石田三成は豊臣の忠臣なのか?
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0001歴史マン
2017/12/22(金) 11:31:44.64ID:+ZT2FfX9彼は豊臣氏にとり忠臣だったのか? それとも佞臣だったのか?
関ヶ原、秀次事件、その他諸々から語り合いましょう!
0268人間七七四年
2018/02/26(月) 23:39:06.26ID:hD18RFJr豊臣政権から排除されたにも関わらず、戦争にかこつけて大大名の後ろ盾で戦線に参加して、
手柄立てた結果、見事政権に復帰した人は別に豊臣の忠臣だなんて言われてないぞ?
それどころか、この人の評価ははっきり言ってかんばしくなけど。
0269人間七七四年
2018/02/26(月) 23:46:10.29ID:gt9A7LkO君の説には家康が1616年まで生きるという後知恵が内包されているのだよ
君の論法を借りれば家康がいつまで生きるかなんてわからない
秀吉とそう年齢が変わらないのだからそう長くは生きないだろうというのが当時の見方で
実際秀吉の遺言にも家康と利家についてはわざわざ後継者が指名されている
だからね、豊臣家としては徳川を危険視したとしてもそう長くは生きないだろうから
家康が死ぬまで待って(=秀頼の成人を待つ)から徳川家をどうするか考えても良いの
というか徳川をどうするかという判断は豊臣にしかできないわけで
(当時の秀頼にその判断はできないから)淀なり北の政所なり豊臣家の人間を委託を受けないで
反乱を起こして豊臣家の弱体化を起こしたのは『忠』ではないよ
0270人間七七四年
2018/02/26(月) 23:49:14.03ID:rqqOCuO0小早川に向かって関白にしてやると持ちかけたのは三成に忠義などない権力欲しかない証だろう
そもそも三成に関白を決める権利などあるはずないのに
豊臣を支配して関白の任命権まで思いのまま牛耳ろうとする意識がなければ言えないことだからな
0272人間七七四年
2018/02/27(火) 00:07:22.11ID:vsvJEoUg高虎は秀吉の生前から家康に接近していたけど
三成はそうじゃないどころか家康を失脚させようとして報復を食らった側だから今更媚売っても無理よ
0276人間七七四年
2018/02/27(火) 00:47:43.27ID:2axLBz54それ逆だと思う。実際は奉行がずる賢く立ち回って徳川と前田を排除にかかってると思う。
婚姻問題の時は奉行が前田を焚きつけて前田派と徳川を激突させようとしているし、
利家が死んだら今度は家康に暗殺計画を報告して前田派を崩壊させている。
勿論、徳川にも前田にも追求される脇の甘さがあるのは確かだが、それを差し引いても奉行の動きはちと微妙。
つーか奉行がかかわると諸大名に波風が立ちまくる気がする。
0277人間七七四年
2018/02/27(火) 00:48:09.68ID:vsvJEoUg具体的には媚びるとまではいかずとも協調的な対応をすることだが
そもそも>>271のだったらは何を意味してるの?
