>>323
いやいやいや、普通に当時の朝倉はまず織田側主力の陣地に攻撃をしかけて戦果をあげたりして
複数の戦果をあげており、浅井も浅井で、防がれたりはしておりますが、単独でも織田側に攻撃を仕掛けたりしているしているようですしねえ。

いやいやいや、長篠の後の武田は、歴戦の精鋭を失った結果、12、13歳程の者達とか、
僧侶になっていた者とかも動員して兵力数をなんとか戻したわけではございますが、
その質的な問題は如何ともしがたく、徳川との戦いを行う事は困難で、
結局なんとか比較的近場の高天神とかは救援できたりはしているものの、
それより先の二俣とか、岩村とかの救援は困難で、攻略されてしまっている、
という状況でございますしねえ。
朝倉浅井が信玄西上の時期でも、普通に織田側に対して攻撃を仕掛けて
戦果をあげたりしている事とは、明白なる異なりがあるように思われるわけでございますが、
これらについても、お答えの方をよろしくお願いいたしますかねえ。

それらは、軍の一部でして、主力となる武将とかメンバーとかは普通に残っているわけでございますしねえ。
とても長篠の後の武田と同じとは思われない次第でございますが、これらにつきましても、
お答えの方をよろしくお願いいたしますかねえ。