今スレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は前スレに出てた>>23
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>504
岐阜城早期落城させない為の手段が>23の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、島津義弘1000、計7000
大垣城:石田6000、小西5000、計11000

8月27日に宇喜多が大垣到着、9月7日毛利秀元、吉川、長曾我部ら伊勢方面隊南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>23の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>798>>438
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>703のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>810>>812

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>23の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か