0278人間七七四年
2018/02/27(火) 01:18:40.30ID:1CUTbp/Iずる賢かったら相手の戦力が上なのに排除なんかするより利用した方がいいって分かるがな
>>277
自身の復権ががどうこう言ってるから私欲だけなら次のに媚びるもんだってことだよ
喧嘩にならん戦力差だからな
0279人間七七四年
2018/02/27(火) 01:26:41.16ID:vsvJEoUgだから復権を考えるのは当然失脚してる時期なんだから
権力争いを吹っかけて報復された秀吉死後の時期だろ
秀吉の生前から家康に接近した高虎とじゃ扱いが違う
0280人間七七四年
2018/02/27(火) 01:30:34.66ID:1CUTbp/Iそもそもずる賢いならふっかけないで媚びろって話だ
高虎や黒田みたいにすぐ尻尾ふればいい
それにふっかけたのは直後じゃねえだろ
0282人間七七四年
2018/02/27(火) 01:36:45.55ID:NNtwbZk2だから『利用』したんだよ、奉行は。
徳川を排除する為に、前田派を。前田派を排除する為に徳川を。
そして関ヶ原では徳川を排除する為に毛利と上杉をな。
そうやって大大名を互いに争わせて弱体化させようとした訳だ。
そうすれば結果的に奉行の権限は拡大していくからな。
あ、全否定はしないよ?政権を安定させるにはどうするかっていう回答の一つってのは認めるよ。
ただ短期間にやりすぎ。これじゃいくら豊臣御為を掲げても
「結局お前らが天下の実権握りたいだけだろ」って言われても仕方ない。つーか、言われて当然。
0285人間七七四年
2018/02/27(火) 02:11:30.32ID:1CUTbp/I0286人間七七四年
2018/02/27(火) 22:42:00.94ID:qRXjio1n豊臣が崩壊した原因は家康にあるように思われているけど
実際は奉行が豊臣の支配権を握るために大大名同士を煽って抗争させようとしたのが大きいよね
奉行のあまりにも露骨な権力欲には武断派をはじめ多くの大名が辟易していた
結局のところ奉行の際限のない権力欲が豊臣もろとも自分の身を滅ぼした
0287人間七七四年
2018/02/27(火) 22:50:35.19ID:1CUTbp/I0288人間七七四年
2018/02/27(火) 23:04:59.27ID:mUUT7G/o0289人間七七四年
2018/02/28(水) 13:34:47.15ID:PZCIniWuいらないよ。前政権で恨み買いまくっているやつをまた任用したら、自分の政権における爆弾になる。徳川家康には本多正信、正純という爆弾が既にいたから。
0291人間七七四年
2018/02/28(水) 19:53:08.12ID:alSMwkoT0292人間七七四年
2018/02/28(水) 19:59:45.60ID:bm5Oet1h0293人間七七四年
2018/02/28(水) 20:08:36.52ID:alSMwkoT0294人間七七四年
2018/02/28(水) 20:09:23.55ID:bm5Oet1h0295人間七七四年
2018/02/28(水) 20:30:20.69ID:ChvSh9pmそもそも家康ってあんまり派閥形成がうまくない気がする。徳川がでかいから気付きにくいけど。
0296人間七七四年
2018/02/28(水) 23:37:05.50ID:9TO7mZgf0297人間七七四年
2018/03/01(木) 00:03:30.39ID:SA6OuLGy権力欲が権力者にすり寄ることなら下克上という言葉は無い
秀吉の下だからあった権力が崩れたら家康の下で権力得るよりも家康倒して権力得る方が速くて実入りも大きいと思ったんだろ
0298人間七七四年
2018/03/01(木) 02:59:11.41ID:G/RsSRVO三成は松平、徳川の時代も見聞き出来て我慢できなかったわけだからやはり三成は不忠の極みだな
前田利家にも諌められてるし大谷吉継にも窘められてる
ただ、悪いやつではなかったんだろうね
0300人間七七四年
2018/03/01(木) 06:53:14.04ID:F8TGm2U/下剋上というより政治クーデターってのが近いだろ、関ヶ原は。
