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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part10

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0001人間七七四年2017/12/06(水) 09:24:47.58ID:visuc2TV
前スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part9
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1509028014/
0859人間七七四年2017/12/26(火) 21:12:26.42ID:bwxudYEh
>>858
>24日まで何も知らせず放置の状況
↑これが徳川家が物事の真偽をリアルタイムで完璧に把握しているという神の目視点を前提にした後知恵なんだってば
21日時点で宇都宮にいる細川忠興も上方で石田・毛利が謀反を起こしたと言ってるんだから当然徳川や福島正則だってそういう情報自体は持ってるでしょ
だからといって情報が入ってすぐにその情報の真偽の判定をし、即座に軍事行動を停止して新たな方針を即座に打ち出せるかはまた別だよ
24日に福島正則をわざわざ「石田三成が上方で謀反を起こした」なんていう従軍してる諸将でも知ってるような情報を知らせるために呼ぶわけがない
徳川家が情報収集と方針転換の結果、会津征伐を中止し西進して謀反を起こした石田たちと戦うという方針を決めたから呼んだと思うほうが自然
>しかも清須は兵糧備蓄されてるから最重要拠点には代わりないし交通の要所でもある
これも19日の時点で徳川家が上方から届いた断片的な情報だけで「石田はすでに謀反を起こした!」なんていうリアルタイムの神の目視点で歴史をみた後知恵ありきの考え
石田の謀反が噂だけのことだったならそもそも福島の兵を清洲守備のために戻す必要もない
0860人間七七四年2017/12/26(火) 21:37:21.66ID:dcuj5NeU
>>859
>だからその前線基地になるであろう清洲城ってのがまず結果ありきの後知恵なんだってば

後知恵はこっちな
伏見城で西軍が苦戦するって未来も分からない上に石田と毛利に近江美濃がどこまで呼応するか分からないんだから
清洲城が大丈夫という根拠は全くない

7月18日付で稲葉通孝は会津征伐は延びて国許に帰っているから7月19日の書状で福島正則の軍だけ帰ってるのは不自然ではない
むしろ24日まで福島正則は誰からも知らされずに放置されてる状況が異常だよ
0861人間七七四年2017/12/26(火) 21:53:03.00ID:bwxudYEh
>>860
伏見城がいつ攻撃開始されたか知ってる?
19日時点だと徳川はそもそも伏見城が攻撃されてるということすら知らないんだよ
実際に謀反が起こったのかどうかも真偽がはっきりしてるとは言い難いのに攻撃されるかどうかもわからない城を苦戦するって未来もわからないと表現すること自体がまず大きな間違い
あともう一度言うけど福島正則が誰からも知らされず放置ってのがそもそも間違いなんだよ
上でも書いてるけど細川忠興なんかは江戸より先の宇都宮にいても上方での謀反の噂を知ってたんだから当然福島正則も知ってたろう
その上で会津征伐軍が今後どう動くかという方針を指示されたのが24日の呼び出しと考えるべき
0862人間七七四年2017/12/26(火) 22:10:14.04ID:dcuj5NeU
>>861
アホか
7月13日に宍戸元続によって既に蜂起したことは知られて7月15日には伏見城は籠城準備開始している
吉川広家とかの内通者がいるのに7月19日の伏見城の戦いまで東軍が蜂起を知らないわけないだろ
もう資料を勉強しろよ
0863人間七七四年2017/12/26(火) 22:21:19.13ID:bwxudYEh
>>862
残念
13日の手紙は「安国寺恵瓊が大坂に軍勢を戻すように言ってきて、これは輝元の命令だと言ってるがそんなはずはない」というもので石田の蜂起を伝えるものではない
吉川の手紙はどうも手違いがあったのかすぐに徳川に届いたわけではなく8/8時点で始めて家康は「吉川から報せが届きました」と黒田長政に伝えているので7/19時点では家康には伝わってない
0864人間七七四年2017/12/26(火) 22:27:11.17ID:dcuj5NeU
>>863
残念?
実際に15日に伏見城が籠城準備開始してるのに
蜂起と異変の報を受けて籠城開始してるのに何の情報収集もせず
家康にも情報を知らせてないと思うのか?
アホだなぁ
伏見城の戦いまで全く東軍が知らないと思うなんて
0865人間七七四年2017/12/26(火) 22:32:29.67ID:bwxudYEh
>>864
さらに残念
当時の通信速度では君が籠城準備を始めたと言ってる15日に報せを送ったとしても19日には間に合わない
東軍が知らない、ではなく19日時点では知りようがないということです
0866人間七七四年2017/12/26(火) 22:37:44.95ID:dcuj5NeU
>>865
はい残念
20日前後に上方騒乱の書状が飛び交い
23日には最上に会津征伐中止を決め書状を送っている
0867人間七七四年2017/12/26(火) 22:51:35.22ID:bwxudYEh
>>866
20日前後に飛びかっている上方騒乱の書状とやらに徳川がそれを認識しているという報告でも書いてるんですか?
ちなみに徳川家は当初「石田・大谷が蜂起し増田・長束・前田玄以がこれに対抗し大坂城に籠城している」と認識していたようで伊達政宗にその旨の手紙を書き送ってます
どっちにしろ清洲城が最前線にはならないですね
0868人間七七四年2017/12/26(火) 23:12:40.47ID:dcuj5NeU
>>867
7月18日付で稲葉通孝は会津征伐は延びて国許に帰っているし
20日前後の上方騒乱の報を受け最上に会津征伐中止の書状を送っている
噂の段階じゃなくなったから会津征伐中止したんだろ

