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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11

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0001人間七七四年2018/01/03(水) 00:35:15.74ID:N5T/NvLp
前スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part10
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1512519887/
0233人間七七四年2018/01/09(火) 16:10:47.81ID:nqIXARXe
同感だが講談をベースにできないし
0234人間七七四年2018/01/09(火) 16:21:02.01ID:afUzwTEr
そのネタは真実スレでよろです。
ここは真実追求するスレじゃないし。

てか、小山評定でも問い鉄砲でも反論してる学者はいるんだし、違うと思えば根拠を提示して反論すればいいだけ。
話し方がどうとか胡散臭いはただの人格攻撃。
0235人間七七四年2018/01/09(火) 20:15:49.70ID:/nWFHGoU
長谷堂城自体が1000に満たない兵で守ってたんで
長谷堂の200って城兵のうちの結構な割合ではあったりする

あと上山城の方は普通に野戦に打って出た上で
二手に分けた伏兵使って撃退してる
0236人間七七四年2018/01/09(火) 20:52:03.94ID:dcJkcHxH
>>232
出陣先から国許への手紙なんか、弱気なことや不利なことなんて早々書けないしな。
完全乗り気だった扱いされる武田勝頼の長篠からの手紙なんか良い例だと思うけど。
ただ、>>233の言うとおり、他に参考に出来るモノがなければ話成り立たないからなぁ。
0237人間七七四年2018/01/09(火) 21:11:14.22ID:eOM9aDMV
たしか、長谷堂は1000対1万8000、上山は500対4000だったか
0238人間七七四年2018/01/09(火) 23:41:50.69ID:hlqw2cYH
>>231
だけって言うけど数百単位の首取られるって当時の割合からしたら大損害だぞ
上山城での損害なんて真偽はともかく4000のうち400も首取られたとか全軍潰走に近い大損害
玄人ならそのぐらい知っておけよw
0239人間七七四年2018/01/09(火) 23:46:35.72ID:TgoAaQrg
首取られた数倍の負傷者が出るものだから全滅レベルやな
0240人間七七四年2018/01/09(火) 23:51:05.54ID:D1iEDHMv
>>238
アホはお前だ
夜襲は敵に察知されないように小規模で行うから勝敗が決するような大損害が出るわけがない
両軍合わせて20万規模の戦いの関ヶ原で島津が夜襲してたら勝ってたとぬかすアホ
夜襲が野戦とぬかしてた素人みたいなアホがこのスレにいるのが笑えるってことな(笑)
0241人間七七四年2018/01/09(火) 23:54:17.67ID:sMBoiIZ+
そもそも島津が夜襲を提案した、って話自体、後世の作り話だし
0242人間七七四年2018/01/10(水) 00:12:21.95ID:li6yeKKL
誰も島津の話なんかしてないぞ
0243人間七七四年2018/01/10(水) 00:14:25.70ID:ND8IRPJj
常山紀談か何かが出典だな。
0244人間七七四年2018/01/10(水) 00:34:09.88ID:iofLZArj
野戦か籠城かは軍全体の方針というか戦略。
伏兵や夜襲は局地的な戦術でしょう。

桶狭間の戦いは野戦と思われがちだが織田軍の方針は砦の籠城からの奇襲。
丸根砦や鷲津砦の籠城等を囮にして今川軍の主力の大軍を惹き付けるための時間稼ぎをした。
今川義元は後方に控えてたが織田軍の砦が陥落した報を聞き義元は西進。
西進してる最中に織田軍の奇襲を受け義元は討ち死。
丸根砦や鷲津砦の籠城等で今川軍主力を惹き付けたからこそ奇襲が成功した。
長篠の戦いも最初は寡兵による籠城戦から始まり時間稼ぎに成功した後詰め決戦である。