それに西軍は内府違いの条々を出した事で上杉征伐軍は瓦解すると予想していた可能性が高いし、
豊臣御為を掲げた(つまり豊臣はこっちの味方という設定)以上、自分達が負ける筈がない位の認識だったと思うぞ。
つまり西軍視点では『孤立した徳川と少数の大名VS豊臣の名の元に集結した全国の諸大名』だったんじゃないかな。
だから、これなら家康に勝てると思ったんだろ。何もかも机上の空論だったけど。
0301人間七七四年
2018/03/01(木) 20:31:00.74ID:lt5fXpTB瓦解なんするわけねえじゃん
そいつらは力つけてる主人に鞍替えした犬ばかりなんだから
テムジン一家を見捨てた連中と同じ
曹操や司馬に尻尾振ったのと同じ
強い勢力がありゃそれにつくだけの犬の集団なんだから
主人が没落しないかぎり鞍替えせんわ
0303人間七七四年
2018/03/01(木) 21:07:29.69ID:ZVXa5nY/いや、西軍の予想通りになる可能性は割とあったと思うよ。
この時点の家康の大義名分って実は、『豊臣政権の筆頭大老である』事位しかないから。
そしてこの時点の家康はまだ豊臣政権内での権勢拡大しかしていない。
だから西軍が豊臣御為を掲げて挙兵したという事は、家康の豊臣政権での権限を
事実上剥奪する政治クーデターを起こしたという事になる。
で、1600年時点ではまだ(家康の支えありきとはいえ)豊臣政権の権威は生きている。
つか、家康でさえそれは否定できない。彼の権力の源泉はこの時点ではまだ豊臣政権ありきのものだから。
そうなると、『』の消えてしまった家康に上杉征伐軍を始めとした諸大名が素直に従うか、実はかなり微妙。
史実では征伐軍の離脱が少数で済んだため、家康は覇権を握る事が出来たが、
もし他の諸将が我も我もと離脱してしまったらその時点で家康は詰みになってしまう。
だから西軍は確かに家康を土俵際まで追い込んだと思うよ。まあ、そこが西軍の限界だったが。
0304人間七七四年
2018/03/01(木) 21:21:57.88ID:lt5fXpTBぶっちゃけ戦力だから
250万石という圧倒的な戦力があるんだから
犬どもはそれにワンワンしてる
0305人間七七四年
2018/03/01(木) 21:33:13.63ID:ZVXa5nY/うん、そうだね。でも西軍は豊臣御為掲げてるから。
つまり西軍は豊臣家の力を事実上バックにしてるんだよ。(詭弁に近いやり方だがそういう設定)
早い話が>>300の『』の流れに持ち込もうとしたんだよ。
いかに家康が強大でも日本のほぼ全土が敵に回ったら勝利不可能だからね。
だから家康の戦力なんか吹けば飛ぶ程度のモンだった筈なんだよ、西軍視点では。
まあ現実は、何もかもが脳内妄想の絵空事だったんだけどさ。
0306人間七七四年
2018/03/02(金) 00:01:05.55ID:Rrjmo/3aアメリカ以外の国が全員団結すればアメリカを倒せると言っているのと同じくらい荒唐無稽なんだよね
そもそも何で上杉征伐軍に参加した大名が三成の勝手な行動に合わせないといけないんだ?
三成がいくら豊臣御為を掲げたところで豊臣三成ではないのだから
三成が好き勝手していい理由にも諸大名が三成の勝手な行動に服従する理由にもならない
おそらく三成はあまりにも長く秀吉の威光を振りかざして威張り散らしていたので感覚が麻痺していたのだろう
0307人間七七四年
2018/03/02(金) 06:00:32.47ID:NfQF30Iw架空戦記だとたまにあるよね。
イギリスと日本で独伊を倒して自陣営に取り込んだ後、アメリカと総力決戦とか
0308人間七七四年
2018/03/02(金) 08:55:35.36ID:cqo8eSg/ボケた秀吉フォローして
秀吉にぶつけられないストレスをぶつけられただけで
性格的に不器用なのと徳川時代の悪人にしないといけないのがあるだろ
0309人間七七四年
2018/03/02(金) 13:59:20.49ID:wde4nSXyをスルーかよ
かまってやれよ
0310人間七七四年