伊達政宗?
伊達を繋ぎ止めるために家康は西上しないという書状を送ってるんだけどね
実際は西上したけど


人に後知恵と言っておいて西軍の展開が遅れて清洲城が前線にならないという後知恵論を展開ですか?
0869人間七七四年2017/12/26(火) 23:27:30.40ID:bwxudYEh
>>868
20日前後とひたすら繰り返してるあたり完全に欺瞞ですね
19日以前の手紙で上方の騒乱を情報を正しく認識していたという手紙が見つからないので20日前後ということで無理やり証拠に仕立ててるのが丸わかりですよ
最上に会津征伐の中止の書状を送ったのは23日なんでしょう?19日にすでに石田の謀反が本当のことだとわかってならむしろその間の4日間はなにをしてたんですかね?

>伊達を繋ぎ止めるために家康は西上しないという書状を送ってるんだけどね
>実際は西上したけど
それ、家康が福島正則を19日に清洲城に軍勢を戻すように指示したことに関係あります?

>西軍の展開が遅れて清洲城が前線にならないという後知恵論
どこらへんから西軍の展開が遅れてという言葉を読み取ったのか困惑してます…
当初徳川は「石田と大谷が三奉行の籠城している大坂城を攻めている」という認識を持っておりこの見解だと救援対象は大坂城になるわけで清洲城が最前線になるという想定は成立しないということをいってるんですが
0870人間七七四年2017/12/26(火) 23:55:42.75ID:dcuj5NeU
>>869
7月18日付で稲葉通孝は会津征伐は延びて国許に帰って
23日には遠方の最上にも会津征伐中止の書状を送っているのに
24日まで福島正則の軍には会津征伐中止を知らせずに無駄に江戸まで来させたって言う
稲葉通孝は18日に帰ってるのに福島正則は空白の放置プレー5日間は疑問に思わないのかw
0871人間七七四年2017/12/27(水) 00:55:40.66ID:4OGWiAIy
>>870
慶長年中卜斎記では家康が上方の雑説を知ったのは20日となってますがそれなのにどうして19日に福島正則を呼び出すんですかね
1日くらいなら誤差、ということでしょうか?それとも他に19日以前に家康が上方の雑説について詳しく知っていたという内容の手紙があるのでしょうか?
それと福島正則を放置プレイというなら上方の蜂起を知っておきながら細川忠興を19日時点で呼ばずに放置プレイにしてるのも変ですね
細川忠興は石田三成が蜂起した際に真っ先に「何の忠節もないのに家康から福原から没収した領地を貰っている。そのため秀頼公が御成敗とする」
と名指しで批判し実際に田辺城への攻撃や細川ガラシャを死に追いやり九州の細川忠興の領地を預かる松井康之にも領土の接収を通告してるいわば当事者です
危険が間近に迫っているという意味では福島正則よりもむしろ忠興の方が上な訳で上方の雑説を把握してるはずの家康がなぜ彼を放置プレイしてるんでしょうかね
0872人間七七四年2017/12/27(水) 01:33:10.89ID:ccGqvvWW
当該の黒田・徳永が述べますので詳しくは書きません書状ね。
内容はほぼ同じで、7月9日付が京都大学所蔵福島文書
7月19日付が福島家系譜所収文書、7月24日付が武徳編年集成。

