108人間七七四年2018/04/15(日) 11:47:25.21ID:QZdlCxL9
>>99
言葉の意味として間違ってるのに使われる言い回しだから正しいとかw
役不足やすべからくなんかも文脈から意味が通じてればセーフとか思ってそうw
0109人間七七四年2018/04/15(日) 11:48:19.88ID:9kYmdQmC
>>108
言葉の意味としても正しいよ。
0110人間七七四年2018/04/15(日) 11:51:17.34ID:9kYmdQmC
国語辞典によると

現職を引退した人が、なお実権を握っていること。「会長が院政をしく」

↑パーフェクトに正しい。国語辞典を否定するチョンは日本を去れ
0111人間七七四年2018/04/15(日) 11:53:21.26ID:SE9MVHVv
>>108
まず辞書を引いてから

同じ言葉でも歴史用語としてのそれと現代語として成立しているそれで使い分けてくれ
歴史用語に限らず、専門用語と一般的に使われる語で意味・用法にズレというか異なるようになるのは
言語として普通のことなんだが

ちなみにあなたがいっている役不足云々はそれ以前に誤用の問題
0112人間七七四年2018/04/15(日) 11:53:47.45ID:0kvjPI0n
行動が行き当たりばったりなんだけど、なまじ現場対応が優れてるもんだから問題が表面化しにくかったんだろう
家督問題も駿河侵攻も織田との開戦も、いずれも致命傷に近い問題だと思うんだけど、信玄本人はどうにか凌げていた
でもそのツケは次世代にまとめてまわってきてしまった
0113人間七七四年2018/04/15(日) 11:55:02.05ID:viTQ+WmR
西脇総生の本に出てたが、義輝の仲介で上杉との調停が成立したのに、信玄はあっさり約束を破って北信濃に侵攻、当然義輝激怒で謙信サイドに付いてしまう、信玄は反省の態度を示すためにここで頭を丸めたんじゃないかという話。
だから武田は幕府からの心証は物凄く悪いと思われる
0114人間七七四年2018/04/15(日) 11:55:42.54ID:9kYmdQmC
>>112
そうだよね。
次こそ上杉謙信と決着をつけてやる!そうだそのために今川義元の娘を義信の嫁にしてやれ!
え、義元が死んだの?じゃあ義元の娘を離縁させて今川家を滅ぼしてやれ!

↑さすがにコレはヒドスギル
0115人間七七四年2018/04/15(日) 11:58:44.65ID:+imOQ+BH
甲斐を纏めるには他国に侵攻して
略奪なり領地獲得なりで国人豪族に利益をもたらす必要がある。
勝頼は長篠以降、侵攻できる力が無くなって家臣に見切りをつけられた。
義信の内政手腕は未知数だが、信長膨張前に上手い事氏真を丸め込んで
松平・三河に攻め込めれば家中を纏められるんじゃないかな?
0116人間七七四年2018/04/15(日) 12:03:13.58ID:9kYmdQmC
諏訪処分も雑というか酷かった
信玄「高遠頼継よ。諏訪頼重討伐に加担してくれたら諏訪を丸ごと与えよう」
信玄「あれ嘘な。やっぱり東半分は俺が貰うや」
信玄「諏訪頼重どの。私の義理の兄弟ではないか。降伏してくれたら悪いようにはしない」
信玄「あれ嘘な。やっぱりおまえ切腹だわ」

まるで安倍ちゃんじゃねえか。これじゃ信頼ポイントゼロよ
0117人間七七四年2018/04/15(日) 12:03:54.53ID:LgFH+iTN
信玄が家督を嗣いだ際は南に今川、東に北条という大勢力がすでに盤居していて、信濃の痩せた土地でしのぎを削る小さい豪族どもしか相手に出来なかった。
しかも20年掛かっている。こうなると、おとなしく甲斐・信濃を地盤として守り続けるしかないという結論になる
結局欲をかいて西を目指した時点は武田は詰んでいた
0118人間七七四年2018/04/15(日) 12:04:53.31ID:0kvjPI0n
>>114
そういう行動を見ていると信玄は死病より先に傲慢という病気にかかっていたんじゃないかとね
信玄は同時代から神格化されていたというから、祭り上げられ過ぎて、ちょっと精神の均衡を欠いているところがあったんじゃないかな
0119人間七七四年2018/04/15(日) 12:08:08.51ID:9kYmdQmC
頼重を殺す事は無かったと思うよ。
幽閉しておくだけで高遠頼継や信濃の諸豪族に対しても
諏訪の国主は頼重どので、諏訪の治政は頼重どのから一任された信玄が行い申す
これに反対する者は逆賊じゃ。ということで
よりスムーズに信濃全土を掌握できたろうし。
0120人間七七四年2018/04/15(日) 12:11:06.64ID:LgFH+iTN
志賀城攻めの際に生き残りを売り払ったことも敵を結束させる結果をもたらした
0121人間七七四年2018/04/15(日) 12:13:13.42ID:+imOQ+BH
信玄、あちこちで恨み買いすぎやろ
そら子供は苦労するわ
0122人間七七四年2018/04/15(日) 12:17:21.54ID:9kYmdQmC
村上などあっさり滅ぼせると思ったんだろうけど
彼に二連敗した事で信濃侵略が猛烈に時間かかる結果になったわけだしな
積極的に敵に回す必要は無かったのに。
普通に「頼重どのを主と仰ぐ事に不満を持つものはおるか?おらんのか?居たら義弟の信玄が代わりに成敗いたす」で
ほとんどの信濃の豪族に不戦勝して配下に納める事ができたろうに。
村上義清だって大義名分があり信濃の諸豪族の支持を集めた信玄だったら
徹底して逆らおうなんて思わなかったろうし。
0123人間七七四年2018/04/15(日) 12:19:34.50ID:LpxxwKJb
信長が勝頼の講和要求も受け付けなかったのは信玄の裏切りに対する怒りだしなあ
0124人間七七四年2018/04/15(日) 12:21:03.01ID:LgFH+iTN
御坊勝長を返却すれば誠意が伝わると思ったのかね
0125人間七七四年2018/04/15(日) 12:23:56.53ID:9kYmdQmC
岸田も安倍ちゃんの跡は継ぎたくないんだってよ。
今、モリカケ問題で安倍の代わりに岸田総理が誕生しても
安倍に対する恨みを岸田が代わりに一身に受け
引き継ぐ任期も半年しかないので、半年後には100%新しい総理に政権を奪われるし。
勝頼もできたら岸田みたいに武田家の棟梁の地位なんか引き継ぎたくなかったろうな。
絵に描いたような貧乏くじだし。
0126人間七七四年2018/04/15(日) 12:25:56.31ID:+imOQ+BH
まぁ武田をボコボコにするまでは信長は講和なんぞする気は無かっただろうな
だが、勝頼裏切った事に怒って小山田を処刑してるから勝頼を殺す気までは無かったかもしれん
あれで一応娘婿だし信長は身内に甘いし
0127人間七七四年2018/04/15(日) 12:27:17.75ID:9kYmdQmC
いや、武田狩りは徹底したじゃん
勝頼の弟たちや甥っ子たちまで徹底して山狩りして懸賞金かけて
惨殺しまくったし。勝頼を殺さない可能性など1%もない。
0128人間七七四年2018/04/15(日) 12:30:48.36ID:SGHhmydf
織田信長のせいで嫡孫の織田秀信は高野山でイジメにあい
短い生涯になったという悲しい話もあるから恨みは消えないんだろうな
0129人間七七四年2018/04/15(日) 12:34:03.03ID:9kYmdQmC
快川和尚なんて天皇陛下も師事した国師なのに
信玄にお世話になりやがったというだけの理由で炙り焼きの刑だしな。
武田と所縁のあるものは全て惨殺するというのは絶対的な命令だったよね。
0130人間七七四年2018/04/15(日) 12:38:32.12ID:NnAa0QI/
皆あまっちょろい
この時代
覇道でないと生き残れんのだよ
諏訪と平和的に?今川と同盟を維持したまま?
そんな悠長なことしていて結局寝首かかれた武将がどれほど多いか

この時代頭角を現したのは皆サイコパス
強欲で頭のおかしい奴じゃないとダメだったのさ

信長のおつやの方に対する仕打ち、比叡山虐殺
信玄の生首3千を城郭に並べるという常軌を逸した行動

これらは理にかなっていた
0131人間七七四年2018/04/15(日) 12:42:52.10ID:9kYmdQmC
>>130
信長の中身がおまいだったら
足利義昭と斯波義統を真っ先にぶっ殺してたろうな。
甘いとか辛いとかじゃなくて「利用価値」があるか無いかだし。
諏訪頼重は足利義昭並の利用価値があった。
殺したのは無思慮すぎた。
0132人間七七四年2018/04/15(日) 12:48:10.05ID:2YQOmUUP
>>112
それは謙信も一緒だよなぁ
戦略の失敗を戦術でカバーするという芸術でごまかせてたけど
0133人間七七四年2018/04/15(日) 12:50:34.10ID:NnAa0QI/
>>131
諏訪頼重を利用して成功したかどうかは謎だな
ぶっ殺したからこそ信濃平定できたとは考えないのか?

信玄は怖い奴だと思わせたからこそ、その後の戦いを有利に持って行くことが出来たんだよ
0134人間七七四年2018/04/15(日) 12:51:16.46ID:2YQOmUUP
結論としては武田義信が武田を継いでれば
諏訪勝頼は信濃先方衆として大活躍してた
でOK?
0135人間七七四年2018/04/15(日) 12:52:19.77ID:9kYmdQmC
ぶっ殺したおかげで信濃を平定できなかったんじゃないの?
奥信濃って勝頼の代じゃなかった?
完全に武田家の領土となったのは。
0136人間七七四年2018/04/15(日) 12:56:17.76ID:NnAa0QI/
善光寺平を武田領にしたということは奥信濃を納めたに等しいよ
後もっと北は山ばっか
0137人間七七四年2018/04/15(日) 12:57:40.83ID:0kvjPI0n
>>131
信玄は自分が重臣たちの傀儡として実父を追放するかたちで国主になったから、諏訪頼重のような自分に代わって誰かに立てられる可能性が僅かでもある人物は生かしておきたくなかったんじゃないかな
0138人間七七四年2018/04/15(日) 12:59:00.06ID:9kYmdQmC
劉備はうまくやったよな
もし劉章を殺してたら蜀の豪族たちの反乱はいつまでも収まらなかったと思うよ。
完全に全ての豪族が劉備の下に馳せ参じて安定化してから荊州に動座させたろ。
というかそれがオーソドックスな乗っ取りの仕方だと思うが。わざわざ先主の旧臣を敵に回す事はない。
0139人間七七四年2018/04/15(日) 13:03:40.12ID:9kYmdQmC
荊州を乗っ取ったときも劉gを生かしておいて
劉備「おまえら劉g様に従え!」と大義名分に掲げて荊州征伐を着々と進めた。
完全に支配下に治めた時点で劉gには病死(忖度死)してもらった。

徐州を乗っ取った時に劉備は乗っ取りマニュアルを完全に習得したんだと思うよ。
その後の人生での乗っ取り術がいずれも素晴らしかった。
0140人間七七四年2018/04/15(日) 13:09:24.08ID:9kYmdQmC
信長は北畠親子の扱いが上手かったよな。
もう徹底して利用した。長島の戦いの時も北畠親子に船を集めさせたり
北畠家の家臣たちを徹底してコキ使いまくった。
そして利用価値が薄れてきたら「おまえら死ね」とあっさり殺して
信雄に全権握らせてたろ。
0141人間七七四年2018/04/15(日) 13:10:40.72ID:0kvjPI0n
劉備は乗っ取りのプロみたいな人だよね
0142人間七七四年2018/04/15(日) 13:11:31.76ID:NnAa0QI/
まあ恨みかったという事実は認めるよ
だから滅びるのも早かった
信長もそう
結局家康が納めたのも納得

ところでゴタゴタの信濃を良くまとめたのが秋山信友だと思うのだが
三方原の時も信濃衆をつれて別働隊で行動している
おつやの方と急に結婚とか
岩村城もかなり粘ったし

高坂正信なんて甲陽軍鑑描いたってだけで武田四天王名乗ってるけど
本来高坂じゃなく秋山が四天王だろって
0143人間七七四年2018/04/15(日) 13:16:10.14ID:9kYmdQmC
信玄がもう少しスマートだったら氏真の方から「今川家の家督を義兄弟の義信どのにお譲りいたす」と言わせてただろうね。
上杉家の家督を受け継いだ謙信の方が一歩上手だった。
0144人間七七四年2018/04/15(日) 16:51:07.93ID:dqUcVPTJ
天下一苗字って家督継がせられるのか?
0145人間七七四年2018/04/15(日) 16:54:18.31ID:Yctt7cCs
>>144
うーん。氏輝が死んで子供いないから弟に継がせようとした。近親なら可能かもね。ただ、義信は武田の正当後継者なのに今川継がせるはないよ。武田は誰が継ぐの?
0146人間七七四年2018/04/15(日) 17:17:36.49ID:9kYmdQmC
家康は上手かったよね。
氏真殿に駿河はお返し申すと言っといて
信長に却下されたという理由で氏真を手元に置いて
氏真の旧臣をそっくりいただいた。
同じ様な事は秀吉が宇喜多家に対してやってるし
義元も松平家(徳川家)に対してやった。
0147人間七七四年2018/04/15(日) 17:30:14.87ID:DozWexAW
諏訪は頼重はさっさと処分したが寅王丸はちゃんと利用してる。
0148人間七七四年2018/04/15(日) 17:32:28.31ID:9kYmdQmC
利用できた割には信濃の豪族全員敵に回ってなかった?
それってちゃんと利用できてるの?
0149人間七七四年2018/04/15(日) 17:37:31.10ID:Yctt7cCs
>>147
利用しきれていない。
高遠潰したら寅は行方不明(恐らく殺害)になっている。
0150人間七七四年2018/04/15(日) 17:52:05.22ID:LgFH+iTN
問題は広いだけで痩せた信濃の平定に時間と損害をかなり費やしていることなんですよ
0151人間七七四年2018/04/15(日) 18:04:06.10ID:9kYmdQmC
早い段階で甲斐、信濃、飛騨の三ヵ国平定できたら頼重に諏訪湖一帯を返還しても少しも惜しくないしな。
諏訪の軍事的価値というのは信濃のどこに行くのでも諏訪経由だというだけで
信濃の領国より広い範囲を支配下に治めたら諏訪の軍事的価値は下がる。
岐阜城みたいなものだ。
0152人間七七四年2018/04/15(日) 18:38:40.61ID:DozWexAW
>>148
寅王丸を利用してる段階では諏訪の遺臣は武田に従っているし、
信濃の豪族は敵になっていない。

>>149
利用しきれてはいないな、利用しつくしたと思って処分したら時期尚早だった。
0153人間七七四年2018/04/15(日) 18:57:04.19ID:AHxoUpSB
諏訪なんぞに価値ないわ
0154人間七七四年2018/04/15(日) 18:58:52.45ID:9kYmdQmC
信濃の豪族たちの大半が諏訪家と血縁という事に意味があるんでしょ。
0155人間七七四年2018/04/15(日) 19:35:50.60ID:Yctt7cCs
武田は傀儡使うのが下手すぎ。
0156人間七七四年2018/04/15(日) 19:52:24.31ID:9kYmdQmC
秀吉は傀儡を使うのが天才的だったよね
竹中半兵衛を手中に収めたおかげで親戚の安藤やら美濃侍を手下の如く動かし
京極家やら淀君を手にして近江侍も手下の如く動かし
小寺官兵衛や宇喜多秀家を傀儡にして播磨侍を自分の部下のようにしてしまい
秀勝や信雄や秀信を傀儡にして信孝ぶっ殺したり織田家の家臣の大半を自分の手下にしていき
天皇を傀儡にしてその権威で天下の隅々まで自分の支配下に置いたわけだから。
うっかり半兵衛殺したり秀家殺したりしてたら絶対に豊臣家はできてなかった。
0157人間七七四年2018/04/15(日) 20:01:50.43ID:9kYmdQmC
信長が「小寺官兵衛の息子を殺せ」と命じても
羽柴家の命運を賭けて守ったのは
単なる君臣愛ではなく、そこで小寺親子を冷たく切り離して殺されたら
播磨侍が秀吉の元から離脱する事を酷く恐れたと思う。
0158人間七七四年2018/04/15(日) 20:04:45.65ID:LgFH+iTN
結局、傀儡を仕立てるメリットは分かっていたが、きるタイミングに誤算だらけだったいうわけか
0159人間七七四年2018/04/15(日) 21:31:09.66ID:+imOQ+BH
こういう視点で見るとやっぱり三傑には信玄は逆立ちしても勝てないと分かる
0160人間七七四年2018/04/15(日) 21:47:17.58ID:9kYmdQmC
善光寺の時は村上たち北信濃の豪族が住職連れて謙信の下へ去った事を
信玄は悔やみきれないほど後悔してるんだよね。
それで残った宝物を甲斐に持ち帰り甲斐善光寺を作ったり色々一生懸命やった
ほぼ無意味だったけど。
早い段階で善光寺を懐柔して寺領を与えて武田家の傀儡として用いるべきだった
そうなると容易に北信は信玄の支配下になって謙信に付け入る隙など与えずに済んだ。
0161人間七七四年2018/04/16(月) 03:00:20.59ID:Fsfa6PV+
勝頼関係ないだろそれ
0162人間七七四年2018/04/16(月) 07:03:00.00ID:mbF4qlcI
勝頼と景勝が我先にと信長に和睦をお願いしていた頃は、ものすごい緊迫感が伝わってくる
あの時点では詰み状態だったのかな

滅亡間近になるまで上野方面には勢力拡大し続けたのも不思議だね
0163人間七七四年2018/04/16(月) 10:15:29.50ID:uVBiGAbO
戦線縮小とか戦術的撤退という概念が勝頼には無かったし
よく考えると信玄にも信虎にも無かったよな。
戦国大名ってそういうものなのかもしれないが
滅びるべくして滅んだよね。
0164人間七七四年2018/04/16(月) 12:23:21.42ID:UEyoFdde
>>163
手間暇かけて軍を起こして、負けてないのに自発的撤退とか、占領地からの撤収とかは、結構ハードルが高い。
明確な見通しだけでなく、強固な権力基盤と経済的余裕がなけれ出来ない贅沢。
0165人間七七四年2018/04/16(月) 12:32:09.12ID:wtq7Ydp2
日本軍も占領地広げるだけ広げて
後は玉砕させて時間稼ぎに使ってたし
一気に戦線縮小してなんてことは結局できなかった
0166人間七七四年2018/04/16(月) 13:03:55.10ID:IUJfKtvj
滅亡前は駿河遠江の方ではジリジリ後退していたけど、
北関東では北条氏を圧倒し優勢だったんだよね

木曽の裏切りで全て狂った感じなのかな
そこから急速に追い詰められていくから
でも予見してなかったわけでもないんだよね
0167人間七七四年2018/04/16(月) 13:09:16.02ID:D4h9dlTH
君主に必要なのは外交力だと思うよ
景勝は領土を譲渡して勝頼と和睦に漕ぎ着けてるし
それが勝頼には致命傷になったんだけど
ちゃんと秀吉と同盟して100万石以上になってるし
関ヶ原で減封されるけど大乱の切っ掛けの首謀者だから
処刑や改易されるのが普通なのに減封で済むという
勝頼は景勝みたいに分が悪くなったら速攻で降伏で土下座しに行くべきだったね
0168人間七七四年2018/04/16(月) 15:44:23.29ID:VrLfIPvK
167
和睦しようと使者送っても相手にしてくれず、織田と仲がいい佐竹に仲介頼んでも相手にしてくれず、人質返しても相手にしてくれなかったのに打つ手ないよ。
信長は武田許す気なんてサラサラないよ。
0169人間七七四年2018/04/16(月) 16:21:10.34ID:d5VpOt/q
>>168
一度、信長側が1577年に勝頼に和睦申し入れて、勝頼のほうが拒否している。それから3年後に今度は勝頼のほうから和睦申し入れて相手にされると思うの?
0170人間七七四年2018/04/16(月) 16:21:58.28ID:DoOLdrY4
外交力うんぬんと言っても相手のあることだしね
0171人間七七四年2018/04/16(月) 16:23:36.40ID:D4h9dlTH
>>168
和睦というのは対等条件の時に申し入れる物
勝頼はまだ対等に交渉できると思ってたら勘違いだ
降伏して臣従の申し出をしないとダメ
0172人間七七四年2018/04/16(月) 16:33:27.69ID:DoOLdrY4
問題はそれをいつやるか
早すぎると家臣や親族に殺されかねないし、遅いと史実エンドが待っている
いつならやれる?
0173人間七七四年2018/04/16(月) 16:40:59.13ID:wtq7Ydp2
>>169
あの時点で和睦した場合体よく対上杉の防波堤にされるのは明白だからなw
足利将軍の講和要請もあったし
まぁそういう織田に不利な時じゃないと講和なんて成立しないのも確かだけどさ
ここで講和してたら上杉謙信が史実通りに死ぬとは限らないし
2年前に長篠で主力失った武田に上杉謙信を川中島で撃退できるとは到底思えない
0174人間七七四年2018/04/16(月) 17:09:56.70ID:D4h9dlTH
木曽の裏切りあたりから穴山やその他も調略されてるし
降伏しても全員から反対されないだろう
0175人間七七四年2018/04/16(月) 18:26:39.95ID:UEyoFdde
上杉の場合、運が良いことに、交渉相手は秀吉。
しかも、秀吉が柴田と手切れした時は佐々を釘付け。
徳川と対峙していた時は、真田に援軍出して徳川と戦っている。
足蹴にされることはないだろう。
関ヶ原については、実際に干戈を交えた島津が片付いていないことの他、何故か家康次男の結城秀康が仲介してくれている。
秀康の果し状を袖にしたのにね(これはフィクションかもしれないが)。
0176人間七七四年2018/04/16(月) 18:44:48.68ID:tf9u8ig9
>>169
ああ、それね。
甲陽軍鑑にしか書かれてない例の奴だろ。
2ちゃんじゃ2000年ごろには織田方の記録もしくは織田方の武将の手紙、記録に一切記述が無くてガセなのが確定してる。
0177人間七七四年2018/04/16(月) 19:18:18.69ID:tf9u8ig9
>>171
それだと勝頼じゃなくて信玄のせいになるね。
信玄死んで勝頼が引き継いだらいきなり織田に降伏なんてしたら殺されはしなくても重臣からふるぼっこ食らい廃嫡される未来しかない。
0178人間七七四年2018/04/16(月) 19:20:35.78ID:tf9u8ig9
>>173
織田が勝頼に和睦申し込んだなんて事実は無いよ。
その時歴史が動いたでもそれやってたけどソースが甲陽軍鑑にしかない。
0179人間七七四年2018/04/16(月) 19:32:24.04ID:tf9u8ig9
>>169の平山優氏の武田氏滅亡の401ページにあるけど引用はやはり甲陽軍鑑って書いてるね。
織田方のソースは一切なし。
武田周辺勢力の資料も調べまくって照らし合わせてる平山優氏でも甲陽軍鑑からしか発見できなかったからまずガセだな。
0180人間七七四年2018/04/16(月) 19:38:49.74ID:D4h9dlTH
>>177
>>174
0181人間七七四年2018/04/16(月) 20:13:04.22ID:yBCWJAq3
手取り側の戦いが11月3日でこのまま加賀から越前に攻め込んでも冬になるタイミングだったのがなぁ
信長はなんだかんだ言って悪運が強い
最後はあっさり死ぬけどw
0182人間七七四年2018/04/17(火) 01:46:05.06ID:aQ6rQMlZ
>>139
劉gは自然死な気がするけどなあ?だって、他に曹操に降伏した劉表の息子も居るじゃん。
呉が、荊州を返還しろのごたごたも死後の話だし。
あの時点で殺害する利点よりも害が大きい気がする。
>>149
時期的に考えると諏訪夫人を妾にした時期だよね。
親父を殺し、実家を滅亡させた男の妾に成るくらいなら、当時の武家の女性なら自害しそうですが?
これさあ、弟を人質にして自分の物にしたって事だよ。
そんで、諏訪夫人に子供が出来た時期に弟が行方不明だから用済みの人質殺害かも?

信玄って、確かに才能有るけど異常に冷酷で残忍なんだよね?
何か、今の信玄伝説って家康の宣伝が原因では?
0183人間七七四年2018/04/17(火) 01:48:37.08ID:2Muk/MZ6
>>182
諏訪夫人の年齢考えてあげてよ。
たかだか12、3歳の少女に自害とか可哀想。
0184人間七七四年2018/04/17(火) 01:55:59.22ID:EOmwN9YS
まぁ裏切ったのは諏訪頼重だし諏訪滅亡で信玄批判するのは酷じゃね?
0185人間七七四年2018/04/17(火) 01:58:07.96ID:ip+2UbGd
>>182
淀君も自害してないし
0186人間七七四年2018/04/17(火) 01:59:28.23ID:ip+2UbGd
>>184
いや、俺は残酷論を取らない。
下剋上の当時は残酷なのは別に悪い事ではない。
単に傀儡の利用の仕方を知らない無能だなと思うだけで。
0187人間七七四年2018/04/17(火) 02:06:51.15ID:ip+2UbGd
その無能さは勝頼にも受け継がれてる
裏切られるたびに人質を殺す事が勝頼の唯一の仕事になってるじゃん。
鳥居脛衛門にごちゃごちゃ余計な事をくっちゃべらせるし頭悪いんじゃね?
0188人間七七四年2018/04/17(火) 02:14:46.69ID:2Muk/MZ6
>>184
裏切ったのは武田信玄だぞ。
たぶん諏訪関係の史書にあるのを真に受けてるんだろうが、何で諏訪が山内上杉と和睦したから武田が同盟破棄と見て裏切りと見なすんだ?

さらに、武田信玄は佐久に出兵と見せかけて、諏訪領を通過する許可を得ながら、いきなり矛を諏訪に向けた。だから諏訪頼重は抵抗らしい抵抗ができずに降伏した。

さらに降伏した際に助命する約束しながら半月で切腹させる。

武田信玄が批判されるのは当たり前。
0189人間七七四年2018/04/17(火) 03:27:41.12ID:iQIxhF8a
荒野を走る トラックの列
行政がゆがんで
真っ赤に燃える
0190人間七七四年2018/04/17(火) 06:33:51.28ID:2Muk/MZ6
>>187
というか、鳥居をあっぱれな忠臣と許して解放してやったら、勝頼に対する周りの評価も変わっただろうな。鳥居がくっちゃべって怒りのあまり殺すとか狭量すぎ。
0191人間七七四年2018/04/17(火) 08:21:35.31ID:ip+2UbGd
秀吉だったら心の動揺を隠して「あっぱれな忠臣よ。褒美をやるから城へ帰れ!これで我らがここに留まる意味は無くなった。ものどもすぐに荷物をまとめよ
信長たちが来る前に帰国するぞ」くらいは言っただろうな。

実際、小牧・長久手の戦いに負けた時「さすが徳川殿、あっぱれな名将よ。森長可が死んだって?
良い狂犬駆除ができたわ(←本当に言った)ワシは先に信雄を討ってくるからおまえらここで休んでおれ」と
士気を下げずに局面を打開した。
0192人間七七四年2018/04/17(火) 09:00:00.17ID:VijYUqPa
同感だな。今更喋った内容を覆せないわけだから
0193人間七七四年2018/04/17(火) 09:16:34.26ID:2ihgExQ+
敵兵「勝頼の言うことは聞かない方が絶賛してくれるらしいぜ!」
0194人間七七四年2018/04/17(火) 09:36:37.32ID:Nnp+whpl
勝頼は楚の荘王の故事なんて知らなかったか
よりによって後漢の馬超に倣ってしまって
漢籍読み漁ってたろう信玄ならどうしたか
0195人間七七四年2018/04/17(火) 12:25:54.10ID:0TVBU46l
武田信玄・勝頼の座右の銘
兵は詭道なり
裏切り者には死を
・・・武田に限ったことじゃないはずなんだが、そういうイメージなんだよな。
お気の毒というか、お疲れ様というか。
0196人間七七四年2018/04/17(火) 13:30:36.21ID:uq5dfLJ1
長篠で撤退して兵力温存しても結局どこかで信長と戦う訳で
長篠みたいな一方的な敗戦にならなくてもジリジリ削られて最後は滅亡でしょ
まぁ第二次信長包囲網の時に主力が残ってれば北の上杉、南の武田が西進すると
信長としては相当苦しいだろうね
徳川が攻撃されても信長本人が出陣できない可能性もある
信長じゃなく信忠が美濃・尾張の3万程度で徳川の後詰したら
信忠の性格だと勝頼と大して変わらんから正面から激突しそうだね
こうなると部隊指揮官の質が大きいから武田軍でも十分やれただろう
0197人間七七四年2018/04/17(火) 16:51:12.53ID:c5Lv9YF6
先に長篠城を取ればどうだったんだろ
信長は救援の名分なくなって帰ったかな
0198人間七七四年2018/04/17(火) 18:12:28.39ID:Q+U+CfCR
>>196
まあ信長と戦ってた敵でも生き残った家はたくさんあるんだからどう転んだからはわからんよ。

>>197
帰っただろうね。手取川でも謙信に七尾城を先に取られたら上杉の倍の勢力があるのに
逃げ帰ってたしw
0199人間七七四年2018/04/17(火) 18:14:52.03ID:17ej6zh1
武田が長篠城だけ取って良しとするかどうかだな。

迂闊に織田軍が引き上げて、勝頼が次にどこかの攻略にかかったらダメだし。
にらみ合いと駆け引き位はあるんでない。
もしかすると野戦に至るかも。
0200人間七七四年2018/04/17(火) 20:59:42.69ID:F50yDay+
勝頼さんは人質斬りゃいいと思ってるな
龍若丸斬って北関東戦線泥沼にしちまった人を他山の石にすべきだった

ああ木曽さんちは斬ったんじゃなくて丸焼きにしたんでしたっけ(惨い
0201人間七七四年2018/04/17(火) 21:18:32.86ID:7ib4ToQy
信長側は大軍だけど、信長は短期決戦ばかりで長期戦は稀だから防御に徹していればあるいは

織田の勢力がかつての室町殿以上になった時点で、武田上杉北条の政治的ポジションが重要じゃなくなってしまったんだよな
武田上杉の存在意義は関東勢力への押さえだったけど、当時の関東勢力はバラバラの群雄割拠
0202人間七七四年2018/04/17(火) 21:31:04.02ID:ip+2UbGd
防衛網を築こうとか緩衝地帯を設けようという概念自体を持ってないし勝頼はダメだろ
0203人間七七四年2018/04/17(火) 22:30:26.64ID:w9GVxp6A
信長は決戦に持ち込むまでの長期戦に耐えられるのがすごいんだと思うが
0204人間七七四年2018/04/18(水) 00:07:48.04ID:MFZniv7C
国境地帯に関門や罠を多数設けて防御するのが基本だけど
最悪、織田の軍勢が押し入った際の逃げ道は最初から確保すべきだった。
迷わず千曲川を下って景勝の領内に行けば余裕で東北へ落ちのびる事はできたし
どうしても甲斐を離れたくないなら南アルプスの早川沿いにでも10キロ間隔で秘密キャンプを用意しておけば
絶対に信長軍は探知できなかった。
行った事があれば分かるけどビンラディンレベルじゃなくて本当に探索は無理。
0205人間七七四年2018/04/18(水) 00:16:33.03ID:Ec4i3WfN
実際に八男・武田信清は春日山への離脱に成功
0206人間七七四年2018/04/18(水) 00:21:15.20ID:hDXaTBqz
だから武田は戦う相手、領土拡大は西しかないんだよ
あの段階で北条上杉と戦争するとか時間の無駄
織田が勢力を拡大し続けているんだから長篠を回避したところで状況は悪化しているのは変わらない

まず戦国時代ってのをよく考えた方がいい
どこもめちゃくちゃな戦争をして総力戦をやっていて停滞は死を意味する時代
戦国末期はどこの大名も相当苦しい経営状態なんだよ
戦争がない平和な平成でも不景気で経済が回らない、戦国時代なんて戦争で人間が死にまくっている
余裕があるわけがないんだよ。このまま戦乱が続けば日本が消滅するほど終わる
0207人間七七四年2018/04/18(水) 00:21:30.86ID:MFZniv7C
小田さんを見習ってさっさと城捨てて潜伏しておけば
本能寺の変で潜伏先から出てきて旧臣に激を飛ばしさっさと甲斐を取り戻して大名復帰できたろうに
0208人間七七四年2018/04/18(水) 00:24:37.38ID:MFZniv7C
勝頼が目端の利く人間なら最初から長篠からの撤退路に罠を設けて置き
信長たちを引き込み、最初から三河北西部に潜伏させておいた別動隊に背後を脅かさせ
袋のネズミにしたろうに。
0209人間七七四年2018/04/18(水) 00:26:42.71ID:BmcNI0cj
いや西への拡大が長篠で不可能になったから東に向かっただけだぞw
0210人間七七四年2018/04/18(水) 00:29:49.28ID:Ec4i3WfN
上野や三島あたりで暴れても仕方ないじゃないですか
0211人間七七四年2018/04/18(水) 00:33:56.72ID:68QXDWCR
>>208
敵に優位にあると思わせて突出を強いる。
陣の崩れたところを上手く突く。
三増峠とかな。
信長がひっかかったかどうかは分からんが。
0212人間七七四年2018/04/18(水) 00:36:34.10ID:rRGiHZhI
>>204
東北へ落ち延びるってよくあるけど、東北のどこへ落ち延びるの?
0213人間七七四年2018/04/18(水) 00:38:36.61ID:rRGiHZhI
>>208
それやるなら兵力差がありすぎて無理でしょ。
せいぜい差が1万まで。
0214人間七七四年2018/04/18(水) 00:40:30.72ID:BmcNI0cj
とりあえず上杉に逃げ込んで勝頼は景勝と一緒に討ち死にして
信勝は東北へ逃がすパターンかなぁ
もちろん本能寺的なのが起きれば勝頼は混乱する甲信を制圧するだろうね
0215人間七七四年2018/04/18(水) 00:47:32.05ID:68QXDWCR
>>212
奥州の主要大名はだいたい服属を表明してるからな。
だいたい越後にも逃げられなかったのだから、奥州は遠すぎるだろうな。
0216人間七七四年2018/04/18(水) 01:00:48.02ID:hDXaTBqz
武田は領内の交通網を整備していて大量の馬を使って物資の運搬、兵の移動スピード高めていた
普通の大名は通路を整備せずに自然の要害で防衛に徹していた

