>>92
義昭を追放した後に毛利に出した書状で、
「これからの将軍家への挨拶は自身が保護している義昭さまの息子の方にした方がいい。」
的な事を述べておりますし、
そもそも、義昭の処遇に対しては、毛利と義昭追放直後から、色々と弁解がましい事を述べておりますし、
結局、その後で1573年の年末に帰還交渉が行われたりしますが、義昭の方から、「人質を出したら戻ってやるよ。」的な上から目線で言われた事で、
羽柴秀吉が独断で交渉をうちきって、終了、という感じになったようでございますかねえ。