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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11

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0001人間七七四年2018/01/03(水) 00:35:15.74ID:N5T/NvLp
前スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part10
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1512519887/
0623人間七七四年2018/01/26(金) 21:02:39.32ID:zZ2iAbnx
毛利と島津と長曾我部をちゃんと味方にしてたら勝てた
0624人間七七四年2018/01/26(金) 23:52:55.40ID:a4LCIBDj
岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


城下町に惣構の土塁があったみたいだね。
これに空堀と柵の構築をすればそこそこのものになるんじゃない?
0625人間七七四年2018/01/27(土) 00:00:20.53ID:Gtlh6oHu
岐阜城はもうどうでも良いよ
どうせ三法師じゃなんかやらかして同じ結果にしかならない
0626人間七七四年2018/01/27(土) 03:31:32.78ID:gRQJVU6o
名城の悪寒
0627人間七七四年2018/01/27(土) 05:05:40.37ID:C36bgJ2S
岐阜城が名城であればあるほど織田秀信と石田三成の無能さがランクアップしていく
0628人間七七四年2018/01/27(土) 08:36:06.20ID:ViKLyAMH
岐阜城は井戸から水は出ないし、曲輪は散らばっているから籠城には不向き。

むしろ囲まれたら終わり。

堀も小さいから特に戦国後期の鉄砲が主力になった時代では籠っても
なすすべない。
0629人間七七四年2018/01/27(土) 08:42:12.35ID:iy3Qdxe5
岐阜城の惣構も、峰と峰の間に土塁と空堀で線を引いた程度の代物だし
0630人間七七四年2018/01/27(土) 08:55:32.80ID:6f26jDuH
>>628
岐阜城は7000人収容できないとか言ってたアホも同じこと言ってたな
山のほうの天守は湧水を井戸に貯める方式
居住などの主な信長公居館は井戸はある(信長公居館発掘調査で発掘済)
信長公居館を真田丸みたいに出城に改修し山麓を城郭に徹底的に改修しなければいけなかった
0631人間七七四年2018/01/27(土) 09:56:42.52ID:6f26jDuH
山頂の天守 = 雨水湧水を貯める井戸
中腹 = 水の手口という水が流れるいくつかの沢がある
山麓 = 信長公居館に井戸がある

なぜか水が全く出ないことになってる不思議
0632人間七七四年2018/01/27(土) 10:07:35.56ID:AOwVNkB6
そう構えの場合むしろ散らばっていた方がいい
0633人間七七四年2018/01/27(土) 10:37:07.08ID:hZmyWoBB
岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書によると、
江戸時代岐阜城は藩主の御猟場として山麓に柵をめぐらして立ち入り禁止にしてた、とある。
岐阜城の史料が少なめなのはこの影響なんじゃないかな?
現在岐阜市が信長居館跡と登山道付近を中心に発掘調査中だが、
いろいろと新たな発見があるが未だ全容解明には至らず、といったかんじみたい。

>>630
信長居館跡と惣構の城下町を利用すればゆうに万を超える兵の収容が可能だと思う。
空堀と柵構築でそれなりのものになると思う。
問題は構築期間が限られている部分で、瑞龍寺砦のほうももっと強化しないとまずそうだし、
完成度80%とかの状態で戦闘に突入してしまうかもしれない。
0634人間七七四年2018/01/27(土) 10:44:45.02ID:6f26jDuH
>>633
期間が限られてるから城下町までは広げすぎだと思う
水の手口から攻められてるの見る限り前面に集中しすぎてその他が全く準備できていなかった
野戦に出て逃げ帰って来てるから掘削や瓦礫で完全に抜け道となる山道を潰したりする期間が無かったと見える
0635人間七七四年2018/01/27(土) 12:00:44.42ID:hZmyWoBB
>>634
たしかに水の手口の強化は必要だよね。池田勢がどのルートで水の手口から攻めたのか
けっこう不思議だけど。よほど東側から回り込んだのか。