武田の強さは兵の行軍の速さだった。敵より早く移動して先手をうって、移動時間の短縮で軍費の節約にもなった。
つまり攻撃は最大の防御、信玄時代は攻められることがなかった。
これが武田の弱点でもあって、甲州征伐で武田が一ヶ月程度であっさり滅亡したのは、この影響だと考えられる。
0217人間七七四年2018/04/18(水) 01:10:18.02ID:68QXDWCR
織田家もそうだよな。
大返しは街道整備の賜物
0218人間七七四年2018/04/18(水) 01:35:50.25ID:BmcNI0cj
武田の場合は西は木曽福島城と飯田城で敵を防いでる間に
武田の後詰部隊が救援する前提だからこの二つがあっさり開城したら
もう効果的な防御が成り立たない
そんな大事な場所に裏切るような奴置くなって話だがw
0219人間七七四年2018/04/18(水) 03:48:00.30ID:gyNNdwxL
同族の佐竹さんの下に駆け込んで
あっさりと信長の下に送られる
しゃよなら
0220人間七七四年2018/04/18(水) 06:09:12.45ID:uXYXLN48
源氏らしい最後だな
義経と同じ運命よ
0221人間七七四年2018/04/18(水) 06:24:10.95ID:LEsNWXiQ
勝頼と義経とじゃ全てにおいて格が違うっしょ
0222人間七七四年2018/04/18(水) 08:06:50.30ID:/x2n1AJD
>>221
いや似ている。
戦術は強いけど戦略や政治的なものが全くない。
0223人間七七四年2018/04/18(水) 10:34:09.67ID:92iNbXIU
戦術レベルの強さがまず比較にならんわ
勝頼の戦術の実績をよく見直してみな
実際大したことないから(笑)
0224人間七七四年2018/04/18(水) 10:47:26.68ID:Exqv7ivS
義経は小勢で天下人の平家を連戦連勝で滅ぼしたからなあ
歴史を変えた人
勝頼が長篠で勝っていれば義経の名前を出してもいいレベル
0225人間七七四年2018/04/18(水) 12:19:37.10ID:AzPCUIJj
>>220
足利義昭「・・・」
南部信直「・・・」
六角義賢「・・・」 宇多源氏だが
0226人間七七四年2018/04/18(水) 13:33:37.26ID:hDXaTBqz
でもな源平って両軍合わせて1万から5000の規模だよ
せいぜい義経が動かした兵の数は数千、数が少ないから戦術がものを言う
戦国は槍とか鉄砲で武器が進化して、単騎の戦争から数のゴリ押し戦いに変わっている
万以上の規模の戦争でどこまで戦術が機能したのか
今みたいに無線がない時代、大軍を動かすのは難しいよ
兵は半農だし

しかも平氏は朝廷が中に入っているから殆どやる気なかったしね
0227人間七七四年2018/04/18(水) 16:16:28.88ID:spOFcLQ4
難しいなりに工夫し、達成したのが秀吉なりだと思うんだけどなあ。
小田原役なんて20万だし。
0228人間七七四年2018/04/18(水) 18:06:34.30ID:n0nnnnXS
義経だって頼朝の威光あっての活躍じゃん、国を統治したこともない匹夫やで。

頼朝を敵に回してからは逃げに逃げて東北まで、そこで殺される始末w
0229人間七七四年2018/04/18(水) 18:39:16.74ID:Gvy3dzFV
義経は戦術に関しては未曾有の天才だからね
そもそも大名じゃないし

バランス型?の勝頼と比較すること自体おかしい
0230人間七七四年2018/04/18(水) 18:57:39.43ID:MFZniv7C
勝頼もまさか自分の武勇があの義経と比べられるなんて夢にも思ってないんじゃね?
あまりにも格が違いすぎる。
せいぜい朝倉宗滴とか朝比奈泰朝あたりと比べられれば本人も満足すると思うが。
0231人間七七四年2018/04/18(水) 19:11:52.61ID:5wbgS5vn
>>228
頼朝の威光と、梶原景時ら本隊が後巻きだったからねえ
長篠の戦いに例えると、酒井隊の働き
天下の名声を博したのは、鳶ヶ巣を急襲したら、信実でなく勝頼が居たようなもの
0232人間七七四年2018/04/18(水) 20:02:55.54ID:4sBVB6M7
戦術の能力に関しては義経はかなりあった
勝頼はかなり微妙
そして勝頼は当主に必要な戦略&外交力は全くなかった
0233人間七七四年2018/04/18(水) 20:32:36.19ID:9eVVgXar
義経は当時の戦の禁じ手やりまくったって印象
壇ノ浦の戦いで船の漕ぎ手殺しまくったよね
0234人間七七四年2018/04/18(水) 20:45:28.52ID:0eM5fAp/
勝頼がハッキリ負けたのは長篠くらいか
家康は勝頼と直接対決を徹底的に避けたし

その長篠が致命的だったけどな
でもどんな名将も手痛い敗北を期してから強くなっているものだが

時代が終局に向かっていて、そのときの敗北だったので致命的過ぎたな

結局何から何まで運が悪いよ、勝頼は
0235人間七七四年2018/04/18(水) 20:58:43.88ID:4sBVB6M7
家康は徹底的に避けたというより戦力の劣る状態で総力戦をしなかった
勝頼は逆に総力戦をしてしまったという
0236人間七七四年2018/04/18(水) 21:03:35.02ID:NrJfYhoK
範頼が本隊を率いて勝利を決めたのであって
義経はただの霍乱部隊だけど
これすら他人の武功を義経に仮託しているが
0237人間七七四年2018/04/18(水) 21:20:53.03ID:gyNNdwxL
武田って決戦主義だよね
勝つとき瞬殺
負けるときは大負け
六、七分の勝ちが十分の勝ちとはなんだったのか
0238人間七七四年2018/04/18(水) 21:42:46.61ID:FAtjbw9d
義経はなんであんなに強かったんだろうな
個人の才能だけで測れない感じがする
当時だと、京都育ちというのが効いてるのかね

戦国時代は実戦の機会が多いからガンガン戦術が変化してるから別物になっちゃうが
0239人間七七四年2018/04/18(水) 21:53:18.49ID:9eVVgXar
>>238
当時の武将がやりたがらなかった禁じ手を連発したからだよ
名より実をとったって事なんだろうけど
当時の義経は相当の不人気武将だった
今の義経人気は後世につくられたものだよ
0240人間七七四年2018/04/18(水) 22:05:31.69ID:ntTuuItA
京都って言うより鞍馬な。
修験者とかに囲まれた独特の環境だったんだろう。
0241人間七七四年2018/04/18(水) 22:30:13.42ID:WMP6Nd7o
一騎打ちが主流の鎌倉幕府軍を
集団戦法で撃破した蒙古軍みたいなもんだな義経は
0242人間七七四年2018/04/18(水) 22:36:31.87ID:0eM5fAp/
>>239
だよなあ
不意打ちに奇襲とか
当時の正々堂々たる鎌倉武士からすれば、卑怯者もいいとこ
0243人間七七四年2018/04/18(水) 22:38:21.77ID:0eM5fAp/
ああ、平安武士か
0244人間七七四年2018/04/18(水) 23:03:20.65ID:JBUMI/zn
いや、鎌倉武士が一騎討ち王道とか奇襲が卑怯とか史実なのか?
あれは正々堂々とかじゃなくて、名乗りを上げて功績を周囲に知らしめるのが目的じゃないのか
鎌倉時代の武士たちの内ゲバを見てると、あいつらが正々堂々を重んじるとはとても思えんぞ
0245人間七七四年2018/04/18(水) 23:07:17.30ID:JBUMI/zn
>>241
蒙古相手に云々は事実と異なると
元寇研究の服部英雄はしつこくしつこく指摘してるw
実際は武士は夜襲ばかりやってた
0246人間七七四年2018/04/18(水) 23:14:38.90ID:3mOxjO02
明確な禁じ手って壇ノ浦の水手を射るくらいしかないぞ
0247人間七七四年2018/04/18(水) 23:15:46.68ID:3mOxjO02
>>241,242
平安末期の武士が一騎打ち主流でってとっくに否定されているんだがな
0248人間七七四年2018/04/18(水) 23:35:57.48ID:hDXaTBqz
いや否定されてないよw
そもそも平安鎌倉時代の武器は槍じゃなくて薙刀なんよ
この薙刀の構造を考えたら集団戦なんてできないわけ
薙刀は縦横に振らないといけない
集団戦で使用したら近くの味方に当たるのね
さらに戦の規模は数千で小規模
そして武士の鎧は弓から身を守る大鎧
この辺を要素を含めると一騎討ち否定は説得力がないのね
0249人間七七四年2018/04/18(水) 23:55:36.47ID:4sBVB6M7
薙刀や大太刀を使うから陣形とか隊列とかないバラバラの馬上戦が基本って話はあったね
0250人間七七四年2018/04/18(水) 23:59:50.99ID:F++0gez9
薙刀を使うことと集団戦でないは繋がらないよ
日本の軍隊は古代から散兵思想だから

むしろ南北朝時代になってさらに多くの打物が使われるようになる南北朝で戦争はどうなった?
0251人間七七四年2018/04/19(木) 12:53:46.47ID:SagwRoKA
>>232
戦略というか、バランス感覚というか。
父・信玄があれほど東西挟撃に腐心したのにな。
長篠の戦いは1575年だが、奥平の裏切りは1573年。
長島一向一揆鎮圧が1574年だから、どう考えても、仕掛けるのが1年遅い。
0252人間七七四年2018/04/19(木) 13:08:15.06ID:7jmKcBKI
長島一向一揆鎮圧は高天神城陥落直後だったよね。
というか長島一向宗を騙すために武田相手に高天神城で戦をするように見せかけて
勝頼が高天神城を落とすや無念の撤退するように見せて帰り路で長島を突如攻めた。
その時、勝頼は何をしてたかというと高天神城を落とした悦びで意気揚々と勝鬨を挙げて甲府へ帰国してた。
もうアホかと馬鹿かと。
なんで信長軍を追撃しない。戦うならココだろ。
0253人間七七四年2018/04/19(木) 13:11:22.79ID:pJlgOHoQ
>>252
追撃なんか出来ると思うの?
信長は別に負けてないし、徳川家康も主力は温存している。
まあ勝頼が高天神城落としたなら、次は何で掛川を攻めないのか凄い疑問。
掛川落としたら徳川家康は遠州東部を完全に失うのにね。
0254人間七七四年2018/04/19(木) 13:37:38.17ID:ail1EznB
解釈の原因は解釈者自身の固定観念。解釈の自由には責任が伴う
言葉風紀世相の乱れはそう感じる人の心の乱れの自己投影。人は鏡
憤怒は一時の狂気、無知無能の自己証明。中途半端な知識主ほど激昂
「真実は一つ」は錯誤。執着する者ほど矛盾を体験(争い煩悩)
他人に不自由(制約)を与えれば己も不自由(不快)を得る
問題解決力の乏しい者ほど自己防衛の為に礼儀作法マナーを要求
情報分析力の低い者ほどデマ宗教フェイク疑似科学に感化洗脳
自己肯定感の欠けた者ほど「己の知見こそ全で真」に自己陶酔
人生経験の少ない者ほど嫌いキモイ怖いウザイ憎い想定外を体験
キリスト教は世界最大のカルト。聖書は史上最も売れているト本
全ては必然。偶然 奇跡 理不尽 不条理は思考停止 視野狭窄の産物
人生存在現象に元々意味価値理由目的義務使命はない
宗教民族領土貧困は争いの「原因」ではなく「口実動機言訳」
虐め差別犯罪テロ紛争は根絶可能。必要なのは適切十分な高度教育
体罰は指導力問題解決力の乏しい教育素人の独善甘え怠慢責任転嫁
死刑は民度の低い排他的集団リンチ殺人。「死ねば償える」は偽善
核武装論は人間不信と劣等感に苛まれた臆病な外交素人の精神安定剤
投票率低下は社会成熟の徴候。奇人変人の当選は議員数過多の証左

感情自己責任論 〜学校では教えない合理主義哲学〜 m9`・ω・)
0255人間七七四年2018/04/19(木) 13:38:24.13ID:7jmKcBKI
>>253
長島勢と武田勢で挟み討ちじゃん
ついでに美濃明智城からも近いし。
0256人間七七四年2018/04/19(木) 13:41:02.91ID:lAvoEOjX
長島一向宗はすぐに滅亡したわけじゃないから
武田が美濃東部に出陣すれば救えたよ
それすらせずに見捨てた
浅井朝倉滅亡後は長島一向宗だけが頼りだったのにね
ここが残ってれば長篠に3万5000も連れてこれなかった可能性もある
0257人間七七四年2018/04/19(木) 14:19:08.02ID:W+52t5W7
>>255
長島の一向一揆は遠征能力がろくにないんだから、掛川から長島まで敵地を何キロ突っ切ることになるやら・・・
牽制できたことは否定しないが・・・
0258人間七七四年2018/04/19(木) 15:35:50.73ID:7jmKcBKI
勝頼には戦略眼も勝負勘も無いんだよな。
親父の遺伝だから仕方ないけど。
0259人間七七四年2018/04/19(木) 15:55:01.18ID:fE5tRNR4
畿内が平定された時点で長島一向宗の運命は詰んでたよ
信玄のときとは状況が違う
勝頼だけで長島を救えるなんてナイナイ
0260人間七七四年2018/04/19(木) 16:20:59.63ID:anrYiGj5
長島の時は勝頼は高天神城まででいい
第三次信長包囲網の時に攻めるべし
0261人間七七四年2018/04/19(木) 18:38:34.01ID:SagwRoKA
>>258
信玄パパの方は三傑に比べると近視眼的だが、勝負勘はあった。
信長の風下に立ちたくないなら、僅かでも勝機があるのは、朝倉・浅井・畿内反織田勢力が揃っている内だと。
武田存続の為には、信玄ブランドが高い内に売るべきだったから、その前の判断に問題があったわけだが。
勝頼が最終的に信長に勝つ見込みは限りなくゼロに近いが、長島一向一揆が織田主力を引き受けている間が、最後のフリーハンドだった。
ターゲットは高天神城ではなく、徳川主力だろうに。
天の配剤か、織田への姿勢で徳川親子はしっくりしていなかった、千載一遇のチャンスを逃した。
0262人間七七四年2018/04/20(金) 02:26:39.11ID:oUEt/NBw
確かに、20000以上の大軍だったかな、
それだけ動員して城ひとつ落としたのではペイしない。
0263人間七七四年2018/04/20(金) 02:45:29.84ID:3febzSKD
むしろ一向一揆が織田主力を引き付けてるなら攻め込むべきは東美濃だろ・・・・
織田軍も東美濃に2万で武田が攻め込めば長島に構ってる暇はない
織田が撤退時に長島一向宗の追撃食らって少なからず損害を出して
そのまま武田軍と激突するなら結構なピンチだと思うが
0264人間七七四年2018/04/20(金) 04:22:29.14ID:QaY9wQwj
>>263
3回目の長島攻めは水陸共に織田軍は大動員していて、長島に勝ち目はない。仮に武田が東美濃に攻め込んでも、徳川家康がちょっと駿河を突っついたり、織田信長が長島包囲から1万も裂けば、それだけで武田は引き上げる。
0265人間七七四年2018/04/20(金) 11:34:12.87ID:useDPocJ
>>264
家康が単独で駿河に来てくれたら
余裕で勝頼は殺すんだが。
それが一番理想的な展開。
0266人間七七四年2018/04/20(金) 11:37:18.99ID:JBli8W4u
>>265
お前日本語読める?もしかしてハングルじゃないとダメなやつ?
0267人間七七四年2018/04/20(金) 12:42:47.12ID:e1mo8fiI
>>263
機動力に欠ける一向衆では、第二次長島一向一揆の退却戦と同程度の被害で、軍秩序を保った「転進」。
戦力差は長篠より悪いし、戦場から離れた徳川主力はフリーハンドになる。
岡崎か浜松で徳川とタイマン
0268人間七七四年2018/04/20(金) 12:50:53.56ID:e1mo8fiI
>>267
続き、送信しちまった。
徳川の野戦軍に大打撃を与える方が後々有利になる。
水野氏の調略もし易くなる。なんせ地元の最強勢力が撃破されたのだから。
高天神城を落すより、狙いは良いと思うんだが。
0269人間七七四年2018/04/20(金) 18:08:45.33ID:useDPocJ
基本戦略は簡単なんだよ
信長が来たら逃げる、信長が去ったら家康を虐める
信長が再度来たら逃げる、信長が再度去ったら家康を虐める
スキピオがハンニバルに対して採用した作戦だ。
効果はみなさんの知る通り。
0270人間七七四年2018/04/20(金) 18:12:19.91ID:wmpEKamp
>>269
勝頼をスキピオ、ハンニバルと同格にするのはあるいはそれを求めるのは大間違いじゃないかな?
0271人間七七四年2018/04/20(金) 18:15:47.61ID:useDPocJ
>>270
じゃあビンラディンがブッシュに対して採用した作戦でも
彭越が項羽に対して採用した作戦でもいいや。
ネコとネズミ作戦は世界中どこでも普遍的に使われる作戦だし。
0272人間七七四年2018/04/20(金) 18:21:23.18ID:wmpEKamp
>>271
勝頼にそれができるかなあ。
勝頼が強いことは確かだけど、いらない土地ばっかり奪っては守ろうとした感があるから。

長篠で負けたら潔く東美濃と遠州は放棄したらいいのに、それすらしないし、北条との戦いでは何が目的で東上野一帯を征服したんだか。
0273人間七七四年2018/04/20(金) 18:24:48.51ID:JBli8W4u
家康が駿河に入る→勝頼出陣→引き上げ
0274人間七七四年2018/04/20(金) 19:32:37.58ID:N7gZnwC7
美濃→駿河の転戦は移動距離が長すぎてどうしても対応が遅れるし、財政負担も大きくなり何度も繰り返すと破綻します
0275人間七七四年2018/04/20(金) 20:14:41.45ID:EhkfBjd4
>>269
勝頼はカンナエの戦いのハンニバルの采配を真似しようとしたのか
長篠の戦いでは敵より劣る戦力で左右翼を機動がある騎馬部隊で包囲しようとしたら
結果は…
ハンニバルレベルも厳しいのに
0276人間七七四年2018/04/20(金) 21:32:09.68ID:jUyuI5YQ
嫡男殺してまで獲た駿河も滅亡の際ではなんの役にも立たんかった
せめて信玄自身が居城を駿府に移せばよかったのに
山猿軍団じゃなんもできん
0277人間七七四年2018/04/20(金) 22:08:40.59ID:3kmzVf1l
>>218
木曽には目付を配備していたよ
起請文提出とか人質とったりしていたし、勝頼は木曽に対してはかなり警戒していた

裏切るような奴を置くなとかじゃなくて
勝頼が置いたわけじゃないし、昔からの国人領主を配置替えなんて出来るわけないだろ
0278人間七七四年2018/04/20(金) 22:47:38.93ID:1EkAcZqO
究極的には勝負は時の運みたいなところはあるから
勝頼ばかり攻めるのはアンフェアではあるんだが
大阪夏の陣の家康ですらワンチャンやられる危険性があったわけでな

>>272
あれは上野担当の真田昌幸が頑張りすぎてたんじゃないのかなw
上杉と北条で景虎に上野と管領の地位を渡すという協定があって、それが御館で吹っ飛んで、武田対北条だと武田が圧倒してたんだっけ
0279人間七七四年2018/04/20(金) 22:51:56.43ID:+7bYFXsv
>>235
織田を叩くにはあのタイミングしかなかった
あそこで決戦を避けたら国力差はもっと広がるのは明白だったから、むしろやらなければならなかった
0280人間七七四年2018/04/20(金) 22:57:13.23ID:+7bYFXsv
>>278
ただ単に周囲に反北条方が多く彼らと連携しながら戦っていたから有利だっただけだと思うが
常に一対一でやってるわけじゃないし
0281人間七七四年2018/04/20(金) 23:18:37.19ID:QmywqaF/
1580前後くらいには、織田と戦うのは無理と判断して織田の血を引く嫡男の信勝に家督を譲ったり人質の織田勝長を返還したりしてたよね
粘り強く交渉続けてたし、一刻も早く和睦したかったんじゃないかな

一方で
佐竹氏らと組んで関東では優位に戦えていたので、北条氏を破って信長と出来るだけ良い条件で交渉しようと考えていたのかもね
0282人間七七四年2018/04/20(金) 23:27:22.88ID:dOGHeepr
長島キューサイのために水軍を伊勢湾まで出す計画だったんですか?
0283人間七七四年2018/04/21(土) 00:41:20.20ID:PZF7awDL
>>281
佐竹が武田を関東に引っ張り出したくて
同盟仲介進展を盛った思ってる
さもなくば臨戦中に人質わざわざ返すバカはいないわけで
0284人間七七四年2018/04/21(土) 01:03:43.35ID:pSs52tep
俺が勝頼なら駿河遠江を徳川に譲って織田に従属するわ
なんなら信濃も織田にくれてやる
ここまでやればさすがに許してくれるでしょう
徳川を味方に付ければ織田も驚異になって許すしかない
0285人間七七四年2018/04/21(土) 01:08:15.91ID:1zzhJ7rB
信濃もらって織田が喜ぶかな。広いだけで見渡すかぎり山だらけ。正に味わい深いお暮しぶらじゃ
0286人間七七四年2018/04/21(土) 01:23:06.07ID:nNLnfm/R
>>284
勇気を超越して無謀な決断するね、キミ。一門や家臣団の手にかかって流行り病で病死じゃすまないぞ。
冗談抜きでそんな提案したら八つ裂きにされると思うが。

仮に奇跡的にその問題をクリアしたとしよう。その条件じゃ織田がのらない。
そうだな、勝頼と信勝が切腹して、一門族滅させて後継を勝長にして、その決定に反発しそうな
家臣団と領民を全員殺してようやく検討する価値があるレベルかな。まあ要するに、無理って事だが。
0287人間七七四年2018/04/21(土) 02:00:33.58ID:03D2vHts
いっそ謙信みたく国を捨てて出奔。
勝頼単身か親子だけで岐阜に出頭でもすれば受け入れてもらえるかな。
0288人間七七四年2018/04/21(土) 02:14:08.19ID:ICr34YZe
>>284
いいや絶対に許さない
0289人間七七四年2018/04/21(土) 02:14:15.82ID:pSs52tep
>>286
武田は国人の寄り合い体制の合議制の議長みたいなもんよ
だから先に徳川に駿河遠江を譲って、徳川を武田領内の問題に介入させる
この徳川をつかって織田と武田を仲介させる
ことを起こすのは長篠の後、武田四天王も崩壊して有力国人は動けないでしょう
武田の家臣団は信虎追放、甲州征伐をみても独立性が高い。だから信虎は統治に恐怖を用いらないといけなかったし勝頼と同じように裏切られた
つまり、織田への従属を示した場合、国人は勝頼を攻撃するより、自分の領土を守る方向に向く。
こうやって、国人が独立させて、武田は徳川と織田と協力して再度信濃、そして越後を侵略する。
0290人間七七四年2018/04/21(土) 02:25:42.31ID:pSs52tep
さらに嫁の実家の北条にも軍事介入させて
もしもの時は北条に逃げる
武田徳川北条の三国同盟を盾に織田との関係を修復

いけるやろ!
0291人間七七四年2018/04/21(土) 02:28:22.91ID:ICr34YZe
>>290
おまえさんが勝頼だったら史実よりはるかに惨めな死に方をしただろうな。間違いない。
まだ勝頼は武士として故郷の甲斐で潔く腹を切り後世に名を残せただけマシじゃ
0292人間七七四年2018/04/21(土) 02:30:00.09ID:nNLnfm/R
>>289
ああ、じゃあはっきり言うね。
まず勝頼親子が腹切らないと信長は降伏受けない、絶対に。それと徳川も同じ考えだと思うから。
いくら領地やるって言っても無駄。どうせすぐ取り返しに来ると思われてるだろうし。
武田をどうにかしたいならもう勝頼は何が何でも死ぬしかないってのは前提だと思っていい。
0293人間七七四年2018/04/21(土) 02:32:41.12ID:ICr34YZe
勝頼が生き延びる術は信長の目を盗んで家康を殺し(この事自体は軍事的に可能だった)
信長を若干不利な体勢に追い込んで初めて和睦が成立するかどうかだよ。
0294人間七七四年2018/04/21(土) 02:35:32.34ID:1zzhJ7rB
生き残る方途は、武田家自主廃業を議決し、一族だけつれて春日山の食客になる
0295人間七七四年2018/04/21(土) 02:39:07.61ID:pSs52tep
いや徳川は話に乗るでしょ
なんなら駿河分割に北条も介入させる
要は武田領内が混乱すればするほど武田領内に対して織田上杉徳川北条の動きが活性化する
このどさくさに勝頼は争乱の中心に立って武田の地位を確立させる
要は武田を一度解体させないといけない。
0296人間七七四年2018/04/21(土) 02:44:20.31ID:ICr34YZe
というか武田家単独では130万石くらいあり
単独で60万石くらいしかない徳川家は常に圧迫されてたからな。
家康は常に勝頼と単独では決戦しないよう逃げ続け
勝頼の目を盗んでは奥三河や駿河などちょこちょこちょっかいかけ挑発しては逃げてた。
長篠の合戦で勝頼が信長と直接対決してくれなかったら徳川家は結局武田家への抗戦を諦め
武田家に併呑された可能性すらある。息子の信康もそういう空気の中で勝頼方へついたとみなされて殺されたわけだし。
0297人間七七四年2018/04/21(土) 02:44:47.55ID:LfL4E5U1
もし武田征伐直前の状況で本能寺みたいなのが起きた場合
長篠で弱体化した武田がどう立ち回ったかは興味あるな
火事場泥棒で東美濃は確実に抑えるだろうし
0298人間七七四年2018/04/21(土) 02:49:41.53ID:ICr34YZe
その場合、史実では裏切った木曾が何食わぬ顔して岐阜城を攻め
穴山は遠江を接収し、家康は専守防衛か下手したら武田家に人質を送って臣従を誓っただろうな。
0299人間七七四年2018/04/21(土) 06:40:41.39ID:7fPUPxag
>>283
そういう考え方も出来るね
佐竹にも思惑はあるだろうし
ただ、いずれにしても滅亡直前頃は織田と戦う意思はなかったと思うよ
徳川に対しても積極的に攻撃仕掛けるのはやめているし
0300人間七七四年2018/04/21(土) 06:57:49.64ID:Q11IVbyy
国人の寄り合い体制だから領地切り離しができないんだよ
「あなたの土地は見捨てるから後は好きにしていいよ」と同じ意味になる
そんなことしたら皆、離反していくよ

自分から軍事力低下させるのもアホだし
切り離すという選択はそもそもないよ
0301人間七七四年2018/04/21(土) 07:07:39.48ID:Q11IVbyy
>>296
御館の乱以降、北条と敵対して北条側にも兵を配備しないといけなくなったから、対徳川戦はかなり不利になってるよ
その頃に遠州も取られてるし
国高の差はあっても徳川は対武田に全力投球できるから
0302人間七七四年2018/04/21(土) 07:59:29.53ID:YvVCDN5Q
国人といえば、穴山氏、小山田氏の領地が甲斐国内にあったし、一条信龍も甲斐・上野城主。
太閤検地で甲斐22万石だから、武田宗家の直轄領と旗本領はどの程度だろう?
美濃にも稲葉氏、安藤氏、遠山氏のような国人領主がいたが、安藤氏があっさり追放されたように実質的に家臣化されていた。
0303人間七七四年2018/04/21(土) 08:36:17.17ID:zaz+YIw6
仮に勝頼が積極的な対外遠征せずに内治に頑張っていたら、どうなったかな?
0304人間七七四年2018/04/21(土) 08:45:17.20ID:Cafmo9se
勝頼と真田昌幸の関係って史実ではどうなの?
岩櫃城へ勝頼が来るよう進言したのってホントなんですか?
0305人間七七四年2018/04/21(土) 09:12:49.81ID:ICr34YZe
>>303
内治も統治機構の変革、防衛機構の建設
治水、開墾、殖産興業、工業化etcと様々あるが
ハドリアヌス帝みたいに防衛機構の建設(リメスやハドリアヌスの長城)に成功してれば
容易には武田家は滅びなかった。非常に守りやすい土地だしね。
0306人間七七四年2018/04/21(土) 09:19:53.56ID:ICr34YZe
国人衆の寄り合い所帯だと頭領である義信や勝頼のカリスマに頼る統治になるので裏切りが出やすく良くない。
その解消に三英傑は挑んだわけだけど信玄は一切そのやりたくない嫌な作業に取り組まなかったよな。
0307人間七七四年2018/04/21(土) 09:41:06.92ID:v04NHq6J
新府城建設で財政困窮&領民の不満がヤバかったのに防衛機構で長城とかw
守りやすい半面、攻めにくく塩止めやられたり港もないから人も集まらず経済が悪化するだけだ
そして火縄銃や大筒や大砲の登場でそれをより多く揃えたほうが有利になる時代に
経済困窮して揃えられないようじゃ詰んでるも同然
0308人間七七四年2018/04/21(土) 09:57:49.90ID:ICr34YZe
長城(新府城)を建設しようとして滅んだわけだが
順序としてはリメス→長城だよな。
まずは防衛システムを構築しないと話にならない。
イージス艦とかF35とか単独で揃えても無意味だ。
0309人間七七四年2018/04/21(土) 10:12:20.88ID:xyXavDdF
長城案とか正気の沙汰じゃねぇぞ
常にそこに兵士を置いて守らせる費用は誰が出すんだ?
戦線の穴が多すぎてカバー不能なんだが
0310人間七七四年2018/04/21(土) 10:40:06.69ID:ICr34YZe
完全に逆だし
ハドリアヌスの長城に行った事ねえの?
人件費をケチるための壁だろ
ここまで頭悪い人が日本に生存してるとは思わなかった。
アメリカーメキシコの壁の方が分かりやすいかもな。容易に行けるし。
0311人間七七四年2018/04/21(土) 10:44:15.92ID:lM7XIw7S
高天神城落としたなら掛川城まで落とすべきだった
0312人間七七四年2018/04/21(土) 10:49:17.68ID:ICr34YZe
信長は高天神城へ行きながら信雄に対し南伊勢の一向宗贔屓の豪族の城落としと
大規模な船集めをさせてたので勝頼が広く情報収集をして長島からの使者と密に連絡を取ってたら
長島見殺しはしないで済んだだろうな。
0313人間七七四年2018/04/21(土) 11:01:00.60ID:v04NHq6J
>>310
大筒、大砲がある時代と大昔のない時代の戦法が通用すると思ってる時点で時代錯誤すぎるw
0314人間七七四年2018/04/21(土) 11:04:14.78ID:ICr34YZe
>>313
海と山での防衛戦で大筒は活躍するが
山岳地方への攻城戦では現在ですら大砲は有用ではない。
数百キロにも及ぶ大砲を山岳地方で自由自在に動かすためには
道路整備からしなきゃ駄目だぞ。
0315人間七七四年2018/04/21(土) 11:06:21.84ID:ICr34YZe
大砲の機動的運用をするために第一次世界大戦では
列車砲なるものを開発、運用したが
二次大戦で飛行機とかできると無用の長物になったよな。
基本的には大砲は動かせないものだと思うべき代物。
0316人間七七四年2018/04/21(土) 11:09:26.95ID:Cafmo9se
>>314
すげーこの人、もろ軍事オタクって感じする
いろんな言葉、羅列してるけど何もわからんわ
0317人間七七四年2018/04/21(土) 11:18:08.48ID:v04NHq6J
>>314
ハドリアヌスの長城を例に出すなら1.5kmの間隔で監視所
6km間隔で要塞も建築されてたのも分かるよな?
壁で防いでるわけじゃないのを
0318人間七七四年2018/04/21(土) 11:42:45.62ID:vqRMKivH
建設費用が捻出できるかどうかだな。信玄の時代から無駄な外征をせずに取り掛かっていれば勝頼の代で効果を発揮したかもしれんけど、これが必要と認識されるとしても長篠以降だろうし、新府城の建設費だけで足りるかね?
あと甲斐を護って信濃や駿河は捨てるでいいのかな?
0319人間七七四年2018/04/21(土) 11:45:32.21ID:PZF7awDL
まだ甲府盆地のみを守る話をしてんの?
信濃切り捨てて残った盆地のみで何人動員できるの?
0320人間七七四年2018/04/21(土) 11:47:22.00ID:H5GD4PzU
>>298
徳川は史実みたいに明智攻撃のために主力を西に向けずに
領国の防衛で手一杯
美濃尾張は大混乱
武田が戦うとすれば伊勢の織田信雄くらいだろうけど
これはもし出てくれば瞬殺だろうなw
0321人間七七四年2018/04/21(土) 11:49:16.67ID:mtByKAsZ
たとえる君は風呂敷広げすぎて収集がつかなくなる
論点が乱れるからほどほどにしてくれない?
知識自慢はイランよ
0322人間七七四年2018/04/21(土) 11:49:40.14ID:H5GD4PzU
最近の研究では新府は城ではなく館だった説もあるな
確かに敵に攻め込まれて韮崎で籠城してもその時点で信濃は落ちてるだろうし何の意味もない
0323人間七七四年2018/04/21(土) 12:00:39.36ID:1zzhJ7rB
いくらカネをかけて新府城作ったって、内から崩れたじゃないですか。しかも材木運びで木曾と山村家老が武田を見限ったし
0324人間七七四年2018/04/21(土) 12:12:10.45ID:H5GD4PzU
勝頼もこのスレの書き込み見たら麻生みたいに
「じゃあどうしろっていうんだ!具体的なこと言え」ってキレるんだろうなw
0325人間七七四年2018/04/21(土) 13:35:00.59ID:oR1ttmP5
>>304
個人の関係は悪くないと思う