通説は7月24日で、小山評定はあったとする説。当然小山評定に福島正則が出席していれば
8月初頭に福島正則が清洲に在城しているのは不可能。

白峰氏や光成氏が推しているのが7月19日のもの。いわゆる小山評定といわれるものはなく
福島正則は8月初頭に清洲に在城してた説。

7月9日は石田・大谷の挙兵すらないので誤記だろうといわれている。

いずれにしても原本がなく写しなので学者たちがいろいろと議論しているわけで、
それを「誤記」ではなく「偽書」とか言うのは、

お前何様よ?と。
0873人間七七四年2017/12/27(水) 02:15:38.24ID:4OGWiAIy
>>872
>それを「誤記」ではなく「偽書」とか言うのは、
>>854の最後をよく読みましょう
誤記、もしくは偽書だろうと書いてますね?
人のことを何様とかいう前にまずちゃんと文章を読めるように訓練しましょう
0874人間七七四年2017/12/27(水) 02:49:22.54ID:AveeAhiu
5000にんの島左近で殲滅すれば余裕
0875人間七七四年2017/12/27(水) 02:51:28.97ID:qBSUZVex
7月19日付が福島家系譜所収文書の写し
7月24日付が武徳編年集成で後年に作られた物

だけど23日までに会津征伐中止を決め最上義光にも書状を送っているから小山評定は無かったと言われてる
小山に集結せよという書状は一つも存在しないこともあわせてね

1740年に作られた武徳編年集成で神君家康公崇拝で小山評定というストーリーを作るために19日だったのを24日に
木村高敦が改竄した可能性があるってのが学者の見解だよね

慶長年中卜斎記の名を出し24日が本物って言ってる人は小山評定があったと思ってるってことだよね?
0876人間七七四年2017/12/27(水) 08:24:41.50ID:RBx0XP2+
だれが、いつ、どこで、なにを、なぜ、どのように、
どれもあいまいな書状しかないんだからこれで小山評定があったっていえるほうがどうかしてる
思い込みあるいは類推を重ねた説にすぎない
0877人間七七四年2017/12/27(水) 08:27:06.00ID:8F4rvnZ+
どこかで話があったでいい

先発隊は少なくとも何かあって先発
0878人間七七四年2017/12/28(木) 06:40:32.37ID:dzrp6dYx
背後で石田三成が謀反をおこしているのに
評定もせず規定の戦略を変更して引き返すなんてありえないだろう

聚楽第行幸で諸大名が天皇に忠誠を誓ったのを手紙がなきゃ信じないと言っているのと同じだ。
0879人間七七四年2017/12/28(木) 07:13:16.24ID:NPy2mOm2
23日には最上に会津征伐中止を通知したんだから
23日までに何らかの評定はしたんだろう
25日以降に小山で評定して会津征伐を中止したってのが創作であって
0880人間七七四年2017/12/28(木) 14:10:02.33ID:glE8ZSWH
最上って可哀相だよな。秀吉には散々な目に合わされて
徳川のために戦ったのにお家取り潰されて・・・
0881人間七七四年2017/12/28(木) 14:21:08.83ID:9f4Zi4ba
お家騒動を起こしたのだから
身から出たさび
0882人間七七四年2017/12/28(木) 14:22:15.00ID:dzrp6dYx
応仁の乱をみればわかるけど、お家騒動は乱世の始まりだしな
まぁ、北条征伐の恩賞で、故郷の尾張から出て行きたくないと褒美を拒絶したら改易されて滅亡した豊臣の主家の織田家や
秀吉に協力したのに、長秀が死ぬと14歳の長重にいちゃもんつけて100万石召し上げを食らった丹羽家よりマシだろうな
0883人間七七四年2017/12/28(木) 14:31:33.97ID:dzrp6dYx
考えてみれば北条征伐後の家康の身の処し方が見事だ
敵地に移住して雑草の生い茂った湿地を本拠地にしろと言われて
三河に戻ることなく住み着いて、土木工事しまくって
東京湾に流れていた利根川を千葉県東の太平洋まで動かして東京を住める土地にしたのだからな
もし北条征伐の褒美を嫌だとごねたら、織田家同様に改易されただろう
0884人間七七四年2017/12/28(木) 14:46:41.49ID:NPy2mOm2
あの時代、京より離れるほど田舎、偏狭だからな
織田信雄は家康領だった浜松周辺に転封だから屈辱だったろうけど
家康はもっと京から離れた関東の田舎だからな

あの時に家康も逆らうと思って転封命じたのか
それが仇となり死後に家康に蹂躙されるという…
0885人間七七四年2017/12/28(木) 14:57:11.39ID:9f4Zi4ba
遠隔地関八州に封じられたからこそ朝鮮半島に渡らずに済み
家内の勢力を蓄えることができた
0886人間七七四年2017/12/28(木) 16:19:22.09ID:QLtVjIh9
石高同じなら拒否だが増額だからな

しかし先祖伝来の地を良く捨てたもんだ
0887人間七七四年2017/12/28(木) 17:30:01.79ID:dzrp6dYx
>>884
北条征伐で立てた手柄への褒美を断れば改易→例:織田信雄
四公六民で善政が行われ100年単位で支配された敵地が暴発すれば改易→例:佐々成政
秀吉を否定し家臣が少しでも不穏な動き動きを見せたら領地没収→例:丹羽長重