野戦で寡兵が大軍を討ち破った例は良く出る。
そして寡兵で大軍を破るには野戦しかないという安易な考えが散見される。
しかし、その過程に至るまでに敵大軍がどこで惹き付けられ足止めを食っていたを忘れてはならない。
0245人間七七四年2018/01/10(水) 01:20:50.69ID:I7XcSmqC
>>240
まず普通に城門開けてほぼ全軍で打って出た上山城合戦は言い逃れのしようがない

長谷堂もこの位置関係で春日元忠が襲われて本陣近くまで襲われてんだから普通に野戦やってるだろう
https://i.imgur.com/cPJQTTO.jpg
0246人間七七四年2018/01/10(水) 02:39:27.09ID:Nf+8F0EW
結局のところ上杉が腑甲斐無さ過ぎる
これじゃ関ヶ原が長引いても最上倒すどころか伊達に侵略されてそうだ
まして徳川攻めなどできようはずもない
0247人間七七四年2018/01/10(水) 04:40:44.23ID:1+s7UEuS
ここでね、散々西軍の纏まりの無さってのが揶揄されてて、確かにその通りだけど勝算がまったく
無い程では無いと思うんよね。
良い例がさ、第二次大戦中の連合軍だよ。元来はドイツの復讐を恐れるフランスが背後のポーランドなんかの
東欧諸国とイギリスと組んでる形なんよね。
だから、フランスが崩壊した後は実はイギリスが単独講和する可能性も有った。
本来さ、アメリカとソ連は犬猿の仲だし、アメリカが本気でイギリスを救援するかも疑問だったんよね。
それが一時的にヒトラー打倒で共闘して圧倒的な多数派作ったからね。
この辺はさ、ワルシャワで蜂起起こるとソ連軍がわざと進軍を止めたり纏まりの悪さは結講出てる。

結局、史実の流れは野戦で負けた事より大阪城に籠城せんかった事が重要じゃないだろうか?
0248人間七七四年2018/01/10(水) 06:17:15.81ID:Vi38CJuk
大坂に誰が籠城?
0249人間七七四年2018/01/10(水) 08:43:20.76ID:lyGR6njt
>>247
その無駄に長い例と籠城という結論の繋がりが微塵も分からん
0250人間七七四年2018/01/10(水) 09:33:32.03ID:cPy5AkIx
島津は人数が揃わな過ぎて戦いたくなかったんじゃないか
0251人間七七四年2018/01/10(水) 10:37:57.46ID:7deGOS8I
島津はもともと豊臣の敵で
領地を削られた恨みがあり
関ヶ原においては九州なので西軍に参加したが
進言は受け入れられず墨俣で見捨てられたりでやる気なくすだろう。
家康に誘われていたのにほうれんそう不足で西軍に組み込まれ負け戦に巻き込まれてどうしようもない状態。
0252人間七七四年2018/01/10(水) 10:42:48.68ID:HVIdoS23
>>247
その例でいくと、ポーランド、オランダ、ベルギー、ギリシャ、フランス各軍は
ロンドンに集結してロンドン防衛に全力を挙げましょう、
と言っているようなもの。

たしかに各国軍の戦力は温存されるが、そこから大陸反攻に持っていけるのかと、
一時的にせよ、パリ陥落、ワルシャワ陥落等に各国が同意するのかという部分。
0253人間七七四年2018/01/10(水) 10:54:53.41ID:v7L/PxPN
島津はしかも義久が中央に介入したがらない

結果的に本領安堵だから正しかったと言えなくもない
0254人間七七四年2018/01/10(水) 11:43:11.46ID:7deGOS8I
あの状況で島津は、もう西軍も豊臣もどうでもいい
いかにして島津の武の矜持を保つかを考えていたのだろうね
なんで西軍に参加したんだ俺は。心は東軍にあるのにって感じだったろう。
けど裏切りも逃走も鬼島津の矜持がゆるさないって
0255人間七七四年2018/01/10(水) 13:04:17.48ID:v7L/PxPN
義弘は島津の国策として中央介入論だったのだろう
0256人間七七四年2018/01/10(水) 16:00:22.97ID:x0tdavBB
秀吉が死んだ時点で、豊臣はおしまい、二番手の徳川が権力継承っていうことで
問題ないはずなのに、よくもまあ、あれだけややこしいことしたなというか、結局、
単なる後継者争いということでいいよね、関ヶ原。
家康の順当な継承に、居場所がなくなりそうで焦った石田が、徳川継承が気に入らない、上杉、
毛利、宇喜多をそそのかして喧嘩しただけだよな。