真田昌幸の岩櫃城、長坂が真田より小山田を云々は甲陽軍鑑(日付にして3/2)ですな
甲乱記、理慶尼記等にはないですね

甲乱記の場合だと勝頼自ら勝沼で雌雄を決しようと小山田に尋ね
小山田が迎える準備をするため一足先に城へ帰った(これも3/2)
新府城に火をかけた(3/3)ときに勝頼と同行し直もついて来ようとする信豊に別れるよう促している

信長公記だと小諸城に籠城してこれを支えるために信豊は向かったとする
甲乱記だと勝沼で織田軍を防ぎ、武田信豊が上野、信濃の国衆を集め(その国衆は真田もだね)
織田の背後を封鎖する(天正壬午の徳川が武田、織田が北条)作戦をやろうとしていたのではないかという話
信豊としては自分に従わない場合はただの徒労に終わる。ならばどこまでも付いていきたいと願って言うことを聞かなかったが
勝頼も折れることなく一門同じ場所に集まればそれは計略がないに等しいと説得して
ついには信豊も折れて勝頼のもとを離れ小諸に向かったと

信豊が逃げたとするのも軍鑑
0326人間七七四年2018/04/21(土) 13:48:44.93ID:Cafmo9se
>>325
すごい詳しい説明ありがとうございます
勉強になりました
0327人間七七四年2018/04/21(土) 14:44:58.66ID:mytWp3l1
義信を殺さず、三国同盟を維持した場合、氏真では織田・徳川にさっさと降伏して、
逆に織田・徳川の先方として攻めてくる可能性もある
0328人間七七四年2018/04/21(土) 15:50:22.91ID:CPlrgFj+
>>327
徳川家康に降伏は考えにくいし、信長に降るはあり得ないな。少なくとも寿桂尼が生きている間は無理だ。
0329人間七七四年2018/04/21(土) 16:01:31.03ID:mytWp3l1
当時の今川は強くないどころか弱すぎるからどうかな〜
同盟維持しても戦力にならないどころか足手まといになっちゃうような
気もする。
0330人間七七四年2018/04/21(土) 16:05:03.99ID:gSSskmhF
>>329
弱いなら弱いなりに利用したらいい話。
徳川家康なら今川氏真を利用して攻めたらいい。
0331人間七七四年2018/04/21(土) 18:09:16.44ID:ICr34YZe
おそらく今川は親戚のよしみで甲斐に亡命し
武田家は客将扱いで駿河侵略の手駒として使う事になるけど。
0332人間七七四年2018/04/21(土) 19:02:57.99ID:ueosTfde
>>331
それが武田信玄には出来ない。
出来るなら諏訪頼重を殺さないし、北信の国衆だって取り込んだはず。
武田信玄は敵を傀儡として使うことがとにかく下手だった。
0333人間七七四年2018/04/21(土) 19:10:52.46ID:JBkvJYO7
氏康パパのとこだろどう見ても
義信いりゃともかく信玄はいやだろ
0334人間七七四年2018/04/21(土) 20:17:47.89ID:9KLuJLGc
>>325
勝頼と信豊の関係も気になる
軍艦は信豊を悪く書いてるけど実際は軍事外交でかなり重きをなしていて官房長官的な存在だったように思うが
0335人間七七四年2018/04/21(土) 20:48:06.44ID:5sdOUXUG
軍鑑で悪しざまに描かれる人は勝頼の重要なブレーン達でやっかまれた連中
という雑な捉え方をしたくなる
0336人間七七四年2018/04/21(土) 20:57:41.37ID:vMe5t+fW
>>302
甲斐は、事実上西部の国内と東部の郡内は別だったらしい。
小山田領は完全な独立勢力で、小山田と言う従属大名が存在する形。
武田氏の本拠は石和あたりって正直甲斐国内の蔵入地が大きいとは
思えないよね?
精々3〜5万石とかの気がする?
0337人間七七四年2018/04/21(土) 21:03:44.29ID:pCSpe6Bc
新府の立地も穴山さんの推挙なんだって?
0338人間七七四年2018/04/21(土) 21:09:15.82ID:ueosTfde
>>337
それ創作ね。
新府こと韮崎は武田家発祥の地で所縁が深いという事情がある。
ただし、城下町作るには向いていない。
0339人間七七四年2018/04/21(土) 21:10:57.80ID:ueosTfde
>>334
悪くはないと思う。
信豊の息子に勝頼は娘を嫁がせようとしたし。
ただ信豊は有能だったのか疑問。
0340人間七七四年2018/04/21(土) 21:28:53.88ID:pCSpe6Bc
>重要なブレーン達
0341人間七七四年2018/04/21(土) 21:34:24.94ID:ICr34YZe
>>336
西部の河内?
0342人間七七四年2018/04/21(土) 21:39:30.41ID:ICr34YZe
小山田はなんで最後に勝頼を裏切っちゃったんだろうな。
岩殿城に偽勝頼を立てて立て籠もれば二月はもったと思うぞ。
その間に自分の息子と勝頼は国外へ逃がす事はできたと思うぞ。
小山田領は日本屈指の卑怯だから山に一旦入られたらほぼ捕縛が不可能だし。
0343人間七七四年2018/04/21(土) 21:39:50.02ID:ICr34YZe
卑怯じゃなくて秘境だったw
0344人間七七四年2018/04/21(土) 21:41:28.49ID:OL92+JSd
>>336
小山田なんて勝頼の代は家臣だよ
0345人間七七四年2018/04/21(土) 21:43:15.40ID:1zzhJ7rB
大月駅から見える岩肌むき出しのあの山岳。天然の要害。
0346人間七七四年2018/04/21(土) 21:44:45.03ID:JBkvJYO7
342が小山田なら確実に裏切ってるだろ
0347人間七七四年2018/04/21(土) 21:47:51.03ID:ICr34YZe
実際に小山田信繁の息子は放浪して北条家の家臣になったり真田家の家老になってるんだから
逃げる事はできたという事だしな。
0348人間七七四年2018/04/21(土) 21:52:25.56ID:9KLuJLGc
>>342
そもそもよく思ってなかった可能性もあるね
甲相同盟が破綻してからは、郡内は北条氏の驚異にさらされていて緊張状態にあったのと
うろ覚えだが「何でこんな目に合うんだ」みたいな感じで嘆いていた記録が残ってたと思う

それに敵国に囲まれていて逃がすのも容易でないと思う
0349人間七七四年2018/04/21(土) 21:55:46.27ID:ueosTfde
>>342
兵糧はどうするの?
確かにすぐには落とせないだろうが、長期戦に成れば嫌がって裏切る家臣が出る可能性がある。小田原も月山富田もそうだった。
0350人間七七四年2018/04/21(土) 22:04:07.18ID:ICr34YZe
>>349
残念だが単なる時間稼ぎだから
当然、岩殿城のものどもは死んでもらう
0351人間七七四年2018/04/21(土) 22:17:04.35ID:WzZ0Dsm0
>>348
末期のころは北条の軍が実際に甲斐国内に侵入を何度かするようになって
この甲斐国内に敵兵の侵入をゆるすのは信虎の代より何十年ぶりかってくらいのことだったので
かなり動揺があったとか
0352人間七七四年2018/04/21(土) 22:19:07.07ID:OL92+JSd
岩殿山城は小山田の城じゃないし
0353人間七七四年2018/04/21(土) 22:43:37.60ID:JBkvJYO7
エア小山田相手にするのやめよう
0354人間七七四年2018/04/21(土) 22:55:35.66ID:ICr34YZe
あら。じゃあ岩櫃城だっけ?
ごっちゃにしてすまん
0355人間七七四年2018/04/21(土) 23:04:51.40ID:ICr34YZe
ありゃ ググったがやっぱり岩殿城は小山田の城だった。
0356人間七七四年2018/04/21(土) 23:09:56.19ID:9KLuJLGc
>>350
そんな状況で勝頼と小山田の息子だけ脱出できるわけないじゃん
0357人間七七四年2018/04/21(土) 23:13:52.33ID:eFzhnjcI
>>342
信長「確かに小山田は日本屈指の卑怯なので斬った」
0358人間七七四年2018/04/21(土) 23:15:05.78ID:9KLuJLGc
あと、勝頼が最後に岩殿山に退避を決めたのは
逃げるためではないと思う

そこは現代人の感覚とは違うだろうよ
0359人間七七四年2018/04/21(土) 23:33:08.99ID:mytWp3l1
>>330,>>331,>>332,>>333
ということは、一度、
駿河は徳川に取られ、武田は逃げてきた氏真を擁立して駿河を取り返すということですね。
それなら、史実通り、信玄が最初から武田が駿河を攻め取ってしまった方が
手っ取り早くありませんか?
0360人間七七四年2018/04/22(日) 00:10:50.80ID:raO4+aTE
>>359
短期的にみたら手っ取り早くていいよね
0361人間七七四年2018/04/22(日) 00:46:29.52ID:cKwo7cQG
徳川単独ではまず中遠まで来るのが限界だろ?
それに駿河へ来れば北条の海軍が援護できるのでそうそう
駿河へ入るのは無理
で氏真は甲斐の山に入るよりは北条を頼るはず
なぜなら駿河東からは相模の方が近い
なので見当違いの話してる
0362人間七七四年2018/04/22(日) 02:02:22.82ID:1DwtN6Xr
武田は駿河から逃げてきた氏真を擁立して徳川と戦うより、
弱い氏真率いる今川と戦った方が楽。領地も手に入る。
0363人間七七四年2018/04/22(日) 03:27:21.63ID:raO4+aTE
今川、北条連合軍と徳川を戦わせて信玄が漁夫の利を得る方法は無いの?
0364人間七七四年2018/04/22(日) 04:41:28.19ID:laA16EuP
まことの話は、意味不明である
0365人間七七四年2018/04/22(日) 06:17:17.72ID:cKwo7cQG
徳川と今川交戦中に徳川の三河と遠江攻めれば漁夫の利だろうよ
0366人間七七四年2018/04/22(日) 06:35:18.35ID:2Wh05ZbM
>>359
今川氏真の同盟者として、親戚として大義名分が手に入るでしょ。史実みたいに三国同盟を破棄した張本人みたいに言われることもないし、北条との関係も保てる。

今川氏真も武田信玄を頼ったならいくらかは領土を分割せざるを得ないし、以前ほど国主としての力はない。武田信玄は氏真の叔父として傀儡に立てるのもいい。

それと当時の徳川家康はまだ三河だけの大名で、武田信玄が今川氏真とその家臣団を取り込めたら撃退は難しくはない。
0367人間七七四年2018/04/22(日) 07:28:10.01ID:raO4+aTE
>>365
じゃあその策でいけばよかったのにな。
家康が漂浪の身になった面白いし
泣きついてきたら信玄の配下の武将にしてあげてもいいし。
0368人間七七四年2018/04/22(日) 07:30:48.66ID:raO4+aTE
でも普通に考えたら今川の後ろ盾に信玄と氏政が居たら
家康も遠江占領まででその先は思いとどまるだろうな
逆に三国に挟み討ちにあって滅ぼされる可能性の方が高いし。
0369人間七七四年2018/04/22(日) 07:36:19.93ID:raO4+aTE
むしろこれが策だったら「さすが信玄なんだけどな」

信玄「家康よ。同盟を組んで今川領土をはんぶんこしよう」

家康「イエッサー!」

〜〜〜今川領戦地にて〜〜〜

家康配下「なぜか信玄の別動隊が東美濃ルートで本国の三河を落としたでごたる」

家康「アババババ」
0370人間七七四年2018/04/22(日) 07:58:02.38ID:raO4+aTE
この時代に緩衝地帯という概念が存在したかどうかは知らないが
駿河の今川家って東国と西国の間にある最高の緩衝地帯なんだよね。
なんでその緩衝地帯を進んで潰したのかがよく分からない。
即座に信長と決戦するという前提でのみ潰す必要はあるけど。
0371人間七七四年2018/04/22(日) 08:06:49.88ID:Y5TP1xIg
>>370
一番大きいのは港湾を得るため、だと思う。輸送と港湾収入は大きい。
内陸国の場合、輸送に向かず、港湾収入がないので、経済封鎖に
非常に弱い。駿河を得るという戦略は間違ってはいない。

問題は、そのため同盟破棄し、他国の信頼を失ったことの方だろう。
0372人間七七四年2018/04/22(日) 08:11:44.68ID:raO4+aTE
>>371
どの程度の港湾収入を実際得られたのかよく分かってないんだよね
それで武田家の財政が豊かになったかと言えば
右肩下がりで財政状況が悪化してるし。
0373人間七七四年2018/04/22(日) 08:12:19.69ID:AsAw7QaU
>>365
そうならないように徳川としても武田と組んだ上で今川と戦うことにしたんだろ
0374人間七七四年2018/04/22(日) 08:16:44.68ID:AsAw7QaU
>>366
武田の視点だけで物事を考えすぎなんだよ
他の勢力にも意思決定力はあることを無視してないか?
それは武田の都合だけに合わせて事が運んだ場合だろ

氏真を人形かなんかと勘違いしてないか?
0375人間七七四年2018/04/22(日) 08:17:32.85ID:raO4+aTE
どんどん領地が侵食されて無くなりつつある今川家に対し
信玄「叔父である私を頼れ、お前を守ってやろう。守るために港をちょっと借りるぞ。
清水港の租借喜元99年間な。ついでにそこから半径3キロは武田家の租界だから。
文句ないな」で問題無かったんだけど。
0376人間七七四年2018/04/22(日) 08:21:26.68ID:AsAw7QaU
しかも武田から裏切ったのではなく
先に上杉と組んだのは今川だよ
0377人間七七四年2018/04/22(日) 08:23:52.93ID:raO4+aTE
そうだっけ?
0378人間七七四年2018/04/22(日) 08:24:57.41ID:AsAw7QaU
>>375
武田と徳川に挟撃されたから今川はピンチに陥ったんだけどな
0379人間七七四年2018/04/22(日) 08:25:30.42ID:flfwWXSb
まあ今川氏から見れば信長との通婚と義信事件のあとじゃ
武田を信用する気にはなれないのは無理もない
0380人間七七四年2018/04/22(日) 08:29:14.43ID:AsAw7QaU
>>377
YES
0381人間七七四年2018/04/22(日) 08:29:45.55ID:raO4+aTE
信玄「我が愛する義子氏真どのの御命がここでは危ない。安全な躑躅ヶ岬で保護してあげるから
おまえら今川家家臣どもは世の指図に従って働け」
これで今川家を乗っ取る方が圧倒的にコストも安いし安全だったんだけど。
義元が松平元康に対してやった仕打ちは子の氏真が受けるべきだし。
0382人間七七四年2018/04/22(日) 09:33:48.22ID:nCMdboTH
>>376
そんなわけないだろ。
今川氏真が上杉謙信と手を結んだら、北条氏康とは手切れになって北と東に敵を作るだけ。

今川は上杉に塩をはじめとした物資を武田領に送ることを止めるように頼んだだけだろ。
0383人間七七四年2018/04/22(日) 09:45:30.79ID:raO4+aTE
別に今川家臣を騙すわけでなく「家康、信長を倒したらきっと氏真殿に駿河、遠江、三河の領地を進呈する。心して働け」と命ずれば
頑張って戦うだろうし。天下を獲ったら氏真に東海三国を与えても実際惜しくないし。
「家康を倒したら遠江を与える」と言ってもよい。三河という要地を武田が押さえる限り遠江は武田にとって絶対必要な土地というほどでもないし。
0384人間七七四年2018/04/22(日) 09:47:45.10ID:kN6VWFIh
信玄は氏康に「いやいや氏真が上杉と組んだから俺やべーってなったんで攻めたんよ」
と書いてるな
でも氏康は義信死亡後に義信嫁の今川家返還を仲介してる
「揉めるのはわかるが俺の顔を立てて穏便にな」と
それが面目丸潰れになったから、武田と手切れしたわけだ
0385人間七七四年2018/04/22(日) 09:49:01.36ID:h8EvxpCE
>>379
というか先に自分が今川の敵と同盟結んどいて
今川が武田の敵と同盟結んだら今川が悪いって
どんだけ自己中なんだよって話。
0386人間七七四年2018/04/22(日) 10:02:03.91ID:nCMdboTH
>>376
こいつ武田信玄が長生きしたら、天下をとれたのかで暴れてる「ねえ」だろ。言ってることがあっちと同じだ。
0387人間七七四年2018/04/22(日) 10:19:23.02ID:cKwo7cQG
375と376はねえの自演くさい
もしくは同質の人間
0388人間七七四年2018/04/22(日) 10:22:28.25ID:2Ja50dq0
どうでもいいし、一々こっちにまで下らない私闘を持ち込むなよ
0389人間七七四年2018/04/22(日) 10:28:24.85ID:raO4+aTE
>>387
そういうおまえがねえってオチはないよな?
0390人間七七四年2018/04/22(日) 11:38:18.97ID:w6w7Z1P4
>>383
現実的に、信玄に義理堅いって評判が有れば上手い手が有りそうなんだよな。
徳川が三河から遠江に勢力延ばしたんで、早くしないと今川領が売り切れに成るって裏切った
訳だし。
今川氏真の正室は北条の娘なんで、北条から見ても西隣の駿河は今川領で有って欲しい。
つまり、徳川が調子に乗って後戻り不可能な事をした後で、今川救援の援軍を大挙して送り
今川は駿河のみ安堵、遠江三河は武田が貰うって形にできそう。
小山田だって、木曾だって従属大名なんだしそれに今川が加わってもおかしくない。
北条との同盟関係を良好にできるなら、駿河は武田が自由に通行できるだけで良いでしょ。
さらに、この形なら実際には今川軍を組下に入れて遠征も出来るかも?
0391人間七七四年2018/04/22(日) 11:49:12.66ID:raO4+aTE
>>390
傘下大名にする手はあったと思うよ。
氏真は史実が示す通り、元家来筋の家康の家臣・客分になったり
信長に命じられて蹴鞠を喜々として見せたりしてるわけだし
元からそこまでプライドが高い人でもないから。
0392人間七七四年2018/04/22(日) 11:51:22.81ID:6isSOudd
馬鹿じゃねーのか?
0393人間七七四年2018/04/22(日) 11:55:56.89ID:raO4+aTE
氏真はお人好しだけど馬鹿じゃねーと思うよ
0394人間七七四年2018/04/22(日) 12:27:06.85ID:TPjI88sT
信玄と対峙した時は戦国大名としての今川家を残そうとした。
信玄の傀儡は無い。
家康、信長に臣従した時は名門・今川を残すことが目的。
蹴鞠上等だろうよ。
0395人間七七四年2018/04/22(日) 12:43:26.92ID:raO4+aTE
傘下大名も普通に戦国大名なわけだが。
家康が代表選手じゃん。
0396人間七七四年2018/04/22(日) 13:30:15.84ID:o4LrNAyQ
結局は信玄に信用が無さすぎてこの手は使えない
0397人間七七四年2018/04/22(日) 13:35:55.44ID:w6w7Z1P4
>>394
信長だって、旧主家の斯波氏の子孫を帰参させてるから。
織田信雄の家老、津川さんの正体です。
元々斯波の分家に津川姓は有っみたいだけど、流石に信長をはばかって改姓だろうね。
でも、城持ち身分だから旧主を優遇してる評判はやはり欲しいみたい。
信玄が今川に援軍出さなかったのは報酬に不満有るからでしょ?
でも家康が遠江取った後で介入なら武田が遠江取っても問題無いだろうし。
駿河の安堵で話付くでしょう。
0398人間七七四年2018/04/22(日) 13:39:55.05ID:w6w7Z1P4
>>396
結局は信玄の信用の無さだろうね。
確実に駿河の安堵が保証されるなら、今川も北条も乗る可能性が高いんだけど?
諏訪本家の遺児を消したんが祟るよなあ?氏真も自分も消される可能性考えるだろうし?
0399人間七七四年2018/04/22(日) 14:01:39.45ID:raO4+aTE
信玄なら氏真に対し「躑躅ヶ岬館でごゆるりと」と言いながら
そこまでの道中に泊まった寺で切腹強要するだろうな。
0400人間七七四年2018/04/22(日) 14:10:05.49ID:cKwo7cQG
>>399
おまえはどっちの立場で書き込んでるんだよ?
立場ブレブレだぞ
0401人間七七四年2018/04/22(日) 14:18:51.59ID:QymH/f9Z
信玄が勝頼に死ぬまで家督を譲らなかったのも、自分の息子に権力を持たせたくないからなのかなあ。仮に義信が死なずに生きていても、信玄は死ぬまで家督を譲りそうにはないし。
0402人間七七四年2018/04/22(日) 14:37:46.75ID:vz78atIQ
武田って自分で状況作ったというより
桶狭間
信長包囲網
御館の乱
みたいな感じで全部外的要因に振り回されてる気がする
0403人間七七四年2018/04/22(日) 14:48:37.50ID:UfWeV8u8
出家時点で形式上義信にさせてたと思うんだけどなあ
でないと出家の意味がわからない
0404人間七七四年2018/04/22(日) 14:52:07.79ID:7SQ0/MEu
>>398
それ武田になんのメリットがあるんだ
駿河をとらないで三河遠江
0405人間七七四年2018/04/22(日) 14:54:48.16ID:7SQ0/MEu
>>403
信玄の名前で文書出してるから義信に譲ったなどという事実はない
勝手に思うんじゃなくて根拠を提示してくれ
0406人間七七四年2018/04/22(日) 14:59:13.33ID:HprTp2W1
駿遠を攻めるのに徳川と交渉せずに独自におこなってたらどうなってたろう
どのみち北条は介入してくるだろうし、へたすると徳川・北条に挟撃される?
0407人間七七四年2018/04/22(日) 15:09:33.86ID:w6w7Z1P4
>>406
今川氏真は、北条の娘婿だからね。
北条との同盟の存続を望むなら、今川の援軍って形で介入するしか無い気が?
今川から見れば、一族の瀬名氏の娘までやった家康の謀反の方が許せないだろうし。
慶長の検地で駿河は確か17万石とかだったはず?
駿河一国なら、武田の従属大名で親類でもおかしく無い気がします。
0408人間七七四年2018/04/22(日) 15:10:14.01ID:raO4+aTE
壮大な仕掛けは考えなかったのだろうか。
掛川城を徳川が西から信玄が東から攻めると約定し
到着すると同時に今川軍と合流して徳川軍をフルボッコするとか。
もちろん美濃経由で手薄になった浜松にも猛攻撃を加える前提で。
0409人間七七四年2018/04/22(日) 15:21:35.28ID:ooWjS2XP
武田も今川も国衆の力が強いから難しそう
0410人間七七四年2018/04/22(日) 16:24:00.68ID:+pInPf8+
>>409
なにをもって国衆の力が強いんだ?
0411人間七七四年2018/04/22(日) 16:52:32.74ID:lHtfGGBR
>>407
駿河は交通の要地で清水湊もある、金山もあると石高では測れないんだよなあ。あの武田信玄がそんな旨い土地を自ら支配下に置かないなんて考えにくい。
0412人間七七四年2018/04/22(日) 17:21:11.10ID:lqI+ZlVU
駿河を自由に通れない状態で三河遠江を維持できるとはとても思えない
0413人間七七四年2018/04/22(日) 17:53:27.31ID:raO4+aTE
氏真が信玄の交通を阻止するの?
その時こそ、それを大義名分にしておとり潰しにすればいいじゃん。
信長が六角たちにやったけど
0414人間七七四年2018/04/22(日) 18:03:10.72ID:IMN7WxOT
>>408
駿河を手に入れる事で頭いっぱいだったんだろうな
0415人間七七四年2018/04/22(日) 19:14:18.46ID:CHiFV++A
>>293
大賀弥四郎の策略が成功してたら
0416人間七七四年2018/04/22(日) 19:49:58.51ID:6isSOudd
遠江を割譲・武田に従属して護って貰うって信玄脳過ぎてもう手遅れやな
0417人間七七四年2018/04/22(日) 23:27:52.57ID:1DwtN6Xr
氏真が徳川(或いは織田・徳川)から逃げるとしたらは武田へ向かう可能性は低い。
逃げるとしたら、北条に向かうだろうから、武田が氏真を擁立して駿河を
奪取する可能性も低い。
やはり、氏真の弱い今川を攻めた方が武田にとってベターなのかも。
ただ、義信を死なせたのは痛手が大きい。
0418人間七七四年2018/04/23(月) 00:00:02.98ID:Hn/9yqi4
徳川が調子に乗って駿河まで乗り込んで氏真・氏政連合軍と闘ったら
漁夫の利で三河、遠江は余裕で信玄の領土になるけど。
0419人間七七四年2018/04/23(月) 00:40:52.29ID:ofeRNOyx
信玄の生存時の状況として

織田軍>>武田軍>北条軍>>>徳川軍>今川軍という状況があるから。

家康は単独でなら今川に勝てるけど、武田には勝てない。信長が来てくれれば武田も今川も滅ぼせる。

その事実を冷静にとらえ勝頼との一対一対決を徹底して避け、信長が来るまで我慢した家康の勝利だったよね。

勝頼に将器があったら信長が来たら逃げ、最後まで家康との一対一対決に持ち込んでたと思う。
0420人間七七四年2018/04/23(月) 00:54:55.81ID:d9hiExBB
第三次信長包囲網時に攻めていたら
武田と徳川の1対1に出来てただろうね
強大な織田と徳川連合に単独で攻めた勝頼の外交力と戦略の無さ
信玄はまだあったからな
0421人間七七四年2018/04/23(月) 01:08:18.56ID:pKFTOV+7
>>412
確かに孤立した領土は守り難いけど、今川が従属大名なら駿河の直接支配に拘る意味は
無いじゃん。
駿河を取ると北条と険悪に成るの間違いないし。
信玄が史実で勢力拡大が遅れたのは、北条と険悪に成ったのも原因だと思うんよね。
0422人間七七四年2018/04/23(月) 01:50:03.69ID:ofeRNOyx
西上作戦の際、家康など雑魚はほっとけと道を急いだけど
死期を悟ってたなら勝頼へのプレゼントとして浜松城に固執して家康の首を刎ねとくべきだったかもな
その直後、もしくは最中に信玄が病死したとしてもその後の勝頼は史実よりずっと国家運営が楽になってた。
浜松城の始末だけだったら信玄が病死しても遺言で「必ず浜松城を落としてから帰国するように」と命ずるだけで
オートマチックに家康は死んでたし。
0423人間七七四年2018/04/23(月) 02:05:52.11ID:QuIkK77D
>>422
そうなったら、信長との直接対決となり、こちらの方がもっときつくありませんかね。
0424人間七七四年2018/04/23(月) 02:18:03.08ID:wjJwz+sY
浜松城を囲んで家康を殺そうとすると、さすがに信長の本隊が救援に出てくるでしょ
言われているように信玄が信長を直接撃破することを狙っていたなら願ったり叶ったりなんだけど、それをしなかったということは、
信玄はほんとは信長との決戦を避けて、最初から適当なとこで手打ちするつもりだったんじゃないかな
0425人間七七四年2018/04/23(月) 02:34:32.75ID:ofeRNOyx
>>424
いや、その時期の信長は明らかに家康を殺しにかかってたよ。
段々と家康に東海諸国を与えるのが惜しくなってきてて
できたら信玄に殺してもらうか、できることなら相討ちになって欲しいなと傍観してた状態だし。
0426人間七七四年2018/04/23(月) 02:36:39.94ID:ofeRNOyx
>>423
そうでもないよ。信康が岡崎城に居るから直接対決にはならない。
むしろ信康を調略して武田従属大名になってからが勝負。
0427人間七七四年2018/04/23(月) 02:54:13.85ID:d9hiExBB
第二次信長包囲網の時は浅井朝倉や足利義昭対策と信長は東には動けなかったから
動けないうちにどんどん西進して信長に圧力かける戦略としては信玄の行動は合ってるよ
浜松城を攻めたって籠城されて時間稼ぎされたら
信長に近江周辺を鎮圧されたらこっちに来てしまうし

だから信玄も下手に浜松城で籠城させないように素通りして
三方原に誘き寄せたんだし
信玄が自分の寿命を知らない限り浜松城攻めは難しいだろうね
0428人間七七四年2018/04/23(月) 04:17:58.72ID:XueyfNIY
三方ヶ原で3倍の兵力にもかかわらず
家康を討ち取れなかったというか徳川軍の名だたる武将は
誰一人討ち取られてないのがなぁ

信玄の発言とされる
戦勝は五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする
これはっきり言って追撃の不十分と一緒だから
0429人間七七四年2018/04/23(月) 04:37:04.97ID:ofeRNOyx
鳥居四郎左衛門、成瀬藤蔵、本多忠真、田中義綱、中根正照、青木貞治、夏目吉信、鈴木久三郎、平手汎秀が死んでるが・・・
とりわけ夏目と平手の死は小説では繰り返し題材に使われてたような・・・
0430人間七七四年2018/04/23(月) 04:46:12.94ID:ofeRNOyx
浜松城に籠城してた8000人のうち2000余名が一日にして死傷したからほぼ壊滅状態だけどな。
3万人の武田軍に猛攻撃されてどの程度もつか。
そもそも浜松城に行った事があれば「これが城か?」というほどショボい城だぞ。天守閣の石垣などは歴史的価値があるということで
現在も残ってるけど、天守閣抜きにしてその周りの備えも「本当に城だったの???」と思える場所。要害でもないし。
むしろ松永久秀の多聞山城とか武田方の小諸城の方が行った事があれば分かると思うけど
これは落とせないや。見事な城だし要害だと実感できる。
0431人間七七四年2018/04/23(月) 04:58:42.01ID:IWG1txCt
>>428
三方ヶ原の定説にも疑問ある。
いわゆる「信玄の誘いに乗って家康が出てきたところを反転して撃破」はあまりにも上手く行き過ぎてる。
三河物語や軍艦の影響が強すぎる。
当代記みたいに、徳川の偵察部隊が見つかって戦闘になったのを助けようとして・・という説のほうが自然だな。
0432人間七七四年2018/04/23(月) 05:02:09.00ID:ofeRNOyx
当時は徳川四天王なんていうのはまだガキで鳥居元忠は副将格(別動隊の大将を常に任されてた)、弟の四郎左衛門は軍監だったし
当時の家康の側近たちを根こそぎ殺られてるんだよな。
0433人間七七四年2018/04/23(月) 05:04:51.75ID:IWG1txCt
戦闘が午後4時前後と遅いのは一致してる。とすればやっぱり遭遇戦でしょうよ。
信玄が合戦を意図して練り上げたのなら朝に仕掛けてるはず。
三方ヶ原合戦の日付は西暦では1573年1月、4時なんて既に日が暮れ始めてる時だ。追撃してるときにはもう暗いだろ。
家康を取り逃がすのも不思議じゃない。
0434人間七七四年2018/04/23(月) 06:47:21.35ID:d9hiExBB
偵察なんて少数で行う物で戦闘に陥るという矛盾
そしてそれを軍を率いて助けに行くという矛盾
0435人間七七四年2018/04/23(月) 07:05:19.46ID:d9hiExBB
>>430
今の浜松城なんて城郭はほとんどなくなって
発掘調査で深い水堀があったとか判明してる
現況の城見て判断するって…
0436人間七七四年2018/04/23(月) 07:15:30.65ID:GGFHpqS6
浜松城は時代とともに形大きさ変化してるがまあ大きい方だし
攻めにくいと言われてる

あと偵察から大きな合戦になることは比較的あるよ
0437人間七七四年2018/04/23(月) 07:31:52.94ID:ALp8yFHC
>>432
酒井忠次 47歳
本多忠勝、榊原康政 25歳
井伊直政 そもそもこの時点で徳川家康に仕えていない。

ガキとか大丈夫か?
0438人間七七四年2018/04/23(月) 08:13:38.85ID:ofeRNOyx
>>437
一人中年、残りはガキじゃん
頭悪いだろオマエ
0439人間七七四年2018/04/23(月) 08:28:21.23ID:ofeRNOyx
この時期、信長は平手、佐久間、水野らの援軍を既に送っており
本人も近畿で交戦中だから、それ以上の援軍を遠江には送れないんだよな。
どう考えてもこの時点で家康殺っちゃえばよかったのに。
それで浜松以東は完全に武田家領有になったわけだし。
0440人間七七四年2018/04/23(月) 08:33:19.17ID:d9hiExBB
>>436
偵察と称して抜け駆けするためでしょ
本当の偵察は敵戦力を調べるために派兵するんで
バレるような部隊をぞろぞろ率いていくのは戦功目当ての単なる抜け駆け
0441人間七七四年2018/04/23(月) 09:29:43.82ID:/zrHhqjT
>>438
当時の20代は現代なら30代半ばだがね。
それでガキとか。
0442人間七七四年2018/04/23(月) 09:35:36.61ID:ofeRNOyx
>>441
まだ言ってるこの馬鹿
鳥居兄弟からみたらガキ扱いだよ
元帥が青年将校たちをガキと呼ぶように。
0443人間七七四年2018/04/23(月) 09:54:32.95ID:Sc4PCWqZ
>>439
織田の援軍はそれだけの名前のある武将なのに少ない
実際はもっと多い援軍だった説はどう解釈する?
0444人間七七四年2018/04/23(月) 09:55:13.76ID:DNO3WXgk
長篠みたいに1.5万で出陣して1万以上失うような戦ではないな
やはり長篠は戦史上でも稀に見る大敗北
0445人間七七四年2018/04/23(月) 10:05:26.07ID:ofeRNOyx
>>443
2万人送ったけど三河北部、岡崎城周辺、渥美半島根本など
分散配備して実際は3000人しか浜松城には行かなかったというね。
信長としては三河全土が信玄に侵され東からも尾張を圧迫されるより
最悪の場合、家康ごと遠江を切り捨ててでも隣国三河だけは絶対に死守しろと
佐久間たちに命じたのではなかろうか。
0446人間七七四年2018/04/23(月) 12:35:03.64ID:sao3cf6E
>>442
鳥居元忠は家康よりちょい年上だから、当時30代前半じゃ?
0447人間七七四年2018/04/23(月) 12:48:45.94ID:aLiqKiDg
論語でも
三十にして立つ
四十にして惑わず
どちらにしても、忠勝、康政は頼りになる家臣であっても、宿将ではないかと
0448人間七七四年2018/04/23(月) 12:51:34.25ID:aLiqKiDg
>>445
信長から見ると、家康の三河国が望ましいけど、討ち取られてもスペアの水野信元がおるからなぁ
長篠後、用済みになってポアされたみたいだが
0449人間七七四年2018/04/23(月) 13:05:13.69ID:sao3cf6E
三方ヶ原当時の家臣トップ層は
酒井忠次石川数正石川家成だろうな。

