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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11

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0001人間七七四年2018/01/03(水) 00:35:15.74ID:N5T/NvLp
前スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part10
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1512519887/
0002人間七七四年2018/01/03(水) 00:35:47.51ID:N5T/NvLp
史実時系列表

8月1日 西軍伏見城攻略
8月2日 前田勢大聖寺城攻略
8月3日 大谷ら約6000敦賀着陣
8月5日 家康江戸入城
8月8日 前田勢約25000大谷らの流言飛語に掛かり金沢へ引き返す
8月10日 石田、小西大垣到着
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着
8月17日 伊勢方面攻略隊より小早川秀秋勝手に行軍より離脱、病と称し近江を放浪
8月20日 島津義弘大垣到着
8月22日 東軍先発諸将木曽川渡河、織田秀信迎撃失敗岐阜へ敗走
同日   島津義弘墨俣の守備に就く
8月23日 東軍岐阜城攻略
8月24日 西軍鍋島ら伊勢松阪城攻略
同日   東軍先発諸将赤坂に布陣
同日   秀忠宇都宮城を出陣
8月25日 西軍毛利秀元ら伊勢安濃津城攻略
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城
9月1日 岐阜城落城の報告を受け家康は江戸から出陣
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣
9月3日 犬山城開城。石川貞清ら一部を除いてほとんどが東軍につく
同日   西軍の北陸方面守備担当京極高次が大津城に帰城、東軍方として
      兵3000で籠城する
      付近にいた毛利元康、立花、筑紫ら約1万5千がこれを攻める
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城
9月上旬 鍋島勝茂南宮山へ向かう西軍主力から離脱、伊勢美濃国境付近に留まる
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣
9月7日頃 小早川秀秋佐和山付近をうろつく
9月8日 家康が西上したことにより上杉軍が最上領へ侵攻
9月9日 大久保忠益が秀忠の元に到着、即日上田攻めを中止
9月10日 秀忠西上開始。家康、熱田到着。
9月11日 前田利長再び金沢出陣(今回は利政抜き)
同日   家康清洲入城
9月13日 西軍小野木ら約15000、丹後田辺城を開城する
9月14日 家康赤坂着陣。秀忠信濃本山(塩尻の少し南)到着
同日  小早川秀秋、伊藤盛正追い出して松尾山占拠
同日  西軍毛利元康ら15000、大津城攻略
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着
9月18日 東軍前田利長小松城を開城させる
9月19日 東軍前田利長北ノ庄城を包囲
9月20日 家康大津入城、秀忠大津に到着

作戦練る際の参考に。あと訂正等あればよろ。
0003人間七七四年2018/01/03(水) 00:36:19.06ID:N5T/NvLp
8月22日木曽川渡河美濃侵攻時の東軍陣容(兵数は福島覚書準拠)

上流渡河組:池田6500、浅野5000、堀尾4000、山内2600、有馬豊氏2200、松下重綱1000、
        一柳直盛ら計21300〜22000

下流渡河組:福島6500、黒田1300、加藤1600、細川2000、田中4000、藤堂1500、筒井1000、
        京極1500、本多俊政、生駒一正、松倉重政、神保相茂ら計20000〜22000

下流渡河組の後続として本多忠勝、井伊直政。

犬山城の抑えとして中村一氏代理の中村一栄ら3000〜4000

清洲城守備:石川康通、松平家清、奥平貞治、(松平忠吉)ら5000〜8000くらい?

これとは別で徳永寿昌、市橋長勝らが8月中旬頃より木曽川方面の西軍諸城攻略して暴れてる。


あと木曽川渡河後は大垣城からの後詰阻止隊として黒田、藤堂、田中の陣容。


東軍先発隊が35000だとすると実際はこんなもんでしょうか。

上流渡河池田隊:15000 下流渡河福島隊:14000
犬山城抑え:3000 清洲城守備:3000
0004人間七七四年2018/01/03(水) 00:38:12.51ID:N5T/NvLp
美濃・尾張方面東軍西軍兵力集結状況

8月10日 石田、小西大垣到着(6700、5000)
8月14日 東軍先発諸将3万数千清洲到着(35000)
8月20日 島津義弘大垣到着(1000)
8月27日 宇喜多秀家、長島城攻略を止め大垣入城(18000)
9月2日 大谷ら関ヶ原山中村着陣(9600)
9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)
9月7日 毛利秀元、吉川ら毛利勢南宮山着陣(約2万?)
9月11日 家康清洲入城(33000?)
9月17日 秀忠妻籠(信濃美濃国境付近)到着(38000)
0005人間七七四年2018/01/03(水) 00:39:03.41ID:N5T/NvLp
ちなみに「9月3〜5日頃 相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら大垣入城(4000〜7000?)」

これは8月下旬以降、垂井〜赤坂を東軍に押さえられているため、
近江伊勢の白瀬峠を越えて大垣南方から入城という遠回りをしているようで、
岐阜城が粘って東軍が垂井を押さえていないのなら2〜3日は到着が早くなる。
0006人間七七四年2018/01/03(水) 00:40:42.08ID:N5T/NvLp
岐阜城後詰決戦の叩き台のプラン。
これを修正、補強していけばいいかんじのものができそうに思います。
以下コピペ。

403 返信:人間七七四年[] 投稿日:2017/11/11(土) 21:01:03.29 ID:0UWAuM7R
>>374
長篠の合戦を例とすると長篠に武田の大軍が迫り寡兵だった長篠城はありとあらゆる通路を瓦礫で塞ぎ籠城して火縄で応戦。
そして籠城で時間稼ぎに成功して織田・徳川連合は設楽に到着。
織田・徳川連合はすぐには長篠城へは向かわず武田軍からは大軍だと見えないように丘陵地に兵を伏せ野戦築城。
そして夜間に別動隊を進軍させ夜明けと同時に奇襲して武田軍を翻弄。
痺れを切らした武田軍は織田・徳川連合本隊のいる設楽に進軍。
そして武田軍は大敗。

これを岐阜城で再現するには岐阜城で籠城させ時間稼ぎをして大垣城などから別動隊を編成して夜襲などを行い撹乱。
宇喜多や伊勢方面軍が到着したら岐阜城に向かい石田三成を使って三成を毛嫌いしている福島正則らを挑発。
岐阜城を囲う軍団と宇喜多石田軍に進軍してくる軍団に別れたら数の優位は西軍になるので迎撃。
部隊を分けずに動じなかったら岐阜城部隊と挟み撃ちにする。

そして東軍先鋒隊にもし勝つことができたなら東軍先鋒隊は退却することになる。
しかし木曽川を渡っているために渡河できる退路に東軍が殺到することになり大混乱。
甲冑来たまま深い河に入りまともに退却できなくなったり兵糧弾薬武具を脱ぎ捨てて泳いで逃げれば再軍備に時間がかかるようになる。
東軍に渡河させるのがデメリットじゃなく一網打尽にする千載一遇のチャンスにできる可能性がある。
そして東軍先鋒さえ壊滅させることができたなら徳川家康は江戸から出ることができなくなる。
岐阜城の合戦が西軍が勝つ最初で最後のチャンスだろう。
0007人間七七四年2018/01/03(水) 00:41:53.49ID:N5T/NvLp
504 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/20(水) 15:11:55.58 ID:/2Im8vnF [1/3]
史実での岐阜城は黒田、藤堂、田中の大垣からの後詰阻止隊を抜いたとして、
東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。

これを島津義弘1000を加え、7000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対7000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。
0008人間七七四年2018/01/03(水) 00:43:16.19ID:N5T/NvLp
798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 15:21:52.18 ID:aAd9kU2e [2/6]
それから8月19日付井伊直政、本多忠勝宛黒田長政、徳永寿昌、奥平貞治連署状からは
村越茂助の件もあってか木曽川渡河は成功しようが失敗しようが損害が多かろうが
相当の覚悟で敢行するつもりのよう。
木曽川渡河美濃進攻を「天下之勝負」と捉えているみたい。
なので、多少の戦力差(目安としては1.5倍くらいまでか?)なら後詰決戦に応じる可能性は
けっこうあるように思える。
もちろん合理的判断で清洲に撤退する可能性もある。五分五分と見る。

438 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/19(火) 14:11:49.52 ID:KJmLICXK [1/3]
上のほうで東軍先鋒が大坂や大垣城より援軍来たら退くって言ってる人いるが

徳川家康文書の研究 中巻 8月22日付文書によると
井伊直政と本多忠勝の戦況報告では竹ヶ鼻城を落とし、
明日岐阜城を包囲して攻撃する予定であること、
来ないと思われるが万一大坂から後詰が来た場合は先にその援軍を抑えて大垣城を攻撃すると家康に送っている


もし大坂方から後詰が出たならば、岐阜は押し置き、まずは後詰の軍を食い止めて
大垣城に付け入って乗り崩す。
これも諸将は評議で一決した。

※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法

とある

岐阜城後詰め決戦は発生するよ
岐阜城は付け入り戦法されたからすぐ落ちた
0009人間七七四年2018/01/03(水) 00:44:15.85ID:N5T/NvLp
703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/22(金) 13:14:03.72 ID:jiua8RjV [14/17]
岐阜城が落ちず秀信軍が無傷で健在
墨俣付け城も27日の宇喜多到着で攻めに転じることができるので付け城阻止
9月2日の大谷吉継ら到着で完全に上回ることができるので
木曽川の西から東軍を駆逐でき木曽川を挟んでの大軍による渡河防衛が完全に機能し
関ヶ原でのぶつかり合いが木曽川になり
大軍通しの戦いでも関ヶ原と違い渡河防衛では渡河部隊との少数の戦いになるから完全に膠着
後は大津城を降した名将の立花宗茂らも合流

膠着になると上杉が最上を降しフリーになり野心ギラギラの伊達もどうなるか…
0010人間七七四年2018/01/03(水) 00:45:29.51ID:N5T/NvLp
810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 22:35:55.59 ID:aAd9kU2e [5/6]
それと木曽川挟んでの膠着状態になった場合、東軍はおそらく犬山城を狙ってくる。
西軍はすみやかに伊木山、鵜沼を占拠し野戦築城、犬山城にも援軍送って増強するべき。
対秀忠でおそらく最前線になる。
伊木山に毛利秀元&吉川広家、鵜沼に小西あたり配置するといいかも。

個人的には家康、秀忠が来る前に和睦するのを強く推したい。

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/12/24(日) 23:24:51.03 ID:aAd9kU2e [6/6]
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着後西軍のなすべきことは木曽川渡河迎撃と秀忠迎撃。
正直兵力が足りない。
対前田は以前にも述べたように田辺城組を敦賀に5000、北ノ庄に1万ほど援軍派遣すればいいと思う。
前田利長は利政抜きでおそらく兵18000〜2万(丹羽3000を付け加えるなら21000〜23000)と思われるので、
北ノ庄の16000〜17000、敦賀5000で抑えられると思われる。
この情勢なら双方とも積極攻勢はしないと思われる。
おそらく北ノ庄で対陣。

大津組の立花、筑紫、小早川秀包計5000は美濃方面に向かうと思われるが
毛利元康はわからない。この情勢なら輝元、元康は美濃に出陣すべきだと思うが。
小早川秀秋の動向はまったくわからない。

輝元、元康美濃出陣ならなんとか兵力は足りる。


>>811
関係ないなんてだれか言ったの? 野戦ほどの影響はない、って言ってるひとはいるけど。
籠城の場合、城自体の防御能力、守備兵の多寡、指揮官の能力、この順で影響すると思うが。
城の縄張り図見て理解できないなら武将じゃない。農民一揆。
0011人間七七四年2018/01/03(水) 00:48:47.23ID:N5T/NvLp
前スレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、島津義弘1000、計7000
大垣城:石田6000、小西5000、計11000

8月27日に宇喜多が大垣到着、9月7日毛利秀元、吉川、長曾我部ら伊勢方面隊南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>10

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か
0012人間七七四年2018/01/03(水) 00:51:02.17ID:N5T/NvLp
史実時系列の7月分については16行程度にまとめるか、別レスとしてください。
1レスには60行までしか入りません。
0013人間七七四年2018/01/03(水) 07:29:48.43ID:wM/2Xrrq
http://ime.pta.jp/d/Ei49qm.jpg
http://ime.pta.jp/d/qUWePk.jpg
http://file.sengokumap.blog.shinobi.jp/1600.jpg

前スレの地図
頭の中に地図を思い浮かべながら考えましょう

脱獄囚石田三成率いる賊軍が、
帝に見送られて送り出された内大臣率いる官軍に勝てるのか

太政大臣の遺言で政務をまかされ、関白大臣が欠員のなか政務を行っていた内大臣に
謀反をおこした西軍は勝てるのか


まぁ無理だと思いますけど

大義もなければ掲げる秀頼は幼少でタイミングも悪く、西軍の武将は一部をのぞいて低能で、
中国からの遠征軍で地の利もない。命令されても従わず、軍規が保たれていない。
内部から崩され裏切り者が続出しているのが西軍

勝てませんね
0014人間七七四年2018/01/03(水) 07:34:04.89ID:wM/2Xrrq
http://ime.pta.jp/d/JgJxgg.jpg

この地図も
0015人間七七四年2018/01/03(水) 07:59:58.75ID:wM/2Xrrq
北東に寄りすぎている岐阜城への篭城案も
けっきょく織田秀信を島津義弘の言いなりの人形にするという前提でなりたっている上に
攻められれば落ちるという歴史しかない城で
西軍を分断して戦略的価値のない岐阜城に篭城して遊兵化することに意味はあるのか
ちょっと疑問ですね。

直線距離15kmの距離は近いようでいて遠い。道なりなら20kmくらいは見積もるべきか
15kmは花火の音も聞こえないし喚声も聞こえない。助けに行こうとしてもちょっと遠い。
岐阜城に意味はない
0016人間七七四年2018/01/03(水) 08:02:17.36ID:jc33EyYf
岐阜城がどうしてもイヤなら
秀信大垣籠城

家康が出陣するので
岐阜城のが成算が高いが
0017人間七七四年2018/01/03(水) 08:14:14.53ID:wM/2Xrrq
秀信は家臣の豊臣に尾張や美濃など、織田家領地の大部分を横領されて奪われた人間だよ
そんな人間が最後に残った祖父の形見である岐阜城を捨てると思うか?

西軍に参加した理由も、豊臣に奪われた美濃尾張を返してもらうという涙ぐましい理由だ
そんな秀信が
信長爺さんが見ていた岐阜城からの光景を自分も見ながら
東軍を目の前にして岐阜を捨てられるか。無理だな
0018人間七七四年2018/01/03(水) 10:45:51.06ID:TzEdCUSR
西軍の8月27日までの作戦目標は、兵力の無駄な損耗を避けることと拠点の維持に努めること。
援軍到着後、優勢な戦力比で攻勢をかけるまでの戦力の温存なので、戦力劣勢下で無理に運用する必要はない。
0019人間七七四年2018/01/03(水) 11:00:07.03ID:w+dpNvD5
>>17
だからこそ秀信は東軍に付くべきだった
東軍には旧織田家臣や親戚の有楽がいるのだから東軍の尾張到着後でも交渉は十分可能だった

それに関ヶ原後の大坂城は有楽や信雄が入り織田一族が支配していたのだから
ここに秀信が入れば織田一族による大坂支配という悲願を成就させることもできた
どう考えても秀信は東軍に付くべきだろう
0020人間七七四年2018/01/03(水) 11:49:05.89ID:wM/2Xrrq
>>19
家臣の豊臣に横領され君位を簒奪された織田秀信が
逆臣豊臣を大義にする石田三成にだまくらかされて西軍に参加して滅ぶのは歴史の皮肉だわな
父親も母親も岐阜も親しかった家臣も殺されて秀吉にレイプされて側室にされた淀と同じで
ストックホルム症候群なんだろうと思うけど。

織田家を横領し滅ぼした加害者の犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意等を抱いてしまう。
銀行強盗人質立てこもり事件を国家レベルでやったのが秀吉と思うとすごいことだ
0021人間七七四年2018/01/03(水) 13:25:55.41ID:dBAQmf99
前スレの話だけど、家康畿内離れる→収集つかないので輝元ら頼る→毛利宇喜多挙兵で大混乱
って家康以外の毛利さん宇喜多さんがどうしようもないダメンズじゃん
0022人間七七四年2018/01/03(水) 15:32:00.67ID:JHdNp3G6
実際そうだろ
毛利宇喜多は日本統治する前にまず自分の家をきっちりまとめろって感じだし
0023人間七七四年2018/01/03(水) 16:55:48.62ID:ayQo1Q5I
>>20
またお前かおっさん
0024人間七七四年2018/01/03(水) 17:00:00.42ID:P14+aKbl
>>21
前田征伐、上杉征伐ときて毛利、宇喜多が危機感覚えなかったら逆におかしくない?
次に征伐されるのは自分かもしれないのに。
0025人間七七四年2018/01/03(水) 18:16:22.33ID:f6yORb7Y
>>15
島津は大坂冬の陣の前線任された真田幸村や
長谷堂城の戦いの鮭延秀綱みたいに副将として派遣された
みたいになれば良いだけじゃね?
野戦に比べて籠城は総大将の能力の影響少ないし
大坂冬の陣の籠城側の総大将の秀頼なんて置物状態だったしな
0026人間七七四年2018/01/03(水) 18:41:14.30ID:efv+sEl6
秀頼みたいな大将が誰かって事は意味があるかはわからんが
籠城戦で誰が指揮官として指揮してるかは大きな意味があるだろ
0027人間七七四年2018/01/03(水) 18:57:21.01ID:ffZfbGfN
秀信にも家老がいた
0028人間七七四年2018/01/03(水) 19:24:30.13ID:A0NEsTz4
>>2
反家康派からしたら収集ついたら困るんだよ。それだと家康が政権運営しても何も問題ないことになるから。
豊臣政権から家康を追い出すには、むしろ政権運営不可能なレベルにする必要がある。
だから西軍からしたら政権が滅茶苦茶にになるのはむしろ予定通り。問題はここから。
奉行(おそらく宇喜多も)は徳川中心から奉行中心の政権運営をしようと考えてたんだろう。つまり徳川を除いた豊臣政権の再構築。
これに対して毛利(上杉はこれに便乗)は豊臣政権を崩壊させたうえで無力化し、形式上の存在にして
好き勝手に領地が切り取れる戦国の再来を目指したのだろう。実際両家共に、周辺を制圧に走ってるし。
0029人間七七四年2018/01/03(水) 20:13:07.33ID:f6yORb7Y
>>26
大坂冬の陣での籠城は持ち場をそれぞれ任されて
真田丸を真田幸村が指揮したように
籠城での持ち場の指揮は秀信である必要がないからな
島津でも良い
0030人間七七四年2018/01/03(水) 20:22:30.84ID:dBAQmf99
>>24>>28
前田を見習って、家康派閥下で全力で徳川に媚び売って生き残ればよかったんと違うんかなぁ
ぶっちゃけ宇喜多や毛利なら従来の規模で満足しとけば収入面も安泰じゃん
格上の徳川グループに喧嘩売るなんてリスキーなことせんでもええやないとちゃうんか
0031人間七七四年2018/01/03(水) 20:25:36.04ID:5Ehp0pcw
毛利宇喜多だけでは喧嘩売らなかっただろう
0032人間七七四年2018/01/03(水) 20:48:20.54ID:+QSAbxSH
>>15
まず岐阜城の防御能力自体に疑問
0033人間七七四年2018/01/03(水) 21:07:25.55ID:wM/2Xrrq
豊臣公儀 惣無事を宣言し天皇の代理として公儀を行う。聚楽第行幸で諸大名は「天皇に」忠誠を誓う
加賀征伐 反家康の増田が前田の謀反を匂わしたので天皇と前の太政大臣に公儀を託された内大臣として対応した
会津征伐 上杉と隣接する堀と最上が上杉の怪しい動きを訴えたので、天皇と太政大臣家の容認を得て征伐
関ヶ原 官軍を率いて征伐中に脱獄囚の石田三成が謀反をおこす
大坂の陣 関白左大臣鷹司、右大臣征夷大将軍徳川のとき、豊臣秀頼が謀反をおこす
0034人間七七四年2018/01/03(水) 21:20:37.80ID:wM/2Xrrq
豊臣家 主君信長の喪中に家族を殺し、主家を横領した秀吉が信長の死後3年で天皇の権威を利用して作った家
関白殺害 聚楽第行幸で公儀を託された関白を豊臣家が恣意的に殺害する。豊臣家の公儀の正統性が失われる
秀吉死亡 太政大臣の秀吉が死んだことで豊臣公儀は崩壊した。内大臣以外の大臣は欠員で、関白も征夷大将軍も欠員
内大臣 1599年当時は武家の中で最高位の大臣。1600年の時点だと公家の右大臣菊亭に次いで高位。公儀を行う資格を持つ
石田三成 1600年の時点で蟄居を命じられていた服役囚。佐和山に服役中だったが、脱獄して反乱をおこす
織田家 家臣の豊臣に横領され君位を簒奪される。1590年改易され滅ぼされる。1600年の時点では岐阜を中心に16万石の小大名として存続
0035人間七七四年2018/01/03(水) 21:33:02.01ID:wM/2Xrrq
大坂城 秀吉が信長の1周忌に信長の家族を殺しながら安土城以上の規模で建て始めた城
淀君 秀吉に祖父と父と義父と母を殺され、秀吉に手篭めにされて秀吉の側室になった女
豊臣秀頼 秀吉が九州にいるときに、畿内にいる淀君が妊娠。他の側室は誰も子が出来ず。160キロのデブで馬に乗れない「世に無き御太り」
0036人間七七四年2018/01/04(木) 08:31:36.98ID:0ws5Wijb
>>30
いや、毛利は満足してなかったかもしれんよ。
そもそもかつての家来筋である宇喜多と同格になったこと自体内心では不満だったと思う。
それにもともとは毛利の領地はもっと広かったからね。それを中央との軋轢の結果、失ったわけだし。
だから、中央を弱体化させてかつての毛利家の栄光を取り戻したいって考えてもおかしくないんじゃないかな。
関ヶ原の時には西国に兵を派遣しまくっているし。
0037人間七七四年2018/01/04(木) 09:34:05.19ID:SRKiW71f
大将が輝元じゃ家康に勝ち目無さげ
とは言えそれだけ豊臣がグチャグチャになったら
奉行は一人残らず追い出されてるだろうけど
0038人間七七四年2018/01/04(木) 10:00:08.91ID:8MJ+ie9y
https://youtu.be/mXMf90QXOfc

東海地方と関西地方を往来するルートは、鈴鹿・亀山ルートor米原・関ヶ原ルートの二択しかありませんね。
関ヶ原はちょうど盆地になっているので、盆地に蓋をするように陣を敷けば、東軍を倒せるのです。
西軍から裏切り者が出なければ、西軍が勝っていた筈ですね。まあ、西軍は団結出来ていませんでしたからね。
孫子の兵法でも、
道・天・地・将・法の五事に基づいて彼我の戦力を分析し、七計に基づいても分析して戦うのかを判断しろと記述されていますね。
西軍は、道(大義はあるのか。味方は団結出来ているのか。)という点においてマズさがありましたね。それが西軍が負けた要因であると私は考えますね。
現代においても、関ヶ原盆地には交通の大動脈が密集していますね。東海道新幹線は、その代表例ですね。関ヶ原は東海道ではないけど、東海道新幹線が通っています。
0039人間七七四年2018/01/04(木) 10:32:15.56ID:q6wAH7V0
西軍は
道にそむいている
 聚楽第行幸で政務を託された関白を殺した豊臣を持ち上げて、公儀を行う資格を持つ内大臣に脱獄囚が謀反をおこしている

天の時を得ていない
 三成の持ち上げている秀頼は6歳児であり、自分の意思はない。最高位の大臣は家康でありタイミングが最悪

地の利を得ていない
 西軍は中国や九州から遠征してきた遠征軍がほとんどで、川が多く湿地帯の濃尾平野の地勢を知らない

将がいない
 中心になっている石田三成に人望がなく戦下手で、文治派が集まっている。毛利輝元は優柔不断

法規が保たれていない
 命令しても従わず、石田三成に進言を受け入れる器量がない。

君主はどちらが立派な政治を行っているか
 豊臣は2度の聚楽第行幸で公儀を預けられた関白を殺し、2度の外征に失敗し、公家の任官妨害を行い、太閤検地で農民を苦しめている
 徳川はその穴埋めに奔走していた

将帥はどちらが有能か
 徳川家康は歴戦の名将であり、配下の将帥は武断派で実直で優秀な武将が多い。西軍はその逆で讒言を行う佞臣が多い

天の時と地の利はどちらが得ているか
 豊臣家の当主が幼少で、太政大臣に政務をまかされた内大臣に脱獄囚の石田三成が謀反をおこし、
 地元で戦う東軍にたいして西軍は中国九州からの遠征軍

軍隊はどちらが精強か
 三河兵を率い、武断派を率いる東軍のほうが精強

兵卒はどちらが訓練されているか
 東軍の方が歴戦のつわもの

西軍は五事七計のすべてにおいて負けている
0040人間七七四年2018/01/04(木) 12:25:53.58ID:8MJ+ie9y
>>39
孫子の兵法で記述されている原理・原則は絶対です。それに反した戦いをした西軍が負けたのは当然だったのかもしれません。
0041人間七七四年2018/01/04(木) 17:19:49.24ID:LmNQqPZR
>>39
またおまえか
ブログでやれ
0042人間七七四年2018/01/04(木) 18:48:59.18ID:WXoXiMeh
>>39
今川に奴隷扱いされ織田にやられて家康を人質に差し出し武田に大敗し羽柴に降伏し真田に翻弄され小田原征伐以降10年近くに渡り戦闘経験がなく三河一向一揆で約半数が裏切った最弱裏切り集団三河兵がなんだって?
東軍の主力も朝鮮で戦闘経験を積んだ福島・黒田・藤堂・細川らだしぶっちゃけ関ヶ原にいる連中の中では最弱の兵力でしょ三河兵
0043人間七七四年2018/01/04(木) 18:53:16.00ID:aQMpQGHb
かえって戦いに明け暮れざるをえなかった三河兵の怖さを感じる
武田の兵や坂東武者も吸収した軍だし
0044人間七七四年2018/01/04(木) 19:25:53.32ID:WXoXiMeh
>>43
戦いに明け暮れてたのは当時の日本全国の武士全員がそうだろ
0045人間七七四年2018/01/04(木) 22:23:18.63ID:nHCl5dV7
徳川単体で見ると兵の質のピークは小牧・長久手の頃、とは言われてるね。
織田・徳川連合軍の頃戦ってた古参が小牧・長久手〜小田原征伐あたりで引退、
次世代が主力になるのが小田原征伐〜関ヶ原あたりで。

あ、武将じゃなくて兵ね。
0046人間七七四年2018/01/04(木) 22:27:51.90ID:oLn9T1aK
西軍が勝つには一旦すべてを放棄して結集するしかないんじゃね?
負ける戦でこうしていればもう少し持ちこたえてたとか言っても持ちこたえていれば
多大な軍勢がやってきたとかじゃないし籠城は駄目だろう

裏切りを減らす意味からも結集するして相互に見張るしかないね
0047人間七七四年2018/01/04(木) 22:35:11.44ID:nHCl5dV7
>>46
岐阜、犬山放棄し大垣集結の戦線縮小案は何スレか前に出てたよ、支持されなかったが。
0048人間七七四年2018/01/04(木) 22:50:30.21ID:oLn9T1aK
どこをどう見ても戦場が分断されてて大きく劣勢じゃしょうがない
泥船から裏切る所が出て来るのもね

出来れば相手がうかつに手を出せない形にまで集結したいんだけど
0049人間七七四年2018/01/04(木) 22:53:39.85ID:6c+18t/p
戦術的にはともかく、秀信が領地を放棄するのに同意するわけがないし、それを強制する権限が三成にはないからな
0050人間七七四年2018/01/04(木) 22:53:42.22ID:nYnnHM80
それこそ去年の白峰歴史群像で言われてたけど、大垣城が小規模で厳しくないか
0051人間七七四年2018/01/04(木) 22:54:27.28ID:WXoXiMeh
>>47
放棄も何も犬山城は最初から東軍に内通してるよ
岐阜城攻めが始まる前日の手紙で井伊直政が家康に「以前から言っていた通り犬山はこちらに味方するとのことです」って書いてる
0052人間七七四年2018/01/04(木) 23:02:13.69ID:oLn9T1aK
いたずらに時をかさねても家康が万全になるのを待つだけなんだし東軍の軍勢が
どれくらいやって来るだろうという事と一方自軍の軍勢はと比較することは可能だろう
そのまま圧殺されるか勝とうとするために結集するかを選んでもらうしかないね
0053人間七七四年2018/01/04(木) 23:18:25.27ID:Vfal5EtJ
>>39
スレタイ読めないのかな?
0054人間七七四年2018/01/04(木) 23:23:38.62ID:oLn9T1aK
そもそも西軍はそれぞれの立場、考えがあり結集してるのだから一つの言葉、考えで
コントロールしようと思うのは無理だろうな

だからずっと烏合の衆のままなんだろう
0055人間七七四年2018/01/04(木) 23:24:40.01ID:nYnnHM80
濃尾平野で戦線構築:西軍兵力が足りん。渡河突破されるかも、岐阜城守備に疑問あり
岐阜蜂起して戦線縮小:東軍の兵力マシマシ。大垣ラインも抜かれるかも
もっと撤退:非現実的。佐和山やら近江衆が困る
更に戦線縮小して瀬田とか…:前田すら東軍本隊に合流するかも

やっぱり京近江の畿内って東国からの侵攻に弱いね
0056人間七七四年2018/01/05(金) 00:15:09.71ID:mWS7RxBH
>>54
張子の虎のような部隊では勝ちにくいのだろうな。団結して士気を高めるのが勝つための条件の内の一つだな。
0057人間七七四年2018/01/05(金) 00:22:58.50ID:sv3W/9WM
東軍が徳川軍約七万がきっちり集まるのを待って先発隊と合流されたら
兵力でも率いてる武将でも勝ち目あるわけないようにしか見えない
西軍はいろんな意味で信用できる奴が少なすぎる
0058人間七七四年2018/01/05(金) 00:56:11.77ID:wRYtm62p
陣形的には勝てた。あとは諸将のやる気を上げる。吉川なら輝元が大阪から参戦すれば吉川も動くはずそうすれば後方に位置してた諸将も動ける。大事なのは内府の首を獲ること。ここで逃げられると後々厄介なことになる。
0059人間七七四年2018/01/05(金) 00:56:50.77ID:ZpmQkXbX
>>53
駄目だよ、この人御触り厳禁だから。
文章の特徴からすると、徳川スレを一人で運営してる人だと思われます。
あのスレって、何故か不自然にageの書き込み有るんでひたすら自演してるんだと思われる。
徳川マンセーしたいだけで、そもそも議論を楽しむつもりなんか無いよ。
0060人間七七四年2018/01/05(金) 01:33:34.19ID:sv3W/9WM
関ヶ原本戦は徳川本軍ほぼ無傷で勝った合戦だし
陣形的に勝ってるってのも無理がある
0061人間七七四年2018/01/05(金) 03:24:04.12ID:ZpmQkXbX
>>60
あの陣形だと、徳川本隊無傷は意味無いと思うけどね。
東軍先鋒が敗走して来たら、山が迫って来てる狭隘な地形では戦う前に動揺しまくって戦うの
無理臭くないの?
それとさ、勝負所で予備隊の突撃で一気の勝敗が決まった会戦って多いしね。

もし、例の場面で小早川隊が福島隊に突っ込んでたら理想的な形だったんだよなあ?
当日の霧が無かったら、意外と早く東軍が崩れてたかも。
0062人間七七四年2018/01/05(金) 07:11:35.78ID:Vogy+J9q
まず小早川を西軍に数えてる事自体が無理でしょw
0063人間七七四年2018/01/05(金) 07:43:37.51ID:mWS7RxBH
西軍は、一夜にして大垣城から遠回りをして関ヶ原まで移動しているのだよな。南宮山の南に位置している養老を経由して関ヶ原まで移動しているな。
大変な行軍だったのでは?
戦う前から疲れてしまって、士気が下がるのでは。
0064人間七七四年2018/01/05(金) 07:49:08.68ID:w/p9OB7e
>>53
勝てたか?と疑問系だから
どうやっても勝てないという結論に至るのはスレに沿った結論だな

戦いにおいて五事七計を検討するのは当時の武将としてあたりまえだろうし
0065人間七七四年2018/01/05(金) 08:04:39.28ID:w/p9OB7e
>>40
戦争の大筋を把握する際は、「道、天、地、将、法」の「五事」で考え

自軍と敵軍を比較する際は、「主、将、天地、法令、兵衆、士卒、賞罰」の「七計」で考える

当時の武将なら孫子は必修教材だろうし
必ず勉強していただろうね。

このスレでも五事七計くらいは検討すべきだわな。
秀信を島津の言いなりにして、岐阜にこもれば東軍が突撃してきて勝てるとか豊臣厨の妄想はもういいって感じだ。
0066人間七七四年2018/01/05(金) 10:34:53.48ID:lLqwBKxe
>>65
勝てるなんて断言はしてないが。
勝てる公算が高い案とは言ってるが。

それと豊臣がどうとかもわたしはどうでもいいと思ってる。
0067人間七七四年2018/01/05(金) 12:04:55.94ID:FW6DS9aL
>>65
君はまず日本史をちゃんと勉強しようよw
前スレから言ってるけどずっと無視してるけどいい加減ずっとあるって言ってる直江兼続が内府違いの条々を書いたって記載してる教科書の名前を早く教えてちょw
0068人間七七四年2018/01/05(金) 13:06:26.51ID:Vogy+J9q
戦争の大筋云々はワケわからんけど
岐阜城に籠っただけで急に耐久できるという前提になる議論も意味がわからん
0069人間七七四年2018/01/05(金) 13:20:21.60ID:MMnVsPZ8
それは籠城を知っているかどうかの違い
0070人間七七四年2018/01/05(金) 13:24:48.85ID:w/p9OB7e
>>67
豊臣公儀の正統性は関白の官位と惣無事および聚楽第行幸で保証されていた。
けど、豊臣家が関白を殺してしまい、豊臣の正統性を破壊してしまった
それでも太政大臣が政務を執り行うことでなんとか形は保たれていたが1598年に太政大臣は死亡。
太政大臣の死後、家康は太政大臣の遺言で政務を任され
主君である帝に与えられた武家最高位の大臣である内大臣として、公儀を引き継ぎ職務をおこなった。
そして後陽成天皇に晒布100反を下賜され、前の太政大臣家からも黄金2万米2万を下賜されて会津征伐を行っている。

この行動にいちゃもんをつける直江状や内府違いの条々を正しいとお前は考えているようだが、
高校の教科書で惣無事の意味と聚楽第行幸の意味を学んでないようだから、学んで来いと言っている。

惣無事と聚楽第行幸の書かれていない教科書は存在しないよ。大阪の教科書はどうかしらないが
0071人間七七四年2018/01/05(金) 13:30:00.88ID:Vogy+J9q
岐阜城がそんな防衛拠点として機能した事など一度も無いのにまるで自分が指揮するかのように
「籠城を知っている」らしいここの籠城達人様は当たり前のように語る
そこに違和感を感じると言うだけ

籠城実績のある城で〜がやったようにという説明ならまだ説得力もあるが
0072人間七七四年2018/01/05(金) 14:11:06.79ID:w/p9OB7e
>>13-14の地図や
http://ime.pta.jp/d/tSZIja.jpg
http://ime.pta.jp/d/Ge9CLd.jpg

これらをみると
岐阜城は中山道を掌握して濃尾平野一帯を見渡す場所としては最良だけど、
京都に進出するのに岐阜を通らなければならない言われはないからね。
岐阜城は北東に寄り過ぎている。しかも攻められたら落ちる歴史しかない。

まぁ、戦国のいちファンとしては関ヶ原が長期化して群雄割拠の乱世にもどる伊達黒田シナリオを希望したい
どちらにせよ豊臣は続かない
0073人間七七四年2018/01/05(金) 14:37:54.24ID:Sd5o6mz5
>>71
お前はどうせ何を言っても納得できないんだからとっとと出ていけ
ここは岐阜城に籠もれば西軍が勝ってたことを理解してる人だけがいていいスレだ
0074人間七七四年2018/01/05(金) 14:43:45.63ID:MMnVsPZ8
野戦という選択肢はない

野戦も籠城もしないなら何をしろと?
0075人間七七四年2018/01/05(金) 14:46:27.31ID:UaAnJlQx
降参
0076人間七七四年2018/01/05(金) 15:00:52.80ID:iPIV2ojm
あの時点でほぼ詰んでる
0077人間七七四年2018/01/05(金) 16:46:49.78ID:w/p9OB7e
>>74
脱獄した国家反逆者がすることといえば自首でしょう
内閣総理大臣にさからって内乱罪を犯してごめんなさいって
吉川の空弁当の話もあるし免罪を要求しても許されるとは思えないけど
0078人間七七四年2018/01/05(金) 18:06:19.06ID:FW6DS9aL
>>70
いやいやいやw
必死に長文並び立ててるけどこっちが聞いてるのは
>内府違いの条々って恥ずかしい迷文だな
>直江兼続は田舎の秀才の域を出ていない。
>お前もとりえあず中学高校の教科書を読み返して来い
これの直江が内府違いの条々書いたっていう教科書が読みたいから教えてくださいって言ってるだけなんだけどw
君の考えなんてどうでもいいからこれだけ教えてよw
0079人間七七四年2018/01/05(金) 18:18:41.56ID:w/p9OB7e
>>78
前スレでも言ったけど誤字脱字勘違いの揚げ足取りレベルの会話はどうでもいいんだわ
こちらの主張は>>70だから。
直江状と内府違いの条々は両方とも「ゴミ」でいっしょくたにしてた。
前スレの461で同じこと言ってると思うが。何がやりたいんだお前は。
くだらない揚げ足取りをするやつは議論と口論の違いがわからないやつに多いが
0080人間七七四年2018/01/05(金) 18:40:44.89ID:FW6DS9aL
>>79
いやいやいやw直江状と内府違いの条々をどうやったら勘違いできるのよw
ていうかさw前スレで君
>へえ、すごいな
>大阪じゃ内府違いの条々が高校の教科書で書かれているのか。
>山川の日本史だと、惣無事と聚楽第行幸は書かれているが直江状や内府違いの条々はまずないな。

って言ってるけどじゃあそもそも

>内府違いの条々って恥ずかしい迷文だな
>直江兼続は田舎の秀才の域を出ていない。
>お前もとりえあず中学高校の教科書を読み返して来い

っねなんで直江状にしろ内府違いの条々にしろ教科書読み返してこいって言ったのさw
なんで教科書に書いてないことを教科書読み返してこいって言ったのwねえねえねえw
うすうす感じてたけどやっぱり自分のちょっと普通の人とはおつむの作りが違うのかなw
0081人間七七四年2018/01/05(金) 18:43:50.97ID:GQe9Igv/
どっちも他所でやれ
0082人間七七四年2018/01/05(金) 18:56:22.76ID:w/p9OB7e
>>80
>内府違いの条々って恥ずかしい迷文だな (直江状と内府違いの条々を一緒くたにして勘違い。けどどっちも迷文。)
>直江兼続は田舎の秀才の域を出ていない。
>お前もとりえあず中学高校の教科書を読み返して来い(聚楽第行幸の意味を勉強して来い)

こういう意味だ。よかったなスッキリして。

>>81
OK。この話題は終了した。
ID:FW6DS9aLが高校の教科書をひらいて聚楽第行幸の意味を勉強してきてくれるだろう
勉強すれば天皇から関白にあずけられた公儀が、関白殺しで太政大臣に行き、太政大臣の死と遺言で内大臣にいったという流れがわかるはずだ
家康は正統性をもって政治をおこなっていた。
0083人間七七四年2018/01/05(金) 19:17:56.34ID:FW6DS9aL
>>82
えw直江状や内府違いの条々の話からなんで突然聚楽第行幸の意味を勉強してこいって話になるのw
自分の中で解決してるだけで結局議論にも会話にもなってないよねw
直江状や内府違いの条々から突然の聚楽第行幸の話になるのw
本当にどういう思考回路してるんだろうw
0084人間七七四年2018/01/05(金) 19:22:46.33ID:5SWyChM6
西軍からして小早川ってどう扱えば良かったんだろう。
関ヶ原に着いた時点で敵と解っててもどうしようもないしな。
西軍を勝たせる方法として、金吾の排除は必須だし人質取るか?
0085人間七七四年2018/01/05(金) 19:27:36.10ID:w/p9OB7e
>>83
前スレから続けている主張は>>70だからね。揚げ足とりに終始しているお前もこの主張に議論を仕掛けてきているわけだし、
上記の主張のどこに問題があるのかの指摘以外はお前のことを無視するからよろしく。

関ヶ原の戦いにおける西軍に大義はない。孫子でいう道は西軍に欠落している
0086人間七七四年2018/01/05(金) 19:28:54.87ID:4tgm+qXv
完全に後知恵だけどどうせ戦力として信頼が置けないんだから別戦線に回すとか
0087人間七七四年2018/01/05(金) 19:37:17.61ID:FW6DS9aL
>>85
うわw結局自分の議論できないことに対する言い訳が尽きて無視宣言w幼稚すぎるw
というか直江が内府違いの条々書いた教科書ってどこにでてるのか教えてよーってだけの話がなんで議論仕掛けたことになってるのw
ちょっとまじめにどこで議論仕掛けられてると思えたのか教えてほしいなw
0088人間七七四年2018/01/05(金) 19:53:32.31ID:FW6DS9aL
>>77
吉川の空弁当w吉川っていつの間に宰相殿なんで言われる身分になったのw
それとももしかして毛利秀元はこのとき吉川姓を名乗ってたんですとか書いてる教科書でもあるのかなw
0089人間七七四年2018/01/05(金) 20:08:14.40ID:ZpmQkXbX
>>81
だよねえ...風の谷のナウシカの、「王蟲!!!森にお帰り、ここにはお前の住む世界じゃ無いんだよ」を
思い出した。
早く徳川スレに帰還してくれないかね。
このスレの人は、正当性議論なんか興味無いのにさ。
0090人間七七四年2018/01/05(金) 20:16:44.01ID:URDqr+ja
どっちもNGしとけ
0091人間七七四年2018/01/05(金) 20:23:23.20ID:w/p9OB7e
>>89
戦いにおいて大義名分は大切だぞ
孫子で言う道天地将法で、筆頭で検討すべき問題だ
地の利については>>13-14の地図を見ながらだな。岐阜にこもれば勝てるとかありえないから。
タイミングについては秀頼は幼少で、家康は内大臣という感じだし
将に関しては無能の文治派に信頼されていない義弘で、命令違反されほうだいで法がなりたっていない。
どこに興味があるんだ?
0092人間七七四年2018/01/05(金) 20:38:47.24ID:FdTwvuJ0
>>91
>>77とりあえず今興味あるのはいつ吉川広家が宰相殿と呼ばれようになったかだねw
ねえねえいつ吉川広家が宰相殿なんて呼ばれようになったのwどこの教科書に載ってるのw
0093人間七七四年2018/01/05(金) 20:47:34.95ID:kKx4HC0p
>>84
ほんとに扱いに困ると思う。最前線配置でも後方の拠点の在番でも寝返られたらだめ、
志摩の九鬼父救援あたりが無難に思うが、そも、病と称してうろついてるわけだから
指示に従うかもわからない。
かといって小早川秀秋討伐もしくは拘束の兵を差し向けるのもかなりの軍勢が必要で
兵力運用の点からかなりの無駄運用。西軍にそんな余裕はない。

北政所の警護、あたりならしてくれるかな?いや、そのまま伏見に入られたらまずいか…。
史実同様放置がベターかも…。
0094人間七七四年2018/01/05(金) 21:01:07.31ID:kKx4HC0p
>>91
岐阜城は地勢的要地であるかは重要な部分ではない。
岐阜城籠城策によって西軍が得られる効果が重要なの。
それがなにかというと、秀信6000の健在、岐阜城の健在、
それによって狭まる東軍先発隊の行動の選択肢。
仮に岐阜城ではなく大垣に来たとしてもそれは岐阜城後詰決戦から大垣城後詰決戦に変わるだけ。

岐阜城後詰決戦の西軍の目的は東軍先発隊の撃滅及びそれによる各種影響の期待。

東軍先発隊が決戦回避し清洲に撤退すれば改めて有力な戦力で木曽川渡河迎撃の布陣を敷くというもの。
家康や秀忠隊を含む東軍戦力の撃滅が目的ではない。

この鍵を握るのは、初動で西軍の兵力損耗と拠点陥落がないこと。
0095人間七七四年2018/01/05(金) 21:03:26.24ID:w/p9OB7e
小早川秀秋は秀吉の関白殺害に連座して領地を没収され
同情した隆景に30万石を譲られたが、譲られた30万石も朝鮮から帰国したとき秀吉に没収され越前に飛ばされて半分に
秀吉の死後に家康が救いの手をさしのべて30万石に復帰して関ヶ原だからね
没収の理由がすべて秀頼だ。秀頼には恨み、家康には恩しかない状態だった
0096人間七七四年2018/01/05(金) 21:05:29.97ID:Vogy+J9q
>>73
ならそういうスレタイで別スレたてて前提条件書いてそのスレでやればいい
このスレタイで岐阜城とか言われても

