当該の黒田・徳永が述べますので詳しくは書きません書状ね。
内容はほぼ同じで、7月9日付が京都大学所蔵福島文書
7月19日付が福島家系譜所収文書、7月24日付が武徳編年集成。

通説は7月24日で、小山評定はあったとする説。当然小山評定に福島正則が出席していれば
8月初頭に福島正則が清洲に在城しているのは不可能。

白峰氏や光成氏が推しているのが7月19日のもの。いわゆる小山評定といわれるものはなく
福島正則は8月初頭に清洲に在城してた説。

7月9日は石田・大谷の挙兵すらないので誤記だろうといわれている。

いずれにしても原本がなく写しなので学者たちがいろいろと議論しているわけで、
それを「誤記」ではなく「偽書」とか言うのは、

お前何様よ?と。