といってしまえば、話は終わっていしまうんだが、教科書ではその程度の評価でしか
表現していないし、歴史学的にも、端的に言ってしまえば、そうなっちゃうよね。

細かい戦術、戦略、ましてや戦地についてこだわってもなあと、思ってしまうわな。
0257人間七七四年2018/01/10(水) 16:05:16.31ID:x0tdavBB
つまりは、五大老プラス秀頼を盾にした石田の六者間での継承者争いでどう?
西軍が勝利していても、確実に、毛利、宇喜多、上杉、前田、石田間で戦争が長引いていた
可能性は100%だね。
0258人間七七四年2018/01/10(水) 16:07:22.96ID:x0tdavBB
石田は、秀頼を利用して権力維持をしようとしてたんでしょ。
徳川時代でいえば大老職。
事実上の石田政権だわな。それを狙っていた。
でしょ。
0259人間七七四年2018/01/10(水) 16:11:15.08ID:x0tdavBB
で、徳川が勝利したのは、戦術戦略石高もあるが、

やる気だと思うよ。やる気。

そういう意味では、関ヶ原ってプロレスというか茶番だったんだよ。実際は。
きれいにいえば、儀式。
0260人間七七四年2018/01/10(水) 16:11:15.27ID:x0tdavBB
で、徳川が勝利したのは、戦術戦略石高もあるが、

やる気だと思うよ。やる気。

そういう意味では、関ヶ原ってプロレスというか茶番だったんだよ。実際は。
きれいにいえば、儀式。
0261人間七七四年2018/01/10(水) 22:20:05.32ID:XMoVMHDu
>>256
正しくは、前田利家の病没後。
0262人間七七四年2018/01/10(水) 22:23:49.74ID:c+tdDgO/
前田利家も過大評価され過ぎ
0263人間七七四年2018/01/10(水) 23:11:15.61ID:dL0PHSS6
前田利家なんて対立したあとすぐ怖くなって家康の所に謝りに行ってるやん
0264人間七七四年2018/01/10(水) 23:12:27.51ID:MVTMIuJv
五大老での勝負なわけで、とにかく。
石田は論外。
で、徳川以外の大老は力不足。
徳川に100%決まりの状況で、まあ、騒いだわな。
家康も、俺しかいねえだろうに、しょうがねえな、相手してやるかあ??
だったわけで。
0265人間七七四年2018/01/10(水) 23:14:42.11ID:MVTMIuJv
福島らも、恩知らずというよりは、
早々に家康に権力委譲した方がよかっべでしょ、が本音。石田が騒ぎ過ぎたね。
0266人間七七四年2018/01/10(水) 23:17:44.03ID:MVTMIuJv
関ヶ原って、相当に単純明快な出来事であって、なんら複雑ではない。
後世の人間が面白おかしく作話した。