もともと敵だったのにこれらをすべてクリアしたわけだからすごいことだ。
家康が律儀と言われるゆえんだな。無理難題を押し付けられても天皇から関白に公儀を任されている以上粛々と従った。
まぁ徳川は言うに及ばず、上杉も伊達も島津も長宗我部も豊臣家には恩より恨みのほうが多い
0888人間七七四年2017/12/28(木) 17:53:39.22ID:aQXOZ7OG
しかし会津征伐中止を知ったときの最上って凍りついたろうな・・・
0889人間七七四年2017/12/28(木) 18:01:20.60ID:glE8ZSWH
いや前もって解ってたことだよ。
最上義光は良将だよ?馬鹿じゃない。
0890人間七七四年2017/12/28(木) 18:13:38.75ID:dzrp6dYx
http://file.sengokumap.blog.shinobi.jp/1600.jpg

この地図見ろよ。
0891人間七七四年2017/12/28(木) 21:11:56.98ID:rOb46zQX
>>881
その、御家騒動の原因が徳川に媚び過ぎた事だしなあ...酷す。
あの時代、嫡男は既に大阪の殿中に証人として送ってるって大名が多いんよね。
そんで、家康の野心が露わに成ると、慌てて次男三男を徳川に送ったって例が多い訳です。
関ケ原の戦いで徳川の覇権が成立すると、豊臣と縁の深い嫡男に後を継がせると徳川に言い掛かり付けられるのでは?って
疑心暗鬼に成り徳川に送った子に挿げ替える事件が多い。
細川家や最上家の例は有名。
そこまでして後を継がせた子が早死に、御家騒動の流れ。
>>889
上方で誰か挙兵するのは予想済みでしょうね、でも西軍が10万超えつて聞いて凍りついたと思うwwwwwwwww
0892人間七七四年2017/12/29(金) 09:33:09.41ID:odlebPY5
最上は長谷堂城の戦いの功労者の鮭延秀綱が
後継者問題をゴタゴタにしたからな
東北の猛将のマイナー具合はそういうのがあるからなのかね
0893人間七七四年2017/12/29(金) 15:51:53.30ID:aakW13H2
>>844
福島は、元々故郷で激情の余り人殺して出奔した人だしなあ...
確かに度胸と行動力有るけど、知恵の有る人とは言えないしね。
こういう人は、良い参謀が付くか知力有る友人の助言を聞けば大成する事も有るけど。

まあ、海千山千の家康に良い様に利用された。
馬鹿なのに自覚無く、行動力だけは有り捲りってたち悪いよね。
0894人間七七四年2017/12/30(土) 08:31:16.46ID:bG1TnuQc
会津征伐自体が三成挙兵ための策略なのに…

西軍は勝てた可能性はあるが、まとまりがなさ過ぎた事と
八方に兵を出し過ぎ。
小さな戦で勝利しても本戦に勝てないと意味がない。
0895人間七七四年2017/12/30(土) 10:17:27.22ID:6grwlKE0
上杉って西軍最大戦力の一つなのに家康をおびき出す為の陽動に使った上、最上のせいで動けなかったからなあ
0896人間七七四年2017/12/30(土) 10:44:14.46ID:0ILT8s7F
西軍は伏見城の戦いで約二週間足止め
上杉は長谷堂城の戦いで二週間以上足止め

西軍主力が二週間足止め食らってるのに対して
東軍は全く足止め食らってないからな
そりゃ負けるわ
0897人間七七四年2017/12/30(土) 10:46:21.58ID:2kMqd4WR
上杉が動けたらまた違う展開になっていたかな?
0898人間七七四年2017/12/30(土) 11:06:23.90ID:RFNCvXsA
そもそも上杉には西軍という自覚がまったくないからな
もう征伐される心配はないから庄内をぶんどった後に旧領の越後を奪還しようとしか考えていない

よく誤解されるけど会津征伐は言いがかりでもなんでもなく
本気で上杉は軍備を進めて周辺の領地をぶんどる気だった
三成の挙兵を誘うなんて悠長な策略ではなく上杉の行動を許すと豊臣の惣無事体制が崩壊する危険があり
家康としても上杉を抑えないと戦国乱世に逆戻りしてしまう危機感からやったこと
三成が馬鹿で中央での権力闘争しか頭になかっただけだ
0899人間七七四年2017/12/30(土) 11:07:05.52ID:9+HlexfP
戦力比的に上杉速攻負けて東日本全軍で近畿に。
いくらかの時間的猶予と引き換えにするには代償大きいな
0900人間七七四年2017/12/30(土) 12:02:48.43ID:np80RzOn
このスレは大阪人の妄想で出来ています

