関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11
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0039人間七七四年
2018/01/04(木) 10:32:15.56ID:q6wAH7V0道にそむいている
聚楽第行幸で政務を託された関白を殺した豊臣を持ち上げて、公儀を行う資格を持つ内大臣に脱獄囚が謀反をおこしている
天の時を得ていない
三成の持ち上げている秀頼は6歳児であり、自分の意思はない。最高位の大臣は家康でありタイミングが最悪
地の利を得ていない
西軍は中国や九州から遠征してきた遠征軍がほとんどで、川が多く湿地帯の濃尾平野の地勢を知らない
将がいない
中心になっている石田三成に人望がなく戦下手で、文治派が集まっている。毛利輝元は優柔不断
法規が保たれていない
命令しても従わず、石田三成に進言を受け入れる器量がない。
君主はどちらが立派な政治を行っているか
豊臣は2度の聚楽第行幸で公儀を預けられた関白を殺し、2度の外征に失敗し、公家の任官妨害を行い、太閤検地で農民を苦しめている
徳川はその穴埋めに奔走していた
将帥はどちらが有能か
徳川家康は歴戦の名将であり、配下の将帥は武断派で実直で優秀な武将が多い。西軍はその逆で讒言を行う佞臣が多い
天の時と地の利はどちらが得ているか
豊臣家の当主が幼少で、太政大臣に政務をまかされた内大臣に脱獄囚の石田三成が謀反をおこし、
地元で戦う東軍にたいして西軍は中国九州からの遠征軍
軍隊はどちらが精強か
三河兵を率い、武断派を率いる東軍のほうが精強
兵卒はどちらが訓練されているか
東軍の方が歴戦のつわもの
西軍は五事七計のすべてにおいて負けている
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