>>624の岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書の100頁の岐阜城域図見ると
水の手口、城下町惣構、瑞龍寺山砦の強化をすればいいかんじに見えるけど、
構築期間の問題からどこを優先するかですね。
0636人間七七四年2018/01/27(土) 12:37:59.88ID:rwVysdxJ
岐阜城完成の暁には
東軍などあっという間だ
0637人間七七四年2018/01/27(土) 12:40:29.95ID:6f26jDuH
>>635
水の手口は金華山中腹の水源だから
攻め手としたらまず山城なら水源を断つことを考え
水の手口に攻めてくることを考え強化するのは当然に思うけど
敗走して守備に回す兵力が足らなかったのか
付け入り戦法で籠城準備が整ってない時に攻められたのか簡単に抑えられちゃったからな
0638人間七七四年2018/01/27(土) 14:43:30.50ID:DiLwcDSO
>>628
ああいう山でも、極地的に井戸を掘れる場所が有ったりすんのよね。
平地の井戸と違って旱魃に弱いけど、山城だから井戸無しは違う。
宙水で調べると良いですよ。
籠城側は地形に詳しいんだから、井戸くらい有るでしょ。
0639人間七七四年2018/01/27(土) 15:40:38.60ID:buH0Tm3/
水については長良川から汲んでくればいいと思うけどなぁ。
堤防兼用の城下町の惣構越えて汲んでくればいいんじゃない?
0640人間七七四年2018/01/27(土) 18:37:46.19ID:ViKLyAMH
岐阜城の井戸事情


https://farm9.staticflickr.com/8509/8347443255_91be7f8779_c.jpg
0641人間七七四年2018/01/27(土) 18:44:21.62ID:ViKLyAMH
まあ、あと要害堅固とか書いてあるけど、弓と槍で戦っていた時代のことだからな。
鉄砲の防御はほとんど不可能。

鉄砲が普及してからは、山城はほとんど建てられなくなり、鉄砲の射程を考慮して
堀を広くした平城が主流となる、
0642人間七七四年2018/01/27(土) 18:46:47.24ID:6f26jDuH
>>639
ちゃんとした井戸は山麓の信長公居館で発掘されてるから水は十分にある
山頂の話を全体がそうであったかのように語る奴がいるだけ
0643人間七七四年2018/01/27(土) 18:53:03.42ID:ViKLyAMH
>>642
井戸はあっても雨水を貯めるだけで水は出てこないんだよ。
0644人間七七四年2018/01/27(土) 18:53:58.72ID:ViKLyAMH
>>639
浄化槽がある訳じゃないし、そんな水は何日もつのか?
0645人間七七四年2018/01/27(土) 18:57:14.46ID:ViKLyAMH
>>630
本丸にということだろう。

曲輪が散らばっているから戦力を集中できないんだよな。
各所を一つづつ攻略して終わり。
0646人間七七四年2018/01/27(土) 18:58:36.16ID:6f26jDuH
>>641
http://livedoor.blogimg.jp/sengokuaruko/imgs/f/f/ff3d7239.png
真田丸は盛り上がった地形の頂点に空堀を掘って敵の進軍スピードを挫き
空堀から斜面を登ってくる敵を狙撃したんだけどな
0647人間七七四年2018/01/27(土) 19:00:13.08ID:buH0Tm3/
>>641
鉄砲対策なら土塁、空堀、柵で十分機能すると思うけど。戦時の実用性なら。
平時の装飾性も求めると塀、水堀、矢倉とかになってくるんだろうけど。
0648人間七七四年2018/01/27(土) 19:01:51.51ID:6f26jDuH
>>643
>>613の信長公居館跡や地形を見てこい
お前のドヤ顔で言ってるのは山頂のことだ
0649人間七七四年2018/01/27(土) 19:05:13.99ID:buH0Tm3/
>>644
長くても2週間粘ればいいので、2週間分。足りなくなったら汲んでくればいいやん。
0650人間七七四年2018/01/27(土) 19:05:17.00ID:6f26jDuH
>>645
岐阜城は山麓を城郭とする城と言うのをまだ理解してないのか
0651人間七七四年2018/01/27(土) 19:11:14.55ID:buH0Tm3/
あと一応現代では岐阜県は「ダムのない川、清流長良川」って宣伝してる。
0652人間七七四年2018/01/27(土) 19:36:56.33ID:ozp8u5RL
城主の三法師が野戦しないと守れないと判断してるのにどうやってそんなとこまで準備させるのか
0653人間七七四年2018/01/27(土) 19:46:34.89ID:6f26jDuH
史実通りがベストな判断だとしたら長篠の戦いも勝頼はベストな判断してたってことか
今川義元も桶狭間で討ち取られたけどベストな判断
信長も本能寺で少数で泊まっていたのもベストな判断
秀吉も秀次一族処刑して五大老制というガバガバな判断したのがベストな判断だってことか
0654人間七七四年2018/01/27(土) 19:53:24.14ID:hZmyWoBB
>>652
犬山城だって加藤、関あたりが城主石川貞清を説得して開城させたわけでしょ、
なら岐阜城も援将島津義弘が説得して籠城すればいいじゃん。