>>75
>>76
同意
0097人間七七四年2018/01/05(金) 21:24:15.63ID:kKx4HC0p
>>96
ちゃんとスレタイに沿って立案してるが。

それと一応確認したいんだが、岐阜城に兵7000が籠城して陥落した事実はありますか?
たしかに兵2000〜3000が籠城して降伏した事実はありますが。

秀信は籠城せずに渡河迎撃し、だめなら籠城すればいい、というお考えですか?
それって史実といったいなにが違いますか?
0098人間七七四年2018/01/05(金) 22:23:48.07ID:U4azM8vu
秀信がお家の存亡をかけて西軍に与する理由が分からん
0099人間七七四年2018/01/05(金) 22:50:41.20ID:w/p9OB7e
>>98
秀信と淀はストックホルム症候群だよ。
逆臣豊臣には恨みしかないはずだが、精神疾患で犯人をかばうようになった
0100人間七七四年2018/01/05(金) 22:55:55.91ID:w/p9OB7e
>>98
特に淀は祖父と父親と母親と義父のすべての死に秀吉が関係している。秀吉には恨みしかない。
けど日本は天皇の権威のもと秀吉が統一したからまさに監禁状態。犯人と恋愛状態になった被害者と同じ状況
豊臣LOVEのストックホルム症候群の発動条件はそろっている
0101人間七七四年2018/01/05(金) 23:04:53.84ID:ZpmQkXbX
>>98
そりゃあ、豊臣に対しては旧主って強い立場が有るからね。
旧織田系の大名の心情考えると礼遇せざるを得ないし。徳川が豊臣にやった様に根絶やしって
選択肢も有る事は有るけど、それを選ばんかった以上其れなりの領地と官位をやるしか。
東軍付いてもさ、加増転封で美濃尾張とはおさらばだと思うんだよね。
後の徳川が尾張家作ったみたいに戦略上の重要拠点なんだから徳川の腹心を入れるのは
容易に想像出来るし。徳川は別に秀信に遠慮する謂れ無いし。

そうすると、美濃に領地が欲しいなら西軍付くしか選択肢が無い。
0102人間七七四年2018/01/05(金) 23:31:27.44ID:GQe9Igv/
そもそも秀信はとっくに「織田宗家」からは外されていて、この当時の立場は「豊臣ご親族」の構成メンバーの一人であり、
立場としては宇喜多秀家に近い。この場合豊臣親族の代表格であった秀家に引っ張られての西軍参加と見るべきだろう。
0103人間七七四年2018/01/06(土) 00:14:37.77ID:OWFWiirA
>>84
暗殺
0104人間七七四年2018/01/06(土) 00:29:09.77ID:Wth1ba4W
>>97
7000人も籠って籠城出来た実績が無い
籠城してもすぐ落とされたり降伏してる実績しかない、それが岐阜城
0105人間七七四年2018/01/06(土) 01:37:56.50ID:M6bkuT+u
>>98
その上幼少から岐阜にいた土地勘ある秀信が
岐阜城は野戦で渡河を食い止めないともたないと判断してるのに
他所から来た三成やら島津やらに籠城してろと黙らされる訳だ
こんな失礼な扱いされたらあっという間に家康に籠絡されそう
0106人間七七四年2018/01/06(土) 06:28:01.36ID:pYKXn2jw
秀信は豊臣に忠実
秀家も同様

豊臣ファミリー
0107人間七七四年2018/01/06(土) 06:34:43.84ID:gDWcqfTm
言っても岐阜城貰って中納言にしてもらってるから厚遇されてる方だからな
0108人間七七四年2018/01/06(土) 07:03:10.77ID:pYKXn2jw
簒奪されたのは間違いない
0109人間七七四年2018/01/06(土) 07:20:32.93ID:gDWcqfTm
父親も死んでんだぞ?秀信が家督継げる要素は無い。
0110人間七七四年2018/01/06(土) 07:37:08.28ID:pYKXn2jw
父が死んでも問題なく

というか
0111人間七七四年2018/01/06(土) 08:13:36.54ID:enNuTu3H
西軍に参加すれば尾張と美濃を与えると言われて
石田三成に騙されたってのも大きいな。

尾張や美濃は織田家の領地だけど、豊臣家がそれを奪ってしまった。
秀信には岐阜の3分の1をあてがわれたけど、強盗犯に食事をもらえたと喜んでいる被害者みたいな感じだった
岐阜の天主からのながめを見ながら爺ちゃんの領地だったんだよなぁ…と育ったわけだから、美濃尾張が欲しかっただろう
0112人間七七四年2018/01/06(土) 08:21:36.32ID:pYKXn2jw
秀信はバカだが
ここで大勝負に出て目にものを見せてやると思ったのかもしれん

親の遺産が入ったんで競馬に全額突っ込んだみたいな
0113人間七七四年2018/01/06(土) 08:37:40.06ID:enNuTu3H
信長爺ちゃんと信忠父ちゃんが秀信に与えるはずだった遺産は家臣のサルが根こそぎ食べたよ
爺ちゃんと父ちゃんに与えられるはずだったものを求めることは武士として普通かな
0114人間七七四年2018/01/06(土) 11:18:58.56ID:gm8VMhst
秀信に比べれば秀頼は65万石も貰えたのに家康に感謝の欠片もないのは許せないよな
秀頼は自分の実力と待遇を冷静に考えて家康に感謝すべき立場だろうに
0115人間七七四年2018/01/06(土) 12:16:05.49ID:enNuTu3H
秀頼はなぁ…

九条兼孝、近衛信尹、鷹司信尚、九条忠栄と次々に関白が任命されているのに、
関白は豊臣のものだといいつづける馬鹿だしな。

1603年に征夷大将軍が帝に任命されて公儀が正式にゆだねられ、鎌倉幕府、室町幕府同様の武家政治にもどり、
1614年には鷹司信尚という立派な関白左大臣がいて、
右大臣征夷大将軍の徳川秀忠が東京に幕府を開いて公儀を行っているのに関わらず、

関白を自称しつづけ、当時最高の学識者の五山が認める呪いで政府要人にテロを行ったあげく
浪人をあつめて大阪で挙兵する愚か者だしな。
自衛隊(幕府軍)が派遣されて即鎮圧。首謀者を死刑は当然の処置だろう

自称首相の大阪知事が政府要人にテロを行い無職を集めて挙兵したら、現代においても同じ処置が取られるだろうね

まぁ聚楽第行幸の意味がわかってないからこういうあほな行動をしたのだろうけど
0116人間七七四年2018/01/06(土) 13:09:10.17ID:0ge9WRck
秀信が秀吉に恩義を感じたところで、三成に恩義を感じる理由はあるか?
関ケ原時の豊臣政権筆頭大老は家康だ
0117人間七七四年2018/01/06(土) 13:14:49.41ID:9D6PQHtw
>>104
岐阜城が攻め落とされたのは野戦に負けて兵力を損耗したところをそのまま押し切られた秀信のときだけだぞ
その他の降伏は援軍のあてがなくなってこのまま籠城してもどうしようもねえって状況に追い込まれてからの降伏開城だから岐阜城の防御力にはなんの関係もない
0118人間七七四年2018/01/06(土) 14:28:00.55ID:M6bkuT+u
何度も戦火にあってる拠点なのに城主が籠城で粘る選択肢をほとんど取らず
取っても速攻で落とされた記録しかない城である以上
岐阜城には守りにくい何か理由があった可能性がある
少なくとも当時の城主がそう判断してるし実際に籠城してもやはり落とされた
野戦からだから落とされたとどこかに記録が残ってる訳でもない

そういう部分を全部無視してなんの関係もない他の城の籠城成功例をなんの根拠もなく当てはめて
籠城すれば大丈夫という安易な結論になるわけがない
ここに関しては野戦しようが籠城しようが無理筋
0119人間七七四年2018/01/06(土) 14:55:52.54ID:L/SB4o5C
本当に籠城できない城であれば
捨てて移動すべき

大垣辺りだな
0120人間七七四年2018/01/06(土) 15:45:47.32ID:cMGklmGZ
>>118
守りにくい理由があったと主張するならそれを具体的に提示するように。
それを補完する手段を検討するので。

提示できないならそれはただの憶測。
0121人間七七四年2018/01/06(土) 15:49:34.54ID:cMGklmGZ
それと史実で岐阜城が一日で落ちた原因も書いていただけますかねぇ?
それを補完する手段を検討するので。
0122人間七七四年2018/01/06(土) 16:03:40.80ID:PASZkBV5
>>120
人が多いだけで守れるというのこそただの憶測
岐阜城はすぐに落とされた記録しかないし守れた実績が全く無い城
城主が籠城で粘る選択肢を取らないのもすぐ落とされたのも原因も何も史実だ
0123人間七七四年2018/01/06(土) 16:04:12.20ID:7eyXIRnv
秀信が野戦で4倍以上の兵数の敵と戦った実績の提示をしてくれ
特に勝利した史実

秀信以外でも可
0124人間七七四年2018/01/06(土) 16:15:28.17ID:PASZkBV5
>>123
どっちにしろ無理筋だと言ってる
空手形で味方になって積極的に戦ってくれただけで良かっただろうに
偉そうに三成が戦術にまで口出す事自体が非常識
嫌なら東軍につくだけの話
0125人間七七四年2018/01/06(土) 16:17:01.33ID:9D6PQHtw
>>122
攻め落とされた記録は秀信の一回しかないぞ?
城主が粘る選択肢取らないのは単純に粘ってもどうにもならない形勢の場合ばっかりだから
どうも城攻めが籠城軍・攻囲軍だけで決まるものと思ってるらしいから言っても理解できないかもしれんが
0126人間七七四年2018/01/06(土) 16:20:34.69ID:PASZkBV5
>>125
その一回が2~3000もいて戦い抜いたとは思えないぐらい
あっという間に落とされた記録しかない
それが籠城した場合の結果なんだからそうなる
0127人間七七四年2018/01/06(土) 16:40:39.13ID:x31g6nrY
で、守りにくい理由と史実で岐阜城が落ちた原因は?
0128人間七七四年2018/01/06(土) 16:57:56.43ID:9D6PQHtw
>>126
まーたこの話の堂々巡りか
野戦に打って出て負けて兵力損耗士気低下したあとに攻め落とされた一回だけをクローズアップしてあっという間に落とされた記録しかない!って何を言っとるんだ君は
というか最初から籠城してるなら戦略的な価値が低い岐阜城を東軍諸将が犠牲覚悟で強いて攻めなきゃいけない理由もないからそもそも家康や秀忠の軍勢が来る前に岐阜城での戦いがおこる可能性にすら疑問が出てくる
たぶん仕寄りも付け入りも後ろ巻きも知らないからこう言う発想ができるんだろうけどさすがにもうちょっと戦国の攻城戦を勉強したほうがいい
0129人間七七四年2018/01/06(土) 17:02:14.71ID:7eyXIRnv
野戦は下策
0130人間七七四年2018/01/06(土) 17:26:37.71ID:PASZkBV5
>>127
岐阜城の問題かもしれないし籠城した兵や武将の問題かもしれないが
そのはっきりした原因が判明しなければ対策も糞もないので実際に籠城した結果と同じになるだろう
そもそも城主本人が野戦すると言ってるんだし

>>128
実際に籠城した岐阜城が一日で落ちてるんだからそれ以上の結果が無いというだけ
0131人間七七四年2018/01/06(土) 17:33:08.07ID:5IzTbT4X
>>128
おおむね同意。
このひたすら岐阜城籠城否定してるひと、根本的に軍事的な部分がわかってないんだと思う。
だから同条件でもないのにただ「史実で落ちた」という結果のみで籠城否定してるんだと思う。

とりあえずこのひとが岐阜城が守りにくい理由と史実で岐阜城が一日で落ちた原因提示するのを
待ってみましょ。
それを補える策を立案すればいいので。

一日で岐阜城が落ちた原因も探求せずただ「史実で落ちた」という理由のみで否定してるなら
岐阜城は守備兵1万でもおちるし、寄せ手が兵5000でも落ちるということになる。
つまりどのような状況でも落ちるという結論ありきの考えだから。
0132人間七七四年2018/01/06(土) 17:37:26.97ID:5IzTbT4X
>>130
「かもしれない」じゃなくて明確に述べてください。
わからないのなら「わからない」と。
0133人間七七四年2018/01/06(土) 17:42:12.53ID:4FMsv1Mu
論理的なようで、単に史実で落ちたと言ってるだけで
非論理
0134人間七七四年2018/01/06(土) 17:53:21.37ID:EK4qkaMc
いい加減飽きた
籠城派も否定派もどっちも有利に想定しすぎだし相手の意見を全く認めないから水掛け論が終わらないんだよ
0135人間七七四年2018/01/06(土) 17:53:54.51ID:SeywN6yW
>>131
史実で落とされた時間が基準だろう
急に何倍も時間が伸びる理由がない
そもそも秀信は何故戦術から準備まで指示されなければならないのか

>>132
明確な理由がわからないなら史実通りの結果になるだけ
野戦で負けた後の籠城だからという憶測には賛同できないだけだ
0136人間七七四年2018/01/06(土) 18:05:50.65ID:5IzTbT4X
>>135
>明確な理由がわからないなら史実通りの結果になるだけ

こんなことは聞いてない。
守りにくい理由と史実で岐阜城が落ちた原因を聞いてるの。
あんたに聞いてるの。わかるのかわからないのか。
0137人間七七四年2018/01/06(土) 18:06:08.75ID:9D6PQHtw
>>135
野戦で負けた後の籠城というのは憶測じゃなくて史実です
最初から籠城していたら云々は史実ではなくifの話なのでまずそもそも史実通りに東軍が岐阜城に力攻めを行うかという部分から考えなければならないので史実通りの結果になるだけと言うのはたわ言です
史実で落とされた時間云々言うなら岐阜城は信孝時代に秀吉軍の包囲に対し最初から籠城を行い2週間ほど耐えてから柴田軍が敗北し援軍の望みが絶たれたために降伏してますので畿内からの援軍が見込める史実でも十分に籠城が可能です
史実が基準というならこっちの方が適切ですね
0138人間七七四年2018/01/06(土) 18:21:52.24ID:RU97s2Y+
>>8で言われてるように敗走して籠城準備が整ってない城に攻める「付け入り戦法」はあるのに
史実ガーとか言ってるのは全く戦術を理解してないんだろう
籠城については下を読め

34:人間七七四年 2017/12/08(金) 00:58:11.38 ID:hQ2NTEq1
>>29
最初から籠城した場合だと通路を瓦礫で塞いだり真田丸みたいに城の防備を改造できるけど

野戦に出て敗戦した後の籠城の場合は敗戦した後の退路のために通路は瓦礫で塞ぐこともできず
城の防備も手薄なままな上に兵数も士気も落ちてたからすぐ落ちた

お前の家に敵が攻めてくるとしたら窓ガラスをベニヤ板や家具で塞いで侵入を防ぐだろ?
野戦に出た場合を例えると、お前が外から逃げ帰って家に入っても
敵に窓ガラスを割られてすぐ侵入されてしまったようなもんだ

558:人間七七四年 2017/12/21(木) 01:00:13.34 ID:I/Dgo2Xe
>>555
地形を知り尽くしてる池田輝政と福島正則に野戦挑んだのがアホだったという話だよ
池田輝政にはどこが渡河しやすいか分かってたから強行突破された
地形を変える大規模な土木工事は不可能だが
最初から籠城して7000人の労働力で曲輪とか城の構造を変える改修工事は可能だったって話

ただでさえ野戦は兵力が劣る場合はしてはならないという鉄則があり
劣勢でも総大将の機敏な判断と采配次第では奇跡は起こせる
が、秀信に野戦の能力は全くなかったからボロ負けした
野戦は最悪の選択肢だったんだよな
0139人間七七四年2018/01/06(土) 18:36:00.35ID:Gjwklayt
>>134
同意、そこに固執し過ぎる議論も飽きる
岐阜城籠城という前提の別スレ立ててやってほしい

はじめから籠城しても史実通り何も変わらないと言うのは言い過ぎだけど
その後の戦略が一気に西軍有利にというのもおかしい
0140人間七七四年2018/01/06(土) 18:39:00.92ID:C2zusn83
東軍の兵を次々と撃破や大勢で勝ち状態に持ってくのはきつつき(笑とか言っている様な日本の軍師や武将の考えじゃ難しいね
0141人間七七四年2018/01/06(土) 18:44:00.45ID:enNuTu3H
関ヶ原の戦いが長期化して乱世になってたら面白かったのにな
東北の伊達は独自に勢力を広げ、豊臣に苦汁を飲まされた因縁をはらすべく東北の覇者に
九州では豊臣に冷遇された黒田が独自に勢力を広げ、豊臣に九州制覇の夢を潰された島津が動き出す
前田は徳川に人質を取られているので言いなりだが、徳川は関東を中心に東海道甲信を制覇し大勢力に
毛利は遠征中に空き巣をされ傾いていく
面白い未来図だ
0142人間七七四年2018/01/06(土) 18:49:57.92ID:khOOSTYH
>>139
飽きるとか言われても前田は味方しない、上杉の即関東乱入はない、
なら主戦線の美濃でなんとかするしかないじゃない。
一気に西軍有利って、岐阜城が粘るだけでそれだけの効果があるということだよ?
わたしはそれほど西軍有利とも思わないけど。
西軍も尾張に積極攻勢掛けるのはリスク大きいし。清洲に5000以上籠もられたらまずおちないだろうし。
0143人間七七四年2018/01/06(土) 18:51:17.19ID:xhQNRggc
>>137
賤ヶ岳合戦で秀吉が信孝の岐阜城を力攻めにしたの?
0144人間七七四年2018/01/06(土) 18:55:04.57ID:t7HFaOuL
籠城敗北論者に聞きたいが
本戦で西軍が2倍いても同じ結果だということか?
3倍いても同じか?
0145人間七七四年2018/01/06(土) 18:59:44.99ID:enNuTu3H
岐阜は東北により過ぎている。大軍がこもれば見張りをつけて放置だろう
遊兵化だ。京都には中山道以外にも東海道を使えばいける

http://ime.pta.jp/d/Ei49qm.jpg
http://ime.pta.jp/d/qUWePk.jpg
http://ime.pta.jp/d/JgJxgg.jpg
http://file.sengokumap.blog.shinobi.jp/1600.jpg
0146人間七七四年2018/01/06(土) 19:02:03.40ID:enNuTu3H
http://www.halex.co.jp/wp-content/uploads/2016/06/20160613_1.jpg

東海道と中山道の地図
0147人間七七四年2018/01/06(土) 19:06:18.08ID:9D6PQHtw
>>143
敵の将兵が無傷で籠城していて敵の援軍が迫っている城をなぜ力攻めをする必要が?
史実云々言ってる人にも言えることですがそもそもなぜ城を力攻めするのか?というレベルの話なのですがそこらへんわかっているんでしょうか
0148人間七七四年2018/01/06(土) 19:08:37.10ID:xhQNRggc
>>147
信孝が降伏するまで囲んだだけだよね
0149人間七七四年2018/01/06(土) 19:20:27.70ID:9D6PQHtw
>>148
それが俗に言う城攻めというやつですよ?もしかして包囲=遠巻きにボケっと見てるだけって思ってます?
もしかして仕寄りという言葉をご存知ないのでしょうか?これは信長の岐阜城攻めの際にも使われていて信長公記にもしっかりと記載されてる攻城方なのですが
0150人間七七四年2018/01/06(土) 19:23:48.15ID:9D6PQHtw
訂正
×信長の岐阜城攻め
◎信長の稲葉山城攻め
0151人間七七四年2018/01/06(土) 20:26:29.47ID:19nhxuTA
宗茂を決戦に参加させるための岐阜城籠城じゃないの?
野戦で宗茂が敗走する姿は想像できないし
広家や秀秋も宗茂がいれば迷うことなく東軍を叩くっしょ
0152人間七七四年2018/01/06(土) 20:48:36.26ID:khOOSTYH
>>146
中山道微妙にズレてない?
0153人間七七四年2018/01/06(土) 21:26:14.63ID:GVfZF9Wy
福島と池田がやる気満々なんだから
0154人間七七四年2018/01/06(土) 22:12:59.77ID:gm8VMhst
>>144
日和見しながら弁当を食う人間が2倍・3倍に増えるだけだから結果は同じだろ
0155人間七七四年2018/01/06(土) 22:35:50.92ID:L/SB4o5C
石田が一万八千だぞ
0156人間七七四年2018/01/06(土) 22:46:40.28ID:gm8VMhst
小早川が4万5千の間違いじゃないの?
0157人間七七四年2018/01/06(土) 22:52:48.07ID:WRkT/hYn
小早川は東軍
0158人間七七四年2018/01/06(土) 22:53:29.11ID:WRkT/hYn
宇喜多五万な
0159人間七七四年2018/01/06(土) 23:42:15.98ID:gm8VMhst
ならば吉川は6万くらい率いているだろ
0160人間七七四年2018/01/06(土) 23:46:36.39ID:71WEdEBU
秀康の領土と合わせたら250万石持ってる家康に勝とうと思うのが無茶だよな
当時の動員兵力が、100石あたり2人で秀吉が従軍のさいに割り当てするのも100石に2人なので
それが基準だとすれば、徳川単独で五万動員できるんだよね、
自前の兵力五万ある時点で、三成は大駒落として将棋さしてるようなもんだしな
0161人間七七四年2018/01/07(日) 00:42:35.34ID:qVy+9kDU
>>154
弁当作るのも大変だな
0162人間七七四年2018/01/07(日) 00:47:52.33ID:yi4ZHQry
>>154
全く関係ないけど毛利秀元が江戸城に行ったときに弁当のおかずにいいもの入れてたら一緒にご飯食べてた大名たちに根こそぎ奪われたってエピソードがあったな
0163人間七七四年2018/01/07(日) 02:22:17.90ID:H4u4g2Xo
疑問に思うけどさ?野戦で敗北の後に簡単に落城って北ノ庄城なんかもそうだよね?
野戦の敗北で士気が落ちた後の事で秀信を愚将扱いも酷くないの?
0164人間七七四年2018/01/07(日) 02:28:23.37ID:yi4ZHQry
>>163
そもそも野戦に出るなという話では
兵力が十分にあるなら木曽川を防衛ラインにして敵の攻撃を防ぐという手もありだけど
0165人間七七四年2018/01/07(日) 03:03:54.41ID:qVy+9kDU
https://bushoojapan.com/castle/fujisecastle/2016/09/25/84409

こことか面白いね
0166人間七七四年2018/01/07(日) 05:26:32.88ID:qiYSyY67
>>162
それ秀元だっけ?輝元だと思ってた。サケだろ?w
0167人間七七四年2018/01/07(日) 07:40:11.03ID:S08gtJ2m
>>165
岐阜城に戦略的価値はないんだよ
中山道を掌握し、濃尾平野一帯を見渡すことが出来るのが岐阜城の意味だけど
犬山城が東軍の手にある以上、信濃から濃尾平野へ入ることが出来るし、清洲ともつながっている。
岐阜をおとす意味はてごろな生贄として使えたから。池田輝政が城主をやっていて構造を理解していたからだな。
大軍がこもるのにはむかない。
もしこもれば東北によりすぎているからスルーすればいいていどの価値だ

この関ヶ原の戦いにおいて西軍に重要な城は大津城、佐和山城、大垣城で家康を京に向かわせないこと。
東軍に重要な城は中山道で濃尾平野に入るとある犬山城、尾張の中心清須城、大垣の最前線竹ヶ鼻と、墨俣だろう。
岐阜の守りが堅いならスルー。

けどそのサイトのレーダー施設ってのは言いえて妙だな
0168人間七七四年2018/01/07(日) 07:55:35.69ID:arRQsPEd
>>167
>>9のようになるんだな
家康「>>167は西軍を有利に導こうとする内通者だ。首を跳ねよ」
0169人間七七四年2018/01/07(日) 08:03:08.09ID:S08gtJ2m
岐阜に大軍がこもっている前提を妄想してそこに東軍を突撃させようとする人ってなんなのだろうな
京都に行くには中山道を使わずとも東海道があるのに
0170人間七七四年2018/01/07(日) 09:04:50.42ID:qiYSyY67
東軍の勝利条件

西軍を打ち破るor大阪城を落とす

大阪城は大阪の陣を見ても分かる通り力攻めでは10万程度じゃ攻めても落とせない。


西軍の勝利条件

家康を討つor江戸城を落とす

江戸城を狙う事は可能かもしれないが、大阪に向かう敵軍シカトして江戸へ行くのは大博打



よって、両軍共に敵主力を無視して敵本拠地を目指せない。
目指す意味も無い。
0171人間七七四年2018/01/07(日) 09:44:16.48ID:zPtjwEVp
>>169
>>8 後詰が来たらそっちを先に撃破するという東軍先発隊の作戦方針があるから。
合理的判断で撤退する可能性もあるだろうとも見ている。
べつに妄想で突撃させようとしてるんじゃない。
0172人間七七四年2018/01/07(日) 10:37:05.26ID:zPtjwEVp
それと個人的に思うことだけど、鉄砲の普及以降、長篠以降あたりから
鉄砲の効果と野戦築城の効果が大きくなったと感じる。
野戦築城の例は設楽原の織田・徳川陣や小牧・長久手時の小牧山城、
ソースは忘れたけど長谷堂の場合も最上の鉄砲かき集めて長谷堂に集中配備したんでしたっけ?
長谷堂が善戦してのもそのためではないかと。
伏見城でも最初銃撃戦ばかりやってたのも城方の銃撃でなかなか近づけなかったのではないかと。
それで攻略日数がかかったと。
小牧山も双方の野戦築城でお互い手が出せない状況になってる。

長篠以降で落城したケースは、城方の内応があった場合か、戦力比が大きかった場合がほとんどのように思う。

実際に使われることはなかったが、西軍の瀬田陣地も瀬田決戦が起こっていれば
それなりの強度を持ち東軍は容易には瀬田を突破することはできなかったと思う。

野戦築城は土木工事の空堀、土塁、柵だけでもかなり有効なので守勢地点では積極的に
行うべきだと思う。
0173人間七七四年2018/01/07(日) 10:58:40.99ID:arRQsPEd
大垣は湿地帯で水攻めを提案されるくらい長期化が予想されてたし
岐阜城より伊勢方面軍が近く援軍に来やすいから岐阜城攻めを選んだわけで
木曽川での大軍による渡河防衛される前に岐阜城を落として関ヶ原〜佐和山の進軍ルートを確保したかったから
岐阜城攻めて大垣城をスルーした当時の戦略を理解できない人がいるみたいだね
0174人間七七四年2018/01/07(日) 11:10:33.29ID:56+LDET/
>>114
お前の全財産の8割貰うけど
二割は残してやるから感謝しろよといわれて納得出来るんだ
0175人間七七四年2018/01/07(日) 11:19:14.87ID:bWTXNdqf
>>170
東軍にとって圧倒的に有利なのは三成を討つという勝利条件を持っていること
しかも三成は形式上大将でもなんでもないので西軍が手厚く守るということはありえず
むしろ前線武将として東軍の格好の位置に置かざるををえない
将棋でいうなら東軍だけ香車を1つ取れば勝ちという条件でやっているようなもの
両者の勝利条件に絶対的な差があるのが関ヶ原の特異な点だろう
0176人間七七四年2018/01/07(日) 13:03:41.49ID:Nz/qL0p/
三成が大将であるからこそ三成敗北で決まった
まあ軍が消滅したというのが大きいけど
0177人間七七四年2018/01/07(日) 14:03:41.46ID:bWTXNdqf
西軍は名前のとおり大坂より後ろを拠点にしている奴が大半で
東軍の進軍ルートを阻める場所を拠点にしているのは三成ら一握りしかいない
だから東軍が大坂に行くのは意外と楽なんだよ
実質的な障壁は大垣や佐和山くらいしかない
しかも西軍の低い士気をかろうじて維持しているのは三成派なので
三成を倒すと士気的にも地政学的にも勝利確定といっていい
しかも三成は嫌われているので標的にすると自軍の士気も上昇するおまけ付き

三成を討つという勝利条件があるのは東軍の最大の武器と言っていいだろうね
0178人間七七四年2018/01/07(日) 14:19:30.94ID:rGSvcKNd
東軍が大坂へ行ってどうするの?
家康他東軍は秀頼と敵対したわけじゃない
大坂城を攻撃すれば謀反人だ
0179人間七七四年2018/01/07(日) 14:49:53.49ID:cfmymAVI
豊臣も家康と戦いたいわけではないので
実際にどうなるかだね
0180人間七七四年2018/01/07(日) 15:55:10.94ID:S08gtJ2m
>>178
東軍がすべきことは、脱獄囚の石田三成に占領された京都大阪の解放と
主君である帝の安全の確保。
そして前の太政大臣の遺族を保護することだよ。

聚楽第行幸で主君の帝から任された公儀を関白と太政大臣から引継ぎ
太政大臣の遺言にもとづいて1600年の時点で公儀を運営する内大臣として絶対にしなければならないことだな。
0181人間七七四年2018/01/07(日) 16:00:37.17ID:S08gtJ2m
国家反逆罪を犯した脱獄囚を内大臣としてさばくことも重要だが
それ以上に重要なのが、帝の安全を確保することと、太政大臣の遺族の安全を確保すること。
京都と大阪を賊軍に占領下から解放することが、
武家最高位の大臣である内大臣に求められる義務といえる。
0182人間七七四年2018/01/07(日) 16:48:00.87ID:hi1rGPnc
政治的解決
0183人間七七四年2018/01/07(日) 19:18:12.40ID:qiYSyY67
またキチガイ発言する奴が現れてるなw
0184人間七七四年2018/01/07(日) 21:52:03.63ID:Fn5UyV3s
秀次残党を孤立させるのが唯一の方法。
秀次残党(池田輝政、浅野幸長など)は東軍以外の選択肢はないから、
彼らが秀頼を憎んで秀頼を除こうとしている(関が原後事実そのような
行動を露骨にした)と宣伝し、秀頼を守れ、秀頼の敵徳川家康、池田輝政、
浅野幸長らを除け、と言えば、まとまった気もする。

その行動をするには、石田三成は人望が不足していたと思うが。
0185人間七七四年2018/01/07(日) 21:55:38.05ID:Fn5UyV3s
池田輝政は秀次の正妻の兄で、秀次のナンバーツーだった。秀次事件で
処刑されそうになったのを、家康の取りなしで命拾いした前歴がある。
だからこそ、池田輝政、徳川家康を浅野幸長と一緒に秀次残党として
片付ける方法は有効。
0186人間七七四年2018/01/07(日) 22:45:26.24ID:jaFc0B43
勝手に分裂して火種起こしてくれるなんて家康からしたら大助かりだろw
0187人間七七四年2018/01/07(日) 23:41:44.54ID:bWTXNdqf
三成こそ秀次残党を大量に雇い入れている隠れ秀次派だよ
しかもこいつはさも秀頼に忠義を尽くすふりをして秀頼を蹴落とす巧妙な知能犯だ
西軍は三成という一番の秀次残党を抱えた時点で敗北は免れなかった
0188人間七七四年2018/01/08(月) 00:11:07.67ID:Kfw6VoNQ
石田三成は蟄居という刑罰を受けた受刑者なんだよ。だから三成は脱獄囚だった
さらに太政大臣が遺言で内大臣に政務をあずけ、
聚楽第行幸で忠誠を誓った主君の後陽成天皇が晒布100反を下賜して送り出した官軍に反乱をおこしたわけだから、
国家反逆者だった。

讒言しまくりだし関白殺害にも関与している。しょうもない人間だな
0189人間七七四年2018/01/08(月) 00:38:13.55ID:mu3cT9ll
>>188
ひとつ聞くけど、その内大臣はその国家反逆罪とやらに問われることはないの?
0190人間七七四年2018/01/08(月) 00:44:41.66ID:tSQbJDti
>>172
そこは自分も思う。非常に簡単な簡易築城の陣地でも、鉄砲が大量に有ると厳しいんだよね。
所謂良く言われる火縄銃の弱点も、籠城側なら保々克服出来るしね。
0191人間七七四年2018/01/08(月) 01:38:37.45ID:AGX+GtCv
それが本当にそんなに簡単な事なら
城を落とされる奴なんて誰も居なくなるな
0192人間七七四年2018/01/08(月) 01:47:25.30ID:hqTGCjxQ
勝てないけどはなっから大阪城に籠もれば負けることもない
0193人間七七四年2018/01/08(月) 07:20:59.11ID:YOegQl6N
>>191
だから仕寄り戦法という攻城方法が生まれたんだぞ
力攻めなんてのは基本的によほどの兵力差がある・城の規模が砦規模の小さなものである・野戦に出てきた敵兵を破ってそのまま勢いに乗じて攻めこむetc…などの条件がないとやらない
0194人間七七四年2018/01/08(月) 07:35:40.83ID:kKkeJRqK
それじゃ結局守りきれないって事だろうに
0195人間七七四年2018/01/08(月) 07:55:03.24ID:PVwtZv5l
仕寄なんてこの時期の攻城なら基本だろうに
そういうのも含めて力攻めなんじゃ無いのか?
0196人間七七四年2018/01/08(月) 08:58:33.20ID:Kfw6VoNQ
>>189
2度の聚楽第行幸で忠誠を誓った主君である後陽成天皇に
内大臣に任命され、晒布を下賜されて会津征伐をしているのに
なんで罪に問われるんだ?
罪に問われるとしたら、関白を恣意的に殺した太政大臣と
内大臣が公儀を運営しているのに謀反をおこした脱獄囚の石田三成
そして東京で幕府がひらかれて公儀が運営されているのに、呪いでテロをおこなって謀反をおこした豊臣秀頼だろう
0197人間七七四年2018/01/08(月) 09:10:42.19ID:Kfw6VoNQ
公儀に逆らうという行為は織田信雄を見ればわかる。

主家を簒奪した秀吉は1588年に聚楽第行幸をしてもらい諸大名に天皇に忠誠を誓わせ関白の命に服すことを誓わせた
そして1590年に北条征伐の褒美を断った織田信雄は、秀吉の主君でありながら改易された。
織田信雄は秀吉に織田家の家督に据えられたのだけどね。
公儀に逆らうものは主家であろうと滅びる。秀吉が実践したことだな

関ヶ原における東軍は官軍だよ
0198人間七七四年2018/01/08(月) 09:10:43.51ID:k23UNF81
佐和山城ってどんくらい大きいのかね?
巨城って言われてるけど、大軍篭れるのかな?
0199人間七七四年2018/01/08(月) 09:33:35.11ID:Kfw6VoNQ
>>198
小さいと思っていたらかなり大きかったよ佐和山城
https://jyo-sai.com/castle-report/yamajiro-cat/sawayamajyo1710/

ここが参考になる
0200人間七七四年2018/01/08(月) 12:26:29.06ID:yhh5D8Ue
長良川と木曽川を利用して
岐阜城は水攻めじゃあ
0201人間七七四年2018/01/08(月) 12:58:45.94ID:mu3cT9ll
ひとつわかったこと。
詳細はよくわからないが、秀忠、秀康が8月20日頃まで、7月下旬から約1か月近く
宇都宮周辺で野戦築城をしていた模様。
1か月という期間は尋常ではなく(毛利の兵約1〜3万で瀬田陣地構築終了が約10日)
秀忠、秀康ほかの兵約55000で1か月となると、相当念入りに防御陣地の構築を行ったものと考えられる。

おそらく小牧・長久手時の戦訓を取り入れて、のものだろうが、
秀忠西上後、宇都宮は秀康ほか約17000しかいないが、
仮に上杉が最上打倒後、南下しても宇都宮を攻略することは不可能と思われる。

可能性としては三方が原や9月14日東軍関ヶ原進出の噂伝播のように
何かしらの方法で宇都宮から秀康らを引きずり出して野戦に及ぶか
宇都宮は無視して関東乱入しかなさそう。
0202人間七七四年2018/01/08(月) 13:11:46.45ID:rV767ER1
上杉は最上も落とせてないから
守っていれば脅威ではない

深入りすれば大損害を与えて無力化する
0203人間七七四年2018/01/08(月) 14:07:03.42ID:yisZ2OqG
>>196
おじいちゃん東京という名前は当時ありませんよ
おじいちゃん精神病棟にもどろうか
0204人間七七四年2018/01/08(月) 14:31:46.16ID:1mPnnQli
上杉が驚異じゃないのは同意
長谷堂の流れ見ても最上も落としきれるかかなり怪しい
畑谷、上山の戦い見ても義光が細かい支城は捨てて山形城に集中して籠る戦術に出てるのに
その支城の一つ一つで損害が甚大過ぎる、結局上山も長谷堂も落とせず
2万以上の兵で1ヶ月近く戦って山形城の最上本軍4~5000に届いてさえない
いくつかの小城と最上2~3000足らずで守られてしまってる
この状況でなんとか上山長谷堂落として山形城まで届いてもその頃にはもうボロボロにされてるだろう

これで徳川を落とせる訳がない
政宗も史実ではあっさり終わってしまったから南部に無理なちょっかい出してたけど
上杉が山形にもっと深入りするなら下手な小細工より堂々と上杉領の方を狙う方が割が良くなる
そうなると南部軍が最上の援軍にも間に合う事になるし
さらに長引くとこの年は十月には大雪になるから退路も断たれる
佐竹が動かない限り関ヶ原が長引いたところで上杉はより厳しくなるだけと考える
0205人間七七四年2018/01/08(月) 17:58:07.08ID:YOegQl6N
>>204
上杉は山形城を攻めてるぞ

9/15の直江兼続から上杉景勝宛の手紙↓
「13日に畑谷城を攻め落としました。簗沢城も占拠しました。周辺を放火した後、最上義光の居城に向かって布陣しています。(中略)
この手紙を書いてる最中に飛脚から報告があり、敵兵が動いて前線で戦いがあり首をいくらか取ったとのことです。あとで詳しく報告します」

9/29の伊達政宗から村越茂助宛の手紙↓
「(前略)上杉が畑谷城を攻めとり川の西はほとんど敵地同然になってしまったため最上義光が危機に陥りました。
とりあえず叔父の留守政景に五、六千の兵を与えて山形に派遣したところ敵兵が下がったので政景と義光が相談して兵を進めたところ、敵陣とのあいだに悪所があるために容易に合戦を行うこともできず、敵を追い払うこともままならず対陣しています(後略)」

要するに直江は同時並行で山形城と長谷堂城と対峙する態勢をとってて山形には伊達の援軍が来たからとりあえずそっちの兵は一旦退かせたって流れ
0206人間七七四年2018/01/08(月) 18:15:29.77ID:kQGAS+Yz
>>205
山形に向かいかけたけど長谷堂が落ちない時点で危険と判断して
兵を引いた流れと認識してたんだが交戦してたとは知らなかった
位置的にも長谷堂が落ちないまま山形行ったら伊達の援軍も来て危険だし
0207人間七七四年2018/01/08(月) 18:28:44.82ID:J/q06FbO
上杉が不甲斐なさ過ぎてなあ
せめて真田ぐらいの戦果を挙げてみせていればまた違う展開だっただろうに
0208人間七七四年2018/01/08(月) 19:02:03.35ID:aI2KvwJv
いや上杉からすれば最初から西軍と連動して動いているわけではないからあんなもんだろ
むしろ上方の決着が早すぎる
0209人間七七四年2018/01/08(月) 19:08:26.19ID:YOegQl6N
>>207
言っても真田も対して戦果あげてないだろ
説得工作と対峙で数日消費しただけで家康から秀忠に命令があってとりあえずスルーされたってだけだし
0210人間七七四年2018/01/08(月) 19:31:16.94ID:Z2c83get
真田が大勝利だが
実質日数を使わせただけ

損害あっても戦力は維持
0211人間七七四年2018/01/08(月) 19:34:35.24ID:Skl1ueDJ
真田程度でいいなら北関東奥羽軍を引き留めてた上杉も大戦果だな
0212人間七七四年2018/01/08(月) 20:55:06.16ID:Z2c83get
結局首謀者の三成を倒せばいい
0213人間七七四年2018/01/08(月) 21:46:48.94ID:5WBPhYZB
>>201のさらに追加。
6月下旬頃より宇都宮の前線である大田原城、黒羽城に対し、家康は徳川勢による援軍及び
武器弾薬の増強、それから普請、少なくとも大田原城の普請には約1000人動員している。


7月26日付中川秀成宛前田玄以、増田長盛、長束正家連署状より、
少なくとも7月26日の段階で織田秀信、稲葉貞通、犬山城が人質を出し西軍方となった
としている。

それから石田&秀信(おそらくこれに小西、島津も加わると思われる)主導で
木曽川渡河&清洲攻略を計画していたようだが尾張衆の勧誘や準備でもたもたしていたら
東軍先発隊が清洲に到着しちゃって計画は中止になったみたい。
計画
0214人間七七四年2018/01/08(月) 22:23:07.15ID:5WBPhYZB
さらに補足。石田と秀信は家臣派遣して尾張衆の勧誘を一生懸命やってるが、
結局尾張で西軍についたのは犬山城くらいかな。
美濃は8〜9割方西軍についたが。
石田が尾張の曼陀羅寺(だっけ?)に禁制だか出してた8月上旬は主に尾張衆の勧誘と渡河準備に費やしたっぽい。
0215人間七七四年2018/01/08(月) 22:41:55.38ID:k23UNF81
それこそ恵瓊が調略やった方が上手そう
0216人間七七四年2018/01/08(月) 23:33:05.30ID:kQGAS+Yz
>>207
この場合、どちらかと言うと比較対象は福島ら先発隊だろうな
岐阜城含め次々と撃沈させて本戦でも大活躍の東軍先発隊に比べて

上杉は数千の最上落とすのにどんだけ手こずってるのかと
鮭延や志村らには普通に反撃喰らってシャレにならん損害出してるし
ちょっと擁護のしようがない
0217人間七七四年2018/01/09(火) 01:00:50.54ID:geB0PS6C
>>216
最上は数千じゃないぞ
>>205でも書いてるけど伊達政宗が派遣した留守政景の部隊5000が山形城・長谷堂城を攻撃し始めて数日後の9/21援軍に来てる
さらに最上領土に侵攻した上杉軍の退路を断つ動きもしていて景勝がこれに対応してる

9/29の伊達政宗から村越茂助宛の手紙
「(前略)上杉は最上へ大量の兵を送り、会津は景勝の小姓ばかりが残るようなもので役に立つ者はみんな最上へ出ていると聞いています。
「(中略)25日に長井へと通じる口である下関に出兵し、湯ノ原城を占拠して最上と連絡をとり、私自身が長井へと出兵しようとしました。そうすれば最上に在陣している者たちも慌てて撤退するだろうと考えたからです。」
「関東の兵が白河の境まで出てくるならば自分も仙道口から兵を出します。(後略)」

9/25上杉景勝手紙、宛先不明
「政宗が国境に手を出してきたと聞いたので、こちらから兵を送る。仙道口からも同様に手を出してくるだろうからこちらにも同様に手当てをし、油断しないように伝えた。そちらも何か変わったことがあれば伝えるように」

政宗はどうも上杉軍が領国を空っぽにして全軍で最上を倒しに行ったと情報を得ていたようでそのために米沢と最上領土の中間地点である長井を占領して上杉軍の後方撹乱を狙った様子
しかし実際にはそれは誤情報で景勝は手元にちゃんと兵隊を残してて伊達への対応を行なったから政宗の後方撹乱作戦は実らなかった

つまり実質的に上杉vs最上・伊達連合軍という戦いの構図で最上軍はそこまで圧倒的に劣勢な兵力差だったわけでもないし上杉軍は美濃平野で暴れまわってた東軍のように雑魚相手に楽な戦いができてた訳ではない
0218人間七七四年2018/01/09(火) 01:44:14.04ID:VLsdK0i3
西軍の連中に比べて東軍の連中の動きが早いのは事実だな。
あいつらハリキリ過ぎだろw

対して家康は遅かったな。黒田は調略で、福島は専当で。
あんなに頑張るとは色々誤算でもあるだろ。
0219人間七七四年2018/01/09(火) 01:53:16.88ID:nqIXARXe
上杉の動向と豊臣恩顧の動きを監視

岐阜城落城で決戦可能と判断
0220人間七七四年2018/01/09(火) 02:07:31.32ID:WF5leZHt
>>217
いやまず山形城攻める前の数千の最上相手にどんだけ粘られて反撃されて損害出してるのかって話
ここが東軍先発隊並みにサクサク行ってたらだいぶ変わってたんじゃないかと