2018/03/02(金) 15:45:19.49ID:eYPA5s/iフォローするなら、秀吉のやることなすことに反対して諌めるのが筋では? 秀吉のやることを忠実にこなして権力を得ていたんだから同じ穴の狢だよ。
0312人間七七四年
2018/03/02(金) 18:14:57.85ID:hWyR9aIr0313人間七七四年
2018/03/02(金) 18:24:02.02ID:cqo8eSg/0314人間七七四年
2018/03/02(金) 18:36:10.63ID:hWyR9aIr0315人間七七四年
2018/03/02(金) 19:02:47.03ID:SZwUseb8それでもいくつも美談が残ってるって点で、
忠義はあったんだろうと思うけどな
そうでないと吉継が協力した説明もつかないし
0316人間七七四年
2018/03/02(金) 19:47:02.21ID:hWyR9aIr0317人間七七四年
2018/03/02(金) 21:00:59.34ID:eYPA5s/i三成の悪名が江戸時代に作られたというが、美談も江戸時代に言われたものばかりだよ。ちなみに美談いったのは徳川光圀や松浦静山とか政権から遠ざけられていた面々。
0318人間七七四年
2018/03/02(金) 21:48:56.93ID:Rrjmo/3a吉継は三成の派閥舎弟だから参考にもならないだろ
そもそも徳川幕府ができる前から三成は大勢の大名から嫌われて襲撃をかけられたりしているわけだから
三成が相当な問題児なのは間違いないだろ
三成が秀吉の息子なら問題児でも豊臣恩顧は我慢すべきなんだろうが
ただの雇われ官僚に過ぎない三成にいつまでも我慢する義務はないよ
0319人間七七四年
2018/03/02(金) 22:11:55.60ID:cqo8eSg/不器用だからろくに釈明やコミュニケーションでごまかすことが出来ない
プラス
幕府の悪人説
0320人間七七四年
2018/03/02(金) 22:42:40.93ID:Os3J0P4Q家康の参謀総長の立場の本多正信が、箱根で東上してくる西軍を迎え撃つ作戦を提案した程度には
東軍も不利なんだよね。
兎も角、史実を知ってる人は後知恵に気付かないから。
東海道に出れば、陣頭に千成瓢箪の馬印が出て来る可能性が普通に有った事を忘れてる。
西軍は大阪城に陣取ってんだから、下手すると直接秀頼に弓引く形に成る。
福島あたりが裏切る可能性有りそう?
兎も角、感情多過の人が秀頼出て来て平気なのか?
0321人間七七四年
2018/03/02(金) 22:53:22.61ID:R42FoneFそれを活かせる能力も人材も居ない
0322人間七七四年
2018/03/02(金) 23:09:38.23ID:eYPA5s/i本多正信を見習え。
嫌われ承知、その代わり物欲は持たなかったから身を誤らなかった。
石田三成は20万石と佐和山という良地を受けていたからもある。
0323人間七七四年
2018/03/02(金) 23:13:43.32ID:eYPA5s/i本多正信がそんな進言したなんて聞いたことがない。何の史料にあるの? あと、大阪は大坂ね。
箱根は第2防衛戦にして、普通はもっと西の薩埵峠か富士川で迎え撃つだろ。いやそれでも東すぎる。天竜川に木曽川と迎え撃つ地には事欠かないがな。
0326人間七七四年
2018/03/03(土) 02:14:49.95ID:9STby/Knまあムスコの代になるわけだが。
0328人間七七四年
2018/03/03(土) 03:14:30.89ID:rJ5wdtWQ三成の味方で潤ってきた奴が今回もそれで潤うと思えば味方するわな
それと当時の大名の領民からの慕われ度を表す史料ってあんの?
まさか雑な持ち上げを都合いい奴だけ真に受けてるってことはないよなあ
0329人間七七四年
2018/03/03(土) 03:32:18.26ID:KdFZnMaq嫌ってるのに味方するのか
うまい汁がすすれる保証がないのに
匿ってるのに慕われてないとか
普通この当時じゃ特に報奨や身の安全考えて率先して差し出すわな
0330人間七七四年
2018/03/03(土) 06:32:23.54ID:4X83Xevm1595年8月に秀次の妻子一族の処刑担当の奉行が三成ってのは史実か?