ただ、それ以前から石田が後詰が来ることを十分説明して籠城準備と普請要請する必要はあるが。
0655人間七七四年2018/01/27(土) 19:56:39.99ID:C36bgJ2S
>>652
岐阜は篭城じゃ守りきれない。
だから歴史的に野戦で美濃を守ってきたけど、
それは大垣が連携してこそだろうな。
つまり戦下手は誰かといえば石田三成なんだよ
0656人間七七四年2018/01/27(土) 19:57:38.45ID:VA82doJi
後詰めがあれば守れる
0657人間七七四年2018/01/27(土) 20:03:28.84ID:ViKLyAMH
>>646
真田丸はわざと敵を集中させるために、敵が攻撃しやすくしていたんだろう。
0658人間七七四年2018/01/27(土) 20:05:14.20ID:C36bgJ2S
どちらにせよ大垣だな。
島津義弘は九州、石田三成は近江、島左近は奈良、宇喜多秀家は中国で
地元を知らず、知っていても戦下手。地の利を知らないから連携できない。
竹ヶ鼻を簡単に落とされている時点でね。

信頼関係がなく、作戦目的も共有されておらず、指揮系統も一本化されていない上に地の利もない
勝てないわ
0659人間七七四年2018/01/27(土) 20:06:59.50ID:6f26jDuH
大軍で渡河防衛するなら分かるが
ただでさえ敵よりも遥かに少ない戦力で
しかも分散させて野戦することがアホだって話だな
0660人間七七四年2018/01/27(土) 20:09:11.35ID:hZmyWoBB
>>658
大垣の重要性はそんなに力説せんでもみんな知ってる。
0661人間七七四年2018/01/27(土) 20:10:56.42ID:dldUXefc
>>658
石田三成は賤ヶ岳合戦で秀吉に従って岐阜城攻めに向かったり大垣大返しの手配をしたり小牧長久手合戦にも従軍してるから美濃の地理は知ってるぞ
0662人間七七四年2018/01/27(土) 20:13:40.77ID:ViKLyAMH
信長も美濃攻略で手こずったのは渡河で長良川を渡ってしまえば
岐阜城攻略なんて大したことない。

まあ、三成は長良川の渡河を全力で阻止するべきだtぅたんだけどな。
あそこを渡らせたから佐和山までの進軍の道筋が出来てしまった。
ただ、三成は間者とかいなかったみたいだから、東軍の動向とか分かっていなかったのだろうけど。
0663人間七七四年2018/01/27(土) 20:20:08.92ID:C36bgJ2S
>>660
それじゃ誰が無能かははっきりしている
無能は石田三成だ。
美濃の防衛は尾張の兵が動いた時点で即応して大垣と岐阜が連携しながら野戦なんじゃないの
三成は即応できず目の前の竹ヶ鼻すら落とされている。
島津義弘ら中国九州勢は美濃の歴史なんかしらないし地勢もはじめてみた人間だろう