伊達が上杉狙ってたり最上に南部が援軍来てたりはわかるので
総合的に簡単な相手ではないのはわかるし
関ヶ原で西軍がもっと粘っても恐らく最上は落としきれないし分が悪いのはわかる
ただそれ以前の問題だったんじゃないかって話
0221人間七七四年2018/01/09(火) 02:24:16.74ID:geB0PS6C
>>220
東軍先発隊がサクサクいったのってそれだから美濃の最大勢力の三法師くんがわざわざ城から出て来てすぐに決着がつく野戦で戦ってくれたおかげじゃん
そりゃ寡兵なのにわざわざ城から打って出て来て負けてくれるんだからサクサク進むよ
8/23に岐阜城落とした後はあとは近辺の小城をいくつか落としたくらいで敵が出て来てくれない大垣城とにらめっこしたまま9月中旬に家康がやってくるまで足踏み状態だし
上杉も最上義光が初手から寡兵で山形城から打って出て来て野戦を挑んでくれればすぐに決着つくんじゃないですか
0222人間七七四年2018/01/09(火) 03:11:56.19ID:/SGtYXF+
>>221
上山とか長谷堂で寡兵で野戦に出てくれてるじゃん
奇襲喰らって大混乱させられてるけど
0223人間七七四年2018/01/09(火) 04:37:14.03ID:geB0PS6C
>>222
支城が防戦手段として行う夜襲と主力が自ら押し出してくる野戦を同一視するお馬鹿さんがどこにいるんでしょうね
0224人間七七四年2018/01/09(火) 07:19:30.11ID:/nWFHGoU
城兵の半分くらい投入して決死の反撃をしてるんだし
その奇襲が失敗してたら岐阜城と同じ事になってたろう
防衛側もこのぐらい覚悟と能力を持ってないと守れないと言うことだ

いずれにしろそれボコられてる上杉はどうなのよってのは変わらんが
0225人間七七四年2018/01/09(火) 08:00:17.44ID:D1iEDHMv
>>222はなぜこの板にいるのかってくらい素人すぎてワロタ
0226人間七七四年2018/01/09(火) 08:07:47.26ID:1IwxwEte
2chで素人とか玄人とかワロタw
0227人間七七四年2018/01/09(火) 12:54:26.40ID:/nWFHGoU
>>226
西軍のためなら当時の武将に具体的な戦いかたまでレクチャーしてくださる玄人様に失礼だろ
0228人間七七四年2018/01/09(火) 13:44:36.85ID:afUzwTEr
広義では野戦に分類できるけど、狭義では、奇襲、伏兵、襲撃、夜襲、つまり戦法の部類だわな。
0229人間七七四年2018/01/09(火) 14:04:18.64ID:apuJJeFf
西軍が勝っていれば豊臣家は続いていたんだ
そうすれば大阪が日本の首都だったんだ、大阪城に観光客を呼び込んで金儲けできるんだ

…と妄想したい人が関ヶ原で西軍を勝たせたい
0230人間七七四年2018/01/09(火) 14:21:16.03ID:7Se6KLrf
現代戦とちがって大将だけ倒せば終わりだからな
ゴルゴみたいなのがいれば勝てるだろ
0231人間七七四年2018/01/09(火) 14:55:43.23ID:D1iEDHMv
長谷堂城の鮭延は夜に紛れて200騎で夜襲し
同士討ちさせたり大混乱に陥れて数百単位の損害与えただけだからな
創作話の島津が関ヶ原で夜襲してれば勝てたとアホなことを言ってた輩もいたな(笑)
0232人間七七四年2018/01/09(火) 14:57:30.42ID:/1Ubhi1T
ところで最近、一次史料を盾にして新説語る連中がいるが、
どうも顔つきやしゃべり方からして胡散臭い。
確かに、少なくとも後世の講談ものより一次史料が信憑性が高いのはわかるが、
かといって、その史料なるものの真実性っていか程のものか?
書いた人物だって、その場にいて見て書いたわけじゃないだろ。
0233人間七七四年2018/01/09(火) 16:10:47.81ID:nqIXARXe
同感だが講談をベースにできないし
0234人間七七四年2018/01/09(火) 16:21:02.01ID:afUzwTEr
そのネタは真実スレでよろです。
ここは真実追求するスレじゃないし。

てか、小山評定でも問い鉄砲でも反論してる学者はいるんだし、違うと思えば根拠を提示して反論すればいいだけ。
話し方がどうとか胡散臭いはただの人格攻撃。
0235人間七七四年2018/01/09(火) 20:15:49.70ID:/nWFHGoU
長谷堂城自体が1000に満たない兵で守ってたんで
長谷堂の200って城兵のうちの結構な割合ではあったりする

あと上山城の方は普通に野戦に打って出た上で
二手に分けた伏兵使って撃退してる
0236人間七七四年2018/01/09(火) 20:52:03.94ID:dcJkcHxH
>>232
出陣先から国許への手紙なんか、弱気なことや不利なことなんて早々書けないしな。
完全乗り気だった扱いされる武田勝頼の長篠からの手紙なんか良い例だと思うけど。
ただ、>>233の言うとおり、他に参考に出来るモノがなければ話成り立たないからなぁ。
0237人間七七四年2018/01/09(火) 21:11:14.22ID:eOM9aDMV
たしか、長谷堂は1000対1万8000、上山は500対4000だったか
0238人間七七四年2018/01/09(火) 23:41:50.69ID:hlqw2cYH
>>231
だけって言うけど数百単位の首取られるって当時の割合からしたら大損害だぞ
上山城での損害なんて真偽はともかく4000のうち400も首取られたとか全軍潰走に近い大損害
玄人ならそのぐらい知っておけよw
0239人間七七四年2018/01/09(火) 23:46:35.72ID:TgoAaQrg
首取られた数倍の負傷者が出るものだから全滅レベルやな
0240人間七七四年2018/01/09(火) 23:51:05.54ID:D1iEDHMv
>>238
アホはお前だ
夜襲は敵に察知されないように小規模で行うから勝敗が決するような大損害が出るわけがない
両軍合わせて20万規模の戦いの関ヶ原で島津が夜襲してたら勝ってたとぬかすアホ
夜襲が野戦とぬかしてた素人みたいなアホがこのスレにいるのが笑えるってことな(笑)
0241人間七七四年2018/01/09(火) 23:54:17.67ID:sMBoiIZ+
そもそも島津が夜襲を提案した、って話自体、後世の作り話だし
0242人間七七四年2018/01/10(水) 00:12:21.95ID:li6yeKKL
誰も島津の話なんかしてないぞ
0243人間七七四年2018/01/10(水) 00:14:25.70ID:ND8IRPJj
常山紀談か何かが出典だな。
0244人間七七四年2018/01/10(水) 00:34:09.88ID:iofLZArj
野戦か籠城かは軍全体の方針というか戦略。
伏兵や夜襲は局地的な戦術でしょう。

桶狭間の戦いは野戦と思われがちだが織田軍の方針は砦の籠城からの奇襲。
丸根砦や鷲津砦の籠城等を囮にして今川軍の主力の大軍を惹き付けるための時間稼ぎをした。
今川義元は後方に控えてたが織田軍の砦が陥落した報を聞き義元は西進。
西進してる最中に織田軍の奇襲を受け義元は討ち死。
丸根砦や鷲津砦の籠城等で今川軍主力を惹き付けたからこそ奇襲が成功した。
長篠の戦いも最初は寡兵による籠城戦から始まり時間稼ぎに成功した後詰め決戦である。

野戦で寡兵が大軍を討ち破った例は良く出る。
そして寡兵で大軍を破るには野戦しかないという安易な考えが散見される。
しかし、その過程に至るまでに敵大軍がどこで惹き付けられ足止めを食っていたを忘れてはならない。
0245人間七七四年2018/01/10(水) 01:20:50.69ID:I7XcSmqC
>>240
まず普通に城門開けてほぼ全軍で打って出た上山城合戦は言い逃れのしようがない

長谷堂もこの位置関係で春日元忠が襲われて本陣近くまで襲われてんだから普通に野戦やってるだろう
https://i.imgur.com/cPJQTTO.jpg
0246人間七七四年2018/01/10(水) 02:39:27.09ID:Nf+8F0EW
結局のところ上杉が腑甲斐無さ過ぎる
これじゃ関ヶ原が長引いても最上倒すどころか伊達に侵略されてそうだ
まして徳川攻めなどできようはずもない
0247人間七七四年2018/01/10(水) 04:40:44.23ID:1+s7UEuS
ここでね、散々西軍の纏まりの無さってのが揶揄されてて、確かにその通りだけど勝算がまったく
無い程では無いと思うんよね。
良い例がさ、第二次大戦中の連合軍だよ。元来はドイツの復讐を恐れるフランスが背後のポーランドなんかの
東欧諸国とイギリスと組んでる形なんよね。
だから、フランスが崩壊した後は実はイギリスが単独講和する可能性も有った。
本来さ、アメリカとソ連は犬猿の仲だし、アメリカが本気でイギリスを救援するかも疑問だったんよね。
それが一時的にヒトラー打倒で共闘して圧倒的な多数派作ったからね。
この辺はさ、ワルシャワで蜂起起こるとソ連軍がわざと進軍を止めたり纏まりの悪さは結講出てる。

結局、史実の流れは野戦で負けた事より大阪城に籠城せんかった事が重要じゃないだろうか?
0248人間七七四年2018/01/10(水) 06:17:15.81ID:Vi38CJuk
大坂に誰が籠城?
0249人間七七四年2018/01/10(水) 08:43:20.76ID:lyGR6njt
>>247
その無駄に長い例と籠城という結論の繋がりが微塵も分からん
0250人間七七四年2018/01/10(水) 09:33:32.03ID:cPy5AkIx
島津は人数が揃わな過ぎて戦いたくなかったんじゃないか
0251人間七七四年2018/01/10(水) 10:37:57.46ID:7deGOS8I
島津はもともと豊臣の敵で
領地を削られた恨みがあり
関ヶ原においては九州なので西軍に参加したが
進言は受け入れられず墨俣で見捨てられたりでやる気なくすだろう。
家康に誘われていたのにほうれんそう不足で西軍に組み込まれ負け戦に巻き込まれてどうしようもない状態。
0252人間七七四年2018/01/10(水) 10:42:48.68ID:HVIdoS23
>>247
その例でいくと、ポーランド、オランダ、ベルギー、ギリシャ、フランス各軍は
ロンドンに集結してロンドン防衛に全力を挙げましょう、
と言っているようなもの。

たしかに各国軍の戦力は温存されるが、そこから大陸反攻に持っていけるのかと、
一時的にせよ、パリ陥落、ワルシャワ陥落等に各国が同意するのかという部分。
0253人間七七四年2018/01/10(水) 10:54:53.41ID:v7L/PxPN
島津はしかも義久が中央に介入したがらない

結果的に本領安堵だから正しかったと言えなくもない
0254人間七七四年2018/01/10(水) 11:43:11.46ID:7deGOS8I
あの状況で島津は、もう西軍も豊臣もどうでもいい
いかにして島津の武の矜持を保つかを考えていたのだろうね
なんで西軍に参加したんだ俺は。心は東軍にあるのにって感じだったろう。
けど裏切りも逃走も鬼島津の矜持がゆるさないって
0255人間七七四年2018/01/10(水) 13:04:17.48ID:v7L/PxPN
義弘は島津の国策として中央介入論だったのだろう
0256人間七七四年2018/01/10(水) 16:00:22.97ID:x0tdavBB
秀吉が死んだ時点で、豊臣はおしまい、二番手の徳川が権力継承っていうことで
問題ないはずなのに、よくもまあ、あれだけややこしいことしたなというか、結局、
単なる後継者争いということでいいよね、関ヶ原。
家康の順当な継承に、居場所がなくなりそうで焦った石田が、徳川継承が気に入らない、上杉、
毛利、宇喜多をそそのかして喧嘩しただけだよな。

といってしまえば、話は終わっていしまうんだが、教科書ではその程度の評価でしか
表現していないし、歴史学的にも、端的に言ってしまえば、そうなっちゃうよね。

細かい戦術、戦略、ましてや戦地についてこだわってもなあと、思ってしまうわな。
0257人間七七四年2018/01/10(水) 16:05:16.31ID:x0tdavBB
つまりは、五大老プラス秀頼を盾にした石田の六者間での継承者争いでどう?
西軍が勝利していても、確実に、毛利、宇喜多、上杉、前田、石田間で戦争が長引いていた
可能性は100%だね。
0258人間七七四年2018/01/10(水) 16:07:22.96ID:x0tdavBB
石田は、秀頼を利用して権力維持をしようとしてたんでしょ。
徳川時代でいえば大老職。
事実上の石田政権だわな。それを狙っていた。
でしょ。
0259人間七七四年2018/01/10(水) 16:11:15.08ID:x0tdavBB
で、徳川が勝利したのは、戦術戦略石高もあるが、

やる気だと思うよ。やる気。

そういう意味では、関ヶ原ってプロレスというか茶番だったんだよ。実際は。
きれいにいえば、儀式。
0260人間七七四年2018/01/10(水) 16:11:15.27ID:x0tdavBB
で、徳川が勝利したのは、戦術戦略石高もあるが、

やる気だと思うよ。やる気。

そういう意味では、関ヶ原ってプロレスというか茶番だったんだよ。実際は。
きれいにいえば、儀式。
0261人間七七四年2018/01/10(水) 22:20:05.32ID:XMoVMHDu
>>256
正しくは、前田利家の病没後。
0262人間七七四年2018/01/10(水) 22:23:49.74ID:c+tdDgO/
前田利家も過大評価され過ぎ
0263人間七七四年2018/01/10(水) 23:11:15.61ID:dL0PHSS6
前田利家なんて対立したあとすぐ怖くなって家康の所に謝りに行ってるやん
0264人間七七四年2018/01/10(水) 23:12:27.51ID:MVTMIuJv
五大老での勝負なわけで、とにかく。
石田は論外。
で、徳川以外の大老は力不足。
徳川に100%決まりの状況で、まあ、騒いだわな。
家康も、俺しかいねえだろうに、しょうがねえな、相手してやるかあ??
だったわけで。
0265人間七七四年2018/01/10(水) 23:14:42.11ID:MVTMIuJv
福島らも、恩知らずというよりは、
早々に家康に権力委譲した方がよかっべでしょ、が本音。石田が騒ぎ過ぎたね。
0266人間七七四年2018/01/10(水) 23:17:44.03ID:MVTMIuJv
関ヶ原って、相当に単純明快な出来事であって、なんら複雑ではない。
後世の人間が面白おかしく作話した。

まあ、それもいいんじゃね。
0267人間七七四年2018/01/11(木) 00:19:44.79ID:9zKY6FKL
>>262
利家本人の実力がどうとかじゃなくて秀吉の遺言内容で政権運営を家康、豊臣家の運営を利家って指名してたから無視するわけにはいかんのだ
0268人間七七四年2018/01/11(木) 02:35:05.31ID:sLHcgmGC
>>267
普通は、傅役って野心さえ有れば一番近い位置だもんね。
トルコ系の王朝で、アター.ベク「当主が幼少の時に、生母と結婚して後見人兼義父に」って役職有るけど
利家ってそれに近い立場だよね。
家康は飽く迄外様勢力で最大の潜在敵国扱いだと思うなあ?それを封じる役目が前田だと思うし。
利家に野心有るなら乗っ取って良いよぐらいの感じなんでは?
色々言われるけどさ、其れなりに友情に厚い人って評価だし。
0269人間七七四年2018/01/11(木) 07:38:56.29ID:QMXJb/r4
そんなに徳川は余裕じゃねーぞ。上方勢10万って聞いたら言葉を失ったと言うし
関ヶ原の最中でも、金吾が裏切るまではかなり焦っていた。
更に言えば、家康は秀忠の3万8000を関ヶ原に遅参させるという大失策をしている。
0270人間七七四年2018/01/11(木) 09:44:24.52ID:h12/bJu0
関ヶ原の構図は
盆地の真ん中で豊臣恩顧が東西5万ずつならんでドンパチして
その背後に家康の3万が控えて
家康の後ろで東軍2万が東軍3万を牽制している構図だし
さらにドンパチしている5万のうち1万5千は裏切り予定で、
実質戦っているのは東軍5万に西軍3万5000で、家康は勝てるいくさだったよ
0271人間七七四年2018/01/11(木) 09:49:18.98ID:h12/bJu0
つまり豊臣恩顧同士でこう着状態のなか、
家康への敵意を見せれば
南宮山の毛利は5万の兵をけしかけられ
松尾山の小早川は家康本軍3万をけしかけられる構図。
0272人間七七四年2018/01/11(木) 14:58:49.37ID:31s5YyQd
どちらかって言うと岐阜城落として勝確ムードの東軍に家康があわてて追い付いた様だよな
天下分け目のタイトルとは裏腹に、実態は消化試合に近いありさま
0273人間七七四年2018/01/11(木) 15:22:51.51ID:g1EzgIS7
石田三成が権力維持しようとするならば、今少し小利口に動くだろう。
真面目に豊臣恩顧を確信してないとあんな動きにはならん。
0274人間七七四年2018/01/11(木) 17:28:27.46ID:xojXJYSK
>>268
家康がむしろそうなのだが
あまり信憑性は低いが、淀殿との婚姻の話があったとされる
そうでなくとも、秀吉の遺言で秀頼と千姫の婚姻が決められているし
0275人間七七四年2018/01/11(木) 19:09:42.68ID:31s5YyQd
>>273
豊臣恩顧なんてものを本気で信じてるんなら人質なんかとらんよ
0276人間七七四年2018/01/12(金) 02:24:41.62ID:ujhfYgzi
>>275
信じるのと人質はちゃんと区別するだろ。
別に平和主義者じゃないんだからw
0277人間七七四年2018/01/12(金) 18:39:36.24ID:oyuHbARO
>>276
「真面目に豊臣恩顧を確信して…」というからこう応えたんだが、なんで草を生やすんだね、きみ?
確信してるような人間は他人が裏切ったり日よったりするようなことは思いもせんよ。常人じゃないからな
三成は主観的に自分の忠誠心は信じていたかもしれないが、他人のそれなんか信用しているものかね
0278人間七七四年2018/01/12(金) 19:08:05.11ID:AZP7hi1h
結局は岐阜城落とされて木曽川越えられ、関ヶ原〜佐和山ルート作られて
家康本隊に木曽川渡河されて関ヶ原に向かった時点でもう何をやっても勝てない状態なんだよな
0279人間七七四年2018/01/12(金) 21:02:16.22ID:Gwfs8paC
>>278
9月14日以降は西軍が勝てる見込みはかなり薄いと思われる。
毛利の不戦密約と松尾山を占拠した小早川秀秋が大きく影響する。

かろうじて可能性がありそうなのは9月14日に東軍の赤坂陣に大垣の3万で
やけくそのバクチ夜襲くらいしか思いつかない。
それもおそらく家康には竹中重門の菩提山城に逃げられる可能性が高いように思う。

大垣籠城を継続しても秀忠に到着されて戦力差がもうどうにもならない。
よくても西軍に不利な和睦くらいだと思う。
0280人間七七四年2018/01/12(金) 21:03:31.45ID:4/4nFpT9
そして爪を噛む
0281人間七七四年2018/01/12(金) 21:21:01.75ID:vF9ISzr6
和睦するぐらいなら罠に嵌めない

和睦するなら三成斬首や主要メンバーの取り潰し
0282人間七七四年2018/01/12(金) 22:15:08.05ID:2EJ3e90G
三成も若いんだから、家康の寿命がくるまでまてなかったのかな
健康と食事にきおつけて65まで生きたとすると、20年以上、家康の寿命がきてから
10年は活動できる
0283人間七七四年2018/01/12(金) 23:14:17.24ID:Gwfs8paC
>>282
福島正則みたいになにもできない状況に追い込まれるだけだと思うが。
0284人間七七四年2018/01/13(土) 00:17:33.30ID:sTnx64Hr
>>283
俺もそう思う。だから西軍を起こすしかなかったのは理解出来るんだが
大阪に居る時から、わざと長期戦の構えを見せて短期決戦を望む家康を
焦らせるべきだったと思うな。
0285人間七七四年2018/01/13(土) 00:20:21.45ID:sTnx64Hr
東軍は徳川の7万って云う不動の戦力があるのに対して
西軍は寄り合い所帯だ。

そんなので急に軍を起こして、まとまりもないうちに大々的な決戦は
ちょっと無理がありすぎる。

実際にどうするかは置いておいて西軍は長期戦と見せ掛ける必要があったと思う。
0286人間七七四年2018/01/13(土) 00:55:11.20ID:CBbbfNLp
>>283
家康って、意外と勝負所では博奕打つ人だよね、だから大人しくしても強引に大阪攻めまでは確実に
やると思うな。
大体さ、早くから徳川派閥だった浅野も脅されて徳川領内で隠居じゃん。細川も本来の嫡男が後を
継げなくなったりしてるしさ。
何も出来なく成るまで強引でも力削ぐのが家康のやり方って思う。
まあ、元来は加賀征伐の時の挙兵するつもりだったんやろね。
0287人間七七四年2018/01/13(土) 01:13:02.20ID:04tZ59TU
三成も政治的に追い出されてから挙兵だから長期戦と言われてもねえ
0288人間七七四年2018/01/13(土) 01:21:27.40ID:uwxduXvI
当初の構想だと瓦解した会津征伐軍を吸収して徳川攻めは翌年以降だから長期戦だろ
思惑通りに行かなかっただけで
0289人間七七四年2018/01/13(土) 01:58:16.22ID:sTnx64Hr
嘘でもいいんだよ。内府は歳だから10年かけて死ぬまで待つつもりだとか
公言してれば流言で広がるだろ?家康は相当慌てると思うぞ。
焦った家康が失策するのを待つ。東軍の連中もそれは困る!!ってなるだろ。
0290人間七七四年2018/01/13(土) 02:16:28.38ID:04tZ59TU
>>289
政治的に追い出されてから何十年待ったって無意味だろ
0291人間七七四年2018/01/13(土) 03:38:17.49ID:sTnx64Hr
>>290
はい?挙兵して大阪にいる間の話しだぞ?
0292人間七七四年2018/01/13(土) 05:14:33.75ID:wxuxYpP7
>>289
無理じゃないかな
本質的に烏合の衆に過ぎない西軍の事情を家康に把握されてしまっているから、東軍以上に西軍が長期戦が厳しく、ハッタリに過ぎないことを見抜かれてしまう
0293人間七七四年2018/01/13(土) 05:21:05.07ID:sTnx64Hr
>>292
確かに難しいんだけどね。ただ徳川軍は兵糧にも事欠いている。
この事実があるし、神経質な家康の心理状態を考えると
色々悩ませる効果があると思うよ。

戦争は諜報戦も大事じゃないか。
0294人間七七四年2018/01/13(土) 07:23:02.35ID:hGJFYmfd
>>277
行動を起こしてから、あれ、恩顧統制きかね?みんなあれほど世話になってんのに
からの人質やで。
0295人間七七四年2018/01/13(土) 08:54:08.00ID:NL549GeJ
>>293
東軍は豊臣から兵糧と軍資金をたっぷり貰っているし、東海道の城を押さえて備蓄食料も手にしているから兵糧には困っていないよ
むしろ豊臣から兵糧と軍資金が貰えなかった西軍の方が兵糧に困っていた
いくら諜報戦を仕掛けても西軍に兵糧がないことを西軍大名には隠しようがないのだから
東軍が関ヶ原に着く頃には西軍の大半が戦意喪失していたのも当然だろう
0296人間七七四年2018/01/13(土) 10:06:07.79ID:kxdu1NAg
証人なんて平時でも当たり前にやりとりされてたもんであって
三成があれほど拒絶されたのは西軍には公儀はなくただのクーデターだと
当時から見做されてた証拠そのものやで

最初から終わってた三成
0297人間七七四年2018/01/13(土) 10:29:21.81ID:hGJFYmfd
>>296
クーデターだからってのは、ありえんのでは?
そこまで大義がハッキリするのであれば、ここまで軍がわれんでしょう。
中心大名の格の差と日ごろの確執でしょう、やっぱり。
毛利さんの気合の問題かもしれませんが。
神輿が優柔不断で終わった所まで含めて、首謀者石田三成の徳(性格)の問題な気がしますね。
0298人間七七四年2018/01/13(土) 10:34:11.91ID:753GnVFL
証人?

尋問か
0299人間七七四年2018/01/13(土) 12:18:41.19ID:aSFkd8eE
証人の意味を知らずに煽るバカ
0300人間七七四年2018/01/13(土) 14:21:55.88ID:3fhHYq51
>>294
そんなわけないだろ…
石田が挙兵したのは7/13〜5くらいで人質を抑え出したのは遅くとも7/17
東軍に石田挙兵の報が噂レベルでも届いたのは早くても7/19
時系列的にどう考えても石田は豊臣恩顧の動きを確認する前から人質を取る動きをしてる
0301人間七七四年2018/01/13(土) 14:24:56.92ID:LJcE2K83
>>279
夜襲なんて相手に察知されないように少数で行い
成功しても相手の被害も少数
相手を攪乱するものだから博打にすらならないよw
0302人間七七四年2018/01/13(土) 16:26:59.53ID:l2ZWA051
>>301
東アジアには、一個師団で夜襲をした国があるらしい
0303人間七七四年2018/01/13(土) 17:51:26.37ID:LJcE2K83
>>302
文明も違う時代の例を上げて何かあるのか?
0304人間七七四年2018/01/13(土) 18:13:40.31ID:7kXAATAr
日本人が元々夜襲好きな傾向がある気はする
0305人間七七四年2018/01/13(土) 18:14:31.07ID:MHm6GE06
夜這いこと夜の男女合戦か
0306人間七七四年2018/01/13(土) 18:49:27.87ID:Ilk2TWNn
>>304
地形的に奇襲が仕掛けやすいってだけじゃね。
0307人間七七四年2018/01/13(土) 19:03:41.03ID:l2ZWA051
>>306
見通しの良いガダルカナルでも、
艦砲が待ち構えるパラオでもやったし
0308人間七七四年2018/01/13(土) 20:16:57.66ID:LJcE2K83
近代の話を戦国時代〜江戸初期に当てはめようアホは何なのか
0309人間七七四年2018/01/13(土) 20:24:58.86ID:Bor5ysno
アホなんだろ
0310人間七七四年2018/01/13(土) 22:52:25.98ID:Ilk2TWNn
せやな。
0311人間七七四年2018/01/14(日) 00:02:25.30ID:pI1lhG7m
>>300
挙兵しようぜって誘ってる時に、流石に気づくだろ。
なんで、挙兵してからじゃねーとわかんねーんだよ
0312人間七七四年2018/01/14(日) 01:10:00.09ID:7y7BQ0uG
>>311
みんな人質逃がす工夫をしてるってのになwww
徳川に付いてった奴は必然的に敵に廻るのは自明の理だろうに
0313人間七七四年2018/01/14(日) 02:36:21.53ID:ZtZkR5Xk
>>311
石田が挙兵を誘ってるわけないじゃん
そもそもなんで石田が佐和山に隠居させられる羽目になったのかすら覚えてないのか?
0314人間七七四年2018/01/14(日) 02:51:21.20ID:7y7BQ0uG
>>313
敵味方の区別くらい付けるだろ。
小学生みたいな問いをかけるな。
0315人間七七四年2018/01/14(日) 06:33:15.61ID:ZtZkR5Xk
>>314
敵味方の区別をつける=挙兵を誘うってどんだけ短絡的な思考なんだ
幼稚園児みたいな戯言を言うな
0316人間七七四年2018/01/14(日) 07:00:13.79ID:pI1lhG7m
>>315
敵味方の区別(安心して参画させられる味方を探す)をつけたらいかんのか?
0317人間七七四年2018/01/14(日) 11:15:15.88ID:RUbf7rta
豊臣三奉行(内府ちかひの条々・人質請求・伏見城攻め等々の主犯)
にまんまと騙された家康さんが小学生並みだって?


そして今なお北政所に騙され続けてる我らが歴ヲタ
0318人間七七四年2018/01/14(日) 11:50:54.19ID:zT2uV4Hv
三成に限らず奉行は完全に腐りきっているからな
官僚がここまで悪質な奸臣ばかりというのは歴史上でも豊臣くらいだよ
0319人間七七四年2018/01/14(日) 13:39:56.32ID:B7+Jox8A
まるで恨みでもあるかのような言い方w
0320人間七七四年2018/01/14(日) 15:13:29.73ID:6DnIWDJe
秀吉が織田家の悪質な奸臣だったから
0321人間七七四年2018/01/14(日) 15:41:37.36ID:ZtZkR5Xk
>>316
とうとう文章すら読めなくなったか
敵味方の区別をつけることと挙兵に誘うという行為はイコールじゃないぞって話をしてるのになぜ敵味方の区別のほうに疑問符がつくのかちょっと理解が追いつかない
0322人間七七四年2018/01/14(日) 16:11:26.08ID:pI1lhG7m
>>321
みんな自分のように豊臣恩顧じゃねーんだなと悟には十分なのでは?
0323人間七七四年2018/01/14(日) 16:30:56.52ID:cHJqgLAg
>>301
3万で夜襲は無理かな?味方も同士討ち覚悟くらいのバクチだけど、
河越夜戦の再現狙い。おそらく勝った負けたではなく双方大損害ってかんじになるかなと。
結果は朝明るくなってみないとわからない、みたいな。

でも9月14日以降ではそれくらいしか思い浮かばない、というか大坂まで下がって籠城して
西軍に不利な和睦、くらいにしかならないと思う。兵力差が如何ともしがたい。

するとやはり8月中になんとかするしかない→岐阜城をなんとかするしかない、となる。
0324人間七七四年2018/01/14(日) 19:46:02.65ID:D8IRVtrt
>>302で上で1個師団の大部隊が夜襲したって話はたぶん日露戦争かな?
戦国期の火縄銃は前装式だから銃口を手元に向けて弾込めの作業をし、弾や火薬を槊杖で銃口の奥深くに押し固める作業がある。
また命中率と有効射程も悪いから近付かないといけない上に火種が必要だから暗闇で大軍でやるとバレやすい。
結局は白兵戦しなければならないから同士討ちになるし大軍だと行軍や甲冑の音等てバレやすい。

日露戦争の銃は後装式ボルトアクションで発射した姿勢を崩さず手元で弾込めが可能である。
そして有効射程も命中率も比較にならないほど良くなっているから一定の距離からの敵部隊の囲い混み射撃できた。
同士討ちもないから大部隊の奇襲運用ができただけ。

大部隊で奇襲できたのは兵器の質と戦術が全く違う時代の話だからだよね。
0325人間七七四年2018/01/14(日) 20:02:56.52ID:D8IRVtrt
夜襲は数百人から千人規模だけど、夜間に行軍し明るくなったと同時に奇襲する朝駆けという物もある。
戦国期の火縄銃は前装式だから銃口を手元に向けて弾込めの作業をし、弾や火薬を槊杖で銃口の奥深くに押し固める作業がある。
暗闇では作業しにくいことから朝駆けのが火縄銃使えたり五千人の規模で奇襲できてた例もある。
夜襲に拘りすぎかと。
0326人間七七四年2018/01/14(日) 20:44:05.80ID:BO2YcREW
>>323
奇襲や夜襲って数もだけど
いかに地の利を活かすかが何より重要な事だと思う
岐阜を何も知らん西軍が岐阜を知り尽くしてる東軍先発隊に夜襲はかなり無謀かと
夜襲のつもりが全部筒抜けにされて包囲されて壊滅の可能性の方が高いかと
0327人間七七四年2018/01/14(日) 20:50:35.04ID:SI1xqgaF
夜襲は有効だと思う

ただし東軍の方が戦術的に強いから
油断等がないと戦果があがらん

とは言え正面から戦ってもダメだったのでなんとも

尤も夜襲で損害が出た場合
夜襲をしなければ勝てた論が出て来るがwやむなし
0328人間七七四年2018/01/15(月) 01:15:17.30ID:6bWUj3n9
人生はリベンジマッチ
https://youtu.be/BXanBVhXCBY
0329人間七七四年2018/01/15(月) 02:06:55.27ID:IuzS3w2K
>>325
この赤坂陣への夜襲は敵部隊の撃滅が目的ではなく、運よく家康が討ち取れるかが目的。
その前提として敵味方含めた大混戦状態に持ち込むこと。
なので、敵味方識別が可能な朝駆けではだめだし、
貴重な鉄砲衆は攻撃には参加させない。西軍大将クラスも前線には出ない。
3万で6〜7万を破るのは9月14日時点ではもう無理だと思う。
完全なるバクチです。

>>326
無謀だと思いますよ。損害も大きいと思います。だからバクチです。どうせ赤坂陣はかがり火焚いてるだろうから
それを目標に攻撃配置に付くのは容易だと思います。
夜間では鉄砲の防御射撃もそう当たらんでしょうから取りついて突入まではうまくいくと思います。
あとは運です。
0330人間七七四年2018/01/15(月) 02:44:25.53ID:s5cwA+NW
>>329
もう少し何か計画的な夜襲ならともかく、そんな捨て鉢じゃ
間違いなく事前に看破されて一網打尽にされるだけだよ、バクチにもなってない
地の利は完全に相手にあって住んでる農民も敵みたいなもんな訳で
0331人間七七四年2018/01/15(月) 04:25:07.74ID:aNrxfhZ0
それでも本戦の惨状を見ると、このヤケクソのバクチ夜襲の方がいくらかマシかもしれんとは思う
勝てはせんだろうけどね
上杉討伐軍が瓦解しなかったこと
伏見城で粘られたこと
岐阜城があっけなく陥落したこと
この3つでもうアウトだから、ここからまともな方法で逆転は不可能だよ
0332人間七七四年2018/01/15(月) 07:35:55.12ID:zPN9ErsM
>>329
なぜ夜襲は少数かと言うと訓練された精鋭のみで夜襲するから成功するわけで
3万近くの軍勢だと雑兵が半分近く混じる状態だから
命が欲しい雑兵はまともに突撃するわけがなく
統率も取れなく奇襲がバレて失敗するという落ちにしかならない
0333人間七七四年2018/01/15(月) 09:15:49.34ID:0e0hn6Kt
>>330
>>332
自分で言っといてなんだけど、わたしもこんな
作戦もくそもないようなのは嫌です。
まぁ、それぐらい9月14日以降はどうにもならんということです。
0334人間七七四年2018/01/15(月) 09:59:22.38ID:rpLP8/WV
大規模夜襲の利点は
小早川と四将が東軍として参戦しないこと
大谷も参戦しないが

ちなみに大谷本人は夜戦のハンデはない
0335人間七七四年2018/01/15(月) 10:50:08.39ID:zPN9ErsM
大軍で夜襲だと同士討ちになるし
敵にバレる状態で夜襲しても敵に看破されてたら逆に伏兵や
敵陣突撃したら蛻の殻状態で逆に周りを包囲されるような待ち伏せを食らうし
夜襲を看破されて待ち伏せ食らったら士気が下がり雑兵なんて逃げ出すレベルになるんだけど?
夜襲はバレたら何の意味もなくむしろ闇に紛れて敵に待ち伏せされたほうが驚異ってのを理解しろよ
0336人間七七四年2018/01/15(月) 12:26:56.98ID:R+BdQ0Et
東軍の疲労を考えると、やってみる価値はあるんだがな。
俺は成功したと思うよ。宇喜田と島津ならね。
0337人間七七四年2018/01/15(月) 12:43:03.33ID:RLtdCxu5
やってみる価値って
バクチじゃねえだろ
0338人間七七四年2018/01/15(月) 13:20:32.42ID:s5cwA+NW
>>336
こんな布石も糞もないヤケクソ夜襲に宇喜多なんて大物が来るのかw
大垣から出てくると言うことは湿地だから移動も難しい訳で
バレずに夜襲どころか逃げることも出来ない不慣れな地形で包囲殲滅される事になる
それで宇喜多の首取れたらもう詰み、後をやるまでもないよ
0339人間七七四年2018/01/15(月) 14:11:01.19ID:oWCsXexf
感情の原因はそれを感じる者自身の固定観念・価値観・自己ルール
解釈の原因は情報発信者ではなく受信者。誤解の原因も解釈者
「言葉 風紀 世相の乱れ」はそう感じる人の心の乱れの自己投影
問題解決力の低い者ほど自己防衛の為に礼儀作法やマナーを要求する
憤怒は無知 無能の自己証明。中途半端な知識主ほど辛辣に批判する
論理的思考力の低い者ほどデマ宗教フェイク迷信に感化傾倒陶酔洗脳
史上最も売れているトンデモ本は聖書。神は人間の創造物
全ては必然。偶然 奇跡 理不尽 不条理は思考停止 視野狭窄の産物
人生に意味 価値 理由 目的はない
「真実は一つ」は錯誤。執着する者ほど矛盾を体験(争い煩悩)する
宗教民族領土貧困は争いの原因ではなく「理由口実動機言訳切欠」
社会問題の根本原因は低水準教育。必要なのは適切十分な高度教育
体罰は指導力・問題解決力の乏しい教育素人の独善甘え怠慢責任転嫁
死刑は民度の低い排他的集団リンチ殺人。「死ねば償える」は偽善
核武装論は人間不信と劣等感に苛まれた臆病な外交素人の精神安定剤
投票率低下は社会成熟の結果。奇人変人の当選は議員数過多の徴候

感情自己責任論 〜学校では教えない合理主義哲学〜 m9`・ω・)
0340人間七七四年2018/01/15(月) 15:18:59.49ID:BGybki5Y
宇喜多騒動で軍団半壊、日雇いでどうにか欠員埋めた宇喜多さんに
夜襲なんて高度な戦術
無理だと思います
0341人間七七四年2018/01/15(月) 19:21:07.52ID:rpLP8/WV
宇喜多夜襲できるけど大物じゃない
前線指揮官枯渇
0342人間七七四年2018/01/15(月) 19:47:26.84ID:rBZgHdWF
大規模夜襲とか史実の三成以下の無能
0343人間七七四年2018/01/15(月) 20:49:32.55ID:RWZy8ZhO
夜襲が成功していれば勝てた
0344人間七七四年2018/01/15(月) 22:47:13.88ID:dWT/5+1k
夜襲して島津義弘が指揮をとってれば勝ててたなあ
0345人間七七四年2018/01/15(月) 23:23:30.53ID:s5cwA+NW
>>341
五大老の一人が大物じゃないってことはないだろ
0346人間七七四年2018/01/15(月) 23:39:59.96ID:PIUgGARX
五大老の一人で関ヶ原でもまじめに戦ったのに宇喜多の影の薄さは逆に凄いな
ドラマや映画でも宇喜多なんて登場しなくても問題ない扱いばかりだろ
どの作品でも副将とは名ばかりの三成の側にある置物扱いだ
0347人間七七四年2018/01/16(火) 01:12:06.02ID:GIOov11j
>>346
宇喜多はさ、典型的な豊臣家に対する因縁と義理で西軍に付かざるを得なかった人ですからね、そりゃあ
豊臣家に対する恩義で挙兵って建前の石田と話も合うでしょう。
元々宇喜多家って備前では歴史の古い名門の豪族で直家の祖父「秀家から見ると曾祖父」の時代までは備前でも
肥沃な平野に城持ってたんだよね。
ところが、主君筋の備前守護代浦上氏に疑われ騙し討ちに会い一時没落する。

孫の直家が御家再興を果たし、浦上氏もほろぼし備前美作の大名成りあがりの時点で寿命がつきた訳ですね。
諸説有るけど、毛利と織田の境目の大名で当主が幼少って、取り潰しでも不思議じゃ無い立場だったのは事実です。
秀吉が後見人に成って無ければ直ぐ滅亡したでしょう。

多分、秀吉臨終の場面って秀家から見ると20年近く前の直家の臨終と重なって見えたでしょうね。秀吉が臨終の約束を
守った証拠が自分の存在ですから。
そんで、嫁は利家の娘で秀吉の養女でも有る豪姫ですから、完全に当人は豊臣一門だと思ってたでしょう。

逆に言うとさ、豊臣子飼いの加藤や福島があっさり見限って徳川に媚びてる方が当時の人には不思議だったかも
知れないと思う。
0348人間七七四年2018/01/16(火) 01:14:49.97ID:HBi7D24M
宇喜多直家は戦国の梟雄とか大悪人とか言われるけど、豊臣秀吉のほうがよっぽど恩知らずの大悪人
0349人間七七四年2018/01/16(火) 01:20:30.15ID:QfrwmeMW
またおまえか
0350人間七七四年2018/01/16(火) 01:55:25.30ID:HBi7D24M
>>349
またおまえか
秀吉を悪人だと思ってないのはお前くらいだぞ
0351人間七七四年2018/01/16(火) 02:55:15.48ID:rNMg6n1h
つーか北政所が黒幕でしょ?
三成なんて蟄居生活から抜け出すために口車に乗せられた哀れな役人
3奉行だって家宰に毛が生えたようなもんだからなんとかせえ言われたらなんかせざるを得まい
きっと甘将軍気取りだったな
0352人間七七四年2018/01/16(火) 09:32:32.45ID:KH9rcoRS
宇喜多秀家は秀吉の遺言無視して、伏見に移らず大坂に居座った男だが
0353人間七七四年2018/01/16(火) 09:44:32.61ID:oqx/R0PM
中納言だけに中者

石高判断ではなく実力判断
あるいは戦国武将としての力量
0354人間七七四年2018/01/16(火) 12:40:22.54ID:L/2NjkuU
中納言以上の武将がどれほどいたと思ってんだろね?
0355人間七七四年2018/01/16(火) 13:02:57.41ID:oqx/R0PM
西軍にはまともな武将が少ない

秀家は武将としても大名としても小者
0356人間七七四年2018/01/16(火) 13:51:03.33ID:RnZCZskB
ぶっちゃけ秀家は暗愚
0357人間七七四年2018/01/16(火) 13:57:22.92ID:HBi7D24M
豊臣公儀は聚楽第行幸で天皇に忠誠を誓った戦国大名たちの連合政権だけど、
西軍はその天皇の臣下を豊臣家の家臣と勘違いした人間や公儀を運営する側になれなかった不満分子たちの集まりだからな

太政大臣の死後に内大臣が太政大臣の遺言にもとづいて、主君の天皇に託された公儀を運営していたのに、それに嫉妬して反乱をおこした戦い。
小者が多いのも当然といえる。政府に逆らってたわけだから、吉川や小早川がひよってたのも当然。
0358人間七七四年2018/01/16(火) 14:08:21.21ID:VHdrT5HV
>>350
羽柴秀吉→優秀
豊臣秀吉→老害且つ大悪人
0359人間七七四年2018/01/16(火) 14:21:18.32ID:HBi7D24M
>>358
いや、秀吉のやったことは羽柴時代も豊臣時代も同じだよ
羽柴時代も欲望を満たすために主君の妻や息子や小学生くらいの孫娘を破滅に追いやり
豊臣時代も秀頼を跡継ぎにしたいという欲望を満たすために関白一家を女子供も皆殺し
秀吉がまともだったのは1582年まで。
恩人の信長の喪中に恩人の家族を串刺しにして殺し、信長の家族を殺しながら大阪城を建てているので1582年以降は救いようのない悪人
大阪を本拠にしてからの秀吉はほんとひどいものだ
0360人間七七四年2018/01/16(火) 15:07:16.22ID:I1cgQTf4
豊臣に何かされたかってくらいの恨み節w
0361人間七七四年2018/01/16(火) 15:08:18.12ID:oqx/R0PM
秀次の直系w
0362人間七七四年2018/01/16(火) 16:29:51.89ID:HBi7D24M
>>360
何をやったって、豊臣の存在が大阪の副首都構想とか日本を割るような話につながり
豊臣が朝鮮進出に2度も失敗したせいで在日らが歴史問題でうざったく
その在日は大阪に日本一多く住み着いている事実を知らないのか
豊臣を持ち上げることで在日が生きやすくなる構図がある。マッチポンプのいい材料だな
0363人間七七四年2018/01/16(火) 16:36:20.64ID:I1cgQTf4
遙か過去の人間に対する被害妄想が激しいなw
自分が何か被害を受けたわけでも有るまいしw
0364人間七七四年2018/01/16(火) 16:59:12.23ID:HBi7D24M
返しきれない恩を受けた主君が殺されて、その喪中に主君の家族を殺しまくりながら1周忌に建造した大阪城は
大阪の象徴だろ?