忠勝、康政はまだ旗本身分
0450人間七七四年2018/04/23(月) 13:37:07.42ID:rF/ewuF8
>>421
今川を従属するとかゲームの世界じゃないんだからもう少しリアリティのある話をしてくれよ
0451人間七七四年2018/04/23(月) 13:45:04.54ID:rF/ewuF8
>>439
やろうとしたけど出来なかったんだろ
家康が脱糞するくらい追い詰められたんだし
0452人間七七四年2018/04/23(月) 13:53:07.36ID:Xhotv1pQ
義憤に駆られ脱糞するほど死に者狂いで戦いぬいた元亀三年の年の瀬の夕べ
0453人間七七四年2018/04/23(月) 16:40:18.68ID:gXaCl1kO
>>450
武田ドラックにどっぷり浸かってるから無理だよ
国を割譲して武田の傘下に入るとか意味不明すぎる
そんな事したら駿河すら維持困難になるのは必至やろ
0454人間七七四年2018/04/23(月) 17:20:54.64ID:satvqyZ1
>>445
そういう深謀遠慮じゃなくて
単純に籠城したほうが兵力の磨耗が少ないから各所で少しずつ武田軍を削っていって、武田が甲斐に戻るもよし、決戦するならそれもよし、って感じの
プランだった可能性はどうかな?
結局家康が野戦を選んで計画が狂ったけど

家康からすると兵站の負担も増えるし領土が略奪されるのもいやだしで
信長の要望を聞かずに飛び出したとか
0455人間七七四年2018/04/23(月) 18:08:58.60ID:ofeRNOyx
>>454
その可能性もあるわな。遠江、三河を通過して尾張を攻めた場合 尾張衆が籠城したら兵站の無い武田が先に音をあげるのは明らかだしね
0456人間七七四年2018/04/23(月) 19:03:22.93ID:pKFTOV+7
>>448
なんか、調べると水野氏の立場も解らんよね。
尾張、三河で自称20万石「話半分でも10万石」って、実際は織田配下と言うより従属大名だろうし。
多分、家康が裏切った時の保険だよね。
0457人間七七四年2018/04/23(月) 19:12:30.79ID:Xhotv1pQ
最大瞬間風速を言えばまぁ色々ある。
0458人間七七四年2018/04/23(月) 20:48:46.34ID:9HTHDJco
>>455
いきなり尾張を攻めるとかあり得ないだろ
そんなことしたら退路を断たれて終わりだろ
0459人間七七四年2018/04/23(月) 20:54:26.85ID:WF3dC/Bq
三方原がなければ信玄はそうしたかもしれないぞ
0460人間七七四年2018/04/23(月) 21:05:17.93ID:fZW6AXS8
>>459
三方ヶ原が無ければますますあり得ない。
浜松に1万以上の敵軍置いといて三河、尾張とか自殺行為だ。
0461人間七七四年2018/04/23(月) 21:21:51.68ID:2aCUp4xD
>>459
あり得ないね
0462人間七七四年2018/04/23(月) 21:26:26.26ID:2aCUp4xD
>>456
裏切ったら保険もなにも潰して織田が東海を直接支配するだろうよ
0463人間七七四年2018/04/23(月) 21:32:56.96ID:2aCUp4xD
従属大名というフレーズにこだわってるやつは完全にゲーム脳だろ
ゲームみたいに何かのきっかけで従属化するんじゃなくて、実際は徐々に力関係に差がついてくると暗黙の了解で家臣化していくんだよ

信長と家康の関係も時代が進むにつれて段々変わっていて、本能寺直前はほぼ家臣的な扱いだよ
一次資料みても、信長の家康に対する態度がだんだん尊大になってくる
0464人間七七四年2018/04/23(月) 22:30:50.71ID:ofeRNOyx
みんな「ありえない」というなら
なぜ家康は「ありえる」と判断して三方ヶ原の戦いを起こしたんだろ?
0465人間七七四年2018/04/23(月) 23:12:34.43ID:Sc4PCWqZ
>>463
みたがはら
0466人間七七四年2018/04/23(月) 23:13:34.05ID:ofeRNOyx
西上作戦って、考えると謎だらけだよね。
遠江・三河・尾張・美濃・近江を放置及び通過して京都の瀬田まで3万人の軍勢で突っ込むという策でしょ?
冒険というか荒唐無稽というかハンニバルが単独軍でイタリア半島に乗り込んだのと酷似。
0467人間七七四年2018/04/23(月) 23:14:26.40ID:Sc4PCWqZ
家康は三方ヶ原の戦いで下手打って
織田との関係が微妙になったのかもしれないw
0468人間七七四年2018/04/23(月) 23:19:16.41ID:ofeRNOyx
世間では「信玄が寿命が尽きて助かった。もしあと半年生きてたら信玄が京都に侵入して信長は死んでた」というのが定説になってるけど
実際問題、3万の兵が半年程度で遠江・三河・尾張・美濃・近江を無傷で通過して京都に侵入するのって可能だろうか?
相当難しいと思うんだけど。
0469人間七七四年2018/04/23(月) 23:28:50.13ID:GGFHpqS6
ハワイまで連合艦隊が攻めに行くよりは簡単じゃないかね
0470人間七七四年2018/04/23(月) 23:30:20.49ID:XRsuzmA4
碓氷峠越えて上野から南下してたいした城も落とさないで小田原包囲した信玄ですし
0471人間七七四年2018/04/23(月) 23:54:18.43ID:noFwhwl+
信長の場合は勅許を得て、義昭を奉じ、六角は蹴散らし、北畠は牽制し、浅井は懐柔して、圧倒的な動員力であっさり上洛したよな。
距離、名分、国力、何より六角・北畠と織田・徳川とでは比較にならない。
信玄無理ゲー。
0472人間七七四年2018/04/23(月) 23:59:47.17ID:ofeRNOyx
もし本気で西上するプランなら津島あたりをガッチリ押さえて
駿河から来る船で十分に兵糧を確保し・・・・・
でもその後の輸送路確保が思い浮かばねえ。
3万人ともなると船で堺に直接乗り付け大坂上陸ともいかないしね。
でも確実なのは船を無数に用意し航路で大坂上陸するのが一番安全だし速いし確実だわ。
三好とかは実際そうしたわけだし。
0473人間七七四年2018/04/24(火) 00:06:10.42ID:H6f0gwJg
>>472
戦国時代は現地調達が基本
甲州征伐の時ですら兵站は心許なかった
別に城を一つ一つ落とさなくても焼き払いながら岐阜と清須落とせば勝ちだよ
0474人間七七四年2018/04/24(火) 01:08:38.83ID:3LAsdqYg
三方ヶ原は空城の計はあってもなくても、山県がそのまま攻め込んでいれば、大きな犠牲もなく、
家康の首はそのまま取れたはず。
おそらく場内にいた予備兵はそれほど多くなく、
家康以外の兵の多くは城に戻れていないはずなので。
0475人間七七四年2018/04/24(火) 01:13:52.70ID:i0WPqO6p
徳川とすれば敗走兵を受け入れるために城門は開けてただろうけど
武田軍が近づけばさすがに閉じるだろ
その上で敗残兵を徹底的に狩ればいい
0476人間七七四年2018/04/24(火) 01:18:58.30ID:fn1R/2l/
>>474
チキンの佐久間が早めに退いたおかげで三方ヶ原で抗戦しなかった織田の援軍がわんさかいるので無理
0477人間七七四年2018/04/24(火) 02:05:20.27ID:VWpNWkCR
>>463
織田信長の織田家も、祖父か曾祖父の代に下四郡守護代家からの分家らしいしね。
そうすると、水野は勿論、佐久間一族も、前田も最初は同盟勢力だったんだろう。
佐久間信盛が筆頭家老だったのも、最初は徳川みたいな同盟勢力だった名残かも知れんし。
前田利家が四男なのも、最初は織田に取り敢えず出した人質臭い。
0478人間七七四年2018/04/24(火) 02:08:44.56ID:tT1Eo/1L
家康は浜松城に帰城するや憔悴しててすぐにふて寝し、代わりに水野信元が
篝火を焚き、鉄砲隊を配して徹夜の番をしたとwikiには書いてあるね
0479人間七七四年2018/04/24(火) 02:13:23.85ID:tT1Eo/1L
しかし実際、夜陰に乗じて浜松城内に紛れ入り
内部からあちこち放火して回れば簡単に浜松城は落ちたかもしれない。
ちなみに家康自身は浜松城に帰ってきた時、供回りが少なすぎて「わしが家康じゃ」と言っても
門番に信じてもらえず城内に入れてもらうのに一苦労だったという逸話もある。
0480人間七七四年2018/04/24(火) 03:07:51.55ID:i0WPqO6p
武田としては浜松城に突入した場合それなりの被害を受けるのを避けたのかねぇ
この時の武田の目的は西上じゃなく遠江・三河の領有化みたいな説も根強くあるけど
それなら少しくらい兵を失っても浜松城を落として家康の息の根を止めてるよなぁ
やはり信長包囲網で尾張に進んで織田軍と決戦する気だったんじゃないかな信玄は
織田さえ撃破してしまえば徳川なんてもう降伏するしか裏切り続出で消えるしかないもんな
0481人間七七四年2018/04/24(火) 03:19:02.59ID:tT1Eo/1L
ある程度は門前で鉄砲隊によって撃ち殺されるけど大挙して押し入り
手分けして城内いたるところを放火してまわればあっけないと思うけど。
0482人間七七四年2018/04/24(火) 03:22:13.11ID:i0WPqO6p
はっきり言って放火する必要性がない
そのまま城代入れて使える方が良いに決まってる
0483人間七七四年2018/04/24(火) 05:10:42.09ID:3LAsdqYg
もし、家康の首を取っても案外被害が大きくて、甲斐にもどっちゃたら、
包囲網陣からは、ブーイングの嵐じゃね。
0484人間七七四年2018/04/24(火) 05:28:58.12ID:gd90qk9p
その場合遠江は間違いなく武田の支配下になって
三河の半分程度は織田が抑えるんだろうけど
武田と直接国境を接することで織田の自由度は狭まる
武田が甲斐に戻ったから全力で浅井・朝倉に兵力向けるって訳にはいかないのでは?
0485人間七七四年2018/04/24(火) 06:06:06.05ID:dbw3amY/
その場合は三河遠江に織田が追撃してくる場合もある
0486人間七七四年2018/04/24(火) 06:11:02.64ID:gd90qk9p
追撃もクソも武田が家康討ち取ったなら主要な城にはそれなりの武将を配置するわけでさ
しかもこれらの豪族は武田の恐ろしさを身に染みてるわけで織田が来たから寝返ろうとはならんよw
織田の援軍も含めて武田に叩き潰されてるんだからw
0487人間七七四年2018/04/24(火) 06:46:46.42ID:zGn6MVvx
>>474
なんで山県w
0488人間七七四年2018/04/24(火) 07:04:19.41ID:6EPC/Zhx
>>468
それはまた古い説だな
そんなのはもはや定説じゃないよ
瀬田に武田の旗とかっていう話は軍艦にしか書いてないだろ
0489人間七七四年2018/04/24(火) 07:30:26.48ID:+3FmtDNh
病状が悪化して正気かどうか定かではない状態で呟いた言葉という書かれ方
死に際に幻覚が見えていた状態で上洛説の根拠とするには難しいね
0490人間七七四年2018/04/24(火) 08:11:41.47ID:tT1Eo/1L
今川義元の尾張侵攻と武田信玄の西上作戦は戦国七不思議の一つだよな。
目的や目標がどちらも謎だし。
前者は上洛説から尾張領土化説に変っていったが
後者は上洛説からまだ変化ないでしょ?
でも常識的に考えたら上洛できるわけがないし本当に何がしたかったのかw
0491人間七七四年2018/04/24(火) 11:42:16.21ID:JTT0QXoh
信長包囲網を利用したうえでの徳川の無力化でしょ
ピンチになった信長と「三河を半分こしよ」と持ちかけたら乗ってくるだろうと、信玄は計算したんじゃないか
0492人間七七四年2018/04/24(火) 11:52:05.78ID:dbw3amY/
んなの信長乗るわけねーじゃん

駿河侵攻の信玄が徳川に何したか覚えてれば信用できないだろ
ぜってーねーわ
0493人間七七四年2018/04/24(火) 12:21:36.88ID:AHN/Ouhq
信長はそうだけど、信玄は過去に自分がやったことの影響を考えてなさそうではある
0494人間七七四年2018/04/24(火) 12:45:03.56ID:3xlrpYhN
>>493
考えてはいるだろう。
ただ、約定を履行する(させる)実力>>約定を履行する(させる)意志、だと理解している節がある。
3世紀後、大国は小国との条約に拘束されないと嘯いた鉄血宰相が欧州に登場する訳だが。
多分、唯一の例外で、致命的な決断が大国・織田との破約。
信玄主観では、あれが最初で最後の勝機だった。それ以前は信玄の指は信長の喉首に届かない。織田の畿内統一後は、武田は相対的小国になる。
自分が小国をいかに踏みにじってきたか、よーく理解していた。
0495人間七七四年2018/04/24(火) 13:53:47.49ID:S6Y3j5cZ
>>487
ノブヤボの最新作のイベントでそういうのあったからでしょw
0496人間七七四年2018/04/24(火) 13:55:28.19ID:S6Y3j5cZ
戦国時代に約定破るのは当たり前だけど
信玄の場合は結構致命的なことやってるんだよな
特に駿河侵攻で三国同盟破棄
北条が上杉と組んだくらいだから信玄は影響を過小評価しすぎだわな
0497人間七七四年2018/04/24(火) 13:58:29.85ID:GUu0zu2f
信玄が彼我の力関係を踏まえず織田との協定を破約し、その武田家当主の地位を包括的承継した勝頼には、打つ手がなかった
0498人間七七四年2018/04/24(火) 15:30:30.49ID:VWpNWkCR
>>496
信玄から見れば嫡男の嫁の実家が今川、そんなら長男消して四男後継で良いじゃんが
信玄思考。
だけど、北条から見れば娘やった婿なんだよね、今川氏真は。そんで忘れてる人も多いけど
元々北条氏は今川の家老で旧主でも有る。

後似た様な話で、信長が尼子衆を見捨てたら別所を始め播磨の豪族蜂起、荒木の謀反ってのも
有る。
尼子衆は別に織田の家来でも無いし俸禄を貰った訳でも無いのに対毛利で織田の為に働いた。
それを簡単に見捨てるなら、外様諸侯が動揺するの当然なんだよね、だけど信長はその手の
思考が無い異常人なんだよね。
確かに上月城を救援すれば大損害だけど、それをしない相手の部下は不安な訳で。
0499人間七七四年2018/04/24(火) 15:39:41.78ID:tT1Eo/1L
こうやってみるとどう考えても信長や信玄に天下を統べる資格が無い。
どうせ光秀が殺さなくとも絶対に近日中に誰かが信長を殺してた。
0500人間七七四年2018/04/24(火) 16:02:45.66ID:tT1Eo/1L
そもそも人の上に立つものとして讒言だけで簡単に次々と部下を殺すのもどうかと思うよ。
水野信元、徳川信忠、黒田長政etc
しかも死んだ後に「しまった!俺の冤罪だった。スマヌ〜」なんて頻繁に口にするし(官兵衛、信忠の息子などに対し)
0501人間七七四年2018/04/24(火) 16:08:30.10ID:GUu0zu2f
徳川信忠って誰?
0502人間七七四年2018/04/24(火) 17:26:40.98ID:tT1Eo/1L
信康だったw ボケてんだな俺
0503人間七七四年2018/04/24(火) 17:28:14.11ID:tT1Eo/1L
しかも長政と信元の件は反省してたけど家康の息子の件については1ミリも反省してないね。
「実行犯は実父の家康だし」と開き直ってる
0504人間七七四年2018/04/24(火) 17:51:26.74ID:Pn0Yh7SF
結果として義信は川中島で活躍してたし
今川を助けて織田・徳川と戦うという判断も正しかった
信玄がさっさと隠居すべきだったんじゃ・・・・
0505人間七七四年2018/04/24(火) 17:52:42.72ID:MWJbi2Zc
実際信康切腹の事は家康が主導してたって説なかったっけ
0506人間七七四年2018/04/24(火) 17:53:16.63ID:Pn0Yh7SF
前に誰かが書いてたけど諏訪勝頼扱いされている中で
義信だけが武田勝頼って宛名で書状送ってたらしいね
勝頼も義信の下で信濃先方衆兼ご親類衆として戦場で大活躍した方が
幸せだったんじゃないか?
0507人間七七四年2018/04/24(火) 17:54:27.10ID:tT1Eo/1L
>>505
そういう説もある。
でも信長が家康に対して「おまえの叔父である信元殺せよな」と命令してるし
妻や子供に対しても直接的な表現は避けながら婉曲表現で殺せと圧力かけたのは事実だろ。
0508人間七七四年2018/04/24(火) 18:28:54.06ID:tT1Eo/1L
しかし信長はなんで他人の心が一切読めないんだような。サイコパスの特徴かもしれないが。
家康も「叔父を殺せ。嫁を殺せ。跡継ぎの長男を殺せ」じゃキレて武田家に主家を乗り換える事を絶対に脳内をよぎったろうに。
でも武田家は信長に輪をかけて極悪すぎてすんでのところで思いとどまったわけで
もう少し信玄がまともな人間で悪評が少なければすんなり徳川家も引き抜けた可能性があっただろうに。
0509人間七七四年2018/04/24(火) 18:31:55.69ID:3xlrpYhN
>>505
信康の場合、家臣が武田方に通じていたこともあるけど、信長が「浜松殿の思うとおりに」という主旨のことを言ったから、家康が主体的にという向きになったはず。
生命と家運のかかった踏み絵…なんだろうな。
踏み絵が始まるのは江戸時代だが。
水野信元は濡れ衣というか、乱世のリストラ。
天下の趨勢明らかな時期に、同じ疑いでリストラされた安藤は追放で済んだ。
0510人間七七四年2018/04/24(火) 18:37:17.89ID:tT1Eo/1L
水野信元の部下が勝頼の部下に米を売ったかもしれないという佐久間信盛の讒言だけで処刑してるんだよな。
しかもその後で信元の息子に「あはは。すまんかった。あれ俺の誤解だったわ。おまえに所領を継がせるから許せ」でチャラにしちゃってるしw
その経過を一部始終見てた荒木村重は「俺の部下も本願寺に米を売ってた・・・」と
狂乱状態に陥り謀反起こすわけだし。
0511人間七七四年2018/04/24(火) 20:05:25.21ID:bdQvAHJ0
何でもいいがここは勝頼のスレだ
0512人間七七四年2018/04/24(火) 20:57:17.30ID:tT1Eo/1L
勝頼は出て来たと思ったら長篠の合戦で負けてチャッチャと死んだから議論しづらい。
もうちょっと生きれよ。 大河ドラマに顔すら出て来ないレベルじゃねえか。
真田丸は珍しく信玄が顔を出さず勝頼が結構カッコよかったからあれだが
0513人間七七四年2018/04/24(火) 21:04:11.85ID:dbw3amY/
勝頼は優秀でない
信玄が負の遺産残した
だから滅んだ
それ以上どうすんのここ?
0514人間七七四年2018/04/24(火) 21:19:31.90ID:tT1Eo/1L
その二行で全部済んじゃうだよな。
だからよろず戦国スレになってるわけだし。
0515人間七七四年2018/04/24(火) 21:22:52.84ID:80YrYbpK
おんな城主直虎の信玄は信玄らしかったなw
0516人間七七四年2018/04/24(火) 21:23:58.13ID:tT1Eo/1L
結局、直虎は一回もみなんだわ。
架空の人物なんだろ?実は男だったとか聞いてみる気無くしたんだが
0517人間七七四年2018/04/24(火) 21:46:23.04ID:ca603a47
>>496
約定破るの当たり前。
当たり前ではありません。
小説とかでそういう風潮があるだけです。
0518人間七七四年2018/04/24(火) 22:24:41.06ID:D3zRN+6E
>>516
歴史ドラマ史上最も威厳のある今川義元が見れたぞ
寿桂尼の孤軍奮闘とか今川家の描写はかなり良かった

ぶっちゃけ直虎要らなかry
0519人間七七四年2018/04/24(火) 22:34:58.37ID:ymkPrtK/
中国で例えると
魏が上杉で呉が北条で蜀が武田
この三国で争っている最中にモンゴル織田と戦って滅亡した感じ
0520人間七七四年2018/04/24(火) 22:47:34.80ID:tT1Eo/1L
>>518
俺のイメージだと武田家を見て春秋時代の秦だな。
とにかく条約は守らない、残忍、治水に熱心、国内法を作るのが好き
そういうところがかぶる。
0521人間七七四年2018/04/24(火) 22:54:18.05ID:fn1R/2l/
>>518
大国の思惑にただ流される小賢しい3流集団の末路が見れた貴重な大河だろう
0522人間七七四年2018/04/25(水) 00:18:58.43ID:Zromc005
>>508
父を追放し長男を難癖付けて殺し、勝頼にさえ武田家を継がせず、その幼息子を
頭領にしようとする、臆病から来る徹底的な恐怖政治をしいた武田家なんぞより
他家の「叔父を殺せ。嫁を殺せ。跡継ぎの長男を殺せ」と要望する信長の方が100倍真っ当に感じただろうよ
0523人間七七四年2018/04/25(水) 00:28:19.50ID:hfc6zCbG
築山と信康を殺したのは家康の意思だろ、信長が指図したとは俗説
信長の性格イメージと、当時の織田徳川の力関係からそう思われやすいだけ
0524人間七七四年2018/04/25(水) 03:33:20.19ID:w+0FLJ7s
水野は?
0525人間七七四年2018/04/25(水) 04:00:30.33ID:SDwLCVi+
割とこの時期から信長は猜疑心が強くなって無駄に疑り深くなったり部下など無意味に殺しまくってるんで
信長が殺させたと言われても少しも違和感感じないんだよね。
0526人間七七四年2018/04/25(水) 04:58:35.32ID:bsr+6eYE
部下を殺しまくり?
0527人間七七四年2018/04/25(水) 09:12:02.22ID:qxxi31VW
神君家康が息子を殺したなんてあってはならないことだから
死んだ信長に全部おっかぶせただけでしょ
最近の研究じゃ関ヶ原の戦いも全く様相が違って
家康が戦場にいたことすら創作らしいし
0528人間七七四年2018/04/25(水) 10:30:31.28ID:SDwLCVi+
信玄も天下を獲ってたら息子は今川家に殺されたという事にしたのかな?
0529人間七七四年2018/04/25(水) 10:37:12.57ID:T+mjMFGg
>>525
その時期の信長はむしろ相撲見物とか趣味ばっかりやるようになっているんだがな。
猜疑心が強くなるよりむしろ弱まり始めていた。だから明智光秀も自分の近くに置いといて疑わなかったんだろ。
0530人間七七四年2018/04/25(水) 10:42:47.36ID:SDwLCVi+
信長って張飛っぽいよな
散々打擲した家臣を近侍させて高いびきで寝てるようなところもある
0531人間七七四年2018/04/25(水) 11:31:05.49ID:7uUQwkjI
極端な一説を持ち出して印象操作とは
0532人間七七四年2018/04/25(水) 12:55:10.53ID:QbgFlIFg
話をスレタイに戻すけど、1573年時点で、武田勝頼の中身が、記憶以外は長尾景虎や島津忠平ならなんとかなったのか?
島津や伊達並みとは言わんが、豊臣政権下の長宗我部や、徳川政権下の真田くらいのポジション維持で。
謙信、義弘クラスの武将でもダメなら、勝頼の一般的な評価はお気の毒よな。
0533人間七七四年2018/04/25(水) 13:11:19.55ID:Sya+MQbv
勝頼の代わりに信玄だったとしてもどうにもならなかった

というのが一般的評価。詳しくは
「武田氏滅亡」平山優
0534人間七七四年2018/04/25(水) 13:13:16.62ID:L2q9d6JR
織田が武田滅ぼすつもいだから基本的には無理だと思う。
武田が史実より強ければ織田だって上杉との敵対時期延びるよう努力するとかそれなりの対応するだけだし。
0535人間七七四年2018/04/25(水) 13:34:05.01ID:SDwLCVi+
武田勝頼の中身が上杉景勝だったら生き残ってたと俺は思うよ
謙信の影に隠れてるけど生き残る能力にかけては謙信より優秀だったと思う。
0536人間七七四年2018/04/25(水) 13:40:50.04ID:h+6SyhJg
無理だと思う
信長はとにかく武田を赦す気なかったから
0537人間七七四年2018/04/25(水) 13:41:21.57ID:ApMNjndQ
景勝は家督相続で不利な状態から金と領土譲渡で勝頼懐柔
内乱でボロボロだった状態から秀吉に外交で取り入り120万石
関ヶ原敗戦で分が悪くなったら速攻で降伏土下座しに行ってるからな

武田勝頼が景勝なら要らない領地を譲渡したりで北条と和睦したり
信長に土下座しに行っただろうね
0538人間七七四年2018/04/25(水) 14:35:53.18ID:utlayCwO
勝頼自身できるなら降参したほうがいいのは分かってたけど、したくてもできないと愚痴ってた書状がなかったっけ?
0539人間七七四年2018/04/25(水) 14:51:22.06ID:Sya+MQbv
あらゆる手段で和睦をしようと試みた
信長の方は降伏しか受け入れる気はなかった
信玄が強気だったせいで家臣団も武田と織田は対等だと思っちゃたみたい
0540人間七七四年2018/04/25(水) 15:14:19.43ID:j8rlinf+
勝頼が氏真でも滅ぶだろ
武田は領土獲得に限界があるから伸びしろがない
伊達くらい辺境ならともかくあの位置取りだけで詰んでる

上杉に降伏して家臣になるくらいでもなきゃどうにもならん
0541人間七七四年2018/04/25(水) 15:14:56.09ID:10zwErgB
武田勝頼には従来の外交方針と軍事戦略の転換が迫られており、グラスノスチとペレストロイカの実施に踏み切る矢先であった
0542人間七七四年2018/04/25(水) 15:23:20.77ID:NDVI95gn
>>538
まあ、実際として織田から見て降伏受け入れる条件は甲斐のみ安堵くらいだろうね。
統治が難しい土地に地元勢力を残すなら意味有るし、討伐したら論功行賞で信長の蔵入地は
減る。
徳川に駿河って考えると、信濃上野は献上せんと無理。
まあ、生き残りたいなら徳川牽制に残した方がお得ですよ...アピールするしかね。
徳川と険悪な分、徳川牽制の意味は有るかな、でも充分に弱体化した後でね。
0543人間七七四年2018/04/25(水) 15:47:50.83ID:ApMNjndQ
信玄の養子兼人質になっていた織田信房を武田家の当主にする
または信房と勝頼の娘との間に生まれた嫡男を武田家の当主と約束して
土下座降伏すればある程度は受け入れられるでしょ
0544人間七七四年2018/04/25(水) 16:15:58.40ID:T/3IeYvo
土下座降伏は信長は許してくれても家臣が受け入れてくれなくて信虎コースかと
まあ勝頼個人は生き残れるが・・・
0545人間七七四年2018/04/25(水) 16:27:55.74ID:SDwLCVi+
信玄が家康さえ殺しておいてくれたら信長との交渉はスムーズにいけたんだよな。
遠江が武田領、三河以西が信康、信元領であっさり交渉は済んでたはずだし。
史実通りで全面を敵に回して信玄が死んだとしても勝頼が北条との同盟をさらに強化し
家康に対しては攻め、信長に対しては逃げるという事を延々としてれば武田家は滅びえなかった。
0546人間七七四年2018/04/25(水) 16:44:50.45ID:BY0Q1Jor
>>545
例えそれで上手くいっても次の御館の乱とかいう糞二択で死ぬんだよなぁ
景勝が勝っても景虎が勝っても糞&糞
0547人間七七四年2018/04/25(水) 16:51:39.64ID:SDwLCVi+
>>546
全然悩む必要すらない。景虎に勝たせて氏政に恩を売るだけ
それ以外の選択肢など最初から存在しなかった。
0548人間七七四年2018/04/25(水) 17:44:12.20ID:Mj6g9sWd
それじゃパワーバランスが悪すぎて北条の意向に振り回されるのが目に見えてるじゃん
北条が武田を見限れば終わりだぞ
0549人間七七四年2018/04/25(水) 17:57:38.35ID:em7Eg6Bh
>>545
それは無理だよ
史実ではとにかく信長を刺激するのは避けたかったから、家康に対しても攻勢に出れなかった
その代わり北条を攻めて東進して生き残ろうとした
0550人間七七四年2018/04/25(水) 18:05:37.22ID:tMUGJUMG
北条なんか織田と組んで武田滅ぼす気満々くさいもんな
0551人間七七四年2018/04/25(水) 18:10:54.64ID:em7Eg6Bh
勝頼が勝手に信長と和睦しようとしたから、上杉景勝が怒ってどういう事だ?と手紙送ったら

まだ何も進展していない。もしうまく行ったら上杉殿も一緒に和睦という形でお願いするつもりだ。と返事したのが、なんか切ないよな

こういうところから、勝頼って素直な人なんだろうなと思う
たぶん、みんなに気を遣う良い人なんだろうね
戦国の世を生き抜くには正直過ぎたのかな
0552人間七七四年2018/04/25(水) 18:14:15.19ID:em7Eg6Bh
>>550
本能寺直前に、北条が織田に臣従誓って通っちゃったところで武田は詰んだと思う
0553人間七七四年2018/04/25(水) 18:26:26.77ID:SDwLCVi+
氏政も相当な政治音痴だったよな。
信長は最初から北条など許す気は無く
徹底して駒として使い切ったら殺す予定だったのに。
北畠親子みたいにね。
つーか使い切る気すら無くてすぐに滅ぼすつもりだったというのが
滝川一益を関東管領にした瞬間、氏政も気づいてしまっただろうけど。
0554人間七七四年2018/04/25(水) 18:30:29.45ID:NA8XSGzG
>>553
北畠は武田信玄と内通していたんだから処分されても仕方がない。それでも嫡子の具房だけは手にかけてないが。
0555人間七七四年2018/04/25(水) 18:47:11.91ID:SDwLCVi+
>>554
それってそもそも証拠あるの?
大体、信長が配下を殺すときは「信玄と内通しただろ」って理由じゃん
しかも毎度の事だけど全く物証など無いw
0556人間七七四年2018/04/25(水) 19:21:29.33ID:NDVI95gn
>>552
北条の臣従許すなら、武田に降伏勧告しそうなもんだけど?
徳川ですら東海道三ヶ国で薄氷の上を踏む感じだし、北条の臣従許すとしても伊豆相模、
武蔵の一部くらいなんでは?
武田でも甲斐と諏訪郡のみ安堵とかが最大でしょうね。
0557人間七七四年2018/04/25(水) 19:38:47.53ID:QbgFlIFg
六角義賢、今川氏真、足利義昭も命は取られていない。いずれも本能寺後に御伽衆か高家になっている。
信長に狙われて生き延びる道は、負け犬に徹することかな。
思うに、本能寺が無ければ、稲葉氏、阿閉氏は追放対象だったと思う。
0558人間七七四年2018/04/25(水) 19:51:50.47ID:E4b++86C
一益が関東管領とか一々知識が古いよね
0559人間七七四年2018/04/25(水) 20:11:51.51ID:ApMNjndQ
>>544
木曽が裏切って、穴山も調略されてるから
穴山が後押ししてくれるだろう
0560人間七七四年2018/04/25(水) 20:13:35.58ID:SDwLCVi+
>>558
違うのか?
0561人間七七四年2018/04/25(水) 20:51:59.40ID:2zhmcuDQ
室町幕府は既に京都に無く明確な史料はないそうな
「天正壬午の乱 本能寺の変と東国戦国史」平山優

なので正式な役職は信長が指定した
関東御取次役
0562人間七七四年2018/04/25(水) 20:55:47.66ID:em7Eg6Bh
>>560
一次史料にないから今では疑問視されている
それに室町幕府の役職だし
室町幕府滅亡後にやってるほうがおかしい
0563人間七七四年2018/04/25(水) 20:58:33.66ID:j8rlinf+
関東管領の権限がどの程度か知らんが
名前が違うだけで同じようなもんじゃないのか
0564人間七七四年2018/04/25(水) 21:00:50.01ID:em7Eg6Bh
>>556
しないだろ
状況が違うよ
北条を受け入れたのは武田攻めの前
武田を滅ぼしたら北条を残しておく意義がなくなる
0565人間七七四年2018/04/25(水) 21:10:51.84ID:GxV1ZTQD
信長も勝頼親子の首は晒したけど別に盃にしてるわけでもないもんな
ある意味親父のせいでかわいそうな奴らだなって感じだったんだろうな
0566人間七七四年2018/04/25(水) 21:16:23.93ID:0HgxJGeL
>>426
その場合、武田が信康を調略するのは無理。
0567人間七七四年2018/04/25(水) 21:37:18.23ID:hfc6zCbG
>>562
後世、便宜的にそう言われてるだけではないのか?
方面軍だって当時の言葉ではないだろ
0568人間七七四年2018/04/25(水) 22:43:57.07ID:0HgxJGeL
信玄が長生きしても信長に本能寺のようなことがなければ、勝頼と同じ運命だったよ。
0569人間七七四年2018/04/25(水) 22:48:12.18ID:j8rlinf+
じゃあ信玄の首手土産に勝頼降伏すりゃ許されるんちゃう?
0570人間七七四年2018/04/25(水) 23:13:02.20ID:Y5bh5jNn
許される許されないの話をしてもしょうがないんじゃないのか?
0571人間七七四年2018/04/25(水) 23:19:10.51ID:Y5bh5jNn
>>567
それはそうなんだけど、一益を関東管領にしたから北条が云々って話になると、それは違うだろってことだよ
0572人間七七四年2018/04/25(水) 23:28:18.13ID:NDVI95gn
>>564
独裁者って、大抵有る時期自分より格上で生殺与奪の権限持ってた相手を許さんよね。
ヒトラーなら、ヒンデンブルク大統領死後レーム「ヒトラーは有る時期レーム配下の戦闘員Aだったかも?」の
粛清で独政権握ったし、スターリンだってレーニンの生前ではそこまで席次は上では無い。
なのに大粛清で革命の元勲は全滅しその中にはスターリンの親族も。
毛沢東は、大卒ばかりの共産党幹部の前では最初は坊や扱いだったらしいし、権力握ったのは長征の
後ですよね。
武田を許すとしても、完全に弱体化させんと無理だろうなあ。
0573人間七七四年2018/04/25(水) 23:46:25.31ID:LUy3ib8H
よく御館の乱で景虎助けたら北条の傘下になるっていうけどそれ疑問
・景虎が勝ってもどうせ越後は乱れるから武田を傘下にするほどパワーアップするわけではないかも
・景虎を見捨てて信義を失ったのが痛い、家臣の士気低下もあった可能性がある
・北条の嫁貰ったばっかなのに戦略とかどうなってんだよというツッコミ
・傘下になっても敵が増えないだけマシ
0574人間七七四年2018/04/26(木) 00:24:07.03ID:u/X+J7mp
そもそも北条には景虎勝たせる余裕無かったし、当然武田を従属させるような力も無かった
介入すればするだけ時間と国力の浪費だったよ