関ヶ原で西軍が勝っていれば豊臣は続いていたはず
そうすれば日本の首都は大阪だったはず
大阪の陣で豊臣が滅びなければ大阪が日本の中心だったはず
関ヶ原や大阪の陣は正義の戦いだったはず、そうなれば大阪の観光客が増えるはず
大阪は日本の中心なんだ、大阪都に改称すべきなんだ

という妄想の根っこに豊臣という存在があります。
0901人間七七四年2017/12/30(土) 15:38:14.84ID:z8ODWg5W
西軍が勝って何らかの和平までこぎ着けた場合、上杉って相当立場強くなるよな
新発田ぐらいは要求しそうだし
0902人間七七四年2017/12/30(土) 15:58:20.44ID:c8/X6sjM
>>900
などと内府違いの条々は直江兼続の手によるものと主張している人は申しております
0903人間七七四年2017/12/30(土) 22:23:06.35ID:bG1TnuQc
私は大阪人だが家康派だ(正式には『豊臣』秀吉が好きではないだけだが)。

幾ら、天下の名城とはいえ守備兵に対し伏見城攻めに2週間もかかるとか
もうその時点で計算違いだろう。
大津城の戦いも
0904人間七七四年2017/12/31(日) 00:56:59.83ID:aQAhfO1o
>>901
そこはねえ...最終的に西軍勝利なら毛利、上杉、宇喜多の三大老の発言力は強力に
成るよね。
元々さ、五大老って制度その物が豊臣と大大名の連合政権って事だけど、西軍勝利なら
実質的に豊臣と毛利と上杉の三氏連合政権に成りますね。
0905人間七七四年2017/12/31(日) 03:34:23.93ID:l2BQPvlt
上杉はそうでもないんじゃね?所詮は東北の領主だし。
毛利・宇喜田・寝返らなかったら金吾の発言力は絶大だろうな。
0906人間七七四年2017/12/31(日) 03:46:22.63ID:8/aPBqKT
どう見ても日本をまとめられるとは思えない連中だなw
日本以前に自分の家もまとめられてない連中
0907人間七七四年2017/12/31(日) 04:07:25.52ID:l2BQPvlt
実際に政策をまとめるのは奉行達だろ。
全く人材居なくなった豊臣家だって家康に滅ぼされるまで
普通に問題なく運営出来てたんだから問題ない。
0908人間七七四年2017/12/31(日) 04:09:36.51ID:OOI/gdk7
奉行がまとまれないから無理よ
0909人間七七四年2017/12/31(日) 04:10:10.24ID:l2BQPvlt
奉行でまとまってなかったのって徳川派の浅野だけだろ
0910人間七七四年2017/12/31(日) 04:15:17.20ID:8/aPBqKT
>>907
秀吉死んだ後の豊臣は何一つ統治できて無いだろw
0911人間七七四年2017/12/31(日) 04:23:45.60ID:OOI/gdk7
>>909
前田や増田に内通疑惑があったりでまとまれてない
0912人間七七四年2017/12/31(日) 04:31:23.65ID:Ssar+28v
奉行連中に日本を統治できる訳がない
秀吉存命時でさえ武断派の反感買いまくってるのに
大老や生き残った武断派連中に真っ先に排除されるのが目に見える
0913人間七七四年2017/12/31(日) 09:29:00.89ID:j0+YBcqz
>>904
そもそも大大名同士が連合することも仲良く話し合って統治することも不可能だから戦国時代になったのに
秀吉も三成も馬鹿すぎだろ
何百年も前ならまだしも少し前の日本の歴史くらい調べて分からないのか
こんな妄想全開の政権構想を聞かされた家康も困っただろう
むしろ家康は秀吉や三成の妄想を現実に合わせて改良しようとしていたと言える
0914人間七七四年2017/12/31(日) 15:03:22.18ID:l2BQPvlt
統治出来てないってのは、全て家康が裏で糸引いてるだけじゃねーかよw
0915人間七七四年2017/12/31(日) 16:07:54.88ID:+AwHor2G
どんだけ家康有能なのか>全て家康が裏で糸引いてるだけじゃねーかよw
0916人間七七四年2017/12/31(日) 16:14:46.62ID:rvUS9kxJ
>>915
安倍晋三全能説に似たものを感じる
0917人間七七四年2017/12/31(日) 16:19:43.05ID:mF9HZJYU
>>914
奉行が統治できてない事に家康はあんま関係ないだろ
特に豊臣内で勝手に武断派と揉めてるのは自業自得としか
彼らに日本は治められない、ただの事務方
0918人間七七四年2017/12/31(日) 17:43:40.59ID:l2BQPvlt
奉行と七将の軋轢なんて徳川の意を受けた黒田や娘婿の池田が煽ったからだろ。
更に福島・加藤清正は家康の娘(義理の娘w)貰っただろ。