その大阪城は豊臣の代名詞
そして豊臣は大阪を日本の中心にした人物で、大阪は関白殿下の御座所。
大阪こそが日本の首都だった。

それを不忠にも奪ったのが家康で
家康がいなければ大阪が日本の首都だった。
という妄想が豊臣厨の頭の中にはある。
まぁ大阪人のこころのより所だな。

副首都構想の根っこには豊臣がある。
そして豊臣は在日の歴史問題の材料で、大阪は在日が日本でもっとも多く住み着く場所。

帝にたくされた公儀を運営する内大臣に服役中の受刑者が脱獄して謀反をおこしたのが関ヶ原
帝にたくされた公儀を運営する右大臣征夷大将軍に呪いでテロをおこない無職をあつめて謀反をおこしたのが大阪の陣だ

この事実を受け入れないと。受け入れないから副首都だのと寝言を言うようになる。
0365人間七七四年2018/01/16(火) 17:54:03.20ID:I1cgQTf4
こいつは一体何と戦ってるんだろうかw
精神病なのかなw
0366人間七七四年2018/01/16(火) 18:04:44.01ID:HBi7D24M
>>365
大丈夫か? 議論を戦わせているのは今話しているお前だよ

主君の家族を喪中に殺しながら1周忌で建造した大阪城を美化し
内大臣として帝にたくされた公儀を、太政大臣の遺言に基づいて運営する家康を罵倒しながら、謀反をおこした西軍を美化し
公儀にテロをおこなって浪人を集めて謀反をおこした豊臣秀頼を美化し、
西軍が勝っていれば、大阪の陣で勝っていればと妄想しているお前だ

お前みたいな勘違い君が、大阪を副首都にとかいう傾向が強い

ID:I1cgQTf4 ←お前だ
0367人間七七四年2018/01/16(火) 18:11:21.98ID:I1cgQTf4
お,図星だったかw
戦わせてるwww
面白いねーがんばえーw
一言も言ってないことまで言い出したぞw
0368人間七七四年2018/01/16(火) 18:24:04.04ID:TnX1gapr
>>364
豊臣時代に大阪城?架空戦記の話かな?
日本で大阪という地名が現れるのは明治以降なんだけど
僕たちの世界だと豊臣秀吉の作った城は大坂城だからちょっと違う世界の歴史の話はしないでほしいな

>>365
この人直江兼続が内府違いの条々を出したと主張してる我々とは歴史の違う世界線の日本から来た人だから相手にせん方がいいよ
0369人間七七四年2018/01/16(火) 19:23:45.83ID:HBi7D24M
>>368
秀吉が織田家の家臣で、信長の喪中に信長の妻、息子、孫娘、妹を殺していて
聚楽第行幸で諸大名は天皇に忠誠を誓っており
豊臣は聚楽第行幸で政務を託された関白を大儀にしていて、
その関白と関白一家を女子供もふくめて豊臣は殺しており、

太政大臣が遺言で内大臣に政務をまかすと言ったので家康は政務をおこなっていて
家康以外に大臣はおらず、最高位の大臣は内大臣の家康で、帝に託された公儀を運営する資格を唯一持っており

その内大臣は聚楽第行幸で忠誠を誓った後陽成天皇に晒布100反、前太政大臣家から黄金2万米2万を下賜されて会津征伐をおこなっており
石田三成は蟄居という刑罰を受けた受刑者で、佐和山を脱獄した人間で、関ヶ原の戦いをおこした。
1601年に関白が任命され、1603年に征夷大将軍が任命されて、幕府がひらかれ、公儀がたくされており
1614年の関白左大臣は鷹司、右大臣征夷大将軍は徳川で、豊臣秀頼は当時最高の学識者の五山が認める呪いというテロを政府にたいしておこなっている。
そして豊臣は秀頼か母親が公儀に出頭するか、大阪から配置がえと言われたら浪人を集めて謀反をおこした

これらの事実がない、君の世界はどの世界なのだろうか。日本ではないし、地球でもないな
豊臣厨はどこの世界の住人なのか
0370人間七七四年2018/01/16(火) 19:41:05.24ID:HBi7D24M
>>369
そうだ、誤字の指摘をありがとな。
大坂城。間違えちゃだめだな。

秀吉を引き上げてくれた信長の家族を喪中に殺しながら、1周忌で建てられた大坂城は主家簒奪の象徴だ

ちゃんと漢字は正しく変換しないと。主家簒奪の象徴で恩知らずの城、大坂城
恥知らずの城、大坂城。
聚楽第行幸で公儀をたくされていた関白を殺した豊臣の本拠地、大坂城

死ねば極楽にいけると信じて宗教戦争を繰り広げた一向宗の石山本願寺があった場所に建てられた大坂城

変換間違いをしやすいから注意だ
0371人間七七四年2018/01/16(火) 19:46:39.63ID:TnX1gapr
>>369
あれw無視するんじゃなかったのw>>85
なんで自分の言ったことも忘れてるのw
やっぱり頭の構造が普通じゃないから記憶という行為がそもそも出来ないのかなw

ところで豊臣秀吉が大坂城じゃなくて大阪城を作ったなんて話どこの教科書に載ってるのw
直江兼続が内府違いの条々を書いたってどこに載ってるのw
吉川広家が宰相と呼ばれてたなんてどこの歴史の話なのw
誤魔化さないでちゃんと答えてねw
0372人間七七四年2018/01/16(火) 19:50:16.87ID:HBi7D24M
ああ〜お前か
すまん。NGした
0373人間七七四年2018/01/16(火) 19:52:34.91ID:CivS82rQ
ネタ投下ということでわたしが破棄した9月14日東軍赤坂陣への夜襲案詳細書いてみようか?
自分的にリスクやコストの割にリターンを得られる可能性が低いと思い、面倒なんで詳細は書かなかったが。

まず目的は前にも書いたけど運よく家康を討ち取ること。東軍部隊の撃滅ではない。

配置は大垣城守備5000(各家鉄砲衆はここ)
赤坂陣南方大垣側に12500、赤坂陣東方岐阜側にも12500、
岐阜側のさらに東方2kmあたりに東側後方予備5000、
山中村の大谷勢9600は垂井と関ヶ原を遮断できる位置に少し移動し布陣、

上記いずれも横隊の広め隊形。

赤坂陣東軍推定65000.

まず家康の首に懸賞金を掛ける。討ち取った者は1万石。
家康の本陣突入が目標、首は討ち捨て。とはいっても暗くてわからないだろうから
南方隊はとにかく北、標高の高いほうへ突き進め。
同じく東方隊はとにかく西、敵陣突入後はやや右手へ突き進め。
大谷勢への指示は、垂井方向から来る者は敵、全て討ち取るように。
東方後方予備隊への指示は、赤坂方向から来る者は敵、全て討ち取るように。

大軍の夜襲ゆえ奇襲効果は期待できない、だがそれはなくてもいい。
どうせ暗くて防御射撃は大して当たらない。
攻撃開始位置への移動は赤坂陣のかがり火をランドマークとして移動し配置。
東軍もあほじゃないのでそれなりに野戦築城しているだろうが、
射撃戦やるわけじゃないのでそれほど脅威ではない。
突入する際の障害にはなるが。
突入部隊の指揮は島左近、明石掃部、島津豊久らにまかせるよう。
大将クラスはやや後方にて采配するよう。

配置につく時点で3000〜5000くらい兵が逃散するかもしれないが気にしない。
敵陣に突入したら指示の方向に攻撃前進。

混戦の中運よく家康を討ち取れれば成功。まぁ明るくならないとわからんだろうが。

少し明るくなってきたら大谷勢は垂井へ、東方予備隊と大垣守備のうち3000は赤坂へ突入。
疲れている敵兵を攻撃。
この攻撃で東軍が敗走してくれればいいけど、難しいだろうなぁ。
夜間突入した部隊はほぼ壊滅状態だと思う。

従って成功しようが失敗しようが西軍は損害甚大で第二撃の作戦行動は無理。
秀忠隊への対応困難となる。

こんなとこ。
0374人間七七四年2018/01/16(火) 19:53:11.50ID:HBi7D24M
http://iup.2ch-library.com/i/i1882873-1516099953.jpg
これでよし。もう見えないけど、約束は守るから心配しないでくれ
0375人間七七四年2018/01/16(火) 20:41:24.03ID:ktboZRtg
お互いスルー宣言でやっとくだらん長文合戦がおわったか
0376人間七七四年2018/01/16(火) 20:42:43.30ID:gcQYumxS
最近の研究では関ヶ原に家康いなかったらしいね
西軍を蹴散らして笹尾山に入った小早川を大谷と石田が攻撃して激戦になってるところで
福島と黒田が戦場に到着して石田、大谷が挟撃されて壊滅しただけらしい
0377人間七七四年2018/01/16(火) 20:43:45.54ID:HBi7D24M
>>376
なんだその最近の研究とやらはw
0378人間七七四年2018/01/16(火) 20:55:20.53ID:9qz0cW6G
>>361
いや、最上さんかもしれない
0379人間七七四年2018/01/16(火) 21:09:54.09ID:HBi7D24M
秀吉は織田家子飼いの家臣で
1582年に信長が殺され、
1583年に秀吉が信長の家族や重臣を殺しながら主家を乗っ取り
1584年に小牧長久手
1585年に秀吉が関白になり惣無事を宣言し天皇の代理であることを表明
1588年に聚楽第行幸があり諸大名が天皇に忠誠を誓い、関白に公儀がゆだねられ
1590年に秀吉が主家の織田家を改易して滅ぼし
1592年に聚楽第行幸があり諸大名が天皇に忠誠を誓い、関白に公儀がゆだねられ
1595年に公儀をゆだねられた関白を豊臣が殺害して、太政大臣が関白にゆだねられた公儀を強奪
1598年に太政大臣が死亡し内大臣が遺言にもとづき公儀を引き継ぎ
1600年に公儀を運営する内大臣が帝や太政大臣家の下賜を受けて公認された征伐をしているとき、脱獄囚の石田三成が謀反をおこし
1601年に関白が任命
1603年に征夷大将軍が任命され幕府が開かれ、関白も任命、以後何人もの関白や太閤が生まれ
1614年の関白左大臣は鷹司、右大臣征夷大将軍が徳川で、豊臣秀頼が五山の認める呪いで公儀にテロを行い浪人を集めて謀反
1615年に豊臣家が滅亡。二条昭実が関白に任命される

この流れを見ると、
分岐点はやっぱり1595年の関白殺害だろうな。
0380人間七七四年2018/01/16(火) 21:20:02.15ID:gcQYumxS
そもそも通説通り吉川が内通してたとしても
家康が本陣をあそこまで前進させるのはありえんわな
弁当云々も作り話
本当に家康があんな位置にいたなら毛利軍が吉川押しのけてでも山下ってる
0381人間七七四年2018/01/16(火) 21:24:16.15ID:KNJvrGF9
吉川だって家康本陣が横っ腹無防備にさらして眼下にいるのに指を加えていられるわけ無いと思うがね
0382人間七七四年2018/01/16(火) 21:39:01.34ID:HBi7D24M
■□                                    岐阜城
■□   □□    □□
■□    □
◆□            ◆
◆□           ■■      大垣城


この状況で南宮山が動けるかねぇ
関ヶ原正面の兵力は五分五分で小早川が動いていないので西軍3に東軍5が戦っている状況
3万の徳川が督戦し2万の南宮山に備えている
動いたら家康が反転して西軍3万vs東軍5万の戦いだよ
0383人間七七四年2018/01/16(火) 21:44:16.22ID:HBi7D24M
【 データでわかる関ヶ原の戦い 】裏切り者が出なくても、石田三成は徳川家康に負けていた?!
https://rekijin.com/?p=17139

上のはざっくりした絵だけど参考にしたのはこれ
0384人間七七四年2018/01/16(火) 22:28:44.60ID:gcQYumxS
南宮山の西軍が動いたら抑えの部隊なんかで押しとどめるのは難しいし
それ以上に西軍主力と戦闘中の前線部隊の動揺は計り知れない
前後に敵受けて家康が反転して戦えばーとかド素人かよw
0385人間七七四年2018/01/16(火) 22:29:35.69ID:gcQYumxS
あぁ一々レスして損した
ID真っ赤にしてるキチガイかw
0386人間七七四年2018/01/16(火) 23:15:26.30ID:HBi7D24M
>>384
>前後に敵受けて家康が反転して戦えばーとかド素人かよw

南宮山に潜在的な敵がいることを承知で関ヶ原に踏み込んだ家康や武断派より玄人なんだなきみはすごいわ。
家康や武断派は最悪の場合でも対処できるから動いたんだよ。全軍が動いても
関ヶ原 東軍5万vs西軍5万 南宮山 東軍5万vs西軍3万だ

>>385
そうかそうか。それは残念だ。でもスレの流れくらい読んでから書き込めよ、玄人さん
IDの目立つ赤が見えないってのは色覚異常って病気かもしれないからお大事に
0387人間七七四年2018/01/16(火) 23:38:29.11ID:ktboZRtg
公儀ガー孫子ガーと喚いてるアホにレスしても何の進展もないからスルーしたほうがマシ
NGしとけ
0388人間七七四年2018/01/16(火) 23:39:35.32ID:iBSpgSE8
毛利が東軍に差し出した不戦文書は吉川一人ではなく重臣全員の署名で出したものだし
関ヶ原の戦いも実際は2時間くらいであっさり三成たちを殲滅しているから
南宮山の西軍が戦えるわけがない
0389人間七七四年2018/01/16(火) 23:45:08.32ID:HBi7D24M
http://ime.pta.jp/d/iOFhqq.jpg

南宮山の西軍が戦えても、関ヶ原の6km先で東軍5万vs西軍3万のイベントがおこなわれても
気づかないし、家康が武断派は文治派に勝てないのか?後ろは俺に任せろと言えば不安はない
0390人間七七四年2018/01/17(水) 00:12:07.61ID:771q4cPg
かりに東軍が撤退に追い込まれても
家康3万と備え2万は位置的に傷つきながらも岐阜城撤退に成功し、秀忠の3万8000と合流、8万の兵に

豊臣恩顧の武断派は文治派はお互いに潰しあって東軍は半分になり、西軍は3分の2になったとして
西軍は4万、東軍は2万が残ったとする。そこから大津城や前田なども合流したとすると

第二回戦は
東軍10万ごえ vs 西軍8万5千くらいか

負けても東軍の勝ち。秀忠の存在が大きいな
0391人間七七四年2018/01/17(水) 01:27:17.14ID:BP8wjGVz
>>389
この陣形だと、南宮山の西軍が動いた時点で終わりに見えるけどねえ?
ゲームに例えるなら、毎ターン士気マイナス30とかそんな感じだよ?
後ろに逃げるより、寧ろ南の伊勢街道方面に逃亡するかも?って感じ。
普通に高確率で家康も死ぬ可能性有ると思う。
0392人間七七四年2018/01/17(水) 01:52:32.18ID:qFvRPeFf
>>384
抑え連中も4~5000はいるし
小早川が松尾山から抑え連中を破って中央の福島や藤堂に攻めこむ場合
間に川もあってなかなか容易じゃないよ
はじめから大谷隊に攻撃の準備してたなら理想の場所だけど
0393人間七七四年2018/01/17(水) 02:04:33.90ID:771q4cPg
>>391
http://ime.pta.jp/d/yT2zol.jpg

いや、視点を変えると守りやすい地形だと思う
北の山を背に
隘路と山地で西の西軍5万を遊兵化しつつ、南の南宮山の敵を撃破
南宮山と関ヶ原は近いようでいて遠い
0394人間七七四年2018/01/17(水) 02:19:05.01ID:771q4cPg
http://ime.pta.jp/d/HbWFUi.jpg

視点を変えたのをもう1つ
これは挟み撃ちというより分断と評価したい
0395人間七七四年2018/01/17(水) 02:22:04.45ID:qFvRPeFf
ああ南宮山か、無理でしょ
池田浅野山内らで結構な兵力が守るなかで距離が遠すぎる
はじめから傍観決め込んでるようにしか見えない場所
0396人間七七四年2018/01/17(水) 02:40:37.07ID:771q4cPg
家康はやっぱ戦上手だわ。位置取りが神がかってる
西軍を南宮山と関ヶ原で分断し、桃配山で様子をみたあと、
南宮山が動くなら武断派を肉壁にしつつ膠着させ、南宮山の3万を5万で料理し、そのあと西軍五万を蹴散らす。
南宮山が動かない史実どおりなら、3万を前進させて東軍8万vs西軍5万の構図に持ち込んだあと
小早川に鉄砲を打ち込んで裏切りをうながす。

西軍は賊軍だしなにやっても負けだな
0397人間七七四年2018/01/17(水) 02:50:06.36ID:+ppJcd1k
山下るっていっても全軍一気に降りられるわけじゃなし
ちまちま狭い山道を降りてってそれから陣形整えて攻撃だから果々しい戦果にはならんと思うがね
本多忠勝の逸話に「敵に戦意があるなら麓に布陣しているはず」といって味方を安心させたというのがあるが
それで味方が納得するくらいの説得力は有していたんだろう
まあ忠勝自身は交渉で毛利に戦意がないことは把握してただろうけど
0398人間七七四年2018/01/17(水) 06:06:34.90ID:n6GxhhHD
神ってるw

南宮山は防御のために陣取った

松尾山は決戦場に近かったけど
0399人間七七四年2018/01/17(水) 07:26:43.81ID:6rFRPCy+
家康も小牧で山の上布陣だろ?
0400人間七七四年2018/01/17(水) 07:42:53.81ID:n6GxhhHD
丘じゃなくて?
0401人間七七四年2018/01/17(水) 07:55:32.17ID:6rFRPCy+
ああ、丘・・・か。山とは言えないかアレは。
0402人間七七四年2018/01/17(水) 09:01:27.43ID:GpI8iWIv
なんか前後から挟まれても部隊を二つに分けて戦えばいいみたいな素人いるね
>>391の言うように士気面で東軍は乱れる
>>390みたいに撤退して徳川本体と合流してとか言ってる奴もいるが
上田城でボコられて悪路を強行軍で中山道急伸してきた秀忠軍と
関ヶ原で敗北して撤退してきた東軍が合流しても士気は地に堕ちてるだろw
野戦の名人と言われてた家康が戦下手だったはずの石田に負けたことになるんだから
東軍敗北が東北に伝われば最上ももう終わりだし伊達もどう動くかわからん
いざとなれば結城が裏切る可能性すらある
0403人間七七四年2018/01/17(水) 10:32:35.49ID:771q4cPg
http://ime.pta.jp/d/D9PE8L.jpg

完全に分断され各個撃破されている構図
0404人間七七四年2018/01/17(水) 10:38:00.84ID:Qj66eJ3g
関ケ原ウォーランドの位置ってそこなんだ
0405人間七七四年2018/01/17(水) 10:44:09.32ID:771q4cPg
>>403
訂正。南宮山の西軍を2万と間違って打ち込んでいた。
西軍3万を、親徳川2万と家康3万で挟撃の構図
0406人間七七四年2018/01/17(水) 10:53:20.48ID:GpI8iWIv
ID:771q4cPg

案の定いつものキチガイでした
0407人間七七四年2018/01/17(水) 10:59:36.74ID:771q4cPg
豊臣厨「白馬は馬じゃない!」

東軍が岐阜城攻略のとき墨俣でも戦うのと同じ構図というのを理解できない
0408人間七七四年2018/01/17(水) 13:24:16.47ID:45sbuFxO
>>402
家康の本軍は史実ではほとんど損害が出ておらず
挟み撃ちに出来る状況にまでなるとは思えない

南宮山から降りてきて関ヶ原までは結構な距離があって
その間に池田山内浅野蜂須賀ら総勢12000~14000くらいがいるなかで
そう簡単にたどり着けるはずもないわけで
グダグダしてるうちに松尾山から小早川が大谷切り崩して終わり、間に合うとは思えない
0409人間七七四年2018/01/17(水) 13:52:19.44ID:a2fCzPhq
南宮山の出口を池田浅野隊に抑えられてるからそもそも山を降りれない。
0410人間七七四年2018/01/17(水) 13:54:20.19ID:UAyJSD9U
>>19
尾張清洲城主の福島正則が東軍だから
尾張を織田家に取り戻すためには秀信は西軍につくしかなかったんじゃないか?
0411人間七七四年2018/01/17(水) 14:05:52.01ID:XVKV93Tu
織田は安土、織田は岐阜
信長は自ら尾張から出て行った
0412人間七七四年2018/01/17(水) 14:08:40.60ID:771q4cPg
>>402
>前後から挟まれても部隊を二つに分けて戦えばいいみたいな素人いるね

家康ほどの戦上手で慎重な名将が敵にキャスティングボードをあずけて
敵の気持ちしだいで自軍が壊滅して徳川は滅亡なんて手を打つわけないだろうに。
南宮山が動いても動かなくても対処できるから桃配山に行ったんだよ

自称玄人の豊臣厨の頭の中じゃ、家康は吉川と小早川の裏切りを信じ込んで関ヶ原に軍をすすめ
負けそうになって動かない小早川に短気をおこして
やけくそになって小早川に鉄砲を打ち込んだってことになるのかもしれないが

家康よりすげーとか思っている玄人さんの頭の中はどうなっているのか
0413人間七七四年2018/01/17(水) 14:17:22.88ID:771q4cPg
>>408
関ヶ原正面は小早川を含めてざっくり5万vs5万だから
小早川も動こうが動くまいが問題ないと思う。
鉄砲を打ち込んで動かないようなら、家康の3万が小早川に突っ込むだけ。
家康が陣を進めた時点で、関ヶ原正面は東軍8万vs西軍5万、南宮山は東軍2万vs西軍3万の戦い
0414人間七七四年2018/01/17(水) 15:49:49.19ID:vJo7ZBz4
西軍玄人は家康が三成以下の素人だと思っている
0415人間七七四年2018/01/17(水) 16:34:07.41ID:QeEJGt64
公儀云々の人=孫子云々の人=大垣攻めると言った迷軍師様だったか

頭悪そうなレスしてたけど同一人物だったのかw
0416人間七七四年2018/01/17(水) 17:37:30.80ID:771q4cPg
たぶん石田三成は聚楽第行幸の意味を理解していないし
孫子も読んでない、大垣城が犬山城と同じく濃尾平野の出入り口にあり東軍の兵站を握っているということも理解できておらず
自分の佐和山城があぶないってことで関ヶ原に行ったのだろうな。

主家を乗っ取り、聚楽第行幸で公儀をゆだねられた関白を殺した豊臣家は、
奸臣石田三成によって滅んだと言っていい。
0417人間七七四年2018/01/17(水) 17:43:36.06ID:771q4cPg
しかし、当時の戦国武将にとって孫子は必修教材だと思うけど
西軍は五事七計のすべてに背いているんだよな

道・天・地・将・法のすべてが劣り
君主・将帥・天・地・法令・軍隊・兵卒・賞罰すべてに問題がある。

よく関ヶ原をおこしたなと思う。島津義弘もそりゃさじを投げる
0418人間七七四年2018/01/17(水) 19:18:21.55ID:+tn+QYOR
なんかメッケルの関ヶ原ifでもやってんのかと思ったら、ただ家康の布陣はよかったとか言ってるだけじゃん。

9月15日時点では毛利の不戦密約と小早川秀秋の松尾山占拠があるから西軍に勝ち目はない。
毛利の不戦密約は毛利の家老も絡んでるからよほど西軍優勢の戦況にでもならないと
南宮山の毛利の西軍方参戦はない。
小早川秀秋はわからんとしか言えんが、まぁ史実から東軍にほぼ内定なんだろう。

個人的には9月12〜13日くらいに山中村の大谷勢が松尾山に陣取ったらどうだろう?
とも考えたが、
その場合小早川秀秋は、
1、そのまま関ヶ原を通過し垂井で東軍に合流
2、笹尾山か天満山あたりに陣取る
3、近江へ引き返し、また佐和山あたりをうろつく
4、その他

1は確実に戦力比悪化、2は西軍は不利な布陣しか敷けなくなる、
3は史実よりはマシにはなる。

個人的には1の可能性が高いと見るので、結局9月14日以降では西軍が勝つのは無理というのが
現時点でのわたしの見解。
0419人間七七四年2018/01/17(水) 19:46:02.13ID:vJo7ZBz4
笹尾山かな

何故か積極的に合流しようとはしていない
0420人間七七四年2018/01/17(水) 20:09:30.97ID:TZiCZ8kG
決定的かつ劇的なタイミングで裏切れば大局を決定出来るわけだし、敢えてどーでも良いときに
寝返るメリットは特にないのでは?
0421人間七七四年2018/01/17(水) 20:15:14.83ID:771q4cPg
政略的に負けていて (家康は太政大臣の遺言で公儀を運営する内大臣で天皇と太政大臣家の公認を得て会津征伐を行っている)
戦略的にも負けている状況で (東軍の法が2万人兵が多く、西軍に大津城の兵が合流しても、東軍には秀忠3万8000に加えて前田の兵がいる)
大義はなく、武将は劣り、地の利はなく、人の和もない状態の西軍が
戦術だけで何とかしようとしても無理があるよ

ではその戦術はとなると、徳川家康は当代一の野戦上手の戦術家ときている
0422人間七七四年2018/01/17(水) 20:45:26.71ID:+tn+QYOR
>>420
でもそれは、史実での9月14日松尾山占拠でも、西軍が大垣から出て関ヶ原に布陣し合戦になったから
意味を成したけど、西軍が大垣から出てこなかったらそうなるとは限らない。
ただ松尾山を占拠して特になにもしていない、となる。

小早川秀秋は行動や意図が謎すぎて、わからない、としか言いようがない。

家康の赤坂着陣と松尾山占拠が同時なので、連動しているような気もするし
偶然のような気もする。
0423人間七七四年2018/01/17(水) 20:46:33.65ID:vJo7ZBz4
小早川天才説か
0424人間七七四年2018/01/17(水) 21:22:01.73ID:45sbuFxO
>>418
もともといた奴をどかしてまで松尾山に陣取った小早川は
間違いなく大谷がいようが陣取ろうとするだろうし
大谷辺りがそこに意見できるようには思えない
0425人間七七四年2018/01/17(水) 21:29:07.95ID:+tn+QYOR
>>424
伊藤盛正は500〜1000程度だけど、大谷勢は9600.
大谷単独なんて意味のない仮定の話はしていない。

小早川秀秋が一合戦してまで松尾山を占拠しようとする理由は?
0426人間七七四年2018/01/17(水) 21:34:12.59ID:45sbuFxO
>>425
別に伊藤相手だって合戦して力業でどかせた訳でもないし数の問題じゃない
同じように大谷にもどけと言うだけ
0427人間七七四年2018/01/17(水) 21:51:31.88ID:+tn+QYOR
>>426
まぁ大谷ならまず断る前に聞くかもしれないね、理由を。

小早川秀秋が松尾山を占拠する理由は?
0428人間七七四年2018/01/17(水) 22:39:07.69ID:6yGkr1jc
小早川天才説なら
状況判断で要地と判断
0429人間七七四年2018/01/17(水) 22:45:18.78ID:uixTUOPI
あの体制でプレーボールしてしまった段階で負け。

ただ、前哨戦まで含めても良ければ勝ち目はあった。秀次の亡霊が
秀頼を亡き者にしようとしていると、池田輝政、浅野幸長ら秀次残党を
敵に仕上げ、ついでに輝政の義父、家康も敵に仕立て上げ、秀次の
亡霊から秀頼を守る、と団結すれば、西軍は普通に勝てた。
その為には、三成と加藤、福島らが仲直りする必要があったが、それが
一番難しいかもね。
0430人間七七四年2018/01/17(水) 22:48:05.05ID:uixTUOPI
とにかく、池田輝政、浅野幸長、田中吉政、中村一氏、山内一豊、
堀尾吉晴らは間違いなく大阪の敵だし、その後ろに家康がいたので、
敵を仕立て上げることは相当容易だった。つまり、西軍も条件さえ
整えば不通に勝ち目はあった。やはり、三成のマネージ能力不足と
いうしかない。
0431人間七七四年2018/01/17(水) 23:20:28.71ID:45sbuFxO
>>427
大谷こそ何故そこに?って感じじゃないか?
0432人間七七四年2018/01/17(水) 23:46:08.66ID:45sbuFxO
あと大谷がどかない場合でも直前に松尾山まで来ることが変わる理由もないので
そのまま史実で大谷らがいたところと場所を入れ替える形になる可能性はあるかと思う
0433人間七七四年2018/01/18(木) 01:22:07.52ID:yfCbdUn2
>>421
徳川マンセー
0434人間七七四年2018/01/18(木) 01:24:46.86ID:vg31HR6V
どう言う根拠があったかは知らんが、少なくとも
秀秋の中には松尾山が要地になると言う読みがあったはず
0435人間七七四年2018/01/18(木) 01:43:31.86ID:aiqmb09s
>>434
じゃなければわざわざもともといた奴追い出してまで陣取らないわな

ただ三成のように家康が赤坂から中山道抜けようとしてるのを先に察した上で動いてるようなら
天満山、笹尾山、松尾山らへんに陣取ったのは別段不思議な事でもない
その中でも松尾山は間に川があるし傍観決め込んでるなら普通に立地が良い
0436人間七七四年2018/01/18(木) 02:17:46.59ID:xlWvA0Hc
秀秋は家康には感謝の念、三成には恨み、秀頼には自分を不幸にする不満
でも自分は豊臣の関係者という複雑な精神状況がある

家康殿と戦いたくないなーでも毛利は戦わないと
嫌だなー家老の言っている裏切りもしたくないよねー
戦場から離れているべきだな。南宮山の毛利勢と南宮山のかげにかくれてよう

って気持ちがこの位置取り
http://ime.pta.jp/d/SI06kC.jpg
お客さんが来たとき親の足に隠れる子供みたいな状況
0437人間七七四年2018/01/18(木) 03:31:17.79ID:KRjcuk2f
>>413
教えてやるが、家康が鉄砲撃ったってのは創作だからな
0438人間七七四年2018/01/18(木) 16:02:02.73ID:ExDwjhdF
実態はともかく
家康は打倒豊臣を掲げて蜂起したわけではない

だから親豊臣が家康を支持しても不思議ではない
0439人間七七四年2018/01/18(木) 16:03:36.59ID:mZHQkiek
蜂起?
0440人間七七四年2018/01/18(木) 16:51:14.02ID:ExDwjhdF
そう蜂起もしていない

豊臣家重臣と征伐任務中であった
0441人間七七四年2018/01/18(木) 17:30:12.24ID:xlWvA0Hc
主家を簒奪した秀吉が、2度聚楽第行幸で
諸大名を天皇に忠誠を誓わせることで豊臣公儀を成立させ

征夷大将軍や関白や大臣は欠員ななかで、
太政大臣が遺言で政務をたくしたのが、内大臣の徳川家康
主君である天皇にたくされた公儀を運営する唯一の有資格者といえる存在だった。

その内大臣は後陽成天皇に晒布を下賜され、前の太政大臣家からも黄金2万米2万の下賜を受け、
公認のもと会津征伐を行っている

そこに、豊臣への忠義をかかげて反乱をおこしたのが石田三成なのだが
0442人間七七四年2018/01/18(木) 21:56:04.24ID:uFF260Sz
三成も一番最初に討伐目標として掲げたのは徳川家康じゃないけどな
0443人間七七四年2018/01/18(木) 23:06:39.82ID:sObFb6+b
そもそも三成はクビになった無職なんだから掲げるも何もないよな
三成が何かをすれば謀反以外の何物でもない
0444人間七七四年2018/01/18(木) 23:32:59.44ID:xlWvA0Hc
石田三成は蟄居と言う刑罰をうけた服役囚だから、佐和山から出た時点で犯罪者だよ

石田三成の肩書きを客観的に評価するなら脱獄囚で
天皇や太政大臣家の公認で行われた会津征伐に脱獄囚が武力闘争することを反乱という

石田三成は何者か、脱獄囚の国家反逆者だ。
0445人間七七四年2018/01/19(金) 00:37:29.50ID:bAotvHcF
いつから工作や操作出来るかによるな

戦術というレベルでは始まってからではらちが明かない
個々に奇跡の勝利を積み上げていくのは無理ゲーすぎる

確かに奇跡の勝利は必要なんだけど
戦略レベルで考えないと

西軍という枠組みを考えるところぐらいから
0446人間七七四年2018/01/19(金) 00:55:33.08ID:67jXS526
戦略面ならまず佐竹を意地でも引き入れろ
0447人間七七四年2018/01/19(金) 04:16:04.30ID:2/s2sHc+
1600年の時点での家康は現代で言うと
(内)閣総理(大臣)と言っていい。
石田三成が大義を主張して勝ちたいなら右大臣くらいに任命してもらうことからはじめないとな
まずは朝廷に献金だ
0448人間七七四年2018/01/19(金) 04:49:27.25ID:U4eF2uDA
朝廷なんて全く関係ないんだけどw
0449人間七七四年2018/01/19(金) 07:52:23.47ID:sRsi8pB0
小早川に裏切り何てどうでもいい。
「宰相殿の空弁当」を何とかしないと。
0450人間七七四年2018/01/19(金) 09:12:25.67ID:8KlXksAc
岐阜城陥落した後じゃ何をやっても無理
東軍主力に西軍が太刀打ちできない事が露見してしまったために日和見が完全に東軍に傾いてる
小早川に本格的な調略が始まったのも岐阜城陥落後だし
0451人間七七四年2018/01/19(金) 10:39:33.06ID:eMsEdfaP
烏合の衆の西軍が勝つ方法はただひとつ、それは家康を寝返らせることのみ
0452人間七七四年2018/01/19(金) 13:22:44.57ID:8dKRQHdm
戦略的に考えるならもっと前からじゃないと
伏見で粘られてる時点でもう遅いぐらい
岐阜に侵攻されてる段階なんてもはや完全に手遅れ
0453人間七七四年2018/01/19(金) 13:32:50.70ID:o8qOc+WI
小早川が西軍なら勝ったという猛者はおらんか
0454人間七七四年2018/01/19(金) 13:39:19.23ID:zTBnNTrd
そもそも最初の狙いが外れて会津遠征軍が崩壊しなかった時点で、意志が不統一の西軍は厳しい
必勝を期すなら挙兵の時点から見直しが必要だわ
0455人間七七四年2018/01/19(金) 13:43:53.02ID:TAfG030j
挙兵の瞬間に家康を暗殺するぐらいのラノベみたいな展開がないと西軍は厳しいな
0456人間七七四年2018/01/19(金) 13:49:50.14ID:2/s2sHc+
>>448
何言ってるの、関係あるに決まっているだろ

豊臣公儀が惣無事と聚楽第行幸で成立しており、天皇に忠誠を誓い、公儀をゆだねられた関白を大義にしている。
その公儀をゆだねられた関白を豊臣は殺してしまったわけだが、
太政大臣が公儀を運営したので形は保たれていた。
けど太政大臣も死に、太政大臣の遺言で内大臣に公儀の運営がたくされている経緯がある以上、
石田三成が大義を唱えたいなら、
右大臣以上の官位につき公儀を運営する資格を得る必要がある。

天皇の公認を得ていない資格のないものがなにを言っても駄目だ。大義はない。
さらに家康と対等に話をしたいなら、後陽成天皇と前の太政大臣家に反乱を公認してもらう必要もある。

まぁその前にすべきことは蟄居という実刑を受けた服役囚という立場から開放されることだけどね
0457人間七七四年2018/01/19(金) 13:59:54.64ID:2/s2sHc+
>>454
意思の統一というのは大義の有無だからな
利害関係で結びついているなら瓦解するだろうが
最高位の大臣である内大臣が後陽成天皇から下賜を受けて公認のもと軍をおこし、
前の太政大臣家豊臣家からも黄金や米を下賜されて公認を受けているわけで、

そこに空き巣のごとく賊が京都や大坂を占領したのが関ヶ原の構図だよ。
東軍の大義は賊からの京都大坂の解放だ
0458人間七七四年2018/01/19(金) 16:23:07.18ID:KmFSwUZY
>>455
家康は本能寺の変の経験から、暗殺を警戒している
0459人間七七四年2018/01/19(金) 16:46:19.29ID:TAfG030j
>>458
だからラノベだと言ってんじゃん
ありもしない前提から始めなきゃ、西軍に勝ち目なんかないよ
0460人間七七四年2018/01/19(金) 16:52:03.51ID:rbpSXUUq
家康に上杉を攻撃させときゃよかったんだよ
目的を達成したら恩顧の諸将も東軍から離れざるを得ない
0461人間七七四年2018/01/19(金) 21:00:06.18ID:8dKRQHdm
間違いなく上杉は壊滅、取り潰しだろうな
そして戻ってくるだけだろう
0462人間七七四年2018/01/19(金) 21:23:39.18ID:+nr7wSJO
しかも東日本全軍を率いて
0463人間七七四年2018/01/20(土) 00:06:14.03ID:jfSJV4GB
そもそも豊臣が駄目なのは地方に大大名が多すぎなところだろ
特に毛利や上杉は信長が一生懸命に戦って所領を削ろうとした仇敵だ
わざわざ家康が毛利や上杉の力を削いで豊臣政権を安定化させようとしているんだから
喜んでやらせてあげればよかったのに
三成が豊臣もろとも自爆テロを実行して豊臣政権を崩壊させた
0464人間七七四年2018/01/20(土) 01:04:30.22ID:VP/sDfqe
だってそりゃ豊臣公儀は惣無事と聚楽第行幸で
諸大名を天皇に臣従させることで外交的に天下を統一した政権だもの
織田信雄のように北条征伐の褒美を断ったりしないかぎりは改易にもできない。
成り立ちからして誰も豊臣には忠誠を誓ってないし、豊臣公儀を支えているのは戦国大名なんだから
長続きするわけがない
0465人間七七四年2018/01/20(土) 01:42:59.85ID:+3TwZczK
>>459
確かに暗殺狙いの方がよほど可能性あるかもなってぐらい隙がない
だけど父親が暗殺され自分も人質され拐われ桶狭間一向一揆金ヶ崎三方原本能寺と
死にかけた回数だけでも図抜けてるのにことごとく生き延びてるし
しぶとさという点で家康以上の人物は日本史全体見渡してもなかなかいない
しかも家康の為ならいつでも死ぬ覚悟の三河武士の部下が周囲に多すぎる
こんな奴を暗殺は無理
0466人間七七四年2018/01/20(土) 01:46:57.42ID:/klAg7YU
このスレには趣旨を理解して無い人が常駐してるんで言いたい事が有ります。
歴史系のスレで、○○が起こらんかったら?とか如何すれば勝てたかっての定番のネタですよ?
ネタはアレキサンダー大王が早死にしなかったらとか、カエサル暗殺とか、ヒトラー勝利の展開は?とか
様々だけど、趣旨を理解して無い人が居ると途端につまらなく成ります。

貴方は徳川マンセーしたいだけなんで徳川スレに帰ってください。
0467人間七七四年2018/01/20(土) 03:15:28.59ID:VP/sDfqe
>>466
惣無事と聚楽第行幸で天皇に忠誠を誓うことで豊臣公儀が成立した事実や、関白を殺して豊臣に正統性が失われてしまったという経緯、
太政大臣の遺言で内大臣に政務がまかされ、
後陽成天皇の下賜を受けて内大臣が大義をもって行ったのが会津征伐で、
帝に公認された征伐中に石田三成が謀反をおこしたという事実をしらないで
勝てたかを議論できると思っているのかね。

戦争ってのは戦術的なことは枝葉末節で、政略が大切だし、戦略も大切だ。
戦いになれば地の利や人の和も考えなければならない。

なのに、大義名分を無視し、政略も無視し、戦略も無視し、地の利も人の和も考えず
戦術だけを語っても意味ないわ。
中世の戦争を語るのだから、武計七書や戦争論や百戦奇略くらい読んだことあるんだろ?
岐阜城こもれば西軍の勝ちとかないわ。

スレの趣旨を理解しなければならないのはお前だよ。いや、戦争とはなんなのかをもうちょっと頭を使って考えるべきだな。
それに勝てたか?と質問系だから、現状ではどうやっても勝てません、って結論もスレタイにそっている。

豊臣厨の頭のなかじゃ正義の忠臣石田三成が乗っ取りをたくらむタヌキを成敗するために立ち上がった程度の認識なのだろうが
実態はまったくちがう
0468人間七七四年2018/01/20(土) 04:24:24.04ID:PJPhglTZ
>>467
ぬるーくキャッキャ言って遊びたいだけなので、ガチな貴方は日本史板へどうぞ
0469人間七七四年2018/01/20(土) 05:39:56.84ID:deKg9PNu
難しく考えすぎだろう。金吾と毛利が戦ってれば関ヶ原は西軍が勝った。
じゃあ金吾と毛利軍を戦わせるにはどうしたら?って云う所から始めればいい。
0470人間七七四年2018/01/20(土) 05:40:40.29ID:deKg9PNu
最悪、金吾はどうでもいいや。勝つには毛利が戦えばいいや。
輝元出馬させてれば戦ってるだろう。
0471人間七七四年2018/01/20(土) 06:18:32.35ID:a0pJdrb0
小早川が西軍なら勝ったという猛者はおらんか
0472人間七七四年2018/01/20(土) 07:22:13.43ID:rSH6hJ8K
>>469
毛利が出てきたぐらいで勝てるほど甘くも無いだろう
家康は自分の軍もほとんど戦わず
秀忠率いる本軍も無しで本戦勝ってるんだし
0473人間七七四年2018/01/20(土) 07:33:38.68ID:deKg9PNu
>>472
必勝!!とは言わん。
ただ勝つ条件として必須だろう。

それに、毛利本隊で着てたら5万前後なんだぞ。
毛利が戦えば金吾も西軍に戦いを仕掛けるのは無理だ。
そうなると、史実で戦った3万強の軍勢に6万以上が加わる。
家康の3万なんて敵じゃないだろう。
0474人間七七四年2018/01/20(土) 07:37:00.91ID:ueNv56Aw
勝ち負けは兎も角も毛利が本気で西軍主力として参陣していたら東軍に対してそれなりに影響力はあっただろうけどな
0475人間七七四年2018/01/20(土) 07:56:50.49ID:uakHE0uY
>>473
50000というのがどの数字だかわからんが条件としてはわかる
ただ小早川が裏切る事に変化が出るとは思えない
0476人間七七四年2018/01/20(土) 08:38:29.95ID:a0pJdrb0
小早川は中身は秀秋で毛利と関係ない
別の軍
0477人間七七四年2018/01/20(土) 09:38:43.63ID:YIieU2f+
毛利本隊が大坂から動くと逆クーデターが起こってそれこそ詰む気がする
0478人間七七四年2018/01/20(土) 11:53:12.79ID:nsgxw+dV
毛利本隊が動かなかったのを輝元はボンボンだから度胸がなくとか暢気だからとか
特に精査されずに輝元の個人の資質に求められることが今までは多かったが
動きたくとも動けなかったとみるのが正解だろうな
0479人間七七四年2018/01/20(土) 12:03:51.75ID:JrFrLVR/
>>465
家康の父上も父上が暗殺された上に三河武士が周囲を固めていたけど暗殺されてますやん
暗殺を逃れる最大の要因なんてただの運だと思うけどな
問題はそんなラノベの一巻目みたいな展開で家康が暗殺されて東軍が分裂したとしても、それで西軍が勝利となるかというと、これも怪しいってこと
統一目標を見失って四分五裂しかねないのが西軍の内実だから
0480人間七七四年2018/01/20(土) 13:31:51.29ID:VP/sDfqe
>>469
http://ime.pta.jp/d/yT2zol.jpg
http://ime.pta.jp/d/HbWFUi.jpg
http://ime.pta.jp/d/D9PE8L.jpg

毛利が西軍になって動いてもほとんど意味はない
距離が離れすぎているので分断され各個撃破だよ
家康や武断派は関ヶ原に入る前に軍議をおこなっているし
毛利勢が敵だということもわかっている。

当時最高の戦術家たちが勝てる見込みがあるから関ヶ原に行ったんだよ。
0481人間七七四年2018/01/20(土) 13:56:12.19ID:VP/sDfqe
>>477
西軍は大義のない賊軍だからね。

朝廷から徳川家康討伐令とか、淀あたりから同じようなものを出してもらえば少しは違うだろうけど
関ヶ原は対等の戦ではないんだよ。
朝廷に公認された官軍(東)vs反乱をおこし暴力で畿内を占領した賊軍の構図
細川がラシャはその象徴といったところ
0482人間七七四年2018/01/20(土) 14:10:38.12ID:15StTNJ4
小早川が西軍なら勝ったという猛者はおらんか
0483人間七七四年2018/01/20(土) 14:28:20.10ID:qm/gfO9+
>>482
小早川秀包なら大津城攻めてたよ。
0484人間七七四年2018/01/20(土) 15:13:11.16ID:VP/sDfqe
戦争においては、敵の来襲がないことに期待をかけるのではなく、
敵に来襲を断念させるような、わが備えを頼みとするのである。
敵の攻撃がないことに期待をかけるのではなく、敵に攻撃の隙を与えないような、
わが守りを頼みとするのである。―孫子

以上が家康が桃配山で督戦した兵法的理由。

南宮山からみれば目の前に2万、少し離れた桃配山に3万、友軍の石田三成ら西軍5万は
遠く15キロ以上離れた盆地で同数の敵と激闘中。(キョリ測で見ると南宮山から伊吹山まで15キロ以上離れている)
しかも小早川が日和見しているので実質西軍3万5千vs東軍5万
南宮山が明確に家康と敵対すれば5万の兵が襲い掛かってくる。

これが関ヶ原の構図
南宮山は動かないと見た家康は3万を前進させた。
0485人間七七四年2018/01/20(土) 15:29:09.81ID:VP/sDfqe
http://ime.pta.jp/d/CYHd8B.jpg

>南宮山から伊吹山まで15キロ以上離れている

て書いたけど、訂正
石田三成のじんからだと8キロだ
0486人間七七四年2018/01/20(土) 16:05:01.28ID:JrFrLVR/
>>484
この状況で3万を前進させた家康も凄いな
0487人間七七四年2018/01/20(土) 16:31:15.93ID:/ntcW3uM
秀頼の影武者を関ケ原に呼べばよかった
0488人間七七四年2018/01/20(土) 16:36:18.21ID:VP/sDfqe
>>486
南宮山視点だとまだ2万もいるよ…という感じだし
松尾山してんだと敵の数が2倍に膨れ上がって戦上手といわれる家康が出張ってきたやべぇって感じだな
武断派視点だと南宮山は池田と山内がなんとかしてくれる。俺らは文治派と石田三成をぶっつぶせ
十分に離れているので背後の心配は当面のところない、家康殿が出てきたのだから大丈夫という感じ
家康視点だと南宮山にこだわって3万を遊兵化するなんてばかばかしい目の前の5万を潰してしまえ、圧力をかけて小早川を寝返らせろって感じか
0489人間七七四年2018/01/20(土) 16:50:52.60ID:VP/sDfqe
もし吉川も小早川も動いていた場合だと