まあ、それもいいんじゃね。
0267人間七七四年2018/01/11(木) 00:19:44.79ID:9zKY6FKL
>>262
利家本人の実力がどうとかじゃなくて秀吉の遺言内容で政権運営を家康、豊臣家の運営を利家って指名してたから無視するわけにはいかんのだ
0268人間七七四年2018/01/11(木) 02:35:05.31ID:sLHcgmGC
>>267
普通は、傅役って野心さえ有れば一番近い位置だもんね。
トルコ系の王朝で、アター.ベク「当主が幼少の時に、生母と結婚して後見人兼義父に」って役職有るけど
利家ってそれに近い立場だよね。
家康は飽く迄外様勢力で最大の潜在敵国扱いだと思うなあ?それを封じる役目が前田だと思うし。
利家に野心有るなら乗っ取って良いよぐらいの感じなんでは?
色々言われるけどさ、其れなりに友情に厚い人って評価だし。
0269人間七七四年2018/01/11(木) 07:38:56.29ID:QMXJb/r4
そんなに徳川は余裕じゃねーぞ。上方勢10万って聞いたら言葉を失ったと言うし
関ヶ原の最中でも、金吾が裏切るまではかなり焦っていた。
更に言えば、家康は秀忠の3万8000を関ヶ原に遅参させるという大失策をしている。
0270人間七七四年2018/01/11(木) 09:44:24.52ID:h12/bJu0
関ヶ原の構図は
盆地の真ん中で豊臣恩顧が東西5万ずつならんでドンパチして
その背後に家康の3万が控えて
家康の後ろで東軍2万が東軍3万を牽制している構図だし
さらにドンパチしている5万のうち1万5千は裏切り予定で、
実質戦っているのは東軍5万に西軍3万5000で、家康は勝てるいくさだったよ
0271人間七七四年2018/01/11(木) 09:49:18.98ID:h12/bJu0
つまり豊臣恩顧同士でこう着状態のなか、
家康への敵意を見せれば
南宮山の毛利は5万の兵をけしかけられ
松尾山の小早川は家康本軍3万をけしかけられる構図。
0272人間七七四年2018/01/11(木) 14:58:49.37ID:31s5YyQd
どちらかって言うと岐阜城落として勝確ムードの東軍に家康があわてて追い付いた様だよな
天下分け目のタイトルとは裏腹に、実態は消化試合に近いありさま
0273人間七七四年2018/01/11(木) 15:22:51.51ID:g1EzgIS7
石田三成が権力維持しようとするならば、今少し小利口に動くだろう。
真面目に豊臣恩顧を確信してないとあんな動きにはならん。
0274人間七七四年2018/01/11(木) 17:28:27.46ID:xojXJYSK
>>268
家康がむしろそうなのだが
あまり信憑性は低いが、淀殿との婚姻の話があったとされる
そうでなくとも、秀吉の遺言で秀頼と千姫の婚姻が決められているし
0275人間七七四年2018/01/11(木) 19:09:42.68ID:31s5YyQd
>>273
豊臣恩顧なんてものを本気で信じてるんなら人質なんかとらんよ
0276人間七七四年2018/01/12(金) 02:24:41.62ID:ujhfYgzi
>>275
信じるのと人質はちゃんと区別するだろ。
別に平和主義者じゃないんだからw
0277人間七七四年2018/01/12(金) 18:39:36.24ID:oyuHbARO
>>276
「真面目に豊臣恩顧を確信して…」というからこう応えたんだが、なんで草を生やすんだね、きみ?
確信してるような人間は他人が裏切ったり日よったりするようなことは思いもせんよ。常人じゃないからな
三成は主観的に自分の忠誠心は信じていたかもしれないが、他人のそれなんか信用しているものかね
0278人間七七四年2018/01/12(金) 19:08:05.11ID:AZP7hi1h
結局は岐阜城落とされて木曽川越えられ、関ヶ原〜佐和山ルート作られて
家康本隊に木曽川渡河されて関ヶ原に向かった時点でもう何をやっても勝てない状態なんだよな
0279人間七七四年2018/01/12(金) 21:02:16.22ID:Gwfs8paC
>>278
9月14日以降は西軍が勝てる見込みはかなり薄いと思われる。
毛利の不戦密約と松尾山を占拠した小早川秀秋が大きく影響する。

かろうじて可能性がありそうなのは9月14日に東軍の赤坂陣に大垣の3万で
やけくそのバクチ夜襲くらいしか思いつかない。
それもおそらく家康には竹中重門の菩提山城に逃げられる可能性が高いように思う。

