なぜ日光東照宮に太閤殿下が祀られているの?

答え 明治政府としては、徳川家の「祟り」を恐れる必要は無かったはずです。

明治維新後も、15代将軍慶喜以下徳川家の人々は、滅ぼされるでもなく生命をまっとうしていましたから。

恐れる必要があったとすれば、それは徳川家の「復権」であったはずです。

この世で徳川家の復権のために活動していた勢力は、とりあえず函館戦争で一掃されましたし、武士階級の特権も剥奪されましたから、政治的には心配しなければならない状態はなくなっていたわけです。

ところで、あちらの世界からこちらの世界に働きかけて徳川家を復権させようとする存在があるかもしれないと考えてみたとしましょう。

一体それはどんな存在かということになるわけですが、やはり筆頭に挙げられるのは東照大権現=徳川家康ということになるでしょう。

万代揺るがぬはずだった江戸幕府を解体してしまったわけですから、さぞかしあの世で怒っていることだろうと想像されたと思います。

彼が悪い影響を及ぼさないようにするにはどうしたらよいか。

普通の怨霊であれば、祭り上げていい気にさせておけば良いわけですが、彼の場合はまだ子孫が存命です。
いい気になったあまり、子孫に働きかけて徳川復権に動かないとは限りません。ここは、あちらの世界でも彼の動きを抑えつけておかなくてはいけないと考えられたのでしょう。

家康の生前、目の上のたんこぶであったのが豊臣秀吉です。しかも、家康は騙まし討ちとも言えるやり方で彼の家系を全滅に追い込んでいます。
頭の上がろうはずがない。

そんな思惑で、霊界(?)での家康の動きを抑えるため、秀吉が担ぎ出されたのではないかと思います。