「むかしより 主をうつみの 野間なれば むくいを待てや 羽柴ちくぜん」 織田信孝


『それ羽柴秀吉は野人の子、もともと馬前の走卒に過ぎず。
 しかるに、いったん信長公の寵遇を受けて将帥にあげられ、大禄を食みだすと、
 天よりも高く、海よりも深きその大恩を忘却して、公の没後ついに君位の略奪を企つのみか、
 亡君の子の信孝公を、その生母や娘とともに虐殺し、今また信雄公に兵を向ける。
 その言語に絶した大逆無道 黙視するあたわず、わが主君 源家康は、信長公との旧交を思い、
 信義を重んじて信雄公の微弱を助けんとして蹶起せり。 
 もしかの秀吉が、天人ともに許せぬ悪逆を憤り、義の重きを思うものあらば、
 父祖の名誉にかけて、この義軍に投じ、以て逆賊を討伐し、海内の人心に快せん・・・・・』
  
  天正十二歳                榊原小平太康政


「夫羽柴秀吉者野人之子出於草来而僅為馬前之走卒
 信長公寵異之遇一旦時挙拝於将帥食於大邦其恩高似
 天深似海比挙世所知也 然信長公卒而秀吉忽忘主恩遂因際会謀企悲憤将滅其君後奪其国家惨哉 
 向拭信孝公今又興信雄公結兵大逆無道不可勝言其誰不疾視之今我寡君深懐信長公奮好切血
 信雄公之微弱赫然整旅不量勢之衆寡杖大義之當然伐
 天人之所悪人々豈可賞彼凶悪以汗乃祖佳名於千載乎惟尚専合力於義軍速討彼逆賊以快海内之人心因以告 天正十二年三月 康政判」