史実での岐阜城は黒田、藤堂、田中の大垣からの後詰阻止隊を抜いたとして、
東軍21000〜23000対岐阜城2000〜3000.
それでも戦力比7〜11倍。単純に戦力比で落ちてもおかしくない計算。
それに加え敗走後の低士気状態、秀信の微妙采配、ろくにしてないであろう籠城準備(野戦築城含む)
そりゃ1〜3日で落ちるだろう。

これを島津義弘1000を加え、7000で籠城準備もするなら落ちないか、落ちても東軍は甚大な損害を被ると見る。
29000対7000でも戦力比約4倍。この条件での攻城例がほとんどないように、一般的にこの戦力比、
守備兵数で力攻めは考えにくい。それでも力攻めするならその根拠を提示すべき。