>>642
まず、自分の書き込みが「やらない後悔よりやる後悔」と読めることに驚くが…

三成なりの勝算があって、一族や家臣の運命を考えてもなお起こしたい行動があったのであって、空振三振レベルの話ではなく、失敗=死の覚悟をもっての決断だったはずだ。

それと…

ここは、「石田三成は豊臣の忠臣なのか?」を議論する場だろ?

ここの書き込みで「三成は先が読めない無能だった」って論調をよく見るけど、有能・無能は、忠・不忠かの判断にはならんだろ。

もちろん三成は天下人から行政の一翼を任された能吏で、無能の評価とはかけ離れた人物だが…

仮に、無能者が主に恩義を感じて、結果はさておきその身を投げうち奉公したら、それは忠とは呼ばんのか?

もし結果に繋がらない行動が全て不忠なら、史記刺客列伝の豫譲なんかは、どうして忠の例として語られるんだ?