むしろ武田北条でよく相談して、もっと早く手仕舞いすりゃ良かった
0575人間七七四年2018/04/26(木) 00:30:41.07ID:QWWeMLm5
>>555
甲陽軍鑑に書かれてる。
武田信玄が尾張に入ったら挙兵計画を立てていた。
0576人間七七四年2018/04/26(木) 00:35:51.72ID:QWWeMLm5
>>572
レームが処分されたのはヒンデンブルクが死ぬ前だよ。しかもレームはヒトラーと同格だし、ホモで粗暴すぎたのがヒトラーにもヒンデンブルクにも嫌われたから。
0577人間七七四年2018/04/26(木) 00:49:21.80ID:lFZBKtic
>>574
どの道、上杉は内乱後はボロボロになり大規模な援軍は来られないし
徳川と北条に同時に攻められちゃ戦費が嵩んで財政困窮するわな
0578人間七七四年2018/04/26(木) 01:56:15.72ID:llBdKstl
景虎に勝たせても越後は乱れ景虎に越後を治める力はないので、
景虎・北条から出兵要請の連続となり、武田は疲弊する。
出兵を断った時点で北条とは手切れとなる。
景勝と不可侵条約結んだ方がまだマシ。
0579人間七七四年2018/04/26(木) 02:21:44.54ID:O6IGVuf/
>>576
ヒンデンブルクが死ぬ前だったか。
只ね、第一次世界大戦に右翼勢力が弱まった時代に、レームから右翼政党に工作資金が
流れてたみたいなんだよ。
弱小右翼政党だったナチスもその一つで、その時代はレーム傘下の戦闘員Aだったの、ヒトラーは。
元々レームは正規の軍人だし、本当のスポンサーは軍部だったんでしょうが。
最終的にナチス傘下の突撃隊を掌握すんだけど、最後までヒトラーとため口で俺、御前の関係で
友人関係だったらしい。
0580人間七七四年2018/04/26(木) 02:26:16.24ID:lFZBKtic
>>578
北条敵に回した結果
武田は滅んだんだろう…
0581人間七七四年2018/04/26(木) 02:27:43.82ID:O6IGVuf/
>>573
丁度、その時点の織田の勢力考えると北条傘下の方がましだよね。
北条、上杉、武田が合体して、丁度良い勝負くらいだし。
どうせ、北条は関東制覇に夢中だし、其の後も南奥州に行きそうだし。
実際、北条傘下と見られても実質的な問題は無い。
0582人間七七四年2018/04/26(木) 02:51:31.91ID:llBdKstl
>>580
滅んだ理由はそこじゃなない。
長篠であり、長島を見捨てたことであり、
維持が大変で当時となっては戦略的意味の薄い高天神城を落としてしまったことであり、
また奪ってしまったからにはその城を守らなければならないのに守れなかったことであり、
穴山を誅殺できなかことであり、4男であり、正式な後継ぎではなく、所詮、陣代であり、
家臣をまとめきれなかったことであったり、とにかく信玄のせいで難題多すぎなんだよ。
0583人間七七四年2018/04/26(木) 02:59:35.34ID:lFZBKtic
>>582
財政苦しいのに徳川と北条から同時にあっちこっちから攻められたら
その度に金が掛かるんだから北条を敵に回すのはアホだよ
上杉なんて内乱でボロボロになるんだから無視しても構わない
むしろ景虎支援して中途半端に長引かせても良い
北条を敵に回すくらいならね
0584人間七七四年2018/04/26(木) 03:11:43.62ID:llBdKstl
例えば、せめて長篠で引き分けてたら、この時点では、まだ、北条と組む必要もなかったわけだし。
御館のときも実際は武田は越後から手を引いただけで、景虎とは戦ってない。
景勝から足元を見られて金をもらったとかもらわなかったとか言われてるけど、
どっちにしても、越後からはさっさと手を引き、徳川に備える必要があった。
0585人間七七四年2018/04/26(木) 04:11:15.95ID:QWWeMLm5
>>579
レームって第一次世界大戦の時は20代半ばで大尉なんだけど、ナチスは第一次世界大戦後の混乱期にできた政党だし、当時のレームに工作資金なんか工面できるのかな?

レーム処分自体はヒトラーの意志ではなく、対立していたヒムラー、ゲーリングによるものらしいが。
0586人間七七四年2018/04/26(木) 05:12:02.37ID:O6IGVuf/
>>585
当時のドイツは陸軍が10万に制限で、その隠れ蓑に右翼政党を使ってたらしい。
まあ、何にしろ裏工作の類なんで推測の話にしかならない。
但し、ヒトラーが入るまでのナチスはビアホールで騒ぐ小規模サークル程度なんだよね。
飽く迄も推測だけど、蜂須賀小六と秀吉みたいなもんでは?
最後まで、レームの態度が異常に大きいのは過去に色々って感じになるし?
>>582
基本さあ、信玄の死で信長包囲網が崩れてるし。三河遠江で徳川からチクチク領土を蚕食されてるから
北条と敵対してる余裕は無いんだよね。
高天神城だって、北条と対決してなきゃ援軍送れたはず。
北条と和陸して、上杉と和陸尚且つ北陸方面で織田を牽制してもらい、そんで武田の全力で徳川の
遠江を攻めるくらいで何とか互角。
まあ、北条の方が立場が上の同盟かも知れんが織田に滅ぼされるよりまし。
0587人間七七四年2018/04/26(木) 10:58:42.05ID:/Q2mF0AV
まるで北条と組めば大丈夫みたいな言い様だが、北条が軍事的に頼りないのは武田も分かってるだろ
しかも無位無官の朝敵、武田勝頼を滅ぼせなんて織田に号令されたら北条が武田を助けるだろうか?
0588人間七七四年2018/04/26(木) 11:01:48.32ID:tm7Tfxus
北条と組めば大丈夫とは誰も言ってなくね?
北条まで敵に回したら間違いなく滅ぶよねと言ってるだけで。
0589人間七七四年2018/04/26(木) 11:06:17.63ID:tm7Tfxus
合従連衡で趙魏斉韓楚燕がしっかりスクラムを組んでたおかげで
それらの国は物凄く寿命が伸びた。
その連携が崩れ韓が秦に滅ぼされたら一瞬にして残りの国も秦に併呑された。
バランスが崩れると一気だよね。
この場合、勝頼・氏政・景虎がガッチリスクラムを組めば史実よりは間違いなく寿命は伸びたよね
というだけの話。結局は織田政権に併呑されるかもしれないが。それはあくまで結果論。
0590人間七七四年2018/04/26(木) 11:14:10.44ID:uYGTKRZt
どうせ滅ぶなら早く滅んだ方がいいじゃん
0591人間七七四年2018/04/26(木) 11:21:00.51ID:GpoYsHHu
余り知られてないけど北条って普通に強いぞ
大規模会戦が少ない、たまにあると負けてるからか弱いイメージがあるんだけど
上杉謙信を関東から叩き出したりしてるし
0592人間七七四年2018/04/26(木) 11:43:50.44ID:ohb6iDhO
武田にとって北条は、味方にしてもさしてアテにはならないが、敵に回すわけにもいかないという面倒な隣人だと思いました
武田が川中島で親族や重臣を犠牲にしてまで戦ったのは、北条に対して同盟の実を示すためのものだと思っている
なのに北条は武田に何をしたか。
0593人間七七四年2018/04/26(木) 11:52:57.52ID:tm7Tfxus
秦・・・信長軍
韓・・・氏真軍
趙・・・勝頼軍
斉・・・景○軍
楚・・・氏政軍

既に氏直軍が信長軍に併呑されてるから相当苦しい状態ではあるけどね。
信玄は自らパンドラの箱を開けてしまった。
今川家はやはり甲斐や相模にとって生かしとくべき存在だった。
0594人間七七四年2018/04/26(木) 12:10:41.79ID:lFZBKtic
上杉は景虎が勝とうが景勝が勝とうが内乱で弱体化するので
最重要な相手として同盟するメリットは無し
北条はどう見ても最重要な同盟相手だから景虎に協力すべきだった

長篠後は織田とは対等な同盟はもうできないから
織田に付くなら降伏するしかない
北条と同盟するか織田に降伏するかの二択
0595人間七七四年2018/04/26(木) 12:30:05.01ID:ohb6iDhO
高坂は駿河を北条に割譲し北条の軍門に降るべきと主張していた
0596人間七七四年2018/04/26(木) 12:31:41.95ID:OLqb2b96
>>592
信玄坊主の西上戦で援軍二千人規模を出したはず。
信玄死後の武田に策士がいれば、信長は北条を利用した後、難癖をつけて滅ぼすこと必定、と氏政に信じ込ませたのだが。
武田に協力した北畠氏、遠山氏の運命は北条も思い出すと思う。
0597人間七七四年2018/04/26(木) 12:47:35.41ID:tm7Tfxus
そもそも氏政は信長の下風につきたくして仕方が無かったわけではなく
恐怖で下風につかざるを得なかっただけなので
武田がしっかりしてて信長への防波堤の役割をきちんと果たしてくれるなら
氏政は信長の下風などにはつかなかった。
0598人間七七四年2018/04/26(木) 12:49:09.13ID:XmZZrR2N
越中は景勝派だから景虎が勝つ=織田の北陸での勢力拡大が早まる
景虎支援続けて主力を越後に置き続ければ徳川の行動もより積極的になるだし
どっちもどっち

ただ北条と同盟し続けることが出来て、北条が織田に勝てないからと織田に付いたりしなければ、
先に上杉が滅亡したり、武田が滅ぶ時期は変わらなかったりしても、
関東に逃げることは可能、
少なくとも史実みたいに酷い最期にはならないんじゃないかと思う
0599人間七七四年2018/04/26(木) 12:55:42.51ID:8RyztdkU
どっちもどっちという結果が予想されたとしても、嫁貰っておいてすぐ手切れという一貫性の無さや金に釣られたという家臣からの不信はいらない
0600人間七七四年2018/04/26(木) 13:02:11.97ID:lFZBKtic
>>598
徳川は北条と同盟したからあれだけ動けたわけで
武田と北条の同盟が破綻してなければ徳川もそうそう攻められないよ
北条と徳川が同盟して同時に攻めて疲弊させてたわけだから
0601人間七七四年2018/04/26(木) 13:05:54.61ID:llBdKstl
>>589
景虎は戦力にならんぞ。
御館のときは、勝頼は援軍ではなく主力になってしまう。
つまり、景勝 VS 勝頼 の構図
必ずしも勝頼が勝つ保証もないし負ければ致命的だ。
このリスクに加え、勝ってからも越後を治める力のない景虎を援護しに行かなければならない。
この負担も大きいし断れば北条とは手切れとなる。
越後に戦力をおけば、いつ徳川に攻められるかもわからない。
越後を最初から無視しても途中から断っても北条はいずれ手切れとなるのなら
この勝頼の選択はしょうがない。
0602人間七七四年2018/04/26(木) 13:14:38.11ID:A1eYLTz+
どの選択を選んでも勝頼の結末はバットエンドにしか行けないんだよ
難易度高いどころじゃない
0603人間七七四年2018/04/26(木) 13:17:06.87ID:N3/ZX3OL
氏政って1582年から実質的に上野増えた程度なのに
なぜ信長よりも圧倒的な秀吉に逆らったんだろうなw
0604人間七七四年2018/04/26(木) 13:34:48.21ID:XmZZrR2N
>>600
勝頼が越後に言ってる数ヵ月の間に
徳川は二回駿河に攻め込んでいる

勝頼がさっさと景勝景虎の和睦で済ませて帰りたかった理由の一つだろうな

ついでにいうとこの時期の段階で既に遠江では武田の方が直接対決避けるようになっている
0605人間七七四年2018/04/26(木) 13:40:40.88ID:tm7Tfxus
>>601
別に負けても1ミリも致命傷になどならんよ
所詮、他国の土地だしwww
景虎の身柄を預かり氏政にお返しするだけで猛烈に感謝される事間違いないし。
あとは氏政が景勝を処分するだろ。
0606人間七七四年2018/04/26(木) 13:42:22.36ID:tm7Tfxus
>>603
行政能力は明らかに優れてたが
高次な政治判断は幼稚園児レベルだった。
たとえるなら事務次官としては優秀だけど総理大臣にしてはいけないタイプ。
0607人間七七四年2018/04/26(木) 13:44:14.29ID:tm7Tfxus
>>604
皮膚病ばかり気にして内臓疾患を放置するタイプやね。
家康など所詮は皮膚病。北条とガッチリ同盟を維持する事こそ生命維持には肝要。
0608人間七七四年2018/04/26(木) 13:48:18.20ID:lFZBKtic
>>604
北条との同盟が破綻するまでお互い攻防戦して膠着してるけどね
0609人間七七四年2018/04/26(木) 13:58:33.88ID:llBdKstl
負ければ景勝より弱いということになり、武田内の勝頼の力はさらに弱くなるだろう。
主力だが援軍の武田軍よりも切羽詰まった景勝の方が士気は高いはず。
何よりも勝頼にとって越後はアゥェーだ。地元で本気の景勝軍に翻弄され、下手すると、
首を取られる可能性もなくもない。
0610人間七七四年2018/04/26(木) 14:04:37.36ID:XmZZrR2N
>>607
勝頼としてはあれで北条との同盟が破れるって意識なかったんじゃ
北条だって自分の戦争優先して越後への援軍遅れたし

>>608
長篠直後の年は別として、一応徳川が戦線押し進めているけどほぼ膠着状態だな
武田領に攻め込んだりはしているけど城奪って領地にしたりとかは出来ていない状態だし
0611人間七七四年2018/04/26(木) 14:06:59.39ID:xkyi0HR1
この頃の武田にとってはもう二正面作戦出来る兵力も財力もない

むしろ駿河での徳川侵攻を名目に氏政による景虎救援要請を丁重に断って撤退すべきだった
景勝に肩入れしなけりゃ氏政も同盟破棄の大義名分にはならんだろう
0612人間七七四年2018/04/26(木) 14:08:40.97ID:8RyztdkU
>>601
断れば北条と手切れと言ってるが、そうだろうか?
信豊に景虎の後方支援だけでもしておけば景虎は死ぬことはなかったかもしれないし、金に釣られて景勝と和睦なんかして北条を怒らせるのはどうだろか?
だいたい嫁貰っておいてその行き当たりばったりの戦略はどうなんだ
0613人間七七四年2018/04/26(木) 14:14:12.66ID:xkyi0HR1
まぁそもそも氏政が三国峠越えて越後に進出してない時点で
武田としては必死になる理由もないわけで
北条も実際は東上野ゲット出来りゃそれで納得してたんじゃね?
弱体化して織田にも浸食されてて北信濃に攻め込む余裕もない上杉景勝なんかより
北条との同盟を保つことが最優先
これが破たんすると徳川と戦うことすらできなくなる
0614人間七七四年2018/04/26(木) 14:29:45.94ID:jfCuUi8m
勝頼が駿河方面の徳川の攻勢に北条に援軍依頼してないから駿河の北条の動きはポイントにならないよ
そもそも対徳川に出兵してくれるのかも謎
甲相同盟は相互不可侵対越同盟が主軸なんだから、対越で役に立たないなら当然切るわ
0615人間七七四年2018/04/26(木) 14:31:56.23ID:PHlnt8e6
二方面作戦もなにも天正8年6月に
氏政が河田重親に与えた不動山城を奪い取った時点で
勝頼こそが甲相断絶を必要としていた何よりの証拠なわけ

氏政が景虎切腹後もまだ(少なくも形式上であれ)盟約維持を公にしていたのは
天正8年5月書状において武田型の花押が発給されてることで明らかなわけであって
武田の沼田郡侵攻を以って正式に義絶
0616人間七七四年2018/04/26(木) 14:40:27.53ID:PHlnt8e6
甲斐国人の利益最大化を政権基盤にする勝頼が
三遠に領土を拡張できないことが決定的になった時点で
その歯牙を東国に向けるのは当然ともいえる

隣接国の中で最も弱小勢力に侵攻するのが武田の不文律
信玄はボケちゃったのか成り行きでつい信長に喧嘩売ってしまったものの
勝頼こそが本来の武田、正しい武田、新羅三郎以来の我欲の為なら一族でもハメ倒す
美しい武田の在り方なのです
0617人間七七四年2018/04/26(木) 14:40:36.11ID:tm7Tfxus
>>609
親政する必要すらねえしw
どこまで介入する気やねん。
馬場か高坂にでも命じて1万の兵を出し
万一、負けたら景虎の身柄を保護して戻って来いで十分だし
それで氏政が感謝しなかったらキチガイだよ。
0618人間七七四年2018/04/26(木) 14:43:42.19ID:hlqnKvX3
>>616
一番弱いのは景勝だと思うがw
0619人間七七四年2018/04/26(木) 14:48:37.08ID:PHlnt8e6
>>618
まあ当然の帰結として
そういう戦略長年取ってれば周囲は全て自勢力よりも強いという勢力図と
地の底までに落ちた自国の悪評だけが残るわけでね
0620人間七七四年2018/04/26(木) 15:09:10.42ID:PHlnt8e6
>>618
そこはそれまだまだ身代金取れそうだし
0621人間七七四年2018/04/26(木) 15:31:17.21ID:PHlnt8e6
>>615
訂正8年じゃなくて7年だ

面白いのが上杉景虎も6年中に花押を元舅だった北条幻庵型から
武田型に切り替えてるのね必死だな(プ、はさておき


ただ物真似だけではなんら意味が無いわけで、かつての旧縁アピールだったのではないかと思う
江戸後期の軍記モノのみに残る義信義弟って設定は存外にアリな話じゃないかと疑ってみる
0622人間七七四年2018/04/26(木) 15:31:51.85ID:tm7Tfxus
政治家として氏政は三流、勝頼は未熟やねん。
田舎大名はえてして軍事能力は達者になるけど政治力が幼いケースが多い。
0623人間七七四年2018/04/26(木) 15:58:50.12ID:lFZBKtic
>>615
そこは景勝上手いよな
北条に不法占拠されてたのを武田に譲る条件を提示して完全に決裂させてる
0624人間七七四年2018/04/26(木) 16:54:01.77ID:tm7Tfxus
景勝の政治力ってどうやって磨かれたんだろうな。
東日本では伊達政宗と並んで一級品と言って良い。
0625人間七七四年2018/04/26(木) 17:11:34.49ID:lFZBKtic
むしろ勝頼の能力が…
0626人間七七四年2018/04/26(木) 17:23:20.22ID:ohb6iDhO
上杉景勝は、越中、北信濃、飛騨の三方から織田軍に攻め込まれ、滅亡と自刃を覚悟する手紙を佐竹義宣に書き送っているが、本能寺に救われた大名
あのあと、羽柴秀吉の頼みに従って柴田勝家や佐々成政の牽制役を引き受け、羽柴に恩を売ったことから急成長
新発田など地付きの豪族を排除し、たいかう検地も活用して近世大名に脱皮した。 この手腕は大きい
0627人間七七四年2018/04/26(木) 18:43:17.32ID:jfCuUi8m
運も実力の内だからねぇ
スティーブン・ブラッドバリーなんかも運で金メダルとったけど英雄だからな
0628人間七七四年2018/04/26(木) 19:03:58.32ID:tm7Tfxus
勝頼はビギナーズラックで東美濃を瞬殺して勝利を収めてたのだから
そこで信長と手打ちするというのが上手な策だったよな。
いずれ信長は間違いなく一方的に条約を破って武田領に侵略を始めるが
それまでに鉄壁の防衛網を作り上げておけば十分生き残れた。
0629人間七七四年2018/04/26(木) 19:26:31.54ID:OLqb2b96
勝頼の器量も大国の主人としては至らないところがあったが、重臣たちの方はどうよ?
舎弟・仁科盛信、従兄弟・武田信豊は二人合わせても、直江兼続一人に及ばない。
長篠後の二十四将生き残り四人も、あまり役に立っていない上、半数が裏切り。
0630人間七七四年2018/04/26(木) 19:31:04.85ID:ohb6iDhO
高坂からは武田信廉、武田信豊、穴山信君に腹を切らせろという主張もあったようだ
0631人間七七四年2018/04/26(木) 21:04:34.00ID:78sYpxIY
>>629
直江兼続なんて大したことないよ。
あれは軍記とかの影響が酷すぎ。
まだ本庄繁長、水原親憲のほうが働いている。
0632人間七七四年2018/04/26(木) 21:55:59.14ID:y4nAN0bH
直江は最上に追撃された時に腹切ろうとして
本庄に殴り飛ばされてるw
0633人間七七四年2018/04/26(木) 22:32:01.30ID:OLqb2b96
>>631
まあ兼続も、直江状の評判で過大評価されてはいるが、比較対象は盛信、信豊。
主家と主人への貢献という点では、盛信+信豊より上であることは間違いない。
0634人間七七四年2018/04/26(木) 22:37:39.36ID:y4nAN0bH
盛信は武田の意地を見せただけで十分だろ
これもなければ武田の評判は地に堕ちてるぞw
0635人間七七四年2018/04/26(木) 22:37:45.63ID:ZxGruEvZ
そもそも上杉家臣と武田家臣の比較が全く必要性を感じない
0636人間七七四年2018/04/27(金) 00:44:16.23ID:B0a3wLK9
>>632
御館の乱で謙信の頃より弱体化してるから
長谷堂城の戦いではすっかり上杉軍=烏合の衆
の評価になってるんだよな
0637人間七七四年2018/04/27(金) 00:47:14.57ID:EyaP8zp+
>>589
中国の戦国七雄の歴史を見ると、戦略の大切さが解る。
戦国末期の秦は全土の40%ぐらいで確かに超大国だけど残りの6国が同盟すれば負ける
状態。
そんで楚と斉は大関くらいの実力で合わせれば30%強ぐらいは有り二国同盟でも秦から見れば
脅威の状態。
そんで、斉と楚の離間を図り斉からの援軍が来ない状態にして楚を叩く。
其の後、遠交近攻で斉と結び隣接する韓、魏、趙をじりじり攻める。
遂に、韓を野王あたりで南北に分割北の上党郡を孤立させる。
趙が上党郡横取りしたんで趙と決戦って感じで戦略が上手い。
特に、かなり国力有る斉と最後まで同盟関係で援軍を送らせ無いのが上手い。

まあ、勝頼に軍師の才能有るなら北条との同盟はどんな犠牲を払ってでもやると
思うね。場合により西上野を割譲しても良いくらい。
信玄西上作戦の時は、浅井朝倉が北から岐阜と京都の連絡線を脅かしてたし
他にも同盟勢力が有った。
浅井朝倉が潰れた以上、北条と上杉と同盟しないと織田に対抗できないの明白
なんだよな。
0638人間七七四年2018/04/27(金) 02:11:38.63ID:xKsiKHxa
勝頼に謙信並みの才覚・決断力があれば、長篠も勝ててるし、穴山も誅殺してるだろ。
0639人間七七四年2018/04/27(金) 02:35:46.92ID:k3y+iTna
長篠の敗北はむしろ武田オールスターズの宿老があれだけ居ながら
なぜ半分以下の兵力で突っ込んだのかって話で宿老の責任が問われてもいいはず
甲陽軍鑑は勝頼の独断と言ってるが逍遙軒も穴山もいたわけで合議制の武田軍で
若い勝頼の独断で突撃させたとは到底思えない
敵は手立てを失っているという勝頼書状の織田に対する評価は
武田軍全体に蔓延する奢りの象徴だろう
0640人間七七四年2018/04/27(金) 03:00:08.12ID:xKsiKHxa
合議制だろうがなんだろうが、半数の兵力で馬房柵に突撃するなんざお話になりません。
敵の半数の兵力で鉄砲で馬房柵を前に待ち構えてる相手に突撃なんて謙信なら絶対しない。
0641人間七七四年2018/04/27(金) 05:27:07.84ID:aujLVmIc
>>639
合議制って何を根拠に言ってるの?
0642人間七七四年2018/04/27(金) 07:10:11.70ID:2YPKhg2l
武田家中の権力変遷の研究で十分に本が一冊、論文が一本書けそうだよな。
勝頼時代だけでも 武田家を継いだ直後→東美濃と高天神城を落とした直後→長篠直後→北条家との絶縁後で
勝頼の権力及び権威が凄まじく乱高下してる気がする。
俺の想像だと長篠合戦直前期が最も勝頼の発言力が強かった気がする。
0643人間七七四年2018/04/27(金) 10:12:32.73ID:cR8grfin
>>633
比べる奴にもう少しましな奴いないものか?
信豊なんか上杉家臣では上杉景信くらいだろ。
信豊ではそもそも話にならない。
0644人間七七四年2018/04/27(金) 10:16:01.75ID:cR8grfin
>>640
謙信以外の誰もしないだろう。
信長だってまさか全軍突撃は予想外だったかも。

信長はあくまで武田が追撃を防ぐためにしんがりを配置する。そのしんがりを潰すだけで十分と考えていたかも。

しんがりでも兵は3000くらい、主な武将の2、3は討ち取れる。1万5000の武田ならこれだけでもなかなか痛いし。
0645人間七七四年2018/04/27(金) 10:27:50.72ID:/5Q6IX11
江戸の平和な時代に甲州流軍学が権威を保つ為には信玄を神格化し、武田の敗北と滅亡の全責任を勝頼に負わせる必要があったというだけ
親父が成長の余地を充分以上に残した超大国に軽率に戦争をしかけ、しかも無責任にもポックリ死んで取り返しのつかない時間を浪費させたあげく、なにがあっても武田を許さないと怒り狂っている信長をあとに遺した時点で、勝頼の運命は決まっていたんだよ
領地を○○に割譲して和睦をって簡単に言うけど、そんなことしたら敵より先に家臣か親族に殺されるよ
合従策は日本の細長い地形では中国ほど効果を発揮しないし、なんとか連合できても武田は被害担当の真っ正面に置かれる立地
北条や上杉が生き残れるかどうかならともかく、武田の生き残りは無い
0646人間七七四年2018/04/27(金) 10:28:02.99ID:dfhXCg+S
>>564
北条は東国絡み関係で残しておく意義はある
それ言うなら徳川だろ

>>572
宗教も考え方なども全く違う外国人を引き合いに出す必要性はないな
0647人間七七四年2018/04/27(金) 11:02:52.76ID:UTL002rB
>>646
そいつ相手にすると話を発散させて訳分からなくなるから相手にしないほうがいい
0648人間七七四年2018/04/27(金) 11:52:39.29ID:B0a3wLK9
侵攻側は遠征のために小荷駄等の非戦闘員の割合がどうしても多くなるのにも関わらず
侵攻側が少数、防衛側が大軍で野戦挑むなんて有り得ないことだからな
しかも陣城している所に突撃という
0649人間七七四年2018/04/27(金) 11:58:25.18ID:dfhXCg+S
>>647
そうだったのか…すまん
0650人間七七四年2018/04/27(金) 12:02:25.87ID:8NVb4M5+
武田は長篠で大打撃受けてからは後詰だけで積極的な攻勢に出てない
勝頼も必死で建て直しに注力してたんだろう
せっかくある程度形になったその戦力を泥沼の対北条戦に使って領国が疲弊したのは
明らかに勝頼の判断ミス
0651人間七七四年2018/04/27(金) 12:34:25.78ID:w6wu2IOF
>>648
このスレが続く理由の三分の一くらいは、その長篠ミステリーへの興味だと思う。
0652人間七七四年2018/04/27(金) 13:04:20.87ID:bVR360MU
この時期のまことは、自演がバレないための知恵が
まだあった
0653人間七七四年2018/04/27(金) 13:51:25.88ID:2YPKhg2l
戦国七不思議(俺が選んだ)

・桶狭間の戦い
・斉藤親子の内戦
・武田信玄の西上作戦
・三職推任問題
・本能寺の変(なぜ明智光秀は裏切った!)
・豊臣秀頼誕生(本当のパパは誰だ!?)
・関ヶ原の戦い(本当に石田三成が謀主だったのか?)
0654人間七七四年2018/04/27(金) 14:12:32.32ID:XrkkVFQF
斎藤家より伊達の絶頂期を潰した晴宗のほうが不思議だな
0655人間七七四年2018/04/27(金) 14:36:13.61ID:xKsiKHxa
越後まで行っちゃったのが勝頼の命取りだったのかも。
御館当時の越後勢はまだ謙信が死んで日が浅いので相当強い。
越後では右も左も方角さえまともにわからない武田軍に対して景勝軍にとっては庭。
既に退路さえ抑さえられていたかもしれない。
そこへ景勝側から使者がきて
「もう逃げられませんよ。まずは金を置いときますので受け取りなさい。
気まずいなら、縁談してもいいよ。」と言われ言いなりになるしかなかったのかも。
0656人間七七四年2018/04/27(金) 15:08:23.14ID:9/JGnx2q
越後南部の城も攻略、接収したんだから
方角がわからないとかそんなマヌケなわけない
しかもどうやって退路をたつんだよ
勝手な妄想だけでよくそこまで無意味に話を広げられるよな

景勝側が勝頼と和睦する必要に迫られたと考えるべき
0657人間七七四年2018/04/27(金) 15:09:16.84ID:8NVb4M5+
>>651
丘の後ろに兵力隠してた説も
4万近い大部隊が岐阜から岡崎経由で設楽が原に着陣してるわけでなぁ
これを兵力見誤ったというなら武田の諜報力がゼロと言っても過言ではない
兵力も陣城もわかってたが突撃ざるをえなかった理由はやはり酒井の別動隊が
長篠城解放して大部隊が整然と撤退できる退却路を失ったからじゃないかなぁ
解放しなくても酒井が長篠包囲部隊に襲い掛かった時点でもし部隊を反転させれば
信長が陣前出撃で追撃するのは自明の理だし
そもそも武田の総攻撃当日に都合よく酒井の部隊が長篠城包囲部隊を攻撃したというのも出来過ぎでしょ
武田の動きは筒抜けかよっていう
0658人間七七四年2018/04/27(金) 15:12:24.72ID:9/JGnx2q
景虎方が優勢で、景勝は武田と組むしかなかった
勝頼も早めに撤収したかったから、両者の利害が一致したというのが正しいと思う

勝頼が景勝に弱味を握られたとか
そんな話はまず有り得ない
0659人間七七四年2018/04/27(金) 15:20:10.37ID:dRqlCTUj
>>655
武田には旧上杉家臣の大熊がいたから、道に迷うとか考えにくいよ。
0660人間七七四年2018/04/27(金) 16:10:10.34ID:B0a3wLK9
>>657
総攻撃するかの軍議や作戦は夜に決められてるから
夜明けと同時に作戦開始
酒井と信長のやり取りも夜に決められ
信長公記にも内通者がいる可能性が高いから軍議の時点で酒井奇襲案は却下してたでしょ
その後に酒井を呼びつけて夜のうちに別動隊率いて密かに行動させてた
内通者がいればある程度は分かるもんだよ
信長は細心の注意をしていただけ
0661人間七七四年2018/04/27(金) 16:24:19.77ID:dRqlCTUj
せめて長篠で山県、馬場くらいは生き延びていたら、武田軍の立て直しもできたろうにな。山県や馬場はあんな柵に突撃することを躊躇わなかったのかな?
0662人間七七四年2018/04/27(金) 16:40:27.35ID:VTq1u9qA
>>657
そもそも突撃なんかしてなかったんじゃね?
小競り合いしてて退却の時に失敗して大被害うけただけだと思う
0663人間七七四年2018/04/27(金) 16:41:50.51ID:B0a3wLK9
訂正
常山紀談だったわ
当時は通信手段がないから夜明けから戦始めるなら夜までに軍議や作戦決めて
準備や定位置に移動してないと夜明けから戦なんて不可能
長篠城包囲軍が壊滅してから伝令が届くまで何もしていなく
伝令が届いてから各将集めて軍議して突撃決めるなんて
それも有り得ない
0664人間七七四年2018/04/27(金) 17:09:37.40ID:i6qbRTUp
いまだに馬防柵に突撃して鉄砲の餌食になって負けたとか思ってる人がいて草生えるわ
0665人間七七四年2018/04/27(金) 17:34:01.27ID:HFLMa6Z4
鉄砲で戦死したって言われてる最前線の武将の死因は?
0666人間七七四年2018/04/27(金) 17:36:38.45ID:w6wu2IOF
>>657
偽装内通者に謀られた説もある。
そうすると、実は西の守りに軍勢を割いたので、旗印を日雇い人夫に持たせているとか何とか言って、兵力差を誤認識させることは出来ない訳では無い。
その証拠に明智も荒木もいないでしょう、とかw
無論、そんな話があれば、生き残った武田武将が何か記録を残しているはずだから、机上の空論なんだよね。
倍以上の敵の前に出てくる決断して、明確な理由が残されていない。
穴山も小山田も7年間沈黙している。
0667人間七七四年2018/04/27(金) 18:19:08.72ID:xKsiKHxa
>>664
無知、乙。
0668人間七七四年2018/04/27(金) 19:42:07.88ID:i6qbRTUp
>>661
無知、乙。
0669人間七七四年2018/04/27(金) 19:48:42.51ID:i6qbRTUp
長篠後、急速に武田家は立て直しをしている
信長が驚くほどに

現実はゲームとは違うから、山県や馬場個人でどうにかなる問題ではない
0670人間七七四年2018/04/27(金) 20:22:21.47ID:aenHMHGM
>>669
立て直しは数的にすぎない。
質がメチャクチャ低下している。
だから長篠以前は楽勝の徳川にすら負けるようになった。

信長が驚くほどに?
信長は東美濃奪回を最後に武田は徳川家康に任せて畿内、播磨方面に力を入れている。立て直したには程遠いのを見抜いていたとしか思えない。
0671人間七七四年2018/04/27(金) 20:23:42.13ID:2YPKhg2l
建て直しが性急過ぎたんだよな。
農民をごっそり足軽にしてしまったせいで
農業生産力が落ちてるし。
0672人間七七四年2018/04/27(金) 20:25:39.78ID:2YPKhg2l
信玄ですら二度目の砥石崩れ後は国内建て直しのために数年は外征せず内政に明け暮れたのに
勝頼はそれとは比べ物にならないほどの被害を長篠で被って、その後なにをしてたんだ。
0673人間七七四年2018/04/27(金) 20:39:04.30ID:aenHMHGM
>>672
僧侶を還俗させたり、武家の次男三男を新たな兵士にしたり数的にだけは以前と変わりないようにした。長篠からわずか3ヶ月で徳川家康に対して後詰出陣している。
0674人間七七四年2018/04/27(金) 20:45:35.68ID:Ze/Si45k
いや別に攻撃日でなくても軍議自体は開いてるんだから
ある程度攻撃するなら徳川正面の左翼が主攻くらいは決めてたはず
で酒井の別動隊に退路絶たれて追い込まれて正面攻撃開始したので
準備不十分のまま大打撃受けたとも考えられる

>>672
村上もそれなりに損害受けて武田領に侵攻するような力もなかった
勝頼の場合は織田徳川上杉に囲まれてる
ゆっくり立て直す余裕などなかったのが実態
0675人間七七四年2018/04/27(金) 20:52:48.03ID:Ze/Si45k
そういう意味では勝頼が長篠に連れて行った1.5万は武田の精鋭なんだよな
これが部隊指揮官ごと壊滅したんだからそりゃまともな戦はもうできないよ
だから鉄砲の比率高めて火力戦に切り替えたわけで
鉄砲なら戦力化は鉄砲と火薬さえあれば促成栽培が可能だからね
0676人間七七四年2018/04/27(金) 20:55:37.46ID:i6qbRTUp
内政に励んでいたら国が滅んでしまう位、危機的状況だったんだろ
軍備を整えるのはやむを得なかったと思うよ
信長はその間にもどんどん勢力拡大していき、武田が不利になるからな
0677人間七七四年2018/04/27(金) 20:56:30.06ID:B0a3wLK9
>>674
設楽原の本戦は日の出とともに始まったんで

長篠城が攻撃されたなら援軍要請なり伝令が届くはずなのに
なぜか長篠城包囲軍の壊滅した後の報だけは届くって有り得ないから
0678人間七七四年2018/04/27(金) 20:57:34.57ID:L4zASYd3
>>675
促成かもしれないが、戦力そのものはあんまり落ちなかったんじゃないの?それが鉄砲

ただし、不利になったときの崩れかたはヤバくなった、とか
それに農民も武士も負担が増えた
0679人間七七四年2018/04/27(金) 21:01:22.85ID:L4zASYd3
江戸時代に武田が特別扱いされたのは甲府藩を幕府の大物が治めてたのも大きいんじゃないの
柳沢吉保は武田系だし
0680人間七七四年2018/04/27(金) 21:07:32.81ID:g/fVpxle
うんうんそれで?
0681人間七七四年2018/04/27(金) 21:08:14.10ID:aenHMHGM
>>674
砥石崩れは村上の被害は微々たるもの。
あの時に村上が逆侵攻できなかったのは、既に信濃が中部まで武田信玄に落とされていて、長尾か山内上杉の援軍なしではそれができない状態になっていたから。
0682人間七七四年2018/04/27(金) 21:11:40.26ID:aenHMHGM
>>678
戦力そのものは落ちない。
現代企業で言うならやり手の幹部と将来の幹部候補があらかたいなくなり、新人社員をいきなり幹部にしたようなものなんだが。これで戦力は以前のまま?