0331人間七七四年
2018/03/03(土) 07:10:18.32ID:bYa8P6uN本当に三成に味方したのは小西・大谷・宇喜多といった石田派閥の舎弟連中だけでしょ
大半は会津征伐に参加するため家康の下に向かおうとしたところを
逆らったら大坂にいる妻子を殺すぞと脅迫されて無理矢理に西軍に入れただけ
後はせいぜい輝元のように九州・四国への火事場泥棒を企む人間くらいだ
それを三成が慕われたとか味方になってくれる大名が大勢いたとか馬鹿馬鹿しい
本当に味方したなら派閥の舎弟連中以外も関ヶ原で真面目に東軍と戦っているだろ
脅されて嫌々に連行されたから西軍の士気が低かったというのが現実だよ
0333人間七七四年
2018/03/03(土) 07:27:01.67ID:S1eiYAhpで、西軍はそれに参加する予定だった将を足止めして結成されている訳だから、
彼らは豊臣政権の事業を妨害した形になる。(東軍びいきの理屈ではあるが)
一歩譲って西軍が豊臣の事を思ってたとしても(そうは思えないが)、豊臣家からしたら
西軍の行動はさて、どう見えただろうね。
0334人間七七四年
2018/03/03(土) 07:39:04.72ID:N62DyZB8まさしくクーデターだよな
三成が忠臣とか笑わせる
単に豊臣の政権を転覆しようとしてるだけにすぎない
徳川が豊臣をないがしろにした、とか見せかけの理由で自らの復権をめざしただけの話だよな
0335人間七七四年
2018/03/03(土) 10:38:31.36ID:KdFZnMaq>>331
脅されたやつなんて逃げまくってたけどな
多くが軽い感覚だけで味方してたら身をつぶすだけなのに当時の人間舐めすぎ
>>332
へえなんで匿ったりしたのよ
慕われてもない嫌われ者を
0336人間七七四年
2018/03/03(土) 10:54:31.72ID:bYa8P6uN実際に西軍の大半は改易や減封になるという自覚もなく
三成に脅されて関ヶ原に連れて行かれたまま、戦うこともなくのんびりと突っ立っていただけじゃん
西軍の大半は外様大名だから豊臣家中の権力争いには興味もなく
関ヶ原も舐めきっていて、三成が死んで解放されたら自分の領地に帰ろうという連中ばかりだった
三成はそういう連中を無理矢理に組み込んでさも東軍と同等の兵力があるかのように数を粉飾していたに過ぎない
0337人間七七四年
2018/03/03(土) 11:06:36.29ID:KdFZnMaqルールを守らず婚姻も勝手にやる
これでたててたとかギャグかよ
曹操や司馬懿のミニチュア版みたいなことやってるのに
内応済みの吉川広家が進路を邪魔してたのはスルーすか
0338人間七七四年
2018/03/03(土) 11:22:42.73ID:jH6LGYAm家康に野心がなかったってのは、その後の所業からして明らかに無理がある
0339人間七七四年
2018/03/03(土) 11:29:20.88ID:StsZ2Kbd0340人間七七四年
2018/03/03(土) 11:34:13.77ID:NyJd2Ysq三成も自分の派閥形成している時点で秀吉が出した遺令に反しているんだが。そもそも秀吉が亡き後は豊臣政権は無政府状態だから、徳川家康も石田三成も勝手し放題だろ。
0341人間七七四年
2018/03/03(土) 11:56:07.56ID:N62DyZB80342人間七七四年
2018/03/03(土) 12:01:07.93ID:bYa8P6uN吉川広家がどうこうは後付けの言い訳でしかない
毛利や他の南宮山の連中に本気の戦意があったら吉川が一人で止められるわけがない
みんなに戦意がないからみんなで一緒に突っ立っていたに過ぎない
それに吉川広家の立ち位置とはまったく無関係な島津も撤退する時だけ必死になっただけで
それまでは戦闘を拒否して傍観していただけだ
三成と派閥舎弟連中だけが勝手に熱くなって勝手に戦っていたのが関ヶ原の西軍の実態だよ
0343人間七七四年
2018/03/03(土) 12:31:34.29ID:KdFZnMaq当時の人間舐めすぎ
>>340
家康が違反やってる事実は変わらんよ
>>342
言い訳ねえ
吉川なぎ倒していくのか
味方同士のもつれ合いになるわな
0344人間七七四年
2018/03/03(土) 12:46:37.01ID:NyJd2Ysq徳川家康も好き放題って言ってるでしょ。
0345人間七七四年
2018/03/03(土) 13:42:38.55ID:RauyhN4s0346人間七七四年
2018/03/03(土) 18:20:12.36ID:3WT4XphQそんな馬鹿に鳥居を殺されるなんて家康の大失態じゃん
ちゃんと追い落とした時に三成を始末しとかないなんて駄目じゃん
0347人間七七四年
2018/03/03(土) 18:40:53.73ID:UUHvoErE追い落とした?