武断派視点なら石田三成ら文弱あいてに同数の敵を相手にして勝てないなんてありえないわ、ぶっ倒せという感じで
桃配山と隘路を利用して持久戦

徳川家康視点なら武断派は同数の文治派にあてて、背後の南宮山3万を5万の兵で押しつぶせ、そのあと文治派だという感じ

文治派は山から下りて同数の敵を倒さなければ家康には届かず

南宮山は家康3万+親徳川2万の計5万を3万でなんとかしなければ挟み撃ちもできない苦境に立たされる

完全な各個撃破。数キロ飛ぶような大砲でもあれば挟撃になりまた違うのだろうけど100mの鉄砲じゃ挟撃は無理
0490人間七七四年2018/01/20(土) 17:33:26.70ID:deKg9PNu
>>485
親徳川って誰の事
0491人間七七四年2018/01/20(土) 17:39:00.47ID:deKg9PNu
>>485
池田・浅野・有馬・山内の事だったら
どう数えても一万強だぞ?
0492人間七七四年2018/01/20(土) 18:32:04.17ID:VP/sDfqe
http://ime.pta.jp/d/Anb7w5.jpg

細かい数字はあっているかわからないがざっくり2万vs3万だ
0493人間七七四年2018/01/20(土) 19:06:16.45ID:5s2Zo2HQ
西軍が本気出せば長期戦にはなってるやろ。
そうなったらからんぞ。黒田如水なめんな。
0494人間七七四年2018/01/20(土) 19:10:55.78ID:RZQKy/E6
>>466
正論ですな
0495人間七七四年2018/01/20(土) 19:48:40.85ID:uakHE0uY
>>492
毛利はともかく吉川広家がまともに西軍につくだろうか
0496人間七七四年2018/01/20(土) 22:27:08.36ID:7rZppi4S
>>495
秀元本隊が東軍を攻撃しちゃったら不戦による云々は破綻しちゃうわけで
もう勝つしかない、と参戦すると思うよ
とは言え、何も知らない秀元が攻撃を開始するがリスクを減らすために
広家は秀元の前に位置したんだからこの配置で秀元隊が参戦する方法を
考えないといけないね
0497人間七七四年2018/01/20(土) 22:54:54.28ID:wlRHI9+d
>>496
関ヶ原での毛利不戦の原因は吉川広家の内通だから
三成が南宮山の兵力を動かすために忍を使い
吉川広家を暗殺して排除した采配のゆくえってゲームを思い出した。

完全なチラ裏でごめん。
0498人間七七四年2018/01/20(土) 23:41:32.12ID:LAj0/ISx
よくわかんないんだけど鳥居元忠とかいうカスはなんで小早川や島津を追い返したの?
0499人間七七四年2018/01/20(土) 23:50:33.82ID:nsgxw+dV
信用できないから
0500人間七七四年2018/01/20(土) 23:55:17.96ID:jfSJV4GB
>>498
島津は義弘については明確に三成と共謀している首謀者の一人だからな
ただし薩摩本国の連中が豊臣大嫌いで義弘に協力せずに兵を送らなかったので立場が悪化しただけ
義弘が巻き込まれただけというのは関ヶ原後に作った言い訳で真っ赤な嘘だから
0501人間七七四年2018/01/21(日) 02:12:38.34ID:5pAf2f3X
>>484
まあ、その辺は経験豊富な博奕打ちって事ですね。
包囲してる相手を各個撃破って作戦だけど、勿論賭けが外れると酷い目に遭う。
しかし、本陣を前進させたから東軍先鋒が崩れると本陣も巻き込まれて防戦が寄り困難に
成ってるし。
0502人間七七四年2018/01/21(日) 10:01:54.75ID:tUcXtAlF
9月14日に本多忠勝、井伊直政が出した「家康は輝元を疎略にしない、領地は安堵する」
という起請文の宛先は吉川広家、福原広俊。

wikiの福原広俊の項にも以下のように書かれてる。

関ヶ原の戦いにおいては、西軍に味方した毛利氏の断絶を防ぐため、
広家・宍戸元続・益田元祥・熊谷元直と談合の上で徳川家康に内通、
領国安堵の約束を取り付けたが、戦後約束は反故にされ、
輝元が減封されると広俊も本領を維持できず、以後は長門吉敷の地を領した。


つまり毛利の重臣連中が不戦密約してる。吉川広家が単独で行ったものではない。
秀元、輝元が表立っていないのは「安国寺が勝手にやった」のと同様、
もし西軍が勝った場合、「家老が勝手にやった」と言い訳できるようにするためと見ていいと思われる。
このような重要事項を輝元、秀元が知らないはずがない。

ただ、南宮山の現場でも、戦況が西軍優勢となれば、「勝利に貢献した毛利勢」となるべく
西軍として参戦する可能性はもちろんある。
だから南宮山が動くかどうかは戦況次第。
0503人間七七四年2018/01/21(日) 11:08:50.91ID:DyvtICga
吉川が動くとすれば家康討死

退却だけでは戻ってくる
0504人間七七四年2018/01/21(日) 13:28:04.06ID:Ga4hIZt8
>>502
いや絶対に輝元は知らないだろ?w
知ってたらっつーか、それなら普通に最初から徳川派になってるだろ?
しかも輝元は西軍の敗戦聞いて仰天してんだぜ?
それに寝返るのが当然の話しだったら毛利の領土を削る
名分が無いじゃないか。約束反故なんてできねーよ?
0505人間七七四年2018/01/21(日) 13:55:17.88ID:6rXPRWAz
>>504
輝元は精神分裂病の多重人格障害者だからね
輝元の人格Aが不戦密約を許可しても人格Bが知らないから西軍の敗戦に仰天するのも当然だろう
逆に輝元の人格Bが工作として諸大名に書状をばら撒いても人格Aが知らないので
輝元は書状ばら撒きを理由に減封処分を聞いて驚いたわけ
0506人間七七四年2018/01/21(日) 14:05:37.39ID:5jgoWa3B
今度は医者ごっこw
0507人間七七四年2018/01/21(日) 14:18:32.78ID:tUcXtAlF
>>504
交渉の駆け引きに毛利は敗れた、だから反故にされた。
家康は署名なんかしてないよ、してるのは本多忠勝と井伊直政。
安国寺にそそのかされただけにしては四国や北九州侵攻した証拠ボロボロ出てきちゃったし。

それと毛利も最初は西軍についた以上はしゃあない、がんばるか、と思ってたと思うよ。
家康に勝てるわけがない、毛利は西軍と関係ない、と弁明しようとしてた吉川広家も、
8月中旬くらいまでの西軍の順調な進撃に悩みだしてる。
このまま清洲の東軍先発隊を撃滅すれば西軍が勝つんじゃないか、と。
それで返事が遅いもんだから黒田長政からさっさと返事しろと催促されてる。

ところがあっけなく岐阜城が落ちて家康、秀忠も西上開始。
これはやヴぁいと見て不戦密約交渉加速。
毛利重臣もこれはだめかもと吉川広家に同意。

で、9月14日に吉川広家、福原広俊と本多忠勝、井伊直政で起請文。
これで毛利は安泰、と安心しちゃったと。

こんなかんじの流れでしょ。
0508人間七七四年2018/01/21(日) 14:21:33.37ID:vQ3RNjvj
>>504
輝元が西軍挙兵の謀に参加したのは五奉行に呼ばれて上洛したあとだからそれまでは安国寺のスタンドプレーというのも嘘ではない
0509人間七七四年2018/01/21(日) 14:25:45.91ID:B67HiYZC
輝元は戦や政治で手腕を発揮したことがあるの?
0510人間七七四年2018/01/21(日) 15:02:54.33ID:vQ3RNjvj
>>507
吉川の返事が遅くなったのは単に石田の検閲に引っかからないように迂回路を取ってて手紙が届かなかったからだぞ
7/14に広家が家康に石田謀反を知らせた手紙が家康に届いたのも8/8と普通の倍以上の時間がたってるのに対して8月に九州の官兵衛のところに広家が送った手紙は中国の大部分が毛利領土だから1週間ほどで届いてる
岐阜陥落後に手紙のやり取りが頻繁に鳴るのも単純に物理的な距離が縮まったから
0511人間七七四年2018/01/21(日) 15:37:31.97ID:QhOeBS38
>>498
カスどころか家康の強さの一つがこの鳥居みたいな武骨な忠誠心に溢れた三河武士が配下に多くいること

伏見で援軍断れば西軍の大軍にいずれ押し潰される事は目に見えていた
しかも万が一本当に味方だった場合責任を取らされる可能性もある
並みの武将じゃこの状況で怪しいからって断れない

家康の為に怪しい相手は味方でさえ徹底的に排除して
初めから玉砕覚悟で援軍も断り、使者も叩き斬って
家康の為だけに粘り倒したからこそ西軍に致命的な時間のロスをさせる事ができた

譜代の重臣クラスでさえ保身がなく家康の為ならいつでも命をなげうつこの鉄壁の忠誠心
寄合いの西軍じゃ徳川軍の倍は兵集めないと野戦じゃ勝ち目無いかと
0512人間七七四年2018/01/21(日) 15:59:36.46ID:WpgcjtYn
>>511
三河武士は思い込んだら一直線だからな。
家康のような名君であれば命も惜しまないすばらしい忠臣になるが
変なほうに思い込めば広忠や清康のように主君であろうと殺してしまう
獰猛な犬って感じだ
0513人間七七四年2018/01/21(日) 18:09:57.66ID:WpgcjtYn
秀吉が関白になって公儀をひらき、惣無事を宣言して、
母親を人質として送ってきてあと、天皇に臣従して天下のために私にしたがって欲しいと家康にお願いしていたら、
その最中に関白の母親の周りに薪をつんでいつでも焼き殺せる準備をしたりするのも三河武士らしい
0514人間七七四年2018/01/21(日) 20:01:42.47ID:OZwDh24X
吉川広家が裏切らなければ勝てた
0515人間七七四年2018/01/21(日) 20:52:56.47ID:DyvtICga
小早川が西軍なら勝ったという猛者はおらんか
0516人間七七四年2018/01/21(日) 23:08:56.62ID:tUcXtAlF
それからもし南宮山の毛利勢が西軍として参戦したら、についてだけど、
その場合の毛利勢の行動選択肢は3つある。

1、上にも挙がっているが、そのまま南宮山北側斜面を駆け下り池田、浅野らと戦う。
2、南宮山南側斜面からこっそり下山し伊勢街道北上、東軍先鋒左翼側面を突く(脇坂、朽木らが
  邪魔な可能性はある)
3、2同様南側斜面から下山、長曾我部、長束らと大垣方面から東軍退路遮断を狙う。

2についてはおそらく家康本隊に対応されるだろうが、東軍先鋒を半包囲の形にもっていくことができる。
鶴翼の陣の本来の機能発揮とでもいうかな。というか本来はこれは小早川秀秋がやるべきことだが。

3については池田、浅野らに動きを察知されれば当然これに対応した動きをされるだろうが、
大垣城勢約5000と連携することも可能になる。

なにも1だけって考えるのは頭が固いよ、柔軟に考えないと。
まぁ西軍優勢でなければ南宮山は動かんと思うが。
0517人間七七四年2018/01/21(日) 23:35:06.02ID:DyvtICga
西軍優勢ぐらいでは動かん
0518人間七七四年2018/01/21(日) 23:43:49.39ID:yj1qSThe
大垣城は関ヶ原開戦と同時期に東海道別動隊に攻められてるよ
0519人間七七四年2018/01/21(日) 23:54:24.97ID:tUcXtAlF
>>518
それ兵数がよくわからんのよね、陽動じゃないかと思うけど。
0520人間七七四年2018/01/21(日) 23:56:07.90ID:WpgcjtYn
http://ime.pta.jp/d/MivNAw.jpg
http://ime.pta.jp/d/6wnx5f.jpg
http://ime.pta.jp/d/rCa7ob.jpg

家康の桃配山配陣が神がかっているから無理だと思う
どちらで山を降りようと対応できる
0521人間七七四年2018/01/22(月) 00:00:55.91ID:V31lKFmu
伊勢街道からわざわざ遠回りして進軍は意味無さすぎだろう
まず下山するだけで大変過ぎるしリスク高過ぎる
やっと降りても伊勢街道からくる時点で丸わかりだし
遠回り過ぎて気付いてからでも池田らが戻ってくる方が早いだろうし
そもそも関ヶ原本戦は大した時間もかからず終わってるから
下手すりゃたどり着く頃には全部終わってて
島津が逃げようとするのを助けるためだけに全方位からフルボッコされに登場みたいな悲惨な状況もありうる
0522人間七七四年2018/01/22(月) 00:03:03.61ID:huCs9YF0
>>519
実際に攻めてたよ
0523人間七七四年2018/01/22(月) 00:24:01.83ID:F7Km9CzD
>>521
もちろんそのリスクはあるよ。タイミングミスるとそうなる。

>>522
いやだから陽動攻撃じゃないかなと。
0524人間七七四年2018/01/22(月) 00:51:21.74ID:V31lKFmu
>>523
どのタイミングで行っても成功と言えるような状況が無いと思うよ
南宮山の毛利は普通に下山して戦ってくれる事が最良の選択肢
0525人間七七四年2018/01/22(月) 00:57:46.15ID:nf3R3G98
池田らが麓に布陣した時点で降りれんからどうあがいても死兵
戦闘序列めちゃくちゃにしながら時間も浪費して山頂を通って反対側に降りてもすでに無意味だし。
0526人間七七四年2018/01/22(月) 03:16:43.69ID:l+EtzLtj
三成がアスペで諸大名に根回し出来なかったから負けた
0527人間七七四年2018/01/23(火) 00:12:25.76ID:WE9XA/I3
>>516
あんた南宮山に登ったことないだろ。
あの山は、北側しか通路はない。
あっても行軍は無理。
否が応でも、池田と対面するしか道はない。
それを池田らは分かってあそこに陣を置いた。

関ヶ原に行ったこともないやつがあんまり知ったかぶりなことをいうと
恥かくぞ。
0528人間七七四年2018/01/23(火) 00:37:02.32ID:tRnYDP96
http://ime.pta.jp/d/UZF4iD.jpg

視点を変えた画像
今度は西軍の南宮山側から北の関ヶ原
0529人間七七四年2018/01/23(火) 00:39:30.67ID:tRnYDP96
自分が南宮山3万の全軍を率いる大将と想像しても動きたくないわ
動けばまず2万と戦い、3万の家康に側面をつかれてフルボッコ
0530人間七七四年2018/01/23(火) 00:44:38.66ID:tRnYDP96
http://ime.pta.jp/d/Anb7w5.jpg

けどこれを見る限り長宗我部は伊勢街道で関ヶ原に直行できそうなんだよな
毛利勢はにらみ合いになっているから難しいだろうけど長宗我部は動ける。
なのに動かなかったのはなぜなのか
0531人間七七四年2018/01/23(火) 00:48:19.66ID:QPWFMBR1
一人で動いても意味無いから。で、秀元になんで動かないのって聞いたら弁当食ってるといわれて待ってたら終わってた。
0532人間七七四年2018/01/23(火) 00:52:02.68ID:4niqdczY
毛利と連携しなかったら多勢に無勢で勝ち目は薄いからでしょ
空弁の話なんかまさにそれ
0533人間七七四年2018/01/23(火) 01:02:38.61ID:rj9NDQzi
長宗我部の立場で考えてみれば
空弁当喰ってる信用できない毛利を背中に進軍はできないんじゃないだろか
0534人間七七四年2018/01/23(火) 01:08:02.93ID:OkWRR5vv
>>527
南宮山は行ったことないよ。ただ等高線的に北側も南側もそれほど変わらないから
地形的に行けるだろうと思ったまで。

植生については50年もするとかなり変わってしまうので、当時は樹木が生い茂っていたのか
禿山だったかは少なくともわたしはわからない。(当時の記録があればわかるだろうけど)
岩村城なんかも今じゃ杉やら檜やらがにょきにょき生えてしまって見れたものではない。
石垣とかは残ってるけどね。

ひとつヒントになるのは、杉か檜がびっしり生えている山は高確率で戦後の植林政策で
杉、檜を植えた山。
そして海外の安い木材に対抗できず、手入れされずに半ば放置されてるケースが多い。

もし南宮山に広葉樹が多かったのなら、当時も似たような植生だった可能性は高い。
生い茂ってたかどうかは別だけど。
0535人間七七四年2018/01/23(火) 01:22:03.58ID:QPWFMBR1
山城は基本的には禿山。木が繁ってたら近づいてきた敵が見えんやろ。
0536人間七七四年2018/01/23(火) 01:56:52.17ID:rj9NDQzi
そこ掘り下げる意味あるのか?
わざわざ南下して伊勢街道から進軍したところで
丸見えだからただの遠回りだぞ
0537人間七七四年2018/01/23(火) 02:07:39.08ID:tRnYDP96
やはり家康3万の位置取りが神がかってる
不利なように見えてすべての局面を見据えた神の一手だわ

関ヶ原全体を見渡して軍を指揮しながら、南宮山備え2万を支援できる位置であり
さらには斥候をたてておけば伊勢街道から来るかもしれない敵も迎撃可能。
そして豊臣恩顧東5万西5万で潰し合わせて、南宮山3万は2万にまかせ、いいところで前進
東軍8万vs西軍5万の構図で小早川を寝返らせて完全勝利。素晴らしいな
0538人間七七四年2018/01/23(火) 02:20:38.80ID:yBnADoJr
>>537
淝水の戦いとか知らんの?作戦上の退却を先鋒にさせるつもりが、混乱状態が全軍に広がり総崩れに
成った話だけどね。
士気が低下して混乱状態に成ればどんな大軍でも意味をなさないんだよ。
家康は別に要塞に籠ってる訳では無くて、桃配り山って高地に陣を敷いてるだけだよ?この状況で後方で
戦闘が始まれば士気が持つとは思えないんだけど?
0539人間七七四年2018/01/23(火) 02:39:25.36ID:rj9NDQzi
>>538
まずどうやって後方から攻めるの?
0540人間七七四年2018/01/23(火) 03:42:28.40ID:tRnYDP96
http://ime.pta.jp/d/T8V6Y7.jpg

挟み撃ちには絶対にならない
桃配山と隘路を利用して迎撃すれば問題ない
南宮山は3万vs5万だ
0541人間七七四年2018/01/23(火) 03:50:59.83ID:QPWFMBR1
挟み撃ちしようにも山から降りれん
0542人間七七四年2018/01/23(火) 03:53:21.59ID:tRnYDP96
南宮山の3万が伊勢街道に出てもだいたい同じ構図で
じりじりと後退しつつ桃配山で迎撃になるだろうな
0543人間七七四年2018/01/23(火) 03:58:01.77ID:tRnYDP96
>>541
登山口はふさいでいるものな。
西軍がすさまじい犠牲をだして下山し、敵前で陣を整えてからの話をしているのだと思う。
でも動いた場合は家康は対応するし、東軍5万も桃配山に移動すると思う
0544人間七七四年2018/01/23(火) 06:40:55.83ID:1i4loSaE
下山中に襲撃
0545人間七七四年2018/01/23(火) 07:54:12.02ID:MTZ1nTnZ
>>530
何で東軍が10万もいることになってんの?
東軍って8万強だぞ?
0546人間七七四年2018/01/23(火) 08:07:43.75ID:1i4loSaE
長宗我部はフリー

ディフェンダーが張り付いていない
0547人間七七四年2018/01/23(火) 08:27:45.71ID:4JIv3w1v
>>546
ああいうのはただの遊兵。
位置が遠すぎるから、よほどタイミングが合わないかぎりなにもできずに終わる。
0548人間七七四年2018/01/23(火) 08:59:22.62ID:MTZ1nTnZ
確かに長宗我部はフリーだが、自分達が駆け下って戦って
毛利付いてきてくれんだろうな?と疑心暗鬼になってるから
難しいだろうなぁ。

やっぱり全ては毛利なんだよ。
0549人間七七四年2018/01/23(火) 10:12:51.59ID:WE9XA/I3
うーむ、君たちもっとフィールドワークせなあかんわ。
伊勢街道方面からの迂回で、関ヶ原、山中方面に向かう云々と語っているが、
どれだけの距離があると思う?
実質、赤坂、垂井ラインより倍はある。意外とあるんだよ距離が。
0550人間七七四年2018/01/23(火) 10:18:12.65ID:uMPecz2l
岐阜城陥落した後に本格的に調略されてるから
岐阜城陥落以後は考えても無駄
0551人間七七四年2018/01/23(火) 10:19:20.11ID:1i4loSaE
>>547
なるほど
あえて触らなかったということか
0552人間七七四年2018/01/23(火) 17:39:25.63ID:tRnYDP96
http://ime.pta.jp/d/cCG4ON.jpg

西軍は大義のない賊軍だし地の利もないし兵も少ないし武将は無能が多く
指揮系統は滅茶苦茶で命令違反は行われ
裏切り者が多数いるうえに
大将役の石田三成に猛将島津義弘の進言を聞く器量がないので
勝てる見込みは絶対にない。

かたや東軍は、
太政大臣から遺言で政務を任された内大臣が率いており、
後陽成天皇に晒布100反を下賜され、前の太政大臣家からも黄金2万米2万を下賜された官軍だ。
大将は戦上手で名の知られた徳川家康。率いる将は歴戦の武断派。兵は多く、尾張や美濃は丹羽のようなもので
関ヶ原の領主も東軍についている。負ける要素がない
0553人間七七四年2018/01/23(火) 19:09:26.58ID:rj9NDQzi
>>549
同意だけど正直これに関してはフィールドワークなんてしなくても
地図見ればわかるレベルで遠くて険しいと思うw
0554人間七七四年2018/01/23(火) 20:38:08.43ID:tRnYDP96
http://ime.pta.jp/d/GKItGj.jpg
http://ime.pta.jp/d/rQqlTE.jpg

吉川も小早川も日和見しないで動いていたらこういう感じになっただろうな
0555人間七七四年2018/01/23(火) 20:41:02.08ID:tRnYDP96
http://ime.pta.jp/d/jmN5c3.jpg

下訂正
0556人間七七四年2018/01/23(火) 21:37:22.72ID:ZfhKk39k
「島津義弘の進言を聞かなかったから」的な発言をよく聞くけど
島津の進言に沿った場合は、良い線言ったのかな
0557人間七七四年2018/01/23(火) 21:47:16.06ID:tRnYDP96
大義名分はなく
政略で負けていて
戦略でも負けていて
兵数は劣り
地の利はなく
武将は戦下手で
リーダー不在でまとまりながなく
命令は無視され
いつ損義理で切り捨てられるかわからないのが西軍

東軍はその逆にすべてを完備している。
島津の戦術的な武勇だけで勝てると思うか?
0558人間七七四年2018/01/23(火) 23:48:08.81ID:bIeIO42L
南宮山の毛利勢については西軍としての参戦可能性は低いのであまり触れたくないと思ってたけど、
敢えて「実は不戦密約自体が家康を欺く謀略だったif」とでも仮定して
南宮山の毛利勢の行動について考えてみると、既に述べたけど行動の選択肢としては>>516

そのタイミングとしては
1、9月14日夜、天候小雨、大垣城勢が関ヶ原に移動した時に同じく動く。(>>516の2、3の場合)
2、9月15日朝、天候霧、視界不良を衝いて動く。(>>516の1の場合関ヶ原よりも先に戦闘開始)
3、関ヶ原で戦闘が始まった時、頃合いを見て動く。(>>516の2は間に合わない可能性がある)
4、その他。

(2の場合、南宮山方面までは霧が出てない可能性はある、垂井〜赤坂間は東軍が押さえてる前提)

みんなが想像してるのは3のタイミングで>>516の1、つまり池田、浅野らとの戦闘突入なんだろうけど、
これって主戦線関ヶ原で西軍が勝つか、南宮山の毛利勢が池田、浅野を押し切れば問題はないんだけど、
だめだった場合、深刻な退路の問題が生じる。
退路として考えられるのは

1、南宮山をまた上って南側に下り伊勢街道で伊勢方面に逃げる。
2、大垣方面に強引に突破し、大垣城に逃げ込むか、南下して伊勢方面に逃げる。

1は追撃されてかなり損害が出ると思う。2は島津退き口の毛利バージョンかな。
山を背にして池田、浅野らと戦うことになってしまうので、負けた時のリスクが高い形勢だと思う。
>>516の3ならばまだ退路リスクは低く抑えられる。

個人的には南宮山の毛利勢が参戦するなら東軍の退路遮断か、
関ヶ原東軍先鋒左翼への側面攻撃、つまり直協攻撃がいいんじゃないかなと思う。
池田、浅野を攻撃してもリスクの割にあまり情勢変化しないような気がする。
池田、浅野らを撃破できればいいけど。

何度も言うけど、それ以前に南宮山の毛利勢が参戦する可能性は低いと思ってる。
0559人間七七四年2018/01/24(水) 00:25:38.32ID:LMnzKHaB
>>557
笹尾山周辺の拡大地図って出せます?
いや、黒田長政隊は一部隊派遣して笹尾山のさらに伊吹山麓側から浸透移動して
石田陣の側面攻撃、あるいは後方に進出できなかったのかなと思って。
ちょうど竹中重門もいるし。
0560人間七七四年2018/01/24(水) 00:44:33.70ID:msi1jzxN
>>558
南宮山南に抜けるのも大回りして伊勢街道抜けてくるのも
そんな簡単な距離じゃないんだと上で何度も言われてるんだからまずはそこじゃないか?
霧があろうと2~3万も動いて目の前の池田らに気づかれないのは無理だし
遠すぎるから普通に気付いてからでも池田らは関ヶ原抜けて伊勢街道で来るの悠々と待てるぐらい距離が違う
タイミングの問題じゃないよ
0561人間七七四年2018/01/24(水) 04:08:08.74ID:f40A5b72
>>559
http://ime.pta.jp/d/T3LdzN.jpg
http://ime.pta.jp/d/ahabns.jpg

迂回は難行になりそう
0562人間七七四年2018/01/24(水) 04:13:43.71ID:f40A5b72
http://ime.pta.jp/d/aM4DZD.jpg

石田三成が勇戦するわけだな。
場所がいい上に島左近におんぶにだっこ状態だもの
0563人間七七四年2018/01/24(水) 04:42:31.19ID:f40A5b72
http://ime.pta.jp/d/eJsGpg.jpg

こうやって見ていくと笹尾山はすごくいい場所だな。
戦場全体を見渡す総大将としては不適切な場所だけど。
いち指揮官としては最適におもえる
0564人間七七四年2018/01/24(水) 05:02:03.67ID:f40A5b72
石田三成の笹尾山http://ime.pta.jp/d/K6lsYV.jpg
小早川秀秋の松尾山http://ime.pta.jp/d/CtTshu.jpg
宇喜多秀家の天満山http://ime.pta.jp/d/EPtog2.jpg
徳川家康の桃配山http://ime.pta.jp/d/MivNAw.jpg
0565人間七七四年2018/01/24(水) 05:43:54.80ID:ByKW4jZT
>>564
桃配り山って怖いなあ...こんなに山迫ってる地形で後方で戦闘起こったら積みじゃん。
0566人間七七四年2018/01/24(水) 08:28:05.25ID:s+2BDHqi
天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず(孟子)

チャンスに恵まれても地の利を活かした戦略にはかなわない、その地の利も人の団結力にはかなわない


いくら東軍を囲うような陣形配置しても
家康が西軍を誘引するために桃配山に布陣し
西軍の戦線が伸びた所を側面から小早川が突く作戦だから
地の利や陣形配置の優劣をいくら考えたところで無意味


『地の利は人の和に如かず』

言葉通りの結果だ
0567人間七七四年2018/01/24(水) 13:09:31.74ID:msi1jzxN
>>565
何が怖いのかよくわからん
後方って山の上から攻められたら恐いと言いたいのか?
0568人間七七四年2018/01/24(水) 13:16:34.41ID:PSUcvS6s
逃走路ないと言いたいと思われ
0569人間七七四年2018/01/24(水) 14:36:31.77ID:f40A5b72
>>566
人の和に如かず
これはまさにそのとおりだな。
石田三成が家康と同じ立場ならいつ切り捨てられるかわからないと思われて全軍崩壊するかもしれない。
けど、家康の場合は武断派から心から信頼されていて、
困ったときでも家康なら何とかしてくれる、何とかしてくれたという信頼感がある。
人の和があるので十分対処可能。大将の差があらわれるな。

http://ime.pta.jp/d/UyBuaT.jpg
http://ime.pta.jp/d/GreCQ7.jpg

西軍が全軍で敵に回っても、武断派は桃配り山の隘路で地の利を得て応戦
家康は戦場全体を見渡せる山に移動し、適切に兵を送り込み
備え2万は山から下りようとする3万を登山口で叩く
ぜんぜん危険じゃない
0570人間七七四年2018/01/24(水) 18:48:35.12ID:f40A5b72
http://ime.pta.jp/d/I1qpgU.jpg

まぁ、小早川が動き、吉川毛利長宗我部が動いたとしても
東軍の負けはない。将兵に与える大将の優劣が大きすぎるし、
将兵も東軍のほうが修羅場をくぐっている
0571人間七七四年2018/01/24(水) 19:01:52.84ID:PSUcvS6s
宇喜多の主力は東軍だしな
0572人間七七四年2018/01/24(水) 19:57:53.17ID:NTY3Qr/X
>>570
僕のヒーロー脱糞マンは最強なんだ
悪の石田軍団に負けないぞ
とまで読んだ
0573人間七七四年2018/01/24(水) 21:26:03.89ID:u+D1mhn2
>>561
たしかに石田陣への側面攻撃、もしくは後方浸透は厳しそうだね、ありがと。
0574人間七七四年2018/01/24(水) 22:29:13.30ID:u+D1mhn2
>>560
そうは言ってもこの南宮山の毛利勢って位置取りが微妙なら兵数も中途半端で
いい運用法が思いつかないよ? 東軍先鋒左翼側面への攻撃か、
東軍の退路遮断(合戦想定域は長束の布陣してるあたりから蓋しにいくかんじ)くらいしか。
いっそ石田ら大垣城勢について行って関ヶ原に布陣するのもありだけどいい布陣場所がない。
脇坂、朽木らの隣の伊勢街道のあたりかな?けっこう危険な場所だよね。
下手すると後方に回り込まれる。
松尾山が空いてればいいかんじなんだが。

とりあえず南宮山から離れるか、一部を残し主力は移動、

なんか名案あればよろ。難しいよ、これ。
0575人間七七四年2018/01/24(水) 22:32:41.24ID:3T+fS617
>>570
小田原以来10年近く戦場に出てないクソ雑魚集団徳川軍がなんだって?
関ヶ原でも徳川四天王()のお二人が敗走中の島津を深追いしすぎて返り討ちにあってるよね
0576人間七七四年2018/01/24(水) 23:09:33.78ID:msi1jzxN
>>574
良い運用どうこうとか以前に
伊勢街道に抜けたところで東軍側面攻撃なんて不可能だと言ってるだけ
まるっきり間に合わないし丸見えだから池田らも家康も悠々と対応できる
選択肢になりえてない
ここの毛利隊は池田らと戦ってくれれば御の字、それ以上の期待は無駄
それさえ怪しい訳だが
0577人間七七四年2018/01/24(水) 23:19:08.02ID:9OZwy4bK
良い運用なんてものは明白だろ。石田勢とともに関ヶ原に布陣。それ以外にはない
0578人間七七四年2018/01/24(水) 23:26:27.21ID:y6JiXWra
>>575
逆に西軍大名の大半は朝鮮で戦い過ぎたせいで精神が磨り減っていて
政治権益がかかった首謀者連中以外は戦意が上がらない大名ばかり
戦い過ぎたことが西軍の敗因だろうね
0579人間七七四年2018/01/24(水) 23:35:05.67ID:9OZwy4bK
東軍先鋒も朝鮮組だらけですが
0580人間七七四年2018/01/24(水) 23:56:59.85ID:f40A5b72
内閣総理大臣豊臣秀吉の死後、副総理の徳川家康が
国会の決定と天皇の公認を得て、自ら自衛隊を率いて行ったのが会津征伐で
讒言しまくって自衛隊員たちに恨まれていた脱獄囚の石田三成容疑者が
野党と語らい反乱をおこしたのが関ヶ原の戦いだ。
石田三成容疑者は人質を取ろうとして、
従うことをよしとしない自衛隊幹部の妻細川ガラシャ夫人が自殺する事件もおこっている

こんな状態の戦いで、大臣の率いる軍の方が多いわけだから
吉川や小早川にひより具合も当然だし東軍が石田三成を憎むのも当然だろう

敗因はあきらか。大義がなかったから。
0581人間七七四年2018/01/25(木) 00:01:28.88ID:VI4FFMnM
>>580
戦国時代に内閣総理大臣なんて役職も国会も自衛隊も野党もないぞw
どこのパラレルワールドの歴史?
0582人間七七四年2018/01/25(木) 00:01:45.73ID:5LrEvmdX
>>579
東軍大名は朝鮮で讒言を繰り返した奸臣三成を殺すというモチベーションがあったのが大きい
逆に西軍大名は三成を殺すというモチベーションが持てないことが致命的な弱点だった
小早川たちが東軍に転向したのも三成を殺すためには仕方のないことだろう
三成は西軍大名に自分を殺すためのモチベーションを与えるべきだった
0583人間七七四年2018/01/25(木) 00:06:40.77ID:joVPcX20
>>581
横からですまん。
あえて言ってるのはわかるんだが、ただただ例え話を理解できないアホに見えるからやめとけ
0584人間七七四年2018/01/25(木) 00:13:30.11ID:VI4FFMnM
>>583
例え話ならもっと適切な比喩を用いるでしょw
もしこれが関ヶ原の例え話なんだとしたら何から何まで間違ってて例え話として全く成り立ってないからああこりゃ僕らとは全く違う世界の話をしてるんだと判断したんだけど違うの?
0585人間七七四年2018/01/25(木) 00:18:37.61ID:azobs8Z7
>>574
岐阜城落とされて西軍不利と周知になり小早川、吉川が完全に調略された状況で挽回するのは不可能
吉川だけじゃなく毛利重臣も内通してるから南宮山の毛利勢に戦えと言うのも不可能
全てが手遅れ
0586人間七七四年2018/01/25(木) 00:22:59.12ID:/e/tmkwC
>>584
誰も求めてないのにずっと同じ話を延々と繰り返しコピペして貼ってる馬鹿にかまうことがそもそもアホだと言ってるんだ
黙ってNGして触るんじゃねえ
0587人間七七四年2018/01/25(木) 00:27:58.10ID:QDv6NvdO
>>585
岐阜城段階でも手遅れでしょう
もっと挙兵段階で色々練り直さないと
0588人間七七四年2018/01/25(木) 00:37:31.10ID:CUEzyibm
戦いは大義名分がなければ人は集まらない。

西軍は対立している内大臣以上の官位に任命され
帝の公認と、太政大臣家の公認を得てはじめて家康と対等に戦える。

家康は武家の中で最高位の内大臣で
太政大臣の遺言で公儀を運営しており、後陽成天皇に晒し布100反を下賜され
前の太政大臣家から黄金2万米2万を下賜されて会津征伐を行っている。

吉川や小早川の状況は
自分が反乱軍の一員で、日本政府から賊軍の鎮圧に協力すれば罪に問わないと言われたらどうするかという状況だ

目の前には自分たち以上の大軍を率いている戦争の達人である内大臣
さらに援軍も自分たちの倍はいると思われる

さあ、どうする
0589人間七七四年2018/01/25(木) 00:47:54.62ID:azobs8Z7
>>587
伏見城の戦いまでは変わりようがないし
岐阜城の戦いでは家康本隊が来てないからまだ可能性がある
0590人間七七四年2018/01/25(木) 01:01:36.56ID:nw3Qsek5
>>589
岐阜にガンガン攻めいられてる時点で大して変わらん
0591人間七七四年2018/01/25(木) 01:13:12.12ID:CUEzyibm
石田三成は秀吉の遺言に従って何ごとも内大臣の意見に従えばよかったんだよ。


秀吉の遺言

【第八条】
五奉行は収入を決済したら、徳川家康、前田利家の両人に確認を求めるように。

【第九条】
様々な内容について徳川家康、前田利家の意見を聞き、その意見に従うように。

【第十条】
徳川家康は伏見城で政務を見るように。
前田玄以と長束正家が留守居役を務めること。
徳川家康が天守に上がりたいと言う場合は自由に案内すること。

一 年寄爲五人、御算用聞候共、相究候て、内府、大納言殿へ懸御目、請取を取候而、
  秀頼様被成御成人、御算用かた御尋之時、右御両人之請取を懸御目候へと、被成御意候事

一 何たる儀も、内府、大納言殿へ得御意、其次第相究候へと、被成御意候事

一 伏見ニハ内府御座候て、ゥ職被成御肝煎候へと 御意候、城々留守ハコ善院、長束大藏仕、
  何時も内府てんしゆまても、御上り候ハんと被仰候者、無気遣上可申由、被成御意候事
0592人間七七四年2018/01/25(木) 02:17:15.35ID:VI4FFMnM
>>591
スレ違い
石田三成奸臣忠臣スレのほうでやれ
0593人間七七四年2018/01/25(木) 03:19:42.69ID:qB91xKKy
>>589
>>11
岐阜城後詰決戦案くらいしか有力な案が出てないので
少し南宮山の毛利勢について考えてただけです。
0594人間七七四年2018/01/25(木) 03:37:46.75ID:CUEzyibm
岐阜城関係の案ってけっきょく
織田秀信を島津義弘の人形にして言いなりにすることを前提にしているので話にならない
地元のことをしらない九州から来た人間の意見を秀信とその家老が聞くかと言う話だ
0595人間七七四年2018/01/25(木) 04:18:58.67ID:VI4FFMnM
>>594
その前提はコピペまとめたやつが勝手に言ってるだけなので無視していいぞ
そもそも岐阜に島津1000人入れたところで対して意味はない
岐阜城攻防戦で重要なのは岐阜城そのものよりそれと連動する大垣駐屯兵力や西軍後詰部隊の方だし
0596人間七七四年2018/01/25(木) 05:05:28.25ID:CUEzyibm
>>595
連携ってそれも無理だろう
連携するには指揮系統が一本化されており、作戦目的をすべての人が熟知している必要があるけど、
西軍は指揮系統が一本化されておらず、命令の上意下達が成立していない。

何度のろしをあげても動かず、命令しても行われず、義弘みたく墨俣で見捨てられたりするわけで、一言でいうなら信頼関係のないよせあつめが西軍だ
連携なんて高度なことが出来るわけがない
秀信が情報交換をせずに勝手に攻めたのも西軍に信頼関係がなく、作戦目的も共有されておらず、指揮系統も一本化されてない証明みたいなものだ

西軍の一番勝率の高い戦い方は何もない平野で決戦することだと思う。
連携なんてこと考えず、手柄を競って敵に突撃するだけでいい。平野なので保身も出来ない
0597人間七七四年2018/01/25(木) 05:34:36.51ID:VI4FFMnM
>>596
秀信が勝手に攻めたって何の話だ?
秀信の動きは竹ヶ鼻城に拠った支城での防衛と敵の予想渡河地点を先に抑えて陣地を構築してからの迎撃
どっちも尾張から北上する敵軍を川に沿って防衛ラインに設定して迎撃するという美濃側の伝統的な防衛行動
はじめから岐阜城に籠城して迎え撃つなんてのは川の防衛ラインを突破されたあともしくは関ヶ原方面から敵がやってくる場合の方法
0598人間七七四年2018/01/25(木) 07:29:39.14ID:azobs8Z7
>>597
数が少数での渡河防衛は何の役にも立たないから無能と呼ばれる
0599人間七七四年2018/01/25(木) 08:47:50.12ID:ePq82MbK
東軍先鋒で慶長の役で渡海したのは、黒田長政・藤堂高虎・加藤嘉明・浅野幸長位
思ったより少ない
0600人間七七四年2018/01/25(木) 13:01:09.45ID:p8AIEhxP
>>597
同意、初めから囲まれたらあっという間に無力化されて終わりだと思う
無能と罵る武将に出来たこともない戦略を求めるのは無理がある
0601人間七七四年2018/01/25(木) 13:47:49.70ID:p+z75vqA
そもそも岐阜城の全てを知り尽くしてる池田勢相手に籠城する方が無理ゲー
0602人間七七四年2018/01/25(木) 15:41:35.14ID:azobs8Z7
>>601
むしろ地形を知り尽くされてるから池田輝政に渡河しやすい場所から強行突破されたんでしょ
地形を変える大規模土木工事は不可能だけど
城の改修は可能
0603人間七七四年2018/01/25(木) 15:46:37.60ID:azobs8Z7
池田輝政に城を知り尽くされてる〜と言うアホに限って
渡河されやすいポイントなどの地形を知り尽くされてる脅威を語らない
0604人間七七四年2018/01/25(木) 15:52:49.59ID:2ZZ1SgPs
小早川の秀ちゃんが悪いよ
0605人間七七四年2018/01/25(木) 16:00:07.29ID:vl2Sp4ca
何故か無理矢理野戦を強要する
0606人間七七四年2018/01/25(木) 17:04:12.35ID:CUEzyibm
石田三成は秀吉の遺言に従って何ごとも内大臣の意見に従えばよかったんだよ。
そうすれば勝てないまでも負けることはない。行動をおこすなら秀頼が成人して関白になり、家康が死んでから。
待てばいいいのは15年〜20年だ。


Q大儀を持ち人望があり太政大臣の遺言で政務をゆだねられた武家の中で最高位の大臣であり、
 帝や前太政大臣家からの下賜を受けて公認のもと会津征伐を行った250万石という
 豊臣にせまる大大名でもある戦争の達人の内大臣率いる軍に勝つにはどうするか

A秀吉の遺言を守り、長い間やってきた讒言や汚職も自重し公正な政治を心がけ、
 何ごとも内大臣の意見に従って反乱などおこさずにおとなしくしていればよかった。
 どうしても戦争するなら秀頼が成人して関白になり家康が死んでから。
0607人間七七四年2018/01/25(木) 17:43:52.88ID:CUEzyibm
>>603
http://ime.pta.jp/d/wA3HPE.jpg

この状態でどこを守るのかって話だな。
東軍には地の利があり川に詳しい。岐阜城も池田が城主をやっていた城で内部構造を知り尽くしている

指揮系統が一本化されておらず命令の上意下達も成立していないよせあつめの西軍に勝てる要素はない
最低でも大垣と岐阜で連携しないと河川防御は出来ない。竹ヶ鼻を守るのは大垣の役目だろうに
0608人間七七四年2018/01/25(木) 18:40:15.64ID:bshkjd00
まあ元々の三成のプランが速攻で濃尾落として三河で東軍を迎え撃つだったから
尾張抜けずに美濃で押し返された時点でほぼ詰み
0609人間七七四年2018/01/25(木) 18:40:51.97ID:aw/zHbcj
>>606
スレのルールに従わないお前が言ってもなぁ
0610人間七七四年2018/01/25(木) 18:51:24.43ID:CUEzyibm
>>608
聚楽第行幸で忠誠を誓った主君である後陽成天皇と、前の太政大臣家の公認と下賜を受けて行われた会津征伐中に
蟄居という刑罰を受けた受刑者が、服役中に脱獄して反乱をおこした時点で詰み。
0611人間七七四年2018/01/25(木) 19:05:36.95ID:CUEzyibm
何ごとも内大臣の意見を聞いて従うようにという太政大臣秀吉の遺言に逆らって反乱をおこした時点で詰み
豊臣への忠義を言い立てながら、その肝心かなめの豊臣に公認されていない時点で詰み
帝と豊臣に公認された軍に反乱をおこした時点で詰み
遠方から遠征してきた軍が、自軍より多い官軍と地の利のない状態で戦っている時点で詰み

賊軍である西軍に勝てる要素はあるのかな
0612人間七七四年2018/01/25(木) 19:28:45.70ID:vl2Sp4ca
小早川が西軍なら勝ったという猛者はおらんか
0613人間七七四年2018/01/25(木) 19:46:53.39ID:azobs8Z7
>>607
つーか渡河防衛だと野戦築城しないといけないポイントが多すぎる&広範囲すぎて
少数だと分散しないといけないこともあり
まともに守れないからな
一ヶ所でも突破されて渡河されると野戦築城したポイントを放棄しなければならず無駄になる

最初から籠城を決め↓の信長公居館跡を真田丸みたいに出城に改修する
http://www.nobunaga-kyokan.jp/
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f3/Gifujyou11.jpg
そして抜け道や通路を瓦礫や野戦築城で徹底的に潰し
山麓(信長公居館跡)、中腹、山頂(岐阜城)の三段構えで籠城できるように改修しなければならなかった

岐阜城は7000〜9000人は収容できないとかそれは山頂のみことを勘違いしてるアホで
岐阜城は収容人数が多い信長公居館跡を含む山麓を城郭とする山城
むしろ人数的には多くないと守りきれない
籠城準備もせずに野戦に出て無駄に兵力と士気を落とす愚行をしたのが秀信
0614人間七七四年2018/01/25(木) 21:50:30.60ID:qB91xKKy
>>613
籠城肯定派は散々説明してるわけだからさ、また説明しなくていいですよ。
籠城を否定するなら>>136の返答を求めればいいよ。
それを補完する手段を考えればいいだけだから。