武田勝頼の本隊が横須賀で徳川の大須賀康高の部隊程度に負けて撤退しているのに。
0683人間七七四年2018/04/27(金) 21:32:21.72ID:Ze/Si45k
>>678
火力戦が予想以上に成果を発揮して北条と互角以上に戦えたことで
逆に部隊指揮官や個々の兵士のレベルを上げることを怠った感じだね
結果として武田征伐では兵が蜘蛛の子散らすように逃げちゃったし
0684人間七七四年2018/04/27(金) 21:54:58.86ID:wPMPKHjD
>>678
よく誤解されるんだけどね、鉄砲は訓練期間が弓よりは短いってだけで、戦力化するには相応の訓練が必要で
なしに銃を持たせてもまともな戦力にはならないよ

なお兵士の質は相当落ちたようで、勝頼書状で農村に「ロクデナシを送り出すな、まともな人を出せ、他国からも笑いものになるぞ」と
0685人間七七四年2018/04/27(金) 21:58:38.61ID:g/fVpxle
訓練するったって金かかるやろ鉄砲は
金ない状態で数もそうだがどうやって組織化するねん
0686人間七七四年2018/04/27(金) 22:06:32.46ID:Ze/Si45k
自衛隊は100発程度撃っただけで教育期間終了だから
0687人間七七四年2018/04/27(金) 22:16:54.99ID:ckbtPtdB
自衛隊は織田軍と戦わないから
武田軍とは戦うかもしれないけど
0688人間七七四年2018/04/27(金) 22:18:32.34ID:5we/IvKJ
>>672
弱い北条領を荒らして現実逃避
0689人間七七四年2018/04/27(金) 22:27:13.81ID:B0a3wLK9
戦国時代だと硝石は輸入に頼って高価だったと言われてたな
硝石を国内でも作られるようになっても品質が悪くて
質の良い輸入された硝石と混ぜて使っていたと
財政難の武田がそんなに無駄撃ちできる訓練できてたかは疑問ではあるね
0690人間七七四年2018/04/27(金) 22:30:48.78ID:/sHhaTmC
鉄砲以前に鎧も足りなくて困ったろうな
0691人間七七四年2018/04/28(土) 00:09:20.74ID:A7IuAqku
>>684
農村「ブラック企業・・・」
0692人間七七四年2018/04/28(土) 02:10:08.79ID:bcvVw8bM
>>658
如何も、本家の春日山長尾と分家の上田長尾の対立関係も有ったらしいね。
基本的に景虎は本家の家老に担がれてる訳で、分家の上田長尾の景勝は劣勢だったらしい。
なんで勝頼が景勝に味方したのか謎だよねえ?
0693人間七七四年2018/04/28(土) 02:32:55.08ID:7QzQDlV9
当時の鉄砲は到底、狙い撃ちできるようなものじゃないが、
平地で、一定以上の規模の戦では有効だろう。
方向さえ合ってれば、敵の誰かには当たるだろ、くらいの感覚。
0694人間七七四年2018/04/28(土) 02:48:15.26ID:7QzQDlV9
>>692
勝頼は実際、景勝の味方をしていない。景虎側と実際には戦ってはいない。
景勝側からの提案で金をもらったかもしれないし、妹を嫁がせたが、
戦闘には加わってないし、越後から手を引いただけなので、
この件で北条と手切れとはならないという甘い考えがあったのかも知れない。
0695人間七七四年2018/04/28(土) 03:35:36.09ID:QjxnfYV2
>>692
勝頼は景勝の金と領土譲渡に釣られて欲のままに受け取ってしまったのが原因だよね
領土交渉は本来なら上杉家当主の権限であるから、受け取ってしまったことにより
武田は景勝を上杉家当主と認めたという政治的アピールに利用されてしまった
景虎がもし上杉家当主になった場合、景勝が勝手に決めたことだから返還請求されるだろう
だから本来、景虎支援の立場なら受け取らないのが無難だし、受け取ってしまったら周りからは
景虎を見捨てたと取られても仕方ない
0696人間七七四年2018/04/28(土) 03:53:34.46ID:3In7PG8+
金に釣られて説は今は否定されてるでしょ
軍艦に誇張して書かれてるだけで
金銭のやり取りは当時は常識だったみたいだし
領土は武田が自力で攻略したものだから
譲られたってのも変な話
0697人間七七四年2018/04/28(土) 06:09:42.28ID:bcvVw8bM
>>696
自力で攻略って正気なの?
同盟関係に有る北条の依頼で援軍に行ったんでしょうが。
お礼に領土の割譲が有っても事後の事が普通だし。
0698人間七七四年2018/04/28(土) 06:16:26.53ID:QmKJWm5z
>>697
一行目と二行目と三行目が全然繋がってないんですけど。意味わかってるの?
0699人間七七四年2018/04/28(土) 06:47:51.97ID:QjxnfYV2
>>696
>金銭のやり取りは当時は常識だったみたいだし
>領土は武田が自力で攻略したものだから
>譲られたってのも変な話

常識?いや受け取って和睦している時点で
何を言っているんだね君
0700人間七七四年2018/04/28(土) 07:07:51.83ID:3D2G+hkK
>>648
まず連合軍の動き
普通におかしいと思う
長篠城の後詰めに来たにも関わらず
数キロ前で陣地を構築する。
俺でも変だと思う。
勝頼も変だと思ったのは間違いない
無視して長篠城を落として引き上げれば
いい
信長も面目がたたない
それも最悪仕方ないと信長は考えただろう
けどな
だからこれは信長の一つの賭けだった
勝よりは戦いを仕掛けてくると
勝よりから見てこの奇妙な陣地を
誘っている罠と見るかそれとも武田に
ビビっていると見るか?
勝よりはビビっていると考えた
だから山県らの反対を押しきって戦いを
仕掛けた。
数を見誤ったのもあるし鉄砲の数も
分からなかっただろう
戦う前から鉄砲を配置しないはずだからね
完全に信長の謀略にはまった
勝よりはその点で凡庸過ぎたのだ
0701人間七七四年2018/04/28(土) 07:15:15.05ID:bdT2mZyr
どこ縦読みするの?
0702人間七七四年2018/04/28(土) 07:23:07.75ID:QyXb3QLI
元々、上杉と北条の問題。
北条から景虎援軍の要請あった時、上田城まで出て、あとは「北条の援軍はまだか」という文と使者を送り続けてお茶を濁す訳にはいかなかったか?
やりとり次第で海津城までは行って、また北条へ出陣要請。
北条が愚図るなら、使者に「義兄殿にお伝え下され。事情は分かりました。されど駿河に徳川が攻め入った時、義弟は駿河に向かわねばなりません」
これだけでいいようなもの。
0703人間七七四年2018/04/28(土) 07:32:59.84ID:FtXjiKlo
>>700
長篠城を落とせなかったんでしょ、落としたくても。

ただ、信長自らが来ている時点で最低自軍と同数なのは間違いないんだから、もう少し情報収集に力を入れろよなとは思う。仮に織田、武田が同数でもあの柵の突破は難しい。
0704人間七七四年2018/04/28(土) 08:09:08.68ID:1lmcVrPR
いや、そもそも勝頼は戦地の調査をちゃんとしてないでしょ。
してたら設楽ヶ原の南北の山に伏兵を備えてなきゃおかしいもの。
そなえてたら酒井の伏兵などあっさり殺して南北東から織田軍を挟殺できてるし。
0705人間七七四年2018/04/28(土) 08:12:31.03ID:bdT2mZyr
   ___
   _/ ⌒ ⌒ \ うん、うん、
  /)) (●) (●)  ヽ それで?
  |∩ (_人_)  |
  / ノ、_ヽノ_ノ ̄)
 / /      /フ_/
 L_/\    \(
0706人間七七四年2018/04/28(土) 08:31:11.70ID:QjxnfYV2
>>704
長篠の地形に詳しい長篠城城主だった菅沼正貞を家康との内通の疑いをかけ武田は投獄してるからな
酒井が別動隊が行った南は山と言っても川と断崖絶壁で地形に詳しくないと無理だから
0707人間七七四年2018/04/28(土) 08:47:44.09ID:1lmcVrPR
この時期の勝頼は破滅願望があるのかと言いたくなるくらい自ら破滅への道へ突き進んでるし
どうなってるのかな。 天下をわける大戦だという意識を持ってたら敵軍の正確な数な把握や
予定戦地の把握および伏兵の配置など割と愚か者でもやると思うんだけど。
0708人間七七四年2018/04/28(土) 08:52:33.13ID:QjxnfYV2
長篠城は信玄期に力攻めしても落ちなかった堅城だからな
武田に既に降っていた菅沼本家の田峯菅沼氏から遣わされた使者の説得でやっと開城

信玄が死んだ後は今度は家康に長篠城を包囲されたけど
菅沼正貞は家康派だったために今度はあっさり開城
武田に妻子を人質に取られてたから武田に合流したが
あっさり開城したために家康との内通の疑いをかけられ投獄(ずっと出られずにそのまま獄死する)

勝頼との長篠の戦い時には家康は長篠城を水堀のある城に改修してた上に
信長から鉄砲を多く借り受けてるからそりゃ落ちないわな
0709人間七七四年2018/04/28(土) 09:03:45.86ID:1lmcVrPR
鳥居強右衛門を殺した時も損得勘定で考えず激情にかられて行動しちゃってるしな
あれで「大将の器ではない」と部下たちにも内心見捨てられたでしょ。
0710人間七七四年2018/04/28(土) 09:37:59.31ID:EyGJzM7s
実際長篠城行ったことない奴が書き込んでるから説得力ないな
0711人間七七四年2018/04/28(土) 09:54:34.03ID:QjxnfYV2
行ったことあるけどね
設楽原は割りと拓けた所だったけど
設楽原や有海原へ抜ける道は断崖絶壁や今でも森ばかりで迷った
0712人間七七四年2018/04/28(土) 12:04:15.36ID:UPkmslTd
>>702
厩橋開城が6月10日以降
それ以前は正式には高広景広父子始め上野諸城は北条にとって敵国
沼田城確保は更に遅れる

時同じくして勝頼景勝両取次の接触を持って勝頼が海津城入りしたのが6月12日以前
早いとか遅いとか無いんだよ
控え目に言っても最初から両天秤に掛けてた
0713人間七七四年2018/04/28(土) 12:09:50.67ID:UPkmslTd
景勝の命による妻有の明け渡しが6月29日以前
この時点で勝頼景勝の盟約が事実上成ったと見るべきだろうね
あとは菊姫入嫁条件すり合わせくらい
0714人間七七四年2018/04/28(土) 13:19:10.45ID:X4+bYdSY
景虎が関東に撤退する気が全くないのがなぁ
東上野は北条、北信濃は武田で三国同盟の形にできてればねぇ
元はと言えば相越同盟が崩壊した時点で景虎を北条に返さなかった謙信が悪いんだが
景虎は美男子で謙信の夜のお相手だったらしいからなぁ
0715人間七七四年2018/04/28(土) 14:11:16.05ID:nDpEK8ha
景虎が夜の相手なんて妄想を書き込んでいけないな
0716人間七七四年2018/04/28(土) 15:04:04.83ID:Oe67MgQL
何でこんなに勝頼で盛り上がってるの?
ここしかスレ伸びて無いね
0717人間七七四年2018/04/28(土) 15:45:41.54ID:UPkmslTd
織豊政権が揺らいでいたかもしれないというifの
最後のキーマンだからな

ちなみに反徳川政権のキーマンは虚像がボロボロと剥がれ落ちて
これ無理っぽいという近年の研究の流れ
0718人間七七四年2018/04/28(土) 17:30:20.78ID:DTcVEZtm
>>717
秀長のメッキって何か剥がれてたっけ
0719人間七七四年2018/04/28(土) 17:47:24.73ID:xRh8Vucj
信玄死後、家臣団が勝頼をお棟梁としてお戦いになるお覚悟をお持ちか?
0720人間七七四年2018/04/28(土) 19:56:04.03ID:UPkmslTd
>>718
そこまで遡らんといかんのかw
いや、まあ、云われてみたらそうかもしれんなあ
0721人間七七四年2018/04/28(土) 19:57:25.05ID:2lq5JosC
キーマンは三成でいいんだよな?
0722人間七七四年2018/04/28(土) 20:56:13.66ID:UPkmslTd
5奉行全員やな
むしろみっちゃんは1周して
中央復帰したかっただけで釣られちゃった気の毒な人
なんて評価すら出てきたらしいがまだ読んで無い
0723人間七七四年2018/04/28(土) 21:48:17.48ID:Nsk7wzoi
「関ヶ原の戦いはなかった」って本だっけ
評判を聞いてると豊臣家奉行の体制についても色々かいてありそうな感じやね

秀長は最後の良心的なイメージがあるが、えげつない高利貸ししてたとか何とか
0724人間七七四年2018/04/28(土) 22:14:12.55ID:iB14ao98
別に高利貸しはええやろ
0725人間七七四年2018/04/28(土) 22:32:01.80ID:wg0IaMKM
種もみ無い奴に種もみ貸してやって、収穫後種もみ分を数倍にして返せ
こう書くと年利数百パーでも割と良心的な気がしてくる
0726人間七七四年2018/04/28(土) 23:33:58.40ID:bdT2mZyr
その種モミ食いたくなってきたぜ
0727人間七七四年2018/04/29(日) 00:11:12.38ID:6CUTdwqU
>>726に今日を生きる資格はねぇ!!
0728人間七七四年2018/04/29(日) 00:17:54.26ID:ogENO9MG
種もみまで収奪する。革命ロシアみたいな残虐な武田家を、もはや支持できません
0729人間七七四年2018/04/29(日) 03:02:51.64ID:R1K8xhiN
それ上杉さん
堀さん激おこ
0730人間七七四年2018/04/29(日) 14:49:57.71ID:/I0D6LYo
年貢が収められねぇってんなら娘は貰ってくぜ!
0731人間七七四年2018/04/29(日) 15:03:22.80ID:YDCj9ahC
>>710で実際長篠城行ったことない奴が書き込んでるから説得力ないなって言われたから見てきた。
長篠大橋と牛渕橋の上は写真で見るよりずっと高くてビックリした。
長篠城周辺の道は本当に険しく狭い。
武田軍は兵数が不利な場合でも長篠城周辺の狭い道で戦えば不利もなく普通に戦えたと思う。
0732人間七七四年2018/04/29(日) 17:20:57.67ID:oA4wI7uo
「戦国時代へ行ったことない奴が書き込んでるから説得力ないな」

↑有名なコピペなんだから一々相手にすんなよw
0733人間七七四年2018/04/29(日) 17:42:48.15ID:zIWgTwgf
沖田畷と同じで、勝頼が龍造寺隆信みたいに傲慢になっていたのかな?
0734人間七七四年2018/04/29(日) 18:06:14.78ID:DBgPNEHJ
長篠が堅城で落ちなかったt
0735人間七七四年2018/04/29(日) 18:25:28.53ID:DBgPNEHJ
長篠が堅城で落ちなかったというのがフィクションという説もあるね
当時は戦術の進展で膠着状態になりがちなフェーズに入ってて
状況打破のため武田側が徳川との野戦による決着を望んでいた
そのために長篠を包囲して、救援に駆けつけた徳川に決定的ダメージを与える。つまり高天神と攻守反転したシチュエーションだった
長篠を落ちる直前まで押し込めば家康が出てこなければならないという読み
誤算はちょうどそのときに信長サイドで戦況が一段落ついて信長が急遽援軍をひねり出して駆けつけたこと
信長軍の展開能力を侮ってたとか情報網を上回る急展開だったとかあるんじゃないのかね
0736人間七七四年2018/04/29(日) 18:27:56.85ID:B4Ybey5U
沖田畷は傲慢とか関係なく有馬を抑えなきゃいけない戦でしかない
そして前線の救援に向かい流れ弾に当たって死ぬ隆信の運が悪いだけの話
0737人間七七四年2018/04/29(日) 18:30:12.29ID:zIWgTwgf
>>735
それはないだろ。
織田信長が出陣したのが5月15日。
この時点で武田側が何にも掴んでないのはおかしい。
長篠まで6日ある。
犠牲覚悟で攻めたら落とせないわけがない。
実際、兵糧蔵が5月16日に落とされている。
0738人間七七四年2018/04/29(日) 20:11:21.50ID:ZTk77H1f
長篠の奥平は高天神の小笠原みたいに降伏する気はない
家康からしたら奥平は娘婿、それを見殺しにしたら高天神どころのダメージではない
このとき家康は独力では対処出来なかったのだから、さっさと落とすに限る
0739人間七七四年2018/04/29(日) 20:34:51.62ID:YDCj9ahC
>>735
長篠城の士気を落として降伏させるために鳥居強右衛門に織田の援軍は来ないって言わせようとしてたからそれは成り立たないね
0740人間七七四年2018/04/29(日) 21:34:41.39ID:Ftjz0GoH
長篠城に行ったよ
小さくて驚いた
守りの城としか機能しそうにないくらいに
小さい城だ
しかし川の合流地点にあって少数ながらも
鉄砲を大量に配置すればかなり厄介だろう
0741人間七七四年2018/04/29(日) 21:53:54.59ID:oA4wI7uo
>>740
武田軍が13000人で攻め込んだ時、長篠城で立て籠もってたのは500人だからな。
そりゃ小さいだろ。
0742人間七七四年2018/04/29(日) 22:03:20.91ID:INivllFj
確実に言えるのは例え長篠城を落としたとしても一万五千人が籠れる大きさは無いということ 
籠城できないのであれば後回しにして野戦で勝負をかけるというのはわからなくはない

倍以上の相手にやるのは無能の極みだが
0743人間七七四年2018/04/29(日) 22:14:59.65ID:YDCj9ahC
城を落とした直後だと堀を埋め立てたりして防御機能は失われてるから籠城にはどの道使えないのでは?
長篠城周辺は崖等で道が狭いから二倍相手でも兵数の不利はなく戦えると思う。
兵数の多さの利が出る設楽原までなぜ行ったという疑問しかない。
0744人間七七四年2018/04/29(日) 22:31:10.54ID:YDCj9ahC
信長視点で見ると設楽原で戦わなければ兵数の多さの利が生かせなかった。
長篠城周辺で戦えば膠着してその間に長篠城が落ちたら戦の意義が無くなり士気も落ち最悪の結果になってただろう。
その点信長の策がドンピシャに嵌まり信長の凄さ・勝頼の浅はかさを痛感しました。
0745人間七七四年2018/04/29(日) 22:52:04.72ID:ZTk77H1f
設楽原に出張ったのはホント疑問
まあ、決戦したかったんだろうし勝てると思ってたんだろう
何故そういう思考に至ったかだな
0746人間七七四年2018/04/29(日) 23:27:07.83ID:vF4+onMv
その1:情報操作により、決戦によって打開できると誤認した
その2:情勢が悪化し、不利な決戦に追い込まれた
その3:敵陣に突撃したのではなく撤退行動であったが後世には何故か決戦と伝わった

思いついたのはこんな可能性
0747人間七七四年2018/04/29(日) 23:43:27.55ID:joJRUkOR
>>746
1の可能性が高いとみている
内通者がいたのではないか?
怪しいのは穴山かな
高坂昌信に腹を切るべしなんて言わせるのは、よっぽどの事をしでかしたんだろう

そういうのひっくるめて勝頼の統率力の無さ、ということになるんだろうけど
急遽棟梁になった四男じゃ仕方ないような…
0748人間七七四年2018/04/30(月) 00:26:16.14ID:ATjcIaD0
織田は城を落とされたらさっさと撤退しようと言わんばかりに後方に陣をとったから戦意や士気が低いと判断したのだろう
対する勝頼は負け知らずの御曹司でもともと自分で槍とって突撃するような性格
30歳だからまだ向こう見ずなところもあるだろうし
0749人間七七四年2018/04/30(月) 01:15:59.60ID:tuGQj/jn
日の出〜6時頃
武田の左翼隊と徳川軍との衝突により設楽原の戦いが始まる

7〜8時頃
武田の左翼隊は竹広、柳田方面に敗走

8時頃〜
鳶ヶ巣山を酒井忠次が急襲
この時の急襲の狼煙で連合軍の士気を高まり、逆に武田軍の士気が落ちる

10時頃〜
馬場信春は勝頼に後退を進言したが、勝頼は信長を討ち取る短期決戦を命じる

13時頃〜
武田軍が次々と突撃し宿将も討ち死

14時頃〜
今度は信長が総攻撃を命じ両軍入り乱れたが
穴山信君らは勝手に退却したために勝頼は退却を決意

15時頃〜
原昌胤は殿をつとめ、内藤昌豊は家康目掛けて突撃したが戦死
馬場信春は勝頼の退路を確保した後、勝頼の退却を見届けた殿を務め戦死

設楽原歴史史料館でも勝頼が戦犯扱いだったね
0750人間七七四年2018/04/30(月) 01:31:33.71ID:4J/l5Kf1
戦犯もなにも設楽じゃ武田は侵略者なんだから勝頼悪く言うだろ

山梨にあれば好意的な評価するだろそりゃ
0751人間七七四年2018/04/30(月) 03:02:27.32ID:X7fwP+oy
穴山が勝手に退却したってのも眉唾だなぁ
0752人間七七四年2018/04/30(月) 04:41:21.32ID:pEHWfE7H
>>749
しっかし長い戦いだな

穴山の話は信憑性が薄い、軍艦の穴山嫌いが根底にあるからな
武田滅亡時に寝返って生き延びた、でも本能寺の変の混乱時に死んだ
穴山家は軍艦発表時既には既に断絶
もう悪口書き放題だわな
0753人間七七四年2018/04/30(月) 05:55:33.18ID:X7fwP+oy
>>752
高坂が穴山と信豊に腹切らせるように勝頼に進言したなんてありえんしな
そもそも高坂は戦場にすらいないし当時の状況を把握できてない

逍遙軒も最前線で敵の陣に突っ込んでるし定説みたいなご親類衆は戦意が低かったってのも眉唾
陣城に攻撃続ける中で劣勢になって退却時に討ち取られたのがほとんどだろう
退却時に総大将とご親類衆先逃がすのも当たり前だし
0754人間七七四年2018/04/30(月) 06:36:46.34ID:b1fY329K
>>753
それにしては親類衆生き残りすぎ。
織田なんか伊勢長島で親類衆がたくさん犠牲になってるのに、武田は生き残りすぎて逆に親類衆の戦意があったのか怪しい。
0755人間七七四年2018/04/30(月) 07:19:44.41ID:Ur/Zc0Ff
>>747
流石にこの時期に穴山の内通は無いと思う。
この時期に織田・徳川に内通したなら7年の間に、武田家中で陶隆房による江良房栄粛清が再現される。
しかも江良の場合と異なり事実ということなら、当時の詮議レベルなら十分すぎる証拠付き。

746氏のその1でも、織田方の謀略では?
信長了承で、明智が武田に合力すると武田を謀る。
明智勢が着陣する日時を合わせて武田勢が渡河するも、先に酒井勢が鳶ヶ巣襲撃。劣勢側の武田が決戦を強要された。
明智の功績は、武功話にはならないので巷間にはあまり知られず、本能寺の変以後、語り継ぐ人がいなかった、とかね。
大賀の謀叛失敗しても、本命が明智なら勝頼が出てくることは有り。
謀略の主役が佐久間当たりなら、周りに吹聴するでしょうしね。
0756人間七七四年2018/04/30(月) 07:37:34.73ID:PzC+vhvI
陰謀論を持ち出す人ってそうであってほしい前提で考えるから何でも意図があったように捉えるんだよな
0757人間七七四年2018/04/30(月) 09:56:53.56ID:hEshCg2X
>>756
まあまあ、某ロズウェル陰謀説と違って、長篠の戦いにはミステリーが存在するからなあ。
0758人間七七四年2018/04/30(月) 11:56:03.15ID:b1fY329K
武田信玄なら撤退していたのかな?
0759人間七七四年2018/04/30(月) 12:01:43.81ID:DO1m3eQ/
>>752
軍艦の最古写本は元和7年とされているから原本はもう少し古いと
思われるんでそうなるとその頃見性院はまだ生きていたし見性院は
保科の件もある他なんで穴山家の悪口書きたい放題というのはいささか
眉唾にも思えるけどねえ…

軍艦を頭ごなしに否定するのは勝手だがこういう部分も含めて
綜合的に見た方がいいとおも
0760人間七七四年2018/04/30(月) 12:04:28.25ID:yFpMyaTx
>>758
武田信玄なら設楽ヶ原の南北の山に伏兵を仕掛けており
信長もそれに気づき決戦場を設楽ヶ原から変更したかもしれない。
0761人間七七四年2018/04/30(月) 13:22:39.98ID:6d4yZt3e
>>754
武田軍は鶴翼の陣なので信長もそこに着目して両端に銃撃を集中させている
実際に銃撃による被害が大きかったのは両翼に配置された武将達なんだよね
だから中央に配置された御一門衆らは被害が比較的少ないそうな
0762人間七七四年2018/04/30(月) 15:25:19.45ID:uWozvwOt
>>760
信玄には伏兵のイメージがないがなあ
0763人間七七四年2018/04/30(月) 16:49:42.19ID:LIs/6yDa
>>754
織田の親類衆の死亡率の高さは信長にも通じる迂闊さと勇猛さのせいだろう
0764人間七七四年2018/04/30(月) 17:37:36.03ID:Z4mil/hA
長篠前後の鉄砲を使った防御術が確立されてくると、力攻めでは小城でも容易に落とす事は難しくなった
攻め手は有効な手段が乏しく、包囲による降伏開城が極端に増えてくる
関ヶ原では大津城、宇土城、田辺城、長谷堂城等、様々な城が超劣勢ながら奮戦している

それでも被害覚悟で波状攻撃すれば落城させる事も可能だが、それだけの力(経済力)が必要

西南戦争では熊本城を力攻めし、精鋭を多数失った事が後の会戦で大敗を繰り返す大きな要因になったとされています
0765人間七七四年2018/04/30(月) 20:38:27.66ID:pEHWfE7H
>>759
頭ごなしに否定というが、非現実的にみえるからね
長篠の戦いであれだけ部将クラスが死んだのに、さらに一門筆頭と言える2人を殺せとか
それにいくら重臣とはいえ高坂にそんな発言権あるのだろうか

軍艦の記述以外にそれ(穴山逃亡など)を裏付ける、匂わせる史料も皆無だし
史実では勝頼はそのあとも2人を重宝してる
軍艦の公表は見性院最晩年と重なってるけど、その頃の彼女に影響力はあったのだろうか?
見性院が元気ならなおさら、軍艦なんて公表できまい
0766人間七七四年2018/04/30(月) 21:03:07.68ID:RJg8Fz/8
見性院最晩年って将軍御落胤を預けられた時期け?
0767人間七七四年2018/04/30(月) 21:28:44.60ID:ATjcIaD0
>>765
春日虎綱が進言したかどうかについては頭ごなしに否定する程じゃないかな
勝頼は結果的に採用しなかったわけだし
自分の予想では穴山は長篠開戦に反対だったからさっさと撤退した、勝頼は自分の開戦の判断が誤っていた負い目もあり、穴山は実力があるから責任は追及出来なかった
ただ、穴山はあまり家臣に犠牲者がいないのに対し、信豊は弟を始めとして寄騎を結構失ってるという疑問はある
0768人間七七四年2018/04/30(月) 21:52:12.13ID:FtGsqMuN
伊勢長島で親類衆がたくさん死んだのは地形のせいも大きいだろ
退却したくても退却できない、他の部隊が援護しようにも援護できない
川にの中洲の各島に分散配置、多数の川で各部隊が孤立しているようなものだから
0769人間七七四年2018/04/30(月) 23:18:19.85ID:b2hRc2zT
>>767
戦意があったかどうかは確かめようがないから想像の域を出ないが、単純に穴山は後方にいたから被害が少なかっただけではないのかな
離脱する場合も先になるだろうし
0770人間七七四年2018/05/01(火) 01:19:24.88ID:HJYo6lap
>>767
進言そのものは否定しないが、軍艦の内容に疑問持ってもいいだろ
他にも氏政に服属しろ木曽と小幡の領地を交換しろとか言ってるんだぜ、そんなんありえる?
これじゃあ高坂さんただのバカじゃない

木曽も、武田滅亡のきっかけであり、元和年間には没落してるからターゲットにし易いね
このとき交換してればあんなことにはならなかったと、軍艦は言いたいのだろうか
0771人間七七四年2018/05/01(火) 02:08:19.98ID:yB/YJRGW
木曽の領地を交換するなんてその時点で離反だろうな
秀吉時代移行の転封と違うんだから
いかにも江戸時代に書きました的な発想だわな
0772人間七七四年2018/05/01(火) 02:42:17.09ID:g4lmeApp
どの史料もそうだが全てが正しいわけでもなければ間違いというわけでもないよ
江戸時代に写本が重ねられれば江戸時代の思想などに合わせた表現方法や内容に
変わっていってもおかしくはないし写本の段階で勝手に改竄されることも普通に
あっただろうと思う