7将襲撃事件のことか?
あのときにそんな厳しい措置がとれるなら、しているだろう。だが、まだ家康独自に大名を処分できるほどの権力はない。
それに三成爆弾を残しておけば、火種はまだまだ拡大するしな。
あの時点で始末したら家康には損。
0348人間七七四年
2018/03/03(土) 19:15:40.28ID:I6ZuGHB1感情的で客観性に欠く人がちょいちょいいるな
0349人間七七四年
2018/03/03(土) 19:21:49.89ID:n1p6Hemwなぜか三成を無能で卑怯者扱いにしたことと解釈する人もいるね
0350人間七七四年
2018/03/03(土) 19:23:20.68ID:rTEJc9DAそもそも家康の秀吉死後から関ヶ原前までの政治案件の取り扱いをみると、
あまり果断な決断をしていない。(ただし自分が損をしないようには動く)
婚姻問題では利家と手打ちして武力衝突は避ける(ただし婚姻自体は通す)
前田征伐では利長が頭を下げたのでやはり武力衝突を避ける(ただし政治的に前田より優位には立つ)
宇喜多騒動では家臣の一部を放逐させるに留めて宇喜多には事実上お構いなし。(蒲生騒動とは大違い)
伊集院の反乱でも双方に厳罰を下すような事はしていない。(島津は不満だったようだが)
三成襲撃事件でも三成を隠居させただけで領地には一切手をつけていない。
早い話が(自分に都合よくという但し書きがつくが)政権に波風が立たないようにしているのだろう。
ただし、波風立たないと言えば聞こえはいいが、見方を変えれば『問題の先送り』をしている事になる。
白黒はっきり付けたい方は不満だろうしツケもどんどん大きくなる。反対勢力にとどめをささないのだから。
このツケが爆発したのが関ヶ原であり、また大坂の陣なのだろう。
0351人間七七四年
2018/03/03(土) 19:26:05.82ID:YrMx9tJe0352人間七七四年
2018/03/03(土) 19:28:59.58ID:0ICF9Y9A0353人間七七四年
2018/03/03(土) 19:33:13.15ID:RauyhN4s0355人間七七四年
2018/03/03(土) 20:18:55.07ID:yITc2CF2メチャクチャ影響あった。
数万の大軍で堅牢とはいえ1800しかいない城に二週間もかかる。
西軍は出だしからつまずく。
尾張、美濃、伊勢進出が遅れる。
伏見城には5000も置いて包囲させておき、その間にさっさと伊勢や尾張に攻め込まないと。
0356人間七七四年
2018/03/03(土) 20:37:06.76ID:rTEJc9DA結果論で言えばそうだろうが、それは後世の後知恵かな。
西軍は豊臣御為を掲げた以上、豊臣家が後ろ盾になるという設定をしている筈だから。
という事は、諸将に対して「豊臣に従うか?逆らうか?」という2択を迫ったという事だ。
で、この時点ではまだ豊臣は絶対的存在だ。家康でさえこれは否定できない。
だから西軍に対して散発的な反抗はあっても大規模な対立になるとは思ってなかったのだろう。
その証拠に西軍は内府違いの条々を上杉征伐軍を始めとして、かなり派手にばらまいている。
つまり諸大名は当然こちらの味方になるし(徳川と姻戚関係になったり、三成を襲撃した連中も含めて)
家康は豊臣の敵として認定された事で震えあがって関東に引きこもるだろうと予想したという事だ。
ま、現実はそう甘くなかったんだけどさ。
0357人間七七四年
2018/03/03(土) 22:06:05.06ID:bYa8P6uN別に加藤や福島が豊臣御為を掲げて三成を倒しに行ってもいいし
もっと言えば豊臣の外戚で筆頭大老たる家康が豊臣御為を掲げても何の問題もない
三成はあまりにも長く豊臣の威光を振りかざしてきたから感覚が麻痺してしまい
自分が無条件に豊臣を代表して、豊臣御為を掲げるのは自分だけの特権と勘違いしてしまった
0358人間七七四年
2018/03/04(日) 01:51:12.51ID:HTBYxL50その辺は、カエサルの賽は投げられたが参考かね。
元老院派の連中は、当時の法律でイタリア本国には軍隊が存在しない事を無視して、カエサルに
無防備でローマ来る様要求してるし。
一個軍団6000でも、カエサルは武力持ってんだよね。
結局、カエサルの即攻で約二月で、長靴は征服されてる。
西軍も即攻掛けたら、東海道の豊臣恩顧はホームレスだよね。
0359人間七七四年
2018/03/04(日) 02:13:16.66ID:rlUjPv6bマジいらないこ
0360人間七七四年
2018/03/04(日) 03:42:39.47ID:7pkXUO+A0361人間七七四年
2018/03/04(日) 04:05:00.63ID:W/C92D4S後詰を期待できなくて、圧倒的に兵力差のある籠城戦、一所懸命の地でもない、これだけ条件がそろえば開城するのが当然。
木下定俊はさっさと逃げ出してるし。
西軍側としては、開城させるために大軍を揃えて行ったら、本気で抵抗されて、後に引けなくなったんじゃね?