>>661
三成は地理を知っていても兵法をしらない
孫子の五事七計すら守ってない馬鹿だから
0664人間七七四年2018/01/27(土) 20:24:15.14ID:6f26jDuH
>>657
違う
段差や斜面があると敵の進軍スピードが落ちる上に
鉄砲避けに竹束を持ってる場合は段差が無く水平な地形ではすぐ迫られてしまう
また敵が急な斜面登るときは重い甲冑な上に竹束持ってると登りにくく狙撃しやすいからだよ
0665人間七七四年2018/01/27(土) 20:31:40.35ID:ozp8u5RL
>>659
大垣がきっちり後詰めしてたら渡河防衛は大きく変わったんじゃないかと
そこら辺全く手を入れずにお前らは籠城だけしてろって
捨て石になれって言ってるのも等しい
少なくとも三法師本人は籠城したらまずいと判断してるんだから
そこまで西軍に肩入れする義理は無いような
0666人間七七四年2018/01/27(土) 20:45:51.61ID:6f26jDuH
>>665
秀信は岐阜城で家臣のほとんどが討ち死にして家臣数十人になるまで戦ってるから戦意は高い
むしろ籠城向き
戦意が高くないなら犬山城みたいに戦わずに開城するから
0667人間七七四年2018/01/27(土) 21:29:59.93ID:hZmyWoBB
>>665
以前のスレでも言ったけど、8月22日時点での大垣の兵力は
石田6000、小西5000、島津1000、計約12000.
岐阜城が秀信6000.

東軍は>>3

秀信の渡河迎撃に大垣からどれだけの援軍を送ると想定?
木曽川流域、竹ヶ鼻にも進攻されてて東軍が岐阜を攻めるのか大垣を攻めるのかわからない情勢。
かなりの援軍を送って上流渡河組を阻止しても下流が支えられない。
一気に大垣に来られて万が一大垣が落ちるようならもはや岐阜どころではなく、
西軍は佐和山で籠城するか瀬田で決戦するしかなくなる。
史実同様なら大垣は落ちないが(十分な守備兵力があるため)
上流の渡河は阻止できず史実同様岐阜城が攻められる。

何度も8月22日時点での渡河迎撃には兵力が足りないと説明されてると思うが。
0668人間七七四年2018/01/27(土) 22:01:24.15ID:hZmyWoBB
一応公平を期すために言っておくけど、8月22日に渡河迎撃を行うとなった場合、
それに間に合ったかもしれない西軍勢力は、桑名、長島周辺にいたであろう
明石掃部の推定兵力3000〜8000くらい。
草津の宇喜多秀家は初めから美濃担当となっていないとぎりぎり間に合わないと思う。
0669人間七七四年2018/01/27(土) 22:37:24.92ID:C36bgJ2S
西軍は信頼関係のない寄せ集めだな
指揮系統が確立しておらず命令の上意下達すらできない。
意思統一も出来ておらず、地の利もない。勝てるわけないな。
岐阜城陥落はその象徴的出来事
でも岐阜城に戦略的価値はないと思う。家康の信頼を得るための生贄だよあれは
0670人間七七四年2018/01/27(土) 23:09:00.72ID:fNhRFOUC
信頼関係の無さでは東軍も相当なものだがな。
福島と池田の功名争いなんて最たるものだ。
0671人間七七四年2018/01/27(土) 23:12:41.28ID:C36bgJ2S
そりゃ柴田勝家と羽柴秀吉のようなものだ
でも織田信長を中心になとまっている。
関ヶ原では内大臣で大義をもつ戦上手の家康を中心に東軍はまとまっている。
指揮系統は明確で命令も上意下達意思の統一も出来ていた
0672人間七七四年2018/01/28(日) 01:45:46.02ID:9USpALf0
岐阜城が野戦もせずに3万以上の兵力で囲まれたら力押しで押し潰されてあっという間に終わりだろう
井戸とかそういう問題か?織田秀信にどれだけ優秀な籠城戦術を期待してるのか
0673人間七七四年2018/01/28(日) 06:44:07.61ID:mfoWRVpN
この時代は、逆に力押しが通じ難い状況だと思うけどね。
それと、当時の記録とか調べると、鉄砲に有効な鎧なんて雑兵は持ってないよ。
竹束以外に有効な遮蔽物無しなんだけど。
0674人間七七四年2018/01/28(日) 06:57:43.31ID:/fG9tLI+
>>672
籠城準備せずに野戦したから岐阜城はすぐ落城したんだろ
0675人間七七四年2018/01/28(日) 06:58:16.73ID:xk5AdU+l
>>669
東軍は福島と池田がいがみ合っても軍監に本多忠勝と井伊直政がいたのが大きいな。
作戦行動は首尾よくやっているからな。