肯定派は肯定派なりに落城した原因を考えてそれを補完できると
肯定派が思っている手段を考えているのだから
否定派が言う「落城した原因はわかりません、でも史実で落城してるのでどのようなことをしても
落城します」
こんな無責任な論はない。
落ちた原因がわからん奴はどうすれば落ちないかもわかるはずがない。
0615人間七七四年2018/01/25(木) 21:52:26.71ID:p8AIEhxP
大まかな戦略はともかく細かい戦術や築城、準備まで指示しだしたらどうとでも言えてしまうと思うんだが

どの城だって立派な武将がきちんと準備して一定以上の兵数がいて誤った戦術をしない想定なら絶対粘れる事になる
0616人間七七四年2018/01/25(木) 22:14:41.96ID:qB91xKKy
岐阜市の岐阜城資料
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/3-4567.pdf
0617人間七七四年2018/01/26(金) 00:03:20.28ID:5HpsoYTc
>>611
わかったわかった早く精神病院行こうな
0618人間七七四年2018/01/26(金) 00:40:44.59ID:9ZW9pD+B
大阪城パークマネジメント共同事業体

代表者
 大阪城パークマネジメント株式会社

構成員
 株式会社電通 関西支社
 讀賣テレビ放送株式会社
 大和ハウス工業株式会社 大阪本店
 大和リース株式会社
 株式会社NTTファシリティーズ
0619人間七七四年2018/01/26(金) 00:48:22.80ID:O9Jbro40
大津城とかどうしても落とさなくちゃいかんかったのかな
西軍はまず立花宗茂を本戦に参加させないと
0620人間七七四年2018/01/26(金) 07:58:27.85ID:2849f7us
近江交通の要衝を落とさないでどうする
0621人間七七四年2018/01/26(金) 16:53:28.39ID:a4LCIBDj
>>607
その渡河ルートは4つ、って他には有力な渡河点はないってこと?
これ渡河迎撃作戦練る上ですごく重要なんだけど。
0622人間七七四年2018/01/26(金) 19:30:24.87ID:9ZW9pD+B
http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.33767809859958&;lng=136.81702757617188&zoom=12&dataset=chukyo&age=0&map1type=roadmap&map2type=roadmap&dual=true&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

明治26年の地図だ。
線路や道があるところはだいたい浅い

https://bushoojapan.com/castle/fujisecastle/2015/06/13/51839/4

信長の美濃攻略を考察しているこのサイトも参考になるし

木曽川水系流域史ライブラリー
http://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/kisomaps/main.html

このサイトで渡しのある場所が渡河ポイント
0623人間七七四年2018/01/26(金) 21:02:39.32ID:zZ2iAbnx
毛利と島津と長曾我部をちゃんと味方にしてたら勝てた
0624人間七七四年2018/01/26(金) 23:52:55.40ID:a4LCIBDj
岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書
http://www.city.gifu.lg.jp/secure/10437/4567.pdf

山上部・山林部の分布調査では、金華山及び周辺の山の尾根線上に多数の遺構が存在すること
が明らかになりつつあり、その多くが絵図に描かれた砦と対応する。また絵図や文献の検討の結
果、江戸時代に尾張藩が管轄した範囲が戦国時代の直接の城域である可能性が高く、その大半が
現在の金華山国有林として受け継がれていることが判明した。城下町を取り囲む惣構の土塁はこ
の直接の城域に対応しており、城と町が一体として成立・機能していたことを示唆している。調
査成果から岐阜城の城域を最大限に捉えると金華山に瑞龍寺山、上加納山を含んだ山塊全体、西
側の岐阜城下町とそれを取り囲む惣構、東側の達目洞を含んだ範囲となる。


城下町に惣構の土塁があったみたいだね。
これに空堀と柵の構築をすればそこそこのものになるんじゃない?
0625人間七七四年2018/01/27(土) 00:00:20.53ID:Gtlh6oHu
岐阜城はもうどうでも良いよ
どうせ三法師じゃなんかやらかして同じ結果にしかならない
0626人間七七四年2018/01/27(土) 03:31:32.78ID:gRQJVU6o
名城の悪寒
0627人間七七四年2018/01/27(土) 05:05:40.37ID:C36bgJ2S
岐阜城が名城であればあるほど織田秀信と石田三成の無能さがランクアップしていく
0628人間七七四年2018/01/27(土) 08:36:06.20ID:ViKLyAMH
岐阜城は井戸から水は出ないし、曲輪は散らばっているから籠城には不向き。

むしろ囲まれたら終わり。

堀も小さいから特に戦国後期の鉄砲が主力になった時代では籠っても
なすすべない。
0629人間七七四年2018/01/27(土) 08:42:12.35ID:iy3Qdxe5
岐阜城の惣構も、峰と峰の間に土塁と空堀で線を引いた程度の代物だし
0630人間七七四年2018/01/27(土) 08:55:32.80ID:6f26jDuH
>>628
岐阜城は7000人収容できないとか言ってたアホも同じこと言ってたな
山のほうの天守は湧水を井戸に貯める方式
居住などの主な信長公居館は井戸はある(信長公居館発掘調査で発掘済)
信長公居館を真田丸みたいに出城に改修し山麓を城郭に徹底的に改修しなければいけなかった
0631人間七七四年2018/01/27(土) 09:56:42.52ID:6f26jDuH
山頂の天守 = 雨水湧水を貯める井戸
中腹 = 水の手口という水が流れるいくつかの沢がある
山麓 = 信長公居館に井戸がある

なぜか水が全く出ないことになってる不思議
0632人間七七四年2018/01/27(土) 10:07:35.56ID:AOwVNkB6
そう構えの場合むしろ散らばっていた方がいい
0633人間七七四年2018/01/27(土) 10:37:07.08ID:hZmyWoBB
岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書によると、
江戸時代岐阜城は藩主の御猟場として山麓に柵をめぐらして立ち入り禁止にしてた、とある。
岐阜城の史料が少なめなのはこの影響なんじゃないかな?
現在岐阜市が信長居館跡と登山道付近を中心に発掘調査中だが、
いろいろと新たな発見があるが未だ全容解明には至らず、といったかんじみたい。

>>630
信長居館跡と惣構の城下町を利用すればゆうに万を超える兵の収容が可能だと思う。
空堀と柵構築でそれなりのものになると思う。
問題は構築期間が限られている部分で、瑞龍寺砦のほうももっと強化しないとまずそうだし、
完成度80%とかの状態で戦闘に突入してしまうかもしれない。
0634人間七七四年2018/01/27(土) 10:44:45.02ID:6f26jDuH
>>633
期間が限られてるから城下町までは広げすぎだと思う
水の手口から攻められてるの見る限り前面に集中しすぎてその他が全く準備できていなかった
野戦に出て逃げ帰って来てるから掘削や瓦礫で完全に抜け道となる山道を潰したりする期間が無かったと見える
0635人間七七四年2018/01/27(土) 12:00:44.42ID:hZmyWoBB
>>634
たしかに水の手口の強化は必要だよね。池田勢がどのルートで水の手口から攻めたのか
けっこう不思議だけど。よほど東側から回り込んだのか。

>>624の岐阜市 史跡岐阜城跡保存管理計画書の100頁の岐阜城域図見ると
水の手口、城下町惣構、瑞龍寺山砦の強化をすればいいかんじに見えるけど、
構築期間の問題からどこを優先するかですね。
0636人間七七四年2018/01/27(土) 12:37:59.88ID:rwVysdxJ
岐阜城完成の暁には
東軍などあっという間だ
0637人間七七四年2018/01/27(土) 12:40:29.95ID:6f26jDuH
>>635
水の手口は金華山中腹の水源だから
攻め手としたらまず山城なら水源を断つことを考え
水の手口に攻めてくることを考え強化するのは当然に思うけど
敗走して守備に回す兵力が足らなかったのか
付け入り戦法で籠城準備が整ってない時に攻められたのか簡単に抑えられちゃったからな
0638人間七七四年2018/01/27(土) 14:43:30.50ID:DiLwcDSO
>>628
ああいう山でも、極地的に井戸を掘れる場所が有ったりすんのよね。
平地の井戸と違って旱魃に弱いけど、山城だから井戸無しは違う。
宙水で調べると良いですよ。
籠城側は地形に詳しいんだから、井戸くらい有るでしょ。
0639人間七七四年2018/01/27(土) 15:40:38.60ID:buH0Tm3/
水については長良川から汲んでくればいいと思うけどなぁ。
堤防兼用の城下町の惣構越えて汲んでくればいいんじゃない?
0640人間七七四年2018/01/27(土) 18:37:46.19ID:ViKLyAMH
岐阜城の井戸事情


https://farm9.staticflickr.com/8509/8347443255_91be7f8779_c.jpg
0641人間七七四年2018/01/27(土) 18:44:21.62ID:ViKLyAMH
まあ、あと要害堅固とか書いてあるけど、弓と槍で戦っていた時代のことだからな。
鉄砲の防御はほとんど不可能。

鉄砲が普及してからは、山城はほとんど建てられなくなり、鉄砲の射程を考慮して
堀を広くした平城が主流となる、
0642人間七七四年2018/01/27(土) 18:46:47.24ID:6f26jDuH
>>639
ちゃんとした井戸は山麓の信長公居館で発掘されてるから水は十分にある
山頂の話を全体がそうであったかのように語る奴がいるだけ
0643人間七七四年2018/01/27(土) 18:53:03.42ID:ViKLyAMH
>>642
井戸はあっても雨水を貯めるだけで水は出てこないんだよ。
0644人間七七四年2018/01/27(土) 18:53:58.72ID:ViKLyAMH
>>639
浄化槽がある訳じゃないし、そんな水は何日もつのか?
0645人間七七四年2018/01/27(土) 18:57:14.46ID:ViKLyAMH
>>630
本丸にということだろう。

曲輪が散らばっているから戦力を集中できないんだよな。
各所を一つづつ攻略して終わり。
0646人間七七四年2018/01/27(土) 18:58:36.16ID:6f26jDuH
>>641
http://livedoor.blogimg.jp/sengokuaruko/imgs/f/f/ff3d7239.png
真田丸は盛り上がった地形の頂点に空堀を掘って敵の進軍スピードを挫き
空堀から斜面を登ってくる敵を狙撃したんだけどな
0647人間七七四年2018/01/27(土) 19:00:13.08ID:buH0Tm3/
>>641
鉄砲対策なら土塁、空堀、柵で十分機能すると思うけど。戦時の実用性なら。
平時の装飾性も求めると塀、水堀、矢倉とかになってくるんだろうけど。
0648人間七七四年2018/01/27(土) 19:01:51.51ID:6f26jDuH
>>643
>>613の信長公居館跡や地形を見てこい
お前のドヤ顔で言ってるのは山頂のことだ
0649人間七七四年2018/01/27(土) 19:05:13.99ID:buH0Tm3/
>>644
長くても2週間粘ればいいので、2週間分。足りなくなったら汲んでくればいいやん。
0650人間七七四年2018/01/27(土) 19:05:17.00ID:6f26jDuH
>>645
岐阜城は山麓を城郭とする城と言うのをまだ理解してないのか
0651人間七七四年2018/01/27(土) 19:11:14.55ID:buH0Tm3/
あと一応現代では岐阜県は「ダムのない川、清流長良川」って宣伝してる。
0652人間七七四年2018/01/27(土) 19:36:56.33ID:ozp8u5RL
城主の三法師が野戦しないと守れないと判断してるのにどうやってそんなとこまで準備させるのか
0653人間七七四年2018/01/27(土) 19:46:34.89ID:6f26jDuH
史実通りがベストな判断だとしたら長篠の戦いも勝頼はベストな判断してたってことか
今川義元も桶狭間で討ち取られたけどベストな判断
信長も本能寺で少数で泊まっていたのもベストな判断
秀吉も秀次一族処刑して五大老制というガバガバな判断したのがベストな判断だってことか
0654人間七七四年2018/01/27(土) 19:53:24.14ID:hZmyWoBB
>>652
犬山城だって加藤、関あたりが城主石川貞清を説得して開城させたわけでしょ、
なら岐阜城も援将島津義弘が説得して籠城すればいいじゃん。

ただ、それ以前から石田が後詰が来ることを十分説明して籠城準備と普請要請する必要はあるが。
0655人間七七四年2018/01/27(土) 19:56:39.99ID:C36bgJ2S
>>652
岐阜は篭城じゃ守りきれない。
だから歴史的に野戦で美濃を守ってきたけど、
それは大垣が連携してこそだろうな。
つまり戦下手は誰かといえば石田三成なんだよ
0656人間七七四年2018/01/27(土) 19:57:38.45ID:VA82doJi
後詰めがあれば守れる
0657人間七七四年2018/01/27(土) 20:03:28.84ID:ViKLyAMH
>>646
真田丸はわざと敵を集中させるために、敵が攻撃しやすくしていたんだろう。
0658人間七七四年2018/01/27(土) 20:05:14.20ID:C36bgJ2S
どちらにせよ大垣だな。
島津義弘は九州、石田三成は近江、島左近は奈良、宇喜多秀家は中国で
地元を知らず、知っていても戦下手。地の利を知らないから連携できない。
竹ヶ鼻を簡単に落とされている時点でね。

信頼関係がなく、作戦目的も共有されておらず、指揮系統も一本化されていない上に地の利もない
勝てないわ
0659人間七七四年2018/01/27(土) 20:06:59.50ID:6f26jDuH
大軍で渡河防衛するなら分かるが
ただでさえ敵よりも遥かに少ない戦力で
しかも分散させて野戦することがアホだって話だな
0660人間七七四年2018/01/27(土) 20:09:11.35ID:hZmyWoBB
>>658
大垣の重要性はそんなに力説せんでもみんな知ってる。
0661人間七七四年2018/01/27(土) 20:10:56.42ID:dldUXefc
>>658
石田三成は賤ヶ岳合戦で秀吉に従って岐阜城攻めに向かったり大垣大返しの手配をしたり小牧長久手合戦にも従軍してるから美濃の地理は知ってるぞ
0662人間七七四年2018/01/27(土) 20:13:40.77ID:ViKLyAMH
信長も美濃攻略で手こずったのは渡河で長良川を渡ってしまえば
岐阜城攻略なんて大したことない。

まあ、三成は長良川の渡河を全力で阻止するべきだtぅたんだけどな。
あそこを渡らせたから佐和山までの進軍の道筋が出来てしまった。
ただ、三成は間者とかいなかったみたいだから、東軍の動向とか分かっていなかったのだろうけど。
0663人間七七四年2018/01/27(土) 20:20:08.92ID:C36bgJ2S
>>660
それじゃ誰が無能かははっきりしている
無能は石田三成だ。
美濃の防衛は尾張の兵が動いた時点で即応して大垣と岐阜が連携しながら野戦なんじゃないの
三成は即応できず目の前の竹ヶ鼻すら落とされている。
島津義弘ら中国九州勢は美濃の歴史なんかしらないし地勢もはじめてみた人間だろう

>>661
三成は地理を知っていても兵法をしらない
孫子の五事七計すら守ってない馬鹿だから
0664人間七七四年2018/01/27(土) 20:24:15.14ID:6f26jDuH
>>657
違う
段差や斜面があると敵の進軍スピードが落ちる上に
鉄砲避けに竹束を持ってる場合は段差が無く水平な地形ではすぐ迫られてしまう
また敵が急な斜面登るときは重い甲冑な上に竹束持ってると登りにくく狙撃しやすいからだよ
0665人間七七四年2018/01/27(土) 20:31:40.35ID:ozp8u5RL
>>659
大垣がきっちり後詰めしてたら渡河防衛は大きく変わったんじゃないかと
そこら辺全く手を入れずにお前らは籠城だけしてろって
捨て石になれって言ってるのも等しい
少なくとも三法師本人は籠城したらまずいと判断してるんだから
そこまで西軍に肩入れする義理は無いような
0666人間七七四年2018/01/27(土) 20:45:51.61ID:6f26jDuH
>>665
秀信は岐阜城で家臣のほとんどが討ち死にして家臣数十人になるまで戦ってるから戦意は高い
むしろ籠城向き
戦意が高くないなら犬山城みたいに戦わずに開城するから
0667人間七七四年2018/01/27(土) 21:29:59.93ID:hZmyWoBB
>>665
以前のスレでも言ったけど、8月22日時点での大垣の兵力は
石田6000、小西5000、島津1000、計約12000.
岐阜城が秀信6000.

東軍は>>3

秀信の渡河迎撃に大垣からどれだけの援軍を送ると想定?
木曽川流域、竹ヶ鼻にも進攻されてて東軍が岐阜を攻めるのか大垣を攻めるのかわからない情勢。
かなりの援軍を送って上流渡河組を阻止しても下流が支えられない。
一気に大垣に来られて万が一大垣が落ちるようならもはや岐阜どころではなく、
西軍は佐和山で籠城するか瀬田で決戦するしかなくなる。
史実同様なら大垣は落ちないが(十分な守備兵力があるため)
上流の渡河は阻止できず史実同様岐阜城が攻められる。

何度も8月22日時点での渡河迎撃には兵力が足りないと説明されてると思うが。
0668人間七七四年2018/01/27(土) 22:01:24.15ID:hZmyWoBB
一応公平を期すために言っておくけど、8月22日に渡河迎撃を行うとなった場合、
それに間に合ったかもしれない西軍勢力は、桑名、長島周辺にいたであろう
明石掃部の推定兵力3000〜8000くらい。
草津の宇喜多秀家は初めから美濃担当となっていないとぎりぎり間に合わないと思う。
0669人間七七四年2018/01/27(土) 22:37:24.92ID:C36bgJ2S
西軍は信頼関係のない寄せ集めだな
指揮系統が確立しておらず命令の上意下達すらできない。
意思統一も出来ておらず、地の利もない。勝てるわけないな。
岐阜城陥落はその象徴的出来事
でも岐阜城に戦略的価値はないと思う。家康の信頼を得るための生贄だよあれは
0670人間七七四年2018/01/27(土) 23:09:00.72ID:fNhRFOUC
信頼関係の無さでは東軍も相当なものだがな。
福島と池田の功名争いなんて最たるものだ。
0671人間七七四年2018/01/27(土) 23:12:41.28ID:C36bgJ2S
そりゃ柴田勝家と羽柴秀吉のようなものだ
でも織田信長を中心になとまっている。
関ヶ原では内大臣で大義をもつ戦上手の家康を中心に東軍はまとまっている。
指揮系統は明確で命令も上意下達意思の統一も出来ていた
0672人間七七四年2018/01/28(日) 01:45:46.02ID:9USpALf0
岐阜城が野戦もせずに3万以上の兵力で囲まれたら力押しで押し潰されてあっという間に終わりだろう
井戸とかそういう問題か?織田秀信にどれだけ優秀な籠城戦術を期待してるのか
0673人間七七四年2018/01/28(日) 06:44:07.61ID:mfoWRVpN
この時代は、逆に力押しが通じ難い状況だと思うけどね。
それと、当時の記録とか調べると、鉄砲に有効な鎧なんて雑兵は持ってないよ。
竹束以外に有効な遮蔽物無しなんだけど。
0674人間七七四年2018/01/28(日) 06:57:43.31ID:/fG9tLI+
>>672
籠城準備せずに野戦したから岐阜城はすぐ落城したんだろ
0675人間七七四年2018/01/28(日) 06:58:16.73ID:xk5AdU+l
>>669
東軍は福島と池田がいがみ合っても軍監に本多忠勝と井伊直政がいたのが大きいな。
作戦行動は首尾よくやっているからな。

岐阜城は家康に江戸を出立してもらうための生贄で
戦略的価値はないよな。
0676人間七七四年2018/01/28(日) 07:00:09.46ID:xk5AdU+l
>>674
籠城しても岐阜城は簡単に落ちると言っているじゃん。

過去の歴史で岐阜城が籠城で持ったなんていう話があるかよ。
落城はヤマほどあるけど。
0677人間七七四年2018/01/28(日) 07:58:26.72ID:SBTrljyh
小牧長久手で大合戦をおこなった翌年の
1585年から1590年の5年間岐阜城主をやったのが池田輝政で、
その輝政が攻め落とせると判断したわけだから攻め落とせるんだよ。

輝政も城主をやっているときは常日頃からどう守るかを考えただろうし、長所も欠点も知り尽くしているだろう。
その前の城主は1583年から城主をやっている兄貴の元助だから、輝政が岐阜城の防衛を考えた時期はけっこう長い。

秀信は1580年に生まれ1592年から8年城主をやっていたことを考えると
それなりに岐阜城の防衛については考えただろう。

岐阜城を攻め落とせると考えた前岐阜城城主池田輝政と
岐阜城に篭城せず出撃するべきと考えた岐阜城城主織田秀信

岐阜城は守りにくいのだろうな
0678人間七七四年2018/01/28(日) 08:07:17.33ID:Y/Ci5Dco
池田と福島が競争したのが奏功した
この局面では

籠城だった場合逆目に出た可能性がある
0679人間七七四年2018/01/28(日) 08:15:35.30ID:wu45txnD
>>673
そういう事を言える兵力差ではない

>>674
籠城準備してないから落ちたなんて記録があるのか?
0680人間七七四年2018/01/28(日) 08:36:00.63ID:9USpALf0
>>677
同意、政略や戦略ならともかく
城や地形や戦いかたそのものに関する戦術に関して
当時その場を生きる人達が人生を賭けて考え抜いた判断は軽視すべきじゃない
そして現実に岐阜城は籠っても即陥落した
0681人間七七四年2018/01/28(日) 08:43:31.28ID:Hn1jzr+/
野戦という選択肢がない以上
籠城しかない
0682人間七七四年2018/01/28(日) 08:45:09.77ID:uL2hldm7
そもそも西軍の基本戦略は(事前に相談もしていないけど)東海道と中山道の大名が全て西軍について
北条攻めと同じ要領で関東攻めをすることだった
ところが真田以外が全員東軍についたので基本戦略が破綻し、
次の戦略が(事前に相談もしていないけど)福島が西軍についてくれたらという願望のもと
三河で東軍と迎え撃つ戦略だった
つまり美濃で東軍と戦うことは三成にとっても秀信にとっても想定外の事態だったわけ
だから対応が泥縄でその場しのぎの行動しかできなくなるのも当然なんだよ
籠城の準備をしろとか連携して迎え撃てとか言うのは実情を理解していない机上の空論に過ぎない

関ヶ原の結果論から美濃で戦うことが最初から決まりきったことのように考えてしまうのは大きな誤りだ
むしろ美濃は西軍の事実上の最終防衛ラインであり、美濃で戦うこと自体が追い詰められていることを意味していた
0683人間七七四年2018/01/28(日) 08:57:04.07ID:8iai/cop
>>681
籠城という選択肢もない
大垣から後詰めがなかった時点で勝負は決していた
0684人間七七四年2018/01/28(日) 09:00:50.66ID:Hn1jzr+/
>>683
じゃどうしろと?
0685人間七七四年2018/01/28(日) 09:04:09.58ID:Hn1jzr+/
福島が西軍と考えていたなら狂っている
戦の前に打診したのか
例えば密使を送って口頭で確認するとか

百歩譲って第二案以降を考えるべきだ
0686人間七七四年2018/01/28(日) 09:09:16.62ID:SBTrljyh
けっきょく関ヶ原の戦いをどうこう考えるなら大義名分なんだよ
大義名分がなければ人は集まらない。

西軍は当時の武将が必修で学んでいた兵法の原則のすべてが欠落しているが、
基本である孫子の五事七計、道天地将法と君主将帥天地法令軍隊兵卒のすべてが欠落している
そしてまず念頭に置くべきは大義名分である道だが、それすらもない。
豊臣忠義を唱えているのに豊臣の公認を得ていないという片手落ちだ

家康は聚楽第行幸で忠誠を誓った主君である帝から1600年当時、武家のなかで最高位の内大臣に任命されていて、
太政大臣の遺言で何ごとも内大臣の意見に従うようにと政務を任されており、
後陽成天皇の下賜を受け、前太政大臣家からも下賜を受けて出陣したわけで
必要な手続きはすべて行っている。
その官軍に讒言しまくって人望のない石田三成が反乱をおこし
帝どころか、豊臣家の公認すら得られていない状態なんだから勝てるわけがない。
0687人間七七四年2018/01/28(日) 09:14:04.48ID:SBTrljyh
石田三成が関ヶ原で勝とうと思うなら
まず服役中の罪人の立場を解消し、朝廷に献金して内大臣以上の官位にしてもらい
武断派に頭をさげて謝罪して歩いて文武の融和をはかり
讒言はやめて公正な政治をおこなって信頼を回復し
その上で豊臣家の公認を得て関ヶ原をはじめるべきだったろうな
何年かかることやら
0688人間七七四年2018/01/28(日) 09:14:57.97ID:8iai/cop
>>684
どうもできない
3万を越える東軍先発隊を止められる選択肢なんてない
0689人間七七四年2018/01/28(日) 09:21:13.90ID:q7H5zFMH
>>687
いや、意外に難しくなかったと思うぞ。

1. 豊臣家の敵として池田輝政、浅野幸長、田中吉政、中村一氏、山内一豊、
  堀尾吉晴ら秀次の残党を孤立させること。
2. 家康を1.の連中に縛り付けること
3. 天下には、秀次の残党が秀頼を脅かしている、と喧伝し、1,2を天下の敵と
喧伝すること。

少なくとも、>>687よりははるかに楽。
0690人間七七四年2018/01/28(日) 09:42:56.73ID:Hn1jzr+/
>>688
降伏?
0691人間七七四年2018/01/28(日) 10:04:37.85ID:FqQOCfdE
籠城否定するなら>>136に答えてください。
0692人間七七四年2018/01/28(日) 10:18:35.59ID:/fG9tLI+
>>676>>679
野戦して無様に退却してすぐ落ちたって記録しかないな
野戦が間違いだったという記録しかないな
0693人間七七四年2018/01/28(日) 10:28:40.68ID:/fG9tLI+
>>677
>>602-603
0694人間七七四年2018/01/28(日) 10:39:03.70ID:FqQOCfdE
岐阜城後詰決戦案は>>11にまとめてあるけどもう一度改めてまとめようか。

前スレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、島津義弘1000、計7000
大垣城:石田6000、小西5000、計11000

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川16000、安国寺1000、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊21100南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>10

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か
0695人間七七四年2018/01/28(日) 10:43:08.17ID:FqQOCfdE
あ、大谷ら忘れてた。

9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
0696人間七七四年2018/01/28(日) 10:45:07.40ID:8DamNB2V
大前提として東軍先鋒の出撃時期と目的を、事前に正しく判断する必要があるね
なお、情報収集と分析は西軍が最もダメだった要素
0697人間七七四年2018/01/28(日) 10:56:46.68ID:/fG9tLI+
>>682
>事前に相談もしていないけど

一 拙者儀先尾州表ヘ岐阜中納言殿申談人數出候

一 拙者(石田三成)は、岐阜中納言殿(織田秀信)と相談した


>三河で東軍と迎え撃つ戦略だった
>つまり美濃で東軍と戦うことは三成にとっても秀信にとっても想定外の事態だったわけ


もし於不相濟は清須へ勢州口一所に成候而可及行候、猶吉事可申承候


もし福島との交渉で清洲城の開城がうまくいかなかった場合は清洲城へ勢州口(伊勢方面軍)と合流して攻めるつもりである。

交渉決裂した場合は伊勢方面軍を待って合流して清洲城を攻めるって話が抜けてますよ?
伊勢方面軍を待って戦場は三河じゃなくて清洲攻めることも想定してたんだけど
実際伊勢方面軍が来るまで大垣勢は待ってた
秀信も三成も動いてないしな
0698人間七七四年2018/01/28(日) 11:30:32.10ID:/fG9tLI+
>>694
東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負ってことだね
0699人間七七四年2018/01/28(日) 11:57:09.64ID:URL4C6p8
秀信が全力で岐阜城に籠城してたら東軍はもっと楽に勝ってたって当時の見解はどこにもないのにどうして執拗に否定する人がいるの?
0700人間七七四年2018/01/28(日) 12:26:33.13ID:ddNwemqY
>>676
援軍のあてがなくなって降伏開城したことはあるけど攻め落とされたのは秀信の時だけだぞ
0701人間七七四年2018/01/28(日) 12:29:03.75ID:SBTrljyh
岐阜城の城主経験者、
池田輝政が岐阜城を攻め落とせると考えており

岐阜城の城主織田秀信とその家老が
自軍の方が寡兵なのにもかかわらず、篭城するより野戦に出たほうが勝率が高いと考えた

その双方を否定して篭城したほうがいいとか
えらそうにうんちくをたれている評論家様の意見なんぞ参考にもならないだろう

岐阜城は守りにくい城なんだと思う。
0702人間七七四年2018/01/28(日) 12:47:43.02ID:/fG9tLI+
史実通りがベストな判断だとしたら長篠の戦いも勝頼はベストな判断してたってことか
今川義元も桶狭間で討ち取られたけどベストな判断してた
信長も本能寺で少数で泊まっていたのもベストな判断
秀吉も秀次一族処刑して五大老制というガバガバな判断したのがベストな判断だってことか
0703人間七七四年2018/01/28(日) 12:47:44.04ID:uL2hldm7
そもそも美濃で戦う羽目になったことが西軍の敗因なのに
籠城すれば云々を語るのは馬鹿げている
美濃が戦場になった時点で西軍は追い詰められている状態だった
0704人間七七四年2018/01/28(日) 13:11:32.12ID:FqQOCfdE
一応参考までに出しておきましょうか。

8月22日付秋田実季宛佐々正孝書状には
岐阜城の織田秀信は兵が少ないので岐阜城は50日ももたないだろうという風聞がある、

としている。

逆に言えば1ヶ月くらいはもってもおかしくない、というのが当時の認識だったんじゃないかな。
これを2週間もたせるのは当時の認識としてもおかしいことではないと思うが。
0705人間七七四年2018/01/28(日) 13:20:14.72ID:EglkmnwA
三成は家康を征伐する気だったのだから
東へと出掛けていくのが当たり前
0706人間七七四年2018/01/28(日) 13:21:14.82ID:FqQOCfdE
>>703
なんで西軍の敗因を勝手に決めつけてるの?
直接的な敗因は関ヶ原で西軍主力が壊滅し継戦不能になったから。

あんたの言ってるのは遠因。


>籠城すれば云々を語るのは馬鹿げている

馬鹿げている理由は? ifスレで籠城した場合を考えてなにが悪いのか。
0707人間七七四年2018/01/28(日) 13:30:03.31ID:uL2hldm7
つまり西軍は美濃で戦って壊滅したんだろ
敗因以外の何物でもないな
0708人間七七四年2018/01/28(日) 13:36:53.25ID:Hn1jzr+/
家老が野戦派だという根拠は?
0709人間七七四年2018/01/28(日) 13:56:27.23ID:q6u17Uo7
>>706
壊滅したのは敗因ではなく結果では...
0710人間七七四年2018/01/28(日) 14:11:34.62ID:FqQOCfdE
>>709
「西軍」をどういうくくりで見るかにもよるけど、西軍全てが関ヶ原で壊滅したわけではなく、
まだ毛利輝元や増田長盛や残存戦力はあった。
例えばまだこの後、瀬田で迎え撃つとか大坂城に籠城するとかできなくもないけど、
かなり劣勢で勝ち目はないよね。
これらの部分からです。
0711人間七七四年2018/01/28(日) 14:23:11.84ID:8zHJSvTN
>>640
岐阜城はやっぱり水駄目だね
籠城とかしたら麓どころか中腹までいくのもたいへんだろうな
0712人間七七四年2018/01/28(日) 14:57:53.36ID:/fG9tLI+
秀信が野戦でボロ負けした時点で野戦したのは
間違いだったっては確実なんだよね
0713人間七七四年2018/01/28(日) 15:24:52.59ID:ddNwemqY
>>712
竹ヶ鼻城を防衛拠点にしての籠城戦なのに野戦って何を言っとるんだ
0714人間七七四年2018/01/28(日) 15:29:28.51ID:8iai/cop
3000人で全力で守って1日で落ちたのが岐阜城
準備だのなんだの野戦だからだのなんだのと言い訳考えたところで結果は変わらん
0715人間七七四年2018/01/28(日) 15:43:14.39ID:/fG9tLI+
>>713
渡河防衛するために秀信は戦力分散したが
地形を知り尽くしてる池田輝政に渡河しやすい場所から強行突破されて作戦失敗
兵数を無駄に消費し
作戦失敗で士気駄々下がり退却


秀信がやったのは竹ヶ鼻城を防衛拠点にしての籠城戦ではなく渡河防衛するための野戦です
0716人間七七四年2018/01/28(日) 16:20:04.70ID:ddNwemqY
>>715
池田輝政が渡河しやすい場所を知ってるように織田秀信側も渡河しやすい場所を知っててそこを守ってるんだから地形を知り尽くしてる云々はまるで無関係たんなる兵力差の問題

戦力分散したから野戦ってのも飛躍しすぎ
渡河防衛だろうが兵力分散しようが城を拠点にして防衛作戦を展開してるんだからそれは野戦じゃなくて拠点防衛でしょ
0717人間七七四年2018/01/28(日) 16:20:47.49ID:9USpALf0
>>702
少なくとも当時の地形や城に関しての見解で当時の城主二人の意見以上に
現地を把握出来てる意見は考えにくい
0718人間七七四年2018/01/28(日) 16:30:41.62ID:OIocUqTQ
>>714
秀信は5000だぞ、数の誤魔化しは良くない。
0719人間七七四年2018/01/28(日) 16:37:20.88ID:Hn1jzr+/
秀信は知らないか知っていたとしても却下じゃないか

それに全ての渡河点をどうやって守るつもりなのか
0720人間七七四年2018/01/28(日) 16:38:20.45ID:/fG9tLI+
>>716
>織田秀信側も渡河しやすい場所を知っててそこを守ってるんだから

野戦では数の利がダイレクトに影響するのに敵に圧倒的に劣る戦力をまた分散してしまうという愚行を秀信はしたから
池田輝政に数の利に押されて強行突破されたんだけどね
原因が何なのか考えようね
0721人間七七四年2018/01/28(日) 16:48:54.41ID:/fG9tLI+
>>717
それは秀信が戦場経験の歴戦の武将だったらな
初陣状態の秀信の判断が優れるわけないだろ
0722人間七七四年2018/01/28(日) 16:49:32.27ID:UlsPNPL7
戦史的に言えば秀信は遅滞防衛戦に出て、
失敗して食いつかれ大損害を出したとみるのが自然なんだが
史料的にはどうなんだろう読み込んでみるか
0723人間七七四年2018/01/28(日) 17:05:16.04ID:/fG9tLI+
秀信と家臣は福島正則には籠城戦は誉められてたから
籠城の才能はあったんだろうね
0724人間七七四年2018/01/28(日) 17:07:39.02ID:9USpALf0
>>723
誉められるぐらい善戦して1日かからず落とされてる訳で
何もせずに囲まれてたら戦意が続くとは思えない
0725人間七七四年2018/01/28(日) 17:43:48.59ID:FqQOCfdE
籠城否定するなら>>136に答えてください。
0726人間七七四年2018/01/28(日) 17:54:00.89ID:yHcZTFBZ
史実で岐阜城が落ちた理由を説明出来てる人などここにはいない
野戦したからなんて屁理屈でしかない
0727人間七七四年2018/01/28(日) 17:57:49.52ID:FqQOCfdE
>>726
>>7
0728人間七七四年2018/01/28(日) 17:58:33.52ID:8zHJSvTN
秀信に求められるのは

 1.大垣まで下がって本隊と合流する
 2.城を動かないなら少しでも時間を稼ぐ
   (これだと大垣から岐阜に援軍を置くならければいけなく、大垣の戦力が分断される)

岐阜なんて見渡しはいいけど直線を外れた所にいるから大垣から思い切った数を送ることは出来ない

1.しかない様な気はするが城を動かないを選んだ秀信の時点で圧倒的な戦力差から
少しでも時間を稼ぐという選択肢しかないから、水とかの問題は多いんだけど数日なら持つだろうから
後手だが全兵力籠城しかないな

野戦とか名軍師、策士がいるならともかく数合わせの戦いするならやってはいけないな
0729人間七七四年2018/01/28(日) 18:14:27.36ID:8zHJSvTN
岐阜城から兵を送るのは地理的にいいんだろうけど岐阜城に送るようになったら駄目だよね
0730人間七七四年2018/01/28(日) 18:18:34.37ID:8zHJSvTN
本当に秀信に求められていたのは東軍につくって事だけどね
0731人間七七四年2018/01/28(日) 18:18:55.23ID:yHcZTFBZ
>>727
後詰めの動きが一切無い大垣を警戒する必要がない
渡河防衛の時点ならともかく岐阜城包囲時なら距離があるから
大垣は偵察だけさせてれば十分、皮肉にも岐阜城からなら大垣含め丸見えだし
東軍先発隊は竹ヶ鼻を拠点にほぼ全軍で岐阜城攻められるかと
何故か>>7だと島津が援軍に来てるが野戦もせずに囲ませるならそれも間に合わない
すると兵力差3万強vs5~6000、力押しで潰されて終わり
0732人間七七四年2018/01/28(日) 18:26:38.11ID:FqQOCfdE
>>731

まず>>694を読んでいただけますか?岐阜城後詰決戦案の概要です。
ちなみに東軍のオーダーは>>3です。
0733人間七七四年2018/01/28(日) 18:30:09.06ID:8zHJSvTN
個々の戦いをどう勝ってみたいな下から積み上げて西軍を勝つことを考えるのはなかなか無理だわ
勝つとか勝たないとかじゃなくどう行動すべきだったかを戦いに入る前、戦いの最中、戦いの後みたいな
感じで考えていかないときついわ
0734人間七七四年2018/01/28(日) 18:41:41.22ID:/fG9tLI+
>>724
君が>>680で言った
>当時その場を生きる人達が人生を賭けて考え抜いた判断は軽視すべきじゃない

福島正則が秀信の籠城戦を誉めたのは当時の生きた人の評価だぜ?
0735人間七七四年2018/01/28(日) 18:44:15.59ID:yHcZTFBZ
>>732
どっちにしろ5倍の兵力差で持ちこたえる理由はない
岐阜を知らない功城苦手な島津を呼ぶ理由もよくわからん、ゲームか?
0736人間七七四年2018/01/28(日) 18:48:49.15ID:xk5AdU+l
岐阜城って曲輪が散らばっているし、本丸に大兵力を収容できないから
数だけ揃えても仕方ないんだよな。
どうせ分散するから。

島津の1000人なんて焼石に水だよ。
0737人間七七四年2018/01/28(日) 18:51:03.68ID:xk5AdU+l
そもそも籠城派の一番の問題点は岐阜城が難攻不落とかいう根拠だよな。
歴史的にそんな事実があるのか。

落城は36年間に6回しているらしいけど。
0738人間七七四年2018/01/28(日) 18:53:48.77ID:yHcZTFBZ
>>734
その評価は重要だろうな、敵から見ても織田秀信の籠城に
全く落ち度はなく称賛に値するものだったのだろう、準備も含めて
それでなお1日かからず落とされてるのが岐阜城
0739人間七七四年2018/01/28(日) 18:56:47.39ID:Hn1jzr+/
野戦がダメな以上籠城しかない
0740人間七七四年2018/01/28(日) 18:58:18.50ID:/fG9tLI+
>>728
> 1.大垣まで下がって本隊と合流する

岐阜城が落ちると東軍は大垣城素通りして関ヶ原から佐和山目指すだけなんで
小早川や吉川の本格的な調略が始まり
小早川が佐和山で不審な行動をしだし、関ヶ原で東軍に合流しようとするので史実となんら変わらない結果にしかならないのでは?
岐阜城放棄して史実より早く取られてる状態だと家康が史実より早く動き出す最悪の事態になるかもしれないし
0741人間七七四年2018/01/28(日) 18:59:28.15ID:xRqRU2fu
籠城しても勝てない(と判断した)から出撃した
しかし、結果的に籠城した方がマシだった
0742人間七七四年2018/01/28(日) 19:02:37.18ID:FqQOCfdE
>>735
以前のスレでも述べたけど、攻め手の東軍29000対岐阜城7000なら戦力比約4倍。
で、わかる範囲で攻城戦事例を調べたところ、守備兵5000以上くらいのケースで
低戦力比で落ちた事例は信貴山城の事例しかない。
高戦力比で落ちた事例も城方の内応によるケースが多い。

7000も籠もる城を力攻めするなら、よほどの理由か損害前提が必要と考える。

それとなぜ島津って、大垣に石田、小西、島津しかいないから。
0743人間七七四年2018/01/28(日) 19:03:02.91ID:yHcZTFBZ
>>741
どっちにしろ大差ない、議論進める意味がない
0744人間七七四年2018/01/28(日) 19:04:47.63ID:/fG9tLI+
>>738
敗走で兵力が落ち籠城準備が整ってないから水の手口から攻めこまれたんだけどな

>>8にもいわれてるように
>※付け入って とは、敗走する敵を追撃し、そのまま敵の城に攻め込む戦法

敗走して籠城準備が整ってない城に攻めこむ戦法で岐阜城は落とされた
0745人間七七四年2018/01/28(日) 19:05:47.63ID:xRqRU2fu
>>743
おっしゃる通り
0746人間七七四年2018/01/28(日) 19:07:50.21ID:FqQOCfdE
>>741
わたしも最近そういう理由もあったんじゃないかと思うようになった。
6000では岐阜城を守るには広大で足りないような気がする。
1万くらいいないとどこかの防備がおろそかになるようなかんじがする。
0747人間七七四年2018/01/28(日) 19:08:15.56ID:/fG9tLI+
>>743
君の議論がこのスレ的に一番無駄で意味がないんだけどね

史実と同じ結果ガーとしか言ってない上に当時の戦法も全く理解してないし
0748人間七七四年2018/01/28(日) 19:08:48.87ID:yHcZTFBZ
>>742
東軍は35000だろ、5倍の兵力なら問答無用で落ちるかと
さすがにこれが耐えられるとか言い出したらなんでも有りだわ
ただでさえ相手は岐阜城知り尽くしてるんだから
他より早く落ちる可能性高いし実際に落ちてるのに
0749人間七七四年2018/01/28(日) 19:12:20.91ID:/fG9tLI+
>>746
兵力的には城下町までを野戦築城は無理だから信長公居館を出城に改修して
後は抜け道や山道を瓦礫や野戦築城で徹底的に潰すしかない
0750人間七七四年2018/01/28(日) 19:15:48.57ID:yHcZTFBZ
>>747
当時の戦法も含めて福島は秀信の籠城を称賛したのではないのか?
それでなお1日で落とされてるのに
現代の素人が屁理屈並べてどうなるのか
0751人間七七四年2018/01/28(日) 19:21:30.96ID:FqQOCfdE
>>748
じゃあなに、犬山城の抑えや清洲城在番衆全部動員して岐阜城攻めるの?
とりあえずその35000の内訳書いてもらえる?
0752人間七七四年2018/01/28(日) 19:24:51.54ID:SBTrljyh
伏見城の攻防戦はすごかったのだろうな
当時の近隣住民みたく弁当片手に山の上から見学したいものだ
あれこそが名城だ。戊辰戦争の熊本城攻防戦も見学してみたい
0753人間七七四年2018/01/28(日) 19:28:07.29ID:/fG9tLI+
>>750
>>744の当時の戦法は無視か
史実の結果がベストなら>>702の負けた側もベストな判断だったのか?
秀信が地理を知ってる云々言ってるが>>721で秀信は初陣状態ってのもスルーか?

