7月19日福島正則宛の家康書状によると

早々にそこまで出陣したことを御苦労共、上方雑説のため人数(福島正則の軍)は西上させて、御自身(福島正則)は是(江戸)まで来るように。
詳しいことは黒田長政・徳永寿昌が述べるので詳しくは書かない。

という書状を送ってるから江戸まで福島正則のみで来て
黒田長政・徳永寿昌に何か指示か説得を受けた
江戸〜小山のどこかでそれぞれ東海道の大名に対して
何らかの軍議指示はあったのは確かだね