豊臣は主筋を殺しまくり主家を横領して誕生した逆賊の家で、
帝に任命された関白の地位を大義名分にして2度の聚楽第行幸で諸大名を天皇に忠誠を誓わせることで成立した家だが

関白一家を殺し、右大臣の娘を殺し、右大臣を流罪にして、太政大臣が死んだ時点でなんの正当性もないものになった。

太政大臣の死後、内大臣が政務を引き継ぐのは当然だし、武家の棟梁である右大臣征夷大将軍が武家を差配するのも当然だろうね。
子供はまともな判断が出来ないと1611年まで待った家康の温情を理解せず、義父である征夷大将軍に従わず幕府に謀反をおこした秀頼が滅ぶのは当然といえる。

秀頼は天下のことを考えるより、161キロもあった体重の管理を考えたほうが良かったと思う。
食欲の管理も出来ない人間が天下とか笑わせる。秀頼が反乱をおこした1614年当時の関白左大臣は鷹司信尚で、右大臣征夷大将軍は義父の徳川秀忠。
秀頼は自尊心が肥大しただけのバカで、まともな常識が育たなかったのだろう