それと見性院に関してはやはりご落胤を預かり養育した人として、また保科自身が
とても恩を感じていたことや保科家でも代々大事に扱われていること、墓などに
葵紋の使用が認められているレベルの人だから影響力というより気遣いという
意味で本来ならそう露骨に穴山批判は憚った面もあった思われるけど書いていると
いうことは寝返り以外にもそれなりの何かがあったんじゃないかな
軍鑑みたいなことではなかったとしても…
0773人間七七四年2018/05/01(火) 03:15:58.21ID:2xa6lHoJ
>>771
小笠原信興を転封してるから強ちデタラメじゃないんだなこれが
0774人間七七四年2018/05/01(火) 06:36:06.65ID:6lTeo+Ae
>>772
寝返り以外のそれなりの何かってなんだよ
よくわからないんじゃそもそも議論にならないだろ
見性院に気を遣って穴山を悪く書かないというならわかるけど、そもそも穴山を悪く書いてるのに、気を遣ってこれだから実際はもっと酷かったというのはあなたの主張自体が意味不明だし、結局何を主張したいの?
0775人間七七四年2018/05/01(火) 08:46:15.07ID:CW9Lz/Ru
「いいときだけの甲陽軍鑑」て話があるくらい、
ハリルなんか目じゃないくらいの悲惨な見捨てられ方をした
戦国一の無様な最期だぞ 可哀想だが、はっきり言わせてもらうがな
最後に一斉に反旗を翻され、誰も指示に従わないという
0776人間七七四年2018/05/01(火) 08:49:15.84ID:CW9Lz/Ru
いい加減にしないと、武田は
言い訳ばかり上手で「いいとき」のことばかり語りたがる
楠正成が言い訳したか?
蜀の功臣の子孫が言い訳したか?
で、急に敗勢が濃厚の時勢のときの無様さは口をつぐむ
なぜか、なかったことになる…
0777人間七七四年2018/05/01(火) 08:52:04.49ID:io5A6GAQ
武田家が滅ぶまでにはターニングポイントがたくさんあって
それらのポイントでことごとく滅びる方を勝頼自身が選択してるので
ボロクソに勝頼が叩かれるのは仕方ないし滅びるべくして滅んだんだんだよな。
悲運ではない。
0778人間七七四年2018/05/01(火) 08:54:23.35ID:CW9Lz/Ru
勝負後に敗勢で散り散りになって指揮命令系統が乱れたのではない
戦う前に、一斉にそっぽを向かれた
で、不戦敗…
0779人間七七四年2018/05/01(火) 08:56:23.47ID:CW9Lz/Ru
刮目せよ、武田 蜀の姜維の姿をさ
0780人間七七四年2018/05/01(火) 09:09:19.73ID:io5A6GAQ
一つにはコミュニケーション不足はあるだろうな。
戦って勝つ事でしか求心力は得られないと考えすぎ。
実際勝頼の得意分野はそれしかなかったから戦うしか無かったのかもしれないが。
0781人間七七四年2018/05/01(火) 09:20:36.86ID:EGrgxErL
>>777
でも仮に俺らが歴史の知識を持って勝頼と交代したとしても、どうしようもない気がする

信長に臣従しようとしたら家臣団の反発くらうし、景勝見捨てて景虎についたとして後の安泰はわからない

高天神城には近づかない
長篠ではサクッと撤退する
それでどれだけ歴史を変えられるか...
0782人間七七四年2018/05/01(火) 09:43:42.01ID:io5A6GAQ
>>781
どうとでもなるよ。
長篠の合戦は負ける事は俺等は知ってるから100%撤退してるし
それどころか撤退路には最初かわ罠まで仕掛けてて追撃する織田信長を殺す事さえ可能。
御館の乱では景勝をぶっ殺してる。
全然余裕で生き残れるよ。
0783人間七七四年2018/05/01(火) 10:20:06.24ID:g4lmeApp
>>774
脊髄反射する前にきちんとレスを読んで欲しい
そんなもんわからない、だから〜かなという断定していない
書き方にしてある
見性院のはそれでも書いている点を指摘したまで
あなたは頭ごなしに否定する視点しか持ち合わせていないようだから
仮に根拠があったとしても議論にならないそれ以前の問題
0784人間七七四年2018/05/01(火) 10:32:59.00ID:EJ72c8t+
史実として馬場や内藤が勝頼を逃がすために死んでるわけで
勝頼に求心力が無かったとも思えない
0785人間七七四年2018/05/01(火) 10:41:07.27ID:io5A6GAQ
長篠の戦いで忠臣を皆殺しにして逆臣を生かした勝頼
0786人間七七四年2018/05/01(火) 10:55:34.55ID:FIhcVJvc
>>777
武田信玄があれだけ好き放題して負の遺産を築いた、それを継承した勝頼のマイナスも考えてあげて。

あれだけ32年の当主時代に好き放題したツケ全部背負わされたんだよ。
0787人間七七四年2018/05/01(火) 11:10:40.65ID:io5A6GAQ
>>786
代替わりで外交方針の転換というのはありえたしすべきだったんだよな。
実際に宿敵だった謙信とは180度関係が変わり同盟国になれたわけだし。
それを全方向でどう武田家は周囲の大名と関係を築くべきか再構築すべきだったし
する時間はあった。
0788人間七七四年2018/05/01(火) 11:15:01.24ID:xIwnQBTc
肝心の信長が絶許モードになっちゃってるのが取り返しつかないんじゃない?
0789人間七七四年2018/05/01(火) 11:18:38.80ID:io5A6GAQ
>>788
信玄が死んで三か月後だかに東美濃を急襲して
散々勝頼が織田軍を破った際に、信長が「これはヤバイ」とあせりまくって
信長の方から「あらためて同盟を組んでもらえないだろうか」と勝頼に頭を下げてるんだよね。
その時に同盟を組めば済むだけの話だった。
0790人間七七四年2018/05/01(火) 11:21:45.30ID:xIwnQBTc
信長の一回敵対した後の停戦同盟はちょっと危ない気がする
ほとぼりが冷めた頃に成敗される可能性も

最初から同盟する分には無茶な要求たまにしてくるくらいで安心してもいいと思うけど
0791人間七七四年2018/05/01(火) 11:23:43.43ID:xIwnQBTc
あとは家臣団だな
信長と再同盟することに反対する連中をどうなだめるか
0792人間七七四年2018/05/01(火) 11:25:13.00ID:io5A6GAQ
>>790
もちろん両者にとってそれは単なる時間稼ぎだよ。
その間に木曾や穴山を誅殺して組織を改編し強国を築けば良いわけだし。
0793人間七七四年2018/05/01(火) 11:48:57.40ID:g4lmeApp
>>790
荒木や松永みたいな例もあるから家康や謙信がおかしなちょっかい出して
それに引っかかりさえしなければそこらは案外大丈夫なんじゃないか?
信勝に信房、松姫という共通で使用できるカードもあるわけだし

>>791
結局それが一番のガンのような気がしなくもない
抑え込んで組めたところでクーデターが起きたんじゃないかという意見は
類似スレでも度々指摘される
そこで勝頼一行が織田に逃げ込んでしまったらそれはそれで面白いけどな
0794人間七七四年2018/05/01(火) 11:50:11.97ID:HdHUIJjc
信長から再同盟の話は軍艦にしか書かれてなくて、今のところ一次史料はないのだから慎重に取り扱ったほうがいいと思う
0795人間七七四年2018/05/01(火) 11:56:11.00ID:RIMkR17d
>>790
とはいえ、織田と講和するなら実力が備わっているうち。
徹底交戦するか、耐え忍ぶかの二者択一を選べるのは、長篠の戦い前しかない。
0796人間七七四年2018/05/01(火) 12:01:34.53ID:/PbQkkhF
なんか信玄の負の遺産だの家臣団がガンだの書いてるが、馬場や内藤や山県や真田なんかは宝そのものだろ
皆、単なる国人衆ではなく信玄に特別に取り立てられてたから武田に忠義は厚かったと思うよ
0797人間七七四年2018/05/01(火) 12:01:46.38ID:g4lmeApp
>>794
東大史料編纂室が持っている家康が謙信あてに織田と武田の分断工作を
やったら成功しましたよ!と書いている家康書状の日付が天正5年あたりらしく
これが長篠への信長引っ張り出しのことなのか軍鑑の件部分を証明する
ことなのか議論が分かれているっていう噂があるっぽい
0798人間七七四年2018/05/01(火) 12:15:07.09ID:FIhcVJvc
>>796
甲陽軍鑑の影響受けすぎ。

馬場は信虎の時代に信玄派に与して信虎追放した。
山県は兄貴の謀反を密告して連座を逃れた。ちなみに兄の飯富虎昌は信虎の時代に2回も謀反を起こして許された。
真田は主家の山内上杉が潰され、生き延びるために武田に付いたに過ぎない。

甲陽軍鑑だと全員忠義の厚い名将だけど、長篠見てると名将なの? と疑問符がつく。
0799人間七七四年2018/05/01(火) 12:22:21.44ID:CW9Lz/Ru
甲陽軍鑑は法螺
如何にも武田派というか武田側のやり口だな 大法螺で印象操作していくやり方は
その辺にも流儀が表れている
武田派は敗北があまりにも惨めすぎて、精神に変調を来したのではないか
いろいろと捏造することで心の平穏を保とうとしたのではないか
どこぞの半島民族と性根が変わらないし、共通点が多い
他を一方的に誹謗中傷し、自らはご都合主義で印象操作 流儀が出ている
0800人間七七四年2018/05/01(火) 12:23:57.69ID:/PbQkkhF
>>798
長篠みてなんで疑問符がつく?
皆武田のために死んだんだけど
0801人間七七四年2018/05/01(火) 12:25:40.60ID:LxTY1v9N
>>789
信玄の死は1573年4月12日
勝頼の美濃攻勢が1574年1月27日から2月初頭
これを受けて>>67にもある信長謙信宛て書状
武田勝頼を必ず亡ぼさなければ天下の大事に繋がる(当代記)

軍鑑の信長勝頼の同盟は長篠後

>>797
天正5年は1577年ですよ
0802人間七七四年2018/05/01(火) 12:40:39.89ID:g4lmeApp
1577だとなんか不都合あるの?
0803人間七七四年2018/05/01(火) 13:21:43.25ID:HdHUIJjc
> 信玄が死んで三か月後だかに東美濃を急襲して
> 散々勝頼が織田軍を破った際に、信長が「これはヤバイ」とあせりまくって

長篠から2年も経ってるんだからこの認識は当てはまらないね
0804人間七七四年2018/05/01(火) 13:42:17.35ID:g4lmeApp
きちんとアンカー追えよw
0805人間七七四年2018/05/01(火) 14:13:48.86ID:ncpvRliO
今の知識を持って当時の勝頼と入れ替わっても
長篠撤退した時点で新しい歴史になるからお前にはもう対応できないよw
0806人間七七四年2018/05/01(火) 14:30:29.61ID:6dUayoN+
>>800
いや死ぬ必要ある?
生きて家の存続に尽くしてこそ、忠義でしょう? 兵士の死も多数だし。
0807人間七七四年2018/05/01(火) 16:35:57.05ID:HJYo6lap
軍艦は以前の「まったく信用できない」扱いから復権しているのは確かだが
復権を全肯定で捉えて無闇に引用する人がまた増えてきたと思う

なんやかんや言い訳してる人いるけど軍艦が注意を要する史料という事に違いはない
0808人間七七四年2018/05/01(火) 16:36:14.24ID:/PbQkkhF
>>806
全員ではないにせよ勝頼逃すために死んだんだよ
本来、甲斐の国人衆は今井とか栗原とか浅利とかもっと格上の国人衆がいたが、それらは格下げになって信玄が能力に応じて山県なり内藤なりを抜擢した
真田だって一徳斎に対する気の遣い様みたら相当武田家当主と関係が深く譜代同然
0809人間七七四年2018/05/01(火) 16:41:14.69ID:/PbQkkhF
>>770
>他にも氏政に服属しろ木曽と小幡の領地を交換しろとか言ってるんだぜ、そんなんありえる?

現に高天神城は小笠原から岡部に領地ごと変えてるし、木曽が甲州崩れの前から裏切りを警戒されてたのは事実だから可能性ゼロではない
0810人間七七四年2018/05/01(火) 17:21:35.42ID:g4lmeApp
木曽は信玄に従属されたようなものだし遠山や金森と旧知の仲で
交流もある、嫁は油川夫人腹説とれば織田の坊ちゃんと噂のある松姫の実姉

織田にしてみれば内応させたくて仕方がなかったろうな
0811人間七七四年2018/05/01(火) 17:24:57.97ID:HTdv2D+n
信長が謀反で死んで信忠が生き残った場合は
信忠が織田家継ぐのは確実だけどここで松姫送って和睦出来てたら
信忠と松姫の息子が信勝の次の当主だったんだろうな
0812人間七七四年2018/05/01(火) 17:36:05.02ID:g4lmeApp
その場合、筆頭は強引に信房にしただろうな
で、穴山とドンパチして…

って歴史繰り返す羽目に陥るw
0813人間七七四年2018/05/01(火) 18:49:31.95ID:jVgA8xMi
>>809
>現に高天神城は小笠原から岡部に領地ごと変えてる
それって降服時の国替えだからまた別の話では?
0814人間七七四年2018/05/01(火) 21:38:34.38ID:HJYo6lap
>>809
信玄が娘を嫁にやって従属した木曽と、勝頼の攻撃で降伏した小笠原を同等に扱っていいものか
それに小笠原氏の高天神領支配も長いけど、木曽氏のそれに比べればはるかに短い
例えにするには脆弱だな

ま、氏政に服属って時点でトンデモだろうが
0815人間七七四年2018/05/01(火) 21:42:01.93ID:l/y3PWUX
穴山、小山田、木曽、奥平、菅沼。境にいる豪族は大変だな
0816人間七七四年2018/05/01(火) 21:50:52.85ID:5TjakYlC
木曽氏は家臣ではないと考えた方が無難
一門衆に取り込んではいるけど

義昌が甲府に挨拶に来た答礼として信玄自ら赴くと書状で述べているほど、相当に気を遣っている
織田と徳川のような関係に近いのかも
0817人間七七四年2018/05/01(火) 21:51:23.92ID:io5A6GAQ
国境に領地を持つ豪族に国防を任すという概念自体が既に前近代的になりかけてたのにね。
0818人間七七四年2018/05/01(火) 22:35:14.52ID:pwFYp4YK
長篠は、信長の罠に嵌められた感じだよね。
信長からの挑戦状に応じて、前に行き過ぎたのと、
敵兵数を見誤っている感じがする。
たぶん、同数位にとらえていて、前に出て行ったら、
あれっっ、という感じでニッチもサッチもいかなくて。
信長が意図的に兵を隠してたんじゃないかな?

勝頼のターニングポイントは、長篠設楽原の敗北だよね。
0819人間七七四年2018/05/01(火) 22:44:05.20ID:2xa6lHoJ
>>817
当時はどこもそうだし
0820人間七七四年2018/05/01(火) 23:04:17.05ID:fC+KvSFH
>>815
遠山氏も入れてあげて
0821人間七七四年2018/05/01(火) 23:08:01.96ID:mK05GuRU
>>816
母親に嫡男に長女を人質として甲府に差し出してるのにそんなに気を使う必要あるのか?

というか勝頼は嫡男と長女の生母が真竜院なら、自分の甥と姪をぶっ殺してるんだけど、少しは殺さずに返そうとか、取引に使おうとか考えないのかね?

長篠でも鳥居を殺してももう仕方ないから度量を見せて帰してやるとか、あるいは磔ではなく武士の情けで切腹させてやるとか方法あるだろうに。わざわざ、敵の怒りに油を注いでるから。
0822人間七七四年2018/05/01(火) 23:13:35.43ID:io5A6GAQ
>>819
北条氏と織田信長は違ったよな。
0823人間七七四年2018/05/01(火) 23:16:50.46ID:2xa6lHoJ
>>822
せっかく獲った越前を誰に任せたっけ?
0824人間七七四年2018/05/01(火) 23:19:29.10ID:io5A6GAQ
>>823
あれは酷く反省したよな。
信長も完ぺきではない。
0825人間七七四年2018/05/01(火) 23:22:07.10ID:2xa6lHoJ
>>824
そもそも長篠で大勝したことにより天下人として大きく前進して大胆な人事が出来るようになった織田と武田を比べるのはナンセンスだろうに
0826人間七七四年2018/05/01(火) 23:25:06.85ID:io5A6GAQ
武田家は領土がどんどん広くなり明らかな大国になったのに
それを統治する制度はほとんど変わってないんだもん。
滅びるべくして滅びてるだろ。
0827人間七七四年2018/05/01(火) 23:26:14.61ID:2xa6lHoJ
>>826
統治する制度をどう変えれば良かったと?
0828人間七七四年2018/05/01(火) 23:29:10.20ID:LxTY1v9N
勝頼を評論する前にまず勉強した方がいいんじゃないか
0829人間七七四年2018/05/01(火) 23:32:52.44ID:io5A6GAQ
>>827
まず家臣を土地から引きはがさないと。
信長は岐阜を倒す前に既にそれが出来てたから
その後の領土の急拡大についていけたという面があるし。
少なくとも諏訪を獲った時点で遷都してないとおかしい。
0830人間七七四年2018/05/01(火) 23:38:50.93ID:io5A6GAQ
能力のある者には権力(軍権だったり施政権だったり裁判権だったり)を
功績のある者には名誉と金をとハッキリ分けたのが秀吉だったな。
信長は能力のある者には十分すぎるくらい権力を与えたが
功績のあった者には死を与えてたろ。光秀が謀反を起こさずとも必ず誰かに殺されていた。
0831人間七七四年2018/05/01(火) 23:41:15.19ID:2xa6lHoJ
>>829
その頃の信長が家臣を土地から引き離したなんて事実はない
事例を挙げてみな?
0832人間七七四年2018/05/02(水) 00:03:38.70ID:dyMW7+Mj
>>831
荒子から前田利家を引き離してた。
結局、家督を奪われた兄が荒子を支配する羽目になった。
0833人間七七四年2018/05/02(水) 00:15:22.32ID:+MvZl6xC
>>832
前田家は荒子から離れてないじゃんw
次男三男を近習や旗本に出すのはどこにでもある話
0834人間七七四年2018/05/02(水) 00:42:51.93ID:IQC3PUSG
>>781
確かに歴史を知ってる俺らが勝頼とかわっても
勝頼の発言権は、そんなに強くはないので押し切られそうな気もするな。
なので、俺ならまずは穴山の誅殺から始めるがどうだろう?
0835人間七七四年2018/05/02(水) 01:09:50.09ID:dyMW7+Mj
>>833
頭大丈夫か?秀吉の隣に住んでた話すら知らないのかよ。
凄いなおまえ。
年に一度くらいは実家の荒子に帰ったかもしれないが
基本的に信長の居城から無断で離れる事は許されなかった。
0836人間七七四年2018/05/02(水) 01:16:20.45ID:+MvZl6xC
>>835
在地領主を土地から離す話かと思ったら、前田家の嫡男じゃない利家が信長の近侍してる話じゃ何の参考にもならないな
おまいが言ってるようなことは信玄も真田昌幸や山縣昌景にさせている
0837人間七七四年2018/05/02(水) 02:00:17.68ID:dyMW7+Mj
>>836
まだ言ってるよこの馬鹿。
小牧山城へ家臣たちを移住させ
それにより士農分離したのはあまりにも有名すぎる話じゃねえかw
信長の兵が専業軍人になった直接の理由なのに
アホかコイツは
0838人間七七四年2018/05/02(水) 02:43:51.95ID:W90PQuhL
長篠を回避しても結果的に織田の領土は拡大し続けるから
決戦を後に回せば回すほど不利になる
ただ1.5万で決戦するくらいなら次織田が兵力増やしてきても2万以上で戦った方がマシな気もする
少なくとも設楽が原みたいな機動力を発揮できない地形で攻撃するのはきつい
逆に織田軍が攻め込んでくれば陣城がなくてもぬかるんだ田んぼと連吾川で
織田軍の接近経路が限定され各個撃破することはそれほど難しくなかったと思う
これが出来なくなるのは背後の長篠包囲部隊が酒井の別動隊に蹴散らされ
挟撃される可能性が出てきたからだろう
その日朝から戦闘が始まっててその後に酒井が長篠城包囲部隊に攻めかかったってのは
あまりにも都合がよすぎる
信長が酒井の別動隊に武田本隊の退路を断たせて正面攻撃せざるを得ないように追い込んだと思うけどな
0839人間七七四年2018/05/02(水) 04:10:06.99ID:0MO6e3ma
2万5千動員したいなら下記の問題を解決してね☆
上杉と完全な停戦(友好関係なら尚良)
北条とも軍事同盟を維持する

備考:
・上記の2条件を満たしながら武田の国力が低下しない様にしてください(領地の割譲、金銭の譲渡等)
・織田と上杉の関係は割と良い良いと言うことも考慮してください
・上杉は北条との関東の戦いで絶賛敗退中です

足利義昭の仲裁とかいう意見は失敗しているので要らないです
0840人間七七四年2018/05/02(水) 05:44:53.15ID:KyVD0wvE
>>822
沼田任された孫次郎さんと蒲原任された新三郎さん兄弟に敬礼
0841人間七七四年2018/05/02(水) 09:44:13.39ID:OquSGjwZ
>>838
ないと思うな
賤ヶ岳の戦いで佐久間隊が山を迂回して
砦を攻撃してから次の作戦行動をするのに
時間がかかったように酒井隊は長篠周辺
の武田勢を討つのが精一杯だったはず
迂回の距離も長いし
攻撃は武田がいったん戦いをやめて鳶がす砦あたりまで引き上げるのを阻止する目的が
一番高い
士気も上がるしな。
賤ヶ岳と違い連合軍は戦力に余剰がある
から出来た作戦だった。
例え失敗しても本戦で勝てばよかった
賤ヶ岳は奇襲部隊が攻撃側の主力だった
から失敗は許されなかった。
0842人間七七四年2018/05/02(水) 10:15:22.67ID:dyMW7+Mj
勝頼の中の人が謙信だったら意外と勝ってたかもしれないしな
0843人間七七四年2018/05/02(水) 10:19:49.01ID:8EYAn7gb
あえて勝ちを狙いにいくなら信長が着陣したところを奇襲がベストだろうな
0844人間七七四年2018/05/02(水) 10:28:45.45ID:pyzTVFd9
>>842
謙信ならまずは雨の日まで待つ。
長篠城に別働隊が来ているのを察知して伏兵を置いて別働隊を叩き潰すくらいはやるだろうね。謙信は敵より少ない兵力でなら戦術的にほとんど勝利しているから。
0845人間七七四年2018/05/02(水) 11:01:05.79ID:dyMW7+Mj
>>843
同じ感想。柵を建てる前に奇襲してる。
それでヒット&アウェーでさっさと帰国してるよ。
0846人間七七四年2018/05/02(水) 11:09:52.80ID:xivHR6bo
>>844
長篠の勝利は鉄砲じゃないからなぁ
陣城だよ
0847人間七七四年2018/05/02(水) 11:50:46.77ID:0h9FLTeN
>>846
それは同意だけど、戦略的には数と場所と時期だよ。いずれも信長の注文通り。
仮に精強な武田騎馬軍団が存在したとしても、結果は同じになった。
0848人間七七四年2018/05/02(水) 12:00:31.09ID:C3mSkfpB
>>838
信長公記でも設楽原本戦が日の出から始まり
その後酒井別動隊の奇襲でしょ
本戦の始まりは狼煙により酒井は遠くから確認できる
逆に酒井は別動隊の位置がバレるために狼煙は使えない
0849人間七七四年2018/05/02(水) 12:04:36.84ID:xivHR6bo
>>848
それだと武田軍は攻撃する日すら信長に筒抜けってことになるよなぁ
戦力や戦術以前の問題として負けてたね
となると武田の誇る重臣連中は何やってたのっていう
0850人間七七四年2018/05/02(水) 12:08:56.74ID:C3mSkfpB
>>849
日の出から戦をするなら軍議は夜のうちに作戦を決めるからな
準備も全部整えて所定の位置に移動し始めるからな
0851人間七七四年2018/05/02(水) 12:18:23.35ID:28CFREzi
>>849
織田が兵を分けたら本隊の兵力が減るわけでそれはそれで好機と思ったんでしょ
0852人間七七四年2018/05/02(水) 12:30:15.12ID:C3mSkfpB
>>843
戦国時代の遠征軍の構成は約半分、もしくはそれ以上が
戦意が低い雑兵と非戦闘員の小荷駄等だからな
酒井の奇襲が成功したのは設楽原の本戦に主力が集中して
長篠城を包囲してる軍や砦はほとんど雑兵や非戦闘員
それを精強な部隊で構成された別動隊に奇襲されたらそりゃ簡単に落ちる
奇襲と言っても夜襲なら数百単位、朝駆けなら3000前後しか動かせない
敵本隊だと精強な部隊がいるので奇襲しても返り討ちに遭う可能性が高い
0853人間七七四年2018/05/02(水) 12:57:17.72ID:dyMW7+Mj
信長・徳川連合軍の兵糧を焼き払えば撤退しか選択肢なかったしな。
0854人間七七四年2018/05/02(水) 12:58:37.79ID:dyMW7+Mj
なんのための武田水軍だよ
こういう時こそ背後に上陸して小荷駄隊を襲うために秘蔵してたんじゃねえのかよ
0855人間七七四年2018/05/02(水) 13:25:44.36ID:C3mSkfpB
※長篠は山奥です
0856人間七七四年2018/05/02(水) 13:35:01.39ID:0MO6e3ma
しかも長島も全滅
後方遮断なんて(ヾノ・∀・`)ムリムリ
0857人間七七四年2018/05/02(水) 14:29:40.80ID:KIsAd16h
上杉は喜多条、新発田、本庄ら配下の豪族反乱に手を焼いていた。武田の場合は信玄の威光でそれにフタをしていたが、代が替わるとたちまち浮き彫りになってしまったから、長篠合戦でのサボタージュという、信玄の時なら起こり得ない事態が発生し、処分もできなかった
0858人間七七四年2018/05/02(水) 15:17:32.88ID:OquSGjwZ
>>846
勝因は長大な陣地と鉄砲です。
武田勝頼が突っ込んできたから
織田信長の華々しい戦果のように
語られてるけど、実際に戦法としては
最悪に近いからね
まず部隊の機動力が生かせないこと
山を背にするのは普通にやる戦法だけとわ
例えば関ヶ原の戦いの西軍であるとか
ただ関ヶ原の場合山に陣地を敷いたけど
実戦部隊はほとんど山を降りた平地に
いた
これは部隊の機動力を生かすため
ほとんど山にいては死兵になってしまう
南宮山の毛利勢みたいに
だから長篠の信長の戦法は最悪
敵が攻めなければ何も出来ない
あまりに勝頼がダメな大将でその
特徴を信長に利用されただけ
戦法自体は失敗
山を背に広大に陣地を作り鉄砲を配置
そんなとこに遮二無二突っ込んだら
よっぽど人数が上回ってない限り
勝てるわけがない
0859人間七七四年2018/05/02(水) 17:07:01.32ID:4k4frJr3
そんな戦術云々以前に城兵と援軍に挟まれた時点で負けたも同然なんだが…
後はどんな負け方を選ぶかしか選択肢ないよ

っというかこの時点で織田主力とまともに交戦してないのは武田だけだからね
即退却したら武田の権威は失墜間違いなし
0860人間七七四年2018/05/02(水) 17:35:13.18ID:Jb9Sr5r/
>>859
権威失墜くらい、長篠敗戦による人的被害に比べたらかなりマシだと思うよ。何処かで挽回したらいい話だし。
0861人間七七四年2018/05/02(水) 17:37:23.31ID:Jb9Sr5r/
>>857
武田も勝沼、仁科、飯富と信玄時代でも結構粛清はやってるけど。
0862人間七七四年2018/05/02(水) 17:50:45.49ID:u/0qtmM6
馬鹿の長文
0863人間七七四年2018/05/02(水) 18:31:31.36ID:Jb9Sr5r/
勝頼が信長に何とか勝ち目があるとするなら、1573年の遠征で武田信玄の死で引き返さず、勝頼が指揮をとり美濃か尾張か三河中枢に攻め込むことじゃない?

勿論これも難しいのは承知。武田の財政、兵站が持つのかと様々な問題がある。しかし長篠の無理ゲーに較べたら、まだ希望はないかな?
0864人間七七四年2018/05/02(水) 18:40:29.18ID:dyMW7+Mj
>>863
引き返すにしても遠州ルートをとって家康を殺害してから帰国すべきだった。
それだけで遠州が武田領となり史実よりその後の戦いはずっと楽になる。
0865人間七七四年2018/05/02(水) 18:43:34.56ID:uxXSIWzY
実際問題として信玄が勝頼に最後の遠征前に家督を譲った形跡すらないからな
躑躅が崎に移住させてるから後継者であることは皆わかってたけど
例えば氏政みたいに数年前から家督譲られてるとかなら強行軍も可能だったかもしれんが
それでも氏康が行軍途中で死ねば作戦行動続行は無理だろう
0866人間七七四年2018/05/02(水) 18:53:10.29ID:VJzc+aLz
>>865
やっぱり無理かな。
あの時ならまだ朝倉、浅井、長島もいるから博打でやっても長篠よりはマシかな、と思ったんだけど。
0867人間七七四年2018/05/02(水) 19:05:10.44ID:OquSGjwZ
まあ義信みたいに英才教育もされていない
急造の後継者だから勝頼は
義信の場合おぶとらまさが側近でいた
けど勝頼にはそんな大物がいなくて
勝頼体制が全く機能してなかった
こんな状態では京都まで行こうなんて
不可能。
長篠の前に高天神城落としたから内外で
武勇が広まり多少なりともまとまり
出したところ。
0868人間七七四年2018/05/02(水) 19:06:09.12ID:WgfF2pjU
戦国大名の多くは院政というか、生前に家督は譲って、でも実験は握るパターンだよね
上杉謙信と武田信玄にはそういう形跡がなく珍しい
0869人間七七四年2018/05/02(水) 19:12:51.19ID:VJzc+aLz
>>867
跡部勝資って一応譜代家老衆300騎持だから家柄いいのか、それとも信玄に気に入られていたのか。跡部勝資がもう少し武で大物クラスだったらなあ。
0870人間七七四年2018/05/02(水) 19:36:24.92ID:cppy4DNf
自分が生きている間が全て
死んだ後のことは考えない

だから残された人間が大迷惑したわけだが
0871人間七七四年2018/05/02(水) 19:49:58.52ID:uxXSIWzY
自分が父親追放して息子に謀反されてるから
勝頼も権力与えると豹変するかもしれないという恐怖感はあったかもね
諏訪の娘に産ませた息子だし
0872人間七七四年2018/05/02(水) 19:56:18.39ID:jfiFGlTX
>>867
飯富は側近じゃないし、京都に行くとかいちいち知識が古いな
勉強し直してくれ
0873人間七七四年2018/05/02(水) 20:19:43.77ID:9P6Tvg92
>>869
そりゃ腐っても跡部の人間で父も駒井と一緒に活動していたから家柄はいいでしょう
跡部の惣領になっていたかは知らんけど父から引き継いだ分も含めれば重臣の家柄と言ってよいのでは
0874人間七七四年2018/05/02(水) 20:23:43.01ID:b3LeNwDm
何で義信にはあんなに甲斐の国人衆ばかりつけてたのか気になる
0875人間七七四年2018/05/02(水) 20:40:59.40ID:C3mSkfpB
>>871
父親の信虎追放、嫡男の義信を謀反の疑いで切腹

勝頼に権力与えるといつか自分もやられると思ってたろうな
0876人間七七四年2018/05/02(水) 20:47:20.48ID:uxXSIWzY
まぁでも信玄的にはもう駿河に進出した以上は
領土拡大は西しかないもんな
越後はもう完全に諦めてるし東上野は謙信が関東に進出するために絶対必要だから
ここに手を出すと北条のために武田が上杉と潰し合うことになる
0877人間七七四年2018/05/02(水) 21:12:16.61ID:jfiFGlTX
義信とは早い段階で不和だったようだよ
1555年と推定される書状に、義信は親子だということを忘れているんじゃないかと信玄が愚痴ってる
親子にしては年も近いし、実際には兄弟みたいな感覚だったのかもね
0878人間七七四年2018/05/02(水) 21:39:27.53ID:WgfF2pjU
義信が今川のことばかり考えてどっちの家の子だかわかりゃしないという不満だろ
当時から義信は信玄が今川に冷たいもっと支援しろと騒いでたようだな

義信の親今川っぷりは筋金入り
0879人間七七四年2018/05/02(水) 23:40:20.55ID:ngSudWzK
>>876
北条と全面戦争で武蔵相模伊豆を狙うのもあるっちゃある
上杉との完全な関係改善がないと厳しいだろうけど
0880人間七七四年2018/05/03(木) 00:04:00.82ID:UKC1HB9b
上野と北信濃諦めるのは流石にどうなんや…
0881人間七七四年2018/05/03(木) 01:28:37.97ID:nkdoL/e4
>>878
まあ、今川義元の娘って最高級の武家貴族の教養仕込まれてただろうしなあ。
別に美人は他にも居るだろうけど、最高級の本物のお嬢様は貴重でしょう。
まあ、現代でも稀に居る本物のお姫様が趣味の男ですな。
0882人間七七四年2018/05/03(木) 02:25:50.44ID:ZGorO2QH
三条の息子である義信のほうが血筋なら上だと思うがね
0883人間七七四年2018/05/03(木) 04:28:28.86ID:gk4+16nj
まぁ今川の娘は実家から求められる役割を
ものの見事に実行してたわけでさ
よく北条夫人のしおらしいまでの勝頼への忠誠心みたいなのが話題になるけど
真逆の意味で今川夫人も讃えられてもいいんじゃないの
0884人間七七四年2018/05/03(木) 05:33:43.08ID:w0B12yr0
大河ドラマにするなら直虎なんていう空想の人物ではなく(男だった説が濃厚)
今川夫人を主人公にすべきだった。
0885人間七七四年2018/05/03(木) 07:43:24.12ID:R7MZOtqw
武田勝頼をドラマにして欲しいな
なかなかに波瀾万丈だから
最期は涙なくては見られない・・・
でも最期に意地を見せたわな
信勝が新府城で死ぬべきだったと
言ったらしいけど新府城で最期戦えば
亡骸を粗末に扱われることもなかった
0886人間七七四年2018/05/03(木) 08:04:08.10ID:GuapOaWq
今川には寿桂尼がいたから女性主人公ならそっちじゃない??
0887人間七七四年2018/05/03(木) 08:40:02.89ID:gk4+16nj
朝ドラは女
大河は男