単に家康にへつらった連中が集まって徳川に利するために
三成に喧嘩売っただけ。

現に加藤嘉明は秀頼様のお膝元で争えないっつーて死闘からは
外れたぞ。
0919人間七七四年2017/12/31(日) 18:03:34.12ID:VBR11g4y
煽られただけで反乱がおこるって統治できとらんやん
0920人間七七四年2017/12/31(日) 18:04:32.81ID:mF9HZJYU
>>918
不仲は秀吉存命時からだろう
結局秀吉がいないとなんも出来ないただの事務方
政治力も含めて力の無い奉行衆にまとめられる訳がない
0921人間七七四年2017/12/31(日) 18:08:42.07ID:c2YNkLgn
>>915
>裏で糸引いてるだけじゃねーかよw

日馬富士引退の暴行事件の白鵬みたいなもんだな
0922人間七七四年2017/12/31(日) 20:12:34.96ID:tUy7DRoZ
まあでも結局のところ奉行側には固有の武力がないことも原因だからな
西軍勝利で三成加増があったとしても自分の為の戦ではないって建て前上、百万石っわけにはいかないだろうし
宇喜多、毛利、小早川、上杉あたりが新たな火種になるわな
客観的にどうみても戦乱を集結に導けるのは家康だわ
0923人間七七四年2017/12/31(日) 20:30:23.78ID:l2BQPvlt
>宇喜多、毛利、小早川、上杉あたりが新たな火種になるわな


この中に天下を狙うような奴が一人も居るように見えないんだが・・・
0924人間七七四年2017/12/31(日) 20:33:27.33ID:VBR11g4y
大阪城占領した二人組がいますね
0925人間七七四年2017/12/31(日) 20:40:47.66ID:mF9HZJYU
>>923
その野心が無いなら戦国を終わらせられないよ
力もないのに秀頼中心に豊臣の世なんて続く訳がない

関ヶ原で万が一家康が負けても、殺しきれなければ
結局運命は変わらんって事だろな
0926人間七七四年2017/12/31(日) 20:44:58.18ID:aQAhfO1o
>>922
小封弱体の君侯ってのは、中世のドイツやカペー朝のフランスなんか珍しい事じゃ無いですからね。
大諸侯のバランスさえ取れてれば意外と続くもんです、7選帝侯「後に9」とか有ったし。
日本の平安時代だって、藤原氏の総合戦力は皇室を遥かに上回ってたのに下剋上出来なかったじゃん。
問題は、藤原氏だって多くの家筋で分立して険悪だったからです。
藤原仲麻呂だって、勝てば高確率で下剋上したと思うんですよね。たけど、他の家筋の藤原は皇室支持に
回ったんで失敗した訳です。
徳川さえ消せば、諸侯のバランス取るのが不可能だとは思えません。
まあ、バランス取るには7大老にして毛利一族が2上杉一族が2宇喜多1、残りの2が豊臣家任命枠みたいな
完全な連合政権にする必要が有ると思うけどね。
西軍勝利でも、豊臣直系の武力が相当弱体化するし。
0927人間七七四年2017/12/31(日) 22:27:14.76ID:MOoLfWqt
>>918
騒動起こした七将お咎め無しだもんなw
0928人間七七四年2018/01/01(月) 00:34:07.92ID:TUN8r8Ha
今スレの岐阜城後詰決戦案まとめ

原案たる叩き台は前スレに出てた>>23
史実での岐阜城1日で落城の原因は暫定的に>>504
岐阜城早期落城させない為の手段が>23の当初よりの籠城方針及び籠城準備、野戦築城、
秀信の戦術面補佐及び援軍として島津義弘の派遣。
その結果の日時、戦力想定は
8月21日に大垣より岐阜へ島津義弘1000を秀信の補佐と援軍として派遣。
岐阜城:秀信6000、島津義弘1000、計7000
大垣城:石田6000、小西5000、計11000

8月27日に宇喜多が大垣到着、9月7日毛利秀元、吉川、長曾我部ら伊勢方面隊南宮山到着。

東軍先発隊はこの状況下でも木曽川渡河を敢行するであろうと想定。
渡河後東軍は岐阜城を包囲ないし対陣すると想定。
その後、西軍との後詰決戦に至れば>23の通り。
東軍先発隊が後詰決戦に応じる可能性の根拠としては>>798>>438
戦力差により東軍先発隊が清洲に撤退するという合理的判断をする可能性はもちろんある。
その場合西軍は>>703のように改めて有力な戦力をもって木曽川渡河迎撃の布陣を取ることが可能になる。
その結果考えられるのは膠着か>>810>>812