大垣籠城を継続しても秀忠に到着されて戦力差がもうどうにもならない。
よくても西軍に不利な和睦くらいだと思う。
0280人間七七四年2018/01/12(金) 21:03:31.45ID:4/4nFpT9
そして爪を噛む
0281人間七七四年2018/01/12(金) 21:21:01.75ID:vF9ISzr6
和睦するぐらいなら罠に嵌めない

和睦するなら三成斬首や主要メンバーの取り潰し
0282人間七七四年2018/01/12(金) 22:15:08.05ID:2EJ3e90G
三成も若いんだから、家康の寿命がくるまでまてなかったのかな
健康と食事にきおつけて65まで生きたとすると、20年以上、家康の寿命がきてから
10年は活動できる
0283人間七七四年2018/01/12(金) 23:14:17.24ID:Gwfs8paC
>>282
福島正則みたいになにもできない状況に追い込まれるだけだと思うが。
0284人間七七四年2018/01/13(土) 00:17:33.30ID:sTnx64Hr
>>283
俺もそう思う。だから西軍を起こすしかなかったのは理解出来るんだが
大阪に居る時から、わざと長期戦の構えを見せて短期決戦を望む家康を
焦らせるべきだったと思うな。
0285人間七七四年2018/01/13(土) 00:20:21.45ID:sTnx64Hr
東軍は徳川の7万って云う不動の戦力があるのに対して
西軍は寄り合い所帯だ。

そんなので急に軍を起こして、まとまりもないうちに大々的な決戦は
ちょっと無理がありすぎる。

実際にどうするかは置いておいて西軍は長期戦と見せ掛ける必要があったと思う。
0286人間七七四年2018/01/13(土) 00:55:11.20ID:CBbbfNLp
>>283
家康って、意外と勝負所では博奕打つ人だよね、だから大人しくしても強引に大阪攻めまでは確実に
やると思うな。
大体さ、早くから徳川派閥だった浅野も脅されて徳川領内で隠居じゃん。細川も本来の嫡男が後を
継げなくなったりしてるしさ。
何も出来なく成るまで強引でも力削ぐのが家康のやり方って思う。
まあ、元来は加賀征伐の時の挙兵するつもりだったんやろね。
0287人間七七四年2018/01/13(土) 01:13:02.20ID:04tZ59TU
三成も政治的に追い出されてから挙兵だから長期戦と言われてもねえ
0288人間七七四年2018/01/13(土) 01:21:27.40ID:uwxduXvI
当初の構想だと瓦解した会津征伐軍を吸収して徳川攻めは翌年以降だから長期戦だろ
思惑通りに行かなかっただけで
0289人間七七四年2018/01/13(土) 01:58:16.22ID:sTnx64Hr
嘘でもいいんだよ。内府は歳だから10年かけて死ぬまで待つつもりだとか
公言してれば流言で広がるだろ?家康は相当慌てると思うぞ。
焦った家康が失策するのを待つ。東軍の連中もそれは困る!!ってなるだろ。
0290人間七七四年2018/01/13(土) 02:16:28.38ID:04tZ59TU
>>289
政治的に追い出されてから何十年待ったって無意味だろ
0291人間七七四年2018/01/13(土) 03:38:17.49ID:sTnx64Hr
>>290
はい?挙兵して大阪にいる間の話しだぞ?
0292人間七七四年2018/01/13(土) 05:14:33.75ID:wxuxYpP7
>>289
無理じゃないかな
本質的に烏合の衆に過ぎない西軍の事情を家康に把握されてしまっているから、東軍以上に西軍が長期戦が厳しく、ハッタリに過ぎないことを見抜かれてしまう
0293人間七七四年2018/01/13(土) 05:21:05.07ID:sTnx64Hr
>>292
確かに難しいんだけどね。ただ徳川軍は兵糧にも事欠いている。
この事実があるし、神経質な家康の心理状態を考えると
色々悩ませる効果があると思うよ。