秀吉以来、政庁が置かれていた伏見城を徳川に抑えられたまま、ってのも、西軍の正当性の上で問題あるし。
0362人間七七四年
2018/03/04(日) 06:07:56.09ID:pMwUoJcM実際はそうならなかったよね
お松の方が人質になって忸怩たる思いをもちながら徳川についたような話もあるけど、実際利長も豊臣家なんかに恩義なんてもってないよな
利家だって同格だった秀吉が時流にのっただけで自分のうえについたことを利だけで我慢しただけなのが現実だろうし。
0363人間七七四年
2018/03/04(日) 06:58:39.67ID:O9RbdrImあれはある意味当然の結果。
そもそも前田征伐のきっかけになった家康暗殺計画を家康に訴え出たの、奉行の増田と長束だもの。
しかも豊臣家に仲裁を頼んだらあっさりと断られてるし。
こんな状況で奉行が豊臣御為を掲げて徳川をやっつけようぜなんて言ったって
「ふざけるな、何を言ってるんだ!?」ってなるだろう、普通。
大体、前田派健在ならそれを普通に徳川にぶつけるだけでよかったのに、派閥を跡形もなく
ぶっ壊しておいて何が徳川討伐だって話だよ。
まあ、前田派を奉行が制御するって形に奉行はしたかったんだろうけどな。
そんなムシのいい話が、としか思わんけど。
0364人間七七四年
2018/03/04(日) 07:45:36.24ID:Dwr+WKaI0365人間七七四年
2018/03/06(火) 19:13:44.80ID:Di2q3ZRV誰もが認める当時最強で明確な敵が少なかった家康が10万の兵を連れてってるって状況で反乱起こすとか、
普通、誰も味方になんかつかねえよ。
なのにそれなりの数の賛同者を集めたって時点で豊臣政権を引っ張るべき人材だという信頼はあったんだろう。
同時代人には豊臣家への忠義者と認められてたんじゃないの。
0366人間七七四年
2018/03/06(火) 19:24:05.54ID:bRUKkGMi0367人間七七四年
2018/03/06(火) 19:49:35.71ID:QdXmXO9Jそもそも三成途中参加組の筈ですが。
それと家康は確かに豊臣政権内では最強ですよ、それは認めます。しかしあくまで政権内なんです。
簡単に言えば最強はこの時点では間違いなく豊臣なんです。家康でさえこの時は
豊臣の名の元に行動しているだけで、豊臣対徳川では勝負になりません。絶対徳川が負けます。
だからこそ、西軍は豊臣御為を掲げたんです。豊臣の看板を徳川から奪えば絶対に勝てるから。
つまり徳川は豊臣政権内の大名じゃなくなるから(つーか敵国扱いになる)
各地で征伐を起こされた時の、島津や北条らと同じ事になるんです。要は、詰み。
だから三成も西軍についたんですよ、絶対勝てる筈だから。そう、勝てる筈、だったんですよ……。
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