戦法とか考慮してIFを考えるスレにおいて
君みたいに戦法に疎く史実の結果ガーしか言わない議論がこのスレにとって一番要らないんだけどね
0754人間七七四年2018/01/28(日) 19:42:19.04ID:8zHJSvTN
籠城でも野戦でも時間稼ぎをどこまでできるかって事だし
1日で落ちた城をどこまで引っ張れると思ってるの?
0755人間七七四年2018/01/28(日) 20:00:34.94ID:FqQOCfdE
>>754
>>694>>698
最長2週間(伊勢方面隊到着)、最短5日(宇喜多到着)もてばよし。
次善は落ちても東軍に多大な損害を与えること。
0756人間七七四年2018/01/28(日) 20:16:17.33ID:8zHJSvTN
>>755
んで、籠城すれば回り囲まれて中腹やふもとに水も汲みに行けなく
野戦なら大差でどれくらい持つと想定してるの?
0757人間七七四年2018/01/28(日) 20:17:19.35ID:/fG9tLI+
まあ宇喜多到着まで持って貰わないと勝機はなくなるからな
0758人間七七四年2018/01/28(日) 20:39:06.21ID:Hn1jzr+/
実際どうするかは別にして
大垣隊が後詰めに来るまで持てばよい
0759人間七七四年2018/01/28(日) 20:40:21.25ID:/fG9tLI+
今までの流れ見て金華山頂上の岐阜城天守のみで籠城すると思ってる奴がまだいるのに驚くw
0760人間七七四年2018/01/28(日) 20:54:30.79ID:qSw/OrjL
野戦して1日で落ちた城が籠城して2日持ったら籠城した方がいいってことでしょ
籠城しても1日で落ちると断言できる人いる?
0761人間七七四年2018/01/28(日) 21:24:25.25ID:8DamNB2V
織田秀信の兵数は三成書状では5300人、しかも一手との表記なので、
犬山城の兵を併せた可能性が高い
0762人間七七四年2018/01/28(日) 21:56:05.00ID:dOyNzkic
https://i.imgur.com/V2pcvh1.jpg

石田三成の陣に甲冑を着た人がいましたね。
0763人間七七四年2018/01/28(日) 22:06:19.89ID:FqQOCfdE
わたしなりにもう一度岐阜城が一日で落ちた原因を考えてみたが、
まず渡河迎撃で出陣(岐阜城留守居700程残置)、迎撃失敗し敗走、
死傷・逃散で戻ってきたのはおそらく1500〜3000。
(予備隊(遊軍)配置の佐藤方政700〜1000は勝手に戦線離脱行方不明になってる)
で、この2000〜3000で岐阜城各砦、登山口に分散配置した。
おそらく各砦300〜500とかの人数と思われる。

そして東軍は、半ば放棄されたような城下町に容易に侵入、放火しつつ
池田隊は城下町と信長居館跡の間あたりから長良川沿いに水の手口へ移動?、
そして攻撃、福島隊は大手門方面、井伊隊が瑞龍寺山方面を攻撃。
戦力差で押し切られる(落ちない砦もあった)。


やっぱ単純に分散配置による戦力差が主因だと思う。
家老の推す本丸周辺一極集中のほうが数日はもったと思う。

兵7000でも足りないような気もするが主要砦には1000は配置できるようになるし
石垣もある居館跡を強化するなら拠点としてそれなりに機能しそうではある。
もっと兵がおれば、城下町惣構を利用し、城下町&居館跡、山頂本丸、
どちらかが落ちてももう片方で粘るということも可能だと思う。
0764人間七七四年2018/01/28(日) 22:11:34.79ID:SBTrljyh
http://ime.pta.jp/d/0LuLEF.jpg
http://ime.pta.jp/d/0os71k.jpg
http://ime.pta.jp/d/NKQK0A.jpg
http://ime.pta.jp/d/G8MWFm.jpg
http://ime.pta.jp/d/qEKztp.jpg

いつもの航空写真

岐阜城は攻めようと思えば四方八方から攻められそうだな。
もし岐阜城が難攻不落なら前城主の池田輝政は攻めようと思わないだろ。
家康の信頼を得るための戦いで負けましたじゃまずいわけだし
0765人間七七四年2018/01/28(日) 22:12:54.09ID:FqQOCfdE
>>761
962 自分返信:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/01/02(火) 06:10:42.75 ID:j8DwuIBJ
>>928の兵力補足説明
とりあえず石田6000、秀信6000としてるが、これは備口人数では石田6700、秀信5300となっているが、
実際には石田は岐阜城に柏原彦右衛門、柏原内膳、河瀬左馬助、大西善左衛門、松田重太夫らを
援軍として送っており(ただし兵力は不明)
とりあえず援軍兵力推定700として計算している。

ただし、一説では援軍兵力2000とするものもある。この場合なら大垣石田4700、
岐阜秀信5300、石田援将2000、となる。

私見では舞兵庫あたりでも1000〜2000くらい、島左近、横山喜内、蒲生郷舎でもない将に
2000も率いて援軍させるか疑問に思う。そこでとりあえず援軍兵力700とした。


以上コピペ。
犬山城は稲葉とかはその備口人数にも表記されてるでしょ。
個人的に備口人数で判断つかないのが小西の兵力。とりあえず5000とわたしはしてるけど。
あと島津5000は援軍見込み含むものと見て、通説的な島津1000、パラパラ援軍込みの
9月15日なら島津1500と見てる。
0766人間七七四年2018/01/28(日) 22:14:48.00ID:yHcZTFBZ
>>751
犬山の押さえも清洲守りも1000も要らん、少数で十分
35000で攻められたら普通に落ちるだろ

>>763
瑞龍寺や権現など分散させて守ったら各個撃破されるだろう
1000程度じゃそれぞれ潰されるのに数時間かからんだろうし
その間あえて本丸無視されても自分からは攻めないのであれば士気は下がる一方だろうな
0767人間七七四年2018/01/28(日) 22:15:49.42ID:SBTrljyh
全時代的な弓での防衛には適していたけど
鉄砲の時代には合わない城だったのかも。
死角が多そうだし
0768人間七七四年2018/01/28(日) 22:23:00.57ID:Hn1jzr+/
池田がダメ城と知っていれば本拠を移したはずだが
0769人間七七四年2018/01/28(日) 22:26:41.11ID:8DamNB2V
>>765
犬山城には稲葉以外に城主の石川光吉・竹中重門・関一政・加藤貞泰・大坂弓鉄炮衆がおり、
その数は『太田和泉守記』では7000人とする
0770人間七七四年2018/01/28(日) 22:32:08.39ID:FqQOCfdE
>>761
もう一度備口人数確認してみたけど、美濃衆は稲葉一族以外表記がないね、
たしかに一手との表記なので含まれててもおかしくはない。
それだと根本的に岐阜城と犬山城の兵力算定も違ってくる。

ただ、犬山城主石川貞清も記載がないので尾張(犬山城)は未記載なのか、
ちょっとよくわからんね。
0771人間七七四年2018/01/28(日) 22:40:08.44ID:uL2hldm7
西軍が先に畿内で蜂起して東軍は一週間後に連絡を聞いて北関東から反転する立場なのに
畿内から一歩出ただけの関ヶ原が戦場になっている時点で西軍の駄目っぷりが良くわかる
史実の関ヶ原にしても上で叫ばれている岐阜籠城にしても西軍が受身に立つことを前提にした行動なんだよね
ただでさえ雑多な烏合の衆の西軍がもはや先に蜂起したメリットが何もない受身の行動を取れば負けて当然だろう

秀信は戦術に疎いガキだったが信長の孫だけあって受身の行動では勝てないという祖父譲りの直感はあった
むしろ他の西軍首謀者連中ののんびりした消極的な行動がおかしい
秀吉がスピードと積極性を武器に天下を取ったことは文治派も毛利も知っているのに
そこから何も学習していない間抜けぶりには開いた口が塞がらないよ
0772人間七七四年2018/01/28(日) 23:55:46.19ID:SBTrljyh
秀吉が天下を取った大きな理由はスピードと裏切りと残虐性だよ
主君の信長が死んで1年たってない喪中に、信長の奥さんと信長の孫娘を串刺しにして殺して3日も放置して晒すなんて誰が考えるよ
家康に取り込むために自分の妹を離婚させ夫を死に追いやるとか人非人の所業だろう。
関白一家を皆殺しにしたのも残虐性のあらわれ。
西軍のやつらはそんな秀吉の太鼓持ちをしていたやつらだから保守的なんだよ
0773人間七七四年2018/01/29(月) 00:27:47.16ID:dCW007y2
>>772
信長の奥さんと孫娘って誰だっけ?
0774人間七七四年2018/01/29(月) 00:34:58.19ID:WEej03D/
>>771
そこは同感だな
岐阜城が粘れる云々以前に消極的すぎて西軍が勝つ目が見えない
0775人間七七四年2018/01/29(月) 03:51:13.17ID:yKhobbQ7
>>773
________________________________________
|                                                        
| それ羽柴秀吉は野人の子、もともと馬前の走卒に過ぎず。          .           
| しかるに、いったん信長公の寵遇を受けて将帥にあげられ、大禄を食みだすと、   .   
| 天よりも高く、海よりも深きその大恩を忘却して、公の没後ついに君位の略奪を企つのみか、
| 亡君の子の信孝公を、その生母や娘とともに虐殺し、今また信雄公に兵を向ける。     
| その言語に絶した大逆無道 黙視するあたわず、                       
| わが主君 源家康は、信長公との旧交を思い、                           
| 信義を重んじて信雄公の微弱を助けんとして蹶起せり。                      
| もしかの秀吉が、天人ともに許せぬ悪逆を憤り、義の重きを思うものあらば、        
| 父祖の名誉にかけて、この義軍に投じ、以て逆賊を討伐し、海内の人心に快せん      
|                                                       
|  天正十二年                榊原小平太康政                     
|_______________________________________
               ∧∧ │      │ 
               (   ,,)│      │
              /   つ    .   │ドスッ
            〜′ /´ │      │
             ∪ ∪  │      │ _ε3
            ゛'゛'゛゛゛'゛゛'゛'゛゛゛'゛'゛'゛'゛゛゛'゛'゛゛'゛'゛゛゛'゛゛'゛'゛゛゛'゛''小牧長久手


当時の人はみんな知ってる
0776人間七七四年2018/01/29(月) 09:36:53.98ID:yfM8xzSS
ログ見てると家康ってホント何もしてないのがわかるな
0777人間七七四年2018/01/29(月) 09:59:06.79ID:HRQNA+I6
>>764の地図も参照して水の手口がどのあたりのルートなのか確認してみたけど
思ってたより北西側だった。
居館跡の強化と、その長良川側、城下町惣構と接する山際の辺り、ここ強化すれば水の手口への進攻は
防げる。
それと>>764の地図見て思ったのはとても大軍が大挙して攻撃できる山じゃない。
それができそうなのは大手道のあたりと、瑞龍寺山からの尾根伝い。
たしかにがれきで道塞いでしまえばかなり時間稼ぎできそう。
おおむね>>613の強化で合ってる。

つまり強化ポイントとしては居館跡、その北側山麓水の手口登山口、大手道、瑞龍寺山砦あたり。
0778人間七七四年2018/01/29(月) 10:16:12.67ID:ngyOpaD7
結局は秀信が野戦に出陣してるから通路とかを瓦礫で塞いでしまうと
味方の退路を断ってしまうので出来なかった
少ない兵の労働力も渡河防衛のために河岸での柵や野戦築城に費やしてしまってるから
最初から籠城に全てを費やすべきだったって話だね
0779人間七七四年2018/01/29(月) 11:39:04.00ID:yKhobbQ7
鉄砲が発達してから山城は消えていったけど
山城は守りにくいのではないかと思うよ
木や岩や崖にかくれて鉄砲を撃ては100m先の敵を倒せるのが鉄砲なわけだし死角が多い
見通しがよければ守りやすいけど、当時の岐阜城ってはげ山だったっけ
0780人間七七四年2018/01/29(月) 11:44:07.87ID:NMGihEMi
>>776
東軍先鋒の西軍参画のための上洛といった偽情報の流布は家康の指示だが
0781人間七七四年2018/01/29(月) 11:51:32.08ID:yKhobbQ7
敵を発見し、殺傷距離に入ったら撃つということを考えれば
鉄砲隊の前方に200メートルは障害物のない空間がほしい
0782人間七七四年2018/01/29(月) 12:06:52.29ID:yKhobbQ7
もっと言えば
山なので砦のある場所より少しでも高い場所があれば頭の上から狙い撃ちできてしまう
なので、高地すべてを押さえる兵力が必要になる
岐阜城の篭城ってけっこうきついと思うよ。
0783人間七七四年2018/01/29(月) 12:11:56.90ID:ngyOpaD7
>>779>>781
火縄銃の致命傷与える距離は70m前後
甲冑などの装甲貫通距離は40m以内
>>646>>664をとりあえず読め
0784人間七七四年2018/01/29(月) 12:20:20.46ID:ngyOpaD7
昔の戦法調べれば火縄銃は命中精度の悪さや次弾装填の時間が掛かるから
敵を近距離まで引き付けてからの射撃が基本で
近距離用として使われてるの分かるはずなんだけどなぁ
0785人間七七四年2018/01/29(月) 12:23:23.12ID:21qEUYuO
じゃあ池田はバカだった?
0786人間七七四年2018/01/29(月) 12:36:07.10ID:yfM8xzSS
篭城がキツいって言ってる人達って
作る側が篭城考えないで城作ると思ってるのかね
0787人間七七四年2018/01/29(月) 12:47:19.36ID:ngyOpaD7
戦法に疎いから平山城という城があるのも知らなさそうだよね
熊本城は平山城で石垣をなぜあんなに高く積み上げたり
高く積み上げた石垣の上から落石や鉄砲撃てる窓を付けたのか
敵を上から狙撃できるように平地部と城郭にあんな高い段差を付けたのか
大坂城も石山という高い丘に作られてるのも知らなさそう
0788人間七七四年2018/01/29(月) 13:00:58.78ID:c+OZ1EbX
それが野戦で敗走した兵がいたぐらいで1日で落ちるのかw
0789人間七七四年2018/01/29(月) 13:15:22.60ID:c+OZ1EbX
岐阜城は粘るには兵力が足りなすぎる
下手すれば>>770の通りもっと少ない可能性もある
この段階じゃ既に詰んでたとしか
0790人間七七四年2018/01/29(月) 13:23:30.99ID:yKhobbQ7
2014.04.13 岐阜城 【織田信長】【斎藤道三】
ttps://www.youtube.com/watch?v=MhpnMU6luOA
0791人間七七四年2018/01/29(月) 13:41:33.70ID:yKhobbQ7
>>783
敵がいるのかいないのかわからない状態で
敵を発見し、銃を構え、撃つのに200メートルは絶対に必要だよ
100メートルなんて12秒ほどで走り抜けられるのだから、鎧を着ていても30秒かからないだろ
200メートルで敵を発見し、号令とともに銃を構え、100メートルほどで撃つ。火縄銃の有効射程は100メートルだ
0792人間七七四年2018/01/29(月) 13:50:29.94ID:eh25A7nZ
>>788
じゃあ、あなたは始めから籠城してても1日で落城すると断言できるの?
0793人間七七四年2018/01/29(月) 13:55:36.71ID:VFTVT+Vm
>断言できるの?
あほですか?
0794人間七七四年2018/01/29(月) 14:34:53.62ID:ngyOpaD7
>>791
>敵がいるのかいないのかわからない状態で
>敵を発見し、銃を構え、撃つのに200メートルは絶対に必要だよ

高所にいる場合は辺りを見回せる状態なのに何を言ってんだw
>>646>>664見ろって


>100メートルなんて12秒ほどで走り抜けられるのだから、鎧を着ていても30秒かからないだろ

走り抜けた場合でも空堀がある場合は空堀の底に降りてそこからよじ昇らないといけないだろ?
水平射撃の場合は空堀がむしろ安全地帯と化してしまうから
高所による撃ち下ろし射撃が有効って話な
それとこの時代は竹束という鉄砲防御するための盾が存在して重い甲冑来て竹束持った状態じゃすぐよじ登れない
そして掻盾牛という竹束に車輪付けて移動してくる物もあるから妨害する段差や斜面は非常に有効だったって話な
0795人間七七四年2018/01/29(月) 15:03:26.27ID:yfM8xzSS
>>788
野戦で敗走した後の織田兵は逃げ散って数百人しか居ないんだぞ?
岐阜城は大きいし数百人じゃとても守れない。
最初の4.500人で守ってたら数日は防げるわ。
0796人間七七四年2018/01/29(月) 16:44:26.84ID:eh25A7nZ
>>793
そんなことしか言い返せないってことは、最初から籠城してれば1日で落ちることはさすがに無いと自分でもわかってるってことだね?
じゃあ1日で落ちた野戦より数日持つ籠城にした方がまだしもマシじゃないか
きみひょっとしてバカなの?
0797人間七七四年2018/01/29(月) 16:51:23.66ID:eh25A7nZ
さて問題はだ、岐阜城が1日で落ちようが数日持とうが、もはや戦略的には何の価値も無いというところだ
西軍の勝ち目を探すなら、もっと前の段階を考えるべきではないか
0798人間七七四年2018/01/29(月) 18:27:53.07ID:21qEUYuO
いやだから後詰めが来るまで持つかどうか

あるいは強襲で損耗するならそれもよし

もっとも多少の損耗だと意味がないので
半壊ぐらいまで持っていく必要があるが
0799人間七七四年2018/01/29(月) 19:52:10.56ID:Nn5LQPzK
一応舞兵庫が1000で援軍に行ったけど、すぐに追い返されたみたいだけどな。
宇喜多が来るのは5日後らしいけど、5日は無理そうだな。
0800人間七七四年2018/01/29(月) 22:18:41.17ID:INI7ZbUb
>>797
そもそも西軍が蜂起しないことが最大の解決策だろう
秀頼と家康では寿命が圧倒的に違うのだから当時の家康は豊臣の脅威ではなかった
単に三成が権力欲を満たそうとして暴れたことで豊臣が崩壊した
三成の暴走がなければ何も問題はなかった
0801人間七七四年2018/01/29(月) 22:20:29.36ID:4qHb17Dw
円滑に秀忠に譲位されて終わりやろ。ここまでくると家康単体の寿命は解決策にならない
0802人間七七四年2018/01/29(月) 22:27:29.57ID:yKhobbQ7
>>800
いや、豊臣は短期間で崩壊したと思うよ

豊臣公儀なるものは、主家を簒奪した逆臣が天皇の権威を背景に関白になることで正当化し
2度の聚楽第行幸で諸大名を天皇に臣従させ、豊臣に恩も義理もない戦国大名が天皇に従う体制だ。
でも豊臣はその大義の根幹である関白を1595年に殺してしまっている。
1600年の時点で豊臣にはなんの大義もない状態で、諸大名は従う義理はない状態なわけだからな。
徳川はもともと敵、上杉伊達は故郷を奪われ左遷され、島津や長宗我部は服従を強いられ、堀は織田家の家臣
まぁ関ヶ原は最後のとどめと言った感じだった
0803人間七七四年2018/01/29(月) 23:47:09.48ID:INI7ZbUb
>>801
だからこそ重要なのは我がままで制御不能な三成の排除だろう
まず三成が豊臣から影も形もなくなることこそが豊臣を建て直すための第一歩となる
0804人間七七四年2018/01/30(火) 00:48:37.04ID:nXSjRjnJ
>>795
なんか、この時代って正規の武士は意外と少ないって理解して無い人が多いような?
例えば、上杉家は120万石時代の6000の家臣を維持してたんで、大変貧乏だったとかですね。
赤穂藩だって、約五万石で藩士は300弱程度だったはず。
武田家の軍役の記録でも、重臣クラスでも意外と少ないです。
つまり中間小者の武家奉公人どころか、臨時徴集の農民まで居るって事だと思う。
そりゃあ、野戦で負けると城じゃ無くてそのまま逃げ散る奴が多いでしょ。
0805人間七七四年2018/01/30(火) 02:15:31.93ID:5yf44wUt
岐阜城、犬山城の兵数について

とりあえず備口人数の表記では、岐阜中納言一手5300
羽柴右京・稲葉彦六1400
稲葉甲斐守400

それぞれ順番に織田秀信13.5万石5300、稲葉貞通・稲葉典通4万石1400、稲葉通重0.5万石400.
これ以外の美濃衆の記載はない。


で、上でも書かれていた犬山城の兵数が7000だとすると上記稲葉一族で1800、
石川貞清を尾張犬山1.2万石と見るなら400といったところだが…とりあえず400で。
差し引くと4800.

残りの犬山城美濃衆、加藤貞泰4万石、関一政3万石、竹中重門0.5万石、稲葉方通0.445万石
この4人約8万石なら2400人くらいかな。4800は多いだろう。
他に8万石くらいのが犬山城にいたっけ?
wikiにある石川貞清が代官してる信濃木曽の太閤蔵入地10万石入れればなんとなく合うが。

なんか計算が合わんね。

とりあえず5300から上記加藤、関ら2400引くと2900.
岐阜城の織田秀信は兵2900となる。いくらなんでもおかしいでしょ。
石田の援軍700〜1500くらいがいたとしても守備兵700残しで、
織田秀信は2900〜3700で渡河迎撃したことになる。
無謀です。
秀信13.5万石なら秀信だけでも4000くらいいてもおかしくないし。

おそらく岐阜城にいる織田秀信+与力衆で5300という解釈でいいと思うが、どうだろう?
0806人間七七四年2018/01/30(火) 06:03:30.23ID:lEUwO6cv
>>804
戦国末期辺りの軍役は遠征の場合は三人役で動員されてる記載はありますからね。
三分の一が正規兵、もう三分の一は一応戦える雑兵、残り三分の一は戦場に行くまでの兵糧や道具を持つ非戦闘員。
防衛側は遠征ではないために非戦闘員は少なめ。
後は雑兵に加えて傭兵等も雇い頭数を揃えるから、一ヶ月前と戦争前で兵数が違うのは当たり前ですね。
0807人間七七四年2018/01/30(火) 06:14:46.70ID:lEUwO6cv
>>713
竹ヶ鼻城は最初から籠城してないですよ。

福島正則は、尾張国中島郡起から木曽川を渡河を行おうとしたが、対岸に竹ヶ鼻城城主の杉浦重勝が待ち構える。
加賀井重望の家臣らと織田秀信からの援軍 梶川三十郎・花村半左衛門、三成からの援軍 毛利広盛らと柵を作って布陣。
福島正則は、杉浦重勝らが鉄砲を撃ちかけてくる等、西軍方の防御が堅固だったため渡河断念。
しかし、正則らは21日夜さらに下流に移動し、手薄だった東加賀野井から船や筏で渡河に成功。
手薄だった加賀野井から渡河され攻撃されたことにより杉浦重勝は竹ヶ鼻城に退却。


福島正則らは、夜の闇に紛れて船や筏使って渡河していますからね。
広範囲に見張りと即時迎撃できる大軍運用でないと兵数が足りない場合は、どこからでも突破されてしまう。
0808人間七七四年2018/01/30(火) 06:39:15.00ID:lEUwO6cv
最初から籠城していれば、耐えられるか耐えられないかの話をしているようなので、竹ヶ鼻城の早期籠城を提案します。
援軍に来た毛利広盛が、内通したことによって勝手に開城し城が落ちたので、内通の疑いで早期に毛利広盛の処断をする。
そして最初から籠城を決めて竹ヶ鼻城でも籠城していれば、岐阜城と竹ヶ鼻城で福島正則と池田輝政の兵数がそれぞれ分断。
竹ヶ鼻城はかつて豊臣秀吉が力攻めせずに水攻めした難所。
内通者の処断と早期籠城を実行すればかなり耐えられるのではないでしょうか?
0809人間七七四年2018/01/30(火) 06:57:44.87ID:lEUwO6cv
あ、処断じゃなくて三成からの援軍は要らない、または毛利広盛はチェンジ、来なくて良いと申し出るで。
0810人間七七四年2018/01/30(火) 07:03:15.95ID:vvpgk5pE
最初から篭城してもあんま変わらないと思う
野戦で負けたというけど、どれだけ損耗したんだ?
川中島でさえ死傷率30%くらいだが、6000人が30%減ったとしても4000人は篭城したんだろ?
何か変わるとは思えないのだが
0811人間七七四年2018/01/30(火) 07:29:09.46ID:lEUwO6cv
負けた場合の兵数が減る一番の原因は、傭兵や農民から使役された雑兵が命欲しさにそのまま逃走することです。
武器・火縄銃・弾薬・兵糧等をどさくさに紛れて持ち逃げが横行していました。
徳川幕府が百姓の火縄銃を禁止するわけですが、なぜ百姓がそんなに持っていたかに繋がるわけですね。
0812人間七七四年2018/01/30(火) 08:00:15.86ID:AvkWT2/L
>>811
銃自体は禁止してない。
害獣狩で必要だから管理はされてて、"農具"扱いになっていたけど。
0813人間七七四年2018/01/30(火) 08:12:30.20ID:5yf44wUt
加賀野井と杉浦でおそらく兵500くらい。石田と秀信の援軍がどれくらい来てたかにもよるだろうけど、
竹ヶ鼻城って小規模平城って印象があるけど、
もし籠城戦に耐えられるとするなら大垣から3000ほど援軍送って岐阜、竹ヶ鼻籠城というのも
いいと思う。
二の丸守備の毛利広盛は勝ち目なしとして降伏したんじゃない?


竹ヶ鼻籠城って発想はなかったなぁ、竹ヶ鼻を守るのは無理、って印象があったから。
ただ竹ヶ鼻が落ちなかった場合は福島隊は竹ヶ鼻攻城を諦めて池田隊との合流を目指すと思うけど。
0814人間七七四年2018/01/30(火) 08:30:43.08ID:jWPvDAht
三成が送った援軍は1000だな。
三成はこの時点で佐和山城に頭がいって、揖斐川とかに布陣していた。
0815人間七七四年2018/01/30(火) 08:35:25.00ID:jWPvDAht
>>611
まあ、過去に岐阜城は何度も籠城しているし、今回も大軍囲まれて落とされるのは必定
という状況で、籠城派は傭兵や農民が逃散しないという前提だよな。

まあ、自分がそのときの農民なら逃げるか東軍に内通するよな。
0816人間七七四年2018/01/30(火) 08:59:53.46ID:6AFV9lVm
>>805
大坂弓鉄炮衆(5900)を忘れている
0817人間七七四年2018/01/30(火) 09:41:11.47ID:5yf44wUt
>>816
あぁ、大坂留守居の部分か。犬山城詰大坂弓鉄炮衆が2400くらいだとすると犬山城の
計算は合うけど、岐阜城は>>805になってしまうよ。
3000〜3500くらいで渡河迎撃する?しかも分散配置だよ。
0818人間七七四年2018/01/30(火) 10:14:47.52ID:5yf44wUt
まぁいいや、それで仮説立ててみようか、
秀信2900、石田の岐阜城援軍1000と仮定、佐藤方政900と仮定して
岐阜城守備700残して3200で渡河迎撃したとして失敗敗走、佐藤方政戦線離脱、
実際戦ったのは2300、死傷、逃散で岐阜城戻ったのが1200〜1700、
残置してた守備兵700と合わせて1900〜2400で籠城、
各砦に分散配置(おそらく各砦300〜500程)、そして一日で落城した、となる。
0819人間七七四年2018/01/30(火) 10:20:02.02ID:6AFV9lVm
>>817
犬山城に7000人いるから、そちらの抑えで多くの兵が取られるので、
渡河する東軍先鋒の数もそれ程ではないと秀信は判断したかもしれない

更に言えば、そもそも秀信は東軍先鋒の本格的な侵攻ではなく、
物見程度と誤認した可能性もある

これらは何れも犬山城が調略済みと気付かなければ、あり得るかと
0820人間七七四年2018/01/30(火) 10:26:04.89ID:5yf44wUt
>>819
物見想定で縦深分散配置はないと思う。敵戦力の過小判断か、野戦のほうが勝機があると
見たかだと思う。
0821人間七七四年2018/01/30(火) 10:30:10.36ID:5yf44wUt
あと兵力的な部分で、岐阜城秀信2900説取るなら、わたしは小西の与力4人分の兵力も
加算して計算したい。
0822人間七七四年2018/01/30(火) 10:41:31.13ID:xfWIP0+G
それと秀信2900の場合、4000は動員できるであろう自兵の一部をどうしたのかという部分かな。
0823人間七七四年2018/01/30(火) 12:14:47.79ID:vvpgk5pE
>>811
織田家は兵農分離がすすんで職業軍人化している家だが、農民?
岐阜と近い清洲と犬山と竹ヶ鼻は東軍支配下で、逃げ込めるのは岐阜しかないのにどこに逃走するんだ?
岐阜城は名城なんだろ?逃げ込めば安心できる場所に逃げ込もうという心理がはたらくのに岐阜城以外のどこに逃げるんだ
なんか言っていることが矛盾してるな
0824人間七七四年2018/01/30(火) 12:34:49.07ID:zjtpSinv
>>823
>織田家は兵農分離がすすんで職業軍人化している家だが、農民?


いつの話ししてるんだ・・・兵農分離なんて信長の時代だけだぞ
0825人間七七四年2018/01/30(火) 12:47:12.17ID:OvRWiHgG
>>823
織田家が兵農分離が進んで云々をまだ信じてる奴いたのか…
織田の兵制は基本的に他の大名と大きく変わってるようなことはないぞ
0826人間七七四年2018/01/30(火) 12:56:23.59ID:LMyRPcUM
>>823
佐藤方政なら自城の鉈尾山城に逃亡したと見るのが妥当じゃないの?
0827人間七七四年2018/01/30(火) 13:06:29.48ID:Yev0vNHE
城は攻撃目標だから百姓なら山に逃げる
0828人間七七四年2018/01/30(火) 14:43:09.43ID:3XWz+vz/
>>823
百姓なんだから自分の村に帰るよ
なんで城を枕に討ち死にせにゃならんの?
0829人間七七四年2018/01/30(火) 16:43:03.59ID:nXSjRjnJ
>>811
この時代は、或る程度土地と財産の有る農民が年貢を納めると大百姓Aさん、逆に何らかの免税と
引き換えに軍役義務を務めると郷士Aさんだからね。
郷士階級は自活してるんで、大名家から俸禄を貰ってる訳じゃない。
0830人間七七四年2018/01/31(水) 00:16:18.28ID:fvZCVPJ3
とりあえず>>805の備口人数記載の織田秀信の兵数解釈だけど、
岐阜中納言一手5300と記載されており、記載されている稲葉一族以外の
犬山城の美濃衆も5300に含まれるのではないか、というもの。

この5300から犬山城美濃衆加藤、関ら推定2400を引くと秀信の兵力は2900になってしまうというもの。

焦点は
・13.5万石の秀信ならば4000は動員可能。残りの1000くらいはどこに?
・秀信2900だとすると、兵3200で渡河迎撃を行うか?そして3200程度で渡河迎撃したという記録はあるか?
・犬山城在番美濃衆以外にも西軍についた美濃衆の兵力は?
・石川貞清の記載がない。(立場的に大坂弓鉄炮衆に含まれているのかも)

とりあえずこのあたりをクリアしてください。クリアできれば秀信2900で兵力算定やり直します。

それまでは現状の「岐阜城にいる織田秀信+与力衆で5300」という解釈でいきます。
0831人間七七四年2018/01/31(水) 00:30:06.56ID:CqshtaAZ
はじめから3000前後しか居なかったのであればそれこそ籠城しても無駄なので
一か八かで野戦に賭けたのも仕方なかったのかもしれない
0832人間七七四年2018/01/31(水) 02:07:43.87ID:YNHkjV+S
野戦こそ数がダイレクトに響くから一か八かは存在しない
0833人間七七四年2018/01/31(水) 02:25:40.23ID:CqshtaAZ
秀信のおじいちゃんがやってのけたじゃないかw
ほぼ同じ場所でひいおじいちゃんが皮肉にも籠城側に野戦でやられてるじゃないかw
これは天命だろうと秀信が思っても仕方ない
3000未満だったら10倍近い相手に籠城もへったくれもない
0834人間七七四年2018/01/31(水) 02:36:50.65ID:YNHkjV+S
>>833
こういう勘違いしてるのが>>823みたいな勘違い発言してるんだろうな
戦場において一番重要ななのは戦闘員の数で
今川は非戦闘員で水増ししてただけ
戦闘員の数は拮抗していたのが今の学者の説だよ
0835人間七七四年2018/01/31(水) 02:50:55.72ID:CqshtaAZ
マジか、織田軍は戦闘員ばかりの精鋭揃いだったのか
0836人間七七四年2018/01/31(水) 03:02:32.99ID:Oi1qIIxJ
今川は分散進撃
0837人間七七四年2018/01/31(水) 03:10:34.27ID:YNHkjV+S
砦の籠城などで今川主力を引き付けてからの
後方にいた今川本隊への精鋭による正面突撃だね
今川本隊は戦闘員が少ないことを看破してのね
0838人間七七四年2018/01/31(水) 03:17:02.07ID:CqshtaAZ
野戦でこそ島津義弘をつれていくべきだろう
なんたって木崎原合戦ではたった300人で3000の敵を殲滅してるキチガイ
0839人間七七四年2018/01/31(水) 03:26:57.85ID:8p8jcRmG
>>837
戦闘員の数が少ない本隊をたまたま正面から狙い撃ちに出来たというのなら
昔と変わってないじゃないか、信長公記でもそうだし

>>834だと今川全軍でも戦闘員の数自体は大して変わらんと言ってるのかと思ってビックリしたんだが
織田軍スゲーなって
0840人間七七四年2018/01/31(水) 03:39:05.00ID:YNHkjV+S
>>839
いや合ってるよ
今川のが戦闘員が圧倒的多数なら今川本隊の戦闘員が
手薄にならない
尾張は金がたくさんあったから傭兵雇いまくってたし
傭兵を雇いまくって戦闘員の比率が高いのを
兵農分離ができてたと勘違いしてたって話
0841人間七七四年2018/01/31(水) 04:01:08.77ID:wG11MHEI
戦国の最新研究を網羅した戦国事典みたいな本はないのかな?
戦国武将ものしり事典とか、戦国全史クロニカルみたいのは持ってるけど、もう古いんだろ?
0842人間七七四年2018/01/31(水) 04:02:33.47ID:wG11MHEI
戦国全史クロニカルってなんだw



クロニック戦国全史
0843人間七七四年2018/01/31(水) 07:16:41.74ID:wA+Nt4cr
>>840
傭兵が重要で農兵は全く当てにならないってこと?
0844人間七七四年2018/01/31(水) 07:20:41.53ID:zXIOa0hU
>>830
この前提がおかしいな。
美濃は慶長3年!1598年)の検地では54万石だから、
秀信の13.5万石はそのうちの一部で犬山城も別個に領地も持っていたはずではないか。
ここは不明らしいのだが。
石川貞清は秀吉の側近みたいなものだしな。

秀信の軍勢から2400を引いて2900にする必要はないと思うな。
0845人間七七四年2018/01/31(水) 09:25:07.77ID:PTD6OxCa
>>830
織田秀信の石高13万3千石は『当代記』が出典だが、そこには石川貞清・関一政・加藤貞泰の石高は無い
そのため、当初から彼ら美濃衆+は秀信の与力扱いの可能性がある
0846人間七七四年2018/01/31(水) 12:31:05.62ID:YNHkjV+S
8月5日
0847人間七七四年2018/01/31(水) 12:51:04.14ID:YNHkjV+S
よく分からんけどもしかして8月5日付石田三成書状の
備口人数=各大名の総兵力と思ってるのか?
それ昔に別スレでもよく間違った認識で言われてるが
石田三成が各大名に軍役を課し各大名が備口人数を
これくらい動員できるって返答した数字を書いている
備口人数とはどこかに攻めいる時に各大名が自国守備
に必要な兵力を残して攻めいる時に動員できる兵力
備口人数=総兵力−自国守備兵力
>>844が54万石と釣り合わないっていうのも当然
美濃は何らかの理由で他国より軍役が軽くなってるだけ
そして秀信の場合は攻められてる立場なので
そこに守備兵力+国を総動員した総戦力となる
秀信の総兵力は確か6530騎だったか
福島正則の家譜か忘れたが書かれてるって事で決着した
0848人間七七四年2018/01/31(水) 13:52:14.26ID:hLQHhcxB
>>847
なるほど、そうなんだ。
それでいくと稲葉以外の美濃衆は「守備で手一杯、兵は出せない」と答え無記載、
もしくは秀信に合算表記。
島津義弘は「国許から増援が来るから5000は出せる」と返答したと。辻褄合うね。

そうなると秀信6530のうち実際の援軍派遣を差し引いてどのくらいの兵力で岐阜城篭城できるかと、
小西の2900、同与力衆4人4000、で小西6900と計算すべきかどうか、かな?
0849人間七七四年2018/01/31(水) 14:11:13.93ID:hLQHhcxB
あ、その場合でも6530から犬山の加藤、関らの推定2400を引くべきかどうかということか。
0850人間七七四年2018/01/31(水) 18:17:12.40ID:YNHkjV+S
6530騎は岐阜城の戦いで実際に戦った総兵力だったと思う

>>843
YES
0851人間七七四年2018/02/01(木) 00:27:48.38ID:/rzbbBCz
>>845
根拠のない可能性だな。
0852人間七七四年2018/02/01(木) 01:58:28.34ID:E3EzO4Pn
この時代の傭兵と農兵ってそんな差があったんだっけ?
0853人間七七四年2018/02/01(木) 02:46:28.63ID:IAeiK1xK
最新の研究がまとめられている事典とかないのかよ
0854人間七七四年2018/02/01(木) 07:57:02.74ID:cMyEWwGs
>>852
傭兵メインで幕府軍と戦ったのが大坂の陣だからね
農兵は>829の通り免税のために仕方なく来てるだけ
0855人間七七四年2018/02/01(木) 08:59:22.98ID:nMrE0lLm
出典の確認と兵数計算してるけど、わからん部分が多い。
秀信が渡河迎撃で出陣した際、岐阜城に残した守備兵は800でいいかな?
0856人間七七四年2018/02/01(木) 18:33:56.21ID:cMyEWwGs
正確な数字は分からんから7000以上ってなってたな
0857人間七七四年2018/02/01(木) 19:02:45.07ID:IAeiK1xK
最新の研究がまとめられている事典とかないのかよ
0858人間七七四年2018/02/01(木) 19:03:03.97ID:IAeiK1xK
最新の研究がまとめられている事典とかないのかよ
0859人間七七四年2018/02/01(木) 19:03:21.13ID:IAeiK1xK
最新の研究がまとめられている事典とかないのかよ
0860人間七七四年2018/02/01(木) 19:46:39.92ID:/rzbbBCz
最新でも歴史学者ってアホみたいなのが多いからな。
事実だけを言えばいいのに、解釈させると目も当てられない。
0861人間七七四年2018/02/01(木) 19:58:31.16ID:NLaV0YmF
むしろ、随時更新の史料集が欲しい
0862人間七七四年2018/02/01(木) 20:01:19.14ID:OutyXKwN
岐阜城籠城時6530ってのが疑問なんで仮定計算してみたが…、

8月22日、岐阜城には秀信+美濃与力衆8190と石田援将河瀬、松田ら1000を加えた
合計9190の兵がいた。
東軍先発隊を迎撃すべく、岐阜城の守備に800を残し、秀信は8390の兵で出陣した。
しかし遊軍の佐藤方政750は戦線離脱、実際には7640が戦闘参加した。
しかし迎撃失敗し岐阜へ敗走、死傷、逃散で25%の兵を失い岐阜に戻ってきた兵は5730であった。
秀信は残した守備兵800+戻ってきた5730の計6530で籠城することにした。
こんなかんじになる。

岐阜には秀信+石田援将で9190いたことになる。
もっと驚異的なことは6530で籠城して一日で落城したことになるという点。

わたしとしてはまず6530という数字に疑問を感じる。
>>3の上段を見てもらえばわかるんだけど、福島覚書の兵数で全部足していくと
東軍先発隊の兵数は5万を超える。
通説的な35000に数字を合わせると下段のようなかんじかなと思った次第。

なので福島の記載兵数は30〜40%ほどの誇張もしくは誤差があるのではないかと思うが
どうだろう?
0863人間七七四年2018/02/01(木) 20:38:15.45ID:OX4lBrfj
まあ6000は居ないだろーが3500って事もないな。
4000位じゃね?
0864人間七七四年2018/02/01(木) 20:51:07.89ID:cMyEWwGs
>>862
6530騎は木曽川での野戦の総兵力だよ
籠城戦の人数は不明だが武徳安民記によると
福島正則隊が430人、池田輝政隊が490人
浅野幸長隊が308の首級をあげて
落城時には秀信の家臣が数十人にか残っていなかった
と記されてるからかなり減ってたのが分かる
0865人間七七四年2018/02/01(木) 20:57:44.00ID:OutyXKwN
>>864
え?渡河迎撃時? そうならそうと言ってくれないと。
この2日ずっとこの件を疑問に思ってたんだからww
0866人間七七四年2018/02/01(木) 21:05:02.17ID:OutyXKwN
それなら8月22日秀信6330、石田援将1000で岐阜城には7330がいたことになりますね。
おおむね妥当な数字じゃないでしょうか。
0867人間七七四年2018/02/01(木) 21:09:41.71ID:cMyEWwGs
>>865
河田木曽川渡河の戦い、米野の戦い、竹ヶ鼻城の戦い
岐阜城籠城戦を全部含めて関ヶ原前の美濃前哨戦を
岐阜城の戦いと呼んでたけど確かに混同しちゃうね
0868人間七七四年2018/02/01(木) 21:40:01.48ID:OutyXKwN
まぁとりあえず渡河迎撃に岐阜城から6530が出撃したのなら、
備口人数にある、秀信5300には犬山城の美濃衆は含まれない、
ということでいいんじゃないでしょうか。
0869人間七七四年2018/02/01(木) 21:54:06.31ID:OutyXKwN
というか、>>847の備口人数の観点からいくと、郡上八幡を寡兵で守っても1400の兵を出せる
と回答した(と推定される)稲葉一族は西軍としてけっこうやる気があったんじゃないだろうか?