戦争は諜報戦も大事じゃないか。
0294人間七七四年2018/01/13(土) 07:23:02.35ID:hGJFYmfd
>>277
行動を起こしてから、あれ、恩顧統制きかね?みんなあれほど世話になってんのに
からの人質やで。
0295人間七七四年2018/01/13(土) 08:54:08.00ID:NL549GeJ
>>293
東軍は豊臣から兵糧と軍資金をたっぷり貰っているし、東海道の城を押さえて備蓄食料も手にしているから兵糧には困っていないよ
むしろ豊臣から兵糧と軍資金が貰えなかった西軍の方が兵糧に困っていた
いくら諜報戦を仕掛けても西軍に兵糧がないことを西軍大名には隠しようがないのだから
東軍が関ヶ原に着く頃には西軍の大半が戦意喪失していたのも当然だろう
0296人間七七四年2018/01/13(土) 10:06:07.79ID:kxdu1NAg
証人なんて平時でも当たり前にやりとりされてたもんであって
三成があれほど拒絶されたのは西軍には公儀はなくただのクーデターだと
当時から見做されてた証拠そのものやで

最初から終わってた三成
0297人間七七四年2018/01/13(土) 10:29:21.81ID:hGJFYmfd
>>296
クーデターだからってのは、ありえんのでは?
そこまで大義がハッキリするのであれば、ここまで軍がわれんでしょう。
中心大名の格の差と日ごろの確執でしょう、やっぱり。
毛利さんの気合の問題かもしれませんが。
神輿が優柔不断で終わった所まで含めて、首謀者石田三成の徳(性格)の問題な気がしますね。
0298人間七七四年2018/01/13(土) 10:34:11.91ID:753GnVFL
証人?

尋問か
0299人間七七四年2018/01/13(土) 12:18:41.19ID:aSFkd8eE
証人の意味を知らずに煽るバカ
0300人間七七四年2018/01/13(土) 14:21:55.88ID:3fhHYq51
>>294
そんなわけないだろ…
石田が挙兵したのは7/13〜5くらいで人質を抑え出したのは遅くとも7/17
東軍に石田挙兵の報が噂レベルでも届いたのは早くても7/19
時系列的にどう考えても石田は豊臣恩顧の動きを確認する前から人質を取る動きをしてる
0301人間七七四年2018/01/13(土) 14:24:56.92ID:LJcE2K83
>>279
夜襲なんて相手に察知されないように少数で行い
成功しても相手の被害も少数
相手を攪乱するものだから博打にすらならないよw
0302人間七七四年2018/01/13(土) 16:26:59.53ID:l2ZWA051
>>301
東アジアには、一個師団で夜襲をした国があるらしい
0303人間七七四年2018/01/13(土) 17:51:26.37ID:LJcE2K83
>>302
文明も違う時代の例を上げて何かあるのか?
0304人間七七四年2018/01/13(土) 18:13:40.31ID:7kXAATAr
日本人が元々夜襲好きな傾向がある気はする
0305人間七七四年2018/01/13(土) 18:14:31.07ID:MHm6GE06
夜這いこと夜の男女合戦か
0306人間七七四年2018/01/13(土) 18:49:27.87ID:Ilk2TWNn
>>304
地形的に奇襲が仕掛けやすいってだけじゃね。
0307人間七七四年2018/01/13(土) 19:03:41.03ID:l2ZWA051
>>306
見通しの良いガダルカナルでも、
艦砲が待ち構えるパラオでもやったし
0308人間七七四年2018/01/13(土) 20:16:57.66ID:LJcE2K83
近代の話を戦国時代〜江戸初期に当てはめようアホは何なのか
0309人間七七四年2018/01/13(土) 20:24:58.86ID:Bor5ysno
アホなんだろ
0310人間七七四年2018/01/13(土) 22:52:25.98ID:Ilk2TWNn
せやな。
0311人間七七四年2018/01/14(日) 00:02:25.30ID:pI1lhG7m
>>300
挙兵しようぜって誘ってる時に、流石に気づくだろ。
なんで、挙兵してからじゃねーとわかんねーんだよ
0312人間七七四年2018/01/14(日) 01:10:00.09ID:7y7BQ0uG
>>311
みんな人質逃がす工夫をしてるってのになwww
徳川に付いてった奴は必然的に敵に廻るのは自明の理だろうに
0313人間七七四年2018/01/14(日) 02:36:21.53ID:ZtZkR5Xk
>>311
石田が挙兵を誘ってるわけないじゃん
そもそもなんで石田が佐和山に隠居させられる羽目になったのかすら覚えてないのか?
0314人間七七四年2018/01/14(日) 02:51:21.20ID:7y7BQ0uG
>>313
敵味方の区別くらい付けるだろ。
小学生みたいな問いをかけるな。
0315人間七七四年2018/01/14(日) 06:33:15.61ID:ZtZkR5Xk
>>314
敵味方の区別をつける=挙兵を誘うってどんだけ短絡的な思考なんだ
幼稚園児みたいな戯言を言うな
0316人間七七四年2018/01/14(日) 07:00:13.79ID:pI1lhG7m
>>315
敵味方の区別(安心して参画させられる味方を探す)をつけたらいかんのか?
0317人間七七四年2018/01/14(日) 11:15:15.88ID:RUbf7rta
豊臣三奉行(内府ちかひの条々・人質請求・伏見城攻め等々の主犯)
にまんまと騙された家康さんが小学生並みだって?