岐阜城は家康に江戸を出立してもらうための生贄で
戦略的価値はないよな。
0676人間七七四年2018/01/28(日) 07:00:09.46ID:xk5AdU+l
>>674
籠城しても岐阜城は簡単に落ちると言っているじゃん。

過去の歴史で岐阜城が籠城で持ったなんていう話があるかよ。
落城はヤマほどあるけど。
0677人間七七四年2018/01/28(日) 07:58:26.72ID:SBTrljyh
小牧長久手で大合戦をおこなった翌年の
1585年から1590年の5年間岐阜城主をやったのが池田輝政で、
その輝政が攻め落とせると判断したわけだから攻め落とせるんだよ。

輝政も城主をやっているときは常日頃からどう守るかを考えただろうし、長所も欠点も知り尽くしているだろう。
その前の城主は1583年から城主をやっている兄貴の元助だから、輝政が岐阜城の防衛を考えた時期はけっこう長い。

秀信は1580年に生まれ1592年から8年城主をやっていたことを考えると
それなりに岐阜城の防衛については考えただろう。

岐阜城を攻め落とせると考えた前岐阜城城主池田輝政と
岐阜城に篭城せず出撃するべきと考えた岐阜城城主織田秀信

岐阜城は守りにくいのだろうな
0678人間七七四年2018/01/28(日) 08:07:17.33ID:Y/Ci5Dco
池田と福島が競争したのが奏功した
この局面では

籠城だった場合逆目に出た可能性がある
0679人間七七四年2018/01/28(日) 08:15:35.30ID:wu45txnD
>>673
そういう事を言える兵力差ではない

>>674
籠城準備してないから落ちたなんて記録があるのか?
0680人間七七四年2018/01/28(日) 08:36:00.63ID:9USpALf0
>>677
同意、政略や戦略ならともかく
城や地形や戦いかたそのものに関する戦術に関して
当時その場を生きる人達が人生を賭けて考え抜いた判断は軽視すべきじゃない
そして現実に岐阜城は籠っても即陥落した
0681人間七七四年2018/01/28(日) 08:43:31.28ID:Hn1jzr+/
野戦という選択肢がない以上
籠城しかない
0682人間七七四年2018/01/28(日) 08:45:09.77ID:uL2hldm7
そもそも西軍の基本戦略は(事前に相談もしていないけど)東海道と中山道の大名が全て西軍について
北条攻めと同じ要領で関東攻めをすることだった
ところが真田以外が全員東軍についたので基本戦略が破綻し、
次の戦略が(事前に相談もしていないけど)福島が西軍についてくれたらという願望のもと
三河で東軍と迎え撃つ戦略だった
つまり美濃で東軍と戦うことは三成にとっても秀信にとっても想定外の事態だったわけ
だから対応が泥縄でその場しのぎの行動しかできなくなるのも当然なんだよ
籠城の準備をしろとか連携して迎え撃てとか言うのは実情を理解していない机上の空論に過ぎない

関ヶ原の結果論から美濃で戦うことが最初から決まりきったことのように考えてしまうのは大きな誤りだ
むしろ美濃は西軍の事実上の最終防衛ラインであり、美濃で戦うこと自体が追い詰められていることを意味していた
0683人間七七四年2018/01/28(日) 08:57:04.07ID:8iai/cop
>>681
籠城という選択肢もない
大垣から後詰めがなかった時点で勝負は決していた
0684人間七七四年2018/01/28(日) 09:00:50.66ID:Hn1jzr+/
>>683
じゃどうしろと?
0685人間七七四年2018/01/28(日) 09:04:09.58ID:Hn1jzr+/
福島が西軍と考えていたなら狂っている
戦の前に打診したのか
例えば密使を送って口頭で確認するとか