なので犬山城は
東軍つきたい派の加藤、関、
西軍やる気派の稲葉一族、石川貞清、
中立派の竹中、

こんなかんじだったんじゃないかな?
もし東軍につく、で意思統一されてたのなら東軍中村隊が来た時点で開城すると思う。
それがしばらく籠城継続で、岐阜城が落ちて東軍優勢になったんで説得されて開城した、と。
0870人間七七四年2018/02/02(金) 07:48:54.59ID:iUpD13Sh
>>869
犬山調略は家康肝煎りで家康が出馬せずに、
東軍先鋒に開戦を命じた時点で保留状態
0871人間七七四年2018/02/02(金) 19:07:08.43ID:cQkV2oJn
慶長5年7月24日 
徳川家康、美濃岐阜の織田秀信の、石田三成に黨せしを聞き、
加藤成之をして、之を説かしむ、秀信、肯かず、

譜牒餘録


これどう思う? 日時が間違ってないのならば、
秀信は7月22日頃には西軍についたと言えそうだけど。
0872人間七七四年2018/02/02(金) 19:32:09.77ID:ttLHb+Ko
>>871
20日前後から石田三成の謀反の噂の情報収集してるから
そのあたりから西軍と東軍の陣容がはっきりしていたとは言い難いね

ただ鳥居元忠は異変を感じて15日には籠城準備していたから
それ以前から異変を家康に伝えてた可能性もあるし難しいとこだ
0873人間七七四年2018/02/02(金) 23:41:16.92ID:cQkV2oJn
8月20日時点での西軍戦力表
大垣城:石田5700、小西5000、島津1000、計11700

岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、計7000

犬山城:石川貞清400?、稲葉貞通・稲葉典通1400、稲葉通重400、稲葉方通150?、
     加藤貞泰1200?、関一政900?、竹中重門150?、大坂弓鉄炮衆2400?
     計7000

伊勢桑名、長島周辺(推定):明石掃部3000〜8000(推定)

近江草津:宇喜多秀家10000〜15000、(宇喜多は明石掃部と足して総計18000)

伊勢国内:安濃津城攻略に向けて、安国寺恵瓊1000、長束正家1000、


秀信は渡河迎撃時の6530から少し割り引いて計算、そのまま計算なら秀信6330になる。
0874人間七七四年2018/02/02(金) 23:57:09.00ID:cQkV2oJn
>>694をさらに修正

前スレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は以前のスレに出てた>>6
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>7
岐阜城早期落城させない為の手段が>6の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
岐阜城の想定籠城期間は2週間。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
大垣城:石田5700、小西5000、計10700

8月27日に宇喜多18000が大垣到着、
9月2日 大谷ら9600関ヶ原山中村着陣
9月1〜3日頃 白瀬峠経由ではなく関ヶ原、垂井経由で相良、熊谷、秋月、高橋、垣見ら(3000〜5000大垣入城
9月7日毛利秀元、吉川16000、安国寺1000、長束1000、長曾我部2100ら伊勢方面隊20100南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>6の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>8
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>9のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>10

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>6の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か

東軍
史実通りの最速で家康本隊が清洲到着9月11日
岐阜城到着9月13日(江戸清洲間を11日間走らせたための休息1日とった)
史実通りの最速で秀忠の美濃到着は9月18日前後


家康本隊と秀忠隊がいない8月下旬〜9月上旬までに東軍先鋒隊を壊滅させることができれば西軍に勝ち目が出てくる
壊滅できなければ木曽川より西側から東軍を駆逐しての大軍による渡河防衛での膠着になる

8月下旬〜9月上旬までが勝負

>698のハイパーリンク入らないので文章で追加しました。
主な変更点は兵力算定見直しにより岐阜城兵力は8000となりました。
0875人間七七四年2018/02/03(土) 02:12:45.19ID:8Cw/w11l
>>874
>8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
>岐阜城:秀信+美濃衆6000、石田援将河瀬、松田ら1000、島津義弘1000、計8000
>大垣城:石田5700、小西5000、計10700
島津義弘なんか送ったところで何の意味もないから削除しといていいよ
土地勘もない、兵も少ない、言葉すらまともに通じるか怪しい薩摩兵が岐阜城に派遣されても何の意味もないしむしろ邪魔
0876人間七七四年2018/02/03(土) 07:12:20.14ID:wWCFxrv6
僕の考えた最強の戦術
0877人間七七四年2018/02/03(土) 07:39:10.30ID:zy8eAHsS
大坂冬の陣はその土地勘のない奴等が篭城して幕府軍に損害を与えたわけだけどな
篭城は持ち場を防衛するだけだから、野戦のように総大将の能力がダイレクトに影響しないし、土地勘も必要ない
大坂冬の陣の総大将の秀頼は置物状態なわけだったし、土地勘のない浪人が奮戦しただけ
伏見城篭城の鳥居元忠も岩ヶ崎城主だから土地勘があったわけじゃない
0878人間七七四年2018/02/03(土) 08:10:45.92ID:djUDlHci
総大将の能力をダイレクトに影響させて大坂籠城もさせなかった輝元は凄いということだな
0879人間七七四年2018/02/03(土) 10:15:33.22ID:CSy7+F6x
岐阜城の場合は山の中に曲輪が乱立しているから土地勘はある程度必要かもな。
曲輪同士は連絡が取れなくて孤立しているらしいし。

しかしその岐阜城の構造や土地勘を良く知っているのが池田輝政とその家臣たちだから、
籠ってもどうにもならいよな。
実際池田は北側は天守に一直線で行ったみたいだしな。

それと何度も言うけど岐阜城は平地が少ないから戦力を集中させるのが困難。
頭数がいても各曲輪に分散させなくればいけないし、連絡が取れないから
孤立して攻められたら終わり。
0880人間七七四年2018/02/03(土) 11:24:51.24ID:8Cw/w11l
>>877
大坂に籠城してる奴らは土地勘あるぞ
もともと大坂は関ヶ原以後に大量に浪人が集まって来てて幕府が問題視してるしそいつらがそのまま豊臣軍になったわけだから当然大坂周辺の地理は知ってる
真田信繁・毛利勝永・長宗我部盛親といった大坂以外に住んでた奴らも秀吉の生前に何度も大坂・伏見には足を運んだり屋敷を構えてるからある程度の見当はつくだろう
0881人間七七四年2018/02/03(土) 12:01:33.08ID:CSy7+F6x
とにかくもう秀信の軍勢が美濃衆から2400を引いてとかいう推量は終わらせていいな。
可能性というには根拠が乏しいな。

根拠が乏しい可能性は一般的に妄想と言うのだけどな。
0882人間七七四年2018/02/03(土) 12:11:28.35ID:zy8eAHsS
>>880
大坂夏の陣で国分村で野戦築城しようとしたら真田信繁らは遅れてしまい
迷わずに先に着いた後藤又兵衛でさえ徳川幕府軍に先に布陣されてたわけだけどね
土地勘が無いからそこまでに要する日数や敵の進軍スピードを読み違えていたわけだ
ご存じの通り夏の陣の野戦の総力戦では1日も持たずに壊滅
逆に冬の陣の篭城では健闘していたわけだけど
0883人間七七四年2018/02/03(土) 13:09:41.25ID:JIepnRg3
>>880
部隊運用というか、この時代での作戦面での土地勘を勘違いしてない?
>>882のひとも言ってるけど、その地域の道や地形に明るく、
部隊運用を適切に行うことができるか、が土地勘だよ。
道明寺で真田が道に迷って遅れたとか、若江でも木村重成が道に迷ったとか
大坂方は散々な状態。

東軍先発隊池田隊では一柳直盛が道案内役やってるし、
その面では島津義弘や小西行長の単独での攻勢作戦は非常に不安がある。
しかし陣地を守るだけなら土地勘の影響は小さい。
0884人間七七四年2018/02/03(土) 14:07:22.84ID:8Cw/w11l
>>883
単独での攻勢作戦なんてどっから出て来たんだ…
岐阜城に島津義弘1000人ぽっちを送っても何の意味もないって言ってるだけで小西や島津で攻勢をかけろなんて案はどこにも出てないと思うが
それをやるくらいなら大垣あたりにとどめておいて西軍の増援を待ってから岐阜城の後ろ巻き軍として出陣したほうがいい
0885人間七七四年2018/02/03(土) 14:17:04.40ID:pwBtB/w1
西軍の手筋としては岐阜籠城からの
後詰め決戦

ただし通常であれば退却するだろう
0886人間七七四年2018/02/03(土) 14:21:00.04ID:zy8eAHsS
>>885
>>8を見るかぎりは戦う可能性が高いけどな
0887人間七七四年2018/02/03(土) 18:12:56.32ID:CZKDZIjO
岐阜で籠城したって落とされるだけでしょ
離れてる砦を一つ一つ潰されていくだけだし
宇喜多が来たってまだ兵数では差があるし挟み撃ちできる訳でもない
粘れる理由もなければ粘っても戦況が良くなる理由がない
0888人間七七四年2018/02/03(土) 18:59:01.73ID:CSy7+F6x
>>883
岐阜城攻略には金華山一帯を視野に入れなければいけないな。
城を攻略にするにしても金華山で部隊運用をしなければいけない。

まあ、平城の籠城戦とは少し違うよな。
0889人間七七四年2018/02/03(土) 19:00:36.68ID:h6VmSBOR
岐阜城は槍と弓の時代の名城なんだよ
0890人間七七四年2018/02/03(土) 20:02:21.96ID:zy8eAHsS
>>888
>>794で論破されたやつがまた痴呆症のようにまた言ってるのか
いつの時代の戦術も高所有利は変わらない
航空戦力が出てくるまでな
関ヶ原でも小早川などでさえ山に陣取っただろ?
大砲が出た時代でも山に陣取って有効射程伸ばしてたし
近代でも高所からのマシンガンやスナイパーライフルは生きている
まあ航空戦力でもヘリからの上空からのマシンガンや爆撃と高所からなんだけどな
0891人間七七四年2018/02/03(土) 22:24:09.49ID:xlcG8pDM
>>890
この世には、敵に敢えて高所を取らせる
反斜面陣地と言うものがあってだな・・・
たぶん概念さえあれば戦国時代でも使えたと思うんだ
0892人間七七四年2018/02/03(土) 22:56:38.08ID:BxptxZv6
反斜面陣地は先にこちらが高地を取ってないと機能しないやん
0893人間七七四年2018/02/03(土) 23:12:42.92ID:zy8eAHsS
>>891
投石が弓鉄砲に匹敵する主力武器だった戦国時代で、投石の飛距離と威力が激増する山などの高所が何よりの地の利だったからな
反斜面陣地なんて飛距離と命中精度が上がった近代兵器でやっても、嘉数の戦いでは反斜面陣地をやった日本側のが大損害になっているんだよなぁ
航空戦力と潜水艦に蹂躙されすぎて陸戦の戦術が勝敗のカギとは無縁になっている時代だしな
射程と命中精度の低い火縄時代にそんな戦術をやっても…
0894人間七七四年2018/02/03(土) 23:15:18.33ID:lCwGHYxk
>>886
>>8この時点で既に吉川広家と黒田長政が繋がっててるからね
長政から広家に対して8/17に「このたびのこと輝元の意思ではなく安国寺の先走りだということ内府も了解してくれました。
こちら調整は私がするのであなたは輝元に直接言上して内府と手切れにならないようにしてください。
戦闘が始まってしまえばどうにもならなくなってしまうので油断しないように」
って書き送ってる

たぶん前線の東軍は「輝元は戦意がないそうだからおそらく後詰にはこないし来ようとしても吉川広家が止めるだろう。仮に援軍に来たとしても吉川広家を通じて調略すればなんとかなる」
と考えていたのではないかと
0895人間七七四年2018/02/03(土) 23:28:05.81ID:zy8eAHsS
>>894
8/17の書状だと伝わってないと思ったのか25日にも同じ書状送ってるからな
吉川広家らは伊勢の城を攻め落としてたし、むしろ長政はスゲー焦ってたって話あったな
0896人間七七四年2018/02/03(土) 23:54:48.59ID:sCIt8bGG
>>891
アウステリッツでは、ナポレオンはわざとブラッツェン高地を敵に取らせるって事してるよね。
陣形を変化させる時は隙が出来るから、異常な指揮能力があれば逆手に取れるんでしょうが。
逆に言うと、ナポレオン並みの才能無ければ高所有利。
0897人間七七四年2018/02/04(日) 01:14:02.93ID:Q9SChmKP
そんならほぼ机上の空論やん
0898人間七七四年2018/02/04(日) 01:21:37.76ID:5SOTlJ+r
アウステルリッツのナポレオンのは劣勢を装ってのただの伏兵だから反斜面陣地とは違うけどね
0899人間七七四年2018/02/04(日) 08:30:10.13ID:pBqeom4Q
馬謖も高所に陣を取って孔明に斬られたんでしょう。

水路や水源がない高所という点では岐阜城と一緒だな。
0900人間七七四年2018/02/04(日) 08:38:42.19ID:5SOTlJ+r
>>899
信長公居館跡には井戸は発見されてるけどね
頂上の岐阜城天守には雨水等を貯める井戸が複数あって、中腹には水の手口という水があるから名付けられた道もある

岐阜城の天守だけを見て井戸がないと言ってるだけで岐阜城は頂上の天守のみじゃ動員数が低く
山麓を城郭として守る城なのを理解してないよな
0901人間七七四年2018/02/04(日) 08:45:48.52ID:URocWF9g
>>900
山麓は山麓で大した防御施設も無いけどね
0902人間七七四年2018/02/04(日) 09:56:38.85ID:5SOTlJ+r
>>901
だから野戦に出ずに最初から篭城準備して信長公居館を出城に改修し、山麓を野戦築城しないと防げないって話を上からずっと話してるんだろう
0903人間七七四年2018/02/04(日) 10:40:03.24ID:SMAvZqkl
歴史遺産と都市文化創造V――都市城壁(惣構)を町づくりにいかす
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/UCRC/wp-content/uploads/2006/03/0603hist-heri.pdf

近代岐阜忠節用水流域における都市形成に関する研究
http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00063/2011/2011-04-0072.pdf

どうも岐阜城城下町の惣構は土塁(堤防兼用)と水堀(用水兼用)だったっぽい。
水の問題は城下町押さえてればどうにでもなりそう。

あと上段リンクには京都惣構の例も載ってるけど、広けりゃいいってものではないみたいだね。
それを守れるだけの兵力がないと。

んで、水の手口への侵入防止や、用水取水部防衛には丸山砦が重要な役割を果たしそう。
0904人間七七四年2018/02/04(日) 12:24:11.79ID:F0kpaSDk
織田秀信が一日で岐阜城落とされたのは
最初から籠城せずに野戦で大打撃受けたからでしょ
籠城して西軍の進出まで粘れば福島達は後詰の西軍にボコられて終了してた
この時点でもう家康も江戸から動けなくなる
0905人間七七四年2018/02/04(日) 12:57:07.12ID:URocWF9g
>>902
さて、あの程度の山麓惣構の防御力などたかが知れている
0906人間七七四年2018/02/04(日) 13:44:29.48ID:dCHYh9y7
>>904
>>894 >>895で触れてるけど東軍の北上時点で既に西軍の主力の毛利軍は東軍と内通してるので後詰に出てきても脅威は半減してる
ついでにこの時東軍は細川忠興を主力とする別働隊が北陸方面に派遣されてて前田と合流して細川幽斎の守る田辺城の援軍に向かおうとしてる(岐阜城攻防戦に細川忠興がいないのはこのため)
史実では予想以上に早く岐阜城が落ちたので結局忠興軍は美濃方面に呼び戻されたんだけど仮に岐阜城が落ちなかった場合そのまま前田と合流して進軍することになるので西軍は北陸方面にも兵力を割くことになりますます岐阜城へ派遣できる援軍の兵力は少なくなる
この状況で送られた後詰軍が岐阜城を攻撃する東軍を撃退できるかははっきり言ってかなり怪しい
0907人間七七四年2018/02/04(日) 14:00:40.46ID:F0kpaSDk
後詰だからある程度の兵力あれば大して問題ないでしょ
岐阜城落とせずに後詰が2万程度でも来ればもう福島達は終わり
0908人間七七四年2018/02/04(日) 14:10:05.54ID:eWjhsmXF
普通であればユウリョクナ敵戦力の接近を察知した時点で
攻城を停止して退却する
0909人間七七四年2018/02/04(日) 14:26:21.49ID:F0kpaSDk
そうなると岐阜城に西軍が入るから長期戦だなぁ
0910人間七七四年2018/02/04(日) 14:34:55.68ID:dCHYh9y7
>>907
その後詰軍2万って具体的に誰を想定してるんだ?
0911人間七七四年2018/02/04(日) 14:38:21.47ID:5SOTlJ+r
>>908
長篠の武田勝頼は後詰めに来た援軍に突撃したけどな
この時代に記した物や軍記見ても人数もはっきりと数えてるわけじゃないし
上でも言われてるように戦闘員の数が一番重要な時代だからな
非戦闘員含めた数字をあてにしてないから寡兵で大軍に挑むという現象が実際に起こった
だから秀信も無謀にも寡兵で大軍に挑んだ
0912人間七七四年2018/02/04(日) 14:45:19.90ID:SMAvZqkl
>>906
まず、毛利は既に内通してるとか断言はよくない。吉川広家が交渉してるだけ。
毛利の不戦密約が確定するのは9月14日と見るべき。

次に細川主力の別動隊が北陸方面に派遣されてて、前田と合流云々、

これ初耳なんだけどソースなに?てか木曽川渡河した細川がどうやって北陸行くの?

一応、8月24日付浅野長政宛福島正則書状には、
昨日、細川忠興、加藤義明、福島正則が稲葉山を攻撃して落城させた。とあるが。
0913人間七七四年2018/02/04(日) 21:07:57.99ID:pifA57da
>>912
『細川家史料』にある細川忠興から息子の光千代(細川忠利)への手紙で
「我々は北国を通り幽斎の援軍に向かっている」
「あなたは中納言(徳川秀忠)への奉公こそ大切である」
「丹後はますます堅固であり敵は仕寄すら仕掛けず十町ばかり離れているので心配することはない」
という記述がある
0914人間七七四年2018/02/04(日) 21:28:34.60ID:URocWF9g
>>913
これ、関ヶ原から北へ抜ける北国街道を指すかと
0915人間七七四年2018/02/04(日) 22:13:12.77ID:SMAvZqkl
>>913
その書状の日付は?
0916人間七七四年2018/02/04(日) 22:13:27.59ID:dCHYh9y7
>>914
書状の日付は8/1なので違いますね
0917人間七七四年2018/02/04(日) 23:11:12.50ID:SMAvZqkl
8月16日付細川忠興、黒田長政、藤堂高虎宛徳川家康書状には、
福島正則からの注進状を読みました。其元(清洲と思われる)では油断せず
福島正則と相談するように。 とある。

つまり8月14日頃には細川忠興も清洲にいて、8月22日福島隊として木曽川渡河、
翌23日岐阜城を攻撃の通説通りで、
8月14日以前に北陸にいたとするのは距離的日数的ルート的に無理があると思うが。

おそらく、「舟で伊勢に援軍を送る計画」と同様、8月1日頃に前田と合流して
田辺城に後詰を行うという計画があったのだろうが、実行されることはなかった、
と見ていいのではないかと思うが。
0918人間七七四年2018/02/04(日) 23:27:29.95ID:SMAvZqkl
となると8月上旬の前田の南下は田辺城の後詰が目的だったかもしれないね。
なんで引き返したかはわからんけど。
0919人間七七四年2018/02/04(日) 23:53:01.72ID:SMAvZqkl
推測ではあるけれど、7月下旬の情勢から、前田が越前を制圧し、
美濃衆は東軍あるいは中立ならば、清洲から美濃郡上油坂峠経由あるいは
美濃根尾温見峠経由で越前で前田と合流し、若狭経由で田辺城への後詰という
プランが考えられるけど、
実際に清洲に到着してみると秀信ほか美濃衆多数が西軍についたし
前田は金沢に引き返したので計画は実行されなかった、ではないだろうか。
0920人間七七四年2018/02/05(月) 00:16:25.30ID:z4yHCBy4
>>918
この時点では、徳川の主力が東海道に出られるとは思えないし前田勢だけで南下したら下手したら
各孤撃破される可能性高く無いかな?
史実を知ってるから疑問に思わんけど、福島なんかの豊臣恩顧がどの程度やる気なのか不安に
思う方が普通だし。
常識的に考えるなら、奥州が雪に埋まる11月に成って徳川西進ってのが普通の考え。
0921人間七七四年2018/02/05(月) 00:27:55.09ID:cV1B7xtc
そもそも前田家出陣は時期がやたら早い。
出てみたら家康は江戸から動かんし北陸勢が思ったより手ごわいしで先走りすぎたーと撤退だろう
0922人間七七四年2018/02/05(月) 01:15:08.70ID:W8pqQSND
前田は弟が言うこと聞かないしな
東軍が負ければ逆に前田の価値が上がるから
適当にうろついてやってる感演出してただけ
0923人間七七四年2018/02/05(月) 01:16:37.52ID:hU1w3SEY
全軍籠城したら水があっという間になくなりそう
水がなくなったら士気ガタ落ちだな
0924人間七七四年2018/02/05(月) 01:38:57.76ID:cV1B7xtc
相変わらず壊れたスピーカーやな
0925人間七七四年2018/02/05(月) 03:32:15.77ID:2YF5YCQi
いや、水の心配はわたしもけっこうしてる。8000で籠城、そして暑い時期で飲用水の消費も
多そうだから。居館跡の井戸と山頂の貯水井戸では足りなくなるような気がする。

これに対する解決策は、居館跡と丸山砦(>>764の地図参照するとわかりやすいけど
居館跡と長良川の間にある小山が丸山砦)の絶対確保。
丸山砦を維持していれば夜間長良川に水汲みにいける。
あるいは忠節用水なるものがこの時代でもあったのなら水の確保は容易と思う。

ついでに>>764の地図参照してもらいたいけど、ロープウェイ山麓駅のあたりが居館跡。
で、居館跡と稲荷山の間の入江みたいになってる扇状地みたいなとこから
登ってくとこが大手道。ここから福島らが攻撃してる。
そして丸山砦のあたりから登ってく水の手口から池田らが攻撃してる。

そして>>616の100頁にあるのが城下町惣構の簡略図
>>764の地図でいくと伊奈波神社の南側の突き出した山裾、権現山砦のあたりから
城下町惣構が伸びてた。

なので、丸山砦と稲荷山砦、そしてそれを支援できる居館跡。
最小防衛線ではこの3所が重要だと思う。
その次は金華山山頂南側尾根筋最南端の瑞龍寺山砦だと思う。

城下町惣構を防衛ラインとするかどうかは悩ましいところだと思う。
0926人間七七四年2018/02/05(月) 03:46:31.77ID:Tn/onL6i
そんな大がかりな籠城戦急に無理だろ
0927人間七七四年2018/02/05(月) 03:52:22.40ID:2YF5YCQi
>>926
籠城準備期間は2〜3週間あるけど?
0928人間七七四年2018/02/05(月) 03:57:32.47ID:Tn/onL6i
何年も岐阜城に住んでて2~3週間で出来る程度の事もやってない奴が急に出来るの?
0929人間七七四年2018/02/05(月) 04:22:35.35ID:2YF5YCQi
8月24日付結城秀康宛福島正則書状には
瑞龍寺には丸(曲輪?)が3つあったが2つと、そのほかに2、3の丸(2〜3の曲輪という意味か
二の丸、三の丸か不明)をすべて落とし、本丸も天主まで攻め寄せたところ、(以下略

とある。
つまり本丸以外全部落ちたわけではなく、少なくとも瑞龍寺山砦の一部はまだ粘っていたようである。
0930人間七七四年2018/02/05(月) 04:25:54.87ID:kf8tQgQn
分散した砦を一つ一つ潰されていったら守りようが無いんじゃないの?
0931人間七七四年2018/02/05(月) 05:58:46.26ID:hU1w3SEY
息も絶え絶えで籠城している岐阜城へ増援、集結してここ周辺を決戦地とする利点ってなんだろうな

数を入れれば難攻不落なのか
それならば数は減っていてももう少し持ったのではないか

大群がも凝るには向かない城であることは明白で周辺一帯を把握しないと岐阜城の利点というものは生きない様な気がする
0932人間七七四年2018/02/05(月) 07:37:30.12ID:g5po/JWg
>>925
>そして暑い時期で飲用水の消費も
>多そうだから。

関ヶ原合戦は旧暦で慶長5年9月15日で、現在の西暦に直すと1600年10月21日だから
旧暦の慶長5年8月末は秋だぞ
0933人間七七四年2018/02/05(月) 07:52:33.03ID:g5po/JWg
ちなみに台風シーズンだったから
八月末に送った秀忠への西進せよの使者が川の増水のせいで遅れた
0934人間七七四年2018/02/05(月) 07:56:41.75ID:2YF5YCQi
>>932
あ、そっか、じゃあ多少は大丈夫だね。
0935人間七七四年2018/02/05(月) 08:05:02.25ID:g5po/JWg
台風シーズンだから籠城しても雨水等を貯める井戸しかない山頂でも水の確保はできる
それに>>6の流れだと台風で木曽川が増水した時に後詰決戦されたら東軍の退路が完全になくなる
0936人間七七四年2018/02/05(月) 08:35:19.60ID:Usv6Ud2t
籠城するのに天守から信長居館までの防衛ラインを敷けるなんて本気で思っているのか。
その確保ですら相当の兵数が必要だし、北側の水の手口から攻められたら何の役にも立たない。

まあ、籠城派は籠城するならどこまでの陣地を確保しているのかはっきりしてもらわないとな。
金華山全部と麓の居館館までは虫が良すぎる。

それと居館館にいくら兵を集めて防御しても福島との戦闘をしているだけで、
裏から来た池田にはなんの抵抗もできないし、丸山砦が何日も持つようには思えないしな。
0937人間七七四年2018/02/05(月) 08:37:20.02ID:Usv6Ud2t
>>935
旧暦と西暦の判断もつかない籠城派のアホw
0938人間七七四年2018/02/05(月) 08:42:05.00ID:c2a1L6qR
岐阜籠城のがいいが次善策は大垣籠城

しかし本城を捨てるのは難度が高い

捨て兵をニ千ぐらい置いておくという手もある

しかし岐阜が落ちると家康が出てくるので
負けが確定してしまう
0939人間七七四年2018/02/05(月) 09:05:21.58ID:g5po/JWg
>>937
俺も籠城派で旧暦と西暦を指摘したのも俺なんだけど?

むしろ指摘できなかったお前が一番残念って話だな
0940人間七七四年2018/02/05(月) 09:17:41.45ID:g5po/JWg
>>936
>>613の当時の岐阜城を見ろ
野戦に出ずに最初から籠城準備して水の手口を掘削や瓦礫で塞ぎ、野戦築城しろと言っている
信長公居館を出城に改修して空堀を掘ったりな

野戦に出て川岸で分散して野戦築城してた労働力を、城の改修や野戦築城に7000人全部の労働力を注ぎ込めって話だ
0941人間七七四年2018/02/05(月) 09:34:18.79ID:2YF5YCQi
城下町は岐阜城の西側の出城のようなもので、城下町で守るにしても北側は長良川、
東側は岐阜城なので、西側と南側を主に守ればよいのでそれほど守備線が広いわけではない。
その際居館跡は予備兵力を置くのによい地点でもある。
寄せ手は城下町を打ち破らないことには大手道も水の手口も行けないので
守れるなら守るに越したことはない。

しかし守備兵数に不安があるので、防衛ラインを城下町惣構を含めるべきか
(西側は)丸山砦・居館跡・稲荷山砦のラインとすべきかはわたしは判断できない。
どちらも一長一短。

ただ言えることは、史実よりも兵力に余裕があるので、丸山砦を落とさずに容易に
水の手口に近づくことはできないと思われる。
その場合、池田隊は大迂回して東側の尾根伝いに進攻してくるのではないかとわたしは予想する。
0942人間七七四年2018/02/05(月) 09:37:58.96ID:kf8tQgQn
さすがに籠城の準備の部分にまで都合よく口出し始めたら何でもアリだと思うわ
あくまで準備も本戦も大成功の籠城を基準に話を進める訳だし
史実の岐阜城籠城戦のような大失敗が絶対起こらない想定になる

こういうifスレで話をいじれるのは籠城するか野戦するか程度だろう
それで変えられないならそれまでの部分
0943人間七七四年2018/02/05(月) 09:53:50.00ID:2YF5YCQi
>>942
ざっくりいくなら8000で籠城すれば大丈夫だろう、となる。
水やら収容人数やらすぐ落ちる言うから具体的対応策を述べてるだけで。
0944人間七七四年2018/02/05(月) 10:22:00.44ID:JQcis8Jv
岐阜城が落城しなくても、家康が出陣する条件は東軍先鋒が、
「東軍」として行動することだから、問題なく出陣する
0945人間七七四年2018/02/05(月) 10:22:31.62ID:g5po/JWg
>>942
野戦は総大将の能力と采配がかなり問われるが
籠城は大坂の陣(豊臣秀頼)、掛川城の戦い(今川氏真)
と、総大将である大名が置物状態でも配下の奮戦次第で健闘できるからな
大津城の戦いの京極高次も蛍大名と陰口を言われるぐらいの大名だが
大津城の戦いでは最初から籠城を決め、町を焼いて瓦礫で埋めたから一週間耐えている
0946人間七七四年2018/02/05(月) 11:12:09.35ID:HifTsyqR
岐阜城は北東によりすぎているから、中山道の掌握以上の意味はないだろう。
けど犬山城が東軍の手にある以上、中山道と東海道は接続していると考えるべきで
岐阜はあまり意味のない場所だよ。googleの地図で航空写真を良く見たほうがいい
0947人間七七四年2018/02/05(月) 11:16:05.92ID:c2a1L6qR
いや既に東軍として動いていたろ

決定的でないかもしれないが
0948人間七七四年2018/02/05(月) 11:34:28.00ID:HifTsyqR
そりゃ西軍がいるのは竹ヶ鼻、大垣、岐阜で
家康から信頼を得なければならないという前提がある以上どこかを攻める必要がある。
生贄になればどこでもよかったってのが本音だろう。岐阜は手ごろだったんだよ
0949人間七七四年2018/02/05(月) 11:43:33.89ID:JQcis8Jv
>>947
西軍との戦闘を求めた
この間、田中吉政の次男が人質の役割を忘れて、戦闘参加するため江戸を出奔とか、
色々あったのだよ
0950人間七七四年2018/02/05(月) 11:57:07.19ID:g5po/JWg
>>946
家康が恐れてたのは西軍の大軍による渡河防衛された場合の膠着状態に陥ることだろう
岐阜城落ちて渡河防衛される心配もなくなったから佐和山を攻める姿勢を見せる
岐阜城陥落後に本格的な調略を受けた小早川が東軍に合流しようとして
それを阻止&佐和山守るために関ヶ原に出ざるを得なくなったのが関ヶ原合戦
大垣城なんて勝敗には全く関係なくスルーされて西軍の大敗が決まってしまった
東軍にしてみれば大垣城に戦略的価値はなかったって話だ

それと犬山城は日和見だよ
東軍の降伏勧告を受け入れ開城したの9月3日
最初から東軍なら岐阜城攻める前の8月中旬に犬山城寝返り指示していれば岐阜城は士気ガタ落ちしてたろうし
遅くても岐阜城落ちた8月23日にすぐ開城してるだろ
9月3日は遅すぎる
籠城で降伏勧告を受け入れたフリをして時間を稼ぐやり方は真田昌幸や北条綱成もやっていた
秀信もそれができれば一番の上策なんだがね
0951人間七七四年2018/02/05(月) 12:27:03.78ID:JQcis8Jv
>>950
犬山城調略は家康主導だから、家康へ東軍参加を示すための
東軍先鋒による渡河攻撃では敢えてそのままにされた
0952人間七七四年2018/02/05(月) 12:48:38.17ID:g5po/JWg
>>951
いや西軍から寝返った大名は所領安堵か新しい領地を家康から授かったのに対して
犬山城城主の石川貞清は所領を没収の上で死罪を申し付けられそうになってるから
西軍首謀者並の処遇だったってのは確実なんで
0953人間七七四年2018/02/05(月) 12:59:00.09ID:kf8tQgQn
>>943
籠城準備全くせずに兵だけ多くても守れないだろ
0954人間七七四年2018/02/05(月) 13:00:37.44ID:JQcis8Jv
>>952
石川貞清の場合は、本戦まで参加してしまったのが大きい
戦後に池田輝政から犬山落城後も西軍に参加したのは、東軍先鋒の指示と
されたので助命されたけど
0955人間七七四年2018/02/05(月) 13:00:40.63ID:ZwSj3id2
東軍に裏切り者が出まくれば勝てた
0956人間七七四年2018/02/05(月) 13:12:22.66ID:g5po/JWg
>>954
池田輝政は家康のお気に入りだし、秀次事件でも妹は助かってるぐらいだからな
石川貞清が助命嘆願した先はナイス判断だったね
池田輝政じゃなかったら処刑されてただろうな
0957人間七七四年2018/02/05(月) 13:37:00.48ID:OBjP1FpQ
>>953
籠城準備もせずに籠城する馬鹿がいるか。
なんのために兵を動員して城にいる。
籠城方針が決まれば籠城準備するだろう。
0958人間七七四年2018/02/05(月) 14:41:41.07ID:tM7//CZI
岐阜城が最初から籠城
犬山城も未だ西軍
西軍の先鋒部隊が岐阜城に後詰成功
福島達は清州に後退

この時点で長期化は免れない
東軍が決め手なく時間を浪費する間に北近江と美濃に西軍が集結
京極も裏切るのを止め小早川も西軍の勢いを見て動きが怪しくなる
東北では最上が上杉に降伏し伊達も不穏な動きを始める
家康は関東から動けなくなる
満を持して西軍が尾張に侵攻を開始

家康は関東を秀忠と結城秀康に任せ精鋭を率いて福島達に合流

でどうする?
0959人間七七四年2018/02/05(月) 14:57:55.07ID:JQcis8Jv
>>958
その仮定だと、大垣と岐阜を分断する位置に東軍先鋒が居座るだけかと
0960人間七七四年2018/02/05(月) 16:00:49.82ID:tM7//CZI
自殺行為だなw
0961人間七七四年2018/02/05(月) 16:14:49.35ID:3Fg++/B+
>958
わたしは>>10を想定してるけど秀忠が東北の抑えで関東残置で西軍が尾張に進攻するなら
まず小牧山を占拠すべきだと思う。
尾張で他に拠点になりそうなところないから。
陣城築けるような余裕があるなら那古野城跡の

台地で清洲に対陣が適所だと思うが。
清洲に籠られたらまず落ちないので
ここで和睦じゃないかな。
小細工すると長久手の二の舞だし
家康が不利な野戦に応じるとも思えない。
0962人間七七四年2018/02/05(月) 16:29:18.08ID:g5po/JWg
>>959
1586年の木曽川の大氾濫で墨俣城は廃城してるし
台風シーズンに城がないと風雨で火薬が湿気って使い物にならなくなる上に
城もないから野戦状態だぞ?
0963人間七七四年2018/02/05(月) 16:34:27.53ID:tM7//CZI
福島達は一度岐阜攻略に失敗したら内府様が援軍で到着するまでは積極策に出ないんだろうか?
むしろこいつの性格からして焦れてくると奇襲しかけようと動き出す気がする
0964人間七七四年2018/02/05(月) 16:53:40.68ID:JQcis8Jv
>>962
古城なら北方城とかあるし、小牧・長久手の戦いの様に陣城を造れば良い
そもそも赤坂とて野戦築城による陣城
0965人間七七四年2018/02/05(月) 18:45:17.69ID:g5po/JWg
>>964
北方城も1582年に廃城でしょ?

村越茂助の件でゴタゴタがあって木曽川に渡河したのは22日
そこから墨俣で材料揃えて野戦築城しても27日に宇喜田が大垣到着だから4、5日しか期間がない
そんな期間で大軍が収容できる野戦築城を完成できるなら
岐阜城はもうガチガチな野戦築城できるぞw

むしろ岐阜県大垣市墨俣は治水技術が整った現在でも水害で水没してるから
台風シーズンで西軍にとっては面白い展開になりそうだなw
大垣城は東軍に水攻めを提案されてたけど
0966人間七七四年2018/02/05(月) 18:58:23.00ID:JQcis8Jv
>>965
強行軍した宇喜多が直ぐに攻め寄せる保証は?
0967人間七七四年2018/02/05(月) 19:08:59.63ID:g5po/JWg
>>966
完成されたら厄介だからすぐ攻めるに決まってるだろ
むしろ島津が材料搬送中の部隊を奇襲し妨害に来たりしないと思うのか?
0968人間七七四年2018/02/05(月) 19:54:43.82ID:g5po/JWg
強行軍って言っても江戸〜清洲間を11日という驚異の速さの強行軍(秀吉の中国大返し以上の速さ)で来た家康本隊も1日清洲城で休息とって
また関ヶ原に向けて進軍したからな
強行軍として来ても休息で1日伸びるだけ
0969人間七七四年2018/02/05(月) 20:15:34.94ID:JQcis8Jv
>>967
>>968
なお、当時の宇喜多家は大半の家臣が出奔した状態
明石が美濃・伊勢国境にいたのに秀家が草津に留まったのは、
新規募兵の調練目的だったのでは

そういう状況下で揖斐川か長良川を天然の防塁として活用するで
あろう東軍先鋒と対峙する訳で
0970人間七七四年2018/02/05(月) 20:30:09.32ID:g5po/JWg
>>969
関ヶ原本戦で一番奮戦したのも宇喜多だけどな
0971人間七七四年2018/02/05(月) 20:46:25.60ID:kf8tQgQn
>>957
戦況がまるで読めない段階から先読みで大規模な籠城準備なんてそもそも無理がある
そこまでやるからには資財含めそれなりの準備がいるなかで
ただでさえ秀信本人が野戦する気だというのに誰が説得するのか
そもそも三成が岐阜での決戦まるで読めてないのに

そこまで露骨に岐阜城だけ1ヶ月近く前から準備万端だと
最初から岐阜は無視される可能性はかなり高くなるが
そうだったところで竹ヶ鼻等だけ落としておけば
家康も秀忠も普通に進軍してくるだろうし
0972人間七七四年2018/02/05(月) 21:23:49.71ID:g5po/JWg
岐阜城が落ちた報を聞いてから秀忠に書状送ってるし
岐阜城は攻めるって方針は>>8で散々言われてるからな
岐阜城が落ちない場合で秀忠家康が動くというソースが全くないし
宇喜多大垣到着が8月27日、大谷吉継が関ヶ原到着は9月1日だから兵力は完全に東軍先鋒隊を上回る
後詰め決戦や木曽川からの駆逐を8月末から9月上旬に実行すれば良いだけだからな

仮に岐阜城落ちなくても史実通り最速で動いたとしても家康が岐阜に到着するのは9月13日
秀忠が到着するのは9月18日前後だから間に合わないから関係ないんだよな
三成が美濃周辺で戦が起こることを想定してないってのも根拠もないし
0973人間七七四年2018/02/05(月) 22:02:15.93ID:HifTsyqR
岐阜城の戦略的価値は中山道の掌握にあって
甲信から直通で大垣までいけるようになることだけだ。
関ヶ原から先は大垣を落としておかないと兵站を絶たれて死ぬ
もし三成が大垣から動かず、家康がそのまま関ヶ原に向かっていたら大垣で兵站を絶たれてかなり危険なことになっていた
0974人間七七四年2018/02/05(月) 22:09:45.10ID:mtXLb8yC
色んな所に井戸があるくらいで、8000人規模の飲料水確保できんのか?
0975人間七七四年2018/02/05(月) 22:30:04.44ID:g5po/JWg
>>973
関ヶ原から佐和山ルートが出来たら小早川が東軍に合流するだけだからな
岐阜城落ちたら小早川と吉川との本格的な調略を始まり、犬山城も開城、
不利になったために鍋島勝茂は寝返り、京極高次も寝返りと寝返りの連鎖が続いたんだから大垣城に価値はないよ
会津征伐を中止して引き返してきた東軍に岐阜城を落とされて、西軍には東軍の進軍を止める戦力がないってことを
周知されたことが裏切りの連鎖に繋がったんだから
0976人間七七四年2018/02/05(月) 22:46:14.03ID:zSRJ/roz
長期戦になれば九州で火事場泥棒してた如水と加藤はどう動くんだろうな
まぁ結局毛利がいるから九州内の火事場泥棒で終わりだろうけど
0977人間七七四年2018/02/05(月) 22:51:34.28ID:z4yHCBy4
>>975
基本、あの時期に家康が清須に出られる訳が無いって予想を覆したんで西軍に動揺が
走っただけでしょ。
四面楚歌は、本拠地の江東を漢に占領されたって誤解で楚軍の士気が落ちたんだし。
現場に居たら、上杉がやられたんか?みたいな誤解起こるでしょ。
逆に言うと、長期戦に成れば動揺が収まる気がする。
真珠湾攻撃の時、ドイツ軍機を目撃した地元住民が多数なんよね。
予想外の事が起これば、まあ、そんな風に成る人も居る。
0978人間七七四年2018/02/05(月) 23:01:42.57ID:g5po/JWg
>>977
大垣城が落ちて裏切りの連鎖になったなら大垣城に戦略的価値があったって話なら分かる
だが実際は大垣城が落ちてもないのに裏切りの連鎖が続いて大敗が決まったんだから
大垣城には戦略的価値はなかったって話だな
0979人間七七四年2018/02/05(月) 23:03:13.34ID:fQ8+SFwQ
>>956
>池田輝政は家康のお気に入りだし、
家康の助命嘆願のおかげで、本来族滅のはずが助かったからな。

>秀次事件でも妹は助かってるぐらいだからな
流石の家康も、若御前までは救えなかった。
池田輝政本人を救うのがやっとだった。
0980人間七七四年2018/02/05(月) 23:13:56.65ID:HifTsyqR
>>978
キミは地政学を学んだほうがいい
大垣は濃尾平野の西の玄関口で、徒歩1時間の距離を制圧できる場所にあるんだよ
放置して進めば東軍の兵站は破綻する。地図を見ればわかることだ
0981人間七七四年2018/02/05(月) 23:20:19.94ID:g5po/JWg
>>980
能書きばっか垂れてる君みたいな石田三成タイプは〇〇学ガーと
裏切りや内通や戦略戦術などの最も重要なことを軽視して破れたんだよなぁ
迷軍師様さん

>>979
いや処刑されたのは継室で、若御前は離縁で送り返されてたから無事だったってのが今の有力説
0982人間七七四年2018/02/06(火) 00:03:49.34ID:k4FZdt0/
>>972
岐阜城がそこまで重要だとは思わない
基本的に家康は多少無理にでも大坂へ出る必要はあったはず
ただ佐竹がそれまで不穏な動きをしていて8月25日前後に佐竹義宣が急に水戸へ戻ってるし
万が一佐竹が敵に回った場合は出たくても関東から出られなかった可能性はあった
ここで守らなければならなくなるのが家康にとって最悪のシナリオだが
義宣がさっさとヘタレて兵を東軍に送ったのがその直後
その後に岐阜城陥落の知らせがちょうど来た形になる

福島らのやる気を測る意味で先鋒にさせてあっという間に岐阜城まで落として勢いはついたろうが
普通に考えて岐阜城を落とさなければ家康が出立しない理由などない
関東の心配が無くなれば普通に進軍するだろう
0983人間七七四年2018/02/06(火) 00:32:42.61ID:c6ce1qZm
次スレたてました。

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1517843376/
0984人間七七四年2018/02/06(火) 01:16:24.31ID:c6ce1qZm
大垣城、岐阜城論争は、大垣城は東軍が落とさないと兵站的、地勢的にまずい城。
岐阜城は西軍が守らないと東軍優勢の印象により西軍戦力が低下しまう城。

大垣は、関ヶ原が一日で決着ついたので問題なかったが、長期戦になってれば
東軍は兵站及び退路で苦しむことは予想される。

岐阜は落ちれば史実同様、その影響により西軍戦力は低下し西軍の勝ち目はなくなる。

なので、両者とも言ってることは正しい。
0985人間七七四年2018/02/06(火) 03:01:11.00ID:+PRsvQ/+
>>984
長期戦になれば秀忠隊が大垣城を囲めばまた確保できるだろう。
あと逆に考えると大垣城を無視して東軍に西進されると大垣城の
兵站及び退路で苦しむことになりそう。
関ケ原屛風絵を見ると大垣城で稲の脱穀をしていた人がいたけど、あれを見ると西軍は
兵糧にまあまあ苦労していたのではないか。

大垣城を拠点に東側に陣を敷いていれば意味はあったが、東軍にとっての重要拠点であったが、
大垣城に籠っているだけならあまり意味がないな。
西軍にとっては重要な戦略拠点だったけどな。

ただ何度もいろいろな人が指摘しているけど、一番の重要拠点は木曽川流域だったよな。
ここを確保出来なかったのが致命的。

大垣城に籠り切りの場合、三成は佐和山城の落城を報告を聞くことになると思うけど。
0986人間七七四年2018/02/06(火) 03:10:34.83ID:+PRsvQ/+
>>990
史実では東軍は無視して進軍しようとして西軍をおびきだした訳だけどな。

三成としては大垣城を無視して佐和山城に進軍されるのを一番恐れたということだな。
岐阜城攻撃の頃、三成は佐和山侵攻を恐れて揖斐川にいたらしいし。。
0987人間七七四年2018/02/06(火) 03:12:12.32ID:wwos3KZT
↑この人兵站というものをまったく理解していない
0988人間七七四年2018/02/06(火) 03:48:41.65ID:EOQuVK0e
でも実際に西軍は関ヶ原に誘きだされてしまったし
兵站とかの問題にならんのでは
0989人間七七四年2018/02/06(火) 04:34:59.27ID:EzqCSSl5
飲料水で7000人とか1人1日3リットル摂取するとしたら1日水21000リットル(21トン)か
本当に節約して1人1日1リットルまで削っても1日7000リットル
ギリギリで1週間分として49000リットル(49トン)

普通の井戸でもつらいのでは?
0990人間七七四年2018/02/06(火) 04:50:30.17ID:6fQUxiLq
信長居館の井戸が深井戸や被圧井戸だったら枯れることはない
発掘調査では貯め池や水が流れる庭園もあったと報告されているから
山麓に水は豊富にあった
0991人間七七四年2018/02/06(火) 06:17:55.50ID:6fQUxiLq
>>982
>竹ヶ鼻等だけ落としておけば
>家康も秀忠も普通に進軍してくるだろうし

25日の家康書状には竹ヶ鼻落城は既に知っていて褒賞を伝える書状を出しているけど
その時点での家康も秀忠の西進も決めてないからね
佐竹が引いたのも25日だから君が言う佐竹と竹ヶ鼻落城のキーは25日に既に満たしてるけど
家康は秀忠にも西進の書状も武田信吉に留守番も命じてなく
家康が江戸で岐阜城落城の報を受けてから武田信吉に江戸留守番を命じ、秀忠に西進を命じたから
キーでないことは明白
0992人間七七四年2018/02/06(火) 06:49:53.28ID:6fQUxiLq
>>982
それに竹ヶ鼻城落城の報が届き、佐竹が引いた8月25日に蒲生秀行と大田原晴清には
家康は出陣延期と上杉出陣時には加勢するという書状を送っている

家康は筆忠実だから敵城攻略の報を聞くと直ぐに敵城攻略褒賞の書状と次の指示を出してるから
竹ヶ鼻城攻略の報と佐竹が退いた8月25日に出した指示は家康出陣延期と上杉への加勢で岐阜城落城までの数日間に家康からの指示なし
明らかにキーでないことが分かる

8月27日に岐阜城落城の報を聞き、直ぐに岐阜城攻略褒賞の書状と家康・秀忠西進による先鋒隊の進軍停止命令を伝えた
明らかにこれがキーだよね
0993人間七七四年2018/02/06(火) 07:02:11.60ID:6fQUxiLq
言葉がちょっと変だったので訂正
上杉への加勢じゃなくて
上杉出陣時には対上杉として加勢しろ
だな
0994人間七七四年2018/02/06(火) 08:08:04.17ID:+PRsvQ/+
籠城で戦力を集中させるのに麓の信長居館までの防衛網なんて敷けるはずないじゃん。

信長居館がぁ〜とか言っている奴は都合がよすぎる。
0995人間七七四年2018/02/06(火) 08:14:05.37ID:+PRsvQ/+
岐阜城事態にこう書かれているのだから、いい加減認めろよ

岐阜城の井戸(金銘水)
 濃尾平野の北端に独立してそびえたつ稲葉山(金華山)は、かつて「一石山(いっせきざん)」と呼ばれたように全山が一つの岩塊(がんかい)で成り立っている。
山上に天守閣をはじめ多くの櫓や蔵と郭を構え、番兵を配した要害堅固な岐阜城であったが、
籠城に備えた飲み水の確保は非常に困難であった。湧水は一滴もないため雨水と岩の間から僅(わず)かにしみでてくる水を溜める井戸を
岩塊に掘削(くっさく)している。二の丸を挟んで西側に3ヶ所、東側に1ヶ所の井戸がある。
 この井戸は、二の丸の西に位置する軍用井戸で「金銘水」と名付けられている。

https://farm9.staticflickr.com/8509/8347443255_91be7f8779_c.jpg
0996人間七七四年2018/02/06(火) 08:16:31.30ID:6fQUxiLq
>>994
城っていうのは城郭で守るものでな
最初から城郭放棄して天守のみで籠城して守ると思ってる奴はいないよ
君を除いてね
0997人間七七四年2018/02/06(火) 08:22:15.52ID:6fQUxiLq
>>995
それは頂上の天守だけの話ってのは全く聞いてないんだな
0998人間七七四年2018/02/06(火) 08:23:07.09ID:3Md9fk7R
水は長良川にいくらでもある。
0999人間七七四年2018/02/06(火) 08:33:24.96ID:6fQUxiLq
関ヶ原の時期は台風シーズンだから水位の上昇や川の増水でむしろ困ってる時期だから
信長居館の井戸も枯れることはない
1000人間七七四年2018/02/06(火) 08:34:28.44ID:6fQUxiLq
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