そして今なお北政所に騙され続けてる我らが歴ヲタ
0318人間七七四年2018/01/14(日) 11:50:54.19ID:zT2uV4Hv
三成に限らず奉行は完全に腐りきっているからな
官僚がここまで悪質な奸臣ばかりというのは歴史上でも豊臣くらいだよ
0319人間七七四年2018/01/14(日) 13:39:56.32ID:B7+Jox8A
まるで恨みでもあるかのような言い方w
0320人間七七四年2018/01/14(日) 15:13:29.73ID:6DnIWDJe
秀吉が織田家の悪質な奸臣だったから
0321人間七七四年2018/01/14(日) 15:41:37.36ID:ZtZkR5Xk
>>316
とうとう文章すら読めなくなったか
敵味方の区別をつけることと挙兵に誘うという行為はイコールじゃないぞって話をしてるのになぜ敵味方の区別のほうに疑問符がつくのかちょっと理解が追いつかない
0322人間七七四年2018/01/14(日) 16:11:26.08ID:pI1lhG7m
>>321
みんな自分のように豊臣恩顧じゃねーんだなと悟には十分なのでは?
0323人間七七四年2018/01/14(日) 16:30:56.52ID:cHJqgLAg
>>301
3万で夜襲は無理かな?味方も同士討ち覚悟くらいのバクチだけど、
河越夜戦の再現狙い。おそらく勝った負けたではなく双方大損害ってかんじになるかなと。
結果は朝明るくなってみないとわからない、みたいな。

でも9月14日以降ではそれくらいしか思い浮かばない、というか大坂まで下がって籠城して
西軍に不利な和睦、くらいにしかならないと思う。兵力差が如何ともしがたい。

するとやはり8月中になんとかするしかない→岐阜城をなんとかするしかない、となる。
0324人間七七四年2018/01/14(日) 19:46:02.65ID:D8IRVtrt
>>302で上で1個師団の大部隊が夜襲したって話はたぶん日露戦争かな?
戦国期の火縄銃は前装式だから銃口を手元に向けて弾込めの作業をし、弾や火薬を槊杖で銃口の奥深くに押し固める作業がある。
また命中率と有効射程も悪いから近付かないといけない上に火種が必要だから暗闇で大軍でやるとバレやすい。
結局は白兵戦しなければならないから同士討ちになるし大軍だと行軍や甲冑の音等てバレやすい。

