ひとつわかったこと。
詳細はよくわからないが、秀忠、秀康が8月20日頃まで、7月下旬から約1か月近く
宇都宮周辺で野戦築城をしていた模様。
1か月という期間は尋常ではなく(毛利の兵約1〜3万で瀬田陣地構築終了が約10日)
秀忠、秀康ほかの兵約55000で1か月となると、相当念入りに防御陣地の構築を行ったものと考えられる。

おそらく小牧・長久手時の戦訓を取り入れて、のものだろうが、
秀忠西上後、宇都宮は秀康ほか約17000しかいないが、
仮に上杉が最上打倒後、南下しても宇都宮を攻略することは不可能と思われる。

可能性としては三方が原や9月14日東軍関ヶ原進出の噂伝播のように
何かしらの方法で宇都宮から秀康らを引きずり出して野戦に及ぶか
宇都宮は無視して関東乱入しかなさそう。