なので、西軍が勝てる公算が最も高いのは>23の後詰決戦に至った場合。
東軍先発隊が清洲に撤退、膠着化した場合は和睦が妥当か
0929人間七七四年2018/01/01(月) 01:37:40.75ID:dWSKnGYI
>>928
岐阜城が籠城するなら島津義弘とたった一〇〇〇人を援軍に向かわせる意味ないでしょ
大垣に収容して西軍が集結した後に岐阜城を包囲してる東軍に後巻き決戦を挑む時の兵力としたほうがマシ
0930人間七七四年2018/01/01(月) 03:16:10.57ID:krFo3wms
史実で速攻で落とされてる織田秀信じゃ籠城で耐えられる見込みが薄いからでしょ
0931人間七七四年2018/01/01(月) 04:07:03.43ID:xurAKBe6
篭城で落とされたのは、先に野戦の敗北で兵が散り散りになったからだ。
最初から篭城して兵が残ってる状態なら簡単には落ちないだろう。

実際、最後の数人になるまで持ちこたえて、攻め手の福島何かが感心して
降参するように説得して来いっつーて、やっと降参した位だからな。
0932人間七七四年2018/01/01(月) 04:10:56.96ID:krFo3wms
そこまで兵が徹底抗戦してもすぐ落ちた城で頑張ったところで無駄だろ
0933人間七七四年2018/01/01(月) 05:44:48.25ID:dWSKnGYI
>>932
野戦で兵を減らしてなきゃそもそも力攻めなんてしないよ
というか岐阜城はそういう理由がなきゃ力攻めしてまで落とさなきゃいけないような城でもない
畿内に向かう東軍が落とさなきゃならんのは岐阜城より大垣城だ
0934人間七七四年2018/01/01(月) 06:27:39.16ID:Z9A5RMmb
力押しするだろ、福島らだし
岐阜城はまともに籠城出来た試しのない城だし
押し潰されて終わりだよ
0935人間七七四年2018/01/01(月) 07:05:45.26ID:VPuS/8zi
>>934
岐阜城は政治的な城だな
濃尾平野のどこからでも岐阜城が見える。あそこに殿様がいるんだと思える。
けど関ヶ原の目的は京都および大阪にあるから、岐阜城は戦略的にあまり価値のない城
あるとすれば、武断派が家康の信頼を得るための生贄として
そして中山道を使えるようにするためといったところ。
でも犬山城と東海道が確保できていれば中山道はあまり必要ない。
放置して秀忠が到着してからでもいい。
犬山と大垣と佐和山のほうがはるかに重要性の高い城だな
東軍の策源地は清洲だし
0936人間七七四年2018/01/01(月) 07:50:20.31ID:QaCBc5Sa
オマエラ正月から元気だな
一年の計は元旦にありか

野戦という選択肢がない以上籠城しかない
0937人間七七四年2018/01/01(月) 07:59:39.55ID:VPuS/8zi
http://ime.pta.jp/d/Ei49qm.jpg
http://ime.pta.jp/d/qUWePk.jpg

リンクがまだ生きていたからはるけど
この地図を良く見て岐阜城の戦略的意味を考えたほうがいい。
篭城っていうのは戦略的に意味のある場所でしなければ大勢に影響しない
0938人間七七四年2018/01/01(月) 09:01:48.80ID:e/F9/q5y
>>937
全然詳しくないんだけど、岐阜城付近に兵を置いておけば敵の背後を脅かす事が出来るよね
戦略的価値が無いとは思えないな

距離が離れているから主戦場の状況変化に即応出来ないということなんだろうけど、
三万八千の軍勢なら隊列は相当伸びるし、横から突く事はお互い想定してたんじゃないかな
0939人間七七四年2018/01/01(月) 09:47:24.12ID:MV0lDFl/
>>936
>野戦という選択肢がない以上籠城しかない

それは大垣城に対して言うことだな
あそこから野戦をするなど西軍自体を消滅させる暴挙
大垣城こそ命を捨てる覚悟で徹底的に籠城するしかない
0940人間七七四年2018/01/01(月) 11:07:45.70ID:dWSKnGYI
>>938
背後から脅かすってことはようはわざわざ城から出て来てくれるってことじゃん
兵力で勝る東軍にとっちゃ願ったり叶ったりの展開でそのあとは史実通り野戦で織田軍を破って岐阜城を落として終わりだね
0941人間七七四年2018/01/01(月) 11:29:17.68ID:qkb/8ZJI
またこの水掛け論かよ
0942人間七七四年2018/01/01(月) 11:32:22.31ID:BQMfFEcR
軍略家じゃないのがわいのわいのいってんだからそうなるわな
0943人間七七四年2018/01/01(月) 13:27:02.87ID:e/F9/q5y
>>940
東軍がどういう策をよういしたな
0944人間七七四年2018/01/01(月) 13:35:56.94ID:e/F9/q5y
間違えて送信してしまった