百歩譲って第二案以降を考えるべきだ
0686人間七七四年2018/01/28(日) 09:09:16.62ID:SBTrljyh
けっきょく関ヶ原の戦いをどうこう考えるなら大義名分なんだよ
大義名分がなければ人は集まらない。

西軍は当時の武将が必修で学んでいた兵法の原則のすべてが欠落しているが、
基本である孫子の五事七計、道天地将法と君主将帥天地法令軍隊兵卒のすべてが欠落している
そしてまず念頭に置くべきは大義名分である道だが、それすらもない。
豊臣忠義を唱えているのに豊臣の公認を得ていないという片手落ちだ

家康は聚楽第行幸で忠誠を誓った主君である帝から1600年当時、武家のなかで最高位の内大臣に任命されていて、
太政大臣の遺言で何ごとも内大臣の意見に従うようにと政務を任されており、
後陽成天皇の下賜を受け、前太政大臣家からも下賜を受けて出陣したわけで
必要な手続きはすべて行っている。
その官軍に讒言しまくって人望のない石田三成が反乱をおこし
帝どころか、豊臣家の公認すら得られていない状態なんだから勝てるわけがない。
0687人間七七四年2018/01/28(日) 09:14:04.48ID:SBTrljyh
石田三成が関ヶ原で勝とうと思うなら
まず服役中の罪人の立場を解消し、朝廷に献金して内大臣以上の官位にしてもらい
武断派に頭をさげて謝罪して歩いて文武の融和をはかり
讒言はやめて公正な政治をおこなって信頼を回復し
その上で豊臣家の公認を得て関ヶ原をはじめるべきだったろうな
何年かかることやら
0688人間七七四年2018/01/28(日) 09:14:57.97ID:8iai/cop
>>684
どうもできない
3万を越える東軍先発隊を止められる選択肢なんてない
0689人間七七四年2018/01/28(日) 09:21:13.90ID:q7H5zFMH
>>687
いや、意外に難しくなかったと思うぞ。

1. 豊臣家の敵として池田輝政、浅野幸長、田中吉政、中村一氏、山内一豊、
  堀尾吉晴ら秀次の残党を孤立させること。
2. 家康を1.の連中に縛り付けること
3. 天下には、秀次の残党が秀頼を脅かしている、と喧伝し、1,2を天下の敵と
喧伝すること。

少なくとも、>>687よりははるかに楽。
0690人間七七四年2018/01/28(日) 09:42:56.73ID:Hn1jzr+/
>>688
降伏?
0691人間七七四年2018/01/28(日) 10:04:37.85ID:FqQOCfdE
籠城否定するなら>>136に答えてください。
0692人間七七四年2018/01/28(日) 10:18:35.59ID:/fG9tLI+
>>676>>679
野戦して無様に退却してすぐ落ちたって記録しかないな
野戦が間違いだったという記録しかないな
0693人間七七四年2018/01/28(日) 10:28:40.68ID:/fG9tLI+
>>677
>>602-603
0694人間七七四年2018/01/28(日) 10:39:03.70ID:FqQOCfdE
岐阜城後詰決戦案は>>11にまとめてあるけどもう一度改めてまとめようか。

前スレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、島津義弘1000、計7000
大垣城:石田6000、小西5000、計11000

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川16000、安国寺1000、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊21100南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>10

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か
0695人間七七四年2018/01/28(日) 10:43:08.17ID:FqQOCfdE
あ、大谷ら忘れてた。

9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
0696人間七七四年2018/01/28(日) 10:45:07.40ID:8DamNB2V
大前提として東軍先鋒の出撃時期と目的を、事前に正しく判断する必要があるね
なお、情報収集と分析は西軍が最もダメだった要素
0697人間七七四年2018/01/28(日) 10:56:46.68ID:/fG9tLI+
>>682
>事前に相談もしていないけど