で暗黙の了解あったはずなんだけどね
いつの間にか半分女主人公みたいになってるけど
0888人間七七四年2018/05/03(木) 11:43:04.68ID:VAsgKYxt
>>884
空想の人物なのか実在したけど男だったのかどっちなんだよ
0889人間七七四年2018/05/03(木) 11:46:15.44ID:7eqUorcp
どっちなんだ?どっちなんだコラ!
0890人間七七四年2018/05/03(木) 11:50:08.71ID:w0B12yr0
>>888
数人の人間が融合して1人になった説
0891人間七七四年2018/05/03(木) 13:16:55.05ID:GnWLRRz1
麒麟では勝頼も多分登場するぞ。
武田攻めで光秀がどれだけ影響したかでどれくらい出てくるのか。
勝頼役はだれかは不明。
0892人間七七四年2018/05/03(木) 16:34:09.72ID:ZGorO2QH
丹波人すら全部赤鬼に合体させられて波多野秀治はモブと予想
0893人間七七四年2018/05/03(木) 17:18:16.20ID:mLkg/eXj
弟の景虎の援護を武田にやらせておいて
たいして動かない北条氏政
信長には早い時点で臣従したのに
秀吉にはみくびり先伸ばしにして
攻められるも城にこもったまま
何もしなかった
ある意味武田勝頼のが頑張った。
兵力で劣りながらも勝負に出ただけ
やっぱり汁かけ飯の逸話通り氏政は
だめな人なんだな・・・
0894人間七七四年2018/05/03(木) 18:17:06.22ID:w0B12yr0
勝頼は無能だと思うし史実を知ってる俺が
勝頼になりかわれれば史実よりずっと生き延びれたと自信を持って言うけど
氏政はかなり最善に近いルートをたどり続けてたし
史実を知ってる俺が入れ替わっても240万石まで領土を広げれたとは到底思えない。
かなり優秀に思える。
0895人間七七四年2018/05/03(木) 18:44:27.00ID:ZsMDth2i
現実社会で底辺のお前が勝頼有能だとかw
0896人間七七四年2018/05/03(木) 18:47:25.69ID:mLkg/eXj
>>894
北条は周りが弱かったからなぁ
関東還礼の上杉憲政に弱体化した武田家
お家騒動で弱体化した上杉家
ろくに戦わなくても自然に領土増え
ていきそうだけどな・・・
武田は家康と信長連合軍と国境接して
いて上杉にも押さえが必要で
北条が頼みだったのに敵にして
一瞬で分解崩壊した・・・
信長の非業の死と北条家滅亡は武田の
呪いにも思える
0897人間七七四年2018/05/03(木) 20:27:35.44ID:R1LONBIq
>>894
今夜お前は自分のこのレスを思い出して布団の中で足をバタバタさせてもがくであろう
0898人間七七四年2018/05/03(木) 20:30:02.52ID:w0B12yr0
勝頼は考え得る限り最悪に近い選択を常にしてるしな。
むしろもっと凡庸で何もできないくらいの方が長く生き残れたろう。
0899人間七七四年2018/05/03(木) 20:34:44.91ID:Znhci1/d
>>893
よく御館の乱で北条氏政が動かなかった、と聞くけど、このソース何? 確か山岡荘八か横山光輝の武田勝頼でそんな話があったが、あれ鵜呑みにしてるのか?
0900人間七七四年2018/05/03(木) 21:00:27.40ID:fwAQGSgN
春日山へは武田の方が圧倒的に近いからな
当時は武田の領地を北条が通るなんてことは出来なかったはず
0901人間七七四年2018/05/03(木) 21:11:08.12ID:dZxRtSmn
>>899
北条主力はこの時期関東で佐竹らの連合軍相手に下野攻めてるのと
武田側の文書で北条が動かないことへの不信をあらわしている文書があるからじゃ
0902人間七七四年2018/05/03(木) 21:27:13.71ID:NZ8uiJcz
>>877-878が言ってるのは間違いじゃないが簡単すぎて知らなきゃ前後がわからんだろうね

自筆で密書を送ります。
義信のことですが、今川(義元)殿のために父子であることを忘れています
私は五郎(氏真)殿の伯父でもあります
更に長窪(いわゆる第二次河東一乱のこと)以来、今日に至るまで何度も(今川家を)支援してきました
何度も懇切丁寧な対応をしてきたにも関わらず、このようなことをされてはどうしようもありません
疎遠に見えて不信だと言うのですから、今度井上が帰国したときに話したいと思います
その際、北条から越中衆の国分けについて和睦調停をしかるべきやって欲しいとのことですが、
どんなに工夫をしても過ぎることはありません
ただし、こちらの和睦調停については中断するつもりなのでその点は心得て下さい
7月16日 晴信

宛名は切れているのでわからない 
ここから推測できるのは
密書という性格から信玄から見て相当の信頼を置ける人間であること
越中の和睦調停を行える立場でかつ氏康とも関わりのあることから
丸島和洋氏は長延寺実了師慶(龍芳の師匠)の可能性を1つ提示している。まだ提示という段階

1555年で今川が絡んでくることとなるといわゆる第二次川中島の戦いがある
これは今川の和睦調停によって実際終戦している
この書状のやり取りからも今川の和睦案に当初より賛成の義信、難色を示していた信玄という構図
0903人間七七四年2018/05/03(木) 22:05:52.09ID:TIRefG71
勝頼「立場が悪い俺には兄上の代役は勤まらないよ…出奔しよう、祖父上のツテを頼って幕府に仕えようかな」
0904人間七七四年2018/05/03(木) 22:46:31.17ID:BsFBOOQz
景虎と氏政が関係良くなかったのは逆に言うと
景虎と謙信がそれだけ親密だったということなのかね
流石毘沙門天の化身、普通じゃない
0905人間七七四年2018/05/03(木) 23:09:15.71ID:ZsMDth2i
信玄も自分が死んだ後のことなんか全く考えてないのがな
まぁ信玄は義信に継がせる気で義信が死んで勝頼しかいないから
後継車という意味でははっきりしていたがいかんせん最後の織田との手切れが良くない
謙信はわざわざ景虎という災いの元を取りたてた結果越後の内乱が起きてるから信玄より質が悪い
謙信も最後になって織田裏切ってるし
0906人間七七四年2018/05/03(木) 23:28:53.90ID:ielJOtjj
>>904
景虎は美青年だって言うね・・アッ・・
0907人間七七四年2018/05/04(金) 05:49:15.98ID:3xhY8wxx
>>905
謙信については、景虎にも景勝にも良い父ではなかった。
実父子でないから当たり前といえば当たり前なんだが、その点公平でないか?勝った方が継げと…
信玄は勝頼を甲府に呼んだ時点で、一門から侮られない程度には配慮すべきだった。
継ぐのは勝頼な。仔細は知らん、では中途半端…
0908人間七七四年2018/05/04(金) 05:55:04.83ID:eaVBYRS1
そもそも4月末日の由良成繁→遠山康光書状の元となった遠山→由良への書状まで
北条側は越後の内紛発生を把握してない様子だもの
信玄死亡を察知できなかったことといい
武田滅亡予兆を掴めなかったことといい
北条の諜報体制は他勢力と比較しても著しく劣ってたとしか思えない
風魔は(多分)ただの愚連隊
0909人間七七四年2018/05/04(金) 06:19:25.27ID:eaVBYRS1
信勝後継本命説に立つにしても
織田との断交タイミングが最悪
逆に三条夫人系の婿である穴山の発言力が増した可能性あるね
本願寺閨閥に繋がるし

信玄の行き当たりばったりには程があるな
0910人間七七四年2018/05/04(金) 06:22:48.22ID:eaVBYRS1
信勝が元服しても結婚できなかったのは織田からの嫁取り期待のせいだろうなあ
本気で甲江同盟成立可能と信じてたんやろね
0911人間七七四年2018/05/04(金) 06:24:13.78ID:i5JWtNk0
その辺が回り回って滅亡に繋がっていくのかもな
0912人間七七四年2018/05/04(金) 07:46:12.56ID:fpaR1sO+
>>909
元々は信長と対立するつもりはなかったと思う
「三ヶ年の鬱憤を散じる」と述べた通り、徳川領進攻が一番の目的であり、三方原の勝利や畿内情勢、美濃遠山氏らの援軍要請もあったりして総合的に判断したものと考える

しかし、信長と対決するに当たって、将軍足利義昭を動かして反信長連合を形成することにも成功してるし、万全の体勢は整えていたと思う
信長が本当にピンチに陥ったからこそ、仕留めきれなかったときに逆に激しく恨まれたんだと思うよ
0913人間七七四年2018/05/04(金) 08:45:39.13ID:ZtzA91uq
>>907
一般人なら勝ったほうが継げでもいいが、国主としてはダメダメだろw
0914人間七七四年2018/05/04(金) 10:08:58.63ID:DZb9xb8r
>>913
アレクサンダー大王をディスってんのか?
0915人間七七四年2018/05/04(金) 10:21:59.97ID:mocqhSWw
>>913
信玄も謙信も、どちらも大国の主としては落第劣等生ということやな。
一代の英雄。
0916人間七七四年2018/05/04(金) 10:41:02.92ID:DZb9xb8r
北条、毛利、島津みたいな集団指導体制ではいけなかったのか?
それらの家は異常に兄弟の仲が良く役割分担も完ぺきだったわけだし。
0917人間七七四年2018/05/04(金) 10:48:53.02ID:DZb9xb8r
義信と兄弟の仲が悪くなかったのなら早くから義信は躑躅ヶ岬に置き
頭は義信、手足は勝頼・仁科とハッキリ役割分担させておくべきだったな。
毛利元就や北条氏康は実際そうしたわけだし。
0918人間七七四年2018/05/04(金) 11:49:08.79ID:6BOqB4iM
>>916
北条は元々現地に縁がないし、毛利は国人上がり、島津も分家筋だからね。
どちらかというとそうせざるをえなかったって方がただしい。
武田は古くからその地を治めてた事もあってそういうトップの権威が下がるような
指導体制とりにくいんじゃないの。
それにトップダウン体制の方が大名視点だと楽だと思うけど。
0919人間七七四年2018/05/04(金) 19:02:30.52ID:Q9KgcedF
高天神城を取られて、武田の滅亡は、決定的だが、
さらに新府城作り始めちゃったから、もうダメ押しだろ。
そんなことをしてる場合じゃないことくらい勝頼は、わからなかったのかな〜。
0920人間七七四年2018/05/04(金) 19:13:38.63ID:dwQK1wkz
>>919
勝頼はやることなすこと裏目だったから
藁にもすがる気持ちもあったろう
新府城で最期を向かえたほうが良かったが
まだ命が惜しかったんだろう
新府城を引き払うときに木曽義昌の
人質を石の上から飛び切りにした
らしいが余程頭にきたのだろう
まあ今さら手遅れだな・・・
0921人間七七四年2018/05/04(金) 19:19:14.21ID:DZb9xb8r
裏切って大坂城に火を放った裏切りものを捕まえて怪力で次々と堀に投げ落とした秀頼の方が格好いいな
0922人間七七四年2018/05/04(金) 20:51:10.74ID:N3uArWzE
リスク取らないとじり貧だから
分の悪い賭けに出て悉く負けたみたいな感じか
0923人間七七四年2018/05/04(金) 21:14:07.52ID:iLREugrv
>>912
いや信長は信玄の遠江侵攻知った時点で謙信相手に「信玄なんかこの先一生仲良くしないもん!」と書いてる。
このとき信長は義昭体制の下、謙信と信玄の和解工作に骨折ってた。
徳川も義昭体制の一員だからね、その徳川への侵攻は信長の目指す路線の否定なんだよ。
こうなったら信長は絶対許さないからな、信玄は駿河侵攻時の北条の対応もだけど、相手の気持ちを察せない。
0924人間七七四年2018/05/04(金) 21:46:36.76ID:aKduY1fj
>>923
いや非難を浴びるのは承知のうえで、三河遠江の領有化を最優先にしたんだと思うよ
ただ信長との直接対決は避けたかったはず
0925人間七七四年2018/05/04(金) 22:29:58.26ID:Q9KgcedF
>>920
>>勝頼はやることなすこと裏目だったから

勝頼がすべて逆の選択をしても同じだったような気がする。
0926人間七七四年2018/05/04(金) 22:32:40.60ID:JcrR0jSr
つまり詰んでいるんだよ
0927人間七七四年2018/05/04(金) 22:35:46.73ID:Q9KgcedF
そう。なぜなら信玄が死んだ時点で既に詰んでたのだから。
0928人間七七四年2018/05/04(金) 22:53:45.74ID:bPk0m1WZ
内政はかなり頑張ったよ
外交で失敗した
総合的にはかなり優秀な大名だったと思う
0929人間七七四年2018/05/04(金) 23:00:29.95ID:wWtbyN65
外交は初手から詰んでるくさいんで、信玄の息子なんかに生まれてなければ、かなり高い評価をくだされていた人物だったと思うな
0930人間七七四年2018/05/04(金) 23:05:45.94ID:DZb9xb8r
働き盛りの農民を根こそぎ足軽にして米の生産量を減らし
それに腹が立って年貢を上げて民の暮らしをさらに困窮させ
しまいに新府城普請のため木曾から木材を運ばせ
その負担の苦しさから謀反させた勝頼が内政を頑張って優秀な大名だった???
0931人間七七四年2018/05/04(金) 23:14:12.57ID:bPk0m1WZ
>>930
古い、古すぎる!
0932人間七七四年2018/05/04(金) 23:21:47.38ID:DZb9xb8r
>>931
じゃあ最新の言えよ
0933人間七七四年2018/05/04(金) 23:50:04.64ID:Q9KgcedF
確かに積んでいたが、それでも勝頼の選択は下手すると3手詰めのところ、
15手詰めくらいに粘ったような気もしないではない。
0934人間七七四年2018/05/05(土) 00:05:45.22ID:mTir/r3F
完全に逆だよ。
ハッキリ詰みだったのにガチ粘りで相手(信長)が頓死して助かった景勝と
手番を引き継いだ時点で飛車一枚欠けてるためにヤケクソになって自ら頸を差し出してあっさり負けた勝頼。
0935人間七七四年2018/05/05(土) 00:35:48.28ID:smm/trSU
>>933の認識に同意かな
ヤケクソになった形跡など一つもない
0936人間七七四年2018/05/05(土) 04:52:39.02ID:Ql2bHeVG
大名に必要なのは明確な戦略と外交力だから
外交の失敗の連続と長篠等の戦略ミス見る限り大名としての資質が全くなかったのが勝頼

総合的に見てもダメ大名
0937人間七七四年2018/05/05(土) 06:48:08.40ID:58ybtdUH
大河ドラマで明智光秀が主役を張れるなら、武田勝頼や石田三成も大河の主役で描いて欲すぃ
考えてみれば、見せ場の少ない人生の真田幸村も、良脚本に恵まれて一年見せた
0938人間七七四年2018/05/05(土) 07:29:24.97ID:2bSx+C1d
外交の失敗とやらもやれることはできるだけ速やかに織田へ従属するくらいじゃねーの
家中の動揺や徳川の妨害を乗り越えるという危険な賭けだ
0939人間七七四年2018/05/05(土) 09:04:43.68ID:5dRPX85N
そういえばちょっと疑問なんだが御館の乱での判断ミスが勝頼滅亡の原因とはよく言われるが、
家中では勝頼の決断はどう受け止められてたのかな。
外交方針の転換って、結構家中に反発者が出るイメージがあるんだけど。
例えば武田も南進を決めた時に義信一派が壊滅しているし、他家でも織田と徳川の同盟は結構反発があったらしい。
武田家中で勝頼の決断に反対していたのはいるんだろうか?後世の後知恵丸出しの反発は無しとして。
あくまで同時代での勝頼の決断に対する家臣団や一門衆らの評価を知りたい。
0940人間七七四年2018/05/05(土) 09:36:22.12ID:xlpEcFoo
ていうか最初上杉方面の取次してたの高坂で死んだ後は信豊でしょ
普通に「北条も納得するやろw」程度の考えだったんじゃないの?
実際撤退するのは徳川が駿河方面で動き出したからだし
北条は主力を三国峠越えさせないしでやる気なさそうに見えたし
上杉が東上野を武田に割譲すると言ったのも実際はとっくに北条に抑えられた後で
上杉的には武田と北条で揉めさせたいという策略
勝頼はそのまま東上野の北条領有を追認した上で北条と上杉巻き込んで三国同盟にしたかったはず
0941人間七七四年2018/05/05(土) 09:43:32.40ID:P6o3zPJ7
内訌が発生する程のエネルギーが甲斐にはもはや無かったので有る
0942人間七七四年2018/05/05(土) 09:47:27.48ID:xlpEcFoo
武田にとっては三方ヶ原で圧勝しちゃったことで
織田徳川を甘く見る風潮が明らかにあったんだろうな
こんな状況で和睦などできるはずもないな
三方ヶ原で大敗したはずの徳川がすぐに反撃して対応できなかったのは笑うけど
0943人間七七四年2018/05/05(土) 10:06:39.09ID:iGml0jSP
>>940
そうなると、御館の乱は勝頼というより武田家全体が外交をナメていたって事なのかな。
つーか大国を敵に回すリスクがあるっていさめた奴はいなかったのか。
ああ、でも信玄時代はどうにか回ってたしな。どうにかなると思ってたのかも。
でも信玄のやり方ってそれこそ信玄にしか出来ない気がするんだけど。
0944人間七七四年2018/05/05(土) 10:10:27.73ID:DehVCN4K
御館に関しては外交方針の転換とまでは行かなかったと思うけど。
景勝と和睦=景虎や北条との同盟破棄の認識はないよ。
武田と北条は翌年の年賀の挨拶もしてるし。
徐々に不穏になっていった感じ
0945人間七七四年2018/05/05(土) 10:16:08.27ID:Ql2bHeVG
景勝の外交力と戦略の策略に勝頼はまんまと引っ掛かったわけだしな
0946人間七七四年2018/05/05(土) 10:38:29.61ID:DehVCN4K
武田勝頼研究で著名な平山氏、丸山氏は、高天神城の落城が滅亡の引き金になったと総括しているような気がする。
勝頼の統治能力の問題ではなく、国衆からの信頼を失ったことが原因と

ちょっと難解ではあるけどイコールではないんだよね。
0947人間七七四年2018/05/05(土) 10:44:14.44ID:Ql2bHeVG
>>946
信頼を失った原因は高天神城に援軍を送らなかった勝頼の失策
つまり徳川に対して家臣を守ることを勝頼は放棄したって無能采配が原因だからな
長篠以降は武田は織田と対等な同盟なんて無理なんだから
それも勝頼は分かってなかったのが痛いわな

織田に降伏臣従するか徹底抗戦の二択しかなかった
0948人間七七四年2018/05/05(土) 10:46:33.49ID:1eHoLtFf
北条に、武田を切って織田と結ぶ理由にうまく使われちゃったんじゃないか?
ほんとにそれで北条が激怒するなら即断行するし、武田の家臣たちも止めてるでしょ
武田家全体が信玄や謙信とバリバリやりあってた北条氏が、まさか戦わずに織田の軍門に降るみちを模索しているとは思わなかったんじゃないか?
北条氏にしてみれば武田や上杉を切ってしまえば、自分は別に織田の憎しみを買ってないし、上手くやればそこそこの勢力を維持したまま織田幕府(?)に参入できると打算してたかな
0949人間七七四年2018/05/05(土) 10:54:01.01ID:a+Y3KjeC
高天神城落城は引き金の一つではあるけど長篠の大敗の方が大きいよ、当たり前だけど
0950人間七七四年2018/05/05(土) 11:03:23.31ID:ktIPXDX5
札幌 ひ ば りが丘 病院が起こした事件が謎すぎる
http://jikenjiko.site/?p=5096
0951人間七七四年2018/05/05(土) 11:04:28.54ID:Ql2bHeVG
その長篠合戦みる限りでも外交力の無さから信長包囲網も作らずに
単独で織田徳川連合と戦うという戦略の無さだからな
戦術的な大敗を家臣に押し付けても外交力と戦略の無さは致命的
0952人間七七四年2018/05/05(土) 11:12:58.71ID:mTir/r3F
戦略が無かったというのは大きいよな
全ての家臣が目標を意識してると目標は達成しやすい
信長はスローガン作りが天才的に上手かった。
最初は岐阜城攻略で家臣の心は一つになってたし
それが達成されるやすぐに次のスローガン「天下布武」だもん
0953人間七七四年2018/05/05(土) 11:13:45.68ID:ImEJNpqk
まぁ高天神城の失策があっても本能寺的なものが起きて信長さえ死んでれば
信忠が継いだとしても武田はほぼ生き残っただろうからなぁ
木曽、穴山その他の裏切りは必然ってわけじゃない
0954人間七七四年2018/05/05(土) 11:15:08.79ID:mTir/r3F
守る気が無いなら高天神城を獲るなって言うんだよ
まさに戦略性ゼロじゃん。
0955人間七七四年2018/05/05(土) 11:35:00.63ID:ImEJNpqk
信玄が落とせなかった城
を落とすのが目的
戦略性で言えば高天神城は掛川城に比べれば何の価値もないね
0956人間七七四年2018/05/05(土) 11:39:36.37ID:mTir/r3F
「信長を殺せ」
「この聖戦に参加しない者は破門」
「信長と戦って死んだものは極楽浄土、戦わず逃げた者は必ず地獄に落ちる」

これらのスローガンを掲げた本願寺蓮如もたいしたものだよ。
戦略、目的が学の無い農民が見てもハッキリしっかりしてたから10年間も信長を苦しめられた。
ここが曖昧だともっと早く信長に降参する破目になってた。
0957人間七七四年2018/05/05(土) 11:51:32.51ID:DehVCN4K
>>955
当時の高天神は海運と交通の要衝だから敵味方にとっても最重要拠点だよ
掛川よりも優先度は高い
0958人間七七四年2018/05/05(土) 12:07:28.82ID:ImEJNpqk
高天神押さえても遠江の支配には何の影響もない
それは武田が証明してるw
0959人間七七四年2018/05/05(土) 12:55:48.76ID:S7pvKkvz
遠江支配の拠点ではないと言ってるのに
0960人間七七四年2018/05/05(土) 13:00:01.01ID:58ybtdUH
>>958
同意。高天神城取られても、遠江の生産性の高い土地は徳川支配のまま維持された。
0961人間七七四年2018/05/05(土) 13:16:06.95ID:pt9D37Ml
>>930
木曽の木材負担
これソースが小説だから
0962人間七七四年2018/05/05(土) 14:08:19.52ID:P6o3zPJ7
木曽家家宰・山村信濃の娘が側室になったっていうのは?
0963人間七七四年2018/05/05(土) 14:46:35.48ID:oIGVswzX
>>928
内政って、勝頼はどんな内政したの?
0964人間七七四年2018/05/05(土) 15:08:52.38ID:gJmYvcmK
無知ばかりでこのスレではまともに語れないな
0965人間七七四年2018/05/05(土) 17:02:56.60ID:iweo7MxB
>>963
韮崎に居城を移そうとした。
長篠敗戦で被害がでかすぎて僧侶を還俗させ、次男三男を取り立てて質がかなり低下した新生武田軍をわずか3ヶ月で再編した。
長篠敗戦の立て直しで金がたくさんいるようになり、税金や賦役をさらに重くした。
0966人間七七四年2018/05/05(土) 19:27:13.52ID:mTir/r3F
無能な働き者は怠け者より害が強い
0967人間七七四年2018/05/05(土) 20:03:46.44ID:9o1/TsOo
>>957
>掛川城に比べれば何の価値もないね
ってのは言い過ぎたな

価値ないなら家康が付け城築いてまで落とそうとすまい
0968人間七七四年2018/05/05(土) 21:10:53.17ID:NwcRtEm+
>>963
甲陽軍鑑には商人を積極登用して嘆いてる
ただし、軍鑑のいう八田村新左衛門尉、水上宗富を登用したのは信玄である
他の商人としては陳外郎七兵衛尉、諏方春芳軒、古屋兵部丞、友野昌清など
現在のところ彼らをより積極的に使う重商主義の志向があったとされている

あとは浅間社、諏方大社の復興、富士大宮の遷宮、伝馬法度の改定、高野山宿坊相論の裁定、曹洞宗法度改定、本門寺相論裁許などもある
0969人間七七四年2018/05/05(土) 21:26:03.23ID:mTir/r3F
内政で一番重要なのは税じゃない?
どんどん増税してる時点で「内政を頑張った」とか言えないだろ
「徴税を頑張った」なら正しい表現だが。
0970人間七七四年2018/05/05(土) 21:45:01.48ID:cNFvtLUx
高天神の価値は西か東が本拠かで変わるだろ
西つまり三河からなら価値は高いんじゃない?
駿河からだと単独では大して意味ないんだろ
武田が遠江全部支配するくらいなら高天神は重要だろ
0971人間七七四年2018/05/05(土) 21:58:44.49ID:aWj+mf96
>>969
何をもって税が一番重要だと言い張るのか?

そこの説明が出来ないなら説得力ないよ
0972人間七七四年2018/05/05(土) 22:17:59.39ID:mTir/r3F
>>971
じゃあおまえは内政で何が重要と考える?
寺の修繕か?
0973人間七七四年2018/05/05(土) 22:48:01.94ID:NwcRtEm+
>>951
大和孝宗(義昭側近)と六角承禎の援軍要請(4月6日に本願寺及び三好康長を攻めるための陣触れが3月3日)を受けている
信玄死後に朝倉、浅井は滅んで義昭は追放されたことを考えても出兵は必要

同盟国側の誤算は4月19日の三好方の大敗で三好康長が降伏したこと(本願寺は10月まで抵抗している)
信長は河内の城の破却を命じ、21日帰京、28日岐阜城入城、5月13日岐阜から出兵となっている

>>969
伝馬法度の改定は伝馬宿に対しての減税
0974人間七七四年2018/05/05(土) 23:19:43.53ID:je8rVjGP
>>944
翌年って天正8年か?
前年には武田は沼田厩橋接収してるし
北条は徳川と同盟結んでるが

7年の年賀なら景虎まだ生きてるぞ
0975人間七七四年2018/05/05(土) 23:57:51.20ID:97y4ydJa
>>969
勝頼時代になんか増税あった?
農民の逃散とかは信玄時代は67年とかにあったが
0976人間七七四年2018/05/06(日) 00:08:50.57ID:U9/ONUoC
掛川城は堅城すぎて家康も攻城して半年以上かけても落とせず講和でやっと開城したからね
信玄や勝頼も掛川城に手を付けられなかったんだよね
0977人間七七四年2018/05/06(日) 00:42:00.66ID:8YX4xLmX
>>976
まぁだからこそ三方ヶ原で浜松城も一気に抜いてればねぇ
浜松城落ちれば籠城してる家康も死ぬしかないし
そうなると掛川の石川家成が籠城続ける理由もなくなるし
0978人間七七四年2018/05/06(日) 00:43:12.40ID:8YX4xLmX
こう考えるとやはり信玄最後の遠征は信長包囲網に呼応した西上説は事実なんだろうなと思う
補給路の確保に必要な拠点だけ落して西に向かってるし
0979人間七七四年2018/05/06(日) 00:57:21.61ID:UJIOCmom
逆に考えれば掛川なんて後回しでもいいとしか思われてなかったのかも
0980人間七七四年2018/05/06(日) 02:10:54.64ID:luamq1UB
敗残兵含め1万は越える浜松城をそう簡単に抜けないと普通は考えんか(´・ω・`)
しかも今ですら織田の援軍の総数よくわからんのに攻めるのは正直恐ろしいやろ
0981人間七七四年2018/05/06(日) 03:18:29.47ID:Z35VWlkt
>>975
棟別銭がさらに上げられている。
また、軍役に従事する場合はその他の賦役を免除するという信玄時代の特権を、勝頼は廃止している。

そうしないと、韮山の新府築城、長篠敗戦後の鉄砲重視、連年の軍費などどうやって賄ったのか説明がつかないよ。
0982人間七七四年2018/05/06(日) 04:04:25.29ID:8YX4xLmX
>>979
浜松スルーしたのも三方ヶ原でボコボコにしたし
このまま西進して織田軍撃破してしまえば徳川は自動的に終わりだからだろうね
むしろ織田の援軍が完全に潰えた状況で本腰を据えて浜松を落として家康の首を取ってしまえば
史実通り信玄が死んでも勝頼への最高のプレゼントだったろうに
信長としても三河を押さえるだろうけど武田と東海道沿いで領土を接するのは
岩村城なんかよりよほどの脅威だし史実のように浅井・朝倉や長島一向宗が
簡単に滅亡することもなかったかもしれない
0983人間七七四年2018/05/06(日) 05:31:38.11ID:eiSc4JGA
補給線無視してる時点で無理だと思うんだが
0984人間七七四年2018/05/06(日) 08:37:55.81ID:dpQkjVSx
>>975
 天正3年(1575)12月の17か条の軍役定書では、軍役は知行役の侍衆にのみ課されていたものが
同5年閏7月の3か条の軍役定書によると、「領中の貴賎十五以後六十以前の輩」すべてに年20日の軍役が課されている
天正9年正月になると、新らたに防衛のための築城を開始し、同月22日付の真田昌幸書状によれば、
韮崎の地へ新城を築くに当って分国中の人足を集めて普請をし、人足は家10間につき1人の割合で30日間とみえている。
0985人間七七四年2018/05/06(日) 09:25:39.71ID:Hv7HBAIX
次スレ立てようと思うが結局義信を入れるべきか否か
仁科は仁科スレあるから不要だと思う
0986人間七七四年2018/05/06(日) 09:27:18.77ID:dpQkjVSx
>>985
三兄弟スレでお願いします
武田勝頼(with 〜)あたりで
0987人間七七四年2018/05/06(日) 09:39:10.92ID:IjD4goMq
現状では義信に家督譲って今川と協力して三河の家康と戦うのが正解っぽいね
信長は美濃で大苦戦してるから家康助ける余裕もない
家康を支援するなら美濃の攻略が遅れる
歴史は大きく変わるだろうな
0988人間七七四年2018/05/06(日) 09:40:45.73ID:IjD4goMq
後世義信こそ義将として名を残したかもな
0989人間七七四年2018/05/06(日) 09:40:47.25ID:dpQkjVSx
今川が最後まで籠ってた掛川城はかなりの堅城みたいだしね。
家康単独だったらまず落とせなかったでしょう。
信玄が今川を攻めたので漁夫の利で家康も得られただけで。
0990人間七七四年2018/05/06(日) 09:51:58.36ID:Hv7HBAIX
仁科も入れる代わりに1で
もし仁科盛信が武田家の家督を継いでいたら
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1521489625/l50
これ書いとけばいいかな?
0991人間七七四年2018/05/06(日) 09:56:31.08ID:Hv7HBAIX
結局1には入れず立てました
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525568114/
0992人間七七四年2018/05/06(日) 10:48:46.23ID:Hv7HBAIX
勝頼関連本
武田信玄と武田勝頼 鴨川達夫 岩波新書 2007
武田氏年表 武田氏研究会編 高書院 2010
武田勝頼 笹本正治 ミネルヴァ書房 2011
長篠合戦と武田勝頼 平山優 吉川弘文館 2014
武田氏滅亡 平山優 角川選書 2016
戦国大名武田氏の家臣団―信玄・勝頼を支えた家臣たち 教育評論社 丸島和洋 2016
武田勝頼 丸島和洋 平凡社 2017

雑誌武田氏研究 など

家臣ないし関連本
戦国期武田氏領の形成 岩田書院 2007
甲斐武田氏 丸島和洋編 岩田書院 2011
穴山武田氏 平山優 戎光祥出版 2011
郡内小山田氏 丸島和洋 戎光祥出版 2013
戦国期武田氏領の地域支配 柴辻俊六 岩田書院 2013
戦国大名武田氏と地域社会 小笠原春香、小佐野 浅子、長谷川 幸一、小川 雄  岩田書院 2014

ここからへんで数冊読むと理解が深まると思う
0993人間七七四年2018/05/06(日) 10:54:59.79ID:dpQkjVSx
やる夫で学ぶシリーズでは
勝頼はエター化しちゃったからな。
ちゃんと完走してくれれなお勧めしたんだが。
同じく真田幸村もエター化した。
なんで最後まで描く気が無いのに描き始めちゃうんだろうな。
0994人間七七四年2018/05/06(日) 11:50:32.70ID:6VrFfMdj
金にならないからモチベがもたない
勝頼も幸村も悲劇だしな
0995人間七七四年2018/05/06(日) 11:56:24.07ID:dpQkjVSx
>>994
やる夫で学ぶ徳川家康とハンニバルと小早川秀秋があまりに名作すぎて
あのレベルを俺たちは求めてしまうんだが
どんどん廃れて、ついぞあのレベルが出ずに歴史シリーズはダメになっちゃったな
0996人間七七四年2018/05/06(日) 14:08:56.47ID:Hv7HBAIX
ただ埋めるにはもったいないので何か意義ある書き込みをした方がいいか
勝頼家督継承時の宿老、一門、側近

一門 数字は年齢
武田信豊 25 穴山信君 32
武田信廉 42 仁科盛信 17
大龍寺麟岳 14前後 武田信尭 20?
小山田信茂 34 木曾義昌 34

宿老
馬場信春 60 内藤昌秀 51
秋山虎茂 47 春日虎綱 49
原昌胤 45前後 山県昌景 60?

側近
跡部勝資 50弱 長坂釣閑斎 61
跡部勝忠 50弱 秋山紀伊守 
秋山昌成 ? 小原継忠 40弱
土屋昌続 29 土屋昌恒 18
武藤昌幸 27 三枝昌貞 36
曾根昌世 ?
0997人間七七四年2018/05/06(日) 15:08:09.34ID:aoaTHpaz
>>996
山県の生年って1524年あたりの説もあるけど、随分と差があるな
↑の通りなら40歳程度になるし、どうもよくわからんね
0998人間七七四年2018/05/06(日) 16:09:19.11ID:Hv7HBAIX
諏方家継承時の付家臣
安部宗貞
小原継忠
跡部右衛門尉(父に横田下野守。横田松の近親か) 長篠で戦死
秋山紀伊守
小原下総守
向山出雲
竹内与五衛門
小田切孫右衛門(馬場信春の舅小田切下野守の縁者か)

これと>>996は丸島先生の平凡社の武田勝頼を参照
0999人間七七四年2018/05/06(日) 17:02:22.78ID:NFoPDTrE
勝つよりの家臣しょぼすぎ。
1000人間七七四年2018/05/06(日) 17:03:26.15ID:NFoPDTrE
山県の生年は不明としかいいようがない。
飯富虎昌が16世紀始めだからな。
もし虎昌が長篠で存命なら75歳くらいだし。
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