東軍がどういう策を用意していたかわからないし、
関ヶ原の戦いの兵力差はそれだけで勝敗を決する程の差はないよね
倍ではなく数割の差

打って出て来てくれた方が好都合というのは具体的な策を提示してもらわないと納得はし難いかな
0945人間七七四年2018/01/01(月) 13:47:23.41ID:dWSKnGYI
>>944
兵力数は上で散々書いてあるでしょ
先行した東軍勢が木曽川を渡った時点では西軍兵力は各地に分散してて濃尾戦線では東軍の兵力の方が圧倒的に多い
兵力差はそれだけで勝敗を決するほどの差はないというが実際に織田軍が野戦に打って出てあっさり蹴散らされたのはまさにその兵力差が原因なわけで
打って出て好都合というのはそりゃ無傷の軍勢が城にこもって籠城してるところに攻めよせるよりは野戦に打って出て来てくれたほうが攻める方は楽だし実際に野戦で勝利してたからこそ史実ではあっさり岐阜城は落とせてるんだし
具体的な策というならむしろ岐阜に籠城してる側がそっからどうするつもりなのか提示してもらいたいくらいだ
0946人間七七四年2018/01/01(月) 14:02:43.53ID:e/F9/q5y
>>945
なるほど
確かに局地的には兵力差はかなり開きがあったのかもね
尚更籠城した方が良いような気がするけど、織田秀信が打って出たのは何か理由があったのか、ちょっと解せない
0947人間七七四年2018/01/01(月) 14:50:00.35ID:H5VSWPJu
祖父の桶狭間の気分だったとか。
あながち冗談でもなく。
0948人間七七四年2018/01/01(月) 15:03:54.33ID:XyMj+GZp
重臣達に反対される中での西軍参加だから分かりやすい戦果を必要としたんじゃないか
「目に物見せてくれる」つもりが「そら見たことか」に
0949人間七七四年2018/01/01(月) 15:54:59.46ID:DaFU5Q93
そもそも三成などから相当の援軍も来ていたので、秀信の意思というより西軍の方針として決戦だったと考えられる。
0950人間七七四年2018/01/01(月) 17:59:58.49ID:dWSKnGYI
>>949
濃尾平野での決戦は考えてたかもしれんが秀信が単独で東軍に突っ込んだのは想定外でしょ
木曽川渡河して竹ヶ鼻城落とした井伊直政が「畿内から援軍の気配なし」って報告してるし翌日の岐阜城攻めのときは申し訳程度に岐阜城に救援軍送って蹴散らされてるし
0951人間七七四年2018/01/01(月) 18:13:29.62ID:QaCBc5Sa
三成は援軍を入れて絶対落とされまいとした
0952人間七七四年2018/01/01(月) 18:13:53.20ID:6/tGnsn3
そもそも西軍は東軍が伊勢国か美濃国のどちらを通るかで、
意思統一できていない
0953人間七七四年2018/01/01(月) 18:24:46.99ID:U6Derc1F
渡河防衛はまず渡河してくる敵部隊を鉄砲で損害を与え
それでも犠牲を覚悟で突っ込んで渡河してしたら
後方に控えてる大部隊が取り囲むことにより
渡河してきた敵部隊は相手の陣深くに突出する形になる
大坂夏の陣でも戦上手な真田幸村は後退する家康を追いかけすぎて深入りし
突出することになって幕府軍に周りを囲まれて即壊滅してしまった

渡河防衛は大軍でやるのは効果的だが
少数でやるには戦力分散することになり何の意味もない
そこが秀信が無能と言われる理由
0954人間七七四年2018/01/01(月) 18:38:41.58ID:dWSKnGYI
>>951
大垣城をね
0955人間七七四年2018/01/01(月) 18:40:30.03ID:MV0lDFl/
大垣城を出たのは三成の致命的な失策だった
命がけで大垣城に徹底籠城するべきだった
0956人間七七四年2018/01/01(月) 18:50:14.88ID:DaFU5Q93
大垣城は規模が小さく防衛してもあまり意味がない
0957人間七七四年2018/01/01(月) 23:05:35.43ID:e/F9/q5y
こういう事をいうと身もふたもないけど、戦術面で色々手を変えても、やっぱ事前の調略とかの政治面で決着してたような気がするなぁ
0958人間七七四年2018/01/01(月) 23:51:09.34ID:qkb/8ZJI
まあ、東軍先鋒が清洲に到着して攻勢をかけられなくなった時点で8割方、会津遠征軍が崩壊しなかった時点でもう7割方は西軍の勝ち目はなくなったというのが個人的な印象
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。