一 拙者儀先尾州表ヘ岐阜中納言殿申談人數出候

一 拙者(石田三成)は、岐阜中納言殿(織田秀信)と相談した


>三河で東軍と迎え撃つ戦略だった
>つまり美濃で東軍と戦うことは三成にとっても秀信にとっても想定外の事態だったわけ


もし於不相濟は清須へ勢州口一所に成候而可及行候、猶吉事可申承候


もし福島との交渉で清洲城の開城がうまくいかなかった場合は清洲城へ勢州口(伊勢方面軍)と合流して攻めるつもりである。

交渉決裂した場合は伊勢方面軍を待って合流して清洲城を攻めるって話が抜けてますよ?
伊勢方面軍を待って戦場は三河じゃなくて清洲攻めることも想定してたんだけど
実際伊勢方面軍が来るまで大垣勢は待ってた
秀信も三成も動いてないしな
0698人間七七四年2018/01/28(日) 11:30:32.10ID:/fG9tLI+
>>694
東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負ってことだね
0699人間七七四年2018/01/28(日) 11:57:09.64ID:URL4C6p8
秀信が全力で岐阜城に籠城してたら東軍はもっと楽に勝ってたって当時の見解はどこにもないのにどうして執拗に否定する人がいるの?
0700人間七七四年2018/01/28(日) 12:26:33.13ID:ddNwemqY
>>676
援軍のあてがなくなって降伏開城したことはあるけど攻め落とされたのは秀信の時だけだぞ
0701人間七七四年2018/01/28(日) 12:29:03.75ID:SBTrljyh
岐阜城の城主経験者、
池田輝政が岐阜城を攻め落とせると考えており

岐阜城の城主織田秀信とその家老が
自軍の方が寡兵なのにもかかわらず、篭城するより野戦に出たほうが勝率が高いと考えた

その双方を否定して篭城したほうがいいとか
えらそうにうんちくをたれている評論家様の意見なんぞ参考にもならないだろう

岐阜城は守りにくい城なんだと思う。
0702人間七七四年2018/01/28(日) 12:47:43.02ID:/fG9tLI+
史実通りがベストな判断だとしたら長篠の戦いも勝頼はベストな判断してたってことか
今川義元も桶狭間で討ち取られたけどベストな判断してた
信長も本能寺で少数で泊まっていたのもベストな判断
秀吉も秀次一族処刑して五大老制というガバガバな判断したのがベストな判断だってことか
0703人間七七四年2018/01/28(日) 12:47:44.04ID:uL2hldm7
そもそも美濃で戦う羽目になったことが西軍の敗因なのに
籠城すれば云々を語るのは馬鹿げている
美濃が戦場になった時点で西軍は追い詰められている状態だった
0704人間七七四年2018/01/28(日) 13:11:32.12ID:FqQOCfdE
一応参考までに出しておきましょうか。

8月22日付秋田実季宛佐々正孝書状には
岐阜城の織田秀信は兵が少ないので岐阜城は50日ももたないだろうという風聞がある、

としている。

逆に言えば1ヶ月くらいはもってもおかしくない、というのが当時の認識だったんじゃないかな。
これを2週間もたせるのは当時の認識としてもおかしいことではないと思うが。
0705人間七七四年2018/01/28(日) 13:20:14.72ID:EglkmnwA
三成は家康を征伐する気だったのだから
東へと出掛けていくのが当たり前
0706人間七七四年2018/01/28(日) 13:21:14.82ID:FqQOCfdE
>>703
なんで西軍の敗因を勝手に決めつけてるの?
直接的な敗因は関ヶ原で西軍主力が壊滅し継戦不能になったから。