日露戦争の銃は後装式ボルトアクションで発射した姿勢を崩さず手元で弾込めが可能である。
そして有効射程も命中率も比較にならないほど良くなっているから一定の距離からの敵部隊の囲い混み射撃できた。
同士討ちもないから大部隊の奇襲運用ができただけ。

大部隊で奇襲できたのは兵器の質と戦術が全く違う時代の話だからだよね。
0325人間七七四年2018/01/14(日) 20:02:56.52ID:D8IRVtrt
夜襲は数百人から千人規模だけど、夜間に行軍し明るくなったと同時に奇襲する朝駆けという物もある。
戦国期の火縄銃は前装式だから銃口を手元に向けて弾込めの作業をし、弾や火薬を槊杖で銃口の奥深くに押し固める作業がある。
暗闇では作業しにくいことから朝駆けのが火縄銃使えたり五千人の規模で奇襲できてた例もある。
夜襲に拘りすぎかと。
0326人間七七四年2018/01/14(日) 20:44:05.80ID:BO2YcREW
>>323
奇襲や夜襲って数もだけど
いかに地の利を活かすかが何より重要な事だと思う
岐阜を何も知らん西軍が岐阜を知り尽くしてる東軍先発隊に夜襲はかなり無謀かと
夜襲のつもりが全部筒抜けにされて包囲されて壊滅の可能性の方が高いかと
0327人間七七四年2018/01/14(日) 20:50:35.04ID:SI1xqgaF
夜襲は有効だと思う

ただし東軍の方が戦術的に強いから
油断等がないと戦果があがらん

とは言え正面から戦ってもダメだったのでなんとも

尤も夜襲で損害が出た場合
夜襲をしなければ勝てた論が出て来るがwやむなし
0328人間七七四年2018/01/15(月) 01:15:17.30ID:6bWUj3n9
人生はリベンジマッチ
https://youtu.be/BXanBVhXCBY
0329人間七七四年2018/01/15(月) 02:06:55.27ID:IuzS3w2K
>>325
この赤坂陣への夜襲は敵部隊の撃滅が目的ではなく、運よく家康が討ち取れるかが目的。
その前提として敵味方含めた大混戦状態に持ち込むこと。
なので、敵味方識別が可能な朝駆けではだめだし、
貴重な鉄砲衆は攻撃には参加させない。西軍大将クラスも前線には出ない。
3万で6〜7万を破るのは9月14日時点ではもう無理だと思う。
完全なるバクチです。

>>326
無謀だと思いますよ。損害も大きいと思います。だからバクチです。どうせ赤坂陣はかがり火焚いてるだろうから
それを目標に攻撃配置に付くのは容易だと思います。
夜間では鉄砲の防御射撃もそう当たらんでしょうから取りついて突入まではうまくいくと思います。
あとは運です。
0330人間七七四年2018/01/15(月) 02:44:25.53ID:s5cwA+NW
>>329
もう少し何か計画的な夜襲ならともかく、そんな捨て鉢じゃ
間違いなく事前に看破されて一網打尽にされるだけだよ、バクチにもなってない
地の利は完全に相手にあって住んでる農民も敵みたいなもんな訳で
0331人間七七四年2018/01/15(月) 04:25:07.74ID:aNrxfhZ0
それでも本戦の惨状を見ると、このヤケクソのバクチ夜襲の方がいくらかマシかもしれんとは思う
勝てはせんだろうけどね
上杉討伐軍が瓦解しなかったこと
伏見城で粘られたこと
岐阜城があっけなく陥落したこと
この3つでもうアウトだから、ここからまともな方法で逆転は不可能だよ
0332人間七七四年2018/01/15(月) 07:35:55.12ID:zPN9ErsM
>>329
なぜ夜襲は少数かと言うと訓練された精鋭のみで夜襲するから成功するわけで
3万近くの軍勢だと雑兵が半分近く混じる状態だから
命が欲しい雑兵はまともに突撃するわけがなく
統率も取れなく奇襲がバレて失敗するという落ちにしかならない
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