あんたの言ってるのは遠因。


>籠城すれば云々を語るのは馬鹿げている

馬鹿げている理由は? ifスレで籠城した場合を考えてなにが悪いのか。
0707人間七七四年2018/01/28(日) 13:30:03.31ID:uL2hldm7
つまり西軍は美濃で戦って壊滅したんだろ
敗因以外の何物でもないな
0708人間七七四年2018/01/28(日) 13:36:53.25ID:Hn1jzr+/
家老が野戦派だという根拠は?
0709人間七七四年2018/01/28(日) 13:56:27.23ID:q6u17Uo7
>>706
壊滅したのは敗因ではなく結果では...
0710人間七七四年2018/01/28(日) 14:11:34.62ID:FqQOCfdE
>>709
「西軍」をどういうくくりで見るかにもよるけど、西軍全てが関ヶ原で壊滅したわけではなく、
まだ毛利輝元や増田長盛や残存戦力はあった。
例えばまだこの後、瀬田で迎え撃つとか大坂城に籠城するとかできなくもないけど、
かなり劣勢で勝ち目はないよね。
これらの部分からです。
0711人間七七四年2018/01/28(日) 14:23:11.84ID:8zHJSvTN
>>640
岐阜城はやっぱり水駄目だね
籠城とかしたら麓どころか中腹までいくのもたいへんだろうな
0712人間七七四年2018/01/28(日) 14:57:53.36ID:/fG9tLI+
秀信が野戦でボロ負けした時点で野戦したのは
間違いだったっては確実なんだよね
0713人間七七四年2018/01/28(日) 15:24:52.59ID:ddNwemqY
>>712
竹ヶ鼻城を防衛拠点にしての籠城戦なのに野戦って何を言っとるんだ
0714人間七七四年2018/01/28(日) 15:29:28.51ID:8iai/cop
3000人で全力で守って1日で落ちたのが岐阜城
準備だのなんだの野戦だからだのなんだのと言い訳考えたところで結果は変わらん
0715人間七七四年2018/01/28(日) 15:43:14.39ID:/fG9tLI+
>>713
渡河防衛するために秀信は戦力分散したが
地形を知り尽くしてる池田輝政に渡河しやすい場所から強行突破されて作戦失敗
兵数を無駄に消費し
作戦失敗で士気駄々下がり退却


秀信がやったのは竹ヶ鼻城を防衛拠点にしての籠城戦ではなく渡河防衛するための野戦です
0716人間七七四年2018/01/28(日) 16:20:04.70ID:ddNwemqY
>>715
池田輝政が渡河しやすい場所を知ってるように織田秀信側も渡河しやすい場所を知っててそこを守ってるんだから地形を知り尽くしてる云々はまるで無関係たんなる兵力差の問題

戦力分散したから野戦ってのも飛躍しすぎ
渡河防衛だろうが兵力分散しようが城を拠点にして防衛作戦を展開してるんだからそれは野戦じゃなくて拠点防衛でしょ
0717人間七七四年2018/01/28(日) 16:20:47.49ID:9USpALf0
>>702
少なくとも当時の地形や城に関しての見解で当時の城主二人の意見以上に
現地を把握出来てる意見は考えにくい
0718人間七七四年2018/01/28(日) 16:30:41.62ID:OIocUqTQ
>>714
秀信は5000だぞ、数の誤魔化しは良くない。
0719人間七七四年2018/01/28(日) 16:37:20.88ID:Hn1jzr+/
秀信は知らないか知っていたとしても却下じゃないか

それに全ての渡河点をどうやって守るつもりなのか
0720人間七七四年2018/01/28(日) 16:38:20.45ID:/fG9tLI+
>>716
>織田秀信側も渡河しやすい場所を知っててそこを守ってるんだから

野戦では数の利がダイレクトに影響するのに敵に圧倒的に劣る戦力をまた分散してしまうという愚行を秀信はしたから
池田輝政に数の利に押されて強行突破されたんだけどね
原因が何なのか考えようね
0721人間七七四年2018/01/28(日) 16:48:54.41ID:/fG9tLI+
>>717
それは秀信が戦場経験の歴戦の武将だったらな
初陣状態の秀信の判断が優れるわけないだろ
0722人間七七四年2018/01/28(日) 16:49:32.27ID:UlsPNPL7
戦史的に言えば秀信は遅滞防衛戦に出て、
失敗して食いつかれ大損害を出したとみるのが自然なんだが
史料的にはどうなんだろう読み込んでみるか
0723人間七七四年2018/01/28(日) 17:05:16.04ID:/fG9tLI+
秀信と家臣は福島正則には籠城戦は誉められてたから
籠城の才能はあったんだろうね
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